投稿者:怨是
女性は溜め息を吐いて、眼前の巨大な金属の塊を見据えた。ガレージの天井の隙間からほんの僅かな面積ではあるが、雪が侵入し、機体に覆い被さろうとしている。アーマード・コア――ACと呼ばれる、兵器の一種だ。コアと呼ばれる胴体部分を起点に、様々な四肢や武器を装備する事で高い汎用性を得た、全長五メートル程の金属の塊である。人々はこれを用い、時にはこれを巡って、争いを続けていた。大昔から存在するACは、その複雑すぎる内部機構故に生産は出来ず、世界各所の遺跡じみた廃墟群から発掘せねばならなかった。高度な技術など失って久しいこの世界で、奇々怪々な大型構造体を量産する事など、不可能なのだ。
女性は相棒とも呼べる機体に話しかける様に、独白する。
「雪は降るんだね。こんな街でもさ」
此処は、第9領域と呼ばれている。大小様々な街が集まって出来た、建築物の集合体だ。荒れ果てた地上の中でも数少ない、人の住める地域でもある。
「……父さんは死ぬまでに、何度雪を見たんだろう」
彼女に父親は居ない。三年前に死んだ。政府軍――この第9領域をかつて支配していた、「政府」と呼ばれる組織の、子飼いの部隊――に所属していた父親は、同じく政府軍に身を置くACパイロット達に殺された。父親を殺した理由は単純だ。彼らは政府を倒すためにクーデターを起こし、父親はそれでも尚、政府側に付いていた。たったそれだけの事だ。“異なる思想の元に動いた”という、ただそれだけで死んだ。母親は、彼女が生まれた頃には既に姿を見掛けなかったし、それが普通だと思っていた。が、父親は違う。二十年にもなる長い年月を共に暮らした、唯一の肉親だ。その父親が死んでしまった時の悲しみと云えば、精神に大きな傷痕が残る程であった。
「――お嬢さん、時間だ」
不意に声が聞こえる。中年の男の声だ。彼女は別段誰が依頼を出したのかは興味の範疇に無かった為に、彼が何者であるかを思い出すのに些か時間が掛かった。振り向いて、姿を確認する。そこで漸く男が誰だか解った。依頼主だ。彼は、ミグラントと呼ばれる“何でも屋”の一人だ。この世界では、都市群やコロニーをまたいで活動し、様々な――例えば物資、情報、武力などを売り物とする職業をまとめてミグラントと呼ぶらしい。傭兵稼業に就いている彼女もまた、広義ではミグラントという分類に属する。
「……」
「ヘリはあっちで待たせてあるから、準備が終わったらそのまま出て来てくれ」
そう云って、男はガレージの扉を開け、姿を消した。女性は再び、ACの方へと向き直る。今回の依頼はごく単純なものだ。何処ぞの馬の骨とも解らぬ輩が乗り回す、中古の戦車、及び輸送車両を片付けるだけ。腕慣らしには丁度良い。
コックピットに付けられたダイヤルを回し、中へと潜り込む。屈強な男であれば狭苦しい機内も、彼女には身体を捻る程度の余裕があった。計器類をチェック。古めかしいモニターに、後付けされたスイッチ、豆が腐った様な臭気に鼻を摘みたくなる空調、そのどれもが、彼女にとっては身体の一部だ。
「さて……行きますかね」
これから営業を始めねばならない。自分がどの様な人物を演じるべきなのか、彼女は既に決めていた。先程の依頼主との会話では、感傷に浸った結果、溺れすぎてしまったが為に、まともに応じる事が出来なかっただけだ。頬を叩き、暗転したコンソールに映った自分の顔を見る。八重歯の覗く笑顔は、少なくとも男受けの悪い表情では無い筈だ。
夕闇に佇んでいた輸送ヘリが、ゆっくりと高度を上げる。あれに牽引され、自分は仕事場へと向かうのだ。そうなれば、逃げも隠れも出来まい。夕暮れで赤く染まった空に混じる粉雪が、見送ってくれた。
最終更新:2012年05月04日 02:00