――何故、こんな事になったのだろう。
固い床の上で正座をさせられているデュバルは、未だ熱を帯びる頬を撫でながら低く唸った。
抜き足差し足忍び足。獲物を狙う猟犬の気分で身体を精一杯縮こめながら――実際は天井が低かったためにそうせざるを得なかった。何せ入り口で、硬い硬いフレームに頭をぶつけたからだ。背が高いというのも考え物だ。獲物を前にしていたので、どうにか声を出さずに済んだが――標的の背後に立った彼女は、神へと捧げる生贄の前で奇妙な頭巾を被りながら祈りの言葉を吐き出している邪教の神官の如き仕草で両腕を可能な限り広げた。
――kale whatcha nei conserva oh.
意味は解らないが昔聞いた事のある言葉を脳内で呟き、その両手を相手の胸へと侵攻させた。彼女の魔の手は被害者の頭部側面を素早く通り抜けた後に急降下し目的地に到達。双丘を揉みしだく幸せと、詳細は省くが司令部たる脳を有する箇所に苦痛を味わう羽目になった。
具体的には思いっきりビンタされた。ついでに言えば至近距離から悲鳴を聞いたので耳も痛い。
痛みも引かぬうちに長々と本日二度目の説教を受け、最後に何故こんな事をしたのかと問われてこう答えた。
セクハラがしたかったから。セクハラ・イズ・マイライフ。
心底呆れた顔をされ、正座にて反省を命じられたが堪える筈も無い。即刻正座を解いて大欠伸をかましたデュバルは煙草を銜えた。火をつけるという蛮行は流石に犯さない。マナーは悪いがTPOならある程度は弁えるのだ。
「そろそろ脚が痺れてきたんで椅子に座りてーなーとか……あっはい、駄目っすね、そーっすよね、こりゃ失敬!」
ぐるんと音がしそうな勢いで振り向いた被害者にキッと睨みつけられ「おぉ、怖ぇ」と、全くそう感じられない声音で呟いて肩を竦めた。堪えた様子も無く相手の背中――細身の身体からはみ出た、目に優しい柔らかな曲線に犯罪臭漂う視線を向ける。
「小っこいナリして意外とデカイなあんた! 手に収まり切らなかった! その癖やらかい! 夢がたんまりっすか! 幸せいっぱい! 正直堪んねぇっす! 私が満足して飽きるまで揉ませてくんねぇっすか?」
今度は言葉によるセクハラを行った。興奮したような声とは裏腹に相も変わらず瞳は光を湛えていなかったが、背を向けている相手はそれに気付かなかった。この人が立場を悪用して私に性的嫌がらせをしてきます! 被害者は当然の権利としてボールペンを投げつけた。飛来した凶器を首を振って避けたデュバルは、脚の痺れに眉根を歪めつつも僅かによろめきながら立ち上がると技官の隣によっこらせの中年ヴォイス付きで腰掛ける。その視線は夢の満載された箇所へと向いたままだ。
次は何をされるのか。技官の女はほんの一瞬身体を震わせたが、デュバルの目が嗜虐的に歪んだので平静を装って作業を続けた。
「うん、そりゃね、いきなり胸をわし掴みした私が悪ぃですよ。そいつぁ重々承知しとります。だからっつってね、上官にビンタかますってなぁ……どういう了見かと。いやいや、全然怒ってねーっすよ? そりゃ、セクハラは勿論いかんと思いますぜ。でも、全力のビンタもよくねーと思いませんかい? つーか思え」
しかしながらデュバルは特に何かをするわけでもなく、椅子ごとグルグルと回転しているだけだ。先程の言葉は当然のように無視されていた。おおなんたる無常か。だが行動には結果が伴うのだ。セクハラをすればビンタが待っているのが世の常である。
「古傷が痛ぇーなー。開いちまったかなー。また縫う羽目になんのかなー。フランケン大尉ってぇな渾名がついちまいそうだなー。セクハラしたら痛みが引くと思うなー。痛みが酷くて指揮に集中できなさそうだなー。困っちまうなー。部隊が全滅すんのも時間の問題かなー。だから誰かセクハラさせてくんねーかなー」
影でそう呼ばれている事をデュバルは知っていたし、その者達がデュバルの餌付けしている複数の犬に夜道で襲われ負傷した事も知っている。実は自分には調教師の才能があるのではなかろうか。そう思い、まだ一度も餌を与えていない警戒心剥き出しで吠え掛かってくる野良犬を撫でようとして手を盛大に噛まれた事もあった。
嫌な事を思い出してしまったと、悲しげにため息をついたデュバルは口直しと言わんばかりに滑らかな曲線を30秒ほど穴を開けん勢いで凝視して目に焼きつけた後、ずらりと並べられたモニタに向き直った。既に解析を終えた項目――数字とアルファベットの羅列で表示されている機体のステータスログを眺め始める。
最も損傷の激しかった機体のデータだが、他の機体のも似たり寄ったりな結果が出るだろう。
「おーおー。まるでリンチっすな、こりゃ。判決死刑即時執行、死体は焼いちまえ。それか犬の餌」
物騒な事を呟きつつ頬杖をつきながらぼんやりとキーを叩いてログを流していたデュバルの目が細まった。あの鉄塊に知性や容赦というものがあるとは微塵も思っていない。少数の敵相手に多数で囲んで袋叩きにする事は自分も割とよくやるが、それは重要ではない。ログの中にプラズマによるものと思しき損傷が表示されている。はてと首を傾げさらにログを追ったが、今度はフラッシュロケットらしきものによるFCSの異常が表示されていた。
「……んなもん撃ってきたかぁ?」
改良型か新型かは知らないが随分とけったいな代物を装備していると、眉間に皺を寄せたデュバルの視界に、今度は低出力の電磁弾――パルス系武装の類だろう――による被弾報告が長々と続く。眉間の皺が更に深くなった。交戦した未確認機の中にそのような武装を施された個体はいなかったからだ。
それでもログを流し続けていたデュバルは、ログが終わりに近づいてきた頃、最後の締めと言わんばかりに大口径の火砲がコクピットへ直撃したことによる操縦者の喪失が表示されたので、興味を失ったと言わんばかりに画面から目を離した。背もたれに体重を預け大きく伸びをする。
「ACを相手にしたいけど未確認機のレーザーじゃ重量機相手には不安を感じる。かといって自爆するタイプはコストが……そんな悩めるミグラントの皆様に今日ご紹介する商品は此方! 弊社脅威の技術力により、大口径のキャノンへと武装を換装した未確認機! 装甲及び機動力は従来型と変わらず火力を増大! 憎きACも囲んで袋にすれば怖くない! 今ならもう一台お付けして、お値段たったの19800Au! ヤスイ! スゴイ! ……アホか」
唐突に始まった通販番組に呆気に取られている技官を無視し、すぐ目の前にある装甲車の天井を暫く睨んでいた彼女はやがてヘッドセットへと手を伸ばした。呼び出しに応えた部下に対し、回収した残骸の目録の中に薬莢の類――特にサイズの大きなものが無かったかを尋ねる。返答はすぐにあった。
「――なるほど、了解了解。あぁ、それと撤収準備頼んます。もうすぐコッチも終わりそうなんでね。さっさと帰りてぇ」
ふっとくてかったい、昼下がりの団地妻に人気が出そうなACのハウザー砲のものと思しき薬莢が目録内に記載されていたとの報告だ。これで少なくとも、未確認機がトンデモ改造されていた可能性は無くなった。奇妙な安堵を感じるも、同時にデュバルの心中は穏やかではない。
「ハウザー直撃、か。ご愁傷さんだ。それにしてもACねぇ……」
断定するには判断材料が足りないものの、そのAC――複数か単独かすら定かではない――が未確認機の司令塔である可能性がある。結局の所振り出しに戻った様なものだ。野犬の様な唸り声を上げて眉間に盛大に皺を寄せていたデュバルは、やがて思考を放棄した。正直面倒臭くなった。頭を使ったり碌でもない権謀術数をめぐらせるのは得意ではあるが、好きなわけではない。もっと解りやすい単純な暴力の方が好みなのだ。
だから、よし帰りましょうぜと言って立ち上がった、仕事を途中でほっぽり出して帰る気満々のデュバルを引き留める為に、慌てた技官の女がセクハラしてもいいからもう少し辛抱して下さいと言っても不思議ではない。あと少しで作業が終了するのに、それを無駄にされては困るのだ。とばっちりは下っ端にくるのが世の常だが、この薄情な派遣上司が気にする筈もない。
「……ホウ? これはこれは……」
セクハラ執行許可を受け妙な声音で嬉しげに呟いたデュバルの瞳はある種の狂的な輝きを有していた。ゆらりと幽鬼めいて立ち上がり、対象の両脇に背後から手を差し込んでそのまま持ち上げる。生温さが残る椅子に座って尻で体温の残り香を感じると鼻息が荒くなった。どう見ても変態以外の何者でもない。そして、対象を膝の上に乗せてそのまま抱きしめる。腕に感じる柔らかな女体の感触。頬に当たる髪の質感。首筋に顔を埋め肺一杯に空気を取り込めば、整髪用のワックスのほのかに甘い香りが鼻腔を擽る。時間はまだたっぷりある。じっくりと腰をすえて、まずはソフトに楽しむのだ。この任務を回されてよかったと、霞がかかったように恍惚とした頭でデュバルはそう思った。硝煙漂う戦場の狂気に勝るものは無いが、それでもこの快楽もまた捨て難いものなのだ。
誤解の無いように言っておくと、デュバルに同性愛の毛は無い。ただセクハラをしたいだけであり、そこから先へ進む積もりは毛頭無い。たんにその対象が性別を問わないだけだ。
膝の上に乗せられ、作業速度に支障が出ない程度に加減されたセクハラを受ける技官の女は我が身の不幸を嘆きながらキーを叩き続ける。任務の為に己が身を差し出す彼女は天晴れであった。
最終更新:2012年09月11日 22:15