『見習い魔法師の学園日誌』第1週目結果報告


1、学長との面談

(当代屈指の魔法師と名高いセンブロス学長とお話できる機会、無駄にはできません…!)

 魔法大学の学長であるセンブロス・ストラトスと「赤の教育学部」に所属する学生達との面談の前日、魔法学校で風紀委員を務める12歳の少女 シャーロット・メレテス は、聞くべきことをノートにまとめて準備していた。

(時間を無駄にすることなく、風紀委員の名に恥じない立派な受け答えをしなくては…!)

 だが、結局その日の夜の間に彼女は考えをまとめきることが出来ず、ノートも白紙のまま寝落ちしてしまう。

(……むにゃ、朝ですか……? おはようございます……、はうっ、ノートに何も書かずに寝てしまいました。しかも、考えていたことも寝てしまったせいで、うろ覚えですっ!)

 結局、書き直す時間も無かったので、彼女はそのまま面談へと向かうことになった。魔法学校の大広間で多くの生徒達が緊張した面持ちで待ち望む中、センブロス学長(下図)が到着すると、彼女はキラキラした目で学長を見つめる。
+ センブロス

(あれが、立派な魔法師の姿。目標にしなくては! …って、見ている場合じゃありません。ちょっとでも話をまとめ直さなくては!)

 そんな思いを抱きつつ、彼女はたどたどしく緊張した様子で真っ先に手を挙げる。

 「赤の教養学部所属、風紀委員もしています、シャーロット・メレテしゅ…!」

 呂律が回らず、名前を噛んでしまったことで、彼女は聞こうとしていた内容が丸々頭から飛んでしまった。彼女はつい咄嗟に、日頃から考えていたことをそのまま聞いてしまう。

「そのっ、学長先生! 真面目に授業を受けて、規律正しく生活していれば、立派な魔法師になれますか?」

 彼女はそう口にした直後に、自分の言ったことを軽く後悔する。彼女にとって「規律正しく真面目に生きること」は、魔法師を志すこと以前の問題として「当然守るべき規範」である筈なのに、これではまるで、目的を果たすために真面目に生きているように聞こえてしまう。それは彼女にとっての本意ではない。彼女はハルーシアの名門貴族出身ということもあり、魔法師学校への入学前から、人々の模範となるような生き方を常日頃から心掛けてきたのである(実践出来ているかどうかは別として)。
 だが、センブロスはそこまで彼女の発言を深読みすることもなく、淡々と答える。

「それは立派な魔法師になるための必要条件ではあるが、十分条件ではない。どれだけ真面目に規則正しく生きていても、魔法師になれない者もいる。それが現実だ。しかし、仮に魔法師になれなくても、真面目に規則正しく生きる習慣を子供の頃から身につけておけば、たとえ別の道を歩むことになったとしても、必ず役に立つだろう」

 その答えに対して、大広間の末席に座っていたロウライズ・ストラトスは色々と思うところがあったが、彼よりも先にシャーロットと同い年で同門の男装少女 ノア・メレテス が手を挙げる。

「では、先生のような偉大な魔法師になるためにはどうすればいいですか?」

 ノアはシャーロットとは対象的な戦災孤児であり、一時は(魔法師を忌み嫌う集団である)聖印教会の信者達の村で暮らしていたこともあったが、魔法の力に目覚めてしまったことで迫害を受け、兄と共に逃亡生活を続けた後に、魔法師の庇護を受けてエーラムへ入門することになった身である。兄はノアを届けた時点で絶命してしまったが、ノアにとっては魔法師協会は命の恩人であり、自分自身もまた偉大な魔法師になろうという意欲が強い(なお、「ノア」とは本来は死んだ兄の名であり、彼女の本名は誰も知らない。そして、学内ではあくまで「男子生徒」として知られている)。

「私のことを『偉大』と評価してもらえることは光栄だが、そもそも私は自分が偉大だと思ったことはない。学長という立場にいるのは、あくまでも私がその任に最適であると周囲の者達が考えただけのこと。歴代の学長の中には私以上の実力の持ち主などいくらでもいるし、賢人委員会の中にも、契約魔法師として各地に派遣されている者達の中にも、私以上の実力者はいる。おまえ達と同じメレテス一門の先達である、ティベリオ殿やアウベストのようにな」

 ティベリオ・メレテスは、名門メレテス家の現門主にして、魔法師協会の最高決定期間である「賢人委員会」の一員であり、その養子にあたるアウベスト・メレテスは、大陸北東部一帯を支配する大工房同盟の盟主マリーネ・クライシェの契約魔法師である。いずれも、魔法学校の学生達の間での「最強魔法師論争」の中で常に名前が挙がる二人であったが、実際のところ、センブロスと彼等のどちらが魔法師として優れているのかについては諸説ある。

「そして、魔法師としての実力があることと『偉大』であることは必ずしも同義ではない。まずそもそも『偉大な魔法師』の条件とは何なのか、ということについて、一人一人が常に自分に問い直し続ける必要があるだろう」

 実際、その問いの答えは魔法師協会の中でも一致している訳ではなく、センブロス自身もまた今に至るまで迷い続けている問題である。そのあまりにも漠然とした命題に対して、今のノアに答えが出せるとは思っていないが、それでも自分自身に向かって問い続けること自体に意味があるとセンブロスは考えていた。
 続いて発言したのは、学長と同門の ヴィッキー・ストラトス である。彼女もまたシャーロットやノアと同じ12歳の少女であり、田舎村の農家出身であるが故に日頃は「特殊な方言」で喋ることが多いが、さすがにこの公的な場においてはかしこまった「標準大陸語」で語り始める。

「私たちは、いずれは基礎課程を修了して専門課程に進むことになりますが、私はどの専門分野に進むべきか迷っています。同門の先輩たちに聞いても、あまり魔法については教えてくれなくて……。いずれ魔法にしっかり触れる機会が来たら決めようと思っているのですが、どのような基準で決めたら良いのでしょうか?」

 エーラムの魔法大学で学ぶ魔法には、「赤の教養課程」で学ぶ基礎魔法の他に、「元素魔法」「時空魔法」「生命魔法」「錬成魔法」「静動魔法」「召喚魔法」という六つの系統が存在し、魔法師の中には一人で複数の系統を修める才覚に恵まれた者達もいる。実はヴィッキーもその一人であると言われており、だからこそ、彼女の育成に対しては兄弟子達も慎重になっていた。当然、その事情はセンブロスも知っているが、ヴィッキー自身には知らされていない。それ故に、彼女はなかなか自分が魔法の実践段階に進ませてもらえないことに、不安を感じていた。

「一言で言ってしまえば『適性』ということになる。だが、その適性はそう簡単に見極められるものではない。今の段階ではまず、浅くても良いから幅広くこの世界の様々な物事の本質について学んでいくべきであろう。魔法とは、混沌を利用して自然律を捻じ曲げる行為であり、捻じ曲げるためには、まず自然律の本質を理解する必要がある。その上で、混沌によって捻じ曲げられた事象を統御するイメージが出来ているかどうか、ということが、魔法の適性を考える上での第一段階となる。いずれ基礎魔法を修得していく過程で、おのずとそれは見えてくるものだ。今はまだ、焦る必要はない」

 センブロスの中では、いずれヴィッキーは多色魔法師としてその才覚を発揮していくことになるだろう、というイメージが思い浮かんでいる。だからこそ、(かつて、幼くして魔法を極めようとして暴走した同門の少女がいたこともあって)彼もまたヴィッキーの育成に対しては、焦らず慎重に進めるべきであると考えていた。
 ここで、センブロスの発言の中の「自然律」という言葉に、11歳の男子学生 エンネア・プロチノス が反応する。

「一つ質問をしたいのですが、よろしいでしょうか? センブロスさんは魔法を使用される際に、どの点を中心的に自然律に干渉されるのでしょうか?」

 彼はヴィッキーとは対象的に、混沌を操る才覚に関しては同世代の中でも平均以下と言われていたが、魔法を学ぶ前段階としての「この世界の自然律」を理解するための勉強に対しては、人一倍熱心に取り組んでいた。というのも、彼は幼少期に混沌に触れた経験があり、その時以来、「自然律」という法則そのものを懐疑的に考えるようになっていた。
 この世界には元来「正しい自然律」というものが存在し、それが「混沌」によって捻じ曲げられている、というのがこの世界の常識である。しかし、果たして本当にそれは正しいのか? この世界に存在する「自然律」と呼ばれている法則も、実は混沌によってもたらされた現象なのではないか、という仮設が、彼の中でずっと一つの疑念として残り続けていたのである。
 エンネア自身は自分のこの考えを「狂気」と認識しているが、実は古代の文献の中には「この世界の本質は『空っぽの世界』であり、この世界に存在する全ての物は異界から投影された存在である」という「混沌起源説」と称する学説も存在する(しかし、その原本はエーラムの図書館にすら残されていないため、当然彼が知る筈もない)。彼は自分の中の「狂気」と「常識」の狭間で真実を導き出すべく、独自に「この世界の自然律」についての勉強を重ねていた。だからこそ、学長から見た「自然律」を確認することで、自然律を確認するために現在彼が進めている検証が適しているかどうかを確認したいと考えているらしい。
 想定外に根源的な質問が年少の学生から投げかけられたことにセンブロスはやや戸惑いつつ、少し考え込んだ上で答える。

「それは、用いる魔法の種類による、としか答えようがない。たとえば、水の元素魔法を用いるにしても、『何もないところから水を生み出そうとする場合』と『既に存在している水の流れを変える場合』では異なるし、時空魔法や召喚魔法では、そもそも捻じ曲げる自然律そのものの存在する次元が異なる。それでも、あえてそれらに共通する事項があるとするならば、それはまず、この世界の『ありのままの姿』を正しく認識することだろう。その上で、用いる魔法に応じてその姿を変えていく上での『支点』を一つずつ探し出していくしかない」

 それがエンネアの求める答えであったかどうかは分からないが、そもそも質問自体が極めて抽象度の高い内容であったため、現状ではそれ以上の答えを即座に用意することは出来なかった。
 一方で、より具体的な質問を投げかけてくる者もいた。 クリストファー・ストレイン である。

「自分は、いつか異世界に渡ることが目標です。そのためには、何が必要なのでしょうか?」

 彼はシャーロットと同じ貴族出身の魔法学生であり(歳は彼女より一つ上の13歳)、親の契約相手であった召喚魔法師が呼び出した「異世界の投影体」に感銘を受けて、自分自身が異世界へ行くことを目指してエーラム入りを決意した少年である。

「ほう、異世界か……。分かっているとは思うが、この世界に存在する『異世界の生き物』は全て『投影体』だ。異世界からこの世界に渡ってきた訳ではなく、あくまで『複製品』にすぎない。だが、彼等自身の感覚としては、自分自身がこの世界に渡ってきたという認識らしい。その意味での異世界渡航ということであれば、魔法の力に関係なく、異世界における混沌の力によって、我々は既にどこかの異世界に『投影』という形で渡航している可能性もあるだろう」

 おそらく、クリストファーが求めているのは「そういうこと」ではないのだろう。実際、俯瞰的視点から見れば「異世界投影」と「異世界渡航」は全く別物である。しかし、投影体の視点から見れば「元の世界にオリジナル体が残るか否か」だけの違いではないか、という考えもある。とはいえ、異世界投影のオリジナル体の視点から見れば、自分自身が異世界渡航をしているように実感出来ないのもまた事実である。

「一方で、この世界から別の世界への『転移』もしくは『転生』に関しては、実現した者がいるかどうかは分からぬ。過去には、次元の狭間へと消えていった者達の記録もあるが、果たして彼等が別の世界に辿り着いたのか、それとも次元の狭間で消滅したのかは確認出来ぬからな。中には、その転移先の世界から『投影体』としてこの世界に戻って来たと証言する者もいたが、果たしてそれが本当に『同一個体』なのか、『もともと並行世界に存在していた別個体』なのかを判別することは出来ない」

 そもそも、異世界を介している時点で「同一個体」という概念自体が一概には定義出来ない。本人の視点から見た主観的同一性と、俯瞰的視点から見た物質としての継続性のどちらを(両方を?)満たせば「同一体」と呼べるのかと考え始めると、そこに明確な答えは出せない。
 更に言えば、そもそも「異世界」とは何なのか? という点に関しても、人によって認識は異なる。混沌によって一時的に作り出されただけの「異空間」も一つの「異世界」と言えるのかもしれないし、そもそもこの世界の住人が「異世界」と認識しているのは、全てこの世界の混沌によって作り出した幻の世界であり、厳密な意味での「異世界」など存在しない、という学説もある。また、一部の「異世界」と呼ばれている世界に関しては、実は「未来もしくは過去のこの世界」なのではないか、と解釈する者達もいる。その意味では、「異世界」以前の問題として、そもそも「世界」の定義自体が、魔法師達の間でもはっきりしていない。
 ちなみに、実は「投影体ではない異世界からの完全な転移者」や「異世界に一時的に完全転移した後に帰還した者」の記録も、全く皆無という訳ではない。しかし、それらが本当に異世界だったのか、それとも「混沌によって作られた疑似異世界」だったのか、ということについても様々な論争はある。とはいえ、さすがにそこまでの話はまだ幼い彼には理解出来ないだろうと考えたセンブロスは、あえて口にはしなかった。

「いずれにせよ、今の時点ではその方法論は確立されていない。だが、分からないことを探求すること自体は無駄なことではない。最終的にその目的に辿り着けるかどうかは分からぬが、その過程で得た知識が、思わぬ副産物としての新たな技術を生み出すこともある」
「では、そのためにはどうすれば良いでしょうか? 自分は召喚魔法を専攻しようと考えていますが、他に何を学べば良いのでしょう? また、今の時点で同じようなことをやっている人はいますか? いるならば、その人の一門へと移籍することも可能ですか?」
「新たな技術の確立を目指すのであれば、最終的には他の系統の魔法と組み合わせることも必要になるだろうし、実際に過去には時空魔法や静動魔法との複合魔法を求めようとした者もいた。だが、未だ確立されていない方法論を導き出そうというのであれば、過去のやり方にこだわる必要もなかろう。召喚魔法師を目指すのであれば、本格的にその道を極めていく過程の中で、他に何が必要なのかはいずれ自分自身で見えてくる筈だ。幸い、ストレイン家はメディニアのスティアリーフを生み出した実績もある。少なくとも召喚魔法を学ぶ上では、今の環境で十分だろう」

 メディニアの君主の契約魔法師を務めているスティアリーフ・ストレインは(少々風変わりな趣味の持ち主ではあるが)優秀な召喚魔法師である。なお、彼女の知人には「異世界に消えた後、投影体としてこの世界に帰ってきた魔法師」もいるのだが、その事実を知る者は少ない。
 魔法に関する専門的な話を聞かれてしまったことで、やや話が長くなってしまったことをセンブロスが反省する中、今度はマチルダ・ノートが手を挙げた。彼女もまた、シャーロットやクリストファーと同じ、貴族家出身の魔法学生である。

「こんにちは、ストラトス学長。赤の教養学部所属の、 マチルダ・ノート と申します。今日は私たち学生のために貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございます」

 アロンヌの男爵令嬢であった彼女は、幼少期から自然と身につけていた優雅な仕草で学長に一礼した上で、滑らかな口調で本題を語り始めた。

「実は、私から学長にひとつお願いがございます。教養学部の一角に保健室があるのですが、担当の先生がご多忙のようで、時折、誰もいないことがありますの。ですから、私に、保健室運営のお手伝いをさせて頂けないでしょうか。勿論、若輩者の私に本格的な治療や処方が出来るとは考えておりません。ですが、治療キットを使った応急処置や、先生がご不在の際に、連絡役をつとめることはできます。体の不調だけでなく、心が疲れた時にも立ち寄れる、癒しの場にしていけたら、と思っています」
「なるほど。私の一存で決められることではないが、それが学生達の心身の健康に繋がるというのであれば、反対する理由はない。だが、それは本来ならば職員の拡充によって補うべき案件でもある。自分自身の学業に差し障りが出ては本末転倒だが、その点は心配はないのか?」
「はい。わたしが一日でも早く一人前の治癒術士となれるよう、少しでも経験を積んでおきたいのです。ご一考頂けましたら、これ以上の喜びはありませんわ」

 彼女はもともと、父の契約魔法師であった治癒術士に憧れてエーラムの門を叩いた身である。故に、これは彼女自身の研鑽のための仕事の一つと考えていた。

「それならば、私の方からも保険医に進言しておこう。ただし、あくまでも無理をしてはならぬ。自分の知識では分からないと判断した時は、すぐに保険医に伝えて判断を仰ぐことだ。くれぐれも、独断で勝手な措置をしてはならぬぞ」
「はい、その点は心得ております」

 彼女が笑顔でそう答え終えたところで、これまでずっと複雑な表情を浮かべながら黙って話を聞いていた ロウライズ・ストラトス が、ゆっくりと手を挙げた。彼は14歳の男子学生であり、この場にいる者達の中では最も年長であるが、入門してからはまだ一年程度の新参者である。

「センブロスさん、ストラトス家への入門の際はお世話になりました」

 ロウライズは最初にそう言って一礼した上で、強い眼差しで学長を見つめる。彼は元来は商家出身であり、魔法師としての潜在能力の発現が遅かった。より正確に言えば、その能力に自分が気付くよりも先に、父が偶然出会った「『霊感の強い人材』を探していた魔法師」によって「魔法師の素質がある」と診断されたことで、この魔法学校へと入学することになった身である。その際に彼を一門に迎え入れたのがセンブロスであった。しかし、学長として多忙を極めるセンブロスと直接会う機会は稀であり、だからこそ、今のこの場で彼に対して、前々から考えていた疑問を直接投げかけようと考え、強い決意でこの面談に臨んでいた。

「ただ、私は自分が魔法師を目指すこと自体には疑問を抱いています。私は霊感が弱いのだと、ここに入ってから告げられました」

 それは、もともと魔法師協会の中で想定されていた一つの可能性ではあった。魔法師に指摘されるまで自分の潜在能力に気付けなかったロウライズのような者達は、「幼少時に自力で魔法の使い方を断片的ながらも自発的に身につけた者達」と比べると、どうしても「霊感の強さ」という点では見劣りしてしまうことが多い。だが、そういった事情は入学前には一切説明されなかった。そのやり方にロウライズは不満を抱いている。

「私は、闇雲に『霊感持ち』を魔法師協会に入れるべきではないと感じました。『霊感持ち』は必ずしも『魔法師を目指したい人』ばかりじゃない」

 実際、魔法学校に入学した者達の多くは、その過程でふるいにかけられて、魔法大学へと進学する前に落伍していくことになる。彼等の中には、基礎課程の段階で得た知識を生かして「技術者」や「教師」の道へと進んでいく者達もいるが、中には人格的な問題から「不適格」と判断され、「選別」の名の下に、存在そのものを抹消される者もいる。このような魔法学校の現状に対して、ロウライズは疑問を感じていた。少なくとも、入学前の時点で魔法師協会の面々は「伝えるべきこと」を伝えきっていないように思えたのである。
 魔法師協会が世界中の「霊感を持つ子供達」をエーラムに集める一つの理由は「混沌災害の防止」である。魔法を操る上での基礎的な素養である「霊感」の強い子供を放置しておけば、いずれそれが無制限な混沌災害を生むかもしれないという理由から、(もともと安全な形で魔法を使う能力を身につけている自然魔法師の一族以外は)彼等を可能な限りエーラムへと連れてきた上で、魔法師協会の掲げる規範に従う魔法師へと育て上げることがこの世界の安寧に繋がる、というのが魔法師協会の論理であり、そこまではロウライズも理解出来る。
 ただ、その一方で魔法師協会は、魔法学校において能力不足と判断された者達に対しては、学校で学んだ知識のうち「魔法に関する記憶」を消すことを条件に、エーラムを去ることを認めている。おそらくはこの時点で「無意識に魔法を発動することがないような制御」を退学者の脳内に施しているのだろう(それが100%安全な制御なのかどうかは不明だが)。いずれにせよ、このような形で「生まれつき霊感の強い人間」による混沌災害を防ぐ道があることを知ったロウライズは、ここで一つの疑問に到達した。

「是非お聞きしたいことがある。魔法に関する知識を消して済むなら、なぜ入学を希望しない者に初めからそうしないのですか。まさか、全員が全員魔法師を志て自ずから入学を選ぶわけではないでしょう?」

 少なくともロウライズは、入門前に「その選択肢」を提示されなかった。当時の彼は自分自身の潜在能力にそもそも気付いていなかった上に、霊感自体がそれほど強くないのであれば、そのまま放置していても暴発の可能性も低かっただろう。それでも不安だというのであれば、最初から「魔法の才能を封じ込める選択肢」を提示してくれれば、自分の中途半端な素養を封印して、普通に商人として生きることも出来た。
 勿論、それはロウライズにとっては今からでも選択可能な生き方ではある。だが、彼はこのことを自分一人だけの問題とは考えていない。自分はまだそれなりに分別のつく年齢になってから入学したからこそ、客観的に自分の非才を認識することも出来るし、自分の判断で退学を選ぶことも出来る。しかし、まだ自我も確立していないような子供達は、両親に十分な説明もないまま故郷から引き剥がされ、訳も分からないまま勉強させられた挙げ句に、「適性無し」と判断されて(それまで一生懸命学んだ魔法の知識を消された上で)放逐される。その理不尽な制度を変えたいと考えた彼は、あえて学内に残る道を選んだのである。

「赤の教養学部の時点ですら、ついて行けずに退学する生徒がいる。しかしこれは彼らだけの責任ではないと思うのです。魔法師となる道を歩まざるを得なかったゆえの悲劇の一端と言える。魔法技術的な問題なら、俺が勉強して解決したい。協会の都合というのなら、今の制度を見直そうとは思わないのですか?」

 ロウライズは淡々と、しかし熱を帯びた口調で学長に直訴する。これまでの学生達とは打って変わって本格的な直訴が提言されたことで他の学生達の表情も強張るが、センブロスはロウライズの熱意を真摯に受け止めた上で、静かに答え始めた。

「言わんとしていることはわかる。確かに、入門前の時点で『魔法師となる道を最初から閉ざす選択肢』をもっと明確に伝えることも出来るだろう。実際のところ、その点に関しては魔法師協会の中でも方針は一致していない。入学前に何をどこまで説明するかについては、それぞれの魔法師達の判断次第なのが現状だ。だから、おまえ以上に説明不足な状態のままこの地に連れて来られた者もいるだろう。その点に関しては、私も遺憾に思う」

 実際のところ、学長としてのセンブロスの権限は、そこまで強大という訳ではない。魔法大学も魔法学校も、あくまで魔法師協会という組織の中の一機関にすぎず、魔法師協会の中には様々な考えの魔法師達が混在している以上、魔法学校へのスカウトの手法に関しても、明確な統一方針を構成員達に強制出来る状態ではない。

「ただ、現実問題として、この世界が多くの魔法師を必要としているのは確かだ。そして、世界全体の魔法師の数は現状においても決して足りているとは言えない。大陸全体で戦乱が繰り返され、多くの魔法師達が戦場で散っている現状に鑑みれば、これから先も少しでも多くの魔法師を育てることが魔法学校の使命となる。故に、少しでも才覚があるのであれば、その可能性を閉ざすことよりも伸ばす方向に重点を置いた勧誘方法を採らざるを得ない」

 無論、君主達の(不毛な?)争いの結果として多くの魔法師達が犠牲になっている現状そのものが問題と言えば問題なのだが、それに関しては魔法師協会だけでどうにか出来る問題ではないし、君主達をより強く統御するために魔法師協会としての力を強めるには、それこそ今よりも多くの優秀な魔法師の育成が必要となる。そんな不条理な構造の上で運営されているのが、このエーラム魔法学校の現実であった。

「無論、私も必ずしも現状が正しいとは思っていないし、おまえの言うことも理解は出来る。だが、今のおまえは二つ、勘違いしていることがある。一つは、霊感の強さだけが魔法を使う上で必要な資質の全てではない、ということだ。確かに、時空魔法師を目指そうとういのであれば霊感の弱さは致命的だが、生命魔法や錬成魔法は知識を蓄えることで補えるし、召喚魔法師にとってはむしろ精神や意志の力の強さの方が重要になる。その意味で、まだ今のおまえは自分の力を活かせる魔法に出会っていないだけだ。まだまだ十分に魔法師として開花する可能性は残っている。そうでなければ、とうの昔に破門しておるわ」

 実際、センブロスは決して身内贔屓でロウライズを優遇している訳ではない。まだ彼が自分の潜在能力に気付いていないだけだと確信しているからこそ、この魔法学校で学ばせ続けているのである。それは(エンネアを含めた)現時点で魔法の才覚が他の者達よりも劣っていると判断されている者達に関しても同様であった。

「そしてもう一つ。魔法師となるために必要なのは、魔法を使える素養だけではない。より重要なのは、魔法を正しく使える心だ。冷静に現実を見極め、その中で自分の果たすべき役割を認識し、この世界のために出来ることを探し出す心こそが、魔法師として最も必要な資質だ。おまえにその心が宿っているからこそ、私にこのような提言を投げかけたのだろう? ならば、おまえには魔法師となるべき資質が宿っているということだ。少なくとも、私はそう確信している」

 ロウライズがこのような主張を掲げるのは今回が初めてではないし、これまでにも彼の方針に賛同する学生達と共に集会や抗議活動などをおこなってきたことは、センブロスも知っている。魔法師協会の中には、そのような形で協会の方針に反対する彼等を危険分子として「選別」すべきという者もいるが、センブロスはそのような意見を一蹴していた。彼等は現在の協会の方針に異論を唱えているだけで、決して暴力的な選択肢は選ばず、あくまでも理性的な対話の下での現状打開を目指している。それは、魔法師としての理想像そのものであるとセンブロスは考えていた。

「今の私には、おまえの言った問題点を解決する道は見当たらない。だから、おまえはこれから先も、この学校で多くの者達と接し、学び、言葉を交わすことで、そのための道を探し出すのだ。来たるべき『おまえ達の時代』のために」

 その言葉でロウライズが納得したかどうかは分からないが、ここで面談の時間は終了となる。予想以上に積極的な学生達からのアプローチにセンブロスは少し疲れた様子を見せつつも、未来を託せる若者達が育ちつつあることに満足気な表情を浮かべながら立ち去っていった。

2、不明図書の捜索

 12歳の女子学生 ユニ・アイアス は、滅私奉公を何よりも美徳と考える気質であった。自分のことよりも他人のために努力することに喜びを見出す彼女は、ある日、図書館の前を通りかかった時に、一つの張り紙を発見する。
 それは、一冊の不明図書の捜索願であった。どうやら『椿説弓張月』というタイトル異界の歴史書が、いつの間にか図書館から行方不明となってしまったらしい。高等教員のクロード・オクセンシェルナが貸し出しを希望しているため、発見次第、早急に図書館の受付に届けてほしい、という通達であった。
 他人が困っていると知った時点で、ユニとしては放ってはおけない。彼女はさっそく図書館に入構すると、片っ端からそれらしき本が無いか探して回り始める。やがて、彼女が地下の書庫へと足を踏み入れた時点で、彼女は奇妙な臭いの存在に気付く。それは、本来なら図書館には似つかわしくない「獣」の臭いであった。

(この臭い……、犬? 狼?)

 ユニが困惑する中、やがて彼女の目の前に、巨大な狼を連れた一人の少女が現れる。

「あ、ごめんね。驚かせちゃった?」
「あなたは……? それに、その狼……」
「はじめまして、わたしはロシェル!こっちはわたしの大事な家族。名前はシャリテって言うのよ!吠えたり噛んだりしないおとなしい性格の子だから、安心してね」

 彼女のフルネームは ロシェル・リアン 。歳はユニよりも1歳下の11歳である。彼女の傍らにいるシャリテは、小柄なロシェルやユニに比べると倍以上の体躯の大狼であり、彼女と常に行動を共にする投影体である。その正体については様々な噂が流れていたが、少なくとも誰かの従属体という訳ではなく、混沌の偶発的作用によって投影された異界の生き物であるらしい。ロシェルの養父であるメルキューレ・リアン曰く「人に危害を及ぼすことは絶対にない」とのことで、学内においても(よほど狭い場所以外は)彼女と同行することを認められている。

「そうなんだ。わたしはユニ。よろしくね」
「ユニちゃんね、よろしく。いつもなら、シャリテを図書館に入れるのは認めてもらえないんだけど、今回は探しもののためにシャリテの嗅覚が役に立つ、って言ったら、許してもらえたの」
「探しものって、もしかして、あの張り紙に書いてあった不明図書?」
「そう! 『椿説弓張月』、だっけ? あの本がもともと置いてあった場所の臭いをシャリテに覚えさせることで、同じ臭いのする場所を探そうと思ってるの」

 どうやら、ロシェルも自分と同じ目的でこの書庫にいるらしい、ということが分かったユニは、彼女とそのまま行動を共にすることにした。ロシェルとしても、歳の近い女子生徒と繋がりが出来ることは嬉しかったので、そのまま二人で仲良く捜索を続ける。シャリテもまた、そんな二人の様子を嬉しそうな面持ちで眺めていた。
 しかし、肝心の「本の臭い」に関しては、なかなかシャリテの嗅覚が反応しない。それでもユニは本棚の隙間などに落ちていないかと懸命に探し続けていたが、そんな中、彼女の目の前で、自分と同じような姿勢で探しものをしていると思しき人物を発見する。
 その人物は、ユニやロシェルと比べると頭一つ以上の長身であったため、おそらくは男性であろうことは分かったが、その割には肌は白く、かなりの細身であり、長い黒髪を低い位置で結わえている。

「あなたも、例の本を探しているの?」

 ユニがそう問いかけると、その人物は小さく頷く。

「じゃあ、一緒に探さない? 私はユニ。この子は……」

 そう言ってロシェルを紹介しようとするが、先刻まで傍らにいた筈のロシェルは、いつの間にか一歩後ろに下がっていた。彼女は「初対面の男性」に対して警戒心が強く、反射的にこの人物に対して距離を取ろうとしていた。一方で、その人物もまた、二人に対してどこか気まずそうな様子で答える。

「…… テラ・オクセンシェルナ です。どうぞ、私などには構われませんよう。名も、お忘れ下さい」

 訥々と小声で彼はそう答えた。彼は17歳の男子学生であり、魔法学校の中では年長組だが、まだ力に目覚めて間もない新入生でもある。彼は入門前に故郷の村で無自覚のうちに混沌災害を引き起こしてしまった過去があるため、自分の中に秘められた魔力を恐れるあまり、このエーラムにおいても、あまり人と積極的に関わろうとはしなかった。
 互いに警戒した様子であまり距離を詰めようとしないロシェルとテラであったが、ロシェルは彼の姓が「オクセンシェルナ」であることから、彼が(今回の不明図書を探している)クロード・オクセンシェルナの縁者である可能性に気付く。実は、ロシェルは前々から個人的にクロードに相談したい案件があり、今回の図書捜索に乗り出したのも、これを機にクロードとの接点を作ることが出来れば、という思惑もあった。その意味では、ここでテラと接点を作っておくことは彼女の目的にも合致するのだが、今のこの状況で、明らかに社交的とは言えないテラに対して、自分から積極的に話しかけに行く気にはなれない。
 そして実際、テラはクロードの養子であり、彼が本を探しに来たのも、恩義あるクロードの為になるなら、という想いからだったのだが、彼もまた上記の理由から、目の前の彼女達が同じ目的であったとしても、自分から彼女達に積極的に関わろうとはしないため、結局、二人の間では微妙な空気が漂ったまま、互いに気まずい様子で黙々と本を探し続けることになる。
 そんな中、ここに来てシャリテは奇妙な気配が書庫内で充満しつつあることに気付く。それは「収束しつつある混沌の臭い」であった。この世界における混沌は、偶発的に様々な場所に出現する「混沌核」を中心に収束することで、何らかの「投影体」を出現させることがある。それは、何らかの生命体であることもあれば、物品であることもあり、場合によっては広大な空間そのものが投影される(元々の空間と置き換わるようにその場に出現する)こともある。エーラムという土地はもともと混沌濃度が高いため、そのような形での「混沌の収束」が発生しやすい場所でもあった。
 シャリテが警戒した様子でその混沌の収束地を睨みつけたのとほぼ同時に、ロシェルが近くにいた二人に警戒を呼びかける。ユニとテラは何が起きようとしているのかが分からないままシャリテの視線の先を見つめると、そこに「一冊の本を手にした少女」が現れた。それは黒を貴重としたドレスをまとった、見た目にはテラと同世代くらいに見える少女であり、その首には奇妙な錠前が施されていた(下図参照)。
+ 謎の少女

「ここは、どこ? あなたは、誰?」

 その黒衣の少女は、大狼のシャリテに対してそう語りかけたが、シャリテがそれに答える筈もなく、横からロシェルが答える。

「ここはエーラムの地下室書庫よ。わたしはロシェル。こっちはシャリテ。あなたは?」

 それに対して、黒衣の少女はロシェルとシャリテを見比べるように眺めながら、一瞬、なぜか怪訝そうな表情を浮かべつつ、再び口を開く。

「そう、エーラム……。それが今回の私の投影場所なのね……。あれから何年後の世界なのかしら? それとも、あの時よりも前の時代なのかしら……?」

 どうやら彼女は、以前にもこの世界に投影されたことがあるらしい。彼女は訥々とした口調でそのまま話を続ける。

「私の名前は『マギカロギア』。でも、これは『私だけの名前』じゃない。『私』は地球で生み出された、数多の『マギカロギア』の中の一つでしかないから……」

 異界に関する詳しい知識まではまだ学んでいないロシェル達には、彼女が言っている言葉の意味がよく分からないが、いずれにしても、ひとまず目の前に現れたこの「不審な投影体」をこのまま放置しておく訳にはいかない。ロシェル達は彼女に対して、学園内の混沌災害対策課の詰め所まで任意同行を求めると、彼女は素直にそれに応じる。
 こうして、書庫の捜索にあたっていた三人(と一頭)は、本来の目的とはおそらく無関係と思しき「謎の投影体」への対応に回ることを余儀なくされたのであった。

 ******

「それじゃあ行ってきます、師匠」

 15歳の男子学生 エル・カサブランカ は、師匠に頼まれた本を購入するために、下町の古本屋へと向かうことにした。彼もまたロウライズやテラと同じ「年長組」だが、エルの場合は、実家が聖印教会の影響力の強い君主の家系だったため、魔法師としての才能が発覚した後も、なかなかエーラムへの入門へと踏み切れなかった、という事情がある(最終的には、政変によって故郷での立場を失ったことで、隣村の人脈を頼ってカサブランカ家へと入門することになった)。
 そんな彼が、ふと図書館の前を通りかかったところで、「不明図書」の張り紙に気付く。エルは視力が芳しくないため、眼鏡の角度を変えて遠方からその文字を読み取ろうとしたところで、突然、その腕を何者かに引っ張られた。

「おい、大切な本が盗まれたぞ。探すの手伝え!」

 その声の主の名は、 ニキータ・ハルカス 。13歳の男子学生である。彼は戸惑った様子のエルを強引に引っ張ったまま走り出した。

「え? な、何が? どうしたって?」
「クロード先生が探している『椿説弓張月』という書物が盗まれた。これはきっと貴重な書物を売り払って金にしようとしている輩の仕業に違いない。今から古本屋を巡って探さなくては!」

 厳密に言えば、その本はまだ盗まれたと判明している訳でもないのだが、ニキータはそう決めつけていた。ニキータはかつて、ある事件に巻き込まれた際に記憶を失い、それと同時に魔力を得ることになったのだが、それ以来、なぜか「異常に思い込みが激しい性格」になってしまっていた。そして、おそらくその行方不明の本は(「何らかの重要な書物である」という憶測から)「自分の記憶に関係したものに違いない」と勝手に断定していたのである(なお、日頃はもう少し丁寧な口調なのだが、今の彼は何かに取り憑かれたかのような焦燥感からか、喋り方も荒ぶっていた)。
 だが、古本屋に行くということであれば、結果的に言えばエルと目的地は同じである。そして、「クロード先生が探している」という話を聞いたエルもまた、その調査に興味を示す。というのも、エルは時空魔法師志望であり、この機にクロードと接点を作っておけば、色々と話を聞く機会が得られるかもしれない、という思惑が浮かんでいたのである。

(きっと師匠も、弟子が古本屋に長居したくらいなら許してくれるだろう)

 そう割り切ったエルが、ひとまずそのままニキータに同行することにしたところで、そんな彼に対して横から一人の少年が声をかけてきた。

「あ、こんにちはエルさん。これからどちらへ?」

 少年の名は、 エト・カサブランカ 。エルの同門の後輩である。まだ10歳の彼は背も低く、どこか気弱そうな物腰の、おとなしい少年であった。彼もまたニキータと同様に、過去に記憶を失ったことを機に魔法の力に目覚めたという特異な経歴の持ち主である。

「あぁ、ちょっと師匠のお使いに……」
「ほえ? お使い、ですか? えと、楽しそう、ですね。ついて行っても良いですか?」

 エトがそう答えると、横からニキータが割り込む。

「大切な本を探さなければならないんだ。協力を頼む!」
「あ、他にも探し物があるんですね、お手伝い出来るようがんばります」

 こうして、エトもまた、よく分からないままに二人と同行することになった。エトにとっては、同門のエルを手伝いたいという気持ちだけで、協力する動機としては十分であった。
 彼等は歩きながら軽く自己紹介を交わしつつ校外に出て、ひとまず最寄りの古本屋へと足を踏み入れると、そこでは一人の「先客」が、店主に対してこう問いかけていた。

「『椿説弓張月』という本を、取り扱っていませんか?」

 その先客の名は、 サミュエル・アルティナス 。11歳の男子学生である。彼もエルと同様に名家の出身であったが、彼は生まれつき「特殊な病気」を患っており、それを治す手段を見つけるために魔法学生となった少年である。
 サミュエルもまた、行方不明の本を探しにこの店を訪れていたのだが、彼の場合はその本が「盗まれた」と断定していた訳ではない。その可能性を考慮しつつも、もしかしたら同じ本が普通に古本屋に売っているかもしれない(それが見つかれば、クロード先生も満足するであろう)という期待も込めた上での来訪であった。

「うーん、ウチには置いてないねぇ。というか、タイトルは聞いたことあるんだが、そもそも現物を見たことがない。確か、同じ作者の『南総里見八犬伝』や『傾城水滸伝』の写本なら、随分昔に入荷されたことはあったんだけど、すぐに売れてしまった。なんか妙に人気があるんだよ、あの作者の本は。ちなみに、『異世界の弓使いの英雄譚』を探しているなら、こういうのもあるんだが、どうかね?」

 そう言って、店主は『ウィリアム・テル』『ロビン・フッドの冒険』『三国志演義』などと題された書物を次々と提示してきたが、いずれも今の彼等にとって必要な書物ではなかった。
 サミュエルが軽く落胆したところで、唐突に後方からニキータが声をかける。

「よし、では、次の店に行こう。というか、四人で手分けして探した方が良さそうだな!」
「え? いや、誰だよ、お前!?」

 当然のごとくサミュエルがそう反応したところで、横からエルが口を挟む。

「あ、彼はニキータと言って、君と同じ本を探しているんだ。僕はエル。こっちはエト」
「よろしくお願いします」

 唐突にそう紹介されたサミュエルはやや困惑しつつも、気持ちを落ち着かせて答える。

「そ、そうなのか。オレはサミュエル、サミュエル・アルティナスだ。よろしく頼む」

 こうして、互いに素性もよく分からないまま同じ目的を共有することになった四人は、その後も日が暮れるまで下町の古本屋を転々とすることになるが、結局、行く先々で様々な他の「弓にまつわる英雄譚」の本を勧められるばかりで、『椿説弓張月』を見つけることは出来なかった(一方で、エルが師匠に頼まれていた本に関しては、無事に確保することが出来た)。

 ******

(…………今日は一日お休み、どのような本に出会えるでしょうか……)

 そんな想いを抱きながら、 ティト・ロータス は図書館へと向かっていた。13歳の女子学生である彼女は、勤勉な学生が多いエーラムの中でも特に読書家として知られており、休み時間は図書館で過ごすことが多かった。彼女は元々は都会出身であったが、子供の頃に肺を患い、山へと移り住んだ過去があり、その頃からずっとマスクを付けた生活を続けている。
 そんな彼女もまた、図書館の入り口に張り出されていた不明図書の捜索願を目にする。

(おや? これは……。ふむ……、『椿説弓張月』という本が紛失したのですか……。なるほど、困ってるでしょうし、探してみましょう……)

 そう考えた彼女は、まずどこから探すべきか思案を巡らせる。

(…………図書館から無くなったのなら、もしかして、職員さんが間違えて捨てちゃったのでしょうか……? 廃品回収してるところに行ってみますか……)

 もしこの推理が正解であれば懲罰動議が発生するレベルの大問題だが、ひとまず彼女はその「最悪の可能性」を考慮した上で、魔法学校の片隅にある廃品回収場へと向かった。
 エーラムには様々な研究者や職人達が存在しているため、一般的にはガラクタ扱いされるような物品でも、他の者達にとっては重要な材料や触媒となりうるため、廃品回収場には多種多様な廃棄物が溢れかえっている。一応、それなりに分別された状態で置かれてはいるものの、分別の判断に迷うような代物も多く、作業員達は常に頭を悩ませていた。
 とはいえ、紙製品の類いは比較的まとめて扱いやすいため、それなりに整然とした状態で並べられている。ティトは紐で結ばれた紙束を一つ一つ確認していくが、「本」の形状となっている代物自体が少なく、それらしき書物は見つからない。長時間かけて概ね一通り確認を終えた頃、隣の区画から、作業員達の嘆きの声が聞こえてきた。

「なんだよこの大量の弓、中途半端に魔力が込められた状態のままじゃないか。こんな状態で廃棄されたら困るんだよな」
「あぁ、また『あの先生』だろ。せめて弓と弦を分けた状態だったら、もう少し解呪もしやすいのに……」
「こうやって思いつきだけでポンポン魔法具を作れるのは凄いけど、失敗作の後始末をする俺達の身にもなってほしいわ」

 そんな彼等の愚痴から、ティトは気になる単語を聞き取る。

(弓……?)

 探している本のタイトルは『椿説弓張月』である。弓状の魔法具を作り出す研究をしている人物なのであれば、もしかしたら、何か関係しているのかもしれない。そう考えた彼女は、ひとまずその場にいる職員に、その「先生」の名を聞いてみることにした。

 ******

(ふむ、やはり図書館内を隈なく探すのが常道か。だが、この広さの図書館を当ても無く探すのは骨だな。少し考えてみるか……)

 「未来の天才軍師」を自称する14歳の男子学生、 ジョセフ・オーディアール は、図書館の前で一人、考え込んでいた。彼もまた、不明図書の捜索願を目の当たりにして、自らの手でそれを見つけ出そうと考えていたのである。彼はもともと大陸東部のファルドリア出身であり、祖国を再興させたアンブローゼ・オーディアールに憧れて彼女の後輩となった少年であった。

(……待てよ。よく考えてみれば、整理せず放置してあった本の場所が分からなくなったのならともかく、書架に入っていた本が無くなったのなら、確実に誰か「書架から取り出した人物」がいるはずだ。「その本に興味のありそうな人物」や「本の置いてあった書架の付近に頻繁に出入りしていた人物」なら、ある程度は絞り込めるはず。まだこちらの方が効率的かもしれん。というか、力業とかこのジョセフ・オーディアールの初陣に相応しくない)

 そう考えた彼は、ひとまず司書の人々を中心に、『椿説弓張月』に興味がありそうな人物を聞いて回ることにした。そもそもこの本は「鎮西八郎為朝」と呼ばれる強弓の名手が、祖国を追われた後に南海の島国へと渡り、その地で王となるまでの物語である。軍略家として名高いクロードは、これまでにも様々な「異界の軍記物」を読み漁ってきたが、彼以外にそのようなジャンルに興味のある常連客はあまりいない、というのが司書達の見解であった。
 一方で、この物語の主人公である為朝の特性から、「弓」に興味がありそうな人物、となると、何人か候補者が挙がってくる。というのも、このエーラムにおける「黄の静動魔法学部」において「亜流」と呼ばれている「山吹の学派」と呼ばれる魔法師達は、静動魔法を用いて弓を自在に操る技術を開発している者達が多い。「エーラムにおける弓使い」と言えば、この学派の人々である可能性が高いだろう。
 ただ、もし仮にこの書物を触媒にして異界の弓をこの世界に召喚するには、今度は「青の召喚魔法学部」の中の亜流派である「浅葱の学派」の技術が必要になる。これまで、両派の間で本格的な技術交流が交わされたという話は、あまり聞いたことがない。もし仮に、それを一人で成し遂げようとするならば、「山吹」と「浅葱」という特殊な流派の魔法を同時に使いこなせる人物でなければならない。
 その条件に基づいた上でジョセフが教員名簿における各自の専攻一覧を確認していると、気になる人物の名前が目に入った。それは「裏虹色魔法師」の二つ名を持つ異色の高等教員カルディナ・カーバイトである。彼女は六つの学部において全ての亜流派(裏流派)を極めた天才魔法師であるが、その技術を自分の道楽のために使うばかりで、誰かの契約魔法師になる気もなければ、後進の育成に精を出す訳でもない。直弟子は何人もいるが、その大半は変人揃いで、彼女が育てたというよりは、彼女以外に引き取り手がいないが故に彼女の家に招かれたような者達の集団だと言われている。
 ジョセフが司書に確認してみたところ、カルディナがその本を貸し出したという形跡はないが、彼女には過去にも何度か「図書館事務を通さずに勝手に本を持ち出した前科」があるらしい。ここまでの状況を総合するに、彼女は容疑者として十分すぎる程の条件を満たしているように見えるが、司書達はそのジョセフの推理に対して、あまり積極的に肯定しようとしなかった。

「カルディナ先生は確かに山吹の静動魔法も極めてはいますが、基本的には自分の道楽のためにしか魔法を使わない人です。『強力な弓の召喚』などといった建設的な方向のために尽力するとは思えません」

 司書の青年はそう答えた。散々な言われようだが、確かに一理ある。とはいえ、何が彼女にとっての「道楽」なのかは分からない以上、確認してみる必要はある筈なのだが、それにも関わらず彼等が動こうとしないのは、純粋に「あの先生には関わりたくない」という考えが見え隠れしているようにジョセフには思えた。実際、カルディナは日頃から酒浸りの日々を送っており、うかつに研究室に近付くと、そのまま延々と晩酌に付き合わされる、という噂もある。

(そうなると、一人で押しかけるのは危険か……? そもそも、まだ容疑が確定した訳ではないし、もし他に調査している者達がいるなら、彼等と合流して情報を擦り合わせた上で向かうべきだろうか……?)

 彼はそう考えて、他に調査している者達がいるかどうかを探そうとしたが、この時点で既にロシェル達は既に地下書庫から退出しており、その後の行き先は司書達も知らない様子であった(そして、古本屋巡りをしているニキータ達の存在はそもそも学内の誰も知らない)。
 そんな中、ジョセフは図書館の近くで「うさぎの耳のような髪飾り」を付けた一人の少女を発見する。

「先日エーラムに来ました、 ヴィルヘルミネ・クレセント です。オクセンシェルナ先生が『ちんせつゆみはりづき』という本を探していらっしゃるのですが、ご存知ないです?」

 その少女は図書館近辺の人々に対して、片っ端からそう聞いて回っていた。彼女はまだ9歳で、魔法学校にも入学したばかりであるが故に、身体よりも大きないサイズの制服をぎこちなく着込んでいる。ジョセフはひとまず、彼女に声をかけてみることにした。

「その本なら、私も探しているところだ。そして、今、一つの可能性に思い至った。協力してもらえないだろうか?」

 同行者としては頼りないが、一説によるとカルディナは「弟子達の中でも、幼子には甘い」とも言われている。それに、さすがにここまで年端も行かないような少女にまで酒を勧めるようなことはしないだろう。

「分かりました。お手伝いします〜」
「よろしく頼む。私はジョセフ・オーディアール。未来の天才軍師だ!」
「ヴィルヘルミネです。ヴィルでも、ヴィリーでも、ミーネでも、好きに呼んでね」

 ヴィルへルミネがこうして自主的に本探しを始めたのは、この機会を通じて入門したばかりのエーラムの魔法学校の中を探索すると同時に、自分のことを校内の人々に覚えてもらうため、という目的もあった。その意味でも、こうして直接先輩の側から声をかけてもらえたのは、彼女にとっても好都合だったのである。

「さて、他に誰か、本を探している者に心当たりはないか?」
「そういえば、さっき、廃品回収場の方で、その本を探している人いるって聞いたような……」
「なるほど。何かに紛れて捨てられた、という推理に至った者もいるのだな」

 二人はそんな会話を交わしつつ、廃品回収場へと向かうと、ティトの姿を発見する。

(あれは確か、ティト・ロータス……)

 彼女は常にマスクつけて生活しているため、その素顔は知られていないが、逆にそのマスク姿が図書館内では目立つため、図書館の常連客の中ではそれなりに名の知れた存在であった。

「失礼。廃品回収場で行方不明の図書を探していたというのは、君か?」
「はい、そうです……。あなたもですか?」
「そうだ。一応、私の中では一つの仮説が組み上がっているのだが、その様子だと、この場所ではまだ本は見つからなかったようだな」
「えぇ……。でも、手がかりになるかもしれない話を聞けました……」

 彼女はそう前置きした上で、つい先刻作業員達から聞いた話をジョセフ達に告げる。どうやらこの廃品回収場に大量の「弓の魔法具」を捨てた人物は、高等教員のカルディナ・カーバイトらしい。確かに彼女は錬成魔法も修めているため、他の世界の物品を召喚するだけでなく、自力で魔法具を作り出すことも出来るだろう。この情報から、彼女が現時点で「弓」に対して何らかの執着を見せていることがはっきりと分かった以上、ジョセフの推理の信憑性は更に高まった。
 ジョセフはそのことをティトにも告げた上で、改めて三人でカルディナの研究室へと向かうことにした。

 ******

 カルディナの研究室はエーラム魔法大学の敷地内の中でも、辺鄙なところに存在する。それは、彼女自身が人知れずに「よからぬこと」をするために望んだという説と、誰も彼女の近くに研究室を構えたくないが故に追いやられたという説があるが、いずれにしても、彼女の研究室(という名の遊び場)に近付こうとする者は滅多にいない。

「カルディナ殿、一つ、お伺いしたい件がございます。扉を空けてもらえないでしょうか?」

 ジョセフが扉をノックした上でそう呼びかけると、中からは気の抜けた声が聞こえてきた。

「あ〜、職員会議って、今日だっけ? パスだパス。ちょっと今、持病のしゃっくりが止まらなくてな……」
「そうではありません。私は赤の教養学部所属の学生ジョセフ・オーディアール。あなたの手元に、本学図書館に所蔵されている『椿説弓張月』という本があるのではないかと思い、参上した次第です」
「ちんせつ…………? あぁ、あの地球の異界魔書か。ちょっと待ってろ、今、探すから……」

 そう言われてから約5分。ジョセフ達が外で待ち続けていると、やがて扉が開き、カルディナ(下図)が姿を現す。
+ カルディナ

「いやー、すまんすまん。すっかり返すのを忘れてた」

 そう言って、彼女は大して反省もしていない様子で、一冊の本をジョセフに手渡す(ちなみに、しゃっくりしている様子もない)。その表紙には、確かに『椿説弓張月』と書かれていた。

「なぜ、正規の貸出手続きを通さずに、勝手に持ち出すようなことをなされたのですか?」
「あー、まぁ、悪いとは思ったんだが、急に夜中にこの本が必要になってしまってな。もう図書館の事務も閉まってるし、それなら勝手に入って、勝手に借りて、ちょっと読んで、すぐに返せばいいだろうと思ったんだが、読んでるうちに他の本と色々読み比べたくなって、ついでに色々まとめて借りて、うっかりこれだけ返すのを忘れてたんだ」

 大して悪びれもせずに苦笑しながらそう語る彼女の背後には、様々な形状の弓が転がっていた。そんな様子を目の当たりにしたティトが、ジョセフの後ろから小声で語りかける。

「カルディナ先生、廃品回収場の作業員の方々が、魔法具は分別して捨ててほしい、と言っていました……」
「んー、また面倒臭いことを言ってくれるなぁ。まぁ、善処する、と伝えといてくれ」

 明らかに真面目に分別する気がなさそうな様子でそう答えたカルディナに対し、今度はヴィルへルミナが純粋な好奇心から問いかける。

「異界の弓を召喚することが出来るんですか?」

 ヴィルヘルミナは、「兎の耳を持つ亜人種」の投影体を祖先に持ち、自分自身も異界のことに強い興味を抱いている。まだ幼い彼女の純粋無垢な瞳でそう聞かれたカルディナは、嬉しそうに語り始めた。

「あぁ、そうだ。私の養女に、お前と同じくらいの歳の『山吹の静動魔法師』がいてな。彼女のために、心優しい師匠である私は、ちょっとしたプレゼントをくれてやろうと思ったんだ。そのために、今は異界の弓や魔法の弓についての研究を重ねている」

 嘘である。カルディナは今、弓などの飛び道具を用いた「異界の遊戯」に興味を示しており、弟子の一人である山吹の静動魔法師の少女を巻き込んで楽しむための「遊び道具」を作ろうとしているだけだった。

「ただ、残念ながらこの本はあまり役には立たなかった。内容自体は面白かったのだが、この話の中に登場する弓そのものはそれほど特別な弓という訳ではない。ただ単に、馬鹿力の大男が怪力で放つことで威力が増しているだけで、この物語に登場する弓には、単体で召喚する程の価値はなかった。やはり、もっと神話寄りの書物を当たった方が良さそうだな」
「次に本を借りる時は、ちゃんと正規の手続きを通して頂きたい。よろしいですね?」
「あー、分かった分かった。気をつけるよ」

 カルディナは最後までそんな誠意のない返事を繰り返しながら、一方的に話を打ち切って扉を締める。ジョセフはため息をつきつつ、ひとまずは目標を達成したことに満足した様子で、ティトとヴィルヘルミナを連れてクロードの研究室へと向かった。

 ******

 その頃、クロード(下図)の研究室には、ユニ、テラ、ロシェル、シャリテ、そして「図書館に投影された黒衣の少女(仮称:マギカロギア)」という「四人と一頭」が来訪していた。
+ クロード
 黒衣の少女は当初、ユニ達によって混沌災害対策課へと送られていたが、「図書館に現れた『本に関係する投影体』ならば、異界魔書に長けたクロード先生の方が適切な判断が下せるのではないか」という判断から、直弟子であるテラを経由してクロードの元へ連れていくように依頼されたのである(そしてこれは、クロードと接点を作りたいと考えてロシェルにとっても好都合な話であった)。
 クロードは黒衣の少女を一目見るなり、あっさりとその正体を看破する。

「どうやら、彼女は『異界魔書のオルガノン』のようですね」

 「オルガノン」とは、ヴェリア界と呼ばれる異世界から投影された「擬人化体を伴った物品の投影体」である。それはすなわち、元々は様々な世界に存在していた「廃棄された物品」が、様々な経緯を経て「ヴェリア界」へと流れ着いた後に、そこからこの世界へと投影された存在、ということである(なお、その「ヴェリア界」という世界の実態については、未だに解明されていない)。彼女の場合は、その手に持っている「本」が本体らしい。
 その少女はクロードの説明に対してはっきりと頷きつつ、訥々と語り始める。

「私はもともと、地球で生み出されたTRPGのルールブック。多くの人々を楽しませ、そして役割を終えて廃品となった後に、ヴェリア界を漂う存在になった。その後、何回か『この世界』にも投影されたことはある。今回が何回目なのかは覚えてないし、前に投影された時の記憶も曖昧。でも、『エーラム』という地名は覚えている。いつの時代でも、そこは『魔法の集まる場所』と言われていた」

 つまり、『マギカロギア』とは彼女の「本体」の名称であり、彼女の故郷である『地球』と呼ばれる世界において数多くの部数が刷られた名著であったらしい(なお、「TRPG」という単語に関しては、クロードはある程度認識していたが、他の学生達には全く聞き馴染みのない言葉であった)。

「彼女は『本』としての天寿をまっとうした、幸福な生涯を歩んだオルガノンだったようです。ですから、人間に対して恨みを有してもいない。『友好的な投影体』と認定して良いでしょう。せっかくこのエーラムの図書館に出現したのですから、ひとまずは私の保護下に置いた上で、図書館の業務でも手伝ってもらうことにしましょうか。最近はエーラムも人手不足のようですし」

 クロードがそう語ったところで、扉をノックする声が聞こえる。

「赤の教養学部所属、ジョセフ・オーディアールです。行方不明だった『椿説弓張月』を発見したので、お届けに上がりました」

 その声に応じてクロードが扉を開けると、ジョセフ、ヴィルへルミネ、ティトの三人が現れる。そしてジョセフが「事情」を説明した上で書物を手渡すと、クロードは嬉しそうに受け取った。

「ありがとうございます。そうですか、カルディナ先生が……。それはご苦労様でした」

 苦笑しながらクロードがそう語ったところで、先客であったユニも嬉しそうに声をかける。

「見つかってよかったですね」

 ユニ達の行動はこの件に関しては無駄足に終わってしまったのだが、彼女は純粋に今のこの状況を喜んでいた。クロードは笑顔で頷きつつ、探してくれた者達全員に感謝の意を告げる。そして、後日クロードは行きつけの古本屋を訪れた際に、ニキータ達もまたその本を探し回っていたという話を聞かされ、彼等にも間接的に礼を伝えることになるのであった。

3、謎の食堂

 数日前、エーラムの学生寮の近くに、新たな食堂「多島海」が開店した。マロリー(下図左)、アイシャ(下図中央)、ヘアード(下図右)という名の三姉妹が経営するその店は、山岳地帯であるエーラムでは滅多に食べることの出来ない海鮮料理を主体としており、その物珍しさもあって、連日学生客で賑わっている。
+ マロリー/アイシャ/ヘアード
 ある日の早朝、そんなこの店の入口に「従業員募集」の張り紙が掲げられていた。どうやら、あまりに忙しすぎて三人だけでは手が回らなくなったらしい。その張り紙を見ながら、13歳の女子学生 リヴィエラ・ロータス は、思案を巡らせていた。

(海から遠いこのエーラムに、新鮮な海の幸をどのようにして運んできているのでしょうか。その謎が分かれば、もしかしたら、わたしの村の恵みも、より多くの人に届けることができるかもしれません)

 彼女は同門かつ同年齢のティトとは対象的に、海辺の漁村で育った。おとなしい性格であるが故に、故郷にいた頃は、村全体に漂う活気のある賑やかな雰囲気が苦手だったが、それでも故郷への思い入れは強い。

(そうですね、いわゆる“きぎょうひみつ”というものかもしれませんので、お店のことを手伝いながら、事情を探ってみることにしましょう。それが分からなくても、ここで料理の腕を磨いて、損することはないでしょうし)

 彼女はそう決意した上で、思い切って『多島海』の扉を開いた。

「あのっ、すみません。わたし、お店で働きたいと、思うのですけど……」

 すると、そこでは既に別の二人の少女の採用面接がおこなわれていた。面接官を担当しているのは、三姉妹の中で一番小柄な(しかし、実は長女らしい)アイシャ。そして二人の少女のうちの片方は、リヴィエラにとって見知った人物であった。極東系の黒髪で、トレンチコートのようなワンピースを着たその少女は、リヴィエラと目が合った瞬間、笑顔で声をかける。

「あれ? レヴィやないの」

 彼女の名は、 ゴシュ・ブッカータ 。歳はリヴィエラよりも若い10歳だが、同期入学ということもあり、リヴィエラとは仲の良いライバル関係であった(ただし、互いに異なる「神」を崇めているようで、その話題になるとしばしば対立することになる)。

「ゴシュもここで働くの?」
「せやねん。せっかくやし、料理の腕を磨きたいんよ。色んな地域の料理を知りたいしな」

 彼女の口調には独特のイントネーションがあるが、それはおそらく極東の中でもごく一部の地域で使われている特殊な方言なのだろう。
 そして、もう一人の従業員志望者は、草色の髪の上に奇妙な黒い狐面を付けて、眼鏡の下に蒼と緋のオッドアイという、ゴシュと同等以上に独特の風貌の少女であった。

「童(わらわ)の目的は、七草粥を作ること。そのために様々な料理を学び料理の腕を上げることは大切なのだよ。ということで、アルバイトに雇って欲しいですのだよ!」

 ゴシュと同等以上に独特の言葉遣いでそう言ったのは、 シャララ・メレテス 。15歳の女子学生であり、「七草粥」と呼ばれる独特の料理を研究しているらしい。ちなみに、「七草粥」という文化はゴシュの故郷にもあるが、シャララが求めているのはそれとは全く異なる料理(せりいちごもやしかいわれまんどらごらみんとぷちとまと)である。

「ふーん……、まぁ、この子の知り合いってことなら、身元もはっきりしてるみたいだし、あんたもまとめて三人共採用ってことでいいわ。詳しいことは、この黒髪の子から聞いといてね」

 アイシャはあっさりとそう言った。どうやら、今から入って来たリヴィエラに、もう一度説明し直すのが面倒になったらしい。いきなりそう言われたリヴィエラは、当然の如く困惑する。

「え? いいんですか? まだ何も……」
「どうせ人手は必要だしね。とりあえず、使えるかどうかは使ってみないと分からないから、今から厨房に来て。使えないと分かったら、その時点で即クビにするから」

 そう言ってアイシャは三人を店の奥の厨房へと案内する。そこでは、マロリーとヘアードが今日の開店前の下拵えを始めていた。調理場の隅には、大量の魚介と野菜が山積みになっている。野菜はともかく、魚介類はどう見ても海でしか捕れないような魚や貝や軟体動物ばかりであり、エーラムの市場に売っている品々と比べても、明らかにこちらの方が新鮮な食材が揃っていた。

「じゃあ、まずはこの鯉の卵の塩漬けの作り方からだけど……」

 アイシャがそう言って近くにあった瓶を手にしたところで、誰もいないホールの入口の扉が開く音が聞こえてきた。

「うはは! 世界最強の魔法師の卵、 セレネ・カーバイト が、従業員面接を受けに来たぞ!」

 どうやら、新たな採用希望者らしい。アイシャは思わず表情を歪ませる。

「あー、もう、また面倒臭そうなのが来たわね……、マロリー、もうそっちは大体終わったでしょ? あんたが行って! 私はこの子達の指導してるから」
「分かったわ。じゃあ、こちらはお願い」

 長いウェーブヘアが印象的なマロリーがホールへと向かうと、そこには入口の扉が開いた状態のまま、一人の少女が腕を組みながら仁王立ちで立っていた。

「そこのおねーちゃん! この店の店主ちゃんかな?セレネ・カーバイトだ。よろしく頼むぞ!(ふんす)」

 セレネは「変人揃い」と評されるカーバイト一門に所属する、13歳の少女である。双子の妹であるディアナは極めて優秀な才能の持ち主で、名門アルティナス家の将来を担う逸材と言われているが、セレネはそんな彼女とは対象的に、様々な場所でトラブルを巻き起こす「双子のダメな方」として有名であった。

「分かったわ。じゃあ、そこのテーブルに座って。今から面接を……」

 マロリーがそう言ったところで、セレネの後ろから更に二人の少年が現れた。

「おはようございます、きれいなお姉さん! アーロン・カーバイト です。ボクも面接を受けさせて下さい」
ディーノ・カーバイト です。俺も、この店で働かせて下さい!」

 アーロンはセレネの一つ下の12歳、ディーノは彼女と同い年の13歳。いずれも農民出身でカーバイトの一門に加わった新鋭である。どちらも明朗快活な性格ではあるが、清涼感の漂う美少年のアーロンがきちんと身だしなみを整えて来店したのに対し、見るからに熱血少年の雰囲気をまとったディーノは、その腰に(明らかに従業員面接には不要な筈の)木刀を携えていた。

「ん? ディーノちゃんもアーロンちゃんもここでバイトするのか?」
「ボクのことは『アーロンちゃん』なんて呼ぶなって、言ってるだろ! 」
「あぁ、そうだったな、ごめんごめん、アーロンちゃん。よし!セレネも働くぞ!そして3人で勝負だー!!セレネが一番上手にバイトできるはずだぞ(どやぁ)」
「俺も負けないぞ、セレネ!」

 そんな三人の様子を見ながら、マロリーは嫌な予感が頭を過る。

(いわくつきのカーバイト一門が一度に三人も……? これは、例の変人魔法師が裏で何か企んでいる? もしかして、私達の正体を探りに来た?)

 杞憂である。カーバイトの門下生達の間に「連携」という言葉は存在しない。彼女達は純粋に、ただそれぞれの思惑に基づいて来店しただけである。

(あと、「セレネ」というのも引っかかる名前ね……。まぁ、偶然だとは思うけど……)

 それも杞憂なのかどうかは分からないが、ひとまずマロリーは三人を近くのテーブルに着席させ、まずは動機から聞くことにした。最初に答えたのはセレネである。

「ここって、海鮮の店なんだよな? セレネは『タコパ』がしたいのだ。『タコパ』の食べ物の中には入れるのは海鮮っぽかったから、ここで色々調べたいのだ」

 マロリーは「タコパ」という言葉を初めて聞いたが、おそらくその語感からして、八本足の軟体動物を用いた料理なのだろうと推測する。実際、それはこの店でも食材として取り扱っているため、彼女がこの店で働く動機としては理解出来る(店の側から見て、彼女に雇うだけの価値があるかどうかは、まだ分からないが)。
 続いて口を開いたのは、アーロンであった。

「料理が出来る男子はかっこいいと思うので、ボクも出来るようになろうと思ったからです!」

 アーロンは「かっこいい人間になる」ということを人生の目標に掲げている。そして、今の彼の中は「カッコいい=男らしい、モテる」という図式で成り立っており、クラスメイトの女子グループが「料理が出来る男子良くね?」と話しているのを聞いて、この店で働くことを決意したらしい。ちなみに、これまでのアーロンの料理の経験はほぼ皆無(母の手伝い程度)であった。
 清々しいまでの単純な理由にマロリーは内心苦笑しつつも、男手が増えることはありがたい(もっとも、この年代であれば男女の体力差など誤差程度なのだが)。
 そして、最後にディーノが「もっと単純な理由」を口にする。

「お金が必要なんです」

 ディーノは魔法剣士を目指しており、そのためには師匠のカルディナと同様に、多くの系統の魔法を学ぶ必要がある。そのために必要な教材費を自力で稼ごうと考えていたのである(ついでに言えば、食堂で賄いを貰うことが出来れば、多少は食費を浮かすことも出来る)。あまり要領が良さそうな少年には見えなかったが、少なくとも「金のため」という動機は人間を最も勤勉にさせる要素だということはマロリーも分かっているため、これはこれで扱いやすそうな労働力になるだろうと考えていた。

「分かったわ。じゃあ、とりあえずは三人共、仮採用ということで。とりあえず、今から厨房で色々説明するから、先に来てる三人とも仲良くやってね」

 そう言ってマロリーがセレネ達を連れて行くと、中でアイシャとヘアードの指導を受けていたシャララが視界に入った時点で、セレネが声を上げる。

「おや、そこにいるのは、七草粥のシャララちゃんじゃないか!」
「そう言う御事(おこと)は、セレネちゃんなのだよ!」
「シャララちゃんもここで働くのか?」
「あぁ、そうなのだよ。これも七草粥のためのなのだよ」
「それは楽しみだな。マンドラゴラを園芸部の畑に植える許可は取れたのか?」
「バッチリなのだよ」

 どうやらこの二人は以前から知り合いだったらしい。何やら不穏な単語が会話の中から聞こえてきたような気がするが、マロリー達も他の学生達も、この二人の言うことに関しては、あまり深くは考えないしないことにした。

「では、ヘアードちゃん、アイシャちゃん、マロリーちゃん、よろしくお願いだぞ!(ふんす)」
「色々教えて下さいね、きれいなお姉さん方」
「俺に出来ることは何でもやります!」
「みんなで仲良く一緒に店を盛り上げるのだよ!」
「ほな、よろしゅうね〜」
「がんばりますので、よろしくお願いします」

 こうして、大衆食堂「多島海」は、ひとまず六人の新入店員を加えた状態で、この日の営業を開始することになった。

 ******

「いい海の幸ですね、こんな場所で出会えるとは思ってませんでした」

 「多島海」の厨房に近いテーブルの一席で、魔法学校の購買部で働く11歳の男子学生 ジュード・アイアス は、ムール貝のガーリックバター焼きを口にしながら、テーブルの向かいの席に座った少女に聞こえるような声で独り言のようにそう呟く。その少女はフードを深く被った状態のまま、黙々とイカの唐揚げを口にしていた。
 ジュードは商家の出身で、魔法に関する基礎知識よりも、教養科目としての政治や経済の勉強に熱を入れる性格であった。そんな彼は、この店で用いられている食材の入手経路が気になっていた。エーラム内で一般流通している魚介類に比べて明らかに鮮度が高く、味も良質と言われているため、何か不正な取引によって手に入れた代物なのではないか、という疑惑が彼の中で湧き上がっていたのである。「悪質な取引が広がると誠実な取引が痛い目を見る」というのが、彼の(商人としての)師匠の教えであった。
 無論、これが彼女達が独自の努力で開発した正当な手段による入手なのであれば問題はない。それが合法的な経路によるものならば、むしろジュード自身も一枚かみたいと考えているくらいであり、いずれにしても、調査して損はないと考えていた。
 ひとまず彼は、店の近辺の人々に聞き込みをして、この店にどこから食材が入って来ているのかを調べようとしたが、奇妙なことに、それらしき大荷物を持ってこの店に入って来た人物の姿を見た者は誰もいないらしい。彼自身もまた前日の閉店後やこの日の開店直前に張り込んで調べてみたが、それらしき荷物が届けられた形跡はなかった。
 そうなると、時空魔法による空間転移か、静動魔法や錬成魔法による特殊圧縮といった技術を用いている可能性もあるが、さすがにそのレベルの技術になると、今のジュードでは調べようがないし、模倣することも出来ない。とはいえ、それが新たな商業ルートの構築に関わるかもしれない技術であるとするならば、好奇心が沸かない筈もない。

(こうなると、具体的に何か特殊な手法を用いている現場を押さえるしかないですね。まぁ、食べてみた限り、食材自体はまっとうな代物のようですし、悪いことをしているのでなければ、気にする必要もないのでしょうが……)

 ジュードはそんな思いを抱きながら、厨房の方面から何か「奇妙な雰囲気」や「不穏な気配」が漂っていないか、細心の注意を払っていた。
 一方、そんな彼の向かい側に座っている「フードを深く被った少女」は、手元のイカの唐揚げを口にしながら、その鮮度に素直に感心していた。

(これは、おそらく大陸南東部のキルヒス地方に伝わる料理……、確か、カラマリとか言ったかな。付け合せのレモンとの相性も抜群。これは確かに、客が集まるのもうなずけるな……)

 その少女の名は、 クグリ・ストラトス 。学内カフェである喫茶「マッターホルン」の店長代理を務めている15歳の女子学生である。彼女は極東の商家出身で、ジュードとは同じ商人同士、互いに見知った関係であった。飲食店経営者である彼女は、正体をフードで隠した状態で競合店であるこの店に敵情視察に来ていたのである。おそらく、目の前に座っているジュードには正体は見破られているのであろうが、きっと彼も自分と同じく偵察に来ているのだろうと推測した上で、あえて黙ってそのまま周囲の状況を確認し続ける。

(あのアサリのパスタ、人気みたいだな……。さっきからよく注文されてる。パスタはウチでも人気メニューだけど、食材の質では勝てそうにないし、こっちは何か斬新なアイデアを盛り込んでみることにしようか……)

 この発想が後に様々な悲劇を生むことになるのだが、それはまた別の物語である。この後も、しばらく二人はつまみ程度の小皿を(それなりに間隔を空けながら)頼みつつ、しばらく店内に居座って情報収集を続けることにした。

 ******

 この日の店員達は、ひとまず三つの班に分かれた上で、「厨房・接客・休憩」のローテーションを組んでいた。昼の一番忙しい時間帯を終えた時点で、厨房は「アイシャ・セレネ・ディーノ」班、接客は「マロリー・リヴィエラ・シャララ」班のシフトになり、「ヘアード・ゴシュ・アーロン」班は、ひとまず奥の休憩室へと入る。

「お疲れさん。まぁ、初日にしては悪くない働きだったな」

 短髪で、どこかサバサバした雰囲気を漂わせた(しかし、露出面積は一番広い服を着た)ヘアードが新人二人にそう告げると、アーロンもゴシュも嬉しそうに笑顔を浮かべる。

「ありがとうございます。ところで……、ヘアードさんは『かっこいい人間』って、どんな人間だと思いますか?」

 アーロンから唐突に抽象的な質問を投げかけられたヘアードは、少し考え込んだ上で、端的に答える。

「『責任を果たす人間』だな」
「なるほど、責任、ですか」
「あぁ。人間に限らず、この世に生を受けた者は誰しも何らかの責任を背負って生きている。その責任を果たす姿こそが『かっこいい』と言えるだろう。当たり前のように見えて、これが出来ない者は存外多い。そんな大人にはなるなよ」

 それがあくまでもただの一般論なのか、具体的に誰かを想定した上での話なのかは分からないが、どこかその言葉には重みが感じられた。そんな彼女に対して、今度はゴシュが問いかける。

「ところで、ヘアードさん達って、どこの生まれなんです?」
「遥か遠い国だ。お前達に言って、おそらく分からないだろう」
「ほな、この店で出してはる料理も、その国の郷土料理ですか?」
「まぁ、そう考えてもらえばいいだろう」

 はぐらかすような口調でヘアードはそう答えるが、ゴシュとしてもそこまで詳しく故郷の事情を聞き出したい訳ではない。ただ、彼女は自分とは異なる様々な文化に触れること自体を楽しいと考えていたのである。
 そんな中、厨房からアイシャの声が響き渡った。

「ヘアード! ごめん、ちょっとタラが切れちゃったから、倉庫から持ってきて!」
「分かった。すぐ行く」

 そう言ってヘアードが裏の倉庫へと向かおうとすると、アーロンとゴシュは顔を見合わせる。

「あれ? タラって、倉庫にはもう残って無かったような……」
「せやね。さっきの時点で、もう大体の食料は出尽くして……」
「心配ない。『お前達には見えないところ』にはまだある筈だ」

 ヘアードはそう断言した上で倉庫へと向かい、そしてしばらくすると、箱に詰めれたタラを持って厨房へと戻って来る。ゴシュとアーロンは呆然とその様子を眺めていた。

「あんなに沢山、どこにあったん?」
「うーん、もしかして、秘密の地下室の入口でもあるのかな?」

 ******

「よし! 皿洗い勝負は俺の勝ちだな!」
「うー、タッチの差だったのだ!」

 厨房のディーノとセレネは、二人で勝手に「どちらが先に多くの皿を洗えるか」という勝負を始めていた。なお、セレネは僅差だと思っているようだが、実際には同じ時間をかけて洗った枚数には、倍以上の差がついている(しかも、その間にセレネは何枚か割っていた)。
 セレネは悔しそうな顔を浮かべながら、今度は近くにあったまな板に視線を向ける。

「よし、じゃあ次は料理勝負だな! これ切ればいいのか? なんの肉だ? にゅるにゅるしてうまく切れないけど……、ふんぬー!」

 彼女がそう言いながら『よく分からない軟体動物』に対して全力で包丁を振り下ろすと、勢いよく切り取られたその食材の足は飛び跳ねて、隣で調理していたアイシャの顔面に直撃した。

「……あんた、もう厨房はいいから、注文取ってきて!」
「え? あ、そうなのか? しかたないなー。セレネ、何でも出来ちゃうから、まいったなー。獅子じゅうに?(獅子奮迅)の活躍をみせちゃうぞ!」

 アイシャにそう言われたセレネは、ウェイトレス姿に着替えて、ホールへと向かうことにした。

 ******

「お、君、新人? かわいいねぇ」
「あ、はい、えーっと、その、あの、ご注文を……」

 来客から声をかけられたリヴィエラは、どうリアクションすれば良いか分からずにアタフタと注文を聞こうとするが、そんな姿が一部の客層からは好評だった。

「小海老の素揚げとイワシのグリル、それにホウレン草のパイ、お待たせなのだよ!」
「あ、そこの狐面の子、ズッキーニの揚げ団子、もう一皿頼むわ」
「分かったなのだよ!」

 シャララもシャララで、ハキハキと元気に応対している様子は概ね好印象のようで、店内の雰囲気も明るく盛り上がっていた。そんな様子を、クグリは複雑そうな心境で眺める。

(彼女のような存在は店に活気を与えるようだな……。ウチも従業員を増やしてみるか。明るく元気な、そう、例えば……)

 クグリがそんなことを考えていたところで、厨房の方から大声が響き渡る。

「待たせたな! セレネ・カーバイトが、今からそこのキミちゃん達の注文を取るぞ!(ふんす)」

 よく分からない謎のポーズを決めながらホール全体に対してセレネがそう叫ぶと、皆の注目が彼女に集まる。そして次の瞬間、彼女は(深くフードを被っている)クグリと目が合った。

「あ! クグリちゃんじゃないか! それに、ジュードちゃんも!」

 大声で正体をバラされたクグリは思わずため息をつくが、別に後ろめたいことをしている訳でもない以上、諦めてフードを取り、隣のテーブルを指差す。

「……とりあえず、そろそろデザートが食べたいから、そこのテーブルの人が食べてるあのヨーグルト、ボクにも一つ貰えるかな?」

 クグリは別に男装してる訳ではないが、日頃は少年のような口調で他の学生達と接している。ちなみに、この日はあまり目立たない服を着ているが、いつもは極東系の装束を身につけていることが多かった。
 そんな彼女の横から、ジュードも声をかける。

「では、僕も同じものを一つ、お願いします」
「分かったぞ! このセレネに万事任せるのだ!(ふんす)」
「ところで、いつからこの職場で働いているんです?」
「今日からだぞ! 面接する必要もなく、即採用となったのだ(ドヤァ!)」

 そんなセレネの様子に対して、遠くでマロリーが苦笑いを浮かべている。クグリはなんとなく事情を察した上で、彼女の方からもセレネに問いかけた。

「この店の三姉妹の方々は、どんな人達なのかな?」
「え? うーん、そうだなぁ……、なんかよく分からないけど、結構凄いみたいだぞ。さっきも、何もなかった筈の倉庫から魚を取ってきた、とか、アーロンちゃん達が言ってたからな」

 どうやら、中途半端にアーロン達の会話が耳に入っていたらしい。その話を聞いたジュードの中では、食材そのものに対する疑念が再燃し、手元の更に残っていたムール貝の貝殻を、密かに手ぬぐいに包んでポケットにしまい込む。

「さーて、それじゃあ、行ってくるぞ! 待っているがいい!(ふんす)」

 そう言ってセレネが厨房に戻って行くのを見ながら、ジュードとクグリは小声で会話を交わす。

「何もないところから、ってことは、まさか……」
「少なくとも、食べた時の感触は、普通の食材と変わらなかったように思えるけどね。特に身体に変調が起きているとも思えないし……」

 二人がそんな会話を交わす中、程なくしてセレネが、大皿に入った半沸騰状態のシチューを手に戻って来た。

「お待たせ! デザートのヨーグルトだぞ!(ドヤァ!)」
「いや、どう見ても違うでしょ、それ!」

 思わずジュードが突っ込むと、別の席から別の客の声も響き渡る。

「それ頼んだの、俺達だよ!」
「あー、そうだったか、じゃあ、今からそっちに……」

 セレネがそう言いながらクルッと半回転すると、その勢いで彼女の体勢が崩れ、掌に乗っていたトレイの角度が傾き、熱々のシチューがクグリの頭上から丸々こぼれ落ちようとする。

「あ! クグリちゃ……」

 だが、次の瞬間、クグリの周囲に謎の「結界のような何か」が出現し、シチューは彼女には一滴もこぼれ落ちず、彼女を避けるようにそのまま周囲に溢れ落ちる。目の前でその光景を目の当たりにしたジュードは、驚愕の表情を浮かべた。

「クグリさん、今のは……」
「ボクは、何もしていないよ」

 クグリも何が起きたか分からず混乱する中、彼女の視線の先では、反対側の壁際にいたマロリーの周囲から、何やら奇妙な気配を感じていた。そして、厨房からアイシャが飛び出して来て、マロリーに向かって叫んだ。

「メガエラ! ここでそのちか……」

 彼女がそう叫んだ直後、後ろから現れたヘアードがアイシャの口を塞ぐ。

「マロリー、でしょ」

 小声でそう言われたアイシャは「しまった」と言いたそうな表情を浮かべながら、慌てて厨房へと戻る。店内が騒然とする中、セレネだけが満面の笑みを浮かべていた。

「ふふふ、遂にこのセレネ・カーバイトの真の才能が目覚めてしまったようだな! 友の危機を救うために、無意識のうちに発動したこの力!(ドヤァ!) キミちゃん達、この場に居合わせたことを光栄に思え!(ドヤァ!)」

 彼女のそんな声が店内に響き渡る中、マロリーはリヴィエラに指示してクグリの周囲を掃除させつつ、騒がせたことを周囲の客達に平謝りする。そして、厨房に戻ったアイシャとヘアードは、揃って頭を抱えながら小声で呟いた。

「とりあえず、彼女はクビでいいわね?」
「異議なし」

 ******

 その後、ジュードはひっそりと退店した後、一門の先輩であるレパルト・アイアスの寮を訪ねて、ムール貝の貝殻を調べてもらったところ、明らかにこれは「異界から投影された物品」である、という結論に至った。つまり、あの店で販売されていた食材の大半は「異界の投影品」ということらしい。
 この世界において投影される物品の中には、当然、「食物」も含まれる。当然、それは混沌を激しく忌み嫌う人々からは敬遠される食材だが、現実問題として、大抵の投影食品は、口にしたところで害はない。害があるとすれば、それは「投影品だから」ではなく「もともと人体に害を与える物品の投影品だから」という場合が殆どである。そして実際、この食材は「アトラタン南東部のキルヒス周辺で穫れるムール貝」とほぼ同一の品であり、およそ人体に害を為すような代物ではないだろう、というのがレパルトの判断であった。
 ただ、異界の食物をこの世界に投影させることが出来る者と言えば、亜流(浅葱)の召喚魔法師か、もしくは一部の投影体くらいである。彼女達がどちらなのかは今の時点では判断はつかないが、レパルトが言うには、あの店は高等教員である生命魔法師ノギロ・クアドラントによる監査を通った上で運営しているということらしいので、少なくとも魔法師協会側から公認されている存在、ということになる。それならば、これ以上干渉する必要はジュードには無かった。
 もし彼女達が無限に(?)食材をこの世界に出現させることが出来る存在なのだとすれば、他の飲食店にとっては脅威だろうが、今のところジュードの経営する購買部とは扱う物品の種類が異なる以上、彼女達が他の方面にまでその能力を用いて事業展開しない限り、特に競合する可能性もない。他の食料品関係者がどのような対抗策を採ることになるのか、という点については、今のジュードが心配する義理もない問題であった。

 ******

 一方、「多島海」と競合関係にあるクグリは、彼女達の正体を探る上で、一つの鍵となりうる言葉が気になっていた。それは、アイシャがマロリーに向かって叫んだ「メガエラ」という言葉である。クグリの実感としては、あの時、自分を熱々のシチューから救ってくれた「結界」は、マロリーから放たれたように見えた(少なくとも、セレネでないことだけは確信していた)。
 その上で、あのアイシャの慌てぶりから察するに、おそらく「メガエラ」がマロリーの真の名であり、彼女達は偽名を使ってこの街に潜伏している特殊な能力者、という可能性が高そうに思える。ジュードとは違ってはっきりと検証こそしていないが、クグリもまたセレネの証言から、あの店の食材が「投影品」であることを薄々察しており、もしこの仮設が正しければ、今後も強大な脅威として自分達の前に立ちはだかり続ける可能性が高いと考えるのも当然である。
 ならば、やはりその正体を見極める必要があると考えた彼女は、魔法学校の図書館にある百科事典を駆使して、「メガエラ」という名前について調べてみたところ、そこには三つの頻出名が記されていた。

①:ブレトランド中部の都市。黒死病の特効薬となる薬草「ヴィット」の産地として有名。
②:オリンポス界(もしくはタルタロス界)に住むと言われる復讐の三女神の一人。アレクトーの妹、ティシフォネーの姉。
③:五星界(もしくはJOKER界)で生み出された人工生命体(ファティマ)の一人。アレクトーの妹、ティスフォーンの姉。

 他にもいくつかの候補があったが、その大半は異界の存在である(ブレトランドの地名も、②もしくは③が語源という説が有力らしい)。もし彼女が②(神格)だとするならば、あれくらいの結界を作ることも容易であろう。もしかしたら、とんでもないライバル店が出現したかもしれないという現状において、クグリは対抗策としての「新作パスタ」の研究に本腰を入れ始めるのであった。

4、悩める新入生

 数ヶ月前に魔法学校に入学したばかりの8歳の少年、ビート・リアン(下図)は悩んでいた。彼は入学前から「心が動揺すると、無意識のうちに周囲の物品をランダムに動かしてしまう」という現象を引き起こしており、当初は自分が悪魔か何かに取り憑かれたのではないか、と考えていたのだが、それが「無意識のうちに静動魔法に目覚めた子供」の初期症状だと知らされ、諸々の葛藤を乗り越えた上で、同じ静動魔法師であるアルジェント・リアンの養子として、エーラム魔法学校の一員となることを決意した。
+ ビート
 ビートのように、入門前から無自覚ながらも魔法を発動させていた子供は魔法師としての資質が強いと言われ、周囲からはエリート扱いされることが多い。だが、ビートは精神面の不安定さを克服出来ず、すぐに心を乱して魔力を暴発させてしまうことから、自ら望んで(義理の叔父にあたる)メルキューレ・リアンが作成した「魔力抑制装置」を常に装着している。ビートは一刻も早く克服して、一人前の魔法師になりたいと願っているようだが、その焦りが余計に彼の心を乱し、抑制装置を外せなくなるという悪循環に陥っていた。
 そんな彼は現在、幼年者としては珍しく「一人寮」に住んでいる。これも、「もし万が一、自分が力を暴走させてしまった時に、他人を巻き込まないように」という彼なりの配慮なのだが、そんな彼の元に、ある時、一人の先輩が訪ねてきた。

「はじめまして。僕は マシュー・アルティナス 。よろしくね、ビートくん。君が悩みごとを抱えていると聞いて、話を聞きに来たんだ」

 マシューは13歳の男子生徒である。彼は子供の頃、幼い女の子を助けようとして、魔法の力で他人を傷つけたことがある。その時、助けた筈の女の子からも怯えた目を向けられ、その時の彼女の顔が今もマシューは忘れられない。マシュー自身がそんな過去を持っていることもあってか、「力を制御出来ずに悩んでいる子がいる」という話を聞いた彼は、まずは彼と話をすることを通じて、その心の悩みの解決に協力しようと考えたのである(そして、それは彼にとっては、今は亡き母に言われていた「他人に優しくありなさい」という言葉の実践でもあった)。

「あ、はい、えーっと、その、わざわざ、すみません……」

 ビートは、自分のためにわざわざ一門も違う先輩が訪ねてきてくれたことに恐縮しつつ、うつむき気味に慣れない敬語でぎこちなく答える。

「さて、立ち話でよければこのまま話すし、中に入れてくれるなら中で話す。外の方がいいなら、歩きながらでも、公園でも、僕の部屋でも、どこでもいいよ。君にとって話しやすい場所を選んでくれればいい」
「えーっと……、それじゃあ、その、この部屋で……」

 そう言って、ビートはマシューを部屋に招き入れると、マシューは優しい口調で話し始める。

「君は、心が不安定になることに悩んでいるらしいけど、心を落ち着けたいのなら、まずは自分の心を知ることから始めたらいいんじゃないかな。どうして自分は心を乱しているのか、自分はどうしたいのか、どうなってほしいのか。そして、これからどうすれば良いのか。ゆっくりと考えて、気持ちを整理すれば、落ち着いて物事に臨めると思うよ」

 マシューのその言葉に対して、ビートは少し考え込んだ上で、ポツリポツリと語り始めた。

「俺、エーラムに来てから、ずっと、馴染めずにいるんです。てゆーか、多分、俺、そもそも人付き合いが下手なんです。ここに来る前、ブレトランドの孤児院にいたんですけど、そこでも、なかなか馴染めなくて、そこで普通に皆と話せるようになるまで、随分時間がかかって、ようやく話せるようになったと思ったら、エーラムに誘われて……、色々迷った上で、ここに来たんですけど、やっぱりというか、なんというか、ここの他の生徒達とも、またなかなか馴染めなくて……」
「君は、この学校に馴染みたいと思っているのかい?」

 マシューはあえてそう問いかけた。ただ魔法師になりたいというだけなら、必ずしも周囲の者達と親密になる必要はない。孤高の道を歩み続けて立派な魔法師となった者はいくらでもいる。むしろ、過剰な馴れ合いは堕落への道だと諭す教員もいるくらいである。もちろん、マシューとしても友人を作る行為を否定する気はない。しかし、苦手意識を克服してまで友人を作らなければならないかを判断するためには、まずそもそもビート自身の意志を確認する必要があると彼は考えていた。

「そう言われると……、馴染みたいのかどうかは、よく分からないです。ただ……、俺は孤児院にいた頃、馴染めずにいた頃よりも、皆と馴染み始めた後の方が楽しかった…………。だから、多分、また周りと馴染めなくなったことで、寂しくなってるんだと、思います……」
「なるほどね。一人でいることは確かに寂しい。それはそうだろう。じゃあ、それならなぜ、君はあえて『一人部屋』に住んでいるのかな? 抑制装置を付けている今なら、魔力の暴走の心配はないんだろう?」
「師匠はそう言ってるけど、でもやっぱり、もし万が一、ってことを考えると……、いや、メルキューレさんのことを信用してない訳じゃないけど、でも…………、いや、その、実は、最初は同居人はいたんです。でも、一緒に住んでた時に『俺が暴走して、そいつを魔法で投げ飛ばしてしまう夢』を見てしまって、それ以来、ちょっと、一緒にいるのが怖くなっちゃって……」
「そうか……、君は優しいから、他人を傷つけたくなくて、それで、誰も近寄らせようとはしないんだね……」
「優しいのかどうかは分からないけど、でも、怖いんです、この力が」
「だったら、一つの選択肢として、その力を封印してもらう、という道もあるよ。そうすれば、君はまた元の仲が良かった孤児院の皆と一緒に暮らせるようになる」
「それは、師匠にも言われました。逃げたければいつでも逃げればいい、って。でも、俺は逃げたくないんです! 俺はこの力をちゃんと正しく使えるようになって、一人前の魔法師になって、そして、借りを返したい奴がいるんです!」

 今まで弱々しい様子だったビートの語調が、ここに来て急に強くなった。どうやら彼は自分の力を制御出来ないことに葛藤しつつも、「魔法師になりたい」という明確な強い意志を持っているらしい。そのことが分かった時点で、マシューの中でも一つの方向性が見えた。

「分かったよ。君はどうしても魔法師になりたい。それが君の一番の意志で、そこは絶対に変わらないんだね?」
「はい、そこは絶対に譲れません」
「そのために、孤独な道を進むことになったとしても、それに耐えられるかい?」
「それは……、分かりません。まだ、そこまでの覚悟が出来ないから、気持ちが揺らいでしまっているのかも……」
「いや、別にそこで無理に覚悟を決める必要はないよ。他人を傷つけないために孤独な道を選ぶのも、どうにかして他の皆と仲良くやっていく道を探すのも、どちらも君の自由さ。まだ今の時点で、どちらの道を選べばいいのか分からないなら、気持ちが定まるまで、ゆっくり考えればいい。前の孤児院にいた頃だって、時間はかかったけど、最終的には仲良くなれたんだろう?」
「はい、そうです。でも、俺にはあまり時間が無いんです。一刻も早く魔法師になって、彼女と契約出来るようにならないと……」

 そこまで言ったところで、ビートは急に口籠もる。その頬は少し紅潮しているように見えた。

「今はそれ以上は言えないんだね。じゃあ、そこまで無理に踏み込みはしない。でも、話したくなったら、いつでも僕に話してくれればいい。大丈夫、君がうまくできるようになるまで僕はずっと手伝うよ。焦らなくていい」
「……どうして、そこまでしてくれるんですか? 俺、別にアルティナスの門弟じゃないし、そこまでしてもらえる立場でもないのに」
「困っている人がいるのに、助けない理由はないよ。それが誰であろうとね」

 マシューはそう告げた上で、ひとまずビートの部屋を後にする。これまで、師匠にすら話したことがなかった胸の内をさらけ出せたことで、ビートの中で鬱屈していた何かが、少しだけ取り払われた気がした。そしてまた、自分の気持ちを言葉にすることによって、今の自分の悩みをある程度客観視出来るようになったビートは、改めて自分の気持ちに向き合い始めるのであった。

 ******

 そして、ビートの噂を聞きつけた上級生は、マシューだけではなかった。翌日もまた、彼のことを心配した様々な先輩達が、次々とビートの部屋を訪問することになる。
 山岳民出身の12歳の男子学生 シャロン・アーバスノット もその一人であった。

(僕が入学した時も、心細かったもんだ。忙しなく歩き走る先輩と先生が怖くて、落ち着く為に山のお花畑に行ってたなぁ……。きっとあの子も同じ思いで、そして周りより幼い分大変なのかもしれない。ならば、僕みたいな人が助けるべきだろう)

 そう思い立った彼は、故郷の「山のおっちゃんたち」の助言を思い出し、ひとまず彼の悩みを晴らすためには「甘いものをきれいな所で食べる」というのが一番だろうと思い立ち、その手に手作りのクッキーを持った状態で、ビートの部屋を訪れた。

「こんにちはー、はじめましてー。君はー、ビート君だね?僕はシャロンっていうんだー。よろしくだー」

 山育ちの彼は、独特の平坦なイントネーションでそう自己紹介する。前日のマシューとは全く異なるタイプの、妙なテンションの先輩の登場に、ビートは少々困惑する。

「あ、はい。えーっと、俺に何か……」
「実はー、ちょっとクッキーを作りすぎてしまって、良かったら、貰ってくれないかと思ってー」
「クッキー?」

 そう言われたビートは、ふと孤児院の頃の友人を思い出す。彼はビートよりも少し年下で、いつも甘いものを口にする、食いしん坊でお調子者な、でも憎めない弟分のような存在だった。目の前にいるシャロンは彼とは全く異なる風貌だが、その朗らかな雰囲気から醸し出されるのどかな田舎の空気が、どこかその「弟分」のことを思い起こさせる。

(エーラムにも、こんな人がいるんだな……)

 ブレトランドの中でも中北部の田舎村出身のビートにとって、文明の最先端であるエーラムでの生活は、常に緊張感と共にあった。だからこそ、シャロンのような先輩と出会えたことで、不思議な安心感を実感していた。

「どう? クッキー、好きじゃない? そんだらー、君は何が好き?」
「あ、いえ、好きです。クッキー。ありがとうございます」
「良かったー、じゃあー、せっかくだらー、今日、晴れてるしー、外で食べないー? 綺麗な花畑、あるよー」

 そう言われたビートは、素直に応じることにした。エーラムに来て以来、なかなか人と打ち解けられずにいた彼であったが、昨日のマシューとの対話を経て、やはり自分は魔法師となるために、まずは心の孤独感を払拭するため、一歩を踏み出してみようと考え始めていたのである。そんなところに、シャロンのような「親しみやすい先輩」が現れてくれたことは、まさに渡りに船であった。

 ******

 花畑についた二人は、日向ぼっこしながら一緒にシャロンの手作りクッキーを食べる。その素朴な味わいは、ビートが孤児院にいた頃に皆で作ったクッキーを思い起こさせていた。

「ビート君はー、花は好き?」
「花……、うん、まぁ、好きと言えば好きかな……。色も、匂いも……」

 それもまた、孤児院にいた頃の想い出である。皆で一緒に花壇を作ったりした時のことを思い出していた。
 そんなところへ、シャロンよりも少し年上と思しき一人の少女が現れる。

「こんにちは。ビート君、だよね?」

 彼女の名は、 テリス・アスカム 。14歳の女子学生であり、魔法学校の園芸部の一員である。ゴシュやクグリと同じ極東地方出身で、独特な長いストレートの黒髪は、シャロンとはまた違った意味で、エーラムにおいては珍しい独特な異国情緒を漂わせていた。
「お、俺って、そんなに有名なんですか?」

 さすがに「二日間で三人目の先輩」から声をかけられた時点で、ビートも少し違和感を感じ始める。

「えぇ。園芸部の新入部員の子から、『優秀なのに色々色々悩みすぎる子がいる』って話は聞いてるわ。もしよかったら、この花畑の奥にある、私達園芸部のハーブ園にも来てみない?」

 そう言われたビートは、そのままシャロンと共に彼女に連れられてハーブ園へと足を運ぶ。すると、そこでは今まで嗅いだことのない不思議な匂いが溢れていた。その匂いは、ビートの心を優しく包み込むように和らげていく。

「心がムシャクシャする時は、深呼吸してこのハーブの匂いを嗅ぐと落ち着くよ。実は私もいつも持ち歩いているんだ」

 彼女は元々は武家の出身だったが、戦争で没落し、難民生活を経た後に魔法師協会に拾われ、エーラムへと渡って来たものの、入学直後に大病を患い、入院生活を続けた(そのため、年齢の割にまだ基礎課程すらもあまり進んでいない)上に、今もその時の後遺症を背負い続けている苦労人である。そんな彼女が今も魔法師としての道を諦めずにいられるのは、このハーブの香りに助けられている側面もあるのかもしれない。

「よかったら、好きなの持ってく?」

 テリスはそう言って、ビートに数種類の袋詰のハーブを手渡す。彼女の実家では、先祖代々「弱者を見捨てない」という家訓があり、それを守り続けてきた彼女にとって、目の前にいるこの「悩める少年」を助けるために、自分に出来ることを探そうとするのは当然のことであった。

「あ、ありがとうございます。大切にします」
「また何か困ったことがあったら、いつでも私の所に来ていいからね」

 テリスはそう言って、ビートとシャロンを笑顔で見送った。

 ******

「なあなあ。気晴らしにキャッチボールでもしようぜ!キャッチボール!」

 寮に帰ろうとしていたビートとシャロンの前に、唐突にそう言って一人の少年が現れる。彼の名は、 アツシ・ハイデルベルグ 。年齢は(ビートとシャロンのちょうど真ん中に相当する)10歳。東方の遠い国から来たと言われているが、素性はよく分かっていない。誰に対してもフレンドリーな熱血系少年であり、彼もまた「色々と悩んでいる少年がいる」という話を聞いて、元気付けようと思って駆けつけた先輩の一人であった。

「俺の名前はアツシ! よろしくな!」

 そう言いながら、彼は手に持っていた二つの「大型の革製手袋」のうちの一つをビートに投げ渡す。これは、彼の故郷で遊ばれている「野球」と呼ばれる競技の道具らしいが、それが具体的に大陸のどの辺りの地方なのかは定かではない。

「お、俺は……」
「ビートだろ? 知ってる知ってる。じゃあ、いくぜ!」

 アツシはそう言いながら、軽くビートに向かって、赤い縫い目の入った白いボールを投げつける。ビートがそれを受け取ると、投げ返して来いというポーズを取る。ビートが戸惑っていると、横からシャロンが笑顔で「好きにすればいいよ」と言いたそうな表情を浮かべていた(ように見えた)ので、全力でアツシに向かって投げ込んだ。ビートも孤児院時代は仲間達と一緒に外で遊び回っていた少年である。身体能力は同年代のエーラムの学生達に比べて、決して低くはない。

「お、いい球投げるじゃないか!」

 アツシはそう言って捕球すると、再びビートに向かって投げ返し、そのままキャッチボールが始まる。何球かの投げ合いを繰り返した後、今度はアツシは「遠投勝負しようぜ」と言って、ビート達を運動場へと誘い出した。
 そこは、かつて魔法学校内で球技が盛んだった頃に作られたと言われる大型の競技場で、子供の肩であれば端までは到底届かない程のグラウンドが広がっている。昨今はあまり使われてはいないせいか、今の時点で彼等の他には誰もいなかった。

「さぁ、なんでもありの遠投勝負だ!遠くまで飛ばせた方の勝ちな!別に魔法使ってもいいぜ!俺も使うし!」

 アツシはそう言って、まず最初に自分が全力でボールを投げる。すると、その球はやや不自然な軌道を描きながら、かなり遠くの方まで飛んで行くのが見える。それは確かに、普通の子供の肩では到底届かないような距離であった。

「あんた、俺と同じ静動魔法の使い手なのか?」
「さて、どうだかな?」

 ビートに対してアツシはとぼけた表情でそう答える。その様子を横で見ていたシャロンの目にも、それは確かに何らかの「特殊な力」がかかっているようには見えたが、それは一般的な静動魔法による物体浮遊とは異質の何かのように見えた。

「さぁ、次はお前だ! その抑制装置を外して、魔法を使ってみろよ! でないと、俺には勝てないぜ!」

 そう言われたビートは、再びシャロンに視線を向ける。

「だいじょぶだー。ここには何もないー。もし暴走しても、何も起きないよー」

 シャロンのその言葉に勇気付けられたビートは、思い切って抑制装置を外す。そして、高い角度でボールを投げた上で、それを魔法の力で浮遊させようとした。すると、その白球の軌道は浮き上がり、そして更に、そこに先刻のアツシの時と同じような「謎の特殊な力」の後押しもあって、アツシのボールの落下点よりも更に先のところまで届いた。

「やるな! よし、もう一回勝負だ!!」

 アツシはそう言って、自らボールを拾いに走り出す。そのまま、彼等は延々と遠投勝負を繰り返す。その過程で、いつしかビートは物体浮遊の魔法の制御に慣れ始めていくが、そんな中、疲労が溜まってきたところで、うっかり足を滑らせてしまう。
 その瞬間、動揺した彼の精神状態が周囲の混沌を無意識のうちに動かしてしまい、ビートの手からこぼれ落ちたボールが不自然な軌道を描きながら、シャロンの頭部に向かって剛速球となって飛び込んでいく。ビートは恐怖心から思わず目を背けてしまうが、シャロンは平然とその球を素手で受け止めた。

「ナイスボール! ほんだら、今度は僕も仲間に入れてもらおっかなー?」

 もともと山育ちの彼は、この程度のアクシデントで動じることはない。シャロンは平然とした様子のまま、全力で白球を遠方に投げ込んだ。自分のせいでまた誰かに迷惑をかけたと思い込んでいたビートは心の底から安堵する。とはいえ、やはりまだ「ほんの少しの心の揺らぎ」で魔法が暴発してしまうことは分かったので、改めて抑制装置を付け直して、ひとまずこの日のキャッチボールはこれで終わりにすることにした。
 爽やかな汗を流しながら、ビートはシャロン、アツシと共にそれぞれの寮へと帰って行く。そんな中、ビートは抑制装置を眺めながら、少しだけ抑制の度合いを弱めるように頼んでみようか、と思い始めていた。

 ******

 その更に翌日。今度は12歳の男子学生 カイル・ロートレック がビートの部屋を訪れた。どうやら、彼もまた「ビートの悩みを解決するために現れた先輩」らしい。これで通算五人目となる訪問者に、ビートは内心苦笑する。

(どんだけ俺のこと心配してくれてるんだよ、ここの先輩達……)

 それは申し訳なくもあり、気恥ずかしくもあり、そして嬉しくもあった。いつのまにかビートは、まるで孤児院の末期の頃に戻ったかのように、素直に年上の先輩達を頼れるような心境に戻りつつあったのである。

「なぁ、ビート。花火って知ってるか?」

 カイルのその問いかけに対して、ビートは首を傾げる。

「花火……? それは、花でも、火でも、火花でもなく……?」
「あー、うん。やっぱり、知らないよな。そういうのが昔、あったらしいんだよ。火薬を使って、夜空に大きな花を咲かせるんだ。俺はそれを作りたいんだ。もし暇だったら、ちょっと付き合ってもらえないか?」

 そう言われたビートは、そのままなりゆきで彼に同行することにした。行く先は、下町の職人街である。この世界では混沌の影響により、それなりの頻度で「自然法則を捻じ曲げる現象」が偶発的に発生してしまうため、火薬はその取扱が非常に難しい。そのため、「魔法師崩れ」などと称される魔法学校の落伍者達が、その部分的に培った技術を生かして、火薬を扱う大砲技師などに転職することがある。カイルが向かったのは、そんな特殊な技術者達が集まる職人街の一角にある、廃棄物置場であった。
 前述の学内における廃品回収場は管理人達の目が厳しいため、一介の学生が勝手に廃棄物を持ち出そうとすると止められることが多いが、こちらの職人街の方が管理は緩く、欲しい者が欲しい物を好き勝手に持ち帰ることが認められていた(その代わり、それが「役に立つ物」である可能性も低いのだが)。
 ビートから見ればそもそも元は何だったのかも分からないような廃棄物をカイルは物色しながら、自分の作ろうとしている「花火の打ち上げ砲」のために役に立ちそうな部品を拾い集めている。初めて見るその光景にビートが困惑する中、カイルはふと問いかけた。

「お前さ、今まで何回くらい、魔法の暴発を起こしたことがある?」
「え? いや、その、数えたことがないというか、そもそも、どこまでが『俺の魔法の暴発』だったのかも、昔はよく分かってなかったし……」
「そっか。俺も失敗続きでさ、この前実験した試作品25号も上手くいかなくて……。でも、なんで失敗したのかな、とか、次はこうすれば、とか考えてたら、落ち込む暇無くなっちゃうんだ!だからお前も、まずは何かやってみればいいんじゃないか?」

 そう言われたビートは、昨日のアツシとのキャッチボールのことを思い出す。今まで失敗を恐れて抑制装置を外せなかった自分が、その場の勢いで外して魔法を使ってみた結果、確かに一度は失敗しかけたものの、前に比べて少しは魔法への恐怖感を払拭することが出来た気がする。その意味では、確かに今は少しずつ色々試してみる良い機会なのかもしれない。

「あの、じゃあ……」

 ビートはそう言いながら、昨日テリスから貰ったハーブの袋を取り出し、それを(匂いを嗅げる距離くらいの位置の)制服の襟の辺りに括り付けることで精神を安定させつつ、恐る恐る再び抑制装置を外した上で、カイルの周囲の廃棄物を少しずつ浮かせ始めた。

「おぉ! 助かるぜ! こうしてくれれば、埋もれてた下の方の廃材も探しやすい」
「あ、あの、俺、びっくりすると制御が崩れちゃうんで、あんまり大きな物音は……」
「あぁ、分かった分かった! でも、心配すんなって。もしこのガラクタが俺の方に向かって飛び込んできたとしても、いくらでもかわしてやるさ。今まで俺が何回、火薬の暴発の中で生き抜いてきたと思ってんだ!」

 そう言いながら、カイルは嬉しそうに廃棄物を漁り続け、ビートと二人で持ち帰れる限界量の「使えそうな物品」を確保したところで、ビートは魔法を解き、そして再び抑制装置を装着する。ハーブによる効果もあってか、今回は最後まで一度も暴発させることのないまま、無事に物体浮遊の魔法を成し遂げたのであった。

 ******

 カイルと一緒に廃棄物を背負って返って来たビートは、自室に戻った時点で、既にフラフラの状態であった。ベッドに横たわって一息つこうとしたところで、またしてもビートの部屋の扉をノックする音が聞こえる。これはもしや「六人目」か、と思いながらビートが扉を開くと、そこにいたのは、手持ちのカゴの中に布と綿と裁縫道具を手にした、銀髪ツインテールの少女であった。

「私の名前はオーキス。 オーキス・クアドラント よ。貴方が、ビート・リアンね?」
「そうですけど、あなたも、僕のことを心配して……?」
「えぇ、そんなところよ。失礼するわね」

 そう言って、彼女はビートの部屋の中に入り込むと、いきなり裁縫道具を広げて、その場で「ぬいぐるみ」を編み始めた。彼女は手芸部の一員であり、ぬいぐるみ作りが趣味なのであるが、さすがに自分の部屋に来て唐突にそんなことを始められたら、ビートも当然のごとく呆気にとられる。そして、そんな彼女に少し遅れて、今度は「一冊の本」を手にした少年が、ビートの部屋の前に現れた。

「あれ? 先客がいると思ったら、オーキスじゃないか」

 部屋の中を覗きながらそう言った少年の名は、 エルマー・カーバイト 。彼とオーキスはどちらも12歳であり、以前に寮のサロンで「氷の海に住むと言われる幻の鳥」について語り合った仲である。

「あなたは?」
「あぁ、僕はエルマー。君がビートくんだろ? キミが色々と悩みを抱えていると聞いたから、そんなキミに、心が落ち着く『いいもの』を見せようと思ってさ」

 そう言って、エルマーは脇に持っていた一冊の本をビートに見せる。それは、明らかに禍々しいオーラを放った不気味な表紙であったが、エルマーは躊躇なくその本をビートの前で開く。すると、そこに描かれていたのは、まるで実物がそこにいるかの如く精巧な「猫」の姿であった。

「え!? 猫!?」
「これは『ネコロノミコン』っていうんだ。どう? コレ見ると、落ち着くでしょ?」
「落ち着くというか……、こんな本物そっくりの絵なんて、見たこと……」
「絵じゃなくて、『写真』だよ。知らない?」

 知る筈がない。混沌によってランダムに事象が歪められるこの世界においては、経験的実証に基づく科学の発達が阻害されているため、「写真機」なるものはこの世界の技術では生み出せていない。つまり、この『ネコロノミコン』なる書物は、何処かの世界から投影された「異界魔書」か、もしくは「異界から投影された写真機」によって作られた代物のどちらかであろう。エーラムの中でも、異界文明に詳しい者でなければ、「写真機」なるものが存在することすら知らない。エルマーがそれを知っていたのは、おそらく(道楽のために魔法を乱用していることを公言して憚らない)師匠のカルディナ・カーバイトが趣味で入手した諸々の写真集の影響であろう。
 いずれにせよ、まるで「本物の猫」がその場にいるかのような臨場感のある『ネコロノミコン』なる書物は、久しぶりに二日続けて身体を動かして疲れていたビートの心を着実に癒していく。もっとも、初めて見た瞬間は癒やしよりも驚きの方が大きかったので、もし今の時点で彼が抑制装置を外したままだったら、何らかの「事故」が発生していた可能性もあったのだが。

(そういえば、孤児院の近くにも、猫を沢山飼ってる邪紋使いのお姉さんがいたな……。あと、「彼女」も「猫さんを呼び出してほしい」って、あの堕天使の人に言ってたっけ……)

 ビートがそんな想い出に浸っている中、オーキスはぬいぐるみを作りながら語り始める。

「私の名前は、”神龍の戦記"というおとぎ話に出てくる人形遣いの名前からとったの。その人形遣いが、さらわれた孤児院の子供たちを助けに行く話があるんだけど、人形遣いは、焦っていろんなところに糸を引っ掛けてしまうの。笑っちゃうでしょう?」

 「孤児院」と単語が出てきたことで、ビートはそれが自分に何か関係した話なのかと思って聞き続けていたが、最後まで聞いても、なぜオーキスが突然その話を始めたのかが分からなかった。そんな中、彼女の手元で流線型の動物と思しき何かのぬいぐるみが作られていく。

「そういえば、異界のことわざで、”百聞は一見に如かず”というものがあるのだけど、わかるかしら?」

 唐突にまた別の話が始まったことでビートは困惑するが、彼が何か答えるよりも前にオーキスが話し始める。

「100回聞くよりも、1回見てみたほうがよくわかるという意味ね。人間はそれだけ視覚に頼っているともとれるわ」

 彼女がそう言い終えた時点で、オーキスは手を止め、縫い終わったぬいぐるみをビートに見せつける。

「私、今急いでぬいぐるみを作ったの。うまくできているかしら?」

 ビートの目には、それは『サメのぬいぐるみ』のように見える。だが、胴は捩れ、曲がり、鰭も不格好で、顔は崩れている。

「ちゃんとしたぬいぐるみが欲しかったらまた縫ってあげるわ。もっと時間がかかるけどね。あなたの能力を使いこなすことも、多分同じようなものよ。」

 そう言って、オーキスは表情も変えずに去って行く。突然の訪問者が突然去って行ったことにビートは困惑し続けたままだったが、彼女に続いて退室しようとしたエルマーが、最後に一言だけ告げていく。

「要するに『焦るな』ってことだよ」

 その言葉で、ビートはようやくオーキスのここまでの「会話」と「行動」の意図を理解する。いくら焦って何かを成そうとしたところで、それで満足のいく成果が得られる訳ではない、ということが、おそらく彼女の言いたかったことなのだろう。

(そうだよな、俺、ちょっと焦りすぎて、自分が何をすればいいのか、何から始めればいいのか、分からなくなってたんだな……)

 ビートはそんな想いを抱きつつ、この三日間で少しずつ自分が前に進めつつあることを実感する。少なくとも、先輩達のおかげで三日前までの孤独感はすっかり解消されたし、一時的とはいえ抑制装置を外してもある程度まで魔法が使える程度には精神の安定性を維持出来るようになってきている。
 今はまだ、抑制装置を完全に外すまでには至れないが、いつか普通に自分で自分の魔力をコントロール出来るようになったら、改めて先輩達にお礼を言いに行こう。ビートはそう決意しつつ、オーキスが残した「不細工なサメのぬいぐるみ」を「これまでの自分」の象徴として、あえて戒めとして腕に抱きかかえながら、静かに眠りに就くのであった。

5、魔力増幅剤

「これを、私に……です、か?」

 ダルタニア出身の10歳の女子学生 ロゥロア・アルティナス は、目の前の怪しい男(下図)から一本の薬瓶を受け取った。
+ 怪しい男

「えぇ、その薬があれば、あなたの魔力は飛躍的に上昇します。その薬を服用すれば、同期の誰よりも早く、誰よりも立派な魔法師になれますよ」

 彼女に薬瓶を渡したその男は、いかにも胡散臭い口調でそう言った。彼は極東風の装束を身にまとった長い黒髪の男性で、右目だけが不気味に金色に光っていた。少なくとも、ロゥロアは彼をエーラムの校舎で見た記憶はない。雰囲気からして、正規の魔法師とは思えない奇妙なオーラが感じられる。
 彼は下校途中のロゥロアの前に突然現れ、「立派な魔法師になるために必要な薬」として、一つの薬瓶を彼女に提示した。ロゥロアは何が何だかよく分からないまま、その場の流れで、ついついそのまま受け取ってしまったのである。

「は、はい……」

 困惑しながらもそう答えた彼女を見て、その魔法師はその場から去って行く。ロゥロアは、途方にくれた表情でその薬を眺めていた。

(これ、どうしましょう。立派な魔法使いになるには、勿論高い魔力も大切、それはそのとおりです……。しかし、本当にそんな凄い薬なら、ほいほいと見知らぬ人に渡すものでしょうか……。本当はこの薬、危険なものなのでは……?)

 一人になって冷静に考え始めると、彼女の中でそのような疑惑が広がっていく。そして彼女は思い出す。幼い頃、自らの短慮で「得体の知れない物品」を手にした結果、大切な弟を失ってしまったことを。あの時の過ちを繰り返さぬためには、まずこの薬の正体を確かめなければならないと彼女は判断した。
 ひとまず、彼女は自室に戻り、薬の匂い・量・色合いなどから、何か既知の薬で類似した代物はないかどうかを確認するが、それらしきものが見つからない。やはり、まだ基礎課程段階しか学んでいない今の自分の知識では、調べるにも限界がある。
 そこで、彼女は今度は「薬を渡してきた人物」に関して調べてみることにした。エーラムの教員では無いようだったが、エーラムから認知された自然魔法師といった可能性もある。かなり特徴的な外見の人物であったため、誰かに聞けば分かるのではないかと判断した彼女が、教員達を中心に聞き込みを続けた結果、どうやらその男は、闇魔法師組織パンドラの一員らしい、ということが判明する。
 さすがに、その事実を知らされた以上、ロゥロアは薬を放って置く訳にはいかない。ひとまず自分が受け取った薬瓶を養父であるグライフ・アルティナスに届け出た上で、自分の周囲に受け取った人物がいないか探して回ることにした。

 ******

「分かりました、それでは、ありがたく頂戴致します」

 17歳の男子学生 イワン・アーバスノット は、そう言って同じ薬を同じ人物から受け取っていた。しかし、この時点で、彼はこの薬を使うつもりは毛頭なかった。
 イワンはかつて、闇魔法師に利用されて祖国を滅亡させてしまった過去があり(その後で入門したため、他の学生達に比べて年齢が高い)、闇魔法に対する警戒心が人一倍強い。故に、表面上は受け取りはしたものの、この薬が闇魔法師の手による産物である可能性があるというだけで、イワンにとっては存在そのものが禁忌と呼ぶべき代物である。
 ひとまず彼は納得したようなフリをして薬を受け取ったものの、その男性が去った後で、魔法学校の当局へと届け出た。その際、男性の外見についても明確に説明すると、当局側はすぐさま事態を把握し、全学に向けて警戒令を発布する。
 しかし、その前の時点で既に薬を受け取っていた者は、イワンとロゥロアの他にも、既に何人か存在していたのである。

 ******

「なるほど。そういうことなら、受け取っておきましょう」

 ボロボロのローブを着た男子学生 テオフラストゥス・ローゼンクロイツ もまた、そう言って同じ薬を同じ人物から受け取っていた。彼は、身体的には11歳の男子学生だが、実はその身体に宿っている魂は、既に何度も「テオフラストゥスとしての人生」を何度も繰り返し続けている特異な魔法師であった(専門は錬成魔法と時空魔法)。
 かつてテオフラストゥスは、「何か」を求めて「過去の自分」に戻って人生をやり直す術式を開発したのだが、彼のこの術では、過去に戻った時点で「それまでの記憶や能力」を殆ど受け継げなかったため、そもそも自分が何のために過去に戻ったのかも分からなくなっていた。ただ漠然と、自分が何度も同じ人生を繰り返しているという自覚だけがあるまま、何度も死んでは過去に戻って人生をやり直す、という無限の時間軸をさまよい続けているのである。当然、既にその精神は擦り切れた状態にあった。
 そんな彼はこの「得体の知れない薬」を手に入れた上で、自力でどうにかその効果を分析しようとしたが、やはり過去の記憶が残っていない状態の今の彼ではその薬の具体的な効果までは割り出せない。副作用が無い状態で魔力を増幅出来るのであれば飲む価値はあるが、それが分からない現状では、ひとまず「いずれ自分がこの薬を分析出来るだけの知識を再び手に入れる時」まで、密かに保管し続けることしか出来なかった。

 ******

「きっとおーさまはすごい投影体だから、たくさん魔力が必要なのだ!この薬が必要になるかもしれないし、ありがたく貰っておいてやるぞ! ヘンな人!」

 黄色い服と仮面を見に付けた10歳の女子学生 ルクス・アルティナス もまた、そう言って同じ薬を同じ人物から受け取っていた。彼女はロゥロアと同門・同い年のルームメイトである。彼女は元来はとある田舎村の羊飼いだったが、謎の投影体によってその村が滅ぼされた際に、なぜか一人だけその投影体に気に入られたことで生き延びたという、いわくつきの経歴の持ち主である。それ以来、彼女は「きいろのおーさまを召喚したい」という謎の衝動に駆られているらしい。
 ルクスは、そのためにこの薬が役に立つと考えたようだが、今の彼女はそもそも召喚魔法自体が使えない上に、身体も未熟であるため、今の時点で飲むのはまだ早いと考えていた。

「安心しろ、使わなかったらちゃんと返すのだ!」

 彼女はそう言ってその人物と分かれた後、自室にその薬を保管する。果たして、同室のロゥロアがその薬を発見するのと、彼女が召喚魔法師としての力を手に入れるのと、どちらが早いのか? それはまだこの時点では誰にも分からなかった。

 ******

「この薬があれば、本当に飛躍的に魔力が向上するのですね……」

 没落貴族出身の10歳の男子学生 クリープ・アクイナス もまた、そう言って同じ薬を同じ人物から受け取っていた。彼は、かつてアロンヌ北部の一地域を治めていた領主家の末裔である(それ故に、彼はその旧姓のイニシャルを入れて「クリープ・T・アクイナス」と名乗ることが多い)。既に貴族としての地位は失われているが、その一族には不思議な「異界の神の力」が宿っていることが多く、彼は生まれながらにして簡単な治癒魔法(のような特殊な力)を用いることが出来た。
 その力を利用されることを恐れた家族によって幼少期は幽閉されていたため、世の中の常識には疎く、ただ純粋に「少しでも多くの人々のために、この力を使いたい」という衝動が彼の根源的な行動原理となっている。そんな彼は、この魔法師の素性を疑おうとはせず、その場で薬瓶の蓋を空けた

「誰かを救うためには、もっともっと力がいるんだ……」

 そう言って、彼は薬を一気に飲み干す。次の瞬間、彼は自分の中に何か強大な力が湧き上がってくるような感覚を覚えるが、それが具体的に何なのかはまだ実感出来ない。そんなクリープに対して、左右の目の色が異なるその魔法師は、笑顔でこう告げた。

「今はまだ効果が薄いかも知れません。しかし、いずれ近いうちに開花することになります。あなたの中に秘められた潜在能力が」

 彼はそこまで言い終えたところで、静かにその場から去って行く。クリープは希望に満ちた瞳で、自分が世界中の人々を救える未来が訪れる日を心待ちにしていた。

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最終更新:2020年05月05日 00:20