『見習い魔法師の学園日誌』第2週目結果報告


1、孤独な天才少年

 魔法学校の基礎課程である「赤の教養学部」を卒業する学生達の平均年齢は16〜18歳と言われている。だが、あくまでもこれは「平均」であり、10代前半で専門課程に進む者もいれば、そもそも成人してから入学する者達もいる。
 そんな中、当代一の天才児として名が知られているのが、幼くして「赤の教養学部」を卒業し、現在は「緑の生命学部」に所属するユタ・クアドラントである(下図)。彼は10歳にして既に一定の基礎魔法と生命魔法を使いこなしており、今の時点で早くも複数の君主から「将来の契約魔法師」として迎え入れたいという「青田買い」の声が届く程の逸材であった。
+ ユタ
 だが、そのあまりにも早熟すぎる才能は、必然的に他の学部生達の嫉妬と反感を招くことになる。ある日の朝、ユタは校舎の片隅で、大柄で物々しい雰囲気の先輩達に囲まれていた。その表情は明らかに怯えている。

(……あれは、生命魔法学部のユタ・クアドラントさん?)

 最初にその様子を目撃したのは、風紀委員の シャーロット・メレテス である。彼女は物陰からユタ達の様子を凝視していたが、先輩達は明らかにユタに対して敵意を剥き出しにしていた。

「てめぇ、早々と内定もらったからって、チョーシこいてんじゃねーぞ!」
「い、いえ、別にそんなことは……、ただ、次の実地研修で来て欲しいって言われただけで……」
「オレ達にはそんなお誘いすら来てねーんだよ! ったく、就職するなら常磐の方が有利だって言われてんのによぉ、なんでテメェみてぇなガキが……」

 「常磐の学派」とは、生命魔法学部の中で「亜流の学派」と呼ばれている一派である。正統派の「緑の学派」が他人の人体に影響を与える魔法を得意とするのに対し、「常磐の学派」は自らの肉体を強化して前線で戦う「武闘派魔法師」であり、魔法師も戦場に立たされる今の御時世においては、より「実用的」な魔法師として重宝されている。彼等はそんな「常磐の学派」の一員らしいが、残念ながら、まだ実戦投入出来るだけの実力とはみなされていないらしい。

(何か不穏な雰囲気ですが、大丈夫でしょうか…?)

 シャーロットが不安そうな表情で見守る中、その場に割って入る人物が現れる。

「何してるんですか!?」

 そう叫んでユタを庇うように立ちはだかったのは、シャーロットと同じ「赤いネクタイ」を締めた一人の少年であった(エーラムでは基本的にネクタイの色で所属学部を識別している)。

(あれは、教養学部の エル・カサブランカ さん!)

 エルは教養学部の中では比較的年長なこともあって、ユタに比べれば頭一つ以上長身であるが、それでも常磐の屈強な肉体の持ち主達に比べれば、明らかに見劣りする。そんな彼に対して、上級生達は文字通りに上から見下すような視線で睨みつける。

「なんだァ? てめェ……」

 唐突に現れた見知らぬ後輩に対して露骨に不快な表情を浮かべていると、そこに今度は別の方向から新たな乱入者が現れる。

「彼が”調子に乗っている"というのはどういう事なのか、私にも聞かせてほしいわ」

 それは、シャーロットと同い年の、これまた赤の教養学部の少女であった。

(あれは、ユタさんと同じノギロ先生の門下生の オーキス・クアドラント さん!)

「見下してやがンだよ、オレ達のことを! たまたま魔法の才能に恵まれたからってよォ!」
「先輩への敬意ってェもンがねェんだよォ! なんべん口で言ってやっても分かんねェから、直々にヤキ入れて教えてやろォってェのさ。親切な俺達がな!」

 オーキスが知る限り、ユタは決してそのような「生意気な少年」ではない。むしろ、周囲に過剰なまでに常に気を配り、自らの才能をひけらかすこともない謙虚な性格なのだが、彼等にしてみれば、そのように過剰に配慮されることで、余計に「下に見られている」ように感じてしまうのかもしれない。

「……そんな不毛なことをするのが魔法師なの?」

 呆れた口調でオーキスがそう言うと、上級生達の一人は露骨に不快感を募らせる。

「おめェ、女だったら俺達が手ェ出せねェと思って、ナメた口聞いてんじゃねェぞ!」

 そう言って拳を握りしめてオーキスを威嚇しようとするが、彼女は全く動じた様子もなく、逆により一層軽蔑した瞳で睨み返す。この時、オーキスは、ユタをこの場から逃がすために、あえて自分に彼等の敵意を引きつけようとしていたのである。

(はっ……! 私は風紀委員なのに、こういう時にこそ動かなくてどうするというのです!)

 シャーロットはそう思い立ち、脚をぷるぷると震わせながらも、彼等の前へ歩み出た。

「風紀委員です! 学内での私闘、いじめ、その他不良行為は、私たちが許しません!」

 毅然とした態度でそう言い放ったつもりのシャーロットだったが、その声色は震えており、明らかに怯えていることは誰の目にも明らかであった。

「ふーきいいん? なんだそれ?」
「教養学部のガキのままごとに付き合ってる暇なんざ、ねーんだよ!」

 ぶかぶかの学生服を着た少女に対し、上級生達が嘲笑するような態度でそう言い返したが、シャーロットは必死に恐怖を抑えながら、彼等に対して正論を投げ返す。

「私たちは誇り高き魔法師の卵です。今はまだそれほどの力もありませんが、魔法を使いこなせるようになってなお、その力を私闘に使うようではどれほど危険なことか。私たちは常に自らを律さなくてはならないのです。そもそも……」

 シャーロットがそう言って説教を始めると、徐々に上級生達の苛立ちがシャーロットに対して向き始め、握った拳を今度は彼女に向けようとしたところで、更にまた別の乱入者が現れる。

「ちょっと待ってほしい!です!」

  サミュエル・アルティナス である。彼もまた、今のこの状況から「概ねの事情」を察した上で飛び出してきた。彼は「上から目線のシャーロット」とは全く異なる形で持論を語り始める。

「そこにいるユタくんのことは知ってます。押しも押されぬ魔法の天才で、早くも赤を飛び出して頭角を表してるとか。才能のある人を見ると、ちょっと焦るのは分かります。むかつくのかも知れません。……オレも早く魔法使いたいし。でも、才能って魔法に限らないです。例えばあなた方がいま振るおうとした拳。多分、ユタくんを傷付けるのに十分な力があったと思います。それだけじゃないです、確実に当てるための反射神経、弱点に命中させるための眼力。人を殴って泣かせることにだって、いろんな能力が必要になります。それらは魔法学校(ここ)では評価されなくても、世界(そと)で評価される能力です。ユタくんに無くて、あなた方にあるもの。殴ること以外にも、たくさんあるはずです。だからこそ、その爪はいまは隠しておいてください。あなた方が能ある鷹として学校を出たあと、きっとそれは、あなた方が仕える君主にとって大きな助けになります。どうか、ケンカなんて勿体ないことに……」

 そんな長々とした「正論」に対し、上級生達が苛立ちがらも一応最後までは聞いてやろうと一旦手を止めていたところで、唐突に現れた一人の少女が、ユタに声をかける。

「あ、ユタ先輩。そろそろ約束の時間ですよ、一緒に行きましょう!」

 その声の主は マチルダ・ノート である。彼女はユタよりも年上だが、教養部を既に卒業している「先輩」のユタに対して、あえて丁敬語口調でそう語りかけつつ、彼の手を引いてその場から立ち去ろうとする。だが、ユタは明らかに戸惑った様子であり、そして上級生達もそのまま通そうとはしなかった。

「おい! 待て! 約束って何だ! 今、そいつはオレ達と大事な話の途中なんだよ!」
「どうせお前も、俺達の邪魔しに来ただけだろうが!」

 そう言われたマチルダは、平然とした口調で答える。

「ええ、白状します。約束なんて、ありません。でも、こんなところでの喧嘩、見過ごせませんもの。それに、このことが先生方の耳に入れば、あなたたちにとっても不都合になりますわ。優れた者への敬意も、年少に対する寛容も無いというなら。この学園は、居づらい場所ではなくて? よろしければ、相談に乗りましょうか?」

 彼女はオーキスとは異なり、別に彼等を挑発している訳ではない。治癒術士を志す者として、ユタのことは素直に(年下ながらも)先輩として尊敬しており、なんとか穏便に彼を助けようとしただけだったのだが、彼等にとってはマチルダの存在は余計に苛立ちを加速させるだけだった。

「また女かよ! なんでこいつばっかり女に構われるんだ!」
「内定もらった領主の一人も、美人の女君主らしいじゃねぇか!」
「こんな筋肉の欠片も無いようなガキの、一体どこがいいってんだよ!」
「『多島海』の娘達も、店が休みの時はずっとコイツにつきっきりらしいしなァ? そういうトコなんだよ、こいつが付け上がってんのはよォ!」

 実際、彼等は定食屋「多島海」の三姉妹を何度もデートに誘っているが、いつも彼女達からは断られており、彼女達の動向が気になってストーキングした仲間の一人が、彼女達とユタが休日に一緒にいるのを目撃している。つまりは、彼等のユタに対する憎悪の根幹は「そこ」らしい。その様子を目の当たりにしたオーキスは改めて呆れ返った表情を浮かべている(なお、多島海の三姉妹は、ユタとオーキスの養父であるノギロを後ろ盾として店を構えているのだが、その辺りの事情に関しては、オーキスは何も聞かされていない)。

「いや、あのですね、アイシャさん達もお菓子作りに興味があるってことで、それで僕と一緒に勉強してるだけで、別に特に他意がある訳では……」
「他意があるかどうかは問題じゃねェ! てめェが一人で彼女達を独占することで世界のバランスが崩れてっから、俺達がそれを正してやるっつってんだよ!」

 既に先程とは全く異なる論理で拳を握っている彼等であるが、彼等の中ではそれは決して矛盾した行動ではない。要するに「恵まれてる奴がムカつくから殴る」という、明確に首尾一貫した行動原理がその根底にある。

「大体、どう考えてもおかしいんだよ、こんな奴がモテるなんて。その魔法の資質も込みで、リャナンシーか何かと契約してんじゃねェのか?」
「いや、こいつ自身がインキュバスなのかもしれねェぞ」

 リャナンシーとは男性の精を吸い取ることと引き換えにその男性の才覚を引き出す妖精であり、インキュバスとは女性を悦ばせる能力を備えた男性の淫魔である。実際、ユタの常人を超えた魔法の才覚から、彼は何か「いわくつきの存在」なのではないか、という噂は前々から流れていた(なお、実は彼はリャナンシーやインキュバス程度とは比較にならない程の「危険な血統」なのだが、そのことを知る者はここには誰もいない)。

「人間かどうかって、そんなに重要な事なの? 投影体なんて、この世界にいくらでもいるのに」

 オーキスが冷めた口調でそう問いかけると、再び上級生達が語気を強める。

「人間に害を与える投影体を退治するのが、俺達の使命だろうが!」
「少なくとも、コイツは俺達に、いや、世界中の男達に害を与えている! それは間違いない!」

 そんな筋の通った暴言を吐きながら、上級生達は自分の拳に対して魔法をかける。どうやら、本気の鉄拳制裁をユタに食らわせようと決意したらしい。オーキス達がユタを庇おうとする姿勢を取る中、そこに「六人目の乱入者」の ヴィッキー・ストラトス が現れる。

「なあ、ここ結構人来るねん。先生に見つかったらまずいんとちゃうか? ここで考えなしにぶん殴るのはキミらのためにも良くないって思うんやけどなあ。現にここに、ウチ含めて目撃者何人かおるみたいやで?」

 ヴィッキーは、内心では彼等の一方的な言い分に対して憤慨していたが、腕っぷしには自信がない上に、先日のストラトス学長との面談の中で聞いた「冷静に現実を見極め、その中で自分の果たすべき役割を認識し、この世界のために出来ることを探し出す心こそが、魔法師として最も必要な資質だ」という話を思い出し、まずは穏便に説得(という名の脅迫)を試みる。

「だーかーらー! 女はしゃしゃり出てくるんじゃねーっつーの!」
「脅しじゃねーぞ! 邪魔するんだったら、女でも本気で殴るからな!」

 そう言って凄む上級生達に対し、ヴィッキーはあえて挑発して自分に注意を引きつけることで、(騒ぎを聞きつけた誰かが先生を呼んでくれるのを期待して)「時間稼ぎ」を図ることにした。

「そーやって後先考えず暴力に任せるって……、魔法師として失格やし、めっちゃダサいで?」
「アァ!? てめェ、今、なんつった!?」
「そないなことしかできんなら、今まで何をおべんきょしとったんやろうな。そんな恥さらし、エーラムから出て行ってくれた方が良いわ。魔法師の名が汚れる」

 彼女にそこまで言われた上級生達は、いよいよ本気で激怒した表情を浮かべながら、指をポキポキと鳴らし始める。

「……どうやら、最近のガキは、本気で痛い目みないと分からないらしいな!」
「おーやってみいや。前にやらかしたときに受けた罰則に比べたら、どんなもんでも大したことないわ!」

 ヴィッキーは覚悟を決めてそう言い切ったが、その次の瞬間、唐突にその上級生の顔面に、どこからともなく「黄色い何か」が飛び込んでくる。それは、遠方から ルクス・アルティナス が投げつけた「きいろのおーさま」のぬいぐるみであった。彼女もまたこの状況を目撃して、「きいろのおーさまの臣下」として(そしてルクス自身の性格として)、見ているだけで何もしないのは恥だと考えたらしい。

「弱いものいじめなんて情けないのだ! お前たちせんぱいだろう!」

 彼女はそう言いながらその場に走り込んで来て、ユタの前に立ちはだかる。

「こいつをいじめてもお前たちのせーせきは良くはならんぞ! 帰って勉強してた方がよっぽどゆーいぎだと思わんのか?」

 唐突に現れた「ぶかぶかの黄色い服を着た仮面の少女」を目の当たりにして、上級生達は怒りを通り越して呆気にとられる。その瞬間、更に別の少女が割って入った。

「逃げるのだよ!」

 そう言って、シャーロットと同門の シャララ・メレテス がその場に駆け込んで来たかと思うと、ユタの右手を掴んで、その場から走り去ろうとする。ユタが困惑する中、ルクスがユタの左手を握って三人で一緒に走り出すが、上級生達はそれを逃がそうとはしない。

「待ちやがれ! こいつ!」

 そう言って上級生が追いかけようとしたところで、騒ぎを聞いて駆けつけた クリープ・アクイナス が強引に間に入って来る。

「やめましょうよ、ケンカは」

 笑顔でそう諭そうとするクリープだったが、既に上級生は聞く耳を持とうとはしない。

「うっせー! 邪魔だ!」

 そう言って、遂に彼は本気の拳でクリープに殴りかかり、クリープはその場に倒れ込むが、彼はその顔に深手を置いながらも、表情を崩さぬまま即座に立ち上がる。

「やめましょうよ、ケンカは」

 その上級生が彼の「笑顔」に不気味な寒気を感じている一方で、別の上級生の前には、木刀を手にした ディーノ・カーバイト が立ちはだかっていた。彼は日々の鍛錬(素振り)の帰りに、この場面に遭遇したのである。

「何してんだ、あんたら!」
「お前……、多島海でバイトしてるガキだな!」

 なお、実は彼等もまた多島海での従業員に立候補しようとしたにもかかわらず、「もう間に合ってる」と一蹴されたという経緯があり、ディーノに対しても逆恨みの感情は持っていたのだが、そんなことをディーノが知る筈もない。

「自分よりすげえ後輩を見てやる行動が、よりにもよって足を引っ張ろうとすることなのか! それで、あんたら恥ずかしくねえのか! これ以上やるってなら、俺があんたらの相手になる!」
「……ガキの説教は、もう聞き飽きたんだよ! そんな棒っ切れで、オレの拳が止められるとで思ってんのか!」

 そう言って、その上級生は自身の生命魔法で強化した拳でディーノの木刀を粉砕しようとするが、その直後、上級生の懐に「何か」が飛び込んできたかと思うと、次の瞬間、彼の身体は宙を舞っていた。

「な、何!?」

 上級生の懐に入り込んでいたのは、「見慣れないローブを羽織った少女」であった。彼女は上級生の上着の襟を掴みながら自身の身体を後方に倒しつつ、その勢いで上級生の身体を片方の足で支えながら回転させ、自分の後方に向かって投げ飛ばしたのである。極東に伝わる武術の奥義の一つ、「巴投げ」であった。
 彼女の名はアネルカ・ボワ・ロマンシエ。魔法学校に通いながら、ひっそりと創作童話を書き連ねている少女である。この日は、購買部のジュードの元へ自作の童話を届けに行こうとしたのだが、彼はこの日は(後述する射撃大会での「特別営業」に向けての仕入れのために)留守だったため、ひとまずアネルカは「家族」と合流するために、彼女が待つ図書館へと向かおうとしていた。しかし、目の前で上級生達が教養部の面々を相手に暴力を振るおうとしているのを目撃して、思わず乱入してきたのである。
 なお、「アネルカ・ボワ・ロマンシエ」は、あくまでも偽名である。現在の彼女は変装状態のため、この場にいる者達の大半にはその正体は分からない。だが、一人だけ、「この姿の彼女」に見覚えのある人物がいた。ヴィッキーである。

(あれは確か「彼女」が童話作家として購買部に行く時の格好やったよな……)

 それは以前、ヴィッキーがたまたま購買部に立ち寄った際に目撃した光景であった。しかも、巴投げの直前に「アネルカ」は荷物を投げ出していたため、そこから彼女の描いた「創作童話」がこぼれ落ちていたことからも、ヴィッキーはその正体を確信する。そんな彼女の視線に気付いた「アネルカ」は、彼女に向けて「しーっ」とナイショの合図を送る。
 こうして、なし崩し的に「緑」と「赤」のネクタイが混ざり合う形での乱闘状態が発生する。そんな中、ユタが追われるのを必死で止めようとしていたオーキスは、揉みくちゃにされながらもどこか達観した心境でこの状況を分析していた。

(旅してた時もそうだったけど、人間って、こういうものなのかしら? こうなっているのは、ユタが孤立しているから。彼がなじめるいい方法があればいいのだけど……、駄目ね、何も思いつかないわ……。とにかく、対症療法的なものでもいいから止めさせる必要があるわね。そのためには、何か抑止力が必要……。やっぱり、先生?)

 やがて、その揉み合いの中で、オーキスは石畳に叩きつけられて怪我を負ってしまう。

(抑止力は、何も権威や実力だけじゃない。例えば……、得体の知れないものへの、恐怖……)

 彼女がそう思った瞬間、その傷口から「紫色の血」が流れていることに、周囲の者達は気付く。

「こ、こいつ……! こいつも人間じゃないのか!?」
「……人間じゃないからって、深く考えすぎよ」

 驚愕の表情を浮かべる上級生に対して、オーキスは否定も肯定もせずに淡々と答える。一方、クリープに妨害されていた上級生もまた、徐々に表情を歪ませつつあった。

「なんか、さっきからコイツ、どんどん不気味な気配が……」
「やめましょうよ、ケンカは」

 クリープの様子自体は、一見する限りは大差ない。彼はボロボロの姿になりながらも、笑顔で上級生の前に立ちはだかり続けている。だが、当初、そんな彼の立ち振舞いから感じられていたのは「生理的な薄気味悪さ」だったのに対し、今の彼からは露骨に「怖さ」を感じていた。もっとも、それが分かるのは、一定程度魔法を修得している上級生達だけである。というのも、今のクリープからは、得体のしれない「魔力のような何か」を彼等は感じていたのであった。
 もともと、クリープは実家の一族に伝わる特殊な「異界の神」の加護があり、彼は簡単な治癒魔法を用いることが出来る。だが、今の彼から感じられるのは、それとはまた別の特殊な力であった。そして、そのことはクリープ自身も自覚していた。

(なんだろう……、この力……、今までには無かった「何か」が、自分の内側から湧き出てきているような気がする……)

 それは奇妙な高揚感であった。だが、クリープがその高揚感の正体に気付く前に、更にまた「別の力」がこの空間に介入することになる。
 クリープの執拗な妨害に業を煮やした上級生が、常磐の生命魔法を用いて彼の身体を内側から壊しにかかろうとした瞬間、クリープの周囲に奇妙な結界が出現し、上級生は弾き飛ばされる。そして、他の「赤」の学生達の周囲にも、同じような結界が形成されていた。後輩達に対して殴る蹴るの暴行を加えようとしていたその上級生達の手足が、なぜか彼等の直前で弾き飛ばされるようになったのである。

「な、何なんだこいつら……、本当に教養学部のガキ共なのか?」

 シャーロットも、エルも、オーキスも、サミュエルも、マチルダも、ヴィッキーも、クリープも、ディーノも、誰一人として、今の自分に起きている現象の正体が理解出来ずにいた。

 ******

「少年、御事(おこと)が一番信頼出来る人は誰なのだよ?」

 ひとまず上級生達からユタを遠ざかることに成功したシャララは、人通りの多い方へ逃げながら、ユタに対してそう問いかけた。よく事情が分からないシャララとしては、ひとまずユタが一番信用している人物のところに逃げ込もうと考えていた。

「え? そ、それは……、お養父さ……、ノギロ先生です」
「じゃあ、そこへ行くのだよ!」
「いや、でも、今日は仕事でエーラムを離れてて……」

 おそらく、上級生達もそのことを見越した上で、このタイミングでコトを起こそうとしたのであろう。

「じゃあ、その次は誰なのだよ?」
「それは…………」

 ユタは走りながら考える。彼が個人的に信頼を寄せる人物は他にもいるが、彼等は今、少なくともこの近くにはいなかった。すぐ走って行ける距離にいる人達の中で、という前提の上でユタは数秒考えた結果、一人の少女が脳裏に浮かぶ。

「……やっぱり、オーキスさん、ですね」

 ユタにとって数少ない「現役の同門学生」である彼女は、それなりに特別な存在らしい。そして、シャララは以前に「マンドラゴラの人形」を作るために手芸部に顔を出したことがあるため、先刻あの場面にいた彼女が「オーキス」であることも分かった。

「ふむ……。しかし、今からあそこに戻るのは危険なのだよ……」
「じゃあ、いったん戻って、かのじょといっしょに逃げるか?」

 二人と並走していたルクスは脊髄反射的にそう提案するが、あまり今のこの事態の解決には繋がりそうにない。さて、どうしたものかと、一旦立ち止まってシャララが思案を巡らせ始めたところで、彼女は少し離れた建物の三階の窓から、自身の雇い主の一人であるヘアード(多島海の三姉妹の一人)が、両手を自身の前に掲げた奇妙な姿勢で、先刻までユタがいた場所を見つめている様子が見える。

(ん? ここは彼女の家なのだよ? というか、あれは、この間のマロリー殿と同じようなポーズなのだよ……)

 シャララが首を傾げているところで、ユタが声を上げた。

「すみません! やっぱり、僕、戻ります! 僕のせいで巻き込まれたオーキスさん達を放っておいて逃げる訳にはいきません!」

 その場の勢いで、シャララとルクスに流されてここまで逃げて来てしまったが、それが今のユタの本心であった。現状がどうなっているのかは分からないが、オーキス達が自分の代わりに先輩達に殴られている状況を想像したたら、駆け出しの生命魔法師として、放っておく訳にはいかない。

「よし、わかったぞ、戻ろう!」
「……それが御事の望みなら、仕方ないのだ」

 ルクスとシャララもそう言って、三人は再び先刻の現場へと走って戻り始める。その様子は、三階の窓から「現場」を眺めていたヘアードの視界にも入っていた。

「出来れば、そのまま逃げていて欲しかったんだが、まぁ、到着する頃には、もう事態は収束しているだろう」

 ヘアードは「現場」へと向かいつつある「別の集団」に視線を移しつつ、淡々とそう呟く。すると、部屋の奥の方からアイシャが現れて、声をかけた。

「例の『木刀の子』、頑張ってる?」
「あぁ。なんとか必死で足止めしてくれた。彼とシャララには、後でこっそり給金を上乗せしておいてやれ」
「オッケー。とはいえ、別に助けてやらなくても大丈夫だったんじゃないの? いくらタチの悪い不良学生だからって、さすがに命までは取らないでしょ」
「私もそう思ってたんだがな……。どうも一人、気になる少年がいた。最初は、ただの『異教の神の加護を受けた子供』だと思ってたんだが、途中で、それとは異なる不吉な気配を感じた……。もし、あのまま放置しておいたら、何か危険な力が暴発しそうな気がしてな……」
「ふーん……。まぁ、あの学校なら、何が潜んでてもおかしくはないかもね」

 ******

「先生! あそこです!」

 謎の結界の出現にその場にいる全員が困惑する中、 イワン・アーバスノット が、生命魔法科の教員達を連れてその場に駆け込んできた。実は彼は、エルやオーキスと同じタイミングで事件に気付き、その時点でエルから「誰か呼んで来てほしいです」と頼まれて、職員室へと向かっていたのである。イワンはこの状況を解決するためにそれが最も確実な方法だと判断した上で、職員室に到着後も取り乱すことなく、冷静に見たままの状況を教師達に伝え、すぐさまこの場へと同行させたのである。
 そして、エルやオーキスに加えて、途中から参戦したヴィッキーも、イワンが人を呼びに行くのを見ていたからこそ、当初は「時間稼ぎ」に専念しようとしていたのである。

「お前達! そこで何をしている!」

 自身の身体能力を魔法で強化した常磐の学派の教員達がそう叫ぶと、上級生達は即座にその場から逃げようとするが、すぐに回り込まれてしまう(彼等はまだ「逃げ足」を強化する魔法までは修得出来ていなかった)。

「い、いや、俺達はただ、後輩達とレクリエーションしてただけですよ。そしたら、こいつらがなんか急に、訳の分からない力を使い出して……」

 上級生達の一人はそう弁明するが、この時点で教養学部の面々の周囲に貼られていた謎の結界は消滅し、クリープからも「不気味な気配」は消え、そしてオーキスの傷口はマチルダが即座に手持ちの包帯で即座に塞がれていたため、その「紫色の血」も見えなくなっていた。

「お前達の素行不良は前々から目に余るという声が届いていた。今度という今度は、もう『選別』は免れん」
「そ、そんな……、俺達はただ、先生達みたいな、超つえー魔法師になりたいと思って、今まで頑張ってきただけで……」
「お前達の目に私が『今のお前達のような魔法師』に映っていたのなら、それは私の不徳の致すところだ。減給処分くらいは覚悟しよう。お前達が心根を入れ替える覚悟があるなら、その金でお前達の再就職先も見つけてやるから、別の道を探すことだな」
「お願いします! 先生! せっかく頑張って覚えた魔法の記憶を消されるのだけは、どうか……」
「安心しろ、記憶は消しても、その鍛えた筋肉までは奪わない。その身体と闘争心があれば、邪紋使いにでも転身する道はある。だが、性根を正す気がないなら、それはお前達の人生そのものが『選別』される時だ。よくよく自分達のこれまでのおこないを省みろ」

 そんなやり取りを交わしながら、生命魔法学部の学生達は教員達に連行され、その場にいる者達は教員達から事情聴取を受ける。教養学部の面々はほぼ防戦一方で、上級生達は殆ど無傷だったため、教員達の目にもこの状況は「喧嘩」ではなく、「一方的な暴行」と認識されていた。唯一の例外は「アネルカ」に投げ飛ばされた約一名であったが、いつの間にかアネルカ自身がこの場から消え去っていたため、その件に関しては有耶無耶のまま「無かったこと」にされた。
 やがて、そこにユタ、シャララ、ルクスの三人も駆けつける。

「急に逃げてごめんなさい! 大丈夫ですか、皆さん!」

 先頭を走るユタがそう叫んだのに対し、エルが答える。

「君の方こそ、大丈夫…………?」
「はい! 僕は無傷です。あ、オーキスさん! 僕のせいで、そんな怪我を……」

 ユタはそう言いながら、(クリープは既にこの時点で自分の治癒魔法で自分の傷を治していたため)一番の重症を負っていた同門のオーキスに対してその場で「キュア・ライトウーンズ」の魔法をかけると、すぐさま彼女の傷が回復していく。
 だが、オーキスは内心、一つの不安に駆られていた。今、この場にいる者達の何人がオーキスの「血の色」に気付いたのかは分からないが、少なくとも先刻まで止血していたマチルダは目の前ではっきりと「人外の血」を目の当たりにしており、もしかしたらユタも治療しながら「何か」に気付いていたかもしれない。自分が「特殊な存在」であることを知られることで、皆との関係が変わってしまうことを恐れていたのである。
 しかし、二人共オーキスの「正体」については一切触れずに、ただ彼女の傷が癒えたことを純粋に喜んだ様子で眺めていた。

「すごいですね、ユタ先輩! どうすれば、その歳でそんな魔法が使えるようになるんですか?」
「いえ、僕なんて、まだまだ駆け出しですよ。たまたま魔法の発動が早かっただけです。ただ、人を救いたいという気持ちだけは持ってます。マチルダさんもその気持ちがあるからこそ、僕を助けてくれようとしてくれたんでしょうし。その心があれば、きっといずれは僕以上の治癒術士になられると想いますよ」

 二人がそんな会話を交わしている様子を眺めながら、彼等と同様に「人を癒やすための魔法」を極めようとしているクリープも笑顔を浮かべる(なお、この時点で彼の中で目覚めかけていた「謎の力」は完全に収まっていた)。

「そんなことより、僕のせいで皆さんに迷惑をかけてしまったのに、勝手に逃げ出してしまって、本当にすみません!」

 ユタはそう言って頭を下げる。実際のところ、今回の件に関して「ユタに責任がある」と考えている者はこの場には誰もいないが、客観的に見て「ユタに原因がある」ということは紛れもない事実である。そして、同門のオーキスや風紀委員のシャーロットはともかく、他の者達に関しては誰も「助ける義理」はなかった。そんな彼等に対して、どんな言葉をかければ良いのか分からず、ただひたすらに平謝りするユタに対して、そんなユタをこの場から連れ出した張本人の片割れであるルクスは、ぶかぶかの袖でポンポンとユタの背中を叩きながら声をかける。

「気にせずとも良いのだ。同じ学校の仲間を助けるのは当たり前だからな! ユタはルクスと同い年なのにもう魔法が使えて、だいがくで勉強しているのだろう? 立派なのだ!ルクスも頑張るぞ!」

 そして、もう一人の「連れ出し少女」であるシャララは、ユタのネクタイの色(生命魔法学部のシンボルである「緑」)を改めて確認した上で、この機に彼と親睦を深めようと試みる。

「童(わらわ)はマンドラゴラを育てているのだよ!御事が暇だったらそれに手と知恵をかしてほしいのだよ?」
「マ、マンドラゴラ!?」
「園芸部の庭で育てているのだよ! また何か嫌なことがあったら、園芸部に来てもらえば歓迎するのだよ。もちろん、他の部活でもいいのだよ? 手芸部とかも、きっと楽しいのだよ!」

 シャララがそう言ったところで、手芸部所属のオーキスは複雑な表情を浮かべる。

「私は、親に知識を与えられ、親を亡くして、過去を失くしてここに来たの。私だって、人とは違う外れモノよ。貴方とは違う意味かもしれないけれど……。だから、私にできることがあったら言ってほしいわ。私は外れモノの後輩だけど、話を聞くくらいならお安い御用よ」

 どこか意味深な言い回しながらも、彼女は(「年下の先輩」である)ユタに対してそう告げる。ここで、今までずっと黙っていたシャーロットが口を開いた。

「……えっと、その、私は恥ずかしながら、あの場に出ていくことを、少し躊躇してしまいました。だから、まっすぐに彼を助けようとした皆さんは、とても勇気があって、立派だと思います。……もし良かったら、皆さんも風紀委員会に入りませんか?」

 彼女はそう言って、その場にいる者達に風紀委員の詰め所の所在を書いた紙を渡した上で、この場にいた者を代表して生命学部の教師達に事情を説明するため、彼等に任意同行する形でこの場を去って行く。
 一方、ヴィッキーは「アネルカ」が落としたまま現場に放置されていた創作童話を、密かに拾い上げた。

(とりあえず、購買部にでも届ければええんかな……)

 「彼女」が走り去った方向(図書館)を眺めながら、ひとまずヴィッキーもまた他の者達と同様、この場を立ち去ることにしたのであった。

2、異界魔書のオルガノン

  カペラ・ストラトス は、赤の教養学部の中でも年少の部類の(ヴィルヘルミネと同じ)9歳の女子学生である。元は名門貴族の出身ということもあり、どこか高貴な雰囲気を漂わせた、腰まで届く白い巻毛と瑠璃色の瞳が印象的な少女であった。
 そんな彼女は、昼休みに図書館の前を通りかかったところで、最近になって図書館職員として勤務し始めた「オルガノンの少女」(下図)を発見する。魔法師協会の制服とは異なる、黒衣に白レースをあしらった変形貴族服のような装束をまとった彼女に対して、カペラは近付いて声をかけた。

+ オルガノンの少女

「はじめまして。あなたは、しんにゅうせいのひと?」
「私は、この図書館の職員、ということになった、らしい」

 あまり感情が込もっていないその返答にカペラはやや違和感を感じつつも、カペラは彼女の手荷物が気になっていた。その少女は片手に「本体」である『マギカロギア』を抱えつつ、もう片方の手には手提げ袋を握り、その中には様々な本と、一枚の紙片が入っていた。カペラの視線からはその紙片に書かれている文字まで目に入る。どうやら、何人かの「人の名前」が書かれているらしい。

「このほん、だれかにとどけるの?」
「そう。でも、どこにいるのか分からない。これから探さなければ」

 彼女がそう言ったところで、たまたま近くを通りかかった男装少女 ノア・メレテス が声をかけた。

「良かったら、ボクが手伝いましょうか?」
「あなた、図書館の人?」
「いえ、そうではないですけど、まだこの学校に来たばかりみたいですし、勝手が分からないのではないかと思いまして。あ、申し遅れました。ボクはノア・メレテスと言います。赤の教養学部の学生です」

 穏やかな笑顔でノアがそう自己紹介すると、カペラも彼(彼女)に続く。

「わたしはカペラ! おほしさまのなまえなのよ!」

 それに対して、オルガノンの少女は淡々と答える。

「協力してもらえるのは、助かる。私は『マギカロギア』のオルガノン。名前は無いわ」
「えーっと、それでは、どうお呼びすれば良いのでしょう? マギカロギアさん、でいいのでしょうか?」
「好きに呼べばいいわ。私の他にもマギカロギアのオルガノンがいる可能性はあるから、個体識別名としては不十分かもしれないけど」
「そ、そういうもの、なんですか?」
「たとえば、あなたが『他に人間のいない世界』に投影されたとすれば、その世界の生き物から『人間』とだけ呼ばれることになるでしょう? でも、他にも『人間』がいる可能性があるのなら、個体識別名が必要になる。それだけのことよ」

 そう言われると、ノアとしてもどう反応すれば良いのか分からず、何やら微妙な空気が広がる。そんな中、カペラは少女の手提げ袋の中身を覗いて、見知った固有名詞を発見した。

「きっさマッターホルン、しってるよ! クグリさんがはたらいてるとこ!」

 どうやら本の届け先の一人は、喫茶マッターホルンの店長らしい。この店の店長代理を務めているクグリは、カペラと同じストラトス一門の一人であった。

「そう。どこか分かる?」
「うん! いっしょにきて!あんないするわ!」

 そう言ってオルガノンの少女の服の裾を引こうとしたところで、ノアが再び横から声をかける。

「ちょっと、ボクにも見せてもらえませんか?」

 そう言って「届け先一覧」を見ると、彼(彼女)もまた見覚えのある名前を見つける。

「この、マグノリア・フィグルスさんっていう人は、生命魔法学部の、かなり有名な人ですね。たしか手芸部の人でもあったような……。あと、ケネス・カサブランカって人も、どこかで聞いたことが……」

 ノアがそう言ったところで、ちょうど図書館から出てきたばかりの エト・カサブランカ が反応した。

「今、ケネスさんの話をしてました?」

 ケネス・カサブランカは、エーラムの中でも「異例の経歴」の持ち主であり(それ故に名前だけはそれなりに知られている)、エトから見れば「遥か年上の後輩」である。

「ご存知なんですか?」
「はい。多分、この時間なら、この校舎の大講義室にいると思います。届け物があるなら、案内しましょうか?」

 そう言って、エトは図書館の隣の校舎を指差した。ノアもカペラも、この建物には入ったことがないので、案内人がいれば助かる。

「それは助かるけど、あなたも、図書委員ではないわよね?」
「あ、はい……、えと、はじめまして。エト・カサブランカです。えと、その、あなたと、お話がしてみたくて、うぅ……、その、このお届け物が終わった後、お時間ありますか……?」

 エトもエトで、最近になって図書館に勤め始めた風変わりな「投影体の少女」の職員の話を聞いて以来、興味が湧いていたのである。

「そういうことなら、お願いするわ。ただ、届け物は他にもあるから、全部終わるまでには、少し時間がかかりそうだけど」
「大丈夫です。僕も今日は午後の授業はないですから」
「わたしもだいじょうぶだよ! いっしょにあちこちまわろ!」
「ボクも今日は空いてます。分かる範囲で案内します」

 こうして、エト、カペラ、ノア、の三人と共に、オルガノンの少女はひとまず現時点での「最寄りの届け先」と思われる隣の校舎へと向かうことにした。その途上、少女は校舎と図書館の間の隙間に、一頭の巨大な狼が眠っている姿を発見する。

(あれは確か、あの子の…………、そう……、『あなた』は、離れていても大丈夫なのね。私とは違って……)

 少女はそう心の中で呟きつつ、エトの先導に従って隣の校舎の中へと入って行った。

 ******

 その校舎の中央に位置する大講義室では、まもなく講義が始まる時間ということもあって、徐々に学生達が集まりつつあったが、その座席の中央の最前列に、明らかに「そちら側」に座っているのが場違いな「初老の男性」の姿があった(下図)。
+ ケネス
 彼の名は、ケネス・カサブランカ。つい数ヶ月前まで、彼はブレトランド小大陸の南部を支配するヴァレフール伯爵領の騎士団長だった。諸々の経緯の末に孫達に祖国を託した彼は、現在、赤の教養学部にて「新入生」として講義を受けている。彼は幼少期に魔法師となる資質があることを指摘されながらも、君主となる道を選び、エーラムへの渡航を拒んだ。その彼が、君主を引退した今になって、何を思ったか「今から魔法師を目指す」と言って、かつて自身の契約魔法師が所属していたカサブランカ家へと入門したのである。
 そのため、今は自身の孫達と同世代以下の子供達と机を並べて講義を受ける立場なのだが、年齢差に加えて、長年に渡って政界の中心に居続けた間に見についてしまった(本人は無自覚の)威圧感もあって、講義室においても子供達は誰も彼に近付こうとはせず、彼の周囲の座席はいつも広々としたスペースが形成されている。
 そんな中、この日は珍しく、彼の隣に一人の(彼の末孫と同い年の)少女がちょこんと座る。ロップイヤーの兎のようなカチューシャを付けた ヴィルヘルミネ・クレセント  であった。ケネスの周囲には人がいないため、必然的に黒板も見やすい。彼女にしてみれば、最高の特等席を見つけた気分であった。

「儂の近くにいて、怖くはないのか?」
「え? どうして?」

 ヴィルヘルミネは純粋な瞳でそう問い返す。彼女は幼少期から祖父に可愛がられて育ったため、ケネスのような歳の男性に対しての警戒心は薄い。むしろ、一緒にいることで安心感すら感じている様子であった。

「いや、気にならないなら、別にいい。儂はケネス・カサブランカ。おそらくこの講義室にいる中では一番の新参者だ。まだエーラムのことについては分からないことが多い以上、何か尋ねさせてもらうかもしれない。よろしくお頼み申し上げますぞ、先輩」
「わたしはヴィルヘルミネです。ヴィルでもヴィリーでもミーネでも好きに呼んでね」
「分かりました。ヴィル先輩。ところで、その耳飾りは、先輩の故郷の民族衣装ですかな?」
「この飾りはねぇ、ご先祖さまのお耳を模してるんだ〜。じいちゃんの代まではふわふわのお耳だから、そのまねっこなんです!」
「御先祖の、耳?」
「そう。わたしの『おおばぁちゃん』は、マレビトだったの」

 無邪気な笑顔でヴィルヘルミネはそう語る。「マレビト」とはおそらく、投影体のことだろう。実際、この世界の各地に「投影体の子孫」を自称する人々は存在するし、ケネスもまた何人も「そのような存在」を故郷で目の当たりにしている(もっとも、どこまで彼がその存在を正確に把握しているかは不明だが)。

「なるほど。そのマレビトの血が、ヴィル先輩の魔力の根源、ということか?」

 一般的には、魔法(混沌を操る能力)の才能は遺伝しない。だが、もともと混沌によって生み出された投影体の末裔ということであれば、話は変わってくる。そういった「特殊な一族」はその時々に応じて羨望の対象になることもあれば、迫害の対象となることもある。

「多分、そうなんだと思う。おおばぁちゃんは『この子は土のカミが宿ってるね』って言ってたらしいから」

 ヴィルヘルミネは、久しぶりに自分の一族の話が出来て楽しそうな様子であり、ケネスもまた「未知の力」を前にして興味深そうな顔で聞き入る。そんな二人の前に、エト達が現れた。

「あ、ケネスさん。ちょっと、いいですか?」
「これは御義兄様。どうなされました?」

 50歳年上の義弟にそう呼ばれたエトは、オルガノンの少女を彼に紹介する。ヴィルヘルミネは彼女とは数日前にクロードの研究室で一度遭遇したことはあるが、ケネスはその少女とは完全に初対面であった。

「こちらが、あなたが貸出申請していた本です。先日返却されたので、お届けに参りました」

 感情の込もっていない平坦な敬語で彼女がケネスに手渡したのは、『秘薬目録—極東編—』と題された書物であった。編纂者名には「ゼクス・ロアノーク」と記されているが、このシリーズの一連の書籍以外に著作物の記録が残されていない「謎の人物」である(誰かの偽名ではないかとも言われているが、定かではない)。

「おぉ、これはわざわざ、かたじけない。恩に着る」

 そう言って彼はその書物を受け取ると、ヴィルヘルミネが興味深そうな顔で尋ねる。

「お薬に、興味があるの?」
「うむ、これは我が一門の縁者に関わるもので……」

 ケネスがそこまで言いかけたところで、エトが反応する?

「え? カサブランカ家の、ですか?」
「あぁ、いや、これはあくまで、御義兄様が入門されるよりも前の世代の話です。御義兄様が背負うべき宿業ではありませぬ故、お気になさらず」

 その理屈ならば、エトよりも後輩のケネスが関わるべき理由もない筈なのだが、まだ届けるべき本が残っていることもあり、ひとまずそれ以上は言及せぬまま、エト達はこの大講義室を後にした。

 ******

(ちょっと、はしたなかったかな……)

 図書館と隣の後者の間の隙間のスペースで、 ロシェル・リアン は、先刻まで眠っていた大狼のシャリテと合流しつつ、先刻まで着ていたローブの背中に付着した汚れを手で払っていた。そして「いつもの上着」に着替えた上で図書館の前に出てきたところで、隣の校舎から出てきた「オルガノンの少女」の姿が目に入る。

「あ! あの時の!」

 ロシェルはそう言って、少女達に駆け寄る。ロシェルは先日の図書館で彼女と遭遇して以来、どこか彼女に親近感を感じており、その動向が気になっていた。

「今は、図書館の職員として働いてるって聞いたけど、元気にしてた?」
「そうね。今も元気に、お使いしてるわ」

 ロシェルに対しては彼女もどこか「自分に近い何か」を感じているようで、表情こそ変わらないものの、どこか親しげに接しているようにも見える。

「その袋に入っている本を届けるのね? じゃあ、わたしも手伝うわよ! あ、わたしはロシェル!こっちはシャリテ! よろしくね!」

 エト、ノア、カペラに対してロシェルはそう言うと、彼等もまた軽く会釈しながら自己紹介を交わした上で、そのまま彼女も合流する形で次の「届け先」へと向かうことになった。

 ******

「マグノリアさん? 彼女はウチの正規の部員じゃないわよ。確かに、ここにはよく来るけど」

 手芸部に到着したノア達に対して、部員の一人はそう答える。

「あ、そうだったんですか、ボクはてっきり……」

 ノアが申し訳なさそうな顔を浮かべるが、その部員はオルガノンの少女から事情を聞いた上で、彼女に右手を差し出す。

「まぁでも、確か今日の夕方にはまた遊びに来る約束してるし、渡す本があるなら、ここで預かっておいてもいいわ」
「では、こちらに受け取りのサインをお願いします」

 そう言ってオルガノンの少女は筆記用具と本を手渡す。ちなみに、その本のタイトルは『レース編み入門』。明らかに手芸の指南書であり、それもまたノアの勘違いを引き起こした原因だったのだが、それだけが理由ではなかった。

「ていうか、部員でもないのに、よく知ってたわね、彼女がウチによく通ってることなんて」
「あ、いや、その、何度かこの部室に入るところ見かけたことがあったというか……」
「もしかして、あなた、彼女に気があったりする? それで追いかけてたとか? まぁ、たしかにあの娘、かわいいしねぇ。結構、隠れファンも多いみたいだし」

 その手芸部員は、からかうような口調でノアを問い詰めるが、そう言われた彼(彼女)の反応は少々予想とは異なっていた。彼(彼女)は少々恥ずかしそうにはしているが、図星をつかれたような様子ではない。

「いえ、そういう訳ではないんです……、本当に、ただ、ボクはたまたま、よくこの部室の前を通るので、それで……」

 ノアのその返答を聞いた彼女は、ふと「最近、部室の外に並べている展示物を眺めて、ため息をついている男子がいる」という話を部員達が話していたことを思い出す。よくよく、ノアの外見を凝視してみると、その目撃情報にあった男子学生と一致しているように思えた。

「もしかして……、あなた、手芸に興味があったりする? ぬいぐるみとか、かわいいものとか、好き?」

 そう言われたノアの頬が、一気に紅潮を始めた。

「あ! いや、その、あの、えーっと……」
「ウチは別に男の子でも大歓迎よ。ナンパ目的ならお断りだけど、かわいい編み物が好きなら、男女問わずみんな仲間だから」
「…………は、はい、好き、です……」

 ノアが俯きながらそう答えたところで、事務手続きを終えたオルガノンの少女とその協力者達は、部室を出て行こうとする。

「あ、もちろん、他の皆も歓迎だから! そこの小さい子も、職員さんも、いつでも遊びに来てね。体験入部も受け付けてるわ」

 そんな部員の声を背に、ノアもまた彼女達と共に去って行った。後日、実際に手芸部に体験入部に訪れた者がいたのかどうかは定かではない。

 ******

 喫茶「マッターホルン」の店長代理 クグリ・ストラトス は、店の今後の中長期的な戦略について悩んでいた。ライバル店の「多島海」の出現は、客の流れに少なからず影響を及ぼしている。それに加えて、最近は自分が様々な商売に手を出し始めたことで、喫茶店に立つ時間が減少していた。最近はアルバイト店員としてシャロン・アーバスノットやディーノ・カーバイト(多島海と兼業)を雇うことで補ってはいるものの、その分、結果として店全体の収益率は低下している。そろそろ自分も勉強に本腰を入れなければならない時期なので、あまり店ばかりに構っている訳にもいかない。
 現状は、この店独自の「特殊なメニュー」を目当てとする固定客層のおかげでどうにか経営を保てている。その延長線上で何らかの高単価のメニューの開発を考える一方で、内装などを工夫することで快適な空間を演出しようと試みつつ、新規客層の獲得にも積極的に乗り出していた。
 ちなみに、今のこの時間帯は午後の講義中なので、いつもなら来訪者が少ない頃合いなのだが、それでもこの日は二組の学生客達の姿があった。いずれも、たまたまこの時間が「空きコマ」になっていたのだろう。
 片方のグループは、クグリと同じ極東出身の ゴシュ・ブッカータ と、彼女の級友達の集団である。

「なぁ、ええやろ? この、こってりした風味」

 クグリの記憶にあった「ゴシュの故郷の地方の味付け」に寄せた一皿が彼女の心を掴んだようだが、彼女の友人達(おそらくは大陸西方の出身者と思しき面々)の反応は微妙であった。この辺り、ニッチなメニューにどこまで頼るべきかは判断が難しい。ちなみに、ゴシュは「多島海」の店員でもあるが、特に何か裏の思惑があって来店している訳でも無さそうである。
 もう一組の方の中心にいたのは、 ユニ・アイアス である。彼女は同門の先輩達と一緒に一つのテーブルを囲んだ上で、店長オススメの紅茶を味わいながら、「比較的普通のお勧め軽食メニュー」を頼んでいた。

「美味しいですか? それなら、良かったです」

 彼女達の来店理由は不明だが、ユニは基本的に「人の役に立ちたい」という行動原理で動く性格なので、もしかしたら、同門のジュード・アイアス(クグリとも親しい購買部の少年)から、クグリが経営難で悩んでいるという話を聞いて、彼女を助けようと思って先輩達を誘って来店してくれたのかもしれない。とはいえ、どのような理由であれ、団体客が来てくれることは今のクグリにとってはありがたい話であるし、これを機に彼女達の誰か一人でも常連客になってくれれば儲けものである。
 そんなところへ、カペラに先導された「書籍配送隊」が到着する。

「クグリさん! おとどけものよ!」
「おや、カペラちゃん。どうしたんだい?」

 クグリが首を傾げていると、オルガノンの少女は 『孤独のグルメ』 と題された異界魔書を手渡す。

「この店の店長から貸出希望のあった書物です」
「あー、また何か店長のよく分からない趣味の本か。うん、分かった。じゃあ、ここに受け取りのサインをしておけばいいんだね」

 そう言ってクグリが本と書類を受け取る一方で、ロシェルがユニの姿を発見して声をかける。

「ユニちゃんじゃない! 久しぶり!」
「あ、うん。久しぶり。今日は、彼女の付き添い?」
「そうよ! エーラムは広いから、届け先も分からないだろうし、ってことで、みんなで一緒にね」
「じゃあ、私も手伝うよ。もし皆が疲れているなら、ここから先は……」

 「私一人でも……」とユニが続けようとしたところで、ロシェルが割り込むように答える。

「手伝ってくれるなら、私もユニちゃんと一緒に行きたいな! でも、ユニちゃん、その人達のことはいいの?」

 そう言われてユニが先輩達を振り返るが、一番年上の先輩は彼女に先んじて笑顔で答える。

「せっかく友達がいるのなら、一緒に手伝ってあげなさい」

 先輩達はロシェルの様子を見ながら、「彼女ならばユニの良い友達になってくれそう」と考えたようである。ユニは真面目で心優しい性格で、他人のために頑張ることに生き甲斐を感じる気性だが、その一方で、過度に出しゃばることを忌避するあまり、やや周囲に対して遠慮しがちなところがあるので(おそらくそれは彼女の入門前の家庭環境に起因しているのだが)、その意味でも、積極的に関わって来てくれる友人は貴重に思えたらしい。
 一方、ゴシュはオルガノンの少女に興味を示していた。

「あんたが噂の『異界魔書のオルガノン』さんやね。はじめまして、ウチはゴシュ。よろしゅうな」
「はじめまして。私には名前は無いけど……」

 そこまで言いかけたところで、少女は少し考える。

「……やっぱり、名前が無いのは不便よね。誰か、考えてくれない?」

 これまで何度か同じやりとりを通じて、ようやく彼女もそう思うようになったらしい。これに対して、三人が異口同音に反応した。

「「「それなら……」」」

 ロシェル、ユニ、エトの三人である。だが、三人共、タイミングが重なったことに気付いて、すぐに口を閉じる。

「あ、いいよ、先に言って」
「わたしも、何かいい案がある人がいるなら、別に……」
「いえ、その、僕も、案って言えるほどの案ではなくて……」

 互いに遠慮して微妙な空気になる中、オルガノンの少女は直接一人一人聞くことにした。

「じゃあ、まず、あなた。続きを話して」

 そう言って彼女が指差したのは、エトである。

「あ、えーっと、お名前、その……、僕も決めてもらったこと、あります。だから、その僕で良ければ、お名前、決めさせてもらっても良いですか……? と言おうと思ったんですけど……」

 「エト」という名は、エーラムに来てから養父に付けてもらった名である(彼は一度、混沌災害に遭遇した時に、自分の名前を含めた全ての記憶を失っていた)。だからこそ、「名前を貰うこと」の重要性を認識している彼は、あえてこの問題に対して、慎重に考えていた。

「出来れば、そのために、あなたの『本体』であるその本を、読ませてもらってもいいですか?」


 エトとしては、彼女に関する名前であれば、「彼女自身に由来した名前」にした方が良いのではないか、と考えていたのである。

「分かったわ。じゃあ、こっちに来て」

 彼女はそう言ってエトを自身の近くに招き寄せると、彼の目の前で本を開き、そしてエトに中を確認させることにした(オルガノンである彼女は、自分の「本体」を「擬人化体」から切り離すことは出来ない)。

「じゃあ、読んでもらってる間に、あなた達の話の続きを聞かせて」

 そう言われたロシェルとユニは顔を見合わせる。性格上、どちらにしてもユニはここで自分から積極的に話しはしないだろうと考えたロシェルは、あえて先に口を開いた。

「わたし、いろんな名前考えるの意外と得意なのよ! だから、あなたに会った時から、色々考えてたんだけど、『レーヴ』ってのはどうかしら?」

 それは、アロンヌ地方の方言で「夢」を意味する言葉である。そして(ロシェルがそのことに気付いているのかは不明だが)「夢」という概念自体、『マギカロギア』を構成する重要な六要素の一つでもあった。

「なるほど。綺麗な響きね」

 少女も気に入った様子である。そして、ユニも笑顔で反応した。

「うん。素敵な名前だと思う」
「でも、それはそれとして、あなたの案も聞かせて」

 少女にそう言われたユニは、少し申し訳なさそうな表情で答えた。

「わたしは、お花が好きだから、私が田舎に住んでいた時に咲いていたお花から、ルピナス、なんて、どうかなって……」

 それは、アトラタン南部を中心とした植物で、雄大な総状花序を為す蝶形花を多数咲かせることで知られている。紫、白、黄など、品種によってその色合いは様々であった。

「いいわね。それも綺麗な名前だわ。それに……、ある意味で、『あなた達』とお揃いの名前になるのかしらね……」

 少女はそう言いながら「ロシェルとシャリテ」を見つめる(ユニがどこまで考えてその名を提案したのかは不明だが、「ルピナス」の語源は「オオカミ」を意味する古代語であると言われている)。

「どちらも捨てがたいわ……。それで、あなたは、決まった?」

 自分の目の前で「自分の本体」を流し読んでいるエトに対してそう問いかけると、エトもまた遠慮しがちに提案する。

「その、『ラトゥナ』というのはどうでしょうか……、その、登場人物の名前から取るのがどうかって話なら、その、えっと、『ラト』さんとか…」

 それは、彼女の本体に記されていた「天涯(ホライゾン)」と呼ばれる特殊機関に所属する魔法使いの名である(なお、「彼女の世界」においては、これらの機関のことを「オルガノン」と呼ぶため、彼女も最初にこの世界に投影された時は「オルガノン」と呼ばれることに違和感を感じていたが、今はもう既に慣れている)。実際のところ、あくまで流し読む程度の時間しかなかったので、エトは書かれていた内容に関しては半分も理解出来なかったが、なんとなく、その人物(?)が最も彼女のイメージに近いように思えたのである。

「なるほど。あえて『彼女』の名前……、それも悪くない……。迷うところね」

 そう言って、少女はしばらく考え込んだ上で、袖口から小さな一つの「サイコロ」を取り出す。

「迷って決められない以上、これで決めることにするわ。それが『私達』の流儀だから」

 実際に彼女の「本体」の中には「名前決定表」と呼ばれる一覧表がある。彼女は右手の掌の上でそのサイコロを転がしながら、何かを詠唱するような表情で、ゆっくりと口を開く。

「1・2ならレーヴ、3・4ならルピナス、5・6ならラトゥナ」

 次の瞬間、彼女の掌からサイコロがこぼれ落ちる。そこで示されていた目は「5」であった。

「決まったわ。私はラトゥナ。呼びにくければ、ラトでもいい。よろしくね、ロシェル、ユニ、エト」

 ここで初めて彼女は、目の前にいた三人の「名前」を口にした。自分に「名前」が宿ったことで、彼女の中でも何か心境の変化があったらしい。そのまま彼女は周囲の面々にも声をかけていく。

「それに、カペラ、ノア、ゴシュ、あと……」

 まだ正式に自己紹介をされていない「店長代理」を前にして、彼女は言葉が止まる。

「ボクはクグリ。よろしく、ラトゥナ君」
「よろしく、クグリ」

 ラトゥナはそう言ったところで、もう一度ロシェルとユニに視線を向ける。

「『レーヴ』も『ルピナス』も、本当に捨てがたかった。だから、もしこれから先、この世界に私の『姉妹』が現れることになったら、彼女達にこの名前を付けたいと思う」

 彼女が言うところの「姉妹」というのが、「別のマギカロギア」のオルガノンなのか、それとも「マギカロギアと同一シリーズの別のTRPG書籍」のオルガノンなのかは分からないが(ちなみに、彼女には少なくとも十種類以上の「姉妹作品」が存在する)

「うん、分かった。その子達が気に入ってくれるなら、それでいいよ」
「わたしも、その人達に会えるのが楽しみ」

 「名前」が与えられたことによって、ロシェルはラトゥナのことをより一層「自身と似た境遇の、理解しあえそうな友人候補」として親しく感じられるようになり、ユニはユニで、改めて彼女のために自分に出来ることを頑張りたい、という気持ちになっていた。

「さて、では、本を届けてくれたお礼と、命名記念も兼ねて、ボクから何か好きなドリンクを一杯サービスしよう。紅茶でも、珈琲でも、ジュースでも、好きに頼んでくれ」
「ありがとう。でも、私、味の違いはよく分からないから……」
「じゃあ、ここは定番のダージリンにしようか」

 そう言ってクグリが茶葉を用意する一方で、ゴシュが再びラトゥナに話しかける。

「まだ届け物の本が残っとるなら、ウチも手伝うよ。それが終わったら、今度はウチのバイト先で歓迎会やらへん?」

 彼女がそう言った瞬間、クグリの手が止まる。

(この店の中で、それ、言う?)

 一瞬、表情が強張ったクグリであったが、今日はゴシュが友達を連れて来てくれたことに免じて、ひとまず聞き流すことにした(なお、この時点で既にゴシュの友人達は「夕方の講義の予習」のために退席していた)。

 ******

 その後、店長が「マッターホルン」に戻って来たこともあって、クグリもまたラトゥナ達に同行する形で、本の配送を手伝うことになる。そして一通りの届け終えた後、クグリはラトゥナを学内の各地に案内して回ることを提案し、他の面々(カペラ、ノア、エト、ロシェル、ユニ、ゴシュ)もそれに同行することにした。
 クグリとしても、最近の行き詰まった経営を打開するためのヒントが欲しかったので、改めて気分転換がてらにラトゥナを学内各地に案内しつつ、紹介した商店街で自分の買い物を済ませながら、ラトゥナとの雑談を通じて異世界の知識を吸収しようとしていたのである。

「君の世界では、学生達の間でどんなお店が流行ってたんだい?」
「それは、ヴェリア界? 地球? それとも『私自身が作り出す世界』?」
「うーん。ボクは異世界のことはよく分からないから、どれがどういう世界なのかも理解出来ないんだけど……、一番記憶が鮮明な時の話でいいよ」
「そうね……、地球にいた頃の私の持ち主は、あまり外に出歩く人ではなかった。だから、『家に食べ物を届ける店』を、よく利用してた」
「なるほど。確かに、忙しくて外に出られない人もいるからね。そういう人達を相手にした配達サービスというのも、それはそれで悪くないかもしれない。実際、図書館の方でも今回のように直接本を届けてくれている訳だしね」

 とはいえ、それはそれでコストがかかる話であるし、そもそも軽食と飲み物主体の喫茶店が導入すべきシステムなのかと考えると、実現は難しいかもしれない。

「ところで、あの建物は、何?」

 ラトゥナはそう言って、街の外れにある(先日、アツシ達が遠投練習として使っていた)競技場を指差す。

「あぁ、あれは昔、運動部の人達が使ってたという球技場だね。明後日には、あそこで射撃大会が開かれるらしい。もし興味があれば、見に行ってみるのも良いんじゃないかな」
「射撃大会? 魔法の?」
「うーん、正確なルールはよく分からないけど、今回は魔法による射撃じゃなくて、『魔法を使って呼び出した異世界の武器を使った大会』らしいよ。弓とか、大砲とか、何でもいいらしい」
「この世界の魔法使いは、弓も使うの?」
「あぁ、うん。弓が専門の魔法師もいるんだ。それを専門にした研究会だか部活だかもあったような……」

 そんな話をしているところで、ゴシュが会話に割って入る。

「そういえば、ラトゥナさんは部活とか、やらへんの?」
「部活? あぁ、さっきの『手芸部』みたいな?」

 手芸部を訪問した時にはゴシュはいなかったので、「さっきの」と言われてもゴシュはピンとこないが、その傍らを歩いていたノアは先刻のくだりを思い出し、軽く赤面しながら黙って下を向く。ゴシュはそんな彼(彼女)の様子に気付くこともなく、話を続けた。

「もし良かったら、園芸部か音楽部に入らへん? ウチ、その二つを兼部しとるんやけど、どっちも楽しいで」
「園芸……、音楽……」

 何をする団体なのか今ひとつピンときていないラトゥナに対し、今度はユニが付言する。

「いいよね、園芸。私もお花とか好きだし、なんだか楽しそう」

 ユニ自身は部活動などをやっている訳ではないため、これといって勧められるものもないのだが、せめてラトゥナが学園に馴染めるよう、何か後押しがしたいと考えていた。
 一方、「お花」と聞いたカペラは、ふと道端に群生している小さな花が目に止まり、そちらに向かって走り出す。

「あ、カペラちゃん、急に走ったら危ないよ!」

 義姉的存在のクグリがそう言うのも聞かず、彼女はその花の元へと駆け寄っていく。そして、ユニはこの時点で直感的にカペラが何をしようとしているのかを察して、彼女の後を追った。

「私が一緒にいるから、大丈夫。クグリさん達は、ラトゥナさんの案内を続けて下さい」

 ユニにそう言われたクグリ達は、ひとまず二人と分かれた上で、近くにあった(ゴシュの行きつけの)楽器屋へと入るこっとにした。

 ******

「正直、よく分からなかったわ……」

 ラトゥナはしばらく店の中を散策して、色々な楽器に触れてはみたものの、そもそも譜面の読み方も分からない彼女には、何をどうすれば良いのかさっぱり分からず、終始戸惑った様子のまま終わってしまった。
 そんな彼女がゴシュ達と共に店から出てくると、そこにはカペラとユニが笑顔で立っている。そして、カペラはラトゥナに小さな花束を渡した。それは、道端の花をかき集めて、ユニが手伝う形で即席でくるんだ、ラトゥナにとっては初めてのプレゼントであった。

「ごめんね。わたし、もうかえらなきゃいけないじかんなの。でも、きょうはいっしょにいてたのしかったわ。またあたらしいはなしがききたいから、こんどは、そのほんをよんでね!」

 カペラはそう言って、幼年者用の寮へと去って行く。ラトゥナは最初はどんな顔をすれば良いのか分からなかったが、皆が笑顔でカペラを見送っている様子を見ていたら、彼女の口元にも自然と微笑が浮かんでいく。
 その後、ゴシュの提案通りにこの日の夜は「多島海」にて歓迎会が開かれることになり、クグリは改めて複雑な思いを懐きながらも、今回は(偵察ではなく)純粋な気持ちでラトゥナ達との歓談を楽しむことにした。

 ******

 翌日。昨日までと比べて少しだけ柔らかな表情を浮かべながら、ラトゥナは図書館職員としての業務を再開する。そんな彼女に対して、一人の青年が興味深そうな視線を送っていた。学生運動の闘士 ロウライズ・ストラトス である。彼は先日の学長との面談を終えて以来、自分の霊力の弱さを補うために、座学を極めようと図書館に通い詰めるようになっていた。自分がこの魔法師協会に残り続けるためには、知識を蓄えることが必須であると考えていたのである。そんな彼は、最近になって図書館職員が一人増えていることが気になっていた。
 自分と歳もあまり変わらなさそうなその職員について、彼は近くに座っていた「年上の後輩」である テラ・オクセンシェルナ に尋ねてみる。ロウライズはテラとは会話を交わすのがこれが初めてだが、テラは外見的にも経歴的にも色々な意味で「目立つ存在」なので、「変わり者の青年」として学生運動界隈においても知られた存在であった。

「あの人、何者なんだ? 知り合いみたいだが」

 ラトゥナはテラの前を通り過ぎた時に、ぎこちない仕草ながらも、軽く会釈をしていた。それに対してテラもまた無表情に一礼するだけなので、この二人の関係性は傍で見ているだけではよく分からないが、そんな「日頃はあまり人と積極的に関わらない二人」だからこそ、明らかに「他の人とは異なる関係性」がそこにはあるように思えたのである。

「彼女は、この図書館で発見された、『本のオルガノン』です……。私は、たまたま、彼女が現れた時にその場にいた……、それだけです……」

 テラが短くそう答えると、ロウライズは改めて彼女の手には一冊の本が携えられていることを確認する。言われてみれば、確かに彼女はいつも「同じ本」を持っていたような気がする。

「なるほど、オルガノンか……。何かの本で読んだ気がする。こんなに身近に現れるとは思ってなかったな」

 「異界の物品が擬人化して現れる投影体」としてのオルガノンという存在は、投影体の中でもかなり珍しい部類である。

「で、彼女の『本体』は何の本なんだ?」
「TRPGという、異界の遊戯の指南書、らしいですが、よく分かりません……」
「なるほどな……、話聞かせてくれてありがとな、テラさん」

 魔法学校内ではテラは新入りであり、ロウライズの方が「先輩」なのだが、歳はテラの方が上なため、ロウライズは親しみを込めつつそう呼んだ。このような「年齢の逆転現象」はエーラムにおいては頻繁に発生するため(先述のケネスとエトはその最たる例である)、テラのように実質成人と言っても良い年齢になってから入学した者に対してどのような態度で接するかは、人によって異なる。ロウライズの場合、自分自身も入学が遅く、年下の同期からも敬語で声をかけられることが多かったため、このような習慣が身についているのかもしれない。
 二人がそんな話をしているところで、テラの養父にして師匠であるクロードが現れる。

「おや、テラが誰かと一緒にいるとは、珍しいですね」

 クロードはどこか嬉しそうな表情でそう声をかけたが、テラは何とも形容しがたい微妙な顔を浮かべる。そこへ、何やら走り書きのような紙片を手にしたラトゥナが現れた。

「先生、お探しになられていた『平家物語』ですが、一部の巻が現在貸出中です。現存する分だけでも貸出手続きをなさいますか?」

 どうやらラトゥナは司書として、クロードが借りたい本を書庫で探していたらしい。

「あー、それは多分、屋島のくだりでしょうね。多分、カルディナ先生の『例の大会』の資料として一時的に貸し出されているんでしょう。どうせなら、全巻まとめて読みたいところなので、それなら『弥世継』の方を先に持って来て下さい」
「かしこまりました」

 二人がそんな会話を交わしている中、ロウライズがラトゥナに語りかける。

「なぁ、その、俺、TRPG? とかいうのはよく分からねえけど……、その……『マギカロギア』っていう本、読んでみてもいいか? 単なる興味本位なんだけどよ。」

 ロウライズが目を凝らしてラトゥナが持っている「本のタイトル」を見ながらそう問いかける。彼は現在、自分が進むべき道の一つとして(あまり「霊感」が影響しないと言われる)「召喚魔法師」という選択肢を考慮しており、そのためにはここで「友好的な投影体」と交流を持つことで、何かヒントが得られるかもしれないと考えていたのである。
 そんな彼の申し出に対して、ラトゥナよりも先にクロードが反応した。

「おぉ、あなたも興味があるのですか。それはちょうどいい。確か、テラも読みたいと言っていましたよね?」
「えぇ……、まぁ……」

 実際、テラは彼女の持っている「異界の本」が、自分の求める「力」になり得るかもしれないと考え、数日前に同じことをクロードと彼女自身に頼んでいた。しかし、オルガノンにとっての「本体」は「擬人化体」から離すことが出来ないため、それを読むためには「彼女とつきっきりで一緒にいる」か、もしくは彼女が「擬人化体」を一時的に消滅させて「本」だけの状態となった上で読んでもらうしかない。
 そして、現在の彼女はまず「図書館職員」としての仕事を覚えるので手一杯だったため、読ませるにしてもしばらく待ってほしい、と言われていたのである。

「実はあれから、他にもこの書物に興味のある人がいて、どうしたものかと思っていたところだったのですよ」
「そういうことなら、私は、最後で……」
「いえ、心配いりません。妙案を思いつきました。二人共、今日の講義が終わった後で、私の研究室に来て下さい」

 そう言って、クロードはひとまず彼女と共に二人前から去って行った。

 ******

 その日の夕刻、クロードの研究室にはロウライズとテラが向かうと、そこには テオフラストゥス・ローゼンクロイツ の姿があった。ボロボロのローブを着たその姿は、どこか不気味な様相を呈していたが、ひとまずロウライズが声をかける。

「君も、例の本を読むために来たのか?」
「えぇ。異界の魔法に関する書物が入ったと聞いたので」

 テオフラストゥスは淡々とそう答える。テラとはまた違った意味で得体の知れないマイペースな空気を漂わせている彼であったが、そこにもう一人の訪問者が現れる。

「すみません。異界から『ルールブック』なるものが新しく入ったと聞いて読みに来たのですが。どちらにあるのでしょうか」

 そう言って入って来たのは、 エンネア・プロチノス である。この世界における自然律の検証を続けている彼は、「異界のルール(法則)に関する本」という題目を聞いて、興味を示していたのである。
 やがて、部屋の奥からクロードとラトゥナが現れると、四人は二つの長机に沿う形で一直線になるような横並びに設置された四つの椅子に着席するように命じられる。そして彼等の手元には大量の紙と筆記用具が用意されていた。

「さて、皆さん。未知の異世界の文明に積極的に触れようというその心意気、大変結構。これから皆さんには、今から彼女の持つ『マギカロギア』の世界に触れて頂きましょう」

 クロードはそう言いながら、傍らに立つラトゥナに「自身の本体」である『マギカロギア』をクロードの目の前で開かせると、クロードは何やら呪文を唱え始める。すると、四人の学生達の目の前に、自分の視界に映った『マギカロギア』の最初のページが映し出された。赤の教養学部で学ぶ基礎魔法の一つ、「サイレントイメージ」である。

「今から私が、彼女の開いたページを見開きで順番に見せていきます。皆さんはそれを、手元の紙にそのまま書き記して下さい」

 つまりは、今から四人で『マギカロギア』を「写本」しろ、ということである。この世界には活版印刷技術はあるが、さすがに印刷されたものをそのまま複写する機械は(一部の特殊な投影体もしくは投影装備を所有している者以外は)存在しない。だが、クロードとしては、どうしてもこの本を複数冊用意しておきたいらしい。

「彼女の能力を発揮するには、彼女以外にも最低3人(彼女自身がGMを担当する場合)、出来れば5人(彼女が純粋に「本」となって、GMも他人に委ねる場合)の協力者が必要になる。そして、協力する者達の手元には一人一冊、同じ内容の本があることが望ましい。彼女の元いた世界には『著作権』という概念があるが、それはあくまでも異界の理(ことわり)。現実問題として今のこの世界には彼女一人しかいない以上、その価値を腐らせぬためには、これはやむを得ぬ措置なのです」

 誰に対して何の弁明をしているのかはよく分からないが、クロードは淡々とそう語る。とはいえ、学生達にとってこの『マギカロギア』が、写本してまで手元に置いておくだけの価値のある本かどうかは、実際に読んで見ないと分からない。そのことを踏まえた上で、クロードは彼等にこう告げた。

「写本してみた上で、それが自分にとって必要な本だと思えば、そのまま持ち帰って構いません。しかし、もし不要な本だと判断した場合は、その本はこの場に置いていって下さい。その代わりに、私が持っている異界魔書の写本コレクションの中から、何冊か貸し出すことを認めましょう。返却期限は、皆さんが赤の教養学部を卒業もしくは退学するまでで結構です」

 クロードは若手教員の中では随一の「異界魔書コレクター」として知られており、彼の手元には様々な異界の情報を記した書物が集積していると言われている。中でも特に彼の専門領域と言われているのは歴史書や軍学書だが、実際にはその関連領域の様々な書物も所有していると噂されており、それらはなかなか公開される機会も少ないため、知識欲の高い学生達にとっては、どちらにしても悪い条件ではなかった。
 こうして、なし崩し的に四人は写本作業に従事させられることになった。序盤は書いてある言葉の意味もよく分からないまま、とにかく目に写った文字をひたすら書き連ねていく彼等であったが、徐々に彼等は自分達が書いている内容に違和感を感じ始める。

「これは……魔法のリストか? 聞いたことのないものばっかりだな……」

 ロウライズは思わずそう呟く。確かに、この本には様々な種類の魔法に関する情報が羅列されているが、詠唱が必要とされるようなことが促されていながらも、具体的なその詠唱内容については記されておらず、また、その効果の説明もやたらと略語が多くて、意味が理解出来ない。
 そんな中、テオフラストゥスが手を挙げた。

「すみません、内容を確認してから書かないと、誤記が発生しそうなので、彼女に質問させてもらっても良いですか?」
「なるほど。それもそうですね。では、どうぞ」

 クロードがそう言うと、ラトゥナは無表情な様子のまま、テオフラストゥスに視線を向けた。

「まず、この『ゲームマスター』とは何ですか?」
「私を読み込み、私に定められたルールに基づいて、世界を管理する者」
「それは具体的には、どのような存在ですか? あなたの元の世界における、人格を有した神のような存在ですか? それとも、人によって作られた世界の制御装置のようなものですか?」
「質問の意味がよく分からないけど、多分、その位置付けは『卓』によって異なる」
「『卓』とは?」
「一つのテーブルを囲んでセッションを進めるグループのこと。一つの『卓』に一人のゲームマスターがいて、残りがプレイヤーとなる。それが私の中で定められたルール」
「『セッション』とは?」
「私を通じて紡がれる一つの物語。長さも内容も卓ごとに様々。その全体の流れを統括するのは、基本的にはゲームマスター」

 聞けば聞くほど新たな概念が出てきて、話が更に混乱し始めた始めたところで、横から今度はエンネアが質問を始めた。

「つまり、そのゲームマスターやプレイヤー、というのは、その世界の法則を構築している複数の自然律を擬人化した存在、ということですか?」
「擬人化? どういう意味で言っているのかは分からないけど、GMもプレイヤーも、あくまで生身の人間。人が人との会話を通じて物語を紡ぐ。その手助けをするのが、私」

 ここに至って、ようやくエンネアは理解し始めた。つまり、この『マギカロギア』という異界魔書は「異界の法則」を記した書物ではなく、「異界人達が作り出したゲームのルールブック」だということに。

「あー、そういった本でしたか……。どうやら、勘違いしていた様ですね。申し訳ない」
「勘違い?」
「てっきり、あなたがいた世界の自然律という意味でのルールを記した本なのかと……」

 とはいえ、ここまで参加した上で、今更「写本作業から抜けます」と言い出す訳にもいかない。少し落胆した様子のエンネアに対して、横から今度はクロードが口を挟む。

「いえ、あなたが言っていることも、あながち間違いではありません。TRPGのルールブックとは、確かに『異世界における自然律』の集積体でもあります。ただ、それは彼女が元いた『地球』でも『ヴェリア界』でもない、また別の異世界の自然律なのですが」
「でも、その異世界はあくまで『実在しない世界』なのですよね?」
「さぁ? それは分かりません。そもそも『異世界の実在』を証明することは誰にも出来ませんし、それを言い出すなら彼女が元いた世界も、そして我々が存在するこの世界すら、もしかしたら、誰かの妄想の世界なのかもしれませんよ」

 あえて少し冗談めかした口調でそう語るクロードだが、それに対してラトゥナは真剣な口調のまま付言する。

「実際、『私の持ち主』の家にも、この世界とよく似た世界を遊ぶTRPGは存在していた。確か、名前は『グランクレストRPG』。私が最初にこの世界に来た時に、すぐこの世界の全容を理解出来たのも、『彼女』のおかげ」

 ラトゥナが言うところの「彼女」というのが、「持ち主」のことなのか、『グランクレストRPG』のことなのかは不明だが(そもそも後者に性別があるのかも不明だが)、いずれにせよ、あまりにも突拍子もない内容すぎて、そう簡単にあっさりと鵜呑みに出来そうな話ではない。

「……まぁ、異世界のことについては、どこまで言っても憶測でしかありません。とはいえ、実際に我々の目の前に『混沌』を通じて様々な異世界の『何か』が出現することは既にこの世界における常態である以上、ありとあらゆる可能性について考慮しておく必要があるでしょう。それが異世界の話であれ、この世界自体の話であれ」

 そのクロードの説明で皆が納得したかどうかは分からないが、そのまま彼等はラトゥナから「TRPG」の基礎を叩き込まれつつ、『マギカロギア』の写本を続けるのであった。

3、射撃大会

「せっかくですし、一儲けさせてもらいましょうか」

 購買部の ジュード・アイアス は、エーラムの町外れにある大型競技場の前で、巨大な荷物を背負いながらそう呟いた。
 まもなく、この会場で高等教員のカルディナ・カーバイト(下図)主催の「射撃大会」が開催される。赤の教養学部の学生達に、それぞれ「最強の異界の射撃武器」を提案させた上で、彼女が実際にそれらを召喚して学生達自身に使わせてみることで、その精度と威力を競い合わせよう、という意図らしい。

+ カルディナ

 いつもは非実用的な道楽にばかり魔法を使いたがる彼女にしては珍しく実践的(実戦的)な試みということで、参加者以外にも多くの人々が会場に集っていた。だからこそ、ジュードはこの機会を「商機」と睨んでいたのである。

(僕たちみたいな学生って、大好きですからね、お祭り。間違いなく盛り上がりますし、盛り上がればそれだけ財布の紐も緩くなるというものです。何もないというのも、お祭りとしてはつまらないですしね)

 そう考えた彼は主催者であるカルディナに対し、会場での物品売買の許可申請へと向かった。

「大会全体が盛り上がれば、飛び入りなども増えて、データも増えて、先生としても損はないと思います。迷惑はかけないようにごみの管理等、働きかける予定でもありますので、許可をいただけると幸いです」

 一応、それらしい理由付けをして提案したジュードであったが、そもそも一般学生以上に「お祭り」が好きなカルディナには、そんな理屈は必要なかった。

「いいじゃないか。どんどんやれ!」

 そう言われた彼は、次に購買部の人々に話をつけることにした。会場全体で大きな利益を出すには、さすがに自分一人では手が足りない。ひとまず「簡単につまめる弁当等の軽食」「菓子」「飲み物」「タオル」「遠眼鏡」などを発注して用意してもらい、事前に分かっている範囲の出場者達のプロフィールを載せた冊子を印刷部に依頼して、それも商品に加える。その上で、学内各地に「学生、特に召喚師志望の人にとって、この射撃大会を見学することはいい勉強になるかと思います」という旨を告知するなど、事前の集客活動にも余念はなかった。そして彼のこの努力は、実際に多くの観客を会場へと引き寄せることになる。

 ******

「……射撃大会、ですか…。」

 会場の近くの張り紙を見た ティト・ロータス は、興味深そうな表情を浮かべる。彼女は性格的には決して好戦的ではないし、そもそも体質上の問題から、魔法を使う際に副作用を起こして体調を崩してしまうことも多いため、決して戦闘向きの魔法師としての素質に恵まれているとは言えない。しかし、現実問題として現代における魔法師には「戦場での働き」が求められることもまた事実である。
 そんな彼女にとって、攻撃魔法を何度も用いるのではなく、異世界の射撃武器を固定召喚して戦うという選択肢ならば、「自分にも出来るかもしれない」という可能性を広げてくれるように思えた。

「……もしかすると、誰か知ってる方も出るかも知れないですし、応援も兼ねて見に行ってみますか……」

 そう考えたティトは、ひとまず会場へと向かい、観戦前に何か甘いものでも買おうと考えて、ジュードの出店へと足を運ぼうとする。そんな彼女の目の前を、大会の告知ビラを手に持ちながら、何やら独り言を呟きつつ歩いてくる ロゥロア・アルティナス が横切ろうとしていた。

「射撃大会……?ふむむ、気になります……」

 彼女は先週の「闇魔法師」の一件から、このエーラム内にも危険な侵入者が潜んでいる可能性を考慮し、学問に専念するのみならず、戦う術についても少し学ぼうと考え始めていたところだったのである。それに加えて彼女は「異世界」や「お祭りごと」に対してもともと強い好奇心を抱いていたため、そもそも「射撃武器」なるものにどのようなバリエーションがあるのかも分からないまま、会場へと足を踏み入れようとしていた。
 そんなロゥロアの後方から、会場に向かって走り出す男子学生の集団が現れた。彼等は進行方向上にいたロゥロアを片手で軽く押しのけると、周囲に全く気を配っていなかったロゥロアは突然の衝撃で前のめりになり、そのままティトに向かって倒れ込みながら衝突してしまう。

「「あ!」」

 二人は同時にそう叫びながら、そのまま転倒する。ロゥロアを押しのけた男子学生達は、そのことにも気づかぬまま、既に会場内へと走り込んでしまっていた。

「すみません、私、ビラに夢中で、つい……、本当にすみません!」

 押しのけられた自覚もないままロゥロアは平謝りするが、ティトも(もともと病弱なため、顔色は悪そうに見えるが)別段怪我をした様子もなかった。

「大丈夫、です……。あなたの方は……?」
「私は平気です。あの、何か、お詫びを……」
「いえ、そんな……、別に……」
「さすがに、何もしないという訳にはいきません」
「じゃあ……、その、お金、渡すので……、そこの店で、何か、甘いものを……」

 ティトはジュードの店を指差す。かなり賑わっている様子で、病弱なティトでは、割って入るのが辛そうな程の人混みであった。

「分かりました。行ってきます!」

 ロゥロアも体格的にはかなり小柄であり、どちらかと言えば消極的な性格だが、今回に関しては全面的に自分が悪いと思いこんでいたので、妙にテンションが上がっていた。彼女はすぐさま「焼き菓子の詰め合わせ」を買って戻ってきた。

「これで、いいですか?」

 好みも聞かずに買いに行ってしまったことを後悔しつつ、ロゥロアが焼き菓子の入った箱をティトに魅せると、ティトは笑顔で頷く。

「はい、ありがとうございます。でも…………、私一人で食べるには、ちょっと、多いです。だから、良かったら、一緒に、食べませんか?」
「え? あ……、は、はい。よろしく、お願いします! 私は、ロゥロア・アルティナスです」
「ティト・ロータスです。仲良く、一緒に、観戦しましょうね……」

 こうして、二人は並んで観客席へと向かって行った。

 ******

 やがて、開会を告げる鐘がなると、会場全体に「異界の拡声器」を用いた少女の声が響き渡る。

「さぁ、皆様! お待たせしました! まもなく第一回・カルディナ・カーバイト杯争奪・異世界武器射撃大会を開催致します! 実況はわたくし、ヴァルスの蜘蛛が誇る異世界アイドル、キリコ・タチバナ(下図)がお送り致します!」
+ キリコ

 キリコ・タチバナは、情報機関「ヴァルスの蜘蛛」に所属する地球人である。今回の大会においては、多くの「地球産の射撃武器」が投影されるということで、たまたまエーラム駐在中だった「地球人の便利屋」である彼女に、実況役として依頼が舞い込んできたのであった。もっとも、彼女は 普通の地球とは少々異なる地球 からの投影体なので、彼女の知識がどこまで役に立つかは不明である。

「そして解説席には、主催のカルディナ先生の盟友である召喚魔法師のフェルガナ・エステリア先生(下図)をお招き致しました! よろしくお願いします!」
+ フェルガナ

 フェルガナ・エステリアは、カルディナ同様の若手の女性高等教員であり、表(青)と裏(浅葱)の両方の召喚魔法を極めた、まさに召喚魔法の第一人者である。同じ高等教員のクロードが(彼の専門は時空魔法だが)召喚魔法について常に助言を求める程の若きカリスマであった。

「よろしく頼む。今回は、カルディナの思いつきにここまで多くの人々が集まってくれたことに感謝する。一応、万が一に備えてこの会場のグラウンドと観客席の間には私が障壁を張っているので、安心して観戦を楽しんでもらいたい」
「ありがとうございます! では、今からルールを説明させて頂きます。これから、グラウンド上に『移動式の標的』が現れますので、参加者の皆さんはカルディナ先生から受け取った『異界の投影装備』を用いた上で、制限時間以内にそれらを撃破してもらいます。なお、標的は三種類の海洋生物の形を模しており、最前列のタコを倒せば一体ごとに10点、中断のカニを倒せば20点、一番奥のイカを倒せば30点となります。また、時折そのイカよりも更に奥に出現する「空飛ぶ円盤」を倒せば更に高得点が得られるらしいのですが……、さて、フェルガナ先生、これはどういった意図のルールなのでしょうか?」
「分からん。カルディナの思いつきは常人では理解出来ない。ただ、彼女が言うには、これは『いずれ訪れる 空からの侵略者 に対抗するための模擬戦』らしい」
「空からなのに、鳥じゃなくて、タコやカニなんですね?」
「異世界の中には、空の向こうから『そういう存在』が降って来る世界もあるようだ。そういった世界からの投影体が出現した時に対抗するため、らしい」
「つまり、これからおこなわれる『模擬戦』こそが、未来のこの世界を左右すると言っても過言ではない訳ですね?」
「まぁ、そういうことにしておこうか……」

 解説席のフェルガナは、まだ始まってもいないにもかかわらず、既にその声からは疲労が感じられていたが、キリコの方はテンションを維持したままルール説明を続ける。

「ちなみに、『侵略者』の名の通り、標的からも参加者に向かって攻撃してきます。今回はあくまでも安全性考慮して、参加者に着弾しても汚れがつくだけのペイント弾だそうですが、それに当たったら、その時点で競技終了となり、それまでに貯めた点数が獲得点となります。また、標的と参加者の間には障害物もあるので、その障害物を自分に有利になるように利用しながら狙い打つ技術も必要となるでしょう。また、制限時間内に全ての敵を倒した場合は残り時間もポイントに加算されます。更に、それに加えて『芸術点』なるものがあるですが、フェルガナ先生、これは何でしょう?」
「カルディナが見て『面白い』と思うかどうか、だろうな」
「なるほどぉ! これはぜひとも、カルディナ先生の卓越なる審査センスにも期待したいところですね!」

 ちなみに、最終的な得点配分は一切明かされていない。つまりは、どれくらい芸術点が重視されるかも、全てカルディナの気分次第、ということである。

 ******

「さて、では、さっそく始めていきましょう! 栄えある先陣を飾るのは、カルディナ門下生・第三世代の核弾頭! もう『双子のダメな方』とは言わせない! セレネ・カーバイト 選手です!」

 キリコがそう叫ぶと、セレネは地球によく似た異世界 「ファー・ジ・アース」 の学生服を身にまとい、なぜか赤いロングヘアのウィッグを被った状態で、カルディナによって召喚された「巨大な長筒」を持って姿を現した。

「あれは、砲撃戦闘用箒だな」
「箒(ほうき)ですか? あれが?」
「ファー・ジ・アースの世界では、アルトゥークの魔女達と同じように、魔法使いを載せて飛ぶ道具のことを全て『箒』と呼んでいるらしい。そして、その箒は同時に射撃武器でもある」
「ファー・ジ・アースと言えば、彼女の姉弟子である第二世代のクレハ・カーバイトさんも、同じ世界を力の源泉とする魔法師でしたよね?」
「まぁ、大まかに言ってしまえばそういうことになるが……、その件について厳密に説明し始めると、少々長くなるぞ……」

 解説席でそんな会話が交わされている中、観客席からは多島海のバイトのシフトの合間に駆けつけた同門のアーロン・カーバイトが声援を送っている。本来ならば彼もこの大会には参加したかったが、どうしてもシフトの都合上、競技者としての参加は無理だったらしい。

「セレネー! 落ち着いて行けよー! お前なら、やれる!」
「当たり前だぞ! この最強武器、ガンナーズ・ブルームがあれば、あんな奴らなんてすぐにタコパの材料に……、って、あれ? お、思ったより大きいな……、えっと……、確か射撃モードにするには……、ん? どっちだっけ?」

 セレネがそう言いながら箒を動かそうとした瞬間、突如として彼女が握っている「箒」が空に向かって飛び上がる。

「どぉんわひゃぁ~!!」

 どうやら彼女は操作を間違えてしまったらしい。箒を持った状態のままの彼女は、そのまま上空に張り巡らされていた防弾障壁に激突し、そのまま墜落しようとしたところで、カルディナが即座に異界の巨人を呼び出してすくい上げる。ちなみに、この時点で既にセレネは気絶していた。

(まったく、おとなしくクレハの破魔弓の方にしておけば良かったものを……。あいつだったら、髪色的にも地毛でそのままいけただろうに)

 カルディナは呆れ顔で気絶したセレネを回収する。

「えーっと、セレネ選手、まだ標的が現れてもいないのですが……」
「リタイアだな。次、行ってみよう」

 ******

「はい、分かりました! では、続きましては、カルディナ門下生・第三世代からの第二の刺客! 齢十二にして謎の異界魔書を操るその正体は、神か悪魔かネコロニカ! エルマー・カーバイト 選手の登場です!」

 その紹介に合わせてエルマーは、巨大な台車と共に登場する。その台車に載せられていたのは、三門の「大砲」であった。

「今度は、固定式の砲台みたいですね。しかも、三つって、アリなんですか? そもそも、一人で同時に使えます?」
「……今、参加規約を確認してみたが、『補佐役の同行』は禁止、といったルールはどこにも書いてないようだ」

 なお、その規約を作ったのは当然、カルディナである。

「え? でも、それって、当たり前だから書かないだけなのでは?」
「そうとも言えない。たとえば、あの三門がいずれも『大砲のオルガノン』だった場合はどうなる? 彼等は『参加者』の司令通りに自律的に動くことが出来るとしたら、それらは『補佐役』とみなされるか?」
「あー、確かに、この世界では、そもそもどこまでが『道具』なのか、という定義自体を、最初にもっと明確化しなければならない、ということですね」
「当然、カルディナなら、その程度のことは分かっていた筈だ。しかし、あえてそれを記さなかった、ということは……」
「最初から何らかの『抜け道』を想定した上で、弟子を優勝させるために曖昧なルールを作った、ということですか?」
「いや、それはありえない。彼女は確かに、時と場合によってはいくらでも卑怯な手を使うが、自分の弟子を勝たせるためにそのようなことをする女じゃない。より正確に言えば、そもそも弟子のためにそこまでしてやる程、弟子のことを考えているような奴じゃない」

 キリコとフェルガナが勝手にそんな憶測を広げている中、観客席からは再びアーロンが声を張り上げる。

「エルマー! やってやれ! セレネの仇はお前が取れ! 侵略者達をやっつけるんだ!」

 セレネは別に侵略者に倒された訳ではないのだが、そんなことは気にせずアーロンは声援を続ける。だが、この時点で既にエルマーは同い年のアーロンの声が聞こえない程、既に「自分の世界」に入り込んでいた。
 そして彼が両手を上げた瞬間、三門の大砲の背後に、数十人の集団が現れる。彼等はそれぞれの手に様々な「楽器」を手にしていた。

「あれは! カルディナの創作魔法、オーケストラ・プロジェクション!」
「知っているのですか、フェルガナ先生?」
「あぁ。カルディナは瞬間的に『異界の音楽家』を呼び出すことが出来る。かつて、ブレトランドの音楽祭で『本物のアイドルグループ』を呼び出したこともあった。これはその応用だろう」
「なんだか私が『偽物のアイドル』と言われてるみたいでちょっと引っかかりますが、つまり、彼等を呼び出したのはカルディナ先生、ということですね?」
「あぁ、間違いない。しかし、なぜだ……? ここは音楽会場ではないぞ。何を考えている?」

 解説席のフェルガナが珍しく本気で困惑した様子を見せる中、グラウンドの後方でカルディナはほくそ笑んでいた。

(分からんだろう? フェルガナ。私も分からん。なぜこんなことを『奴』が思いついたのか。だが、それでこそ我がカーバイト一門にふさわしい)

 カルディナの視線の先にいるエルマーは掲げた両手を振り下ろす。すると、オーケストラの投影体達は一斉に音楽を奏で始めた。この曲の名は、序曲『1812年』。かつて世界の覇権をかけて戦った二つの帝国の壮絶な戦争を題材とした楽曲である。
 エルマーとこの曲との出会いは、彼がまだエーラムに入門する前にまで遡る。当時、市井の古本屋を隈なく回って書物を読み漁っていた彼は、この曲の「楽譜」と出会った。そして、いつかこの曲を再現したいと思っていた彼は、この射撃大会をその絶好の機会と考えたのである。

(まさか、これを楽器に使うなんて発想は出てこないよね)

 彼の指揮の下で演奏を続ける中、遂に「その時」が訪れた。楽曲に合わせて三門の大砲が、発砲を始めたのである。

「こ、これはまるで……」
「あぁ。打楽器のように、絶妙なタイミングで放たれて……、いや、違う。打楽器そのものなんだ。このオーケストラにおいて、あの大砲は打楽器として設置されているんだ!」

 そう、序曲「1812年」とは、本物の大砲を楽器として組み入れた楽曲なのである。つまり、エルマーは最初からこの「射撃大会」の舞台で、「射撃」と「音楽」を同時に実現しようと試みたのであった。

「これは、高度な芸術点が期待出来そうですね、フェルガナ先生」
「あぁ。というか、これはむしろ『芸術』そのものでしかないだろう」

 実際のところ、放たれた大砲は精度が悪く、何発かは標的に着弾したものの、大した得点には至っていない。あくまでもこれは勝利を度外視した、ある意味で一種の「余興(盛り上げ役)」としての参加であった。
 そして楽曲を終えると同時に制限時間を迎えると、エルマーは観客席に向けて一礼し、そして楽団も大砲も消滅する。なお、技術的には楽団も大砲もこの世界の技術で再現可能ではあるが、そこはあえてこの大会の形式に則って、いずれも「異界の投影装備」として勝負するようにカルディナは促した(ちなみに、やろうと思えば、両者を同時召喚することも出来たのだが、「二段階で現れた方が、面白いだろう?」というカルディナの提案で、このような演出となった)。
 会場は一瞬の静寂の後、異様な熱気に包まれて、あたかもエルマーが「一番手の余興担当」であったかのような(その前の脱落者の存在そのものを忘れさせるような)錯覚に陥りながら、盛大な拍手が沸き起こっていた。
 そんな彼の背中を見ながら、次の出場予定の少年が、決意を新たにする。

(あの人、こんな凄い人だったんだ……。俺も、頑張らないと……)

 ******

「続きましては、今大会最年少の8歳ながらも既に静動魔法を操る才能を身につけた麒麟児! 実は隠れ優勝候補の声も高い、リアン一門の新星、ビート・リアン選手の入場です!」

 そんなキリコの紹介に続いて、会場中に(拡声器を使わない)天然の大声が響き渡る。

「ビートくーーーーーん! 落ち着いて、しっかりねーーーーーー!」

 それは シャロン・アーバスノット の声である。実は今回の大会、ビートに出場を促したのは彼だった。この世界において射撃武器を用いた魔法師と言えば、ほぼ間違いなく「山吹(亜流)の静動魔法師」のことを指す。そのため、既に静動魔法師への道がほぼ確定しているビートにしてみれば、将来の自分が「弓使い」となる選択肢も十分に考慮に入れている。
 ただ、そうは言っても、まだエーラムに来たばかりで、それまでろくに本を読む機会も少なかったビートには「異界の武器」の知識などある筈もない。そんな彼に対してシャロンは、かつて「酒場のおっちゃん」から聞いた「光射す洞窟の浪漫」を体現した弓を勧めていたのである。

「おーっと!、ビート選手の手には、光り輝く黄金の弓が握られています!」
「ようやく、正統派の『弓』の登場だな。あれはおそらく、極東の女神が用いたと言われている、暗闇を照らす『金の弓箭』だろう」
「ほほう、それはつまり、光の弓ということですか?」
「おそらくな。だが、威力に関してはよく分からん。果たして、いかほどのものか……」

 そう言って二人が注視する中、ビートは「魔力抑制装置」を外すと、障害物の隙間から的確に標的を次々と撃ち抜いていく。

「なかなか正確ですね」
「あぁ。そして、矢継ぎが早い。先に打った矢の光で一番奥のイカの位置を確認したその瞬間にはもう次の矢を放っている。これは、一朝一夕では出来ない業だ」

 実際、ビートは以前から魔法制御の訓練と並行して密かに弓の練習も重ねていた。それはかつて彼の育った孤児院を訪れた「山吹の静動魔法師」の矢が巨大を敵を蹂躙していく姿が、彼の脳裏に強烈に焼き付いていたからであろう。

「まさに芸術的な弓裁きですね。これは芸術点になるのでしょうか?」
「それは分からん。全てはカルディナの主観だからな」
「なるほ……、おーっとぉ、ここで空飛ぶ円盤の登場だぁ!」

 キリコがそう声を張り上げた直後、ビートの放った矢が見事にその円盤を撃ち抜く。だが、それとほぼ同時にビートもまた、タコが放った攻撃を直撃してしまう。円盤に狙いを定めるために手先に集中していたビートの逃げ足が、一歩遅れてしまった。

「うーん、これは残念! せっかく高得点ボーナスを手に入れたところだったのですが……」
「まぁ、さすがに8歳児の体では、身体的な不利は補えまい。的が小さい分、どうにかここまで助かってはいたが、それでも限界はある。しかし、大健闘だな」
「はい。ビート選手、最年少とは思えない、見事な腕前でした!」

 観客がビートを称えて手を叩く中、シャロンからも改めて歓声が届く。

「やったねー! ビートくーーーーん!」

 シャロンはそう叫び終えたところで、彼を労うためのホットドッグを買いに、ジュードの店へと駆け込むのであった。

 ******

「続いての登場は、自称・未来の天才軍師、先日はカルディナ先生の乱行を暴いたことで教師陣からの評価が鰻登り中のファルドリアからの刺客、 ジョセフ・オーディアール 選手です!」
「アンブローゼに憧れて入門したと聞いているが、さて、どれほどのものかな」
「手元の資料によると、その武器の名前は『ランス』だそうですが、これ、射撃武器なんでしょうか?」
「ランス? ……まさかとは思うが……」

 フェルガナが何やら不穏な反応を示す中、観客席からも彼に注目する者達がいた。

「あの人……、私、知ってます。すごく、真面目で、優秀な人でした……」
「え? そうなんですか? なるほど。それはしっかり応援しなければ、ですね」

 ティトとロゥロアがそんな会話を交わす一方、少し離れたところでは、到着が遅れたが故に立ち見席に回ってしまったヴィルヘルミネが、頑張って見ようと飛び跳ねていた。

「うーん、せっかくジョセフさんの番なのに、見えないー」
「では、こうしようか?」

 そう言って、ヴィルヘルミネの隣りにいたケネスが彼女を抱え上げ、そしてそのまま肩車の状態になる。

「わぁ、すごーい! これなら全体が見えるー! ありがとう、おじい……、ケネスさん!」
「別に、じじいでかまわぬよ」

 ジョセフの知人達がそんな様子で湧き上がっている中、ジョセフ自身は激しい緊張感に包まれていた。

(困った、つい勢いでカルディナ師に大見得切ってしまった。どうする、弓の技量などシストゥーラ殿に遠く及ばぬ……、というか、まともに扱えない。アンブローゼ殿から、ファルドリアとゼフォスの戦争において使われたという異世界の射撃武器を教えてはもらったが、果たして私にこれが使いこなせるのだろうか……)

 そんな思いを抱きつつ、彼の手元にカルディナによって召喚された投影装備が出現する。それは、21世紀の地球から投影された、先端の尖った筒状の武器であった。それは確かに、ランスの一種のようにも見えなくもない。

「やはり、あれはMGM-52『ランス』移動式短距離弾道ミサイル……」
「な、なんですか、それは?」
「かつて大陸の北東地域の戦線に出現したと言われている幻の投影装備だ。投影元の世界においては、一発で一国を壊滅させるほどの威力を持つと言われている」
「そ、そんなもの、ここで使ったら……、あ、でも、フェルガナ先生の障壁があるから、大丈夫なんですよね?」
「元の世界の資料を読む限りは、私の障壁ごときでどうにかなる程度の威力ではないな」
「えぇぇぇぇぇぇ!?」

 キリコの絶叫が響き渡る中、ジョセフの手で発射されたその「ランス」は、上空から弧を描くように標的達の中心部に落下し、そして一瞬にしてその場にいた全ての標的を吹き飛ばす。そしてその爆発は一瞬にしてジョセフ自身をも巻き込んだかに見えたが、それよりも一瞬早くカルディナが間に入り、ジョセフを片手で小脇に抱えながら、結界の外へと瞬間移動した。
 そして、結界の外で息を呑んでその光景を見守っていた観客達には、何の被害も及んでいない。肝を冷やしたキリコに対して、フェルガナは淡々と語る。

「元の世界の資料では、と言っただろう? この世界に出現する投影装備は、多かれ少なかれ、この世界の理(ことわり)に合わせて矮小化されて投影されることが多い。ファルドリアに出現した時の『ランス』がどれほどの規模だったかは分からないが、おそらく今回は、その規模を極限まで縮小させた形でカルディナが投影させたのだろう。彼女だって、その程度の計算が出来ないほど馬鹿ではない」
「なら、最初からちゃんとそこまで言って下さいよ〜」

 ちなみに、それでもジョセフが直撃すれば跡形もなく消滅する程度の威力はあったので、相当に危険な代物であることは間違いない。そして、誰もいなくなった結界の中では、今頃になって「空飛ぶ円盤」が駆け抜けていく。
 なお、大会規定において、終了の合図が鳴る前に持ち場を離れた参加者は失格扱いとなる。今回の場合、ジョセフの意志を無視してカルディナが勝手に連れ出したのだが、さすがにあの状況でその判断を責める者は誰もおらず、ジョセフも失格を受け入れざるを得なかった。

 ******

「お待たせ致しました! 続いての登場は、今大会出場者の中では紅一点! 園芸部を彩る可憐な極東少女は、侵略者との戦場にいかなる花を咲かせることになるのか? テリス・アスカム 選手です!」

 既にセレネが「いなかったこと」にされているような言い回しだが、実質的に彼女は「出場」すらしていたとも言い難いため、フェルガナはあえてそこにはツッコまなかった。
 一方、既に自分の番を終えて観客席でシャロンと一緒にホットドッグを食べていたビートは、先日彼女から貰ったハーブで心を落ち着かせながら、意外そうな表情で彼女を見つめる。

「あの人、こういう場に出るような人じゃないと思ってたのに……」

 実際、テリスは本来、好んで武器を取るような性格ではない。しかし、彼女にはこの大会に出場したいと思う特別な理由があった。彼女は病気で入院していた頃、知人が気晴らしにと持ち込んでくれた地球産の「とある小説」に夢中になっていた。その「とある小説」の中に登場した超電磁砲(レールガン)に憧れを抱き、「一度でいいから使ってみたい」と思っていたのである。
 だからこそ、彼女は今回の射撃大会で「異世界のアイテム」を召喚してもらって参戦することが出来ると聞いて、即座にカルディナに参戦を申し出ることにした。

(せっかくだし、軍事用の大きいものの方がいいよね)

 そう考えた彼女は、カルディナになるべく軍事用で使うような大きなものをお願いしようと思ったが、ここで一つの問題が発生する。通常の投影装備の場合、たとえば先刻の「ランス」のような地球の近代兵器であっても、その動力源は「混沌」の力によって補える。実際、同じ「レールガン」の名を関する投影装備は、この世界においても様々な邪紋使いや浅葱の召喚魔法師の手でこの世界で実用化されていた。
 だが、その「とある小説」の超電磁砲は少々特殊な構造のようで、その装備そのものに動力源が組み込まれておらず、外付けの「電気」を組み込む装置が必要らしい。小説では、主人公が電磁気を自由に操る能力を持っていたので、銃砲の装置すらなくてもコインだけで発射することも出来たのだが、この世界で同じことをするには「混沌」を動かす力、すなわち「魔法」が必要となる。しかし、テリスはこの世界においてそれに最も近い魔法と思われる「エネルギーボルト」ですらまだ学習段階に進んでない。
 そこで彼女は、電源装置を超電磁砲に組み込む形で召喚してもらうことにしたのだが、カルディナ曰く、このような形で「この超電磁砲」を召喚したことは過去にないため、きちんと機能するかは確証が持てないらしい(理由は不明だが、投影元の世界によって、混沌による再現が容易な物品と、そうでない物品があるという)。

「さぁ、テリス選手が超電磁砲を構えたところで、標的が動き出しました! おーっと、テリス選手の超電磁砲から、目にも留まらぬ速度で、光弾のような何かが発射されています!」

 その連射速度はあまりにも早く、一瞬にして「縦一列」の標的が一層される。このままあっという間に全ての敵を殲滅してしまうかに見えたが、三列目を消しさったところで、テリスは急にその場に膝を付いてしまう

「おや? テリス選手、どうしたのでしょうか?」
「資料によると、彼女は魔法を使うことで足に痛みが出る症状を持っているらしい。もしかして、それが原因か?」

 フェルガナがそうコメントしている間に、標的からの攻撃を受けて、テリスは競技終了となってしまった。

「おそらく、あの混沌装備から流れ出た魔力が彼女と融合して、彼女自身が魔法を使っているのと同じような状態となり、症状が再発してしまったのだろう。だが、それは逆に言えば、彼女がには混沌と感応する素質が備わっているということでもある。どうにか足の問題さえ克服すれば、きっと優秀な魔法師となるだろうな」

 こうして、テリスは得点を今ひとつ伸ばせないまま競技を終えることになってしまったが、ずっと憧れていた「異界の武器」を実際に使えたことで、その表情は満足気な様子であった。

 ******

「さぁ、続いて登場するのは、これまた極東からの挑戦者。血気盛んな野球少年が侵略者相手に繰り出すのは、果たしてボールかバットがグローブか。 アツシ・ハイデルベルグ 選手の入場です!」
「正直、彼が一番得体が知れない……。そもそも何者なんだ?」

 なぜかフェルガナが不思議そうな目で眺める中、観客席からはライバルである筈のビートからの激励が届く。

「アツシさん! 期待してますよ!」

 先日のキャッチボール以来、すっかりビートは彼のことを尊敬しているらしい。そんなビートの元に、今度はシャロンがポップコーンを持ってくる。

「彼にもー、頑張ってほしいねー」

 そんな声援を受けながら、アツシは奥で控えるカルディナに目配せした上で、両手でそれぞれ拳を握って空に向かって掲げた。すると、彼のその両手が「巨大な鋼鉄の手」に変わる。
 数日前、彼はカルディナにこう提案していた。

「やっぱり最強なのはロケットパンチに決まってるじゃん!!こうバーン!って撃って、ビューン!って飛んでって、ズガガーン!って当たって、ドッカーン!ってなるやつ!!」

 身振り手振りでそうジェスチャーしながら説明すると、カルディナが笑顔で即断し、すぐさま資料を集めて投影に成功したのである。

「あれはまるで、空にそびえる鉄(くろがね)の城のようですね!」
「……よく知ってるな、そんなフレーズ」
「『私の地球』には無かったんですけど、別の時間軸から来た地球人に聞いたんです」

 そんな二人の無意味な会話を背に、アツシはその二つの鉄拳を標的に向かって解き放つ。すると、見事にそれぞれが最前列のタコ数体を撃破する。

「よっしゃぁぁぁぁぁ!」

 アツシが雄叫び位を上げたところで、後方に控えていたカルディナが笑顔で声をかける。

「で、満足したか?」
「はい、気持ちよかったです!」

 そう言って、アツシは競技を終えた。ロケットパンチは二発打った時点で打ち止めとなってしまうため、これ以上の競技続行は不可能だった。

「うーん、やっぱり、ブレストファイヤーの方が良かったんじゃないでしょうかね?」
「それはそれで、さっきの超電磁砲以上にエネルギー効率の問題が出てきそうだがな」
「女の子だったら、一緒に光子力ミサイルを積むという手も……」
「もし本当に女子学生にそれを実装するようなら、私はカルディナを諮問委員会にかける」

 カルディナに対して甘い、と言われているフェルガナの中でも、さすがに「超えてはいけない一線」はあるらしい。

 ******

「では、気を取り直して、次の選手の紹介です! 召喚魔法に飽きたらず、異界を目指すその姿。新たな時代の先駆者か、荒唐無稽な夢想家か。異世界知識の宝石箱、 クリストファー・ストレイン 選手の登場です!」

 アツシの退場と共に会場に漂う微妙な空気を一変させようと、キリコが声を張り上げて紹介すると、クリストファーも「変な空気」に飲まれないよう、笑顔で入場する。

(まさか、本当にロケットパンチで参戦する人がいるとはな……)

 実はクリストファーは事前に先輩達との間で、どんな武器が有効か、という会話を交わしていたのだが、その中で一人の先輩は「どうせカルディナ先生は『最強武器』じゃなくて『ビックリ武器』を求めてるに決まってる。それならやっぱり、ロケットパンチだろう」などと語っていたのである。ちなみに、別の先輩は相手を魅了する「エロスの矢」で参戦しようとしていたが、大会のレギュレーションを聞いた時点で、海洋生物相手に通用するかどうかが不安になったので、取りやめることにしたらしい。

「さて、フェルガナ先生、手元の資料では彼の武器は『D3』と書かれているのですが、これは一体、なんでしょう?」
「聞いたことがないな。何かの略語なのだろうが……、可能性が広すぎて、特定が難しい。ただ、本気で異世界に憧れるほどの少年だ。おそらく、異世界知識はこの大会の参加者の中で随一の筈。私が知らない武器を知っていてもおかしくはない」

 観客が一斉に彼に注目する中、クリストファーの目の前に拳程度の大きさの光り輝く「正八面体」が現れ、そして標的に向かって光弾のような何かを次々と放つと、瞬時に標的は消滅していく。しかも、それはクリストファーの身体から離れた状態から発射可能なので、彼は相手の攻撃が届かない安全な場所に隠れた状態のまま、着実に敵を仕留めていくことが出来る。この正八面体の正式名称は「Dimension Distorting Device」。内側に特殊な回路が内蔵された、 22世紀末の地球 からの投影装備である。
 そして、気付いた時には海洋生物達は完全に殲滅され、空飛ぶ円盤も撃ち落とされていた。

「遂に出ました! 今大会初のパーフェクト!」
「大したものだ。ここまで高性能な投影装備を見つけてくるとは。これは、召喚魔法学部に上がってくるのが楽しみだな」

 フェルガナも素直に感服する中、クリストファーはカルディナの元へと戻る。彼は完全制覇した喜びの笑顔を浮かべながらも、それとはまた別の好奇心に満ち溢れた表情で彼女に問いかける。

「どうでした? イケそうです?」
「そうだな……、やってやれんことはないと思うが、それなりに骨が折れそうだ。正直、私はあまり気が乗らんな」

 実は、クリストファーは当初、このD3を投影装備としてではなく、この世界の既存の魔法によって再現することは出来ないか、ということをカルディナに相談していたのである。D3はその内側に空間を圧縮して、その中で粒子を高速移動させることによって光弾を発動させる装置のため、時空魔法による亜空間の生成、氷の元素魔法を用いた弾丸の生成、静動魔法による加速、といった形で組み合わせていくことをクリストファーは想定していたのだが、ひとまずカルディナは「一旦、現物を投影装備として召喚してみないと分からない」という反応だったので、素直に今回の大会のレギュレーションに従って、このような形で参戦することになったのであった。

「まぁ、やりたければ、お前が頑張って作ってみろ。何十年かかるかは分からんがな」
「うーん、でもオレはその前に、異世界に行くための勉強をしなきゃいけないんっすよねぇ」
「それに比べれば、遥かに楽な作業だと思うがな」

 ******

「さて、残り出場者もあと僅かになってきました! 失われた記憶を求めて、今日は東へ明日は西へ。己を探し求める生き様は、まさにミステリアスな暴走特急。 ニキータ・ハルカス 選手の入場です!」
「ん? その選手の資料が私の手元には無いんだが……」
「あ、はい。この人は飛び入りだそうです。だから、順番は最後の方にさせてもらいました」
「……ということは、その口上も今、考えたのか?」
「えぇ。というか、今までのも全部その場で適当にでっち上げたアドリブですよ」

 そんな中身のない会話が拡声器を通じて全体に広がる中、連続パーフェクトへ向けての期待を込めて注目する観客の視線を集めながら、ニキータは会場に姿を現す。彼がその手に持っていたのは、奇妙な形の銃のような何かであった。その武器を召喚したカルディナは、心配と好奇心が織り混ざったような表情で後方から見つめる。

(さて、あの銃、ちゃんと使えるのだろうか……)

 実はこの銃は、ニキータによって明確に指定された銃ではない。彼は開会直前になって「参加したい」と言って現れた上で、「弾丸を発射した後でもその弾道を自由に調節できる銃砲系武器」という、ざっくりした提案だけを伝えたのである。

「撃った後で自分の意思で弾道を調節できたら必ず当たるから最強じゃね」

 というのが彼の主張だったが、当然、周囲の者達からは「お前、それ、指定でも何でもないだろ!」「真面目にちゃんと異世界のこと調べてから来いや!」とツッコまれる。しかし、カルディナはこのような形でのリクエストを「自分に対する挑戦」と解釈し、あえてその場でその言葉だけからイメージを醸成し、どことも知らぬ世界から、そのイメージに近い銃の召喚に成功したのである。
 その上で、ニキータはその銃を受け取った時点で、面白半分で空に向かって試し撃ちしたところ、確かにその銃弾は自由自在に動かすことが出来た。彼はその結果に感激するが、一方で「音がうるさい」と文句を言い出し、周囲の人々からは「銃なんだから、それくらいは当たり前だ」とツッコまれていた。

「さぁ、ニキータ選手、資料にも載っていない謎の銃を構えて……、お! 初弾が、タコでもカニでもなく、一番奥のイカに命中しました。あ、次もイカです。ニキータ選手の銃、なぜか絶妙に気持ち悪い弾道でタコとカニの群れをすり抜けて、高得点のイカにばかり命中しています!」
「追尾弾の一種か? いや、それにしても、あの動きは確かに気持ち悪い……」
「そして今、空飛ぶ円盤も出現しましたが、当然のごとくニキータ選手はこれも……、あーっと、ニキータ選手の銃弾が届くよりも先に、彼自身が被弾してしまいました。残念! ボーナスポイント獲得前に競技終了です」
「どうやら、あの弾道は彼自身が操作していたようだな。だから打った後はその操作に神経を集中していたせいか、どうしても動きが鈍くなる」
「さきほどのクリストファー選手のように、隠れた位置から狙撃し続ければ良かったのでしょうが、おそらく、視界の届かない位置の操作は難しいのでしょうね」
「あぁ。それに加えて、そもそもあの銃自体を使いこなせていないように見えた。純粋に練習不足だったのではないかな」

 実際には、練習不足どころか、まともな練習は一度もやっていない。ニキータは特に悔しそうな素振りも見せずに淡々とその場を立ち去り、カルディナもまた「ぶっつけなら、こんなもんか」と言いたそうなサバサバした表情で、彼の後ろ姿を見送った。

 ******

「それでは、泣いても笑っても、これが最後の挑戦者です! 大トリの座を託されたのは、当代きっての爆弾少年! 花火を描くその日まで、壊す装置はあと何台? カイル・ロートレック 選手の入場です!」

 いよいよこれで見納めということで、観客席全体が盛り上がる中、ビートはその声にかき消されないよう、全力で叫ぶ。

「カイルさーーーーーん! 頑張ってくださーーーーーーい!」

 その声に気付いたカイルはビートに向けて手を振りつつ、背中に巨大な流線型状の何かを背負って現れる。それは、カイルによって提案された自作の「ミサイル」であった。
 本来、この大会はあくまでも「異世界からの投影装備」による射撃大会であるが、カイルはそこに「自分で設計したミサイル」での参戦を持ちかけたのである。だが、そんなルール無視の姿勢をカルディナは気に入った。彼女は「建前上、それは投影装備だということにしておけ」と伝えた上で、彼が自作のミサイルで参戦することを認めたのである。

「フェルガナ先生、あの彼が持ってるあの武器、なんか嫌な予感がしませんか? さっきの『ランス』とちょっと雰囲気が似ているような……」
「確かに、どう見てもあれは『発射装置』ではなく、『発射する物体』だ。あの一発で敵を全て消し飛ばすつもりなのか?」

 実際、先刻のジョセフの「ランス」は、もう少し威力を押さえることが出来れば失格にはならずに済んだし、タイミング次第では空飛ぶ円盤も含めて最短の一撃必殺で標的を殲滅出来る可能性もある以上、既に「パーフェクト達成者」がいる現状では、最後の最後で逆転を期待出来る逸材が残っていた、ということになる。おそらく、カルディナもそれを考慮した上で、彼を「最後の一人」に残したのだろう。

「で、どれくらいなんですか? アレの威力は」
「分からない。少なくとも私には見覚えがないし、そもそもどこか形が歪だ。一体、どこの世界からあんなものを……」

 真相を知らない二人が観客の不安を煽るような会話を続ける中、カイルはこのミサイルを完成させるまでの日々を思い起こしながら、着火のための火を起こし始める。

(命中精度、飛距離、威力、全ての要素を勘案した上での最適解が、この形状の「空飛ぶ爆弾」なんだ。俺の計算が間違っていなければ、これで着実に…‥)

 そう思いながら着火しようとした瞬間、間近で見ていたカルディナは、彼の足元で「混沌の揺らぎ」が発生していることに気付く。それはおそらく、誰が仕組んだ訳でもなく、偶発的に起きた、ほんの小さな微々たる規模の混沌災害である。しかし、「巨大な火薬」を発動させようとしている時に、それはあまりにも危険な種火であった。混沌の収束は何を引き起こすか分からない。しかも、まだ霊感を鍛えてきれていないカイルは、そのことに気付いていない。

「まて、カイル! 今は……」

 カルディナがそう叫んだ時、カイルは既にミサイルの発射台に点火していた。そして、勢いよくミサイルは空に向かって飛び出す。本来の計算では、それは弧を描くように敵陣の中央に着弾する筈であったが、カイルの計算を遥かに上回る勢いで飛び出したそのミサイルは想定以上に天高く飛び上がり、そして先刻のセレネと同様にフェルガナの作った障壁に激突し、大爆発を起こす。

(あの混沌、威力を増す方向に機能したのか。まぁ、カイルにしてみれば残念な結果に終わってしまったが、大事故に至らなかったのなら、不幸中の幸いだな)

 さすがにカルディナとしても、他の一門の子供に大怪我をさせるのはまずい、という意識はある。だが、ここで一安心してふと解説席に目を向けたカルディナは、フェルガナが空を見上げながら驚愕の表情を浮かべていることに気付く。

(ん? どうした? フェルガナ。何かあっ……)

 そう思いながらカルディナがフェルガナの視線の先を見ると、カイルのミサイルが直撃した障壁に小さな「穴」が空いていたことに気付く。

(今の一撃で、フェルガナの障壁を破壊した、というのか? 混沌によって威力が増幅されていたと言っても、あの程度の規模の混沌核など、所詮……)

 「障壁」はあくまで透明の存在なので、カルディナとフェルガナ以外の会場内の誰にも分からない。端から見れば、カイルは最初のセレネと同様、「目測を誤って自滅」しただけの結果である。しかし、自作の爆弾でそこまでの威力を生み出せていたことに、カルディナは強い興味を示していた。

(どうやら、ウチ以外にも面白いガキ達が集まってるみたいじゃないか!)

 カルディナは内心でそう呟きながら、悔しそうに嘆いているカイルの頭をポンポンと軽く撫でるのであった。

 ******

 こうして、射撃大会は(セレネ以外)一人の怪我人も出すことなく、無事に終わった。最優秀賞は順当にクリストファーに与えられ、商品として「カルディナ先生に無茶振りして良い券」が授与されたが、クリストファーは受け取ると同時に即座に「D3のこの世界での再現の研究」を要求し、カルディナは苦笑しながらも渋々同意する。
 そして、急遽設立された特別賞(一ヶ月分の食費に相当する程度の商品券)は、カイルに与えられた。理由は「面白かったから」という一言だけで、フェルガナも障壁の件についてはあえて説明しなかったので、カルディナとフェルガナ以外は誰も納得出来なかったが、あえて文句を付けようとする者もいなかった。

「すごいですね……」

 今大会を通じて繰り出されてきた多種多様な武器の数々に、観客席のロゥロアはただ率直にそんな感想を漏らしていた。異界の武器どころか、そもそもこの世界内の一般的な武器についても世間の常識以上の知識を持ち合わせていない彼女にとっては、ここまでの全ての出場者達に、素直に興奮していた。

「これが……、エーラム……。せ、世界は広い、です……。明日から、もっともっと、たくさん学びたいな、です。まだまだ、知らないことがたくさんあると分かった、ですから」

4、君主との恋愛

 セレネとエルマーの応援を終えた後、 アーロン・カーバイト は再び「多島海」でのバイトに向かおうとしていたが、そんな中、目の前の往来で女学生達が論争を繰り広げている様子を目の当たりにする。その中には、バイト仲間の リヴィエラ・ロータス の姿もあった。リヴィエラは、明らかに困ったような顔を浮かべている。

「先輩方、何かあったんですか?」

 アーロンがそう言って割って入ると、現役の魔法大学生の中ではトップクラスの実力者と名高いジェレミー・ハウル(下図)がこう言った。
+ ジェレミー
(出典:「グランクレスト戦記 戦乱の四重奏」(ソーシャルゲーム/サービス終了))

「この子達が、君主と魔法師の恋愛なんてありえない、とか言うのよ!」

 それに対して、他の女学生達は呆れたような顔で答える。

「当たり前でしょ、そんなの。君主からしてみれば女魔法師なんて、ただのつまみ食いの相手よ。性欲の対象にはなっても、恋愛の対象になんて、なれる筈ないわ」
「そうそう。ハルーシアでも、ヴァレフールでも、君主に手を出された女魔法師は、みんな悲惨な末路を辿ってるじゃない。君主なんて、そんなもんよ」

 どうやら、「君主との恋愛はアリかナシか」ということを巡って、揉めているらしい。そして、リヴィエラもその論争に巻き込まれていたのだが、彼女はここまでの話を聞いた上で、先輩達の「圧」にやや怯えた様子ながらも、自分の考えを伝える。

「恋愛って、素敵なことなのでしょう? そこに君主が魔法師が、というのは関係ないと思います」

 彼女がそう答えたところで、ジェレミーは嬉しそうな顔を浮かべながら、今度はアーロンに問いかける。

「あなたはどう思うの? 男魔法師として、女君主との恋愛って、アリだと思う?」

 ジェレミーにそう問われたアーロンは、あっさりと即答する。

「それはもちろん、アリでしょう。男君主でも女君主でも、男魔法師でも女魔法師でも、ダメな理由はないと思います」
「そうよね? 愛があるなら、立場なんて関係ないわよね?」

 ジェレミーは嬉しそうにそう言うが、他の女学生達は全く納得していない。

「あんた達、何も分かってないわね。何のために貴族同士が結婚すると思ってるの? それは、家と家の関係を強化することで、人々の争いを無くすためでしょ。貴族が貴族同士でしか結婚しちゃいけないっていう慣習は、それが世の中の安定のために一番合理的だからよ。平民や魔法師と結婚することで、その『和平協定』の選択肢を一つ潰すなんて、ナンセンスだわ。それを認めたら、色仕掛けで君主を籠絡しまくる平民女同士の醜い争いが延々続くことになる」
「仮に、魔法師の方が妾や愛人でも我慢出来る、と言って開き直ったところで、奥さんがそれで納得しなければ、結局、それは後々の不和に繋がるだけだわ。だから、君主なんていう『別の世界の生き物』と恋愛しようとすること自体、悲劇の始まりなのよ」

 そういった話をされると、まだ世情に疎いアーロンには明確な反論がすぐには出てこないが、それでも黙って受け入れる訳にはいかない。

「確かに、そういう問題は色々あるのかもしれないけど、でも、本当に好きなら、男性側にはそういうのを全部ひっくるめて責任を取ってほしい。そういう人ならみんな納得するし、かっこいい!」
「残念ながらね、そんなかっこいい男なんて、騎士物語の中にしかいないのよ。あんただって、そのうち『男』になれば分かるわ」
「今のボクは、男じゃないっていうんですか!」
「まずそもそも、『男』って言葉の意味も分かってないようじゃ、ねぇ」

 女学生達は下卑た笑いを浮かべる。そんな中、唐突に マシュー・アルティナス が割って入ってきた。どうやら彼は、少し離れたところで今までの彼女達の話を聞いていたらしい。

「先輩達の意見はどちらも聞かせてもらいましたが、それは個人間の問題であって、他人が口を出すような話ではないのでは? 自分がそうしたいならすればよいし、主従関係を超えるべきでないと考えるならそうすればよいかと」

 一見すると中立的な意見のようにも聞こえるが、否定派の女学生はしてみれば、「あまりにも偏りすぎた極論」だった。

「だから、そういう考えがそもそも間違いなのよ。魔法師も、君主も、『個人の感情』で動いていい存在じゃないの。私達はこの世界を動かす上で特別な立場にいる『公人』なのよ。公人が個人の感情で勝手に恋愛して、こじれて、それで国が乱れたことがどれだけあったか、もっとちゃんと歴史を勉強してから言いなさい!」
「魔法師も君主も、普通の人にはない『特別な力』を与えられている。だから、普通の人みたいな感覚で行動しちゃいけないのよ。それは魔法師としての最低限の倫理だわ。それを『個人間の問題』なんて言葉でごまかして正当化するなんて、魔法師として最低よ」
「そもそも、魔法師は理性に基づいて君主を律するのが仕事でしょ。その魔法師が、君主とねんごろになっちゃったら、誰が君主の暴政を止めるのよ。理性よりも感情を優先するようになったら、それはもう完全に魔法師失格じゃない」

 畳み掛けるように言葉を浴びせかける上級生達の話を聞きながら、マシューはようやく状況を理解する。

「なるほど、つまり、この論争の根幹にあるのは、『魔法師と君主の関係』というよりも、『魔法師と君主と国家の関係』に関する認識の相違、ということなんですね」

 すなわち、君主や魔法師といった「特殊な力を持つ者」は、国家(より正確に言えば、諸国家の集合体としての「世界」)を運営する上での一つの「機関」であって、「普通の人間が享受出来る幸せ」を求めてはならない、という考えが、否定派の根底にある。それは確かに魔法師協会の理念そのものであるが、現実問題としてどれだけの魔法師がその理念に従っているかは分からないし、少なくともジェレミーは、その掟の必要性そのものを疑問視する立場であった。
 ここで議論を深めるためには「個人の感情よりも、国家や世界は大切なのか?」という根本的命題を投げかけるのが早いのだが、おそらく、それは両者の溝を深めるだけだろう。この状況でかけるべき言葉は何かとマシューが考えていたところで、リヴィエラが先に口を開く。

「もし、魔法師が君主と恋愛するのがいけないのなら、私は君主に恋をしたときに、魔法師を辞めます」

 それは、否定派の根本的理念に立脚した上での恋愛擁護論であった。それを言われてしまうと、否定派としても「個人としてのリヴィエラの主張」を否定する根拠は何もない。少なくともそれは、彼女達にとっての「公人としての魔法師の義務」を理解した上での発言であった。

「まぁ、あんたにとっての『魔法師』ってのがその程度の価値でしかないのなら、それは確かにあんた個人の勝手だけどね」
「魔法師の価値が軽いんじゃなくて、それ以上に大切な人が現れたら、という話です」
「その『大切な人』が、『魔法師じゃなくなったあんた』のことを、同じくらい大切に思ってくれるという確信があるなら、そうすればいいわ。私は馬鹿馬鹿しくて、ごめんだけど」

 そう言って、否定派の女学生達はその場を去って行った。実際のところ、この時点でジェレミーとリヴィエラの間にも大きな価値観の相違はあるのだが(リヴィエラは「魔法師をやめる必要なんてない」と考えていたが)、リヴィエラがあくまでも「自分個人だけの価値観」として語っている以上、わざわざこれ以上話を続ける必要もない。まだどこか不完全燃焼な様子ではあったが、ひとまず「論敵」が去ったことで熱が冷めたジェレミーは、後輩三人に対して、バツが悪そうな顔で語りかける。

「ごめんなさいね、急に変な話を持ちかけちゃって。あなた達にはまだ早すぎた話だと思う。でも、これはいつか必ず、貴方達にも降りかかる問題。魔法師としての道を進む時、何をどこまで守るべきなのか、何をどこまで諦めるべきなのか、それは一生涯かけて考え続けなければなららない問題だから」

 ジェレミーがそう語り終えたところで、マシューが問いかけた。

「先輩があの人達を相手にどうしても退けなかったのは、何か理由があるんですか?」
「え? あぁ、うん、そうね……。私の尊敬する人がね、今、契約相手の君主と恋仲になってるって、噂になってるのよ。その先輩のことを『魔法師失格』とか言い出すから、許せなくてね」 
「きっと、素敵な先輩なのでしょうね。よかったら、その先輩のお話を聞かせていただけませんか?」
「それは、私が語るまでもないわ。いつか先輩と、その契約相手の君主は、この世界に名を轟かすことになる。私が語るまでもなく、誰からも敬愛される存在になるから」

 ジェレミーは自信を込めた瞳でそう語った上で、リヴィエラに語りかける。

「ところで、あなたはさっき、あそこまで言い切ったっけど、誰か気になってる君主の人とか、いるの?」
「い、いえ、いません! それに、もしいるなら、私はやっぱり、魔法師をやめるべきかと……」
「あー、うん、まぁ、それがあなたの筋の通し方だっていうなら、私も何も言わないわ。で、あなたは? 誰か好きな人とか、いる?」

 ジェレミーがそう言ってアーロンに視線を向けると、彼は彼は食い気味に答えた。

「にーちゃん!!!」

 それは、アーロンが魔法師を目指す原因となった人物である。純真な瞳でそう答える彼を見て「やっぱり、こんな子にこの話をするのは早すぎたわね」とジェレミーは改めて反省する。

「ところで、ジェレミーさん、『かっこいい人間』って、どういう人だと思います?」

 不意にそう言われたジェレミーの脳裏には当然のごとく「あこがれの先輩」が思い浮かんだが、彼女の「かっこいいところ」など、とてもではないが数え切れない。

「そうねぇ……」

 しばらく考えた上で、彼女はもう一度リヴィエラに視線を移した。

「私は、さっきのあなたが、少し、かっこいいって思ったかな」
「え? 私、ですか?」
「一番大切なもののために、二番目に大切なものを捨てる覚悟って、私には出来ないから。それが出来ると公言出来るのは、確かにかっこいいと思う」

 実際、かつて「ジェレミーの尊敬する先輩」の契約相手となった君主は、彼女を自分の手元に残すために、一国の国主の地位を投げ捨てたことで知られている。同じようなことを「出来る」とはっきり断言出来るリヴィエラのことを、ジェレミーは素直に尊敬の眼差しで見つめていた。

5、新たなる宴

 射撃大会から戻ったセレネは、カルディナからは特に叱責されることもなく(軽く嘲笑はされたが、それはいつものことである)、既に気持ちを切り替えていた。

(タコパ、やりたいなぁ。でも、多島海行けなくなっちゃったしなぁ……、そういえば、ノギロ先生がお店の監査してるって聞いたな……)

 そのことに気付いた彼女は、翌日、生命魔法師のノギロ・クアドラントの元へ赴く。
+ ノギロ

「ノギロせんせー!ちょっと教えて欲しいんだぞ!」
「おや、セレネさん。どうしました?」

 セレネは何度もトラブルを起こして怪我をする度に生命魔法学部の世話になっているため、ノギロともすっかり顔なじみであった。

「この本の『タコパ』っていうのしたいんだけどな、材料がよくわからなくて……」
「ほう……?」

 そう言われてノギロはその異界魔書に目を通す。

「あぁ、なるほど。『タコ焼きパーティー』のことですか。タコ焼きなら、昔、ヨハン君が作ってくれたことがありましたね……」

 ヨハンとは、現在、ローズモンド伯爵領で契約魔法師を務めている錬成魔法師であり、戦災孤児だったユタを拾ってノギロに紹介した人物でもある。彼は、かつて東洋の料理人と共に旅をしていたこともあり、大陸東部および極東の島の料理に関してもある程度通じていた。
 ノギロはその時に彼から教えてもらった調理法を書いたメモを見つけ出し、セレネに手渡す。

「お!これ、レシピ? そうか、タコヤキっていうのか!そうなのか!」

 セレネはそのレシピに書かれている材料の意味もよく分かっていないが、なんとなく、作れそうな気がしてきた。

「よし、じゃあ、やるぞ! 場所はクグリちゃんに頼んで、喫茶『マッターホルン』を貸してもらうつもりだぞ!」
「そういうことなら、私もお手伝いしましょう」

 ノギロとしては、このまま放置しておくと、また大変なことが起きるかもしれない、ということを本能的に察知したらしい。

「え? 先生も来てくれるのか!? 嬉しいな!みんなと楽しくタコパしたいぞ!どうしてかわからないけど、セレネやカルディナちゃんだけだと、みんな参加してくれなさそうで困ってたんだー。ノギロせんせーのお墨付きがあればみんな安心だな!」

 安心かどうかは分からないが、少なくとも、セレネとカルディナだけで何かをやらせたら、絶対にろくでもないことになる、ということはノギロも分かっていた。

「で、材料はここに書いてあるのだけでいいのか?」
「ヨハン君が言うには、中に入れる『具』は、必ずしもタコでなくてもいい、という話でした。まぁ、その場合、既に『タコ焼き』ではない気もしますが」
「そうなのか! たとえば?」
「前に聞いた話だと、小型品種の特殊なトマトとか、チーズとか、ライスケーキとか、人によっては、ハバネロやアメを入れる人もいると聞きました」
「なるほど。なんかゲームみたいだ! 面白そうだぞ! 中身食べるだけじゃなくて、出し物とかも募集するかな……!」

 こうして、新たな宴の準備が(会場主の許可も得る前から)勝手に進められていくのであった。

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最終更新:2020年05月05日 00:18