『見習い魔法師の学園日誌』第5週目結果報告


1、王道汎用型魔法

 この世界における「魔法」とは、混沌(カオス)を操る能力である。混沌はこの世界の自然律(ロウ)を歪める因子であり、稀に出現する「混沌核(カオスコア)」を中心に収束することによって、様々な混沌災害や危険な投影体の出現をもたらす。まさに、この世界における諸々の災厄の元凶である。
 だが、極稀に(5000人〜10000人に1人と言われる割合で)、その混沌を自分の意志である程度まで操る才能を持つ者達が存在する。そういった者達が集められたのがエーラムの魔法学校であり、その初等教育機関である「赤の教養学部」の者達は、まずこの世界の「自然律」について学んだ上で、それを混沌の力で自分の望む形へと歪めていく術としての「魔法」を習得していく。
 「赤の教養学部」で最初に学生達が学ぶ魔法は「基礎魔法」と呼ばれ、その名の通り、混沌を操る上での最も基本的な魔法である。現在の赤の教養学部では学生向けに十六種類の魔法習得カリキュラムが存在し、それらに参加することで二種類以上の魔法を習得することが、より専門的な魔法課程へと進学するための最低条件となる。
 この日は、その魔法習得のための最終実技試験の開催日であった。学生達は、数日前の時点でまず十六種類の基礎魔法から「自分が最初に習得したい魔法」を選び、そのために必要な基礎理論を数日かけて読み込みつつ、教員達の目の前で実際にその魔法の発動を試みることになる。彼等は既に混沌を操作する上での最低限の技術は身につけており、それを「魔法」という形で確立させることが出来るかどうかは、彼等一人一人の努力と才覚次第であった。
 高等教員の一人であるクロード・オクセンシェルナ(下図)は、この日は四つの実技試験会場で指導員を担当することになった。最初に彼が向かったのは「エネルギーボルト」の試験会場となる(先日の射撃大会の会場だった)屋外競技場のグラウンドである。エネルギーボルトは、混沌のエネルギーを利用して衝撃波を生み出す魔法であり、魔法師が敵軍や怪物と戦う上での最も基本的な「攻撃魔法」である。攻撃の対象と出来るのは一体だけだが、比較的広範囲に対して発動可能なので、試験会場としてエーラム内でも最大規模の会場が用いられることになった。
+ クロード
 戦乱が続く現在のアトラタンにおいては「戦場で役に立つ魔法師」が重宝されやすいため、必然的にまず最初にこのエネルギーボルトを習得しようとする血気盛んな学生達が多い。その中でもひときわ目立つ存在感を放っていたのが、 エイミール・アイアス である。

「さぁ、今日はこの僕! エイミールの輝かしい未来への第一步となる記念すべき日だ! 必ずや、首席合格の栄誉を勝ち取って見せる!」

 誰に対してでもなく、エイミールは高々とそう宣言する。他の学生達からは奇異の目で見られているが、実際、彼はこの日の試験に向けて、必死で努力を繰り返していた。

(エネルギーボルトは全ての攻撃魔法の基本。だからこそ、まず今はこの魔法を極める。最終的に、より強力な攻撃魔法を習得することになれば、この魔法を用いる機会は少なくなるかもしれない。しかし、どんな強力な魔法も、それを着実に操れなければ意味がない。今は魔法を着実に制御する術を身につけるために、この魔法を習得した上で、ひたすら何度も繰り返す。たとえ今はそれが回り道でも、ここで重ねた努力は必ず実を結ぶ)

 エイミールが自分にそう言い聞かせながら、会場に張り出された受験者達の一覧を確認する。この実技試験の前に既に「筆記試験」が終わっており、実技試験は筆記試験の成績の良かった者から順番に披露する、というのがクロードの方式である。それは「最初に模範となる成功例を示した方が、他の受験者達にも好影響をもたらす」という配慮であり、逆に言えば「序盤から失敗が続くことで負のイメージが連鎖してしまう可能性を阻止するため」でもあった。
 そして、この日の実演順の最初に名前が記されていたのは、エイミールであった。それを見た直後、彼の中で一瞬気持ちが高揚するが、すぐに気を引き締める。

(いや、まだだ。まだこれは「予選結果」にすぎない。むしろ、ここで僕が失敗すれば、他の受験者達にも悪影響を与える。責任重大だ。しかし、この僕! エイミールがこんなところで躓くなど、ありえない! あってはならない!)

 彼がそんな思いを胸に、堂々たる歩みで競技場の中心に書き込まれた「円」の中に立つと、クロードが試験内容を説明する。

「今から、この会場内の三箇所に、標的となるアーティファクトが現れます。制限時間以内に、そのうちの最低一体、出来れば二体以上に、エネルギーボルトを命中させて下さい」
「承知した! 必ずや、三体全てを殲滅してみせよう!」

 彼がそう意気込んで周囲を見渡すと、さっそく近距離・中距離・遠距離にそれぞれ一体ずつ、異なる角度からアーティファクトが現れる。エイミールは逸る気持ちを抑えながら、それらの動きを注視する。あくまでも試験用の標的のため、そこまで俊敏な動きでは無さそうである。

「その動き、見切った!」

 彼はそう叫ぶと、自身の手元の混沌を操作することでエネルギーを重点させ、まずそれを手近にいた一体へと解き放ち、見事に的中させる。そのまま続けて彼は中距離、遠距離のアーティファクトにも続けて命中させた。

(さすがですね。一度も発動失敗することも、狙いを外すこともなく三発で決めるとは。その大言壮語に恥じぬよう、しっかりと綿密な努力を重ねてきたことが伺える)

 クロードは素直にそう感心していたが、当のエイミールは、どこか納得のいかない様子のまま、次の受験者と交替する

(なんか思ってたのと違う!もっとなんかすごいエネルギーが出てくるのかと思った!)

 実際、彼の放ったエネルギーボルトは確かに三体のアーティファクトに命中はしたが、それほど大きな損傷を与えたようには見えない。その一つの要因は、この試験が始まる前の時点で、クロードが(危険な暴発防止のために)この会場内の混沌濃度を下げていたからでもあるのだが、そもそもエネルギーボルト自体、単体ではそこまで強大な威力を発揮する魔法ではない。

(まぁ、仕方ない。あくまでこれは基礎魔法だからな。今はこれが限界なのだろう。だが、少なくともこれで発動のコツは完全に掴んだ。次はここから更に魔力を増幅させて……)

 エイミールがそう思いながら会場から去ろうとした直後、後方から何かが破壊されたような激しい物音が聞こえてきた。思わず彼が振り返ると、先刻まで彼が立っていた円の中には一人の黒髪の少女の姿があり、そして彼女の放ったエネルギーボルトが、最も遠距離に現れたアーティファクトを一撃で破壊していたのである。

「なに!?」

 その少女の名は、 テリス・アスカム 。園芸部に所属する極東出身の女子学生であり、この「エネルギーボルト」の筆記試験において、エイミールに継ぐ2位の好成績を収めた受験者であった。
 彼女は武家の生まれではあるが、気性は温厚で、決して争い事を好む性格ではない。だが、彼女は今回の基礎魔法習得講座において、迷わず攻撃魔法である「エネルギーボルト」を選んだ。それは、彼女がかつて大病を患って入院していた時に読んだ「とある小説」の中に登場した超電磁砲(レールガン)への強い憧れがあったからである(だからこそ、彼女は射撃大会の際にもその小説の武器を用いて参戦したのであるが、「武器を使わなくてもエネルギー波を発動出来る」という意味では、このエネルギーボルトこそ、彼女が求め続けた魔法の理想形であった)。

(今の一撃、まさに彼女の魂が込められたかのような会心の威力でしたね。おそらくは、彼女の「この魔法」に対する強い想いに答えて、天運が味方した結果でしょう)

 クロードがそんな感想を抱いている中、彼女は続けて二発目も中距離の標的に命中させる。更にそのまま三発目を近距離の標的に向けて放とうとするが、その魔法発動の直前になって、彼女は表情を歪ませてその場に倒れ込む。射撃大会の時と同じように、魔法発動時の副作用で足に激痛が走り、その痛みに耐えられなくなったのである。

「大丈夫か! 君!?」

 思わずエイミールが駆け寄る。高貴なる紳士として、目の前で倒れている者を放っておくことなど出来る筈がない。だが、テリスはすぐに立ち上がる。

「心配いりません。これは、私の、いつもの発作のようなものですから……」

 まだ表情が苦しそうではあるが、そう言ってテリスはエイミールを手で制する。その上で、クロードに向かってこう言った。

「これ以上は打てません。私の記録はここまで、です」
「分かりました。どちらにしても既に二体倒している以上、あなたは文句なしに合格です」

 そう言われたテリスは笑顔で次の受験者と交替する。そんな彼女を、エイミールは心配そうに見つめる。

「本当に大丈夫か? 辛ければ肩を貸すが」

 彼女の表情を見る限り、明らかにまだ辛そうな様子ではあるが、かと言って女性に許可なく勝手に身体を密着させるのも紳士の振る舞いではない。テリスはそんな彼の気遣いに対して、精一杯の笑顔で答える。

「心配してくれて、ありがとうございます。でも、これは私が乗り越えなければならない痛みです。私が魔法師を目指す以上は、この後遺症に耐え続ける必要がありますから……」
「なんだと!? ということは、君は、魔法を使うことで身体を痛めるというハンディを背負った上で、この僕よりも更に上の高みに到達しているというのか!?」
「え? いや、そんなことはないですよ。私は二体しか当てられませんでしたし、筆記試験もあなたの方が点数は上でしたし……」

 なお、彼女の唯一の誤答は、エネルギーボルトの原理に関する問題である。彼女はここで、うっかり「とある小説」の中の設定と混同した解答を書いてしまっていた。

「いや! 僕の完敗だ! もしここが戦場なら、僕は一体の敵も倒せなかった! 君の魔法は確実に一体を葬り、そして二発目の威力も僕よりも上だった!」
「でも、あなたはまだ余力を残していました。私はもう、こうやって歩くのが精一杯の状態です。正直、この体質では、そもそも魔法師を目指すこと自体に無理があるのかもしれません……」

 実際、それはテリスの中でも深刻な問題だった。これまではまだ本格的な魔法を学んでいなかったから実感出来ていなかったが、こうして実際に魔法を連発してみると、思っていた以上にその痛みは厳しい。そしてこれから先、より強力な魔法を覚えていった場合、更に激しい激痛が発生することになるかもしれない。

「何を言う! この高貴なる未来の英雄エイミールをも凌ぐ才覚がありながら、魔法師を目指さないなど、あって良いことではない! 君は、この僕から勝ち逃げするつもりか!」

 思わずエイミールはそう叫んでしまったが、苦しそうに歩いている彼女の姿を見て、すぐにトーンダウンする。

「あ、いや、まぁ……、確かに、君の身体は君の物だし、その痛みを知らない僕が好き勝手に言って良い問題はなかった! すまない! 僕には、君の人生をどうこう言う権利はないのかもしれない! だが、その……、これはあくまで僕のわがままだが、出来ることなら僕は、君と、これから先も競い合いたい。その痛みに耐えてもなお魔法師を目指そうとする高潔なる魂の持ち主である君に、次のステージで再戦を申し込みたい! そして、今度こそ君に勝ちたい!」

 一方的にそう言われたテリスとしては、どう反応すれば良いのか分からなかったが、ひとまずは苦笑を浮かべながら答える。

「分かりました。もう少し、この副作用を克服する方法を考えてみます」

 そう言って、二人は会場を後にする。そんな彼等の後ろ姿に対して、待機席でビート・リアン(下図)は羨望の眼差しを向けていた。彼には既に「いつか絶対に契約する」と心に決めている相手がいる。その相手が「敵国との国境の最前線の砦」の領主の娘であるため、少しでも早く彼女に認められるには、即戦力として戦場に立つための攻撃魔法が必要と考えて、エネルギーボルトの習得を決意したのである。
+ ビート

(すげーな、あの二人……、よし! 俺も絶対に合格してみせる!)

 こうして意気込んでビートは試験に臨んだものの、完全に命中させたのは一体だけで、残りの二体に対してはギリギリかする程度という微妙な結果に終わってしまった。だが、それでも筆記試験でそこそこの点数を修めていたこともあり、どうにか晴れて「合格」の判定を得られた。
 また、その後の受験者達の中からも標的を三体全て倒す者は現れなかったため、最終的にはエイミールが首席合格者としてこの日の記録に残ることになったのだが、エイミールは生涯、その勝利を認めはしなかった。
 一方、テリスはこの後、折を見て人目に付かない場所でこっそりエネルギーボルトを打つ練習を繰り返すことで、少しずつ副作用に自分の身体を慣らしつつ、「とある小説」の登場人物になったような気分に浸りながら悦に入る日々を送ることになるのであった。

 ******

「おはようなのだよ!」

  シャララ・メレテス は、そう言って扉を開けた。ここは、屋外競技場に併設されている医療施設である。かつて競技場で格闘技大会が開かれていた時に怪我人を運び込むために作られたと言われているが、最近では使われることは滅多にない。
 彼女が開いた扉の先に広がっている空間は、間もなく開催される回復魔法「キュアライトウーンズ」の最終実技試験の会場であり、既に多くの受験者達が緊張した面持ちで指導員のクロードの到着を待っていた(まだこの時点では、エネルギーボルトの試験の最中であった)。キュアライトウーンズは、回復を専門とする生命魔法学部へと進学する者にとっての実質必須科目であることは言うまでもないが、最終的に契約魔法師として戦場に赴くことになった際に「習得しておいて損はない魔法」であることは間違いないため、必然的に人気も高く、現時点でも会場内には十数人の学生達が集まっていた。

「おはようございます、シャララさん」

 彼女と同門の男装少女 ノア・メレテス がそう答える。彼(彼女)はかつて、自分を救おうとしてくれた兄を失った過去がある(「ノア」とは本来はその兄の名である)。だからこそ、もう二度と目の前で誰かを失うことがないように、という思いを込めて、まず最初に選ぶべき魔法として、身体の傷を癒やすキュアライトウーンズの魔法を習得することを目指したのである。

「ん? なんか体調が悪そう、なのだよ?」

 シャララはノアの様子を見てそう呟いた。ノアはこの魔法の習得のために、ここ数日間必死で勉強を続け、そのせいか時折体調を崩すことがあった。

「あー……、その、ちょっと何度か倒れたりもしたんですけど、今日は大丈夫です」

 大丈夫なのかどうか不安にさせるような答えを彼女が返したところで、その部屋に新たな受験者が現れた。

「あ、七草粥センパイ、おはよーっす!」

 海洋民出身の メル・ストレイン である。入学以来、なぜかシャララとは、妙な縁でよく同席する関係であった。

「おはようなのだよ」
「センパイも、キュアライトウーンズを?」
「そうなのだよ! キュアライトウーンズの治癒の力は、生き物の新陳代謝を高めることによって成り立っているのだよ! だからこの魔法を使えば、爪や髪が伸びる速度を上げることも出来る。それを応用して、マンドラゴラの促成栽培にも役立たせられると考えたのだよ!」
「な、なるほど……? なんか、そういう難しいコトはアタシにはよく分かないけど……、アタシは単純に、海で死にかけてたところを魔法師の人に助けられたんで、アタシも仲間を助けられるような魔法を覚えたいなって思って、まずは回復魔法を覚えることにしたんだ」

 一方、部屋の別の一角では、 マチルダ・ノート クリープ・アクイナス を見かけて、周囲に気こえないように小声で話しかけていた。

「あの……、抑制装置の調子、大丈夫ですか?」

 先日、クリープの中の魔力の異様なまでの増幅の原因が「パンドラの魔法師から受け取った謎の薬」だということが判明したことで、ひとまずその薬の正体が明らかになるまでの間、魔力の暴走を防ぐための措置として、(ビート・リアンと同様に)魔力の暴走を防ぐための抑制装置がメルキューレからクリープに届けられていたのである。

「はい、特に日常生活に支障はないです」

 彼は短くそう答えて、試験に向けての予習に専念する。一方、その部屋にまた新たな受験者が現れる。 オーキス・クアドラント である。彼女がこの魔法を選んだのは、先日のように何らかの荒事に巻き込まれた時にすぐに対応出来るように、という思惑もあるが、それに加えて「生命」について深い知識を得ることが、今後の役に立つと考えたからである。それは生命魔法師であるノギロの影響とも言えるし、より根本的な次元における「彼女自身」に関する問題とも密接に関係していた。
 なお、この場には、その先日の「荒事」の際に彼女と共闘した人間が何人かいたが、今の彼女は、どこか「心ここにあらず」の状態であった。

(やっぱり、「彼女」には話すべき? 「彼女」なら、話したところで何の不都合もない……。むしろ、自分だけが隠し事をしている今の状態を終わらせるべき……、それは分かっているんだけど……)

 オーキスがこの会場にまで来て「そんな想い」に悩まされていたのは、隣の「ヴォーパルウェポン」の試験会場に「彼女」が入っていくのを目の当たりにしてしまったからでもある。
 そんな彼女の内心に誰も気付くことなど出来る筈もなく、再び静かな静寂が部屋を包んでいく中、やがて担当教員のクロードが現れる。

「皆さん、お待たせしました。今からキュアライトウーンズの実技試験を始めたいと思います」

 そう言って、クロードは懐から一本の薬瓶を取り出し、右手に掲げる。

「今から私はこの薬を飲みます。これは、毒薬です。これを飲めば私の身体は内側から徐々に破壊されていき、一定時間放っておけば、死に至ります」

 唐突に物騒な言葉が出てきたことで、受験者達の表情は凍りつく。

「ですので、皆さんには私の毒の進行速度に負けないように、順々にキュアライトウーンズの魔法を用いて私の身体を癒やし続けて下さい。まぁ、最悪どうにもならなくなった時のために、解毒薬は用意していますから、全員が失敗しても大丈夫ですよ。勿論、その場合は皆さんの卒業は遠くなる訳ですが……」

 クロードはそう言いながら、左手に持っていた資料に視線を移す。

「それでは、今から私が読み上げる順に、私の前に並んで下さい。まず、マチルダ・ノートさん」
「はい!」

 マチルダが嬉しそうに声を上げる。どうやら、彼女が「一番手」、すなわち「筆記試験の最高得点者」らしい。日頃から「保健委員」として活動している彼女が治癒魔法に関して好成績を修めるのは、順当と言えば順当な結果と言えよう。そんな彼女に続いて、ノア、クリープ、シャララ、オーキス、といった名前が読み上げられ、そして十数人の名前の後、最後の一人としてメルが名を呼ばれる。

(アタシが、一番最後か……)

 無理もない。彼女はまだエーラムで学び始めたばかりで、「座学」自体に関してはほぼ素人である。むしろ、この短期間に筆記試験をギリギリ通過出来るところまで知識を頭に叩き込んだその根性を、クロードは高く評価していた。

「では、よろしくお願いします」

 クロードはそう言って薬を勢い良く飲み干す。すると、徐々に彼の表情が青ざめていき、少しふらつきながら彼はその場に腰を落とす。そしてクロードからの視線を受けたマチルダは、即座に彼に対して両手を翳しながら、呪文の詠唱を始める。すると、彼女の掌の周辺に光のような何かが集まり始めるが、彼女の詠唱が終わるよりも先に、その光が四散する。
 その状況に皆が驚く中、クロードは淡々と問いかける。

「失敗、ですね。まだ時間はありますが、続けますか?」
「もちろんです!」

 マチルダは再び呪文の詠唱を始めるが、その様子を見ながらクロードは内心で「あること」に気がついた。

(彼女の詠唱は何も間違っていない。魔力も正しく込められている。しかし、どうやら彼女には治癒魔法に対して致命的なまでに「適性」がない……)

 魔法師の才能である「混沌を操作出来る能力」は、先天的にごく一部の人々にのみ備わる能力であるが、当然、その才能の性質も一様ではなく、魔法ごとに相性もある。マチルダの場合、治癒魔法を覚えて人々を救いたいという強い思いがあるにもかかわらず、肝心の治癒魔法との相性が致命的なまでに悪い。結局、彼女はその後も何度か発動を試みたものの、あと一步のところで混沌が霧散してしまい、クロードの体内の毒は着々と彼の身体を蝕んでいく。

「仕方ないですね。では、次、ノア君、おねがいします」
「は、はい!」

 まさか一番手のマチルダが失敗するとは思わなかったため、ノアは激しく動揺していたが、マチルダがいつも通りに平然とした表情のまま優雅な仕草でその「席」をノアに譲ったため、ノアはすぐさま彼女に代わって治療を始める。
 彼(彼女)が治癒魔法を唱え始めると、マチルダの時と同様にその手に光が集まり、そして今度はクロードの体内にその光が注がれていく。身体の内側の損傷である以上、傍目にはその違いは分かりにくいが、クロードの表情は若干楽になりつつあるようにも見える。自分には発動出来なかった治癒魔法があっさりと発動されている様子を目の当たりにしたマチルダは、平静を装いながらも内心では激しく落ち込んでいた。

(やはり、私には治癒魔法の才能は無かったのですね……。仕方ないですよね、いざという時に魔法を発動出来ない治癒術士なんて、一体、何の役に立つのでしょう……)

 一方、ノアは(結果的にマチルダの失敗が続いたことで)クロードの体内の毒の進行度が想定よりも高い状態にあることに気付き、そのまま何度も魔法を発動し続けた結果、徐々に呼吸が荒くなり始める。

「ノア君、もうその辺りで……」

 クロードがそう言いかけたところで、ノアは唐突に咳き込み、そしてその喉内から喀血し始める。実は彼(彼女)は、魔法を使うことでこのような「副作用」を発生させてしまう体質の持ち主だったのである。
 唐突な出来事に周囲がザワつく中、マチルダがすぐさまノアの元へと駆け寄り、そして彼(彼女)に対して、手持ちの薬袋から一錠の薬を取り出して強引に飲ませることで、どうにか彼女の喀血を抑え込むことに成功する。彼女は保健委員として、いつ自分の目の前で生徒が異変を起こした時でも対応出来るように、こういった薬を常備していた。

「大丈夫ですか!?」
「あ、はい、なんとか……、すみません……」

 ノアはひとまずそう答えるが、明らかに大丈夫な様子ではなく、自力で立ち上がることも出来ない状態になっている。おそらく、ここ数日間の勉強を通じての過度な疲労によって、体力そのものが極端に落ちている状態だったのだろう。

「先生、この部屋に『万能薬』はありますか?」

 「万能薬」とは魔法師協会によって生み出された魔法薬であり、通常の解毒薬では治せないような猛毒も、全身を蝕むような出血状態も、消耗しきった身体も、全てをまとめて一瞬で回復させる薬である。今のノアの体調を回復させるにはそれが一番着実な解決法だと考えたのだろう。

「一応、私の懐には解毒薬と別に非常用の万能薬も一つありますが、使います?」
「い、いえ、さすがにそれは!」

 ノアが全力で否定する。現状、クロードが自ら毒を飲むことで、身体を張って皆の試験に付き合ってくれている状況において(通常の解毒薬があるとはいえ)、万が一のことがあった時のための非常用の万能薬を、自分のために使ってもらう訳にはいかない。

「では、私が彼を教養学部の保健室まで連れて行きます。そこなら、非常用の万能薬もある筈ですから」

 マチルダはそう言って、ノアの片肩を担ぐ形で、起き上がらせる。この時、マチルダはノアの身体に密着したことで、ある「違和感」を感じるが、ひとまずそのことは脇において、そのままノアを連れて部屋の外へと向かう。

「さて。それではクリープ君、次は君の番です」
「はい!」

 目の前で二人続けてイレギュラーな出来事が発生するのを目の当たりにしたクリープであったが、それでも彼は落ち着いて、目の前で毒に侵されつつあるクロードの身体に対してキュアライトウーンズの呪文詠唱を始める。

(大丈夫。身体の損傷の治療自体は、今までずっとやってきたことだから)

 クリープは今までの自分の「天性の加護」の力による治癒能力の時の感覚に基づきつつ、新たに覚えたエーラムの魔法体系の理論に基づく治癒魔法としてのキュアライトウーンズを発動させた結果、一気にクロードの体調を急回復させることに成功する。ただ、この時、クリープは自分の身体の中から更に強大な魔力が湧き上がろうとしている(それを抑制装置が抑え込んでいる)のを実感していた。

(もし、今、この魔力を解放させたら、解毒も含めて完全に健康な身体に出来るのでは?)

 クリープは直感的にそのような感覚を覚えるが、ひとまず今は素直に、次に待っていたシャララにその場を譲ることにした。
 シャララもまたクロードの身体の真上に自身の両手を翳した上で、呪文の詠唱を始める。そして彼女は、これまで数多の植物達を育ててきた感覚で、クロードの体内の生命細胞を活性化させようと試みた結果、彼女もまた無事に魔法の発動に成功する。

(やはり、生命の根源は同じなのだよ!)

 彼女が内心でそう確信する中、続いて出番が回ってきたのはオーキスである。彼女は生命魔法師ノギロの直弟子である以上、当然、周囲からの期待も大きかった。

(「人間」の身体の構造は、きちんと勉強している。大丈夫。落ち着いて唱えれば……)

 オーキスが自分にそう言い聞かせながら魔法の詠唱を始めると、彼女もそつなくきっちりとキュアライトウーンズを発動させる。それは、過去に何度もノギロやユタが自分の目の前で繰り出していた治癒の光であった。

(これで私も、ようやくあの人達と同じ世界の住人になれたのね……)

 その後も学生達が次々と成功させていく中、やがて最後に残ったメルに出番が回ってくる。

「では、メルさん、お願いします」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いさせて頂き致します!」

 明らかに緊張でガチガチの様子ながらも、メルは目の前で他の学生達がやってきた流れを思い出しながら、詠唱を始める。

(魔法師の人達がいなかったら、アタシは助からなかった……。今度はアタシが「助ける側」に回る番だ!)

 そんな彼女の想いが届いたのか、彼女もまたキュアライトウーンズの発動に成功する。そして、程良くクロードの体内の損傷も収まったところで、彼はようやく解毒剤を口にした。

「お疲れさまでした。ここにいる皆さんと、そしてノア君は無事に合格です」

 つまり、筆記試験トップ合格だったマチルダ一人だけが不合格、ということである。彼女と親交のある者達が複雑な表情を浮かべる中、クロードは次の試験会場へと向かうことにした。

 ******

「おい、オメェ! どうしたんだよ!?」
「あ、すみません、試験中に、ちょっと血を吐いて倒れてしまって……」
「馬鹿! だからあんだけ無理すんなって言ったじゃねぇか!」
「あなた、この方の知り合いなのですか?」
「あぁ、同門だ! アンタは?」
「私は保健委員として、今からこの人を保健室に……」
「そういうことなら、俺に任せろ! 俺が連れてく!」

 ひょい。

「えぇぇぇ、いや、でも、この後で『アシスト』の試験があるんじゃ……」
「んなこと言ってる場合じゃねぇだろ!」
「では、とりあえず保健室まではこの人を運んで下さい。そこから後は私が……、え? あ、あの……、ちょっと、待って下さい! 保健室の鍵は私が持っているんですから、私を置いて先に行っても、入れませんよ!」

 ******

 次の試験会場は、競技場に併設されている「選手控室」である。数十人程度なら収容出来そうな規模のこの部屋には、武器強化魔法「ヴォーパルウェポン」の習得を選択した学生達が集まっていた。と言っても、集まった者達の数は決して多くはない。人気魔法である「エネルギーボルト」や「キュアライトウーンズ」には10人以上の学生が集まっていたのに対し、こちらに集まっていたのは僅か3名だけである。
 契約魔法師として世界各地で働く魔法師達の声を聞く限り、ヴォーパルウェポンは基礎魔法の中では前述の二つと同等以上に戦場では重宝されている魔法ではあるのだが、いかんせん魔力の消費が激しいため、「最初に覚える魔法」としては、全二者に比べるとややハードルが高い。そして、基本的には君主や邪紋使いなどの「前線で戦う友軍」を支援するための魔法なので、周りに魔法師達しかいないエーラムの学生達にとっては、習得したところですぐに役立つ魔法とは言い難い側面もあるため、あまり食指が動かないらしい。
 それにもかかわらず、あえてこの魔法を最初に覚えようとする者は、大きく分けて三つに分類される。一つ目は、自らが武器を持って戦う前線型の魔法師を志向する者。二つ目は、強力な「前線で戦う仲間」が既に存在する者。そして三つ目は、何を考えているのか分からない者である。そして、くしくもこの場には、その三類型に該当する者が一人ずつ揃っていた。
 第一の類型に分類されるのは、 ディーノ・カーバイト である。彼は魔法剣士となることを夢見て、常日頃から木刀を携帯して剣術の鍛錬に努めており、入門当初から「最初に覚える基礎魔法はヴォーパルウェポン」と決めていたため、理論の勉強も何度も繰り返しやってきた。そして当然、この日も「自分の木刀」にその魔法をかける気満々で現地に乗り込んで来ている。
 第二の類型に分類されるのは、 ロシェル・リアン である。彼女は常に大狼のシャリテと行動を共にしており、「わたしはシャリテの爪をこの魔法で強化するの!」と言って受験票を提出した(実は、彼女にはそれとはまた別の思惑もあるのだが、そのことは誰にも伝えていない)。また、そもそも彼女自身が自ら学生を相手に大立ち回りを演じるような性格であったため、その意味では第一の類型にも分類可能な存在でもあった。
 そして第三の類型に分類されるのは、 アツシ・ハイデルベルグ である。彼に関しては、今回の件に限らず、常日頃から何を考えているのか分からない。ただ、この日の彼は新品の「球技用の棍棒」を持ってこの試験会場に足を運んでいた。

「それ、お前の武器なのか?」

 ディーノがアツシに対して問いかけると、アツシは自慢気に答える。

「あぁ、投影装備として手に入れた、カワカミの赤バットさ。やっぱり、ピッチングだけじゃなくてバッティングも鍛えないと、一流選手にはなれないからな」

 彼自身「カワカミの赤バット」なるものが何なのかも分かっていないし、そもそも本当にこれが投影装備なのかも不明である。先日、レナードの持っていたバットを見て羨ましく思って何となく入手したただけなのかもしれないが、いずれにせよ、彼の考えていることは分からない。

「なんかよく分からないけど、凄い伝説の一品なんだな。でも、俺のこの刀だって負けちゃいないぜ。今はまだその力は封印されてるけど、いずれ俺が覚醒した時には秘められた力が発動して……」

 男子二人がそんな話をしているのを、少し遠巻きにロシェル(とシャリテ)は呆れ顔で眺めている。やがて、そこにクロードが到着した。

「さて、それでは今から、ヴォーパルウェポンの試験をおこないたいと思いますが、受験者は三人だけですので、まとめておこなうことにしましょう」

 クロードとしては、スケジュールが少々押し気味だったので、早めにこの次の会場に行きたいと考えていたらしい。ここで、ディーノが手を挙げつつ、木刀を掲げた。

「先生、もしできるなら、ヴォーパルウェポンをかける武器を『これ』にしてもいいですか? 俺が一番慣れ親しんだ武器なんです」
「駄目です」
「えー!? なんでですか!?」
「ヴォーパルウェポンは本来、自分以外の味方の武器を対象として用いることを前提とした魔法です。あなたは自分自身の武器を強化することしか考えていないようですが、それではヴォーパルウェポンの効果の半分も引き出せません」
「……つまり、魔法をかける相手は、自分以外の人が持っている武器でないと駄目、ということですか?」
「はい。これはあくまでも『武術』の試験ではなく、『ヴォーパルウェポン』の試験です。自分だけでなく、少し離れた場所にいる味方に使うことが出来なければ、習得したとは言えません。ですので……」

 クロードはそう言いながら、ディーノとアツシの持っている武器に視線を向ける。

「……あなた達二人は、互いの武器に対してヴォーパルウェポンをかけ合って下さい」

 そう言われた二人は、やや戸惑いながらも素直に従うことにした。互いにあまり面識のない二人であるが、試験ということであれば、そういう形で「ペア」を組まされるのもやむを得ぬ話であろう。
 一方、ここで残されたロシェルは、少々困ったような表情を浮かべつつ、(「公的な場」である試験会場ということもあって)珍しく堅苦しい敬語で尋ねる。

「それでは、わたしはシャリテと組めば良いのでしょうか? シャリテに少し離れたところに立ってもらった上で、私がシャリテに……」
「『あなたの場合』は、そうもいかないんですよ。理由は、分かっていますよね?」

 クロードは含みのある笑顔を浮かべながら、そう告げる。その評定から、どうやら彼は「ロシェルの秘密」についてメルキューレから聞かされているらしい、ということを推察する。

「それでは、私はどうすれば……」
「こういう時のために、ちゃんと『数合わせ要員』は用意していますから」

 クロードはそう言いながら、鞄の中から一冊の「本」を取り出す。ロシェルはその本に見覚えが合った。

「あ、それは……」

 彼女がそう反応すると同時に、クロードがその本を軽く宙に放り投げると、その本の周囲に「人型の何か」が現れる。それは『マギカロギア』のオルガノン、ラトゥナ(下図)の姿であった。
+ ラトゥナ

「ラトゥナちゃん! え? 私、あなたと組むの?」
「えぇ。あまり得意ではないけど、一応、剣は使えるから」

 彼女はそう言うと、まるで「騎士」が用いるような片手剣を(どこからともなく)取り出す。その上で、クロードは改めて三人の受験者に対して語りかけた。

「では、皆さんは互いに一定程度の距離を取って下さい。その上で、せっかくですから、ヴォーパルウェポンをかけた武器の威力を確認するために、『敵』を用意しておきましょう」

 クロードはそう告げると、おもむろに召喚魔法を唱える。彼の専門はあくまでの時空魔法だが、浅葱(亜流)の召喚魔法も一定程度嗜んでいた(ちなみに、その方面に関しての彼の実質的な師匠はフェルガナである)。
 そして、彼の呪文詠唱が終わると同時に、彼等の目の前に、シャリテよりも一回り大きいくらいのサイズの「甲殻類の怪物」が現れる。

「ディアボロス界の魔物、ラストイーターです。今回はあくまでも武器強化の魔法の試験なので、こちらから攻撃はしませんし、避けもしません。ただ、皆さんの強化した武器で斬りかかってみれば、武器の威力がどれほど強化されているかは実感出来る筈です」

 目の前の不気味な怪物を前にしたディーノは、当初予定していた「自分が強化した木刀で戦う」というプランを崩されてしまったこともあり、少々動揺していたが、もうこうなってしまった以上は、腹をくくって言われた通りにやるしかない。

(大丈夫だ、頑張れ俺! たくさん勉強してきただろ! 最高の魔法剣士になるには、こんなところでつまずいちゃられねえぞ!)

 彼はそう言い聞かせつつ、ヴォーパルウェポンの呪文の詠唱を始める。そして、少し離れた場所にいるアツシもまた、同時に同じ呪文の詠唱を始めていた。

(仲間を強化する魔法は、姉ちゃんの得意技だったからな。まぁ、姉ちゃんの専門は防御系だから、ちょっと系統は違うけど、俺にだって出来る筈だ!)

 そしてロシェルもまた、シャリテと共にラトゥナを見つめながら、同じ魔法を唱え始める。

(この魔法を使いこなせれば「わたし」を強化することも出来る。そうなれば……)

 やがてそんな三人の想いが形となり、ディーノの木刀、アツシのバット、そしてラトゥナの剣が、それぞれに特殊な輝きを放ち始める。

「はぁぁぁぁぁぁ!」
「かっとばすぜぇぇぇぇぇぇ!」
「……行くわよ!」

 三人がそれぞれにラストイーターに斬り(殴り)かかった結果、見事にその異界の怪物の肉体は破壊され、混沌核も霧散する。

「すげぇ! なんだこの力!」

 ディーノは、これまでの訓練の時には実感出来なかった強大な破壊力を自身の木刀から感じ取り、そしてアツシに向かって叫ぶ。

「お前のヴォーパルウェポン、めっちゃ効いたぜ!」
「こっちこそ、お前のヴォーパルウェポンのおかげで助かった。これなら、ドーム球場の天井にも当てられそうだ!」

 相変わらず、何を言っているのか分からないアツシであったが、二人は互いの強化魔法の威力を素直に称え合う。そして、目標に向けての第一歩を踏み出したことを実感したディーノは、内心では浮かれながらもまだここで喜ぶのは早いと自戒しつつ、その歓びの感情を発散させるようにクロードに向かって叫んだ。

「ありがとうございました!!!」

 一方、ラトゥナは静かにロシェル(とシャリテ)を見つめながら、素直に称賛する。

「見事ね。この力があれば『あなた達』の戦場での戦い方も、幅が広がると思う。ただ……、さっき、詠唱を終えた直後の時点で、あなた、少し眩暈を起こしてたわよね?」
「え? あ、そ、そうだっけ?」

 実際、ディーノとアツシは目の前の敵に気を取られて全く気付いていなかったが、確かに魔法発動直後のロシェルは、少々フラついていたように見えた。そしてその時、シャリテもまた驚いたような表情をしていたことにも、ラトゥナは気付いていた。

「多分、クロード先生も気付いてると思う。まぁ、別にそれを理由に不合格扱いにすることはないと思うけど……。あと、もう一人、そんなあなたを心配そうに見ていた子がそこにいるわ」

 ラトゥナがそう言いながら入口の方に視線を向けると、そこにはオーキスの姿があった。

「さっきから、あなたに用事があるみたいよ」

 そう言われたロシェルは、少し嬉しそうな表情を浮かべながらオーキスの元へと走って行く。

「オーキスちゃん! 見に来てくれたの?」
「えぇ、そうね……。というか、大丈夫なの? さっき……」
「あぁ、うん。その、魔法を使う時の副作用というか、そんなようなもので……」
「そう……。さっきの試験でもそれらしき症状の人はいたから、そういう人はあまり珍しくないのかもしれないわね……。それはともかく……」

 オーキスは、周囲に聞こえないように小声で伝える。

「この後で、貴方の部屋にお邪魔したいわ。……話したいことがあるの」

 先日とは逆のこの状況に、ロシェルはおおよその事情を察しつつ、静かに頷くのであった。

 ******

 クロードにとってのこの日の最後の試験科目は「アシスト」である。会場は再び(エネルギーボルト組が解散した後の)競技場のグラウンド。エネルギーボルトほど広範囲の射程が求められる訳ではないこの魔法の試験に、なぜこの会場が必要なのか。それは、この「アシスト」の習得を目指す学生達の数が圧倒的に多いからである。
 アシストの人気が高い理由は、その圧倒的な汎用性と手軽さである。その名の通り、(自分自身も含めた)自分の周囲の誰かが何かを成そうとした時に、アシストの魔法を用いれば、そのパフォーマンスを一定程度向上させることが出来る。肉体労働においても、デスクワークにおいても、そして戦場においては攻撃・回避・魔法など、ありとあらゆる行為においてその効果を発揮する。しかも、その魔法発動は瞬時に可能なため、仲間の動向を見ながら「このままだと失敗する」と思った瞬間に発動させることが可能という点でも、極めて使い勝手が良い。
 そのため、多くの受験者達が集まったこの会場においては、クロードの到着前に事務員達の手で参加者の確認と「班分け」がおこなわれていた。どうやら今回は「四人」で一班を作り、その班ごとに「同じ班のメンバーに対してアシストを用いて手助けする」という形での実演試験となるらしい。会場内には沢山の「四人がけのテーブルと椅子」が設置され、それぞれのテーブルに番号が記されている。

(人数が多いだろうな、とは思ったけど、予想以上ね……)

  ミランダ・ロータス はそんな感慨を抱きながら会場に入ると、まずは受付で「1」と書かれた赤い札を渡される。どうやら自分は「第1班」に割り振られたらしい、ということを理解した彼女が該当テーブルを探すと、そこにいたのは、ボロボロのローブを着てどこか不気味な雰囲気を持つ少年 テオフラストゥス・ローゼンクロイツ 、長身・色白・赤目・長髪で、どこか浮世番荒れしたオーラを放つ テラ・オクセンシェルナ 、そして、そんな強烈な個性を持つ二人を前にしても平然と笑顔で座っている黒短髪の少女 ユニ・アイアス の三人であった。

(な、なんか、独特の雰囲気の人達ね……。女の子は、割とまともそうだけど……)

 やや戸惑いながらもミランダはその三人に近付き、「1と書かれた赤札」を見せる。

「ミランダよ。よろしく」
「テオフラストゥスです。よろしくお願いします」
「テラです……。よろしく、お願いします……」
「ユニです。よろしくお願いしますね、皆さん」

 そう言って挨拶を交わしたものの、そこから先、特に会話が進む訳でもない。ミランダも、テオフラストゥスも、テラも、基本的には積極的に他人に関わろうとしないタイプである。ユニだけは、むしろ「人の役に立ちたい」という強烈な思念の持ち主ではあるが、一切会話がない空間において、自分から積極的に話し始めるような性格でもない。
 ちなみに、ミランダはアシストの習得を決意する上で、特に何か明確な目的があった訳ではない。特に「将来の夢」も「やってみたいこと」も思いつかないので、ひとまずは汎用性が高く、例年受講者が多そうなアシストのカリキュラムを選んだ上で、事前学習となる座学の授業においても、部屋の端の席でおとなしく聞いていた。
 一方、テオフラストゥスは、自分が「前周期」において求めていた学問を極めたいという明確な目的はあったものの、肝心のその「前周期」の記憶が曖昧にしか残っていないため、その目的を達成するための最短ルートが分からない以上、ひとまずは汎用性の高いアシストを選ぶという妥当な選択肢を選ぶに至った。
 それに対してテラは、最近になってようやく、自分が生きる上での目的意識を抱くようになっていた。自分にとって「大切な存在」となった義弟のジャヤ達のために、彼等を助けるための力を欲した結果、彼等がどんな道を歩んだとしてもその力になれるように、という思いを込めて、まずはアシストという「他人を助けるための魔法」を選ぶ道に辿り着く。
 ある意味、そんなテラに近い思考なのはユニである。彼女はずっと昔から「他人の役に立ちたい」という願望を強く抱き続けていた。ただ、ユニの場合はテラとは異なり、「特定の誰か」のためではなく、不特定多数を対象とした、漠然とした博愛主義的な奉仕精神の持ち主であり、だからこそ、より幅広い状況ででより多様な人々の役に立ちそうな魔法を選んだのである。
 そんな彼等が微妙な沈黙を続けている間に、やがてクロードが会場に到着し、係員から状況を確認する。

「お疲れさまです。もう全員揃っていますか?」
「それが……、レナード・メレテスだけがまだ到着していません」
「ほう? 確か、金髪で、顔に赤い傷のある少年でしたね」
「えぇ。目立つ外見なので、会場の近くで見たという者はいるのですが、入場の形式がなく……」
「ふむ……、まぁ、気になるところではありますが、もう時間ですし、始めてしまいましょう」
「そうですね。実際のところ、彼がいなければちょうど全体で『四の倍数』になる数なので、実は都合が良いというのもありますし……」

 そんなやりとりを交わしつつ、クロードは全体に対してアナウンスを始める。

「皆さん。これからおこなう『アシスト』の試験は、四つの課題をそれぞれの班ごとにクリアして頂く形になります。まずは、各班で青の札と緑の札を持っている方、前に来て下さい」
「青? 緑?」

 ミランダが困惑していると、テオフラストゥスとテラがそれぞれに自分の「札」を持って立ち上がる。誰も言い出さなかったので確認しなかったが、どうやら、テオフラストゥスが「青の1番」、テラが「緑の1番」の札を持っていたらしい。

「そうか、私が受け取った札は赤だったけど、それぞれ色が違ったのね……。あなたは?」
「私は黄色です」

 ユニはそう言って、自分の札を出す。この色に意味があるのか、単なるランダムなのかは分からないが、二人共そこは特に気にしてはいなかった。
 そして各班の「青」と「緑」の担当者がグラウンドの前方に出揃ったところで、クロードはルールを説明する。

「今から、『青』の人達には、このトラックを全力で一周して頂きます。『緑』の人は、自分の班の人がトラックの反対側まで到達した時点で、アシストの魔法をかけて、運動能力を引き上げて下さい。それが出来れば、『緑』の人は合格です」

 そう言われたテオフラストゥスを初めとする「青」の面々の大半は、揃ってうんざりした顔をする。もともと魔法師を目指す面々の大半は、あまり身体能力は高くない。その中でも特に「アシスト」のような補助魔法を専攻する者達は、自分が前線に立とうという意識の薄い者達が大半であり、どちらかと言えば運動不足な面々が多い(その意味で、本来この試験を受ける筈だったレナードは例外的存在であった)。
 しかし、だからこそクロードは、この課題が適切であると考えていた。もともと身体能力が高い人間よりも、身体能力が低い人間の方が、「アシスト」をかけられた時の「差」が分かりやすく現れやすい。逆に、彼等が得意な座学の類いでアシスト用いた場合、やや差異が分かりにくい側面もある。それこそが、彼がこの「競技場」を会場に選んだもう一つの理由であった。
 こうして、やる気の無さそうな学生達による、トラック一周レースがスタートする。当然、真面目に走ったところで特に得るものもない以上、テオフラストゥスを含めた皆がそこそこに手を抜きながら走っていくが、やがて「アシスト」の発動地点に到着した時点で、テラ達が一斉に彼等に魔法をかけると、途端に彼等の足取りが軽くなる。

「これは……、なるほど、確かに効果はあるようだな」

 テオフラストゥスはそう実感しながら、そのまま皆と共に「少しだけ早くなった走行ペース」で最後まで走り切る。その様子をクロードと審判団が綿密に確認した結果この時点で「緑」組全員のアシストは正しく発動していると判定され、全員合格となった(もともとエネルギーボルトやキュアライトウーンズとは異なり、一度理論を正しく覚えれば普通は失敗しない魔法である)。
 そして、走り終えた「青」の面々がテーブルへと戻り、それと入れ替わりで今度はミランダを含めた「赤」の面々が前方へと呼ばれる。今度は彼女達が、テラ達「緑」組に対して魔法をかける番である。「今度は自分達が走らされるのか……」と緑の面々が嫌そうな顔を浮かべる中、クロードはここで「別の種目」を提示した。

「では、次は『緑』の皆さんの「筋力」を、『赤』の皆さんの手で強化して頂きます」

 そう言って「緑」の面々の前に、それぞれの体格に合わせた大きさの「箱」が用意される。

「『緑』の方々は、この箱を持った状態で、その場でスクワットしてみて下さい。そして、『赤』の方々は一定程度離れた位置から、『緑』の人が『もう限界』という状態になった時点で、アシストをかけて下さい」

 話を聞く限り、トラック一周以上に辛そうな課題である。特にテラは、女性であるミランダの目から見ても細すぎると思えるほどの痩躯であり、とてもではないが力仕事が出来そうなタイプではない。
 それでもテラは、養父であるクロードの提示したこの試練を乗り越えるために、全力で目の前の箱を持ち上げようとする。だが、スクワットを始めるどころか、持ち上げることすら出来ずに、腰を落として箱に手をかけたまま、動けずに固まってしまう。

(うーん、テラ用の負荷はもう少し軽くしておくべきでしたかね……)

 養父であるオクセンシェルナは内心でそんな思いに至る。別にこれは弟子を庇護したいためではない。あまりにも何も出来ない状態のままでは、「アシスト」の効果を測りにくいという意味で、むしろ彼の同班の者(今回の場合はミランダ)に迷惑がかかってしまう。
 実際、ミランダはこの状況で困惑していた。

(これ、今かけてあげないと、腰を痛めて危険なのでは……?)

 ミランダがそう思いながら判定員となる係員の顔色を伺うと、その係員は静かに頷いたため、ミランダはテラに対してアシストんの魔法をかける。すると、僅かではあるが、荷物が地表から浮き上がったのを確認出来たため、この時点でミランダにも「合格」の判定が下された。

(一応、これで私は一安心だけど、次は何をやらされるのかしら……)

 ミランダの脳裏にそんな嫌な予感が浮かび上がったところで、クロードから提示された次の「無茶ぶり」は、全く想定外の内容であった。

「では、次に『赤』の皆さんは、水着に着替えて下さい」

 クロードのその宣言に対し、皆が呆気にとられていると、彼は何やら呪文の詠唱を始め、そして「赤」の面々の前に二つの「小屋」が召喚される。浅葱の召喚魔法「シェルタープロジェクション」である。

「左側が男子用、右側が女子用の更衣室です。水着は中に色々あるので、自分の体型にあったものを選んで下さい」

 ミランダはこの時点で「何をさせられるのか」を概ね理解した上で、ため息をつきながら小屋に入り、適当に選んだ水着に着替えて小屋の外に出ると、そこにはグラウンドの約半分を占める「湖(池?)」が発生していた。浅葱の召喚魔法「レイクプロジェクション」である。

「『赤』の皆さんには、これからこの湖を泳いで渡ってもらいます。半分をすぎたあたりで、『黃』の皆さんはアシストをかけて下さい」

 実際のところ、山国であるエーラムで育った魔法学校の学生達は、あまり泳ぎには慣れていない者が多い。それでも、将来的に海洋国家の君主と契約を結ぶ可能性がある以上、体育の授業で最低限の水泳法は習っている。
 ミランダは再びため息をつきながらも、意を決して湖へと飛び込み、そして向こう岸に向かって泳ぎ始める。そして順調に半分を過ぎたところでユニは彼女にアシストをかけると、彼女の水かきのフォームが急に鋭敏化し、彼女はそのまま一気に泳ぎきろうとする。
 だが、ここ見学していた一部の(「青」と「緑」の)学生達がざわつき始めた。真っ先に対岸にミランダが辿り着こうとした瞬間、彼女の進行方向の水域に何やら「黒い影」がいることに、一部の学生が気付いたのである。

「おい、なんだ、あれ?」
「魔物か何かが、一緒に投影されちまったのか?」

 実はそれは、クロードが密かに仕込んでいた「潜水艦のオルガノン(女性型)」である。もし万が一、学生の誰かの足がつったり、溺れたりした時に対応するために水中に潜んでいたのが、水面の様子を伺おうとした彼女(オルガノン)は、うっかり水面から見える程度まで浮上してしまっていたらしい。

「皆さん、あれは……」

 クロードがその旨を説明しようとしたその瞬間、ユニが叫んだ。

「ミランダさん! 危ない!」

 次の瞬間、ユニの身体から謎の光弾が発生し、その水中の潜水艦に向かって一直線に翔んでいく。その光弾が直撃した潜水艦はその一撃を「クロードからの『浮上しすぎだから、もっと低く沈め』という荒療治の警告だと判断して、そのまま水中奥底へと潜っていった。
 「アシスト」の試験中に「謎の攻撃魔法」をユニが発動させたことで、周囲の者達は当然、ユニに対して奇異の視線を向けるが、当のユニ自身は、自分が「攻撃魔法」を発動させたという自覚すらないままミランダを応援し続けている。

(今のは……、エネルギーボルトに似ているようで、少し違う。あえて言うなら、彼女が無意識のうちに組み上げてしまった、エネルギーボルトに近い我流の魔法ですかね……。どうやら彼女は、攻撃魔法と極めて相性が良いらしい……。これは、いずれ本人にも伝えておくべきでしょう)

 クロードがそんな感慨に浸っている中、ミランダが無事に対岸に辿り着くと、ユニは彼女に駆け寄って、我がことのように喜ぶ。
 そして、他の参加者達も次々とゴールを果たしたことで、クロードは湖を消滅させ、そしていよいよ最終種目へと突入することになった。

「それでは『黃』の方々は、今から乗馬にチャレンジして頂きます」

 彼がそう告げると同時に、会場内に次々と「乗用馬」が運び込まれていく。この世界における魔法師は、戦場における機動性を確保するために馬を利用することが多く、乗馬技術に関しても最低限の手ほどきは学生の全員が受けていた。
 そして、自分が「アシストされる側」になったユニは、ここで少々困惑していた。自分が誰かを助けるために習得を目指したこの試験で、自分が誰かに助けられる側に立たされるというシチュエーションを想定してなかったのである。
 この状況下においてユニは、ひとまず自分が成すべきことは「絶対に落馬しないこと」だと認識する。もしアシストをかけられる前に落馬してしまったら、今回の「アシスト役」であるテオフラストゥスの判定が出来なくなってしまうし、最悪の場合、タイミング次第では「彼のアシストのせいで落馬した」という誤解も与えかねない。
 そう考えた彼女は、全身全霊を込めて目の前にあてがわれた馬に乗り、絶対に振り落とされないという強い決意を持って手綱を取った結果、馬との相性も良かったのか、アシストをかけられる前から見事な手綱さばきで他の参加者を圧倒する。

(どうやら、彼女も天運を味方につけたようですね)

 クロードはそう呟くが、実際のところ、アシストをかける前に全力を出されるのはは、テオスフラトゥスとしては困りものである。

(結局、このクジはアタリだったのか、ハズレだったのか……)

 テオスフラトゥスは複雑な心境を抱きながら、ユニに対して更にアシストをかけ、そしてクロード達もその影響をきちんと凝視した結果、彼の支援によってユニがより軽快に馬を操れるようになったと裁定した結果、無事に「第1班」全員が「アシスト」の習得に成功したのであった。

 ******

 その頃、オーキスは再び、先日と同様にロシェルの部屋へと赴いていた。今回、二人の試験会場が近かったのは、ただの偶然である。だが、オーキスにとっては、前回の一件からようやく気持ちの整理をつけた、丁度いい機会でもあった。
 オーキスの申し出を受け入れて彼女を再び部屋に招き入れたロシェルだが、ロシェルは話を急かしはしない。オーキスが語りたいタイミングで語ってくれればいいと思っている。そんな彼女の意図を察したのか、やがてオーキスは意を決して、ロシェルに対して語り始める。奇しくもその時のオーキスの表情は、先日のロシェルとそっくりであった。

「貴方の話を聞いた時から、貴方には話すべきだとは考えていたの。ただ、それを切り出せなくて……」
「それはそうよね。あなたの抱えている秘密が、わたしと同じくらいの重さなのだとしたら、それも仕方のないことだわ」

 そんな会話を交わしつつ、遂にオーキスは彼女(とその隣に座っているシャリテ)に対して、「全て」を話す決意を固める。

「私は……」

 ******

 オーキスは話を終えると、「彼女たち」をじっと見つめた。「彼女たち」は変わらぬ笑顔で、オーキスを見つめ続けていた。

 ******

 一方、「赤の教養部」の本校舎内の保健室では、試験終了後に担ぎ込まれたノア・メレテスが、万能薬を処方してもらった上で、静かに就寝していた。
 その傍らには、彼女をここまで運んだ二人の学生がいる。一人は、彼女と一緒に試験を受けていた保健委員のマチルダ・ノート。そしてもう一人は、ノアと同門の男子学生 レナード・メレテス である。レナードは、マチルダがノアを連れて保健室に行こうとしていたのを見て、自らマチルダに代わってノアを背負い、そのまま有無を言わさず保健室へと直行したのである。
 そして、万能薬を処方してノアが眠りに就いた後も、彼はそのまま心配そうな表情でノアの傍らに居続けた。そんな彼に対して、マチルダは静かに問いかける。

「さきほど、あなたはアシストの試験を受ける予定だと、『この人』は言ってませんでしたか?」
「あぁ、そうだ」
「もう、試験時間は終わってますよね?」
「そうだろうな」
「あなたはそれでいいんですか?」
「うっせぇな! これはウチの一門の問題だ! 誰かにとやかく言われるコトじゃねぇんだよ!」

 レナードは、マチルダがノアを助けるために現場で適切な措置を下してくれたことは知らない。そして、彼女が実技試験で失敗して、激しく気落ちしている精神状態であることも知らない。だが、仮に誰がそのことを知っていたとしても、マチルダに対してのこのような物言いを避けられたかどうかは分からない。それくらい、今の彼は精神的に激しく動揺していた。

「大切なんですね、『この人』のこと」
「『家族』だからな」
「そうですね……、本当の家族と呼べる程に大切な存在なのだとしたら、『彼女』のことも知っているのですか?」

 マチルダの中ではこの時点で、先刻ノアを片肩で担いだ時に感じた「違和感」が、既にほぼ「確信」に変わっていた。

「オメェ、それって……」

 レナードが何か言おうとしたその瞬間、保健室の扉が開く。

「困るんですよ、レナード君。約束の時間はちゃんと守ってもらわないと」

 クロードである。その傍らには、一人の「潜水艦のオルガノン」の少女がいた(先刻、クロードが作り出した「湖」の底で待機していたのは彼女である)。

「サーセン! オレ……」
「まぁ、魔法の発動の際に副作用を起こす学生というのは、さほど珍しいではありません。そのことを分かっていながら、万能薬を一つしか持っていなかった私の責任でもあります。ということで、今からここで、君のために特別補講の場を設けましょう」
「え!?」
「マチルダさん」

 ここで唐突にクロードから名前を呼ばれたマチルダは、軽く驚いた表情を見せる。

「あ、はい。なんでしょう?」
「こちらの彼女は、潜水艦のオルガノンなのですが、さきほど『不幸な事故』で、少し負傷してしまいましてね……。出来れば、あなたのキュアライトウーンズで、その傷を癒やしてほしい」

 クロードはそう言って傍らに立つ「潜水艦のオルガノン」の少女の肩の部分を指差すと、確かに少々傷付いているように見える。だが、そう言われた彼女は、不服そうな顔を浮かべる。

「事故っていうか、あれは先生がちゃんと事前に説明しなかったのが悪いんでしょ!」
「いや、まぁ、最初から『助け舟』がいると分かると、緊張感がなくなるかもしれませんしね」

 二人は冗談めかした口調でそう語るが、マチルダは気落ちした表情を浮かべながら答える。

「でも、私はもう、不合格になった身ですし……」
「えぇ。これはあなたの補講ではありませんし、あなたの不合格は取り消せません。これはあくまでも、レナード君のための補講です」

 その説明に対し、マチルダとレナードが揃って首を傾げる中、クロードはレナードに対してこう告げる。

「あなたは今から、アシストの魔法を使って、マチルダさんの回復魔法を手助けして下さい。それが出来れば、あなたは合格です」
「マ、マジっすか!?」

 レナードにしてみれば、一度放棄した試験に再チャレンジの機会が与えられるだけでも、ありがたい話である。一方で、マチルダにしてみれば、ここで彼の助けを借りてキュアライトウーンズを発動させたとしても、彼女自身には何のメリットもない。
 だが、それでもマチルダにとっては、目の前で傷ついている者がいる限り(たとえそれが人ならざるオルガノンでも)、手助けを拒む理由はなかった。

「分かりました。やらせて下さい」

 彼女はそう言って、「潜水艦のオルガノン」に対して、改めてキュアライトウーンズの魔法を唱える。そして、レナードはそんな彼女に対してアシストの魔法を放つ。この時、彼の全身に刻まれている「赤い傷」が激しい痛みを発生させるが、レナードはそのことを悟られないように、平気な顔で呪文を唱え終えた。すると、二人の魔法の合せ技により、みるみるうちにオルガノンの少女の傷は回復していく。

「おぉ! いいカンジ、いいカンジ! ありがとう!」

 オルガノンの少女が笑顔でそう告げると、マチルダは安堵した表情を浮かべる。そして、アシストによる支援ありきとはいえ、自分の手で怪我人の傷を癒せたことに、心から喜んでいた。そんな彼女に対して、クロードはこう告げる。

「今ので、一つの『道』が見えたのではないですか?」
「道?」
「『アシスト』を習得すれば、自分にかけることも出来るのですよ」

 クロードはそれ以上は何も言わない。一方で、レナードは食い気味にクロードに詰め寄った。

「センセ、今のオレのアシスト……」
「えぇ、きちんと発動していました。これで、アシストの単位は無事に習得です」
「っしゃあ! やったぜ!」

 レナードがそう叫んだ直後、彼の腰元に突然、ノアが抱きついてきた。その目には大粒の涙が流れている。

「良かった! 本当に良かった! ボクのせいで先輩が不合格にならなくて……」
「オ、オメェ! いつから起きてたんだよ! おい!」

 そんな二人のやりとりをマチルダは微笑ましく見守りながら、改めて自分のこれから先の人生設計について、少しだけポジティブな気持ちで考え始めるのであった。

2、状況特化型魔法

 クロード・オクセンシェルナが担当した四つの基礎魔法が、契約魔法師として各地で活躍する魔法師達の間で「どんな時でも役に立つ王道の基礎魔法」と呼ばれているのに対し、この日、同じ高等教員のノギロ・クァドラント(下図)が担当した魔法は、いずれも「ある特定の状況においてのみ必要になる特殊な基礎魔法」として扱われている。
+ ノギロ
 彼が担当する予定だったのは、「カウンターマジック」「ディスペルマジック」「ファーストエイド」「リウィンド」という四つの魔法であるが、今日はカウンターマジックの受験者は一人も現れず、ディスペルマジックの受験者一名だけだった。この二つはいずれも「魔法師と敵対した状況」においてのみ有効な魔法であるため、習得したところでいつ役に立つかは分からない、というのが、多くの学生達から敬遠される所以である。
 一方、「ファーストエイド」は、キュアライトウーンズ程の汎用性はないものの、状況によってはキュアライトウーンズ以上に必要となる回復魔法であった。それは「キュアライトウーンズでは治せない程の重症」に陥った者を、一時的に「キュアライトウーンズを使えば救える程度にまで回復させる魔法」である。
 あくまでもそれは「回復可能な状態になる魔法」だけであって、「回復させる魔法」という訳ではない。つまり、実質的にはキュアライトウーンズや、何らかの特殊な魔法薬、もしくは君主の聖印や一部の邪紋の力などによって、対象となる者の身体の損傷を癒やす方法が別に必要になる。故に、治癒術士を目指す人々からすれば、まず最初にキュアライトウーンズを習得し、その後で(他に優先的に習得すべき魔法がなければ)ファーストエイドを習得する、というのが一般的なルートであった。
 そんな中、この日は珍しく「一つ目の基礎魔法」としてこのファーストエイドを選んだ者が二人もいた。
 一人は、君主家出身の魔法師 エル・カサブランカ である。彼の中では、両親の死を目の当たりにした時のことが今でも深く脳裏に焼き付いていた。だからこそ、「あの時、魔法が使えていたなら、何か違ったのかな……」という想いを抱くと同時に、「後ろばかりにも目を向けられないな」という思考から、きっと将来においてもこの「人を死なせない魔法」は役に立つだろう、と考えた上で、この日の試験に望むことになった。

「ファーストエイドは、使わないに越したことはない魔法かもしれません。でも、いざという時に役に立てたらいいなって思うんです」

 そう言ってエルはノギロに受験申請を提出し、ノギロもそれを快く受け入れた。キュアライトウーンズよりも先にファーストエイドを覚えようという姿勢は、ある意味、最初から「自分以外の誰かの回復能力を頼る」ということを前提とした考えであり、唯我独尊思想に陥りやすい魔法学校の生徒としては珍しいエルのこの姿勢に対しては、ノギロは素直に好感を抱いていた。
 そしてもう一人は、そんなエルと同じ15歳でありながら、外見も経歴も何もかも対象的な少年、 バーバン・ロメオ である。並の武闘派君主や邪紋使いよりも高い身長と、筋骨隆々とした体格の持ち主であり、その姿は魔法学校内では極めて異様である。まだ成長期ということもあり、用意した特注の学生服が次々と着られなくなるため、制服を着ていない状態で学内を歩くことも多く、その姿はとてもではないが学生にも魔法師にも見えない。学内警備のために雇われた邪紋使いと間違えられる場合が大半である。
 バーバンはもともとは平和な農村でおだやかに暮らしていたが、ある時、ルクレール伯クルート・ギャラスの契約魔法師であるベネディクト・ロメオと出会い、自身に「魔法」を操る素質があることを知らされたことで、彼の一門に迎えられることになった。べネディクト自身も、自身の肉体を鍛えて前線で戦う武闘派魔法師として知られており、そんな彼だからこそ、バーバンには自分と同じタイプの魔法師となることを期待していたのかもしれない。
 だが、その見た目に反して、バーバンの気性は温厚で、争い事を嫌う性格であった(魔法師となったのも、あくまで「聖印と混沌の間を取り持てるように」という思想がその根底にある)。そのため、エルと同様、「人を死なせないための魔法」として、ファーストエイドを選ぶことにしたのである。

「オデ、みんな救う。そのだめの魔法、覚えだい」

 かなり激しい訛りのある口調で、バーバンはノギロにそう告げた。彼の目指すところは、あくまでも人々の平穏な暮らしなのである。現在は戦場で大工房同盟を相手に大立ち回りを演じているベネディクトが聞いたらどんな顔をするかは分からないが、それがこのバーバンという青年の本質であった。
 そしてこの日、二人はノギロの研究室に呼び出された。どうやら、人数が少ないのでこの場で「試験」をおこなうらしい。ノギロの傍らには、養子のユタ(下図)の姿もある。
+ ユタ

「お久しぶりです、エルさん」
「あぁ、うん。元気そうで良かった」

 以前にエルは、上級生達に絡まれていたユタを助けたことがある。その時以来の再会だが、心做しかユタの表情はあの頃よりも明るくなっているように思えた。
 そんな二人の再会の挨拶が終わったところで、ノギロはエルとバーバンに向かって語り始める。

「では、今から実習試験をおこないます。そのためには当然、瀕死の重症を負っている人間が必要になる訳ですが……」

 ノギロはそう前置きした上で、一本の薬瓶を取り出した。それは(エルもバーバンも知らないことだが)キュアライトウーンズのクラスでクロードが用いていた毒薬の、更に上位版である。

「これを飲めば、私は即座に瀕死状態になります。そのまま数分放置しただけで、私は命を落とすことになるでしょう。その前に、ファーストエイドの魔法を私に放って下さい。その後で、ユタが生命魔法を用いて私の身体を回復させます」

 穏やかな笑顔で淡々とそう語るノギロに対し、エルもバーバンもさすがにたじろぐ。

「せ、先生!?」
「なな、なに言っでるだ!?」

 理屈としては、ファーストエイドをかける対象となる存在が必要なことは分かる。しかし、まさかそれがエーラムの教育機関の中核を担うノギロ自身だとは、エルもバーバンも考えてはいなかったらしい。
 やっていることの本質はクロードと同じなのだが、その危険性は全く異なる。クロードの毒薬は全身に回るまでにそれなりに時間がかかるし、いざとなればクロード自身が解毒薬を飲めば消し去ることが出来る。だが、ノギロの毒は即効性であり、しかも、瀕死状態に陥った状態では、ノギロ自身が魔法や薬を用いることも出来ない。
 最悪、二人が失敗した場合でも、ユタは既にファーストエイドを習得しているため、ユタ一人でもノギロを回復させることは出来る。だが、もしここで、たとえばエルが魔法の発動に失敗して、しかもそのタイミングでまかり間違って混沌災害を発生させてしまった場合、ノギロの命が危険に晒されることになる。更に言えば、もしエルやバーバンに何らかの「裏の思惑」があった場合、瀕死のノギロにとどめを刺すことも理論上は可能であるだろう。
 逆に言えば、ノギロはエルとバーバンに対して「絶対にそんなことはしない」という信頼があるからこそ、このような形での試験方法を提示しているとも言える。ただ、エルもバーバンも、ただでさえはじめての魔法習得ということで緊張していただけに、ノギロのこの説明で余計に激しいプレッシャーに襲われていた。

「あの……、それって、瀕死の重傷になるのはノギロ先生でないと駄目なんですか?」
「駄目、という訳ではありませんが、私としては、他の誰かに押し付けるつもりはありません。たとえば、私の代わりにユタが『その役』を担当すると言ったら、あなたはそれで納得しますか?」

 当然、納得出来る筈もない。今、目の前にいる二人の人間の命の重さを測り比べることなど、エルにもバーバンにも出来る筈がなかった。

「……動物とかでは、駄目なんですか?」
「人間と動物では、身体の構造が違いますからね。人間に近い投影体なら可能かもしれませんが、あなたの中では、『人間とほぼ同じ構造の投影体』ならば、殺しても良いと思いますか?」

 それは、かつてエルが暮らして地域に根付く聖印教会の思想であるが、今のエルはその考えを受け入れる気にはなれなかった。
 しばしの沈黙の後に、改めてノギロが二人に対して諭すように語り始める。

「人の命がかかった状況を目の前にして、動揺するのは分かります。それは人として当然の感情です。しかし、我々魔法師はそのような状況においてこそ、冷静に、人々を救うための最善手を探し出さなければならない。私の命をかけた試験をおこなうのは、そのための訓練でもあるのです」

 それに対し、ここまでしばらく黙り込んでいたバーバンが叫んだ。

「そでなら、オデのカラダをづがってぐれ! オデの方が、センセよりも絶対頑丈だ! そうがんたんには死なね!」

 凄まじい形相でそう訴えるバーバンに対して、ノギロは思わず苦笑を浮かべる。

「それは確かにそうでしょう。しかし、それは出来ません。あなたの身体はベネディクトさんから預かっている大切な身体。更に言えば、ベネディクトさんがあなたの実家の御家族からの信頼の上で引き取らせて頂いた大切な身体です。ここで危険に晒す訳にはいかない」
「だども……」
「その身体は、いずれあなたが一人前の魔法師となって、後進を指導する立場になった時に使って下さい。今はまだ、あなたの出番ではない」

 ノギロがそこまで言ったところで、エルが意を決した表情で宣言する。

「分かりました。やります! そして必ず、成功させます!」

 エルがそう告げると、ノギロは笑顔で薬瓶を開き、そして勢い良く飲み干す。すると、彼の顔色はどす黒く変色し、その場に倒れ込んだ。その姿は(死因は全く異なるものの)かつてのエルの両親が命を落とそうとしていた瞬間のことを思い起こさせたが、エルは動揺する気持ちを抑えて、つとめて冷静にファーストエイドの魔法を唱える。

(大丈夫。これから先の未来では、もう二度とあんなことにはさせない!)

 その彼の決意を込めたファーストエイドはノギロの(まさに死の寸前と思われた)顔色を一定程度まで回復させ、そこにユタが強力な生命魔法を用いることで、ノギロは即座に正常な状態に戻った。

「おめでとう。合格ですよ、エル君。あなたのおかげで、死の淵から帰って来れました」

 その言葉を聞いてようやくエルは緊張感が解け、安堵の表情を浮かべる。一方で、その隣のバーバンは、今もなお躊躇する心を振り払えずにいた。

「オ、オデ、魔法、上手ぐない……、混沌操作の授業でも、いつも居残りで……、失敗ばがりだった。だから、上手ぐ出来るかどうか……」

 そんな彼に対して、エルは憑き物が取れたような笑顔でこう言った。

「大丈夫。もし君が失敗しても、代わりにファーストエイドを使えるのはユタ君だけじゃない。今は、僕もいる。だから、心配しなくていいよ」
「だども……」
「それに、君は居残りしている間も、毎日ちゃんと真面目に勉強し続けてたじゃないか。その努力は絶対に実を結ぶよ」
「オデのこと、知ってただか?」
「ま、まぁ、そりゃ、君は目立つし……」

 少なくとも、一度見たら忘れられない存在感であることは間違いない。

「…………わがった。オデ、やる!」

 バーバンがそう言って決意を固めると、ノギロは彼の目の間で二本目の毒役を飲む。そして、その場に倒れた彼に対し、バーバンは極限まで精神を集中させながらファーストエイドの魔法を(かなり独特のイントネーションながらも)詠唱し、そして見事にノギロの瀕死状態を回復させる。

「おめでとうございます、これであなたも……」

 まだユタに回復魔法を唱えてもらう前の段階でノギロがそう言いかけたところで、バーバンは大声で叫んだ。

「オデにもできたぞーーー!!」

 それは、エーラムに来て以来、ずっと憧れていた「魔法」を初めて習得出来た歓びを込めた、魂の雄叫びであった。彼はそのまま、歓びのあまり外に飛び出していく。その奇行に慌てたエルがすぐさま後を追いかけると、彼は道行く人々に対して語りかけていた。

「そこのオメェさん、オデの魔法見でぐれねぇか!?」

 いきなり街に飛び出してきた大男にそう言われて、当然のごとく街の人々は逃げて行く。そんな彼に対して、後ろからエルは叫んだ。

「いや、ファーストエイドは、そんな頻繁に使うような魔法じゃないっていうか、頻繁に使っちゃ駄目な魔法だから!」
「あ、そっがー、そだったー。じゃあ、次は何覚えるがなー! ダッハハハ!」

 先刻までの不安に満ちていた様子が嘘のように、豪放磊落に笑うバーバンであった。

 ******

 そして、この日のノギロの担当科目の受講者はもう一人いた。極東出身の少女、 ゴシュ・ブッカータ である。彼女が習得を目指していた基礎魔法は「リウィンド」であった。
 リウィンドとは、運命の風の流れを変える、という意味の言葉である。すなわち、「このままだと望ましくない未来が訪れる」と思った瞬間に発動することによって、その未来への流れを書き換える魔法と言われている。無論、それは書き換えたところで「より良い未来」が訪れるとは限らず、逆に「もっと悪い未来」になる可能性もある。あくまでも偶発的な「未来の書き換え」なので、その意味でも、より確実に物事の成功率を上げるアシストに比べると、やや見劣りする魔法だと判断されやすい。
 しかし、本当に運気が悪い場合、アシストではどうにもならない程の絶望的な状況においては、リウィンドという魔法は「最後の切り札」として重宝される。ただ、運命を書き換えるという特殊な魔法であるためか、あまり頻繁に発動させることは出来ない。この点に関してはあまり明確な学説は存在しないが、数日に一度程度しか発動出来ないことが多い、というのが一般的な認識である。
 ゴシュがこの魔法を習得しようと考えた背景には、彼女の魔法師としての明確な人生設計がある。彼女は将来的に「時空魔法師」となる道を目指しており、運命の流れを変える魔法という意味では、リウィンドは彼女が将来学ぼうとしている時空魔法に性質的には近い。だからこそ、将来に向けての布石として、この機に習得しておこうと考えたのである(なお、最終的には彼女は時空魔法を極めた上で、彼女にとっての「恩人」である「異界の神」に会いたいと思っているらしい)。
 その上で、彼女はリウィンドの担当教員であるノギロに「時間のやり直し」なるものがどういうものなのか、という点について質問してみた。

「時間のやり直し……、ですか。専門的な話はクロード君の方が詳しいでしょうが、まず、基礎魔法のリウィンドや、時空魔法のプレディクトヴィジョンは、厳密に言えば『時間のやり直し』ではありません」
「そうなんですか?」
「あくまでも『この先に起こりそうな未来の可能性』を先んじて覗き見た上で、それを自然律を捻じ曲げることで微妙に書き換えているだけで、時間そのものが巻き戻っている訳ではないのです。むしろ、それが出来るのは『支配者の聖印』の持ち主ですね」

 この世界における「君主」と呼ばれる者達は、それぞれの「聖印」の特質ごとに何種類かに分類される。そのうちの一つが「支配者の聖印」もしくは「統括者の聖印」などと呼ばれるタイプであり、それは前線に出て戦うのではなく、後方から戦局全体を見渡して味方を支援する能力に特化した聖印である。

「つまり、君主様の領域、ということですか。だとしたら、エーラムでそのことを学ぶのは難しそうですね」
「まぁ、経験者はいるので、直接聞いてみてもいい訳ですが。」
「え?」
「ケネス・カサブランカ殿です。あなたも、名前くらいは聞いたことあるでしょう?」
「……あぁ、あの、元騎士団長の人ですか?」
「えぇ。彼こそがまさに典型的な『支配者の聖印』の持ち主でした」

 ちなみに、この日の「ディスペルマジック」の試験の唯一の受講者が、実はケネスであった。どうやら彼は何らかの「呪い」を解くための方法を探しているらしく、その一環で(効くかどうかは分からないが)ディスペルマジックを試してみたいと考えたらしい。

「さて、ではそろそろ試験を始めたいところなのですが……、何をしましょう?」
「え? 何って……、決まってないんですか?」
「実際のところ、リウィンドの試験というのは、特に何かやるべきことがある訳ではないのです。リウィンド自体が『誰かが何かを成そうとした時に、その運命の流れを書き換えること』なので、正直、なんでもいいんです。勉強でも、運動でも、遊びでも」
「うーん、そう言われてもなぁ……」
「じゃあ、もうすぐ夕飯時ですし、ユタの料理に対してでも使ってもらいましょうか」

 ******

 こうして、この日のゴシュは、ノギロ邸にてユタの夕飯を手伝うことになった。なお、この日の料理は「海鮮餃子」である。もともと極東系(シャーン系)の料理に詳しかったユタが、多島海の三姉妹との交流を経て海の幸にも詳しくなったため、それらを混ぜ込んだ餃子を作ろう、と前々から考えていたらしい。
 多島海の店員でもあるゴシュは、ユタの下準備を手伝いつつ、料理の途中でユタが何かを失敗しかけたタイミングでリウィンドを用いようかと考えていた。ところが、なかなかそのタイミングが訪れない。仕方なく彼女は「今のままでもそこそこ美味しい餃子になりそうやけど、ここで運気を変えたらもっと美味しくなるかもしれへん」というタイミングでユタに対してリウィンドの魔法を用いてみた。
 その瞬間、ユタの周囲では確かに運気の流れが変わったことを、ユタも、ゴシュも、そして後ろで見ていたノギロも確信する。

「無事に発動出来たようですね。おめでとう、合格です」

 ノギロは静かにゴシュにそう告げる。なお、ユタ自身の感覚としては、周囲の運気が変わったことは実感したものの、最終的に出来上がった海鮮餃子の味自体は「概ね当初の想定通り」であったという。

 ******

 こうして、ゴシュは無事にリウィンドを習得して帰路につく。夜空の下、満足気な様子で彼女はふと呟いた。

「リヴィやルクスの試験は、どうなったんやろなぁ……。次に会ったら自慢せんとな! ウチの大事なアザ……」

 そこから先、彼女が何と呟いたのかは永遠の謎である。

3、疑似感覚型魔法

 カルディナ・カーバイト(下図)は「裏虹色魔法師(リバースレインボーメイジ)」の異名を持つ高等教員である。彼女はエーラムに存在する七つの学部全てを修めた、いわゆる「七色魔法師(フルカラーメイジ)」なのだが、なぜかどの学部も本流(紫・藍・青・緑・黃・橙)ではなく、亜流(菖蒲・夜藍・浅葱・常磐・山吹・朽葉)の魔法ばかりを習得した変わり者、という意味でそう呼ばれていたのだが(決して、よく酒の飲みすぎでリバースして「虹」を吐くから、という意味ではない)、例外的に基礎魔法を担当する「赤の教養学部」にだけは「裏」という概念がない。
+ カルディナ
 ただ、その表裏のない基礎魔法の中でも、カルディナが得意とするのは、やはり「主流」とは言えない類いの魔法であった。その中の一つが、光を生み出す基礎魔法「ライト」である。自分の周囲に光を発生させ、その明度もある程度は調整出来る。まさにシンプルで基礎的な魔法であり、本質的にはむしろ「本当の意味での基礎魔法」と呼ぶにふさわしい魔法なのだが、現代のアトラタンにおいては、あまり重宝されることはない。それは、戦場における実用性が低いからである。
 世界が闇に覆われ、大地の大半が魔境と化していた時代においては、どんな暗闇でも周囲を照らせる「ライト」の魔法は極めて重宝された。しかし、聖印を持つ者達が増え、人類の生存圏が広がるにつれて、「光をもたらす魔法師」の相対的な価値も薄れていったのである。
 そんな時代であるが故に、十六種類の基礎魔法の中でも、ライトの需要は極めて低い。それ故に、この日の基礎魔法習得の試験においてはカルディナが担当者だったのだが、どうせこの魔法を選ぶ者は殆どいないだろうと彼女は考えていた(むしろ、だからこそ「楽でいい」と考えてこの教科の担当を選んだ、とも言われている)。
 ところが、試験会場となる彼女の研究室に、この日は二人も受験者が現れたのである。一人は、カルディナの直弟子の アーロン・カーバイト であった。

「なぜ、お前はライトの魔法を覚えようと思った?」
「かっこいい人は、輝いて見えるからです!」
「ははーん、さてはお前、馬鹿だな。それでこそ私の弟子だ。よし、合格!」
「いや、あの、まだ他にもあるというか……、そもそもまだ魔法使ってないんですけど……」
「あぁ、そうだったか。で、他の理由ってのは?」
「単純に、これからは暗いところでも安全に行動できるようにしたいからです!」
「……普通だな、つまらん」

 カルディナはあっさりとそう切り捨てるが、実際のところ、先日の廃屋探検の際にランタンを落として火事を起こしかけたアーロンとしては、それなりに真剣な動機である。

「いや、待てよ、あえて暗いところに入れるようにってことは……、お前、何か良からぬことを企んでないか?」

 実に楽しそうな顔でカルディナはそう問いかけるが、さすがにアーロンも「地下猫カフェ」のことに関しては口止めされているので、たとえ相手が師匠でも言えない。実際、彼がライトを習得したいと考えるようになった理由の一つには、定期的にあの地下室に忍び込めるように、というのも大きな動機の一つではあった。
 そしてもう一人、この日の「ライト」の受験会場に現れたのは、 エト・カサブランカ である。

「僕は、その……、暗いところが苦手で、でも、炎とか、眩しすぎる明かりも得意ではなくて、だから、程良い光が自力で作り出せればいいな、と……。だから、その……、よ、よろしくお願い、します!」

 いつも通りに、やや怯えた様子でそう語るエトを見ながら、カルディナはどこか訝しげな表情を浮かべる。

「お前も、何か隠してるな?」
「え? い、いや、僕はそんな隠すようなことなんて、何も……」
「それだけではない、何か人には言えない『裏の理由』があるんだろう?」
「いや、そんな、裏なんていう程の話では……」
「ほう? 大したことない程度の理由なら、あるんだな?」

 実際のところ、エトが「明かりの魔法」を求める理由としてはもう一つ、「いつか自分が未来を決められることを願って」という願掛けの想いもあった。いつか未来を変えたいと願えるように、たくさんの思い出を持った人達を救えるように。そう願うための第1歩として! そんな漠然とした、明確な言葉にも出来ないような願望が、確かにエトの中にはあったのである。

「まぁ、それは別に話さなくてもいい。だが、何らかの野望・欲望は、必ず心に秘めておけ。その渇望こそが、混沌を動かす原動力となる。それは、どんな魔法でも同じことだ」

 エトにとってのその願いは、野望なのか欲望なのかは分からない。ただ、一種の渇望であるようには思えた。その上で、普段から真面目なエトではあるが、この日はより一層真剣に、普段より更に熱心に、魔法習得に取り組む覚悟で臨んでいた。

「そして、お前達はもう既に一通りの事前学習は終わっていると聞く。ならば、あとはもうお前達のその心意気次第だ」

 彼女はそう言うと、研究室の窓に対して、特注の遮光カーテンをかけて、外からの明かりを完全に遮断する。これは、外からどんな干渉があろうと、何が何でも今は惰眠を貪り続けると覚悟を決めた時にのみ使われる、彼女にとっての「闇の切り札」であった。

「さぁ、イメージするがいい。この闇の世界に自分の存在を植え付ける、己の中の内なる渇望を具現化し、光とするのだ!」

 カルディナのその言葉が部屋中に響き渡ると、アーロンとエトの周囲にそれぞれ微妙に異なる色合いの光が発生する。その色合いの違いの根源は分からない。それが彼等の「魂の色」なのか、「生き様の色」なのか、それとも「未来の色」なのか。いずれにせよ、二人はそれぞれに「自らの内なる光」を、この暗闇の世界において発現させることに成功したのである。

「出来た! どうです、先生? カッコいいですか?」
「あぁ、輝いているぞ。お前のその内なる渇望が、この世界を照らしている。その光こそがまさに、お前の存在証明になるだろう」

 アーロンに対してカルディナが満足そうな声色でそう答えると、エトもまた、改めて自分が「魔法」を発動させているという事実を実感する。

「これが、魔法……、僕の、光……」
「今の感覚、忘れるなよ。お前のその光を、この世界のどこまで届かせることが出来るかは、これから先のお前次第だ。魔法師としてのお前が歩いた先が、その光の軌道となる」

 珍しく、二人に対して格言っぽいことを言ってみて悦に入っているカルディナだが、その言葉にどこまで意味があるのかは、本人もよく分かっていない。

(まぁ、そこはこいつらが自由に解釈すればいいだろう)

 こうして、この日の「カルディナ魔法教室」の一限目は、無事に二人共「合格」を勝ち取ったのであった。

 ******

 そして二限目の時間に彼女の研究室に現れたのは、 シャロン・アーバスノット である。この時間帯にカルディナが開講していたのは魔法は「ダークネス」であった。
 ダークネスとはその名の通り(ライトとは真逆に)、一定の範囲の空間の光を消し去り、暗闇を発生させる魔法である。ライトは自分の周囲しか照らすことが出来ないのに対し、ダークネスはある程度離れた場所を起点として暗闇を生み出す魔法であるため、基本的には「敵対勢力を暗闇に陥れて混乱させる」といった目的で使われることが多い。
 だが、シャロンがこのダークネスを覚えたいと思った理由は、そのような戦略的理由とは全く無関係な、彼個人の事情によるものだった。

「おら、エーラムに来てからー、あんまりー寝れてないんだー。それでー、このまえー、寝る前に気づいだんだー、外があがるいんだって」

 エーラムは夜中でも灯りの点いている建物が多く、彼の住んでいる寮の近くには特に、夜中まで研究を続けている部屋が多い。山育ちの彼にとってはそれがどうしても寝苦しかったため、そのような環境でも安眠出来るように、という理由で、自分の周囲の光を消し去るためにダークネスを覚えようと考えたのである。

「なるほどな! 分かる、分かるぞ! 睡眠を妨害されるのは基本的人権の侵害だ。夜中まであくせく研究したがる馬鹿共は勝手にすれば良いが、その結果として我等が不利益を被るのは我慢ならん。それに対してダークネスで対抗するとは、なかなか見上げた心意気だ!」

 ちなみに、カルディナ自身はさすがにそこまでやろうとはしない。前述の「特注遮光カーテン」で外の光を遮る程度に留めている。さすがに外から何者かによって襲撃を受けることになった時に、完全に光が遮断された状態では危険だと考えているのだろう(好き勝手に生きてきた彼女は、自分が周囲から恨みを買われる可能性は常に考慮している)。
 だが、シャロンにはそこまでの危機感はない。そもそも、光を遮りたいだけなら、何らかの形で窓を完全に塞げば良いだけの話なのだが、彼は「寝る時は風がほしい」という優雅な理由から、その選択肢を選ぼうとはしない。おそらく、夜中にその開け放した窓から自分が襲撃される可能性など、一切考えていないのだろう。それは、自然の中で育った山岳民ならではのおおらかな感性なのかもしれない。

「良かろう! そこまでのあくなき睡眠への執着! 気に入った! さぁ、その飽くなき想いを、今ここでぶつけてみるのだ! 貴様の世界を、闇に染めろ! 貴様の安眠を妨害する、全ての邪悪なる光を消し去れ!」
「わ、わがりました!」

 シャロンはそう答えると、習った通りの魔法を(微妙に独特なイントネーションながらも)丁寧に唱える。すると、研究室に設置されていた室内灯も、外から入ってくる光も全てが消え去った暗闇が部屋中を覆うことになった。

「ほ、ほんとに消えただ! なにもみえねー!」

 なお、厳密に言えば、研究室の室内灯の中の火自体が消えた訳ではない。あくまでも、その灯りから発せられる「光」だけが一時的に消滅した状態なのである。そして、外からの光もこの研究室の中にだけ届いていない、という特殊な状況が発生していた。

「成功だな。では、ここから解除してみろ」

 カルディナがそう言うと、一瞬にして元の光に戻る。

「合格だ。これでもうお前は、完全に暗闇をマスターしたと言えるだろう。これから先は、誰もお前を邪魔する者はいない。好きなだけ惰眠を貪り、好きなだけ『自分一人の世界』を満喫するがいい!」
「いやー、おら、別にそこまでたくさんねたいわけでもないだども……、とはいえ、ありがとございましたー」

 こうして、二限目の「暗黒の試験」も無事に終わりを告げた。

 ******

 カルディナにとっての三限目の担当魔法は「スリープ」である。名前だけを聞けば、こちらの方がむしろシャロンの求める魔法であるかのように聞こえるが、この魔法は快適な安眠をもたらすための魔法ではない。基本的には敵対勢力に対して、嗅覚や聴覚に特殊な影響を与えることで、意識を鈍らせることを主目的とした魔法である。高位の魔法師が用いれば、そのまま睡眠状態に近い状態にまで相手を陥れることが出来るが、初期段階でこの魔法を用いることで出来ることは、一時的に相手の意識を朦朧とさせる程度が限界である。
 この魔法の受験を希望してきたのは、 マシュー・アルティナス シャーロット・メレテス ニキータ・ハルカス の三人である。

(今年は妙な魔法を覚えたがる連中が多いな……、まったく、例年ならもっと楽なのに、これだけ忙しくては身がもたん……)

 実際には、王道魔法を担当するクロードに比べれば圧倒的に少ない人数なのだが、これでもカルディナの中では「多い方」らしい。

「で、お前達、どうしてこの魔法を覚えようと思った?」

 その質問に対して、まず真っ先に答えたのはマシューである。

「僕は昔、魔法で人を傷つけたことがあります。それは人を助けるためだったんですけど、結局、その『助けたかった人』の心も傷つけてしまいました……。だから、暴力事件に対して、暴力以外の方法で鎮圧出来る可能性があると思って、このスリープの魔法に興味を持ったんです。それに、この魔法を極めれば、催眠術や、眠れない人への睡眠導入にも使えそうですし」
「なるほど。まぁ、まっとうな理由だな」

 カルディナは、いかにも「面白くない」と言いたそうな口調でそう答える。続いて、シャーロットが口を開いた。

「私も、風紀委員としての仕事の中で、相手を傷つけずに無力化するには、この魔法が最適だと思いました。実際、風紀員の先輩方の中にも、この魔法を取ってる人が多いですし……、あ、いや、もちろん、在学中のことしか考えてない訳ではありません。卒業後の私の契約先はたぶん平和なハールシアなので、攻撃魔法よりもこういう魔法の方が役に立ちそうかな、と。それに、この魔法は相手との間に力量差がないと機能しませんし、完全に使いこなすには魔法師としての力量がかなり必要なので……、その域まで私は勉強して、立派な魔法師になるぞ、っていう決意表明みたいなものでもあるんです」
「至極まっとうな理由だな」

 風紀委員に「まっとうでない理由」を求めるのも筋違いだということはカルディナも分かっているが、それにしても優等生すぎてつまらん、と彼女は内心で吐き捨てていた。そんな中、ニキータは全く想定外の理由を語り始める。

「私には過去の記憶がありません。失われた記憶を取り戻すための方法を探していたら、以前、とある催眠術の本で、スリープの魔法を打つと記憶の断片が戻るかもしれないと書いてあったので、覚えてみようと思いました」
「ほう……? それは初耳だな。そんな事例があるのか……?」

 実際には、そんな記録はどこにもない。これはニキータが本の内容を誤って覚えていただけなのだが、カルディナは基本的に「非常識な発想」を求める性格なので、即座に否定はしなかった。

「だが、そもそもこの魔法は本来は自分にかけることを前提とした魔法ではないし、自分の記憶を取り戻したいのであれば、クールインテリジェンスあたりを習得して脳を活性化させた方が早いかもしれんぞ」
「いえ、私はこの魔法で、記憶を取り戻します」

 ニキータは、はっきりとそう言い切る。そして、この時点でようやくカルディナは気付いた。

(思い出した! こいつ、射撃大会の時に、具体案ではなく「お題」だけ出して、私に追尾弾型の銃器を召喚させたヤツだな!)

 その時から「妙なヤツだ」とは思っていたが、どうやら思っていた以上の変人らしい、ということをカルディナは実感する。

「とりあえず、事前に頂いた資料で大方の使い方は分かったつもりだったので、ここに来る途中で、一度犬に試しにかけてみたのですが……」
「犬に?」
「効きませんでした。なぜでしょう?」

 いきなり聞かれてもいないことまで勝手に話し始めるニキータに周囲が困惑する中、基本的に変人には寛容なカルディナは真面目に受け答える。

「この魔法は視覚・嗅覚・聴覚に訴えかける魔法である以上、これらの感覚を有する動物相手なら普通は通用する筈だ。ましてや犬の嗅覚と聴覚は人間よりも強い分、むしろ効きやすそうなのだが……、それで上手くいかなかったということは、視覚効果に頼りすぎていたのではないか? もしそうだとしたら、犬は人間よりも視力が劣るし、そもそも人間と同じ感覚で視覚情報を整理する訳ではないから、こちらが期待した通りの効果が発生しなかったとしても納得は出来る」
「なるほど……、では、聴覚と嗅覚にもう少し重点を置いて使ってみるので今からかけてみても良いですか?」
「ん? 誰にだ? 私にか?」
「はい」

 淡々とそう答えたニキータに対して、カルディナは思わず大声で笑い始める。

「これは面白い! さっき、この風紀委員の娘が言ってたのを聞いてなかったのか? この魔法は、相手との間に明確な力量差が無いと機能しないのだぞ。それをこの私に使うというのか? このカルディナ・カーバイト相手に! 最高じゃないか、お前! よし、分かった! ならば、私もその心意気に応えよう!」

 実際のところ、別にニキータのこの発言には特に深い意味があった訳ではなく、ただ、たまたま目の前にいたのがカルディナだからそう言っただけで、かける相手は誰でも良かったのだが、なぜか妙に彼の発言がツボに入ってしまったカルディナは、おもむろに部屋の隅に転がっていた酒瓶を拾い、まだ半分以上残っていたその中身を、一気に飲み干した。

「せ、先生!?」

 シャーロットが思わず声を上げると、カルディナは頬を紅潮させた状態で、目をトロンとさせながら言い放つ。

「今、わらしは完全に泥酔状態ら……(ひっく)……。ここまれ、集中力も抵抗力も下がれば……(ひっく)……、お前達の魔法れも通用するかもしれない。さぁ、やってみろ!」

 単に酒を飲む口実が出来たから飲んだだけのように見えなくもないが、そう言われたニキータは遠慮なく、先刻のカルディナの助言通り、嗅覚と聴覚への影響により力を入れる形でスリープの魔法を発動させる。すると、カルディナの瞳は更にとろけた色合いへと変わっていく。

「あぁ、いいぞ……、二日酔いの朝に迎え酒を飲みすぎて更にドロドロの状態に陥ったような、最高の気分だ……」

 その表現が適切なのかどうかは分からないが、確かに効いてはいるらしい。

「……とはいえ、さすがに今、寝る訳にはいかんな……、ちょっと待ってろ……」

 彼女はそう言いながら、自分自身にディスペルマジックかけて、スリープの効果を打ち消す。

「よーし、これれ大丈夫ら……(ひっく)……、さぁ、次はそこの眼鏡と優男! どっちれもいいから、私にスリープをかけてみろ!」

 当初、カルディナは魔法の効果を実感させる意味も込めて、受験者同士で魔法の掛け合いをさせるつもりだったのだが、この方が面白いと思ったらしい(この泥酔状態を、このままもう少し楽しみたいと思ったらしい)。

「分かりました。酒に寄っている女の人に手を出すのは良くないことですけど……」

 そう言いながら、先に動いたのはマシューである。彼が優しそうな声で囁くように呪文を詠唱すると、カルディナは再び、先刻と同じような朦朧状態へと陥る。

「やるじゃないか……、この私を、ここまで夢見心地にさせてくれうとは、おまえ、将来絶対いーおとこになるぞー……、んー……(ゴクゴク)……、ぷっふぁー……、さー、あとはおまえらー! 金髪眼鏡ー! とーっととぉ、やれぇぇぇぇい!」

 喋りながら軽く薬のような何かを飲んで再び少しだけ集中力を回復させた状態で、カルディナはシャーロットに向かってそう言い放つ。

「わ、分かりました! それでは、し……、失礼します!」

 彼女も意を決して、やや緊張した声色ながらも詠唱を始め、カルディナに向かってスリープの魔法をかける。

「おぉぉぉぉ、いいぞぉぉぉぉぉぉぉぉ、最っ高らぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、この、何もかもがどうでもよくなっていく放心状態、何物にも代え難い…………、私をここまでトロケさせたお前達、全員合格! 全員帰って、いい夢見ろよ!」

 そう言って、カルディナはその場に倒れて眠り始める。深酒状態への三連続スリープによる蓄積は、それなりに効いたらしい。

「とりあえず、これは帰って良いのでしょうか……」
「まぁ、先生がそう言ってるんだし……」
「合格だー! 魔法を習得したぞー! ぃやっほぉぉぉぉぉぉぉぉい!」

 ニキータはそう言って、部屋を飛び出して行く。そのテンションにはシャーロットもマシューもついていけなかったが、二人共「はじめて魔法を習得出来た歓び」から、内心では確かに気持ちが高揚していた。
 今まで、風紀委員でありながらも自分自身で納得のいく働きが出来ていなかったシャーロットにとっては、これでようやく先輩達と同じ土俵に立てたことになる。もっとも、今の彼女の実力でこの魔法がどこまでの相手に通用するかは分からない以上、まだまだ満足するには早すぎるが、ひとまずはこれで、実家の人々に対しても少しは顔向けできるようになったことは間違いない。この力を使って、少しでも多くの人々の力になることが、彼女の中での「メイジオブリージュ」の第一歩であった。
 マシューもまた、魔法の力をどのように行使するべきなのかについてはまだわからないが、この力を使って誰かの助けになるようなものであれば嬉しい、と思っていた。最大多数の最大幸福に奉仕することこそが「優しさ」に繋がる、というのが今のマシューの信念である。そのために、これからも広い視点を持ち、自身にできることについて熟慮したい、と考えていた。
 そんな二人が学生寮に向かって帰ろうとしているところで、先に研究室を出ていたニキータと遭遇する。彼は「奇妙な動きをしている犬」をからかって遊んでいた。

「なぁなぁ、この犬、見てみろよ! なんかさっきの先生みたいに、フラフラ酔っ払ったみたいに歩いててさぁ!」

 ニキータが笑いながらそう言っているが、その様子を見たマシューは、すぐに異変に気付く。

「いや、その犬、実際に魔法か何かにかかっているんじゃ……」
「え? ……あー! そうだ、思い出した! こいつ、さっき俺がスリープをかけた犬だ! そっかぁ、効いてないと思ってたけど、ちゃんと効いてたのか! いやー、そいつは悪かった。お詫びにこれをやろう! 眠気覚ましになるといいな! な!」

 そう言って、ニキータは持っていたビスケットを犬に渡して、呆気にとられた様子のマシューとシャーロットに見送られながら、その場を去って行った。
 なお、後日、ニキータは実際にスリープを自分に放ってみた結果、「過去の幻覚」のような何かが見えたが、結局それは「記憶を失った後の記憶」であった。彼はその結果に少し落ち込んだものの、すぐにまた違う方法を探そうと、あっさり元気を取り戻したのであった。

 ******

「カルディナちゃん! サイレントイメージの試験会場! ここでいいのか!?」

 そう言って、 セレネ・カーバイト が彼女の研究室の扉を開いた時、カルディナはまだ泥酔状態で床に倒れたままだった。セレネの背後には、 ロゥロア・アルティナス クグリ・ストラトス の姿もあった。

「先生!? い、一体、何が……」

 ロゥロアは何か事件が起きたのかと思って取り乱しかけるが、セレネは平然とした様子でカルディナに近付き、頬を軽くペチペチする。

「カルディナちゃん! 何してるんだ? 一番弟子のセレネが来たんだぞ! 早く試験やってくれ!」

 セレネにしてみれば、カルディナが研究室で酔い潰れているのは日常茶飯事であり、別に今更驚くようなことでもない。クグリもまた、その噂は散々聞かされていたので、さほど動揺もした様子もなかった。

「あー……、うーん、スリープはもう腹いっぱいだ……」
「いや、だから、スリープじゃないぞ! サイレントイメージの時間だぞ!」
「んー…………? あぁ、セレネか。すまん、ちょっとそこの酔い醒ましを取ってきてくれ」
「わかったぞ! まったく、しょうがないなぁ、カルディナちゃんは」

 慣れた手付きでセレネは戸棚から薬を取り出し、それをカルディナに差し出すと、彼女はそれをグイッと飲み干して、すぐに正気を取り戻す。

「よーし、元気になったところで飲み直し……、じゃなかった、サイレントイメージの試験を始めよう。それにしてもお前達、よくもまぁ最初にこんなイロモノ魔法を覚えようという気になったものだな」

 サイレントイメージとは、その名の通り、音のない映像を出現させる魔法である。自分の脳内に思い描いた何かを幻像として出現させることで、敵を翻弄することも出来れば、音が届けられない相手に映像だけで何かを伝える、という使い方もある。中には、純粋に「趣味の映像」を作り出すために多用する者もいる。 
 実際のところ、これはカルディナにとって「一番お気に入りの基礎魔法」でもあり、その技術は彼女の「長女」にあたる菖蒲の錬成魔法師へと受け継がれていた(むしろ、その長女がよりおかしな方向に進化させているのだが)。
 そんな彼女に対して、「自称:一番弟子」のセレネが応える。

「セレネは、難しい言葉でいろいろ説明するのが苦手だからな……。何かを伝えるなら、言葉ではなく、形の方が伝わりやすい。だから、セレネの頭の中にある色々なものを、色も形もそのままに伝えるために、この魔法を覚えたい!」
「実にお前らしいな。自分が馬鹿であることを自覚した上で、馬鹿は馬鹿なりに馬鹿な考えを馬鹿でも伝える方法を考えた、ということか」
「バカバカ言うな! とにかく、セレネは言葉よりもイメージで皆に何かを伝えたい! それがセレネのやりたいことだ!『ずっと好きなことを続けていく』のがカーバイト家の伝統なんだろ? それなら、セレネはこの魔法を使って、色々なことを皆に伝え続けていきたい! それに、これをうまく使えば、悪い奴をだませるらしいし、頑張るぞ!(ふんす)」
「まぁ、お前の場合は、まず自分が騙されないようにすることが先だろうがな。で、お前はどうなんだ? 店長代理」

 クグリに対してカルディナがそう問いかけると、彼女は鞄から何かを取り出しつつ応える。

「お店の紹介とか、まだ未完成の品のイメージ映像とかを示すには、この魔法があればいいと思ったんです。あ、これ、差し入れです、どうぞ」

 そう言って、彼女は「高級酒」と「最近店頭に加えたばかりの新作おつまみ」をカルディナに提供する。

「おぉ、いつもすまんな。だが、私に賄賂は効かんぞ」
「カルディナちゃん! 飲むのは試験が終わってからだぞ!」

 既に栓を開けようとしているカルディナに対して、セレネが止めに入る。

「分かってる、分かってる。ちょっと臭いを嗅ぐだけだ。私のためにどれだけの賄賂を用意してきたのか、それでこいつの本気度合いが分かるからな。まぁ、どんな酒を持ってこられたところで、才覚のない奴にはどうせ魔法は使えん訳だが」

 実際、それはクグリも分かっている。ただ、魔法の試験には(本来のルールでは)時間制限もあるため、その辺りについての融通を効かせてもらえれば嬉しい、という程度のダメ元の賄賂のつもりであった。

「ん? なんだこのつまみは……? 前にどこかで見たような……」
「それ! ヴィッキーちゃんがタコパの時に持ってきてくれてたやつだぞ!」
「はい、そうです。ヴィッキー君からもらった 食べるラー油 のレシピを元に改造して作り上げた当店の新作おつまみです。実際のところ、ボクは(まだ?)お酒が飲めないので、おつまみとしてどんなお酒に合うかどうかについての意見を、先生に聞きたいと思いまして」
「なるほど。それで私を頼るというのは、まさに適材適所訳だな。さて……、そこのダルタニアの娘。最近はバリーの道楽に付き合ってやってるみたいだが、お前はなぜこの魔法を? 演奏会の背景映像にでも使うのか?」

 そう問われたロゥロアは、その手で前髪をかき上げて、ピンで止めることでいつもは隠している「左目」を露わにする。それは「硝子の義眼」であった。彼女はかつて魔物の毒によって、本来の左目を失っているのである。

「私は、音なら覚えられるです。耳には自信があります、ので。でも、目で見るのには自信がない、です……。だから、見たものをもう一度見られるように…落ち着いてしっかり確認できるようにしたい、です」
「なるほど。そのために、いつもは隠してる義眼も晒す決意を固めたか」
「はい。『見る』魔法なら…この目を隠すわけにはいかない、ですね」
「別に、隠す必要もないだろうに。普通にカッコいいだろ、硝子の義眼とか」
「カッコいいぞ!」

 横からセレネが割って入る。その反応にロゥロアは少し戸惑いつつも、改めて強い決意を抱きながら語った。

「これから学ぶもの、これまで見てきた広い世界について、忘れないように心に刻みつけたい、です」
「なるほどな……。重い話は大嫌いだが、前向きな話は嫌いじゃない。さて、では始めることにしようか。お前達、それぞれにまずは『描きたいもの』を頭の中に思い浮かべろ。しっかり、はっきり、正確に、自分の妄想力を研ぎ澄ませ。その上で、それが『映像』として脳内で完成した時点で呪文を唱えて、私の前に投影するのだ」

 カルディナがそう言うと、三人はそれぞれに目を閉じて集中する。最初に詠唱を始めたのはクグリであった。本質的に商人である彼女は、常に顧客に合わせた最良のサービスを想像する習慣が本能的に身についている。そんな彼女が思い浮かべたのは「架空の居酒屋」の光景だった。彼女の詠唱終了と同時に、それがカルディナの目の前に現れる。

「ほう? これは」
「マッターホルン二号店の完成予想図です。こちらは先生方を主要客層として想定した上で、世界各地のアルコールを各種揃えています」
「奥の戸棚に、私の名前が書いてあるようだが?」
「カルディナ先生用のボトルキープスペースです。開店前から既に一棚分は用意しておこうかと」
「なるほど、よく分かっているじゃないか。合格だ、合格!」

 別に接待大会ではないので、カルディナを喜ばせるような映像を提示する必要はないのだが、少しでも気分よく採点してもらおうと考えるのは、やはり店長代理としてのクグリの本能なのだろう。

「できたぞ!」

 次にそう言ったのはセレネである。彼女はすぐさま呪文の詠唱を始め、そしてカルディナの目の前に、一本道の「ステージ」を描き出す。そして、そこには独特のセンスの服を着飾ったカルディナとセレネが歩いていた。

「なるほど、これが『ランウェイ』というやつだな」
「そうだぞ! 『ぱりこれ』だぞ!(ドヤァ!)」

 それは地球の文化である「ファッションショー」の光景である。あくまでもそれはセレネが
妄想した映像である以上、それがどこまで正確なのかは分からないが、セレネが憧れる華やかで綺羅びやかな映像が、そこでは広がっていた。

「さすがの妄想力だな。お前なら、いずれエステルを超える映像作家になれるかもしれん。文句なしに合格だ!」

 一方、最後まで残ったロゥロアは、小声で何か呟き続けていた。

「違う、そうじゃない。ここの戸棚の上にあったのは確か……」

 しばらく時間をかけて頭の中に「何か」を描ききったロゥロアは、カルディナが我慢出来なくなって目の前のおつまみを手にし始めた段階で、ようやく呪文の詠唱を始める。そして、カルディナの目の前に現れたのは、彼女とルクスが現在住んでいる寮の部屋の映像だった。

「私には、その、無から何かを想像出来るだけの力はありません。ですから、その、今の私にとって『一番大切な空間』であるこの部屋を、出来る限り正確に思い描いてみました」
「……まぁ、それはそれで悪くない。実際、『悪いこと』のためにに使おうと思ったら、むしろリアリティのある映像の方が必要だからな」

 別にロゥロアは何も悪いことなど企んでいないのだが、カルディナの中では「魔法師というものは、魔法を一つ覚えるごとに、悪いことを十個くらい即座に思いつくものだろう?」という、主語の大きすぎる偏見があった。

「ところで、この部屋中に転がってる黄色いぬいぐるみは、何だ?」
「私のルームメイトが言うには、『きいろのおーさま』らしいです。私も、どういう方なのかはよく知らないんですけど……」
「あと、なんか妙に厳重な金庫みたいな入れ物があるが……」
「それも、そのルームメイトの子の私物です。その『きいろのおーさま』と会うために必要な何かが入っているらしいのですが……」
「ほぅ……、悪巧みの臭いがするな……」

 カルディナは、ニヤリと楽しそうに笑う。

「あ、いえ、そんな、彼女はすごくいい子ですし、そんな悪いことなんて……」
「悪いことも出来ない魔法師など、何の存在意義がある? まぁ、それはともかく、お前も合格だ。三人共、これからは胸を張って『見習い魔法師』と名乗れ。ようやくお前達はその権利を得たのだからな!」

 こうして、この日のカルディナのノルマはようやく終わり、彼女は三人を早々に追い出した上で、クグリからの差し入れを一人でじっくりと堪能するのであった。

4、事前準備型魔法

 高等教員のフェルガナ・エステリア(下図)は、この日、「アイアンウィル」「イミュニティ」「クールインテリジェンス」「ロケートオブジェクト」という四つの基礎魔法の実技試験の担当を言い渡されていた。
+ フェルガナ
 この四つに共通する要素は「戦場や魔境で瞬時に使う魔法ではない」ということである。厳密に言えば、アイアンウィルとイミュニティは戦闘中に発動させることも不可能ではないが、一度発動させれば長期間その効果を持続させるため、普通は戦場や魔境に赴く前に唱えるものである。そのため、昨今のエーラムではこの四つをまとめて「事前準備型魔法」と呼ぶ風潮がある(なお、あくまでも俗称である)。
 彼女が試験会場として選んだのは、いつも教養部の面々が使っている校舎の教室である。いずれも「自分自身にかける魔法」であることから、魔法の射程を考える必要がないので、競技場などの大会場を用いる必要がない。だから、例年通りの人数なら、ノギロやカルディナがそうしたように、自身の研究室で開催しても良かったくらいなのだが、今回はこの四つのうちの「ある一つの魔法」に妙に人気が集まったため、研究室では入り切らないという結論に至り、それぞれ別個の教室を借りて開催することにしたのである。
 まず一つ目の科目は「アイアンウィル」である。これは、自分自身の「意志の強さ」を強化する魔法であり、この魔法の受験会場となる教室に集まっていたのは、 ルクス・アルティナス ロウライズ・ストラトス ジャヤ・オクセンシェルナ の三人である。三者三様に個性的な面々だが、彼等には一つの共通点があった。

「一応、最初に聞いておこう。お前達がこの魔法を選んだ理由は何だ?」

 その問いに対して、真っ先に答えたのはルクスである。

「きそまほーについての本によれば、しょーかんまほーしになりたいならアイアンウィルがいいって書いてあったのだ!」

 そう、召喚魔法師に必要なのは「意志の力」なのである。召喚魔法とは、全ての魔法系統の中で、最も深く自然律を歪める魔法である。本来はこの世界と何の縁もない異界の存在である投影体を召喚し、それを自らの手でコントロール下に収めるためには、確固たる意志の力が必要となる。だからこそ、その意志の力を強化するアイアンウィルは、まさに召喚魔法師にとってはほぼ必須科目と呼ぶべき重要な魔法なのである。
 彼女がいつものテンションで無邪気にそう言った直後に、ロウライズも語り始める。

「私も、召喚魔法師志望です。自分は霊感が弱い。でも、意志の力ならあると学長にも言われました。だからまず、今はこの力を伸ばして、召喚魔法師となる道を目指したいです」

 もちろん、どの系統の魔法を選ぶにしても、それが平坦な道だとは思っていないが、まず今は自分の可能性を最も広げられそうな方向から模索していこうと考えた結果、自然と「アイアンウィル」という選択肢に至ったのである。
 一方、ジャヤはそんな二人とは少し異なるトーンで語り始める。

「吾(あ)がこの魔法を学ぶのは、召喚魔法師を志しているからではあるが、しかしそれだけが理由ではないのだ。自分の『意志』で自分の生き方をちゃんと選べるようになるために、吾にはこの魔法が必要だ」

 ジャヤが召喚魔法師を目指すのは、かつて「災いを喚ぶ」とされた自身の魔法の素養を正しくコントロールするためである。そしてそれ以上に、かつて自分が「決断できなかった」せいで多くの人の命が失われる結果になったことを心底後悔しており、同じ過ちを繰り返さないために精神的な強さがほしい、という考えがその根底にあった。

「なるほど。大体の事情は分かった。ただ、前々から一つ気になっていたんだが……、ルクスよ」
「なんなのだ?」
「お前が前々からよく口にしている『きいろのおーさま』については、私は未だによく知らないのだが……」
「きいろのおーさまは、きいろのおーさまだぞ!」
「お前はその『きいろのおーさま』と会うために、召喚魔法師になろうとしているのか?」
「もちろんだぞ!」
「会った上で、お前は何をしたい? もしくは、何をさせたい?」
「え……?」
「何のために、その『きいろのおーさま』を召喚しようとしている?」
「なんで??? ん~~……、ヴィッキー先輩にも聞かれたから考えてはみたが、やっぱりわからないのだ!おーさまに会ってから考えるのだ!」

 ルクスのこの狂信的なまでの執着心にフェルガナは一抹の不安を覚えるが、どちらにしても、今のこのクラスは召喚魔法の講義ではない。あくまでも、(召喚魔法にも役立つ)アイアンウィルの試験会場である。この点については、これ以上掘り下げるのは避けることにした。

「では、今から各自、自分の中での譲れない『強い願い』を思い描け。そして、その願いを実現させるという『鋼の意志』を心に宿すというイメージを胸に、呪文を詠唱するのだ!」

 フェルガナにそう言われた三人は、それぞれに自分の心の中の意志を高めていく。

(きいろのおーさまに会うのだ……)
(同志達と一緒に、このエーラムを変えていく……)
(もう迷わない。誰も死なせない。お師様も、兄様も……)

 そんな彼等の想いが高まった結果、やがてそれぞれの心に「何か」が宿ったことを実感する。それと同時に、彼等は少し精神がすり減ったような感覚も覚えていた。

「どうやら、三人共無事に発動したようだな。では、それを試すために、今からこれを食べてもらおう」

 フェルガナはそう言って、鞄の中から毒々しい色の「食べ物のような何か」を取り出す。

「な、何なのだそれは……?」
「食べるってことは、食べ物、なんですよね……?」
「吾の知っている食べ物ではないぞ……」

 三人が揃って表情を歪める中、フェルガナはあえて淡々と説明する。

「これは、カルディナの次女からカルディナに送られてきた『愛の籠もった菓子』らしい。ただ、彼女は、この世界に三十六人に一人の割合で生まれる『特殊な味覚』の持ち主ということで、カルディナの口には合わないらしく、私に『お裾分け』と言って、全て押し付けてきた。だが、私も前に彼女が学生時代にくれた差し入れを食べたことはあるが、どうやら私も『三十五人の側』の人間だったようで、彼女の味付けは私にも理解出来なかった……」

 遠い目をしながら、フェルガナはそう語る。その声色から、三人の脳内では嫌な予感がどんどん広がっていく。

「ちなみに、彼女は召喚魔法師でもある。その意味では、お前達にとっても今後『先輩』となりうる存在だ。いずれどこかで会うかもしれない。その時までに、自分が『一人の側』の人間なのか『三十五人の側』の人間なのかを、今ここで見極めておくのも悪くないだろう」

 いつもは良識派と言われるフェルガナらしからぬ無茶苦茶な理屈である(なお「三十六人仮説」はあくまでも俗説であり、類似概念として「三十六人に一人は方向音痴」「三十六人に一人は全裸で寝る」といった都市伝説もある)。

「大丈夫だ。問題なのは味だけ。身体には一切悪影響はない。鋼の意志の力をもってすれば、きっと最後まで食べきることが出来るだろう。私はそう信じている」

 三人共、こんなことのためにアイアンウィルを覚えた訳ではなかった、と言いたそうな顔を浮かべながら、その「食べ物のような何か」を口から胃袋へと流し込んでいくのであった。

 ******

 盟友カルディナからの(横流しの)差し入れを凶器のように用いたことに若干の罪悪感を感じつつ、フェルガナは次の教室へと向かう。そこにいた学生は サミュエル・アルティナス ただ一人であった。そして、彼が受験を希望しているのは「イミュニティ」の魔法である。
 イミュニティとは、自分の体内環境を把握することで病気や毒に対する耐性を強める魔法であり、この魔法を自身の身体にかけておけば、ゴブリンの毒刃程度では全く影響を受けなくなる。つまりは、実質的には自己強化の魔法であるが、魔法師はそもそも前線に立つ機会が少ないため、積極的に習得を目指す学生は多くない。
 そんな中、あえてこの魔法を最初に選んだサミュエルは、フェルガナに対してその理由をこう説明した。

「俺、自分でもよく分からないんですけど、なんか変な病気らしいんです。唐突に眠気が襲ってくる病気で……。俺がエーラムに来たのは、その病気を魔法の力でどうにかするためでもあるんですけど、まずは病気や人体に関する知識を得るためにも、この魔法から始めていこうかと」
「なるほど……。そういう意味では、私ではなく、ノギロがこの魔法を担当すべきだったのかもしれんな」

 実際のところ、今回、どういう基準で16種類の魔法の担当を「この四人」で分担することになったのかは不明である(魔法学校の上層部の方針らしいが)。

「ともあれ、自分の身体のことを理解しておくのは大切だ。そして、今は魔法師だからと言って後方でのんびりしていられる時代でもないらしい。いつ何時、誰に襲撃されるかも分からない、いつ毒薬を盛られるかも分からない時代だからこそ、自分の体内を強化しておくことは決して無駄ではないだろう」

 フェルガナはそう告げた上で、サミュエルに対して改めて人体構造に関して再確認するための基礎的な説明を施すと、サミュエルは意を決した表情で、イミュニティの魔法を発動させる。

(この魔法では、まだオレの病気を治すには至らないのかもしれない。でも、確実に一步ずつ、オレは「健康な身体」へと近付いていく! と、思う!)

 そう決意した彼が、五感とは異なる何かで自身の身体全体を把握しようとする。その結果、彼は自分の身体の内側を、自分の意志で「動かせる」ようになったような感覚を覚えていた。

「な、なんか、今まで見えなかった部分が見えてきた気がします。そして、今のこの状況なら、身体に入ってきた異物をコントロール出来る、と、思う!」
「それがイミュニティの効果だ。身体そのものを強化するというよりは、内側を理解することによって自分の体内以上を感知して、結果的に毒や病気への耐性を上げる。では、今からさっそく、その効果を試してみようか」
「試すって……、まさか、毒薬とか飲むんですか?」
「毒ではない……、と、思う」

 サミュエルの口癖を奪うかのように、フェルガナは目をそらしながら呟きつつ、鞄から何かを取り出そうとする。

「いや、正確に言えば『毒』の定義によるのか? 詳しいことは私も知らない。私は薬毒の専門家ではないからな。それこそ、ノギロ先生かメルキューレにでも聞くべき話だろう」

 感情を押し殺した淡々とした声でフェルガナはそう語りつつ、先刻とはまた別の「食べ物のような何か」を鞄から取り出す。

「あの、先生,それって……」
「これは、ノギロ先生の一番弟子にあたる某国の伯爵の契約魔法師から、養父に送られてきた『マカロン』という菓子だそうだ。本人曰く、かなりの自信作らしいから、他の教員にも配ってほしいと言われたそうで、私のところにも回ってきた」
「いや、あの、『菓子』ってことは、食べられるもの、なんですよね?」
「…………安心しろ。そのためのイミュニティだ」

 つまり、これが「きちんとサミュエルの身体にイミュニティがかかっているか」のテスト、ということらしい。

(むしろ、今こそ、眠気に襲われてこの場で寝落ちたいところなんだが……、おい、どうしたんだ、オレの眠気! こういう時のための眠気だろ! おい!)

 残念ながら、彼は今、すっきりと頭が冴えてしまっている状態である。やむなく、彼は激しい精神的苦痛を受けながらも、身体の方はイミュティの効果でしっかりと守られたまま、どうにか無事に完食する。
 なお、その後、彼の「病気」はというと、イミュニティのおかげかどうかは不明だが、眠りの発生スパンが微妙に長くなったらしい。

 ******

 フェルガナが更に心を痛めながら次の会場へと向かうと、その部屋には何やら奇妙な装飾が施され、そして(射撃大会の時にフェルガナと同席した)地球人のエージェントであるキリコ・タチバナ(下図)の姿があった。
+ キリコ

「あ! 今、フェルガナ先生がいらっしゃいました。皆様、拍手でお招き入れ下さい!」

 パチパチパチパチパチ

「何やってるんだ? キリコ……。教室の中のこの変な飾り付けも、お前の仕業か?」
「はい! 今日は新人魔法師の取材に来たんですが、どうやらこのクールインテリジェンスの教室が一番活気に溢れてて、それで、話を聞いてみたら、先生がなかなか来なくて退屈してるって話だったから……」
「あぁ、うん。それは、すまなかった。二組とも、完食するまでに時間がかかってな……」
「で、ちょっと皆で内装を凝ってたんですよ。今から、クイズ大会なんですよね?」
「語弊があるが、間違ってはいないな。クールインテリジェンスは知力と共感力を高める魔法。だからこそ、彼等には事前にそれを自身にかけてもらい、一通りの勉強をさせた上で、その成果を確認する予定だった訳だが……」
「なので、せっかくだから私が司会進行役になって、その企画を盛り上げさせて頂こう、という訳です」
「あー、なるほどな……、うん、まぁ、それならそれでも良いか……」
「はい! では、先生から許可を頂けたところで、さっそく回答者の皆様を紹介させて頂きつつ、この魔法への意気込みなどについて語って頂きましょう! まずは、エントリーナンバー1番、風紀委員の イワン・アーバスノット さん!」
「あ、はい……。私は、かつて祖国を滅亡させたときのような過ちを繰り返さないために、時空魔法師を目指しています。騙され、良いように利用されるという自体を防ぐために必要なのは『自身でよく考え、冷静に判断すること』であると考え、そのために、思考力・判断力を強化するこの魔法を習得することにしました」
「なるほど〜、いかにも優等生らしい。お見事な解答ですね。では、続きまして、エントリーナンバー2番、今回のこの空前のクールインテリジェンス・ブームの火付け役になったと噂されている ヴィッキー・ストラトス さん!」
「別に、ウチ、そこまで強く皆を誘ったって訳やないんやけど……、まぁ、ええか……。私はもともと『汎用性が高くて、どの学科に進んだとしても勉強や仕事で使えるし、色々なことに利用できそうで面白そうだから』という理由で、クールインテリジェンスを志望していました。しかし、多くの人と基礎魔法について語り合ったことで魔法のことがさらに好きになり、『より深く魔法を学び、知り、多くの人に魔法のことを伝えたい』という欲求も深まり、そのために有用なのはやはりクールインテリジェンスだろうと考えました。結果としては変わっていませんが、そういった理由が増えた、ということです」
「さすが! 未来の七色魔法師候補は、言うことが違いますねぇ。では続いて、エントリーナンバー3番、今大会最年少となる ヴィルヘルミネ・クレセント さん!」
「わたしは昔、わたしに『落ち着き』がなかったせいで、大変なことをしてしまいました。私のせいで『土神(テヌカミ)が暴走した』だなんて言われてしまって……、だから、常に頭の芯が冷えているように、激情に身を任せないように。任せたように見えないように。この魔法が必要だ、って思ったんです(……本当はね、もっと魔法らしい魔法が、『ライト』とかが良かったですけど、ね……)」
「うーん、とても9歳とは思えない、しっかりとした発言。お見事です。さて、その次はエントリーナンバー4番、独自の観点から自然律を勉強していることで知られる孤高の研究家、 エンネア・プロチノス さん!」
「私は自然律の実在を確かめるための研究を続けてきました。そのために足りていないものは、機材やサンプルなど数多くありますが、やはり、今の時点で最も足りていないものは自分の知識と知恵です。だからこそ、それを補うためにこの魔法が必要と判断しました」
「いやー、インテリってのは、どこまで勉強しても『自分は無知』って言い張り続けるものなんですねぇ。では、続きまして、エントリーナンバー5番、先日の射撃大会ではまさかの特別賞獲得で話題となった花火職人、 カイル・ロートレック さん!」
「ここんところ、花火作りが失敗続きでさ……。俺っていつも、勢いだけで色々作っちまうけど、もっと落ち着いて分析出来れば、これまで見落としていた失敗の理由に気づけるかもしれない。そう思って、冷静に落ち着いて分析する力を身に着けた方がいいかと思ったんだよ」
「偉いですねぇ、『落ち着きが必要』ですかぁ。私もよく言われていることなので、耳が痛い話です。あ、どうでもいいですか? そうですね。では気を取り直して、エントリーナンバー6番、出張購買部のホープ、 ジュード・アイアス さん!」
「就職の時に有利なのは戦闘に役に立つ魔法かもしれませんが、そもそも僕は戦闘には向きませんからね。走ったりするのも苦手ですし、危険な辺境の君主の人達も、僕みたいなのを欲しがったりはしないでしょう。だから、僕の将来は執政官あたりが適正かなと考えていますし、それだったら、まずはクールインテリジェンスを覚えるのが妥当かな、と。今すぐ使い道もありそうですし。もしかしたら、商売のいいアイデアなども出てくるかもしれませんね」
「あー、なんというか、これはこれでまた11歳とは思えない、全くもって可愛げのない発言。しかし、これはこれでまた一部のお姉様方には人気が出そうな予感! さて、続きましてはエントリーナンバー7番、射撃大会では惜しくも失格に終わってしまった ジョセフ・オーディアール さん!」
「……未だにそれを言われるのか。まぁ、いい。今の私は確かに未熟だ。まだ戦場に出るほどの力は無い以上、焦って実用性の高い魔法を求めるよりも、まずは着実に魔法師としての基礎を固めていくためにも、クールインテルジェンスから始めていこうと思う」
「これまたいかにもストイックなインテリの発想ってカンジですねぇ、さすがです。さてさて、残り少なくなってきました!エントリーナンバー8番! おそらく読書量では今大会出場者の中でもトップクラスと思われる図書館の妖精、 ティト・ロータス さん!」
「私も……、事務仕事メインか、後方支援の方が良いと思いまして……。クールインテリジェンスなら、いずれロード様にお仕えする時に、戦闘以外でのお役に立てるのかな、と……。いずれは、アシストも使えるようになりたいですね……、あるいは、場合によっては回復も……」
「可憐! 圧倒的可憐! こんな儚げな少女には、一生事務室から外に出ないで安全に暮らしてほしいものです。それでは、最後の挑戦者です。エントリーナンバー9番、同じくロータス一門出身ので多島海のアイドル、 リヴィエラ・ロータス さん!」
「私も色々迷ったんですけど、色々な魔法を学んでみたいからこそ、まず最初は、じっくりと学ぶための基礎学習力を高めるために、クールインテリジェンスから始めてみることにしました。今日はよろしくお願いします」
「はい! 最後はいつも誰にでも優しく礼儀正しい、リヴィエラさんの綺麗な挨拶で締めてもらったところで、ここからルール説明に入らせて頂きます。これか出す問題は早押しクイズです。分かった人はその時点で、お手元にある、私が用意したその『地球産のボタン』を押して下さい。3問正解した人は、その時点で合格して勝ち抜け。お手つきは一回休み。問題は全部で50問ありますので、50問終了時点で残っていた人には補修を受けてもらいます。なお、問題は事前に予習してもらった資料がベースになっているものが大半ですが、一部、私が混ぜ込んだオリジナル問題もありますので、ご注意下さい」
「おい、なんだそれは? 聞いてないぞ」
「まぁまぁ、いいじゃないですか、先生。発想力を高めるのもクールインテリジェンスの効用なんですから、唐突の抜き打ち問題に対応する力も必要でしょう」
「確かに、それはそうだが……」
「さて、それでは早速始めていきましょう。まずは第1問! 単体攻撃魔法と言えば、エネルギーボルト、ストーンバレット、サモン:ウィル・オー・ウィスプが有名ですが、このうち、射程が最も……」

 ピンポーン

「はい、ヴィッキーさん!」
「エネルギーボルト」
「正解! 1ポイント獲得です。問題は『最も射程が長いのは?』だったのですが、まだ問題の途中だったのに、よく分かりましたね」
「射程の問題やったら、長いか短いかの二択やからね。ストーンバレットとサモン:ウィル・オーウィスプの射程は同じやから、『短い』やったら問題にならへん」
「なるほど! 推理力もさすがです。では、続いて第2問! 大工房同盟の現在の盟主はマリーネ・クレイシェ様ですが、同盟内で爵位が……」

 ピンポーン

「はい、ジョセフさん!」
「ノルド侯エーリク」
「正解! 問題は『爵位が最も高いのは?』でした。最近活躍が著しいミルザー卿と間違えるかと思ったんですが……」
「ダルタニア太守はエーラムと正式に契約を結んでいない以上、爵位はありません。常識です」
「おっしゃる通りです。では、続いて第3問。ブレトランド小大陸の西に広がる海は通称、何と呼ばれているでしょう?」

 ピンポーン

「はい、リヴィエラさん!」
「牙の海、でしたっけ……?」
「正解! さすがに海の問題は強いですね。では、続いて第4問。これも海と言えば海の問題です。ハマーン海軍の主力戦艦であった『海の宮殿』に設置されている……」

 ピンポーン

「はい、カイルさん!」
「重弩八基と射石砲」
「んー、まぁ、いいでしょう! 正解! 問題は『海の宮殿』に設置されていた装備は、左右四基の重弩と何? だったので、少なくとも間違いではないですしね。では、続いて第5問。最近勢力拡大が著しいアップルゲート商会が最近全国的に売り出している『シュニャイダー印の紅茶』の生産地は?」

 ピンポーン
 ピンポーン

「あーっと、イワンさんとジュードさんでしたが、僅かにイワンさんの方が早かった!」
「ソリュート」
「正解です! これは商人のジュードさん有利な問題かと思いましたが……」
「その隣町に、兄弟子がいるので……」
「なるほど〜。では、続いて第6問。先日カルディナ先生が長期貸出していたことで話題になった『椿説弓張月』の作者は曲亭馬琴ですが……」

 ピンポーン

「はい、ジョセフさん」
「(しまった、早まったかも……)えーっと……、南総里見八犬伝?」
「あー、残念。問題を続けます。『椿説弓張月』の作者は曲亭馬琴ですが、その挿絵イラストを担当していたのは誰でしょう?」

 ピンポーン

「はい、ティトさん」
「たしか……、葛飾北斎?」
「はい! 正解です。申し訳ありませんが、ジョセフさんは一回休みということで。続きましては第7問。先日開催されたTRPG体験会で用いられていたルールブックは『マギカロギア』ですが、そのマギカロギアと同じサイコロ=フィクションのシリーズで、忍者を……」

 ピンポーン
 ピンポーン

「あー、微妙なタイミングですが、ヴィッキーさんよりもエンネアさんの方が一步早かった」
「シノビガミ」
「正解です! 問題の続きは『忍者を題材とした作品と言えば何?』でした。いやー、かなりの難問かと思ったんですけど……」
「写本させられた時に、帯に書いてあったので……」
「おや、あなたも写本メンバーの一人でしたか。では、続いて第8問。現在も戦乱が続くランフォード地方ですが、ランフォード子爵とギルフィ……」

 ピンポーン
 ピンポーン

「今度はジョセフさんとヴィッキーさんでしたが、今回はヴィッキーさんの方が早い!」
「伯父と姪」
「はい、正解です。問題の続きは『ランフォード子爵とギルフィア男爵の関係は?』でした。さぁ、これでヴィッキーさんは勝ち抜けにリーチですね。では、続いて第9問。ゴブリン、バグベア、ケット・シー、コカトリス。この中で……」

 ピンポーン
 ピンポーン

「おぉっと、このタイミングで二人ですか! ヴィッキーさんとヴィルヘルミネさんですが、早かったのはヴィルヘルミネさん!」
「コカトリス?」
「お見事! 正解です。ちなみに、問題分かりました?」
「『この中で妖精界出身の投影体でないのは?』ですよね?」
「はい! その通りです! うーん、難しいと思ったんですけどねぇ。では、続いて第10問、今ここにいるフェルガナ先生の直弟子のうち、カナンさんは元素魔法師ですが、ルナさ……」

 ピンポーン

「はい! イワンさん!」
「たしか名簿上の記録だと、錬成魔法師だったような……」
「残念! 問題を続け……」

 ピンポーン
 ピンポーン

「おぉっと、まだ続き読んでませんよ? またしてもジョセフさんとヴィッキーさんですが、今度はジョセフさんが早かった!」
「生命魔法師」
「残念、違います。では、ヴィッキーさん」
「え? 違ったの……? じゃあ……、『常磐の生命魔法師』?」
「いやー、そういうことじゃないんですよー。問題の続きを読みます。カナンさんは元素魔法師、ルナさんは錬成魔法師、ユニスさんは生命魔法師ですが、この三人と一緒にコートウェルズに遠征中で、一説によると彼女達と極めて親しい関係にあると言われる、エーラム預かりの自由騎士と言えば誰でしょう?」
「おい! それはウチの娘達のプライベートに関わる問題だろうが!」
「いやいや、あくまでこれは部外者の私ですら知ってる程度の情報ですから、今更隠す程でもないでしょう。とはいえ、最近になってエーラムに入学した人達では、さすがに難しいですかねぇ。園芸部の人がいれば、分かるかと思ったんですが……」

 ピンポーン

「お! ジュードさん?」
「もしかして、ハインリヒさん……?」
「お見事! 正解です! よくご存知でしたね」
「今の『園芸部』というヒントを聞いて、もしかして? と思ったんです。昔の顧客名簿の中に、名字がない(=魔法師ではない)男性名で、二年程前まで花の種を定期的に買っていた人がいたような、ということを思い出しまして……」
「さすがの記憶力! まさか年少組に正解されるとは思いませんでした! では、三人が一回休みの状態のまま第11問、この世界に投影される『エルフ』と呼ばれる人々は、一般的には『エルフ界』からの投影体と呼ばれています。しかし、稀に『フォーセリア』や『ミドルアース』など、それ以外の世界からのエルフが投影されることもある。その中でも『水の加護』を持つ……」

 ピンポーン
 ピンポーン

「うーん、エンネアさんとヴィルヘルミネさんですが、ヴィルヘルミネさんの方が若干早い」
「ラクシアのエルフ?」
「はい、正解です。水の加護を持つエルフと言えば、ラクシアのエルフでした。さぁ、出遅れていたヴィルへルミネさんも、これでリーチになりましたね。続いて第12問、領邦国家アロンヌは現在、ドーソン侯、ルクレール伯、リア伯が三大勢力と言われていますが、このうち、ノ」

 ピンポーン

「これはジョセフさん、早かった! 二度目の正解か? 三度目のお手つきか?」
「問題は『このうち、ノルドの末裔の一族は?』 正解は『ルクレール伯』」
「はい、パーフェクトです! これでジョセフさんも2ポイントでリーチですね。さぁ、第13問、アルトゥーク地方において昔から存在する三大勢力と言えば、魔女、人狼、そして……」

 ピンポーン
 ピンポーン
 ピンポーン

「おーっとぉ、リヴィエラさん、ヴィルヘルミネさん、ヴィッキーさん、三人ほぼ同時に見えましたが、僅かに早かったのはヴィッキーさん!」
「吸血鬼」
「正解です! おめでとうございます、ヴィッキーさん! 一抜け確定です!」
「やったでー!」
「くぅぅぅ、このジョセフ・オーディアール、首席合格の栄誉を逃してしまった……。エイミールはエネルギーボルトの試験で首席の座を勝ち取っていたというのに……」
「なんや、あんたら、勝負しとったんか? まぁ、でも、最後の問題、あんた、分かっとったやろ? 軍事関係の問題とか、得意そうやし」
「あぁ。だが、さすがに二度も間違えてしまうと、また引っ掛け問題なのではないかと疑い、怖くなってしまった……。それでも怖れずに誰よりも早くボタンを押した君こそ、首席にふさわしい。おめでとう、ヴィッキー・ストラトス!」

 そして次の問題ではジョセフが正解して無事に合格し、他の面々も最終的には全員(用意されていた問題が尽きる前に)無事に合格を果たしたのであった。

 *******

 こうして、キリコのペースに乗せられた状態で、よく分からないままクールインテリジェンスの試験を終えたフェルガナは、最後の会場となる大教室へと赴く。だが、この会場で待っている受験者は一人だけ。異世界渡航を夢見る少年 クリストファー・ストレイン である。

「ロケートオブジェクトの受験者は、お前一人か」
「みたいです。まぁ、確かに、最初に覚えるべき魔法ではないのかもしれませんね」

 ロケートオブジェクトとは「物を探す魔法」である。それは、高位の魔法師であれば「世界のどこかで行方不明になった特定個人」や「世界に一つしかない宝物」を探すことも可能と言われているが、まだ駆け出しの彼等がその魔法を用いたところで、せいぜい「近くに水のある場所」を探し当てる、といった程度のことしか出来ない。とはいえ、それでも状況によっては十分に役に立つ魔法であり、強化系でも戦闘系でも回復系でもない、極めて独特の魔法であった。

「オレは研究者希望ですから、戦場において有用な魔法ってのは優先順位が低いんですよ。最初は勉強の効率を上げるためにクールインテリジェンスにしよっかなぁ、とも思ったんですけど、こないだアストリッドさんのアンケートで『クールインテリジェンスと同じような効果がありそうなもの』ってのを頼んだ手前、これで『もう自分でクールインテリジェンス使えるようになったから、いりません』ってのも、なんかちょっと悪いなぁ、と」
「なるほど。意外と義理堅いんだな」
「まぁ、勉強の効率を上げるのは、努力である程度まではどうにか出来ることですからね。だからここはやっぱり、『魔法でないと出来ないこと』を探そう、と思ったら、ローケートオブジェクトに行き着いたんです。修練を摘んでいけば、図書館で本を探すのとか、先生の居場所を探したりとか出来るみたいで、色々使い勝手も良さそうですし」
「確かに。で、どうだ? 使えそうか?」
「多分。練習での感触としては、このまま出来そうな気がします」

 彼は習得のための訓練として、グラスに水を入れ、目隠しした状態でその位置を探る、といった形での自主練を、自宅で何度も繰り返していたのである。

「よし、では、お前への課題は『魚の干物』だ」
「干物? 随分またピンポイントなお題ですね。ってことは、既にこの部屋の中に既に仕込んであるんですか?」
「あぁ、そうだ。もっとも、私が来る前に誰かが見つけて持って行ってしまていたら、その時は追いかけて探してもらうが」
「無茶言わないで下さいよ〜」

 そんな会話を交わしつつ、クリストファーは集中して、部屋の中のどこに「魚の干物」があるかを探そうとする。全神経を集中させ、頭の中を「魚の干物」で埋め尽くした結果、彼は即座に答えを見つける。

「分かりました……」
「ほぅ?」
「……先生の上着の左側のポケットです!」
「正解だ」

 さすがに、無人の教室に干物を置いておくのはよくないとフェルガナも考えていたらしい。彼女はポケットから「干物」を取り出し、そしてクリストファーに手渡す。

「とりあえず、今度また『この街のどこか』で『ケット・シー』にあったら、渡しておいてくれ。子供達への紅茶のお礼だ、とな」
「了解っす!」

 こうして、フェルガナもまた無事に全試験のスケジュールを終えた。そしてこの日、多くの魔法学校の学生達が、「はじめての魔法」を手に入れて、「魔法師の卵」から「見習い魔法師」へと昇格した。だが、彼等の全員がこのまま一人前の魔法師になれるとは限らない。魔法師としての彼等の道は、まだまだ始まったばかりなのである。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2020年05月27日 12:09