『見習い魔法師の学園日誌』第6週目結果報告


1、契約魔法師の矜持

 極東出身の園芸部の少女 テリス・アスカム は悩んでいた。先日の基礎魔法習得試験を通じて、念願だったエネルギーボルトの魔法を習得したものの、前々から懸念していた「魔法を用いた際に、足に激痛が走る副作用」を改めて実感することになったからである。これまでも、混沌操作の訓練などの段階で薄々分かっていたことではあったが、いざ実際に「完成された魔法」を用いてみた結果、その痛みが想像以上の激痛であることが判明してしまった。
 果たして自分が、この副作用を抱えたまま魔法師として生きていくことが出来るのか。そんな不安に駆られた彼女は、ひとまず前回の試験監督であったクロード・オクセンシェルナ(下図)に相談してみることにした。

+ クロード

「私は以前に患った病気の副作用で、今も魔法を使う度に足に痛みが発生してしまう副作用を抱えているのですが、こんな私が魔法師を目指すことは可能なのでしょうか? 今のままでは、前線に立つことすら難しいと思うのですが……」

 不安そうな顔でそう語るテリスに対し、クロードは淡々と答える。

「魔法師を目指すからと言って、必ずしも戦場に立たなければならない、という訳ではありません。私のように研究者としてエーラムに残る道もあります。その上で、一日に使用する魔法の数を制限した上で、細々と研究を続けていくのであれば、それほど身体に負担もかからないでしょう。もちろん、魔法師としての道を諦めるという道もある。せっかくエネルギーボルトを覚えたばかりではありますが、魔法に関する記憶を一切消去した上で、この地で学んだ一般教養に関する知識を生かして、地元に帰って私塾を開いて静かに暮らす、という道もあります。しかし……」

 ここでクロードは少し間を開けて、片眼鏡の奥の瞳からじっとテリスを見つめつつ、微笑を浮かべながら話を続ける。

「……そういった選択肢があるということは、私に言われるまでもなく分かっている筈。それでもこのような相談を持ちかけたということは、あなた自身は『前線に立つ魔法師』になりたい、と考えているのですよね? だからこそ、副作用があることを承知の上で、エネルギーボルトの魔法を習得した。違いますか?」

 クロードは決めつけるような口調でそう問いかけたが、実際のところ、テリスの中で明確な意志が固まっていた訳ではない。ただ、エネルギーボルトを習得したのは「とある小説」の登場人物の影響であり、その小説の中での彼女の「超電磁砲を用いて戦う姿」に憧れていることは確かである。そして実際にエネルギーボルトを習得したことで、彼女の中で「この魔法を使って戦いたい」という願望がより強まっていることも事実であった。日頃は園芸部でハーブを育てることを趣味とするおとなしい性格の彼女であるが、その心の根底には、本人も無自覚のうちに「武家の娘」としての本能が眠っているのかもしれない。

「私としてはあなたのように座学に優れた学生には、研究者の道に進んでほしいと思っていたのですが、あなた自身がそれを望まないのであれば、致し方ありません。魔法師の道は茨の道。その茨を乗り越えて進むには相応の覚悟が必要。やりたくもない道を強制されたところで、覚悟が生まれる筈もないですからね」
「覚悟、ですか……」
「えぇ。だから、あなたの中で『前線で戦う魔法師』となる覚悟が定まっているのなら、その道を進めば良いと私は思いますよ」
「でも、実際に私のような副作用持ちの魔法師が、前線で活躍している事例はあるのでしょうか?」
「それに関しては……、私よりも、実際に『戦場』に立っている人に聞いてみた方が良いでしょうね。ちょうど明日、お誂え向き方の講演会があるようですし」

 そう言って、クロードは一枚の連絡状をテリスに手渡す。

「アウベスト・メレテスさん……、ですか?」
「えぇ。現在この大陸を二分する大工房同盟(ファクトリー・アライアンス)の盟主であるヴァルドリンド辺境伯マリーネ・クライシェ殿の契約魔法師が、現在所用でエーラムに来ています。おそらく現在のアトラタン大陸において、『戦場における魔法師のあり方』に関する知識に関して、この人の右に出る者はいないでしょう」

 そして、戦術研究家としてのクロードから見れば「憧れの先輩」であると同時に、彼の存在そのものが「生きる伝説(研究対象)」であった。

「分かりました。せっかくの機会ですので、出席させて頂きます」
「それが良いでしょう。私は残念ながら教員会議の時間帯と被ってしまって出られないので、どんな話をしていたのか、後で聞かせてもらえると嬉しいです」

 クロードはそこまで言ったところで、ふと思い出したかのように付言する。

「あぁ、それはそれとして、最後に一つ。もし、進学先の学部を迷っているようなら、『藍の時空魔法学部』をお勧めしておきます」

 それはクロード自身の所属学部であり、彼自身の「優秀な学生が欲しい」という願望もあるが、決してそれだけで言っている訳ではない。

「例の小説、私も第一シリーズまでは読ませてもらいましたが……」
「え!?」
「……あなたが目指している超電磁砲に原理的な意味で最も近いのは、おそらく、時空魔法のライトニングボルトだと思います」
「そうなんですか!?」

 その後、しばらく二人で「とある小説」についての話題で盛り上がっていたらしいが、その会話内容の詳細は異界の著作権(ロウ)によって妨げられ、記録としては残されていない。

 ******

 翌日、テリスは宣言通りにアウベスト・メレテスの講演会へと出席した。多くの魔法学生達が集まっているが、その大半は専門課程に進学した者達であり、「赤の教養学部」の面々は殆どいない。やはり、まだ基礎課程にいる年少の学生達にとっては、「契約魔法師としての生き方」というテーマは重すぎるのかもしれない。そんな中、見覚えのある少年(下図)がテリスに声をかける。
+ 見覚えのある少年

「テリスさん。いつも、園芸部のハーブにはお世話になっています」
「あら、ビートくん。お久しぶりね」
「この間のエネルギーボルトの試験、凄かったですね! あのアーティファクトを一撃で破壊したのを見た時は、本当にビックリしました」
「たまたま、あの一発だけ、天運が味方してくれたようなものだったけどね。ビート君も無事に合格したんでしょう?」
「はい。ギリギリでしたけど、なんとか」

 ちなみに、先日の試験での合格者の中では、ビートが最年少である。そしておそらく、この講義室内でも、ビートが明らかに最年少であった。彼にはエーラムに来る前から「どうしても契約したい相手」が存在しており、その相手もまた「大工房同盟」の一員ということもあって、場違いながらもこの講演会に参加したいと考えたらしい。

「テリスさんは、誰か契約したい相手がいるんですか?」
「いえ、そういう訳ではないし、そもそも、契約魔法師になれるかどうかも分からないんだけど……」

 そんな会話を交わしてる中、やがてアウベスト・メレテス(下図)が現れる。歳はまだ30代前半らしいが、歴戦の魔法師としての圧倒的な風格が漂っている。
+ アウベスト

「アウベスト・メレテスです。本日は、学長殿から『契約魔法師としての心得』を語るように仰せつかったので、僭越ながら私の実体験について簡単にお話させて頂くことにしましょう」

 そう前置きした上で、彼は現在のヴァルドリンドにおける自分の現状について語り始める。先代ヴァルドリンド大公の時代から自分が果たしてきた役割、現在のヴァルドリンドにおける自分の立場、そして契約相手であるマリーネを初めとする国内の要人達と自分の関係性について、話し方によっては自慢話にも聞こえそうな内容を、さも他人事のような無感情な口ぶりで淡々と説明していった。
 そして話が一段落したところで、司会者が学生達に対して質問を促すと、真っ先に手を挙げたのは、赤の教養学部の最年長学生ケネス・カサブランカ(下図)であった。彼はつい数ヶ月前まで、アウベストと敵対する幻想詩連合の一翼を担うヴァレフール伯爵領にて騎士団長を務めていた人物でもある。
+ ケネス

「赤の教養学部所属、ケネス・カサブランカです。大先輩からの訓示、誠に興味深く聞かせて頂きました。その上で、一つお伺いさせて頂きたい。名門メレテス家には、世界各地の様々な君主の下に『御家族』がいらっしゃることと存じます。必然的に状況次第では家族同士で相争うことにもなるでしょう。近年では、御自身の御養女であらせられるシルーカ・メレテス殿と幾度も戦火を交えたという話も伺っております。そのような状況において、血は繋がっておらぬとはいえ、家族の契を結んだ者への情を捨てるための心の在り方の秘訣などを、教えて頂ければ幸いです」

 ケネスの君主時代の契約相手であったハンフリー・カサブランカは、他陣営に属している義弟ダニエルとの絆を利用した裏口外交などを展開していた。そのような形で「魔法師同士の絆」を政略に利用するのが当然のことだと考えていたケネスとは対象的に、アウベストは敵対陣営にいた養女シルーカからの大工房同盟への加盟申請を「同盟の規律が乱れる」という理由で一蹴し、逆に彼女達の討伐を契約相手に上申している。ケネスとしては、そんなアウベストの行動原理の根底にある思考様式に興味があるらしい。

「家族への情を捨てたことなど、一度もありません。私は今もシルーカのことを娘として誰よりも深く愛しています。そのことと、契約魔法師として主君の覇道を支えることは、全く別次元の話です。私はどちらも捨てるつもりはありません」
「しかし、現実問題として主君への忠義を尽くした結果、一步間違えばあなたは御養女を殺すことになっていたのではありませぬか?」
「当然、そうなることは想定の上です。そうなった時には、私は心が引き裂かれるような悲しみを抱きながら、戦場で彼女を打ち取ることになるでしょう。そこに何の矛盾がありますか?」

 アウベストは「理性第一主義者」と言われている。しかし、それは決して人間としての感情の放棄を意味している訳ではない。彼の中では感情も理性も同価値である。その上で、魔法師として生きる限り、「行動指針」としては理性を優先しているだけであり、その結果として発生した事態に対して深く悲しむ感情を捨てるつもりもない(しかし、それを理由に行動指針を変えるつもりもない)、ということらしい。

(なかなか面白い男だな……。トオヤよ、チシャよ、お前達はこの難敵を相手に、どう戦うつもりだ……?)

 ケネスが内心で「血の繋がらない孫達」へのそんな想いを抱いている中、彼に続いて次々と様々な学生達が質問を投げかけていく。ケネスが最初に「かなり踏み込んだ質問」を提示したことで、他の学生達にとっても「何を質問しても許されそうな雰囲気」になったようである。
 そして、その流れの中で、テリスも質問を投げかけた。

「赤の教養学部所属、テリス・メレテスです。私は、過去の病気の後遺症で、魔法を使うと身体に副作用が出る体質となってしまい、魔法を何度も連発出来る身体ではありません。このような身でも、契約魔法師として前線で戦うことは出来るのでしょうか? 実際に、同じような症状を抱えながら前線で戦っている魔法師の方はいるのでしょうか?」
「いるかいないか、と言われたら、副作用を抱えている契約魔法師など、いくらでもいます。当然、その副作用の強さによっては、それは魔法師としての大きな欠陥となりますので、任せられる役割は限られるでしょう。しかし、だからと言ってそれは『不要』であることを意味する訳ではない。戦場の指揮官にとっては、少しでも多くの駒があった方が選択肢は広がる。たとえ欠陥のある駒であっても、それはそれでいくらでも使いようがあるものです」

 アウベストはそんな「当たり前の一般論」を前提とした上で、「ヴァルドリンドの魔法師」として見てきた現実を語り始める

「ただし、あなたが栄誉や名声を求めて戦場に立ちたいのであれば、お勧めはしません。使い勝手の悪い駒は、優先的に『捨て駒』扱いされる可能性は高い。契約相手のために『捨て駒』とされることを厭わぬ覚悟が無いならば、生半可な気持ちで契約魔法師を目指すべきでは無いでしょう。無論、これは副作用を持つ人々だけではなく、全ての魔法師に対して言えることですが」

 実際、マリーネの祖父であるユルゲン・クライシェは、魔法師を積極的に前線に立たせて「使い捨て」にする戦略を多用したことで知られている。各国に派遣される魔法師の数はそれぞれの君主の聖印の規模に応じて決められており、魔法師が死亡した場合はその代替要員を派遣する制度であることから、彼の統治下においては、魔法師の命は実質的に一般兵士よりも軽んじられていた。
 一気に緊迫した空気が会場内に広がる中、テリスの隣にいたビートが思わず声を上げる。

「あの! 魔法師というのは、契約相手の言うことには絶対に従わなくちゃならないんですか? ……あ、すみません、赤の教養学部所属、ビート・リアンです……」
「契約魔法師には契約相手に従う義務がある。それと同時に、契約魔法師には契約相手を諌める義務もある。自分が死ぬことが契約相手にとって不利益だと考えるのであれば、そのことを相手に伝えて説得することもまた、契約魔法師としての義務。それを相手が聞き入れず、自分に対して『捨て駒になれ』と命じるのであれば、それは説得出来なかった契約魔法師の責任です」

 あくまでもこれはアウベスト個人の持論であり、君主と魔法師の関係は千差万別である。ただ、よほどの特殊な事情がない限り、君主と魔法師の契約は破棄することが出来ない以上、(少なくとも建前上は)アウベストのこの主張は、間違いなく「一つの正論」である。
 その上で、改めてアウベストはテリスに向き直って話を続ける。

「いずれにせよ、契約相手も『優秀な魔法師』であれば、よほど愚かな君主でない限り、そう易々と使い捨てにはしないでしょう。副作用などの欠陥があったとしても、それを補って余りある何らかの利用価値があれば、生かして使う道を考えるものです。魔法師の価値は魔法だけではない。我々にはこのエーラムの地で、他では学べぬ様々な知識を吸収出来る権利がある。その知識を国の発展のために活かすことが出来るなら、それだけでも契約魔法師として雇うに値する」
「魔法以外の知識、ですか……」
「たとえば我が国のテリウス・サヴォアは、魔法師としての腕は並以下ですが、戦術家としての知識を買われて、現在は友軍であるダルアニア太守の補佐役という要職を任されている。交渉能力に優れた者には外交官としての、内政能力に優れた者には政務官としての役割が与えられる。戦場で戦えるだけの魔法師よりも、戦場以外でも使い道のある魔法師の方が、重宝されることもあります。そのことを考慮に入れた上で、今後の進路をお考え下さい」

 テリスには、園芸部で培った植物栽培に関する知識がある。また、極東出身の彼女しか持ち合わせていない知識もあるだろう。無論、それらは必ずしも「魔法師でなければ役立たせられない知識」ではないが、「戦場に立つ魔法師」としての役割と並行して役立たせることが出来る知識でもある。
 そのことを踏まえた上で、改めて自分の今後の道について考え始めるテリスの姿を眺めながら、アウベスの脳裏には一瞬、(シルーカの姉弟子にあたる)「極東出身の元養女」のことが思い浮かんだが、彼はすぐさま彼女の記憶を「脳内の別の場所」へと置き換えて、次の学生からの質問に備えるのであった。

2、戦闘訓練

「……以上が、今回の臨時講師である雷光のワトホートさんに関する、現時点で入手可能なデータです」

  イワン・アーバスノット はそう言って、その場に集った者達に資料を提示する。ここはエーラム魔法学校の本校舎の一角の空き教室であり、この場には翌日開催予定の「戦闘訓練」に参加する予定の学生達が集まっていた。
 先日基礎魔法を初めて習得したばかりの彼等に対し、教養学部の教員達は、外部講師として邪紋使い(アーティスト)の「雷光のワトホート」という人物を招いた上での戦闘訓練を開催することにした。イワン自身は「戦場に立つ魔法師」を目指している訳ではないため(先日彼が覚えたクールインテリジェンスは、そもそも戦場では使えない魔法なので)、今回の訓練には参加しないが、裏方として協力することにしたのである。

「なるほど、虎に変身するライカンスロープか。つまりこの僕! エイミールの初陣は虎退治、ということだな!」

 邪紋使いとは、己の身体に混沌を刻み込んだ人々の総称であり、その中でもライカンスロープは、自分の身体を獣化して戦うタイプの邪紋使いである。イワンの調べた情報によると、ワトホートは自身の身体を虎に変化させた上で、俊敏な動きで敵を翻弄しつつ、鋭い爪牙で敵を一体ずつ着実に倒していく戦闘法らしい。ただ、回避能力はそこまで高くはないため、短期決戦で着実に攻撃を命中させる戦術を取れば、それなりにいい勝負にはなるかもしれない。
 無論、そうは言ってもこちらは所詮、まだ魔法を覚えたばかりの魔法師である。あくまで講師として来る以上、相手もそれなりに手加減はしてくれるだろうが、まともにやっても勝機はないだろう。

「獣が相手となると、やはりここは『罠』が必要ですね。一応、学校側からは、前日の夜から現地入りして良いと言われているので、これは我々に『下準備』をする時間を与えられていると解釈すべきでしょう。ウチの商店で用意出来るものは用意しておきますが……」
「でもよぉ、相手も一線級の邪紋使いだろぉ? そう簡単に罠に引っかかってくれるかぁ?」
「そういうことなら、セレネの出番だな! セレネはサイレントイメージが使えるんだぞ!(ドヤァ)」
「それはありがたい。じゃあ、ダミーの罠と、本命の罠を作ろうか。あえてダミーの罠の方に俺がヴォーパルウェポンをかけて本物っぽく見せかけて、本命の罠の方をサイレントイメージで隠してもらって、罠にかかって動きを封じたところで、俺がカワカミの赤バットで……」

 こうして、彼等は初めての「(覚えたばかりの)魔法を使った戦い」に向けての準備を着々と進めていくのであった。

 ******

 そして翌日。会場内での参加者達による秘密のセッティングが概ね終了した時点で、観客の入場が開始される。その入場前の人々の中に、男装少女 ノア・メレテス の姿もあった。
 彼(彼女)は今回、同門のレナードから誘われて、彼が出場する予定の今回の戦闘訓練を見学することになったのである。なお、この背景には、最近エーラムの近辺で聖印教会の宣教師が出没しているという噂(詳細は今週の第四章参照)を聞いたレナードが、過去に聖印教会との間で因縁のあるノアが彼等と遭遇しないように配慮した、という事情もある。
 そんな彼(彼女)に対して、同じようにこの戦闘訓練を見学に来た ロゥロア・アルティナス が声をかける。

「あ、ノア君!!ひさしぶり、です!!」
「ロゥロアさん。以前にサロンでお話して以来ですね」
「あなたも見学です?良かったら、ご一緒しても?」
「はい、喜んで」

 そんな会話を交わしつつ、二人は観客席へと向かう。ロゥロアとしては、昨今の情勢に鑑みて、いざという時に戦う術を身につけるために、まずはどんな戦い方があるのかを観察しようと考えたらしい。ひとまず二人は無事に最前列の席を見つけて座ったところで、ロゥロアはノアに手書きのメモを手渡す。

「”雷光の”ワトホートさまについての情報はこんな感じ、です」

 彼女も彼女で、ワトホートに関する情報は色々と調べていたらしい。魔境調査を専門とする邪紋使いで、その身を虎に変える獣人系の邪紋使いで……、といった情報が記されている。内容的にはイワンの調べた情報に似ているが、どちらかというとこちらは彼のこれまでの功績の記述に重きが置かれており、彼が踏破した魔境の数々の記録が書き並べられていた。

「さて、こんな凄い人を相手に、どんな戦いを見せるのか、注目、です」
「もし負傷者が出て危険な状況になった時は、ボクもここからキュアライトウーンズをかけるつもりですけど、いいですよね?」
「まぁ、それに関しては、あそこに専門の救護班の人達がいるみたいだから、よっぽど大丈夫だとは思いますけど……」

 ロゥロアがそう言いながら指差した先(競技場の隅)には、ユタ・クアドラント(下図)を含めた生命魔法学科の面々が、いつでも回復魔法をかけられるようにスタンバイしていた。
+ ユタ

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 一方、いつもはロゥロアと一緒に行動することが多い同門・同部屋・同年齢の ルクス・アルティナス は、この日は最近仲良くなった エト・カサブランカ と共に、同じ会場内の最上段の見晴らしの良い席で見学していた。

「ルクスちゃん、今日は……、お天気が良いね。戦闘訓練日和、なのかな」

 いつもは吃り気味に語ることが多いエトだが、この日は吃らない代わりに、少し言葉を区切りながら話していた。そして、基本的に誰に対しても敬語で話している彼が、なぜかルクスには親しげな口調で語っている。

「そうだな。そして、きっとこんな天気のいい日には、何かが起きそうな気がするぞ」
「何か? それって、いいこと? 悪いこと?」
「分からないのだ。でも、きっとすごいことなのだ」

 そんな「中身があるのか無いのか分からない会話」を交わしながら、のんびりと訓練開始までの時間を過ごしていたのであった。

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 そして、この日の戦闘訓練には、いつになく多くの観客が集まっていた。先日の射撃大会は、(あくまでもカルディナ自身の魔法によって投影された武器の試射会ということもあり)カルディナという変人の道楽としてしか認識されていなっかったが、今回は新人魔法師達自身の実力が試されるイベントでもあったため、学校関係者だけでなく、エーラムの居を構える各地の君主およびその代理人の人々も「将来のスカウト候補」を探すために観客席に集まっていた。

(うわー、もう殆ど満席……)

 少し遅れて観客席に到着した メル・ストレイン は、その人数に圧倒される。ひとまずどこか座れる席はないかと探した結果、どうにか一つ空席を見つけ、その両隣に座って居る二人の魔法学生に声をかける。

「あ、その、お隣、座らせて頂けたりしますでしょうか?」

 相変わらず、何かが微妙に間違った敬語で彼女がそう問いかけると、先に答えたのは左隣の席に座っていた シャロン・アーバスノット であった。

「あー、どーぞー」

 いつも通りの、のんびりとした口調でシャロンは快諾すると、それに続いて反対側に座っていた少し年上の女子学生ジェレミー・ハウル(下図)も答える。
+ ジェレミー

「別にいいけど……、あんたは出場しないの? あんたも『赤』の学生でしょ?」

 メルのネクタイを見てジェレミーがそう言うと、メルは恥ずかしそうに答える。

「あー、いやー、その……、ちょっと補習と重なっちゃっとりまして……、なんとかギリギリ観戦には間に合って駆けつけは出来たとでありますが……」

 かろうじて基礎魔法の試験には合格したものの、まだまだ座学が苦手なメルとしては、当面は魔法理論の基礎に関する勉強を優先せざるを得ないらしい。

「ふーん……。で、そっちのあんたは?」
「おらですか? おらが覚えた魔法は、あんま実戦向けじゃーないんでー」
「何を習得したの?」
「ダークネス、ですー」
「は? 何言ってんの! ダークネスって、格上相手の搦め手としては、一番有効な基礎魔法の一つじゃない!」
「え? そなんですかー?」

 実際、ダークネスは奇襲攻撃用の魔法としてはうってつけである。特に魔法師の場合、相手の視界を奪った上で遠距離から魔法攻撃を放つという戦略を採る上ではダークネスはそれなりに有効な一手であり、前夜の作戦会議の段階でも「ダークネスを使える者がいれば……」という声は何度か上がっていた。

「謙虚なのが美徳なんて言われてるのは、平和な時代だけよ。今の時代は、どんどん自分に出来ることをアピールしていかなきゃ、勿体ないわ」
「そですかー……」

 さすがに、シャロンとしても「自分が熟睡するだけのために習得した」とは言い難かったようである。

 ******

 同じ頃、 ニキータ・ハルカス もまた少し遅れて会場に到着し、どこか座れる席はまだ残っていないかと会場内を歩き回っていた。そんな中、おあつらえ向きに「一人の知人」とその隣の「空席」を見つける。

「どうも」
「あ! えーっと、あなたは確かニキータさん?」

 そう答えたのは、イワンである。この二人は以前、旧ペンブローク邸の探索の時に同じ班として同行していた関係である。もっとも、その時のイワンの中では「訳の分からない奇行を繰り返した挙げ句、一人で勝手に帰った人」という、最悪な印象しか残っていなかったのであるが。

「あなた、解説とか得意ですよね? 頭良さそうだし」
「え? いや、別にそういう訳でもないですが……、でも確かに、今回の作戦会議には参加してましたから、ある程度説明することは出来ますが……」
「では、解説聞かせて下さい」

 ニキータはそう言ってイワンの横に座った。ニキータとしては、『魔法を使った戦い』には興味があったものの、前回習得した魔法を使って戦う方法が思いつかなかったため、今回は「見学」に回ることにした。その上で、戦況を正しく分析するために「解説してくれそうな人」の近くに行って解説を聞こうと考えていたのである。

 ******

 そして、開会の時間を迎えたところで、まずは魔法学生側の参加者が入場してくる。最初に姿を表したのは、金属バットを手にして気合充分の様相で現れた レナード・メレテス であった。周囲に対してガンを飛ばしながら入場するその姿は異様であるが、これから始まるのが「戦闘訓練」であると考えると、それはそれで場に馴染んだ様相にも見える。

「レナード先輩! 頑張って下さーい!」
「あの人は、武闘派として有名な人ですよね。最初に入って来たということは、今回は特攻隊長の役割になるのでしょうか……」

 続いて、同じくバットを持って登場したのは アツシ・ハイデルベルグ である。ただし、彼のバットはレナードとは異なり木製で、そしてなぜか「赤い塗装」が施されていた。本人は「投影装備」だと言い張っているが、本当にそうなのかどうかは分からない。

「アツシくんー、がんばってねー」
「お知り合い、でござられるのですか?」
「なんどかー、野球したんだよー。あとー、多分、同い年だし、敬語はいーよー」
「……今の『赤』の学生達の間では、あの形の棍棒で戦うのが流行ってるの?」

 三人目に現れたのは、木刀を持った ディーノ・カーバイト である。彼の持っている木刀は実際に投影装備ではあるらしいのだが、果たしてどれほどの由来を持つ代物なのかは不明である。

「あー、確か、こないだ屋敷に忍び込んだ時に一緒にいたような……」
「おそらく、彼が今回の前線の要になります。今回の参加者の中で唯一、明確に『魔法剣士』を目指して剣技を重ねてきた人物ですから。彼の攻撃が当たらなければ、そもそも勝負にはなりません」
「解説どうもです」

 そんなディーノに続いて、同門の セレネ・カーバイト もまた姿を現す。彼女はカーバイト一門の先輩(カルディナ門下生第二世代)のクレハ・カーバイトの姿を模した「巫女服」と、彼女の得意とする「破魔弓(のレプリカ)」を手に現れた。

「セレネー、こないだは楽しかったぞー! またナスパやろーなー!」
「ナスパ?」
「そういうのがあったのだ」
(discordみながくサーバーのロールプレイチャンネル「喫茶マッターホルン」の5月30日のログを参照)

 そして、五人目に購買部の少年 ジュード・アイアス が登場したところで、会場内に驚きの声が広がった。

「ロゥロアさん、彼って、たしか購買部の人ですよね?」
「えぇ、正直、意外です……。およそ戦闘訓練に参加するようなタイプではないと思ったのですが……、作戦参謀、ということでしょうか?」

 そんな彼に続いて現れたのが、同門の エイミール・アイアス である。

「うん、彼も覚えてる。なんか、よく分からなくて、うるさい人」
「あなたに言われたくはないと思いますが……、とはいえ、彼は今回の参加者の中で唯一のエネルギーボルト習得者。実質的に最大のダメージディーラーと言えるでしょう」
「解説どうもです」

 続く七人目の出場者は、 オーキス・クアドラント である。

「彼女は知ってる! タコパの時に来てくれてたし、キュアライトウーンズの試験でも一緒だった!」
「つまりー、回復要員ってことかー」
「実際、回復は大切よ。相手も手加減はしてくれるだろうけど、多分、まだ幼いあの子達の身体じゃ、二回殴られたらもう立ち上がれないだろうし」

 そして最後に現れたのは、ローブを羽織って、謎の仮面をつけた少女「アネルカ」である。なお、 彼女 の相方の大狼は、会場の最上段で見詰めていた。

「ルクスちゃん、あの人も、仮面、つけてるよ」
「仮面はかっこいいのだ。でも、ルクスの仮面の方が、もっとかっこいいのだ」

 こうして八人の出場者が出揃ったところで、彼等はまず、救護班の一人であるユタから注意事項を聞かされる。

「一応、ワトホートさんには邪紋の力を制御する装置を付けてもらっていますので、よほど大丈夫だとは思いますが、もし万が一、皆さんの身に危険が及ぶと判断した時は、訓練を中止させて頂きます。また、戦闘継続が不可能な瀕死状態になったとこちらで判断した人は、即座に体力を全快させる回復魔法をこちらからかけますので、その時点ですみやかに退場して下さい」

 その説明を聞いたところで、ユタと同門のオーキスが疑問を投げかける。

「その前に、私がキュアライトウーンズをかけて回復させた上で戦線復帰させるというのは、駄目なの?」
「こちら側としても、まだ立って戦える状態にある間は、手は出しません。ですので、回復させるならそのタイミングでお願いします」
「なるほどね……、理解したわ。つまり、一撃で瀕死状態にまで至ってしまった場合は、問答無用で失格ということね」
「はい。一応、制御装置を付けてもらってはいますが、万が一のことがあってはならないので……。あと、どちらにしても魔力が尽きてこれ以上は戦えないと判断したら、その時点で退場して頂くことを強くお勧めします」

 そんな説明を終えたところで、今度は保健委員の マチルダ・ノート が出場者達の前に立ち、語り始める。

「みなさま、お疲れ様です。あちらのテントは出張保健室となっています。訓練終了時に怪我をしてしまった方は、お越しください。薬、包帯、飲み物も取り揃えておりますから、足りないものがあれば、仰ってくださいね」

 マチルダは先日のキュアライトウーンズの習得には失敗してしまったが、それでも治療士としての道は諦めず、まずは生命魔法師達の補佐役として、治療に関する基礎的な知識を蓄えることにしたらしい。
 彼女の不合格に至るまでの経緯を目の当たりにしていたオーキスは複雑な表情を浮かべつつ、ふと観客席に視線を向けると、最上段にいるシャリテの姿を発見する。しかし、いつもその隣にいる筈のロシェルの姿が見当たらないことに違和感を覚えた。

(まさかとは思うけど……)

 オーキスは近くにいた「ロシェルと同じくらいの体格のアネルカ」に視線を移すと、彼女と即座に目が合う。

「何か?」
「……初めまして。あなたの絵本の読者です」

 「アネルカ」は、元来「彼女」が絵本を描く時に用いているペンネームである。オーキスからそう言われたことに対して、「アネルカ」が仮面の下で何を思ったのかは分からないが、彼女は短く答える。

「それは……、読んで頂き、ありがとうございます」
「あなたの絵本の複製作業にも協力しています。勝手に進めてごめんなさい。少しでも手間が省けるかと思って」
「いえ、それは実際、助かっています」

 そんな「明らかに不自然なまでによそよそしい会話」を交わす二人であったが、そこへレナードが割って入り、アネルカに話しかける。

「確か、オメェも前線要員だって聞いてっけどよぉ、武器はどうしたんだ?」
「いりません。わたしは身体そのものにヴォーパルウェポンをかけますから」
「ほぅ……? まぁ、いい。よろしく頼むぜ!」
「よろしく」

 口数少なくアネルカはそう答えるが、その二人の会話を横で聞いていたアツシとディーノは「あること」に気付く。

「なぁ、こないだのヴォーパルウェポンの試験の時、一緒に受けてたのは、俺と、お前と……」「あとは『狼を連れてた女子』がいただけだったよな……」

 二人の脳裏には「ある可能性」が思い浮かぶが、すぐに考えるのをやめた。

「まぁ、別にいっか」
「そうだな。少なくとも、俺はあの彼女と前に一緒に戦ったことがある。なんかよく分からない投げ技で、生命魔法学部の先輩を投げ飛ばしてたから、戦力になることは間違いない」

 ディーノがそう言ったところで、彼の後方から同門のセレネが声をかける。

「みんな頑張ろうな! セレネもいれば千手観音……? だぞ!」
「なんだそれ?」
「あ! 俺、知ってるぜ。俺の故郷にいた『古い神様』みたいなやつで……」

 アツシはそう言って千手観音の説明を始めるが、おそらくセレネは「千人力」と言いたかったのだろう。そして、その会話の輪の中に、今度は横からエイミールが加わる。

「セレネ君、今日は僕等の初陣だ! この僕! エイミールと共に、ファッション研究部の2トップとして、ファッショナブルかつエレガントに勝利を勝ち取ろうではないか!」
「おぉ! セレネ、頑張るぞ! サイレントイメージのあとは、この弓で援護するぞ!」

 セレネとそんな会話を交わしつつ、エイミールは内心では複雑な思いを抱えていた。

(この僕の在り方は、誰よりも輝く事。そも協調を取る事はいいが、人に使われるのは気に入らない……。確かに相手は強大だろう。僕とて勝てるとは限らない。しかしそれでも、僕は僕の今持てる力と知識のみで、誰かに強要されず指示されず、心は自由のまま正々堂々と戦い、一流の力、いずれ僕が乗り越えなくてはならない頂きを見据えたい)

 彼がそんな想いを抱く背景には、先日のエネルギーボルトの試験で「不本意な首席」の座を与えられた屈辱(?)を払拭したいという願望もあったのかもしれない。しかし……。

(……そう思うのも確かだ。だが、ここには勝利へ向けて努力する輩達がいる。この僕を頼りにしているライバルがいる。そして、己の知識を試そうとする「弟」がいる。ならば仕方ない。ここで期待に答えぬは紳士の名折れ。此度ばかりは己の勝ちではなく、我々のための勝利のため、己が高貴を存分に振るい、初めて他者がため輝こう!)

 密かにそんな決意を固めるエイミールの目の前で、その「弟」であるジュードもまた、複雑な想いを抱えていた。

(思えば、何故戦闘訓練に参加しているのでしょう……。戦になった時点で負け。対人、戦争等、無駄の極。そう教えられて、共感していたはずなのですが……。結局のところ僕も、自分を試したい無謀な若者、なのかもしれませんね。少し癪ですが申し込んでしまいましたし、勝の目を探しましょうか。二人の師に恥ることない戦いにしましょう)

 そんな決意を抱きつつ、ジュードは改めて全員に対して作戦を確認する。ロゥロアの予想通り、彼は今回、その智謀を生かした上での実質的な指揮官としてこの訓練に参加していた。

「今回の前衛部隊は、レナードさん、アツシさん、ディーノさん、アネルカさんの四人です。オーキスさんは彼等のすぐ後ろで備えて、適宜回復魔法をかけて下さい。セレネさんは予定通りにサイレントイメージで敵を誘導しつつ、必要に応じて弓を。兄さんは、気力が続く限りエネルギーボルトを放った上で、気力が尽きたら弓に切り替えて下さい。僕は全体指揮官として、なるべく目立つ位置に立ちつつ、相手を罠の方向へと誘導します。つまり、僕は囮です。戦力的には、戦いが始まってしまったら僕はもう用済みなので、僕を守る必要はありません。まぁ、あまりにも無防備すぎると逆に囮だと気付かれるかもしれないので、『守るフリ』くらいなら構いませんが、いざ狙われた時は、すぐによけて下さい。特に、兄さんは戦力的には一番の要なのですから、絶対に目立つような動きは避けて下さいね」
「分かった。だが、心配することはない! 敵の爪牙が届く前に、この僕の流麗なるエネルギーボルトで決着を付けてみせる!」

 彼等がそんな会話をかわしたところで、いよいよ対戦相手の「雷光のワトホート」(下図)が、会場の反対側から現れる。その首元には魔法の首輪が付けられており、おそらくはそれが「邪紋制御装置」なのだろう。
+ ワトホート

「待たせたな、ガキ共! 今日はお前達に戦場の怖さを叩き込んでやるから、覚悟しておけ!」

 ワトホートはそう言い放つと同時に、その身を「虎」の姿へと変化させる。

「本来なら、完全獣化する必要もないんだが、俺のことを完全に『魔物』だと思った方が、お前達も戦いやすいだろうからな。この姿を見てビビった奴は、いつでも帰りな!」

 虎の姿のままそう言い放ったワトホートに対して、レナードが叫び返す。

「ナメた口聞いてんじゃねぇ! このハンパなケダモノが! トラ猫ごときに誰がビビるか! おぅ、オメエら! 気合入れてくぞ!」

 彼がそう叫ぶと、アツシとディーノはそれぞれの武器に、アネルカは自分自身の身体に、それぞれヴォーパルウェポンをかける(なお、この時、アネルカは一瞬眩暈のような症状に襲われてよろけるが、すぐに立て直す)。

(あー、もう、レナードさん……、囮役は僕なんですから、僕より目立たない下さいよ……)

 ジュードは内心でそうボヤく。実際のところ、レナードとしても作戦の意図は理解していた。しかし、それとはまた別次元の問題として、自分の中の「タンカにはタンカで返す」という本能を押さえることは出来なかったらしい。そして、更に続けてジュードの隣から一人の男の声が響き渡る。

「訓練をしてくださる外部講師……。つまり師であるという事。しかし、無礼を承知で言わせてもらう。如何に苛烈な雷の光も、空を駆ける流星の光には届かない! この僕こそはエイミール! 天駆ける星! いずれ誰よりも輝く者!」

 「やっぱり、こうなるのか……」と言いたそうな顔でジュードが頭を抱える中、エイミールはそう叫びながら、まずは初撃のエネルギーボルトをワトホートに向かって打ち込むと、その一撃は真正面からワトホートに命中した。

(避ける素振りもなかった……。イワンさんの情報通り、回避が苦手なのか、それとも、ただナメられてるだけなのか……)

 ジュードはそう思いながら相手の様子を確認すると、その一撃を受けて表皮には多少の傷を負ってはいるものの、所詮は軽傷程度の損傷にしか見えなかった。
 そして、ワトホートはまず目の前にいるレナードを右前足で払いのける。

「ぐはぁっ!」
「レナード先輩!」

 観客席からノアの悲鳴が響く中、レナードは吹き飛ばされる。だが、すぐに立ち上がったため救護班は動かず、そしてかろうじてオーキスのキュアライトウーンズの射程内だったため、彼女はすぐにレナードの傷を回復させる。

「やってくれるじゃねーか! この……」

 レナードが更にタンカを切ろうとしたところで、これ以上目立たれたら作戦が壊れると判断したジュードが、大声で叫んだ。

「大丈夫です!『この程度』の相手、皆さんなら何とでもできます!」

 それは、ジュードにとっての精一杯の「挑発」であった。ワトホートはそんなジュードの様子を鼻で笑いつつも、その目の焦点を彼に合わせる。

(まぁ、今の俺は「魔物」だからな。お坊ちゃんのお上品な挑発にも乗ってやるよ。さて……)

 現時点でワトホートの進路を阻む面々を無視して進むには、左右に二つのルートが見えた。だが、そのうちの片方は、グラウンドの土の様子に違和感を感じる。

(なるほど、そっちは落とし穴か。しかも、何やら奇妙な気配を感じる……、それなら!)

 ワトホートが「もう片方」のルートからジュードに近付こうとしたその直後、彼は視界が一瞬に転換したことに気付く。

(なに!?)

 それは、セレネがサイレントイメージで作り出した「幻の視界」から「現実の視界」へと戻った瞬間であった。それと同時に彼の足元から激痛が走る。「何もなかった筈の地表」に視線を向けると、そこにはトラバサミが大量に設置されていたのである。

(そうか、本当の「囮」は、あの「露骨な罠」の方だったのか!)

 正直、魔法師見習いとはいえ「たかが子供」がそこまで何重にも囮と罠を張り巡らせているとは思っていなかったワトホートは、完全に虚を突かれていた(ちなみに、この「囮の罠」と「本命の罠」の位置は、前夜にジュードがクールインテリジェンスの魔法を使った上で、精巧に計算された位置に設置していた)。
 そして、その直後にアツシとディーノがそれぞれの武器を片手に襲いかかる。

「狙いは当然場外ホームラン! 学園外までぶっ飛ばしてやる!!」
「うぉりゃぁぁぁぁああああああああああ!」

 当初の作戦では、前衛はあくまで虚を突いて奇襲をかけるという方針だったが、思ったよりも早く敵が罠にかかってくれたおかげで、最初から二人が全力で殴りかかる。どちらも本来は(おそらく)ただの木製武器だが、ヴォーパルウェポンで強化されていることもあって、その威力は真剣以上に増幅されていた。

(やるな、だが、この程度のトラバサミ、すぐに……)

 ワトホートは強引にトラバサミをこじ開けて足の自由を取り戻すが、その間に後方から忍び寄ったアネルカが、彼の身体を羽交い締めにする。

「貴様!?」

 ワトホートはすぐさま振りほどこうとするが、この時、奇妙な違和感を感じる。

(なんだ、こいつの身体……、妙に冷たい……)

 その違和感に気を取られた一瞬の隙をついて、先刻吹き飛ばされていたレナードが金属バットを持ってワトホートに殴りかかる。彼が走り寄るまでの間に、アネルカは彼のバットにもヴォーパルウェポンをかけていた。

「さっきのお返しだ! 喰らぇぇぇぇ!」

 レナードはそう叫びながら、全力で金属バットを叩き込む。更にその直後、アネルカは抱えていたワトホートをそのまま「囮の罠」として作った落とし穴へと向かって投げ飛ばす。すると、ワトホートの身体は綺麗にその落とし穴へと落下し、その奥底に設置されていた「事前にアツシがヴォーパルウェポンをかけていた竹槍」がワトホートの身体を貫いた(なお、この「竹」という奇妙な植物の入手経路は不明である。アツシがどこからともなく持ってきたらしい)。
 この完璧なまでの連携攻撃に、会場は一気に沸き立つ。

「すごいです! なんて見事な計算されつくした作戦!」
「レナード先輩、かっこいい……」
「あの仮面の人、なんか、すごいね」
「そういえば、前の乱闘の時にも見た気がするのだ」
「やるねー、みんなー」
「なんか、めっちゃ興奮してきた!」
「考えうる限りの最善手を尽くした、ってところかしらね」
「そうか、罠と絡めれば、俺のスリープも有効活用出来るのかも」
「ここまでは計算通り。問題は、ここからです」

 だが、その直後に落とし穴からすぐにワトホートは這い出て来る。身体に深手を負ってはいるが、まだまだ致命傷には至っていない。

「お前達を侮っていたことを詫びよう。そして、この俺にここまでの手傷を負わせたことに敬意を表して、お前達に二つの選択肢をくれてやる」
「ほう、我が師よ、そのような身体で、まだ上から目線で何かのたまわれるおつもりか?」

 エイミールが反射的にそう返す。

(いや、だから兄さん、それは僕が言わなきゃいけない台詞で……)

 ジュードが内心で再び頭を抱え始めたところで、立て続けにセレネも割って入る。

「そうだぞー! だが、この天才魔法師セレネ・カーバイトは慈悲深いからな。降参でも命乞いでも、どっちでも受け入れてやるぞ!(ふんす)」

 そう言ってふんぞり返ったセレネを嘲笑うかのように、ワトホートは自分の首につけられている制御装置を指した上で問いかけた。

「今からこの俺が、この制御装置をつけたまま本気を出すか、手加減することを前提に制御装置を外すか、好きな方を選べ」
「外した上で本気で来いやぁぁぁぁ!」

 当然のごとく、レナードはそう叫んだ。

(あー、うん。知ってた、そうなりますよね、もういいですよ……)

 ジュードはつくづく自分が「囮役」に向いてないことを実感する。そして、ワトホートはニヤリと笑うと、次の瞬間、その身体が「雷光」を帯び始める。

「では、第2ステージだ。最終ステージに進みたいなら、この首輪を外させてみろ!」

 ワトホートはそう叫ぶと、先刻までとはまるで違うスピードで、今度はディーノに向かって突撃する。ディーノはすぐさま木刀でその突進を受け止めようとするが、先刻のレナードとは比べ物にならないほど遠距離にまで弾き飛ばされてしまった。

「な、なんだ……、今の速さ……」

 ディーノは木刀で身体を支えつつ、かろうじて立ち上がる。だが、オーキスのキュアライトウーンズの射程の範囲外であり、次に同じ一撃を喰らえば、リタイアは確実である。

「オーキスさん! すぐにディーノさんの元へ!」

 ジュードはそう叫んだ。隊列は崩れてしまうが、ここでディーノに退場されると、この後の戦線が成立しなくなると判断したのである。

「分かったわ!」

 オーキスがすぐさまそちらに向かうのと並行して、エイミールが二撃目のエネルギーボルトを放つ。だが、今度はあっさりと避けられてしまった。

(やはり、さっきの動きはまだ手加減されていたのですね。しかし、こうなると打つ手が……)

 ジュードが次の一手を迷っている間に、オーキスはディーノを回復させ、そしてレナード、アツシ、アネルカの三人がワトホートに次の一撃を食らわせようとするが、いずれも彼の動きが早すぎて、その射程圏内にすら入れていない。

(さすがに大人気ないか……、いや、しかし、ここで奴等を慢心させる訳にはいかない。「魔法師だけでは魔物には勝てない」ということを教え込むのが、俺の仕事だからな)

 ワトホートは内心でそう呟きつつ、今度はアネルカに向かって遠方から一気に突進をかける。それに対して、アネルカは避ける様子もなく受け止める姿勢を取った。

(なに!? こいつ、正気か!?)

 そのままワトホートの突進を直撃したアネルカは、その「受け止める姿勢」のまま吹き飛ばされ、そしてそのまま二本足で着地する。仮面をしているから表情は読めないが、全く動揺している様子はなかった。

(確かに手応えはあった。だが、こいつ……、もしかして、痛覚が無いのか?)

 ワトホートが一瞬困惑する中、すぐさまオーキスが今度はアネルカに対してキュアライトウーンズを用いる。

(回復魔法をかけているということは、やはり痛覚がないだけで、効いてはいるのか? それとも、他の奴等が「コイツの正体」に気付いていないだけ、という可能性も……)

 戦局的にはまだワトホートが圧倒的に優位な状況ではあったが、それでも彼は、どこかで「嫌な予感」を感じ始めていた。

 ******

 そして、ここで突然、観客席から一人の乱入者が現れた。ぼさっとした薄茶色の髪に、特徴的な赤い目をしたその男は、一本の「棒切れ」を手にグラウンドへ現れる。

「楽しそうなことしてんじゃねーか! 戦闘訓練か? な、オレも試してくれ!」

 この男の名は ダンテ・ヲグリス 。魔法の実力はからっきしだが、彼の一門に伝わる「いつかこの世界に現れると言われる最後の魔剣」という伝承を信じ、その魔剣を手に入れた時のために剣技だけは磨き続けてきた男である。

(なんだ、こいつ? 話には聞いてないが、これも奴等の「仕込み」なのか? いや、だとしたらさすがに規定違反だ。おそらくは、気が高ぶって乱入してきただけの……)

 ワトホートが困惑する中、ダンテはその「棒切れ」を持ってワトホートに向かって突撃する。それに対して、涼しい顔をして避けようとしたワトホートであったが、ダンテの棒切れはそのワトホートの動きを読んでいたかのように、彼の胴体に直撃する。

「当てた!?」

 会場内でどよめきが走った。当然、ただの棒切れなので、全く傷は受けていない。だが、ここまで誰も当てることが出来なかった「(制御装置付きとはいえ)本気状態のワトホート」に、この乱入者がまさかの「初太刀」を食らわせたのである。

「貴様! 何者だ!」

 ワトホートはそう叫びつつ、ダンテを頭部から齧り付き、そして咥えた状態のまま、グラウンドの端まで投げ飛ばす。グラウンドに叩きつけられたダンテは、ふらつきながらも立ち上がり、そしてこう言った。

「俺はダンテ……、いつか魔剣を手にする男だ」

 そして次の瞬間、救護班のユタがひとまず彼に対してスリープの魔法をかけると、ダンテはそのままあっさりと昏睡状態に陥り、そして彼の周囲に警備員達が集って、そのまま強引に会場の外に連れ出されて行った。

 ******

(なんだったんだ、今のは……)

 会場内の誰もがこの状況に困惑する中、訓練は一旦、仕切り直しとなった。その間に、ジュード達は気付け薬を飲んで気力を回復させつつ、作戦を練り直す。

「どうしますか? 一応、あの人に本気を出させただけでも十分に善戦したと言える訳ですし、ここで訓練を終わらせるという選択肢もある訳ですが」
「冗談じゃねぇ! ヤツが本気を出してから、まだ一発も食らわせてねぇんだぞ! しかも、不意打ちとはいえ、あんな訳分かんねー男に先を越されて、このまま引き下がれるワケねーだろ!」

 レナードがそう叫ぶと、概ね皆は同意の表情を浮かべる(アネルカだけは、仮面の下の表情までは読めなかったが)。その上で、レナードは皆に懇願する。

「頼む! せめてオレに一太刀入れさせてくれ! 奴の動きは早いが、見切れない程じゃない。オレのこのバットの射程内に入れることさえ出来れば、どうにかなる。オレにはまだ『切り札』も残ってる。そのために、奴の気をそらしてほしい!」
「いいですけど、それならそれで、ちゃんと僕が囮になるのを邪魔しないで下さいよ」
「分かった! 一撃を入れる瞬間まで、俺はずっと黙ってる」
「いや、一撃を入れるその瞬間も黙ってて下さい……。あと、兄さんとセレネさんも!」
「僕は邪魔などしていないぞ! ただ、僕の中に宿る天性の英雄としてのオーラが、自然と敵を惹きつけてしまうだけだ!」
「まぁ、セレネもスタァだからな! 仕方ないよな!」

 実際、エイミールはジュードを邪魔するつもりはないし、非力なジュードが囮となることに反対している訳でもない。以前に彼と購買部で対話して以来、「弟だからといって守られるべき弱きものと思う事は彼に対して失礼」という考えがエイミールの中で確かに確立されている(discordみながくサーバーのロールプレイチャンネル「出張購買部」の5月17日のログを参照)。ただ、それ以上に彼の「本能」が無意識のうちにそれを邪魔してしまっているだけなのである(当然、それはセレネも同様であった)。

「では、やりましょう! 向こうが全力を出してくれている以上、こちらも出来るところまで食い下がりましょう!」

 ジュードがそう言うと、皆が揃って頷き、そして戦いが再開される。

「もう終わりでも良かったんだが……、まだ続けるとは、大した根性だな!」
「さっきの、通りすがりの素人に一太刀入れられたまま終わりでは、あなたがあまりにも可哀想に思えましたから」
「言ってくれるじゃねーか! 挑発したところで、もう策も残ってないだろうに!」

 そう言って、ワトホートがジュードに向かって飛びかかると、ジュードはその飛び込んできた彼の片足に食らいついた。

「な!? お前!?」
「ライカンスロープの十八番を二度も奪われて、どんな気分です?」

 「食らいついて相手の動きを止める」というのは、確かにライカンスロープの得意技である。実際、ワトホートにもその心得はあるが、自分の味方がいない戦場ではあまり意味がないため、この場で用いるという選択肢は彼の中には無かった。

「こんなガキのじゃれつきと一緒にすんじゃねー!」

 ワトホートはそう叫びながら、足を全力で振り回して、ジュードを弾き飛ばす。だが、その時点で既に、後方から密かに近付いていたレナードが、金属バットを大きく振り下ろしていた。それと同時に、自らの腕にアシストの魔法をかける。

(この一撃だけは、絶対に外さねえ!)

 心の中でそう叫びながら、ワトホートが振り返ると同時にその頭上から見事な「一本」を決める。だが、この時、レナードは魔法を用いたことの反動から、一太刀入れた歓び以上に、副作用による激痛の感情の方が強く、その表情は明らかに歪んでいた。

「やるじゃねーか、キサマ! 俺に一太刀浴びせたんだ! もっと嬉しそうにしろよ!」

 どこか楽しそうな声でワトホートはそう叫びつつ、今度はその牙でレナードに食らいつこうとするが、その間にアネルカが割って入った。

「やらせません」

 腕をワトホートに食いつかれた状態で、アネルカは淡々とそう言った。

(またお前か! 気持ち悪いんだよ! お前のその、妙に冷たい身体はよ!)

 咥えているが故に声が出せない状態で、ワトホートは唸り声を挙げながらアネルカを投げ飛ばすが、アネルカは極東仕込みの武術特有の受け身を取り、身体の損傷を最小限に留める。そして続けざまにアツシとディーノが再びそれぞれの武器を手にワトホートに対峙することで、前線を維持する。
 一方、その間にエイミールとセレネはジュードの元へと駆け寄ろうとするが、それよりも前にユタからの回復魔法が放たれた。どうやら、今の投げ飛ばしの一撃でジュードは「戦闘継続不可能」と認定されたらしい。

「……認めよう。君は大したやつだ。心からそう思う。同門として誇らしい……。後は、兄の背中をよく見ておけ。」
「エイミールちゃん、やるぞ、あれを!」
「おぉ、遂に我等が必殺の合体奥義の出番だな!」

 二人がそう叫んだ瞬間、彼等のいる一角に、突如不気味な光景が現れる。それはセレネの魔法にによって、「幾人ものエイミール」が同時に出現した光景であった。

「チッ、また幻覚か!」
「はーっはっはっはっはっは! どうだ我が師よ! これから僕が放つエネルギーボルト、どれが本物か分からなければ、さすがに避けられま……」

 次の瞬間、ワトホートは「本物のエイミール」に向かって突撃する。

「エイミールちゃん!」
「ば、馬鹿な……、なぜそんな一瞬で……」
「サイレントイメージは、声までは複製出来ないんだよ。あくまで『サイレント』だっからな。さて……」

 ここで、まだかろうじてリタイア判定を受けていないエイミールに対して、少し離れた場所からオーキスがキュアライトウーンズを放とうとしている様子がワトホートの目に入る。

「いい加減にそろそろ面倒になってきたからな。ここで終わらせてもらうぜ!」

 そう言って、ワトホートは今度はオーキスに向かって走り込む。アネルカが再び間に入って彼女を庇おうとしたが、今度はワトホートの方が一瞬早く、オーキスの身体を咥え上げ、そのまま空に向かって放り投げる。

「回復役がいなくなれば、もうあとはジリ貧だ。降参するしかないだろう」

 ワトホートがそう言い終えたと同時に、オーキスの身体は「竹槍の落とし穴」へと落下した。

「オーキスちゃん!」

 ここで、それまでずっと物静かな様子だった「アネルカ」が、初めて叫んだ。

(心配ない。さっき俺が落ちた時点で、竹槍の半分以上は折れてる。少なくとも即死はない。そして、回復役である彼女の傷を癒せる者は他にいない以上、これですぐに医療班もリタイア判定を……)

 ワトホートが内心でそう思っていたところで、その穴の中から「パキン」という音がする。

(なんだ、今のは……、竹が折れたような音じゃないぞ……)

 心配したアネルカと救護班の面々が穴へと向かうと、そこから「身体を竹槍で貫かれたまま、紫と緑の血を流したオーキス」が這い上がってくる。その表情は、明らかに平常時の彼女とは異なり、そして彼女の紅い瞳からは妖しい光が放たれていた。それはまるで、魔力が漏れ出ているかのような光景にも見えた。

「オーキス、ちゃん……?」

 アネルカがその変貌ぶりに呆然とする中、オーキスは身体からあっさりと竹槍を抜くと同時にその身体を回復させると、そのままワトホートに向かって襲いかかった。その動きは、先刻までの「見習い魔法師」としての彼女とは、明らかに別物であった。

「な、なんだ、こいつ……、聞いてないぞ、こんなの!」

 オーキスは魔法と思しき力で自分を強化しつつ、ワトホートに殴りかかる。そして彼女の一撃を受けた瞬間、ワトホートは本能で察知した。

(こいつは『ただの魔法師』じゃない!)

 そして自らの右前足の爪で抑制装置を破壊し、一気に邪紋の力を開放させる。だが、その状態でもオーキスは怯まず、彼を相手に大立ち回りを演じていた。
 その状況に、会場内の誰もがただひたすらに呆気にとられていた。

「一体、何が起きているんだ……」

 誰かがそう呟く。そして、それは会場内の全ての人々の総意であった。そして、明らかにオーキスが「正気」ではないと判断した医療班が彼女に対して様々な魔法をかけてその動きを封じようところ、(どの魔法の効果かどうかは分からないが)、オーキスの表情は「いつものオーキス」に戻る。しかし、その「瞳」は妖光を発したままだった。

「私は……」

 オーキスは困惑した状態のまま、周囲を見渡す。そして、徐々に現状を把握したような表情を浮かべ、そして次の瞬間、突如として取り乱す。

「違うの!……私は……私は……!!」

 彼女はそう叫ぶと同時に、会場の外へ向かって飛び出して行く。警備員達は止めようとしたが、彼女の動きに誰もついていけない。
 結局、誰一人として何が起きたか全く理解出来ない状態のまま、奇妙な空気が会場内に広がる中、やがてその会場に、高等教員にしてオーキスの養父であるノギロ・クアドラント(下図)が現れた。
+ ノギロ

「間に合いませんでしたか……。ですが、居場所はわかります。」

(to be continued to Next Week’s Qest 1)

3、貴族の誕生会

 投影体の血を引く少女 ヴィルヘルミネ・クレセント は現在9歳。魔法学校の中ではかなり年少の部類だが、精神面では同世代の面々に比べてかなり大人びていた。
 先日、「はじめての魔法」としてクールインテリジェンスを習得した彼女は、いずれ自分が(契約?)魔法師として社交的な場に立つ時のことを想定して、将来のために礼儀作法を学びたいと考えた。そんな彼女が最初に相談したのが、知人の中で(当然のことながら)最も所作の綺麗なケネスであった。
 ケネスは男爵家の出身なので、社交界の作法に関しては相応の心得はある。だが、「優雅な貴族文化」を嗜む人々を中心とした幻想詩連合の一員とはいえ、所詮は辺境の地であるブレトランドの出身で、しかも実利主義的な性格のケネスは(貴族として最低限の義理は果たしていたものの)決して好き好んでパーティーに出席する性格ではない。
 そんな彼はヴィルヘルミネからの相談に対して、反応に困ったような顔を浮かべつつ、一枚の書状を彼女に手渡した。

「習うより慣れろと言うだろう。良い機会なので、このパーティに参加してはどうか?」

 それは、君主時代のケネスと交友のあったローズモンド伯爵領の宰相ヘルマン・アルフォートからの手紙である。そこに記されていたのは「娘のエリーゼがまもなく12歳の誕生日を迎えることになり、誕生会をエーラムの別邸で開くので、将来有望な魔法師を招待したい」という旨であった。つまりは「若手魔法師の青田買い」に協力してほしい、という依頼である。

「わたしが、このパーティーに?」
「その歳でもう魔法を覚えたのだ。将来有望と評して問題なかろう」

 ケネスのその言葉は確かに本音ではあるが、そもそも今の彼にとって、あと他に紹介出来る程に親密な間柄の学生と言えば、同門のエルとエトくらいしかいない。しかも、エトに関しては(年齢的にはヴィルヘルミネよりも年上だが)引っ込み思案な性格とケネスの中では認識されていたため、まだそのような公的な場に出席させるには早いと考えていた。

「分かりました。でも、最低限、失礼のない程度のマナーと言葉遣いは教えて下さい」
「……まぁ、仕方ない。とはいえ、儂が教えられるのは所詮、辺境の小大陸で通用する程度の作法だ。文化の最先端であるこのエーラムの人々から見れば軽く嘲笑されることになるかもしれぬが、それでもよいか?」
「はい、お願いします」

 こうして、ヴィルへルミネは社交界デビューに向けての第一歩を踏み出すことになった。

 ******

 その頃、風紀委員の シャーロット・メレテス の寮には、実家であるハルーシアのウィルドール家から「手紙」と「荷物」が届いていた。
 手紙に書かれていたのは「(ハルーシアと同じ幻想詩連合に所属する)ローズモンド伯爵領の宰相令嬢であるエリーゼ・アルフォートがエーラムで誕生会を開くことになったため、彼女に対して『ウィルドールの娘』として挨拶をしておいてほしい」という内容であり、荷物として届けられていたのは、パーティー用のドレスであった。それは明らかに名門貴族としての贅を尽くしたデザインであり、あまり魔法学校の学生が着るような服ではない。

「……今の私はあくまでも魔法師なのですが……、お父様はまだ私のことを『ウィルドールの貴族』と思っているのでしょうか……?」

 そもそも、本来ならばエーラムに入門した時点で、実家との縁を完全に断ち切るのが原則である。シャーロットの場合、実質的に卒業後は「実家の兄」と契約することが最初から内定しているという特殊な立場の都合上、今も実家とこうして頻繁に手紙のやりとりをしているが、今はまだあくまで学生身分である以上、政治的には原則として中立であることが求められている。

「ですが、無視するわけにもいきませんし、エリーゼさまにもご挨拶しなくてはいけないのは確かにそうですから……」

 彼女はそう呟きつつ、ちょっと釈然としない様子ながらも、送られたドレスを身につける。実際のところ、(成長を見越して用意したが故に)まだブカブカの魔法師協会の制服よりも、(おそらく入門前の頃の体型を想定して作ったと思われる)今回送られてきたドレスの方が、今の彼女には合っている。
 ただ、その上で彼女は「いつもの制服」を鞄に詰めて持って行くことにした。もし万が一、現地で何かトラブルが発生した時には、あくまでも「エーラム魔法学校の風紀委員」として行動するために。

 ******

 一方、教養学部の中では年長組の テラ・オクセンシェルナ は、養父であるクロードの元を訪れていた。

「なるほど。つまりは『他人に対する恐怖症を直したい』ということですか」
「はい……」

 テラはかつて、自身の魔力の暴走から大惨事を引き起こした過去があり、それ故に、他人と接することで再び何らかの災害に巻き込んでしまうのではないか、という恐怖心に支配されている。そのため、エーラムに来てからも他人との接触を極力避けていたのだが、さすがにそろそろ克服しなければならない、と考え始めたらしい(その意識転換の背景には、おそらく義弟ジャヤの存在も影響しているのだろう)。

「正直、心的外傷の克服となると、私の専門外なのですが……、あなたの中で本気で『変わりたい』という覚悟があるなら、いっそ『変わらなければならない状況』に自ら追い込んでみるのも一つの選択肢かもしれません」

 クロードはそう言って、彼の元にも届いていた「エリーゼ・アルフォートの誕生会への招待状(有望な若手魔法師の斡旋依頼状)」を提示する。

「とりあえず、このような催し物があるようなのですが、顔を出してみるのはいかがでしょう?」
「私が、ですか……。将来有望ということなら、ジャヤの方が……」
「ジャヤ君は確かに有望株ではありますが、正直、まだ『こういった場』に出すのは早いと思います。だってほら、彼はまだ『敬語』すら使えないでしょう?」

 実際、ジャヤは特殊な一族の出身ということもあり、独特の言葉遣いで話す。もともと彼の一族の習慣として「敬語」という概念が無いのか、それとも彼がまだ幼いだけなのかは分からないが、クロードはこれまでジャヤの言葉遣いを訂正しようとはしなかった。そんな状態の彼を貴族達の前に出した場合、不快な印象を与えかねないだろう。

「確かに、それはそうですが……」
「いい機会です。この機会に一度、『弟離れ』してみるのも良いでしょう」

 実際、テラはジャヤの前であれば、それなりに心の内を言葉にすることは出来る。それはテラにとっての「リハビリ」であると同時に「逃げ場」なってしまっているのかもしれない、とクロードは考えていた。

「分かりました……」

 渋々ながらも、テラはその申し出を受け入れ、「貴族主催の祝宴」という不慣れな場への出席を決意するのであった。

 ******

「カルディナ先生、このローズモンドの宰相令嬢の誕生会、ボクが参加してもいいですか?」

  アーロン・カーバイト は、師匠であるカルディナの研究室の掃除を手伝わされていた最中に、彼女の机の上にあった「招待状」を見つけて、そう問いかける。

「ん? あぁ、それか。それぞれの一門から『将来有望な学生』を一人ずつ推薦するように、と言われていたんだが……、まぁ、別にお前でいいか」

 正直、カルディナの中では、今の弟子達の評価は五十歩百歩である。将来性という意味では、射撃大会の際に独創的なパフォーマンスを見せたエルマーに期待したい気持ちもあったが、彼は諸事情により、まだ基礎魔法を習得出来ていないため、現時点で他の面々を差し置いてまで推薦すべきかと考えると、少々微妙である。

「ありがとうございます! この機会に『出来る男』をアピールして、『かっこよさ経験値』を溜めたいと思うんですけど、どうすれば、かっこよくアピール出来ると思いますか?」

 真剣にそう問いかけてきたアーロンに対して、カルディナはニヤリと笑いながら応える。

「その答えは、もうお前の中で出ているだろう?」
「え?」
「こないだの基礎魔法習得の試験の時、お前は何と言った?」

 逆にそう問い返されたアーロンは、その時の状況を思い出す。カルディナに「なぜライトの魔法を覚えようと思った?」という問いに対する彼の答えは「かっこいい人は、輝いて見えるからです!」 であった。

「そうか! そうですね! かっこよくアピールするには、やっぱり『輝くこと』ですよね!」
「あぁ、そうだ。それが『お前にとってのかっこよさ』なら、そのかっこよさを貫け! それが、『かっこいい男』の生き様だろう」
「はい! その通りです! ありがとうございます!」

 アーロンはそう言うと、一通りの掃除を終えた上で、意気揚々と自分の寮へと帰宅する。そして彼が去った後に、カルディナは研究室で一人笑い転げていた。

「やっぱり、馬鹿だなアイツ。最高だわ」

 ******

 そして誕生会の当日。エーラムの貴族街の一角に位置するアルフォート家の邸宅にて、同家と繋がりのある貴族達と、それぞれに様々な経緯で招待状を受け取った「赤の教養学部」の学生達がホールに集まる中、同家の令嬢であるエリーゼ(下図左)が、執事のヴェルトール(下図右)を従えて現れる。
+ エリーゼ/ヴェルトール

 来客達が拍手で出迎える中、エリーゼはホールの中央に立ち、来客達に向かって軽く一礼した上で、精一杯声を張り上げて挨拶する。

「皆様、本日はわたくしの誕生会に集まって下さり、ありがとうございます。我がアルフォート家は爵位こそ子爵の栄誉を賜っておりますが、所領そのものはあくまでローズモンドのほんの僅かな一角を領有しているのみにすぎず、残念ながら皆様をもてなすことが出来るほどの『当家ならではの特産品』を有している訳ではありません。しかし、当家は……」

 そこまで言ったところで、彼女は言葉に詰まり、困ったような表情を浮かべる。すると、即座に隣にいたヴェルトールがそっと彼女に紙片を手渡した。彼女はそれをチラチラと見ながら、挨拶を続ける。

「……当家は、大陸北部随一の交易都市ローズモンドにおける、諸外国との交渉の重責を、長年に渡って、任されてきた、一族であり、本日は、その長年の交友関係を通じて、集められた、世界中の様々な地方の、特産品を、ご用意させて頂いております。どうか皆様、ご存分にお食事とご歓談をお楽しみ下さい」

 途中でたどたどしい様子を見せながらも、どうにかそこまで彼女が語り終えた(読み終えた)ところで、来客からは改めて拍手が送られる。挨拶の文面を忘れた時点では明らかに焦燥した様子の彼女であったが、ようやくここで一安心したようで、満面の笑みでその拍手に答えた。
 この日の誕生会はいわゆる「立食パーティー」の形式であり、会場内にはいくつもの丸テーブルが並び、そこに(彼女の宣言通りに)世界各地の様々な料理が並べられている。エリーゼはまず、幻想詩連合の諸侯と思しき貴族風の来客達に対して、一人一人挨拶に回っていた。そんな彼女を、会場の隅でタキシード姿の ジョセフ・オーディアール が静かに眺める。

(あの青年は家紋から察するに、アロンヌのリア伯の一族か……。その後ろのいるのは、おそらくイスメイアの……)

 ジョセフは彼女の周囲を取り巻く貴族達を眺めつつ、この誕生会に出席している面々を確認してみたが、どうやらジョセフの祖国である(大工房同盟所属の)ファルドリアからの出席者はいないらしい。元来、ローズモンドは連合所属でありながらも同盟諸侯ともそれなりに友好関係を保っている国柄なのだが、昨今は両陣営の対立が先鋭化していることもあり、まだ幼いエリーゼの誕生会で何か揉め事が起きるのも望ましくないと考えたのか、今回招待されている貴族達の大半は連合所属(もしくは中立諸国)の面々であった。
 ちなみに、ジョセフが着ているタキシードは、ファッション研究部の部長であるセレネ・カーバイトから借り受けた代物である。当初はジョセフはこういった場に出席することは乗り気ではなかったのだが、せっかくセレネがこのような服を用意してくれたこともあり(その経緯はdiscordみながくサーバーのロールプレイチャンネル「ファッション研究部」の5月28日のログを参照)、この機会に「上流階級のパーティー」というものを一度体験してみよう、と思い立ったようである。
 無論、こういった場に不慣れなのは他の学生達も同じであり、皆、主役であるエリーゼに対して挨拶に行こうと思いながらも、なかなか一步が踏み出せない。そんな中、来客達からエリーゼに対して「誕生日プレゼント」が次々と渡される流れになったところで、 クリストファー・ストレイン がその輪の中へと加わるために、一步を踏み出した。
 クリストファーは実家が貴族家ではあったが、もともと堅苦しい礼儀などが苦手な性分であり、それに加えて後継者を巡る諸々の争いを子供の頃から目の当たりにしてきたこともあって、「貴族達による社交界」全般に対してあまりいい印象をもっていなかったが、「にぎやかな催し物」自体は嫌いではなかったため、今回は養父の推薦に従って出席を決意した。その上で、せっかく誕生会に招かれた以上、エリーゼにも何かプレゼントを用意すべきだろうと考えた彼は、前日に何人かの人々に聞き込みをして彼女の趣向を調べた上で、彼女への贈呈品を購入していたのである。
 クリストファーは少し大きめの鞄を手に「プレゼント贈呈者」の列に並び、そして自分の番が回っていたところで、鞄を空けて「猫のぬいぐるみ」を取り出す。これは「エリーゼは動物が好きらしい」という事前リサーチに基づいた選定であった。

「赤の教養学部所属、クリストファー・ストレインです。お誕生日、おめでとうございます」

 そう言って、ぬいぐるみを差し出したクリストファーであったが、エリーゼは一瞬微妙な表情を浮かべつつ、明らかに作り笑いと思える笑顔で受け取る。

「あぁ、うん。ありがとう」

 彼女は答えつつ、受け取ったぬいぐるみをすぐに隣にいたヴェルトールに手渡し、次の贈呈者に対応する。思っていた程の好感触が得られなかったクリストファーに対し、ヴェルトールは小声で語りかける。

「申し訳ございません。ウチのお嬢様は『犬派』でして……」

 残念ながら、猫好きのクリストファーとは、微妙に趣向が合わなかったらしい。

「あぁ、なるほど……」
「とはいえ、お嬢様のためにわざわざ用意して下さったこと、感謝致します。射撃大会の優勝者のクリストファー殿ですよね?」
「あ、はい、確かにそうですけど……、よくご存知でしたね。あの大会、見ていたんですか?」
「いえ。あの時はエーラムにはいませんでしたが、エーラムの有望な学生の方々に関する情報は、常に集めておりますので」

 どうやら、この執事は本気で「青田買い」を考えているらしい。実際のところ、エリーゼは父親から従属聖印を受け取ってはいるものの、それはまだ従騎士級の微弱な聖印のため、契約魔法師と正式に契約出来る立場ではないのだが、父親の魔法師団に加えるという形であれば、いつでも新人魔法師を彼女の実質的な側近として侍らせることは出来る。無論、さすがにまだ専門課程に入ってすらいない現状での本採用という選択肢はありえないが、実地研修(インターン)などを通じて今の段階から囲い込んでおくことは現実的な選択肢の一つとなりうる。もっとも、肝心のクリストファー自身が研究者志望のため、今のところ彼の人生設計の中には契約魔法師となるプランは無いのであるが。

 ******

 そして、クリストファーのおかげで「学生も話しかけて良い雰囲気」が出来たこともあり、他の面々も次々とエリーゼへの挨拶へと動き始める。

「エリーゼさま、ご機嫌麗しゅう」

 そう言って語りかけたのは、ドレス姿のシャーロットである。それに対して、エリーゼは少し小首を傾げながら呟く。

「あなた、以前どこかでお会いしたことがあるような……」
「魔法師としての名をシャーロット・メレテス、かつての名をシャーロット・ウィルドールと申します」
「あぁ、そうよ! 思い出したわ! ハルーシアの……」

 実はこの二人、まだ今よりも幼かった頃に、幻想詩連合のとある祝宴で邂逅したことがある。同い年で家格も同格(子爵)ということで、エリーゼの中でも記憶に残っていたらしい。

「『魔法師としての』ってことは、今は……」
「はい、わたくしは魔法師となるために、今はエーラムで学んでおります」

 以前は対等な立場で話していた二人であったが、今のシャーロットはあくまで貴族令嬢ではなく、あくまでも魔法師見習いなので、へりくだった口調でそう伝える。
 そんな彼女に続いて、ヴィルヘルミネもまた、意を決してエリーゼの元へと向かう。今日の彼女は髪を少し編み込み蝋梅で飾り、いつもの短めのキュロットに変えて膝丈のスカートを履き、爪は鳳仙花と明礬で染めてた上で、制服のコートをしっかりと着込んでいた。

「お誕生日おめでとうこざいます、エリーゼさま。このたびはこのような素敵な場に参加させていただき、光栄に思います。エーラムの学生のヴィルヘルミネ・クレセントと申します」

 ケネスから習った「最低限、失礼のない程度のマナーと言葉遣い」で語りかけたヴィルヘルミネに対し、エリーゼは彼女の装飾品に興味を示す。

「あなた、その髪飾りは……?」
「これは蝋梅の花です。本来は、この季節にこの地方で咲く花ではないのですけど、わたくしは投影体の末裔ですので、その力を用いて……」
「投影体!? すごい! エーラムには、そんな人もいるの!?」

 元来、投影体の末裔であることは(人によっては露骨に敵愾心を抱かれるため)あまり公に話すべきことではないのだが、ケネスはそのことをヴィルヘルミネに伝えることを忘れていた。しかし、エリーゼにはそれなりに好評価のようである。
 そんな会話の輪の中に加わるため、 ティト・ロータス ゴシュ・ブッカータ もまた、エリーゼの元へと歩を進めた。二人はそれぞれ、この日のために用意した青地(ティト)と白地(ゴシュ)のワンピースを身にまとい、ティトはセカンドフラッシュのダージリンティーの入ったティーポットを、ゴシュはレモンピールの入ったスコーンをその手に持っていた。これらも、二人がエリーゼのために持参した品である(その入手のくだりはdiscordみながくサーバーのロールプレイチャンネル「寮の任意の部屋」の5月28日のログを参照)。

「エリーゼ様……、よろしければ、こちらの紅茶はいかがでしょう……?」
「それに合わせてお茶菓子も用意しましたので、ぜひどうぞ」

 二人共、初めてのパーティーということで、何を用意すればよく分からなかったため、誕生日を迎えたエリーゼを祝うために、このような形での贈り物を準備したである。

「あら、お客様にお茶とお菓子をサービスされるなんて、なんだか不思議な気分ね。でも、それはそれでありがたいわ。正直、プレゼントとか沢山もらっても、その後で置場に困るし」

 クリストファーを含めた「プレゼントを持ってきてくれた客人達」に聞こえそうな声でそう語ってしまうあたり、明らかに配慮の足りない発言であったが、どうやら周囲に同年代の少女達が集まってきたことで、徐々にエリーゼも「素の自分」が表に出てきたらしい。そんな彼女に対して、ヴェルトールは一瞬諌めようかとも考えたが、楽しそうに笑っている彼女を見て、ひとまず思い留まる。この場は彼女と同世代の魔法学生達との「相性」を確認する場だと考えているヴェルトールとしては、ひとまずこのまま彼女達の様子を遠目に伺い続けることにした。

「それにしてもあなた、そんなマスクしてるってことは、今日はよっぽど体調が悪いの?」
「いえ……、私はもともと肺が悪くて……、だから、いつも口元は覆わせてもらっているんです……。すみません……」
「あー、まぁ、そういうことなら仕方ないわね。というか、色々な人がいるのね、エーラムって。私と同じ貴族の娘もいれば、投影体の人もいるし……」

 正確には、ヴィルヘルミネはあくまで「祖先に投影体がいる」というだけで、実質的にはほぼアトラタン人なのだが、その辺りの違いはエリーゼにはよく分からなかったらしい。

「……そこのあなたも、顔立ちからして、この辺りの地方の人じゃないわよね」
「はい。ウチは極東人です」
「へー、そんな遠くから来る人もいるんだ。そこまでして魔法師になりたかったの?」
「そうですね、どうしても、やりたいことがあって……」

 ゴシュはそう答えつつ、その「やりたいこと」についてはひとまずこの場では口にしないように気をつけていた。

 ******

 こうして、エリーゼの周囲で「女子会」の雰囲気が形成されていく中、田舎の小村の領主の息子である エル・カサブランカ は、初めて参加する大規模な貴族のパーティーに、緊張しつつも若干ワクワクした表情を浮かべながら、周囲の人々の様子を伺っていた。まがりなりにも君主家の出身なので、最低限の礼儀作法等は身についていることもあり、他の学生達に比べれば自然体でパーティーの雰囲気に溶け込んでいるように見える。
 そんな彼は、女子会で盛り上がっているエリーゼではなく、あえて執事のヴェルトールの方に声をかける。

「はじめまして。エル・カサブランカです」
「ほう、あなたがケネス殿の兄弟子でしたか。はじめまして。アルフォート家の執事のヴェルトールと申します」

 まさかこのような場でその「不自然な肩書」で呼ばれるとは思っていなかったエルは、思わず一瞬、微妙な表情を浮かべる。実はこの執事は元々はヴァレフール出身であり、君主時代のケネスのことは(面識はなかったが)よく知っていた。

「その……、一つお伺いしたいのですが、今回、私達を招待して下さったのは、私達の中から、エリーゼ様の将来の契約魔法師候補を探す、という意図もあるのでしょうか?」
「えぇ、御推察のとおりです」
「だとすれば、ヴェルトールさんとしては、どのような魔法師と一緒に働きたいですか?」

 あえてエリーゼではなくヴェルトールの方に意見を求めたのは、「君主から見た理想の魔法師」については先日ケネスから聞いていたため(それが一般論として君主全般の考えと言えるかどうかは不明だが)、今回は君主以外の人々からの意見を聞いてみたい、と考えたからである。

「そうですね……」

 まさか自分がそう聞かれるとは思っていなかったようで、ヴェルトールはしばらく考え込む。その上で、何かに気付いたかのような顔を浮かべつつ、慎重に言葉を選びながら答えた。

「贅沢を言わせてもらえるなら、いくらでも求めたい素養はあります。人としての誠実さ、民を思う心、主君への忠義、仲間との協調性……。しかし、あえて一つに絞るなら、『魔法師としての実力』です」

 つまりは、人間性よりも実力の方が大切、ということらしい。

「この世界はいつ何時、どのような混沌災害が起きるか分かりません。その混沌災害に対応するのが『我々』の仕事。その際に、より豊富な知識を持ち、そしてより多様な魔法を使える方の方が頼りになることは間違いないです。いくら人格的に素晴らしい方でも、実力が無ければ、民を救うことは出来ない。それがこの世界の現実ですから」

 ヴェルトールは淡々とそう語りながらも、その瞳からは何らかの葛藤と達観が降り混ざったような、不思議な感情が垣間見れた。なお、彼は「我々」の仕事が「混沌災害に対応すること」だと言っているが、エルは彼が「執事」であるということ以外、何も聞かされてはいない。
 そんな二人の視界に突然、謎の光が飛び込んできた。アーロンが(師匠であるカルディナに言われた通りに)自らの身体にライトの魔法をかけた状態で、ヴェルトールに近付いてきたのである。一応、このホール全体にも灯りは灯ってはいたのだが、アーロンのライトの魔法の効果で、より部屋全体が光り輝いて見れる。この場にいる者達が誰もその魔法の意図が分からずに困惑する中、アーロンはヴェルトールに語りかける。

「はじめまして。ボクはアーロン・カーバイトです。先程、『魔法師としての実力』が重要、という話が聞こえてきたのですが、えーっと、その……」

 彼はそう言いながら、前日の時点で考えていた「聞きたいことのメモ」を取り出して、それを読みながら話を続ける。

「……具体的にはどのような魔法が使えて、どのような役割を果たせる魔法師が望ましいのでしょうか?」

 質問自体は(事前に考えていただけあって)まともなのだが、ライトの魔法を用いていることを一切説明せぬままそう問いかけたれたことで、ヴェルトールは若干混乱する。しかし、ここはあえてツッコまない方がいいと思ったのか、真剣な表情のままその問いかけに答えた。

「当然、その時々の状況に応じて、求められる魔法も役割も変わってきます。ですが、あえて絞るなら、私としては『魔法師の方にしか出来ないこと』が出来る方が望ましい。たとえば、戦場で敵を倒すことは『我々』でも出来ます。ちょっとした軽症を癒やす程度のことも、君主によっては聖印の力で可能となることもある。しかし、たとえば魔境で発生したハプニングへの対処や、瀕死の重傷者を救う時などは、魔法師でなければ対応出来ない。そういった『何らかの特化した特殊な才能を持つ人材』が沢山いてくれた方が、結果的に言えばより幅広く様々な事態に対応出来ます」

 ちなみに、エリーゼの父ヘルマンの筆頭契約魔法師であるヨハン・デュランは錬成魔法師であり、主に薬剤錬成の専門家である(ちなみに、戦災孤児だったユタを拾ってノギロに託した人物でもある)。高齢のヘルマンの体調管理が主な仕事であるため、契約後に生命魔法も習得するなど、まさに目的特化型の魔法師の典型例と言える。

「じゃあ、このライトの魔法はどうなんでしょう?」
「あー、まぁ、そうですね……、確かに、光を生み出した上で長期間維持するという能力は、君主や邪紋使いでは聞いたことがない。それは魔法師独自の力と言えるでしょう。魔境探索などの際には有用でしょうし、夜間の襲撃への対応としても役には立つと思います」
「ですよね!?」
「あなたが今、そうしてライトの魔法を使っているのも、この会場内で何らかの有事が発生した時に備えた上でのことなのですか?」
「それもありますし、輝いている人はかっこいいからです!」
「はぁ、そうですか……」

 ヴェルトールの中では、この時点でアーロンは有力候補者リストの中からの除外がほぼ決定していたのだが、アーロンはそのまま笑顔で話を続ける。

「ところで、かっこいいと言えば、執事さんはかっこいいですが、どうしたら執事さんみたいにかっこよくなれますか?」
「『かっこいい』の基準は人それぞれです。あなたが私のどこを見て『かっこいい』と思ったのかは分からないので、その答えはあなたの中にしかありません」

 どうやらヴェルトールとしては、相手をするのが面倒になってきたらしい。

「なるほど、人それぞれですか……、じゃあ、その……、あの……、エリーゼ様に『かっこいい』と思われるには、どうしたら……、いいでしょうか?」

 先刻までグイグイ遠慮なく迫ってきていたアーロンが、ここに来て急に恥ずかしそうな表情を浮かべながらそう問いかけてきたのに対し、ヴェルトールは軽くため息をつきながら応える。

「私には、お嬢様の心は分かりかねます。直接お伺いした方が早いのでは?」
「え? あ、いや、まぁ、それはそうかもしれませんけど……」
「引っ込み思案な男は、かっこよくないと思いますよ」
「……分かりました!」

 そう言ってアーロンが意を決してエリーゼの元へと向かって行く後ろ姿を微妙な表情で見送るヴェルトールに対して、今度は喫茶「マッターホルン」の店長代理を務める クグリ・ストラトス が語りかけてきた。

「この度は、お招き頂き、ありがとうございます。クグリ・ストラトスと申します。以前、アストリッド様の元で働かせて頂いていた時に、一度だけローズモンドには訪問させて頂いたことがあるのですが、さすがは『陸のエーラム』『海のローズモンド』と並び称されるだけあって、本当に多様な品々を取り揃えていらっしゃるのですね」

 テーブルに並べられた世界各地の料理を眺めながら、クグリは素直にそう感嘆する。ちなみに、彼女の故郷である極東の食材(魚介類、山菜など)も取り揃えられていた。

「お褒めに預かり、光栄です。名門ストラトス家を代表する俊英にそう言って頂けたこと、主催側の人間を代表して感謝致します」
「ローズモンドからこのエーラムまでの陸路はそれなりに距離もありますが、それでもこれだけの鮮度を保ったまま食材を輸送出来たのは、何か特殊な技術を用いられたのですか?」
「それに関しては私と担当ではないため、詳細は存じません。ただ、この日のために『特殊な運送業者』に依頼した、という報告は受けております」
「その業者の方がどういった方なのか、ということについて、お伺いすることは出来ますか?」
「残念ながら、その件の担当者は今日この場にはおりませぬ故、現時点で確認することは出来ません。ですが、もしあなたが今後、実地研修などで当地にいらっしゃることがあれば、その際には何らかの形でそういった様々な業者の方々とお話する機会も得られることでしょう」

 クグリとしては、今後のマッターホルンの経営にも役立てるような商品入荷ルートを探したいと考えた上での質問だったのだが、ヴェルトールとしては、そこから更に卒業後の彼女をそのままローズモンドに囲い込みたい、という思惑らしい。実際、海上交易の中心地であるローズモンドへの就職は、クグリの商才を活かすという意味でも、悪くない選択肢と言えよう。もっとも、今の彼女はまだ教養学部の学生にすぎない以上、どちらにしてもまだ当分先の話ではあるのだが。

 ******

「はじめまして、エリーゼ様! アーロン・カーバイトです!」
「あ、あぁ、えーっと、はじめまして……。って、あなたが来てから、なんか急に明るくなった気がするんだけど……、あ、いや、あの雰囲気とかの話ではなくて……」
「はい! それは、ボクが使っているライトの魔法の効果です」
「ライト? なんでそんな魔法を今……」
「輝いている男は、かっこいいからです!」
「あー、うん、そう……、そうなんだ……」
「エリーゼ様は……、その……、どんな人がかっこいいと思いますか?」
「え!? いや、急にそう言われても…………、そうね……、やっぱり、大人の男性よね。背が高くて、シュッとしてて、いつもは物静かというか、物腰柔らかなんだけど、いざという時は頼りになるというか……」
「つまり、執事さんみたいな人ですね!」
「い、いや! そうは言ってないけど……、ま、まぁ、でも、かっこいいと言えば、かっこいいかな、うん……。少なくとも、あなたよりはね!」

 二人がそんな会話を交わしているのを周囲の女学生達が笑顔で見守る。そんな彼女達の様子を、少し離れたところから眺めている青年がいた。テラである。
 実はテラは、比較的序盤の段階でエリーゼへの挨拶は済ませていた。しかし、ただでさえ他の学生達よりも年長で、かなりの長身である上に、その時も「名前」しか名乗らなかったため、エリーゼの中ではクリストファーやシャーロットと同じ「魔法学生」とは認識されず、どこかの貴族か、もしくは貴族の名代として出席した現役の契約魔法師であろうと思われていた。
 その後、テラはこの華やかな会場の中で自分がどう立ち振る舞えば良いか分からず、終始壁際で腕を組み、黙って周囲の状況を見守っていたのだが、そんな中、エリーゼを取り囲む人々の中に、ティトの姿を見つける。実はテラとティトは、以前に不明図書の探索にあたっていた際に図書館で邂逅し、その際にテラにしては珍しく彼女とそれなりに言葉を交わし(その経緯はdiscordみながくサーバーのロールプレイチャンネル「図書館」&「寮の任意の部屋」の4月27日のログを参照)、テラの中では彼女は他の学生達とは異なる「特別な存在」となりつつあったのである。
 テラはそんなティトの姿を思わぬ形で発見したことに驚きつつも、楽しそうに皆と談笑している彼女を微笑ましく見詰める。すると、そんな会場内で唐突に「奇妙な音色の音楽」が聞こえてきた。

(この音色は……、笛? いや、少し違う……?)

 旋律自体は、この世界ではポピュラーな三拍子の古典曲であり、社交界では円舞曲としてよく用いられることで知られている。皆がその音のする方向に視線を向けると、そこにいたのは発明少年 カイル・ロートレック であった。彼の傍らには、台車に載せられた大きな「箱」が置かれている。

「皆さん、聞いて下さい! オルゴールの原理を応用して、この箱の中に何本もの笛を内蔵した、俺の自作の『手回しオルガン』です!」

 それは、ヴィッキーが図書館で探したオルゴールに関する資料を元に、ロゥロアに音程の調整を依頼するか形で完成させた代物である(その経緯はdiscordみながくサーバーのロールプレイチャンネル「出張購買部」の5月26日〜5月27日のログを参照)。当初はこのパーティーとは関係なく作成していたが、ちょうど完成したのがこの誕生会の直前であったため、試運転の機会として丁度良いと判断したらしい。
 箱には装飾の一環として「小さなオルガン」と「それを引いている人形」が付随しており、ハンドルを回すことによってその人形が連動してオルガンを引いているような動きを見せる。いかにも連合系の華やかな貴族の社交界で好まれそうな、精巧かつ優美なデザインであった。
 そして、パーティー会場で円舞曲が流れれば、必然的に貴婦人達をダンスに誘うのが名門貴族の青年達の嗜みである。参列した若い貴族達が手を取り合って踊り始めていく中、エリーゼはおもむろに目の前にいたアーロンに対して、少々ぶっきらぼうな様子で手を差し出す。

「え……?」

 突然のことにアーロンが戸惑っていると、エリーゼは声を荒げる。

「え? じゃないでしょ! あなたがたまたま目の前にいるから、私と一番最初に踊る栄誉を与えてあげようって言ってるのよ!」
「ほ、本当にいいんですか! やったー! ぜひ、お願いします!」
「あー、もう、はしゃぐんじゃないわよ! みっともない! で、あなた、ワルツのステップの取り方とか分かるの?」
「分からないので、教えて下さい!」
「ったく、しょうがないわね……」

 エリーゼはそう言いながら、アーロンをリードするようにダンスを踊り始める。なお、彼女のこの行動の背景には「最初に踊る相手を貴族達の中から選ぶと、誰を選んでもカドが立つので、男子学生達の中から選ぶべき」というヴェルトールからの入れ知恵もある。そして、年齢的にはエリーゼと同い年だが、精神的にはまだ明らかに幼いアーロンが相手ということであれば、いずれ彼女との縁組を密かに目論んでいるであろう参列者の目から見ても「微笑ましい光景」にしか見えないため、結果的に彼女のこの人選は、この場を丸く収める上で大正解であった。
 一方、そんな彼女の様子を見て一安心したヴェルトールは、参列した貴婦人達からの「誘ってほしい」という視線を受け流しつつ、目の前にいたクグリの手を取る。

「私と踊って下さいませんか? マッターホルンのお嬢さん」
「よろこんで」

 クグリも商売の関係上、社交界での最低限の礼儀は心得ている。極東人のリズム感は三拍子には合わないとも言われているため、彼女が無難に踊れるかどうかは不明ではあるが、この機にこの執事との関係性を深めておくことは、彼女の人生にとっても様々な意味でプラスになることは間違いない。
 そして、そんな流れの中、日頃は決して自分からは動き出さないテラが、一念発起してティトに声をかける。

「踊って頂けますか?」
「は、はい……。よろしく、お願いします……」

 ティトも少し戸惑った様子であるが、喜んで彼の手を取る。かなり身長差のあるペアではあるが、もともと名家の出身であるテラには、女性をリードする心得自体は備わっている。今までの彼に足りなかったのは、その一步を踏み出す勇気だけであった。ぎこちないティトのステップを巧みに誘導しつつ、手慣れた手解きで不慣れな彼女を優雅に踊らせていく。

「衣装、よくお似合いですよ。可愛らしいですね」
「ありがとう、ございます……」

 そんな二人の様子を羨ましそうにヴィルヘルミネは眺めつつ、せっかく自分も社交界の礼儀作法を学ぶためにこの場に来た以上(そしてケネスからも最低限のダンスの手解きは受けてきた以上)、ここで誰かと踊らなければ意味がないと思い、ひとまず近くにいたクリストファーに声をかける。

「あの、よろしければ、わたくしと……」
「え? オレ?」

 クリストファーは、自分が誘われるとは全く想定していなかったようで、率直に驚いたリアクションを返す。

「あ、ごめんなさい。こういうのって、女性の方から誘うのは無作法なんでしたっけ……」
「いや、別にそんなことはないと思うけど……、うん、まぁ、せっかくだから、じゃあ……」

 そう言って、クリストファーは彼女の手を取る。正直、こういった優美な文化は彼の気性には合わないが、勇気を出して誘ってくれた少女の想いを無下にするような性格でもない。とはいえ、やはり苦手なものは苦手なようで、身長差もあってバランスが取りにくいのか、足を引っ掛けてしまいそうになる。

「あ、わりぃ!」
「大丈夫です。わたしにはご先祖様から引き継いだ異界のステップ感覚がありますから」
「そういえば、キミは投影体の末裔なんだっけ」
「はい。じいちゃんの代までは、うさぎのようなふわふわのお耳でした」
「その異界の話は、ぜひ後で詳しく聞きたいな」

 二人がそんな会話を交わしつつ、たどたどしく踊っているのを横目に、ここまで周囲の観察に徹していたジョセフの中でも、少し焦燥感が生まれてくる。

(やはり、こういう場に来たからには、誰も誘わずただ棒立ちしているというのは、無作法なのだろうか……、しかし、さすがに見ず知らずの女性にいきなり声をかけるというのも……)

 そんな逡巡した気持ちを振り払いつつ、ひとまず彼はこの場にいる中で比較的見知った存在であるシャーロットに声をかける。

「あー……、あの、シャーロット君……、よろしければこの私、ジョセフ・オーディアールと、その、一曲、踊って頂けないだろうか?」
「はい、よろこんで」

 いつもは緊張して醜態を晒すことも多いシャーロットだが、この日は本来の彼女の土壌である貴族の社交界である。「貴族としての自分」は既に捨てたつもりでいたシャーロットであったが、やはりその身体にはまだ昔取った杵柄が染み付いているようで、彼女は自然と優雅にジョセフの手を取り、華やかな仕草でジョセフの腕に包み込まれながら踊る。いつもとは異なるドレス姿の彼女に、ジョセフは戸惑いと何かが織り混ざったような感情を抱いていた。
 こうして他の学生達が次々と踊り始めていく中、ゴシュはおもむろに、近くにいたエルに声をかける。

「なぁ、せっかくやし、ウチらも踊っとく?」
「……そうですね」

 正直、ゴシュもエルもこういったことには全くもって不慣れである。しかし、だからこそ逆に気楽でもあった。二人は何をどうするのが正解なのかもよく分からないまま、なんとなく周囲の雰囲気に合わせて「ワルツを踊ったような気分」に浸りつつ、初心者同士のペアならではの「なんかよく分からないけど、ダンスって楽しいかも」という気持ちを満喫していた。

 ******

 こうして、最初の円舞曲を踊り終えたところで、カイルが次の曲の選定を始め、青年貴族達がシャーロットの次の相手の座を狙って微妙な距離感を保ちながら牽制し合っている中、テラは万感の思いを込めた表情で、ティトに語りかける。

「ありがとうございました。……久し振りに話せて、良かった」

 そう言って、テラは会場から立ち去ろうとする。まだパーティー自体は続いていたが、既に翌日の予定のある者達は帰り始める時間であり、テラとしても、もはやこれ以上、この場でやり残したことは何もなかった。

「あ、はい……。私も、楽しかったです。よろしければまた……」

 テラの背中に対して、彼に聞こえているかどうか微妙な声量でティトがそう告げる一方で、その隣にいたジョセフとシャーロットのペアは、窓の外(邸宅の中庭)で、何やら不穏な人影が会場内を覗いているのを発見する。二人共この会場内で何か不穏な動きがあった時は「エーラムの(見習い)魔法師」として対応しなければと思い、パーティーを楽しみながらも周囲に気を配っていたのである。

「シャーロット君、あれは……」
「事件の臭いがしますね……」

 二人は軽くそう言葉を交わすと、帰宅するふりをしてホールの外に出て、そして窓の外の庭の方面へと向かおうとする。その過程で、シャーロットは鞄の中から「エーラム制服」の上着を取り出して、走りながらドレスの上から羽織り、そして、風紀委員腕章を装着する。
 そして中庭に到着した時点で、そこに確かに「不審な雰囲気の男」がいることを確認したシャーロットは、即座に叫んだ。

「このエーラムで不届きな行為は許しません。我々は世界を律する魔法師であり、私は風紀委員なのですから!」

 彼女はそう言うと、その男は逃亡しようとする動きを見せるが、彼に対してシャーロットは覚えたばかりのスリープの魔法をかける。だが、その男はその睡眠幻覚に耐えきった上で、シャーロットに向き直った。

「魔法師か、厄介だな……。では、まずその口を切り裂かせてもらおう!」

 そう言って、逆にシャーロットに対して襲いかかったのである。

「ふぇぇぇぇぇ!?」
「シャル君!」

 ジョセフがそう叫んで、彼女を庇うように男の前に立ちはだかろうとしたその瞬間、そのジョセフよりも一步早く後方から走り込んだ「影」がその男の前に現れ、その喉元に短剣を突き刺した。

「がはぁっっ!?」

 声にならない声を叫びながら、その男はその場で倒れた。そして、月明かりに照らされることでその「影」の姿がジョセフの目にはっきりと映る。

「ヴェルトール殿!」
「お二人共、お怪我はありませんか?」

 ヴェルトールはそう言いながら、血しぶきが飛び散らないように気をつけつつ、ゆっくりと「不審な男」の喉に刺さった短剣を抜き取る。この時点で、既に男は完全に絶命していた。ここに至るまでのあまりに俊敏すぎる動きから、ヴェルトールが少なくとも「ただの人間」ではないことが伺える。そして、聖印を発動させた形跡は見えないので、おそらくは(全身の肌を隠す服を着ているが故に確認は困難だが)邪紋使いなのであろう。実際、名門貴族の執事の大半は「シャドウの邪紋使い」であるという俗説もある。

「私は大丈夫です」
「私も、おかげ助かりました。この男は何者なのでしょう?」

 シャーロットにそう問いかけられたヴィクトールは、男の身なりや手持ちの物品を確認しながら答える。

「分かりません。ただ、このようなことは現代の社交界では決して珍しい話ではありません。お嬢様が狙われたのか、他の来客の誰かを狙っていたのかは分かりませんが、いずれにせよ、お客人に手を挙げた時点で、こうせざるを得ませんでした。生かして捕らえて情報を吐き出させるべきだとは思いましたが、私はどうにも手加減が苦手なもので」

 淡々と淡々とそう答えながら、ひとまず男の遺体を確保した上で、遅れてやってきた部下の使用人に、その遺体をどこかへ運ぶように命じる。

「ともあれ、お二人が走り出してくれなければ、私が気付くのが遅れて、大惨事になっていた可能性もあります。お嬢様を不安にさせたくないので、このことは公にする訳にはいきませんが、私個人としては深く御礼を申し上げますし、いずれこの借りは返させて頂きます。シャーロット・メレテス殿。そして、ジョセフ・オーディアール殿」

 そう言ってヴェルトールは二人に深々と頭を下げる。そんな彼等の様子に、窓越しにホールの中から気付いていた少年がいた。

「かっこいい……」

 アーロンである。窓の外で何が起きていたのか、正確には把握出来ていなかったが、これ以降、彼の中で「執事=かっこいい」というイメージが、より一層深く刻み込まれることになる。

 ******

 こうして、中庭で起きていたことには殆どの者達が気付かないまま祝宴は続き、そして閉幕の時間を迎える。年少ながらも最後まで参加し続けたヴィルへルミネは、改めてエリーゼに頭を下げた。

「わたくし、何か失礼なこと申したりしていませんでしたか……?」
「いいえ、とても楽しい時を過ごさせて頂いたわ。今度、あなたのその髪飾りを私にも作って下さらない?」
「はい! いつでもお申し付け下さい!」

 ヴィルへルミネはそう言って、一人静かに帰路につく。そして、寮の近くにあるクレセントが管理する土地の一角にある、彼女が植えた異界の蝋梅の木の前に立ち、おもむろに祈祷の呪文を唱え始めた。

「土神(テヌカミ)よ、此の生命、芽吹き花咲かんことを。畏み畏み申す!!」

 彼女のこの声が届けば、きっと数日中に再び花が咲くことになるだろう。エリーゼのふわふわの髪質に合わせて飾るには、どんな形の髪飾りにすべきか、ということを考えつつ、心地良い疲労感に包まれながら、ヴィルへルミネは寮へと帰り着くのであった。

4、躍動する宣教師

 ここ最近、エーラム近辺の村で、聖印教会を信奉する村人達の数が増えている、という噂が魔法学校内でも広がりつつある。聖印教会とは、エーラム魔法師協会と対立する宗教組織であり、その教義は各地方ごとに様々ではあるが、総じて言えるのは「人為的な混沌利用(魔法、邪紋、友好的な投影体の活用)」に対して否定的で、皇帝聖印(グランクレスト)を作り上げることを至上命題としている点である(ただし、前者については信者の間でもかなり温度差がある)。
 その中心にいる人物の名はプリシラ・ファルネーゼ(下図)。「ファルネーゼの聖杯」という異名を持つ彼女は、(幻想詩連合から離脱した第三勢力である)アルトゥーク条約の設立者テオ・コルネーロの側近として、アトラタン大陸の南方に位置するシスティナ島を転戦中と言われていたが、その彼女が最近、なぜかエーラム近辺の村々を回って信者を増やしているらしい。
+ プリシラ

 その中でも、現在最も多くの信者が集っていると言われるエーラム近郊のとある村の広場で、この日、プリシラが新たな信者を集めるべく説法をする予定だという話を聞きつけた魔法学校の学生達は、ひとまず聴衆達に紛れる形で彼女の話を聞きに行くことにした。すると、そんな彼等の存在に気付いたプリシラは、あえて彼等を挑発するような物言いで語り始める。

「わたしたち聖印教会の目的は、皇帝聖印(グランクレスト)を作ること。それだけです。
 魔法に頼って生きている限り、人は魔法を捨て去ることは出来ません。
 一度手にしてしまった便利な道具を手放すのは大変なことです。
 皇帝聖印を作るということは、聖印も魔法も邪紋も混沌も、全てを消し去るということ。
 あなたたちは本来の人生を捨てて、魔法師となるための道を選ばされた。
 そこまでして手に入れた魔法を世界のために捨て去る覚悟が、あなたにはありますか?

 なぜこの世界では1000年以上も戦乱が続いているのでしょう?
 始祖君主レオンによって聖印が作られてから1700年。
 君主の方々が真剣に話し合えば、皇帝聖印を作る機会はいくらでもあった筈。
 それが出来ないほど人間は愚かなのでしょうか? 私はそうは思いません。
 ここまで戦乱が続いているのは、この混沌の時代を終わらせたくない人々がいるから。
 皇帝聖印の出現を阻もうとしている人々がいるから。

 混沌の時代を望み続ける人々にも、相応の理由はあるのでしょう。
 たとえば、病気や怪我によって、魔法の力が無ければ生きていけない人達もいる。
 混沌の力が無ければ生きていけない人達もいる。
 そして、聖印の力のおかげで生きている人々にしても同じことです。
 皇帝聖印が完成すれば、混沌も聖印も全て消え、その人達は命を落とすことになる。
 皇帝聖印を作るということは、そういうことです。

 それでも、皇帝聖印は作らなければなりません。
 いくら聖印や魔法の力を駆使しようとも、この世界の全ての混沌に対応は出来ない。
 終わりなき混沌災害の時代を終わらせるには、皇帝聖印しかないのです。
 その過程で犠牲になる人々が生まれることは避けられない。
 わたしたちに出来ることは、せめてその人々の魂だけでも救うこと。
 世界を救うために皇帝聖印を作り上げることに納得してもらうことで、
 心安らかに旅立てるように導くことが、わたしたち聖印教会の役目です。

 あなたたちがそのことを理解した上で、皇帝聖印を作るために協力する気があるのなら、
 あなたたちに対して伝えるべきことは何もありません。
 あえて邪悪な魔法に手を染めた上で、自ら毒を以って毒を制す覚悟で、
 皇帝聖印成立のために尽力するというのなら、あなたたちの魂も救われるでしょう。
 わたしが「彼女たち」の存在を許容しているのも、彼女たちにその覚悟があるからです。

 ですが、あなたたちが混沌の時代の存続を願うのであれば、
 いつか「あの方」と共に、わたしはあなたたちと対峙することになるでしょう。
 1700年の時を経て、今、ようやく皇帝聖印への道が開かれようとしているのです。
 その道を閉ざすことは、許されません」

 彼女がそんな調子で演説を一通り語り終えたところで、まず最初に リヴィエラ・ロータス が真っ先に反発した。

「私は、皇帝聖印を作ること自体に反対する気はありません。でも、あなたの言うことには納得出来ませんし、あなたのことを信用も出来ません」
「あら? それはどうしてでしょう?」
「私が信仰している神様は、おそらくは異界から投影されてきた神様です。皇帝聖印が生まれれば、私の神様は消えてしまうでしょう。でも、神様が消えてしまうということと、その神様への信心が消える訳ではありません。だから、あなたの言うところの『魂の救済』などなくても、消えゆく投影体の魂は……」
「ちょっと待って下さい。私は『投影体の魂を救う』などとは言っていませんし、そもそも投影体に魂などありませんよ。投影体は、投影元の魂に似せた行動原理に基づいて混沌核が動かしているだけの存在です。彼等の魂は元の世界にあるものであって、この世界にはありません」

 プリシラにとって「救うべき魂」とは、あくまでも「聖印や混沌の力によって生かされている人達」である。リヴィエラはその中には「投影体」も含まれると考えていたようだだが、「混沌そのもの」である投影体は、プリシラにとっては「人」ではなく、そもそも救済の対象外であった。つまり、この点についてはそもそも根本的に相容れられない思考の持ち主なのである。

「……分かりました。その点に関しては、あなたとこれ以上話しても意味はないのでしょう。ただ、たとえ投影体の神様が消えてもその神様への信仰が消えないのと同じように、たとえ魔法が使えなくなっても、魔法を通じて学んだことが消える訳ではない以上、それは『魔法を捨てる』ということにはならないと思います。だから、『魔法を捨てる』という言葉には、私は納得出来ません」
「まぁ、あなたがそう仰っしゃりたいのなら、別にそれはどちらでも構いませんよ。私にとっては同義語ですから、『魔法を捨てる』という言葉を捨てて、『魔法が使えなくなる』という言葉に言い換えろと言うのなら、少なくともあなたの前では、その言い方を使うことにしましょう。もっとも、そもそもこれから先、あなたが私の話を聞いて下さる気があれば、ですが」
「それは、ここから先の私の問いかけへの、あなたの返答次第です」
「では、もう少しお伺いしましょう。他に何か気に触った話がありましたか?」
「私は、最初からそこまでの考えがあった訳ではないですが、自分で魔法師への道を選びました。『選ばされた』という訳ではありません」
「あなたがそう言うのであれば、そうなのでしょう、あなたの中では。ただ、全ての人がそうだという訳ではないでしょうし、自らの道を選べるだけの歳になる前に、親に売られるようにして連れてこられた方も多いと聞きます」
「確かに、そういう人もいるでしょう。でも、全ての人がそうだと決めつけるのは暴論です」
「そうかもしれませんね。私としては『そういうこと』にしておくことによって、、魔法師の皆様が『邪悪な魔法』に染まってしまった罪を少しでも軽く解釈すべきかと思っていたのですが」
「そこです! その『邪悪な魔法』という言葉! 魔法のことを知ろうともしないで、『邪悪な魔法』だと決めつけるのならば、実態もなくおとぎ話でしかない上に、役割を果たすと消えてしまうであろう皇帝聖印は、消えた後に一体何を残すのですか?」
「皇帝聖印が消えた後に残るのは『混沌のない平和な世界』です。それは、あなたの中での『投影体への信仰心』や『魔法を通じて学んだ記憶』よりも、よほど価値のあるものだと思いますよ。世界中の、あなた以外の人達にとっては。それに、魔法のことを調べもしないで、とおっしゃいますが、では、あなたは魔法が邪悪な存在ではないと、どうして言い切れるのですか? 誰がいつ魔法を生み出したか、ということを調べたことはあるのですか?」
「それを言うなら、邪悪な存在だという証明も出来ていないでしょう?」
「少なくとも、唯一神様はお認めになられていません。その声すら聞こえていないあなたは、そもそも善悪を判別するための出発点にすら立っていない、ということです」

 このような宗教的論理を振りかざされると、もはやいくら議論しても不毛だということは誰の目にも明らかである。リヴィエラの中ではプリシラへの不信感と不快感だけが募っていくが、そんな彼女に対して、プリシラは涼しい顔を浮かべながらこう告げた。

「その上で、あなたが『魔法は邪悪ではない』と主張し続けたいなら、別にそれでも構いませんし、私はあなたのその思い込みを無理に正すつもりはありません。そして、わたしのことは嫌いでも、私は一向に構いませんよ。わたしも、魔法師の皆さんのことは嫌いです。でも、たとえ嫌いな人達でも、皇帝聖印の成立を目指しているのであれば、啀み合う必要はないです。世界を救うための皇帝聖印の成立の前では、個人の感情など、大した問題ではありません。まさか、理性を以って世界を統治していると自負されているエーラムの方々が、個人の好き嫌いの感情を世界の平和と安寧よりも優先する、などと言い出すことは無いだろうと、私は信じていますから」

 あくまでも挑発的な言い方を続けるプリシラに対して、ここで エンネア・プロチノス が根本的な疑問を投げかける。

「そうですね。自分も混沌の害を身に染みて知っていますから。混沌を排除することには異論はないです。しかし、混沌を排した後に今信じられている自然律が残っているとなぜ言えるのでしょうか? 確かめたのですか? もし、それがもともとこの世にあった自然律だということを導き出した実験や思考があるならば、自分も確かめようと思索する身としてはぜひ教えていただきたいのですが」

 エンネアはそもそも「混沌が消え去る前に『本来の自然律』が存在していた」というエーラム内の学説自体にも懐疑的であり、その意味では、彼の立場はこの場にいる者達の中で最も中立的である。彼は何も信じてはいない。だからこそ、全ての主張に対してまずは懐疑を投げかけるところから始まる。

「人には、それを確かめる術はありません。その道を示して下さるのは唯一神様のみです。唯一神様を信じる者にはその声が聞こえる。その声を聞くことで初めて、人は真理に到達することが出来るのです」

 プリシラは宗教家特有の理論でそう応える。彼女から見れば「経験的実証」など、何の意味もない。いくら過去のデータに基づいて世界の法則性を見出そうとしたところで、所詮、人間の解析出来るデータには限界がある、というのが彼女の理屈である。「今までそうだったから」という理論が「今後もそうなる」という結論に繋がると妄信すること、すなわち「経験的実証」の集積論としての「科学」と呼ばれる学問の方が、彼女から見れば非論理的な思考に思えた。

「あなたたちの唱える教えも軽く読みましたが、『名を忘れられし唯一神』もそれが与えたという聖印も、混沌によって投影された他の神格や遺物とどう異なるというのでしょうか?」
「唯一神様が他の『神と呼ばれる存在』と違うのは、聖印(クレスト)を人々に与えて下さったことです。確かに異界の『神と呼ばれる存在』の中にも、人間に対して協力的だった者はいます。しかし、彼等は所詮は混沌の産物であり、混沌を別のものに一時的に置き換えただけにすぎません。唯一神様は、その混沌を消し去ることが出来る、人々にとっての唯一の希望である『聖印』を人々に下さった。それこそが、唯一神様が唯一神様である所以なのです」

 確かに「聖印」という存在は、この世界においてあまりにも異質である。「(混沌を別の混沌に置き換えるのではなく)一切の混沌を浄化する『聖印』という存在を始祖君主レオンはなぜ作り出すことが出来たのか?」という点に関しては、この世界の誰も解明出来ていない。
 無論、それを「唯一神の賜物」と解釈する聖印教会の主張は「神の声が聞こえない者」からすれば、何の根拠もない妄言にすぎない。しかし、だからと言ってその代替となる理論をエーラム側が用意出来ている訳でもない。その意味では、エーラムが目を背けている問題に対して、「この世界において明らかに異質な力を与えた『何者か』の存在」を「神」の名の下で一つの仮説として完成させた聖印教会の主張には(真偽はともかく)一定の「理」が存在する。
 とはいえ、このような「確認しようのない問題」についての議論に興味を示す者は決して多くはない。 クリープ・アクイナス は、多くの者達が一番気になっている疑問を率直に投げかける。

「皇帝聖印ができたら、本当に混沌はなくなるのですか?」
「はい。むしろその点に関しては、唯一神様の声が聞こえないエーラムの人々がなぜ同じ認識を共有出来ているのか、ということが私には不思議だったのですが、あなたは違うのですか?」

 実際のところ、「皇帝聖印が生まれれば混沌は消える」という伝承は誰が言い始めたことなのかも分かっていない。少なくとも聖印教会が結成されるよりも遥か昔からエーラム内ではその仮説は「自明の理」とされており、その仮説に基づいた「皇帝聖印を巡る争い」が1000年以上も繰り返されてきた。
 だからこそ、聖印教会の一部では「エーラムの魔法師達にも、本当は唯一神様の声が届いているのではないか?」「唯一神様の存在を理解した上で、皇帝聖印の成立をあえて阻止して自分達による実質的な世界支配体制を維持するために、君主達を潰し合わせて不毛な戦いを繰り返させているのんではないか?」といった仮説を唱える者もいる。
 とはいえ、クリープが聞きたかったことの本題は、そこではない。

「いや、その、実際に皇帝聖印が作られたことがないから、私には確かなことは分からないんですけど、もし全ての混沌が無くなるとしたら、それは、この世界にとって無害な投影体も殺してしまう、ということですよね?」

 この点については、先刻のリヴィエラとの問答の中で微妙に流されていた問題だったが、プリシラはここで改めてはっきりと断言する。

「殺す、という表現は適切ではありませんね。彼等はそもそも、生き物ではありません。他の世界に存在する生き物の姿を模して出現した『混沌の塊』にすぎません。生命や魂が存在するのではなく、生命や魂が存在するかのような錯覚を混沌が与えてしまっているだけです」

 この理論に関しては、エーラム内における見解とも概ね一致している。ただ、クリープには「生命や魂があること」と「生命や魂が存在するように見えること」の違いが分からない。幼い頃から故郷で「異界の神格」の加護を受けて育った身である彼にとっては、「この世界固有の生命体」も「混沌による投影体」も「そこに実存しているもの」という意味では区別が出来ない。
 そして、投影体の話が出てきたところで、 ジャヤ・オクセンシェルナ も一つの疑問を問いかける。

「例えば……吾(あ)の身体には、混沌の血が流れている。もし今ここで皇帝聖印が成されたとしたら、吾はどうなる? 吾の血から混沌の力や魔法の素養のみが消えるのか、あるいはすぐさまに死ぬのか。汝(なれ)には分かるのか?」
「それは、私には確かなことは分かりません。ただ、もしそれが邪紋のような形であなたの身体を蝕んでいるのであれば、私には、それを浄化することが出来ます」
「なに!?」

 今、プリシラは「邪紋のようなものであれば浄化出来る」と言った。一度身体に刻み込まれた邪紋は二度と浄化出来ないというのが、この世界の常識である。

「実際に、これまでにも私は何度かそういった方々の身体から邪紋を消し去ることで、混沌から解放してきたことはあります。とはいえ、邪紋は本人の意志によって生み出されたものですので、本人がその力を手放そうと願わない限りは難しいですから、あまり私に救済を求めようとする人は少ないのですが……」

 果たして彼女の言っていることが本当なのか虚言なのかは誰にも分からない。あまりにも平然と非常識なことを口にした彼女に皆が呆然とする中、彼女はそのまま話を続ける。

「いずれにせよ、そのような形で『身体を蝕んでいた混沌』のみを消し去ることは私でも出来たことです。あなたの場合は、見たところまだそこまで末期的に混沌に侵された身体ではないようですから、皇帝聖印によって『あなたの中の混沌』が消え去ったところで、あなたの命自体に危険が訪れる可能性は低いでしょう。むしろ心配なのは、あなたの方です」

 そう言って彼女は、再びクリープに視線を向ける。

「え? 私?」
「あなたの身体には、少なくとも二つの混沌の力が宿っている。一つは、あなたを守ろうとする力。もう一つは、あなたの力を引き出そうとする力。一つ目の方はさほど問題ではありませんが、二つ目の方は危険な存在です。私もこれまでに感じたことのない、禍々しい気配を感じます。いわば、身体の内側で邪紋を生成しているような……」

 彼女が何を根拠にそう言っているのかは分からないが、一般的に、聖印の力では混沌を探知することは出来ない筈である。そのため、他の者達には彼女の言っていることには何の説得力も感じられなかったが、クリープ自身には確かに心当たりがあった。一つ目の力は、おそらく子供の頃から宿っている故郷の神格の加護。そして二つ目は……。
 微妙な空気が広がる中、ジャヤは話を本体に戻す。

「ともかく、吾に限った話ではない。混沌は世界中どこにでもある。大地にも空にも満ちて、あらゆる理に差し障っている。だからこそ吾らは魔法を扱えるのだ。皇帝聖印が成されれば、世界から混沌と聖印の力が消える。果たして『それだけ』で済むのか? その『それだけ』が一体どれだけのことなのか、汝らには分かっているというのか? エーラムのいかなる魔法師にすら未だ分からないというのに?」
「確かに、そこまでは唯一神様は教えては下さいません。しかし、その点に関しては今あなたがおっしゃったようにエーラムの人々も同様の筈。それでも皇帝聖印を作って、この世界から混沌を消し去らなければならない、という方針自体はあなた方も変わらないと思っていたのですが、そうではないのですか?」
「吾は何も、『混沌災害を引き起こす元を断たねばならない』という汝らの考えを否定するつもりはないぞ。それで本当に混沌災害から人々が守られるのなら賛同したいくらいだ。だが、汝らが混沌とは如何なるものかを理解しないままに他者への犠牲を求めるなら、吾は汝らとは決して相容れぬ!」
「そもそも我々人間には、この世界そのものの真理を完全に理解することなど出来ません。それが出来ると考えるのはあまりにも傲慢です。そして、その『見える筈のない未来』をいずれ解明出来ると盲信して、それが解明されるまでこの世界の混沌を放置し続けるという愚行を、あと何百年繰り返すつもりなのですか? あなた方魔法師は、そうやって事態を先送りさせるだけで……」
「あー、まちーや! ちょっと落ち着こ! な?」

 そう言って、 ヴィッキー・ストラトス が割って入る。

「ウチら、別に喧嘩しに来た訳やあらへんのやから。穏便に、な?」

 ジャヤもプリシラも納得していない様子ではあったが、互いにこれ以上話しても分かり合えないことは理解したようなので、一旦口を噤む。その上で、 マシュー・アルティナス がなだめるような口調でプリシラに語りかける。

「聖印教会にも様々な立場の方がいるそうですが、プリシラさんは魔法師の存在そのものを全面否定している訳ではないんですよね? 僕達の先輩であるシルーカ・メレテスという方と協力している、という話は伺っています」

 プリシラは現在、テオ・コルネーロという君主と協力関係にある。彼は平民出身でありながらも自力で混沌核から聖印を作り出し、現在は幻想詩連合と大工房同盟の対立を解消させるための第三勢力として「アルトゥーク条約」を結成し、両陣営の盟主同士の和合による平和的な皇帝聖印の実現を目指している。それは確かに聖印教会の理念に合致する方針であり、だからこそプリシラはテオに協力しているのだが、そんなテオの契約魔法師がシルーカ・メレテスである。
 このシルーカこそが、以前にマシューが口論に巻き込まれた際にジェレミーが話題にしていた「君主と恋仲になっていると噂されている先輩」であり(先日の口論の後、マシューも人伝にその話は聞いていた)、テオを聖印教会に正式に入信させようと目論むプリシラとは犬猿の仲と言われているが、それでも彼女達は共にテオの旗の下で戦い続ける同志であることでも知られていた(彼等についての詳細は『グランクレスト戦記』全10巻を参照)。

「私は今でも彼女のことを認めた訳ではありません。でも、彼女はテオ様と共に、皇帝聖印を本気で作ろうとしている。その点だけは評価しています。それは、テオ様の周りにいる他の魔法師や邪紋使いの方々も同じです。あの人達はテオ様と共に、本気でこの『混沌の世界』を終わらせるために戦っている。だからこそ、私も、そして唯一神様も、あの方々に力を貸しているのです」

 プリシラがそう言ったところで、今度は バーバン・ロメオ が手を挙げた。バーバンは、彼女が言うところの「『混沌の世界』を終わらせるための戦い」という言葉が、少し引っかかったらしい。

「オデは、この世界が平和になればいいと思ってる。だがら、プリシラサンが言うように皇帝聖印が出来て、魔法がなくても生きていける世の中になるなら、ぞれもいい。でも、ぞのために戦争が続いて犠牲が増えるのは、納得でぎねえ」
「確かに、人と人の争いは不毛です。だからこそ私達は説得によって平和的に皇帝聖印を作ろうとしてきた。しかし、エーラムの人々はあの手この手でその道を塞ぎ続けてきた。だから今はやむなくテオ様に協力して、一刻も早くこの戦争を終らせるための戦いに協力しているのです」

 実際のところ、エーラム魔法師協会は聖印教会には否定的だが、皇帝聖印の形成そのものは建前上は否定せず、むしろそれこそが魔法師協会の最終目標だと主張している。だが、本気でそれを実現しようとしているかを疑問視する声は聖印教会以外にも存在するし、実際にクリープやジャヤのように(否定的とまではいかないまでも)慎重な姿勢を示している魔法師がいることも事実である。そして、バーバンもまた「皇帝聖印を作るための戦い」には懐疑的であった。

「ぞもぞも、ぞこまでじてこの世界を変えなきゃ駄目なんでずか? 戦って、沢山人が死んで、ぞの先に、本当に平和な世界がぐるんでずか?」
「私も、出来ることなら平和な話し合いで解決したいと思っています。でも、さっきも言った通り、それを邪魔しているのはエーラムでしょう? 世界中の君主の人々に魔法師を送りつけて、相争わせて……、まぁ、組織の末端にいるであろうあなた達に言っても、仕方のないことかもしれませんが」

 実際、バーバンは何も知らない。彼はただ「皆を救うための魔法を覚えたい」という一心でエーラムに来ているだけの身であり、エーラムの中枢部がこの世界をどうしようと考えているかなど、微塵も理解していない。もっとも、それはバーバンに限った話ではなく、大半のエーラムの魔法師達は、最高決定期間である賢人委員会の真意など分からないまま、世界各地の君主達の勢力争いに協力させられているのが現状であった。

「人ど人が話し合ってわがりあえないことがぞんなにあるんでずか? オデの周りでもみんながみんな仲がよがったってわけじゃないげど、誰かと誰ががそんなにもわがりあえないっでのはオデにはわがらない……。それに、魔法が無くなると、魔法の力で生ぎてる人達も……」

 実際、たとえば現在のエーラムにおける高等教員アルジェント・リアンのような「魔法の身体」で生き永らえている存在は、どうあってもその命を保つことは出来ない。

「はい。それは致し方ありません……」
「ぞんな犠牲を出してでも、この世界を変えなきゃ駄目でずか? 今の世界のまま平和にすることは出来ないでずか?」
「残念ながら、混沌災害は元を断ち切らなければ、未来永劫、更なる悲劇を生み続けることになります」

 この点のジレンマに関しては、エーラム内でも頻繁に議論になる点である。なお、この点に関してアルジェント自身は「魔法はそもそも、混沌災害を止めるために生み出されたもの。私の心配をして皇帝聖印を作るのをためらうなど、本末転倒も甚だしい」と語っており、今の彼の「義体」の生成者である実弟メルキューレもその兄の意見を尊重すると言っているが、彼等(特に弟)の本音は不明である。
 そして、このタイミングでヴィッキーが改めて口を開く。

「プリシラさん、あなたの仰りたいことはわかりました。しかし、私たちはまだ若輩者です。これから進む学科も決められていない者が多いのに、そんな未来のことなど、今説かれてもわかりません」
「まぁ、それは確かにそうでしょうね」
「私たちが考えるべきは、『今何をすべきか』だと思います」
「『今』ですか……」
「はい。混沌がなくなってしまえば、病気や怪我を魔法の力で治療し、延命している人は亡くなってしまうでしょう。でもそれだけではなく、この世界の各所で人々の営みを支えてきた混沌や投影体の力もなくなってしまい、経済や社会の仕組みが大きく揺らぐことになるのではないでしょうか。それこそ、今以上の混乱の世になってもおかしくないと思います」
「その通りです。だからこそ、私は今の段階から、魔法に頼らない生活への転換を皆さんに促しているのです」
「それはたしかに、混沌がなくなった後のことを考えるのであれば正しいことでしょう。しかし、あなたの言う『便利な道具』を捨てた後、どうやって生きていけばいいのか。それを考え、人々に説くことも必要なのではないでしょうか? 皇帝聖印のことは、正直なところ私にはわかりません。でも混沌が消えても消えなくても、必要なものを『知る』ということは重要なのではないでしょうか」

 彼女はそう言った上で、『ヴィッキーのパーフェクト基礎自然科学教室』と書かれた紙の資料をプリシラに手渡す。

「これは?」
「私たち魔法師とあなたたち聖印教会は分かり合えないかもしれませんが、少なくとも互いに役立ち、未来のためにも必要なものを知ってほしいと思います」
「それはつまり、エーラムが抱えていると言われる門外不出の『混沌爆発(カオティック・バン)以前の時代の記録』ということですか?」

 今から約2000年前に発生したと言われる「混沌爆発」以降、この世界に混沌が満ちてしまうようになったが、それ以前の時代は「自然律」が存在し、そこでは経験的実証に基づく「自然科学」という学問が今よりも遥かに発展していたと言われている(無論、エンネアのようにその学説に異論を唱える者もいるが)。

「あ、いや、そこまで大それたものではなくて、本当にもっと基礎的な自然科学の在り方を私なりにまとめたものです」
「つまり、あなたは、エーラムの所有している『混沌に頼らずに生きていくための知識』を対外的に開放するつもりがある、ということですね?」
「まぁ、許される範囲で、ではありますが……」
「そういうことならば、いずれその知識を、わたしたち聖印教会が主催する学術機関であるブレトランドの『神聖学術院』にでも伝えて下さい。彼等が目指していることは、まさにあなたと同じ『混沌なき時代を生きるための技術』の確立です」
「プリシラさん自身は、そういった技術には興味はないのですか?」
「私は、たまたま唯一神様の声が聞こえるだけで、決して頭はよくはないですから。難しいことは、頭のいい人達にお任せしています。彼等とあなたたちが手を取り合って研究を進めることが出来る未来が訪れれば、きっと混沌無き後の時代も人は生き抜くことが出来るでしょう」

 プリシラは笑顔でそう答える。その言い方はどこか他人事のような、まるで自分自身はその「混沌無き時代」を生きるつもりが無いかのようにも聞こえる微妙な言い回しであった。
 そんな彼女に対してヴィッキーが更に何か言おうとしたところで、それまで黙って話を聞いていた シャララ・メレテス が割って入る。

「その『神聖学術院』では、促成栽培に関する研究もやっているのだよ?」

 彼女は、先日覚えたばかりのキュアライトウーンズの魔法の力を用いてマンドラゴラの促成栽培計画を始めていた。しかし、まだそれだけでは足りないと考えた彼女は、先人の知恵を頼るべく図書館で様々な書物を読み漁っていたが、革新的な手法は見つからなかった。そんな中、近隣の村に「魔法に頼らず生きる道」を説く人がいると聞き、そこに新たな可能性があるのではないかと考え、今回のこの集会に彼女は参加していたのである。

「促成栽培、というのは、農業に関する話ですよね? そういうことでしたら、『エメラルドの生命学部』の方々がそういった研究は進めています。具体的にどれほどの技術が確立されているのかは分かりませんが、あなた方の中で『混沌に頼らない技術』の研究がある程度進んでいるのなら、互いに研究交流が実現することで、更なる技術の発達に繋がるかもしれませんね」
「それは非常に興味があるのだよ」

 シャララは「華道の才能がなかった自分が実家で虐げられていたこと」を当然と考えているのと同様に「混沌がなければ死んでしまう人がいること」は、そういうものとして受け入れて当然だと思っている。あるものは使うがないものはないで仕方がないという考えであり、混沌がない方が農地が安定するかもとは思うが、別に皇帝聖印についてはどちらでもいいと考えていた。「使えるものは使うだけなのだよ。ただ無くなってもいいように備えをしておくことは大切なのだよ」というのが彼女の持論である(唯一の懸念は、皇帝聖印が成立することでマンドラゴラが消滅する可能性である。その場合、七草粥に代わりに何を入れるべきか、というのが彼女の目下の課題であった)。
 とはいえ、現実問題としてエーラムの魔法大学とブレトランドの神聖学術院は犬猿の仲である。最近は水面下で交流が模索されつつあるという説もあるが、少なくとも一学生の身でそう簡単に「留学したい」などと言えるような関係ではない。
 その後も、プリシラと魔法学生達の間での問答はしばらく続いた。村人達の大半は、彼等の話す内容についていけずに徐々にその場から離れていったが、プリシラは学生達との(時に激しい)やりとりを楽しんでいるようにも見えた。
 やがて陽が落ちかけたところで、学生達はひとまずエーラムへと帰還することになった。そんな彼等に対して、最後にプリシラはこう告げる。

「エーラムの中にも色々な人々がいるということが分かりました。あなたたちが内側からエーラムを変えていってくれることを期待しています」

 そんな彼女の言葉に対して学生達がそれぞれに複雑な反応を内心で示す中、彼女はクリープに対してこう言った。

「私はまだしばらく、この村の近辺にいます。もし、あなたがその自分の内側の『邪紋のような力』を浄化したいと思ったら、いつでも尋ねに来て下さい」

 ******

 一方、 サミュエル・アルティナス は直接プリシラの元を訪れるのではなく、彼女の影響を受けた人々から話を聞いて回ることで、彼女の目的を推察しようとしていた。
 サミュエルには、わざわざこのエーラムのお膝元で、魔法師協会を挑発するように布教活動を展開している彼女の動向が、どうにも不自然に思えたのである。そこに何か裏の理由があるのではないかと考えた彼は、アルティナス一門の中でも筆頭格の実力者と言われるグライフ・アルティナス(下図)に相談してみることにした。
+ グライフ

「彼女は何を考えているのでしょう? もしかして、偽者という可能性もあるのは?」
「可能性としては確かにそれも否定出来ませんが、私が入手した情報によると、現在、それまで彼女と同行していたシスティナのテオ・コルネーロの元から彼女の姿が消えているそうです。その意味でも、おそらく本物ではないかと推測されます」

 グライフは魔法師協会のエージェントとして世界中を飛び回っており、エーラム内では誰よりも幅広い情報網を有していると言われている。

「なるほど……。しかし、だとすれば彼女の目的は何なのでしょう? 聖印教会は、何を考えているのでしょうか?」
「それは分かりません。ただ、聖印教会の中にも様々な派閥が存在します。彼女はその中でも『聖杯派』と呼ばれる特殊なグループの中心人物ですので、聖印教会全体の動きとは分けて考えた方が良いのかもしれません」
「聖杯派?」
「彼女は『ファルネーゼの聖杯』と呼ばれています。その言葉の意味するところは諸説ありますが、彼女の有している聖印、もしくは彼女自身が、皇帝聖印を作り上げる上での『器』となる存在だと、聖杯派の人々は認識しているようです。その根拠がどこにあるのかは分かりませんが」

 グライフからそんな話を聞かされたサミュエルは、改めてエーラム近辺で、彼女と接触したと思しき者達を探そうと試みてみたところ、どうやら彼女以外にも様々な宣教師達がこのエーラムの近辺には潜んでいるらしい、ということが分かる。彼等がプリシラを信奉する「聖杯派」なのかどうかは分からないが、彼等の足取りを追い続けたサミュエルは、下町の路地裏にて、隠れ信者達の集会場へと出くわしていた。彼等はサミュエルに対して、警戒した視線を向ける

「魔法師協会のガキか……」
「何の用だ! 俺達をしょっぴくつもりか!?」
「いくら弾圧されても、俺達は信仰は捨てないぞ! 皇帝聖印が実現するその日まで、絶対に希望は捨てない!」

 信者達がそう語るのに対し、サミュエルはあえて問いかける。

「皇帝聖印が果たされれば、混沌は本当に消えますか?」

 それに対して、この集会所の指導者と思しき人物が答えた。

「これは異な事を申される。皇帝聖印を生み出してこの世界から混沌を消し去ることは、あなた方魔法師協会にとっても悲願なのではありませぬか。今更そこを疑われるのか?」
「いえ、そういう混沌ではなくて。統治者の不在による民の不安、魔法の消失による連絡手段の喪失や、資源の枯渇。それらの結果として現れる、秩序の対義語としての『混沌』です。これらの混沌も同じく、収束すれば災害を生み出します」
「……つまり、皇帝聖印を作ったところで、それはまた『新たな種類の混沌』を生み出すだけで意味がないと、そう仰っしゃりたいのか?」
「いいえ、『だから皇帝聖印を作るな』という話ではありません。メリットとデメリットのどっちが大きいのかという話です。皇帝聖印が作られる前の混沌と、作られた後の混沌。果たしてどっちがより多くの悲劇をもたらすでしょうか? 犠牲者の数は? 経済的損失は? 流れる涙の量は? それらの具体的な試算や将来的な展望が、あなたたちにはありますか? 聖印教会はその答えを与えてくれましたか? もし、根拠なく皇帝聖印の完成を是とするなら。現在の混沌災害が無くなれば、今以上の平和が必ず訪れると思っているなら、オレからすればそんなの、ただの夢物語だ」

 サミュエルはそこまで言った上で、「と、思います」と続けようとしたが、その前に彼の発言に対して、信者達の怒りが爆発した。

「それはお前達も同じであろう! 混沌無き後の世界がどうなるかは誰にも分からない。しかし、少なくとも現状より悪くなるという確たる証拠もない!」
「だいたい、『今以上の平和』ってなんだ!? 今のこの世界のどこに平和がある? 堅牢な城壁に守られたエーラムの中にいるから、今のこの世界の地獄が分かっていないんだ!」
「そうだ! 現状は既に最悪だ。お前達のように特殊な才能に恵まれた者達には、我々が混沌災害でどれほどの地獄を見てきたかは分かるまい。それこそ、混沌が無くなった後、今以上の地獄が訪れるという数字を見せてみろ! それが出来ないのであれば、皇帝聖印の成立を邪魔する資格など、お前達にはない!」
「やっぱり、魔法師協会には皇帝聖印を作るつもりなんかない! こいつらは、自分達が支配するこの世界を守るために、これから先もこの世の地獄を放置し続けるつもりなんだ!」

 彼等が口々に叫び続け、反論する時間も与えぬままにサミュエルへと詰め寄る。そんな彼等の一部が、激昂してサミュエルに殴りかかろうとしたその瞬間、彼等は一斉に意識を失ってバタバタとその場に倒れ始めた。
 何が起きたのか分からずサミュエルが呆然とする中、静かに拍手をしながら一人の男が彼の前に現れる。その男は、女性のように長く美しい黒髪をたなびかせ、極東風の装束をまとい、そして右目だけが金色という独特の風貌であった(下図)。
+ 謎の男

「お見事な演説でした。あなたは若くして、既に世界の真理に到達している。そう、この世界は守らなければならないのです。皇帝聖印などというものを作り上げてしまっては、2000年前に混沌を生み出した『あの方』の思いを無下にしてしてまうことになる」
「あんた、一体なにも……」

 サミュエルはそこまで言いかけたところで、意識を失って倒れる。

「おや? あなたはスリープの範囲外になるように調整したつもりだったのですが……、狙いがずれてしまいましたか。これは申し訳ない」

 正確には、サミュエルが倒れた原因は「ただの持病」なのだが、この男はそのことに気付けなかったようである。

「とりあえず、お詫びにこれを差し上げましょう。いずれあなたが世界を守るために戦う時に、きっと役に立つ筈です」

 そう言って、男はサミュエルの上着のポケットに、小さな薬瓶を入れる。その上で、彼の身体を担ぎ上げ、近くの公園のベンチへと届けたのであった。

5、研鑽する魔法師

「感覚を研ぎ澄ます方法、ですか?」

 高等教員のクロードの元に、 テオフラストゥス・ローゼンクロイツ が訪問していた。彼は最終的に錬成魔法と時空魔法を極めようと考えているのだが、そのために必要な「感覚」の力が伸び悩んでいることに危機感を覚えて、『マギカロギア』の写本の件以来、色々と縁の深い時空魔法師のクロードの元を尋ねることにしたようである。

「確かにあなたの場合、座学に関しては申し分ないですが、それだけでは錬成魔法師としても時空魔法師としても十分とは言えません。新しい何かを生み出すにしても、未来を見通すにしても、そこでは常に『新しい刺激』を求める感覚が必要となるでしょう」
「新しい刺激、ですか……」
「えぇ。ですから、一度『書を捨て、町に出る』というのも良いかもしれません」
「ほう……?」

 テオフラストゥスは、クロードの背後に積まれている本の山に目を向ける。

「まぁ、私が言っても、あまり説得力はないでしょうけどね」

 実際、クロードはエーラムでも随一の読書家である。しかし、そんな彼だからこそ、逆にその言葉に重みがあるようにも思える。

「町でも山でも良いのですけど、とにかく外に出ることで、自分の周囲の諸々に対して目や耳を向けること。この世界を取り巻くありとあらゆるものに直に触れて、世界の多様性を知ることもまた、『世界を書き換える存在』としての魔法師にとって必要な素養と言えるでしょう」
「なるほど……」
「他にも、手先を使った趣味を身につけるのも良いかもしれませんね。料理とか、手芸とか。最近は手芸部に男の子も入ったそうですし。あと、最近は、ダーツやビリヤードなどの趣味に興じる貴族も増えているようですから、その辺りも嗜んでおけば、将来役に立つかもしれませんよ。まぁ、あなたはあまり契約魔法師向きではないかもしれませんけど……」

 クロードはそんな調子で様々な案を提案しつつ、ふと何かを思い出したかのように席を立ち、そしてしばらくして大量の「ボロボロの本」と共に戻ってきた。

「先程も言った通り、手先を使うことによって、人間の感覚は研ぎ澄まされていきます。そんな訳で、今から私と一緒に、これらの本の修繕を手伝って頂けますか? 正直、今のこの状態だと、手にするだけでパラパラと中のページが抜け落ちてしまって、困っていたんですよ」
「…………分かりました」

 こうして、今ひとつ釈然としない気持ちながらも、テオフラストゥスはまたしてもクロードの雑用に付き合わされることになった。それでも、確かにこの作業の過程で、確かに自分の中での感覚が少しだけ鋭敏になったような気がしたのは事実であった。

 ******

(注:このパートは、時系列的には「クエスト2」の本編とほぼ同時進行です)

「では、カウンターマジックの習得を希望、ということでよろしいのですね?」

 高等教員のノギロ・クアドラント(下図)がそう問いかける。この日は、先日の基礎魔法習得の試験を受けそこなった学生のための補習講義を開催していた。カウンターマジックとは、その名の通り、誰かが発動させようとした魔法を、発動前に打ち消す魔法である。

「はい。よろしくお願いします」

 そう答えたのは、自身の顔も隠れるようなフードを被った ゼイド・アルティナス である。彼は、先日出現しかけたガーゴイルに関する情報収集に書けくれている間に、肝心の魔法習得試験の申込期間を超過してしまっていたらしい。

「それにしても、珍しいですね。カウンターマジックとは。あなたは「戦うための力」を欲しているようでしたから、てっきりエネルギーボルトから入ると思ったのですが」
「自分が戦うべき相手は、異界から召喚されるガーゴイルと、そしてそのガーゴイルを召喚する闇魔法師です。だから、ガーゴイルを召喚する前に、まずその召喚魔法そのものを打ち消してしまえば良いかと……」
「なるほど、そういう訳でしたか……。ただ、問題が二つあります。一つは、カウンターマジックで打ち消せるのは、あくまでも瞬間的に発動する魔法だけなので、ガーゴイルの瞬間召喚であれば打ち消すことは出来ますが、固定召喚された従属体のガーゴイルには対応出来ません。そしてもう一つは、この魔法を成功させるには自分が相手よりも『格上』である必要がある、ということです。自分より実力が上の魔法師が用いた魔法を打ち消すのは、かなり難しいと言わざるを得ません」

 それが、この魔法が「最初に覚える基礎魔法」としては敬遠されやすい理由である。ある程度の実力が備わった後で習得するならばともかく、まだ実力も備わっていない駆け出しの魔法師が覚えたところで、実戦では殆ど使えないと言われている。
 だが、それでもゼイドはあえてこの道を選んだ。いずれ衝突は避けられない「ガーゴイルを呼び出す闇魔法師」との戦いに備えて、最短ルートでその混沌災害を防ぐ道はこれだと考えたのであろう。

「では、もう既に自主練は終わっている筈ですから、さっそく私の魔法を打ち消してもらいます。私はこれからあなたに、魔力を制御した状態でファティーグの魔法をかけます。それを、カウンターマジックで打ち消して下さい」

 ファティーグとは、相手の呼吸数や心拍数を乱す生命魔法である。この魔法をかけられると、身体の疲労が蓄積されやすくなり、特に魔法を用いる際の精神の消耗が激しくなるため、魔法師にとってはカウンターマジックと同等以上の天敵である。当然、ノギロに本気でファティーグを発動されたら、教養学部の学生では止めようがないため、一定程度手加減をして打つことになるが、それでも最低限の実力がなければ止められない程度の威力で、ノギロはファティーグを放った。
 それに対してゼイドは、目の前にいるノギロが闇魔法師だと想定した上で、全力でその魔法を打ち消そうと試みる。彼が全力でカウンターマジックの魔法を呪文を唱えた結果、ゼイドの身体には……………………、何も起きていなかった。彼のカウンターマジックは見事に発動し、ファティーグの効果を打ち消していたのである。

「お見事です。今の感覚を忘れずにいて下さい。カウンターマジックは、ある意味で『一撃必殺』の魔法です。少しでも相手の力量が上なら、全く意味を成しません。確実に、何が何でも止めるんだという全身全霊の気持ちを込めて放って下さい。そうすれば、きっと天運もあなたに味方してくれるでしょう」
「……ありがとうございました」

 そう言ってゼイドが立ち去ろうとしたところで、最後にノギロがもう一言、声をかける。

「とはいえ、カウンターマジックはあくまでも『対処療法』です。確かに強力ではありますが、先程も言った通り、既に固定召喚されているガーゴイル相手には無力ですし、これだけでは魔法師を倒すことも捕まえることも出来ません。そのことを踏まえた上で、次にあなたが学ぶべきことが何か、分かりますか?」
「エネルギーボルト、ですか?」
「いいえ」
「スリープ、ですか?」
「いいえ。もっと大切なことです」

 ゼイドが言葉に詰まる中、ノギロは端的に答えを告げた。

「次にあなたが学ぶべきは『集団戦の戦い方』です。魔法師は所詮、一人で出来ることには限度があります。自分の力を集団の中でどう活かすか、そのことを考えた上で、そのためにまず、今のこの魔法学校の中で自分が成すべきことは何か、そこから考えていって下さい」

 ノギロにそう言われたゼイドが部屋を去って行ったその直後、ノギロは、自分の身体が「ある信号」を受け取ったことに気付く。

(これは、まさか……、オーキス!?)

 そして次の瞬間、彼の魔法杖が反応した。高等教員のメルキューレ・リアンからの通信である。彼は現在、所用でエーラムを離れている筈であるが……。

「ノギロ先生。今、『彼女』からの反応が……」
「あなたも感じましたか……。私は今から即刻、競技場へ向かいます!」

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最終更新:2020年06月03日 06:53