神話伝説の倫理思想



金属武器の普及と尊崇

西暦紀元前1,2世紀のころ、すでに部族や氏族の社会組織を超えた、国民的団結とも呼べる大規模な聚落があったと考えられている。この統一状態は日本の西半分にもおよんでいたと見られ、そこでは、銅鐸、武器としては到底役に立たないほどスケールの大きい銅剣、銅矛などが、その有用性のゆえにではなく、聖なるものとして尊崇されていた。西紀1,2世紀ごろの高塚式古墳遺跡からは鉄の剣と甲冑が発見され、それに伴って鏡・勾玉・剣の崇拝が全国的なものとなった。

邪馬台国の記述

西紀3世紀前半、邪馬台国の存在が『魏志倭人伝』に記される。倭人はもとは百国に分かれ、魏と交渉をもつ国が三十、内二十九は女王卑弥呼に服属しているが、邪馬台国はその中でも最大のものとされる。人民は租賦を納め、国々の市が大倭の監視下におかれ、一大率と呼ばれる組織が付近の諸国を検察し、外からくる船をも取り締まって、中央集権国家をなしていた。                                      
最終更新:2011年06月27日 23:58
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