「そう聞くと――」
ひとつの空白を置いて、それでも青年は会話を紡ぐことに決めた。
「なんだか新手の霊感商法みたいですね」
「新手なのに“みたい”とな? 馬鹿を言うでない」
老人が眉を大きく持ち上げた。声は肺の奥底から絞り出しているが、身体は問題無く動かせるらしい。肩から生えた病弱な枯れ枝を振り回してすらみせた。青に赤色光を上塗りしたシートの表面で影が踊る。
「いたずらに年月を喰らってきたと思うてか。日進月歩、しかして日暮道遠、さらに日々精進。見よ、この顔に刻まれた皺の数々を。ひとつとして無駄なものはありはせん。よいか、若いミグラントよ。わしは思いつきで物を言っておるのではないぞ。一世紀にも渡る経験則はもはや真理にも等しいのだ。それを山師の所業と蔑むとは、何と浅はかな」
「だって、僕の欲しい物なんて、そこからは見つかりそうにないもの」
青年は苦笑して、ハードウェアの城壁を見やる。
老人の周りには幾つもの筐体が積み上げられていた。色とりどりのケーブル束が箱の背部から飛び出し、中途で捻切られた所で内部の針金が顔を覗かせている。ケース自体も良い状態ではなく、歪んでいたり、ひび割れているだけの物はまだマシで、大部分は数面が取り外され中の器官が剥き出しになっていた。緑と銀の迷路板はほとんどが砕け、光の飛沫となってブルーシートの表面に散らばっている。暗青色の水面に映る星々の輝き、とまではいかないが半導体やマイクロプロセッサ等の欠片でもなかなか見応えのあるものに思えてしまう。中心に禍々しく存在する浮島をひとたび目にすれば。
夥しい量の遺物に腰まで埋もれた老人はさながら亡国の王といったところか。商品というより、不特定多数の人々が好き勝手に放り込んでそのままという感じだ。ハードコピーの束を紐留めした本や半分融け落ちたポリエチレンの人形、赤鉄まみれの水筒、サドル、乾電池、果ては血の付いたレンチすら山に突き刺さっている。
この中から宝物を探せと言われても無理な話だった。見紛うことなくただのゴミ。物好きな人間が見ればこの限りではないだろうが、少なくともブラウの興味を惹くようなものは見当たらない。
一抹の警戒心が胸の内を小突いてくるのを青年は感じた。ミグラントの真似事にしては、誘い文句も商品も身なりも、お粗末過ぎるのではないか。
ただ、ひとつの疑問が脳裏に棘を刺す。自分がミグラントであることがわかったのは何故かということだ。フードジャケットのファスナーは首元まで引き上げているので下に着たパイロットスーツは見えていないはずだ。携帯用の情報端末を操作しながら歩くことはしなかったし、まして身の上話をぶつぶつ呟いていたわけでもない。
観察眼だけは研ぎ澄まされているのか、老人の話は全てが嘘というわけではないらしい。
そんなに騙せやすそうな顔をしているのかな。ブラウはぼんやりと自分の顔を思い描いた。
「若いな。だが、喜ばしいことだ」
不意に目の前で毛の塊が三日月状に切り開かれた。空気を漂っていたヘドロの臭いが一層強まる。失陥だらけの口は形を保っているのがやっとの状態で、人間のそれとはまるで別の器官のように見えた。内部で繁殖した菌のせいで歯茎は赤く膨らみ、粘ついた唾液がぐらついた歯と歯の間で糸を引いている。
「啓蒙の楽しみは相手が無知なほど高まるものだ。例えるなら、不毛な大地に蒔いた種が豊潤な実りを迎えるときの喜び、か」
「なるほど……。じゃあ、人に無知と呼ばれ、手を叩いて喜ばれるときの不幸も例えてみて下さい」
「それは無理だ」
老人が満面の笑顔を返す。といっても、彼の瞳は未だに影の底にあり、毛の動きから判断するしかない。
「万物は平面に描かれた林檎などではない。空間があり、時があり、そして、思いがある。穴掘り虫が内側から見た林檎もまた、林檎なのだ。全てが真実の姿であり、偽りであるからにして――」
はて。
満足げに論を展開していく老人を見つめながら、ブラウは小首を傾げた。しばらくの思案の後、言葉にする。
「でもそれって最初に言ったことと――」
「嗚呼!」
遮るように嘆息。
老人は異次元からエネルギーを引き込んでいるに違いなかった。もしくは、中身だけは別の何かか。それくらい大きくはっきりした声だった。
「なにゆえに神はわしらを傍観者に作らず、狭苦しい視界を授けたもうた! 肉体という仕切りで魂を隔絶し、触れ合うことを禁じたのは、なにゆえか!」
ブラウは口を開きかけ、やはり止めた。無駄な時間を費やしているのだと気づいたのだ。老人の言葉は二転三転して全く要領を得ない。大袈裟な身振りや不可解な言動でうやむやにし、この場を取り繕っているに過ぎなかった。青年の中で老人に対する詐欺師という第一印象は揺らぐことはない。ただ、話相手には不向きだった。言葉の意味を噛み締めようとも、それは全くの無味であるからだ。
ノマドの砂漠を泳ぐようなものだ。沈んでしまえば最後、どれほどの量を掻き分けたところで二度と表面に顔を出すことはできない。極々微小の砂は指の間をすり抜けてしまう。溺れ死ぬのは時間の問題だ。
さいわい、老人は演技に夢中で此方を見ていなかった。青年はこのまま無言の内に立ち去ろうと決意した。騙されるのも、そのふりをするのも、今は億劫だ。
「まだ商品を見ていないのに、かね?」
しかし、背を向けた途端、呼び止められた。
「食わず嫌いは損というではないか。猿も食わぬは柿の種、食ってしまえよ蟹の味噌」
「もう充分ですよ」
視野の端に動きを捉えられるだけ、振り向く。
「好奇心の次は、お腹を満たさないといけませんから」
「これを見てもそんなことが言えるかね」
それは下の部分が台座に埋まったガラスの球体だった。よく磨かれた表面が電球の光を跳ね返し、その内に小さな世界を大事そうに収めている。
北方の景色を精巧に模した白色のジオラマだ。青と白が曖昧に入り混じった川の上で煉瓦造りの橋が滑らかなアーチを描き、波紋模様の石畳へと続いていく。家々は寄り添うように集い、縁の滑らかな四角窓から優しい橙色を滲ませている。背高く突き抜けた時計塔は三角錐形の屋根の頂きが球内面に触れるか触れないかの距離まで迫り、止まった針の先で夜の訪れを知らせている。目の錯覚を利用して広く大きな街に見せようとしているためだろうか、外周から中心へはなだらかな傾斜で山になっていて、ひとつひとつが一定のバランスを保ったまま収縮していく。満杯に詰まった水が建物の姿を僅かに歪め、そして、色彩を柔らかく溶け込ませている。
老人が大きく振ると、白が世界の中で舞った。
大量の粒が頂点を目指して我先にと歪んだ内壁面を駆け上る。時計台の屋根先に到達すると、対流とぶつかり合って激しく渦を巻いた。小さな球内を所狭しと跳ね回り、身を落ち着けることは無い。しばらくの間、街はきめ細かいちらつきのノイズに遮られて見えなくなった。
狂気の奔流が次第に収まっていく。粉粒たちはひとつ、また、ひとつ、と小さな閃光を瞬かせては、命を散らし、死骸は穏やかに降り落ちはじめた。ゆらゆらと揺れながら剥き出しの街を、そしてお互いを、白く染め直していく。
「よいかね」
老人がガラス球を掲げる。
「お前さんはこの白粒の意味するものを理解しておる。だからこそ、こうして見とれておるわけだ」
そこで笑いかけられ、青年ははっと身を起こした。いつの間にかブルーシートの上に膝をついていたのだ。
老人は続ける。
「だが、わしは違う。バタリアで生まれバタリアで育ちバタリアで死にゆくわしには、単なるプラスチックの粉にしか過ぎんのだ。知ってはいる、だが、何の感慨も浮かばん。哀しいかな、これに関する記憶を持たないために、“冷たい”という概念に――その表層にすら触れることはできない。知り得ることと感じ取ることは違うでな、つまりはそういうことかね」
そして、思慮に耽る。
ブラウは老人を見据えた。球体に反射した光が顔に掘られた深い井戸の底を照らしたような気がした。濁りの無い澄んだ水面が揺れている。キルト地の外套を改めて見てみると、それほど汚らしいとは思えない。もつれ合った毛の玉もお湯につけてほぐせば、本来の威厳を取り戻すのではないだろうか。
しばらくして、老人は思い出したように向き直った。そして、ぐっと身をかがめて、青年に顔を近付ける。
「どうだろう、若いの」
依然として顔は毛に覆われているので定かではないが、真剣な表情を形作っているのが声から想像できる。その気迫にブラウも思わず身構えた。
「5……」
呟くような一言。
「え?」
「あいや、3でどうだろう?」
呆気にとられ、閉じた唇の内側で下顎が僅かに落ちた。聞き間違いではないか、脳裏をよぎったぼやけた疑問は、次の言葉で一気に確証へと変わる。
「今なら、このサドルもセットでお得な値段……」
青年はゴミ山をかき混ぜ始めた売人から距離を離し、立ち上がった。忘れていた臭いが今さらになって鼻の辺りに蒸し返す。便器の蓋がメタンガスの圧力に吹っ飛ばされたとき同じような臭いがするのではないだろうか。
吐き気から遠ざかるために、ブラウはポケットから数枚の紙切れを腐臭の元に差し出した。皺が多く、表面の着色もひどく掠れているが、辛うじて旧政府が発行していた紙幣だとわかる。
この三年で増加した地域通貨やOVAの与信素子など、価値交換媒体は種々あるが、政府紙幣はいまだに大きな影響力を保っていた。OVAですら与信素子との変換窓口を設けているし、生まれ育った地域から出ない市民であればこれで事足りる。都市を渡るミグラントもある程度の現金を持ち歩いていても、有って不便ということはない。第九地区に迷いこんだ外部勢力から極僅かな食料を買うことだってできる。丸めた紙切れで火を焚いてみせればいいだけだ。
まばたき一回の間に現金が骨ばった手の中へと消えていた。老人は指先を舌で濡らし、豆電球の明かりに一枚一枚透かしていく。それを三度繰り返した後、満足げに頷きながら懐の奥深くへと押し込んだ。そして、球体をブラウに押し付ける。
考えていたより重たかった。振るときは両手を使うほうがいいだろうか。片手で持っているだけでも少し辛い。
ブラウは軽く揺り動かし、重心が下側に、つまり台座にあることに気づいた。裏を指で探ってみると冷たい金属板がネジ留めされ、滑らかなセンテンスが刻まれている。彫りが浅く、筆記体ゆえに複雑なので、感触だけでは詳細はわからない。
ひっくり返そうと持ち方を模索していると、老人が腕を掴んだ。
「手が塞がれているのは何かと不便であろう?」
サドルは要らないと言われて気を良くしたのか、今度はビニール袋を山から引っ張り出していた。
「こっちは2でよい。頑丈で、滑らかで、朽ち果てることを知らない、脅威の巾着袋――」
「要らないです」
「なら、この乾電池は?」
「結構です」
「では、これはどうかな……」
「あの――ちょっと――」
ブラウは眉をひそめた。
老人が反復し、ゴミが腕の中へと移されていく。断る隙も無い。どんどん高く積み上げてきて、もはや自分の脚も見下ろせないくらいだ。ガラス球は一番下にあって、ただでさえ持ち辛いというのに、その上に更なる重量が加わっている。指先に何とか吸い付かせてはいるが、手のひらに滲みだした汗が球表面をじわじわと離していく。
思っていたより許容範囲というものは狭いものなんだな。そんな考えが事態を客観視している別の自分の脳裏を掠め、その奇妙な感覚にブラウが思わず笑いだしそうになった頃、出し抜けに誰かがポケットに手を突っ込んできた。
反射的に振り返った。だが、どうすることも出来なかった。まん丸な黒目が見えたのは一瞬だ。小さな背中が離れていく。紙幣を握り締めた手を振り子にして、少年は雑踏へと溶けていった。
緊張が途切れた。
ゴミ山が一気に崩壊した。頂きが凹み、内側から先に抜け落ちていった。ブラウは固くまぶたを閉じ、身を強張らせた。がちゃがちゃとした底冷えのするような耳障りな音に混ざって、何かが砕け散る音が聞こえた気がした。恐る恐るまぶたをこじ開けると、ガラス球だけは依然としてその手の中にある。他は全て床に散らばっていた。配置が大きく変わっただけで各々の商品は姿を保っているようにも見えたが、全てが無事とは言えない。ぶつかり合った衝撃で歪んだり、砕けていたり、変化は僅かではあったが価値を損なってしまったのは確かだ。
壊してしまった、その言葉が頭の中でマントラのように繰り返され、意識が手すりのない螺旋階段を転がり落ちていく。白んだ闇は四肢の先にまとわりつき、感覚を凍りつかせていく。
違う。
僕はそんなつもりじゃなかった。
足取りは確かだが、行くあてがあるわけでもない。視界に捉えた何かしらのものに近付いたり、遠のいたりした。気紛れな散策だ。何しろブラウの持っているバタリアに関する知識はトリノシティの公的アーカイブから掻い摘まんだ程度のクオリティだったからだ。
旧世代の遺物を売りさばくことで糧食を得る工業都市。周囲の荒野に散在する数発の火力発電所を何とか使える状態にまで改修し、惰弱なエネルギーインフラを支えている。首都圏への続く中継地点として多数のミグラントが脚を休める場所でもあった。
これらはいずれも古い情報だった。数年前には地下に生活圏が広がっていることなど思いもしなかっただろう。ブラウが今立っているこの場所こそ、その生活圏であった。
中央ターミナルとして現在利用されている施設はそこが屋内――ましてや地下にあることなど微塵も感じさせないほど大規模なものだった。バタリアの地下中を循環するローカルラインの、その心臓部。全体的な構造を大雑把に表現すれば、内壁をコンクリートでコーティングした巨大な直方体だ。連絡通路の配置は対称性が確かに守られている。ACやMTの運用も設計の段階から考慮されていて、天井までの高さは十メートル以上はあるだろう。ある程度の工業都市ならば別段珍しくもない一般的な貨物積み替え用の拠点(ハブ)であり、巨大な輸送機が動き回れるほど十分なスペースがプラットフォームにはあるはずだった。
今はそこを居住区が覆い隠している。混沌具合から見るに、その形成は計画されていたものではなかったらしい。ひとつひとつはコンテナを利用したバラックで、新旧混然、大小様々。鉄骨の骨組みを足場にして煩雑に積み重なり、線路の脇にまで迫り出している。錆びついたトタン板がところどころにアクセントを加え、集落全体がひとつのモザイク画を構築している。
至る所で絡み合った配管やコード類はぼんやりとした明かりの下ではまるで巨大な血管のようだ。路地は腸か食道にあたるだろう。平面的にだけでなく三次元的にも入り組んでいて、数メートル向こうの通りに出たいときですら家屋の塊を何度も迂回する必要があった。空調設備の絶え間ない低周波や嗅覚にまとわりつく独特な異臭も演出効果には申し分ない。生物の体内にいるような錯覚に陥るのも無理はなかった。発展の経緯からかバタリアのあちらこちらに母性的なイメージを抱かずにはいられない。