15年戦争資料 @wiki内検索 / 「南京虐殺『2~20万人』『30万以上』 歴史認識日中隔たり」で検索した結果

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  • 南京虐殺『2~20万人』『30万以上』  歴史認識日中隔たり
    ...82.html 南京虐殺『2~20万人』『30万以上』  歴史認識日中隔たり 2010年2月1日 朝刊  日中両国の有識者による初の歴史共同研究の成果をまとめた報告書が三十一日、公表された。焦点の南京事件(一九三七年)については、日本側も「日本軍による虐殺事件」と認定したが、犠牲者数をめぐっては、日本側が「二十万人を上限に四万人、二万人などの推計がある」と指摘したのに対し、中国側は「三十万人以上」と主張。近現代史を中心に両国の歴史認識の違いがあらためて浮き彫りになった。   報告書は「古代・中近世史」と「近現代史」の二部構成で計約五百五十ページ。両国の担当者がそれぞれの立場から共通の時代、テーマについて執筆した論文を併記した。近現代史のうち、天安門事件(八九年)などが含まれる「戦後史」については、国内世論への影響を懸念する中国側の要請で報告書に盛り込まれなかった...
  • 日中歴史共同研究
    ...社説) 東京 南京虐殺『2~20万人』『30万以上』  歴史認識日中隔たり 中日新聞 南京虐殺犠牲者一致せず 日中共同研究報告書 日中歴史研究 違い見つめることから 毎日 日中歴史共同研究:南京事件、隔たり埋まらず 報告書を公表 日中歴史共同研究:NHK放送映像、中国国内で遮断 日中歴史共同研究:中国側に変化の兆し 世論への浸透未知数 日中歴史共同研究:一部中国紙は評価、人民日報掲載せず 「日本が侵略認めた」 中国で評価報道 社説:日中歴史研究 まず一歩、さらに前へ 日中歴史共同研究:「天安門は政治騒動」 中国、日本と相違鮮明 歴史共同研究:「天安門は政治騒動」 日本と相違鮮明 日中歴史共同研究:「戦後史は非公表」 政権に影響、中国側懸念 歴史共同研究:政権に影響、中国側懸念「戦後史は非公表」 朝日 日中歴史共同研究、中国側の対応改善に期待...
  • 南京虐殺、犠牲者数で隔たり=戦後史は除外-日中歴史研究報告書
    http //www.jiji.com/jc/zc?k=201001/2010013100092 南京虐殺、犠牲者数で隔たり=戦後史は除外-日中歴史研究報告書  日中両国の有識者による歴史共同研究の成果をまとめた報告書が31日、公表された。双方は、日中戦争の原因が基本的に日本側にあり、中国国民に深刻な被害を与えたとの見解では一致。しかし、南京虐殺事件の犠牲者数を中国側が30万人と主張したのに対し、日本側は2万~20万人とするなど、認識の隔たりも浮き彫りとなった。  日中の有識者は共同研究を継続していく方針を確認しているが、政治体制の違いもあり、歴史認識の共有に向けたハードルは高いのが実情だ。  歴史共同研究は両国の相互理解を深めることを目的に、2006年10月の日中首脳会談で合意され、同年12月にスタート。日本側は北岡伸一東大教授、中国側は歩平・社会科学院近代史研究...
  • 【主張】日中歴史共同研究 「南京虐殺」一致は問題だ
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100201/plc1002010321006-n1.htm 【主張】日中歴史共同研究 「南京虐殺」一致は問題だ 2010.2.1 03 21  日中の有識者による歴史共同研究の報告書が発表された。両国の歴史に対する考え方の違いが一段と明確になった。  この共同研究は、平成18年10月の安倍晋三首相(当時)と胡錦濤国家主席の合意に基づき、3年がかりで行われた。両国の認識の隔たりが大きく、両論併記の形がとられたのは当然である。  近現代史の部分を読むと、日本側の記述はおおむね客観的な資料に沿って書かれている。これに対し、中国側の記述は中国共産党史観の域をほとんど出ていない。  ただ、南京事件(昭和12~13年)のくだりで、中国側の主張に引きずられているのは問題だ。 ...
  • 日中の歴史共同研究公表 南京大虐殺犠牲者数など隔たり
    http //www.asahi.com/politics/update/0131/TKY201001310237.html 日中の歴史共同研究公表 南京大虐殺犠牲者数など隔たり 2010年1月31日23時18分  日中の有識者による歴史共同研究委員会は31日、初の共同研究の報告書を公表した。戦争中の日本の行為が中国に大きな傷跡を残したとの認識では一致したが、南京大虐殺の犠牲者数などをめぐって違いは残った。また、戦後部分については、国内世論への影響などを懸念した中国側の求めで非公表となった。  共同研究は、小泉純一郎元首相の靖国神社参拝で日中関係が悪化したことを受け、歴史認識の違いを理解しようと2006年12月に両政府の合意で始まった。報告書は549ページで、同じテーマについて日本側と中国側の委員がそれぞれ執筆した論文を収録。内容は執筆者本人の認識だが、討論を通し...
  • 日中歴史共同研究:南京事件、隔たり埋まらず 報告書を公表
    http //mainichi.jp/select/world/news/20100201ddm001010060000c.html 日中歴史共同研究:南京事件、隔たり埋まらず 報告書を公表  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」は31日、報告書を公表した。1937年の南京虐殺事件について、日中双方は虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致したが、犠牲者数を巡って中国側が「三十余万人」、日本側が「20万人が上限」と主張するなど、近代を中心に歴史認識の違いが改めて浮き彫りになった。  報告書は「古代・中近世史」「近現代史」の各章で、日中双方の委員論文を掲載。ただし、「天安門事件」(89年)などを含めた第二次世界大戦後の現代史部分は、国内世論への影響を懸念する中国側の要請で非公表とされた。委員会は今後、新メンバーで第2期の共同研究を行う予定だ。 ...
  • 日中で南京虐殺犠牲者一致せず 共同研究報告書
    http //www.47news.jp/CN/201001/CN2010013101000144.html 日中で南京虐殺犠牲者一致せず 共同研究報告書  日中両国の有識者による歴史共同研究委員会は31日、双方の論文をまとめた報告書を公表した。焦点の「南京大虐殺」(1937年)の犠牲者をめぐって「30万人以上」と言及する中国側と「20万人を上限」とする日本側の見解が一致しないなど、近代を中心に認識の隔たりが目立った。中国側の要求で非公表とされた戦後の現代史部分の取り扱いも今後の課題として残された。  両国が歴史問題の克服を目指し、2006年に始まった共同研究は報告書公表で一つの区切りを迎えた。報告書は「近現代史」と「古代・中近世史」について計約550ページ。それぞれの時代について日本側と中国側の論文を掲載した。  日本側座長の北岡伸一東大教授と、中国側座長の歩平...
  • 相互理解を深める第一歩に
    http //www.the-miyanichi.co.jp/contents/?itemid=23488 blogid=5 catid=15 社説 日中共同歴史研究 2010年02月03日 ■相互理解を深める第一歩に  日中両国の有識者による歴史共同研究委員会は、双方の論文をまとめた報告書を公表した。  焦点の「南京大虐殺」の犠牲者をめぐって中国側と日本側の見解が一致しないなど、近代を中心に認識の隔たりが目立った。  また、公表が当初の予定よりも大幅に遅れ、今回中国側の要求で戦後史部分の公表については見送られたことは残念である。  しかし、これまで日中両国の間でさまざまな対立の原因となった「歴史」の問題で共同研究を行い、初めて報告書が公表できたことは両国の相互理解が進む第一歩と歓迎したい。 ■「南京虐殺」で隔たり  共同研...
  • “旧日本軍、南京で虐殺”日中歴史研究 犠牲者数は両論併記
    http //www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-02-01/2010020102_01_1.html 2010年2月1日(月)「しんぶん赤旗」 “旧日本軍、南京で虐殺”日中歴史研究 犠牲者数は両論併記  日中両国の歴史認識の溝を埋めようと、双方の研究者で構成される「日中歴史共同研究」(座長=北岡伸一東大教授、歩平・中国社会科学院近代史研究所所長)の第1期報告書が31日、公表されました。報告書は約550ページで、古代から近現代までの歴史を、日本側委員と中国側委員がそれぞれの立場から記述しました。  1937年12月の「南京虐殺事件」について、日本側は「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した」と認めました。一方、犠牲者数については、中国側が主張する20万...
  • 日中歴史共同研究、認識の隔たり浮き彫りに
    http //news24.jp/articles/2010/02/01/04152673.html 日中歴史共同研究、認識の隔たり浮き彫りに 2010年2月1日 1 50  日本と中国の有識者が3年にわたって行ってきた「歴史共同研究」の報告書が1月31日に公表された。  焦点の近現代史では、日本軍が多数の住民を虐殺したとされる「南京事件」の被害者について、日本側が「20万人を上限として4万人、2万人など様々な推計がなされている」としたのに対し、中国側は「総数で約30万人に上る」と主張するなど、日中の歴史認識の隔たりが浮き彫りとなった。  また、89年の天安門事件など現代史の部分については、中国側の要望で論文は公表されなかった。 日中歴史共同研究
  • 日中歴史共同研究 南京攻略によせて 東中野修道氏 史実 どう考えるのか
    http //sankei.jp.msn.com/culture/academic/100209/acd1002090749004-n1.htm 日中歴史共同研究 南京攻略によせて 東中野修道氏 史実 どう考えるのか 2010.2.9 07 45  日中両国の有識者による歴史共同研究委員会が初の報告書を出した。昭和12(1937)年の南京占領の犠牲者数について、日本側は2万人、4万人、20万人以上、中国側は30万人以上という数字を挙げている。本稿では忘れられた基本的な史実を示す。これらはどう考えればよいのであろうか。  南京の市民は陥落前に命令により、ほぼすべての市民が安全地帯に避難していた。その人数について、陥落前、南京の警察庁長官は20万人と公表し、南京に残留した欧米人も、陥落直前の12月12日、20万人と記していた。 (引用者注)今だに!! 修道先...
  • 【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 中国への歩み寄りは無意味
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100220/plc1002200244003-n1.htm 【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 中国への歩み寄りは無意味 2010.2.20 02 44 ≪歴史観の違い明確に≫  日中両国の有識者による歴史共同研究の報告書が先月末、公表された。この共同研究は、平成18年10月の安倍晋三首相(当時)と胡錦濤国家主席の合意に基づき、戦略的互恵関係構築の一環として行われたものだ。  双方が歩み寄ったことを評価する声が一部にある。だが、近現代史部分の中国側記述を読むと、表現が少し穏やかになったものの、内容は従来の中国共産党史観とほとんど変わらない。中国がそれほど歩み寄ったとは思えない。  南京事件(昭和12~13年)について、中国側はこう書いている。「日本軍は南京で多数の...
  • 日中共同研究 継続し相互理解の深化を
    http //ryukyushimpo.jp/news/storyid-156743-storytopic-11.html 社説 日中共同研究 継続し相互理解の深化を 2010年2月2日  日中両国の有識者による歴史共同研究委員会の報告書が公表された。報告書は、日中の両論併記の形式で認識に隔たりもあるが、わだかまりとなってきた両国間の歴史認識について初めての報告書が公表されたことは評価したい。  一方で公表が大幅に遅れ、中国の要求で戦後の現代史部分が非公表となったのは残念だ。両国の思惑や政治体制の違いを克服し、相互理解を深めることが重要である。  日中の歴史共同研究は、2006年に安倍晋三首相(当時)と中国の胡錦濤国家主席が歴史認識で相互理解を深めることを目的に合意した。安倍氏の前任、小泉純一郎氏の靖国神社参拝をめぐり日中関係が悪化していた。  ...
  • 日中歴史認識、溝は埋まらず…共同研究委報告書
    http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100131-OYT1T00678.htm 日中歴史認識、溝は埋まらず…共同研究委報告書 日中歴史共同研究 第1期報告書  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」(日本側座長=北岡伸一・東大教授)は31日、報告書を発表した。焦点となった近現代史では「南京事件」(1937年)の犠牲者数を日本側が「20万人を上限」、中国側は「30万人余り」とするなど戦前を中心に歴史認識の隔たりは埋まらなかった。  1945年以降の現代史は中国側の要請で公表を見送った。委員会は今後、委員を入れ替えて第2期研究に着手する方針だが、作業は難航が予想される。  報告書は約550ページで、「総論」のほか、「古代・中近世史」と明治維新前後~45年までの「近現代史」を対象とした「各論」で構成。各論は双...
  • 南京事件犠牲者数で溝 戦後史は見送り 日中共同歴史研究報告書
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100131/plc1001311711007-n1.htm 【日中歴史研究】南京事件犠牲者数で溝 戦後史は見送り 日中共同歴史研究報告書 2010.1.31 23 54  日中両国の有識者による歴史共同研究委員会は31日、双方の論文をまとめた報告書を公表した。昭和12~13年(1937~38年)の「南京事件」について日本側は「日本軍による集団的、個別的な虐殺」を認め、犠牲者数を「2~20万人」とした。中国側は「30万人以上」とするなど、近代を中心に双方の見解が隔たった。平成元年(89年)に中国政府が民主化運動を武力弾圧した天安門事件が含まれる戦後史部分は、中国側の要求で公表が見送られるなど課題を残した。  日本側が発表した報告書は「古代・中近世史」「近現代史」の2本立てで計549ペー...
  • 「違い」の認識が重要 南京虐殺犠牲者
    http //www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201001310261.html 「違い」の認識が重要 南京虐殺犠牲者 10/1/31  【解説】日中歴史共同研究の最終報告は戦後部分の公表が見送られ、戦前、戦中部分も対立する意見が併記されるなど、歴史認識の溝を埋めて外交摩擦を抑制しようとの日本政府の意図からは“消化不良”の感は否めない。だが最終報告が、双方の立場の相違を具体的に提示したことは評価されていいだろう。両国政府は違いを認め合い、相互理解を深める努力が重要だ。  日中両政府がこれまで歴史問題でややもすれば感情的に対立し、不信感を募らせてきた経緯を踏まえれば、共同研究が最終報告にまでこぎ着けたこと自体が「大きな成果」(日本外務省幹部)と位置付けることもできる。  今回の共同研究は、2005年4月に起きた日本の国連安全保障理事会常任...
  • 南京虐殺犠牲者一致せず 日中共同研究報告書
    http //www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201001310260.html 南京虐殺犠牲者一致せず 日中共同研究報告書 10/1/31  日中両国の有識者による歴史共同研究委員会は31日、双方の論文をまとめた報告書を公表した。焦点の「南京大虐殺」の犠牲者をめぐり「30万人以上」と言及した中国と「20万人を上限」とする日本側の見解が一致しないなど、近代を中心に認識の隔たりが目立った。中国の要求で非公表とされた戦後の現代史部分の取り扱いも今後の課題として残された。  両国が歴史問題の克服を目指し、2006年に始まった共同研究は報告書公表で一つの区切りを迎えた。報告書は「近現代史」と「古代・中近世史」について計約550ページ。それぞれの時代について日本側と中国側の論文を掲載した。  日本側座長の北岡伸一東大教授と、中国側座長の歩平...
  • 社説:日中歴史共同研究 相互理解を進める礎に
    http //www.sakigake.jp/p/editorial/news.jsp?kc=20100202az 社説:日中歴史共同研究 相互理解を進める礎に  日中両国の有識者でつくる歴史共同研究委員会の報告書がまとまった。歴史問題で対立し、時に不信感を募らせてきた両国の経緯を考えれば、報告書の作成と公表までたどり着いたことは、一つの前進といえる。  研究はこれで終わりではない。今回を「第1期」とし、「第2期」へと継続していくことでも合意した。今後、双方の間に広がる歴史認識の溝を可能な限り埋め、相互理解を進める手だてとしなければならない。  過去もさることながら、日中両国は現在、密接不可分な関係にあり、将来も続くととらえるのが妥当だからである。  半面、難問が数多く残されていることを指摘しないわけにはいかない。中国側の要求で1989年の天安門事件をはじ...
  • 「南京事件の真実を検証する会」の公開質問状
    「南京事件の真実を検証する会」の公開質問状 2007年版の温家宝首相宛 2008年版の胡錦濤主席宛 回答例 温家宝国務総理閣下への公開質問状このたび中華人民共和国国務総理温家宝閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものですが、貴国のこの事件に対する見解につき、重大な疑義を抱いております。以下その中心的な疑義につきまして閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。 胡錦濤国家主席閣下への公開質問状 このたび中華人民共和国国家主席胡錦濤閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究し...
  • 【産経抄】2月2日
    http //sankei.jp.msn.com/culture/academic/100202/acd1002020240000-n1.htm 【産経抄】2月2日 2010.2.2 03 22  「日中歴史共同研究委員会」が公表した報告書をめぐって、きのうの各紙は、両国間の「溝の深さ」や「隔たりの大きさ」を伝えていた。歴史認識の違いが鮮明に出るのは、当然ではないか。まして相手は、学問の自由がない独裁国家である。  ▼むしろ近現代史の部分で、日本側が歩み寄った印象が強いのが気になる。特に「南京事件」については、被害者数「30万人以上」を主張する中国側に対して、「20万人を上限として4万人、2万人」などと、「虐殺」を認めてしまった。最近では、その存在を疑う研究も出ているというのに。  ▼文化大革命や天安門事件、チベット、ウイグルに対する弾圧など、一番読みたい戦...
  • 日中歴史研究 認識の溝埋める一歩に(2月4日)
    http //www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/213756.html 社説 日中歴史研究 認識の溝埋める一歩に(2月4日)  日中の有識者でつくる歴史共同研究委員会が報告書を公表した。  公表時期が予定より1年以上も遅れるなど作業には曲折があった。  だが過去の日本による侵略が中国側にわだかまりの感情を残す中で、その不幸な時期も対象にして専門的な議論を積み重ねたことは意義深い。取り組みを評価したい。  きっかけとなったのは小泉純一郎元首相の靖国神社参拝だ。  中国側の猛反発で日中関係は冷え込み、首脳会談も途絶えた。打開策として日本側が提案し、2006年に当時の安倍晋三首相と胡錦濤国家主席が合意した。  歴史問題が両国関係発展の妨げとならぬよう歴史認識の共有を目指し、少しでも溝を狭めていく...
  • 日中共同研究 歴史認識の違い浮き彫りに(2月2日付・読売社説)
    http //www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100201-OYT1T01381.htm 日中共同研究 歴史認識の違い浮き彫りに(2月2日付・読売社説)  民族や国家が異なれば歴史に対する考え方もおのずと異なる。  まして共産党のイデオロギーの下で歴史解釈が行われ、学問の自由が制約されている中国との間で歴史認識を共有することは、きわめて困難なことであろう。  日中両国の有識者による日中歴史共同研究委員会が発表した報告書は、そうした歴史認識の大きな差異を改めて浮き彫りにした。  報告書は、古代から近現代まで時代順に日中双方の学者の主張を両論併記の形でまとめた。  例えば1937年の南京事件の犠牲者数について、日本側は「20万人を上限として4万人、2万人など様々な推計がなされている」と指摘した。  しかし中国...
  • 日中歴史共同研究 認識の違いを越え関係構築を
    http //www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201002034485.html 日中歴史共同研究 認識の違いを越え関係構築を  一定の成果はあった半面、大きな課題も浮き彫りになった。歴史問題の克服を目指す「日中歴史共同研究」の報告書が公表された。  日中戦争を「日本による侵略」とする共通見解なども盛り込まれたが、ほとんどは両国それぞれの論文を併記する形で決着した。  南京大虐殺の犠牲者数や日本の拡張政策などで歴史認識の違いは埋まらないままだ。今後の共同研究でも、厳しい議論が予想される。  ただ、伝統や政治体制が違う両国間で歴史の見方が異なるのは当然だろう。共通見解を導く努力は必要だが、違いを克服した上で相互理解を進める方法も探るべきだ。  共同研究は両国関係を改善するため2006年に合意。10人ず...
  • 日中歴史研究報告書のポイント
    http //www.jiji.com/jc/zc?k=201001/2010013100094 日中歴史研究報告書のポイント  日中歴史共同研究報告書の近現代史に関する記述のポイントは次の通り。 【日清戦争(1894~95年)以降】  日本=近代の日中関係史において日清戦争は一つの転換点。日本が有利な不平等条約体制が形成され、日本国内でも中国を蔑視(べっし)する傾向が生まれたことなど、それ以前とは異なる傾向が顕著に見られた。  中国=日本の拡張行為はやむことなく持続して中国人の抗日意識を激化させ、日本軍政決定者に、したい放題の横暴な心理を作り出した。 【田中上奏文(1927年)】  日本=対中政策を協議した東方会議に関連して「田中上奏文」と呼ばれる怪文書がある。これは田中義一首相が昭和天皇に上奏したとされるもので、中国への侵略計画だった。だが「...
  • 社説:日中歴史研究 まず一歩、さらに前へ
    http //mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20100203ddm005070021000c.html 社説:日中歴史研究 まず一歩、さらに前へ  日中両国の有識者による初の歴史共同研究の報告書がまとまり、公表された。第二次世界大戦後の現代史部分や、論議の過程を記録した討議要旨が中国側の要請で非公開とされたのは残念だが、先の戦争の負の遺産を抱える両国が歴史に向き合い報告書をまとめ上げたことは前向きに評価したい。  共同研究は06年10月の安倍晋三首相(当時)と胡錦濤国家主席の会談で合意したのを受け同年12月に日中各10人の有識者でスタートした。  日中関係は小泉内閣時代、首相の靖国神社参拝によって首脳会談が開けないほど悪化した。このため、共同研究には歴史問題を学識経験者の議論にゆだねることで政治と切り離そうという...
  • 秦郁彦(現代史家・元日本大学教授)
    http //www.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/ocn/sample/thisperson/100204.html 「(南京事件の被害者数について)従来の『30万人』を撤回しにくい中国側が、矛盾を承知で出した報告書だとすれば、中国における歴史研究の公開と自由度はかなり高まってきているといえるのではないか」 (産経新聞2月1日付) 秦郁彦(現代史家・元日本大学教授) 1月31日に公表された「日中歴史共同研究委員会」の報告書について、とりわけ1937年の南京事件に関する中国側の論文を論評した。  「日中歴史共同研究委員会」は、2006年12月、安倍晋三首相(当時)の提案で発足した。この時期、小泉純一郎前首相の靖国神社参拝や日本の安保理加盟問題が引き金となって、中国全土に激しい反日デモが起こるなど、日中関係は"政冷経...
  • 日中の歴史共同研究が報告書を発表、南京虐殺めぐり不一致
    http //www.afpbb.com/article/war-unrest/2689506/5263813 日中の歴史共同研究が報告書を発表、南京虐殺めぐり不一致 2010年02月01日 12 07 発信地 東京 クリッピングする 拡大写真を見る 写真をブログに利用する 中国・江蘇(Jiangsu)省南京(Nanjing)にある「南京大虐殺記念館(Nanjing Massacre Memorial Hall)」で、各国語で記された中国側の主張による犠牲者数(2008年12月13日撮影)(c)AFP/XTRA 【2月1日 AFP】日中の歴史共同研究委員会は31日、2006年から行ってきた共同研究の結果をまとめた報告書を発表した。報告書は日中両政府の合意のもとで、両国の歴史学者各10人が約2000年にわたる日中史を検証したもの。  549ページにおよぶ報...
  • 【日中歴史研究】両国の間にはこれだけの相違が…
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100131/plc1001312359018-n1.htm(~n3) 【日中歴史研究】両国の間にはこれだけの相違が… 2010.1.31 23 58 日中双方の見解の相違 日中両国の有識者による歴史共同研究は、いまなお双方の歴史認識の溝が埋めがたいことを浮き彫りにした。特に近現代史において、日本側は日中戦争当時の日本政府の意思決定過程の積み重ねに努めたのに対し、中国側は日本の戦争責任を問いただす内容となった。一方で日本側は加害者の立場を明確にするなどの中国側の配慮もみられた。日中戦争を中心に、両者の主張の相違点を検証する。(長谷川周人)  【「南京事件」】  国民政府の首都・南京への攻略命令を受けた日本軍は1937年(昭和12年)12月、総攻撃を開始した。このときの犠牲者数...
  • 「日本、侵略戦争認めた」 歴史研究報告で中国メディア
    http //www.asahi.com/international/update/0201/TKY201002010303.html 「日本、侵略戦争認めた」 歴史研究報告で中国メディア 2010年2月1日19時2分  【北京=古谷浩一】日中有識者による歴史共同研究の報告書が1月31日に公表されたことを受け、中国メディアは1日、「日本側が(日中戦争を)『侵略戦争』と位置づけ、南京大虐殺が集団虐殺事件であることを認めた」(北京紙・新京報)といった日中間の一致点を評価して伝えた。ただ、新華社通信や共産党機関紙・人民日報などの主要メディアは沈黙している。  国際報道紙・環球時報は「研究開始時、日本の学者は『社会の圧力』を理由に『侵略』の2文字さえ書き入れたがらなかった」。北京青年報は「侵略戦争の言葉が入ったのは最終段階だった。日本側は侵略を否定しないが、文章で書くのは避...
  • 日中歴史研究 継続で理解を深めたい
    http //www.shinmai.co.jp/news/20100202/KT100201ETI090002000022.htm 日中歴史研究 継続で理解を深めたい 2月2日(火)  継続は力なり-。日中の有識者による歴史共同研究委員会の報告書に、そんな言葉を思い起こした。  報告書は、それぞれの研究論文をならべて公表したものだ。歴史観の違いは当然ある。  ここで目を向けたいのは、両政府の肝いりで始まった研究が一定の成果を挙げつつあるという事実である。課題を一つ一つ乗り越え、両国による歴史研究を粘り強く続けてもらいたい。  両政府が2006年に合意したプロジェクトである。双方が10名の研究者からなる委員会を設置し、「古代・中近世史」と「近現代史」の分野にわたって意見交換を続けてきた。  報告書は、これまでの積み重ねを論文として公表している。...
  • 日中歴史認識、中国では「侵略戦争で南京に虐殺あった」と報道
    http //news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010 d=0201 f=politics_0201_004.shtml 日中歴史認識、中国では「侵略戦争で南京に虐殺あった」と報道 2010/02/01(月) 11 26 写真を大きくする   1月31日、日本と中国の有識者によって構成される歴史共同研究委員会が日中双方の論文をまとめた報告書を公表した。1日、北京青年報が伝えた。   今回の報告書に対し、中国では「『日中戦争』は日本による中国への侵略戦争だったと位置づけられるだろう」と報じられた。   記事は、日中の有識者たちは1931年から45年までの戦争を日本による中国侵略戦争であると明確に位置づけたし、「報告書のなかでも日本の全面的な侵略戦争であり、中国の全面的な抗日戦争だったと明確に記された」と報じた。 ...
  • 日中歴史研究 違い見つめることから
    http //www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2010020202000041.html 【社説】 日中歴史研究 違い見つめることから 2010年2月2日  日本と中国の歴史共同研究の報告書が公表された。日中の見方の大きな違いが明らかになる一方、一部歩み寄りもみられた。隔たりを嘆くより、それを見つめることから対話を一層、進めたい。  歴史共同研究は二〇〇五年春、北京や上海を席巻した「反日」デモの渦中に日本が提案した。  当初、中国側は消極的だったが、〇六年十月、靖国問題をめぐる対立を克服し関係を正常化した安倍晋三首相(当時)と胡錦濤国家主席の会談で合意に達した。  このため、共同研究には当初から、歴史認識問題を外交やメディアの応酬から切り離して専門家による対話の場に移し、沈静化させる意図が込...
  • 【日中歴史研究】南京事件の日本側論文(要旨)
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100131/plc1001312302014-n1.htm 【日中歴史研究】南京事件の日本側論文(要旨) 2010.1.31 22 59  昭和12年12月10日、日本軍は南京総攻撃を開始し、翌13日、南京を占領した。  この間、中国政府高官は次々に南京を離れ、住民の多くも戦禍を逃れ市内に設置された南京国際安全区(「難民区」)に避難し、日本軍に利用されないために多くの建物が中国軍によって焼き払われた。  中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しかし日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪...
  • 日中歴史研究 溝埋める努力を続けよう
    http //www.nishinippon.co.jp/nnp/item/150274 日中歴史研究 溝埋める努力を続けよう 2010年2月3日 10 44 カテゴリー:コラム 社説  日中両国の有識者による歴史共同研究委員会が、双方の論文をまとめた初の報告書を公表した。共同研究は両国の歴史認識の溝を埋めるのが目的だったが、結果的に溝の深さと、それを埋める作業の難しさをあらためて知ることになった。  共同研究は2006年、当時の安倍晋三首相と胡錦濤主席との首脳会談で合意して始まった。委員会は双方の学者ら10人ずつで構成し、日中関係にかかわる「古代・中近世史」「近現代史」の論文を互いに提出し、議論し合ってきた。  両国の世論が過熱するのを防ぐため、歴史問題を政治や外交から切り離し、専門家による冷静な議論の場に移すことが共同研究の狙いだった。  し...
  • 【日中歴史研究】南京事件の中国側論文(要旨)
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100131/plc1001312257013-n1.htm 【日中歴史研究】南京事件の中国側論文(要旨) 2010.1.31 22 53  日本軍が上海を占領した後、3つのルートから南京攻略を開始し、12月13日、南京は陥落した。敗退した中国軍の大半は捕虜となり、集団で日本軍に殺害された。第16師団の中島今朝吾師団長は12月13日の日記で、数千人の捕虜を処理したと記述した。日本軍の南京における戦闘の報告は敵の数の羅列が多く、捕虜数はほとんど触れていない。日本軍は上から下まで徹底的に捕虜を殺害する方針を実施したことがうかがえる。  多くの中国兵士が軍服を脱ぎ難民区に隠れたが、日本軍は顔だけで敗残兵を随意に判断し、多くの平民が軍人として殺害された。12月24日、金陵大学の難民所のテニスコ...
  • 9条改正のためにも過去の総括をしっかりと
    http //www.janjannews.jp/archives/2524197.html 9条改正のためにも過去の総括をしっかりと2010年02月03日 海形マサシ  先日、日中間の有識者による歴史共同研究委員会が、共同研究の報告書を公表した。論争の的となる南京大虐殺では、虐殺の事実は両国とも認めたものの、犠牲者数の認定では隔たりを残したままとなった。とはいえ、両国とも、日中戦争が侵略戦争であり、一般市民を含め多大な犠牲を生じたものの、戦後は軍国主義を捨て、新たな平和発展の道を歩み始めた、と認める点では一致した。  筆者は、かねてからこの問題に関心があり、5年前に南京に行ったり、実際に現場で被害にあった方々の声を直接聞いたりした経験がある。  日本の戦前における負の面を語ると、必ず保守派ががなり立てるのが、これまでのパターンだ。なぜなら、そのことが日本人と...
  • 日中歴史共同研究:中国側に変化の兆し 世論への浸透未知数
    http //mainichi.jp/select/seiji/news/20100201ddm002010154000c.html 日中歴史共同研究:中国側に変化の兆し 世論への浸透未知数  31日に公表された初の日中歴史共同研究報告書は、中国側の強い要請で戦後史部分が非公表となり、両国の歴史認識の溝を埋めるために始めた事業の限界と複雑さを露呈する結果となった。一方で、中国側の論文には、中国共産党の役割を軸とする革命史観から脱却して実証主義的に記述する試みもみられ、宣伝色の強かった歴史研究の変化の兆しもみられた。【中澤雄大、北京・浦松丈二】  研究成果は当初、日中平和友好条約締結30周年に当たる08年中の発表を目指したが、1年以上遅れた。ある日本側研究者は「現代史部分の認識の差が原因。天安門事件の評価など、共産党指導部の正当性を揺るがす問題に触れることを中国側が恐れた」...
  • 日中歴史共同研究の報告書要旨<2>…南京事件など
    http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100131-OYT1T00930.htm 日中歴史共同研究の報告書要旨<2>…南京事件など  1月31日発表された、日中歴史共同研究報告書要旨は次の通り(中国側要旨は読売新聞社訳)。        ◇  【満州国の実態】  日本側 抗日ゲリラ活動がなかなか下火にならず、関東軍が徹底的弾圧を加えた。満州国は通貨統一の強力な実現を図り、経済の近代化を促した。鉄道や道路を整備し、石炭、電力、鉄鋼などの生産が大きく伸びたが、住民の生活水準向上を目指すものではなかった。「民族協和」もスローガンに終始し、日本人と満州国人の格差が拡大した。  中国側 (日本による)通貨改革は実質的には強行された金融略奪だった。日本は(日中戦争後に)満州に対する施政の重点を経済略奪の強化に変えた。...
  • 歴史研究で日本側見解報道させず 中国当局が指示
    http //www.47news.jp/CN/201002/CN2010020301000794.html 歴史研究で日本側見解報道させず 中国当局が指示  【北京共同】日中両国有識者による歴史共同研究の報告書が1月末に公表された際、中国共産党宣伝部が国内メディアに対し、「南京大虐殺」の犠牲者数など両国間で一致しなかった部分の日本側見解を報道しないよう指示していたことが3日分かった。中国紙関係者が明らかにした。  指示は1月31日の公表前後4回にわたり、日本側研究者への取材規制や感情的な表現の禁止なども繰り返し要求。見解の相違が政治問題化しないように配慮したとみられるが、同関係者は「通常の指示と比べて回数も多く、当局が神経をとがらせていた証拠」と指摘している。  報告書について共産党機関紙、人民日報など主要紙は報じていない。北京の地元紙、新京報や京華時報が「日本側...
  • 虐殺は嘘16に対して
    虐殺は嘘16 誰も知らなかった虐殺2 2006/ 7/17 0 17 [ No.11065 / 12177 ] 投稿者 deliciousicecoffee http //messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW action=m board=1143582 tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13 sid=1143582 mid=11065 13. 中華民国の将軍からの報告にもなし 南京戦を戦った中華民国の何鷹欽将軍が、昭和13年の臨時全国代表者大会(日本の国会に相当)で南京失陥の軍事報告をした。その中で、日本軍による虐殺行為はまったく報告されていない。中国側が大虐殺と言い出したのは、東京裁判以降であり、それまでは中国側にも南京大虐殺はなかった。 14. ...
  • 【日中歴史研究】懸念される「教科書」への影響
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100131/plc1001312353017-n1.htm 【日中歴史研究】懸念される「教科書」への影響 2010.1.31 23 52  日中歴史共同研究は、今後の日本の教科書検定に影響を与える可能性がある。報告書では中国側が日本の謀略としていた盧溝橋事件について偶発的だった可能性に言及する一方、日本側も「南京事件」を「虐殺」と断じたほか、中国側が日本軍を非難する際の呼称である「三光作戦」を2カ所で記述するなど、日中双方の“歩み寄り”が随所にみられた。報告書が今後、公式見解のように扱われれば、教科書の記述に反映されることもありそうだ。(鵜野光博)  盧溝橋事件について、日本側では中国軍から偶発的な発砲があったとする見解が大勢にもかかわらず、中国側が謀略説の立場を取っていたため、現行...
  • 中国人研究者、南京事件での30~40万虐殺に懐疑的見方
    【中国】中国人研究者、南京事件での30~40万虐殺に懐疑的見方 「政治的な問題に影響されたもの」 [02/02] 1 :ククリφ ★:2007/02/02(金) 01 54 50 株 ID ??? ?S★(111938)  1937年末の南京事件を研究している中国人研究者2人が30日、都内で講演し、「現在の資料によって、 南京事件で日本軍によって殺害された中国人の数を確定することはできない」と強調し、中国などで流布している30万から40万人の虐殺説に疑問を呈した。両氏は、これらの過大な数字は中国内での反日感情の高まりなどに伴う「政治的な問題に影響されたものだ」などと指摘した。  中国側から、こうした見解が公にされるのは異例。昨年末に始まった日中歴史共同研究の中国側座長である歩平・中国社会科学院近代史研究所所長も同じ立場をとっているといわれ、数字で争って、対日関係を悪化させて...
  • 中国、日中共同歴史研究の“成果”を誇示 世論に神経を尖らす
    http //sankei.jp.msn.com/world/china/100201/chn1002012052005-n1.htm 中国、日中共同歴史研究の“成果”を誇示 世論に神経を尖らす 2010.2.1 20 50  【北京=矢板明夫】1日付の中国共産党の機関紙、人民日報や軍の機関紙、解放軍報など党や政府系の主要各紙は、日中両国の有識者による歴史共同研究の報告書が1月31日に公表されたことを全く報じていない。北京紙、新京報など一部の新聞は「日本側は対中戦争の性格を侵略と認めた」などと、中国側の今回の“成果”をアピールする形で伝えた。報告書の具体的内容や日中の相違点を紹介するメディアはなく、反日傾向の強いネット世論の反発に神経を尖らせる中国当局の姿勢が伺える。  若者に人気の北京紙、北京青年報は日中双方が「侵略戦争」と「南京大虐殺」などについて見解がほぼ一致...
  • 日中歴史研究報告書要旨
    http //www.47news.jp/CN/201001/CN2010013101000466.html 日中歴史研究報告書要旨  日中歴史共同研究報告書の要旨は次の通り。  【南京大虐殺】  ▽日本側 日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。犠牲者数は20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がある。中国側の30万人以上という犠牲者数は南京軍事法廷に依拠している。食い違いの背景には虐殺の定義や対象地域、期間などの相違が存在する。虐殺の原因は、憲兵の数が少なく食糧や物資補給を無視した攻略で、略奪行為が起きたと指摘されている。中国軍の民衆保護対策にも欠如があった。(波多野澄雄・筑波大教授、庄司潤一郎・防衛研究所第一戦史研究室長)  ▽中国側  日本軍は南京で多数の捕虜や住民を集団虐殺し、略奪を繰り広げ...
  • 日中歴史報告書 違い認め研究深めよう
    http //www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh201002020133.html 日中歴史報告書 違い認め研究深めよう 10/2/2  歴史を重んじるとされる中国では長く、王朝の正史は滅亡後の次王朝によって叙述されてきた。時の政治に翻弄(ほんろう)されず、史実をできるだけ客観的に記録しようという知恵かもしれない。  あえてこの伝統に挑んだのが、日中両国の有識者による歴史共同研究委員会の試みだろう。だが報告書の大要と公表の経過をみる限り、焦点の近現代史分野ではやはり政治の翻弄を免れることはできなかったようだ。  それでも見解の相違を含めて、研究と討議の結果を発表したこと自体、歴史認識をめぐる両国民の感情的な対立を克服する上で一定の意義があると評価できる。  共同研究は、小泉純一郎元首相の靖国参拝や国連安保理常任...
  • 日中、歴史認識の溝鮮明 共同研究で報告書
    http //www.nikkei.co.jp/news/main/20100131ATFS3100R31012010.html 日中、歴史認識の溝鮮明 共同研究で報告書  日中両国の有識者による歴史共同研究委員会は1月31日、各委員の論文をまとめた最終報告書を発表した。旧日本軍による虐殺があったとされる1937年の南京事件の犠牲者数などを巡り、日中の見解が大きく分かれた。中国側の要請を受けて戦後史の公表も見送られ、歴史認識の溝の深さが改めて浮き彫りになった。  報告書は約550ページで、古代から現代まで日中双方の論文を並べた。日中はそれぞれ日本語と中国語で文書を作成し、翻訳なしで発表した。  近現代史では、日中戦争について、中国側が「(日本による)全面的な侵略戦争」と指摘し、「中国軍人・民衆の死傷者数は3500万人以上」と記した。日本側も「戦場となった中国に深...
  • 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨)
    http //mainichi.jp/select/seiji/news/20100201ddm010010012000c.html 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨) 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨)◆第1部 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動◇日本側 ◇中国側 ◆第2部 第1章 満州事変から日中戦争まで◇日本側 ◇中国側 ◆第2部第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦◇日本側 ◇中国側 ◆第2部第3章 日中戦争と太平洋戦争◇日本側 ◇中国側 ◇議論3年、計6部15章 ■日中歴史共同研究委員会のメンバー ◆第1部 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 ◇日本側  第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)に際し駐日英国大使は中国近海のドイツ仮装巡洋艦を攻撃するため日本に支援を求めた。日本海軍は膠州湾を封鎖した。日本は中国に対して21カ条の要求を...
  • 南京事件犠牲者数の報道を規制 日中歴史共同研究で中国当局
    http //sankei.jp.msn.com/world/china/100203/chn1002032233005-n1.htm 南京事件犠牲者数の報道を規制 日中歴史共同研究で中国当局 2010.2.3 22 31  【北京=矢板明夫】中国のメディアを管轄する共産党中央宣伝部が国内のメディアに対し、1月末に発表された日中歴史共同研究の報告書について、日本側と見解が食い違った南京事件の犠牲者数を報道しないよう指示していたことが、3日までに分かった。  メディア関係者によると、指示は1月中旬に各省宣伝部などを通じ書面や口頭で伝えられた。中国側が宣伝してきた南京事件の「犠牲者30万人」への異議が日本側から出されたことで、中国国内で反日ムードが高まり、共同研究への批判が拡大することに対する警戒感が、指示の背景にあるとみられる。  指示により一部の国際情報専門...
  • 四万でも立派な大虐殺なのに
    昭和史の謎を追う(上) 第8章 論争史から見た南京虐殺事件 四万でも立派な夫虐殺なのに ところで、南京虐殺論争の中盤から出現したこの阿羅なるライターには不可解な部分が多い。著書の『聞き書南京事件――日本人の見た南京虐殺事件』(図書出版杜、一九八七)の奥付には「一九四四年仙台市生、東北大学文学部卒業、現在出版企画に従事」としかない。 この人物がミニコミ誌などで畠中秀夫の名でやはり南京事件について論じていた人と同一人物とわかったのは、かなりのちのことで、洞富雄などは最近まで別人と信じ別々に反論を書きわけていた。どちらがペンネームか確認はしていないが、同一テーマについて本名とペンネー 126 ムを書きわける例はきわめて稀ではあるまいか。 問題の本の構成も、それ以上に奇々怪々である。「十二年十二月と十三年一月に南京にいた人に聞けば本当のことがわかるのではなかろ...
  • 日中歴史共同研究:戦後史部分(要旨)
    http //mainichi.jp/select/world/news/20100210ddm010010125000c.html 日中歴史共同研究:戦後史部分(要旨)  先月31日に発表された日中歴史共同研究の報告書では、歴史認識の隔たりが埋まらないとして、中国側の要請で、「近現代史」のうち1945年以降を扱った第3部(第1~3章)を非公表としていた。今回、入手したのは非公表とされた全文。他の論文と同様、両国の有識者が同じテーマを巡って、それぞれ執筆した。 日中歴史共同研究:戦後史部分(要旨)年表図 ◆第3部第1章 1945~72年◇日本側 ◇中国側 ◆第3部第2章 1972~2008年◇日本側 ◇中国側 ◆第3部第3章 歴史認識問題◇日本側 ◇中国側 ■近現代史第3部の論文執筆者 年表図 ◆第3部第1章 1945~72年 ◇日本側  戦争を引き起こ...
  • @wiki全体から「南京虐殺『2~20万人』『30万以上』 歴史認識日中隔たり」で調べる

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