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 薄暗い階段を降り、ハンガーに入ったランペイジがまず目にしたのは奇怪な鉄の塊だった。
 ひとつだけではない。梁のような鉄骨の下に宙吊りの状態で三つ一列に並んでいる。
 整備士たちが取り付いて、内外で蠢いているのが見える。フルハーネス型の安全帯を身につけた彼らは、フックと張り巡らされたワイヤーを使いこなし、足場から足場、もしくは鉄塊そのものへと弾丸のように飛び交っていく。スパナを器用に使ってするするとよじ登っていく者や振り子の原理にバーナーの推力を加えて高所に至る者もいた。各々が独創的な曲芸を披露しながらも、そこに会話と呼べる会話は無く、工業的な単語や悪態を互いの顔面に叩きつけるだけだ。
 高速型MT〈アヴェス〉はただの鉄の塊でもなければ、上級者向けのアスレチック設備でもない。これは兵器だ。搭載されたエネルギー火器には慎重な取り扱いが要求される。誰も蒸発死などしたくないだろう。口角泡を飛ばし合い、点火状態のバーナーを振り回す、一見すると暴力的な整備風景だが、肝心な部分では繊細さを欠いていないはずだ。
 そう願いたい。

 ランペイジは整備士たちを意識の外へと追いやるように、自分の乗機に焦点を合わせた。旧政府軍所属時代から乗り回していた機体だ。幾度となく改修を繰り返し、当初のパーツはもうほとんど残っていない。
 垂直ローターを内蔵した円盤状の頭部から最大限の軽量化と最低限の装甲化を両立した華奢なボディフレームがぶら下がり、上下からの照明を受けてくすんだ光沢を放っている。胴体の両側に火器一体型の腕部――小型ミサイルランチャーとEN機関砲を組み合わせたものが一対ずつ。砲の基部下には銃剣のような折り畳み式のブレードが取り付けられている。警戒ラインの赤縞が引かれた尾翼が今は下を向き、ブースタと燃料タンクで構成される円筒型の脚部は二つに折り畳まれて切断部から供給パイプを突っ込まれている。
 巨大な蛇腹管は、さながら黒い臍の緒のように燃料の流動にあわせて生々しく蠕動する。こうして見ると、同型の三機は窮屈な母胎内で身を屈めた一卵性の三つ子のようだ。頭でっかちなシルエットを見れば、そうした表現も許容されてもいいはずだ。ただ――MTという兵器カテゴリに総じて言えることだが――戯画的な愛嬌さは、その巨大さゆえにランペイジには返って不気味に、そして恐ろしいものに感じられた。
「不細工なアパルーサだぜ、くそ」
 ランペイジのぼやきに、先頭を歩いていた女が素早く振り返った。
 ゴーグルとマスクは顔から外され、戦利品のように首にぶら下がっている。高い位置にある頬骨。鋭い眉毛のエッジ。乾ききった黒目。鼻筋は直線的で見るからに好戦的だ。固いたてがみは力ずくで頭皮に撫でつけられ、ぎらついた獣性を迸らせている。ブルネット、というより、硫黄混じりの焦土色。
「何か言った?」
「あ?」
「言ったでしょ。ちゃんと聞こえてるんだから」
 疑うような目付き。どうやら陰口を叩かれたと思っているらしい。
 ランペイジは舌を打ち、さながら反抗期真っ只中のティーンエイジャーの如く唸った。
「そのデカ尻を何とかしろって言ったんだ」
 焦土女は目を細めた。そして無言のまま、三度の出産経験がある強靭な尻でランペイジを突き飛ばした。
 重い。
 衝撃に思わず悲鳴が漏れる。スキンヘッドの幅広い胸板が傍らに無ければ、ランペイジは無様に尻餅をついていただろう。
「おやまぁ、坊や」スキンヘッドがせせら笑う。「ママのおっぱいはあっちだぜ」
「黙ってろ」
 二人とも空腹なのは同じだが、快楽物質から離れて数時間経った今、ランペイジが圧倒的に不利だった。スキンヘッドは厳格な禁欲主義者というわけではなかったが、アルコールやニコチン、および“即効薬”にドップリ浸かることはせず、フラストレーションは主に肉体の鍛錬によって解消していた。必要以上の筋肉は何処へ行っても邪魔だった。フライトスーツがぎちぎちになってもなお、トレーニングを止めなかった。〈ノースポイント〉帰りの連中も一目置いただろう。
 ランペイジが思うに、スキンヘッドは窮屈さにある種の快楽を見出だしている。装備は本来より一回り小さいサイズを選んでいたし、高所や広所に対して恐怖に近い反応を見せていた。ニコラウスの七色の歌声よりも、発電機の不快なほど単調な拍動音を好んだ。そしてなにより、世界で最も不自由な生き物――赤ん坊みたいな顔をしていた。

 三人は壁の一面に沿って走るキャットウォークの上にいた。
 滑り止めの格子状突起が浮き出た鉄鋼製の足場は、吊るされた三機のMTの間に向かって分枝を伸ばす。手摺りに寄りかかって一階層下を見下ろせば、底部はキャットウォークとは異なる材質で作られた巨大なハッチになっている。このハンガーは旧世代の大型航空兵器の残骸を利用して作られたものだ。確か、〈RAIJIN〉といっただろうか。ほとんどの内装は後付けだ。
 壁に沿って真っ直ぐ進み、一隅に拵えられたスペースに向かう。
 多数の機器や装置が乗った馬蹄形アーチの台、その内側には幾つかのパイプ椅子。下部からはもつれ合ったコードの塊が球根のように垂れ下がっている。そこから伸びたゴム被膜と金属糸から成る人工根がハンガー内のところどころへと伸びていく。壁の無いコントロール室というわけだ。
 小柄な男が一人、パイプ椅子で作ったベッドで食後のバカンスを満喫していた。
 なんたる馬鹿面か。口はOの字に開かれ、頬の辺りで涎の道筋が光っている。焦土女がその頭を何度かはたくと、剥き出しの白目に黒目がゆっくりと帰ってきた。
 馬鹿面男はしばらくの間、自分を見下している人物をぼんやりと見つめていた。
 焦点の調節機能がまだ目覚めていないようだ。声を出そうと唾を飲み込み、そこで自分の口が開いていたことに気づき、口を閉じ、次に欠伸をし、涙を小指で拭き、口を閉じ、舌で唇を湿らせ、再び欠伸をし、口を閉じ、そしてやっと、間抜けな声を出した。
「今日は日曜、学校はお休みだよ、ママん」
「あんたみたいなクソをひり出した覚えはないわよ」
 女は馬鹿面を蹴り落とし、三つの席を確保した。
 ランペイジたちの足下でぶつくさぶつくさぼやきが渦巻く。その不明瞭な声は次第にいびきに変わっていった。


 ランペイジの手に渡されたのは、モニタやコネクタ、操作用十字パネルなどの機器の寄せ集めだった。
 内部配線を引きずり出して接続し、テープで物理的に張り合わせることで何とか情報端末としての形を保っている。縦15×横20厚さ5センチ。裏からはケーブルが伸び、コントロール室に設置された筐体の一つに続く。
 焦土女の指図とランペイジの操作の下で、カーソルが階層展開されたウィンドウの上をぎこちなく滑っていく。インターレース表示の画面は解像度が低く、文字は手書きのように粗く不鮮明だ。長残光の影響か、映るもの全てが青みがかって見える。走査線の黒い帯が絶えず連続し、画面から横縞模様が消えることはない。
 ファイルを展開。画面上で小さな砂時計が回転する。ぎしぎしと軋むようなハングアップ音が筐体内部から聞こえてくる。
 苛立たしい空白の後、表示されたのはマザーを中心としたバタリア周辺の俯瞰地図だ。青いグリッド線で区切られている。倍率はばらばらで、境界では様々な程度のズレが生じていた。偵察機で区画毎に撮影した画像やどこかのアーカイブから拾ってきたものを張り合わせたためだ。お世辞にも正確とは言えないが、ここら一帯の環境変動は極めて稀なので数十年はこれで事足りる。気象予報図のように日毎に激変しているのは領域を示す赤い線だけだ。
 イル・シャロムとは反対側、地雷が散在する荒野の中に赤線のボックスでマーキングされた箇所がある。座標ナンバーは表示が潰れていて読み取れないが、ランペイジはその採掘施設での戦闘に参加したことがあった。突撃型未詳兵器の群れが大移動の過程で横切ろうとしていたのだ。醒めるような青い爆風と火線の嵐の中で、どこで嗅ぎつけたか知らないが、回収屋の連中が駆けずり回っていたのをよく覚えていた。何機かを誤射したらしいのだが、敵味方識別装置(IFF)には無反応だったし、通信チャンネルも不明だったので、確かではない。贅沢を言えるような戦場ではなかった。
 ただ、採掘施設は放棄された。戦場にいたのはタチの悪い回収屋だった。いや、今思えば回収屋なんて堅気なものではなかったのかもしれない。奴らはどさくさに紛れてめぼしい資材を持って行っただけでなく、搬出入口を爆破してしまったのだ。通商連合は推測される物資残量と昇降機や諸々設備の再設置費用を秤にかけ、施設の再建は断念した。
「廃墟デートは旦那とやってくれ」
「ばか。そっちじゃなくて、こっち」
 女が手を出してパネルを操作すると、カーソルの先が施設から程近い場所に合わされる。クリック。画像がポップアップ。
 道なき荒野の真っ只中。幾つかの輸送車が横倒しになり、クレーンやシャベル等の発掘用機材をバラ撒いていた。作業用MTの一種〈スタッド〉や警備用に使うつもりだったのだろうか逆関節MT〈スティール・ダッキー〉の残骸も見られる。降りかかった砂量は微々たるもの。放り投げたクソみたいにいい加減なこれらが出来てからまだ数日としか経っていないだろうと、女は説明した。
「まさに新鮮そのものってやつよ。狙うは情報端末とかの精密機器。これだけの規模なら他にも色々持ってそうね」
「これ、身内ってことはねぇだろうな?」
「愚問ね。今の質問、聞かなかったことにしてあげる」
 如何なる合議制とてその構成員は人間だ。抜け駆けしようとする奴も出てくる。通商連合も例外ではない。強欲なミグラントなら尚更だろう。協同事業の水面下で餌付けした蟹を使ってアキレス腱の千切り合いをしているというわけだ。
 だが、今回の施設にリスクを犯してまで回収すべき資源が残っているとは思えない。牽制にしてもスマートさを欠いている。外部のミグラントだと考えるのが妥当か。
「通商連合はこのことを知らないのか?」
「“来た”ことは知っていたみたい。哨戒機との通信のやりとりはあったらしいけど、都市の立ち寄り許可を求めるものだったわ。で、サルベージじゃなくて商業とか補給が目的」
「立ち寄り?」
 ランペイジは端末に視線を落とした。
「見る限り、バタリアから離れようとしてねぇか、これ」
「そう見えるかしら」
 女が興味なさげに覗き込むと、獣じみた汗の臭いがランペイジの嗅覚と味覚を圧迫した。APCのオペレーター達の香りが恋しい。バタリアではどいつもこいつも脂臭いのだ。
「哨戒機は誘導しなかったのか」
「途中まではね。誘導中に近場で不審な機影が確認されて、応援に向かったわ。その時、時限消去式のルート情報を連中に送信してる」
「一応は安全なルートは進んでいたわけだ」
 ランペイジは顎を掻いた。刺激が頭を働かせてくれるのを願って、無精髭を数本抜いてみたが何の効果もなかった。
「不審な機影というのは?」
「野良の未詳兵器が一機。そのまま領域から離れていったけど」
「未詳兵器?」
「〈AMMON〉だっけ? その射撃型よ」
 女は深く溜め息を吐いた。足の先が小刻みに揺れている。うんざりしているのはランペイジ本人も同じだ。
「そんなに考え込むモンでもないだろ」
 スキンヘッドが口を挟む。
「ある程度近づいた辺りで勘の良いやつが施設に気付いた。小うるさいバタリアの奴はいない。ちょっと商品を充実させておこう、とかなんとか言って、反転。で、地雷踏んでドカン。簡単な話さ」
 そして、大きな体を屈めて、台上の缶詰めに手を伸ばした。ラベルに描かれているのはオキアミのマスコット。舌を口の端からはみ出させ、ウィンクで星を飛ばしている。だが、中はほとんど空だった。小さじ一杯分の生臭い汁と脚や目玉などの残り滓が底にこびりついているだけ。しかめ面で指をしゃぶりだすスキンヘッド。
「簡単なのはテメェの頭だろうが」
 ランペイジは軽蔑的な一瞥を禿頭に寄越したが、否定は出来なかった。
 まさしく、ハングアップ。蛋白質のスポンジを一生懸命絞っている自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。だが、何故か気になってしょうがないのだ。
 この不安はなんなのだろう?
 ランペイジは訝しげに眉をひそめたまま、焦土女に向き直った。
「で、毎回思うんだが、こんな情報をどっから仕入れてくるんだ?」
「何でも手取り足取りってわけにはいかないわね、坊や」
 女は背筋をピンと張った。自分の目線が他人の頭頂より上にないと気に食わないようだ。脚を組んで台上に座っている様子はまさに高飛車の極み。
「よく言うじゃない? 秘儀こそ女の成せる業。世のあらゆる神秘、その最たるは女なり」
「言わねえし、聞いたこともねぇし、ワケわかんねぇし」と、スキンヘッド。
「フェミニン、フェミニン、フェミニン……。ようはヒスとクソとゲロの塊ってことだろ」と、ランペイジ。
「どうでもいいけど」
 女は呆れたように溜息を吐いた。
「こんなところで焚き火して、懐は暖かくなったのかしら?」
 そして出し抜けに立ち上がった。どうやらMTの整備が完了したようだ。ワイヤーを縮めてキャットウォークに上がっていく整備士たちが見える。
「情報自体は信用していいわ。うるさい蝿が集る前に捌いちゃいましょ。“急げば勝ち”、ささっとね」
「ちょっと待て」
 ランペイジはその腕を掴み、引き戻した。腹は決まっていた。もはや尻込みできるような雰囲気ではない。臆病者のレッテルを貼られるくらいなら、死んだ方がマシだ。だが、死なない方がもっと好ましい。
 ランペイジは訊ねた。
「バックアップは用意してあるんだろうな」
「あのねぇ、いったい何年間やってると思ってんの? そこら辺はちゃんと根回しできてるわよ。通信士に、卸屋に、連合のオジサマの一人に――」
「そうじゃねぇ」
 ランペイジはウィン・ウィンのジェスチャーを遮った。
「その……なんだ……」
 そこで言い淀む。
 ふと脳裏を掠める、フェタスのワード。自分には関係無いものと思っていたが、まさかこういう形で浮かび上がってくるとは。今日に限ってどこか乗る気でなかった理由はこれだったのだ。
「もし……罠だったら――」
「罠?」
 女は刺々しく聞き返し、片眉を吊り上げた。
 その態度に面食らったランペイジは急にしおらしく縮こまってしまった。顔面が発火し、額から滲み出した汗が卑屈に丸まっていくのを感じた。だが一度吐いたゲロは呑み込めない。彼は消え入りそうな声で続けた。
「いや……賊かなんかに出くわしたら……応援は来るんだろうな」
「なに、そんなこと心配してたわけ?」
 ランペイジは凝視から思わず顔を背けた。バタリア周辺における略奪行為はクーデター以後、他の都市区の例に漏れず多発傾向にある。だが、その被害報告はイル・シャロムへと続くルートでのものに偏っている。未詳兵器がうろつき、無数の地雷が潜んでいるような危険な場所で何週間何ヵ月と待ち伏せできる忍耐強い賊なぞ未だかつて例がない。物資や戦力が充実したバンガードとて勿論、汚染による被害は忌諱するはずだ。
 女は、小さな驚愕の表情を同じく浮かべたスキンヘッドと視線をカチ合わせ、次いでランペイジに皮肉っぽい笑みを寄越した。
「めずらし。今日のあんた、毛布被った男の子みたいに可愛らしいわよ」
 そして、ランペイジの鼻を軽く摘まんだ。
「そんときゃそんときでケツ穴締めて逃げりゃあいいの、お馬鹿さん」





 まただ。
 ランペイジは胸に痛みを感じた。空腹に耐えかねた胃袋が肺や心臓に不満を訴え始めたのかと思ったが、どうやら違うらしい。肺の内側が乾ききって、埃っぽくざらついている。息を吸い込む度に鋭い痛みが走る。
 アヴェスのコックピットの窮屈さはACや他種のMTのそれを上回る。操縦席に回り込むだけでも、相当な労力を必要とした。身体中から熱い血液が患部に殺到し、手足の末端が死体のように冷たく麻痺している――そんな状態では尚更だ。ランペイジは暫くの間、ヘッドレストに頭部を預け、回復に努めた。
 引いては寄せる波のような痛みも、ひときわ大きなものを過ぎると、徐々に勢力を弱めていく。呼吸もいくらか楽になった。後に残ったのは興奮真っ只中の神経系。
 苦痛の後に来る、この高揚感。
 脳の中で配線が再配置されたかのようだ。感覚と思考が鋭く研ぎ澄まされ、主観の殻を引き裂いていく。無我の境地。しかも、ギグを一発キめた後に必ず来るあの気怠い疲労感はなかなか訪れない。真の意味での覚醒状態だ。
 ランペイジは、旧世代の文明が滅亡してしまうまで自傷行為にいそしんだ理由が少し分かった気がした。修行僧が行う断食や独楽踊りなどの苦行にも通ずるものがあるだろう。いわば啓示的エクスタシー。楽園や地獄は己の中にある、とはよく言ったものだ。
 そんなことを考えながら、ランペイジは眼球だけを動かして、前面を見やった。暗闇に目が慣れたどころの話ではない。影の濃淡だけで詳細がわかる。
 彼の乗機は外見だけではなく、内部も改修が行われている。アビオニクスを構成する個々要素の出所はバラバラだ。接続方法は暴力的で決してスマートとは言えないが旧政府軍配備時代の性能は最低限維持している。ミグラントが運用する兵器なぞ殆どが同じようなものだろう。大元の規格は同一でも、機器や装備の一貫性は見当たらない。物資の欠如や環境への適応、果ては単純な怠慢まで、理由は様々だが、基本は追加主義。もつれ合った配線を丁寧に紐解ける技術屋たちが重宝されているのもうなずける。
 まぁ、俺は兵士であって、技術屋ではない。
 ランペイジはコックピットハッチを完全に閉めると、身を乗り出し、乳首のような形状のトルグスイッチを次々と押し上げていった。諸所のランプが点灯、ディスプレイに光が灯る。機器の作用原理までは理解していない。だが、どこをどう動かせばいいかは経験的に知っている。股の間にそそり立った操縦桿の調子を確かめる。フットペダルと機体との接続配線はきちんと束ねられ、作動干渉は今のところ感じられない。火器管制システムも世間知らずの処女のように素直でクリアーだ。
 ディスプレイに外部映像が映った。ハンガー内にはオレンジ色の警告灯が明滅している。整備士たちは慣れた様子でこちらを見上げているが、フックを手摺りにしっかりと引っ掛けていた。装甲越しに馬鹿面のアナウンスがぼそぼそと聞こえてくる。
 不意に機体の下で銀色の線が走った。眩しい光の線は黒い床を左右に押しやるように幅を広げていく。銀から白、白から灰へと変色し、最後には薄茶色の荒野が現れた。
 次に振動。支持鉄骨が両端のレールに沿って、平行を保ったまま、がたがたと下がっていく。作業足場の手摺りに触れるか触れないかの高さで止まる。現在、アヴェスは頭部だけをハンガーに収め、身体の大部分を外部に晒している。
 ランペイジはレスピレータの内側に通信マイクを取り付けながら、脚部の展開シーケンスをチェック。前後の二機も同じように脚を伸ばしていく。
 ランペイジは慣れた手つきでローターのスイッチを入れた。回転翼が動き出す。徐々に回転速度を上げ、三つのパイ皿頭が檻に閉じ込められた猛獣のように固定具を揺らし始めた。
 不意に前方の一番機が目の前から消えた。外された繋留ワイヤーがのた打ち回りながら巻き取り機に収まっていく。下方映像を覗き見るとブースタを最大出力ですっ飛んでいく機体があった。
 コントロール室から一方的な通信が入った後、乗機の固定具が外された。尻からうなじにかけて不気味な感触が這い上がってくる。ランペイジは尻の穴を引き締めてその尻尾を捕まえると、ローターを調整し、ゆっくりと高度を下げていった。
 機体が完全に外に出た所で繋留ワイヤーを外す。浮力を保ったままアヴェスの姿勢系統に指示、脚部を後方に伸ばさせ、前傾姿勢にする。スロットルを開く。軽いGとともに機体が中空に飛び出す。
 焦土女が乗る一番機を追い、マザーの羽の裏に沿って進む。半ばまで進んだあたりで追いついた。その気になれば熱エネルギー弾を叩き込める距離だ。三番機もランペイジ機のケツに引っ付き、三機は一列になって羽の先端まで飛んだ。
 先頭機のテールランプが点滅。機体が傾き、デッキからゆらりと離れた。二機がそれに追随した。一列編隊は大きな弧を描いて旋回する。
 一面灰色の空は平衡感覚を失わせる。ディスプレイの右下に斜めった黒い構造物が現れなければランペイジの三半規管は狂ったままだっただろう。
 いつ見ても溜め息しか出ない壮観だ。
 マザーは幾つかの都市が組合わさったような姿をしている。ゴンドラのケーブルや電話線、繋留ワイヤーなどの糸が周囲からマザーに向かって伸びていく。倉庫や休憩所といった大小様々な簡易小屋が脚部と関節部を中心に積み重なり、腹部――または股間部か――に階層状に配置された放熱板にまで迫っている。また、停止した空気循環系の代替品として、コンテナ大の空調機が所々の排気口で群れを成し、複雑に入り組んだ体内へと空気を送り込んでいた。
 上部は軍事拠点としての側面が強い。情勢悪化を理由にマザーの要塞化は着々と進んでいる。地上からは都市防衛隊が幾つかと多数の労働力が引き上げられていた。遠隔操作の砲台も要所要所に設置され、電力供給も怠っていない。デッキ上の様子は先にも触れたが、改めてその根元を見てみると、トラス構造の骨組みに包まれた三門の艦砲が一際強い存在感を放っていた。内外で作業バーナーの火花が夜の蛍光灯に群がる羽虫のようにちらつき、重機が吐き出すドス黒い排煙が毛虫の如くのた打ち回っている。解体工事というより建築工事と言った方が近かった。実際に施工されているのは一門だけだが、その一門ですら並みの艦載砲とは比べものにならないほどの大きさだ。
 主要機関を隔てた反対側でも解体事業が行われている。切り離された物資は基本的にミグラントに売り払われることになるが、対称性の高い構造からマザーの改修に回されることもあった。最近では後者の方が多くなりつつある。
 思えば、ここ三年で急にだ。
 内部調査も不気味なくらい盛んになった。長年の停滞が嘘のように次々と新しい発見を持ち帰っていた。実は火器管制系が生きているなんて報告もあるらしい。
 今まで表立った活動が出来なかったその反動だとしても、異常だ。通商連合はクーデター以前より、バタリアを影から自由に動かせるぐらいの権力は有していたはずだった。
 ランペイジはマザーを取り巻く状況のこうした急速的な変化に、得体の知れない何かの存在を疑わずにはいられなかった。
 人知を超えた何かが、バタリアに “ 今こそ動く時だ ” という啓示を与えている。いや、バタリアだけの話ではなく、第九地区全域にまで支配は及んでいるのかもしれない。バンガードのクーデターも、ノマド解放戦線(NUF)をはじめとする地方勢力の活発化も、超過兵器の蔓延も、何もかもがソイツのせいだとしたら?
 こうした陰謀説を真に受ける者はいないだろう。考えついたランペイジ本人ですら、暇なときに頭の中で弄ぶ程度だった。蘇るグレイヴディガーや未踏査深度の女、ビーハイヴに潜む宇宙人、歌って踊るドラム缶、振り向くとバラバラにされてしまうというメリーさん、最強無敵の傭兵部隊……、そういった噂や迷信の類いに近い。
 噂であれ、迷信であれ、不快なものであることには変わりない。遠くから眺める分にはまだいい。だが、同じ檻に放り込まれてもなおへらへらしていられるほどには、ランペイジは楽観的な人間ではなかった。煙の覆いを剥いだ中身は人一倍臆病な少年がいるだけだ。
 気分が滅入る。やる気が萎える。冴えた感覚は現れたときと同じように、残像すら残すことなく掻き消えた。空虚。喪失感。肺を満たし脳を抱擁してくれるものは、何もなくなった。

 マザーの姿が後方に消え、数分経った頃、管制塔から通信が入った。
 焦土女が応じる。イレギュラーな哨戒任務にあたるはずだが、相手は別段不審がる様子はない。
 確かに根回しに抜かりは無いようだ。金か権力か、はたまた肉か。

 それとも、何者かの思惑か。

 ランペイジはぶり返してきた胸の痛みに舌を打ち、スロットルペダルに八つ当たりした。



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最終更新:2013年04月09日 19:56