”Walking With Heroes” 第1章第12話「The Lonely Queen」

Prologue

キミは目を覚ます。
昨日と同じ日が来ると信じて、体を起こす、

けれども、そんな保証はどこにも無かった。
キミは知っていたはずだ。この世界は残酷だということを。

キミの全てが手の中を離れ、美しき世界が軋み出す。
魔法の鏡が幻惑を払い、真実が顔を覗かせる。

さぁ、燐寸を擦ってランプに火を灯せ。
その暖かな炎が、凍りついた現実を照らし出してくれるはずだ。

英雄武装RPG「コード:レイヤード」
「The Lonely Queen」
————その力で、伝説を超えろ。





Opening 01 忘れ去られた王女様
 ある日、ある朝…
 いつも通りの空は青く、窓から朝日が差し込む。
 目覚めた時、1日の始まりは、同じ景色を映しながら、その内情は歪んでいく。
 レイヤード、ロイ・パーカーは、部屋の中に見知らぬ少女が立っていることに驚く。

 思わず、声を上げる。

「誰だ? アンタ…?」

 心底驚いたようなロイの言葉に、少女の方も驚きの表情を浮かべる。
 目を閉じている少女の表情は窺いづらいが、それでも分かるほどに。

「ロイ、何言ってるの・・?」

「アンタ、どこから入った?」

「え…? 何を言っているの?」
「私のお部屋から…」

 全く話が噛み合わない。いったい、この少女は…
 寝起きの頭から、徐々に思考がクリアになっていく。
 ひとまず、頭を切り替えて、冷静に、丁寧に、少女に問う。
 先ほどまでの素の口調から一転して、それはまるで、レイヤードとしての任務で助けた被害者にでも向けるような、優しい口調で。

「いったい、どうしたんですか?」

 その丁寧な、だからこそ距離を感じる言い方を受けて、少女に顔に、さらなる絶望が浮かぶ。
 縋りつくような、続く少女の問いにも、こんな少女は知らない、という自分の記憶に照らして答えることしかできない。

「ロイ、どうして、そんな目で見るの?」

「何で、俺の名前を知っている?」

「だって、今までずっと一緒にいたじゃない」

「今までずっと?」
「俺は、1人で住んでいたんだが…」

「そんなことない。ロイとはずっと、このお城で過ごしていたじゃない!」

「城!?」

 さらに意外な単語が出てきたことに、もう一度驚く。
 ここはクレイドル内に位置する、ごく普通のマンションだ。マンション全体を見れば建物としては大きいかもしれないが、ロイの使っている部屋なんて、ほんの一部分だ。間違っても、城なんて呼ぶべきものではない。

「私はいたって冷静よ。ロイの方こそおかしくなっちゃったんじゃない!?」

 目を閉じたまま、まっすぐこっちを向く少女は、自身の言うことを全く疑っていないようだった。
 もしかすると、この少女とのすれ違いは、単なる記憶の齟齬に留まらないのかもしれない。
 この少女の世界に対する認識は、致命的なエラーを起こしている…
 まずは、一度しっかりと、彼女の話を聞いてみる必要があるだろう。ひとまず、リビングの椅子を勧める。

「とりあえず、落ち着こうか。」
「何か、飲むか…?」

「私は、紅茶が良いわ。」

「普段、紅茶は飲まないんだが…」

 紅茶は確か置いてなかったんじゃないか、と首をひねるロイの隣を抜けて、少女はキッチンに入っていく。
 まったく迷わずにある戸棚の前まで行き、戸棚から紅茶の箱を取り出す。

「いえ、ここにあるわよ!」

 どうして、普段飲まない紅茶が戸棚にあるのか…
 そして、どうして、この少女はその戸棚に、紅茶があると知っていたのか…
違和感を感じる。

「誰かの、好みだったのか…」
「とにかく、ちょっとリビングに座っててくれ。」

 そう言うと、少女の見つけた紅茶と、自分用の珈琲を淹れて、ロイは改めて、少女と向かい合ってリビングの席に着いた。

-*-*-*-*―*-

 ひとまず、いつまでも名前も知らない少女と呼ぶわけにはいかないと思い、名前を聞く。
 ロイの問いかけに、少女はサラ・ウィンチェスターと名乗る。

「名前は、サラよ。サラ・ウィンチェスター。」
「ロイだって知ってるじゃない!」

「それで、あなたはどこから来たんですか?」

「私の部屋からよ、見て!」

 そう言うと、再び少女、いや、サラはリビングの椅子から立ち上がり、ある部屋の扉を開ける。
 ロイの記憶では、その部屋は使っておらず、仕方なく物置にしていたはずだが。

 扉が開く。

 物置だと思っていた部屋は、明らかに誰かが住んでいた形跡が残っている。
 混乱する頭に、一条の疑念が浮かぶ。もしかすると、おかしいのは自分の方なのかも知れない。
 そこに、サラが続ける。

「私たちは初めて出会ったわけじゃないわ。」
「2年前、あの時ロイが助けてくれたじゃない!?」

「覚えて、ない…」

 が、先ほどの紅茶の件、そしてこの部屋の状況。
 サラの妄言と片付ける訳にもいかなくなってきた。

「分かった、とりあえず、信じるよ。」
「リビングに戻ろうか、サラさん。」

「サラでいい。今までもそう呼んでいたじゃない。」

 不服そうな声を上げながら、2人は連れ立ってリビングに戻る。

◆ ◆ ◆ ◆

 再び席につき、先ほどの続きを尋ねる。
 今度は、いつからサラはロイのことを知っているのか、と聞く。

「2年前に、ロイに助けてもらって。」

「すまない、それに心当たりはない。」

 サラが真剣に言っているのは何となくわかるが、心当たりが無いものはない。
 その様子を察して、サラを気遣う。

「大丈夫、ですか?」

「私は、大丈夫。」
「それより、ロイは大丈夫なの?」

 少し震えた声でサラが答え、同じように聞き返す。

「俺は、大丈夫だ。」

「何ともない訳ないじゃない。王子さまは、お姫さまを忘れたりしないわ。」

 そう、次の齟齬はそれだ。
 先ほども、このマンションのことを「城」と言っていた。

「その、王子様とお姫様って何だ?」

「王子様はロイのことだわ。私のことを助けてくれたの。」

 どうやら、サラの認知の歪みは、思った以上に根深いようだ。
 ロイは、この不思議な、自分を知っていると思しき少女を前に、頭を抱えた。

◆ ◆ ◆ ◆

 結局、現状を把握したところで、こうなった原因は何も分からなかった。
 微妙な沈黙が流れる…

 耐えかねたように、サラが椅子から立ち上がって、自分の部屋(と彼女は言っている)に戻ろうとする。

「もういい。しばらく一人にして…」

「待てっ!」

 サラと、彼女を追ったロイが部屋に戻ると、サラの寝ていたはずの枕元に、何かが置いてあるのに気付く。
 サラは普段から目を閉じているため、今まで気付かなかったようだ。
可愛らしいリボンで装飾されたレコーダーと、便せんが置かれているのに気付く。
 便箋には、装飾に似合う可愛い文字で、綴られている。



 親愛なる王女様へ

 ご機嫌よう。「サラ・ウィンチェスター」こと「アルヴィナ・イグナチェヴァ」さん。 
親しみを込めて「アーリャ」なんて呼んだほうが良いのかな?
 この間は素敵なプレゼントをありがとう。とっても嬉しかったよ!

 さて、ボクからのお返しサプライズプレゼントはもう受け取ってくれた頃だろうね。
 喜んでくれた?

 もし気に入らなかったら、ボクのところまで来て欲しいな。代わりのモノをあげるから!

 場所は便箋につけておいたから、キミの大切な大切な王子様と一緒に来てね!

 愛を込めて

 ミロワール 



 ロイが手紙を読んで尋ねる。

「これは、サラに宛てた手紙か?」
「この、アルヴィナ・イグナチェヴァってのは?」

「知らない。」

 ごく短く、サラが答える。
 手紙の文面からすると、サラの別の名前…のようだが。
 そして、ミロワールという名に心当たりはある。莫大な懸賞金が掛けられていたエンフォーサーだったはずだ。少なくとも、レギオンに報告しておいた方がいいか…

 考えのまとまらない内に、サラの方からこの手紙についてロイに言う。
 彼女は、手紙の通りに、ミロワールと名乗る差出人に、会いに行くつもりらしい。

「ロイ、行きましょう」

「ダメだよ。このミロワールってやつ、賞金首じゃないか。」
「そもそも、サラは一般人だろう?」

「私はお姫様よ。」

「なおさら行かせられないよ。」

 そう言って引き留める。
 が、サラはなおも、この手紙の言うように行ってみたいと答える。彼女がそこまで強く主張するのは、状況に対する焦りゆえか…

「でも、私は行かなければならないわ。」
「それから、ロイも一緒に来てって書いてあるじゃない。」

 その時、ロイの端末が通信を告げる。
 レギオン本部からのメールのようだ。本文は短く、ロイに出頭を命ずるもの。
 ムサシ支部ではなく、本部からということに、一抹の嫌な予感を感じる。

「ごめん、俺、仕事先に呼ばれた。」

「それなら、私は先に行くけど。」

「いや、待って。」
「一人で行くのは危険だよ。こっちの俺の用事に、先に付き合ってくれないかな?」
「そうしたら、一緒に行くよ。」

 最終的に、どさくさで丸め込まれたような気もするが、サラを1人で危険な場所に行かせるわけにもいかない。彼女を連れてレギオンに向かうことにし、家を出る。

◆ ◆ ◆ ◆

 マンションの駐車場で、バイクを準備しながら、サラにヘルメットを手渡す。

「バイク、乗ったことあるのか?」

「ロイが、いつも載せてくれたじゃない。」

 その答えの通り、運転するロイの後ろに跨るサラは、バイクに乗り慣れているようであった。
 不思議に思いながら、スロットルを回し、レギオン本部へと急いだ。

Opening 02 地獄への片道切符

 餓龍は、ヤクザ組織、六道会の事務所に呼び出されていた。
https://picrew.me/share?cd=s0Hf0M5qjF より)
 彼は、この六道会に所属する一介の構成員だ。生きるため、そしてなにより妹の美幸のため、汚れ仕事であろうと、彼は戦い続けている。
 六道会幹部からの、「危険だが破格の報酬が出る仕事がある」という呼びかけに、彼が応えない訳はなかった。
 事務所の一室で餓龍を出迎えた男性は、1枚の写真を取り出した。

「今回のターゲットは、こいつだ。」

 渡された写真には、少年の姿のエンフォーサーが映っている。

「こいつは、賞金首か?」

「知っていたか。有名な奴だからな。」
「こいつは、ミロワールと言う。」
「うちが直接に被害を被ったわけじゃないが、間接的には迷惑かけられっぱなしでな。」
「うちの構成員で、橋喰というやつがいるのを覚えているか?」

「ああ、知っている。」

「アイツも、このエンフォーサーの被害者だ。」
「このエンフォーサーは性質の悪いことに、人間に力を貸して、好き放題やらせるのを楽しむんだ。」
「うちも、こんな商売だから、恨みは買いやすい。」
「何度、こいつに唆された馬鹿に迷惑を掛けられたか、分かったものじゃない。」

 なるほど、確かに、そのようなことをされたら、ヤクザ組織としてはいい迷惑だろう。
 彼は、さらに続ける。

「もちろん、HLCやレギオンもこいつを追っている。」
「だが、いや、だからこそ、うちもただ見ている訳にはいかない。」
「落とし前を付けさせなくては、メンツにも関わる。」

 そして、話の最後に、彼は餓龍に報酬を提示する。

「一千万。」
「奴を落とせたら、それだけくれてやる。必要なら、どれだけ人手を集めても構わん。」
「だから、奴を喰らえ。餓龍。」

「そうか。」
「このタイミングで依頼をしてくるということは、ヤツの居場所は割れているのか?」

「情報はある。」
「数日前にシナガワ凍土付近で大規模な戦闘をしたようだ。」
「今どこをうろついているのかは分からんが、お前の嗅覚なら、嗅ぎつけられるだろう?」

「ああ」

 逆に言えば、それ以上のことは自力で見つける必要がある。
 これだけ高額の報酬を提示される依頼だ。そのぐらいは求められて当然だろう。

「だが、俺一人でやる。六道会の奴は連れていかん。」

「部下が幾ら居ても足手まとい、ということか。」

 少なくとも、六道会で適当に見繕った鉄砲玉ヤクザでは、居てもいなくてもミロワール相手には変わらないだろう。
 一方で、餓龍1人でどうにかなる相手ではないのも、確かだ。六道会以外で、この件に乗ってくれそうな相手を思案する。
 が、その思考を一度後回しにして振り払う。
 今は、もっと重要なことを確認しておかねばならない。

「もう1ついいか」
「美幸を預かってくれ。」

「ああ、構わんぞ。」

「それから、これは美幸のために使ってくれ。」

 そう言って、以前の超巨大ベクター討伐戦の時に、レギオンから出た報奨金を渡す。
 工場跡地に残された超巨大ベクター、デンジャラス・デイズ・デストロイヤーを討伐した報奨金は、相当な額で会った。そして、今餓龍が渡したのは、そのほぼ全てである。
 これだけの額があれば、しばらく美幸が生活に困ることは無いだろう。
 そう、たとえ、餓龍が帰って来なかったとしても…

「もし俺が帰ってこなかったら、餓龍は死んだと、周りには伝えておいてくれ。」

「ああ、分かった。」
「何、お前が帰って来なくとも、俺もどうせ直ぐにそちらに行く。こんな商売をしている身だ。」
「その時は、地獄で会おう。」

◆ ◆ ◆ ◆

 六道会の事務所を離れた餓龍は、一旦家へと戻る。扉を開けると、いつものように美幸が出迎えてくれる。

 もしかすると、これが、最後の会話になるかもしれない…

「これから少しの間、美幸は、俺の仕事先のちょっと怖そうな人たちのところで住むことになる。」
「まあ、根は良い奴だから、安心して。」

「怖そうな人たち…?」
「でも、おにいちゃんが大丈夫って言うなら、大丈夫だよね。」

「ああ、そこは俺が保証する。」

「分かった。今すぐ出るの…?」

「すまない。あまり時間が無いんだ。」

 美幸は、その言葉を聞いて、いそいそと荷物の準備を始める。
 その姿に、餓龍が声を掛ける。

「しばらく俺は、帰って来れないかもしれないけど、元気でやってくれよ。」

「うん、分かった。」
「でも、なるべく早めに帰ってきてね。」

「ああ… じゃあな、美幸。」

◆ ◆ ◆ ◆

 家を出て、クレイドルの裏路地をひとり歩く。
 この道を歩くことは、もう、無いかもしれない…

「ごめんな。美幸…」

Opening 03 拠点調査任務

 ここは、レギオン、ムサシ支部。
 支部長、香澄了護は、直々に依頼を下すべく、1人のレイヤードを呼び出していた。
 その名前は西陵理人。コード:マクスウェルの悪魔を持つ彼は、一人で支部長室の扉をくぐる。

「よく来てくれたな。」

 にこやかに出迎える香澄支部長に、この部屋に入った時からあった疑問を問う。

「香澄さん。」
「どういうことですか? 支部長から直々に、しかも俺1人とは?」

 こういう時、多くの場合は、最初からアサルトチームが選抜されて呼び出される。
 1人で済むような任務もなくは無いが、逆にそういった規模の任務は、わざわざ支部長が説明するのは珍しい。
 では、どのような任務なのだろうか?

「ああ、今回は任務の関係上な。」
「クレイドル内部に、ブリゲイド幹部の拠点があるとタレコミがあった。」
「まだ疑いの段階だが、調べる必要はある。一方で、アサルトチームを組んで動いたりすれば、すぐに感づかれてしまう。」

「それで、俺1人という訳ですか。」

 なるほど、確かに、そういった任務なら、重要性に対して少人数で動かざるを得ない。
 理人は、この依頼を受ける意を、支部長に伝える。

「ああ、だが、必要な時はすぐに通信を入れてくれ。最大限のバックアップはする。」
「それから、危ないと思ったら、すぐに撤退してくれ。」

「分かりました。そういうことでしたら。」

「すまないな。」

「いえ、これも任務の一環ですから。」

 香澄の言葉からは、レイヤードたちへの気遣いが確かに見て取れる。
 多くのレイヤードから、この人からの依頼なら安心して受けられる、と評されるのも、彼のそうした人格あってこそだろう。
 理人もまた、ゆえに信頼して、この危険な任務を受けた。

 香澄から地図を受け取り、支部長室を辞する。
 さっそく、理人はレギオン支部を出て、クレイドルの路地裏へと歩みを進めた。

Opening 04 疑惑
 西陵理人が支部長から依頼を受けた頃より、時間は少々巻き戻る。
 レギオン、ムサシ支部。出頭要請を受けたロイ・パーカーは指定された通りに、この建物に到着していた。

 嫌な予感が頭を離れないまま、レギオン・ムサシ支部のある会議室に通される。
 案内された部屋には、1人の男性が待っている。

 眼鏡を掛けた、真面目そうな男性は、ロイに席を勧める。

「そこに座ってください。」

 言われたとおりに席に着くと、男性が話を始める。
まず、身分証の提示を求め、ロイが出したレギオンの身分証を検める。

「ロイ・パーカーさん。本人のようですね。」
「私は久我誠二と申します。レギオン本部の命でここにやってきました。」

「用件は何ですか?」

「先日貴方に渡された依頼ですが…」

「あれは、遂行したはずですが。」

「本当ですか?」

 レギオン本部がロイに渡した依頼といえば、先日の「レイヤード犯罪者、薙野千聖を抹殺せよ」との依頼のことだろう。
 顔に若干の焦りが浮かぶ。あの件では、結局ロイは命に背いて薙野千聖を見逃している。そのことが露見したのか…
 そして、嫌な予感は当たり、男性は懸念した通りの疑問をロイに投げかける。

「あなたが、依頼を完遂できていないとの、匿名の通報がありました。」
「本当に、薙野千聖を始末したのですか?」

「ああ、確かに始末したはずですが。」

「遺体の確認は?」

 その言葉には、黙ってうなずく。ここで、「遺体は確認しました」と咄嗟に言うことは、出来なかった。
 彼の根が善良なゆえだろうか。

「ふむ、そうですか。」
「この件については、また後日、詳しく話を聞かせて頂くかもしれません。」
「では、今日のところはこの辺で。」

 眼鏡の男性は立ち上がる。
 去り際に、男性は鋭く言う。

「まあ、天秤機関にも、後日査察は入ることでしょう。」

◆ ◆ ◆ ◆

 レギオンの待合室に戻ると、サラ・ウィンチェスターと名乗る例の少女が待っていた。
 ロイの姿を認めると、心配そうに聞く。

「どうだった…?」

「何でもないよ。」

 何でもない。なんて訳はない。
 恐らく、あの男性は、かなりの確度で、ロイの任務違反を疑っている。
 だが、「何の関係もない」この少女に話すわけにもいかない。

 その心情が出たのか、調子の悪そうな顔をしているロイの様子を察して、サラが声を掛ける。

「体調、悪いの?」

「いや、大丈夫だ。」

 とはいえ、レギオンからの疑惑については、今はどうしようもない。
 いずれまた出頭命令が下るかもしれないが、まだ、気になることはある。この少女だ。
 そして、枕元に置かれていた、あの手紙。

「用事が終わったのなら、手紙の方のところに行きましょう。」

 そういうサラは、よほど焦りがあるのか、有無を言わさない口調だ。
 しかし、指定された場所は、クレイドルの外。何も備えずに行っていいものか。

Opening 05 白き××の一撃

 しかし、思案しつつ、ひとまずバイクを出そうとしたところで、事態は予想もつかない方向に動き出す。

 突如。ロイのバイクのタイヤが破裂する。
 ロイの顔がこわばる。何者かの攻撃か。
 さらに周囲を探ると、背後から何者かが跡をつけてきている気配を感じる。

「ロイ、後ろから、誰かが…」

 サラも気付いているようだ。
 言葉を聞き終わらないうちに、咄嗟に、サラの手を引いて、走り出す。
 クレイドルの裏路地を右に左に抜けて、追っ手を撒こうと試みる。
 が、バイクの使えない状態で、走っても中々追う足音は遠くならない。

 そして、ある裏路地で、逃げる2人の前に1人の人影が現れる。
 その人物は、白い仮面を被り、顔は窺えない。人影を見て、ロイがつぶやく。

「ネームレス…」

 ネームレスとは、レギオン本部、本部長ギリアム・レイン直属の最精鋭部隊だ。
 全てに優先して本部長の命令を執行する、恐るべき部隊だ。レギオンに所属するロイと言えども、その姿を見かけることなど、ほとんどない。だが、その仮面と、双剣のバッジは、間違いなく、ネームレスだ。

 その任務にはレギオン離反者の抹殺も含まれている。
 まさか、薙野千聖を見逃した件について、ネームレスまで動いている、というのか。

「別に恨みは無いんだけど、まあ、仕事だしね。」

 仮面の人物が呟くと、懐から取り出した時計を手に取り、その時計から刀を取り出す。
 どうやら、時計が彼のコードフォルダのようだ。

「下がってろ、サラ。」

 サラに声を掛けて、ロイも刀を構える。

◆ ◆ ◆ ◆

 互いに刀を構えた2人の間に、一陣の風が吹く。

 白い仮面の男が、刀を構えて距離を詰める。
 そして、刀を振りぬく。あまりに速いその斬撃を見切り損なったロイを、致命の斬撃が切り裂く。
 間違いなく致命傷だが、アルケオンの力で立ち上がり、返しの斬撃を与える。
 その一撃で、仮面の男もまた、斬撃を受けた直後にアルケオンの力で立ち上がる。
 互いに後が無くなった状態を認識し、間合いを取る。

 次の一撃は、どちらにとっても致命だが、仮面の人物の動きは速い。
 ロイが、それに先んじて一撃を与えられるか、と問われると…

 その状況を見たサラは、思わず胸の前で手を合わせる。
 こういう時に、助けをくれた私のコード、シャルロット・コルデーの力を…

 が、運命は無情にも、サラがコードを起動して戦闘に介入するよりも早く、戦局が動く。
 しかし、それは刀を構えた、目の前の人物の手によってではなく…

「белая смерть」

 耳慣れない単語が聞こえた、と思ったその瞬間。どこからか飛来した弾丸が、ロイの腹部を貫く。
 ゆっくりと地面に倒れ伏し、傷口から地面に、じわりじわりと血溜まりが広がっていく。
 この銃弾は、伏兵か…

 今度こそ致命傷…そして、アルケオンを使った復活ももう通じない。
 目の前で、ロイの命が消えゆこうとしている。
 サラはコードを起動しようとしていた手を解き、茫然としてロイを見つめる。
 心が軋むような音がした、気がする。この光景は、どこかで見た、気がする。
 私は覚えていないけど、どこか、遠いどこかで…

 しかし、白い仮面の男は、サラの状況にも当然構うことなく、サラの方にも詰め寄ろうとした。

 そこで、再び、予想外の介入が発生する。

Opening 06 介入

 ”星月夜”、と呼ばれる、リベレーターがいる。

 そのコードは、テオドルス・ファン・ゴッホ。高名な画家として知られるゴッホの弟にあたる人物だ。
 星月夜という名前も、その代表作をイメージしたものだ。

 ある日、クレイドル内だというのに、彼女の耳に届いたのは、一発の銃声。
 しかも、拳銃などの類ではない、大型の銃器。恐らくは、狙撃ライフル。

 咄嗟に走り、銃声のした路地に駆け込むと、血溜まりを作って倒れている男が一人。
 その傍らには、ひとりの少女。見たところ、戦闘能力は無さそうだ。
 そして少女に詰め寄る、白い仮面の人影。
 最低限間に合ったと言うべきか、間に合わなかったというべきか。

 流れるように懐から拳銃を抜き放ち、引鉄を引く。
 仮面の人物は、迫りくる銃弾を刀で弾き、少女から距離を取る。
 刀で銃弾を弾くような離れ業に少し驚くが、ひとまず少女から引き離せたならそれでいい。
 仮面の人物を見据え、星月夜が問う。

「あなた、何者?」

「はぁ…こりゃオジサン聞いてないよ……」

「幾ら裏通りとはいっても、ここも誰かの居場所なんだから、刃傷沙汰はやめてくれないかしら。」

「ま、それもそうだね。じゃ、ここらでオジサンは逃げることにするよ。」

 仮面の人物としても、星月夜の介入は予定外だったようだ。
 それだけ言葉を交わすと、素早くその場を離れていく。撤退の動き1つとっても無駄がなく、余程の手練れであることがうかがわれる。

 星月夜としても彼を取り逃がすのは口惜しいが、今はそれ以上にすることがある。
 茫然として、倒れている男性の前で立ち尽くす少女の肩に手を置き、短く言う。
 今は、この倒れている男性を助けるなら、何より時間が惜しい。

「大丈夫?」
「彼を助けたいんでしょ? このままじゃ死ぬわよ。」

「それはダメ!!」
「ロイが死ぬなんて、そんなのありえない!!」
「私だって、こんなところ、もう見たくない!!」

 まだ取り乱しているといえばその通りだが、少なくとも茫然とされているよりは意思が見えただけ良し。

「ただの通り魔って感じじゃなさそうだけど、どちらにせよ、私の前で無辜の市民を死ぬのは嫌いなの。」
「手伝いなさい。」

 言うと、星月夜の髪からうすぼんやりとした光の粒子が生まれ、ロイを包み込む。
 星月夜が星月夜と呼ばれるゆえんである、その幻想的な光は、多少の回復効果はある。
 だが、男性の容態は深刻だ。こんな気休め程度の回復で、どうにかなるものか。

 しかし、これが最善と信じて、回復を続ける。

◆ ◆ ◆ ◆

 ロイの治療を続ける星月夜とサラの元に、またも別の人物が現れる。

「全く、裏路地が騒がしいから来てみれば…」

 そう言って、新たに現れたのは、白衣を着た小柄な少年。
 手には、蛇の巻きついた杖を持っている。

「あなたは?」

「安心してくれ、僕は医者だ。」
「全く、僕のアジトの目の前で、こんな派手な戦闘をしてくれて。」
「キミたちも、運が良いんだか、悪いんだか。」

「あなた、お医者さんなら、ロイを助けて!」

 サラが、その医者を名乗る少年に、必死に言う。
 もちろん、少年としても、黙って見ているつもりもなければ、無駄話で千金の時間を浪費するつもりもない。

「ああ、他の奴ならともかく、そこでくたばっている男には、恩を売っておきたい。」
「運ぶのを手伝ってくれ。」

「手伝う。ロイを助けるためなら、何だってする。」

 ロイを少年の案内に従って運びながら、少年はサラに問う。
 先ほど、少し違和感を感じていた。この少女は、もしかして、自分のことを知っているのだろうか…?
 自分は、こんな少女のこと、知らないというのに。

「僕のことを知っているのかい?」

「とぼけないでちょうだい。この間の、坊やでしょ?」

「坊や!?」

 予想を越える返答が返ってきて面食らう。が、今はそれを問い直している暇はない。

 そうして、ロイを運び込み、少年の手で緊急の手術が行われる。
 少年は、その見た目にそぐわない的確な手つきで手術を進めていく。
 レギオンの病院の医者でもここまでの高度な治療は出来まいというほどの技術には舌を巻くばかりだ。
 手術をしながら、少年は呟く。

「はぁ、まったく、こんな人助けの手術をするなんて、いつ振りだろうか。」

 言葉を漏らしながらも、手は緩めない。
 その手術の途中、彼はロイの所持品の中に、血に塗れたある物を見つける。

「…これは?」

Opening 07 次なる襲撃者

 西陵理人は、指定された建物の近くまで来たところで、少し顔をこわばらせる。
 明らかに、血の匂いがする。
 嫌な予感がして駆けだすと、問題の建物のすぐ近くの路地裏で、血溜まりが残されているのを見つける。
 血はまだ新しい。少なくとも、数時間も経っていない。

 これは、危険を覚悟で、拙速に突入するべきか…?
 一瞬、思考を巡らせる。すぐ前にここで何かがあったのは確実だ。
 手元には正式な捜索令状もある。

 逡巡は一瞬だけだった。
 理人は、建物の入り口のドアに手を掛ける。
 当然、鍵は掛かっている。だが、この程度は大した問題ではない。
 鍵の金属部に、マクスウェルの悪魔のコードの力を集中させる。一瞬で超高温まで熱し、そして、一気に冷却する。

 ガシャンッ

 あまりにも急激な温度変化に耐えきれず、金属はガラスのような音を立てて砕け散る。
 そのまま鍵のないドアを蹴って開け、理人は室内に突入した。

◆ ◆ ◆ ◆

 白衣の少年、マカーオーンがロイの手術をしている最中。
 星月夜とサラは、待合室で手術の結果を待っていた。

 星月夜は、先ほど少年が手術前に手短に言った自己紹介を思い出す。

「僕はマカーオーン。医者だ。」

 医者、マカーオーンと言えば、裏社会の人間である星月夜には心当たりがある。
 秘密結社ブリゲイドの幹部にして、医神の子のコードを持つリベレーター、だったはずだ。
 となると、なおさら、先ほど彼が、倒れていた男性に対して「恩を売っておきたい」と発言した理由が気にかかる。
 あの男性、そしてこの目の前の少女も、もしかすると、ただの通りすがりの一般人ではないのか…?

 ひとまず、目の前で祈るように手術の結果を待つ少女に声を掛ける。

「さっきの戦いを見る限り、ただの個人の恨みで襲われたようには見えないんだけど。」
「何か、思い当たる節はある?」

「私は知らない。」
「私は、戦いもなにも無い世界で平和に暮らしたかっただけ。」

 ぼそぼそと、自信なさげにサラが答える。嘘を言っているようには見えない。
 この少女は、本当に何も知らないのだろうか。

「いえ、私は、あなたたちが純粋な被害者であるなら、助けたかっただけ。」
「お気を悪くされたのならごめんなさい。」

「謝る必要は無いわ。でも、私は本当に、何も知らない。」

 …その時。

 突如、上階で、ドアの壊される音がする。
 星月夜の表情警戒の色を帯びる。サラが少し、またおびえた顔をする。
 手術室では、手術中のマカーオーンも、驚いた顔を浮かべる。彼にとっても、想定外の出来事らしい。

◆ ◆ ◆ ◆

 理人は建物に突入すると、地下に降りていく。
 幾つか部屋があるようだが、どうせ全てを捜索するのだから、今は拙速を取るべき。
 手近にあった人の気配のするドアを開ける。ちらりとドアのプレートを見たところ応接室とある。

 ドアを開けながら片手で令状を開いて提示する。

「こちらはレギオンだ!」
「貴様ら、そこから一切動くな!」

 星月夜が、その場に動きを止めながらも、言葉を返す。

「え、私、ここの人と全く関係ないんだけど?」

「貴様らが何者であるかに関わらず、ここに居る以上、ブリゲイドに加担している疑いがある。」

 想定外ではあるが、レギオンに盾突いても余計に面倒くさいことになる。
そして、ここで事を荒立てたら、それこそ手術室の患者が危険だ。

「武器は捨てるから、口だけ動かしてもいいかしら。」

「許可しよう。」

 星月夜は、この人物には手術のことを伝えておいた方が良いと判断した。
流石に、レギオンの正規レイヤードであれば、治療中の人命を危険にさらすことはそうそうしないだろう。

「この先の手術室で手術を受けている患者がいるのだけれど、その患者はブリゲイドには関係ないわ。」
「その人の身柄だけは、安全に扱ってちょうだい。」

「ロイには手を出さないで。」

 サラも、ロイの身を案じて、ようやく言葉を紡ぐ。

 理人としても、関係のない人間を危険に晒すのは本意ではない。どちらにせよ、手術中なのであれば、易々と逃げることも出来まい。
 先に、目の前の人物に対する聴取をしておいても良いだろう。

「お前たち、何か、身分を証明できる物はあるか?」

 言われたサラは、レギオンの身分証を取り出す。
 だが、ここに致命的な食い違いがある。サラは、このカードを、「レギオンの身分証」などとは思っていないことだ。

「なるほど、お前はレギオンの人間だったか。」

「騎士団のことね。そうよ。」

「騎士団? なんのことだ、これはまさしくレギオンの紋章だろう?」

「は…?」

 理人の頭上に疑問符が浮かぶ。あまりにも想定外の返答に、一瞬頭が理解を拒む。
 ひとまず、この少女は見なかったことにして、もう1人に問う。
 幸い、もうひとりの女性からはまっとうな回答が返ってきた。

「そちらのお前は、何か身分を証明できるものは持っているか。」

「星月夜と言うわ。フリーランスだから身分証は無いけど、レギオンに協力したこともあるわ。」
「何だったら、その時の記録を調べて貰えばいいわ。」

 そうして、理人が手元の端末に情報を入力すると、確かにデータベースには「星月夜」という名のレイヤードがヒットする。顔写真も、目の前の人物と一致。
 その主な功績の欄には「超巨大広域破壊型ペンギン式ベクター、デンジャラス・デイズ・デストロイヤーの討伐」と記されている。超巨大ベクターを討伐したともあれば、レイヤードとしては十分に輝かしい戦績と言える。

「あなた、レギオンの人でしょう。」
「デンジャラス・デイズ・デストロイヤーというベクターを、聞いたことはあるかしら。」

「なるほど、これは失礼した。」

 理人が端末を仕舞って、再び丁寧に声を掛ける。

「まあ、ならば話してしまっても構わないか。」
「今回、俺は、あるブリゲイドの幹部のアジトがここにあると聞いて突入してきた。」

 だが、理人としても、その「ブリゲイドの幹部」の詳細は聞かされていない。
 が、先ほどの会話から、気になることがある。

「それで、誰かが手術中だと言ったな。」

「ええ、彼女の…お友達かしら?」

 ロイとサラの関係を聞かされていない星月夜は、ひとまず当たり障りなく「お友達」と言っておく。
 が、それにサラが口を挟む。

「ロイは私の王子様よ。」

「彼女の連れがね、手術を受けているのよ。」

 サラの言葉を聞いて、星月夜が訂正して言う。
「連れ」という言い方は、確かにこの場で言い表すには無難と言えた。

 聞いて、理人は考えを巡らせる。
 患者がブリゲイドと関係ない可能性が高いのは分かったが、問題は医者の方だ。
 ブリゲイドの幹部、そして、医者。嫌な予感がする。
 このままこの応接室で待つか、手術室に乗り込むか…?

「迷惑をかけたな。私はこの先を急ぐ。」

「待って!」

「何だ?」

 椅子から立ち上がった理人を、サラが止める。

「君の友人に手を出す気はない。だが、その医者には嫌な予感がする。」

「でも、あの人がいないとロイは助からないの。今だけは、今だけはやめて!」
「ロイが無事に帰ってくるまでは、待ってくれないかしら。」

 少し逡巡し、再び椅子に腰かける。

「仕方ない。君がそれほど強く願うのなら、ここで待たせてもらおう。」

「ありがとう。」

◆ ◆ ◆ ◆

 待つことしばらく。
 手術室のドアが開き、手術医姿のマカーオーンが現れる。
 嫌な予感の的中に、思わず理人が椅子から腰を浮かす。

 ゴム手袋を外し、呆れたように言う。

「手術中に部屋に押し入ろうとした馬鹿がいると聞いてみれば。」
「久しぶりだね。西陵理人くん。何の用だい?」

「やはり貴様だったか…」

 理人からの目線が、明確な敵意を帯びる。

 一方で、問題はロイの手術の行方だ。サラが不安そうに問う。

「ロイは…?」

「ああ、彼なら無事だよ。」
「この程度の手術、僕が失敗する訳ないじゃないか。」

 安心して、緊張の糸が切れたように、サラがその場にへたり込む。
 その傍らで、星月夜が優しく抱き留め、椅子に座らせる。
 その光景を横目に、マカーオーンは再び理人に言葉を向ける。

「で、本当にキミは何をしに来たんだ。」
「手術の邪魔をしに来たのなら、相応の対応をしなければいけない。」

「そもそも俺は、この中で手術が行われているなど知らなかった。」
「ただの上からの命令だ。ブリゲイド幹部のアジトがここにあると聞いて、やってきてみれば、まさか貴様だったとは。」

 その返答を受けて、ため息をつく。

「まあ、これだけ人が出入りするようになってしまっては、どこからか情報は漏れるよね。」
「で、これからどうするの?」

「どうするもこうするも、帰ってレギオンに報告せざるを得ない。」

「ならば当然、キミを生きて返すわけにはいかない。」

 マカーオーンが蛇の杖を構えて、剣呑な目線を向ける。

「あまりここで暴れるとそこで寝てる患者に悪いから、不本意だけど。」
「今は、僕一人だけ逃げるわけにはいかなくてね。」

 とはいえ、マカーオーンとしても、ここで理人と戦うのは最善ではない。
 だから、提案する。相手としても、無下にする訳にはいかないと分かっていて。

「キミが考えを変えてくれるのなら、話は変わるけど。」
「何、しばらくこのことを黙っていてもらえれば、それでいい。」

 理人が、しばし考え、不本意そうに答える。

「貴様と戦えば、力の加減を誤って、俺は貴様を殺しかねん。」
「貴様をここで殺してしまいたいほどの恨みがあるのは確かだが、貴様にはまだ利用価値がある。」

 一旦言葉を切り、改めて自らの明確な目的を、告げる。

「「神薬」だ。それが見つかるまで、お前を殺すわけにはいかない。」
「貴様の提案で、手を打つとしよう。」

 その言葉を聞いて、少しマカーオーンの表情が和らぐ。
 内心、理人がこの提案に乗らなかったらどうしたものかと思案していたのかもしれない。

「すまないが、助かるよ。」
「せっかくだから、良い情報だ。手術中に、さらに「神薬」に近づくかもしれない情報が得られたよ。」

 そう言って、マカーオーンは血まみれの手紙を理人に渡す。
 ミロワールからサラ宛に届き、ロイが預かっていたものだ。
 この手紙がマカーオーンの手に渡ったことから、事態はさらに動き出す…

Opening 08 ネームレス

 一方その頃、とある場所で、2人の人物が向かい合っている。
 ひとりは、真面目そうな眼鏡の青年。もうひとりは、中年の男性。

「全く、何やってるんですか」

「いや、年かもしれないね。」

「あなた、本当に本気出してました?」

「年だって言ってるでしょ、オジサンはもう。」

「あなたなら、あの一瞬で彼を2回は殺せたはずだ。」

「いやぁ、オジサン、もうとっくに40超えてるんだぜ。」
「しかも、オジサンもうとっくにネームレス辞めたんだしさ。」

「まあ、良いでしょう。今回は状況も状況でしたし。」
「次の依頼が来た時にご一緒するかもしれませんね。」
「その時こそ、頼みますよ。三ノ上さん。」

「ま、あんまり真面目になり過ぎるなよ、誠二くん。」

Opening 09 蛇杖の医者は語る

 手術からしばらくして、ロイの術後の経過も順調。
 もともと、本人の体力もある。そのうちに、無事に、彼は目を覚ますこととなった。
 目を覚ました時、ベッドの隣の椅子に掛けていた少女の目から、一筋、また一筋と涙が流れる。

「ロイ…! ロイが死んじゃったら、私っ!」
「私、とても嫌な予感がしたの。もう、ロイに会えなかったら…」

 この不思議な少女の事はわからないが、自身を本当に心配してくれていることは分かる。
 もしかしたら、本当に彼女の言うように、自分が何もかも忘れているのかもしれないし、単に彼女が今出会ったばかりの自分にも優しいのかもしれない。だが、彼女がいたく自分を心配し、案じてくれている。それはどちらにせよ、変わらない。

 手を伸ばして、サラの涙を掬って、優しく語りかける。

「もう泣くなよ…」

 言われても、後から後から、涙は流れ落ちる。
 ロイを失ってしまうかもしれない。その可能性を、間近に感じて、今さらに恐怖があふれてくる。
 そして、ロイの手術が成功した、その安堵の中にあっても、彼は私を忘れているかもしれないという事実が、心にささる。あるいはもう、私は彼を失ってしまっているのかもしれない。

 本当に、本当に、私の王子様を、私の大切な人を、ロイを取り戻したい。

 思うたびに、もっと涙が溢れてくる。

「もう絶対に私をひとりにしないで!」
「どこへも行かないで!」

「…分かったよ。」

 手術直後だからか、まだ力の入らない腕で、サラの頭を撫でる。

◆ ◆ ◆ ◆

 しばらく、ふたりの時間が流れた後、マカーオーンが改めて病室に現れる。
 ようやく、サラも泣き止んでいる。
 もしかすると、マカーオーンの方も、タイミングを見計らって、入ってきたのかも知れない。

「あー、そろそろいいかな?」

「アンタが助けてくれたのか?」

 ロイの問いに答えて、自己紹介する。

「初めましてかな。」
「キミの手術を担当した医者だ。マカーオーンと呼んでくれ。」

「ありがとう、俺はロイ・パーカーだ。」

「大丈夫、知ってるよ。」
「とりあえずは、諸々の説明が必要だね。応接室に来てくれるかな。」

 そう言うマカーオーンに促され、応接室へと移動する。
 応接室には、理人、星月夜が待っているそこに、ロイ、サラ、マカーオーンが入り、席につくと、タイミングを見計らったように、エーピオネーがお茶を用意する。

「ありがとうございます、母上。」

 エーピオネーに礼を言うと、改めて、ロイの方に向き直る。

「とりあえず、状況を説明しようか。」
「キミがどんな連中に狙われていたのかは僕にとってはどうでもいいし、実際知らない。」
「でも、それとは別に、なかなか面倒なことに巻き込まれているようだね。」

 一度、理人の方に視線を向ける。

「理人くん、読み終わったかい?」

「ああ。」

 理人が、一通り目を通した血まみれの手紙を、マカーオーンに返す。
 それを見て、ロイが反応する。

「それは、朝起きたら家にあった物だ。」

「ふむ、ミロワールんね…」

サラが口を挟む。

「ミロワールって何者なの?」

 以前、ミロワールの拠点を破壊する作戦に参加した時、彼女にも一通りの説明はされているはずだ。
 しかし、直接遭遇することもなかった彼は、彼女の世界では、名もないモブとして扱われてしまっているようだ。
 とはいえ、それを気にする事も無く、マカーオーンが改めて語る。

「個人的に少し恨みのあるエンフォーサーでね。」
「キミらも行くんだろ。こいつのもとに。」

「ロイがおかしくなっちゃから、行かなきゃ。」

 サラが答える。その言葉を聞いて、ロイがマカーオーンに聞く、
 もしかすると、医者ならば何か分かるかもしれない。

「あんた医者だろ?」
「この子、どうかしてるんじゃないかって、思うんだが。」

「うーん、見覚えがあるような、無いような…」

「私はおかしくなんかないわ。ロイが忘れてしまったのよ。」

 サラはなおも主張する。
 話の雲行きが怪しくなってきた事を察したのか、それまで黙って話を聞いていた星月夜が、会話に割り込む。

「私は、そのエンフォーサーには特に恨みはないわ。」
「特にレギオンからの依頼などがなければ、私の出来ることはここまでかしら。」

 正直、ミロワールに対峙するにあたって戦力はいくらでも欲しいが、ここで強く彼女を留め置く理由も思い当たらない。ひとまず、先にマカーオーンは理人の方に話を向ける。

「理人くんには、こう言えば良いかな。」
「ミロワールは「神薬」に関わっている。」

 理人については、こういえば、この件の関わってくれるだろうと考えていた。

「もっと具体的に言おう。」
「こいつは、キミのなりこそないみたいなやつを、たくさん生み出している。」
「やつが「神薬」と称して、何を研究しているのかは定かではないけど、確実に、何か噛んでいる。」
「興味が湧いてこないかな?」

「湧かないはずがないだろう。」

「キミならそう言うと思っていたよ。」

 これで、この件に関わってくれそうなレイヤードは3人。
 ロイ・パーカー、サラ・ウィンチェスター、そして西陵理人。
 正直に言って、ミロワールに対抗するのであれば足りない。
 どうしたものかと思案するマカーオーンをよそに、最後の役者は、外からやってこようとしていた…

Opening 10 役者は揃った

 応接室の椅子に座る星月夜の手元で端末が震える。

「あら、少し電話に出ても良いかしら。」

 電話かかけてきた人物の名前は、餓龍。
 かつて、超巨大ベクター、デンジャラス・デイズ・デストロイヤーの討伐作戦の時に同行したレイヤードだ。

「あら、何かしら?」

「率直に言おう、ミロワールというエンフォーサーの居場所を知らないか?」

 餓龍が、簡潔に切り出した用件は、今まさに話を聞いていた内容だった。
 ミロワールの情報をあたる先として、餓龍がまず星月夜に連絡を取ったのは僥倖だったと言えよう。

「ナイスタイミングね。餓龍くん。」
「ちょうど、そのエンフォーサーの話を聞いたところよ。」
「で、それが何か?」

「そいつを倒せれば、相当な金が手に入る。」
「あんたも興味があるんじゃないか?」

「なるほど、ミロワール、人を堕落させて楽しむエンフォーサー、ね…」
「確かにそのエンフォーサーにも興味がわいてきたわ。」
「依頼、乗っても良いわよ。」

 星月夜としても、先ほどまでは特に関わりのないエンフォーサーの話であったが、偶然にもここで別方向からの話が飛んできたおかげで、金になる依頼としては関わる意味が出来た。
 それに、今話していた一同と餓龍を引き合わせるなら、自分が間に立つべきだろう。その間に立ち、この一件に関われることは、彼女としても十二分に興味深いことに思えた。

 餓龍が再び聞く。

「一度、合流した方が良いか?」

「ここに、ミロワールの討伐に協力してくれそうな人たちがいるわ。」
「連れて行ってもいいかしら。」

「まあ、もともと掛けられている賞金もかなりの額だしな。」
「山分けしても余るぐらいだ。」

 餓龍としても、もとよりそうそう少人数でどうにかなる敵とも思っていない。
 同意の意を示し、一度通信を切った。

◆ ◆ ◆ ◆

 通話を終えて、応接室に戻る。

「席を外してごめんなさい。」
「少し話が変わってね、その討伐作戦、私も参加させてもらうわ。」
「私の知り合いからも依頼が来てね。」

「ちなみに、その知り合いの名前を聞いても良いかな?」

「餓龍、と呼ばれているわ。」

 なるほど、とマカーオーンが得心した顔をする。
 六道会に所属する彼、ファーヴニルのコードを所持する、実力あるレイヤードだと、白-6からも聞いている。

「ああ、彼なら大丈夫だろう。間違ってもミロワールに取り入れられることは無いだろう。」
「戦力は多い方が良い。」

◆ ◆ ◆ ◆

 餓龍と合流するための場所の手配などを進めている中、改めて、この場にいるレイヤードたちで自己紹介をする。

「それで、怪我をしていたあなた、名前は?」

「ロイ・パーカーだ。ロイとでも好きに呼んでくれ。」

「あなたを襲ってきた人に、心当たりはあるの?」

 聞かれるが、ネームレスという組織は分かっても、その具体的な人物名には全く心当たりがない。

「恐らく、ネームレスだ。」

「ま、深く詮索はしないわ。」

 レギオン所属のレイヤードがネームレスに追われているのも、何か訳ありだろうが、今回の件に関わらないなら、深く詮索しない方が安全でもあるだろう。
 代わりに、自身からも自己紹介する。

「私は星月夜。フリーランスのリベレーターよ。」
「ま、今は人間の味方だから、怖がらないでくれると嬉しいわ。」

「助けてくれた人を、怖がりはしないよ。」
「星月夜が、素敵な名前だな。」

 続けて、理人も改めて名乗る。

「レギオン所属、西陵理人だ。」

「レギオンの人だったか。俺も一応レギオンだ。ロイ・パーカーだ、よろしく。」

 他の全員の自己紹介が終わったところで、視線はサラに向く。
 彼女の目に映る世界を元に、彼女は語る。

「私はサラ・ウィンチェスターよ。」
「たまにロイのいる騎士団にお手伝いに行っているけど、普段はロイと一緒にお城に住んでるのよ。」
「よろしくね。」

「パーカー、彼女の言っていることは本当なのか?」

 理人の問いにロイは黙って首を振る。彼自身にも測りかねている。

Middle 01 知ること、知りたいこと

 マカーオーンのアジトにいた面々と餓龍が、それぞれ呼ばれた集合場所に移動する。
 ブリゲイドが、こうした「アジトに案内する訳にはいかない客」を交えて話をするために押さえている会議室だ。このメンバーの中には、サラは、以前にもマカーオーンの依頼でミロワールの拠点を破壊する作戦を行った時に来たことがあるはずだ。

「とりあえず、星月夜。」
「アンタの紹介ってことは、この場の人間は全員裏社会の人間ということで良いんだな?」

 餓龍が部屋に入り、開口一番言ったセリフに、場が少し固まる。
 とはいえ、ここに集まったほかの面々も、既にブリゲイドの疑惑がある(理人については確信している)マカーオーンと協力している以上、今さらアンダーグラウンドな人物と関わる事にさしたる問題はない。

 続けて、餓龍が周囲を見回して言う。

「こいつら、戦えるのか。」
「弱そうなのが1人混ざってるし、お前も病み上がりだろ?」

「まあ、大丈夫だ。戦えるはずさ。それに、この子は俺が護る。」
「よろしく、俺はロイ・パーカーだ。」

「餓龍だ。」

 ロイがにこやかに餓龍に挨拶する。ロイが「護る」と言った瞬間、餓龍がピクリと反応した、ような気がした。

「よろしく、ドラゴンさん。」

「待て! その呼び方はやめろ!」

 サラから呼ばれたその呼び名に、餓龍が思わず声を荒げる。
 その呼び名は、とあるインテレクトを彷彿とさせる。かつて、錦鯉の姿を取るそのインテレクトと共に作戦を行った餓龍としては、ドラゴンとよばれると、どうしても錦鯉の姿が浮かんでしまう。

「じゃあ、龍さんで。」

「まあ、それなら良いか…」、

 餓龍が、サラの方をちらりと見る。何となく、その白い髪から、妹の姿を思い起こす。
 ゆえに、先ほどこの少女を「護る」と言ったロイの方に向けて言う。

「護るって言ったからには、しっかり護れよ。」

「ああ、護ってみせるよ。」

 それは、今のロイにとっては、サラが特別な人だからではない。
 ただ、レイヤードとして、護るべき市民だから、というだけだ。
 だが、その言葉自体に嘘はない。であれば、今はそれで充分なのかもしれない。

◆ ◆ ◆ ◆

 会話がひと段落したところで、モニターにマカーオーンの姿が映る。

「あー、あー、見えてるかな?」

「誰だコイツ?」

「初めまして。僕が依頼主、といった方が良いのかな」
「リベレーターの、しがない医者だ。」
「まあ、僕のことは忘れて貰っても構わない。それより本題だ。」

 そこで、一旦言葉を区切り、また続ける。

「これから、ミロワールの拠点に攻め込むわけだ。」

 マカーオーンの言葉に合わせて、画面に地図が映る。
 細かい所や、道中の様子は分からないが、大まかな位置は掴んでいる。

「現状、これだけ明確な招待状があるとはいえ、まだ、その実態はつかめない。」
「ここで一旦、情報を整理していくべきだろう。」

Middle 02 情報収集:ミロワール

 サラがエンフォーサー、ミロワールに関する基本的な情報を改めてまとめていく。

 魔法の鏡のコードを持ち、人間を惑わせ、破滅させることを史上の喜びとするエンフォーサーである。
 一億の懸賞金の掛けられた、ムサシ・クレイドル近辺でも屈指の強力なエンフォーサーであり、現在は、東方十聖の一角であるヒポクラテスの配下として活動している。
 すなわち、ヒポクラテスから、何らかの力を与えられている可能性が高い。

 その情報を受けて、理人がミロワールの現在の拠点について、さらに細かくまとめていく。

 シナガワ凍土を抜けた先の熱砂地帯のようだ。
 比較的安全なルートで近くまで向かうことは出来そうだ。一方で、熱砂地帯に入った後は、目的地に達するまでに避けられない危険地帯があり、そこは車両などを使わず、慎重に探索していくしかない。

 いずれにせよ、これだけの下調べをしておけば、拠点まで向かうことは出来るだろう。

Middle 03 情報収集:ロイとサラの状態

 星月夜は一方その頃。
 今回の件のキーになりそうな重要人物、ロイとサラの不思議な現状について調べを進めていくことにする。

 サラ・ウィンチェスターはロイのことをよく知っているようだが、逆にロイはサラのことを全く覚えていない。一方で、ロイの家の内情を熟知していたことからも分かるように、サラがそのあたりについて、全て妄言を言っているわけでもなさそうだ…

 どうやら、これはロイに限ったわけではないようだ。

 例えば、マカーオーンはサラのことを初対面だと認識しているようだが、サラはマカーオーンのことを元々知っていたようだ。まだ例が少なくて何とも言えないが、どうやら、もともとサラの認識の中で、強いかかわりがあった人間ほど、忘却度合いが強いのかもしれない。

 こうなる直前に、サラはミロワールのものとおぼしき声を聴いており、恐らく、ミロワールが何かしらのサラに対する術や魔法の類をかけたのだろう。
 その話を聞いたサラが呟く。

「そのミロワールという人のせいなのね。やっぱり。」

「そうみたいだな。」
「ということは、俺がおかしいのか?」

「そうよ。ロイが忘れてしまったのよ!」

「とはいえ、忘れてしまったものはなぁ…」

 確かに、そうなると、サラの言うように、本当に自分はサラと一緒に住んでいたのか…
 その考えを、口にする。

「これは、俺の憶測だが、サラとかかわりが強かった人ほど忘れてしまっているのか…」
「マカーオーンや、エーピオネーさんも忘れているようだったし。」

 一方で、サラは事実が明らかになっていくにつれ、奇妙な感覚を覚える。
まるで、今までに自分が積み上げた世界が崩れていくような、今までに自分の話を聞いて、一緒に世界を作り上げてくれた人がいなくなって、自分ひとりだけが、世界に取り残されてしまっていたかのような。

 そう、それは、ひとりぼっちの王女様。

◆ ◆ ◆ ◆

 そういった様子を見て、2人のところに餓龍がやってくる。
 彼も彼で、この状況には思う所があるのか。ある意味無遠慮な質問をぶつける。

「やはり、大切な人が自分を忘れてしまうというのは、辛いことなのか…?」

「私は、ロイのことを忘れてない!」

 餓龍の言葉に、サラが少し語調を強めて反駁する。
 が、反駁を流して再び問う。

「逆の立場だったら、と考えることは無いか?」
「例えば、忘れられていた方が、自分がいついなくなってしまっても良いと思えるんじゃないか。とかな。」

 餓龍の無遠慮な言葉に、思わず肩がぴくりと震える。さらに彼は続ける。

「俺には美幸っていう妹がいる。ちょうどあんたと同じような髪色をした少女なんだが。」
「まあ、あまり深くは話せないが、もしかしたら、もうアイツの元に戻って来られないかもしれない。」
「それで、思ったんだ。それなら、もう忘れてしまった方がいっそ良いのかもしれないってな。」
「だから、ちょっとあんたの意見が聞きたくてな。」

「じゃあ、何だって言うの!?」
「私に、今から、ここを出て行けって言うの!?」
「ロイも、何もかも捨てて、私ひとりで出ていけばいいの!?」

「落ち着け、サラ!」

 半ば錯乱したように餓龍に詰め寄るサラを、ロイがなだめる。
 皆に忘れられ、何よりロイに忘れられ、その中で先ほどの言葉を投げかけられたのであれば、無理もない反応だろう。

 とはいえ、餓龍も、何もサラを挑発したかったわけでもない。

「分かった。聞いた俺が悪かった。」
「アンタがちゃんと戦えるかは知らないが、ちゃんと生き延びろよ。その大切な人のために。」

 そう言って、ロイの方を見る。

「大丈夫だ。サラは俺が守るから。」

 ロイは、迷いなく答える。
 だが、ロイの言葉が、特別なひとりに向けられているものではないと、今のサラには分かってしまう。
 去り際に、また餓龍が声を掛ける。

「悪いな、あんたと俺を一緒にするのは、間違っていた。」
「あんたはあくまで、護られる側だ。だから、これだけは言わせてくれ。」
「護る側がどうあろうと、護られる側が死ぬんじゃねぇ!」

 餓龍としても、サラに言うのは酷だと分かっていたかもしれない。
 だが、これだけは、どうしても言わなくてはならなかった。

 その言葉は、サラの心にも、暗く影を落とす。
 このままで、本当にいいのか。重い決断の時は、迫ろうとしていた。

◆ ◆ ◆ ◆

「ごめんなさいね。彼は栄養不足気味で良心が足りてないのよ。」

 餓龍が去った後、冗談ともつかない言葉を掛けながら、星月夜がサラを気遣う。

「彼も家族のことを思うと、冷静じゃいられないの。」
「大切な人のために、そうなるのは仕方ないわ。」

 そのあたりは、サラだって分からなくもない。
 だから、少しだけ、頷くに留めた。

「そうね。大切な人のために悩むのは、人間にとって自然な事なんじゃないかしら。」
「でも、だから、心は折れないでいて欲しいわ。」
「心が折れたら、もうそれで、ミロワールの思うつぼだから。」

 既に、サラの心は悲鳴をあげている。
 だが、こうして気遣ってくれる人物がいることは、一筋の光のようにも感じられた。

◆ ◆ ◆ ◆

 ロイとサラの元を離れた餓龍は、今度は理人の元を訪ねていた。唐突に、彼に声を掛ける。

「俺の中のコードが邪竜だからな。何となく分かった。」
「お前、あの医者を恨んでいるな。」

「ああ、よく分かったな。その通りだ。」

「だが、その復讐心だけに駆られているようにも見えない。」
「だから、…何だ。 俺も、少し考えを変えようと思ってな。」
「ずっと前に親に捨てられた時から、復讐心で動いてきたが、もう、それは捨てるべきかと思ってな。」
「何となく、後押しされた感じがあるからな、お前には言っておきたかった。ありがとな。」

「それは大きな決断だ。」
「復讐心が憎しみを生み出しても、復讐を果たしたところで、喜びを生むことは無い。」
「持っていても損になるだけの感情だ。」
「俺だって、あの医者に、いまだそれを捨てきれてはいない。」
「が、それを捨てるという決断が出来たお前は、大したものだよ。」

「そうか。」

 理人の言葉に、すこし満足げに頷く。
 が、その時、餓龍の脳裏に、何者かの声が響く。どす黒い感情が宿ったような、重々しい声が。


「ずいぶんと満足した生活。そして、復讐心まで捨てる。」
「餓龍ともあろう者が随分生易しいものだな…!」
「まあ、お前がそれを認めても、俺がそれを認めるかは別だがな…」

 …今の言葉は…?

Middle 04 ひとりぼっちの王女様

 サラは、一度、皆の元を離れていた。すこし、ひとりになりたかった。
 建物の外に出ると、冷たい風が肌を撫でる。

 先ほど言われた事が、頭の中に残っている。
 私は、護られてきた。その意味を噛みしめ、考え、ひとり呟く。

「さっき、あの人は、護られる側だから、死んじゃいけないって言ったわ。」
「確かに、私はロイに護られるだけだったかもしれない。」

 そこまでは、言われた事実。そうであった事実。
 そして、次の言葉は、仄かに灯った、確かな決意。

「でも、護られてばっかりじゃ、いけないんじゃないか…」

 手にしたキャリングケースを持ち上げる。中からカタッと軽く音がする。
 ケースのそこに収まっていたのは、小さな燐寸箱。それを手に取り、祈るようにまた呟く。

「お医者様…」
「私はどうすればいいんだろう。私はこれから、どう変わればいいの…」

 言葉と共に、燐寸を擦る。
 淡い桃色の炎、煙を発するそれは、サラに幻のセカイを見せてゆく。
 炎の中に浮かび上がるように、目の前に光景が広がってゆく。

◆ ◆ ◆ ◆

 どこからか、声が響く。それは、以前に一度だけ、とあるパーティーでご一緒した、「お医者様」の声。
 その声は優しく問いかける。

「やぁ、王女様。いや、違うな、お嬢さん、とでも呼ぶ方が正しいか。」
「正直、キミが自ら、この決断をすることになることになるとは、私も思っていなかった。」
「最後に、もう一度だけ、キミの決意を問おう。」
「本当に、この先に進むかい?

「私が本当に変わらないといけないって、いうのであれば。」
「私が変わらないと、ロイも、あの人たちの状況も、変わらないのであれば。」
「私は、先に進む。その人たちの記憶から、私が忘れられたままじゃ嫌。」

 震える声で、返答を紡ぐ。
 今までなら、変わろうなんて思うことも、自分の世界を疑うことも無かった。
 そんな彼女に灯った、一筋の決意。決意を込めて、言葉を繋ぐ。

「ひとりぼっちは、嫌なの!」

 それは、確かに彼女自身の決意として、声となって響いた。
 「お医者様」の声が応える。

「そうか、ならば、キミの奥底に眠る本当のキミを、一瞬だけ目覚めさせよう。」
「その後どうするかは、キミ次第だ。」

「はい…」

 どこからか、指を鳴らすような音が響き、「お医者様」の声が続く。

「さあ! 目を覚ます時だ!」
「…ひとりぼっちの王女様。」

◆ ◆ ◆ ◆

 そして、さらに幻のセカイは、かたちを変える。

 目を閉じているサラにも、はっきりと感じ取れる。広い部屋。わたしは椅子に座っている。目の前には机。そして、部屋の前方には黒板。書かれているのは、歴史の授業の板書だろうか。
 …ここは、学校の教室だ。あの日あの時と全く同じ景色の中、違うことがひとつだけ。既に彼女には、戦える力が備わっている。あの時の、ただ見ていることしかできなかったキミとは違う。

 そして、運命の時が訪れる。

 窓ガラスが割れ、教室に飛び込んできたのは1体のエンフォーサー。この後で起こることは分かっている。まず先生の首が飛ぶ。そうしてクラスメイト達も次々と…

「…護る。」
「わたしが失ってしまった日常を、私は護りたい!」

 エンフォーサーの動きを遮るように、サラが立ち上がる。
その動きの後を押すかのように、「お医者様」の声が聞こえる。

「そうか。」
「戦うことを決めたのであれば、キミの認識は書き換わる。」
「コードを起動した瞬間、キミは、作り上げられた王女様のセカイじゃ生きられない!」

「はい…」

「いつもは、その役目を、優しいシャルロットが担ってくれたことだろう。」
「だが、この幻覚の世界で、それは通用しない!」
「護りたくば、キミ自身の足で立て! キミ自身の目で見ろ! 未来を睨め!」

 エンフォーサーの前に立ち、ゆっくりと、サラ・ウィンチェスターは目を開ける。
 少女は、その瞳を、まっすぐにエンフォーサーに向ける。

「…わたしは、わたしはあなたを許さない…」

 エンフォーサーは何も答えない。
 代わりに、燐寸の作り手、魅夜・レイジングムーンの声が聞こえる。

「許さないなら、どうすると言うんだ?」

「わたしは、あんたと共に、私の恐怖を、燃やし尽くしてやる!!!」

 それは、ようやく過去を乗り越えた彼女の声、彼女の決意。
シャルロットには使い慣れた、サラ・ウィンチェスターは使ったことのない、そして、彼女は今初めて使う、金属製のカードを構え、まっすぐに放つ。
 銀の光芒を曳くように、そのカードがエンフォーサーを切り裂いたかと思うと、その姿は霧散する。

◆ ◆ ◆ ◆

 幻のセカイは、溶けるように崩れていく。
 最初に燐寸を擦った時と同じ、優しい声が、どこからか届く。

「おはよう。長い眠りだったね。」
「ただ、この夢が覚めた時、またキミの意識は眠ってしまうかもしれない。」
「ここからは、キミの決断だ。私にできることは、ここまでだ。」

 セカイの色彩は、さらに薄くなってゆく。

「さぁ、この夢のセカイから、元の世界におかえり。」
「歩みだすんだ。アルヴィナ・イグナチェヴァ。」

 呼びかけられた少女は、振り返って、声の方にはっきりと言葉を返す。

「ありがとうございます。魅夜・レイジングムーンさん。」

◆ ◆ ◆ ◆

 気付いた時には、元の場所に立っていた。ムサシ・クレイドルのとある路地裏にある、会議室の建物の外。
 周囲の風景はコンクリートの灰色が目立つ。クレイドルではありふれた光景が、アルヴィナには久しぶりに見るように感じられる。

「そうね、私はこの足で、この目で、この世界を歩いて行かなきゃいけない。」
「これからは、わたしは望む世界を護れるわたしになりたい。」

…足元には、1本の燐寸の燃えさしが落ちていた。

Middle 05 孤独の檻は罅割れる

 サラが再び、会議室に姿を見せる。
 その姿を見たロイは、驚きの表情を浮かべる。

 なぜならば、「2年前からついさっきまで、ずっと知ってきた」サラとは、明らかに違う表情をしていたのだ。
 ずっと閉じていた目を開いているから、彼は驚いた。
いや、それ以上に驚くべきことは、今のサラを見て、「今までのサラと違う」と分かることである。
 まだ、靄がかかったようにおぼろげだ。確かに、2年前から共に過ごしてきた記憶が、あるのだ。

 沈黙を破って、今までより、どことなくまっすぐに響くような、決意のこもったような印象の、サラの言葉が紡がれる。

「すいません、少し時間を頂いてしまって。」

「サラ、大丈夫だったのか?」

「うん。」
「でも、どうしたの、ロイ。そんなに驚いて。いや、でも、無理もないかな…」

 確かに、今のわたしは、2年間ずっとああだった状態を、突然打ち破ってきたんだ。驚くのも当然。そう思って口にした。
 だが、ロイが本当に驚いているのはそこではない。

「いや、サラなんだろ。」
「2年前、あの教室で助けて、それからずっと一緒に過ごしてきたサラなんだろ?」
「俺は、どうしてこんな大切なことを忘れていたんだ。」

 サラの表情にも、少し驚きが浮かぶ。
 ロイの側に歩み寄って、小さくつぶやく。

「まったく、遅いよ…王子様。」

 王子さまはちょっとお姫様のことを忘れていたけれど、ちゃんと思い出してくれた。
 そして、お姫様も、もう守られるだけじゃない。

「今まで、ずっと任せてしまってごめんなさい。全てをあなたに背負わせてしまってごめんなさい。」

「いいんだよ。そんなの。」

「私も、あなたの隣で戦いたい…」

 ようやく、ひとりぼっちの檻は罅割れ、彼女の見る世界は取り戻された。
 ひとりぼっちの檻を仕向けたミロワールにも、この展開は予定外であったことだろう。
「世界がサラ・ウィンチェスターを忘れる」孤独の檻。
 でも、ここにいるのは、既にサラ・ウィンチェスターではない。

 アルヴィナ・イグナチェヴァは、ここにいる。

 …そろそろ、靄のかかったこの世界を、反撃の狼煙の灯ったランプで照らし出す時だ。

◆ ◆ ◆ ◆

「ロイ、全部思い出したの?」

「ああ、全部じゃないけど。一緒に居たってことは覚えているよ。」
「きっと、サラの事を知っていた、他のみんなもそうなんじゃないかな?」

 ロイの言葉を見計らったかのように、モニター越しの声がする。
 少し、声には怒りが垣間見える。

「ああ、そうだよ。」
「まったく、やつも全く面白いことをしてくれるよ!」

「マカーオーンさん、あなたも思い出されたんですね。」

「全く、患者の事を忘れるなんて、医者失格だね。」
「あの時、キミには本当に世話になったのにね。」

「あの時の私は、わたしだけど、私じゃなかったので…」

 その言葉を聞いて、マカーオーンはサラに明確な変化が表れていることを、改めて確認する。
 だから、彼女に、彼女たちに、頼みごとを告げた。

「では、生まれ変わったキミに、改めてお願いをしよう。」
「あの魔法の鏡を、叩き割って欲しい。」

「もちろん、私だって、やられたままじゃいられませんから。」

「そろそろ、僕もキミたちに伝えていないことを、伝えた方が良いだろう。」
「これは、情けない話なんだけどね。」

 そう言うと、マカーオーンは白衣の袖をまくって、腕を見せる。
 蛇の巻きついた杖の紋章が、そこには刻まれている。

「僕がヒポクラテスに与えられた力の制約上、奴と直接対峙は出来ても、倒しきるまでには絶対に至れない。」
「ここに引きこもって後方支援に徹したり、キミたちに頼ることしかできなかった理由さ。」

「そうですね。お互いの信用を得るためには。」

◆ ◆ ◆ ◆

 他の3人、星月夜、餓龍、理人にしてみれば、何が起こっているのかはいまいちよく分からない。
 その雰囲気を察したか、サラは3人の方を振り向いて、改めて名前を名乗る。

「自己紹介が遅れました。」
「私の名前は、アルヴィナ・イグナチェヴァ。長いですので、アーリャ、と呼んでいただければ。」

「どうやって思い出したのかにはすごく興味があるわね…その場を見れなかったのは少し悔しいけど。」
「でも、これからよろしくね、アーリャ。」

「こちらこそ、よろしくお願いします。星月夜さん。」

 アルヴィナとの挨拶をかわすと、ぼそりとつぶやく。

「ミロワールに掛けられた力を解くなんて、何をしたんだろう…」
「やはり人間は面白いわね…」

「僕らリベレーターは誕生した時点でほぼ完成されている。」
「でも、人間には成長の余地が残されている。見ていて、なかなかどうして面白いね。」
「”彼女”がそうした理由も、分かる気がするよ。」

 星月夜の言葉を受けて、マカーオーンが返す。
 彼の言う”彼女”、思い浮かべる1人の医者に、心当たりのある者は、ここにはアルヴィナとマカーオーンぐらいしかいないが。

「では、そろそろ向かうとしようか。」
「招待状を出した相手も待ちくたびれている頃だろうさ。」

 マカーオーンが、言う。そして、もうひとつ、意外な事を告げる。

「今回は僕も付いていく。」
「ヤツと戦うことは、僕には出来ない。だが、ヤツには聞いておかなければいけないことがある。」

 その言葉を聞いて、サラの方をちらりと見てから、餓龍が答える。

「ま、大丈夫だろ、アイツもようやく戦える目になったんだ。」

 理人も、マカーオーンに対して答える。

「お前が付いてくるのは構わん。だが、絶対に死ぬなよ。お前を殺すのは俺だ。」

「当たり前だ。僕がこんなところで死ぬわけないだろう。」
「僕は、死ぬのは絶対に嫌だからな!」

 続く一言は、周囲の皆に聞こえたのかは定かではない。

「…だって、父はいないんだからな。」

Middle 06 招待状の主の元へ (アサルトシーン)


 十分な情報は手元に集まったかは定かではない。が、いつまでも悠長に構えている場合でもないのもまた事実。
 レイヤードたちは、ムサシ・クレイドルを出発した。

 手配した車両に乗って、クレイドルを脱し、シナガワの凍土を抜け、熱砂地帯へ。
 かなり目的地に近いところまでは来られたが、これ以降は避けようがない危険地帯だ。
 慎重に、突破して行かざるを得ないだろう。

 車両を降りて、しばらく進んでいくと、砂嵐の中で、巨大な高架橋が見えてくる。
 左には巻き上がる砂が、行く手を阻んでいるが、前と右には進めそうだ。
 目の前には朽ちた標識がある。恐らく、この近辺の遺構の一部であるなら、周囲を知る手がかりになるだろう。

 餓龍と理人が協力して標識を解読し、直進した先にはエネルギースタンドがあることを突き止める。
 エネルギースタンドが何のための物なのかは不明だが、恐らく重要な施設であることに変わりは無いだろう。
 ひとまず、そちらに向かって歩を進めることにする。

 奥に進んでいくと、あらかじめ知っていた通り、そこにはエネルギースタンドがある。神殿のような外観で覆われているが、かなり高度な装置のようではある。その奥にある端末には、何やら文様が書かれているようだ。その文様を操作していくと、背後の方で、音がする。
 どうやら、先ほどの分かれ道で行く手を塞いでいた砂嵐は、このエネルギースタンドからエネルギーを供給されていたらしい。

 そこで、分かれ道まで戻って、今まで通れなかった道を越えていくと、立体駐車場がある。
 放置されている輸送車両を調べると、使えそうな医薬品がトランクに転がっている。
 以前ここの調査に来たアサルトチームの残したものだろうか…
ここに置きっぱなしにしておく理由もない。有難く拝借して、奥に歩みを進める。

 さらに奥に進むと、物陰から機械音がするのに気付く。
 鬼型のベクターだ。これを倒して突破できなくては、この先に進むことが出来ないだろう。

◆ ◆ ◆ ◆

 ベクターの姿を視認した直後、素早く星月夜が支援を展開する。
 彼女のコード、テオドルス・ファン・ゴッホの真髄と呼べる「劇的なる成功を収めた者だけに訪れる奇跡」を与えるものだ。生前は評価されなかった画家を、それでも信じ続けた逸話の再現だ。

 続いて、理人がコードの力を引き出し、攻撃を展開する。
 様子見の意味を込めての、軽い一撃であったが、ベクターの装甲が少々損壊する。

 そして、その隙にロイが戦場に走り込む。軽やかに一歩、二歩と距離を詰め、必殺の突き技。
 新選組最強の剣士を宿した一撃が、ベクターを穿つ。
 一瞬の後に致命の一撃を受けたベクターが爆散する。

 そして、続くはサラ・ウィンチェスター、いや、アルヴィナ・イグナチェヴァ。
 1体のベクターを仕留めたロイの直ぐ側を抜けて、別のベクターに迫る。
 そして、手元にカードを取り出して、そのままに斬撃。深々とベクターを切り裂き、一閃にしてその活動を停止させる。
 そして、踊るように距離を取ると、次のカードをを手元に構え…

 空いた片手で拳を作って隣に立つロイの方に軽く掲げる。
 意図を察したロイも拳を作り、アルヴィナの拳とコツン、と軽く当てる。

 その光景こそ、本当の意味で、アルヴィナはロイの隣に立って、初めて戦った姿なのだろう。

 続いては餓龍が、邪竜のコードの力を込めた、火炎の一撃を放つ。
 炎を一瞬にしてベクターを包み込み、炎が通り過ぎた時、そこにいたはずのベクターは跡形もなく熔解していた。
 恐るべき威力だが、実は、この一撃の真に恐ろしい所は、威力ではない。
 餓龍はこの一撃の間に、強欲なる龍のコードに由来する力で、自身の精神力を回復させているのだ。
 餓龍の真髄は、この「戦い続ける力」だと言えるだろう。

 残ったベクターからの反撃は、星月夜が展開した障壁で被害を抑える。

 攻防の応酬を終えて、レイヤードとベクターが再び向き合った時、ベクターは既に3体、その数を減らしている。
 もはや趨勢は決していた。
 危なげなく、そのまま戦闘は進行し、最後はロイの刀の一振りを受けて、鬼型ベクターは爆発四散する。

 戦闘が終わったところで、マカーオーンが陣営全体を見回し、理人に目を留める。

「怪我をしたのキミだけか。」
「キミにとっては不快かもしれないけどね。」

 そう言うと、杖を振り上げる。
 治癒術を掛けられたようで、理人の傷がみるみるうちに治っていく。
 さすがは、神代の医者のコードを持つリベレーター、といったところか。

 こうして、アサルトチームはベクターとの戦いを切り抜けた。
 突発の戦いではあったが、今からミロワールと対峙しようというレイヤードの実力を示す機会としては、十分だったと言えよう。

◆ ◆ ◆ ◆

 奥に進んでいくと、公園の跡地のようだ。
 先に向かう道が分かりづらくなっているうえ、危険なガスの噴出などの障害もあったが、どうにか危険物や進めそうな道を見つけて奥へ分け入る。

 ミロワールからの「招待状」と、このあたりの地形の調べによれば、そろそろこの熱砂地帯の最奥部だ。
 マカーオーンが声を掛ける。

「いよいよご対面だ。」
「みんな、それに特にそこの2人とも。準備は良い?」

Middle 07 鏡との対面

 しばらく進むと、広い道路のような場所に出た。
 ここは、砂嵐も収まっており、ご丁寧にも足場も安定している、まるで、誰かがわざわざ準備をしたかのような場所だ。
 無論、そんなことをするのは、ひとりしかいない。

 パチ…パチ…パチ!

 どこからか、拍手の音が聞こえる。
 そして、彼は、姿を現した。ミロワールだ。
 サラの方を見て、優雅に礼をする。

「ようこそおいでくださいました。王女様。」

「もうその呼び方はやめてくれないかな。」

「どうやら、プレゼントはお気に召さなかったようですね。」

「あんなもの、最初から願い下げよ。」

「では、代わりに。」

 そう言って、ミロワールは自分の顔をなでる。
 そうして、その手の下から現れた新しい顔は、誰よりもよく見知った顔。
 ロイ・パーカーの顔に、変じて見せる。

「ボクはキミのことは調べ尽くした。」
「キミのことを忘れてしまった王子様よりは、こっちの方が良いんじゃないかな。」

 ロイの顔で、笑みを浮かべる。
 どうせ、キミの精神は限界なんだろ、とでも言いたげな、余裕の態度。

「他にも、キミのことを忘れてしまった人たちを、ボクは出してあげられる。」
「壊れてしまったキミの世界を、治してあげられる。」
「では、どうぞこちらへ。」

 元の顔に戻して、ミロワールがさらに手を差し伸べる。
 その姿をしっかりと見据え、サラは、一歩前に出る。
 偽りの姿の手を取るためでなく、ずっと目を伏せていた本当の世界を歩む、覚悟を告げるために。

「ロイが王子様じゃなくても良い。」
「私がお姫様じゃなくても良い…」

 今までずっと閉じていた瞳。
 優しくもない、本当の世界があるなんて分からなかった。
 ましてや、こうも正面から決意を伝えるなんて、思いもしなかった。
 けど、今なら、言葉を紡げる。

「わたしはこの目で、この世界を見て、歩んでいくって決めたの。」

 サラの言葉を聞いてなお、ミロワールが語り掛ける。

「でも、キミのことなんて、みーんな忘れてしまったでしょ。」
「ボクには、皆分かっているんだから。」

 違う。ミロワールは1つ重大な思い違いをしている。
 サラがひとりぼっちな訳がない。それを告げるため、ロイはアルヴィナの手を取る。

「今度は、忘れたりしない。この手を離したりしない。」

「ほらね。わたしは、ひとりじゃない。」

 その瞬間、ミロワールの表情から、笑顔が消える。
 まさか、本当に、この術が解けたのか…?
 それとも、サラはこの孤独の中にあってなお、ひとりで、改めて縁を結んだのか…?

 どちらにせよ、あり得ない。そんな訳はない。

 彼女は、ひとりぼっちの王女様なんかじゃない。
 その言を補強するように、星月夜も隣から言葉を添える。

「そう、私たちは、あなたの知らないアルヴィナ・イグナチェヴァを知っているわ。」
「あなたの方が、知らないことが多いんじゃないの?」

 ミロワールは、星月夜の言葉を聞いて確信する。
 信じがたいが、確かに掛けたはずの、孤独の檻が、解けている。

「なぜ…? 自力で…?」

「お医者様が助けてくれたのよ。」

「おっと、僕じゃないよ。」
「僕はただの外科医だ。そんなことは出来ないって、お前も知ってるだろ、ミロワール!!」

 サラの返答に、マカーオーンも続けて言う。

 記憶を掘り起こし、考える。
 誰だ…そんなことが出来る奴は?
 医者、マカーオーンではない、幻、サラ・ウィンチェスター…

「…そうか。」

 ひとりだけ、いる。
 サラ・ウィンチェスターの症状を知っている医者で、幻覚・精神作用の専門家…
 大事な工場が破壊された時にも居た。あの、燐寸使い…

「あの医者かぁァァァァ!!!」

 珍しく、ミロワールが怒りをあらわにする。
 それは、自分への苛立ちかもしれない。なぜ、あれを放置した…!

「そうかそうか、ボクとしたことが、獲物を間違えたみたいだな…!」
「そもそも、マザー・テレサになんて構ってる暇なんてなかったんだ…!」

 次は、絶対に、許さない。
 いや、違う。次じゃない、今からだ。この場にのこのこやってきたヤツは、殺す。

◆ ◆ ◆ ◆

 少し冷静さを取り戻すと、周囲の人物たちが気にかかる。
 いや、むしろ怒りに呑まれているのかもしれない。何で、わざわざここにやってきた。

「で、そっちの3人は、何のために来てるのさ。」

「てめぇ、金ヅルだろ?」

 餓龍の答えは、この上なくシンプル。
 そんなシンプルな答え、ミロワールには聞き飽きてる。

「その言い方だと、賞金稼ぎの類かな?」
「キミのような賞金稼ぎなんて、もう何人も見てきたよ」
「そのたびに絶望して、破滅していったけどね!」
「さあ、キミはどんな顔を見せてくれるかな!」

 挑発に対して、彼は淡々と聞く。

「アンタ、人の悪を引き摺り出して、それで破滅させていくんだろ?」

「そうだけど?」

「まあ、俺も自分で悪に落ちてるからな。その点はあまり変わりねぇ。」
「だが、俺とアンタの違いは、どれだけその中で苦しんできたかだ!」
「ただ快楽の為だけに悪を振りかざしたアンタに負ける気はない!」

 龍が吼える。
 悪と悪でも、同じ悪でも、そこには譲れぬ違いがあると叫ぶ。

「…そうか…そうか、苦しんだのか。」
「それはもしかして、この子の為かい? おにいちゃん?」

 言って笑うと、ミロワールの顔が、美幸のそれに変わる。

「うるせぇ…」
「こっちには、本当の想いがあるんだよぉ!!!」

 餓龍の想いは、偽りの姿、幻像などで揺らぎはしない。
 呼応するように、持ち物の中で、「想い出の品」が軽い音を立てる。
 美幸との絆が、そんなもので揺らぐものか、いや、美幸だけじゃない、自分をここに立たせている絆が、そんな幻で揺らぐものか!

「あとな、ここには悪を知ってなお共に来てくれるヤツがいる、復讐心を乗り越えてきたヤツがいる、護りたい人のために戦ってるヤツがいる。」
「そして俺にも、護りたいものがある!」
「それはそれとして、アンタが悪を貫くのも嫌いじゃねえ。」
「正義なんて、くそくらえだがな!」

 またひとつ、不機嫌そうに舌を鳴らす。
 覚悟の決まった人間なんて、つまらない。

「ボクは正義が憎くて、悪となっている訳じゃないけどね。」
「正義か悪かなんてどうでもいい。ただ面白いものを見たかった。結果として、悪って言われてるけどね。」

 ニヤリと笑う。

「じゃあ、敢えてボクは、今は悪を名乗ろう。」
「キミに、底の知れない悪ってものを、見せてあげよう。」

「娯楽のために悪を貫くような可哀想なヤツに負ける気はしないけどな!」

「言うじゃないか!」
「まあ、まだ面白そうなヤツが2人いるからな。そいつらの言い分も聞いてやろうか?」

 再び首を巡らせ、星月夜の方に視線を向ける。

◆ ◆ ◆ ◆

「で、そっちはリベレーターか。」

「そうよ、もしかしたら、あなたと共に戦ったことがあるかもしれないわ。」
「まあ、もう袂を分かった以上、あなたとは殺し合う他ないわね。」

 ミロワールを見る星月夜。その目線はどこか優しそうでもあった。

「でも、あなたの言う人間の面白さ、とってもよく分かるわ。」

「なるほど、ボクらの本質はあんまり変わらないね。」
「人間の持つ面白さを見続けているという点では、キミとボクは似ているかもしれないね。」

「でも、私たちの違いは、人間の力を信じているかどうかね。」
「あなたは、自分の力で人間を操って楽しむわ。でも、それは自分の力を信じているだけ。」
「人間の力を信じてはいないじゃない。」

 まっすぐにミロワールを見据えて言う。
 人ではない、人と共に歩む者だからこそ、星月夜は人の力を信じる。
 ミロワールは、人を躍らせる、自らの力を信じる。

「当然だろう。人間の力の代償なんて、僕の手のひらでどう踊るかだけだろう。」

「私は、人間自身の持つ、その力を信じているから。」

「なるほど、そこがボクらの、決定的な違い、って訳だ。」
「仮にボクがリベレーターになったとしても、そこは変わらないだろうね。」

 それは、きっとエンフォーサーだとか、リベレーターとかじゃない。ましてや、コードに由来する物でもない。
 もっと奥深く、その個体ゆえの、わたしがわたしであるための本質。

 それは、ミロワールだって変わらない。
 どこまで言っても、人は手のひらを転がる玩具でしかない。

「…人間は面白いよ。」
「…少し前も、面白く踊る2人を見たことだしな。」

 小さくつぶやく。
 周囲のレイヤードたちは知らないが、彼は、ある少年と少女のことを思い起こしていた

◆ ◆ ◆ ◆

 星月夜から視線を外すと、マカーオーンに視線を向けて、敢えて次には理人に問う。

「で、キミは何で彼の隣にいるのさ。」
「彼は、ブリゲイドだろ? なんで、キミが肩を並べているのさ。」

「その話しぶりからすると、俺の立場は想像がついているようだな。」
「端的に言うなら、彼には利用価値があるからだ。」
「俺の目的は、「神薬」を求めているからな。」

 端的に答えた理人に、ミロワールが得心したように言う。

「そうかそうか、キミもあれが欲しいのか。」
「確かにそれなら、彼と組むのは正解だろう。」

「そうだ。その目的のためには、彼と組むこともやぶさかではない、という訳だ。」

「なるほど、とても分かりやすい。」
「じゃあ、こちらに来たら、その神薬を渡してもいい、って言ったら?」
「僕には、その権限、能力があることは分かるだろう?」

 ミロワールの誘いに、一瞬、理人が眉をぴくりと動かす。が、冷静に彼に問い返す。

「それを証明する手立てはあるのか?」

「ま、そこの彼、マカーオーンに聞いてみたら。知ってると思うよ?」
「僕は、「神薬」をあげるよ? これとかね。」

 そう言うと、顔の一部を少女に変じて見せる。

「彼の妹のうちの1人、って言うと分かってくれるかな?」

 会話を聞いていたマカーオーンの、杖を握る手に力がこもる。
 マカーオーンの妹たちは、それぞれの方法で「神薬」に迫っているらしい。その1つ、ということなのだろう。

「で、どうする?」
「それに、キミがこちらに来るなら、キミに力を与えよう。」
「ブリゲイドの支部の1つや2つなど簡単に壊滅させられる強大な力を。ボクにはその力がある。」
「復讐が完遂できることは保証するよ。」

「だとしてもだ、己が試練を乗り越える時に、他者の力を借りて何になる。」

 ミロワールの再びの誘いに、理人は、はっきりと首を振って言う。
 会話を通じて改めて理解した。このミロワールという人物の提案で、自らが満たされることは無い。
 自らの道を歩むうえで、彼の手を借りる必要は無い!

「そうかそうか、キミはそういう人なんだな。」

 面白くなさそうに、ミロワールが答え、彼から視線を外す。

◆ ◆ ◆ ◆

 言葉を切ったミロワールに、マカーオーンが問いかける。
 声には、普段あまり表に出ることは無い、彼の怒りがこもっている。

「イアーソーはどこへやった?」
「僕は、4人全員助けるとこの杖に誓った。絶対にお前を殺してイアーソーを救い出す。」

「ははははははhっははははっはははhッ!」

 マカーオーンの問いかけを受けて、ミロワールは、一瞬だけその動きを止めた後、堰を切ったように哄笑する。
 その表情に浮かんでいるのは、憐憫と嘲り。

「キミも忘れているんだね。やっぱり。ああ、可愛そう。」
「なんてかわいそうなんだ。アイグレーは。」

 アイグレー、という耳慣れない人名を挙げ、さらに続ける。

「姉妹たちの中で1人だけ母親が違って、兄にまで忘れ去られる。」
「なんてかわいそうなんだ、アイグレーは。」

「貴様ァァァァァァァァァァ!!!!!」

 マカーオーンはその瞬間、はっきりと悟った。
 自分は、アイグレーなどという名前に心当たりはない。だが、その人物と関係がない。そんな訳は絶対にない。
 だとすれば、忘れさせられているのだ!
 孤独の檻に閉じ込められていたサラ・ウィンチェスターのように!
 この鏡は、他にもそのような外道をしている。恐らくは、自身の大切な妹に!

 怒りに任せて杖を振り上げる。
 が、マカーオーンが杖を掲げた瞬間、電撃が走ったように、その杖を取り落とす。

「それが出来ないことぐらい、キミも分かっているだろう。」
「そこで大人しく、彼らが殺されるのを見ていなよ。」

 マカーオーンを見下し、再び、レイヤードたちを見回す。
 それは、「最後に言いたいことは無いか?」とでも言わんばかりに。

 ロイが、最後に一歩進み出る。

「アンタ、ミロワールって言ったな。」
「よくも、アーリャを傷付けるような真似をしやがって。」

「悔しいか?」

「ああ。」

「悔しいかい、ロイ・パーカー!」

 ああ、もちろん悔しい。
 撃たれて無様を晒したのが悔しい。
 この鏡に、翻弄されていたのが悔しい。
 大切な、大切な人を忘れていたのが悔しい。

 だから、この刀で示そう。
 共に歩む、大切な人と、今度こそ証明するんだ。
 いや、これからも共に歩み、証明し続けていくんだ!

 刀を抜き、その切っ先をまっすぐにミロワールに向ける。想いの様に、どこまでも真っ直ぐに!

「その心臓を、突き殺してやる。覚悟は良いか!?」

「キミこそ、幻惑の海で溺れ死ぬ覚悟は出来ているか!?」

「望むところだ!!」

 ここに、幻惑の鏡との戦い、その火蓋が切って落とされた。


Climax 01 其は幻惑の鏡


 東方十聖ヒポクラテス陣営の中核のひとりにして、ムサシクレイドル周辺有数の賞金首。
 鏡のエンフォーサー、ミロワール。

 対するは、5人のレイヤード。

 星月夜、西陵理人、餓龍、ロイ・パーカー…
 …そして、アルヴィナ・イグナチェヴァ。

 戦いの開始を告げる一手として、星月夜が未来確信の支援を掛ける。
 味方への信頼を示すその光が、周囲を包み込む。

 が、次に動いたのはミロワール。
 幻像が空に溶けるように、音もなく構え、アルケオンの奔流を放つ。
 避けきれないレイヤードたちに、痛手を負わせる。が、誰一人としてまだ倒れはしない。

「これぐらいならまだ立っていられるのかぁ…!」

 ミロワールが値踏みするように言う。
 その言葉には答えず、続いて、西陵理人が動く。

 マクスウェルの悪魔、熱力学の概念を示す特殊なコード。それを宿した攻撃の威力を、アルケオンの力でさらにブーストする。攻撃を受けたミロワールの身体が焦げる。

 確かに、ミロワールは強い。だが、効いていないわけではない。
 希望が見えたかと思ったその瞬間、ミロワールが、再び不敵に笑う。

「やるじゃないか、レイヤード。」
「それじゃあ、本当の絶望を見せてあげようじゃないか!」

「…《反転・ヒポクラテスの誓い 其の十「The Lonely World」》」

 その名が呟かれた瞬間、レイヤードたちを強烈な孤独感が襲う。
 これは、まるで自身が世界のすべてから切り離されたかのような。いや、自身の内に積み上げられた力すらも届かない、それは絶対の孤独…

 さらに、続けざま、ミロワールは自身の周囲に鏡を展開し、光弾を放つ。
 標的にされたのは、アルヴィナ、ロイ、星月夜、餓龍。先ほどの効果を受けて、攻撃を回避することは非常に難しくなっている面々だ。
 が、孤独の中でも必死に身体を動かし、ギリギリのところでアルヴィナは攻撃を避ける。

「もう、私の眼は、見えている。」

「なかなか、やるようだね。前に見た時とは大違いだ!」

「それはそうでしょう、私だって、自分自身で戦うって、決めたんだから!」

「でも、他の人たちはボロボロみたいだけどね。」

「なら、私が護る。護ってやる!」

 それは、襲い来る脅威に、真っ直ぐに立ち向かう、彼女の決意。
 他の面々も、その言葉を受けて、アルケオンの力で再び立ち上がる。今度こそ、ミロワールへの反撃の時だ。

 ロイがミロワールの足元に走り込み、そのまま抜刀。ミロワールに斬撃の傷が走る。
 そして、その攻撃が通り抜けた次の瞬間、ロイの身体に隠れていた位置から、アルヴィナの投射したカードが既に迫っている。それはまるで、2人で1つの攻撃のように、ミロワールの体力を確実の削り取る。

 が、ここで、戦略にほころびが生まれる。
 餓龍が放とうとしたクラフトが、手元で黒い煙を上げて失敗する。彼にとっては、普段なら、まず失敗することは無いクラフトだった。理由は明確だ。ミロワールが掛けた孤独の術。クラフトを補助する全ての力を断ち切られたからこその悲劇…

 その様子を見て、ミロワールはさらに邪悪な笑みを浮かべる。
 生まれた致命の隙を、彼が見逃すはずがない。不運に見舞われたものを狩る、鏡から延びた黒い影が、餓龍を貫く。そのまま、彼の身体が地面に崩れ落ちる。まずは、1人…

 しかし、起きたことを振り返る余裕もなく、戦局は進み続ける。
 星月夜が、とっておきの支援を、理人に掛ける。それは、もう一度だけ、限界を越えた動きを与える、「ロードトゥウィナー」!

 星月夜の支援を受けた理人が、再びの攻撃を仕掛ける。
 そう、理人はこの戦場で誰よりも先んじて行動したゆえに、ひとり孤独の檻からも逃れているのである。もう一度攻撃を行うのであれば、今ならば彼以上の適任はいない。

 マクスウェルの悪魔のコードを励起。そして手元で温度を上げる、さらに上げる。
 アルケオンの力も込め、そのまま攻撃として真っ直ぐミロワールに放つ。

「そこで突っ伏しているクソみたいな外科医には、まだ情があった。貴様には無い。」
「ここで散れ!」

「キミみたいに覚悟を決めてボクにかかってくる人、何度も見てきたよ。」
「そして、何回もその覚悟を踏み折ってきたんだよ、ボクは!」

 理人の攻撃を受けながらも、ミロワールが嘲け笑う。
 そして、周囲に展開した鏡から次の光弾を作り出し、繊細に角度を調整してアルヴィナの方に放つ。
 が、アルヴィナはその予備動作をしっかりと見極め、踊るように光弾を躱す。

「チッ、ちょこまかと!」

 攻防を繰り返すたびに、少しずつ、ミロワールの顔から余裕が消え、苛立ちと怒りに変わっていく。
 そして、戦いは次の局面へと展開する。

◆ ◆ ◆ ◆

 その時であった。

 ミロワールとの戦いは一進一退、全く先が読めないこの状況で、戦場の背後で立ち上がる人物がひとり。
 蛇の杖を地面に突き立て、それを支えにしてゆっくりと立ち上がる。
 限界を告げる身体を奮い起こし、蛇の杖を掲げて叫ぶ。

「お前も英雄なら……僕の前で倒れてるんじゃねぇ!!」

「良いのか…? 俺のコードは、英雄なんてモノじゃねぇぞ!!!」

 …叫びに呼応したのは、餓龍。
 が、彼がマカーオーンの方を見ると、彼は再び蛇杖を取り落とし、口から赤黒い血を吐く。

「あとは、任せろ。 必ず殺る!!」

 戦場に再び立ち、マカーオーンに声を掛けると再び戦線へと向かう。
 さあ、英雄たちよ。まだ、戦いは続く。立ち上がれ。

◆ ◆ ◆ ◆

 星月夜は再びコードの力を使って支援を行う。今度の対象は、ロイ・パーカー。
 髪から光の粒子を放つ幻想的な景色は、その名の由来となった名画を思わせる。
 幻想的な光の中、星月夜は目を見開き、真っ直ぐにミロワールを見つめて宣言する。

「さあ、私の眼は、未来を確信した! この英雄が、お前を打倒する未来を!」
「私の眼と、お前の節穴、どちらが正しいか、見極めようじゃないか!」

 そして、一瞬言葉を切り、英雄の名を告げる。
 それは、未来を確信する者である星月夜の、期待に応えた者にだけ訪れる奇跡。

「さあ、行け、英雄よ!」
「英雄、ロイ・パーカーよ!!」

 星月夜の明瞭な声が響き、この戦いの再開を告げる。

 まずは理人がマクスウェルの悪魔のコードを起動し、今度は纏う温度を下げる。
 氷を纏った攻撃を放ち、ミロワールに向き合って言う。

「さっき、お前に立ち向かっていった奴は皆絶望した。と言ったな。」
「俺が人生で絶望したのはたった一度だけだ。」
「俺に何の力もなく、ただ両親が殺されるのを見ていた。その時だけだ。」
「それを、最後の絶望の日と決めたんだ。」

「そうか、なら、絶望を自覚することもなく死ね。」

 理人の攻撃を受け、その身体を凍らされながら、ミロワールが憎悪の目線を向ける。
そのまま、怒りに任せて光弾を理人と餓龍に放つ。

 理人は、その光弾を受けて膝を付きかけるも、アルケオンの力でギリギリ踏みとどまる。

「まだ立ち上がるか。大人しくそこで眠っていれば良いものを。」

「うるさい。俺は、何度でも立ち上がる。」

 一方の餓龍は、その攻撃をコードの力で正面から打ち壊し、強欲の邪龍のコードでそのエネルギーを自らの力に変える。その光景は、端から見れば攻撃を「喰った」ようにも見えたことだろう。

 満を持して、ロイが刀を構える。星月夜の未来確信を受けて、信頼を受けて、ミロワールに向かって走りこむ。
 幕末の天才剣士、沖田総司。激動の時代の生き様を載せた、その剣技を再現する必殺剣。
 その剣技の名は「死突太刀」。命を燃やせ!

「之に全てを懸ける。神速と云われた沖田総司のこの紫電一閃の突きを受けて見よ!!!」

「ッ…!」

 その剣はミロワールの身体を深々と貫き、さしものミロワールと言えど無視できない損傷を受けたことが、傍目にもよく分かる。
 ザッ、と音を立てて再び地に立ったロイが、刀を振って血を払う。

「護るのを止める理由になんかならない。」
「もう、その手を離さないって、言ったからな。」

 ロイがアルヴィナの方に目線を向ける。それが合図になったかのように、アルヴィナはロイの方に駆け寄りながら、ミロワールに向けてカードを放つ。その瞬間、コードの力をひときわ強く起動する。

 彼女のコードは、フランスの暗殺者、シャルロット・コルデー。
 一介の可憐な村娘でありながら、己の信じる正義の為、後のフランスに多大な影響を与える暗殺を成し遂げた。その異名は、暗殺の天使!

「私はもう、目を背けない。」
「私は、前を見据えて、目の前の敵を見据えて、皆を護るって決めた。」

 そして、カードが手から離れる瞬間、コードの起動ワードを唱える。いつもは半分しか言っていなかった。
 でも、今のアルヴィナなら、その全てに自信を持って言い切れる。これが、私のコードであると!

「神は、勇敢な者の希望である。」
「臆病者の口実ではない!!!」

「教えてやるよ…! カミサマなんて、居ないってことをな…!」

 カードに切り裂かれ、ミロワールの口調は完全にいつもの飄々としたものから掛け離れ、怨嗟の声を向ける。
 あのミロワールが、怒っている。それだけで、この戦闘でどれほどレイヤードたちが善戦しているかはよく分かる。もしかすると、この怒りこそ、ミロワールの致命的な隙となるのかもしれない。

 続けざまに、餓龍がクラフトを放つ。
 今度はクラフトに鋭さではなく、重さを重視したチューニングを施して放つ。押し込むようにミロワールの体勢を崩し、次の展開へと繋げる一手。

 が、ミロワールもまた、体勢を崩しながらも攻撃を放つ。
 次の狙いはロイとアルヴィナ。接近戦を仕掛けるためにミロワールの近くに固まっていた2人を巻き込むように、魔法の鏡を展開する。

「はははっ! そんなにお互いが好きなら、2人仲良く溺れ死ねっ!!」

 その一撃に、アルヴィナはアルケオンの力を使って戦場に意識を留める。
 が、既にアルケオンを使って攻撃を耐え抜く技を使い切っていたロイは、そのまま地に倒れ伏す。
 アルヴィナがロイの元に駆け寄って抱き起こすと、ミロワールの方を睨みつける。

 ミロワールは、口角を釣りあげてニヤリと笑って見せる。

 その顔を見て、アルヴィナは再び立ち上がる。カードを構え、ミロワールに向いて立つ。
 これまでは、ロイに護られてきた。だったら、ロイが倒れた今こそ、私が戦わねばならない!

 アルヴィナが決意を込めて戦場に立った時、その決意を見届けるように、背後から、1人の軍医の声が響く。
 身に刻まれた制約に倒れ、しかしまた立ち上がった軍医は、蛇杖を構える。

「僕はあえて、誓いを破ろう。ここで、削り切れよ…」

 そして、叫んだ技の名は、彼の生き様そのものを示すともいえるもの。

「軍医の本懐!」

 その瞬間、限界を越えて戦う力が、いまだ戦場に立ち続けるレイヤードたちに行きわたる。
 これでも及ばなかったら、其れすなわち敗北。この戦いも、いよいよ最終局面に入ろうとしていた。

◆ ◆ ◆ ◆

 理人がこの戦いを終わらせるべく、クラフトロジックを構える。
 しかし、彼の精神力は既に限界に達していた。鏡を溶かす筈だった致命の火炎が出力されることはなく、理人は焦りの表情を一瞬だけ浮かべる。

 だが、鏡の悪魔はその一瞬を逃さなかった。
 餓龍を地に堕としたのと同じ影が一瞬のうちに理人に迫り、彼は為す術もなく再び倒れていった。もう、アルケオンによる復活も行えない。

 続けざまにミロワールがこの戦い最後となる、鏡の一撃を放つ。
 が、その攻撃を向けられた餓龍は、その攻撃を弾き落とし、それにとどまらず自身のエネルギーとして、喰って見せる。

「なんて…強欲な龍だ!」

「なあ、ミロワール、なんで俺が、アンタの前に立ててるか分かるか?」
「アンタと違って、ひとりじゃないからだよ!!」

 龍が吼える。
 その瞬間、長かった戦いに決着がつく刃が迫ろうとしていた。。

 この戦いに、決着をつけたのは、ひとりの少女。
 特別なお姫様でもない、ただの少女。
 でも、戦う力はこの手にある。護る力はこの手にある。戦う意志もこの手にある。

 蛇杖の軍医に分け与えられた力を使い、もう一度、コードと全力で同調する。
 暗殺の天使の力を借りて、ミロワールの背後から、致命の一撃がミロワールの首を狙う。

「レイヤードはひとりで戦っているんじゃない。」
「ひとりひとり見ているうちは、私たちには勝てない!」

「ッ…!!! ぐぁっ!!」

 咄嗟に、ミロワールが腕を振り上げて攻撃を防ぐ。
 その瞬間、アルヴィナの斬撃で、ミロワールの右腕が千切れ飛ぶ。

 これは、さしものエンフォーサーと言えども、修復不可能な傷。

「…ちょっと、舐め過ぎていたかもしれないな…少し、ボクも考えを改めることにしよう。」
「でも、ボクもここで死ぬわけにはいかない。」
「この中で何人が僕とまた会うかは分からないけど、…次は殺す!」

 言うと、ミロワールは周囲の空間を歪ませるかの様に融け消えていった。
 この場での決着は諦め、撤退したのだろう。

 完全な決着とはならなかった。だが、ミロワールに刻まれた消えない傷。
 確実に、この戦いは、事態を大きく進める一手となったのだ。

Ending 01 激戦を終えて

 ミロワールは去った。

 一瞬、緊張の糸が切れたような静寂が通り抜け、次の瞬間、我に返ったようにアルヴィナはロイの元へ駆け寄る。倒れているロイに、手持ちのメディジェクトを飲ませる。
 ミロワールが去って、少し動きへの制限も緩められたらしいマカーオーンも加わり、治療を施す。
 しばらくして、ゆっくりと、ロイが目を開ける。

「ロイ…またいなくなっちゃうかと思った…」

「ごめんな。」
「もう手を離さないとか、心配かけないとか言ったのに、こんな情けない所見せちまって。」

「謝ることなんてないの…」
「ロイがいなかったら、私も…」

 アルヴィナの安堵の声を受けて、ロイは彼女の頭に軽く手を置く。
 その瞬間、また再び、少しだけ、サラ・ウィンチェスターと名乗るアルヴィナと過ごした2年間の記憶がよみがえる。恐らく、右腕を失うほどの損傷をミロワールに与え、彼の力を削いだからであろう。
 であれば、ミロワールを完全に倒しきることが出来れは、記憶もきっと…

 そんな激戦を終えた戦場を見回し、マカーオーンはしみじみとつぶやく。

「初めて依頼をしたレイヤードが戦っている所を間近で見たけれど。」
「やはり、あの時、他人の力を借りるという選択をしたことは、間違いじゃなかった。」

 そして、蛇杖を支えに立ち上がって言う。

「とにかく、僕はもう疲れた。」
「一旦、帰ろうか…」
「ここで奴を倒せなかったとしても、かならずチャンスがやってくる。」
「今までとは違う。ヤツはこそこそ逃げているだけだったが、もうこちらに仕掛けてこざるを得なくなっている。そこを、返り討ちにすれば…」

 その言葉に、誰ともなく、戦いを駆け抜けた英雄たちは、頷いた。

Ending 02 絶望を越えて

 西陵理人は、ムサシ・クレイドルへの帰還後、レギオン・ムサシ支部を訪れていた。
 任務の報告をするため、香澄了護の待つ支部長室の扉をたたく。

「大変ご苦労だった。」
「さて、調査の結果はどうだった。」

「残念ながら、あの場所には何もありませんでした。シロと見て良いでしょう。」
「恐らく、今後も調査する必要は無いかと思われます。」

 理人は、そう答えた。レギオンの中でも、際立って対ブリゲイドに情熱を燃やす彼の言うことだ。
 それが嘘だなんて、とても思えない。

「…そうか。」
「まあ、何もないのが一番だ。」
「ご苦労だった。またブリゲイド絡みのことがあれば、任せていきたいと思う。」

「ありがとうございます。」

 一礼して、支部長室を辞する。

◆ ◆ ◆ ◆

 彼には、任務を終えるたびに行くところがある。
 亡くした両親の眠る墓だ。今回は、途中の花屋でマリーゴールドの花を買い、丁寧に墓前に供える。

「久しぶり、父さん、母さん。」
「初めて、任務にあたっている中で、死にかけてしまったよ。」

 いつもより穏やかな声で、墓石に向かって語りかける。
 そして、紡ぐ言葉は、絶望を越えて前へと歩む決意。

「それでも、僕は絶望することはしないさ。」
「あの日から、強く生きると決めたんだ。もうクヨクヨしている時間は無い。」
「だから、僕は必ず、父さん母さんの仇を討つよ。」
「じゃあ、また、次の任務が終わったら来るよ。」

 墓地を離れ、西陵理人は歩む。
 次なる戦いへ。自らが絶望を越えて進むと証明し続けるための、次なる試練へ。

Ending 03 潮時

 星月夜と餓龍は、六道会の事務所を訪れる。
 今回の一件、餓龍は六道会の構成員として依頼を受けて動いていたし、星月夜はその協力者だ。
 ミロワールの完全な討伐こそ成らなかったが、その顛末は伝えねばならない。

 事務所で待っていた幹部構成員は、星月夜の方を見て言う。

「ふむ、お前が選んだ協力者は…リベレーターか。」

「何か問題でも?」

「いいや、全く。」
「人間だろうと、リベレーターだろうと、本質的な違いはないさ。」

 ヤクザ稼業だからこそ、重要なのはそいつが使えるかどうか、だけだ。

「まあ、そんなことは、どうでもいい。早速戦果を報告してもらおう。」

「申し訳ないが、奴の片腕しか…」

 餓龍の言葉を受けて、男は満足げにニッ、と笑う。

「なるほど、大戦果だな。」
「奴の片腕一本捥ぎ取って、お前らが五体満足で戻ってくるなんて、こちらとしても想定していなかったさ。」
「流石に、二度目はない、なんて言って、殺す気はないさ。」
「それに、ここで終わる気は無いんだろ?」

 こうして、ミロワールの完全な討伐に対して約束した額には及ばずとも、十分な額の報酬が餓龍と星月夜には支払われた。
 報酬を受け取ると、星月夜は事務所を退出する。
 が、餓龍はまだやらねばならないことがあると、この事務所に残ると、幹部の男に声を掛ける。

「…美幸を、呼んできてくれないか。」

「おう、分かった。」

 しばらくして、美幸が奥の部屋から呼ばれてやってくる。
 兄の姿を目にした途端、嬉し気に駆け寄って言う。

「おかえり!」
「よかった、返ってきてくれて。」

◆ ◆ ◆ ◆

 その様子を、近くの路地から、窓越しに見つめる人影がひとり。
 餓龍の姿を認めると、懐から端末を取り出してどこかにダイヤルする。

「もしもし、レギオンですか…?」
「餓龍の居場所、発見しました。」

◆ ◆ ◆ ◆

 嫌な、気配がする。血の匂い、という訳では無いが、似たようなものだ。
 血の気の多い奴が近くにいる。危険が迫ろうとしている。

 潮時かもしれないな。そう察し、取り出した小さな包みのようなものを美幸に渡す。

「お守りだ。」

「ありがとう、大切にするね。」

「もし、お前の身に危険が迫ったら、それを手に取って、強く願うんだ。」
「意味は、その時に分かる。」

「分かった!」

「それじゃあ、俺は次の用事があるからな。」

「今度もまた、帰ってきてくれるよね?」

 美幸が、また無邪気に、でも一片の不安を込めて言う。

「ああ。」

 小さく答えて、事務所を出る。
 最後に呟いた一言が、美幸に届いたのか、それは定かではない。

「…ごめんな。美幸。」

Ending 04 名前のない仮面

 その頃、レギオン本部。
 椅子に深く腰掛けたその人物は、世界中のレイヤード束ねるレギオン本部長、ギリアム・レイン。
 彼は端末を操作し、一人の男にある指令を出す。
 その1人がギリアムに確認する。

「あなたのご命令とあらば。」
「ですが、本当に、始末してもよろしいのですか?」
「仮にも、彼は本部監査室の人間ですよ。」

 レギオン本部長は、無慈悲に肯定を示した。

◆ ◆ ◆ ◆

 そして、場面は移り変わり、ムサシ・クレイドルの某所。
 レギオン本部監査室を預かる男が苛立った声を上げた。

「二度も任務を失敗するなんて、全くムサシレギオンのレイヤードはどうなっているのか!」

 それに答えたのは、2人のレイヤード。
 1人は中年の男性。もう一人は、眼鏡を掛けた青年。

「全く、オジサンをそんなに酷使しないでくれよ。」
「我々はその場の状況を鑑み、最善を尽くしたまでです。」

「もういい! この役立たず共が!」

 本部監査室の男が怒声を浴びせる。
 が、それにも動じず、中年の男性は、飄々と告げる。

「役立たず、ねぇ。」
「そういえば、ギリアム・レインさんから言伝を預かってますよ。」

 その瞬間、刃が閃き、男の首が落ちる。
 何が起こったか分からない。という表情の首に、声を掛ける。

「暴走し過ぎだ、だってよ。」
「どうやら、役立たずはオジサンたちじゃなくて、そっちだったみたいだねぇ…」

 その後ろで、眼鏡の青年がどこかへ電話を掛ける。

「死体処理は任せた。」

◆ ◆ ◆ ◆

 かくして、薙野千聖をレイヤード犯罪者として追い、その任務に失敗したロイ・パーカーを糾弾した本部監査室の一部の暴走は、ここにあっけない終結を迎えることとなる。
 当事者たちがその事実を知るのは、まだ先の事になるだろうが…

Ending 05 スウィート・タイム

 自身の知らないところでそのようなことが起きているとは、つゆも知らず。
 ロイ・パーカー、そしてアルヴィナ・イグナチェヴァはムサシ・クレイドルの自宅に帰還する。

「よし、何とか生きて帰って来られたんだしな。」

 死にかけはしたが、それでも皆で、そして何より大切な人と共に、帰って来られた。ひとまずは、それに勝ることはない。
 ふと思い立って、隣に立つアルヴィナに声を掛ける。

「そうだ、帰って来られたお祝いに、アップルパイでも焼かないか?」

「あ、良いね、それ。私も手伝う!」

 そうして、2人で並んでキッチンに立つ。その光景は、ほんのささやかな日常を思わせる。
 2人で協力し、笑い合いながら。じきに甘い匂いがキッチンを満たす。
 こんがりと焼けたアップルパイを切り分けながら、ロイが聞く。

「何か、飲み物を用意しようか。紅茶で良いか?」

「うん、紅茶!」

 この家に紅茶があることに、もう違和感はない。

◆ ◆ ◆ ◆

 2人でテーブルにつき、アップルパイを味わいながら。
 アルヴィナはふと、思い出したように言う。

「あのさ、ロイ。」
「私、服が買いたいな。」

 すこし、言葉を切って。

「だって、私はもうサラじゃないから、アルヴィナとして、みんなとレイヤードして生きていきたいから。」
「心機一転、みたいな?」

「そうか、じゃあ、これ食べ終わったら一緒に買いに行こう!」

「ありがとう。じゃあ、急がなきゃね。」

 言うと、ちょっと大きめに切り分けたアップルパイを口に運び、「あつっ!」と、目を白黒させる。
 心配したようにロイが言う。

「焦って食べると火傷するぞ。ほら…」

◆ ◆ ◆ ◆

 彼らの戦いはまだまだ続く。
 ミロワールの術は弱まったとはいえ、いまだ健在だ。それに、その先も。
 だけど、今は、大きな戦いを乗り越え、日常を取り戻した2人に、どうか幸あれ! 

Ending 06 秘色の灯火 

「やぁ、今回は、随分とボロボロになって帰ってきたじゃないか。」

 アジトに帰り着いたマカーオーンに、声を掛ける人物。

 パステルの髪をなびかせ、そこに立つ彼女の名は、魅夜・レイジングムーン。

「ちょっと無茶をし過ぎましたね…」

「だろうな。」
「だが、お前がそこまでして動く価値を見出した、ということは、ようやく事態が動き出したんだな。」

「そうですね。そして、またひとつ、大きな疑問が増えました。」
「どうやら、僕もまた、何かを忘れさせられているらしい。」

 ミロワールとの会話で挙げられた名を思い起こし、マカーオーンが悔しそうに言う。
 それを聞いて、魅夜はニヤリと笑う。好都合だとも言わんばかりに。

「それは奇遇だな。」

「奇遇、というと…?」

「ちょうど、対する次の一手の心当たりがある、ということだよ。」

◆ ◆ ◆ ◆

 さらに、続けて語る。

「私は今回の件で、あの鏡に目を付けられてしまった訳だ。これは厄介だよ。」
「ある意味、それはあの子のせい、と言えるわけだね。だが、それは適正な代償だ。」
「私は、あの子には悪い事をしたと思っているからな。」
「なにせ、目的があって、彼女を使って「治験」をしていたわけだ。」

「そんなことを言うなら、僕こそ極東の言葉で言うなら「ハラキリ」をしなきゃいけませんよ。」

 マカーオーンの言葉に、2人の医者は顔を見合わせて笑う。

「お前が、ここで腹を斬って何になる。」
「1ncにもならないハラキリをするぐらいなら、詫びは働きで返せ。」

「勿論、そのつもりですよ。それに、外科医が腹を斬ったところで、それはただの手術でしょう?」

「違いねぇな。」

 医者同士の笑えないジョークを切って、魅夜が話を続ける。

「さて、話の続きをしていいか?」

「どうぞ。」

「アルヴィナ・イグナチェヴァを目覚めさせる、例の燐寸があっただろう?」
「あれに関しては、私も善意100%ではない。」
「そもそも上手くいく確証も無かったから、彼女で試したわけだ。」

「ほう。まあ、医学に限らず、科学の進歩なんてそんなものでしょう?」

「では、次の問題だ。」
「失われた人格を取り戻す。そんな稀な症例の対応策を確立したところで、使い道なんかたかが知れている。」
「それならば、私はなぜ、このようなことをしたのか?」

「少し難しい質問ですね。」
「誰か、似たような症例の患者でも居るんですか?」

 しばし考え、マカーオーンは答える。
 同業者の推測が、正解か否かは直接には答えず、魅夜は黙って、懐から1箱の燐寸を取り出した。

「これは、私の過去を取り戻すための燐寸だ。」

 その瞬間、マカーオーンの推測は、確信に変わった。
 何となく、そんな気はしていた。だが、この人物を相手に、確信は持てなかった。

「私は何者だ。」
「その疑問に、答えを出すための手段だ。」

「そうですか。」
「それがあなたにとって、どのような未来をもたらすか、僕は見ていることしか出来ませんが。」
「で、あなたがそれを使うとどうなるのか、僕も少し、興味があります。」
「また会えることを、楽しみにしていますよ。」

「待て。」

 マカーオーンの言葉を遮る。

「誰も、今すぐに使うなんて、言っていないぞ?」
「少なくとも、今はこの「神薬」を巡る一連の事件を放っては置けないな。」
「これを使った以上、私が何者になるか分からないなら、易々とそんなリスクは冒せない。」
「今、私に抜けられると、お前も困るだろ?」

「そうですね。非常に困ります。」

 今まで関わってきた誰に言われたとしても、マカーオーンはこう返しただろう。誰であれ、たったひとり欠け落ちても、ヒポクラテスに対抗することは難しくなる。
 だから、魅夜・レイジングムーンという特定の彼女の欠落が、どこまで致命的と捉えているのか、その言葉からは推し量れない。

「だから、この燐寸を使うには、まだ準備が要るんだ。何者になるか分からないその先を見据えた、準備がな。」
「ま、そのぐらいは配慮してやるってことだ。有難く思え。」

「はい、大変大変、有難く思っております。」
「なにせこの世界、医者は大変貴重な存在でありますからね。」

◆ ◆ ◆ ◆

 蛇杖の医者は、感謝の言葉と共に、彼女がいることを前提に、次の一手を考え始めた。
 燐寸の医者は、鏡からの注目を惹いてしまったことも織り込むべく、次の一手を考え始めた。

…医者たちの戦いは、まだ終わらない。

→ To Be Continue Episode 13 “ The Price of Nobility ”


Ending 07 外典の始まり

 アルケオンの気配、火薬の匂い、それらすべてから逃げるように、ムサシ・クレイドルを離れ、餓龍は走る。
 嫌な気配、どころではない。明確な敵意が、彼を追い詰める。

 結局俺は、災いの元か…

 目の前に人影が見える。その先には、レギオンの紋章が付けられた部隊が大勢。
 一斉に、餓龍に銃を向ける。

「ああ、こうなることは分かっていた。」
「だが、易々と死ぬわけにはいかない。」

「コード、起動。 行くぞ、ファーヴニル!」

 そう言って、餓龍は駆けだす。
 が、多勢には無勢。無数の弾丸を受け、餓龍は倒れこむ。

◆ ◆ ◆ ◆

 その時、斬撃が戦場を薙ぎ払う。
 倒れ伏したレギオン部隊を見下ろし、ひとりの男が立つ。
 その手に持つ大剣には、古代文字で「魔剣グラム」と刻まれている。

「さて、瀕死のようだが…」
「ここからの運命はお前が決めろ。餓龍。」

 男は、倒れる餓龍の隣に指輪を置いて、その場を立ち去る。
 それは、コードを宿した指輪。宿すのは、二―ベルングの指輪。

 その意図はまだ、推し量れない…

→ To Be Continue Episode Extra “ 餓龍伝 ”

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最終更新:2020年05月24日 23:48