成育史

小学校入学以前

言葉を話し始めた2~3歳児ごろから「記憶力は良いが、頭が固い」と言われていたように記憶しています。子供向けの迷路やパズルを集めた本を解いていたときのことを覚えています。迷路を解いていたとき、立体交差として描かれている部分の下側を「行き止まりになっている」と解釈してこの迷路は解けないと言ったことを覚えています。母親からこれはくぐり抜けられるのと説明されても「迷路では線が引かれている部分は行き止まりである」ということに固執し、しばらく納得しませんでした。最終的にはくぐりぬけることに納得しましたが、その際、なぜかハサミを持ってきて立体交差のところに切り口を入れました。

小学生

父の仕事の関係で1~2年生のころに渡米しました。このときに現地の学校の教師から「この子は自閉症ではないか」と言われました。休み時間に誰とも遊ぼうとせず、空想にふけりながら延々と校庭を走り回っていたことが原因だったと思います。検査は受けましたが、確定した診断は出ませんでした。
小学3年生のころに帰国しました。忘れ物が多いこと、授業中にデイドリームに耽っているということを担任から指摘されました。
授業中に空想に耽るときは座りながら外を見ていました。休み時間など自由にできるときには、走り回る、ぴょんぴょんと跳ねる、廊下をうろうろするなど体を動かしながら空想にふけりました。
自宅では、テレビアニメの主題歌が流れているとき、そのアニメについて空想をふくらましながらぴょんぴょんと飛び跳ねました。家族からは踊っているように見えたようです。おかしいとは言われましたが、体を前後にゆすって「何をしているか分からない」と言われるよりはマシであったため、この行為にのめりこむようになりました。

中学生

デイドリームよりも、授業中に当てられていないのに発言するなどの行動が多くなったのを覚えています。また、挙手して当てられてから冗談を言ったり意見を言ったりしました。それが個性であると考えていたということもありますが、何か思いついたことがあるとそのことで頭がいっぱいになり、空想や思考の世界に飛ぶか、そとに向かって発言するかのいずれかでした。
中学2年生のころにいわゆる神戸連続自動殺傷事件(酒鬼薔薇事件)が起こりました。加害者の少年はADHD(注意欠陥多動性障害)であると報道されました。このとき初めてADHDについての記述を見たとき、直感的に自分もこの障害ではないか、と考えました。しかし成人までに自然に治ると書かれており、なんとかなると考えていました。

高校生


中堅の私立高校に通いました。有名私立大学の理工学部に通っていた兄に数学を見てもらったとき「お前は頭が良い」と言われました。私自身、大学受験を希望し勉強しましたが、どうしても集中力が維持できませんでした。最終的に日本大学商学部に進学しました。父から見るとまったく勉強しているようには見えなかったのか「あれだけ勉強しないで大学に入れること自体がすごい」などと言われました。

大学生


(書き途中)

大学卒業以後


(書き途中)

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2010年08月01日 08:42