神戸連続児童殺傷事件とは、1997年に複数の児童が殺傷された事件。被害者が14歳の中学生であったことから社会に衝撃を与えた。
逮捕された少年は、将来の夢をテーマとした作文に「火葬場の番人」という不気味なことを書く一方で、友人には、自動販売機を並べてその収入で生きていく、というようなことを語ったといいます。そこにまっとうな社会人として働く姿はありません。私はそこに、就労への不安感を見出すのです。
少年が地元新聞社に送りつけた犯行声明文には、趣味である殺人を通じて義務教育に対する復讐をするという内容が書かれていました。少年の逮捕後に開かれた裁判所の審判では、動機として「性的サディズム」が指摘され、少年が「趣味」と称した殺人が性的な欲求に基づくものであったことが明らかになっています。
殺人に対して性的な欲求を抱いたとしても、それを実行するにはいくつもの心理的な障壁があります。社会人として生き生きと働く姿を想像することができれば、それによって得られるものと殺人で逮捕されるリスクとを天秤にかけるでしょう。私は逮捕された少年の「天秤」を狂わせたものに、ADHDによる自己評価の低さがあると考えています。
そういえばサカキバラ事件冤罪説というのがある。現場の状況など興味深い指摘も多いが「あんな文章を中学生が書けるはずがない」「同時期の作文と全然違う」という指摘には納得できない。パソコンを使うと文体が別人になるよ、と言っておく。
だいたいサカキバラ冤罪説を唱えるジイサマたちに「中学生のころにパソコンを使って文章作成した経験」があるひとっているんかしら。僕は自分の読者経験を精一杯生かして「大人の文章のパロディ」を作成・印刷してゲラゲラ笑ってた記憶がある。
実は先日、図書館の棚を見ていたらサカキバラ冤罪説の本しか置いてなかったので少し腹が立っている。図書館って意外に偏ってるよなー。
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最終更新:2010年09月24日 10:20