思うに、知識偏重、詰め込み教育の時代にあっては、注意力、集中力を維持することに困難があったとしても、最終的に成績がよければ就職(採用)に困難はなかったのではないでしょうか。授業中にぼんやりとしていても、あとで教科書や参考書を読み直せばカバーできる。知識偏重の教育というのはそういうものです。注意力、集中力を維持することの困難は、企業への採用後に発現するものだったのだと思います。
企業が知識よりも実務能力を重視するようになり、また教育がそうした企業の要請に応えようとするようになった。その結果、注意力、集中力を維持することに困難のある児童・生徒は、教育のなかで深い挫折感を味わう可能性が出てきたのだと思います。観点別評価の導入により授業中の態度を示す平常点が明確になったともいいます。
注意力、集中力を維持することに困難のある児童・生徒には適切なケアが必要でした。しかし、そうした体制の整備はあきらかに遅れたと思うのです。ADHDの当事者とその家族会が設立されたのは、1998年。逮捕された少年がADHDであることが報道されてからおよそ1年後のことです。このとき逮捕された少年は、義務教育の年限を過ぎていました。通常の学級に通いながら週に何時間か特別支援学級で指導を受けることのできる「通級制の弾力化」が行われたのは2006年のことです。仮に少年が殺人を犯さなかったとしても、このときには大学を卒業する年齢になっていたはずです。すなわちこの世代のADHD児は義務教育を修了するまで民間レベルでも支援がなく、大学を卒業するまで国家レベルでの支援がなかったということになるのです。
最終更新:2010年08月01日 08:41