『見習い魔法師の学園日誌』第4週目結果報告


1、廃屋に潜む影
 魔法都市エーラムは、魔法師の教育・研究機関であると同時に、この世界における唯一の「政治的中立地帯」でもある。エーラムの魔法師達は世界中の様々な陣営の君主達の元へと派遣されるため、魔法師協会は特定の君主のみに肩入れしない。その結果、魔法師協会が治めるエーラムの地には、世界各地の君主達が別邸を構え、そこには契約魔法師の一人が実質的な外交官として駐在していることも多いため、それらが一種の大使館のような役目を果たしている。
 なお、これらの邸宅は聖印のカウントとは直接的には関係なく、各君主が私費で購入した土地と建物であるため、仮に君主が聖印を失ったとしても、固定資産税を支払い続ける限りはそのまま所有され続けることになるのだが、聖印を失った君主は領地の支配権も認められなくなる以上、大抵は経済的に困窮して競売などにかけられることになる事例が多い。
 そんな中、現在のエーラムにおいて奇妙な取り扱いとなっているのが、数年前までブレトランド中部を支配していたトランガーヌ子爵家ことペンブローク家の別邸である。旧トランガーヌ子爵領は約4年前にアントリア子爵ダン・ディオードによって滅ぼされたが、大陸へと亡命した前トランガーヌ子爵ヘンリー・ペンブロークは、魔法師協会と敵対する(魔法師の存在そのものを忌み嫌う)聖印教会の支援を受けて所領の一部を奪還し、「トランガーヌ枢機卿」を名乗った上で、エーラムと断絶した新国家「神聖トランガーヌ」を建国するに至った。
 この一連の過程において、ヘンリーは一度もエーラムには帰還せず、別邸の管理を任されていた契約魔法師もヘンリーがダン・ディオードに聖印を奪われた時点で自動的に契約解消されているため、約4年間、実質的に空き家のまま放置されている。だが、その間も何者かが固定資産税は支払い続けていたようで、所有者は「ヘンリー・ペンブローク」として登録されたままだった。その後、ヘンリーが病死したことで「君主家」としてのペンブローク家は断絶し、現在は分家筋のネロ・カーディガンが二代目枢機卿を名乗っているが、彼がペンブローク家の私産をどこまで相続したのかは不明であり、少なくともエーラムの別邸の所有権に関しては彼は一切言及していない(おそらく、彼の中では既にヘンリーの生前の時点で放棄されていたものとして認識されているのであろう)。
 現状、この邸宅は魔法師協会の管轄下に置かれており、高等教員のフェルガナ・エステリアがその暫定管理人となっているが、彼女はこの邸宅には一切手を触れずに放置したまま、誰の立ち入りも禁止している。そんなこの邸宅にて、最近、「夜中に奇妙な物音が聞こえる」という噂が学生達の間で広まっていた。
 そんなある日、赤の教養学部の風紀委員会の会合でもこの噂が話題に上がっていた。この件に関して、最近風紀委員に加わった(年長組ながらも)新人の イワン・アーバスノット が私見を述べる。

「噂が広まるということは、そこに何かしらの根拠があると考えるべきでしょう。仮に、それが学園関係者に危険が及びそうなものなら、何か手を打っておく必要があるかもしれません。とりあえず、フェルガナ先生に話を聞いてみようと思います」

 それに対して、風紀委員長は同意しつつ、同席していた シャーロット・メレテス にも声をかける。

「シャーロット君、キミには、現場の警備をお願いしてもいいかな?」
「はい。夜中に忍び込む人が出るといけないから、見回りの強化ですね。了解しました。」
「よろしく頼むよ。幽霊かもしれないって噂だし」
「……ぴえっ! 幽霊……ですか?」

 この世界においては「幽霊」という存在はあまり一般的ではない。「異界の幽霊の投影体」は稀に出現することはあるが、「この世界の人間の魂」が死後どうなるかについては、まだ明確に解明した者はいない。その意味では「幽霊かも知れない何か」というのは、ある意味で投影体以上に不気味な存在である。

「では、現場はキミに任せたから」
「ちょっと待ってください先輩ー! 私ひとりで見回るんですか!?」
「いやー、僕らも忙しいからさ。ごめん、よろしく!」

 気付いた時には既にイワンもフェルガナの元へ向かってしまっており、この件について相談する暇もなかった。不安な気持ちを抱えつつ、シャーロットは夜の見回りに向けての準備を始めることになる。

 ******

 当然、風紀委員以外にもこの問題に興味を示す者はいる。この噂を耳にした ティト・ロータス は、まずは原因を探ろうと考え、同門の ミランダ・ロータス と共に、元来の邸宅の持ち主であるペンブローク家について調べようと考えた。
 ミランダはティトより1歳年下で、赤髪の一部(二箇所)をオレンジのリボンで留めた髪型の女子学生である。彼女は小さな村の工房出身で、実家の家庭環境の問題から、あまり対人関係の構築に慣れておらず、休み時間も一人で勉強しているか本を読んでいることが多いのだが、もともと読書家のティトにとっては、むしろそこに親近感を感じていたのかもしれない。だからこそ、ティトはこの機にミランダと仲良くなりたいと思い、今回の調査への協力を願い出たのである。

「……ということで、お手伝いして頂けませんか?」
「興味ない」
「そんな……」
「他の人誘えば?」
「私は……、ミランダさんと、一緒に、調べたいんです……」

 ティトの中には、自分がミランダと仲良くなりたいという想いに加えて、出来ればこの機会を、あまり人と関わろうとしないミランダが友達を増やす契機にしたい、という思惑もあった。

「……分かったわよ、仕方ないわね」

 そんなティトの想いを知ってか知らずか、渋々ミランダも協力することになり、ひとまず彼女と一緒に、邸宅の近くに住んでいる人々の噂話を聞いて回ることにした。

「確かに最近、時々夜中に物音はしてる。でも、人の声とかは聞こえないし、灯りもついてない。ただ、中で何かがカタカタいってる音だけが聞こえてきてる。こんなことは今まで無かった」
「あの屋敷、4年前から誰も近付いた形跡はなかったんだよ。ただ、庭の芝生とかは微妙に手入れされてるから、知らない間に誰かがこっそり手は加えてるみたいだったけど」
「屋敷の管理を任されてた契約魔法師の人は既に別の地方の君主と契約してるし、今はもう特に関わりもないと思う。もともとサバサバした人だったから、契約相手が聖印奪われて契約解除された時も、そんなにショックを受けてる様子でもなかったし」

 ティトがそんな情報を聞き集める中、横でミランダは興味無さそうな態度で随行する。調査を続ける中で段々と楽しくなってきたティトは、屋敷の本来の持ち主であったペンブローク家の詳細について調べるために図書館へと赴こうと考え、ミランダもそのまま流れで彼女に同行することになった。
 ペンブローク家の旧所領であるトランガーヌ地方はブレトランド小大陸の中西部に位置しているため、まずはブレトランドの近代史に関する本が集められた書庫へと二人が向かうと、ティトよりも先にミランダが一冊の本を見つけた。

「あなたの探してたやつ、これじゃない?」

 それはペンブローク家の成立期から現代に至るまでの経緯をまとめた通史であり、歴代契約魔法師の名前なども掲載されている。ペンブローク家とエーラムの関係を確認するという意味でも、確かに役に立ちそうな資料である。もともとミランダは図書館での調べ物には長けているため、こういった作業は得意分野であった。

「そう、これ……。ありがとう…………。あ、それに、これも……」

 ティトがそう言って、また別のタイトルの気になる本に手を伸ばそうとした時、別の生徒の指先が彼女の手に触れた。

「あ、ごめん。キミもこの本に興味があった?」

 その指先の主は、 エルマー・カーバイト であった。

「あなたは確か……、大砲の人……?」
「あぁ、うん。この間の射撃大会を見ててくれてたんだね。僕はエルマー・カーバイト。その本に興味があるということは、もしかして、君も例の廃屋について調べてる?」
「はい……。あ、私は、ティト・ロータスです。よろしくお願いします。こちらは、同門の……」
「……ミランダよ。よろしく」

 ぶっきらぼうにミランダはそう答える。全くの偶然であったが、結果的に「ミランダの交友関係を広げる」という目的をまず一歩進めることが出来たことで、ティトは内心喜んでいた。

「そうか。そういうことなら、一緒に協力しないか? 僕もちょっと気になっていてね。あの建物が放棄されるまでの経緯とか、廃棄される前の使われ方とか、ちょっと調べてたんだ」

 まさに好奇心に溢れた少年そのものの瞳で、エルマーはそう語る。彼は放浪時代から「廃墟の探索」を趣味の一つとしていた。それは彼の中で「廃墟」という存在に対して、かつての自分のように「もう必要とされなくなったもの」という意味で、「自分を理解してくれる友人」のような親しさを感じていたからでもある。そんな彼が、今回の一件に強い興味を抱くことになるのも、当然と言えば当然の話であろう。
 三人はひとまずテーブルへと移動し、小声でここまでそれぞれが得た情報を確認しつつ、見つけた本の内容を一通り確認する。エルマーが聞いた話によると、ヘンリーには子供が二人いるが、姉のエレナは現在行方不明で、弟のジュリアンは君主ではなく(聖印教会の過激派から忌み嫌われた存在である)「邪紋使い」として覚醒してしまったため、ヘンリーの後継者にはなれず、現在は神聖トランガーヌと敵対するグリース子爵領という新興国家に匿われている(また、更にもう一人「隠し子」がいるという噂もあったが、それについては詳細は分からなかった)。
 その上で、ペンブローク家の親戚筋や敵対勢力との関係についても色々と調べてみたが、調べれば調べるほど可能性が無限に広がりすぎて、書物から原因を特定するのは困難、という結論に至る。ただ、ペンブローク家の分家であるカーディガン家(現枢機卿ネロの生家)は昔から混沌災害に見舞われやすい「呪われた家系」と言われており、ヘンリーの妻のジェーンもそのカーディガン家出身という情報もあるため、今回の一件に関しても、何らかの混沌が関与している事件の可能性は十分にありえそうに思えた。

「こうなると……、現地に行って調べた方が早いかもしれませんね……」

 ティトがボソッとそう呟くと、すぐさまミランダがやや声を荒げて反応する。

「何言ってるの? あの屋敷は今、立ち入り禁止なのよ。バカじゃないの?」

 すると、その声に反応して、唐突に横から大声で語りかけてくる少年が現れる。

「そうか! 君たちも、かの事件を解決するために立ち上がろうというのだな! ならば良かろう。この僕! エイミールが手を貸そうではないか!」

 彼の名は エイミール・アイアス 。13歳の男子学生である。没落した名家の出身ということもあってか、やや尊大な口調で語りかけてきた彼に対して、三人はポカンとした顔を浮かべる。

「エイミール、さん……、ですか……?」
「いかにも! この僕! エイミール・アイアスは今、かの舘に忍び込んだ盗っ人を共に成敗するための志士を募っているところだ! 既に我が同胞(はらから)となったジョセフは現在、舘の管理人に潜入調査の許可を取りに向かっている!」
「あぁ……、ジョセフさんの、お知り合い、でしたか……」

 ティトは以前に『椿説弓張月』の捜索の時に同行したジョセフのことを思い出す。一方、その隣にいたミランダは、眉間にシワを寄せながら、図書館のカウンターを指差す。

「ちょっと、騒ぎすぎでしょ。睨まれてるわよ」

 実際、事務職員からは厳しい視線がエイミール達に向けられている。実はこの数分前にも彼は別の者達との間で一騒動起こしていたため(詳細はdiscordみながくサーバーのロールプレイチャンネル「図書館」の5月15日のログを参照)、既に二枚目のイエローカードが出される寸前の状態となっていた。その雰囲気を察したエルマーが、ひとまず全員に提案する。

「とりあえず、一旦、外に出ようか」

 ******

 こうして、ひとまず図書館の外に出たところで、エルマーが状況を確認する。

「つまり、エイミールさんは、今回の件は盗っ人の仕業と考えている、と?」
「あぁ。断絶したとはいえ、歴史ある家に入る盗人がいるならば、高貴なる血統の末裔として、許せない!」
「まだ……、そうだと決まった訳では……、ないかと……」
「でもまぁ、確かに貴族の舘なら色々と高級品もあるだろうし、盗っ人が目をつけてもおかしくはないわよね。まぁ、別にどうでもいいけど」

 四人が往来でそんな会話を交わしている中、唐突にそこに「五人目の参戦者」が現れる。 ニキータ・ハルカス である。

「例の屋形の調査か。面白そうだな。ならば一緒に行こう」
「あなたは……、えーっと……、なんだかよく分からない銃を使っていた人……」
「こんにちは、ニキータです」

 そんな唐突な乱入者に対して、エイミールは快く受け入れる姿勢を見せる。

「おぉ、高貴なる魂の同胞がここにもいたか! 良かろう! ならば君も来るがいい。この僕! エイミールと共に、この地に潜む下賤なる輩を討ち果たそうではないか!」
「あぁ。そして、忍び込むなら夜がいい」
「当然だ! 盗っ人が忍び込むとすれば夜と相場が決まっている。現に……」
「いや、そっちの方が雰囲気が出るし」
「雰囲気? なるほど、そうか。君の中では既に事件を解決するためのロードマップが完成していて、それを英雄叙事詩へと昇華させるための演出プランを考える段階に入っているのだな。これは頼もしい、それでこそ、この僕! エイミールと肩を並べて突入する同志にふさわしい!」

 噛み合っているのか噛み合っていないのかさっぱり分からない二人の会話に対して、ミランダが呆れた顔を浮かべる一方で、エルマーは真剣な表情で問いかける。

「僕は昔、何度か廃墟を探検したことがある。人の手が入っていない建物というのは、何があるのか分からない。ましてや今回は立入禁止と呼ばれている建物だ。それでも行って大丈夫?」
「危険な任務なればこそ、自ら率先してその解決のために務めることは、紳士なる者の使命! そしてその使命を乗り越えることこそ、高貴なる者であるこの僕! エイミールの宿命! ここで引くことなど、あって良いだろうか? いいや、良くない! そうだろう? ニキータ君?」
「あぁ、うん。面白そうだし。特も何も見つからなかったとしても、お化け屋敷に来たものだと思えばいいだけのことだから」

 明らかに噛み合っていない二人の反応であったが、いずれにしても屋敷に突入するという方針が確認出来たエルマーは、一転してワクワクしたような少年の瞳で答える。

「じゃあ……、探検に行こう……!」

 彼も本音としては、事件解決以前の問題として、この機会に久しぶりに「いらなくなったもの」である廃墟の空気感に耽りたいと考えていた。だからこそ、それぞれ全く異なる動機とはいえ、共に足を踏み入れてくれる仲間が増えたことを心から喜んでいた。
 そんな彼等の横で、ティトもまたすっかり楽しくなってきた表情を浮かべながら、ミランダに語りかける。

「ミランダさん、私達も……」

 期待に満ちた瞳でそう言われたミランダは、大きくため息をつく。

「……分かったわよ! あなた一人だけをあいつらと一緒に行かせる訳にはいかないし……」

 すっかり冒険心の虜になっている少年達を呆れ半分に眺めながらミランダがそう呟く。実際のところ、ミランダ自身もここまでの情報収集に関わったことで、事件の真相に辿り着けないまま手を引きたくない、という気持ちもあった。

「ありがとう……、一緒に、頑張りましょうね……」

 心底嬉しそうな顔でティトにそう言われたミランダは、どう反応すれば良いか分からない心境のまま、もう一度深くため息をついた。

 ******

 その頃、異世界渡航を目指す少年 クリストファー・ストレイン は、召喚魔法師であるフェルガナ(下図)の研究室を訪問していた。彼はもともと召喚魔法には強い関心がある以上、魔法師見習いとしてフェルガナに聞きたいことは常に山のようにあるのだが、この日の彼の訪問理由は、「本業」とは別件であった。彼の中でもまた「例の噂」への好奇心が湧き上がっていたのである。
+ フェルガナ

「フェルガナ先生が管理している旧ペンブローク邸ってあるじゃないですか。その建物で、『ある噂』が最近生徒間で広まってるんですけど、知ってますか?」
「噂?」
「夜中に音がするって噂なんですけど、原因に心当たりとかってあったりしますか?」

 そう言われたフェルガナは、一瞬渋い顔をする。

「夜中に物音、か……、色々な可能性が考えられるが……」
「なんなら、自分らに調査させてもらえませんか。このまま噂が広がれば、好奇心に負けて、勝手に何か変なことをしでかす奴も現れるかもしれませんし」

 クリストファーがそう提案したところで、研究室の扉の外から、別の少年の声が聞こえてきた。

「風紀委員のイワン・アーバスノットです。旧ペンブローク邸の件について、お話を伺いたいと思い、参上致しました」

 その声を聞いたフェルガナは、思わずクリストファーと顔を見合わせる。

「……知り合いか?」
「いえ。でも、同じ目的のようですね」
「そういうことなら、一緒に話をした方が早そうだな」

 フェルガナはそう告げた上で、扉を開ける。すると、廊下の奥から、また別の二人の男子学生が近付いてくる様子が見えた。 ジョセフ・オーディアール エル・カサブランカ である。

「赤の教養学部所属、ジョセフ・オーディアールです。フェルガナ師、旧ペンブローク邸に関して、確認させて頂きたい事案があり、罷り越した次第です。よろしければ、少しお時間を頂けないでしょうか?」
「ほう、お前もか。ということは、そこのお前も、例の噂話に興味があるか?」

 エルに対してフェルガナがそう問いかけると、エルは少し戸惑った様子で答える。

「え? あぁ、まぁ、はい。興味があると言えばありますが……」

 実はエルはその件とは全く無関係な先輩からの事務的な要件を伝えるために来たのだが、旧ペンブローク邸の噂話に関しては、確かにエルも気になってはいた。

「よし、分かった。じゃあ、全員入れ。まとめて話をすることにしよう」

 彼女がそう言うと、(よく分からないまま巻き込まれる形になったエルを含めた)四人を相手に、改めて説明を始める。

「確かに私は現在、旧ペンブローク邸の管理権を委ねられている。その理由については詳細は言えないが、旧主の一族と私の間には『ちょっとした縁』があったので、私の方から志願して管理人としての役割を担当することになった。だが、私自身はもうあの邸宅には何年も足を踏み入れていない」

 その説明に対して、イワンが問いかける。

「ということは、今の旧邸の内側については把握されていない、ということですか?」
「そうだな。そして、それは『旧主の代理人』との約束でもある。周囲に迷惑をかけるようなことがない限り、あの建物には近付かないでほしい、と」

 彼女が言うところの「旧主の代理人」が何者なのかについては、(彼女があえて遠回しな言い方をしていることから)聞いても教えてはもらえないだろうと考えたジョセフは、ひとまずその点は置いておいた上で、率直に本題に切り込むことにした。

「つまり、フェルガナ師としては、今の段階では旧邸の内部に立ち入ることは出来ない、と?」
「そうだな。少なくともまだ、周囲に迷惑をかける状態になっているとは言い難い。夜中の物音というのがどれ程のものかは分からないが、本格的な苦情にまでは至っていないのだろう?」

 その点の詳細に関しては、この場にいる四人は誰も知らない。ただ、あくまでも「学生の噂」として広がっている程度の話なので、夜中の騒音公害というレベルではないのだろう。
 ここまでの話を聞いた上で、ふとエルが素朴な疑問を投げかける。

「フェルガナ先生には、その『物音』の原因に心当たりがあるのですか?」
「無いことも無いが、確証のある話でもない以上、はっきりとは言えない。ただ、これが私の想定の範囲内の状況であれば、特段警戒するような事態ではない筈だ。少なくとも、今は」

 微妙な言い回しであるが、いずれにせよ、フェルガナ自身は今は動くつもりはないらしい。その方針を確認した上で、改めてジョセフが問いかける。

「では、我々が屋敷の中に入って張り込む形でこの噂の真相を解明したい、と申し出た場合、許可を頂けますか?」

 この時点で、ジョセフが想定する「我々」の中に含まれていたのは、ジョセフ自身と前述のエイミール・アイアスの二人だけである。エイミールは当初、一人で強引に屋敷に潜入しようとしていたのだが、諸々の経緯の末にジョセフと共に事件の解決に当たることになったのである(詳細はdiscordみながくサーバーのロールプレイチャンネル「図書館」の5月15日のログを参照)。なお、この時点で、既にエイミールが更なる協力者を得ていることを、ジョセフはまだ知らない。
 一方で、フェルガナはジョセフが言うところの「我々」を、「この場にいる四人」を指す言葉だと解釈していた。実際、ジョセフのこの発言に対するイワンとクリストファーの反応を見る限り、明らかに二人共行く気満々になっていることはすぐに分かる(一方、エルは「彼の中で自分もカウントされているのか否か」の判断がつかず、やや困惑した様子であった)。

「『旧主の代理人』との約束がある以上、正式な許可は出せない。だが、止めるつもりもない。少なくとも法的には、あの土地も建物も、今は誰のものでもない。そこに勝手に侵入する者がいたとしても、それを咎める権利があるのは私だけだ。そして、その侵入した者が周辺住民に迷惑をかけない限り、咎めるつもりはない」

 つまりは、事実上の黙認宣言である。とはいえ、現実問題として鍵がなければ建物の内側にまで入るのは難しい。そのことを踏まえた上で、フェルガナは、四人にこう告げた。

「ところで、あの旧邸の主は、なぜかは知らないが、『11月4日』という日付に思い入れがあったらしい。それが彼にとって何の記念日だったのかは分からないが、そのことを知る者は彼の周囲にも殆どいなかった。もしかしたら、愛人の誕生日か何かだったのかもしれないな」

 なお、フェルガナはヘンリー・ペンブロークに愛人がいたことなど知らないし、そもそも11月4日という日付に彼が思い入れがあったかどうかも知らない。ただ、何の脈絡もない状態で彼女が「旧主本人以外が殆ど知らない『謎の日付』」の話を持ち出したことで、この場にいる者達には、それが屋敷に侵入する上での何らかのヒントであることは伝わった。そして、フェルガナが内心では「自分の代わりに潜入すること」を奨励しているであろうことも薄々察する。

「まぁ、そんな訳だから、旧邸の庭で張り込む分には好きにすればいいし、『勘のいい子供』が『たまたま偶然』屋敷の中に入ることが出来たとしても、それは私の与り知るところではない。誰かに迷惑をかけない限りはな」

 フェルガナはそう告げつつ、ひとまず彼等との対談を打ち切る。四人はそのままなし崩し的に「今夜、協力して屋形の内情を探る」という方針で合意した上で、ジョセフは彼等と共にエイミールと合流すべく、図書館へと向かうことにした。
 そして子供達が出ていった研究室で、フェルガナは一人思案を巡らせる。

(私の予測が正しければ、彼等が屋敷に潜入してくれれば、おそらくはこの事態の解決に繋がることになるだろう。だが、万が一、その予想が外れていた場合は……)

 彼女はそう呟きつつ、ひとまず「黒装束に身を包んだ人型の投影体」を召喚した上で、旧邸の周囲を監視させることにした。

 ******

 そして迎えたこの日の夜、ジョセフやエイミール達は改めて合流した上で旧ペンブローク邸へと向かうことになったのだが、そんな彼等よりも一步先んじて、この地へと向かおうとする学生達の一団があった。

「よーし! じゃあ行くぞ! アーロンちゃん! ディーノちゃん!(ふんす)」

 腕組みしながらそう言って旧邸の前に立っていたのは、 セレネ・カーバイト である。彼女もまた今回の噂を聞いて、好奇心からその真相解明へと独自に動こうとしたのである。なお、彼女は何の事前調査もしていなければ、教員からの許可も得ていない。
 そんな彼女の両脇には、自前で用意したランタンを手にした アーロン・カーバイト と、愛用の木刀を構えた ディーノ・カーバイト の姿がある。二人共、いつもの如くセレネに付き合わされる形で彼女に同行することになったのだが、何だかんだでどちらも乗り気にはなっていた。

「じゃあ、ランタンを持ってるボクが先頭に立つから、二人はボクの後を……」
「いや、この先に危険があるかもしれない。何か合った時には俺が守るから、二人は俺の後ろに……」
「いやいや、ここはやはりセレネがまず最初の一歩を……」

 屋敷の入口の前で三人がそんなやりとりを繰り広げている一方で、そこから少し離れた場所で、風紀委員のシャーロットは先輩から頼まれた見回りの任についていた。

「……物音、……物音、しないですよね……」

 この日は月も出ていない。暗闇の中、怯えながらそう呟きつつ屋形に近付こうとしていたところで、前方から微かな光が揺れている様子が目に入る。

(ふぇぇ……、何ですか、あの光……、なんだか不気味に揺れて、あぁ、それに話し声も聞こえるような……、幽霊じゃないですよね……?)

 彼女はもともと目があまりよくないこともあり、その「光」がランタンによるものであることにも気付けなかった。ビクビクした心境のまま、彼女は意を決して声をかける。

「そ……、そこの幽霊!」
「わひゃうっ!」

 そう反応したのはセレネである。意気揚々と乗り込もうとしていたところに唐突に横から話しかけられたことで、シャーロット以上に怯えた声で叫んでしまった彼女は、思わず隣にいたディーノにしがみつく。それに対し、アーロンが冷静に声の方向にランタンを向けると、シャーロットの姿が三人の視界にはっきりと映った。そしてセレネにしがみつかれた状態のディーノが声をかける。

「あ……、君は確か風紀委員の……」
「あなたは、ディーノさんじゃないですか。どうしてここに?」

 ディーノとシャーロットは、先日のユタを巡る暴行事件の時に共闘した仲である。とりあえず、互いに相手が人間(しかも知人)であることに安堵したところに、後方から別の一団が現れる。

「あれ? セレネ?」
「そこにいるのは、セレネ君ではないか!」
「セレネさん……、お久しぶりです……」
「おぉ! エルマーちゃん! エイミールちゃん! ティトちゃん! みんなも探検に来たのか?」

 エルマーはセレネと同じカーバイト一門の「家族」であり、エイミールは最近セレネが設立した「ファッション研究部」の一員であり、そしてティトとも学内でよく顔を合わせる仲であった。その三人と同時に、ミランダ、ニキータ、イワン、ジョセフ、クリストファー、エル、といった面々の姿も見える。

「シャーロットさん、そちらの様子はどうですか?」

 同じ風紀委員のイワンにそう言われたシャーロットは、ようやく平静を取り戻しつつ答える。

「こ、この人達が、屋敷に入ろうとしていたみたいだから、その、事情聴取をしようとしていたところです」
「そうだ! この世界最強の魔法師の卵、セレネ・カーバイトが、この屋敷に潜む謎を解決しに行くところだぞ!(ドヤァ)」

 そんな彼女に対し、脊髄反射のようにエイミールも反応する。

「なんと! この僕が完全に! 紳士的に! 事件を解決しようと乗り込む前に、君に先を越されてしまっていたのか……、さすがだ、セレネ君! それでこそ我がライバル! だが、このまま負けたままでは終わらないぞ! 最終的に優秀なる輩(ともがら)達に先んじて、この僕! エイミールこそが、最優の証を見せようぞ!」
「焦る必要はないぞ、エイミール。心配しなくとも、必ずこの未来の天才軍師ジョセフ・オーディアールが解決してみせる。あの『椿説弓張月』の時のように!」

 何やら勝手に盛り上がっている様子の彼等を目の当たりにして、なりゆきでここまでついてきたエルは一抹の不安を覚える。

(大丈夫なのかな、この人達と一緒に行って……)

 同様に、彼等のテンションについていけないミランダもまた、似たような感慨を抱いていた。

「ねぇ、私、もう帰っていい?」
「まぁ、そう言わず……、せっかく、ここまで来たんですし……」

 そんな混沌とした様子の中、旧邸の方面からまた新たな女子学生が現れた。 クグリ・ストラトス である。

「今夜あたり、誰かが来るんじゃないかと思ってたんだけど、どうやら思ったよりも多くの子達が集まったようだね」
「クグリちゃん! こないだは会場提供ありがとうだぞ! 今回も協力してくれるのか?」

 セレネがそう反応すると、クグリは笑顔で答える。

「あぁ。もしかしたら、この館には何かお宝や機密情報が眠っているんじゃないかと、ボクもちょっと気になっていてね。これも商人としての直感みたいなものさ。とりあえず、どこかから入れる経路がないかと調べてみたんだけど……」

 そう言いながら、彼女は手持ちのランタンで照らしながら、手書きの地図を皆に見せる。

「どこの扉も窓も鍵がかかっていて、外から入るのは難しそうだ。逆に言えば、外からの侵入が難しい以上、空き巣の可能性も低いんじゃないかな。どの鍵も、強引に壊されたようには見えなかったし。ただ……」

 彼女はそう言って、地図に示された旧邸の裏側の「勝手口」に相当する部分を指差す。

「……この扉の鍵だけは、四桁のダイヤル錠だったから、もし暗証番号がどこかから流出したなら、このルートから入ったという可能性はありうるかな」

 その話を聞いた瞬間、フェルガナから「あの話」を聞いた四人は、顔を見合わせる。四人とも同じ可能性に思い当たったらしい。ひとまず、この場に集った十四人は、ここまでに各自が得た情報をこの場で共有した上で、全員揃ってその勝手口へと向かうことにした。

 ******

 一同が勝手口の前に到着すると、風紀委員であり年長者でもあるイワンが代表して、目の前にあるダイヤル錠の番号を「1104」に合わせたところ、目算どおりに鍵は開いた。その上で、彼はその場にいる面々に語りかける。

「フェルガナ先生がわざわざこの番号のことを示唆してくれたということは、僕達が中に入ることを実質的に認めてくれているものだと解釈して良いでしょう。ただ、この建物の中がどうなっているかは先生も把握していないと仰っていました。だから、この中に潜入することには一定の危険が伴う可能性があります。そのことも踏まえた上で、ここから先に足を踏み入れるべきかどうか、皆の意志を確認させて下さい」

「もちろん行くぞ! なぁ、アーロンちゃん、ディーノちゃん、エルマーちゃん」
「あぁ、ここはボクがかっこよく決めさせてもらう!」
「仮に何かあっても、皆のことは俺が守る!」
「廃墟の探索なら、僕は慣れてるから平気だよ」
「面白そうだし、いいから早く入ろう」
「危険を前にして退くなど、紳士の振る舞いにあらず!」
「この未来の天才軍師が、必ず謎を解き明かす!」
「フェルガナ先生も、きっとオレ達が解決することを期待してると思う」
「まぁ、なりゆきとはいえ、ここまで来てしまった訳だし」
「行きましょう……」
「仕方ないわね」
「これだけ集まってくれたなら、ボクも安心して踏み込めるよ」

 皆が次々とそう答える中、もう一人の風紀委員であるシャーロットも、(やや怯えた様子ながらも)答えた。

「し、仕方ないですね。私も付いていきます。それでしたら、私も風紀委員として、皆さんがこの屋敷の内側を探索することを認めましょう。べっ、別に、ひとりでこの屋敷の周囲の警戒にあたるのが怖いとか、そういう訳では無いですからね!」

 こうして、14人の少年探索隊は、屋敷の中へと踏み込むことを決意した。とはいえ、さすがに14人でまとまって行動するのは効率が悪すぎるため、風紀委員の2人がそれぞれ指揮を採る形で、二手に分かれて捜査することにした。

 ******

 「シャーロット隊」に配属されたのは、セレネ、アーロン、ディーノ、エルマー、ティト、ミランダの6人である。旧邸の構造は2階建てだが、ひとまず彼女達は一階を中心に探索することにした。小さなランタンの光のみで照らされている状態のため、部屋の中はよく見えないが、内装はいかにも「貴族の邸宅」といった雰囲気で、それなりに豪奢な装飾品が並べられていた。

(こっちは女の子が多いな……。ここは、ボクがかっこよく頑張らなくちゃ!)

 そう意気込んだアーロンは、誰よりも早く先頭に立って踏み込んでいくが、一室一室覗いて確認していくうちに、徐々にその無人(?)の夜の館の不気味な雰囲気を実感することで、段々と足取りが重く、手足が微妙に震え、思わずその頬には冷や汗が流れ始める。そんな彼に対し、ディーノはからかうように声をかける。

「ん? どうした? アーロン。ビビってんのか?」
「び、ビビってね~し! こんな何もないところでビビったりするもんか! なぁ、セレネ?」

 急にそう言われたセレネはビクッとしながら答える。

「ビビってないぞ!セレネつよいからな! こわくない! ない!」

 彼女もまた明らかに動揺した様子で答える。先刻まで威勢が良かった二人が露骨に動揺しているのに対し、もう一人の同門であるエルマーは、微妙な違和感を感じていた。

「この屋敷、本当に廃屋なのかな……? なんというか、『捨てられた』という雰囲気が感じられないというか……」

 過去に様々な廃墟を巡ってきたエルマーの中では、その理由こそ上手く説明出来ないものの、期待していた空気感とは少し異なる印象を受けていた。他の面々がその言葉の意味を測りかねている中、ティトだけはそこ連想する形で、あることに気付かされる。

「そういえば……、この建物、全然『埃っぽさ』がないですよね……」

 ティトは肺が弱いため、本来ならばハウスダストの類いにも敏感である。通常であれば、四年も放置されていれば家の中にはそれなりに埃が溜まっているのが自然なのだが、彼女にはそれが全く感じられない。彼女の発言を受けて、ミランダは今いる部屋の窓の桟に、軽く人差し指を滑らせてみる。

「本当だわ……、埃も塵もない。これ、今も誰かがこまめに掃除してるわね」
「つまり、この屋敷は、まだ捨てられた訳じゃない。今も誰かが使っているということか。でも、昼に聞いた限りでは、誰もここには出入りした形跡はないらしいし……。やっぱり、幽霊か何かの仕業なのかな……」

 エルマーがそう呟くと、今度はシャーロットがビクッと反応する。

「ゆ、幽霊なんて、そんな、実在するかも分からないものを怖がるのは……、それは、その、どうかと思いますよ……」

 声を震わせながらそう語るシャーロットであるが、実際のところ、別にエルマーは怖がっている訳ではなく、むしろ好奇心でワクワクしているようにも見える。「死後の魂の行方」に関しては魔法師の中でも様々な学説が混在しており、だからこそ好奇心旺盛な若い学生の中には、積極的にその謎を解き明かそうとする者もいれば、2000年近くかけても解けなかった謎に対する恐怖心の方が強い者もいる。シャーロットは明らかに後者であり、そして先頭を歩いているセレネとアーロンもまた、どちらかと言えば後者寄りの立場であった。

「まぁ、その、あれだ、ゆ、幽霊が出てきたところで、このセレネ・カーバイトが……」

 セレネがそこまで言ったところで、彼女の視界に突如「奇妙な影」が横切る。部屋の入口側の壁に設置されていた戸棚が突然開き、「花瓶のような何か」が逆さまになった形状のままガサゴソと飛び出して来たのである。

「ひっ! まっ! えっ!!」

 咄嗟に現れたその謎の影に驚いたセレネは、意味不明な叫び声を挙げながら隣りにいたアーロンの袖を掴み、彼女と同様に動揺していたアーロンはそれでバランスを崩して、手に持っていたランタンを落としてしまう。

「あ……」

 ランタンには火が灯っており、この部屋には絨毯が敷かれている。このまま落ちれば最悪火がそのまま部屋全体に燃え広がる可能性もあったが、ここで咄嗟にミランダが飛び込んで、床に落ちるギリギリのところでランタンを拾い上げる。
 一方、その間にディーノは目の前のその「謎の花瓶」に対して、木刀で斬りかかっていた。

「やぁぁぁぁぁ!」

 仲間を守るために渾身の一撃で振り下ろしたその一振りは、花瓶を真上(底)から叩き割る。そして、中からは何やら「人型の小さな生き物」と思しき何かが彼等の視界に現れたが、皆が「飛び散った花瓶の破片」を避けるために身体を背けたその一瞬の隙をついて、その「謎の生き物」は半開きの扉の隙間から、廊下へと走り去ってしまう。

「ま、待て!」

 慌てて追いかけようとしたディーノであるが、ミランダからランタンを受け取って廊下に出た時には、もう既に姿が見えない状態となってしまっていた。

「ミランダさん……、大丈夫、ですか……?」

 ティトはそう言ってミランダを気遣う。彼女はランタンを拾うために身体を屈めていたこともあって、花瓶の破片の多くが彼女に向かって飛び込んで来ていたのである。

「あぁ、うん。大丈夫。ちょっと破片が刺さったけど、怪我っていうほどじゃないわ」

 実際、彼女の手の甲には軽く傷は付いていたが、出血する程ではなかった。ランタンを落としてしまったアーロンと(その原因となった)セレネがミランダに謝罪する中、エルマーは周囲に転がった「割れた破片」を改めて確認する。

「これは多分、ただの花瓶だね。きっと、さっきの『小さな人型の何か』が花瓶を被って動いていただけ、なんだろうけど……、あれは一体……」
「私には……、『小妖精』のように見えました……」

 ティトはそう答える。この世界において「妖精」と言えば、一般には「妖精界(ティル・ナ・ノーグ界)」からの投影体を指す言葉であり、ゴブリンやデュラハンといった人間に敵対的な姿勢を採ることが多い者もいれば、ピクシーやリャナンシーのように(条件次第では)人間と友好関係を結ぶ者もいる。「小妖精」とは、その中でも人間の掌に乗る程度の大きさの妖精達の俗称だが、実際にはその中にも様々な種族が混在しており、その性質は一様ではない。
 先刻の小妖精は「花瓶を反対側にして被って歩く」という、人間から見て友好的か敵対的かも分からない行動しか取っていないが、少なくとも花瓶を割られた直後に逃げ去ったことから、あの時点で直接的な危害を及ぼそうとして現れた訳ではないことは伺える。
 皆が困惑する中、やがて半開きだった部屋の扉の隙間から、先刻の小妖精(仮)とはまた別の「明らかに人型ではない小型の二足歩行の生き物」が現れる。その姿を見た瞬間、アーロンとエルマーの目の色が変わった。

「え!?」
「君は……」

 そんな彼等を含めた7人に対し、その「謎の生き物」はこう告げた。

「この館に忍び込んだ理由、聞かせてもらおう。その返答次第では、相応の報いを受けてもらうことになるが……、覚悟はいいか?」

 ******

 一方、その頃、「イワン隊」に配属されたジョセフ、エイミール、ニキータ、クリス、エル、クグリの6人は、イワンの指揮の下で2階の各部屋を一室ずつ捜査していた。

「今のところ、特に怪しい様子はないですね」

 エルがそう呟くと、ジョセフも同意する。

「確かに。盗っ人が入ったにしては、何かが荒らされた様子もない……。ということは、今回は私の推理は外れていた……? いや、まだ現状では分からないが……」
「ふっ……、まだまだ考えが浅いな、我が同胞よ。盗っ人はいつどこに隠れているか分からない。そして、一流の盗っ人ならば、忍び込んだ形跡すらも巧妙に消し去ることも可能であろう! しかし、超一流の頭脳の持ち主であるこの僕! エイミールであれば、どんなトリックもすぐに華麗に! 紳士的に!……」

 エイミールがそう言って悦に入ろうとしたところで、彼は自分の背後に何かが近付いてくる音に気付く。振り向くとそこには、エイミールと同じくらいの背格好の「巨大な白い布」が、まるで人間のような動きでエイミールに向かって襲いかかろうとしていた。

「ひっ! な、何者だ! そ、そこへなおれ!」

 明らかに狼狽した様子でエイミールが声を荒げると、その布の下からニキータが現れた。

「驚いた?」

 唐突なその言動に、その場にいた者達は誰もその意図が分からずに困惑する。

「き、き……、君は一体、何をしてるんだ!」
「いや、お化け屋敷だと聞いてたのに、いつまで経ってもおばけが出てこないから、つまらないなぁ、と思って……」
「遊びではないんだぞ! これは、街に潜む盗っ人から由緒あるこの家を守るという高貴なる志の持ち主達による紳士のミッションだ! そんなことも分からずに……」

 エイミールはそこまで言ったところで、ふと自分の思考に疑問を感じ始める。

「……いや、分からない筈がない。この僕! エイミールが出向かなければ解けない程の危険な難題に、ふざけた気持ちで参加する者などいる筈がない。そうか! 分かったぞ! 君は僕の中に生まれかけたこの油断と慢心を正すために、あえて自ら道化となって緊張感を取り戻させようとしたんだな! 不覚! その心意気に即座に気付けなかったとは、何たる不覚! 突発的に感情を見出して声を荒げてしまうなど、とても紳士の振る舞いではない! 今回は完全に僕の敗北だ。しかし、まだ捜査は終わった訳ではない。最後にこの事件を解決するのは、この……」

 エイミールが一人で天井を見上げながらそう語っている間に、ニキータは壁に掲げられていた(おそらくは式典用の)剣を手に取り、おもむろに振り回し始める。

「こ、今度は何をしているんだ、君は?」
「んー? なんかカッコいいな、と思って」

 そう言いながら、実用性があるかどうかも分からない「カッコつけた構え」をエイミールに見せつける。

「……もしや、君は今、この部屋の中に盗っ人の気配を察知して、自ら威嚇するためにあえて剣を取ったのか? くぅ! またしても、君に先を越されてしまったか。僕よりも先に敵の存在に気付くとは! 今はもう既に、この部屋からはその気配を感じない……。ということは、もう逃げられてしまったんだな! 本来ならば、誰よりも早くその気配に気付かなければならなかったこの僕が! またしても遅れをとってしまうとは……。だが、まだこれで全ての勝負が終わった訳ではない。次の勝負では必ず……」

 そんな二人のやりとりを見て、後方から傍観していたクグリはジョセフに小声で話しかける。

「彼等は、キミの知り合いなのかい?」
「金髪の方(エイミール)は、まぁ、一応……。黒髪の方(ニキータ)は、先日の射撃大会に私と共に参加はしていましたが、正直、何者なのかは未だに……」

 困惑した表情でそう返したジョセフの横から、エルも口を挟む。

「よく分からない人だよね、彼……」

 エルもまた、以前にニキータに引きずり回される形で図書館巡りをしたことがある。どうやらニキータは過去の記憶を失っているようだが、それがあの奇妙なまでのマイペースな言動の原因なのかどうかは定かではない。
 一方、その間にクリストファーはその部屋の片隅の小さな本棚に置かれていた一冊の本を手に取って、その中身をパラパラと確認していた。そんな彼に対して、イワンが声をかける。

「何か、手がかりになりそうな資料がありましたか?」
「いや、まぁ、資料になるかどうかは分からないっすけど、なんか、ここの旧主が治めていたトランガーヌの建国神話に関する本があったんで、もし『投影体絡みの事件』だったとしたら、ここに何かヒントがあるかもしれないな、と思って」

 そう言ってクリストファーが見せた本の背表紙には『フォルトゥナとベローナ』と書かれている。どうやら、それらはかつてトランガーヌ地方に現れた「オリンポス界の神格」の投影体の名前らしい。

「なるほど。そういえば、ティトさん達も、ペンブローク家の人々は混沌災害に見舞われやすい、という説があると言ってましたし、もしかしたらその原因が、建国時代の神々との関係の中にあるのかもしれませんね」
「えぇ、まぁ、そういうことです」

 クリストファーはそう答えるが、実際のところ、彼が今この本を読んでいるのは、純粋に「面白そう」と思ったから、というの本音である。「異世界渡航」を夢見る今の彼にとっては、少しでも多く異世界に関する知識を吸収したいという貪欲な好奇心こそが、常に最も根源的な行動原理となっていた。
 そんな中、唐突に隣の部屋から激しい「呻き声」のような声が聞こえてきた。7人がすぐさま現場へ向かうと、そこはおそらく使用人達が使っていたであろうと思われる四人部屋の寝室であり、その一角に設置された「目覚まし時計」から、呻き声が発生していたことが分かった。
 この世界には、魔力に寄らないゼンマイ式の時計は存在するが、「呻き声」のような特殊な音が鳴る目覚まし時計となると、さすがにこれは魔法によって作られたアーティファクトの類いと解釈するのが自然である。真っ先に飛び込んだニキータがひとまず目覚まし時計のスイッチを止めると、彼はその時計を見ながらボソッと呟く。

「プレゼント交換会の残念賞みたいだな」

 そう言いながら、彼はその時計を手に持って一人で部屋を出て行こうとするが、それに対してジョセフが慌てて止めようとする

「ちょっと待て! どこに行くんだ!? まだこの部屋の中も調べてみる必要が……」
「いや、これで物音の原因は突き止めたんだから、もう解決でしょ」

 彼はそう言って、時計を証拠品として持ち帰ろうとするが、今度はエイミールが割って入る。

「待ちたまえ! 我が輩(ともがら)よ! 周辺住民の間では『呻き声が聞こえる』という証言は出ていない。おそらくその時計と今回の件は全くの別物……、いや、待てよ、本当にそうなのか? そもそも、仮にこの目覚まし時計が常に同じ時間に鳴り続けられるように設定されていたのなら、これだけの大きな声が周辺住民に聞こえていないのは不自然だ……。つまり、この時計は今夜の時点で初めて起動した可能性が高い。ということは……、少なくとも昨晩から今夜までの間に『誰か』がその目覚まし時計のスイッチを入れた……? そうか! ということは、まだ目的こそ分からないが、その時計こそが、『この屋敷に忍び込んだ盗っ人』を探す上での手掛かりとなりうる! そういう意味で、まずはその時計を押収する必要がある、ということが言いたいのだな、我が輩よ! くぅぅ、またしても遅れを取ってしまうとは! 無念! 圧倒的無念! しかし、この敗北の先にこそ我が栄光の……」
「エイミール、もう彼は帰ってしまったぞ」

 ジョセフが淡々とそう告げる。エイミール以外の面々は、この捜査の場にニキータがいても場が混乱するだけだと思ったようで、勝手に一人で帰ろうとする彼をあえて引き止めようとはしなかった。

 ******

 その後、二階を一通り探索し終えた彼等は、結局、それらしき手掛かりを見つけられないまま、シャーロット隊と合流するために一階へと戻る。しかし、ここで彼等はようやく異変に気付く。一階のどこにも、シャーロット達の姿がいないのである。

「あのシャーロットさんが、何の連絡もなく勝手に帰るとは考えにくいのですが……」

 イワンがそう呟くと、残された面々の中で嫌な予感が頭をよぎり、段々と皆の顔が青冷め始めていく。

「まさか、彼女達はこの館の深淵に潜む何かに……、いや、そんな筈はない! セレネ君はこの僕! エイミールが認めた唯一無二のライバルだ! 僕に再戦の機会を与えないまま、勝手に自分だけがこの世界から勝ち逃げするなんて、そんなこと、許されるはずが……」
「静かに!」

 ここで唐突に、これまで後方から皆の動向を見守るような態度だったクグリがそう叫ぶ。咄嗟のことにエイミールが困惑する中、彼女は続けて小声でこう言った。

「みんな、耳を澄ませて。何か聞こえないかい?」

 そう言われた5人が神経を耳に集中させると、確かに誰かの話し声が聞こえるような気がする。それは、若い男女数名が楽しそうに談笑しているような、そんな声のようだった。

「この声は、シャーロットさん?」
「セレネ君らしき声も聞こえるぞ!」

 会話の内容までは分からない。だが、皆がその声のする方向を確認しようとすると、どうやらその声は「床下」から聞こえているように感じられる。

「そうか、地下室か! その可能性を忘れていた! これは失態! 完全なる失態! この僕! エイミールともあろうものが、その程度の発想にすら思い至らないとは……」
「いや、しかし、先程一階は一通り確認したが、地下への階段など見つからなかったぞ」

 ジョセフがそう反応したところで、ふと、エルが自信のなさそうな顔で語り始める。

「もしかして、なんだけど……、この屋敷の構造、僕の生家の屋敷と似てて……、だから、もし同じ時代か、同じ流派の建築家のデザインだったとしたら、『あそこ』に地下への扉があるかもしれない」

 そう言って、エルは調理室の方を指差す。皆が半信半疑のままついていくと、調理室の角のあたりの床に、不自然な形の「取っ手」があることに気付く。

「僕の生家では、この下に酒蔵があったんだ。だから、ひょっとして、と思ったんだけど……」

 エルがそう言いながらその取っ手に手をかけて上に引き上げると、床が外れて、そこから地下への階段が続いていた。

「なるほど、なんか秘密基地っぽくて、カッコいいっすね。つまり、彼女達はここから下に降って、今は地下の酒蔵の調査中、と」

 クリストファーがそう呟いたところで、ジョセフは一つの違和感に気付く。

「いや、だとしたら、なぜ扉をわざわざ閉めたんだ? 地下に何があるか分からない以上、むしろ扉が開け放しにしておいた方が、いざという時にすぐ脱出しやすいだろうに……」

 その点に関しては確かに奇妙であるが、改めて耳を済ませてみると、確かにこの地下への階段の奥からシャーロット達の声が聞こえるような気がする。そして今、その階段の奥から、誰かの足音が聞こえてきた。皆が警戒して一旦その階段から距離を採ると、その階段の穴から顔を出したのは、ティトであった。

「あ、やっぱり……、ジョセフさん達、だったんですね……」
「ティト殿! 他の方々も地下に?」
「えぇ……、詳しい話は、こちらで……」

 彼女がそう言うと、イワン隊の面々は彼女に従って、そのまま地下室へと足を踏み入れたのであった。

 ******

「おー! クグリちゃん! エイミールちゃん! みんな、待ってたぞ!」

 「地下室」に彼等が到達した直後、セレネがそう言って皆を出迎える。その部屋は、かつて酒蔵だった場所を改造して作られた「小さな食堂」のような構造になっており、シャーロット隊の面々も全員顔を揃えている。彼等の手元には紅茶とお茶菓子が添えられており、そんな彼等の周囲で「茶器セット」を持って二足歩行で歩く「猫のような姿の妖精」の姿が目に入った。
+ 猫妖精

「ケット・シー!」

 クリストファーは思わずそう叫ぶ。それは妖精界の住人の中でも、特に人間世界と相性が良い(より正確に言えば、一部の人間達から一方的に愛されている)種族での名である。実はクリストファーが魔法師を目指す(=異世界に興味を抱く)契機となったのは、彼の父の契約相手が召喚魔法師だったことが契機であり、その彼が連れていたケット・シーには強い愛着を抱いていたのである。

「いかにも、私は妖精界からこの世界に投影されたケット・シー。名はアルヴァン。この館の旧主ヘンリー・ペンブロークの盟友であり、彼の死後、この館の守護者を務めている」

 そう語る猫妖精の両脇では、猫好きのアーロンとエルマーが、幸せそうな瞳で彼を見つめており、二人の服の膝の辺りには猫の体毛がびっしりとこびりついている。どうやらクリストファー達が到着するまでの間に、二人共、このアルヴァンの「毛並み」を存分に堪能させてもらっていたらしい。

「さて、ではお客人が揃ったところで、改めて、現状について説明させてもらおうか」

 そう言って、アルヴァンはイワン達にも紅茶と茶菓子を振る舞いながら、現状に至るまでの「この屋敷」の経緯を語り始める。
 アルヴァン曰く、「今の自分」がこの世界に現れたのは十数年前。トランガーヌの某所にてヘンリーの目の前に偶発的に投影され、なんとなく意気投合して、彼の「盟友」になったらしい。厳密に言えば、アルヴァンは過去にも何度かこの世界に投影されたことがあり、その度にヘンリーの祖先にあたる者達との間で様々な因縁があったようで、「現世」において彼と出会った時にも、何か運命的なものを感じたらしい。
 だが、ヘンリーが捲土重来のために聖印教会と手を組んだことで、両者の関係は終わりを告げた。現在の神聖トランガーヌの中核的戦力となっている(聖印教会の中でも過激派と呼ばれる)「日輪宣教団」は、あらゆる投影体をこの世界から消し去ることを信念に掲げているため、彼等と手を結ぶ以上、投影体であるアルヴァンはヘンリーと共に生きることは出来なくなった。その上で、アルヴァンはヘンリーから「この館」を守り続けてほしいと頼まれたらしい。

「ヘンリーには娘がいる。今は諸事情により、名乗り出ることが出来ない立場にいるのだが、その娘がいずれ誰かの元に嫁ぐことになった時、その前夜にこの館で彼女の誕生年のウイスキーを一緒に飲むことが、ヘンリーの夢だった。だから、彼の代わりにこの館と、そして託されたこのウイスキーと、そして彼から『その時が来たら伝えてほしい』と言われた遺言を守り続けることが、今の私の使命なのだ」

 そう言いながらアルヴァンは、(身体のどこに隠していたのかも分からない状態から)唐突に酒瓶を取り出す。つまり、アルヴァンは「いつか娘が嫁入りする時に、この館でウイスキーを飲みながら『あること』を伝える」というヘンリーの最後の願いを(彼の代わりに)叶えるために、彼の「代理人」としてフェルガナと「密約」を結び、この館の管理を実質的に任されている、ということらしい(なお、フェルガナがそのことを公にしたくないのは、彼女と「ペンブローク家」との間の「特殊な関係」の存在を勘ぐられたくないからなのだが、その点についてはアルヴァンも彼女との密約の都合上、あえて説明はしなかった)。
 そして『ヘンリーの娘』がいつ『相手』を連れてきてもいいように、アルヴァンは館の清掃には常に気を使い続けた。もともと「猫妖精」である彼は夜目が効くため、夜中にこっそりと、あまり物音を立てぬように静かに掃除や庭の手入れを続け、時折空き巣が入ろうとした時には、様々な手段で追い返し続けてきた。ところが、最近になってそんな彼の中で想定外の出来事が発生したのである。

「どうやら私と、そして『この酒』の存在が、妖精界の住人達の偶発的投影の触媒となってしまったようで、最近、クルーラカーンがしばしば発生するようになってしまったのだ」

 クルーラカーンとは、酒浸りの小妖精である。旧トランガーヌの一部でもウイスキーの産地ではしばしば出現することで知られており、決して戦闘能力は高くはないが、こっそり酒樽に穴を空けて集団で飲み干してしまう、そんな厄介な悪戯妖精である。肝心のウイスキーはアルヴァンがその身の中(?)に隠しているため、クルーラカーンの手に渡ることはないのだが、その気配を察知したクルーラカーンが館内に現れては、酒を求めてそこら中の家具を引っ掻き回すという事件が続出しているらしい。

「正直、どうにも手に負えない程の事態になったら、フェルガナに頼んでまとめて強制送還してもらうという道も考えていたのだが……、どうやら、その必要もなくなったようだ」
「というと?」

 イワンがそう問いかけると、アルヴァンは話を続ける。

「どうやら、この館に出現していたクルーラカーンは『人間への警戒心』が極めて強いらしい。そして先程、花瓶の中に隠れていたクルーラカーンが、一階を捜索していた彼等(シャーロット隊の面々)を見てあっさりと逃げ出したという話を聞いた時に、『もしや』と思って、試しに彼等をこの場に残して茶会を楽しんでもらっていたら、いつもなら大量に発生するこの時間帯でも全く出現しなくなった。つまり、定期的にこの館に人が出入りするようになれば、おそらくその出現を止めることが出来る」

 実際のところ、最初はアルヴァンはシャーロット達のことを「空き家に勝手に忍び込んだ悪ガキ」だと思っていたのだが、シャーロット達がきちんと誠意を持って意図を伝えたところ、彼等を信用して、このような「実験」を決行することにしたらしい。もっとも、それは長年にわたって「他者との関わり」を断ってきたアルヴァンの中で鬱積していた「奉仕欲」の発現だったのかもしれない(彼にはかつて「給仕」として様々な主人に仕えてきた過去がある)。

「つまり、セレネ達が定期的にここに遊びに来ればいいのだな?」
「その通り。とはいえ、あまり公にすると色々と面倒な手続きをフェルガナに課してしまうことになるし、館経由で入られると私の清掃のスケジュールにも影響することになるので、ここは別ルートを用意しよう」
「別ルート?」
「一応、この酒蔵にはもう一つの出入口がある。今はもう閉じていたが、実はそれは有事の際の『秘密の抜け道』としても機能していた。館の庭の植木の陰に隠れた入口へと繋がる階段がここにあるから、今後はこちらからこっそり入るがいい」

 そう言ってアルヴァンが地下室の壁を押すと、そこに新たな階段が現れる。更に高まる「秘密基地」感に、一部の子供達は内心で密かに高揚していた。

「ということで、今後はこちら側からこっそりと遊びに来てくれればいい。そうすれば、紅茶も茶菓子も振る舞ってやるし、私の毛並みを堪能したいならば、それも好きにするがいい」

 そう言われた瞬間、アーロン、エルマー、クリストファーの三人の目が輝く。一方、クグリは提供された紅茶を口にしながら、内心で胸をなでおろしていた。

(さすがに、これ以上ライバル店が増えるのは勘弁してほしいところだったから、ここの存在は口外しないように、後で皆に釘を差しておこう……)

 ちなみに、ディーノが割ってしまった花瓶に関しては、事情を聞いたアルヴァンは特に弁償を要求することもなかった。一方、ニキータが勝手に持って帰ってしまった時計に関しても(おそらく、それもクルーラカーンによる悪戯の過程でスイッチが入っていたのだろうが)「あんな悪趣味な音声の時計は、別に無くてもいい」ということで、特に気にしてはいなかった。

 ******

 こうして、ひとまず13人は「館外経由の階段」から外へと帰還し、フェルガナに事情を説明すると、彼女は概ね自分の想定通りの状況であったことに安堵する。その上で、今回の件については公にはしないようにと釘を差した上で、今後の「地下室」への出入りに関しては「好きにすればいい」という「非公式の言質」を得ることになった。
 なお、後日、ニキータが再度勝手に侵入し、屋内の貴重品の一部を壊してしまったことで、アルヴァンは勝手口の鍵を別の番号にすり替えることにするのだが、それはまた別の物語である。

2、異世界音楽

 エーラムの高等教員の一人であるバリー・ジュピトリス(下図)は、極めて優秀な元素魔法の使い手であると同時に、「異世界音楽の探求者」としても有名である。元々彼はダルタニアの特殊な自然魔法師の一族出身で、そこでは演武を舞いながら魔法を用いる伝統があるため、子供の頃から音楽に通じていたのだが、エーラムに来て「異世界の文化」に触れてしまったことで、その音楽好きに更に拍車がかかり、やがて学生達を集めて「異世界音楽研究会」を結成するという奇行にまで至っている。
+ バリー
 そんな彼の中での最近のブームは「地球」の音楽であり、彼の手元には様々な地球産の楽譜や音楽媒体が取り揃えられている。ただ、これまで異世界音楽研究会の主力メンバーだった者達が次々と契約魔法師として各地に就職してしまったため、今は新たな同志を探すべく、学生達の中から音楽に興味がある者達を集めて、それらの楽曲を実際に演奏・歌唱・舞踏させる音楽教室を開催することになったのである。
 その貼り紙を見た「ある少女」は、それまで押さえつけていた自分の中での音楽への情熱が再び湧き上がりつつあるのを実感していた。

「”異世界音楽”…………、少しだけ……、少しだけ見てみようかな、です」

 彼女は同居人が異界神(?)の信奉者であることに加えて、先日の射撃大会での様々な異界の物品を目の当たりにしたことにより、異世界そのものへの興味も高まっていた。

(でも…わたしが参加するのは無粋、です。みんなが楽しんでいる、その邪魔にならないように、すみっこでお手伝いしてようかな、です)

 そう割り切った(つもりの)彼女は、音楽部の仲間達のためにバリーから貸し出された様々な異世界の楽譜を整理しながら、ふと、その中の一曲に目を奪われる。

「……これも、異世界の楽譜ですか?」

 思わずそう呟いた彼女に対し、他の部員が答える。

「あぁ、うん。そうらしいよ。なんかね、北の方の国で開かれた音楽祭で、『自分を悪魔と信じてやまない一般地球人』が、最後のアンコールで歌ってたのを、バリー先生が気に入って、急遽取り寄せたんだって」
「え? 私、それを歌ってたのは『自分を地球人と信じてやまない一般悪魔』だって聞いたよ」
「まぁ、どっちにしても、ちょっとむずかしいから、その曲はパスかな。音域広いし、転調激しいし」

 友人達がそう語る中、ロゥロアは楽譜から流れ出るその曲のエネルギーに引き込まれていた。

(この曲……吹いてみたい)

 その衝動は、確かに彼女の中に生まれつつあった。

(でも、今の私じゃ……吹けない)

 その現実は、今の彼女が一番よく分かっていた。

(笛じゃなくて歌なら、あるいは)

 その可能性は、まだ試したことがなかった。

「……失礼します。今からでも、参加は間に合う、ですか?」

 ******

 それから数日後。バリー「異世界音楽教室」は本番を迎える。まず、この日の「午前の部」は、完全な音楽初心者を対象とした「初級コース」として設定された。この時間帯に来訪したのは、船乗り出身の少女 メル・ストレイン 、まだ9歳の純真幼女 カペラ・ストラトス 、そして「自然律」を研究する少年 エンネア・プロチノス の三名である。
 と言っても、実質的に「受講者」として来訪したのはメルだけであり、他の二人はあくまでも「見学者」として教室に同席しているだけだった。

「わたし、おんがくはすきだけれど、かなでることはできないの。むずかしいのね」

 カペラはそう語る。バリーとしては「音楽は『習う』よりも『慣れろ』だ」というのが持論なので、どんな形でもいいから直接参加してもらえた方が嬉しい、というのが本音ではあったが、さすがに無理強いする訳にもいかない。ただ、実際に目の前で異世界音楽を体感することによって、少しでも興味が湧いてくれれば、いずれは受講者として参加してくれるだろうと期待した上で、彼女のために一席設けることにした。
 もう一人の見学者であるエンネアは、更に事情が複雑である。端的に言ってしまえば、彼は音楽自体には全く興味がない。ただ、彼は「この世界に本来存在している(と言われているが定かではない)自然律」の正体を見極めるための材料として、「異世界の音階」を調査したいと申し出て来たのである。少なくとも、バリーの知る限りは(他の異世界ならいざ知らず)「地球における一般的な音階」と「アトラタンにおける一般的な音階」はほぼ同じの筈なので、彼の研究の役に立つかは分からなかったが、それでも、聞きたいと言ってくれる者をあえて拒む理由もなかった。
 そして、この日の実質唯一の受講者であるメルからの要望は「故郷を思い起こさせてくれるような楽器」に触れてみたい、というリクエストだった。

「アタ……、わたくしは、その、最近エーラムに来たばっかりでありましたのが、やっと慣れてきたんだけ……、慣れてきてはいるのですが、それでも今でもふとした瞬間に、波の音とか、風がそよぐ音とか、鳥の鳴き声なんかが、こう、懐かしくこともあって…‥、だからその、そういう、自分が育ってきた環境を思い出せるような、そんな楽器が弾けるようになったら、楽しいでしょうなぁ、って、思って、参加してみた訳でありまして……」

 たどたどしくそう語るメルに対して、バリーは微笑ましく見守りつつ、まずは気さくな笑顔で語りかける。

「OK、分かった、メルちゃん。ただ、ここは『音楽教室』という名前ではあるけど、今、君の目の前にいるバリー・ジュピトリスという男は、別に君の指導教員じゃないし、一門の先輩でもない。ただ、同志が欲しくて、音楽の勧誘しているだけの『うたのおにいさん』さ。だから、そんなにかしこまる必要はない。まず、音を楽しむためには、心身ともにリラックスすることが大切だ。慣れない言葉遣いなんて使わなくていいから、素の君の言葉で語ってほしい」
「い、いいのか、ですか?」
「あぁ。まずは君の『素の心の声』が聞こえないと、君に合った楽器も選べないからね」
「わ……、分かったよ、バリーさん。じゃあ、アタシでも弾けそうな、『海っぽい雰囲気の楽器』を選んでほしい」

 そう言われたバリーは、まずは彼女の適性を調べるために、打楽器・弦楽器・管楽器を一つずつ試してみることにした。

「じゃあ、まずはコレから試してみよう。地球のとある南海の民族が使っているという、特殊な打楽器でね。 『三板(サンバ)』 というんだ」

 バリーはそう言いながら、掌に収まる程度の「黒い三枚の板」をメルに手渡す。

「これが、楽器なのか?」
「あぁ、見た目はただの三枚の板だけど、こんなカンジでスナップを聞かせながら叩くと、色々な音が奏でられる」

 彼は左手の親指から薬指までの四本の指の間に三枚の板をはさみ、紐で位置を軽く固定した上で、左手の親指と右手を使って素早く小刻みに様々な音色を繰り出していく。音階のない打楽器である筈なのに、それだけで既に一つの独特な音色が生み出されていた。

「す、すごい……」
「まぁ、これだけだと、あんまり『海』というイメージにはなりにくいかもしれないけど、そこに他の楽器も色々加えることで、その海洋民族独特の音楽を奏でることが出来るようになる。軽いから持ち運びも便利だし、これを奏でながら歌ったり、踊ったりすることも出来るという意味でも、使い勝手は悪くない」

 バリーがそう言いながらメルに三板を渡すと、彼女はひとまず言われた通りに左手にはめて、まずは左手の親指だけで叩いてみる。最初は今ひとつ勝手がよく分からなかったメルであったが、タイミングの取り方が分かっていくうちに、自然と手の動きに合わせて体全体でリズムを刻むようになっていく。

「なんだか、たのしそうね」
「律動の取り方は、異世界の音楽でも変わらないのか……」

 観客席の二人が全く異次元の感想を口にしていると、やがてバリーが今度はおもむろに何処からか「三本弦の楽器」を取り出してくる。

「よし、気分が乗ってきたみたいだし、次は軽くセッションしてみよう」

 バリーはそう言った直後にその弦楽器を奏で始め、メルの奏でるリズムに合わせて、即興でエスニックなメロディを載せていく。

(あ、なんだろう、これ……、なんか急に、故郷の海のさざ波が見えてきたような……)

 実際、バリーはこの時、異界の旋律を奏でてるように見せながら、ところどころにメルの故郷の地方で用いられるようなフレーズを織り交ぜていた。最初からゴリゴリの異世界音楽を植え付けるよりも、本人に馴染みのある分野から少しずつ入り込んでもらった方が引きずり込みやすい、というのが彼の持論なのである。
 こうして、ひとまず一曲終えたところで、メルがそれなりに満足そうな顔をしていると、バリーは彼女から一旦三板を受け取りつつ、「次」を提案する。

「では、今度は弦楽器を試してみようか」
「あ、今、バリーさんが持ってるその……?」
「いや、これでもいいんだけど、せっかくだし、地球の色々な地方の音楽に触れた方がいいだろうと思うから、こっちを試してみようか」

 そう言ってバリーは、やや小柄な四本弦の楽器を取り出した。

「なんか、小さいギターみたいだな……」
「実際、親戚みたいなものではある。さっきの三線(サンシン)は旋律を奏でるものだけど、この ウクレレ はどちらかというと和音を奏でるためのものだと思えばいい。これも小さいから持ち運びは便利だし、四本しか弦がないから、女の子の手でも抑えやすいという意味ではお勧めだな」

 バリーはそう言いながら、左手で弦の一部を抑えながら、右手を上下に動かしてリズミカルな音色を奏でていく。

「あー、なんか、ギターよりも、もっと柔らかいというか、優しい音のような……」
「そうだろう? ウクレレは平和な海を象徴するような音楽を奏でるのに向いてるんだ。さぁ、やってみてごらん」

 メルはウクレレを渡され、そして簡単なコードの表と、そして三つのコードだけで弾ける簡単な楽譜を渡される。

「えーっと、まず左手の人差し指でここを押して…‥」

 メルがそうして試行錯誤ながらも音を奏で始めると、バリーはおもむろに手拍子を始め、そして観客席の二人にも声をかける。

「良かったら、君達も手を叩いてみてごらん。それだけで、音楽に参加してる気分になれるし、その一体感がメルちゃんのバイプスを上げてくことにも繋がるから」

 唐突にそう言われた二人は、よく分からないまま、カペラは楽しそうに、エンネアはメトロノームのように正確に、それぞれ手拍子を刻み始める。
 そしてメアがようやくそのリズムに合わせてコードを弾けるようになりかけたところに、突然、狐面を頭に被った乱入者が現れた。

「バリー先生! ダンス部門の受付は今、やってるなのだよ?」

  シャララ・メレテス である。彼女はどうやら、なんとなくダンスを学びたくなって、飛び入り参加を申し出てきたらしい。

「七草粥センパイ!?」
「おー、あの時の北海のタコ、美味しかったなのだよ」

 メルとシャララは顔を合わせると同時に、先日のタコパでのことを互いに思い出す(なお、メルは基本的にずっと厨房にいたため、シャララの作った「マンドラゴラ入り七草粥」は食べていいない)。そんな二人の横で、バリーは少々困った顔を浮かべていた。

「あー、悪い! ダンスコースは希望者がいなかったから、今回は中止にしちゃったんだよ……、あ、でも、二人共知り合いみたいだし、せっかくだから、今、メルちゃんに引いてもらってるこの曲に合わせて、ちょっと踊ってみてもらおうか」
「なんでもいい、なのだよ?」
「あぁ、そうだね。まずはこの異界の音楽に合わせて、君の心の内側にあるものをそのまま身体で表現してもらえばいい。私が相手役となって、それに合わせよう。ところで、君の名は?」
「シャララ・メレテス、なのだよ」

 彼女はそう名乗ると、まだ未完成なメルのコード進行に合わせて、何やら不思議な踊りを披露し始める。それは(音楽と同様に)ありとあらゆる世界の舞踊についても研究しているバリーですら、まだみたことのない独特の動きだった。

「む……、これは……、君はなかなか独創的なセンスの持ち主のようだな。面白い!」

 バリーは、南風を思わせる柔らかなメルの音色に合わせながら、予測不可能なシャララの動きを引き立たせるようなダンスを披露することで、その場の雰囲気を盛り上げていく。手拍子をしている二人も、思わず見入っていた。

「あのせんせい、ほんとうにきようなのね」
「異世界の楽器よりも、あの狐面の人の方が自然律を無視した動きになってないか……?」

 こうして、何がなんだかよく分からないうちに、二曲目のセッションも終わりを迎える。

「ふぅ、疲れたなのだよ……」
「ありがとござーした、センパイ!」

 二人の少女が満足そうな表情を浮かべる中、ふとバリーはシャララに問いかける。

「ところで、今のダンスは何を表現したものなんだい?」
「七草粥、なのだよ」
「ナナクサガユ……? あぁ、極東の食べ物だったか。君はその目や髪の色からして、そちら側の出身ではないようだが……、あー、いや、いかん。エーラムに来ている身である以上、出自がどうこう言うのはよくないな。さて、では、メルちゃん、3つ目の楽器に挑戦しよう。次は管楽器だ。ちょっと待っててくれよ」

 バリーはそう言い残した上で、一旦、奥の部屋へと消えていく。既に部屋の中には様々な金管・木管の横笛・縦笛が並んでいたが、彼の中で「海らしい管楽器」と言えば、それらではないらしい。
 一体何を持ってくるのかとメルがワクワクしていたところへ、バリーは巨大な箱を持って現れる。そして、彼女達の目の前でおもむろにその箱を開けると、中から出てきたのは「巨大な巻き貝」だった。その先端には、金属の筒のようなものが取り付けられている。

「貝!?」
「そう、 法螺貝 だ。海を思い起こさせる管楽器と言えば、やはりコレだろう」

 自信満々にそう言い放ったバリーだが、さすがにメルもこれは想定外だったらしい。

「思い起こさせるというか、海そのものというか……、え? これを、吹く……、ですか?」

 あまりの衝撃に、思わず口調が「たどたどしい敬語」に戻っている。

「そうだよ。あぁ、大丈夫。私も実際に吹いたことはないから、間接どうこうとか、そういうことは気にしなくていい」
「いや、その、さすがに、先生が分からないものを吹けと言われても……」
「とりえあず、ここに異界の指南書を翻訳したものはある。試しにやってみなよ」

 そう言って、よく分からない冊子を渡されたメルは、必死で読み込んでみる。決して座学に慣れているとは言えないメルではあるものの、それでも、飲み込みはそれなりに早かった。

「えーっと、この部分に口を当てて、唇を震わせるような形で息を……」

 困惑しながらもメルが試しに吹いてみると、(決して「綺麗な音」ととは言えないが)独特の振動をもたらす大音量が部屋中に響き渡り、観客席の二人も思わず席から転げ落ちた。

「なんだかすごいおとね……」
「これが『自然界から生み出された楽器』の音だというのか……?」

 二人が呆然と見つめる中、バリーは素直に感嘆する。

「おぉ、これは凄い。素人の場合、普通はまず最初に音を出せるところまで行けるかどうかが大変だというのに」
「え? い、今ので良かったでありますですか?」
「多分、吹き方自体はそれで合ってる。多分、その上で何年も修行を積めば、きっと君のオンリーワンの音を出せるようになるよ」
「私だけの、音……?」

 そう言われても、それがこの法螺貝でなければならないのかと考えると、甚だ疑問ではある。とはいえ、ここまで様々な楽器に触れてみたことで、メルの中での音楽への興味は俄然高まっていた。一方で、全く異なる方向へと関心を高めていた者もいる。

「貝を楽器にすることが出来るのなら、マンドラゴラを楽器にすることも出来るのだよ?」
「マンドラゴラか……、うーん、その実態はよく知らないが、確かに『草笛』という文化は世界各地に存在するし、植物を楽器にするのもアリと言えばアリだな」

 バリーは、技術的には超一流の元素魔法師である。ただでさえ元素魔法師は「実戦型」と言われ、戦乱の時代においては多くの国々から引く手数多であるにもかかわらず、誰とも契約せずに研究者の道を選ぶということは、やはり、基本的にはカルディナ同様、どこかに「人間性の欠如」などの欠陥を抱えた人物であることは間違いない。だからこそ、目の前で危険な魔草の話を学生が語っていても、そのこと自体には何一つ動じる様子はなかったようである。

「じゃあ、この後は経験者向けコースになるから、今日のところはこれまでだけど、二人共、またいつでも遊びに来てくれていいよ。そして、本格的にやりたくなったら、いつでも異世界音楽研究会は君達を歓迎するから」
「はい! ありがとさんでした!」
「そのうちまた来るのだよ!」

 こうして、ひとまず「午前の部」は無事に終わりを告げたのであった。

 ******

 続く「午後の部」に集まったのは、魔法学校の中で様々な音楽に精通した人々によって結成された「音楽部」の面々だった。もともと、異世界音楽研究会はこの音楽部から派生したような集まりなので、当然、両団体の親和性は強い。今回、彼等はバリーに頼んで事前に貰っていた「異世界の楽譜」を元に、それぞれに自分の楽器でそれを披露する、という企画に挑戦していた。
 クラシック、ジャズ、ロック、シャンソン、レゲエ、演歌など、様々な地球の音楽が次々と披露されていくのをバリーは楽しそうに鑑賞し、そして観客席では引き続きカペラとエンネアが鑑賞を続けていた。

「ちきゅうって、いろいろなおんがくがたくさんあるのね」
「旋律も律動も様々だが、根底にある法則は変わらない。やはり、異世界の自然律とこの世界の自然律に、そこまで大きな差異はないのか? だとしたら、それは……」

 また、そんな二人の隣には、午後の部から新たな見学者として、サミュエル・アルティナスが訪れていたのだが、この時点で既に彼は「夢の世界」を漂っていた。彼は、一つ年下の同門の面々が出演すると聞いてこの場に駆けつけたのだが、彼女達の出番が訪れる前に、それまでに流れていた音楽の心地良さから、すっかり居眠り状態になってしまっていたのである。
 そんな中、そのサミュエルの後輩の一人にして、バリーと同じダルタニア出身の少女 ロゥロア・アルティナス に演奏順が回ってきた。彼女の本来の特異楽器は「笛」であったが、今回の彼女はあえて「歌手」として参加していたのである。
 彼女は先日の射撃大会におけるエルマーの「演奏」に感銘を受け、そして牧場で久しぶりに(モグラを相手に)「笛」を吹いたこともあり、自分の中での音楽への情熱が蘇ろうとしていた。ただ、その一方で、牧場において最後まで笛を吹ききれなかったことは彼女の中でのトラウマを再燃させていたし、そもそも専門的な音楽の訓練を受けてきた自分が、趣味として音楽を楽しんでいる人々に混ざって「無料で音楽を学べる機会」を享受するのも不公平だと考えたため、今回は音楽部の面々の手伝い程度のつもりで顔を出す予定だった。
 だが、バリーから提供された楽譜の中で、ロゥロアは「どうしても奏でたい一曲」を見つけてしまった。だが、今の自分では「笛」を最後まで吹き切ることは出来ない、ということも分かっている。だからこそ、あえて今回は専門外の「歌」で勝負することにした。
 そして、音楽部のヴァイオリン担当者が奏でる独特な前奏に続いて、ロゥロアの美声が会場内に響き渡る。

「I want to find a special way」

 古代ブレトランド語のフレーズから始まるその曲の名は、 「凛」 。数ヶ月前にブレトランドで開催された第3回マージャ国際音楽祭にて、現地在住の謎の投影体デーモン・ミュンヒハウゼン率いる混成バンドが、本編終了後のアンコールで披露していた楽曲である。その当時、審査員席にいたバリーも、この曲には非常に深い感銘を受けていた。
 ロゥロアの実家は音楽の名家であり、幼い頃から音楽に関しては英才教育を受けてきたこともあり、本業の「笛」とは異なる領域である「歌」においても、彼女は十分に普通の人々の心を惹きつけられるだけの実力の持ち主であり、実際、その場にいる者達は(演奏している仲間達も含めて)、彼女の歌声に魅了されていく。
 ただ、そんな中でバリーだけは、微妙な「違和感」に気付いていた。

(上手い。間違いなく上手い。そして魂も込もっている。どこか鬼気迫る雰囲気は、あのマージャで聞いた投影体のバージョン以上かもしれない。だが……、どこか歌い方に「危うさ」を感じる。これは、純粋に歌唱力の問題なのか? 一番のサビのあたりから、少しずつ音にゆらぎが感じられる。ここまでの彼女を見る限り、技術的にも音域的にも、ここまで唐突に不安定になる要素があるとは思えない。かといって、曲の雰囲気に合わせてわざと不安定さを演出させているようにも見えない。これは、純粋に彼女の中の精神的な問題なのか……?)

 そして、バリーのこの予感は的中した。複雑な転調を乗り越えて、2番のサビもどうにか歌いきったものの、最終コーラスに入ったところで彼女は突然歌えなくなり、その場に膝をついてしまう。伴奏していた友人達も突然のことに戸惑うが、そのまま演奏も止まり、そしてロゥロアは静かに会場から退室していく。だが、そんな彼女に対してバリーは黙って拍手を始めると、それに釣られて皆も手を叩き出す。それは決して慰めや社交辞令の拍手ではない。途中までとはいえ、確かに自分の魂を揺らすほどの楽曲を聞かせてくれたことへの、純粋な称賛の拍手であった。

「すごかったわ、まるでじぶんがうたのせかいにはいったような……」
「なんだ、この違和感……、あの曲から流れ出る奇妙な波動、それはまるで、この世界そのもののであるかのような共鳴感だった……。まさか、あの曲が、この世界の自然律そのものだというのか……?」

 ここに来て、初めて二人の見解がほぼ一致した。その上で、エンネアは一瞬だけ、自分の中で新たな(本来の「あるべき常識」を覆す)「狂気」が目覚めたかのような恐怖に陥る。
 そして会場内がまだザワついている中、最後の発表者が登場する。ロゥロアのルームメイトである ルクス・アルティナス と、極東人の ゴシュ・ブッカータ である。

(さて、遂に来たか、あの曲が……)

 バリーは数日前のことを思い出す。

 ******

「ビリー先生!ルクス達もえんそうしゃとして出演したいのだ! 」
「ほう、そうか。どんな曲がいいんだい? あと、私の名前は“バリー”だからね」
「実は楽譜を持ってなくて……。でも歌えるのだ!こういうやつなのだ!」

 ルクスはそう言って「とある曲」をバリーの前で披露する。

「ほぅ……、なるほど……」
「先生が持っている楽譜の中にこういう感じのやつは無いのだ?」
「残念ながら、私は持っていない。だが、楽譜に書き起こすことは出来る。演奏パートは私の解釈で組み上げることににあるが、それでもいいかい?」
「うん、ありがとうなのだ、ビリー先生」
「あぁ、任せておけ。あと、私は“バリー”だからね」

 ******

 そんなやり取りを交わしつつ、ビリーことバリーが書き上げた楽譜に合わせて、ゴシュが伴奏の主旋律となるフルートを吹き、そしてルクスが透明感のある声で歌い始める。

「Look to the sky, way up on high. There in the night stars are now right」

 この曲は全編が古代ブレトランド語であり、ブレトランド方言に慣れていないエーラムの人々にとっては意味がよく分からない歌詞ではあったが、その曲名は(ルクスの微かな記憶に基づき) 「キャロル」 と題されていた。
 ルクスは本格的に音楽を学んでいた訳ではないが、声質自体は確かに美しい。そして、序盤は純粋に楽しそうに歌っていたが、段々とその表情が鬼気迫る雰囲気を帯び始め、やがて何かに取り憑かれたように一心不乱に歌うようになる。その様相を見ながら、バリーの中で徐々に「嫌な予感」が広がり始める。

(やはり、あの曲には何か特殊な意味が込められていたのか……。どこか得体のしれない不気味なオーラを感じてはいたが……)

 そう思いながらも楽譜起こしを協力したのは、魔法師としても音楽家としても、バリーの中の好奇心が抑えられなかったからでもある。果たして、一見するとただの音の羅列である「楽曲」に、人の心を(良くも悪くも)動かす力があるのかどうか。それはバリーにとっての永遠の命題でもある。
 そして、やがてゴシュ達の演奏は終幕を迎えるが、その状態でもまだルクスは再び最初の歌詞から歌い始める。その異様な光景に周囲が困惑する中、ひとまずゴシュが声をかける。

「ルクス、ルクス」
「……あ、あれ?演奏終わってたのだ? 気づかずに歌っていたぞ…………てへへ」

 こうして、最後の最後で何やら不穏な雰囲気を残したままの閉幕となったが、これにて無事に第一回「異世界音楽教室」は終わりを告げる。

「なんだかよくわからなかったけど、さいごのきょくもすごかったわ」
「あの曲から感じられた波動は、間違いなく異界の自然律。この世界を狂わせる存在。言うならば、まさに混沌そのもの。とはいえ、その根源がどこにあったのかまでは分からない……」

 二人がそれぞれにそんな感想を呟く中、バリーが改めて声をかける。

「どうだった? 二人共」
「たのしかったわ。ありがとう」
「音の違いを調べに来たのですが……、耳で聞くだけでは全く分からないですね。そういった機器があればよかったのですが」

 全く対象的(というよりも別次元)の反応を示す二人に対し、バリーは笑顔で答える。

「興味があれば、いつでもまた聞きに来てほしい。音楽家は、音楽家だけでは成り立たない。聞いて、共に楽しんでくれる人がいるからこそ、音楽家足り得るのだから」

 彼は二人にそう告げた上で、二人の隣で今もまだ眠り続けているサミュエルに対しては、思わず苦笑を浮かべる。

「まぁ、心地良く眠ってくれているのなら、それもそれで良いか。人に安らぎを与えるのも、それはそれで音楽の大切な効用の一つでもあるしな」

 ******

 それから数日後、ロゥロアがバリーの研究室を訪れた。

「バリー先生、先日はご迷惑をおかけしてしまいすみません」

 せっかく用意してもらった舞台で、最後まで歌いきれずに退席してしまったことを、彼女はまだ引きずっていた。バリーとしては(彼女が歌いきれなかった理由には多少興味があったものの)別にそのことを気に病む必要はないと思っていたのだが、まだ彼女の話に続きがあるようだったので、ひとまずそのまま黙って最後まで聞き続ける。

「その上で、図々しいとは思うのですが……お願いがある、です」
「うん。なんだい?」
「もう演奏を、歌を止めることがないように頑張ります、です……。だから、将来、私も……、『異世界音楽研究会』に入っても、良いでしょうか?」

 勇気を振り絞ってそう言ったロゥロアに対して、バリーは満面の笑みで答える。

「もちろんだ! 別に、何度失敗してくれてもいい! 私はいつまででも、君があの曲を歌いきってくれる日を待ち続ける。ようこそ、異世界音楽研究会へ!」

 その言葉に対して、ロゥロアは改めて深々と頭を下げる。

(あのときは歌えなかったけど……)

 彼女の中では改めて、あの曲の最終コーラスの「歌えなかった歌詞」が思い浮かぶ。

(「進んでゆく 時計の針」……、いつまでもあの日から進まないわけにはいかないのです)

 弟を失った時のことの思い出しながら、彼女は改めてそう自分に言い聞かせる。

(やはり私は、音楽から離れられないですね……。なら、向き合って、乗り越えていくしかないです)

 そして、そのことを思い出させてくれたのは、この音楽教室だった。

(参加して良かった。それだけは確か、です)

3、神殿とガーゴイル

 先日、農場の地中の奥底から現れた「英雄神ヘラクレス」と名乗るカブトムシは、第一発見者であるアルジェント・リアンの養子のビート・リアン(下図)へと預けられることになった。
+ ビート
 当初は戸惑っていたビートだが、やがてそれが(本当に神であるかどうか以前の問題として)「カブトムシの中でも最強と呼ばれる種族のカブトムシ(ヘラクレスオオカブト)」であることを知ったことで、すっかり「自慢の相棒」扱いとなっていた。
 そんな中、学校から寮の自室へと帰ってきたビートに対して、ヘラクレスはこう告げる。

「まもなく、あの牧場の近くに、危険な『異界のガーゴイル』が現れる」

 「ガーゴイル」とは、本来は建物の宿などに設置される「怪物の姿を模した雨樋」の名称である。しかし、この世界ではやがてそれが「怪物の姿をした彫刻」全般を指す言葉となり、現代では逆に「彫刻の姿に擬態した魔法生物」を指す言葉としても用いられるようになった。つまり、概ね「石などで作られた怪物」というニュアンスで用いられることが多いものの、その定義は今ひとつ明確ではない。
 そして、これが「異界のガーゴイル」ということになれば、なおさらその定義は不明確である。元の世界において「ガーゴイル」と呼ばれていた存在がそのまま投影体として出現してそう呼ばれることもあれば、アトラタン人がイメージする「ガーゴイル(石像の怪物)」に近い存在であれば、元の世界での呼称にかかわらず、勝手に「ガーゴイル」と呼ばれることもある。つまり、ヘラクレスが言うところの「異界のガーゴイル」なる存在が何者なのかは、この表現だけではさっぱり分からない。

「ガーゴイルの出現って……、なんでそんなことが分かるんだよ?」
「なぜならば、我は神だからだ。神である我には、神ならざる者達には見えぬものが見える。それだけのことだ」
「……いや、お前はそう言ってるけどさ。師匠から聞いたけど、お前、所詮は半神なんだろ?」
「神性は優性遺伝子だ。故に、神の遺伝子を持つ者は神となる」
「そんな訳の分からないこと言われても、信用出来ねーよ。だってお前、神の力なんて使ってくれねーじゃん」
「それは、お主が我を信仰しようとはせぬからだ。神を崇める心のない者が、神の加護を得られると思うな」
「って言われたってなぁ……」

 ビートにとって、ヘラクレスは確かに「自慢の相棒」であり、その「昆虫としての強さ」には感服しているが、「神」として信仰出来るかと言われると、それはまた別問題である。かといって、ヘラクレスの言うことが全くのホラ話(もしくは勘違い)だと断言出来る根拠もない。

「……で、仮にそうだったとして、俺にどうしろって言うんだよ」
「あの黄金羊牧場の近くに、我のための神殿を建てよ」
「は!?」
「我の神としての力をその地に浸透させれば、ガーゴイルの出現は防げる。おそらく、我があの牧場の地中に投影されたのも、我とガーゴイルの間の宿縁であろう。実際、我が地中にいた間はガーゴイルが出現することはなかったが、我があの地を離れた途端に、ガーゴイル出現の気配が高まりつつある。かと言って、我が再び地下に潜れば、また我の神性に心酔してしまったモグラ達が再び『余計なこと』を始めかねない。そうなると、かの地に我の力を充満させるには、地上に神殿を建てるのが最も効果的であろう」

 一見するともっともらしい話ではあるが、そもそも「ガーゴイルが出現する」という大前提の信憑性が明らかではない以上は、どこまで真に受けて良いか分からない。

「てか、そもそもガーゴイルって、どれくらい危険なんだよ?」
「最悪の場合、街が一つ滅びる。そして、既にその『眷属』はかの地に出現しつつある」
「マジかよ!? どんな奴だよ、その眷属って!」
「クワガタムシだ。既にかの森は奴等に侵食されつつある。放っておけば、手遅れになるぞ」

 真剣なトーンでヘラクレスはそう語るが、正直、その話を聞かされると、深刻そうに思えた事態が、途端に「ただの昆虫達の縄張り争い」にしか思えなくなってくる。

「まぁ、とりあえず、『あの人』には相談しておくか……」

 ******

 ビートが最初にこの話を告げた相手は、同門の ロシェル・リアン であった。彼女の養父のメルキューレはビートの養父のアルジェントの(魔法師としても血縁としても)弟であるため、二人の関係は実質的に「従兄弟弟子」ということになる。
 ロシェルは、先日の黄金羊牧場でのヘラクレス発掘の際には現場にいたものの、実質的には大狼のシャリテに任せて彼女自身は木陰で眠っていたため、ヘラクレスとの直接的な接点は薄い。それでも、彼女は彼女でヘラクレスのことは前々から気になっていたため、ビートから話を聞かされた時点で、まずは改めて「ヘラクレス」の正体について確認する必要があると考えた。
 というのも、彼女の養父であるメルキューレは、実兄アルジェントの今の「義体」の設計者でもあるため、もしヘラクレス自身が望むのであれば、彼のために(少なくとも今のカブトムシの身体よりは「本来の身体」に近いと思われる)「義体」を作り出すことも可能であるようにロシェルには思えたのである(なお、ロシェルがそこまでヘラクレスに肩入れする背景には、彼女自身の「とある事情」があるのだが、そのことを知る者は現時点ではメルキューレしかいない)。
 とはいえ、それはあのカブトムシが本当に「ヘラクレスの魂を宿した者」であるということが前提であり、もし彼が「英雄ヘラクレスを名乗る狂人……、もとい狂昆虫」なのだとすれば、このような話を相談すること自体が無駄である。そのため、まずは「この世界に投影されたヘラクレス」に関する情報を調べるために図書館へと向かおうと、「神格投影体」に関する書庫の近辺で、彼女は三人の知人を発見する。
 そのうちの二人は、先日牧場で「シャリテ」と協力していた男装少女 ノア・メレテス と、園芸部の テリス・アスカム である。彼女達はもまた前回の一件以来、あのカブトムシの正体を見極めるために、ロシェルと同様に「過去にこの世界に出現したヘラクレス」に関する文献を調べていた。
 そしてもう一人は、以前から各地でロシェルと交流のあった オーキス・クアドラント である。オーキスは先日の牧場の一件には関わっていなかったが、その前にビートに対して助言(と「教訓のために作った失敗作のサメのぬいぐるみ」)を与えたこともあって、彼が新たに「神格と名乗るカブトムシ」と同居することになったと聞いた時点で、少々心配になっていたらしい。

「そう、やっぱり、みんな、あのカブトムシのことは気になってたのね。それで、何か分かったことはある?」

 ロシェルがそう問いかけると、最初に答えたのはノアであった。

「とりあえず、『ヘラクレス』と名乗る投影体の記録は、世界各地にあります。でも、それぞれが全然違う記録で、どうやら必ずしも全員が同一個体の投影体という訳ではなさそうです」

 アトラタン世界の住人は、ヘラクレスおよびその親族であるゼウスやポセイドンといった神々の住む世界のことを「オリンポス界」と呼んでいる。だが、厳密に言えばこの「オリンポス界」と呼ばれている世界も一つではないらしい。というのも、同じ神の名を名乗る投影体であっても、全く性格の異なる投影体の記録が各地に存在しており、しかもそれぞれが語る「元の世界」の様相も、それぞれ微妙に(時には激しく)異なっているという。
 これに関しては「元々存在していたオリンポス界が途中で分岐した結果として無数のオリンポス世界が生まれた」とするという説もあれば、「本物のオリンポス界は一つだけで、他はそれを模して生み出された偽の世界」という説もあり、中には「そもそも我々が『異世界』と呼んでいる世界はすべて我々の妄想の存在であり、妄想する人の数だけ異世界は存在する」という学説を唱える者もいる。いずれにせよ、「過去にこの世界に投影されたヘラクレス」の大半は、「今回投影されたカブトムシ」とは元々別個体である可能性が高い、というのがノアの調査結果から導き出された結論であった。
 一方、テリスは過去に出現した「人以外の姿で投影された神格投影体」に関して調べてみたが、これに関しても、様々な事例が見つかった。

「もともと、神格と呼ばれる存在は、元の世界においても自在にその姿を変える者が多いようです。ですから、元は同じ神であっても、人の姿で投影されることもあれば、蛇や蛙、あるいは烏や猫といった動物の姿で投影されることもありますし、時には植物や無機物の姿で現れることもある、とか」

 ひとまずテリスが調べた限りでは「虫の姿で投影された神格」の記録は見つからなかったが、上記の類似事例を考えれば、普通にありえる話のように思える。なお、彼等は人以外の姿であったとしても、神としての力そのものには大きな違いはないらしい。この話を聞いた時点で、ロシェルはふと「あること」が気になり、テリスに問いかける。

「ところで、あのカブトムシは『信者以外には加護を与えることは出来ない』とビートに言ってたらしいけど、そういうものなの?」
「そうでもないみたいですよ。さすがに、明確に敵対している人に力を貸すことはないですけど、一時的に手を組んだ外部の勢力に力を貸した神もいたみたいです」

 だとすると、ビートに力を与えないことの整合性が取れなくなってくる。こうなると、やはりもう一度あのカブトムシを問い質した方が良いのではないか、とロシェルが考え始めたところで、オーキスがロシェルに問いかける。

「私はさっき来て調べ始めたばかりだから、まだこれといって役に立ちそうな情報は無いんだけど、あなたは何か分かったことはある?」

 そう言われたロシェルは、ひとまずこの場にいる3人に対して、ビートから聞いた話をそのまま伝えることにした。

「……ということらしいんだけど、どう思う?」
「ガーゴイルとクワガタ、ですか……」

 現時点でヘラクレスに関して最も深い知識を有しているノアは、これまでに読んだ文献のことを思い出しながら答える。

「少なくとも、どのオリンポスの神話にも、ヘラクレスと因縁のあるクワガタムシはいませんし、ガーゴイルと戦ったという記録もありません。ただ、ヘラクレスと因縁のある魔獣のどれかがを模したガーゴイルがどこかで作られて、それが投影されるという可能性はあるでしょうし、そもそもヘラクレスがカブトムシの姿で投影されていることを前提に考えれば、本来はクワガタムシとは全く関係のない魔物がクワガタムシの姿で投影されることも、ないとは言えないでしょう」

 そして、ノアがそのように考えるのにも、十分な根拠があった。

「過去にこの世界の各地に出現した投影体としてのヘラクレスの伝承によると、それぞれが『同じ地域に投影されたオリンポス界の魔物』と戦ったという記録が多々あります。ですから、その『間もなく出現しようとしているガーゴイル』を倒すために『あのヘラクレス』がこの世界に現れてくれた、という可能性も、十分にありえる話かと」

 この点に関しては、テリスも同意する。

「実際、ヘラクレスに限らず、同じように『この世界に害を成そうとする魔物の投影体』を倒すために『その投影体と同じ世界の神格の投影体』が現れて助けてくれた、という伝承も各地にあるようです。多分、それは召喚魔法師の方々が言うところの『触媒』による召喚と同じような原理なのでしょう。もっとも、因果関係が『逆』の可能性もありますけど……」

 つまり、「ヘラクレス」がこの世界に現れたことによって、「危険なガーゴイル」が引き寄せられてしまったという可能性もありうる、という話である。もっとも、それ以前の問題として、あの地には「黄金羊」の末裔達が存在している以上、それらが「ヘラクレス」と「ガーゴイル」の両者を引き寄せた、と考える方が自然なのかもしれない。

「なるほどね……。分かったわ。それならやっぱり、わたしが直接あのカブトムシと話して確認してみることにする」

 ロシェルがそう告げると、ノアとテリスは頷きながら立ち上がる。

「じゃあ、私は同じ一門の人達にも相談してみます」
「私は、園芸部の人達に話を聞いてみますね」

 そう言って、二人の方がロシェルよりも先に図書館を去って行ったところで、ロシェルはその場に残ったオーキスに声をかける。

「出来れば、あとでわたしの部屋に来てくれない?」
「え? いいけど、それまでに私は何を調べておけばいい? カブトムシとクワガタムシの関係? それとも、クワガタムシとガーゴイルの関係?」
「ううん、そうじゃなくて、今回の件とは別に、個人的にあなたに話したいことがあるの」

 彼女のその声のトーンから、よほど真剣な話であろうと判断したオーキスは、薄々その話の内容を察しつつ、静かに頷いた。

 ******

 ひとまず図書館を後にしたロシェルが、シャリテと共にビートの寮へと向かうと、そこには既に先客がいた。 ヴィッキー・ストラトス である。

「あ、ロシェルちゃん、久しぶりやね」

 彼女の手元には携帯用の小型のまな板と包丁、そして切り分けられたスイカがあった。

「え? どうしてここに? このスイカは?」
「なんか、カブトムシの神様が現れたって聞いたから、話聞こうかと思うて、お供え物を持って来たんよ。良かったら、一緒に食べる?」

 そう言って、彼女は手元の一切れをロシェルに手渡す(ちなみに、このスイカは園芸部にて、サミュエル・アルティナスから購入した代物である)。

「あぁ、うん、ありがとう……」

 ロシェルは戸惑いながらもそのスイカを受け取る。そして、部屋の中では既にビートとヘラクレスが美味しそうにスイカを頬張っていた。そんな中、ヴィッキーはヘラクレスに語りかける。

「さて、それでは神様、色々と話を聞かせてほしいのですが……」
「うむ。何から聞きたい?」

 心做しか、若干上機嫌な声のようにも聞こえる。

「あなたは、どんな力が使えるんですか?」
「我が信者となりて、我が加護を受ければ、並大抵のことでは倒れぬ強靭な肉体と、いかなる強敵をも打ち破る力を与えることが出来る。英雄神としての我の力の片鱗を受け取ることになるのだからな」

 ヘラクレスがそう答えたところで、ロシェルは口を挟む。

「ねぇ、さっき調べたら、他の神様は、別に自分の信者じゃなくてもその力を与えることが出来る、って聞いたんだけど、あなたはそれが出来ないの?」
「え!? そうなのか、ヘラクレス!?」

 ビートが声を荒げて問い詰めると、ヘラクレスは少し間を開けた上で答える。

「……出来なくはない。だが、それも場合による。少なくとも、お主に関しては、明確に我が信徒となる意志を示さぬことには、力は貸し与えられぬ」
「なんでだよ!?」
「お主には、既に『別の神の加護』が備わっているからだ。心当たりがあるだろう?」

 その返答を聞いたロシェルとヴィッキーが驚いた様子でビート視線を向けると、ビートはやや困惑した様子で答える。

「た、確かに、俺の母上は女神ヘカテーの信徒で、俺に魔法の資質があるのも、そのおかげじゃないか、って言われてたけど……」
「そういうことだ。お主の血族には『あの女』の加護が染み付いている。そして、我とあの女は色々な意味で『相性』が悪い。だから、我が加護を与えようとしても、あの女の加護がそれを邪魔してしまう。それを跳ね除けてでも我が加護を得たいというのなら、心の底から我に心酔しなければならぬのだ。あのモグラ達のように」

 「あのモグラ達」と言われたところで、そもそもビートは先日の牧場での騒動には関わっていなかったので、今ひとつ実感が沸かない。ただ、そのように説明されると、ビートとしても納得せざるを得なかった。
 このやりとりを踏まえた上で、改めてロシェルがヘラクレスに問いかける。

「じゃあ、たとえば私なら、あなたの信者にならなくても、あなたの加護を受けることが出来る、ってこと?」
「そうだな、お主からは、他の神格の加護は感知出来ない」
「当たり前よ、宗教にすがるなんて『自力で解決することを放棄した、他人任せな行為』だもの。私がそんなものに頼る訳ないじゃない」
「……そのようなことを言ってのける輩に、力を貸してやる謂れもないな」

 どうやらロシェルは「神」を相手にした対話には向いていないと判断したヴィッキーは、引き続き自分が(雑談レベルから)交渉を続けることにした。

「この世界に来る前は、どのような存在だったのですか?」
「我は大神ゼウスの子にして、英雄ペルセウスの末裔でもあり、そして十二の試練を初めとする数多の冒険を乗り越えた、オリンポス界一の勇者であった。最後は非業の死を遂げたが、その後、神としてあらゆる冒険者達の目標で有り続けた、それが我だ」
「なるほど。仮に、そんなあなたの信者が増えれば、あなたの『神としての力』はより強大になるのですか?」
「そうだな。神は崇められてこそ神だ。そして我の力が強まれば強まる程、ガーゴイルの再臨の可能性は低くなる」
「その、ガーゴイルというのは、オリンポス界からの宿敵なのですか?」
「厳密に言えば、違う。オリンポス界でも、そしてこの世界でもない別の世界において、我の宿敵を模して作られた12種類のガーゴイルが、この世界に投影されようとしている」

 ようやく有用な情報が出てきたことで、ロシェルとビートも本気で耳を傾け始める。

「12種類のガーゴイル?」
「あぁ。もっとも、そのうちのどれが出現するかは分からない。前に一度倒した存在が再び現れることも、この世界では珍しくないようだからな」
「つまり、どのような力の持ち主かも分からない、と?」
「そうだな。共通しているのは、いずれも我に倒された怪物の因子を受け継いでいる以上、我の加護の強い区域においては、仮に投影されたとしても、大して強い力は発揮出来ない、ということだ」
「その眷属がクワガタムシというのは、何かの示唆だったりはしないのですか?」
「いや、それはおそらく、今のこの我の姿が触媒となって、我に対するその怪物の憎しみが、眷属をそのような姿に変えてしまったのだろう。もしくは我に対する敵愾心を共有出来る者達を、新たに眷属として加えたのかもしれん」

 どこまで話に信憑性があるのかは分からない。だが、それなりに筋は通っているようにも聞こえた(大前提となる部分が間違っていたら、全てはひっくり返るのだが)。
 そして、ここでもう一度ロシェルが口を開く。

「もし、あなたが望むなら、あなたに『人間』としての姿を与えることも出来るかもしれないんだけど、どう思う?」
「……どういうことだ?」
「わたしの養父は『義体』を作り出す技術があるの。だから、あなたがその身体で不自由しているのなら、あなたの『人間だった頃の肉体』に近い身体を再現させることも出来るかもしれない。もちろん、あなたが望むなら、だけど」

 そこでヴィッキーも更に質問を重ねる。

「それは私も気になっていたところです。その姿は、神として不都合はないのですか?」

 二人のその問いかけに対し、ヘラクレスは堂々たる態度で答える。

「何の不都合があろうか。そもそも、神となった時点で『肉体』など仮の器にすぎない。そして我はあくまでも『英雄神』であって、既に『英雄』ではない。この世界における我が使命は、あくまでも『この世界の英雄』を生み出すことであって、我がこの世界の住人達に成り代わって英雄になりたい訳ではない。そのような功名心も名誉欲も、とうの昔に消え失せた。大切なのは、英雄となる者達の道標としてのオーラをこの身体から感じ取ることが出来るかどうかだ」

 ヘラクレスはそう告げた上で、ビートに向き直る。

「ビートよ、お主の目には、我はどう映る?」
「どうって…………、そりゃあ……、カッコいいよ!」
「ならばそれで良い。我もお主の心に勇者の魂が宿っていることは分かっている。その魂を高揚させるような姿を見せることが出来ているというのなら、そこに何の不都合があろうか」

 要するに、ヘラクレスとしては「強さを求める少年の心に響くような姿であるなら、それでいい」ということらしい。

「ふーん……、まぁ、あなた“は”その姿で満足してるというのなら、別にいいけどね」

 何やら微妙に含みのある言い方ではあったが、ひとまずここまでの話を総合する限り、今はこのヘラクレスの言う通りに「神殿建設」の方向で進めた方が良いと考えたロシェルとビートは、それぞれの養父に頼んで再び牧場主に建設許可の話を持ちかけることにした上で、ヴィッキーはその広い人脈を生かして、そのための協力者を募ることにした。

(ほなら、まずはこのスイカを売ってくれた園芸部の彼に伝えとこか)

 ******

 その日の夕刻、図書館の一角の魔物に関する書庫の近辺を、日頃はあまり図書館に足を運ぶことのない、顔に赤い傷を持つ一人の「人相の悪い少年」が徘徊していた。彼の名は レナード・メレテス 。ブレトランド出身で、現地で活躍する地球人の投影体に憧れて、「グッド・ヤンキー」を目指している14歳の男子学生である。彼は先刻、同門のノアが一人で大量の調べ物を抱えていたのを見かねて、彼(彼女)が調べようとしていた「異界のガーゴイル」に関する文献を探しに来ていた。

「正直、調べモンは苦手なんだなぁ……、でもまぁ、アイツに全部任せると、どうせまた無茶しやがるだろうし、それに……」

 彼は元々目付きの悪い瞳を、更に鋭く光らせる。

「邪悪な投影体が出るってんなら、黙ってる訳にはいかねぇしな!」

 レナードがそう決意を固めつつ、それらしき目星をつけてガーゴイル関連の本を探し回った結果、ようやく関係がありそうな本を一冊見つける。

「お! これ……」

 そう呟きながら手を伸ばしたところで、横から別の手が割って入り、彼よりも先にその本を書庫から抜き取ってしまう。

「オイ! オメェ! その本はオレが先に目ぇ付けて……」

 そう言いながらレナードその「手」の主に視線を移すと、そこにいたのは、黒いフード付きのローブを(顔すら見えないほどに)深く被った人物であった。端的に言って、レナードとは真逆の意味で「近寄りたくない雰囲気」を醸し出していた。そのローブの人物は、静かな声で答える(それは、明らかに「男性」の声であった)。

「……これは、ガーゴイルの本だ」
「分かってんだよ! んなこたぁ! こっちもそれを探してここまで来てんだからよぉ!」
「悪いが、これは俺の戦いのために必要な本……」
「オメェの戦い? どういうことだ?」
「あまり多くは語りたくない。巻き込みたくはないからな……」

 その言葉は、「強さ」を求める少年に対しては禁句であった。これからガーゴイルを討伐しようと意気込んでいたところで、いきなり初対面の見ず知らずの人物に上から目線で「守られる側」扱いされて、黙っていられる筈がない。

「オメェ……、オレを格下扱いするたぁ、いい度胸だな……」

 ナメられたと思ったレナードが沸々と怒りを高めていく中、その場に別の少年が現れる。 マシュー・アルティナス である。

「あ、ゼイドさん! ちょうど良かった!」

 彼はそう言って、横からこのローブの男に語りかける。このローブの男の名は、 ゼイド・アルティナス 。マシューの二つ年上の15で、彼と同じアルティナス一門の魔法学生だが、日頃からローブを深く被って顔を隠しており、同門のマシューですら、その素顔は知らない。

「サミュエル君から伝言です。どうやら、黄金羊牧場の方でガーゴイルの出現の気配があるらしいから、一門の中で余裕のある人はその封印のための神殿……」
「ガーゴイル、だと!」

 ローブの男ことゼイドは、声を荒げる。それは明らかに先刻までの淡々とした口調の彼とは様子が異なっていた。

「オメェ、その話を聞いた上で、その本を借りようとしてたんじゃねぇのか?」
「初耳だ」

 ゼイドは再び静かな口調でそう語るが、どこか平静を装いきれていない、心の波動の揺れが感じ取れる。

(てっきり、自分一人で手柄を独占しようとしてんのかと思ったけど、今回の話とは無関係にあの本を探してたってことは、コイツ、どうやら本当にガーゴイルに対して、よっぽど深い恨みか何かがあるみてぇだな……)

 レナードはそんなことを思いながら、自分の頬の赤い傷に手を当てる。

(オレにとっての、ヤツみたいなもんなのか……)

 レナードの頬の傷は、かつて「異界の邪神」によって付けられた痕である。グッドヤンキーとして、全ての邪悪な投影体を倒し尽くす覚悟を固めているレナードであったが、その中でも「あの時の邪神」だけは別格であった。

(だとしたら、まぁ、気持ちも分からなくはねぇ気もするが……)

 少し冷静になったレナードがそう思い始めたところで、ゼイドは手にしていた本をレナードに差し出す。

「え?」
「ガーゴイルがすぐそこまで来ているなら、話は別だ」
「どういうことだよ?」
「ガーゴイルは、いつどこに何体出てくるか分からない。俺一人では倒しきれない。だから、皆が対策を講じる必要がある」
「お、おぉ、ありがとよ……、でも、いいのか、オメエは?」
「その本は前にも借りたことがある。忘れかけた箇所もあるから、確認のために少し読み返そうと思っただけだ」
「だったら! 最初から譲れや!」

 レナードがそう叫ぶと、周囲の他の利用者から冷たい視線が向けられる。思わずマシューが苦笑しながら、二人の間に割って入る。

「すみませんね、この人、口数が少ないから、ちょっと誤解されやすくて……。これでも、根はいい人なんですよ」
「あー、まぁ、それはなんとなく分かったけどよ……」

 実際、言葉足らずであるが故に周囲から誤解されやすいという意味では、レナードもあまり人のことを言えた立場ではない。

「とりあえず、俺はレナード・メレテスだ。オメェがなんでガーゴイルにこだわんのかは知らねえけど、まぁ、よろしく頼むぜ」
「俺の名はゼイド。言うべきことは、それだけだ」

 そう言って、ゼイドはより専門的な投影体に関する書庫へと足を踏み入れて行く。

「僕は、マシュー・アルティナスです、よろしく」

 目の前にいる(まだ微妙に不機嫌そうな)強面の先輩を相手に、顔色一つ変えずにマシューはそう言った。

(コイツもコイツで、こう見えて腹座ってそうなヤツっぽいな……)

 ******

 同じ頃、約束通りにオーキスはロシェルの部屋を訪れていた。ロシェルは彼女を笑顔で迎えつつ、隣にシャリテを座らせた状態で、少し言いにくそうな仕草を見せながら語り始める。

「わたしね、あなたの正体、実は気付いてるんだ……」
「そう……、やっぱり、あの先輩達との乱闘の時に、あなたも私の血を……」
「ううん、その前から、なんとなく分かってたの。あなたからは、わたしと同じ臭いを感じてたから」
「…………同じ臭い?」

 オーキスは、その言葉の意味を測りかねている中、ロシェルは話を続ける。

「この話をしてもいいのか、迷った。でも、私はあなたと、より親密な友人として、仲良くなりたいの」
「私の正体を知ってなお、そう言ってくれるのね」
「もちろんよ。そして……、出来ればあなたにも、わたしの『正体』を知ってほしい。ただ、その前に、一つだけ……」

 彼女はそこまで言ったところで、少し間を開けた上で、オーキスに問いかける。

「ねぇ、もし、『わたし』が『私』ではなかったとしても、変わらずひとりの友人として、接してくれる?」
「当たり前じゃない。あなたが私の正体を知ってなお、友人でいてくれるというのなら、そんな人を私が手放す訳がないわ」

 オーキスの口調自体はいつも通りの淡々としたテンポであるが、その端々に、これまで彼女から感じられなかった「感情(と思しきなにか)」の波動が発生していた。その違いにロシェルが気付いていたかは定かではないが、彼女は意を決して、語り始める。

「わたし、実は…………」

 ******

「…………そうだったのね」

 真実を聞かされたオーキスは、その「真実」そのものに対しては、そこまで大きな衝撃を感じてはいなかった。ロシェルにとってのオーキスがそうであったように、オーキスにとっても、ロシェルが「普通ではない存在」であることが分かったことに対して、驚愕よりも共感の感情の方が高まっていたのである。むしろオーキスが驚愕していたのは、その「真実」を彼女が自分に話してくれたことであった。

「ありがとう。そんな大事なことを、私に教えてくれて。とても、なんだろう……たぶん、嬉しい、のだと思う」
「あなたにしか教えられない。あなただから教えられたことなの。あなたは本当に大切な存在だから。でも、やっぱり、ちょっと怖かった。だって、ずっと騙し続けてきたようなものだし」
「思うところが無いわけではないけれど……、特に気にしていないわ。私だって、普通ではないし。それに、私たち、友達でしょう?」

 オーキスはそう言いながら、彼女にとっての「初めての感情」を込めた表情を浮かべる。その上で、オーキスは改めて「自分のこと」を語り始める。

「あなたは私の正体に気付いてると言ったけど、多分、まだ正確には把握しきれていないと思う。ただ、私の『全て』を明かすのは……、ごめんなさい。もう少し考える時間が欲しいわ。
貴方ならよくわかってると思うけれど、大事なことだから」
「そうね。あなたの気持ちが固まった時でいいわ。いつまででも待つから」
「ありがあとう。でも、これだけは伝えておいてもいいかしら……」

 オーキスは、そう前置きした上で、静かな声で伝える。

「……私については、メルキューレ先生も少し関わっているわ」

 ロシェルにそのことを伝えることの意味を、ロシェルが感じ取れたかどうかは分からない。そして、二人がそんな会話を交わしている間、ロシェルの隣のシャリテは、ただひたすら、じっとオーキスのことを見つめていた。

 ******

 この日の深夜、ゼイドは一人、図書館の最奥部の書庫で見つけた書物を読み漁っていた。それは、何処かの世界に存在すると言われる「ガーゴイル職人」の記録。その職人は様々な世界の魔物を模したガーゴイルを作成し続け、その多くがアトラタン世界に「敵対的投影体」として投影されている。
 彼の生み出したガーゴイルは、ある時は偶発的に、またある時は人為的に、このエーラムの近辺にも何度も出没したという記録もある。一説によれば、それは遥か昔、この「異界のガーゴイル職人」自身がこの世界に投影され、そして自身が投影体であることを隠したままエーラムの魔法師となった上で、この地域に何らかの「仕掛け」を施した、という伝承もあるが、今のところはあくまで俗説にすぎない。
 だが、エーラムでは「禁呪」扱いとなっている魔法の一つに、この「ガーゴイル職人」が作った異界のガーゴイルを呼び出す召喚魔法は、確かに存在していた。それは一部の闇魔法師達の間で継承されており、それが最終的にゼイドの故郷を滅ぼすに至った。

(今回のガーゴイルもまた「あの系譜のガーゴイル」なのか……、そして、偶発的投影なのか、それとも、人為的投影なのか……)

 ゼイドにしてみれば、どのような経緯で出現したどのようなガーゴイルであろうとも、人々に危害を及ぼすならば、何を以ってしても倒さなければならない。今のゼイドはまだ「正規の魔法」を使える状態ではない以上、現実問題として自分一人で出来ることには限界があったが、それでも策を巡らせ、大量のガーゴイルが現れた場合に備えての作戦を練り続けていた。

 ******

 翌日。ビートとロシェルからの要請に応じて、再びアルジェントとメルキューレの兄弟が黄金羊牧場の主に話をつけた上で、牧場の近くの森におえる「神殿建設」および「クワガタ駆除」作戦が始まった。
+ アルジェント/メルキューレ
 アルジェントの指揮の下、前日の時点で突発的に集められた「神殿建設班」は、昨夜の時点でサミュエルから話を聞いて応じることになったマシューに加えて、 リヴィエラ・ロータス シャロン・アーバスノット ヴィルヘルミネ・クレセント カイル・ロートレック といった面々である。
 その上で、その神殿の「主」となるべく同行したヘラクレスに対して、まずはマシューが問いかける。

「さて、神様。神殿を作るとして、どれくらいの大きさが必要?」
「そうだな。参拝者の事情を考えれば、人間が入れる程度の大きさが理想だろうが、正直、我はそこまでだだっ広い空間では落ち着かぬ。それに我が力を建物そのものに込めるという意味でも、まずは小型の、4LDK程度の広さが理想だな」

 カブトムシにとっての4LDKとなると、実質的には「神殿」というよりは「小さな祠」程度の存在である(そもそも、一人暮らし予定のカブトムシがなぜ何部屋も必要とするのかもよく分からないが)。
 その話を、あまり興味なさそうな顔で聞いていたアルジェントは、ひとまず皆に号令を出す。

「ではお前達、適当にデザインして、適当に木でも切って、適当に組み上げておけ」
「…………お主は、手伝う気はないのか?」

 ヘラクレスがアルジェントにそう問いかけると、表情一つ変えずにアルジェントは答える。

「私がここに来たのは、あくまで『万が一、ガーゴイルが出た時』に備えてだ。子供とカブトムシのままごとを邪魔する程、無粋ではない」

 そうは言いつつも、建設予定地の周囲の木はアルジェントが魔法で伐採し、木材となりそうな部分を子供達に示唆するなど、最低限の協力姿勢は示していた。

「さて、神殿のデザインか……。誰か、そういうのが得意な人とか、いる?」

 マシューがそう問いかけるが、さすがにそんな経験のある者は誰もいない。そんな中、リヴィエラが自信なさそうな様子で手を挙げる。彼女は、中途半端に余所の神話存在に関わるとロクなことにならないと教えられていたが、だからといって、この状況で放っておくのもロクなことにならないと思ったので、ひっそりと協力するために今回の計画に同行していたのである。

「一応、私の実家の海の神様の施設はなんとなく覚えてますけど、でもさすがに、大きさも形状もあんまり参考にならないというか……」

 その発言に対して、ヘラクレスが興味を示す。

「ほう、ポセイドン神殿か。ふむ、それもデザインとしては悪くない」
「え? 誰です、それ……?」

 リヴィエラの故郷で崇められていた神は、残念ながらオリンポス界の神ではなかった。一応、彼女は今回の計画に参加する直前に、ヘラクレスに関する最低限の知識は確認していたのだが、さすがに彼の伯父の名前までは確認していなかったようである。
 微妙な空気が広がる中、今度はヴィルヘルミネが声を上げる。

「じゃあ、わたし、神殿の前に作る『祭壇』のデザインしていいかな? 実は、ちょっと考えてきてるんだ」

 そう言って、彼女は先刻アルジェントが切ったばかりの「切り株」の一つを指差すと、スキップ気味のステップでその切り株へと近付き、そこに綺麗な布を被せる。

「ね? きれいでしょ? ここに、花と、お供え物と、あと、お水用の器を用意すれば……」

 ヴィルヘルミネはそこまで言ったところで、一つ致命的な問題に気付く。

「あー、でも、それだと、神殿よりも祭壇の方が目立っちゃう……?」
「いや、別にそれで構わん。というか、我の大きさに合わせた祭壇では、参拝する者達は不便であろう。祭壇はあくまで人間のための物。お主達が神殿に入ることが叶わぬ分、せめてそこはお主達にとって都合の良い大きさで作れば良い」

 ヘラクレスに言われたヴィルヘルミネは、さっそく祭壇の周囲の手入れを始めた。そして、ここで今度はカイルが口を開く。

「せっかく神殿作るなら、かっこよくしようぜ!」
「かっこよぐ? どんなーカンジー?」

 シャロンにそう問われたカイルは、自信満々に語り始める。

「空飛ぶ神殿とか、めっちゃかっこよくね? 小型サイズなら、飛行装置は俺でも作れそうだし、いざとなったらメルキューレ先生にも手伝ってもらって……」
「残念だが、それでは意味がない」

 無情にも、ヘラクレス自身があっさりとダメ出ししてきた。

「えー? なんでだよ?」
「今回の神殿の建設意義は『この大地』に我の力を注ぎ込むこと。我の力を込めた神殿が宙に浮かんでしまっては、本末転倒だ」
「そっか……、じゃあ、変形して巨大ロボになるってのは?」
「二足歩行型も、それはそれで大地との接触面積が狭い上に、そもそもバランスが悪い。変形のために何度も神殿本体の角度を揺らされるのも困る。せめて我と同じ六足歩行なら、まだバランスも取れるだろうが……、お主達は、多脚歩行する神殿に参拝したいと思うか?」

 その質問に対して、カイル以外の全員が微妙な表情を浮かべると、カイルも仕方なく提案を取り下げる。どうやら、今回は彼の突飛な技術と発想力は必要ないらしい。
 またしても微妙な空気が広がる中、ひとまずシャロンが皆を和ませようとする。

「まあ細かい事はでーじょーぶだー、多分、いざ作ってみればどうにでもなるだー」

 ******

 一方、その頃、「クワガタ討伐組」としてメルキューレの元に集まっていたのは、 ジュード・アイアス アツシ・ハイデルベルグ サミュエル・アルティナス 、そして、ビートもまた「こちら側」に加わっていた。

「私が先刻から何匹か見た限り、この森のクワガタムシ達自身は、投影体ではありません。ただ、先日のモグラ害の時もそうだったのですが、どこか精神に異常をきたしているようで、やや凶暴性がましているように思えます。おそらくそれが、あのヘラクレスが言うところの『ガーゴイル』の影響なのでしょうが、皆さん、気をつけて」

 メルキューレがそう忠告すると、ジュードがここまで引きずってきた手押し車の中から、虫取り網や虫籠をアツシ達に渡していく。

「よーし! ビート! 強いクワガタいっぱい集めて、最強クワガタトーナメントやろうぜ!」
「はい! アツシさん!」

 なんだかんだで波長が合う二人は、そのまま森の奥へ向けて駆け出して行く。ビートが「こちら側」に参加したのは、直接の養父であるアルジェントの目の前だと色々と気が休まらないから、という理由もあるが、単純に、この機会にカブトムシ以外の昆虫にも触れてみたい、という純粋な少年心が故である。
 一方、そんな二人とさほど歳も変わらないジュードは、いつも通りの「商売人の目」で、今のこの状況を概括していた。

(さて……、てっきり投影体だと思っていましたが、違うのですね。まぁ、まだこの後で別の「投影体のクワガタ」が現れる可能性もありますが……、とりあえずは危険な投影体でないのなら、捕獲したクワガタには、「商品」としての需要はあるのでしょうか?)

 とりあえず、作業が深夜まで長引いた時に備えてランタンや油も準備してあるし、状況によっては必要になりそうな梯子や、柄が長めの虫取り網などの準備も万端であった。

「ところで、あなたは行かないんですか?」

 ジュードは傍らにいたサミュエルにそう問いかけると、彼は背負っていた鞄を下ろす。

「オレには、とっておきの秘策がある!」

 そう言って彼が鞄の中から取り出したのは、「網状に包まれた果物」である。これらは、いずれも園芸部の果樹園で採れた代物をであった。

「これを夜に吊るしておく。ヴィッキーって子に教えてもらったんだ。あの子はかしこいぞ」
「あぁ、ヴィッキーさんの発案ですか、なるほど。納得です」

 なお、この日のヴィッキーは、残念ながらもともと別件の予定が入っていたようで、この場には来ていなかった。

 ******

「とりあえずー、のみもののむー?」

 神殿建築が一段落したところで、シャロンが皆に自家製の果汁液を振る舞う中、既に祭壇を作り終えたヴィルヘルミネは、神殿の完成を待つヘラクレスの話し相手となっていた。オリンポス界時代のヘラクレスの逸話(自慢話)を聞きつつ、ヴィルヘルミネが祖父から聞いた「春を招く神のお話」などを語ったりする中、ふと彼女は「あること」を聞いてみたくなった。

「わたしのご先祖さまが元々住んでた世界には、気まぐれに願いを叶える女性(にょしょう)の現人神がいらっしゃったそうですが、ご存知ないです?」
「ふむ……、さすがに他の世界のことまでは分からぬな。ただ、似たような神ならば我の世界にもいないことはない。というか、女神はどいつもこいつも気まぐれなものだ」

 ヘラクレスが誰のことを想定していたのかはよく分からないが、そのままヴィルへルミネは次の話題へと移る。

「そういえば、神さまへのお祈りに、したらダメなことはありますか? 使ってはダメな色とか、言葉とか、やってはいけないことです」
「それは神によりけりだろうが、大抵の場合、神そのものの以降よりも、神の周りにいる人間達の勝手な思い込みで、奇妙な禁止事項が作られていることが多いようだな。ちなみに、我は特に何もない。意図的に我を不快にしようとする所業でない限りは、何でも受け入れよう」
「なるほど。では、一つお願いしたいことがあるのですが……?」
「なんだ?」
「弟達に、神さまの絵を描いて、送ってもいいですか?」

 ヴィルヘルミネの実弟達は、虫が好きらしい。

「無論、構わぬぞ。我が姿を見て、いつか自分もこのような勇者・英雄の境地に辿り着きたいという志を抱くことに繋がるのであれば、それは我が本懐である」
「ありがとうございます」

 そう言って、ヴィルヘルミネがおもむろに画材を取り出すと、唐突に森の方から、少年の叫び声が聞こえる。

「今のごえ、アヅシさんじゃねーが?」

 シャロンが心配そうに森を見つめると、隣でマシューが呟く。

「どうやら、僕の設置した『ガーゴイル用の罠』に引っかかってしまったみたいだね。こっち側まではこないだろうと思ってたんだけど……」

 ひとまず、マシューは現地へと向かうことにした。

 ******

「いやー、ごめんごめん。言っておくのを忘れてた。万が一、ガーゴイルが先に現れた時のことを考えて、罠を先に設置しておいたんだよ」

 マシューはそう言いながら、木の上の方で「網」にくるまった状態で捕まっているアツシに声をかける。その隣では、心配そうにビートが見上げていた。

「アツシさーん、大丈夫ですかー?」
「あぁ、ビックリしたけど、大丈夫だ。とりあえず、罠だっていうなら、この網は破らない方がいいよな?」
「うん、ちょっと待ってね。今、下ろすから」

 マシューがそう言って、アツシをくるんでいる「網」の地上部分の先端の縄に手をかけようとするが、そこで今度は別の方向から、サミュエルの声が聞こえた。

「な、なんだこれ! トリモチか? か、体が、動かな……」

 その反応を聞いて、マシューは首をかしげる。

「あれ? あんなところに罠を設置した覚えはないんだけど……」

 そもそも「トリモチ」を用意した記憶もない。

(あ、そうか、「あの人」か……)

 マシューがアツシの救出作業に従事する中、ビートが一人でサミュエルのいる方向へと走っていくが、彼が到着した時点では、既にサミュエルは(まだ服の一部に微妙なトリモチが残っていたが)解放されていた。

「何があったんですか?」
「いやー、なんかよく分からないんだけど、へんなトリモチみたいなのに服がくっついてしまって、そこから抜け出ようとしてたら、『後ろから現れた誰か』に助けられた」
「誰か?」
「顔は見えなかったんだ。なんだか、黒いローブを深々と被ってたから、闇魔法師かと思ったんだけど、でも、それなら何で俺を助けたのかが分からない」

 そんなモヤモヤした気持ちを抱えつつ、サミュエルは果物袋をひとまず設置した上で、一旦アツシ達と共にメルキューレの元へ機関することにした。

 ******

 そして、この日の夕刻前には、(サイズはともかく)立派な「ヘラクレス神殿」が完成し、メルキューレ組も合流する形でその神殿(極小)の前に集まることになった。アツシとビートの虫籠の中には、大量のクワガタムシが捕獲されており、そしてそれらは(メルキューレが言っていた通り)どこか通常のクワガタムシ以上に殺気立った雰囲気を醸し出し、特にヘラクレスに向かって敵意を見せているように見えた。

「よくやってくれた。では、ここから先は我の仕事だな」

 ヘラクレスはそう言って「神殿」の中に入ると、徐々にその神殿(極小)全体が神々しい光で満ちていく。

「これが、神の力……」

 今に至るまで信用しきれていなかったビートも、ここに来てようやく、あのカブトムシが本当に「神格(もしくはそれに類する何か)」の投影体であることを実感する。そして、気付いた時には、彼の手元のクワガタ達の様子は、すっかりおとなしくなっていた。
 そして、神殿の窓からヘラクレスが顔(?)を出す。

「ひとまず、この周囲の邪気は払った。収束しつつあったガーゴイル達の投影体も、これで当面は出現することはないだろう。我がここにいる限りはな」

 彼がそう告げたところで、ビートが少し寂しそうな声で問いかける。

「じゃあ、お前はもう、俺の部屋には戻って来ないのか?」
「当面はな。まだ奴等の混沌の残滓はこの辺りに残っている。いつ再び不穏な収束を始めるのか分からない以上、今は動かぬ方が賢明だろう」
「そっか……」
「心配しなくとも、新しい友達なら、既にその籠の中にいくらでもいるだろう」
「いや! 友達じゃねーし! ちゃんと人間の友達いるし! てか、お前も、別に友達じゃねーし!」
「まぁ、会いたくなった時は、またいつでも来ればいい。スイカの一つも持参してくれば、お主を我が第一の信徒として迎え入れよう」
「……百歩譲って『友達』なら考えなくもないけど、『信徒』にはならねーよ!」

 一人と一匹(一柱?)のそんなやり取りが一段落したところで、学生達は森から去っていく。そんな彼等の後ろ姿を眺めながら、ヘラクレスの中ではふと、「ある疑問」が思い浮かんでいた。

「あの子供……、なぜ神格の身でありながら、人間のふりをして学校などに通っているのだろう……?」

 ******

「や〜〜〜〜〜〜〜っと、補修が終わったぜ! さぁ、待ってやがれ! ガーゴイル!」

 そう叫びながら、球技用の打撃棒を背負いつつレナードが牧場へと向かおうとしたところで、マシュー達の帰路に遭遇する。

「あ、レナードさん」
「おぉ、マシュー、だったか? 今、戦況はどうなってる?」
「安心して下さい。無事に、ガーゴイルが出る前に森は概ね浄化されたみたいです」
「はぁぁぁぁ!? じゃあ、俺がせっかく用意したこの新品のバットはどうすればいいんだよ!」
「まぁ、あれだけ調べたガーゴイル対策は、それはそれでまたいつか役に立ちますよ」

 そこへ横からアツシが割って入る。

「へぇ、なかなかいいバットじゃないか。よし、野球やろうぜ! 俺、ピッチャーな」
「誰だよ、オメェ!?」
「じゃあー、今度はおらが球を受けるだな」
「いや、誰だよ、オメェも!?」

 その後、彼等が実際に球技場へと向かったかどうかは定かではない。

 ******

 やがて陽が落ちていく中、ゼイドは前夜の時点から用意していた対ガーゴイル用の罠を一つ一つ丁寧に外していく。

(やはり、事前に話し合っておくべきだったか……)

 トリモチ程度の罠しか設置出来なかったのも、万が一、味方(となりうる勢力)に害を与えないためのギリギリの妥協策だった。とはいえ、このエーラムに来て以来、ろくにまともな人間関係を築いていない(そもそも「素顔」も「本当の名前」も明かしていない)今のゼイドには、協力関係構築のために必要な前提条件がいくつも欠けていた。
 実際のところ、今回は無事に神殿の建設によってガーゴイルの再臨を防げたものの、それがあと数日遅かったらどうなっていたか分からないということは、昨夜この森に潜入した時点でゼイドは実感していた。その時点でのこの森の雰囲気は、あまりにも彼が故郷で感じた時の空気感と似すぎていたのである。
 そんな彼の孤独な後ろ姿を、ヘラクレスは静かに見守っていた。

(勇者よ、いつかお主の力が必要になる時は来る。その時まで、静かに牙を研いておくことだ)

4、TRPG体験会

 数週間前、図書館で発見されたTRPGのルールブック『マギカロギア』(のオルガノン)。この奇妙な異界の遊戯を実際に体験してみようと考えて、立ち上がった者達がいた。 テオフラストゥス・ローゼンクロイツ と、 ロウライズ・ストラトス である。
 彼等は、新たに「ラトゥナ」の名を得たマギカロギアのオルガノンと、そして高等教員のクロードの協力を受けて、この日の放課後、魔法学校の校舎の中の教室の一つを借りて、「TRPG体験会」という謎のイベントを開催することになったのである。
+ ラトゥナ(左)・クロード(右)

「では、ひとまずGM要員はラトゥナ君とテオフラストゥス君。ロウライズ君はプレイヤーとしての参加ということで。私は受付を担当しつつ、どうしても人数が足りない場合に備えて、GMでもプレイヤーでも入れる準備はしておきます」

 開会前にクロードが自分以外のスタッフ三人に対してそう告げると、ラトゥナがテオフラストゥスに助言する。出来れば事前にスタッフ間で練習セッションをしておきたいところだったが、なかなかスケジュールが合わず、実現出来なかったため、テオフラストゥスにとっては、今回が(少なくとも「今周回における」)生涯初のGMである。

「最初は無理をせず、このサンプルシナリオを、本文に書いてある通りに進めていけばいい。それで流れが掴めれば、自分のシナリオを作ることも出来るようになる」
「分かりました」
「実際、私には、シナリオを作ることは出来ない。私はあくまでただの「本」。この本から新たな「シナリオ」を作れるのは、人の心がある者だけ。だから、あなたには期待している」

 そんなやりとりを交わしている中、まだ開会時間には少し早いくらいのタイミングで、扉を開く者が現れた。ラトゥナの名付け親でもある エト・カサブランカ である。

「すみません、プレイヤー入場の時間はもう少し後で……」

 一番扉の近くにいたロウライズがそう言いかけたところで、エトは少し怯えながら答える。

「あ、いや、その、僕は、プレイヤーとしてじゃなくて、出来れば、その……、ラトさんの、お手伝いがしたというか……」
「私の?」

 名付け親からの意外な申し出に、ラトゥナはきょとんとした顔で答える。

「こ、こんにちはラトさん。えっと、マギカロギア…遊べるって聞いて、その、僕も良ければ、サブGM、っていうんですか? その、そういう形で参加したいと思って。来ました。えっと、その、よろしくお願いします……」

 実際のところ、エトもまだTRPGを遊んだことがない身なので、自分で「サブGM」と言ってみたものの、何をすれば良いのかもよく分かっていない。

「えと、その。TRPG……についてお勉強と……、皆さんのお手伝いが出来たらと思って、来ました。得意な事とかが、ある訳じゃないですが…が、がんばりますので、よろしくお願いします……!」

 意外な形でのその申し出に一同は少々戸惑うが、少し考えた上で、クロードが問いかける。

「ルールは、頭に入っていますか?」
「あ、はい。まだ実際にやったことはないから、完全に、とは言えませんけど……」
「キャラメイクのサポートは出来ます?」
「た、多分……。一応、自分でも作ってみたので……」

 実際のところ、初心者卓におけるサブGMの一番の仕事は、キャラメイク時のサポートである。GM一人で全員分のキャラメイクを手伝うのは大変なので、それを助けてくれる人員がいるだけでも、かなり助かることは間違いない

「分かりました。そういうことなら、お願いしましょう。とりあえず、彼女の指示に従って、色々やってみて下さい」

 実際のところ、どちらかと言えばサポートが必要なのはテオフラストゥスのような気もするのだが、初心者GMに初心者サブGMを付けるとかえって混乱する可能性が高そうに思えたので、エトにはむしろラトゥナの卓で彼女からの指導を受けながら協力してもらって、テオフラストゥスが困った時は横から自分が手伝いに行けば良い、とクロードは考えていた。

「ありがとうございます! ええと、何かいま足りないものとか、ありますか……?」
「いえ、準備はもう万端です。もし、あなたに足りないものがあるとするなら、『余裕を持って遊ぶ心』ですかね」
「わ、分かりました。え、えとえと。本日はよろしくお願いします……!」

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 そして、開会時間となったところでロウライズが扉を開けると、そこには既に、男女5人の来客の姿があった。クロードの直弟子の テラ・オクセンシェルナ と、生命学部の天才少年ユタ・クアドラント(下図左)、そして大衆食堂「多島海」の三姉妹(右)である。
+ ユタ/三姉妹

「ようこそ! TRPG体験会へ!」

 ロウライズのその声と共に、5人は教室内へと案内される。

「さて、では、皆さん。本日はプレイヤーとしての参加希望、ということでよろしいですね?」

 クロードがそう確認した段階で、ユタと三姉妹は素直に頷くが、テラは首を振った。

「いえ、私は、見学で……」
「えぇー! テラさん、せっかく来たのに、遊んでいかないのかよ!」

 ロウライズはそう言って残念がる。テラとしては、せっかく写本した『マギカロギア』の利用法を学びたいいという気持ちはあったが、どうやら人数制限があるゲームだということまでは理解出来ていたようで、自分が参加すると邪魔になるだろうから見学に専念しよう、と考えていたらしい。

「ふむ。残念ですが、まぁ、無理強いは出来ないので、仕方ないですね……。で、そちらの四名様はお知り合いのようですし、まとめて同じメンバーで遊ばれる方がよろしいですね?」

 クロードがそう言ったところで、ラトゥナが割って入るように声を上げた。

「その四人、私が引き受けるわ」

 彼女のその声には、奇妙な緊張感が感じられた。

(私の勘が告げてる……。この四人、明らかに「人間」じゃない……。得体のしれない来客を初心者GMにぶつけて潰してしまう訳にはいかない……)

 表面上はいつも通りに淡々とした雰囲気でありながらも、内心では密かにそんな使命感を燃やしつつ、彼女は最初の来客である四人を受け入れることにした。

 ******

 それからしばらくして、次に会場に現れたのは、初老の新入学生ケネス・カサブランカ(下図)であった。
+ ケネス

「ケネスさん!?」

 サブGMとしてユタのキャラメイクを手伝っていたエトは、ケネスと目が合った瞬間に、思わず声を上げる。

「お招き頂き、光栄です。お義兄様」

 別にエトはケネスを招待した訳ではない。ただ、一門全員に伝わるようにこのイベントの告知を出したところ、たまたま予定が空いていたのが、どうやら彼だけだったらしい。そんな彼のこともまたクロードが出迎える。

「これはこれは、百戦錬磨の策謀家様がTRPGを遊びに来て頂けるとは。これは楽しみですね」
「稀代の軍略家殿に言われるのは、なかなかむず痒いものですな」

 一瞬、今から二人で何か別のゲームでも始めようとしているかのような雰囲気に包まれるが、ひとまずクロードの案内でテオフラストゥスの卓へと案内される。既に彼の卓に入る心積もりでいたロウライズと含めて、これでプレイヤーは二人。今回遊ぶ予定のサンプルシナリオの推奨プレイヤー人數は4人なので、最低限あと一人来れば、クロードを穴埋めに入れることで、セッションを成立させることが出来るが、もうしばらく人が増える可能性を考慮して、テオフラストゥスがケネスに簡単な世界観説明を施しつつ、もうしばらく待ってみることにした。

「この物語の舞台は、21世紀の地球、という異世界です」
「なるほど、異世界の冒険物語か」
「はい。皆さんは異世界の魔法師になってもらいます」
「それはつまり、このエーラムのような異世界魔法学園の生徒になる、ということか?」
「いえ、そのようなシナリオも出来るでしょうが、今回は皆さんが演じて頂くプレイヤーキャラクターの職業や年齢には、明確な制限はありません。学生も可能ですが、人間ですらないキャラクターにもなれます」

 そんなやり取りを二人が繰り広げている中、孫のような年齢の学生からゲームの手ほどきを受けているケネスの横顔を、ロウライズは興味深くまじまじと見つめていた。

(この人が、あの噂の超オールドルーキーか……)

 半ば強引に若者の未来を奪っていくエーラムの現方針に反発しているロウライズから見ると、子供の頃に一度魔法師となる道を断った上で、君主としての自分の人生を一通りやり終えた上でエーラムに入学する道を選んだこのケネスという新入生は、色々な意味でイレギュラーすぎる存在であり、それはそれで話を聞いてみたいと思える人物でもあった。

(いや、いかんいかん。今日はTRPGを遊ぶ日だった。余計なことをセッションに持ち込んではいけないな。今は忘れよう)

 ロウライズがそう自分に言い聞かせているところで、また新たな来客が現れた。クロードの養子にしてテラの義弟、 ジャヤ・オクセンシェルナ である。彼は純粋な「異界」への関心と、初めて見る遊びへの好奇心から、このTRPG体験会という未知のイベントに強い関心を示していた。

「来てくれたのですね、ジャヤ。では、あちらのテーブルへ。ロウライズ君、世界観とルールの簡単な説明をお願いします」
「はい、分かりました。あの、まだセッションは始めないんですよね?」
「そうですね。私が入れば4人にはなりますが、ここでもう一人、誰か他に入りたいという人が現れるかもしれませんし」

 クロードはそう言いつつ、チラッと見学席にいるテラに視線を向けるが、テラはそれに対しては何も反応しなかった。

「吾(あ)の名はジャヤだ。よろしくたのむ」
「ロウライズ・ストラトスです。今日は一日、一緒に楽しみましょう」

 明らかに年下の来客ではあるが、一応、今回は「スタッフ」ということで、誰が相手でも「堅苦しくない程度の敬語」で話すように、というのがクロードの方針であった。そしてロウライズが一つずつ丁寧に説明していくと、ジャヤも興味深そうに話に聞き入る。

「異界の魔法師を真似る遊びなのか? 紙と賽で……『魔素』に『元型』……絆が大きな力となる……むむ……絆か」

 そんなことを呟きながら、ふと、セッションに参加せずに見学に徹しているテラのことが気になり、声をかける。

「あ、兄様!よければ一緒にやってみないか? この遊びはもう少し参加者がいた方が盛り上がるようだし、吾は……その……兄様と遊びたい、のだ」

 テラにとって数少ない「心を開ける相手」であるジャヤにそう言われたことで、見学を決め込むつもりだったテラの気持ちは揺らぎ始める。ところが、ここでまたしても入口を開く音が聞こえてきた。

「まだ、入れるかしら?」

 そう言って入ってきたのは、ジェレミー・ハウル(下図)である。
+ ジェレミー

「おや、珍しいですね、ジェレミーさん。あなたがこういった場所に足を踏み入れるとは」
「いや、まぁ、その……、私、もうすぐエーラムを離れることになるかもしれないから、その前に、その、学生らしいことは、一通りやり尽くしておこうかな、と思って……」
「素敵な心掛けですね。では、こちらへ。ちょうど今、あなたが来たことで『最後の一席』が埋まったところですから」

 クロードはそう言って、彼女をテオフラストゥスのテーブルへと案内する。そして、ジャヤとテラは気まずい雰囲気のまま、ジャヤは黙ってロウライズからの説明の続きを聞くことにした。
 この時点で、テラがどのような心境だったのかは分からない。ただ、そんな彼に対して、クロードは小声で密かにこう告げた。

「安心して下さい。この『マギカロギア』というTRPGでプレイヤーをやった者達の多くは、その後でGMをやりたくなるものです。つまり、今日のこのセッションを終えた後、きっとジャヤ君は、今度は自分がGMをやりたいと言い出すでしょう。あなたをプレイヤーとして招くことを前提に、ね」

 クロードはそこまで言い終えたところで、手が埋まっているテオフラストゥスとロウライズに代わって、ジェレミーのキャラメイクの手伝いを始める。そして、彼等はそこから「めくるめく異世界の幻想物語」の世界へと飛び込んでいくことになるのだが、それはまた別の機会に何処かで語られることになるであろう。

5、深まる謎

 先日のモグラ騒動の時以来、 クリープ・アクイナス は自分の中で何か「異変」が起きていることに気付き始めていた。元々彼には、実家の一族の中で継承されてきた微弱な治癒の力が備わってきたが、最近になって急にその力が強まりつつあることを実感し始めていたのである。
 ある日、そんなクリープの元に、彼と同じアロンヌ貴族出身の女子学生 マチルダ・ノート が現れる。彼女とは以前、ユタと上級生の間のいざこざの際に、ユタを守るために共闘した間柄であった。

「こんにちは。あなたを探しておりましたの。わたしにお時間をいただけないかしら?」
「あ、はい。なんでしょう?」
「今度、キュアライトウーンズの習得試験がありますでしょう? わたし、恥ずかしながら、まだ全然発動も安定していなくって。ですから、あなたが治癒魔法を使うときに、どのように調整しているのか、わたしに教えて下さいませんか?」
「調整、ですか……」

 そう言われても、今のクリープはまさにその「調整」が出来ない状態なのである。もっとも、この「異変」が起きる前の時点においても、クリープの治癒能力はキュアライトウーンズのような明確に手法として確立された魔法ではなく、彼の血縁と独特の感性がもたらす「特殊な加護」に近い存在のため、そもそも人に教えられるような力ではなかったのだが。
 どう答えるべきか、クリープが言葉選びに迷っている間に、マチルダは自分の中でモヤモヤしていた感情を、思い切ってこの場で吐き出すことにした。

「あの、とっくにご存じかもしれませんけれど……、わたし、ルノワールの娘です。……あなたのご実家が窮地に陥った時、何も手を差し伸べなかった家の……」

 クリープの実家であるトラネス家は、かつてはアロンヌ北東部の一角を占める有力貴族であったが、現在は既に没落している。その時の因縁を知るマチルダは、今までずっとクリープに対して後ろ暗さを抱き続けていたのである。

「あ、そう、だったんですか……」 
「それなのに、今こうして教えを乞うなんて、恥知らずだとお思いかもしれませんが、それでもあなたのご助力が必要なんです!どうかお願いします……!」
「いや、あの、ですね、実は今、僕自身が、ちょっと自分の力がよく分からなくなっていて、それで、同門の先生の元へ確認に行こうと思っていたところなんです」
「そう、なのですか? お嫌でなければ、わたしもご一緒させてください。聞かせたくないことがあれば、それまでで構いませんから。なにか、ヒントをいただければ……」

 そう言われたクリープは、あえて断る理由も見つからなかったので、そのまま彼女と共に、同門の生命魔法師の家を訪れることにした。

 ******

「確かに、以前に会った時に比べて、格段に魔力が上がっているようだな……。とてもではないが、これは赤の教養学部の学生のレベルではない……。何か、心当たりはあるか?」
「はい、魔力が強くなる薬は飲みました」
「魔力が強く? それは、例の実家に伝わる特殊な薬か何かか?」

 同門ということもあって、この魔法師はクリープの事情もある程度知っているらしい。

「いえ、このエーラムの地で、長い黒髪で目の色が左右で違う、ちょっと独特の雰囲気の魔法師の人から貰ったので」

 そう言われた魔法師は、一瞬にして数週間前の学内報道を思い出す。

「まさか! あの闇魔法師が配っていたという、例の薬を飲んだのか!?」
「はい。あの薬で魔力を強めれば、より多くの人々が救えると思ったので」
「……念のため聞くが、お前はそれを、当局からの危機通報が出る前に飲んだんだよな?」
「危機通報? なんでしたっけ?」
「あー、いや、いい。そうだな。知らなかったのなら、仕方ない。お前は被害者だ。そういうことになる。そういうことにしておけ」

 この先達が何をそんなに焦っているのかが分からない様子のクリープは、ひとまず話を(自分の中での)本題に戻す。

「それで結局、今の僕の体は、どうなっているんでしょう?」
「……正直に言うと、分からん。分からんが、確かに魔力は圧倒的に増大している。今のところは特に副作用も何も起きてはいないようだが、少なくともその結果、まだ『魔法の制御の仕方』
自体を習っていないお前では、対応しきれない状態になっている、ということになるのだろうか。とりあえず、そういうことならば今すぐ、メルキューレに魔力抑制装置を発注する。しばらくはそれを付けて生活するんだ。いいな」
「分かりました」
「そして、身体に何か異変が起きたと思ったら、すぐにまた連絡するんだ。分かったな」
「はい」

 そんな二人のやりとりを、保護者席のような位置で黙って聞いていたマチルダは、表面上は淡々と聞いていた。

(薬で魔力を増幅? そんな手段があるなんて。でも、副作用は大丈夫なのかしら。それさえよければ、わたしも……)

 ******

 それから数日後。魔法師としての最初の一歩となる「基礎魔法習得」の習得試験の前日に、メルキューレからクリープの元に、魔力抑制装置が届けられることになる。そして彼等にとっては初めての「魔法習得試験」が幕を開けるのであった。

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最終更新:2020年05月23日 00:38