ブレトランド異聞奇譚 第2話(BSanother10)「魔法の深淵にようこそ」
※注
このセッションログには「魔法探索RPG ロスト・メモリア」の世界設定に関わる重要な記述がありますが、同書に記載の世界設定以外の部分は、あくまでもGMの個人的な解釈です。
「魔法探索RPG ロスト・メモリア」の公式としての解釈を示すものではありませんので、ご注意ください。
混沌の大陸、アトラタン。
この世界の住民たちは、混沌(カオス)と呼ばれる不可思議な力と隣り合わせで生活を送っている。
混沌は時に、異なる世界から、このアトラタンに来訪者を呼び寄せる。
ある時は、絶大な力を持つ神々の世界から。
ある時は、妖精たちの住む幻想の世界から。
そういった数多の異世界の1つに「ロスト・メモリア界」と呼ばれる世界がある。
この世界を一言で説明するなら、「魔法探索の世界」といったところか。
少し、この異世界の話をするとしよう。
かつて、「ロスト・メモリア界」では、非常に魔法技術が発達していた。
彼らは、時代と共に研鑽を重ね、生み出した魔法を記録し、伝えてきた。
とりわけ、魔法の発達の助けとなったのは、「世界叡智の結晶」と言われる塔である。
魔法使いたちの持ちうるあらゆる魔法の知識を詰め込んだ、「世界最高の図書館」といったところだ。
どんな魔法も広く共有され、更に彼らの用いる魔法は高度に、複雑になっていった。
だが、その魔法文明は唐突に終焉を迎える。
「世界叡智の結晶」が、原因不明の崩壊を起こしたのだ。
長年積み重ねてきた魔法研究の成果は、一挙に失われた。
塔の跡地には、地の底まで続いているかのような巨大な穴が残された。
塔に収められていた筈の魔法が漂うこの穴を、残された魔法使いたちは「メモリアの遺産(ロスト・メモリア)」と呼んだ。
だが、魔法使いたちは、あきらめなかった。
「メモリアの遺産」の周囲に街を作り、この大穴を探索し、少しずつでも、古の魔法を拾い上げていくことにしたのである。
ゆえに、この世界は魔法使いたちによる「魔法探索の世界」。
さて、話はアトラタン大陸に戻る。
これから語るは、アトラタンの魔法使いたちと、「魔法探索の世界」が出会ったエピソード。
願いと、夢と、魔法を詰めて。
さぁ、探索の旅を、始めよう!
カラン・リキュリアは、エーラム魔法大学に通う学生である。
彼の実妹であるアイリス・リキュリアは、同じくエーラムに通い、同門リキュリア家の妹弟子でもある。
魔法の才能はあまり遺伝することはないとされており、彼らの様に実の兄弟姉妹で魔法師となる例は珍しい。
兄であるカランは基礎魔法学部を既に修了し、現在は専門課程を学んでいる。
彼が特に得意とするのは、星の運行をもとに術式を組み上げ、用いる魔法だ。
今日も授業を受けていた彼のもとに、急報が入った。妹であるアイリスが授業中に倒れたというのだ。
アイリスは現在、基礎魔法学部で学んでいる。そろそろ教養の授業だけでなく魔法実技を学び始める段階の駆け出し魔法師だ。
確か、今日は初めての魔法実技の授業があると言っていたはずだ。
いったい彼女に何があったのだろう。
カランが急いでエーラム内の医療施設に向かうと、そこには錬成魔法学部の高等教員であるロウン・F・ガイソン師が待っていた。
錬成魔法師が作成する薬品類は、生命魔法と並んで魔法による治療の要とされることから、錬成魔法師が治療にあたることは少なくない。
だが、ロウン師はエーラムでも指折りの錬成魔法師だ。一生徒でしかないアイリスの治療をわざわざ彼が担当している、ということに嫌な予感がする。
「ロウン先生!」
「アイリスは、大丈夫でしょうか?」
「おお、待っておったぞ。カラン君だな。」
「ふむ、ひとまず命の心配はない。だが、状況はあまり良くはない。」
「現状を説明しようかの。ついてきてくれ。」
そう言うロウン師に連れられて、カランは病室に入る。
病室のベッドでは、アイリスが目を閉じて横たわっているが、あまり「寝ている」という感じはしない。
どちらかと言うと、「意識を失っている」という印象を受ける。
「魔法実技の授業で、ごく簡単な初歩魔法を使おうとした瞬間に倒れたらしい。」
「実は、似たような症例が異界の文献にある。我々のように魔法を使う文化が発展した「ロスト・メモリア界」という異界があってな。」
ロウン師はカランに対して、アイリスの状態を説明する。
恐らく類似の症例であることは分かっているのだが、その詳細な原因や治療法については未だ分かっていない。
だが、「ロスト・メモリア界」の代表的な地形である大穴が、アトラタンに魔境として投影されているというのだ。
そして、以前ロウン師がその魔境の調査で手に入れた、用途不明の桜色の結晶があり、これをこの状態のアイリスに近づけると僅かに反応するような素振りを見せる。
これも詳細は不明だが、何らかの関わりがあることだけは確実だろう。
「じゃあ、その魔境で調べれば!」
「気持ちは分かるが、そう慌てるな。」
「君のような学生はもちろん、儂とて、1人で向かってどうにかなるような場所ではない。」
「それなりに準備というものが必要だ。幸いにも、儂ら魔境調査部は、近々その魔境の調査を計画している。」
「僕も、行かせてもらっていいですか?」
「そう言うと思ったよ。」
「儂たちといえど、人手不足は否めぬし、学生と言えど、そこを補ってくれるならありがたい。」
「では、調査の詳細はまたこちらから連絡させていただこう。」
言って、ロウン師は病室から退室しようとドアノブに手をかけた。
その時…
…ロウン師の腰のあたりから、「グキッ」っと嫌な音が響いた。
「え!?」
「ロウン先生、大丈夫ですか!」
「うぐっ、大丈夫、…じゃない…な…、医者を、呼んで…」
「え、お医者さん、お医者さんはいらっしゃいませんか!」
幸いにも、ここは病院だったので、すぐにロウン師は治療を受けることになった。
しかし、どう考えても、言っていた魔境探索には間に合いそうもない。
アイリスの回復が懸かった重要な魔境探索は、こうして、ロウン師不在で進むこととなったのである。
Opening.2. 魔法師協会魔境調査部
エーラム魔法師協会の中で最大の組織は何といっても魔法師たちの教育機関であるエーラム魔法大学だが、魔法師協会が管理する組織はそれだけではない。
その中に、魔法師協会魔境調査部という組織がある。
この世界には時折、大規模に混沌が収束し、混沌濃度の極めて高い領域が発生することがあり、魔境と呼ばれている。
魔境の発生に際しては、多くの場合、現地の領主や契約魔法師が対応にあたる。
だが、それだけでは手に負えない大規模な魔境や特殊な魔境もあり、そういったものについてはエーラムが手助けすることになる。
そのための部署が魔境調査部だ。アトラタン中にある魔境は数多く、常に人手不足に悩まされる部署だが、探索の最前線では新たな発見も多い。
ナオミ・ハルカスはそんな魔境調査部に所属する若手の魔法師である。
生命魔法学部の中で、魔法師でありながら身体強化の魔法を用いて白兵戦を行う常盤系統と呼ばれる魔法を学び、卒業後は契約魔法師の道も教員の道も歩まず、魔境調査部でエーラムの魔法師としての進路に進んだ。
彼女のような常盤系統の使い手は、あまり魔法師らしくないとも言われがちだが、こと魔境調査部に関してはそういった前線で戦う技能が必要な場面も多く、それなりに適任の道だったともいえる。
そんなナオミに緊急の連絡が入った。
魔境調査部の部長、すなわち彼女の上司であるロウン・F・ガイソン師が腰を痛め、入院したとのことである。
(はぁ…)
溜息をついて、ロウン師の病室に向かう。
ナオミの姿を見かけると、ベッドからそちらを向いて、声をかける。
「ああ、ナオミくんか…」
「あの…、ロウン先生、これは一体…」
「そ、それは、まぁ、儂も60すぎだし、こんなこともあると…痛っ!」
「ああ! もう、無理なさらないでください!」
どうやら、ロウン師の腰の状態はあまり良くはなさそうだ。
もちろん、世界最高の英知が結集するエーラムの施設で治療を受けているのだが、例えば老衰に通常の回復魔法が効かないのと同じで、案外こういうのは魔法でどうにかするのは難しかったりする。
「それでの、ナオミくんに頼みたいことがあるんじゃ…」
「とある魔境の探索を計画しておったんじゃが、儂はこの通り行けなくなってしまっての。」
「頼む、儂の代わりに探索チームを率いて行ってきてはくれないか。」
いわく、カランに対して期待を持たせた手前、探索を延期にはしたくないとのことだ。
ナオミとしても、ロウン師の代わりが務まるのかは疑念に思いつつ、その理由を聞いては無下に断ることもできない。
「分かりました。何とかしてみます。」
「ありがとう。ナオミくん。」
「そこの棚の上にポーチがあるじゃろう。それを持って行ってくれ。」
言われてナオミが棚の上から出したポーチは、魔力を持ったアーティファクトのように見える。
これは、マジック・ポーチ。魔境で見つけた珍しい物品を大量に持ち運べるように、見た目以上の大容量の物が入るように作られた魔法のポーチだ。
ロウン師が探索に出かける時は欠かせない一品だ。
「そのポーチがいっぱいになるくらい、魔境で様々な発見があることを、願っている。」
この状況でまず第一に魔境探索の成果に期待するあたり、この老教員はやはり根っからの冒険者であるらしい。
そんな彼からポーチを受け取り、ナオミは魔境探索の準備をするため、病室を後にした。
Opening.3. 疑惑と期待
ラテ・ミロワールはエーラムの教員である。
エーラムの教員としては若手の方で、穏やかで優しい人柄から、生徒からは人気がある。
また、魔法の使用に伴って副作用の発生する体質を持つ生徒たちに対して、その原因や治療法の研究を行っている。
ちなみに、彼もまた、珍しい「実の兄弟姉妹で魔法師」という例であり、双子の姉であるテイン・ミロワールもエーラムの教員を務めている。
彼女は異界のゲーム文化を研究していることで知られている。
そんな彼の研究室の扉をノックする音が響いた。
「はい、どうぞ。」
ラテの返答を聞いて、部屋に入ってきたのは意外な人物だった。
エーラム魔法大学の高等教員、フェルガナ・エステリアだ(下図)。
もちろん教員同士ということと、ちょっとした事情があって面識はあるのだが、専門も全然異なるラテの研究室まで訪ねてくるのは珍しい。
その姿を見て、ラテも驚く。
「フェルガナ先生!?」
「どうされたんですか、今日は?」
「ああ、ラテ先生に頼みたいことがあってな。」
「フェルガナ先生が、俺に?」
フェルガナは、多数の系統の魔法を高度なレベルまで使いこなす非常に優秀な魔法師として知られている。
魔法大学での立場も、高等教員であり、通常の教員であるラテより高い。
そんなフェルガナが、わさわざラテに頼みに来ること、とはいったい何なのだろう。
「まあ、魔法師なんてものはな。それぞれ専門分野もあるんだ。」
「自分より適任と思う者がいるなら、任せるのが良策だろう。」
そう前置きして、フェルガナは説明を始める。
初めに、鞄から1冊の本を取り出し、机の上に置く。
表紙に綴られた題名は、「混沌無き世界を作る理論」。著者はミゼス・ティアーという人物だ。
ラテも、この本には見覚えがあった。
異世界から世界を丸ごと召喚し、混沌が存在するというアトラタンの理そのものを塗り替えることで、その領域から混沌を消滅させることができる。
そんな内容が記された本は、基礎的な術式部分については良く書かれているものの、本当にそんなことが可能なのかという点について、魔法師たちからの意見は大半が「しょせん与太話」といったところだったはずだ。
なぜ今さら、フェルガナがこのような本を持ってきたのか?
「本の中身自体は、私も与太話だと思うんだがな。」
「ええ、この本の通りに異世界を投影しても、それは結局混沌でしかないはず…」
「だが、実は最近、とある魔境で「混沌の気配のしない投影体」が目撃されたという報告があってな。」
「魔法師協会の偉いさんが、この理論と関係あるんじゃないかと噂している。」
「それでな、魔境調査部が近々調査に向かうんだが、それに同行できる教員を探しているんだ。」
「もっとも、探索リーダーのロウン師は現在、腰を痛めて入院中なんだがな。」
「ええー!」
「ま、まあ、ロウン先生もお年ですから、そういうこともありますよね…」
ロウン師の状態は仕方ないとして、なるほど、一応の事情は理解した。
だが、まだ疑問は残る。なぜ、わざわざ他の教員ではなく、ラテなのか?
特段ラテは魔境探索が専門分野な訳ではない。
顔に浮かんだ疑問を読み取ったかのように、フェルガナが話を続ける。
「そこで、なぜキミかという話なんだが。」
「正直、ここまでの話はエーラムの教員なら誰でもいい雑務でな。ここからがラテ先生の力を借りたいところなんだが。」
「以前、うちの娘のことについて、ラテ先生に相談したことがあっただろう。」
フェルガナが言っているのは、彼女の門下で魔法を学んでいるエステリア家の三姉妹の次女、ルナ・エステリアのことだ(下図)。
ルナは、魔法を使用するとき、特に魔力の消費の大きい大規模魔法を使おうとすると、赤い火花のような幻覚症状を起こす、という体質がある。
彼女はそれゆえ錬成魔法師の道に進むことになったのだが、それでも魔法師としては決して小さくないハンディキャップだ。
そこで、以前フェルガナは、魔法の副作用について専門に研究しているラテのもとを訪れたことがある。
「ええ、ルナさんのことですよね。」
「そうだ。そして、その症状が、今回の探索に関わっているかもしれないのだ。」
「これは、時空魔法での予言によるのだが、まあ、時空魔法の常で、詳細は未だ分からない。」
「ただ、何らかの関係がある。ということだけが分かっているんだ。」
それで、魔法に伴う副作用の専門家であるラテに白羽の矢が立った、という訳である。
「なるほど。ルナさんの副作用はできるなら俺も治してあげたいとは思っています。」
「今は、エーラムにはいないようですが。」
「そうだな。全く、今頃どこで何をしているのだか。」
「フェルガナ先生もご存じないんですか?」
「たまに連絡はしてくるぞ。だが、本当にたまにだ。」
「まあ、私なんぞより、あいつが本気で興味を持つ者がそばにいるからな。仕方ない。」
「はぁ…」
この時、ルナは姉弟子のカナン・エステリア、それからフェルガナの護衛騎士であるハインリヒと共にコートウェルズ島にいる。
ルナはハインリヒに好意を寄せ、つい最近、彼に一世一代の告白をしたところなのだが、そこまでの詳細は、ラテはもちろんフェルガナも知らない。
(参照:
ブレトランド水滸伝 第12話「天魁之参 ~恋の歌、愛の夢~」)
「ろくに連絡も寄越さが、だからといって、あいつが私の大切な娘であることに変わりはない。」
「あいつが悩んでいることをどうにかする術があるのなら、出来る限りどうにかしてやりたいとは思う。」
ちなみに、この後フェルガナは心の中で、(…恋愛沙汰は出来る限りの内に入らんがな。)と付け加えた。
どちらにせよ、ラテとしてもそういう事情があるなら、断る理由はない。
魔境探索は専門外だが、その代わり、魔法の副作用研究についてはスペシャリストだ。
「もちろん、承らせていただきます。」
「ああ、君ならそう言ってくれると思っていた。ありがとう。」
こうして、ラテ・ミロワールが「メモリアの遺産」探索チームに加わることとなった。
Opening.4. 進級の行方
デレック・メレテスはエーラム魔法大学に通う学生である。
名門であるメレテス家の一員であり、魔法大学の専門課程では呪術の類を特に学んでいる。
その分野においては、時に教員も舌を巻くほど深い知識を持ち、扱いの難しいとされる呪術を使いこなすのだが、彼には大きな欠点があった。
あまりに自分の好きな研究に熱中しすぎたゆえに、それ以外の分野の単位を数多く落としてしまったのである。
ある日、デレックが久々に研究室を訪れた。
自室で呪術の研究に没頭していた彼がメレテス家の研究室に来るのは、実に1週間ぶりである。
その時、自身に貸し与えられたデスクの上に1枚のメモが置いてあるのが目に入る。
「進級について重要な話がありますので、至急教員室に来てください。 ルファ・メレテス」
ルファ・メレテスというのは、デレックの指導教員である女性である。
エーラム魔法大学を卒業して教職の道に進んだ新米教員であり、専門は生命魔法である。
デレックは、メモを見なかったことにしようかとも思ったが、嫌な予感がして、教員室に向かう。
「失礼します。デレックです。」
「あ、デレックくん! ようやく来てくれたのね!」
「えっと、メモは見た?」
「…さっき、見ました。」
教員室に入ってきたデレックの返答を聞いて、ルファは頭を抱えた。
どうやら、あのメモは長らくデレックの机の上に、無為に放置されていたようだ。
「すいません。新作の呪具の開発に忙しくて、部屋から出てなくて。」
「え、待って。」
「新作の呪具の開発で引きこもっていた、ってことは、その間の授業は?」
「たぶん有ったんじゃないですか?」
ルファはさらに頭を抱える。
「今年、進級するためにあと必要な単位の数って、知ってる?」
「数えてないです。」
「えっと、デレックくん、このままだと、キミ、留年します。」
「え?」
「でも、先生。呪法の単位、完璧にとっていますよ?」
確かにデレックは呪法や魔法具の授業は取れるものはほぼ全て取り、そのいずれも優秀な成績を収めている。
だが、問題は、呪法なんていうニッチな分野の授業は進級・卒業の単位としてカウントされるのはせいぜい数単位。
彼が積み重ねてきた単位の大半は、単なる余剰単位でしかないのである。
「…状況を説明します。」
一周回って冷静になったらしいルファ先生が、デレックに現在の単位状況を説明する。
まず、進級・卒業のためには、これから心を入れ替えて大量の授業に出なくてはいけないこと。
その上で、それでも時間割の都合で取れない必修単位があること。
であるので、まず進級の第一条件としては、その単位「魔法実習」を授業に依らず、取らなくてはならないこと。
そこで、魔法大学の規定集から、単位互換制度のページを開く。
記載されていた内容は「魔法実習」の単位については、「エーラム所属の魔法師として魔境の探索等、魔法師としての活動に特別の功績のあった者については、この履修を免除する。」とあった。
「つまりは、授業以外でこの単位を取れるんです。」
「授業出なくていいんですか!」
「…この授業に毎週出る手間と、ここで集中的に取る手間を比べれば…」
「…じゃあ、やります!」
「本当に事態が分かってますか?」
疑わしそうな目線を向けながらも、ルファは続いて、1枚の依頼書を取り出す。
魔境調査部からの探索メンバー募集の依頼だ。
これに参加してくれば、単位互換の要件としては十分だろう。
「それじゃ、行ってきます。」
こうして、デレック・メレテスが「メモリアの遺産」探索チームに加わることとなった。
Opening.5. 結成!「メモリアの遺産」探索チーム
エーラム魔境探索部に宛がわれた一室。
今日は、今回の魔境探索に際して、メンバーの顔合わせが行われることになっている。
探索のリーダーとして、皆を迎える立場であるナオミは、集合時間早めにこの部屋にやってきた。
部屋に入ると、見慣れない人物の姿が目に入る。
室内のソファーでうつらうつらと船を漕いでいる少年は、おそらくエーラムの学生だろう。
もしかすると、今回の探索のメンバーなのだろうか?
なぜか、集合時間よりかなり前にこの部屋に来て、堂々と寝ているだけで。
「あのー、キミ、起きて。」
「何でここで寝てるの?」
「ここに行けって言われたので。魔境探索のことで。」
やはり探索のメンバーだったらしい。
「ああ、なるほど。よろしくね。」
「はい、よろしくお願いします。」
集合時間が近づき、次に部屋に現れたのはカランだった。
「失礼します。魔境探索部の部屋はここで合ってますか?」
部屋に入って、ナオミとデレックの姿を見かける。
デレックは、学内でも(悪い意味で)目立っていることもあり、カランはその顔に心当たりがある。
「…あ、全部(単位を)落とした人だ…」
正確には、全部落としたわけではないのだが、人の噂には尾ひれがつくのが常である。
デレックも、その点だけは否定する。
「いや、全部は落としてないですよ。」
「あれと、それと、あとあの実習と…」
「でも、それ、全然足りてないよね!」
「呪法の単位は全部取ってるよ。」
そんな会話をしている中、最後のメンバーが部屋を訪れた。
ラテ先生が部屋に入ると、学生2人が単位の話で盛り上がっていた。
その学生には見覚えがある。
「あれ、デレックくん?」
「ずっと休んでいたって聞いたけど、体は大丈夫なのかい?」
「あ、体調が悪い訳じゃないので大丈夫です。」
「え?」
どうやら、ラテは、ほとんど授業に現れないデレックのことを「体調が悪くて授業に来れない学生」だと誤認していたようである。
その実態は、ただただ自身の研究に熱中した結果、授業に出なくなっただけなのであるが。
「いや、この新作の呪具を作っていたら、気付いたら1週間…」
「あー、キミはつまり、そういう研究が好きな人なんだね。」
呪具を取り出して話し始めた瞬間、瞳が楽しそうに輝き始めるデレックを見て、ナオミは納得した。
デレックほど極端な例は珍しくとも、エーラムには往々にして、こういう研究好きの人間は存在する。
「でもね、デレックくん。とりあえず卒業しないと、本格的な研究もできないんだよ?」
「それ、さっき知りました。」
「「「え?」」」
3人分の驚きが重なった。
気を取り直して。
「キミは、ナオミさんだよね。」
「今回の魔境探索のリーダーって聞いたけど。」
「ラテ・ミロワールです。よろしく。」
「ラテ先生、お話はかねがね伺っています。」
「若輩者ですが、どうぞよろしくお願いします。」
ちゃんと、普通の顔合わせも行われていたことを、ここに申し添えておく。
魔境「メモリアの遺産(ロスト・メモリア)」探索開始当日。
探索チームの面々は魔境の入り口、大穴のふちに立っていた。
ここから斜面に沿って降りていくことになる。
もちろん、ただ大穴を辿って降りていくだけではない。
投影元である「ロスト・メモリア界」の大穴がそうであるように、この奥はエリアごとに異なる変質を受け、様々な障害が行く手を阻んでいる。
ある場所は、魔法人形たちが護る遺跡であったり。
ある場所は、灼熱と乾燥が体力を奪う荒野であったり。
またある場所は、海水に満たされていることすらあるのだ。
入り口から最も近いエリアは、鬱蒼とした森になっていた。
直接的な危険度は、この大穴の中では低めなものの、木々に覆われた道なき道は迷いやすく、油断はできない。
まずは、この森を抜けるところからだ。
探索チームの皆は、「メモリアの遺産」への探索を始め、森へと分け入っていった。
森は外から見た予想の通り、同じような風景ばかりが続き、方向感覚を狂わせてくる。
進むごとに、おや、ここは先ほども通ったような…、と思えてくる。
魔境調査部の一員であり、こういった探索にはこのメンバーで最も慣れているナオミを中心に、慎重に方向を見定めながら進んでいく。
しばらく進むと、木々の開けたところに出た。
どうやら、ここは広場になっており、中心には泉があるようだ。
近付いていくと、泉を中心に、きらきらと光る蝶が無数に舞っている。
水面の煌めきと反射しあうその光景はとても幻想的だ。
「こんな所もあったんですね。」
「あの蝶って何かの素材になるのかな?」
残念ながら、この蝶は単に綺麗なだけで、特段価値は無さそうだった。
その代わり、足元に小さな欠片が落ちているのを彼らは見つける。
灰色に少しくすんだような透明の欠片だ。わずかに魔力を帯びているように思える。
こちらの方は詳細不明だが、もしかしたら何かに役立つかもしれない。
ひとまず、この欠片は鞄に仕舞っておくことにした。
さらに進んでいくと、植物のようなものが道を塞いでいるのに気が付く。よく見ると、絡み合う茨の塊だ。
脇道を探そうにも、木々が鬱蒼としすぎて、この茨を切り開いた方が早いように思える。
率先して作業をしようと、探索用のナイフを持って、ラテが近付くと、違和感に気付く。
茨の先端が、うぞうぞと動いているのだ。血のように真っ赤な花もまた、彼らを睥睨するかのように向きを変える。
そう、この茨は、意志を持って動いている。
そして、今、この茨の目の前にいるのは、このメンバーの中では直接戦闘能力には乏しいラテである。
が、以外にもラテの対処は的確だった。
茨の初撃を受ける前に、鞄からサッと取り出した薬品瓶を投げ、先制攻撃で茨を沈黙させる。
「ラテ先生、大丈夫ですか?」
「何とか、植物に強いポーション持ってて良かった…」
「うん、みんなに怪我がなくて良かったよ。」
慌てて駆け寄ってきたナオミに対して答える。
魔境探索は専門外と言えど、ここで的確に対処できたあたり、さすがはエーラムの教員といったところだろう。
探索初日も終わりかけた頃。
再び、森から視界が開けた。
どうやら、森エリアを抜けきったようだ。
だが、次のエリアに向かうためには最後の障害があった。
森を出たところで下りの崖になっており、ここを降りていかないと先に進めないようなのだ。
魔法師ゆえ、基本的に崖の上り下りなどは不得手だが、何とか道具や魔法の
サポートを受けて全員が崖を降りきる。
そうしたところで、日は傾き辺りは徐々に暗くなってきた。
目の前には、「メモリアの遺産」のさらに奥に続いていると思しき洞窟の入り口がある。
ここから進めば次のエリアだが、ひとまずは新たな危険地帯に踏み込む前に、休息を取った方がよさそうだ。
こうして、探索1日目は、魔境の入り口に広がる森を抜けて、終了となった。
Middle.1.2. 竜の洞窟
翌朝、キャンプを片付けた一行は、周囲を改めて確認した。
背後の崖の上には、昨日抜けてきた森が広がっている。
逆に側は岩場が続いており、少し先に洞窟の入り口が見える。
どうやら、今日はこの洞窟を進んでいくことになりそうだ。
洞窟に入っていくと、すぐに最初の発見があった。
洞窟内のそこかしこに、変わったキノコが生えている。
こういう所で見つかるキノコの類には有用なものも多いが、その見分けは難しい。
むろん、自信がなければ放っておくのが吉だが…
…そこは流石に、探索に来ているチームなだけあった。
植物に詳しいカランと、薬学の知識の深いラテを中心に、キノコの判別を進めていく。
見つけたキノコは、どうやら瞬間的に魔力や筋力を増強し、攻撃の威力を底上げする効能がある「パワーマッシュルーム」のようだ。
これはこれで使い道がありそうなので、取っておくことにする。
一方、ナオミはキノコだけでなく、昨日の森でも見つけた結晶を更に見つけていた。
ひとまず、ポーチにはまだ余裕があるので仕舞っておく。
キノコ地帯を抜けて進んでいくと、しばらく行ったところに脇道があるのが分かる。
脇道の奥には何かありそうだが、なにぶん道が狭く、複数人では進めそうにない。
下手なところを踏み抜くと、周囲まで崩れそうで危険なのも不安要素だ。
こういったところを探索するなら、一番適任なのは恐らくナオミだろう。
脇道に足を踏み入れ、慎重かつ軽やかに歩を進めていく。
すると、道の奥に、キラリと光るものを見つけた。
これ以上奥にも続いてなさそうだし、ひとまずそれを抱えて皆のところに引き返す。
ナオミが拾ってきたのは、鏡張りになっている羅針盤のようなものだった。
使い道はよく分からないが、珍しい異界の物品ではありそうだ。
この探索で役に立つとも思えないが、単純に珍しい物品ということで拾っておいて損は無いだろう。
エーラムに帰ったら、魔境調査部を通して、詳しい魔法師に鑑定をお願いすればいい。
ここまで、この洞窟の探索は順調に進んでいた。
キノコや羅針盤といった成果物も手に入れつつ、着々と奥に進んでいる。
だが、そんな彼らを見つめる小柄な影たちがいた。
シャーッ、と威嚇するような声が洞窟に響いた。
見ると、行く先に、素早そうな小柄なトカゲが現れる。気付くと、後ろにも同じ気配を感じる。
確かに、ロウン師の以前の探索による資料では、この洞窟は「竜の洞窟」と記されていた。
竜と聞いてイメージするには少々貧弱だが(そして、実際竜種としてはかなり下位)、とはいえ、数も多い。
油断せずこのトカゲたちの襲撃を乗り切りたいところだ。
意外と俊敏なトカゲたちの攻撃をさばきながら、連携攻撃で、何とかトカゲたちの撃退には成功する。
探索も2日目に入って、徐々に息も合ってきた、というところだろうか。
「竜の洞窟」の探索も佳境に至ってきた。
洞窟内部に架けられた橋を通って、更に奥に進むと、少しずつ光が見えてくる。
どうやら、出口が近いようだ。
進む先には、少し広めの空間があり、そこが洞窟の出口につながっているようだ。
だが、この「竜の洞窟」最後の番人が、探索チームを待ち構えていた…
出口近くの空間に出た瞬間、突然、さっと周囲が再び暗くなる。
何かが、外からの光を遮ったようだ。
驚いて、そちらを見ると、巨大な生物がちょうど、ズンッと地響きを立てて降り立った。
巨体。
鋭い爪と牙。
頭部から聳える角。
口から漏れ出る紅い炎。
今しがたまで羽ばたいていた翼。
「…ドラゴン?」
そう、魔境で遭遇する数多の敵の中でも、特に冒険譚の華として名高い幻獣。
ドラゴンが、この洞窟最後の障害として、立ちはだかった。
先手を取って動いたのはナオミだった。
常盤系統の魔法を扱う彼女は、魔法師だけのこのチームでは貴重な、前線を維持できる人材である。
一歩前に躍り出ると、剣を振るい、風を纏わせ、斬りかかる。
ドラゴンは翼をはためかせ、飛行によって回避を試みるが、完全に避けきるに至らない。
ナオミの剣が竜の鱗を穿つ。
やや遅れて、ラテが唱えていた魔法を完成させる。
星の並びを用いる魔法の応用で、敵の動きに強力な枷を掛ける魔法だ。
この魔法が、一瞬間に合ったのが幸いだった。
ドラゴンが再び地面に降り立ち、体勢を立て直すと、大きく息を吸い込み、炎の奔流として吐息を吐き出した。
狙われたのは、最初から最前線に立っているナオミ。
周囲にも炎が飛び散り襲うが、流石にそのぐらいなら他のメンバーは炎をいなしきる。
直接狙われたナオミだけは避けきれないものの、直前のラテの魔法で攻撃の勢いが削がれていたこともあり、手に持つ剣で防御し、被害を抑える。
炎を吐ききった隙に、デレックの魔法が飛ぶ。
呪法術に精通した彼もまた、こうした場面で効果的な攻撃手段を持つ魔法師だ。
自身が傷を負っているという条件で発動する呪法を唱え、ドラゴンに撃ち込む。
カランは、戦況を見回し、自身が魔法のために蓄えていた魔力を譲渡する術式を組み始める。
一見地味だが、他の3人が全力で魔法を使うためには、魔力の量も質も必要だ。
そこを細かく調整するというのは、こうした魔法戦では非常に有効に働く。
初撃の応酬が終わり、一呼吸の沈黙。
転じて直ぐに次の一手の構えに移る。
先ほどはどうにかしのいだが、このドラゴンが吐く炎のブレスは非常に強力だ。
そう何発も耐えられるものでもない。
出来れば、撃たせる前に仕留めたい。
ここまでの冒険、先ほど一瞬の戦闘でさらに洗練された連携で、ドラゴンの体力を着実に削っていく。
が、流石にドラゴン、そうヤワでもない。
先ほどと同じ、ちらちらと漏れ出て弾ける炎、大きく息を吸い込むその姿を前兆に…
再び、ナオミに向けて炎の奔流が放たれる。
だが、2回目のブレスということもあって、タイミングをつかんだカランが、的確に防御術式を張る。
かなりのダメージを負うものの、防御術式のおかげでどうにか戦線に立ち続けるナオミに、様子をうかがっていたラテから、回復ポーションのミストが届けられる。
このあたりも、連携が様になってきた。
そして、次の攻撃動作にドラゴンが移ろうとした時。
一瞬早く、デレックの魔法が、既にダメージが蓄積していたドラゴンへの、最後の一押しとなった。
ぐらり、と巨体が傾き、ドラゴンが地に倒れる。
こうして、どうにか、この強敵との遭遇をくぐりぬけたのである。
ドラゴンを倒し、一瞬の安堵が浮かぶ。
が、すぐに皆の表情は警戒へと引き戻される。
洞窟の空間に、どこからか拍手の音が反響する。
一体何者かと見まわすと、どこか透き通ったような印象を受ける、性別不詳の人影が、洞窟出口の方に浮いているのが見える。
脚の先は、空中にグラデーション状に溶けるように消えている。
見ようによっては、幽霊か何かの類のようにも見える。
「いやはや、見事見事だね! この世界の魔法使いたち。」
「キミは、一体…?」
軽い口調で話しかけてくる人影に、ラテが代表して聞き返す。
その疑問に対して帰ってきた答えは、予想を大きく超えるものだった。
「僕の名前は、"メモリア"。」
「キミたちからは「ロスト・メモリア界」と認識されている異界、そこでは、僕は「原初の魔女」と呼ばれている。」
「まあ、平たく言えば、護り神みたいなものさ。」
確か、この大穴の投影元である世界にはそのような存在が噂されている、という。
その存在は、「ロスト・メモリア界」ですら、世界最大級の謎として扱われていたはずだ。
まあ、確かに異世界から神格、あるいはそれに類するものが投影されてくるなんて珍しくはない。
と思ったところで、カランとデレックが違和感に気が付く。
「…混沌の気配がしない?」
「あ、確かに、言われてみれば。」
「そうだね。異世界から来たというなら、混沌の気配がするはずなんだが、キミからは全く感じられない。」
ラテは、ここに探索に来る直前に、フェルガナから、「混沌の気配がしない投影体」の話は聞いていた。
恐らく、このメモリアと名乗る人物がそうなのだろう。
であれば、その理由は知っておくべきだ。
「ああ、それはそうさ。」
「僕は、混沌によって世界に投影された存在じゃないからね。」
「世界同士が繋がったゲートを通じて、ここに来た、正真正銘の「ロスト・メモリア界」の存在さ。投影体じゃないんだよ。」
なるほど、世界同士を直接つなげるなどという離れ業の実現性はともかく、確かに理屈上は、「混沌の気配のしない異界の存在」が存在しうる。
そして、メモリアはさらに話を続ける。
「そう、そしてそれこそが、僕がここにいた理由なんだ。」
「先の火竜を倒すほどの実力を持ったキミたちを見込んで頼みがあるんだ。」
「力を、貸してほしい。」
いったい、異界で「原初の魔女」とも呼ばれる強大な存在をして、探索チームに頼まなくてはならないこととは何かのか。
身構える彼らを前に、メモリアは再び説明を始めた。
「しばらく前にね、何者かが多くの異世界同士をめちゃくちゃに繋いじゃったんだよね。」
「これは、この世界と「ロスト・メモリア界」だけじゃない。」
「数多の異世界を、本当に無秩序なまでにつなぎ合わせていたんだ。迷惑な話だよね。」
話を聞いたラテが微妙な顔をする。
恐らく、以前ミゼス・ティアーという人物が企てたという計画のことだろう。
大事になる前に解決されたと聞いたが、しっかり異世界からは迷惑と思われていたらしい。
「でね。その現象はすぐに解決したんだけど、問題は、「ロスト・メモリア界」の冒険者がこっちの世界に迷い込んでしまったんだ。」
「そのままだと、彼らは帰れなくなってしまう。だから、仕方なく、「ゲート」に楔を打ち込んで固定化したんだ。僕が。」
「ちょうど、こういう親和性の高い土地がこの世界にあったしね。」
「…まあ、おかげで、迷い込んだ冒険者たちとは何とか…話が付いた…んだけど、問題はその楔がちょっと特殊なものでね。」
微妙に言いよどみながら、メモリアが説明する。
わざわざ「帰った」ではなく「話が付いた」と言ったあたりに引っかかりを感じないではないが、どちらにせよ今回の本題ではない。
「楔は、メモリアの系譜、要は「ロスト・メモリア界」の魔法と反発するんだ。」
「つまり、こっちの世界の人じゃないと壊せないんだ。」
なるほど、ようやく言いたいことが見えてきた。
「キミたちには、「世界の楔」を壊してほしいんだ。」
「いつまでも、異世界と繋がりっぱなしというもの、困るだろ?」
確かに、これはこの世界の魔法師としては、どうにかしなくてはいけない問題だ。
引き受けるのはいい。
だが、単なる探索に来たつもりが、とんだ依頼に巻き込まれたものだ、と一行は嘆息した。
ところで、カランとしてはこのような存在に出会えたなら、聞いておかなければならないことがある。
「1つ、聞いていいですか?」
「なんだい?」
「このような症状を治す方法が、「ロスト・メモリア界」にあるって、聞いているんですが?」
この探索に参加した当初の目的はアイリスの治療方法を探すことだ。
目の前にいるのは、「ロスト・メモリア界」でも最上位に近い魔法知識をもつ相手だ。
治療法があるなら、まず間違いなく知っているだろう。この機会を逃すわけにはいかない。
すると、メモリアは症状を聞いてすぐに、あっさりと答えた。
「ああ、それは「魔法回路」の短絡(ショート)だね。」
「人には、魔法を使うための、魔力を通す回路があるのさ。普通、魔法使いは意識して使っていないし、そういう実物がある訳でもない、概念的なものだけどね。」
「その回路が、生まれつき弱かったり、外的な要因で破損したりすると、魔法を使う時に「魔力漏れ」とか「短絡」を起こすのさ。」
「で、その「魔力漏れ」の近くに、感覚を司る部位があったりすると、余計な感覚情報にさらされる。要は幻覚だね。」
いわく、それの程度はかなり人によって異なり、軽度ならば魔法を使うたびに幻覚を呈する程度で済む。
重症の場合は、意識を失い、魔法回路を修復するまで戻らない場合もある、とのことだ。
隣で話を聞いていたラテも納得する。
メモリアが語った、軽度の場合の状態は、ルナの症状そのものだ。
フェルガナの予言もあるし、おそらくルナの幻覚症状も、それが原因で間違いない。
「それで、治し方は…?」
「当然、魔法回路の修復が必要だ。」
「魔法回路は、その人物の記憶、魂といったものによって構成される概念だ。」
「修復の術式はあるが、そのためには、魔法回路に使ってしまう「記憶」が必要だ。」
「…記憶?」
「そうだ。キミたちが拾ってきた結晶があっただろう?」
「それは、僕らが「メモリー・クリスタル」と呼んでいるものでね。記憶を封じ込めることで、桜色の結晶となる。」
「その結晶を材料に、魔法回路を修復するんだ。本人に近い人物、特に良質な記憶であるほど魔法回路の修復に使う時の強度は高い。」
「つまりはね…」
ここまでの内容を総合して、メモリアは告げた。
「アイリスちゃんを治す方法は、キミが何かしらの「記憶」を提供することだということなんだ。」
「…っ!」
「まあ、どちらにせよ、まだキミたちの冒険はもう少し続く。」
「迷う時間はあるさ。」
衝撃的な事実を告げられたカランを前に、メモリアは笑みを絶やさないまま、空中から見下ろしていた。
Middle.2.2. 世界の扉
とにもかくにも、まず次の目標は「世界の楔」の破壊だ。
休憩をはさんだ後、一行は洞窟を出て、メモリアの案内に従って少々移動する。
そこには、不思議な緑色の光を湛えた、石造りの「ゲート」が鎮座していた。
「でね、そう、そこのゲート。」
「ここから先が、キミたちのいうところの「ロスト・メモリア界」って訳さ。」
「一体、誰がこんなの作ったんだか。迷惑なことだよねー。」
このゲート自体を作ったのはミゼス・ティアーという人物なのだが、まあ、そのあたりの責任追及は今の本題ではない。
第一、彼らは知らないが、ミゼスは先の事件の際にボルドヴァルド大森林の奥地で死亡している。
「いやー、ゲートが閉じようとした時に固定化したのは僕だけどねー。」
そう言って笑うメモリアも、実際のところ、誰が作ったのかなんてことには興味はなさそうだった。
「さ、ゲートの楔を壊すのは、向こうからしか出来ないからね。一緒に来てよ。」
「ゲートをくぐること自体に、危険はないからさ。」
「本当ですか?」
「何か引っかかる言い方だなぁ。」
デレックとカランが疑念の目を向ける。
「まあ、ぶっちゃけ向こう側は「ロスト・メモリア界」の中でも結構奥地につながっているからね。」
「それなりに探索の難易度は高いさ。」
「キミたちなら大丈夫さ。大丈夫そうな実力の者たちを、僕はずっと待っていたんだから。」
メモリアの目利きをどこまで信じられるかは微妙だが、どちらにせよ楔を破壊した方がいいのは変わらない。
ゲートをくぐり、一瞬緑色の光に包まれた視界が晴れると、そこは石造りの遺跡のような空間であった。
ここが異世界「ロスト・メモリア界」ということなのだろう。
「さあ、立ち止まっていると、危険が募るばかりだ。」
「大まかな方向は案内しよう。途中の障害はよろしくね。」
そう言うメモリアの先導のもと、探索チームは遺跡内部を進み始めた。
通路は、右に左にと曲がりくねり、時折別れ道もあるが、方向に迷うことは無い。
それはそれとして、防衛機構や純粋なトラップ、危険な野生植物などがあり、警戒せざるを得ない。
ある通路は、植物の蔦や枝に覆われていた。
よくよく探せば有用なものが手に入るかもしれないが、危険な植物もあるかもしれない。
この遺跡に生えている植物など、大概が高い魔力に影響されて良くも悪くも変質している。
慎重に進んでいくと、それぞれ、有用そうなものを見つけていく。
カランは変わった木の実を見つけた。
「ロスト・メモリア界」特有の高い魔力を秘めていそうだし、単純に食料の足しにもなりそうだ。
デレックは通路の脇に見慣れない綺麗な白い花が咲いているのを見かける。
メモリアが横から、「その花は幸運のお守りとされているんだよ」と教えてくれる。
花言葉云々の話はともかく、異世界の珍しい花となれば、それだけで興味はわく。
一番珍しい拾い物をしたのはラテである。
植物で覆われた一角に、小さな砂時計が落ちている。
何だろう?、と思ってみてみると、中には星型の砂がキラキラと浮いているのが分かる。
浮いていては砂時計の意味を成せなかろうとも思うが、不思議なことに一定の速度で星は流れているようだ。
さしずめ「星時計」とでも言ったところだろうか。
ただ、この遺跡の植物は有用な掘り出し物ばかりでもない。
ナオミが通路を抜けようとしたところに、突然弾けた傍らの実から、固い種が弾丸のように襲い掛かる。
運が悪いとしか言いようがないが、とにもかくにも、こうした危険はこの遺跡に満ちている。
歩いていくと、今度は不思議な空間に出た。
足元の石造りの床を踏む感触は残っているものの、周囲の光景はゆらゆらと揺らめ、光る「文字」が浮かんでいるのだ。
メモリアは「ああ、ここか…」と嘆息するように言った。
「ここは、魔法使いたちの残した知識の残滓が流れ着く所だよ。」
「もともと、この世界には、たくさんの魔法の知識を収めた塔があったんだ…」
「それが崩れた時に、残った破片の吹き溜まりみたいなものさ。」
「ちょっと、気になりますねー。」
デレックなどは、異界の記録と聞いて、周囲の文字に興味をひかれた。
その様子を見て、ナオミとラテも加わり、周囲の文字を読んでみる。
そもそも難解な文字列を読んだ反応は、三者三様だった。
ナオミはそもそも専門外だったのもあって、文字を読むことができなかった。
デレックは、文字を読むことは出来たのだが、大量の情報を含む魔法の文字に差し掛かった瞬間、情報量の奔流に呑まれてしまう。
「うわっ!」
大量の情報を流し込まれた衝撃で、その場にうずくまってしまう。
読み解いた上で、過剰情報の罠をうまく抜けて意味を拾えたのはラテだった。
(…世界…英知の塔…更なる発展…)
(…自己進化…術式…無限の魔法…塔の魔法を喰らい…暴走…)
(…暴走…破壊…塔の崩壊…)
つまり、かつてこの世界にあった、世界のすべての魔法を収めた塔は、それらの魔法を元に自己進化する術式を組み上げた途端、無限に進化する術式が暴走したのだ。
自己進化による暴走、分からなくもないことだ。
アトラタンの魔法にも、例えば、高位の錬金術師たちが用いる魔法生命、ホムンクルスがいる。
もし、ホムンクルスが自身より優れたホムンクルスを作れるようになったならば…?
そのような思索、議論は聞いたことがある。
幸いにして、というべきかは分からないが、アトラタンで作り出されるホムンクルスなど人口知性は未だそこまでの域に達してはいない。
だが、もし、そのような日が来たら…?
「まあ、ほら、そういうわけだから、魔法が残ったままじゃ"そいつ"は無限に強くなるだろ?」
「やむなく、世界の魔法全部を、一回おじゃんにした訳さ。」
メモリアがこそっと教えてくれる。
「ま、こういう世界も中にはあるんだよ。」
「キミたちの世界がすぐにこういう危機に直面するとは思わないけど、いずれは気を配らなきゃいけなくなるのかもよ。」
(…アトラタンにも、「混沌爆発」の前には、高度な文明があったという、もしかすると…)
聞いたラテは内心で思うが、あくまで可能性の話でしかない。
もとより、「世界最大の謎に挑む!」というような浪漫と野心に満ちた研究者でもないのだ。
手の届く、救えるところをまずは救いたい。その方がラテの性分には合っていた。
だから、この問題について、これ以上深く考えることも無いだろう。
この遺跡に入ってから、それなりに歩いた気がする。
太陽は見えないが、そろそろ日も暮れるころかもしれない。(とはいえ、こちらの世界とアトラタンの時間が同期している保証は無いが。)
ある通路に入ったところで、防衛機構が警備しているのが分かる。
とはいえ、構造上、ここを突破しなければ、奥へ進めないようだ。戦って、撃破するしかない。
幸い、突然敵が現れた時と違って、戦闘向きのメンバーから初撃を始められる。
まずは、デレックが呪法による攻撃、ナオミが剣撃を仕掛ける。
それぞれ確実に防衛機構にダメージを与えていくが、想定以上にこの装置は頑丈なようだ。
初撃を受けても動き続ける装置は彼らに反撃を与える。
だが、続けて、傷の入った装置に、後詰めからカランとラテの魔法が飛び、破壊に成功する。
床に落ちた防衛機構の砲塔は、今まさに次弾を撃とうとしていたことろのようだ。
間一髪、間に合ったということだろう。
「そろそろ、1日も終わりだよ。」
「ま、これを何とかしたら、ひと休みするぐらいがいいんじゃない?」
メモリアの言葉を聞いて、行く先を見ると、巨大な扉が行く手を塞いでいる。
鍵が掛かっている上に、その巨大さゆえ、鍵を外しても開けるのは容易でなさそうだ。
しかも、厄介なことに、鍵を開けた状態を誰かが保持したままで、力業で扉を押し開けなくてはいけなさそうだ。
こうした時、鍵を開ける器用さにしても、扉を押し開ける力にしても、頼りになるのは常盤系統の魔法師であるナオミなのだが、問題は、流石に1人ではどちらかしかできない、ということだ。
仕方なく、ナオミに鍵を開けてもらい、扉を開けるのは3人で力を合わせることにする。
ナオミが、鍵穴の前でしばらく作業を行うと…カチッという鍵の外れる音がした。
だが、手を離すと鍵が掛かりなおしてしまうらしく、この状態ではナオミは手が出せない。
他の3人で扉を開ける手はずになっていたのだが…
…開かない。
単純に石造りの扉は重く、開かない。
「はー、僕はモノに触れないから助けられないわー、つらいわー。」
メモリアが煽ってくるが、開かないものは開かない。
「…はぁ…はぁ…敗北者…?」
「…取り消せよ、今の言葉…!」
「いや、誰もそんなこと言ってないから。」
メモリアの煽りに対してか、普段引きこもってばかりで力技とは無縁のデレックは、肩で息をしながら言うが、すぐにナオミの冷静な声が飛ぶ。
結局、この扉をあきらめ、迂回路を探すのに長大な時間を費やす羽目になる。
なまじ、この扉を超えたら休もうと予定していただけに、ここでの誤算のせいで、休息の時間がだいぶ遅くなってしまったことも痛手であった。
予定よりだいぶ遅れてしまったが、ひとまず扉を迂回する目途が付いたところで、キャンプの準備を始める。
食事も済み、焚き火のそばに座っていたカランに、メモリアが近づいてきた。
「やぁ!」
「や、やあ、どうしたんですか?」
「いや、キミのことはちょっと気になってさ。」
「ほら、使う記憶、決めた? 決めた?」
「いや、まだ決めて無いです…」
「大事にしている記憶の方が、上手くいきやすいんですよね?」
「ま、そうだね。」
「記憶とか、魂とか、そういうもので魔法の回路って構築されるんだ。」
「その修復に使った時の頑丈さが違うって話さ。」
「木や石で橋を架けることは出来るけど、泥で橋を架けるのは難しいだろ?」
「なるほどね…」
その話を聞いて、カランは再び考え始める。
メモリアは、ふわりと浮き上がって、その場を離れようとしながら言う。
「ま、まだ時間はあるから、ゆっくり悩みなよ。」
「それで、決めたら教えてよ。あ、内容までは聞かないけど。」
「え? どういうこと?」
「あ、単純に人が悩んでるのを見るのが好きなだけ。」
「出した結論に興味なんかないさ。」
「あ、そう。」
どうやら、この「異世界の護り神」とやら。
(ここまでもちらほらと見えてはいたが、)相当にひねくれた性格をしているらしい。
一方その頃、キャンプの別の一角では、ラテとナオミが話をしていた。
話題は、アイリスの症状の治療に必要と言われている「メモリー・クリスタル」のことである。
「ナオミさん、確か、例の結晶、途中で拾っていたよね?」
「その結晶、僕に譲ってくれないかな?」
「ええ、いいですよ。私のところには1つしかないですけど。」
「でも、どうして?」
「ちょっと、別件でね。」
「僕もまた、それが必要になるかもしれないんだ。」
アイリスほど重症ではないが、フェルガナの予言で「関係はある」ことが分かっている以上、おそらくルナもまた、同じ原因なのだろう。
となれば、ルナの治療にも、この結晶が必要だろう。
(とはいえ、ラテはそこまでルナと因縁が深い訳でもないので、この結晶に記憶を込めるのは、別の人の役目となるだろうが。)
ここまでの道程で、時折この結晶は落ちてはいたが、あいにく偶々ラテは見つけられていなかった。
ひとまず、ナオミから譲ってもらえる算段を付けたところで一安心、といったところか。
翌日、彼らが目を覚まし、キャンプの片付けを終えて歩き出したのは、もう昼も近い頃だった。
純粋に、昨日の最後に扉でタイムロスをしたせいで、キャンプの準備がそもそも遅くなっていたせいだ。
それはそれとして、デレックはここまでに見聞きした内容をレポートにまとめていて、そのままレポートに突っ伏すように寝落ちしていたのだが。
やはり生来の、物事に極端なまでに熱中する性格は探索中でも健在らしい。
進んでいくと、昨日も見た揺らめく文字が周囲に浮かんでいる場所に出た。
この近辺では、こうした現象は珍しくないらしい。
とはいえ、文字に記されている内容は同じだし、こうした魔法文字の解読を試みることはリスクもある。
単なる通路と思って、歩を進めていく。
そうして、メモリアが、1つの扉の前で足を止めた。
「さてと、この奥が、例の楔を打ち込んだとこなんだが…?」
扉には魔法によるロックが何重にも掛けられているようだ。
メモリアが基本的な解き方は教えてくれるが、それでも、魔法の細やかな取り扱いは必要だ。
アトラタンのそれとは魔法の基本が一部異なることもあって、なかなか解除は思うように進まない。
そうしているうちに、この日も終わる時間が近づいてきた。
今日は探索を始める時間が遅かったせいで、まだ微妙に不完全燃焼な感があるが、この後で楔の破壊という仕事が待っている以上、眠さをおして無理をするのは得策ではない。
この扉の前で、一度休息を取った方がいいだろう、という結論に落ち着いた。
幸いにも、以前洞窟で手に入れたキノコがある。1日分のタイムロスがあってもどうにか食糧は持ちそうだ。
翌朝、再び扉の解除に挑戦することにする。
時間がかかっていたせいもあって、途中で射撃型の防衛機構に襲われるトラブルもあったが、2回目ということもあって、着実に扉のロックを解除していく。
そして、何重にも掛けられていたロックの、最後の1つを外しきる。
カチッ
「お、いい感じじゃん。これで、あとはこの奥の楔を破壊するだけだね。」
「覚悟しといてね。さっきのとは別格の防衛機構が用意してある。」
「ま、ドラゴンも倒してきたキミたちなら、大丈夫さ。」
そうして、彼らは、「世界の楔」の部屋へと、足を踏み入れた。
そこそこ広い部屋には魔法陣が描かれ、その中央には巨大な楔が突き立っている。
ぱっと見は石製にも見えるが、よく見ると少し透き通っており、内部を光の粒子のようなものが駆け抜けているのが分かる。
とはいえ、ゆっくりと楔を観察する時間は無かった。
「さて、アレを破壊すればいいんだが…」
ガシャン!
メモリアのセリフを遮って、部屋に組み込まれた防衛機構が動き出す。
「ま、そういう訳だ。」
「キミたちなら、切り抜けられるはずさ。そう見込んだ。たぶん。」
「たぶん?」
メモリアの付け加えた一言に不穏な気配を感じながらも、それを追求している暇はない。
楔を破壊し、世界をあるべき姿に戻すための戦いが、始まった。
まず動いたのは支援魔法を得意とするラテとカランだった。
ラテは、皆が扉を開ける時に防衛機構に襲われていたこともあって、手持ちのポーションを使って回復ミストを拡げる。
カランは、攻撃手であるデレックに自身の持つ魔力を譲渡する。
さらに、防衛機構に先んじてナオミが攻勢にでる。
剣を抜き、風を纏わせ、斬撃を放つ。
異界の防衛装置、という相手の特徴が未だ読み切れないところがあるのか、今一つ本来の力が出し切れない斬撃であったが、それでも着実に楔に傷を与える。
デレックもまた術式を組み、攻撃に出る。
敵の生命力を奪い取る呪法だ。たとえ相手が生命体でなくとも効果はある、はずだったのだが…
魔法弾の当たった瞬間、ガキン、と嫌な音がする。
純粋に、運悪く相手の防護が頑丈なところに当ててしまったらしい。
これはまずい。攻撃を与えられていないのはまだいい。
だが、生命力を収奪する魔法を弾かれた、ということは、あてにしていた回復がないまま、敵が動く隙を与えてしまったことに他ならない。
防衛装置の銃口が火を噴く。どうやら、広範囲を巻き込む為の散弾が襲う。
が、範囲を広げた分、威力には劣るようだ。
魔法で障壁を張る、距離を取って躱す、など思い思いにこの散弾をしのぐ。
が防衛装置は別の銃口でのロックオンを同時にする。こちらは今の散弾よりかなり口径が大きい。
標的にされたのはナオミだ。ここで先ほど回復を失敗したデレックが狙われなかったのは幸運といえよう。
散弾を躱した直後であったのもあり、流石にこれは避けきれず、銃撃を受ける。
着弾に合わせて起きた爆発は上手く衝撃をいなすが、それでも無視できないダメージだ。
防衛機構からの射撃が止み、ガシャンガシャンと内部から音が聞こえる。弾丸を装填しているようだ。
その瞬間に再び、今度は先ほどの応酬から学んで、攻撃に出る。
デレックは今度こそ、持てる呪法のほとんどを組み合わせた攻撃を放つ。
自身の受けたダメージを威力に変換する《叛逆の呪法》、攻撃と共に生命力を収奪する《魂喰の呪法》。
複数の呪法を組み合わせた、彼の真骨頂とも言うべき一撃を放つ。
今度は弾かれずに、どころかその一撃は防衛機構に多大な損傷を与える。
つづいて、カランから風の魔力の供給を受けたナオミが、再び剣を振るう。
ナオミの攻撃も、この楔を相手取る勘所が分かってきたのか、先ほどより的確だ。
ラテは、今回は回復が必要ないと見て、ドラゴン戦でも使った星の枷の魔法をかける。
ここで、防衛装置が動く。
先ほどとは違う武装、どうやら銃ではない、と思った瞬間、電撃が放たれた。
攻撃手である2人、ナオミとデレックを巻き込むように放たれた電撃だが、ラテの使った星の枷で威力が減殺されていたことに加え、カランがそこに合わせて張った防壁で、致命的なダメージを避ける。
想定より、楔の耐久性は高かった。
が、探索チームの面々も着実に攻撃を積み重ねていき…
攻撃の切れ間、一瞬空いた時間。
そこを精確に狙ったナオミの剣撃が楔に届いた瞬間。
そこまでのダメージが堰を切ったように、楔にひびが入り、崩れだす。
「お、今のは致命的だったね。」
「後は、勝手に楔は壊れて、世界は分離するよ。」
「さて、世界が分かれる前に、キミたちを元の世界に戻さないとね。」
「こっちだよ。」
メモリアの先導に従って、来た遺跡を駆け戻る。
しばらく走ると、こちらの世界に来た時に使った「ゲート」にたどり着く。
「これで、向こうの世界に帰れる。」
「そうしたら、ゲートが壊れて、綺麗さっぱり元通り、さ。」
「ま、既に投影物として向こうの世界にある大穴は残るけどな。」
「まあ、それは、改めて探索します。」
「あの中には意外と有用な品も多い。折角なら、上手く使ってよ。」
「どうせコピー品だ。こっちの世界の物が盗まれたわけでもないし。」
「…やはり、こちらの世界の事情に詳しい。」
「ま、仮にもカミサマみたいなもんだからね。」
「それも、投影なんて形で本来の力が削がれた訳でもない。正真正銘の本物さ。」
そう話をしているうちに、ゲートに揺らめきが生じてきた。
もうあまり時間もなさそうだ。
「何かと、お世話になりました、メモリアさん。」
「いやいや、世話になったのはこちらの方さ。」
「楔の破壊、ありがとね。」
ゲートの崩壊が近い。
最後に、メモリアが4人に小さな箱を渡す。
「ま、これは僕からのお礼と思って受け取ってくれ。」
「…これは一体?」
「キミたちに必要なものを詰めておいた。」
(…地球世界のおとぎ話みたいだな…)とも思ったが、時間の限界が迫っており、メモリアに詳しく聞く暇はなさそうだ。
メモリアも、「さて、そろそろ行かないと、帰れなくなるよ。」と言って、ゲートへと背中を押す。
ゲートをくぐると、再び視界は緑色の光に包まれた。
アトラタンに帰って来た。
異世界とつなぐゲートはもう無く、ただ投影された魔境には混沌が満ちている。
異世界からの来訪者を迎えることは多々あれど、自らが異世界に行くというのは、魔法師としても珍しい体験だった。
だが、この探索チームの皆は、それぞれに、実りあるものを持ち帰ってきてくれたことと思う。
ここからは、魔法都市エーラムに戻った彼らの、ちょっとしたエピローグ。
Ending.1. メモリアの独り言
やあ、今回は、久々に楽しい日々を過ごせたよ。
彼らに簡単に会えなくなってしまったのは少し残念だけれど。
まあ、わざわざ異世界のなんぞが口を出すのも野暮だから、これでいいかもね。
ん?
彼らに何を渡したのかって?
ああ、あれはね、古の魔法を、特定の魔法じゃなくて「存在する可能性」のまま閉じ込めたメモリー・クリスタルなんだ。
ちょっと難しいかな?
要は、開けた時に、その人が望む魔法が封じ込められて「いたことになる」クリスタルなんだ。
とはいえ、意図して使いこなすのはちょっと難しいけどね。
ま、それでも無意識に欲しがっている魔法ができるから、損にはなるまいよ。
おっと、上手くチャンネルが合ったみたいだ。
僕だって気になるからね。異世界の友人のその後を、ちょっと見させてもらおうじゃないか。
じゃ、異世界の友人に、幸あれ。
Ending.2. 報告
「メモリアの遺産」から帰った後、ラテはフェルガナの研究室を訪ねた。
理由はもちろん、今回の探索で知ったことを報告するためである。
「お、ラテ先生か?」
「魔境探索はどうだった。何か、有意義な発見があったかな?」
研究室にラテを迎え入れたフェルガナに、メモリアから聞いた、魔法回路の破損に伴う症状を解説する。
おそらく、ルナの魔法に伴う副作用の原因も同じであろうこと。
そして、その治療のための手段、そのために必要な結晶のこと。
「結晶は、こうして持って帰ってきたので、差し上げます。」
「そうか、やはり、ラテ先生に頼んでよかった。ありがとう。」
「これはありがたく頂戴するとしよう。」
フェルガナは受け取った結晶を眺めながら、考えを巡らせる。
なるほど、治療のためには記憶が必要、か…
それも、近しい者の方が良いと来た。
とはいえ、それはどういった意味か。精神的なものか、それとも血縁か。
リキュリア兄妹の場合は、どちらにせよカランが最も良いのは変わらないだろうから良い。
だが、ルナの場合となると、少々厄介だ。
…ふむ、血縁でなくても良いなら、私の記憶でも良いだろう。まあ、ルナはアイリス嬢よりは軽度だ。
それほど大仰に記憶が必要となることもないだろう。
だが、血縁となると、な…ルナの実家は…
「どうされました? フェルガナ先生。」
「いや、何でもない。」
「今回の件はありがとう。ラテ先生。」
こうして、報告を終えたラテは、フェルガナの研究室から退室する。
この後、フェルガナのもとに届けられた結晶と、ルナの幻覚の治療については、また別のお話で、語られることとなるだろう。
ま、どちらにせよ、伝えておかなくてはな。
ひとまず、フェルガナはそう考え、娘に連絡を取るため、タクトを握った。
Ending.3. 続・進級の行方
デレックは、エーラムに帰還して以降、自室にこもって「メモリアの遺産」で見つけたことをまとめたレポートを執筆していた。
レポートがまとまったところで、指導教員であるルファの部屋を訪ねる。
「ルファ先生、魔境から戻りました。」
「デレックくん!」
「せめて魔境から帰ってきたらレポート書く前に顔見せにきてよ!」
「ラテ先生から、無事に帰ってるって聞いてたからよかったものの。」
「あ、ごめんなさい。」
「でも、レポートは完璧です。」
そう言って、紙束をドサッと机に置く。
どう見ても、授業1単位に互換する分のレポートではない。
「えっと、これは…」
「魔境探索のレポートです。」
「あの…正直、これ、下手な卒業論文より分量あるよ…?」
それを疑いなく書き上げて提出してしまうあたり、デレックの彼たるゆえんかもしれない。
パラパラとレポートをめくって見てみると、学生のレポートとしては本当に細かく、よく書けている。
だが、彼の抱えている問題はそうではない。
「えっと、デレックくん。」
「これ、そのまま卒業論文にもなると思うんだけど、キミは、まだ卒業論文の前に取らなきゃいけない授業が…」
そう言って、ルファ先生が書き上げた「デレックくんを今年進級させるための授業スケジュール表」を取り出す。
デレックが魔境に潜ってる間に、履修条件、進級要件、今年は諦める授業と来年度の授業との兼ね合い、などなどを調べて作り上げたルファ先生の力作だ。
「ルファ先生、この表は…」
「え? 平日は授業がぎっしりの上に、休日にも集中講義…?」
「そのぐらいしないと、まだ進級できないみたいなの。」
「じゃあ、僕が呪法の研究をする時間は?」
「…えっと、来年、かな?」
この後、デレックが必要な単位を取り切って無事に進級できたのかは、分からない。
これからの、彼の活躍に期待することにしよう。
レポートを提出して、また研究に戻ろうと廊下を歩くデレックを見つけ、話しかける教員がいた。
ろくに食事もせず(あと、たぶんほとんど寝もせずに)研究していたと思しき彼を見かねて声をかけたのは、ラテである。
「デレックくん、大丈夫?」
たぶんあまり大丈夫ではない。
ひとまず、デレックにまともな食事をとらせるべく、連れ立って食堂に向かう。
その道すがら、思い出したように、メモリアからもらった小箱を取り出して言う。
「そういえば、これって、何なんだろう?」
気になって、小箱を開けようとした直前で、その小箱に掛けられている魔法に気付く。
デレックとラテは顔を見合わせる。どうやら、2人共が察したようだ。
この箱には、望む魔法が収められている。
「デレックくん、たぶん、単位は無理だと思うよ?」
「分かってます。」
「じゃあ、寝ないでいい体…、は無理かな、極端に睡眠が短くてもいいぐらいなら…」
小箱の中身に気付いた次の瞬間には、デレックの考えていることが手に取るように分かっていた。
睡眠が必要なくなるのは、無理ではないだろうが、それ以外に問題が起きそうな気がしなくもない。
しばらく考えた後…
「僕は、まだいいかな。」
「いざという時にために取っておきましょう。」
結局、2人共、今は小箱を開けないことにした。
まあ、これから先、これが必要になるくらい、困ることもあるかもしれない。
それ以上に、今、そこまでして叶えたいことはない、少なくとも、十分に満足のいく生活を送っているとは思えているのだから。
「とりあえず、キミはもう少しバランスよく食べようね。」
「ほら、奢ってあげるから。」
食堂に着いて、ラテがデレックの注文に口出しし始める。
ひとまず、小箱に頼るより先に、デレックには健康的な生活習慣を身に付けてもらった方がいいだろう。
Ending.4. 探索は終わらない
探索から帰還した後、ナオミはロウン師の病室を訪れた。
「ロウン先生、ナオミです。戻りました。」
「おお、ナオミ君か。」
「その様子なら、探索は上手くいったと見える。」
「はい、探索は上手くいきました。」
「こちらが見つかったものです。」
そう言うと、預かったマジック・ポーチから、「メモリアの遺産」で見つけた多くのアイテムを出し、机に並べる。
「ほう、この鱗があるということは、小竜の類と戦ったか。」
「なんじゃこりゃ? 鏡張りの羅針盤?」
「おお、その毒花弁はな、向こうの世界での加工法が見つかっておっての。試してみたいと思ってたんじゃ。」
1つ1つ、丁寧に感想を述べていく。
ロウン師の瞳が、60過ぎの老人とは思えない、少年のような輝きを帯びる。
「このあたりの、完成した魔法具など、つぶさに調べるだけで一仕事になりそうじゃ。」
「ま、それだけ、あの穴には不思議がいっぱい、ということなんじゃろうな。」
「あー! 儂も行きたかったぞー!」
知的好奇心が限界に来たのか、子供のようにロウン師は不満を述べた。
ナオミが慌ててなだめる。
ナオミは、最後にポーチの底から、メモリアに貰った小箱を取り出した。
「何じゃ? その箱は?」
「正直、その箱が一番強く魔力を感じるんじゃが。」
小箱を貰った経緯を説明すると、ロウン師も不思議そうな表情を浮かべる。
「うーむ、そうなると、何の箱かは、さっぱり分からんの。」
「ま、ナオミくんが貰ったものじゃ。好きにすればいいと思うがの。」
「それなら、私が貰っておくことにしますね。」
「気になりますし、開けてみることにしましょう。」
そう言って、ナオミは小箱を開ける。中には、桜色の小さな結晶が収められている。
これは、メモリアいわく、魔法が収められているという結晶、だろうか?
だとすると、一体どんな魔法が…?
そう思いながら、ナオミは何となくにその結晶をつまみ上げる。
その瞬間、その結晶にはある魔法が「収められていた」ことになった。
(…腰痛の治療?)
まあ、何となく思っていた望み、ではそのようなものだろう。
もとより、それほど野心家という訳でもなかったが、ここで自然に人のための魔法にしてしまうあたり、ナオミの彼女らしさなのかもしれない。
どちらにせよ、アトラタンの魔法だと微妙に対応できないところを補ってくれる極めて高精度(かつ限定的な)治療魔法になったのであれば、十分に満足であった。
が、ここで直ぐに腰を治したら、そのまま魔境に向かってしまいそうなのがロウン・F・ガイソンという魔法師である。
彼の健康のためにも、少し休んでもらった方がいいかもしれない。
明日には掛けてあげよう。そう思いながら、結晶に収められていた魔法を習得するために、一度病室を後にした。
もちろん翌日、腰痛が治ったロウン師は、いそいそと探索の準備を始め、年甲斐もなく周囲を振り回すのであるが…
「先生、そんなに急がなくても魔境は逃げませんよ?」
「じゃが、他の者が先に探索してしまうかもしれないじゃろ?」
魔境探索部は、今日も忙しい1日になりそうだ。
Ending.5. 思い出は、これから
こちらも探索から帰還後。
カランは、アイリスの病室を訪れていた。
彼女の状態は、探索に向かう前と変わっていないようだ。
やはり、魔力回路の破損がここまで重度になると、回復には根本的な治療が必要とされる。
カランの手元には灰色の結晶。
記憶を封じ込めることのできる、異界のアイテムだ。
そして、この結晶に封じ込めた記憶をもとに、他者の魔力回路を修復する術式も、メモリアから教わった。
つまり、あとは、修復の素材となる記憶があれば、治療はできる。
軽く息を吸い込むと、手のひらに結晶を乗せ、意識を集中する。
込める記憶は、「アイリスと過ごした、エーラム入学前の思い出」。
メモリアが言うには、治療対象に関わる者の重要な記憶ほど、施術の成功率は高い。
なら、確実にアイリスを助けるためには…
手のひらの上の結晶は、いつしか桜色へと染まっていた。
試しに消えたはずの記憶を思い出そうとしてみるが、靄がかかったように思い出せない。
だが、それは反面、治療の中途段階が上手くいった、ということだ。
その先の術式は、教えられたとおりにやるだけで、驚くほど簡単に出来た。
結晶に込められた記憶が、十分な強度を持っていたからだろう。
しばらくして、アイリスはゆっくりと目を覚ます。
「…ん、ここは…学校の…」
「あ、目が覚めたのかい!?」
「良かった。本当に良かった…」
「え、お兄ちゃん…!」
「私は確か、魔法の実習をしてて…急に目の前が真っ赤に…」
どうやら、そこから意識が途切れているらしい。
聞いていた通り、魔法を使った瞬間に意識を失ったのだろう。
カランは、アイリスに、彼女の症状を説明する。
もちろん、治療のために自身の記憶を使ったことは伏せておく。
魔境で、アイリスの症状を治せる方法を見つけた、ということにしておいた。
「そっか…」
「ありがと、お兄ちゃん!」
「じゃあ、私はまた、魔法を使えるの?」
「たぶん、使えるはず。」
「原初の魔女さんが言うには、使えるはず。」
「うん、それなら良かった…」
「私、どうしても魔法師になりたいもん!」
「もちろん、お兄ちゃんと一緒に!」
「昔から、お兄ちゃんには助けられてばっかだね…」
つぶやくアイリスの言葉が、少し胸に刺さる。
恐らく、エーラム入学前にも、いろいろとアイリスの面倒をて、助けたこともあったのだろうが、そのことは思い出せない。
「ん? どうしたの?」
「あ、いや、ちょっと魔境探索で疲れちゃってね。」
「ごめんごめん、何でもないよ。」
「あ、そうだよね。魔境、行ってきたんだもんね。」
「どのみち、私も治ったとはいえ少し休まなきゃだと思うしさ。」
「ゆっくり休んで、それで、元気になったら、2人でご飯でも食べに行こ! 久しぶりにさ。」
「そうだな。」
「そういうのも久しぶりかもしれないな。」
「エーラムに入ってから、お兄ちゃん、結構忙しそうだったし。」
「ああ、それは、ごめんね。」
この機会に、アイリスと過ごす時間を増やすのもいいだろう。
昔を忘れてしまったなら、余計に。
部屋に戻ったカランが、1つため息をつく。
アイリスの好きなものを食べに行こうね、とは言ったものの、それも思い出せない。
後で、友人にでも、アイリスの好きだった食べものを聞いておいた方がいいだろうか?
「あ、そういえば。」
メモリアからもらった小箱を鞄から取り出す。
エーラムに戻ってから、アイリスの治療に奔走していたので、すっかり忘れていた。
何気なく開けた小箱の中には、桜色のクリスタルが収められていた。
「…これは、魔法?」
中に込められた魔法の詳細を確認して、少し笑みがこぼれる。
なるほど、メモリアは確かに「必要なもの」をくれたらしい。
Ending.6. 続・メモリアの独り言
ふむ、良いものを見せてもらった。
そうそう、カランくんの結晶に入った魔法だけどね。
端的に言うと、記憶を修復する魔法なんだ。彼には必要だろ。
ま、魔法にも限界があってさ、すぐに全部修復するなんて簡単なものでもないんだけどさ。
類似の体験をトリガーとして修復するんだよね。
要は、過去にあったことと似たことがあると、少しずつ記憶が戻っていくって感じかな。
まあ、ほら、僕が何を言いたいのかっていうとさ。
彼は、この魔法を言い訳にしてもいいから、妹ちゃんと一緒に過ごす時間を作りたまえよ。
じゃ、改めて、異世界の友人に、幸あれ。
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最終更新:2019年05月16日 22:27