概要
所属 |
横浜アクアマリンズ |
背番号 |
70 |
国籍 |
日本 |
出身 |
宮崎県西諸県郡高原町 |
生年月日 |
1994年11月23日 |
身長 |
177cm |
体重 |
60kg |
投打 |
右投右打 |
血液型 |
|
プロ入り |
2013年ドラフト7位 |
PL |
ギャラえん |
球歴 |
高原山陽高等学校-横浜アクアマリンズ(2013)-同・打撃コーチ研修生(2014-) |
経歴
入団まで
「水鏡一刀流」と呼ばれる江戸時代から続く剣術流派の13代師範である天才剣士。
高校時代は剣道部にて主将を務めて全国大会で優勝するなど、その圧倒的なパワーと驚異的な動体視力で活躍し「鬼を食らう鬼」と呼ばれていた。
しかし、高校3年生の夏の終わり頃に突然「野球やります」といって剣道部を退部すると、独学で打撃の練習を行いドラフトテストに合格。
横浜アクアマリンズにドラフト7位で入団した。
腰を落とし、肘を立ててバットのヘッドを完全に投手の方へ向ける独特な打法が特徴。元は「水鏡一刀流」の構えの一つらしい。
一方で、走塁や守備についてはまさに「何も知らない」状態で入団したため当初から不安視されていたが、
川本五十鈴コーチの指導によって打球をなんとか捕球できるレベルには上達し、オープン戦では右翼守備に付き、6回の守備機会で失策ゼロを記録している。
普段はぼんやりしているぽんこつ娘だが、打席に入る時に一気に集中力を高める。その際には顔つきがガラリと変わる(通称「鬼森次」)
突然の引退宣言
8月14日の対福岡クローネ戦試合前練習時に、打撃練習を行っていた
和泉ひばりの打球がたまたま外野にいた森次の頭部に直撃するというアクシデントが発生。直後の簡易検査では問題なしと判断され試合にも出場。試合後に医師の診断を受けた際も大丈夫といわれたが、その後徐々に両目の視力が落ちていくようになり、2か月後にはメガネなどの視力矯正無しではまともに生活ができないレベルにまで悪化。それでも気力で試合に出場を続けたが、自慢の動体視力にも衰えが発生し始めたため、現役続行を断念した。
動体視力の低下の原因は、指名打者として先発出場が多かった故に集中力を過剰に使いすぎた反動とも言われている。チャンピオンシップまでは現役選手として出場する意思はあったが、ドクターストップがかかり出場を見送ることになった。
引退後は「アクシデントの原因は自分にある」という和泉ひばりの完全庇護のもと、横浜でコーチ見習いとして再出発を図る予定である。
詳細情報
年度別野手成績
年度 |
所属 |
規定 |
試合 |
打率 |
打席 |
打数 |
安打 |
塁打 |
単打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
打点 |
凡打 |
四球 |
死球 |
敬遠 |
犠打 |
犠飛 |
三振 |
併殺 |
失策 |
盗塁 |
盗失 |
出率 |
長率 |
OPS |
2013年 |
横浜 |
36 |
○ |
.311 |
134 |
119 |
37 |
57 |
27 |
5 |
0 |
5 |
16 |
62 |
15 |
0 |
0 |
0 |
0 |
13 |
7 |
0 |
0 |
0 |
.388 |
.479 |
.867 |
記録
初記録
節目の記録
背番号
能力推移
年度 |
パワ |
ミー |
選球 |
走力 |
送球 |
守備 |
チャ |
対左 |
バン |
盗塁 |
捕手 |
一塁 |
二塁 |
三塁 |
遊撃 |
左翼 |
中堅 |
右翼 |
総合 |
2013年 |
18/A |
18/A |
|
7/E |
2/G |
1/G |
4 |
3 |
1 |
1 |
|
|
|
|
|
|
|
1 |
450/F |
pixivリンク
最終更新:2014年08月14日 20:21