15年戦争資料 @wiki内検索 / 「集団自決の島――沖縄・慶良間25年目の暑い夏」で検索した結果

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  • 集団自決の島――沖縄・慶良間25年目の暑い夏
    週刊朝日1970年8月21日号 集団自決の島――沖縄・慶良間25年目の暑い夏 渡嘉敷島にて本誌 中西記者 撮影 栗原達男 集団自決の島――沖縄・慶良間25年目の暑い夏口絵 記事リード 村の経済課長・富山真順氏の案内で・・・ 復帰への不安を語る基地従業員 死にそこなった赤松隊の悲劇 米兵憎悪から日本兵憎悪へ… 海洋万博に夢託す島 自決命令は果たして下ったのか "戦記"とは異なる小隊長の証言 ヨソ者とシマの者との確執が… 那覇を通じてかいま見る本土 (画像はクリックすると拡大します) 口絵 (見開き左…カミソリで首を切りながらも一命をとりとめた座間味の宮平ウタさん) (見開き右) (キャプション) 渡嘉敷の「玉砕場」 西山に掘った赤松隊の塹壕と、戦没者を祭る白玉之塔 集団自決で右手を失ったS氏 ~...
  • 『渡嘉敷島における戦争の様相』と『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』の異同
    ...間(ママ)朝日』の「集団自決の島――沖縄・慶良間25年目の暑い夏」(一九七〇・八・二一)である。記者の中西昭雄氏は、その中で、『概要』を引きながら、極限状況の中の集団自決問題について考察している。  それまで『概要』を読んだ者がなかったわけではない。星氏もその一人であった。氏は、赤松元大尉来沖の二年前に、それを渡嘉敷村「役所で読んだ」(「25年前は昨日の出来事」、沖縄タイムス、一九七〇・四・三)という。  星氏は、『鉄の暴風』、『様相』、『概要』の文章のよく似ている点から、相互に関係のあることを、新聞の随筆欄中で指摘したのである。  その星氏の文章から示唆を受け、三書のつながりについてより詳しく論じたのが、曽野綾子氏であった。曽野氏は『ある神話の背景』の中で、三書の成立順序を、『鉄の暴風』→『概要』→『様相』の順であろうと緒論づけたのだが、その論拠とする点には...
  • 沖縄戦資料index
    ...論争史 戦後ルポ 集団自決の島――沖縄・慶良間25年目の暑い夏New 潮1971年11月号 琉球弧に住んで十六年島尾敏雄 日本人による植民地支配の原型大城立裕 生き残った沖縄県民100人の証言 集団自決を追って星雅彦 《私記》私は自決を命令していない赤松嘉次 青い海1971年6月号 私たちを信じてほしい赤松嘉次 曽野・太田論争など 集団自決などをめぐって 論争点(某ブログにて)本文 家永教科書裁判の頃 「裁かれた沖縄戦」安仁屋政昭 赤松元戦隊長の認識と態度  「ある神話の背景」分析 沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実 index 1968~1973の関係者経緯 曽野綾子に関するiza 戦争を知っていてよかった なぜ日本人は成熟できないのか 曽野綾子に関するメモ 沖縄戦集団自決をめぐる歴史教科書の虚妄 『切りとられた時間』抜粋 いわば馥郁たる優しさ田村隆一 石川水穂による沖...
  • 産経:集団自決訴訟、2審始まる 大阪高裁
    集団自決訴訟、2審始まる 大阪高裁 http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/155996 太平洋戦争末期の沖縄戦で「集団自決」に軍の命令があったとする大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、沖縄・慶良間列島の当時の守備隊長、梅沢裕さん(91)らが、岩波書店と大江さんに出版差し止めなどを求めた訴訟の控訴審第1回口頭弁論が25日、大阪高裁(小田耕治裁判長)で開かれた。1審大阪地裁は3月、請求を棄却し、隊長側が控訴した。 産経、このやる気なさ「集団自決」訴訟 2008.6.25第1回口頭弁論の報道
  • 共同通信 元守備隊長らの請求棄却 沖縄集団自決訴訟
    http //www.47news.jp/CN/200803/CN2008032801000259.html 元守備隊長らの請求棄却 沖縄集団自決訴訟  太平洋戦争末期の沖縄戦で軍指揮官が「集団自決」を命じたとする本の記述をめぐり、沖縄・慶良間諸島の当時の守備隊長らが、岩波書店と作家大江健三郎さん(73)に出版差し止めや計2000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁(深見敏正裁判長)は28日、請求を棄却した。  この訴訟は、軍の「強制」の記述削除を求めた教科書検定意見の根拠の1つともされたほか、ノーベル賞作家の大江さん本人が出廷し証言するなど司法判断が注目を集めていた。  座間味島の元守備隊長梅沢裕さん(91)と、渡嘉敷島の元守備隊長の弟赤松秀一さん(75)は2005年8月、大江さんの「沖縄ノート」、故家永三郎さんの「太平洋戦争」の集団自決に関する部分...
  • 共同:集団自決訴訟、2審始まる 大阪高裁、9月にも結審
    http //www.47news.jp/CN/200806/CN2008062501000651.html 集団自決訴訟、2審始まる 大阪高裁、9月にも結審  太平洋戦争末期の沖縄戦で「集団自決」に軍の命令があったとする大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、沖縄・慶良間列島の当時の守備隊長梅沢裕さん(91)らが、岩波書店と大江さんに出版差し止めなどを求めた訴訟の控訴審第1回口頭弁論が25日、大阪高裁(小田耕治裁判長)で開かれた。早ければ次回弁論の9月9日にも結審する見通し。  弁論で元隊長側は「『沖縄ノート』は隊長命令があったと断定的に記述している。軍の関与が認められるとしても、隊長命令は別の問題だ」と陳述。岩波書店側は「自決命令が守備隊長から出たと書いておらず、個人を特定してもいない。名誉棄損ではない」と反論した。  1審大阪地裁はことし3月、「集...
  • 第6 集団自決の実相
    第6 集団自決の実相 (※<藤色>部分は、曽野綾子の論拠借用と著書引用) 第6 集団自決の実相1 はじめに 2 隊長命令説、軍命令説の根本的疑問 3 米軍に対する恐怖 4 家族愛 5 パニック状態の群集心理、同調圧力 6 軍の命令は無関係との住民証言等 7 「心中」としての集団自決 8 補足とまとめ 1 はじめに  住民集団自決に関する《梅澤命令説》及び《赤松命令説》には真実性はないと原告らは主張するものであるが、それでは、実際にはどういう原因、理由により座間味島、渡嘉敷島の集団自決が生じたのか、すなわち集団自決の実相がいかなるものであったのかということは、避けては通れない問題である。  この点については、原告は準備書面(2)p18以下(座間味島における集団自決の実相)、p50以下(当時の沖縄県民の意識について)でも取り上げ、また、他でも必要に応じて論及はしてき...
  • 【共同】2審も「軍が深く関与」 集団自決、大江さんら勝訴
    http //www.47news.jp/CN/200810/CN2008103101000522.html 2審も「軍が深く関与」 集団自決、大江さんら勝訴  太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」を命じたとする作家大江健三郎さん(73)の「沖縄ノート」などの記述をめぐり、沖縄・慶良間諸島の当時の守備隊長らが名誉を傷つけられたとして、岩波書店と大江さんに出版差し止めなどを求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁は31日、1審に続き、元隊長ら側の訴えを退けた。  元隊長らは上告の方針。  判決理由で小田耕治裁判長は「集団自決に日本軍が深くかかわっていることは否定できず、総体としての軍の強制ないし命令と評価する見解もあり得る」と指摘。  元隊長による直接の命令の有無は「証拠上断定できない」としたが(1)出版当時は隊長命令説が学会の通説といえる状況で、真実と...
  • 集団自決の軍命はなかった
    http //www.worldtimes.co.jp/today/kokunai/090610-4.html 「集団自決の軍命はなかった」 作家の星雅彦、上原正稔氏が会見 沖縄県庁 「沖縄集団自決」で軍命はなかったと語る星雅彦氏(右)と上原正稔氏=9日、沖縄県庁記者クラブで  第二次世界大戦末期の沖縄戦で多くの民間人が犠牲となった問題で、作家の星雅彦氏と上原正稔氏は9日、沖縄県庁で記者会見し、軍による自決命令はなかったことを強調し、濡れ衣を着せられている元隊長に謝罪すべきだと訴えた。沖縄県出身の有識者が軍命説を真っ向から否定するのは初めて。  星氏は「集団自決はこれまで隊長命令と信じられていたが、その誤解を解きたい」と記者会見を開いた理由を述べた。今年5月1日に出版された総合文芸誌「うらそえ文藝」第14号で、両氏は集団自決問題をテーマに対談し、論文を発...
  • 『沖縄戦 強制された「集団自決」』 丹念な分析で「真相」に迫る
    http //ryukyushimpo.jp/news/storyid-147598-storytopic-6.html 『沖縄戦 強制された「集団自決」』 丹念な分析で「真相」に迫る 2009年7月26日  慶良間諸島で起きた「集団自決」の命令の有無をめぐって、元戦隊長らがノーベル賞作家の大江健三郎氏と、その著書を発行した岩波書店を提訴し、現在係争中であることは周知の通りである。この事件以来、文科省による教科書検定問題も絡み、「集団自決」に政治的様相が濃くなった感は否めない。言い換えれば、歴史修正主義の理論に国家が与(くみ)し、「集団自決」の実相を歪曲(わいきょく)する動きが顕著だということである。  今、私たち沖縄人に最も求められているのは、なぜ「集団自決」が起こったか、犠牲者の視点からその「真相」を究明することである。これまで、沖縄戦研究は高水準の域にあるといわ...
  • 共同通信 集団自決「軍が深く関与」 元守備隊長らの請求棄却
    http //www.47news.jp/CN/200803/CN2008032801000336.html 集団自決「軍が深く関与」 元守備隊長らの請求棄却 判決後に記者会見する作家の大江健三郎さん =28日午前11時6分、大阪市北区の大阪司法記者クラブ  太平洋戦争末期の沖縄戦で軍指揮官が「集団自決」を命じたとする岩波新書「沖縄ノート」などの記述をめぐり、沖縄・慶良間諸島の当時の守備隊長らが、岩波書店と作家大江健三郎さん(73)に出版差し止めなどを求めた訴訟の判決で、大阪地裁は28日、請求を棄却した。元守備隊長らは控訴の方針。  判決理由で深見敏正裁判長は「集団自決に軍が深く関与したのは認められる」と指摘。その上で「元守備隊長らが命令を出したとは断定できないとしても、大江さんらが命令があったと信じるに相当の理由があった」とした。  この訴訟は...
  • 集団自決の思想
    『青い海』1971.9 集団自決の思想 ―集団自決の記録「それは島」撮影後書― 映画監督 間宮則夫 私たちが「それは島」という映画を撮りに渡嘉敷島に渡ったのは、島の観光シーズンも終りに近ずいた、一九七〇年九月下旬であった。それから十一月上旬まで、延三〇日近くスタッフ総勢八名、一軒の空家を借りて合宿をしながらロケーションを行った。泡盛を酌交しながらの島の日常的レベルでの撮影はきわめてうまく遂行された。そうしたなかで私たちは徐々に「集団自決」の問題、つまり島人たちの内部意識の問題にふれていったのだが、それはなかなかうまくいかない。島の人たちは渡嘉敷島を中心にした慶良間戦の一般的状況については実によく説明もし、個々の戦闘についても饒舌なくらい語ってくれる。だが、こと「集団自決」の核心については口をとじてしまう。 「その当時は外地にいたのでわからない」 「子供だったからわ...
  • 集団自決、軍関与削除し展示 国立歴史民俗博物館に沖縄反発
    http //www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010031602000211.html 集団自決、軍関与削除し展示 国立歴史民俗博物館に沖縄反発 2010年3月16日 夕刊 国立歴史民俗博物館内にオープンした沖縄戦の展示を見る来館者=16日午後、千葉県佐倉市で  千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館に十六日、常設展示室「現代」がオープンした。しかし、沖縄戦の集団自決について、日本軍の指示や命令に言及せずに展示するため、沖縄の市民団体が反発。歴史認識をめぐって、議論を呼びそうだ。  この展示室は「戦争と平和」「戦後の生活革命」をテーマに、一九三〇~七〇年代の生活用品や出版物などを展示。日本軍の兵舎や戦後の闇市を再現した模型もある。  同館は展示内容を検討するため、館内外の研究者やジャーナリスト計...
  • 1968~1973の関係者経緯
    「ある神話の背景」の研究 今日の訪問者 - 1968~1973を中心とする関係者経緯 1958 昭和33年の春ごろ。『週刊朝日』『サンデー毎日』 1961 曽野綾子、文芸春秋社の講演で今東光、中村光夫と共に沖縄行 1963.4号 『家の光』宮城初枝手記「沖縄戦最後の日」 1967.12 ※5曽野、仲宗根政善と三人の元師範生と会う 1968.1 防衛研修所戦史室『戦史叢書・沖縄方面陸軍作戦』刊  渡嘉敷島赤松戦隊長、中村、富野、皆本中隊長の回想反映(引用文献に、「戦闘記録」赤松著(昭和21年1月浦賀復員時復員局に提出)はあるが『第3戦隊陣中日誌』はない) 1968.1.14 戦後23年目にはじめて開かれた「渡嘉敷島海上挺身(ママ)隊第三戦隊」の"同窓会" 1968.4.6号 ※1『週刊新潮』赤松氏談話(マスコミデビュー) 1968 4.8朝刊...
  • 第4・5(8) 文献等に基づく集団自決の理解
    通113 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(8) 文献等に基づく集団自決の理解 第4・5(8) 文献等に基づく集団自決の理解ア (出版時の通説とその後)* イ 座間味島における集団自決について(ア)(梅澤命令説推認根拠:手榴弾,文献,住民体験談の具体性,迫真性) (イ)(推認根拠:住民加害,防諜と集団自決との関係)* (ウ)(推認根拠:手榴弾の交付と戦隊長了解)* (エ)(推認根拠:集団自決と日本軍の存在)* (オ)(命令それ自体の認定は躊躇)* (カ)(真実と信じた相当の理由はあった)* ウ 渡嘉敷島における集団自決について(ア)(赤松命令説推認根拠:手榴弾,文献,住民体験談の具体性,迫真性) (イ)(推認根拠:住民加害,防諜と集団自決と...
  • 沖縄戦集団自決をめぐる歴史教科書の虚妄
    沖縄戦集団自決をめぐる歴史教科書の虚妄 作家 曽野綾子 「正論」平成15年9月号掲載  終戦直前の1945年春、沖縄本島への攻撃の直前に慶良間列島の島々が攻撃された。攻撃は主に艦砲射撃によって行われたが、その激しさは想像を絶するものであったという。  そうした激しい戦火のただ中にほうりこまれた慶良間列島のあちこちで、追い詰められた村民が集団自決をしたケースがあった。この人たちが、古い日本の教育と思想を受けた人々であったことは間違いない。  島民だけではない。当時まだ子供だった私をも含めて日本人のすべてが「生きて虜囚の辱めを受けず」という教育を受けていた。そうした軍国教育の片棒を担いだ大きな力は、文部省と教師たち、大手の新聞社であったことをここに明記して置かねばならない。  1971年の10月から、1972年の8月まで、私は文芸春秋社から発行されて...
  • 産経 元守備隊長の請求棄却 沖縄集団自決訴訟
    http //sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080328/trl0803281114002-n1.htm 元守備隊長の請求棄却 沖縄集団自決訴訟 (1/4ページ) 2008.3.28 11 14  先の大戦末期の沖縄戦で、住民に集団自決を命じたとする誤った記述で名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の元戦隊長と遺族が、ノーベル賞作家の大江健三郎氏(73)と岩波書店(東京)に、大江氏の著書『沖縄ノート』などの出版差し止めや損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、大阪地裁であった。深見敏正裁判長は「書籍に記載された内容の自決命令はただちに真実と断定できない」としながらも「(命令の)事実については合理的資料や根拠がある」と認定。名誉棄損の成立を認めず、原告側の請求をすべて棄却した。原告側は控訴する方針。  戦後、定説のように流布された「隊長(軍)命...
  • 信濃毎日社説2008年3月29日
    http //www.shinmai.co.jp/news/20080329/KT080328ETI090003000022.htm 集団自決判決 「軍の関与」を明快に 3月29日(土)  太平洋戦争末期の沖縄で起きた「集団自決」について、明快な判決が出た。軍による強制はなかった、とする主張を退け、旧日本軍の関与を認めている。  沖縄の人々が語り継いできた多くの事実とも合致する。説得力ある判決だ。  作家大江健三郎さんの著書「沖縄ノート」の記述をめぐり、沖縄・慶良間諸島の当時の守備隊長らが訴えていた裁判だ。軍が住民に集団自決を命じたとする記述はうそだとして、大江さんと出版社に対し、出版差し止めや慰謝料支払いを求めていた。  大阪地裁の判決は、軍の関与を認定した理由として以下の事実を挙げている。  ▽米軍に捕まったときの自決用に手榴(しゅりゅ...
  • 沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣
    櫻井よしこ 「 沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣 」 http //f00-006.060.183.203.fs-user.net/index.php/archives/552 『週刊新潮』  07年1月4日・11日号 日本ルネッサンス 第246回 2006年も多くの取材をした。そのなかでも、10月18日に東京市谷で会った梅澤裕氏は今後の日本のあるべき姿を物語るうえでも、印象深い人だった。 氏は12月21日で90歳になった。祖父、一直は日清戦争の騎兵、父、英彦は日露戦争の軍人だった。父は陸軍士官学校16期生で、板垣征四郎、土肥原賢二、永田鉄山らとは自宅を訪れ合う仲だった。 「本当にすばらしい軍人ばかりで、私は幼い頃から、父たちのような立派な軍人になることを夢見ていたのです」と梅澤氏は語る。 その声は力強く、椅子にかけた背はまっすぐだ。...
  • 沖縄タイムス:「集団自決」訴訟判決(要旨)
    沖縄タイムス:「集団自決」訴訟判決(要旨) 2008年3月29日(土) 朝刊 1・10面 「検定意見の根拠否定/執筆者ら再訂正へ」 http //www.okinawatimes.co.jp/day/200803291300_01.htmlより 読める判決「集団自決」へ戻る contents 沖縄タイムス:「集団自決」訴訟判決(要旨)検定意見の根拠否定/執筆者ら再訂正へ「集団自決」訴訟判決/元隊長陳述「信用性疑問」 「集団自決」訴訟判決(要旨)太平洋戦争時の沖縄の状況 日本軍による住民加害 援護法の適用 梅澤命令説 渡嘉敷島の「集団自決」 文献の評価 皆本証言 梅澤証言 赤松手記 体験者証言 検定意見の根拠否定/執筆者ら再訂正へ 「集団自決」訴訟判決/元隊長陳述「信用性疑問」  慶良間諸島の「集団自決(強制集団死)」は戦隊長が命じたとする本の記述...
  • 毎日:沖縄集団自決:防衛研が「命令なし」の見解 公開資料に
    http //mainichi.jp/select/today/news/20080113k0000m040104000c.html 沖縄集団自決:防衛研が「命令なし」の見解 公開資料に  防衛省の防衛研究所(東京都目黒区)が、第二次大戦時の沖縄・集団自決に関する資料に「集団自決は戦隊長命令でなかったことが証明されている」とする見解を付けていたことが分かった。資料は図書館で一般公開されており、専門家は「自決命令については事実が確定しておらず、読む者に予断を与える」と強く反発。同研究所は「不適切だった。削除したい」としているが、国の機関が一方的な見解を示していたことは、波紋を広げそうだ。  見解が付けられていたのは「集団自決の渡嘉敷(とかしき)戦(現地参戦者手記)」と「座間味(ざまみ)住民の集団自決(同)」。資料では、渡嘉敷島では海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長だった故赤松...
  • 特集・沖縄集団自決:虚構の軍命令
    http //www.jiyuu-shikan.org/tokushu2.html 特集 沖縄集団自決:虚構の軍命令 自決命令は本当にあったのか?沖縄集団自決冤罪訴訟 の行方が注目される中、今こそ真実を再検証する時が… ‘日本軍の非情・残酷’を際だたせる話 戦争末期の昭和20年3月、米軍が沖縄本島の西の海上にある慶良間列島に攻め込んできたとき、座間味島と渡嘉敷島では数百人の追いつめられた住民が家族どうしで殺し合うなどして集団自決するという痛ましい出来事があった。 ところが、戦後、それは日本軍の将校の命令により強制されたものであったと言われるようになった。私がその話を初めて読んだのは今から30年近くも前、確か中公新書の一冊だったように思う。そのとき感じた日本軍の非情さ、残酷さに対する嫌悪感を今でもはっきり思い出すことができる。それは軍隊一般に対...
  • ノムラカツヨシ「渡嘉敷島・集団自決命令」
    http //www.nomusan.com/~essay/essay_31_tokasikijima.html 渡嘉敷島・集団自決命令 =言論の誠実= 2005.08.03 ノムラカツヨシ http //www.nomusan.com/index.html 【引用者註】ここに飛ぶとノムラさんが横浜山手教会の主のように思います(私もそう思っていましたーni0615)。しかし、教会の公式サイトhttp //homepage3.nifty.com/catholic-yamate/index.htmlを見ますと、ノムラさんは一信徒であって教会を代表するわけでもなく、司祭・助任司祭、つまり神父でもなくhttp //homepage3.nifty.com/catholic-yamate/sisaisyoukai.html、横浜山手教会の名を使って靖国神社活動を行っている特異なお方の...
  • 「沖縄集団自決を現場検証する」AERA 08.2.25
    今日の訪問者 - AERA 08.2.25 No.9 p37 63年前の惨事といま向き合う 沖縄集団自決を現場検証する 沖縄の怒りは、集団自決をめぐる教科書検定問題でも爆発した。 改め現地を歩き、63年前の惨事と対峙した。 ライター 長谷川(はせがわ)煕(ひろし)(写真も) 沖縄集団自決を現場検証する(1、リード) 2、こんなに大きく育てたのに自ら手に掛けるのか 3、過去には触れず共存続けてきた加害者と被害者 4、集団自決による死者数の6割を「2島」が占める 5、軍命令の存在を否定する数々の証言と「詫び状」 6、「戒厳令下」では村助役の指示も軍命令との見方 7、サイパン島での自決を称揚した新聞報道の影響 長谷川記者の不勉強箇所を指摘してください (1、リード) 断崖の迫る座間味島の海辺に、雑木が繁る渡嘉敷島の山中に、この初冬立っていた。 ...
  • k 「米軍の慶良間列島作戦報告書」(昭和20年)(2ha)
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-065 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(ア)(梅澤命令説記載文献)   梅澤命令説について直接これを記載し,  若しくはその存在を推認せしめる文献等としては,  以下に記載するものがあげられる。 k 「米軍の慶良間列島作戦報告書」(昭和20年)(2ha) (判決本文p152) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。   ...
  • 大江氏が出廷「集団自決は軍の命令」
    大江氏が出廷「集団自決は軍の命令」 沖縄集団自決軍命訴訟で大阪地裁に入る大江健三郎さん Photo By 共同  太平洋戦争末期の沖縄戦で、軍指揮官が「集団自決」を命じたとする本の記述をめぐる訴訟の口頭弁論が9日、大阪地裁で開かれた。「沖縄ノート」の著者で被告の作家大江健三郎氏(72)が出廷。ノーベル賞作家が自らの著作に関して法廷で証言するのは極めて異例。慶良間諸島の座間味、渡嘉敷両島での集団自決について「軍の命令だったと考えている」と証言した。これに先立ち陳述書を提出。この中で「集団自決は戦争下の国、日本軍、現地の軍までを貫くタテの構造の力で島民に強制された。命令書があるかないかというレベルのものではない」との考えを示した。次回口頭弁論の12月21日に結審、来春にも判決の見通し。 [ 2007年11月10日付 紙面記事 ]
  • 読める控訴審判決「集団自決」
    昨日 - 今日 - 沖縄集団自決訴訟第2審 第2審判決をめぐって 判決の要旨 Hypertext 読める控訴審判決「集団自決」 沖縄「集団自決」訴訟大阪高裁判決全文 2008年10月31日 通巻リスト 判決全文の画像PDFファイル 控訴審判決全文の電子化にあたって リンクとコピペについて 誤記ご指摘やご意見はこちら(控訴審判決) 判決文を対象にキーワード検索するには 第一審判決は? ⇒読める判決「集団自決」 目次 主文  事案及び理由 第1 当事者の求める裁判……2  第2 事案の概要等……3 1 事案の概要……3  2 原審の判断及び不服申立て……5 (1)原審の判断 (2)不服申立て (3)請求の拡張及び減縮 3 前提事実及び争点……10【原判決の引用】(原)第2 事案の概要……11 (原)2 前提となる事実(原)(1) 当事者 (原)(2) ...
  • 自決「これが真実」/沖縄で映画制作
    http //mytown.asahi.com/okinawa/news.php?k_id=48000000903180002 自決「これが真実」/沖縄で映画制作 2009年03月18日 映画「軍隊がいた島」から 「軍隊がいた島」を制作した映画監督の謝名元慶福さん  米軍が撮影した沖縄戦の映像を購入、上映してきた「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」が「集団自決」をテーマにした映画「軍隊がいた島~慶良間の証言」を制作。那覇市内で試写会を開いた。軍の強制に関する記述が削除された教科書検定問題をきっかけに、集団自決の実相を住民の視点から見つめ直そうと取り組んだ。  映画は沖縄本島の西にある慶良間諸島が舞台。米軍撮影のフィルムで島が占領されていく様子をたどりながら、400人以上が亡くなったとされる集団自決の様子を生き残った人たちが証言する。...
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    判決全文 と 準備書面一式 とから調べ 引用は自己責任にてお願いします m(- -)m 書証一覧  サイト内検索 書証一覧本件書籍(結審時) 調書 原告側提出甲A 甲B1~20 甲B21~40 甲B41~60 甲B61~80 甲B81~100 甲B101~120 甲B121~140 甲B141~160 甲C1~ 被告側提出乙1~20 乙21~40 乙41~60 乙61~80 乙81~100 乙101~120 乙121~140 本件書籍(結審時) 番号 証拠名 by whom 成立 本件書籍(1) 「太平洋戦争」岩波現代文庫版 家永三郎・岩波書店 2002年平成14年7月16日 本件書籍(2) 「沖縄ノート」  大江健三郎・岩波書店 1970年昭和45年9月21日 調書 略称 氏名 法...
  • 次のものを資料として・・・・
    沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実 index 次のものを資料として・・・・ 次のものを資料として・・・・この作品のために次のものを資料として使わせて頂きました。 (ここに列挙されてない重要な資料) この作品のために次のものを資料として使わせて頂きました。 『沖縄』比嘉春潮・霜多正次・新里恵二著 岩波新書 『沖縄ノート』大江健三郎著 岩波新書 『沖縄問題二十年』中野好夫・新崎盛暉著 岩波新書 『沖縄』饒平名智太郎(よへなちたろう)著 三一新書 『沖縄・この現実』石田郁夫著 三一書房 『沖縄教職員会』関 広延著 三一書房 『沖縄奪還 68~ 70』波照間洋著 三一書房 『沖縄・本土復帰の幻想』吉原公一郎著 三一書房 『沖縄戦記・鉄の暴風』沖縄タイムス社刊 『日米最後の戦闘』米国陸軍省編・外間正四郎訳 サイマル出版会 『沖縄戦史』上地一史著 時事通信社 『...
  • 第3・4(1)イ(エ) 援護法適用のための捏造について
    通021 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第3 争点及びこれに対する当事者の主張 第3・4 争点4(真実性の有無)について 第3・4(1) 被告らの主張 第3・4(1)イ 座間味島について 第3・4(1)イ(エ) 援護法適用のための捏造について 原告らは,集団自決について援護法の適用を受けるため,座間味村が厚生省に陳情し,適用を拒否されたが,隊長命令があったのであればと示唆され,隊長命令があったことにして援護法の適用を受けるに至ったと主張する。 しかしながら,集団自決の直後に米軍に保護された慶良間列島の島民が,捕虜になることなく自決するよう軍に命ぜられていたと証言していたことが,林教授が米国国立公文書館で発見した米軍歩兵第77師団砲兵隊の慶良間列島の作戦報告書に記載されており(乙35の1及ぴ2),昭和25年に刊行され...
  • 第4・3 争点2(名誉毀損性の有無)について
    通050 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・3 争点2(名誉毀損性の有無)について (争点) 第3・2(1) 原告らの主張 第3・2(2) 被告らの主張 第4・3 争点2(名誉毀損性の有無)について(1)(「太平洋戦争」の記述)* (2)(「沖縄ノート」の記述)*ア(書籍の概略と記述)* イ(隊長が命令を発したという記述)* ウ(社会的評価を低下させる記載)* (1)(「太平洋戦争」の記述)* 本件書籍(1)の発行年月日,発行部数及び本件記述(1)は,第2・2(3)アのとおりである。 本件記述(1)には, 「座間味島の梅沢隊長は,老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよと命令し」 たなどとの記述があり,本件記述(1)は,原告梅澤が部隊の食糧を確保するために本来,保護してし...
  • (原)第3・4(1)イ(エ) 援護法適用のための捏造について
    目次 戻る 通2-019 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第2 事案の概要等 第2の3 前提事実及び争点 【原判決の引用】 (原)第3 争点及びこれに対する当事者の主張 (原)4 争点4(真実性の有無)について (1)被控訴人らの主張 第3の4(1)イ 座間味島について (原)第3・4(1)イ(エ) 援護法適用のための捏造について (判決本文p44~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。   控訴人らは, 集団自決について援護法の適用を受けるため, 座間味村が厚生省に陳情し, 適用を拒否されたが, 隊長命令があったのであればと示唆され, 隊長命令があったことにして援護法の適用を受ける...
  • 沖縄集団自決冤罪訴訟が光を当てた日本人の真実
    正論2006年9月号(産経新聞社・扶桑社) 靖国特集  沖縄集団自決冤罪訴訟が光を当てた日本人の真実 弁護士 徳永信一 《リード》 その戦いは、平成17年10月28日大阪地裁202号法廷で始まった。《沖縄集団自決冤罪訴訟》と命名された裁判である。壇上に3人の裁判官が座り、開廷が宣言され、やがて弁護団の岩原義則弁護士が立ち上がり、満員の傍聴人が見守るなか、訴状の要旨を朗読し、最後にこうまとめた。 「以上のとおり、被告大江健三郎が著した『沖縄ノート』を含む被告岩波書店発行の書籍は、沖縄戦のさなか、慶良間列島において行われた住民の集団自決が、原告梅澤裕元少佐あるいは原告赤松秀一の兄である亡き赤松嘉次元大尉の命令によるものだという虚偽の事実を摘示することにより原告らの名誉を含む人格権を侵害したものである。よって、原告らは、被害の回復と拡大を防止するため、それらの出版...
  • ――「集団自決」問題を中心に
    世界 SEKAI 2007.7 特集:「沖縄戦」とは何だったのか ――「集団自決」問題を中心に 水ぷくれした死体が、打ち寄せる波に持ち運ばれ、また奪い去られていった。すべての戦死者が水葬されて、悉くこの一点に集められたかのように、海岸線は死骸で覆われ、海水はどこまでいっても赤く染まっていた。―――大田昌秀『血であがなったもの』より 【写真】米軍に保護された座間味の住民(on click) 「写真記録,これが沖縄戦だ」大田昌秀編著者(琉球新報社発行) 一九四五年三月から六月にかけて戦われた「沖縄戦」は、四一年以来太平洋域で戦われてきた日米両軍最後の血戦であり、日本国内におけるほとんど唯一の地上戦であった。日本軍は「軍官民共生共死の一体化」方針のもと、軍官民の総動員作戦を展開、若者や男たちは防衛隊、学徒隊、義勇隊などに動員されて戦場に投入されたほか、女や老人...
  • 歴博、沖縄戦「集団自決」展示 きょうから一般公開
    http //ryukyushimpo.jp/news/storyid-159278-storytopic-1.html 歴博、沖縄戦「集団自決」展示 きょうから一般公開 2010年3月16日 16日の公開を前に内覧された沖縄戦の展示パネル=15日、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館  【千葉】沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)に関する展示パネルから軍関与の記述を削除したことが問題となっている国立歴史民俗博物館(佐倉市、平川南館長)は15日、同展示を含む「現代」展の内覧会を関係者80人を招き開いた。16日から一般公開される。  沖縄戦の「集団自決」に関する記述は「大量殺戮(さつりく)の時代―沖縄戦と原爆投下―」の中の一こま。渡嘉敷島の「集団自決」跡地の碑の写真上部に「犠牲者のなかには戦闘ばかりでなく、『集団自決』に追い込まれた人びともいた...
  • 再論・沖縄集団自決
    http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/105168/ 【正論】藤岡信勝 再論・沖縄集団自決 配信元 05 10更新  ■検定再審を渡海文科相に問う  ■制度否定の記述訂正を認めるな ≪歴史に汚名を残すのか≫  拝啓 渡海紀三朗・文部科学大臣殿 【正論】藤岡信勝 再論・沖縄集団自決≪歴史に汚名を残すのか≫ ≪異例ずくめの展開≫ ≪見識ある人物を入れよ≫  率直に申し上げます。このまま推移するなら、福田首相と渡海文科大臣はあの悪名高い「近隣諸国条項」を推進した宮沢官房長官と同じ、拭(ぬぐ)いがたい汚点の刻印を文教行政に刻んだ政治家としてその名前を後世に記憶されることになります。  渡海大臣は「9・29沖縄県民大会」直後に方針を大転換し、高校日本史教科書に「沖縄集団自決」で日...
  • 妄説に断! 渡嘉敷島集団自決に軍命令はなかった
    月刊「正論」2006年11月号 『妄説に断!渡嘉敷島集団自決に軍命令はなかった』 { 元琉球政府職員の証言が明らかにした真実と、             それを封じ込めてきた戦後沖縄の現実}          水島総(日本文化チャンネル桜社長)&同局取材班(井上和彦・仙頭直子) http //www.ch-sakura.jp/mailmagazine/224.html http //www.ch-sakura.jp/mailmagazine/225.html 『妄説に断!渡嘉敷島集団自決に軍命令はなかった』戦後日本の「踏絵」とは何か 金城武徳氏の証言 混乱のなかで自決を呼びかけた村の幹部と村民の意志が招いた 照屋昇雄氏の証言 「蘇鉄(そてつ)地獄」を何とかしたい それに応えてくれた赤松隊長 電話が鳴ると心臓が縮む 真実語った照屋さんの今 戦後日本の「踏絵」とは何か...
  • 沖縄戦と民衆(目次)
    トップページ | 沖縄戦資料index 沖縄戦と民衆(目次) 沖縄戦と民衆 林 博史 (著) http //www.amazon.co.jp/gp/product/product-description/4272520679/ref=dp_proddesc_0?ie=UTF8 n=465392 s=books 内容は公開していません。 はじめに    いまあらためて沖縄戦をとりあげる意味 I 沖縄戦への道 1 第三二軍の編成と飛行場建設      軍隊の配備されていなかった沖縄      戦時体制下の沖縄      沖縄にやってきた日本軍――第三二軍の創設      第三二軍創設までの飛行場建設      本格的な飛行場建設の開始      戦闘部隊の沖縄配備と住民との関係 2 戦争準備下の日本軍      ...
  • 沖縄タイムス:創作劇通し 命問う/沖国大生140人 「集団自決」テーマ
    http //www.okinawatimes.co.jp/news/2008-11-18-E_1-005-2_001.html 2008年11月18日【夕刊】 社会 創作劇通し 命問う/沖国大生140人 「集団自決」テーマ 22・23日 学園祭で上演  「集団自決(強制集団死)」をめぐる昨年の教科書検定意見撤回県民大会に参加した沖縄国際大学日本文化学科の学生らが渡嘉敷村の民話を題材に「集団自決」を通して「命」について考える創作劇「鬼慶良間(ウニギラマ)」の上演準備を進めている。同県民大会で高校生代表として登壇した津嘉山拡大さん(一年)が演出を担当、二十二、二十三両日の学園祭で上演される。(宮城貴奈)  「鬼慶良間」は故遠藤庄治沖縄国際大学名誉教授が脚本を手掛け、十年以上前から同大学園祭を中心に上演されている。今年は百四十人の学生が取り組む。  渡嘉敷島...
  • 沖縄集団自決冤罪訴訟と教科書検定との関係を初めて知る方に
    沖縄集団自決冤罪訴訟と 教科書検定との関係を初めて知る方に 南木隆治 (沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会会長・自由主義史観研究会会員) 先の大戦末期、沖縄では激しい戦いがありました。沖縄戦における米軍の最初の目標は、沖縄本島の西55キロメートルに位置する慶良間諸島の確保でした。沖縄本島総攻撃に備え、艦隊投錨の最適地だったからです。 慶良間列島には座間味島、渡嘉敷島、阿嘉島などがあります。日本軍は米軍の沖縄侵攻に備えて、昭和19年9月より、これらの島々に海上特攻基地を建設し訓練に励んでいました。 正式には海上挺進隊と言い、小さなボートで敵艦隊に体当たり攻撃して自爆する海の特別攻撃隊のことです。しかし、結局、米軍の激しい艦砲射撃等で基地は破壊され、出撃の機会が無くなった後は、海上挺進隊はそれぞれ駐屯する島の守備隊となりました。   梅澤少佐の守備する座間...
  • 資料1 林博史「沖縄戦『集団自決』への教科書検定」
    検定審第2部会日本史小委員会の報告 『平成18年度検定決定高等学校日本史教科書の訂正申請に関する意見に係る調査審議について(報告)』 平成19年12月25日 教科用図書検定調査審議会第2部会日本史小委員会 http //www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/08011106/001.pdf http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1018.html 検定審第2部会日本史小委員会の報告資料1 専門家からの意見聴取結果・・・資料(1)林博史関東学院大学教授林博史「沖縄戦『集団自決』への教科書検定」はじめに Ⅰ 検定内容 Ⅱ つくる会の策動 Ⅲ 1980年代の教科書問題 Ⅳ 沖縄戦研究が明らかにしてきたこと Ⅴ 歴史学界になげかけるもの なおここで紹介した住民の証言はすべて『沖縄戦と民...
  • 毎日 集団自決訴訟:判決の日…悲劇の舞台63年目 渡嘉敷島
    http //mainichi.jp/select/today/news/20080328k0000e040042000c.html 集団自決訴訟:判決の日…悲劇の舞台63回目 渡嘉敷島 「白玉乃塔」の犠牲者の刻銘板をなぞる女性=沖縄・渡嘉敷島で2008年3月28日午前9時46分、松本光央撮影  第二次世界大戦・沖縄戦の「集団自決」で旧日本軍の軍命を巡る大阪地裁判決が言い渡された28日、くしくも悲劇の舞台、沖縄県・渡嘉敷島(渡嘉敷村)は戦後63回目のあの日を迎えた。「集団自決」に軍の関与を認めた地裁判決。島内の慰霊の塔を訪れる人たちからは「当然だ」との声が漏れる一方、戻らぬ家族を思う鎮魂の祈りも静かに続いた。  1945年3月28日の朝、島内には手りゅう弾の爆発音が響き渡った。300人以上とされる犠牲者と、大戦による島民の戦没者も含めて慰霊する「白玉之塔」には...
  • 「戦後なき死~沖縄・自決の島1991~
    「戦後なき死~沖縄・自決の島1991~」 情報とコメント:京の京太郎さん http //blog.goo.ne.jp/awamori777/e/c51d15bcb87bfd91052b23adc55a9c1d 日本テレビ制作ドキュメント「戦後なき死ー自決の島1991」でも宮平氏は25日夜の忠魂碑の前での村長の話の内容を証言されていますが、今回の原告側採取の証言内容とは違います。村長が「食料を軍に提供し、足手まといにならないように日本人らしく自決しよう。軍から爆薬を貰える約束ができているから到着をまつように」との話。しかし弾薬が到着しないまま、艦砲射撃があり、各自壕へ舞い戻った。・・・との証言をされています。「死んではいけないと命令されている。…」とは一言も有りません。 「戦後なき死ー自決の島・1991」の宮平証言シーンの内容  解説(ナレーション) 上陸...
  • (原)(2) 集団自決に関する文献等
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-054 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 (判決本文p143~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (原)(2) 集団自決に関する文献等ア 座間味島について(ア)(梅澤命令説記載文献)* (イ)(梅澤命令説を否定等する文献)* イ 渡嘉敷島について(ア)(赤松命令説記載文献)* (イ) (赤松命令説を否定等する文献)*   第2・2(5)記載の各事...
  • 集団自決などをめぐって
    集団自決などをめぐって太田良博氏遺稿より 「ある神話の背景」論争at沖縄タイムズ1985「沖縄戦に“神話”はない」太田良博 「沖縄戦」から未来へ向って・曽野綾子 「土俵をまちがえた人」太田良博 「沖縄の証言」(上)より 宮城晴美氏 読谷村史5上 沖縄県公文書館サイト 沖縄戦関係資料閲覧室 集団自決の再検討 集団自決などをめぐって 太田良博氏遺稿より 『鉄の暴風』取材ノートを中心に 「渡嘉敷島の惨劇は果して神話か」琉球新報1973.7.11~7.25 「ある神話の背景」論争at沖縄タイムズ1985 論争史ガイド 「沖縄戦神話論争」の時系列 「沖縄戦に“神話”はない」太田良博 太田良博氏の曽野批判:1985年4月8日から10回連載 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(1) 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(2) 「沖縄戦...
  • (原)エ 慶良間列島作戦報告書について
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-111 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(4) 集団自決に関する文献等の評価について (原)エ 慶良間列島作戦報告書について (判決本文p220~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。   第4・5(2)ア(ア)kのとおり, 米軍の「慶良間列島作戦報告書」は, 米軍歩兵第77師団砲兵隊が慶良間列島上陸後に作成したとされ, 米国国立公文書館に保存されていた資料であって, その資料価値は...
  • 沖縄タイムス 元隊長の請求棄却/「集団自決」訴訟
    http //www.okinawatimes.co.jp/day/200803281700_01.html 2008年3月28日(金) 夕刊 1面 元隊長の請求棄却/「集団自決」訴訟 軍命に真実相当性/大阪地裁「深く関わった」  沖縄戦時に座間味、渡嘉敷島で起きた「集団自決(強制集団死)」は戦隊長が命じたとする本の記述をめぐる「集団自決」訴訟の判決が二十八日午前、大阪地裁で言い渡された。深見敏正裁判長は、大江健三郎氏(73)の「沖縄ノート」について、座間味島の戦隊長だった梅澤裕氏(91)と渡嘉敷島の戦隊長だった故赤松嘉次氏への名誉棄損の成立を認めず、原告の請求を棄却した。梅澤氏が住民に「集団自決(強制集団死)」を命じたとする「太平洋戦争」(故家永三郎著)の記述にも真実相当性を認め、原告梅澤氏の訴えを退けた。原告側敗訴の判決で、梅澤氏らは控訴する。  判決は、梅澤氏...
  • k 「米軍の慶良間列島作戦報告書」(昭和20年)(ha)
    通064 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(ア)(梅澤命令説記載文献) k 「米軍の慶良間列島作戦報告書」(昭和20年)(ha) 米軍の「慶良間列島作戦報告書」は,米軍歩兵第77師団砲兵隊が慶良間列島上陸後に作成したとされ,米国国立公文書館に保存されていた資料であり,平成18年夏,関東学院大学の林教授によって発見された。林教授によれば,この報告書には, 「尋問された民間人たちは,3月21日に,日本兵が,慶留間の島民に対して,山中に隠れ,米軍が上陸してきたときは自決せよと命じたとくり返し語っている」 との記述があり,座間味村の状況について, 「明らかに,民間人たちは...
  • 鉄の暴風・悲劇の離島・集団自決
    鉄の暴風―沖縄戦記 第2章 悲劇の離島 一 集団自決 1950年8月15日 初版発行 1993年7月15日 第10版第1刷発行 2001年9月13日 第10版第3刷発行 沖縄タイムス社 第2章 悲劇の離島一 集団自決1 2 二 運命の刳舟 第2章 悲劇の離島 一 集団自決 1 設営隊の球一六七〇部隊(約一個大隊、兵員一千人)が引揚げてから、慶良間列島の渡嘉敷島には、陸士出身の若い赤松大尉を隊長とする、海上特攻隊百三十人と、整備兵百二十人、島内の青壮年で組織された防衛隊員七十人、設営隊転進後配備された朝鮮人軍夫約二千人、それに通信隊員若干名が駐屯していた。この劣勢な戦力に、男女青年団、婦人会、翼賛壮年団員などが参加した。三月二十五日、未明、阿波連岬、渡嘉敷の西海岸、座間味島方面に、はじめて艦砲がうち込まれ同日、慶良間列島中の阿嘉島に、米軍が上陸した。これが沖縄戦...
  • @wiki全体から「集団自決の島――沖縄・慶良間25年目の暑い夏」で調べる

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