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 息を切らせながら、僕らは坂道を上っていた。


 急勾配の小径はどこまでも続く。両側は壁面で挟まれて、間隔はまちまちに玄関扉が並んでいる。取り囲むものは全てが白く、照り返しは目も眩むほど強烈だ。
立ち上る熱気の中に少し牧草の匂いが混ざっているのは、毎日ここを通るロバのタクシーのせいだろう。
青く澄んだ空のところどころには細く長い雲が波打っている。太陽は僕らの真上にあって、ぎらぎらと燃え盛っていた。
「見て」
 リベカの汗ばんだ小さな手に引かれ、僕は振り返った。
 そこからは僕らの街が一望できた。
複雑に積み重なった白い家々が傾斜に沿って広がっていく。煉瓦の屋根は優しい茶色。細々とした路地は迷路のように入り組んで、途切れるところは一つもない。そうした塊が山腹の所々にあって、海をぐるりと囲んでいる。
 視線を更に下す。
 空白が家々に迫りつつあった。
そこでは建設用、或いは撤去用のMTが群れをなして蠢いている。膨大な量の家屋の白骨がトラックで運ばれていった。大地の衣は剥ぎ取られ、黒々とした杭が次々に挿し込まれていく。間に金属管が通されては、濁った灰色のゲルが吐き出された。
 こうしてできた土壌から未熟な建築物たちが産まれていた。
建材を貪り喰らう度に不快な金切り声をあげ、臍の緒のような舗装が足下に根を張っている。ぎらついた光沢が海岸線にまで迫る様子は、ただただ醜悪だった。
「たかいたてもの、きらい」
 リベカが呟く。「海がみえないから」
 彼女はこの街で生まれた。幼いときから海と触れ合いながら育ってきたのだ。自分の成長よりも早く変わっていく都市を見て、何を思ったのだろうか。
ぎゅっと握り締めてくる小さな手から、僕には何となく解る気がした。
「さぁ、行こう」
 僕はリベカの手を引いた。「もうすぐだ」

 それから程なくして、鐘が鳴る音が、次いで鐘楼の先端が斜面の向こうから現れた。数段の階段を上がって、教会の扉を開けると、ひんやりとした冷気が心地よかった。中には誰もいなかったが、告解室の扉は閉まっていた。
 僕らは個室の脇の席に座った。
女性のくぐもった囁き声が聞こえる。節々に嗚咽のようなものが混ざり、その度にリベカが不安げな視線を僕に向けた。もじもじとワンピースの裾をいじくり、落ち着かない。床から浮いた足がふらふらと揺れる。僕は何度かたしなめたが、あまり意味はなかった。

 そして、扉が開いた。
 黒いヴェールに身を包んだ女性が手で口を押さえながら足早に出て行った。泣いていたのだと思う。
 隣に座るリベカは唇をきつく噛み締めてつま先を見つめていた。彼女の番だった。さぁ、と僕は膝に置かれた小さな手を握る。リベカはごくりと固唾を下すと、俯いたままサっと立ち上がり、駆けるように告解室の前に進んだ。そして扉の取っ手に手をかけた。
 長い沈黙。固まった妹。肩が震えている。

 どうしたんだ。

 僕が近づくと、その場で金の長髪を翻し、突進してきた。僕の腹に顔をぐりぐりと押し付けて泣き出した。驚くほど力強かった。
 困惑した。どうしたらいいか解らなかった。
 神父が個室から飛び出てきた。顔には業火がうねり狂っていた。
 耳を真っ赤にして泣く少女を一瞥。次に戸惑う僕に視線を上げる。すぐに合点がいったようだ。不届き者に対する厳しい表情が、蜃気楼が掻き消えるように、柔和な微笑みに変わっていった。
 僕が口を開くと、彼は片手を挙げて制した。しばらく、少女の感情の赴くままに任せる。

「告解は初めてかね?」
 神父がまだ赤みがかったリベカの顔を覗き込んだ。彼女は、人の存在を意識できるところまで自分を取り戻しつつあった。僕の腹に頬を押し付けたまま大きく頷いた。
「そうか、そうか」
 そう微笑む神父の顔は若くも見えたし、年老いても見えた。大きな手でリベカの頭を撫でる。
「私も初めての告解は、そりゃあ恐ろしいものだったよ。余りに恐ろしくてシーツにコブラを召喚してしまう程だったな」
「え、はい?」
 僕にはさっぱり解らなかった。リベカもそうだった。そんな僕らの様子に満足したのか、彼は何度も頷いて、さらに続ける。
「自分の新陳代謝に畏敬を覚えるくらい大きかったよ。坊やくらいはあったなぁ、多分。いや、そんなにはなかったかな? まぁ、それで無性に取って置きたくなってね。ベッドの下に押し込んだんだ」
 リベカが僕を見上げる。潤んだ瞳には疑問がいっぱい詰まっている。
 そこからは一息だった。

「私は何食わぬ顔でキッチンに降りていった。さながら、往年のアラン・ドロンの如し。
 で、母と一言二言会話をしながらシリアルを頬張っていると、ランドルマン・ガルメニア・ウィンターズ・スピアーズ・アバム・ライアン・ジュニアが――っと、こいつはとんでもない馬鹿犬でね。
 私が付けた名前がよほど気に食わなかったのか、証言台で不利になるような悪戯ばかりをする馬鹿犬だったんだよ。あれ、いま、馬鹿って二回言ったな……。まぁ、いいや。
 で、なんとそいつは、ベッドの下からシーツを引っ張り出して、キッチンと居間の間に広げやがったんだ。あの時の小憎たらしい顔といったら……。
 私はもう盛大に憤慨した。噴火した両耳が天井に引っ付くくらい。
 で、ボウルの枠を掴んでフリスビーの如く弾き飛ばした。倍超豪速球、飛び散るミルク。
 阿呆犬は尻から火を吹いて回避し、床が水浸しになって、新聞を小脇に抱えてやってきた父が滑って転んだ。私は思わず吹き出したが、笑っていたのは私だけだった。
 二人はサタンの手下のように憤慨した。噴火した毛髪が天井に突き刺さるくらい。
 で、結果として、私は祈りの言葉を二つ多く唱えなければならなかったし、当分の間、深夜の復刻ホラー映画が禁止になった」

 彼はそう言って、真顔になって、次の瞬間には声を出して笑いだした。大きく背中を反って天を仰ぐ。
 僕らは呆気にとられた。喉の奥が見えてしまうほどに口を開けて笑う大人に会ったことはなかった。
 彼はやがて、浅く長い軽やかな一息をつくと、さて、と言って跪いた。リベカと視線の高さを合わせる。
「手をお出し、お嬢さん」
 妹が恐る恐る手のひらを差し出すと、彼はドロップ缶をどこからか取り出して、白い飴をそこに落とした。ハッカの匂いがすっと鼻を突く。
「ほら、当たりだ」
「あたり?」リベカが首を傾げる。
涙は当の昔に押し戻されていた。
「白はいい色だ。太陽の色、神様の色、百合の花の色、君の肌の色と一緒」
 頷く神父は太い親指で妹の頬に残った涙の跡を撫でる。僕らは彼を親戚の叔父さんかなにかだと錯覚しはじめていた。
「でも、しんぷさまは?」
 リベカがそう尋ねると神父はさも痛そうに脇腹を押さえた。
「肝臓が悪いんだ」
「なにそれ」
「私の肝臓はギチギチのフォアグラなんだ!」
 おどけた渋面に、妹の口元が綻びる。このときばかりは僕も笑った。誰もいない教会に三人の笑い声が転がって、返ってくる。ジョークの意味は全く解らなかったけど。
「いい子だ」
 神父はゆっくり立ち上がった。
 はにかむリベカを愛おしげな視線で見つめ、それから僕の方に向き直る。微笑みに静かなウィンク。

「さぁ、兄としての威厳を見せるときだ」


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最終更新:2012年07月09日 17:35