会戦、補給、迎撃。会戦、補給、迎撃。限りない戦闘のスパイラル。勝者も敗者もいない、ただ無意味な消耗だけを続ける終わりなき闘争。それこそがデュバルの心から望むものだった。
だが実際のところはどうだ。相手は疲れも恐れも知らない、数だけが取り柄の金属の塊。感情を有しない相手と戦争をして何が楽しいと言うのか。その様な状況では、心が躍るはずも無い。つまりやる気も出ない。
「デュバル大尉が午後二時をお知らせします。今日の荒野、天気は晴れ。快晴。絶好の洗濯日和です。パリっとカラっと美味しくジューシーに乾いちまうでしょう。そして暑い。とても暑い。すごい暑い。現在の気温はなんと驚きの37度。あらヤダびっくり。体温と殆ど変わんねぇっすよ奥様。こいつぁおったまげたぜ。だもんで熱中症には十分ご注意下さい……ください……ください……くださイ……さ……」
なにかに取り憑かれた様にぶつぶつと呟くデュバルの事など知ったことではないとばかりに、頭上では太陽がギラつく陽光を容赦なく放っている。死んだ魚どころか墨をぶち撒けた様に瞳の濁りきってしまった彼女は、首に巻いたタオルを傍らの水を張ったバケツに放り込み、ゆるく絞って再び首に巻くと温くなった水を覗き込んだ。
「……」
頭を突っ込むか、それとも頭から被るか。本気で考え始めたところで我に返った。暑さで相当やられているなと、実際にやられている頭で思った。影に行こうにも屋外にその様な所は何処にもなく、かといって天幕内は実際に熱中症を起こした者達に占拠されている。気分が少しでも悪くなったら言えと、最初に言ったにも係わらず倒れてしまった兵達が出た事で、デュバルは少しだけへこんだ。そんなに私はモノの言い難い上司っすか! そうなんすか! と言った具合に。
「我慢しすぎる犬ってなぁ、飼い主としては可愛くねーもんなんすよ。ちったぁおねだりしてみろっての。蹴っ飛ばしてやりますから」
呟いて、バンガード標準カラーを更に濃くしたマルーン色の乗機に取り付いている整備員達に視線をやったデュバルは、やがて奇妙な身振りをつけてそーれそれそれクーラークーラーと奇怪な音頭を取り始めた。
幾度かの小競り合いの後、逃亡した《
ノマド》の痕跡を発見したデュバル達は再び小競り合いを繰り返しながらそれを追跡した。増援の部隊がもっと早く到着していたなら、目標への到達に然程時間はかからなかっただろう。だが、砂というものは雪と同じだ。時間が経てば経つほど、残された痕跡は薄れ消えていく。
部隊を広範囲に散開させて探索する事4時間あまり。何時廃棄されたかも定かではない、砂に埋もれた何らかの施設跡近くにて漸く《ノマド》ACの残骸を発見した時には、元から低いデュバルのやる気メーターはゼロを通り越してマイナスになっていた。未確認機との戦闘でごりごり下がった気力に、追い討ちと言わんばかりに遥か彼方に大嫌いな巨大兵器の残骸が確認できたこともそれに拍車をかけている。茹だるような外の暑さは止めだ。
外気温の高さを空調の効いたコクピットの中で確認したデュバルは外へ出ることを拒み、涼みたいから整備するのは最後でいいと駄々をこねた。徹底抗戦も辞さない覚悟だと外部スピーカーを使って宣言し、機内に大量に持ち込んだ煙草と共に篭城を決め込んだのだ。スパナなんざ怖かねぇ。怖ぇのは減給だけだ。そう、グリエフへの宣戦布告を行って喫煙を始めた彼女だが、外部からハッチを強制的に解放され激しい抵抗の末、結局はつまみ出された。
整備の者達は外へと引き摺り出された彼女をアホを見るような目で見ていた。彼らは本隊から派遣されている分遣隊であるが故に、その扱いは仕方が無い。おまけに班長である中年にこの炎天下の中、説教されてしまう始末だ。中年の説教ほど長いものは無い。デュバルは改めてその事を確認した。
それでも全く懲りなかった彼女は、説教の最中に涼む方法を模索していた。第一候補として挙げたのは、
冷房の効いた装甲車だ。丁度ACの残骸から引きずり出してきたレコーダーを解析中なのだし、解析が終了すれば呼ばれる事には変わりない。ならば、その労力を省いてやるのが良き指揮官と言うものだ。お邪魔して、冷たい珈琲でも飲みながら技官の女性にセクハラでもしよう。実に素晴らしい案だと自画自賛したが、精密機器の大量に並んだ車内は禁煙だと言う事に気付いてしまった。むしろそちらの方が辛い。というか死んでしまう。ただでさえ宜しくない精神状態だというのに、本当に錯乱してしまっては元も子もない。
そして、第二候補を挙げる事は適わなかった。何故なら指揮官が馬鹿をやっている最中も懸命に己が職務を全うしていた兵の一人が熱中症で倒れたからだ。確かにデュバルは、気分が悪くなったら言うよう全員に伝えた。しかしその指揮官自身が下らない事をして説教を受けている時に、気分が悪くなったと言えるわけもない。全てはこの派遣女が悪いのだ。
「デュワッ」
そんな事を気にする筈もない薄情な本性を持つ彼女は、暑さを紛らわせる為、ビシっとお子様に大人気な光の巨人の必殺ポーズを取った。案の定、刺すような大量の視線を感じる。何事も無かったかのように無言でポケットに手を入れ明後日の方を向いて口笛を吹き始めた。生涯学習のテーマだ。視線を感じなくなった所で、ポケットから手を出した。続きましては必殺ポーズ第二弾だ。
「……ヘアッ」
呆れの満載された視線が多方向から突き刺さる。それどころか、邪魔をするなこの派遣野郎と、受けて当然の湿り気を帯びた視線も感じたので、デュバルはがっくりと肩を落として落ち込む振りをした。暑さにピリピリとした雰囲気の部下達を和ます為のちょっとしたお茶目な行動ではないか。そこまで責めなくてもいいだろうに。そう言わんばかりの雰囲気を纏って、短くなった煙草を吐き捨てた。デュバルの足元では大量の灰と吸殻が小山を築いており、これでは《シャラ・マフムード》氏が『朕自ラ最精鋭部隊ヲ率ヰテ、此レガ断罪ニ当タラン』と声明を発表してもおかしくは無いが、のんびりと休憩をするために彼女は此処にいる訳ではない。例えその視線の先で、救援物資という名の食べ物を要求したレーヴェが、デュバルの与えたチョコバーを齧りながら慌しく動いている兵達の間をウロチョロしていたとしてもだ。
やるべき事は山のようにあったが、全てうっちゃって部下に丸投げするのがデュバルの最近のトレンドだった。指揮官はでんと構えて喫煙するのだ。さも重大そうに頷いた彼女は新たな一本を銜えて火をつけた。働き蟻のように勤勉な兵達に向けていた視線を、遥か遠方におぼろげにその存在を誇示している巨大兵器の残骸へと向ける。
「《マザー》に比べりゃ小ぶりとは言え……あんなデカブツが動いてたとは」
信じがてーっすなぁと、言葉の代わりに紫煙を吐き出してデュバルは陽光に目を細めた。この陽ざしの中、アレの天辺で昼寝でもしたらさぞかし肌に悪かろうと、すこぶるどうでもいい事を考えて薄く笑い、再び視線を戻した。
時折視界から消えるレーヴェは、戻ってくる度に紙束やら工具箱やらを抱えてはまた消えるを繰り返している。しかもそのつど、口に銜えている食料が変化していた。小間使いのお代に貰っているのだろう。今はどこの馬鹿が持ってきたものなのか、何故か具材の落ちないピザをワンホール丸ごと口からぶら提げている。自分を見つめるデュバルの視線に気付いたのか、レーヴェは口元のピザに目をやり、腕でバツ印を作った。盗るつもりは無いと、手をひらひら振ったデュバルに安堵した表情を見せた次の瞬間、ピザが文字通り吸い込まれた。思わず目を見開いたデュバルを取り残し、レーヴェは誰かに呼ばれて走り去って行った。
「……あたしゃもーどーすりゃいーのかわかんねーっす」
頭を振って、デュバルは懐から新たな一本を取り出し火をつけた。禁じ手のダブルスモーキングである。だがタイミングの悪い事に、ファクシミリに吸い込まれる紙を何故か想像し、それが先程のピザが重なってしまい今度は吹き出しかけて咽た。大地を蹂躙されし《ノマド》の怒りが功を奏したのだ。長き闘争の果てに我々は勝利を掴んだ。否、これからが本当の戦いだ。マフムード先生の次なる戦場にご期待ください。
それから一箱、二箱と煙草を消費し、同時に大地を穢しまくった大地汚染化推進委員会名誉会長《
クロード・デュバル》の首に大地清浄化推進委員会名誉会長《シャラ・マフムード》氏が懸賞金をかけた所で、彼女の顔が物憂げ――少なくとも本人はその積もりである――な表情になった。煙草の吸い過ぎによる健康への影響を憂いているわけではない。進捗状況の悪い作戦への不満と、日焼けに対する懸念だ。三十を過ぎた頃から気になりはじめた肌つや及び潤いとか、化粧のりとか、その他諸々についてを様々な側面から考えかけて、自分の顎にアッパーを食らわした。
「あー、いって、クソッ……舌噛んだ……!」
涙目で蹲ったデュバルに、部下達からの視線が突き刺さる。あまつさえ小声で、今日の大尉は絶対変だどうかしてるいやでも元からおかしいしあの人なんかちょっとまともじゃないもんな、などと囁きあっている。
とりあえず擦過音を出して追い払ったが、正直な所、肌の状態はどうでも良かった。傷だらけの肢体に、縫合跡や裂傷の目立つ顔だ。今更何をいわんやである。肌の状態よりも領域の情勢の方が気になる。もっと戦争しようぜ。それが本音だが、無論彼女とてただ手をこまねいて流されるままいるわけではない。嘗ての部下を使って火種を作り出そうとしたりもしている。趣味ではない虐殺なんかも執り行ってみたが、結果はまだ出ていない。
「私は戦争が好きだー好きだぁー好きだぁぁぁー……でゅーわー――いてっ……」
我慢の限界に達した兵達から空き缶やら空き瓶やらのゴミが投げ付けられ、今度は本当に落ち込んだデュバルは癒しを求めて装甲車へとふらふら歩き出した。中で解析作業を続けている技官は女性だ。空調の聞いた内部と併せて、まさに砂漠のオアシスだ。今作戦における唯一の清涼剤。戦場に咲く一輪の花。
脇から手を差し込んで胸を盛大に揉みしだくか、それとも抱きすくめるようにして動きを奪ってから揉むか。不埒な思考で脳内を埋めていたデュバルは、後部のハッチを開放する装置に指を伸ばしかけて、引っ込めた。一度咳払いをし、手櫛で髪を整える。それから深呼吸をした彼女は吸殻を投げ捨てた。《ノマド》との間に入った亀裂はもはや修復不可能だ。懸賞金は取り下げられ、代わりに死刑が宣告された。地上は我々の聖地だ。いかな手段をとろうとも、守ってみせる。SATUGAIせよ。マフムード氏の決意は固い。
手をワキワキと動かしながらデュバルが内部に侵入してから30秒後。
甲高い女の悲鳴と、何かを張り飛ばすような音が車内に響いた。
最終更新:2012年08月31日 00:03