『見習い魔法師の学園日誌』第9週目結果報告
0、旅行先選定
今年のエーラム魔法学校の「赤の教養学部」の修学旅行の行き先は、ブレトランド中西部のモラード地方(下図)に決まった。この地はかつては「トランガーヌ子爵領」の一部であったが、約3年前の戦争を通じて「アントリア子爵領」へと併合され、現在その大半の村々では同国の若き騎士達が領主を務め、彼等の契約魔法師としてカーバイト一門(カルディナ門下生「第一世代」)の面々が赴任している。
そして、これらの地域では様々な遊興産業が発達しており、今回の訪問先となるビルト、ウリクル、スパルタ、ソリュートの四村は、それぞれ温泉、ゴルフ場、蟹料理、紅茶が主産業として知られている(なお、他に「ウイスキー村」「競馬村」と呼ばれる地域もあるが、今回は教育上の配慮により、生徒達の訪問先からは外された)。学生達はそれぞれにこの四村の中から訪問先を一つ選ぶように命じられていた。
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男装少女ノア・メレテスは、溜まった課題に忙殺されていた。睡眠時間も削られ、やや意識が朦朧とする中、修学旅行の行き先をまだ提出していなかったっことを思い出し、慌てて鞄の底に埋もれていた「修学旅行のしおり」を取り出す。
自分の性別を隠している彼(彼女)としては、さすがに温泉という選択肢はあり得ない。ゴルフに関しては経験も無く、そもそもルールもよく知らない。そうなると、蟹か紅茶の二択になる訳だが、もともと甘い菓子類が好きな彼(彼女)としては、この機会に紅茶の村を訪問してみよう、と思い立つ。
「えーっと、紅茶の村の名前は……」
この時、連日の疲労で判断力が鈍っていた彼(彼女)は、「修学旅行のしおり」の表紙の地図上に表記されていた、それぞれの村の特徴を表す「記号」の意味を誤読してしまう。
「あぁ、この『ティーカップみたいな円』から『三本の湯気みたいなの』が出てるのが、『淹れたての紅茶』のマーク、ってことですね……」
その地図の左下に「ティーカップそのもの」が描かれた村があることにも気付かぬまま、彼女は「訪問先希望調査」の書類に「ビルト村」と書いて提出した。
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「うーん、温泉でゆっくりしたいし、ゴルフもやってみたいし、蟹も美味しそうだし、紅茶も捨て難い……」
教室の一角でアーロン・カーバイトがそんな悩みを口にしていたところで、師匠(養母)のカルディナ・カーバイトが通りかかる。
「お前、まだ行き先が決まってないのか?」
「あ、はい。どこも面白そうですし、どの先輩にも会ってみたいですし……」
「そうか。じゃあ、お前はウリクルに行け」
「え? いいですけど、どうしてですか?」
「お前に託したいものがある」
そう言って、カルディナはその手に持っていた小さな鞄をアーロンに手渡した。
「これを、ウリクルのヴェルディに渡してこい」
ヴェルディ・カーバイトとは、カルディナ門下生の第一世代の一人である。歳はアーロンよりも若い11歳だが、彼女は8歳にして魔法大学を卒業した天才少女として知られていた。アーロン達現役組とは入れ違いになっているため、面識はない。
「今回の修学旅行のついでに誰かに頼もうと思ってたんだが、セレネはスパルタ、ディーノはソリュートに行くって言っててな。エルマーはまだ聞いてないが、とりあえず、お前が特に希望がないなら、お前に任せる」
「分かりました。では、必ず届けて来ます」
「それと、土産も頼むぞ。最近、エストレーラ出身の『リンド』という女性が村で焼き菓子屋を始めたらしいから、そこのパステル・デ・ナタを買って来い」
「あ、はい。えーっと、ちょっと待って下さい。忘れないように、メモしておきます……」
こうして、アーロンの訪問先はウリクル村へと(お家の事情で)決定された。
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「ルクス、私は……、かにの村に行ってみたい、です」
ロゥロア・アルティナスは、ルームメイトのルクス・アルティナスにそう相談した。先日、ガイドブック作成の際に故郷のダルタニア近海のことを思い出した彼女の中では、改めて「海」に対する想いが芽生えていたようである。
(あの、昔見た海が忘れられないです。エーラムも内陸ですし、将来の進路によっては、これを逃すともう二度と見れないかもしれない……)
実際のところ、どちらにしてもブレトランドには船で行くことにはなるのだが、滞在中もなるべくじっくりと海に触れ合えるよう、蟹の漁港として有名なスパルタ村に行ってみたいと考えたらしい。
「ロアが行きたいなら、ルクスもそこでいいぞ」
「本当ですか!? ありがとう、です。出来れば、漁船にも乗ってみたい、です」
「それは楽しそうだぞ!」
そんな会話を交わしつつ、彼女達はひとまず「旅行に必要な物品」を書き出し、後日その買い出しへと向かうことになるのであった(その後の顛末はDiscord「学園城下・近隣」6月23日)。
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クリストファー・ストレインは、どの村に行くか迷った挙げ句、ひとまず暫定案として「紅茶の村」として有名なソリュートを有力な候補地として想定しつつ、旧ペンブローク家の地下の「猫(が経営する)カフェ」に足を運び、ケット・シーのアルヴァン(下図)に相談しに来ていた。アルヴァンは前トランガーヌ子爵ヘンリーの側近であり、モラード地方のことについてもある程度知っている筈である。ましてや紅茶の村ということであれば、彼もおそらく詳しいだろう。
「アルヴァン、今度ソリュート村に行くんだが、土産の希望があったりするか?」
「ソリュート村か。なるほど、あそこは今茶摘みの時期だからな。それなら最近になって取り扱うようになったという新しい茶葉を買ってきてほしい」
「新しい茶葉?」
「うむ。あそこでは同族のシュニャイダーという奴が茶畑を管理しているはずだ。彼に聞けば分かるであろう」
「マジか」
「もっとも、彼は仕事に真面目だったはずだから、撫でさせてもらえるかは知らぬぞ」
「そこは頑張って交渉? するさ」
そんなこんなで、アルヴァンの知り合いのケット・シー(と新しい茶葉)を楽しみにソリュート行きを決めるクリスであった。
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こうして、それぞれに(一部は不本意な形で)訪問先を決めた学生達は、エーラムから旅立って行く。彼等は陸路でローズモンドへと向かい、そこから船でモラード地方の中心地であるエストへと向かうことになった(なお、ローズモンドに着いた時点でアーロンは少しソワソワしていたようだが、ここで「彼女」と遭遇する機会はなかった)。
そしてローズモンドで大型客船へと乗り込んだ時点で、リヴィエラ・ロータスは船の出航前に、海での全員の無事を願って、彼女の信じる海の女神に祈りを捧げる。ブレトランドとローズモンドの間の海峡は混沌濃度が高く、様々な投影体が頻繁に出現することでも知られている。今回は四人の高等教員達が引率役として同行しているため、大抵の投影体や混沌災害が出現しても対応は出来るだろうが、何も起きずに無事に到着出来るに越したことはない。
すると、彼女がその祈りを捧げた瞬間、ブレトランドへと向かう沖の方に一頭のクジラが現れた。船員曰く、この時期にこの海域にクジラが出現するという事例は極めて珍しいのだが、果たしてそれが何を意味していたのか、理解出来た者は誰もいなかった。
クロード・オクセンシェルナ(下図)に引率された「ビルト村」訪問組は、エストに到着すると同時に、彼の時空魔法によって現地へと瞬間転移された。これは、エストからそれぞれの村までの距離の差に鑑みて、実習期間に差が出ないようにするための配慮である(ソリュートとスパルタは馬車で半日程度で到着出来るが、ビルトまでは実質二日かかる)。なお、彼の魔法を使えばエーラムから直接ビルトまで転移することも可能なのだが、あまでも「社会勉強」のための教育プログラムである以上、エストまでは普通に旅路を経験させることにしたのであった。
昼の時点で現地に到着した彼等は、まずこの村の領主であるフェリーニ(下図)に挨拶する。彼は平民出身でありながら、戦場で敵の将軍(この村の先代領主)を討ち取る武勲を挙げ、騎士として抜擢され、この村の領主に就任した人物である。それ故に、君主ではあるが姓はない。これは、騎士級以上の君主としてはかなり異例であった。年齢もまだ18歳。弓の腕に関してはアントリアの中でも有数の実力者と言われているが、見た目には、とても領主を務めているような人物には見えなかった。
「やぁ、よくぞ来てくれた未来の魔法師達よ。このビルト村には、皆を楽しませるための施設が揃っている。思う存分、楽しんでいってほしい。俺もいつも適当に楽しんでるし、今日もこれから勝手に楽しむから。それじゃ!」
そう言って、彼はどこかへ去って行った。あからさまに軽薄な雰囲気の領主に呆気に取られつつ、ひとまず彼等は宿屋に荷物を置いた上で、夕食までは自由行動の時間となった。この村はブレトランド随一の温泉郷として知られており、様々な観光客を対象とした店が並んでいる。昨今は(極東出身のカルディナの意向を取り入れてせいか)温泉文化が盛んな極東風の旅館や土産物点も増えており、どこか異国情緒漂う不思議な空間が広がっていた。
「……なんというか、……参考にする地としては少し違う気もします」
ジュード・アイアス
は商家出身であり、遊興産業を生業とするモラード地方の視察には興味があったが、事前に調べた時点でビルト村にはあまり好印象を抱いていなかった。伝えられた情報によると、この村の領主は怠惰で、武官達の統制も取れていない。そんな状態でこの村を実質一人でまとめている契約魔法師の手腕には興味があったものの、少なくとも政治を学ぶ上で手本になるような村ではなかった。
とはいえ、商業的に村全体が盛り上がっていることは確かであるため、ひとまずは温泉の近辺の土産物屋や食堂を視察する。ざっと店頭を流し見たところ、全体的に商品の値段は安めで、薄利多売の傾向が強い。おそらくこれは国柄の問題もあるだろう。現在のこの国を支配するアントリア子爵ダン・ディオードは華美贅沢を嫌う傾向があり、つい1〜2年ほど前までは、絢爛豪華な娯楽文化全般が厳しい規制の対象下に置かれていた。
(子爵代行マーシャルの統治下になって以降、現在はその傾向は緩和されていると聞きますが、それでも富裕層に好まれそうな高級品をあまり取り扱っていないのは、今でも過度な贅沢品を取り扱うことで管見に目をつけられることを怖れているのか、それとも、純粋に大衆向けの経営戦略の方が利益率が高いと判断したのか……)
ジュードがそんな思考を巡らせる一方で、全く別の観点からこの村の様相を分析している者もいた。戸籍上は彼と同年代の少年(?)
テオフラストゥス・ローゼンクロイツ
である。彼は当初、修学旅行という企画には大して興味も沸かず、ビルトを選んだのも(一番上に書いてあったが故に?)最初に目についたから選んだだけだったがのだが、宿屋の隣に併設された遊戯施設を見て、妙な違和感を感じる。
(明らかにこの建物、街の雰囲気の中で浮いている。それによく見たら、他にもチラホラと「このあたりの建築様式とは異なる建物」が混ざり込んでいる)
直観的にテオフラストゥスはそんな疑念を感じていた。まるで異界の空間そのものが置き換わったかの如き「不自然な」町並みに思えたのである。それは、一見すると先日のレイラがもたらした「異界の自然律」のような混沌の作用であるかのようにも思えたが、あの時に感じた「謎の既視感」は一切感じられないし、あまりにも自然に村人や観光客が往来している様子からして、とても「魔境の類」とも思えない。
(これはこれで、調べてみる価値はあるかもしれないな……)
彼等がそんなことを考えている一方で、風紀委員の
シャーロット・メレテス
は、土産物店の一角で「木刀」を発見する。それは、ディーノが愛用する投影装備と非常によく似た形状であるが、値段から察するに、おそらく「この世界の樹木」を原料とした普通の木刀であろう。なぜ温泉郷の土産物が木刀なのかは分からないが、これも極東の一部の地方に伝わる大衆文化の一つらしい。
シャーロットはディーノやダンテとは異なり、「剣術」に関しては全くの素人である。だが、彼女の中で、それを見た瞬間、何かが閃いた。
「これは……、なんか、すごく風紀委員っぽい気がします……」
彼女の中で妄想が広がる。
(「お? まだお小遣い持ってんだろ? ジャンプしてみろよ?」)
(「ひええ、誰か……助けて……」)
(「そこまでです! このエーラムの風紀を乱す者は、風紀委員である私が、容赦しません!」)
(ビシ! バシ!)
(「ひー! もう勘弁してくれー! 悪かった、もう二度とこんなことはしないからー!」 )
ひとしきりそんな未来図を思い描いた彼女は、木刀を手にして店員の元へと向かう。
「すいませーん。これを買いたいですー!」
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一方、
ティト・ロータス
と
ミランダ・ロータス
もまた、二人で土産物屋を物色していた。もともと同門故に交流の深いこの二人だが、今回は珍しくミランダの方からティトに同行を提案したらしい(Discord「図書館」「庭園」6月18・19日)。
「……あ、ミランダさん、温泉卵? って言うのがあります……。……なんでしょう……?」
「それ、温泉のお湯で茹でた卵らしいわよ」
ミランダは事前にこの村に関する情報はしっかりと予習していた。これは純粋に彼女の勤勉さの現れなのか、それとも、ティトと一緒に旅行に行くことへの期待感の強さの証左なのか。
「なるほど……、買ってみます?」
「別に、今買わなくてもいいんじゃない? 確か、今夜の夕食のメニューにも入ってた筈だし」
「じゃあ、それを食べてみて、美味しかったら、明日また買いに来ましょう」
「そうね」
素っ気ない返事ではあるが、ミランダ自身はこの状況を楽しんではいた。ただ、ティトに対してどういうリアクションを返すのが正解なのか、彼女とどれくらいの距離感で接すればいいのかが分からずに、困惑していたのである。
(私の方から誘ったのにね……)
ミランダがそんな想いを抱いている中、ティトは隣の建物の看板を目にする。そこには「足湯」と書かれていた。
「足だけのお風呂……。入ってみませんか……?」
「そうね、少し疲れたし」
二人はそう言いながら建物に入ると、店員の指示に従って靴を脱ぎ、足元に浅く溜められた湯に膝下を浸からせる。
「あったかいです……、これが、温泉のお湯……」
「不思議ね。足の半分も入れてないのに、なんだか身体全体が温まるような感覚だわ」
「これ……、全身で浸かったら、もっと気持ちいいんでしょうね……」
「そしたら、なんか緊張感まで一気に溶けてしまいそう」
「溶かして……、いいんじゃないですか……? そのための温泉なんでしょうし……」
「でも一応、『修学』のための旅行だし」
「温泉の効用を、体験するのも……、『修学』だと、思います……」
「そう、なのかな……?」
足湯の効用か、いつもに比べてミランダの表情も少しだけ和らいでいるように見える。そんな彼女の様子を目の当たりにして、ティトもまた嬉しそうに笑顔を浮かべるのであった。
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(あぁぁぁぁ、なんで村の名前間違えちゃったんだろう……)
手違いでこの村に来てしまった男装少女
ノア・メレテス
は、浮かない顔で街を散策していた。せっかく温泉に来ても、自分の正体を晒す訳にはいかない以上、温泉には入れない。それならばせめて下町の雰囲気だけでも楽しもうと思って店先を覗いていると、そこに同門の
レナード・メレテス
の姿を発見する。その瞬間、気落ちしていたノアの表情が、一気に明るくなった。
「あ、レナード先輩!」
「ノア? なんでお前、ここにいるんだ? 紅茶の村に行くって言ってなかったか?」
「いや、そのつもりだったんですけど……、まぁ、その、ちょっと手違いで……」
「ふーん……、そっか。まぁ、せっかく来たんだから、とりあえずは楽しもうぜ。オレはこういう賑やかな雰囲気は好きだからな」
レナードもまた期せずしてノアと遭遇出来たことが、どこか嬉しそうな様子である。二人はそのまま店内を見て回ることにした。
「温泉まんじゅうかぁ……。美味しそうですね。すみません、この『12個入り』を二箱下さい」
「お前、そんなに食うのか?」
「一門の人達と、手芸部のみんなへのお土産です」
「あぁ、なるほど。金は大丈夫か?」
「はい。この間の鉱物採集のアルバイトで、結構貰いましたから」
そう言ってノアが店員に代金を支払っている横で、レナードはお土産用の「ネクタイピン」の一覧の中に、気になるデザインを見つける。
「これ、喇叭水仙(ラッパスイセン)じゃねーか!」
喇叭水仙とは、この辺りの地方ではポピュラーな花であり、レナードの故郷においては、彼が尊敬する地球人の将軍の率いる精鋭部隊の旗印でもあった。その喇叭水仙のデザインをあしらったネクタイピンが売られていたことに、彼は目を輝かせる。今まであまり人前で見せたことがない、少年らしい純粋な瞳のレナードに対して、ノアはどこか新鮮な印象を受けていた。
「それ、気に入ったんですか?」
「あぁ! オレの故郷じゃ、水仙は『最高にアツい男』の象徴だからな!」
「じゃあ、ボクもそれを買います。お揃いにませんか?」
「おぉ! いいぜ! お前もこの水仙のカッコ良さが分かるんだな!」
こうして二人はお揃いのネクタイピンを購入し、店から出ようとする。だが、その直前に店の出入口の方から激しい喧騒が聞こえてきた。
「ここは俺達の管轄だっつってんだろうが! すっこんでろ! ロリコン!」
「おめーらがあのアバズレと乳繰り合ってて仕事しねーって苦情が来てるから、俺達が手伝いに来てやってんだろうが! ちっとは感謝しやがれ!」
「お呼びじゃねーっつってんだろ! 帰ってガキのままごとの相手でもしてやがれ!」
どうやら、店の入口の前で、村の警備を担当する若者達同士で縄張り争いを繰り広げているらしい。どちらもガラが悪く、周囲の人々は怖くて近付けない様子である。そんな様子を見かねて、ノアが恐る恐る近付きつつ声をかけた。
「あの、すみません、外に出たいんで、ちょっとそこをどいて……」
「うっせぇ! すっこんでろ!」
興奮状態の若者がそう言ってノアを突き飛ばすと、華奢な彼(彼女)の身体は店の壁の商品棚まで吹き飛ばされてしまう。レナードはキレた。
「テメェ! 何しやがんだ!」
「あぁ!? 誰だおま……」
村の若者がそう言った瞬間、レナードの拳が若者の横っ面に直撃する。その姿を見て、もう一人の若者が嘲笑する。
「おいおい、こんなガキのパンチも避けられないなんて。これだからロリコン共は……」
「オメェも! 天下の公道でケンカなんかしてんじゃねーよ! 人様のメーワクも考えろ!」
レナードはそう言いながら、その若者の腹にも拳を叩き込む。
「この野郎! 調子に乗ってんじゃねーぞ!」
最初に殴られた方の若者がレナードに殴りかかろうとする。さすがに村の警備を任されている若者だけのことはあり、その拳のキレは鋭かったが、レナードはここで咄嗟にアシストの魔法を発動させ、それを避ける。
「なに!?」
この時、レナードは魔法の副作用で全身に激痛が走っていたが、それに気付かれぬよう、今度はその若者に対して足払いをかける。一方、もう一人の若者もレナードに殴りかかろうとしていたが、その背後から少女の声が聞こえてきた。
「ちょっとレナード!こんなところでなにやってるのよ!」
その声は、レナードにとっては聞き慣れた
ロシェル・リアン
の声である。だが、振り返ったレナードの視界に現れたのは大狼のシャリテの姿であった。その姿にレナードが一瞬違和感を感じた瞬間、若者の拳がレナードにクリーンヒットする。
「やりがったな!」
すかさずレナードも殴り返す。結果的に余計に頭に血が登ったレナードは「ロシェル」に言われたことも忘れて三つ巴の乱闘をエスカレートさせる。
「あー、もう!」
その声と同時に「シャリテの長毛の中に隠れていたロシェル」が現れた。なお、この「ロシェル」は現在、シャリテの魂によって動かされている「人形」状態である(先日の騒動の際に表に現れていた「新たな自我としてのロシェル」は現在休眠中にある)。彼女は二人の若者のうちの片方に組み付いたかと思うと、そのまま背負投げで地面に叩きつける。その間に、ノアはレナードにキュアライトウーンズをかけていた。
「大丈夫ですか!?」
「この程度、どうってことねぇよ!」
レナードがそう答えつつ拳を構えてファイティングポーズを取り直した瞬間、また別の方面から、別の少女の声が聞こえてくる。
「こらー! お客さん相手に、なにやってんだー!」
その声のする方向に視線を向けると、そこにいたのは銀色の短毛を靡かせつつ、首の鈴を鳴らしながら走り込んでくる、一匹の「猫」であった。
「やべっ! 団長!」
若者の一人はそう言ってその場から逃げようとするが、その銀色の猫はひらりと宙を舞いながら、その若者の頭上を飛び越えつつ、空中でその身を一人の「少女」の姿(下図)へと変え、彼の逃げようとした方向に立ちはだかる。
「ケンカしちゃダメだって、いつも言ってるだろ!」
「す、すみません、ついカッとなって……」
先刻まで鬼の形相で乱闘していた若者が、この猫少女を前にした途端、彼の方が「借りてきた猫」のような態度になって縮こまる。
一方、もう一人の若者は、いつの間にか「ロシェル」に組み伏せられた状態になっていた。
「さぁ、そっちの君も、一緒にお客さん達に謝るんだ!」
「おめーの指図は受けねーよ! ……だが、まぁ、その、確かに悪かった。すまん」
急にしおらしい態度になった様子を確認し、ひとまず「ロシェル」もその若者を解放する。その上で、二人は改めてノア達に謝罪した上で、それぞれの持ち場へと戻って行った。そして、猫少女は改めて自己紹介する。
「僕はサラ。この町の自警団長だよ。その制服、エーラムからの修学旅行の人達だよね? ごめんね、迷惑かけちゃって」
彼女はそう告げるが、見た目の年齢としては、レナードと大差ない程度の少女であり、先刻の若者達よりも明らかに年下に見える。
「オメェ、ライカンスロープってやつか?」
レナードは、戦闘訓練の時の「雷光のワトホート」のことを思い出して問いかける。
「うん。そうだよ」
「自警団長ってことは、強ェのか?」
「まぁ、白兵戦なら、この村で僕に勝てる人はいないだろうね」
傍目には子供がイキがっているようにしか見えないが、ライカンスロープ戦を経験したことがあるレナードとロシェル(シャリテ)は、先刻の彼女のスピードと身のこなしから、確かに相当な実力者であろうことは感じ取っていた。
「今の有様を見られちゃった後だと、あんまり説得力ないかもしれないけど、基本的にここは楽しい村だから、もし気に入ってくれたら、そのうちまた『いんたーん』とかで遊びに来てね。そろそろ誰かがゲルハルトさんを手伝ってあげないと、あの人、倒れちゃいそうだから」
サラはそう告げると、再び猫の姿に変身した上で、その場から去って行く。その小さな後ろ姿を見送りつつ、「ロシェル」はレナードに声をかける。互いに、今の乱闘騒動で服も身体も汚れている。
「とりあえず、一緒にあそこの温泉に入って、さっぱりしよっか!」
「ロシェル」はそう言って、近くにある(どちらかというと地元民向けと思しき)温泉の看板を指差す。一応、彼等の泊まる宿にも温泉は併設されているが、自由時間に私費で別の温泉に行くことも認められてはいる。それぞれの温泉ごとの違いを楽しみたいならばそれも良し、という配慮らしい。
ただ、レナードは全身に傷があり、それを他人に見られるのを嫌うため、温泉に関しては、人がいない時間帯にこっそりと入るつもりだった。見たところ、現時点で「ロシェル」の差した温泉は普通に賑わっているようなので、とても入れるような状態ではない。
「いや、オレは今はい……」
レナードがそう言って去ろうとしたところで、「ロシェル」は有無を言わさず彼を抱え込み、そのまま大狼の身体の中に潜り込もうとする。
「!?」
「先輩!?」
「あ、ノア君も一緒に来る?」
ノアとしては、レナード以上に今ここで同行する訳にはいかない。そして、レナードが身体の傷を他人に見られることを嫌っていることも、彼(彼女)は知っている。
「いや、その、待って下さい! 先輩は……、先輩とボクは、二人で一緒に温泉に入る約束をしてるんです!」
咄嗟に訳の分からないことを言い出したノアに対して、「ロシェル」はきょとんとした表情を浮かべる。
「え? それなら今から一緒に……」
「あ、いや、実はもう、別の温泉を予約してるんです。だから、先輩は、ボクが連れていきます!」
ノアがそう言って強引にシャリテの「中」からレナードを引っ張り出す。いつもは非力な印象の彼(彼女)だが、なぜかこの時は異様なまでの力でロシェル(シャリテ)からレナードをもぎ取った。
「あぁ、そうなの。うん、まぁ、それならそれでいいけど」
そう答えた「ロシェル」を背に、ノアはレナードを連れて一目散にその場から逃げ去った。そんな二人と入れ替わりに、ロシェルとシャリテの前にジュードが現れる。
「そもそも、あなたはどうやって湯船に入るつもりなんですか?」
どうやらジュードにも、先刻のやりとりは聞こえていたらしい。
「どうやって、って?」
「『二人とも』一緒に入るつもりなんですか?」
「あぁ、いや、さすがに大狼の身体で入るのが無理ってことは分かってるわよ。ちゃんと『ロシェル』の身体で入るわ」
「それならいいですけど」
「じゃあ、ジュード、一緒に行こ♪」
「まぁ、そうですね。僕も下町の温泉がどのように経営されているのか興味がありますし」
実際のところ、ジュードとしてはロシェル(シャリテ)がまた何か騒動を起こすのではないかと心配していたため、彼女の方からそう言うなら、同行することに異論はない(もし、彼女が大狼の姿で入りたいと言い出した場合は、なんとか代わりに店側に交渉しようとも思っていた)。もっとも、さすがに湯の中まで一緒に入る訳にはいかないのだが……。
……と思っていた矢先に、彼女はジュードと共に「男湯」の入口へと向かう。
「え? ちょっと、なんで一緒に来てるんですか?」
「なんでって?」
「こっちは男湯ですよ!?」
「うん。だって、ジュードはそっちに入るんでしょ? だったら、せっかくだから一緒に入って背中を流そうかと」
「いや、ダメでしょ!」
「え? 私は全然構わないよ。どうせこの身体は『私の身体』じゃないんだから、別に見られても恥ずかしい訳じゃないし」
「こっちがダメなんです!」
「えー? どうしてー?」
そんなやりとりの最中、二人の前に買ったばかりの木刀を持ったシャーロットが現れる。
「待ちなさい! 男女が一緒にお風呂に入るなんて、そ、そんなハ……、ハレンチなこと、この風紀委員の私が……」
シャーロットはそう言って、木刀を使って威嚇しようとするが、目の前で繰り広げられている光景があまりにも彼女の想定外だったため(彼女は当初、女湯を覗こうとする男子生徒がいないか取り締まるつもりだった)明らかに動揺していた上に、思っていた以上に木刀が重くて、足元がふらついてしまう。
(あ、あれ……、身体のバランスが……)
それでもどうにか体勢を整えつつ、カッコよく踏み込もうとした彼女は、慣れない足捌きでビシッと決めようとするが、その瞬間、足首を想定外の方向に捻ってしまう。
「ひぎゃっ!!!」
シャーロットはその場に蹲り、足首を抑える。
「え? どうしたの? 大丈夫?」
「ロシェル」が心配して駆け寄るが、そもそも「ロシェル」の身体には痛覚が無いため、今の彼女にはシャーロットの痛みを理解するのは難しい。一方、ジュードはクールインテリジェンスを用いた上で、慎重にシャーロットの足首の様子を観察した。
「多分、軽く捻っただけですね。しばらく安静にすれば痛みも治まるでしょう。むしろ、そういう時こそ、ここの温泉の効用が役に立つかもしれません」
実際のところ、ジュードはこの村の温泉にどこまで効用があるかはよく知らない。ただ、これはこれで良い機会のように思えた。
「ということで、シャリテさん、彼女に肩を貸してあげた上で、女湯に行って下さい」
「あぁ、うん。そうね。ちょっとまだ一人出歩くのは辛そうだし」
「ひぃぃぃぃ、す、すみません、……」
こうして、どうにかロシェル(シャリテ)を納得して女湯に向かわせることに成功したジュードは、一安心した上でじっくりと男湯の査察を始めることにした。
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「あぁ……、気持ちいいです……」
「ロシェル」に手伝ってもらいながら、どうにか湯船に疲れたシャーロットは、すっかりとろけた表情でそう呟く。
「どう? 痛みに効きそう?」
「そうですね……、少し楽になったような……」
「なら、よかったわ。それにしても、男の人って、そんなに裸を見られるのが嫌なものなの?」
「えーっと、それは、まぁ、人によるとは思いますけど、でも、普通はやっぱり……」
どう答えるのが正解なのか分からないシャーロットは、熱湯と想像で顔を赤らめながら、徐々に顔を沈めていく。
「え? ちょっと、大丈夫!?」
「あ、はい。平気です。ところで、その、先程ジュードさんはあなたのことを『シャリテさん』と呼んでましたけど……」
シャーロットも先日の「人形のロシェル」による大音量演説は聞いているので、彼女の事情は概ね理解している。
「そう、今の私はシャリテ。『ロシェル』には、私の中で眠ってもらってる。一応、大狼の状態でも人間の言葉を喋れる装置は作ってもらえたんだけど、やっぱり、人間の身体がないと不便だし、ましてや今回はエーラムの外に出る訳だから、『人』の姿の方がいいだろうってことで」
「これから先も、その姿でいるんですか?」
「まだそれは分からないわ。出来ることなら、生身の人間の身体を取り戻したいけど、私を召喚した魔法師は行方不明だし、身体だけを召喚するってことが出来るかどうかも分からない。だから、しばらくは『ロシェル』と折り合いをつけながらやっていくしかないわね」
ちなみに、「ロシェル」の身体には痛覚が無く、そしてまた味覚も無いため、料理の味を楽しむことも出来ないが、生きて上で必要な触覚は備わっているため、この身体を動かしている状態でも、温泉の心地良さはそれなりに味わえている(なお、大狼の身体は外で眠らせている)。
「ニホンの温泉もこんな感じなのかしらぁ~……」
「ニホン?」
「私の元いた世界にある国でね。温泉で有名らしいのよ」
「こっちの世界でも、極東と呼ばれる地域では温泉文化が発達していると聞いたことがあります。カルディナ先生もそこの出身ですし、学生の中にも何人かいたような……」
「あ、やっぱりそうなの? なんとなく、黒髪でニホンジンっぽい顔立ちの子が何人かいるなぁ、とは思ってたんだけど、私の世界とこの世界、どこか似てるのかしらね」
「その『ロシェル』さんの姿は、『シャリテ』さんの元の姿に似せていると聞きましたけど、そうだとすると、あなたは私達『西方の民』に近いのでしょうか」
「多分、私の故郷は、この世界だとアロンヌが一番近いんじゃないかな。地図で見たところ、ちょっと国の形というか、大陸の形も似てるしね」
そんな会話を交わしつつ、そのまま二人はシャーロットの足の痛みが治まるまで、ゆっくりと温泉を堪能するのであった。
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夕刻が近付き始めた頃、この日の仕事が一段落したこの村の契約魔法師ゲルハルト・カーバイト(下図)の元に、二人の学生が質問者として訪れていた。一人は、先刻下町の温泉から帰還したジュード。そしてもう一人は、フードを深く被って素顔を隠した男子学生
ゼイド・アルティナス
である。
ゲルハルトはカルディナの一番弟子であり、「カーバイト一門の良心」と呼ばれるほど、真面目で堅物な魔法師である。エーラムの戸籍上は彼女の「長男」ということになるが、年齢的には彼女とは6歳しか変わらず、同じ高等教員のクロードやメルキューレとも歳は近いということもあり、エーラムの教壇に立っていてもおかしくなさそうな貫禄はあったが、彼はあくまでも謙虚にこう告げた。
「私はただの一人の契約魔法師にすぎない。人に道を示せるような立場でもなければ、後進を指導するための教職課程を受講していた訳でもない。そんな私が語れることなどたかが知れているが、何か質問があるのなら、一人の卒業生として、答えられる範囲でお答えしよう。ただし、それはあくまでも私個人の意見。参考にすべきかどうかは、自分達自身で判断してほしい」
ゲルハルトはそう前置きした上で、二人からの質問を受け付けることにした。最初に手を挙げたのはジュードである。
「この村の経営を実質一人で回しているとお伺いしましたが、それを可能にする秘訣などがあればお伺いしたいです」
その質問に対して、ゲルハルトは微妙な表情を浮かべながら答える。
「別に私一人で動かしている訳ではないし、行政官の中には優秀な人々も大勢いるが、確かに、それらを統括出来る統治者が私一人しかいないのは事実。ただ、小さな村の行政の効率化を考えれば、一人の人間がまとめて統括すること自体は決して悪くはない。その際に重要なことは、適材適所を心掛けること、かな」
「なるほど」
「世の中には文武両道な者もいるが、それはあくまでも一握りにすぎない。私には『武』の才能がなかった。だからこそ、平時の政務は私が担当した上で、この村の治安維持のために必要なことについては、主上(しゅじょう)や武官達にお任せする。それが適材低所というものだと私は考えている。彼等は業務手続き上最低限のことさえやってくれれば良い。そう、ほぼ完成されている書類に目を通して署名をするという、最低限の仕事さえやってくれれば……、あとは、余計なトラブルさえ起こさなければ……」
自分が喋りながら徐々に眉間にシワが寄りつつあることに気付いたゲルハルトは、一旦咳払いして気持ちを落ち着かせた上で、話を続ける(なお、「主上」とは、彼が契約相手の領主を呼ぶ時に用いる独特の尊称である)。
「ともかく、ある程度の『割り切り』は大切だろう。使える者は何でも使った方がいい。その上で、『人格』に関しては多くを求めるべきではない。世の中には『多才な人徳者』も確かに存在するが、自分の周囲にいるのがそのような人々ばかりとは限らない。そういう人々とも折り合いを付けながら、彼等の才を生かす道へと誘導し、そして時には彼等から教えを請うことも大切だろう。それがいかに素行に問題のある人物であろうとも、自分に欠けている能力を持つ者に対しては一定の敬意を抱いた上で接した方が、お互いに得るものは多いと私は考えている」
彼の中での「素行に問題のある多才な人物」の筆頭格が誰なのかは容易に想像がつくが、その点についてこれ以上深く掘り下げた話をすると再び彼の眉間にシワが寄りそうな、そんな雰囲気が生み出されつつあった。
その空気に気付いていたのかどうかは分からないが、ここでジュードはまた別の質問、というよりも「提案」を投げかける。彼としては、現役で政治にかかわる者に自分の提案が通るかどうかを試してみたくなったらしい。
「先程、土産物屋を見学させて頂いた上で思ったのですが、これから先、女性客を開拓するための一つの方策として、アクセサリー類を増やすのはどうでしょう? 身につける物なら伝聞での宣伝効果も見られますし、贈り物としてもいいと思います。手隙の女性等の余剰労働力も当てられますからいいかと思うのですが、いかがでしょうか?」
「発想としては悪くないと思う。ただ、この村の土産物屋は民営なので、師匠の要望で作った娯楽施設以外は、基本的に我々は関与していないのだ」
「あ、そうなんですか」
「理由は二つ。一つは、彼等の一部にとって我々は今も『侵略者』だということ。我々がこの地を占領したのは、たかだか三年ほど前。そこからアントリアの統治を受け入れさせる上で、彼等の商業の自由を極力尊重する、というのが基本方針だった。当時のアントリアには厳しい質素倹約令が発せられていたため、住民達の間ではこの村の文化が壊されるのではないかという不安があったが、その点に関しても早い段階で折り合いを付けて『華美になりすぎない程度に運営を続ける』という方針で妥協に至った。その時点で、大衆向けの土産物に関しては不介入という合意を結んでいる。だからこそ、下手に口を出せば、再び彼等の反発を買いかねない」
なお、ゲルハルト(および彼の義妹達)はアントリアによるこの地方の占領が完了した後に契約魔法師として派遣されているため、厳密に言えば彼等自身がこの地を侵略した訳ではないのだが、「侵略者の契約魔法師」という時点で、民衆から見れば大差ない存在である。
「そしてもう一つの理由は、今もその質素倹約令は完全に撤回された訳ではない、ということだ。民間経済に関してはある程度まで自由な活動が認められるようになったが、税金を投入した公営事業となると、まだ規制は色々と厳しい。そのため、土産物屋に対して新商品を我々が提案するとなると、それは中央から見れば『公共事業の拡大』と解釈されかねない。その場合、彼等の店の経営も監査の対象となりうる以上、彼等の経済活動を制限してしまう可能性がある」
「なるほど……。この国はこの国の事情が色々とあるのですね……」
ジュードとしては、この提案を受け入れてもらえるのであれば、その原材料調達などの方面で彼の「実家」を紹介しようかと考えていたのだが、この話を聞く限り、少なくともゲルハルト経由で話を進めることは難しそうである。
こうしてジュードが「為政者としてのゲルハルト」に焦点を当てた質問を投げかけてきたのに対し、今度はゼイドが「魔法師としてのゲルハルト」に対して語りかける。
「自分は、今、魔法師としての道に行き詰まっています……。その理由は、詳しくは言えないのですが……」
そう前置きした上で、フードの奥からゼイドは問いかけた。
「魔法師としての道は千差万別と聞きます。あなたは、どのような決意の上で、どのような経緯を経て、今の道を選んだのですか?」
いささか抽象的な質問だが、ゼイドとしては「本当に聞きたいこと」を聞くには「自分の正体」を明かさなければならない以上、今はこういった方向から話を引き出すことしか出来ないのである。それに対して、ゲルハルトは正直に答えることにした。
「私の実家は貴族家で、子供の頃は君主を目指していた。だが、戦争で実家は滅び、私には君主としてそれを再興出来るだけの才もなかった。幸いにも魔法師としての資質には恵まれたが、決して優秀な学生ではなく、自分に出来ることは限られていると判断した私は、中途半端な攻撃魔法を身につけても役には立たないと判断した上で、あえて直接的な戦力としては役に立たない『夜藍』の道に特化することにした。その上で、混沌を祓い、人々を救う力を持つ君主を支えるという一点に、私の人生を捧げることにしたのだ」
幼少期に「実家の喪失」と「挫折」を経験しているという意味では、実はゲルハルトはゼイドにも通じる過去を持つ。だが、その「実家の喪失」の経緯があまりにも違いすぎることもあり、「他人と共に本懐を遂げる道」を目指したゲルハルトとは対象的に、ゼイドは「自分一人で戦い続ける道」をここまで歩んできた。しかし、今のこの道の先にゼイドの目指す未来がないことは、ゼイド自身もよく分かっている。
「自分は、今のエーラムの中に、腹を割って語り合えるような、心を許せる友はいません。故あって、このように素顔を隠した状態でなければ、他人と会話することも出来ない。どうすれば、そこまで誰かを信じて支えられるような人間関係を築くことが出来るのでしょうか?」
「何か勘違いしているかもしれないが、私と主上の間にも友情などないぞ。私と主上の間にあるのは、あくまでも『契約』だ。それ以上でもそれ以下でもない。仮に私が素顔を隠していたとしても、主上は気にせず私に仕事を押し付けてきただろうし、私も仮に主上が素顔を隠していたところで、別に気にするつもりもない。そもそも、互いにそこまで人間的に興味もない」
ゲルハルトはあっさりとそう言い放つ。それに対して、フードの奥のゼイドがどんな表情を浮かべていたのかは分からないが、そのままゲルハルトは話を続けた。
「誰かと共に生きる上で必要なことは、相手を理解することではない。相手を把握することだ。この世の中、どうあっても理解し合えない感性の者達はいる。それでも、相手の能力、性格、趣向、傾向などをある程度まで把握しておけば、共闘する道を拓くことは出来る。無論、そのための一番の近道が『友情』であることは否定しないが、嫌いな相手でも、軽蔑する相手でも、理解出来ない相手でも、ある程度の回り道をすれば、どんな人物かを把握することは出来るだろう。その上で、どのように折り合いをつけて共に生きていくかを考えればいい」
「……では、その『回り道』とは、たとえばどのようにすれば良いのですか?」
「一番確実なのは、直接言葉を交わし、そして相手をよく観察することだろうな。話せば話すほど相手のことが嫌いになるかもし、見れば見るほど不快な気持ちになるかもしれないが、そこで『なぜ嫌いなのか』『なぜ不快なのか』を考えれば、多少なりとも今後の『接し方』が分かってくる。無論、自分がそこまで我慢してまで接するべき相手ではないと判断した場合は、関係を断ち切れば良いだろう。ただ、共闘出来る相手は少しでも多い方が未来の選択肢は広がる。私は自分自身の能力を広げる道を諦めた分、『感性の合わない相手』と折り合いを付けて生きていくための訓練は積み重ねてきたつもりだ。エーラムでも、このビルトでも」
無論、それはゲルハルトが「望んで選んだ道」ではなかった。もしかしたら彼も、出来ることならば「心を割って話し合える友人達」に囲まれた生活を送りたかったのかもしれない。しかし、期せずしてそのような環境に恵まれなかったからこそ、今の敏腕契約魔法師としての彼が生み出されたとも言える(なお、ゲルハルトにも一応「盟友」という意味で信頼している女性の文官がこの村にも一人いるのだが、その女性が彼に対して求めているのは「友情」ではなかった)。
この説明でゼイドが納得したかどうかは分からないが、少なくともそれが「契約魔法師」としての一つの生き方であるということは理解出来たようである。その後、ゼイドは(それが自分の実家と深く関わる話であることはボカしつつ)「かつて異界のガーゴイルを召喚した闇魔法師」についての情報を聞き出そうと質問してみたが、残念ながらそれについてはゲルハルトは何も知らなかったため、有効な回答を得ることは出来なかった。
******
その日の夜、宿で用意された温泉街ならではの夕食を食べ終えた後、学生達が宿に併設された温泉に足を運ぶ中、
ロウライズ・ストラトス
はあえて少し時間をズラして入ることにした。先日のエマ・ロータス(下図)による「公開告白」の後、彼の中でどう返事をすれば良いか分からず、この修学旅行の間もずっと彼女のことが頭によぎっていたため、少し落ち着いてゆっくり考える時間が欲しいと考えた彼は、あえて皆がワイワイ楽しく盛り上がってる時間を避けることにしたのである。
なお、さすがに状況が状況だっただけに、エマの告白の件は既に多くの学生達の間に広がっており、ここまでの旅の道中でもロウライズは散々学友達から煽られ、からかわれ、時には嫉妬されたりもした。ロウライズ自身としては、エマのことをまだよく知らない上に、そもそも恋愛そのものが未経験なため、現状ではどう返して良いか分からない。相手のことを知るためには、まず会話をしてみるべきなのかもしれないが、あの告白の後だと、どんな顔をして会いに行けば良いのか、非常に悩ましいところである。
ただ、どうすれば良いか悩めば悩むほど、ロウライズの中でエマの存在が大きくなりつつあるのは事実である。ちなみに、エマは今回の修学旅行において(意図的なのか偶然なのかは不明だが)同じビルト村に来ているのだが、互いに気まずい様子で、旅行中一度もまともに会話出来ていない。そんなモヤモヤした状況の中、人の少ない時間帯の温泉で、一人ゆっくりと湯船に浸かりながら彼女のことを考えていると、ふと目の前に、見覚えのある人物の姿の姿を見かける。
「あなたは……、領主様!?」
それは、学生達が到着した時に一言だけ挨拶したこの村の領主、フェリーニであった。
「うーん、この時間なら人も少ないかと思ったけど、それでも入って来る子はいたか……」
「領主様も、いつもこの温泉を使っているのですか?」
「いや、その日の気分次第というか、まぁ、なるべくゲルハルトにバレずに隠れられる場所、っていう意味では、逆に今日はココが盲点になるかと思ってさ」
要するに、公務をサボってダラけるための場所として、村内の各地を転々としている、ということらしい。
「そんな訳で、出来れば俺がここにいたことは黙っておいてほしい。その代わりと言っては何だが、人生の先輩として、何か悩んでいることがあるなら、相談に乗ろう」
「悩み、ですか……」
「お、何かアリそうな顔だな。恋の悩みか?」
「え!? な、なぜそれを……」
「そりゃあ、君達くらいの年頃の青少年なら、まず第一にそこに悩むのが正常だろう。魔法師だって人間さ。ゲルハルトみたいなのがおかしいんだ」
そもそも、フェリーニとロウライズは歳で言えば4歳しか違わない。そしてフェリーニ自身、直属の上司である男爵(港町エストの領主)の孫娘への慕情を原動力として、ここまでの地位に上り詰めた人物である。恋に悩む青少年と聞けば、一定の親近感が湧くのも当然であろう。親しげな兄貴分的な態度でロウライズから話を聞き出そうとする。
「はい。あの……、実は、この間、まだあまり親しくもない女の子から、好きだって告白されてしまって、それで、どうすればいいか……」
「死ね」
突然、フェリーニは掌を返したかのように、死んだ魚のような瞳でロウライズを一瞥しながら、冷めきった声でそう言った。
「は?」
「死ねって言ったんだよ! なんだよお前、告白されたって! それで何を悩むことがあるんだよ! ブスなのか? 不細工なのか?」
「いえ、そんなことは全然……、むしろ、その……、か、かわ……」
「だったらいいじゃねーか! てか、何を悩むことがあるってんだ! ざけんな! ゲルハルトみたいになっちまえ! バーカ!」
一方的に罵詈雑言を吐き捨てて、フェリーニはその場から立ち去って行った。あまりの理不尽な仕打ちに、湯船の中で呆然とした顔を浮かべているロウライズの視界に、フェリーニと入れ替わりに一人の巨漢の少年が浴場に入って来る様子が映る。
「オメェサン、でぇじょうぶか? なンか、あの人、怒らせたみてぇだげど」
魔法師とは思えない筋骨隆々とした体躯を持つ
バーバン・ロメオ
が、ロウライズにそう語りかけた。
「いや、まぁ、その、悩みを相談しろと言われて、実際に話してみたら、何が何だか分からないうちに怒られたというか……」
「悩み? ナニかあったんか?」
バーバンはその巨体を湯船に浸からせながら、そう問いかける。バーバンのこの様子からして、おそらく彼は自分とエマのことは知らないのだろう、と判断したロウライズは、ひとまず自分から詳細を話すのは避けることにした。
「うーん、まぁ、今まで経験したことがない事態に直面してしまって、どうすればいいか分からない、といったところかな……。相手のためにも、早く答えを出した方がいいとは思うんだけど、なかなか……」
「んーーーーーー、ハジめてのことなら、そんなにアセらなくてもいいんでねぇか? よぐわがんねぇこたぁ、よぐわがんねぇまま決めても、あんまいいごとねぇよ」
「それは、確かにそうなんだが……」
「あと、いくら悩んでもわがんねぇ時は、なんも考えずにカラダ動かした方が、アタマすっきりすることもあるんでねェかな」
「そうだな……、気分転換は必要なのかもしれない……」
「なら、後でオデと一緒に卓球しねぇか?」
「卓球?」
「なんか、隣の施設にそういうのがあるんだでよ」
それはかつて、カルディナがこの地を訪問した時に、彼女の接待のために作った遊技場を、そのまま観光客用の施設として流用した代物である(なお、他に麻雀台もある)。
「まぁ、とりあえずは行ってみるか……」
湯船に浸かりながらそう呟きつつ、ロウライズの頭の中では、エマが今、この旅館の中のどこで何をしているのかが気になって仕方がない、そんな心境であった。
******
「いいなぁ、温泉……」
旅館に併設された温泉施設の近くで、ノアはそう呟いていた。女湯から聞こえてくる楽しそうな声を聞く度に、どうしようもないやるせなさが押し寄せてくる。昼間はレナードを救うために咄嗟のでまかせで「一緒に温泉に入る約束」などと口走ってしまったが、当然そんなことが出来る筈もなく、自分と同年代の「男子の輪」の中にも、「女子の輪」の中にも入れない自分に対して、何とも言えない感慨を抱いていた。
そんな彼(彼女)が、ひとまずその場から離れようとした時、男湯の入口の近くにある従業員用の休憩室から、ノアより少し年上と思しき一人の男子生徒が出てくる姿を見かける。恍惚とした、どこか夢見心地の表情を浮かべた彼は、やや着崩された制服でフラフラと歩いていた。
(あれ? なんであの部屋から? あそこって、宿泊客は立ち入り禁止なんじゃ……)
ノアはそう思いつつ、半開きになっている扉からその奥を覗こうとした瞬間、突然、中から現れた「女性の手」に自分の腕を捕まれ、そのまま部屋の中へと引きずり込まれる。
「え!?」
何が起きたか分からないまま、ノアはその休憩室の中へと連れ込まれると、すぐさま扉を締められる。そこにいたのは、一人の半裸の女性(下図)であった。
「アナタも、私のこと聞いて覗きに来たの? ワルい子ね♪」
「いや、あの、あなたは一体……」
「とぼけなくてもいいのよ……、だーいじょうぶ、ちゃーんとあなたをオトコにして……、ん?」
その女性は、ノアに顔を近付けた時点で、違和感を感じた。
「アナタ……、女の子?」
いつもなら、ここで即座に否定するところだが、ノアは本能的に「このお姉さん相手に嘘は通じない」ということを察した。
「ハイ……」
「そっかぁ、残念。まぁ、別に女の子相手でもデキないことはないんだけど……」
「あなたは何者なんですか?」
「私はメャニア。この村で働いてる善良なリャナンシーよ」
リャナンシーとは、妖精界からの投影体であり、男性の精を吸い取り、その代わりに交わった男性の中の何らかの能力を開花させることで知られている。
「リャ、リャナンシー……」
自分が何をされそうになったのか、そして先刻この部屋から出て来た生徒が何をされたのかを理解したノアは、一気にその頬が赤くなる。
「誤解しないでね。私はあくまで、ちゃんと合意を得た相手としか、そういうコトはしないから。まぁ、普通はアナタくらいの年頃だったら、そういうコトに興味があるのが普通だから、断られることは滅多にないんだけど」
「じゃあ、その……、さっきの人以外にも……?」
「そうねぇ。彼、何人目だったかしら……」
「あの! まさかとは思いますけど、その中に、金髪で、身体中に傷のある人とか……」
「んー、その子は心当たりないなぁ。え? なに? その子に手を出したら、まずかった?」
ニヤニヤした顔でそう問いかけてくるメャニアに対し、ノアは更に顔を紅潮させながら激しく首を振る。
「い、いや、別にそういう訳じゃないんですけど……」
「ていうか、なんで男の子の制服着てるの? 彼氏の趣味?」
「ち、違います! その人は別に彼氏とかじゃ……」
「私、別に『その人』が彼氏かどうか、なんて聞いてないけど?」
意地の悪そうな笑顔でそう語るメャニアに対し、ノアは完全に錯乱状態になる。
「も、もう、知りません! ボク、部屋に帰ります!」
「まぁまぁ、待ってよ。ここでやってたことバラされるとちょっと面倒なことになるからさ。何かしてほしいことがあれば相談に乗るから、その代わり、ここでのことは黙っててくれない?」
「別に、してほしいことなんて……」
そう言いかけたところで、ノアは「あること」を思いつく。
「あの、出来れば、でいいんですけど……」
******
それからしばらくして、「赤くて長いウェーブヘアのウィッグ」をかぶり、この旅館の特製の「浴衣」を着込んだノアは、人が少なくなった女湯に入ろうとしていた。メャニアに「学友に知られずに女湯に入る方法」を相談したところ、彼女が「正体を隠して下町に男漁りに行く時に使うウィッグ」を貸してくれたのである。
(大丈夫かな……、まぁ、近くで見られない限り、分からないよね……)
脱衣場の様子を見る限り、使われている脱衣籠は一つだけ。その中に入っているのは明らかにエーラムの制服だったため、修学旅行客の誰かであろうことは推測出来るが、その人物にさえ近付かなければ、こっそりと入浴することはおそらく可能である。
そう思いながら脱衣を済ませ、恐る恐る浴場の扉を開けた瞬間、ノアは湯船に浸かりながら縁の部分に突っ伏している一人の金髪の少女を発見する。
「だ、大丈夫ですか!?」
ノアは思わずそう叫んで駆け寄る。本来なら、黙って放置しておいた方が自分自身のためなのだが、さすがに目の前で人が倒れている状態を放置することは出来なかった。
「あぁ……、ごめんなさい……、のぼせちゃって……、動けなくて……」
その少女が朦朧とした意識のまま、茹でダコのような顔色でそう呟くと、ひとまずノアは彼女を湯船から引っ張り上げた。身長はノアと大差ないが、日頃から無理して「男子に見えそうな立ち振舞い」を心掛けているノアに比べると、全体的に彼女の方が女性らしい体型に育っているように見える。
しばらくそのまま湯船の外で横たわっていると、少しずつその金髪の少女の頬の色が正常な状態に戻っていく。そんな彼女を改めて直視してみると、日頃から髪や肌をきめ細かく手入れしているであろう形跡が伺えた。少なくとも、今のノアの「男子に見えるように」という点にのみ特化した美容法とは、明らかに異なる。
「ありがとうございます。ようやく少しすっきりしてきました。あの……、この村の人ですか?」
どうやらこの少女には、目の前にいる「赤髪の少女」がノアだとは気付かれていないらしい。
「はい。ボ……、私はこの近くに住んでいる者で、よくこの温泉には入りに来てるんですよ」
ひとまず、そういうコトにしておくのが無難だろう、とノアは判断した。なお、この時点でノアはこの少女の顔には見覚えがあったが、それが誰だったのかまでは思い出せない。そんな中、浴場に新たに二人の少女が現れる。
「あ、エマさん……、どうも……」
「どうしたの? そんなところに寝そべって」
ティトとミランダである。そして、ノアの目の前で寝そべっているこの金髪の少女は、彼女達と同じロータス一門の魔法学生、エマ・ロータスであった。
(思い出した! たしか、マッターホルンでロウライズさんに告白したっていう……)
ノアもその噂だけは聞いており、今回の旅の途中でも、しばしばそのことは男子生徒の間で話題になっていた。だが、今のノアにとって問題なのは、この金髪の少女の正体ではなかった。
(と、とりあえず、ティトさんからは離れないと……)
ノアとティトは以前、モグラ騒動の時に長時間協力して図書館で調べ物をした仲である。さすがに至近距離で顔を見られたら、バレてしまう可能性が高い。ティトとミランダがエマに近付こうとしたところで、ノアは慌てて彼女達に背を向けて、一番奥の湯船へと向かう。
「ちょっと長湯に浸かりすぎて、のぼせちゃってたんですよ。そしたら、あの人に引っ張り上げてもらって……」
「気をつけなさいよ、湯あたりで溺れて死ぬなんて、シャレにならないんだから」
ミランダがエマを気遣いつつそう言った一方で、ティトはノアに向けて声をかける。
「エマさんを助けてくれて……、ありがとうございます……」
「い、いえ、お気になさらず」
いつもよりも少し高めのトーンの声でノアはそう返しつつ、彼女達には背を向けたまま、壁を見詰め続ける。一方で、ミランダとティトはエマと共に「かけ湯」へと向かった。
「それにしても、なんでのぼせるまで入ってたの? もしかして、例の彼のこと考えてたとか?」
単刀直入にミランダに聞かれたエマは、恥ずかしそうに答える。
「はい……、そう、なんですよね。一応、返事はいつでもいいって言っちゃったんですけど、でもやっぱり、あれからずっと音沙汰がないと、ちょっと不安になるっていうか……」
「だったら、聞いてみればいいじゃない。一緒にこの村に来てるんでしょ?」
「そうなんですけど、でも、急かしたら嫌われるかもしれないし……」
「その程度で嫌われるようなら、最初から脈なんて無いんじゃないの?」
「えー、そんなぁ……、まぁ、でも、確かにそうかもしれませんけど……」
「駄目なら駄目で、早めにはっきりさせた方がすっきりするじゃない」
サバサバとした態度でそう語るミランダであるが、そんな彼女を見ながら、ティトは微笑を浮かべる。その視線に気付いたミランダは、怪訝そうに問いかけた。
「……なによ?」
「ミランダさん……、今日、いつもよりおしゃべりですね……」
言われてみれば、確かに今の自分は、いつもよりも饒舌になっている。ぶっきらぼうな口調ではあるものの、いつもの自分であれば、いくら同門とはいえ、他人のことにわざわざここまで口出しはしないだろう。
「それは、多分……」
「あなたがいるから」という言葉が喉元まで出掛かるが、それをそのまま言葉にする勇気が、今のミランダにはまだない。実際、ティトと一緒にいることで、今まで表に出せなかった「素の自分」を表現出来るようになりつつある気がする。
「多分、なんです……?」
「なんでも無い!」
視線をそらしながらミランダがそう言ったところで、ふとエマが問いかける。
「そういえば、お二人はどうなんですか? ティトさんは、前にアルフォート家のお屋敷で、どなたかとダンスを踊っていたと聞きましたけど」
「テラさんですか……? いい人ですよ……」
ティトのその言葉に、どこまでの意味があるのかは分からない。一方、ミランダはその名を聞いた時点で、アシストの試験の時を思い出す。
「あの、やたら色白で細身の人よね。なんか独特の雰囲気の……」
「ミランダさんは、どうなんですか?」
「私はいないわよ! そんな人!」
そんな彼女達の会話に対してノアは背を向けたまま耳を傾けつつ、横目でチラッとかけ湯を浴びている三人の様子を眺める。
(ティトさん、肌白いな……。ミランダさんの「本物の赤毛」も、すごく綺麗……)
ノアは彼女達と「今の自分」を見比べているうちに、その「差」に対して自分が違和感を覚えていることに気付く。それと同時に、その「違和感を感じている自分」に対しても違和感を感じていることに気付いた。
(ボクは、どうなりたいんだろう……? ボクは「ボク」のままでありたいのか、それとも……)
湯船の中に浮かぶ「女性としての自分」の姿を改めて直視すると、改めて「自分」が何者なのかが分からなくなる。そして、エマの恋バナが聞こえてくる度に、自分の中でもう一つの疑問が湧き上がってくる。
(「ボク」は、誰に恋をするんだろう? そして、「私」は……)
一人でずっとそんな想いを抱きながら、やがて三人が浴場から去るまで(自分が退場出来るタイミングが訪れるまで)、ずっと一人で(のぼせないように時々縁に上がりながら)ノアは複雑に絡み合った想いの迷路の中をさまよい続けるのであった。
******
「ダッハハハ! オデの勝ち、だな」
温泉宿に併設された娯楽施設で、(最大サイズの)浴衣に着替えたバーバンが、同じく浴衣姿のロウライズを相手に、卓球で完勝していた。ロウライズはルールを聞いた時点で「卓球は、体格差がそこまで致命的なハンデにはならないスポーツ」と思っていたのだが、体格以前にそもそも身体能力そのものの差が歴然であった。ロウライズは肩で息をしながら、がっくりとその場に座り込む。
「俺も、もう少し日頃から運動した方がいいかもしれないな。こんな姿……」
それに続けて彼の喉元から「彼女には見せられない」という言葉が出て来ようとしたが、慌てて彼はその言葉を飲み込む。
(何を言おうとしてるんだ、俺は……? まだ、自分でも好きかどうかも分からない相手の前で、何をカッコつけようとしているんだ……?)
ロウライズが自分の中に芽生えつつある新たな「謎の感情」に戸惑う中、勝ち誇ったバーバンは周囲の面々に向かって叫ぶ。
「さぁ、オデに勝てる奴、誰かいねぇが?」
バーバンは温厚ではあるが、勝負事となると熱くなるタイプらしい。そして、そんな彼と同じくらい、負けん気の強い男がここにいた。
「やってやろうじゃねぇか!」
レナードである。彼は他の(温泉上がりの)面々が浴衣姿に着替えているのに対し、一人だけ制服姿のまま、この遊技場に足を運んでいた。
「そのカッコだと、動きにくくねぇが?」
「心配いらねぇよ! 俺にとっちゃあ、これがいつでも戦闘服だからな!」
彼の中での「学生服は戦闘服」という思想の根源は地球(の一部)由来の文化だが、実際のところ、エーラムのアカデミー制服は機能性と防護能力のバランスが高く、契約魔法師達の間でも戦場でこれを愛用している者は多い。
「いくぜ!」
レナードが勢い良く絶妙な位置にサーブを打ち込むと、巨体に似合わぬ器用な動きでバーバンが返す。そんなラリー繰り返す中、やがてヒートアップしてきたバーバンが全力でピンポン玉をラケットで叩きつけると、勢い余ってその打球はレナードの顔面へと向かう。間一髪のところでレナードがそれを避けると、打球は背後の壁から壁へと跳ね返り続け、最終的にバーバンの手元へと戻ってきた。
「あっぶねーな! ちゃんと狙いやがれ!」
「ダッハハハ! ワリィワリィ、加減間違ぇた」
二人がそうして熱戦を繰り広げている一方で、部屋の隅ではジュードが遊技場全体の様子を観察する。
(なるほど、これがカルディナ先生の接待のために作った施設ですか……。まぁ、確かに、温泉だけでなく、旅行客のために色々な娯楽を用意するというのは、来客をもてなす上での戦略として悪くないですね。道具さえあれば勝手に遊んでくれるものばかりみたいですし、それほどメンテナンスにも費用がかからないのでしょう。官営施設でこのような試みが成されているということは、おそらく村内の民間の宿屋の方にもこのノウハウは伝わっている可能性が高い。一応、明日にはそれも確認してみますか……)
そしてもう一人、娯楽以外の目的でこの娯楽施設を訪問していた学生がいた。ジュードとは全く別の観点から村の調査をしていた、テオスフラトゥスである。この村の建物の中でも一際異彩を放つこの娯楽施設の由来を調べた結果、彼は部屋の隅の本棚に置かれていた、この施設を設計する際に参考資料になったと言われる異界魔書『じゃらん』の存在に気付き、それを熟読していたのである。
(なるほど……、温泉宿に卓球台や麻雀卓を、というのは、この本が由来なのか。関連性や必然性はよく分からないが、確かに不思議と溶け込んでいるようにも見える……。ある意味、これもまた一種の異界の自然律ということか……)
だが、それはあくまでも「この世界の自然律」の枠組の中で、この世界に自然に存在する物品を用いて作り出した「再現品」である。そうなると、町の随所に見られた不思議な建築様式の建物や、土産物屋に売られていた奇妙な商品なども、同様の手法で(もしかしたら、カルディナ以前に遥か昔にこの世界に投影された異世界人を起源として)生み出されたものである可能性が高そうだが、それを確かめるためには、もう少し詳しい調査が必要となる。
(どこにいようとも、新たな発見や学びはあるものなのだな)
テオフラストゥスはそんな感慨を抱きつつ、それと同時に、どこにいても結局勉強(研究)しかしていない自分の生き方にも気付いて、思わず苦笑するのであった。
******
「温泉卓球……、楽しみです……」
「あなた、球技とか出来るの?」
「やってみないと、分かりません……。でも、やってみたいです……」
ティトとミランダがそんな会話を交わしつつ、なんとなく流れでエマも同行する形で、浴衣に着替えた三人が遊技場へと向かっていた。
(私が一緒にいていいのかな……? なんか、この二人の邪魔してるみたいだけど……、まぁ、私は審判役でもしていれば……)
エマがそんな想いを抱いている中、遊技場から話し声が聞こえてくる。
「俺はまだ彼女のことがよく知らない。だから、彼女のことをちゃんと理解してから結論は出したいんだが、そのためにどうすればいいのかが分からないんだ」
(この声! ロウライズさん!?)
エマの中の気持ちが一気に高ぶる中、続いてレナードの声が聞こえてくる。
「そんなら、とりあえず、二人でいっぺん、どっかに遊びにでも行ってみりゃいいんじゃねぇか? で、もっと仲良くなりたいと思ったら、そっから付き合うことにすればいいだろうよ」
バーバンとの卓球を終えた後、レナードは備え付けのコーヒー牛乳を飲みながら、思い悩んでいるロウライズの相談に乗っていたのである。もっとも、レナード自身もまた恋愛のことをよく分かっていないので、本人も「柄にもないことをしている」という思いはあったのだが、それはそれとして悩んでいる学友がいれば相談に乗るのがグッドヤンキーの務めである。
「確かに、それで上手くいけばいいだろう。だが、もしそこで、俺の中で『彼女とは合わない』という結論が出てしまった場合、それは中途半端に期待を持たせるだけの、最低の行為にならないか?」
「まぁ、そりゃそうかもしんねぇけどよぉ、んなこと言い出したら……」
二人がそんな会話をしている中、ティトとミランダに隠れるように、彼女達の後方からエマが彼等の前に姿を表す。
「あ……」
彼女と目が合った瞬間、ロウライズはバツが悪そうな顔を浮かべる。一方、エマは赤面した様子で俯きながらも、そっと首を上げて上目遣いでロウライズに対して語りかける。
「その……、素敵ですね、浴衣姿……」
ロウライズがそれに対して何か答えようとする前に、周囲から一斉に二人を囃し立てるような声や口笛や鳴り響く。またしても、公衆の面前でストレートに感情を声に出してしまったエマは、先日と同様に慌てふためく。
「あ! いや、その、今、こんなこと言われても、困りますよね! 私ったら、なんか、自分で勝手に盛り上がって彼女面しちゃって、すみません! あの! 別に、まだ、答えは急がなくていいですから! 本当に、いつでもいいんで!」
まくし立てるように彼女はそう言った上で、またしても全速力でロウライズの前から走り去って行く。そんな彼女に対して、ロウライズが今の「中途半端な気持ち」のまま彼女を追いかけて良いのかどうか逡巡した表情を浮かべていると、レナードが再び彼に声をかけた。
「オレはバカだからよくわかんねぇけどよぉ……、とりあえず、『期限』だけでもはっきり決めちまった方がいいんじゃねぇか?」
「期限、か……」
彼女は「返事はいつでもいい」と言ってくれている。だが、ロウライズとしても、いつまでも彼女を待たせるのは本意ではない。
「勉強が得意な奴には分かんねぇかもしれねぇけどよぉ、勉強が苦手なオレからしたら、『締切のない宿題』なんて、一生やる気になんねぇぜ」
「……そうだな」
ロウライズはそう呟き、彼女を追って走り出した。
******
遊技場から走り去ったエマは、どこに行けば良いのか分からぬまま、ひとまず自分の頭を冷やすために、一旦外に出ることにした。夜風に当たりながら星空を見上げ、そして自分がやったことを思い返して自己嫌悪に陥る。
(あー、もう、なんで私、まだ同じことしちゃったの!)
彼女が後悔しているのは、自分の想いを素直に告げたことではない。その直後に、彼が何も言う前に彼の前から逃げ出してしまったことである。
(ロウライズさんは、ちゃんと真剣に私のことを考えてくれてる。それが分かっただけでも、すごく嬉しかったのに……。これじゃ、また「変な子」だって思われちゃう……、自分が言いたいことだけ一方的に言うだけの「自分本位の子」だって思われちゃう……)
二度に渡ってエマが逃げ出したのは、衆目故の恥ずかしさだけではない。彼女はロウライズの返答を聞くのが怖かった。自分の想いを拒絶されるのが怖くなって、咄嗟に彼の前から逃げたくなってしまったのである。
(「思われちゃう」じゃないよね……。うん、私、自分本意なんだ。そうだよ、自分の想いをぶつけるだけで、ロウライズさんの想いを聞くことから逃げてるんだもん。こんな私じゃ、付き合ってもらえる訳……)
冷静に自分を分析することで、余計に自己嫌悪が深まっていくエマの目に涙が浮かびかけたその瞬間、後方からロウライズの声が聞こえる。
「エマ!」
彼の声で初めて自分の名前が呼ばれたことで興奮状態となった彼女はすぐさま振り返ろうとするが、今の自分が半泣き状態の顔であることを思い出し、慌てて後ろを向いたまま、浴衣の袖で目元をこする。
「あ、ごめん、その、急に呼び捨てにするのは、ちょっと馴れ馴れしかったかもしれないけど、えーっと……」
ロウライズも言った直後にそんな動揺を見せつつ、すぐさま「本題」に入る。
「俺はまだ、正直、君のことがよく分からない。だけど、分かりたいと思ってる。今はまだ無責任なことは言えない。でも、『学園祭』までには必ず結論を出す。だから、それまで待っていてほしい」
エマの中で「返事はいつでもいい」というのは、配慮であると同時に、「逃げ」でもあった。だが、その「逃げ場」をロウライズ自身が断ち切ったことで、エマも覚悟を決めて振り返る。
「分かりました。私、どんな結論でも、後悔しません。だから、それまでに私のことが知りたくなったら、いつでも言って下さい。お話出来ることは、全部話しますから」
「ありがとう。それと……」
ロウライズは若干目線をそらしながら、やや小声で呟くように伝えた。
「君の浴衣姿も、すごく、似合ってる」
今のロウライズには、それ以上の言葉は言えなかった。そして今のエマもまた、それ以上のことを言われたら心臓が破裂しそうなくらい、気持ちが高揚していた。
******
この日の深夜、もう殆どの学生が寝静まった頃、ゼイドは一人、温泉に浸かっていた。顔を見られないように湯に浸かるには、このような形で人気のない時間帯を狙うしかないと判断した上での行動だったのだが、同じことを考えていた男子学生は、もう一人いた。
(誰か、来る? この時間に……)
ゼイドがその存在に気付いた時、浴場に入って着たのはレナードであった。彼はかつて、凶悪な投影体との戦いにおいて身体の各所に深い傷を負い、肌の一部が緑に変色している。レナードにとってそれは「敗北の刻印」であり、自分が弱いということの証でもあるため、この傷を他人に見られることだけは極力避けたいと考えていた(この傷のことを知っているのは、ノア・メレテスだけである)。
レナードは物音を立てないように(アシストの魔法まで使った上で)こっそりと脱衣していたため、ゼイドはその気配に気づけなかった。そして、ゼイドもまた、脱いだ服を一番目立たない奥の棚に入れていたため、レナードも「中に人がいる」ということに気付かぬまま入浴場に入ってしまったのである。
(彼は確か、レナード・メレテス! まずい、これは早くここから…………、いや、待て。むしろ、今のこの瞬間が好機なのかもしれない。俺が自分のことを明かす上で、この「逃げられない状況」こそ、ある意味で……)
ゼイドがそんな逡巡に駆られているのに対し、レナードの方は露骨に嫌そうな顔をしていた。
(誰だコイツ!? ったく、この傷を見られちまうとは……、まぁ、でも、ウチの学生じゃないみたいだし、それが不幸中の幸いだな。とりあえず、この傷を見た上で何かナメた口効きやがったら、速攻シメてやる!)
レナードはそもそも「ゼイドの素顔」を知らない。故に、目の前にいる人物が「以前に図書館で遭遇した、フードを深くかぶった男」だとは気付けていないのである。彼はそのまま「よく分からない先客」に対してガンを飛ばしながら、ひとまずかけ湯へと向かう。
(あの激しい視線……、彼はまだあの時の図書館でのことを根に持っているのか……。まぁ、仕方がない。それにしても、なぜ彼はこんな時間に……。彼もまた、人前に身体を晒せない事情があるのだとすれば、やはりあの肌と傷が原因なのか……)
そんな憶測を抱きつつ改めてレナードの身体を凝視するゼイドに対し、レナードは更に激しくメンチを切る。
(ジロジロ見てんじゃねぇ! ぶっ殺すぞ!)
レナードとしても、深夜にここで騒ぎを起こせば人が集まって来るのは分かっているため、極力穏便に済ませたい。そのための威嚇だったのだが、ゼイドは臆することなく彼を見ながら推測を続ける。
(もしかして、あれは邪紋なのか? 彼は魔法師のフリをして潜入している邪紋使い(アーティスト)? その秘密を守るためにこんな時間に? いや、だとしたら、睨みつける程度で済ませる筈がない。もし彼が外部から送りつけられてきたスパイなら、この場で俺を確実に殺すか口止めしようとする筈だ。それをしないということは、少なくともエーラムに対して敵対的な間者ではない。その上で、俺のことを信用してくれている、ということか? だから、睨みつけるだけで何もしてこないのか?)
ゼイドは様々な可能性を考慮しつつ、ひとまず自分が彼の身体を凝視することで彼を怒らせていることは理解したため、一旦視線を彼からそらす。
(可能性はいくらでも考えられる。だが、少なくとも彼はこの状況で、学友に自分の秘密が知られても、黙って見過ごそうとしている。ならば俺も何も言うまい。互いに秘密を共有している者同士、ここは黙って立ち去ることにしよう。無理に相手の全てを理解する必要はないからな)
夕方のゲルハルトの話を思い出しつつ、ゼイドは浴場を後にする。その後、ゼイドの中でレナードへの親近感は少しだけ上がったようだが、当然、レナードはそのことを知る由もなかった。
******
翌朝。まだ陽が昇り始めたばかりの時間に、ティトはミランダに起こされた。
「ティト、起きて」
「え……、まだ、早くないですか……」
「温泉卵、買いに行くわよ」
「こ、この時間に……?」
「一番新鮮なのを味わうには、早朝が一番いいらしいのよ」
「分かりました。ふぁぁ」
ティトは小さく欠伸をしつつ、手早く身支度をしてミランダと二人で浴衣姿で下町へと向かい、無事に新入荷されたばかりの温泉卵を入手する。
二人は朝日を浴びつつ、再び足湯に浸かりながら、その新鮮な温泉卵を食べ終えたところで、おもむろにミランダがティトに語りかけた。
「ティト……、一緒について来てくれて、ありがとう」
「こちらこそ、楽しかったです……。……お誘いいただき、ありがとうございました、ミランダさん……」
「今まで、誰かと一緒にいたいとか考えたことなかったのだけど……、あなたと一緒にいれて楽しかったわ……。この前うまく言えなかったのだけど……、私もあなたのこと『友達』と思っていいかしら……?」
ミランダにとっては、それは一世一代の告白のような気分だったが、ティトはごく自然ないつもの笑顔で答える。
「勿論です……、そう思ってもらえると、私も嬉しいです……」
「ありがとう。ティト」
その後、二人は陽光を背に寄り添いながら、宿屋へと帰還するのであった。
アルジェント・リアン(下図)に引率された者達が向かうウリクル村は、モラード地方の中では最も奥まった内陸部に位置しており、最初の到着地であるエストからの距離が最も遠い。そのため、陸路で移動すると、スパルタ組やソリュート組に比べて、現地での滞在時間に大きく差が発生してしまう。
この差を埋めるべく、ウリクルから一人の少女がエストへと派遣された。彼女の名は、コノハ・カーバイト(下図)。カルディナ門下生の「第二世代」と呼ばれる12人の魔法師の一人であり、「第一世代の末っ子」であるヴェルディ・カーバイトと共に、ウリクルの領主に仕えている。極東風の装束をまとい、頭には陰陽マークをあしらった髪飾りを付け、丸い片眼鏡をかけた彼女は、明らかに「普通の魔法師」とは異なる独特の雰囲気を漂わせていた。
「ようこそ、ブレトランドへ! 今からウリクル村まで、私が皆さんをお連れします。私は浅葱の召喚魔法師なのですが、本日は『私の力』ではなく、『私の本体の力』を用いる形で、ちょっとこの世界の自然律を曲げさせて頂きますね」
コノハはそう告げると、彼女の「本体」である一冊の本を取り出した。その表紙には
番長学園!! 大吟醸
と書かれている。
彼女達「第二世代」はいずれも地球からの投影体である。ただし、彼女達は地球人ではない。
彼女達の住む地球
は少々特殊な歴史を歩んだ地球であり、彼女達はその世界において生み出された「禁書の象徴体(レトロスペクター)」と呼ばれる存在であった。それは一冊の本における一要素を具現化する形で出現する「特殊な力を持った意志体」であり(ラトゥナのような「本のオルガノン」と混同されるが、本質的には全くの別物)、彼女達はその中でも「TRPGのルールブック」から生み出された特殊な象徴体である。
「いいですか? 私が今から『ウリクル村へ行くぞー!』と言うので、それに合わせて皆さんは『おー!』と、声を合わせて叫んで下さい。恥ずかしがってちゃ、ダメですよ。ここで声が揃わなかった人は置いてけぼりですからね」
彼女が何を言ってるのかよく分からないが、ひとまずアルジェントも学生達も彼女の言うことに従うことにした。
「それじゃあみんな、ウリクル村へ行くぞー!」
「おー!」
皆の声が揃った瞬間、彼等の目の目の前の光景は一変し、そこには広大な「ゴルフ場」が広がっていた。
「え!? な、何が起きたんだ?」
「瞬間移動の魔法?」
「なんかちょっと身体が疲れてもいるような……」
「いや、むしろ魔力が高まっている気がする」
学生達が困惑する中、アルジェントはコノハに問いかける。
「これが『風水』の力、というやつか?」
「いいえ。これはあくまでも『番長』の力です。『風水先生』としての私の力は、また別の機会に披露させて頂きますね」
彼女が何を言っているのか全く分からない学生達は、深く考えるのをやめた。
******
その後、学生達は用意された宿舎に荷物を預けた上で、その中の希望者は「ゴルフ体験会」へと案内される。この村には、ブレトランドでも随一の人気を誇るゴルフ場である「ブランギース・カントリークラブ」が存在し、世界各地から有名ゴルフ愛好家が集まることで知られていた。
(そういえば、イギリスはゴルフの発祥の地だって、誰かが言ってたっけ)
「ツムギ・ウタシロ」改め
ツムギ・ストレイン
は、地球時代にどこかで聞いたそんな雑学をふと思い出す。彼女は先日この世界に投影された後、ジュノの誘いに応じてストレイン家の養女となった。まだ魔法を使う術は身につけていないが、ある程度の混沌操作の方法は既に習っている。
地球人である彼女から見ると、この世界におけるブレトランド小大陸は、彼女の世界におけるブリテン島と立地も気候も雰囲気もよく似ている。それが偶然なのか、何らかの関係があるのかは分からないが、彼女にとっての「ゲームの中の世界」であるこのアトラタン世界に、21世紀の地球と同じような文化やスポーツが根付いているのは、どこか不思議な印象でもあった。
そんな彼女達が案内されたのは、美しい新緑の芝生が広がった練習場である。さすがに初心者の子供にいきなりコースを回らせるのは無理があるので、最初はここで簡単なクラブの使い方を学ばせる予定らしい。
エーラムでは見られない広大な「自然の遊技場」を前にして子供達が興奮気味の様子を見せていると、やがて彼等の前に一人の大柄な男が現れる(下図)。彼の名はクロー・クロー。この村の治安維持を担当する傭兵隊長であり、レイヤードラゴンと呼ばれる「異界の龍」の力を模倣する邪紋使いであった。
「ゴルフの基本はドライバーだ! まずはこの俺が手本を見せてやろう!」
彼はそう言うと、その巨体に見合った大型ドライバーを振り上げて、白球を高々と打ち上げる。天高く舞い上がった打球は広大な芝生の奥まったところにある「300」の看板を超えた先でポトンと落ちた。
「いいか、グリップをグッと握り締めて、グワッと振りかぶって、スパーンと叩きつける! これを繰り返していれば、誰でも300ヤードくらいは軽く飛ばせる。やってみな」
何の説明にもなっていないその解説を聞かされた上で、学生達は順番に挑戦してみるが、当然、そう簡単にジャストミートさせることは出来ず、たまに強打することが出来ても大半はまっすぐ飛ばずにOBゾーンへと吸い込まれてしまう。野球少年
アツシ・ハイデルベルグ
もまた、慣れないゴルフクラブの扱いに苦戦して、空振りを連発していた。
「あー! クソ! 当たんねー! なーんか振りにくいんだよなぁ、これ……」
そんな彼の様子を見ながら、ツムギは一つの疑念を抱いていた。
(あの子、見た目も名前も日本人っぽいし、なんとなく他の子達とは雰囲気が違う気がするんだけど、地球人じゃないのかな……? ジュノちゃんは「地球人の魔法師」は百年以上前に一人いただけだって言ってたけど、別の子は「狼の体になってる地球人」もいるって言ってたし(discord「寮のサロン」6月20日)、さっきの片眼鏡の人も「地球人ではないけど、地球からの投影体」らしいし……、もしかして、この子も地球と何か関係あるんじゃ……)
そんな彼女の視線の先で、アツシは更に彼女を混乱させるような所業を始める。
「やっぱり、俺はこいつでないと調子が出ないんだよな」
アツシはそう言いながら、どこからともなく「赤い木製バット」を取り出し、そこにヴォーパルウェポンの魔法をかける。
(え? あれって、野球のバットよね? この世界に野球ってあるの?)
「くらえ! 火の玉ショット!!!」
そう叫びながらアツシは全力でゴルフボールをバットで叩き付けると、その打球は低い弾道ながらも鋭い勢いで空を切り、先刻のクローのボールと同じくらいの距離まで到達していた。そしてこの瞬間、クローの中の何かに火が点いた。
「やるじゃねーか! どこで手に入れたのか知らねーが、それなら俺も本気を出そう。こないだコノハから貰った『コイツ』を試してみる機会が来たようだな」
クローは背負っていたゴルフバッグの中から、青い木製バットを取り出す。
「そ、それは!? オーシタの青バット!?」
「いくぜ!!」
その掛け声と同時に放たれたクローのショットは、先刻よりも更に高い軌道を描いて、「400」と書かれているボードの近くまで到達する。
「どうだ?」
大人気なく勝ち誇った顔のクローに対し、アツシは素直に悔しがる。
「くっそー、やっぱり飛距離じゃ青バットには勝てないか。だったら、次は物干し竿で……」
そんな意味不明な言葉を呟き続けるアツシをツムギは奇異の目で見詰めつつ、自分に順番が回ってきたことを告げられる。当然、彼女もゴルフ経験などある筈もないため、気楽な気持ちで渡されたドライバーを握ってみた。
(確か、前にテレビで見たタイガーなんとかって人は、こんな風に……」
なんとなくのイメージで彼女が振りかぶった瞬間、クローは彼女の周囲に混沌の力が集積していくのを実感する。
(この気配……、地球人か!?)
実は半年ほど前から、このモラード地方の近辺にはツムギと同世代の「地球人傭兵」の少女が出没している。クローがその彼女と似た「混沌のゆらぎ」をツムギから感じ取った直後、彼女は極めて自然なフォームでドライバーを振りかぶり、そして無駄のない動きでボールにジャストミートさせる。
(あ……、なんか、上手く出来たかも!?)
ツムギがそう思った瞬間、ボールは理想的な軌道を描きながら舞い上がり、クローの二打目と同じくらいの距離にまで到達していた。ツムギは自覚していないが、これは「妄想を力に変える」という地球人特有の特殊能力である。彼女の記憶にあった地球のトッププロのイメージをそのまま再現させることに成功していた。
「すっげー! さっすが龍(複数形)の巫女! オズマばりの計算しつくされたスイング!」
アツシがそう絶賛すると、レイヤードラゴンであるクローの目の色が変わる。
「なに? 龍だと!」
「あ、いや、別にそういうんじゃないです。勝手にそう呼ばれてるだけで、別に私は龍とは関係ないというか、そもそも私の故郷の龍はゴルフとは関係ないし、今のはどちらかというと……」
ここで「タイガーのイメージ」と説明すると、余計に話がややこしくなることを察したツムギは、それ以上は言葉を濁してごまかす。
その後、一通りの試し打ちが終わったところで、彼等はOBゾーンに落ちたボールの捜索・回収を命じられるのであった。
******
「ヴェルディ先輩! はじめまして! アーロン・カーバイトです!」
領主の館を訪問した
アーロン・カーバイト
は、緊張した面持ちで「年下の先輩(義姉)」のヴェルディ・カーバイト(下図)と対面する。彼女は弓の扱いを得意とする「山吹(亜流)の静動魔法師」であり、色々な意味で対話するのが難しい(何を考えているのか分かりにくい)少女と言われている。
「はじめまして。遠路はるばるようこそ。ヴェルディです。先生からは『光り輝く新人』が来ると聞いていたのですが、それが君ですか?」
「はい、ボクです!」
アーロンはそう宣言すると同時に、ライトの魔法を自分にかける。
「それは、何の罰ゲームですか?」
「罰ゲーム?」
「先生に、どんな弱味を握られてるんですか?」
「弱味?」
きょとんとした顔のアーロンを見て、ヴェルディはかつて契約相手に言われた言葉を思い出す。
+
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契約相手に言われた言葉 |
「この世界、馬鹿の方が幸せらしいぞ」
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「なるほど、君は幸せな人なんですね」
「はい! ボクは今、とても幸せです! なぜならボクは今……」
「あー、理由は別にいいです。君が幸せでいるなら、それでいい。君はそのまま、幸せなままでいて下さい。多分、その方が先生も幸せです」
「分かりました。ありがとうございます。それで、実はこれをヴェルディ先輩に届けるようにと言われて来ました」
アーロンはそう言って、カルディナから託された鞄をヴェルディに手渡す。
「ほう? 先生が僕に?」
どうせろくでもないものだろう、と思いながら中を開いてみると、そこには一通の手紙と、一冊の小冊子と、よく分からない魔法具と思しき何かいくつかが入っている。小冊子の表紙には「宇宙からの侵略者」と書かれていた。その中身は、カルディナが考案した「異界の遊戯に基づく新型アトラクションの企画書」であり、そのために先日エーラムで開催された射撃大会の結果なども記されている。
「お前んとこなら、まだ土地も余ってるだろうから、次に私がそっちに行く時までに会場を作っておけ。とりあえず参加者の候補としては、私と、お前と、クレハと、あと隣村の領主も確か弓使いだった筈だから、その辺を連中を集めれば、きっと面白い大会になるだろう。クレハの貸し出しに関しては、お前からジェローム殿を通じて例の姫様に頼んでくれ。あとは……」
そんな手紙を途中まで呼んだところで、ヴェルディはそっと閉じて鞄の中に仕舞い込む。
「君は、この鞄の中身のことを聞いていますか?」
「いいえ、何も」
「そうですか。では、カーバイト一門の姉弟子として、君に極秘任務を命じます」
「極秘任務!?」
唐突に仰々しい言葉が出てきたことで、アーロンの中の何かが騒ぎ出す。
「この鞄を、ゴルフ場の近くの森のどこかに埋めてきて下さい」
「え?」
「穴を掘るための工具は、新コース開発のための工事現場に行けばいくらでもある筈です。君一人で掘るのは大変でしょうから、レオニダスという人を探して手伝ってもらいなさい。ヴェルディからの依頼だと言えば、きっと応じてくれます」
「は、はい……」
「なお、この任務のことは先生にも秘密です。あくまでも、私と君だけの秘密です。それが先生を守るためでもある。いいですね?」
「そ、そんな重要な任務を、僕に任せていいのですか?」
「君だから任せられるのです。先生は君を信じてこの荷物を運ぶ役目を君に託した。その先生の見立てを、義姉である私も信じます」
「分かりました!」
天才少女と名高い偉大な先輩からそこまで言われたことで、アーロンはテンション最高潮のまま鞄を受け取り、そして工事現場へと向かって走り出す。
(あー、あれは今までにいなかったタイプだな……。フレイヤ姉様とも、似ているようでちょっと違う。先生も、いい玩具を手に入れて喜んでるんだろうな……)
ヴェルディが見た限り、鞄の中の魔法具は単体で暴発するような代物ではなく、もし誰かが発見して持ち帰ったとしても、特に何かに悪用出来るようなものでもない。また、そもそもそれほど高度な技術を用いて作り出した魔法具ではなく、仮にそれを悪用出来るだけの技術の持ち主なら、最初から自力で作り出せそうな程度の品々ばかりであった。
おそらくカルディナが次に来る頃には、もうこの企画のことなど忘れて、また何か別の無茶振りを提案してくるであろうし、仮に覚えていたとしても、誰かに盗まれたとでも言っておけばいい。少なくとも、彼女の気まぐれに付き合うために、不倶戴天の執政官を相手に土地の使用権を巡る面倒な交渉を強いられるのは、ヴェルディとしては御免被りたい話である。
それでも完全に廃棄するという選択肢を取らなかったのは、師匠へのせめてもの慈悲なのか、届けてくれた義弟への配慮なのか、もしかしたらいずれ何かの役に立つかもしれないという可能性への期待なのか、それはヴェルディ自身にもよく分からなかった。
******
「あー、かったりぃなぁ……」
魔剣使いの
ダンテ・ヲグリス
はそう呟きながら、フラフラとウリクル村を散策していた。彼は今回の修学旅行に関しては、特にどこにも興味が沸かず、ひとまず一番僻地にあると思しきこの村に来た上で、適当に森で剣の鍛錬でもして帰ればいい、という程度の気持ちで参加していた。
そんな中、村の一角で彼は一人の少女に呼び止められる。その少女は、剣と盾が一体化したような、不思議な武器を持っていた(下図)。
「あなたからは不思議な香りがしますね」
「え? オレ?」
唐突にそう言われたダンテが戸惑っていると、その少女は更に話を続ける。
「少し私の『あっぷでーと』を手伝ってほしいのですけれど」
「は? なんだそれ?」
更にダンテが困惑した表情を浮かべたところで、その彼女はそう言って、傷だらけの赤い腕輪をダンテに手渡した。
「私はもっと多くを学び、得なければなりません。私の力を貸しますので、あなたの力でどうしようもない相手が現れたらそれを掲げてください。すぐに駆けつけます」
「お、おぅ、分かったぜ……」
よく分からないままダンテはその腕輪をはめようとするが、手首が太くて入りそうにない。
「んー……、これ、装着しないとダメなのか?」
「別に手首でなくても良いです。とりあえず、肌身離さず持っていてくれれば」
「ふーむ、それなら……」
ダンテは鞄の中から紐を取り出し、腕輪にその紐を通した上で、その紐を結んで輪の状態にして、自分の首にかけた。
「これでいいか?」
「はい。では、何かあった時にはよろしくお願いします」
彼女はそう言ってダンテの前から去って行く。
(何だったんだ、あいつ……。それにしても、妙な武器だったな……)
ダンテが「彼女」の正体を知るのは、まだもう少し先の話であった。
******
「なるほどなぁ、こういう仕組みで動いてるのか……」
発明少年
カイル・ロートレック
は、ゴルフ場増築のための工事現場で使われている工具の数々に、興味深い視線を示していた。そんな彼に対して、現場指揮を採っている、長身で均整の取れた体格の色黒の青年(下図)が問いかける。
「我々にとっては使い慣れた道具なのですが、見ていて面白いのですか?」
「あー、まぁ、そうですね。俺が作ろうとしているものの参考になりそうだな、って」
ブランギース・カントリークラブは、これまで1番から9番までのコースで運営されてきた。現在、そこに更に9つのコースを加えた全18コースのゴルフ場へのリニューアルに向けて工事が進行中であり、そのための山林開拓の過程で邪魔な岩盤などを破壊するための様々な工具が用いられていた。その中には火薬を用いた工具もあり、花火職人を目指すカイルとしては、その構造に興味が湧いていたのである。
そしてまたもう一つ、カイルにとって興味深いものがこの地にあった。それは、少しは離れた場所に立てられている「物見櫓」である。先日「巨木の中の秘密基地」を作ったことで、彼は木造建築にも少し興味を抱き始めていた。
「ところで、あれって、何のための建物なんですか?」
「この辺りは混沌濃度が高くて、時折、危険な投影体が出現することがあるので、その対応のための見張り台です。あの位置からなら、この工事現場一帯を見渡すことが出来ますし」
「じゃあ、遠眼鏡とか、固定弩(バリスタ)とかも付いてたりとか?」
「武器は固定式ではなく、その時々に応じて配置された人が持参していますが、遠眼鏡は常備されています」
「なるほど……。じゃあ、そこも後で見学させてもらおうかな」
そんな会話を交わす中、ヴェルディから「極秘任務」を請け負ったアーロンがこの場に現れた。
「すみませーん! ここにレオニダスさんって人、いませんかー!」
彼のその声に、カイルと話していた色黒の青年が答える。
「レオニダスは私ですが、何か御用ですか?」
「あ、えーっと、ヴェルディさんから、ちょっと依頼を頼まれてまして、その、内密な話なので、ちょっといいですか? あと、穴を掘る道具を貸してほしいんですけど……」
アーロンにそう言われたその青年は、ひとまず二本のスコップを手にして彼の元へと向かうと、アーロンと共に近くの森の奥へと消えていく。
カイルがそんな二人の後ろ姿を見送ったところで、彼は別の方角の森の中に「見覚えのある少年」の姿を発見した。一緒にこの村を訪問している魔法学生の一人であるビート・リアン(下図)である。
「おぉ、ビート! お前も、この『岩盤ぶっ壊し機』に興味があるのか?」
「いや、その、機械のことはよく分からないんですけど、ちょっと、その、村の方には居辛くなって、それで……」
「ん? 何かあったのか?」
「いや、別に、何かあったって訳でもないんですけど……」
どこか気まずそうな表情で答えるビートに対し、カイルが怪訝そうな顔を浮かべていると、今度は森の中のまた別の方角から、アツシとツムギが現れた。彼等はロストボールの捜索を続けているうちに、気付いた時にはこの工事現場の近くに来ていたのである。
「あれ? ビートじゃないか、なんでここに?」
「あー、えーっと、アツシさんと、ツムギさん……、でしたっけ?」
「そうだけど、別に敬語はいいよ。私の方が後輩なんだし」
ツムギはそう言っているが、さすがにビートも自分より倍以上も歳上の女性を相手にタメ口では話せない。
「なんか浮かない顔だな。どうしたんだ?」
アツシにそう言われると、ビートは訥々と語り始める。
「この村、俺の故郷なんです。まぁ、故郷って言っても、本当に小さい頃に住んでただけで、あんまりはっきりとは覚えてはいないんですけど、でも、やっぱり町並みとか雰囲気とか色々変わってて、それを見てると、『もうここは俺の居場所じゃないんだな』って思えてきちゃって……、それに、あんまり詳しい事情は言えないですけど、そもそもちょっとこの村の人達とは顔を合わせ辛いというか、俺の父親との関係で色々あって、それで、やっぱり、ここに来たのは間違いだったんじゃないかって、今になって思えてきてしまって……」
実はビートの父親は、この村の先代領主であった。だが、3年前にこの地がアントリア軍に占領された後、早々に降伏したにも関わらず謎の変死を遂げている。そのこともあって、アントリア領となったこの村で生きていくことに恐怖を感じた彼の母は、幼いビートを連れて村を出たものの、旅先で病死し、孤児となったビートは諸々の経緯の末に別の村の孤児院に引き取られた後に、魔法の才能を見いだされてエーラムの門をくぐることになったのである。
故に、ビートは今回の修学旅行において、当初はこの村を訪問先の候補地から外すべきかとも考えていたが、結局、自分の中の郷愁の想いを完全に捨てきることは出来なかった。それに加えて、この村に一人、「どうしても会っておきたい人物」がいた、という事情もあり、あえてこのウリクル班に加わったのであるが、いざ村に入ってみると、やはり色々躊躇してしまうらしい。
カイルとアツシはどちらもビートにとっては兄貴分のような存在ではあるが、それでも出生の秘密までは話せない。話すことで彼等まで実家の問題に巻き込んでしまうのは申し訳ないと考えていたし、そもそもエーラムの魔法師となった時点で「それまでの自分」と決別することが原則である以上、ここまでこじれた事情を引きずっているということ自体、恥ずべきことだとビートは考えていたのである。
そんな彼に対して、最初に声をかけたのはツムギだった。
「あの、私、まだこの世界の事情とか全然知らないから、的はずれなこと言ってたらごめんね。でもさ、自分の故郷に帰れる機会があるなら、そこで帰りたいって思うのは当然だし、帰れる時に帰っておくことは、何も悪いことじゃないと思うよ。だって、帰りたくても帰れない人だっているんだし……」
それがツムギ自身のことだとビートが気付いたかどうかは不明だが、それなりに彼の心には響いた様子ではある。そんな彼女に続いて、カイルも口を開く。
「小さい頃の思い出って、俺は大事だと思うぜ。俺が花火師を目指してるのだって、エーラムに来る前のじいちゃんとの思い出があるからだし。お前にとって、この村で暮らしてたことが『思い出したくないこと』なら、無理に思い出す必要はないけど、そうじゃないから来たんだろ?」
「それは、まぁ、そうなんですけど……」
「だったら、別にいいじゃないか。他の奴等がお前をどう思おうとも、お前の中でこの村の思い出が大切なら、ここに来たことを今更後悔する必要はないんじゃねぇか?」
カイルがそう告げたところで、更にアツシも続いた。
「そうそう、あんまり考え込んでも仕方ないって。そこまで深く考え込まなくても、なるようになるさ。俺の故郷のことわざにもあるぜ。『強く当たって、後は流れで』って」
それはことわざではなく、大相撲の八百長メールの際に用いられたフレーズなのだが、そんな言葉を引用するアツシの出自について、ツムギはますます疑惑を深める。
ともあれ、そんな彼等の言葉を聞いて、ビートの表情が少し和らぎ始めたところで、工事現場の作業員の一人が空を見上げながら大声で叫ぶ。
「おい! なんだ、あれ!?」
彼がそう言って指差した先には、一羽の鴉が近付きつつある姿があった。だが、その鴉は、見た者の遠近感を狂わせる程に巨大であり、それが自然界の生き物でないことはすぐに分かる。
「投影体か!?」
「まずいぞ! 今ここには客人が……」
彼等がそう言った瞬間、その巨大鴉は工事現場に向かって急降下して来る。それに対して、アツシは赤バットにヴォーパルウェポンをかけて迎撃体制に入り、ビートはエネルギーボルトを放とうとするが、その鴉が地上に到着するよりも前に、物見櫓から放たれた謎の一撃がその身体を貫き、一瞬にしてその巨体が消滅する。
「あの距離から、ここまで届くのか……。しかも、たった一発で……」
思わずカイルが感嘆の声を上げると、作業員の一人が解説する。
「今日の櫓の担当は、地球人の傭兵の女の子でね。よく分からない異界の武器を使うんだよ」
「地球人!?」
今度はツムギが声を上げる。どうやら、この世界における「地球人の投影体」とは、そこまでは珍しくもない存在らしい。ツムギには「銃を使えそうな女の子」に心当たりは(ほぼ)ないが、もしかしたら(あの魔獣園のドラゴンが言っていたように)この世界のどこかに、彼女の知人が投影されている可能性も確かにあり得るように思えてきた。
そんな中、森の中から走り込んでくる少年がいた。ダンテである。
「今、こっちに何かデカいヤツが来なかったか? ……って、もう終わったのか」
彼は空中に漂う混沌核を見ながら、残念そうに呟く。ダンテは森の中で剣の鍛錬をしていたところで巨大鴉を発見し、危機を察して駆けつけてきたらしい。
その直後、今度は馬に乗って駆け込んでくる青年が現れた。この村の領主ジェローム・ヒュポクリシス(下図)である。彼は聖印を掲げて混沌核を浄化吸収しつつ、周囲の者達に対して語りかける。
「まだ他にも魔物が出現するかもしれない。今日のところは工事を中止とした上で、お客人を連れて村に戻れ! 私はしばらく、この辺りを哨戒する」
「分かりました!」
作業員達はそう言って、カイル達にも村へと戻るように促す。この時、ダンテはジェロームの持っている「武器」が目に留まる。それは明らかに見覚えのある「剣と盾が一体化した武器」であった。
(あれって、さっきのアイツが持ってたヤツと同じ型だよな……? この村の特産品なのか?)
ダンテはそんなことを考えつつも、ここはひとまず素直に作業員達の誘導に従う。そして、彼等から離れて行動していたアーロンとレオニダスも(まだ穴掘り作業の途中だったのだが)異変を察知した上で、彼等と合流した上で村へと帰還するのであった。
******
カイル達6人が作業員と共に村へと戻ってきたところで、ヴェルディが出迎える。
「あ、ヴェルディ先輩! すみません、まだ任務の途中だったんですが……」
「まぁ、仕方ないです。とりあえず、この件は僕が後で済ませておきます」
そう言って、彼女はアーロンから鞄を受け取りつつ、皆に対して語りかける。
「少々不安にさせてしまったようですが、心配はいりません。我が村の防空体制は完璧です。もし万が一、領主様や傭兵隊長が打ち漏らした鴉が村の方まで飛んできたとしても、ちゃんと僕が後始末しますから」
彼女はそう告げた上で、ビートに視線を向けた。
「お久しぶりですね、少年」
「はい! ヴェルディさん!」
実はこのヴェルディこそが、ビートが「ウリクル村でどうしても会いたかった人物」である。ビートにとって彼女は、自分の中に眠る魔法師としての資質を見出したくれた恩人であった。
「どうやら無事に魔法師としての道を歩んでいるようで、何よりです」
「正直、最初はちょっと馴染めなくて、悩んだりもしてたんですけど、でも、こちらのアツシさんやカイルさんのおかげで、今はもうすっかり迷いもなくなりました。俺、エーラムに行って、本当に良かったと思ってます。あの時は、本当にありがとうございました!」
晴れやかな笑顔でビートがそう告げると、ヴェルディは彼が紹介した二人に視線を向ける。
「彼は僕の義弟ではないですが、少しばかり縁のある者として、彼を助けてくれたことには感謝します」
ヴェルディがそう言ったところで、二人が反応するよりも前にアーロンが口を挟んだ。
「そういえばヴェルディ先輩、カルディナ先生が開いた射撃大会の話って聞いてます?」
一種、ヴェルディの眉がピクッと動くが、アーロンは「鞄の中身を見ていない」と言っていたことを思い出した上で、ひとまず様子を見ることにした。
「さて? 聞いたかもしれませんが、先生の言うことを一々全部思えてはいません。僕もそこまで暇ではないので」
「そうですか。いや、実は、そういうのがあったんですけど、その時にこの二人も出場してて、カルディナ先生からはすっごく気に入られてたんですよ。特にカイルの方は特別賞まで受賞して。『出来ればウチにほしい逸材だ』って言われてました」
その話を聞いた瞬間、ヴェルディは改めて、自分が先刻アーロンから受け取った「彼等が参加した射撃大会のデータに基づいて作られた資料」が入った鞄に目を向ける。
(まぁ、これをどうするかの結論は、もう少し考えてからでもいいかな……)
土地が足りなければ、コノハに頼んで異空間を作ってもらうことも出来るかもしれないし、いざとなったら、弓使いの領主のいる村(ビルト、ソリュートなど)に横流しして押し付けるという選択肢もある。そんな算段を一瞬にして脳内で企ている間に、彼女達の耳に一人の女子学生の声が届いた。
「ダメよ、アーロン君。カイル君はロートレック一門の希望の星なんだから」
その声の主は、エーラムの孤児院出身の魔法師ミラ・ロートレック(下図)である。そこには彼女を含めた幾人かの女性達が、それぞれに「大きな木箱」を両手で抱えた状態で立っていた。
「ミラさん、その箱は? 」
カイルがそう問いかけると、ミラは笑顔で答える。
「この人達と一緒に、工事現場に差し入れを届けに行こうとしたんだけど、なんか大変なことになってるみたいだし、とりあえず、広場に行きましょうか」
******
村の広場へと移動した学生達と作業員達に対して、ミラ達が木箱を開けると、その中から芳醇な焼き菓子の匂いが漂ってくる。そこにはエストレーラの焼き菓子として有名な「パステル・デ・ナタ」が封入されており、ミラは学生達に、他の女性達は作業員達に、それらを配っていく。
アツシやカイルがゴルフ場や工事現場に行っている間に、ミラはこの村で最近開店した「リンド・リトルターンの焼き菓子店」にて、(エーラムの孤児院の子供達のために)菓子作りを勉強していたのである。そして、ミラと共に木箱を運んできた女性の大半は、作業員達の家族や恋人達であった。
そんな女性達の中に一人、明らかに他の面々とは雰囲気が異なる「深窓の令嬢」と思しき雰囲気の美女がいた。その美女は、(アーロンが先刻まで一緒に森の中で穴を掘っていた)色黒の青年レオニダスの元へと焼き菓子を運び、そして二人で仲睦まじそうに話をしている。
アーロンは近くにいた作業員に問いかけた。
「あの二人って、恋人なんですか?」
「恋人っていうか、新婚夫婦だな」
「新婚……」
アーロンの中に、甘美な妄想が広がる。
「あの二人、エストレーラから来たらしいんだけど、多分、奥さんの方はどっかの姫様だぜ。どう見たって、庶民のオーラじゃねぇ。レオニダスも、今は俺達土建屋の棟梁みたいなことやってるけど、明らかに『戦士』の体付きをしてる。で、レオニダスは奥さん相手の時も敬語だから、多分、どこかの国の姫様と従者が駆け落ちでもしてきたんじゃないか、って俺達は噂してる」
「それってつまり、『身分違いの恋』ってやつですか?」
「まぁ、あくまで俺達の妄想だけどな」
そこまで聞かされたことで、子爵令嬢に恋するアーロンの中では更に妄想が広がっていく。一方、アツシは彼女達が持って来た「木箱」を凝視してた。
(うーん、見たところ耐久性は悪くなさそうだけど、ちょっと重そうだし、畳んで持ち運べないのは不便だよな)
そんな誰も興味の無さそうなことをアツシが考えている間に、ツムギは素直にパステル・デ・ナタを味わいつつ、あることに気付く。
(これって、エッグタルトよね? 確か、大須の商店街で見たことあるけど、まさかこの世界に来て食べることになるなんて……)
ツムギはそんな懐かしさを感じつつ、ふと先刻の話を思い出し、ヴェルディに問いかける。
「あの、さっき、地球人の傭兵さんがいるって聞いたんですけど、どんな人なんですか?」
「え? あぁ、エイプリルさんのことですか? うーん、どんな、と言われても、どう説明したものか……」
「あー、いや、とりあえず、名前だけでも教えてもらえれば、それで良かったんで、はい、ありがとうございます」
ツムギの中では「銃を使える女の子」と聞いて、地元の高校の「ヤクザの娘」の先輩のことが一瞬頭をよぎったのだが、明らかに英語名だったので(実はそれは偽名なのだが)「違う」と判断したらしい。
(まぁ、あの人は、どっちかというと銃より刀とか使いそうな人だしね……)
一方、カイルもまたその話には興味が湧く。
「その人が使ってる武器って、どんな武器なんですか?」
「私も詳しくは知らないです。まぁ、後で本人に聞いてみればいいんじゃないですかね」
武器の話が出たところで、今度はダンテが口を開いた。
「そういや、領主様が持ってるあの妙な形の武器って、この村で作られてる銘品とかなのか?」
この瞬間、ヴェルディは眉間にシワを寄せる。
「なぜ、そう思いましたか?」
「いや、なんか同じような武器持ってる女剣士っぽい奴がいたからさ。この村ではみんなああいう武器使ってるのかな、って思って」
「それは『同じような武器』ではなく『同じ武器』です」
「え? じゃあ、二人で同じ武器を使い回してる、ってことか?」
実はあの女剣士の正体は「武具のオルガノン」であり、「女剣士」としての身体は(ラトゥナの「少女の身体」と同じ)擬人化体である。彼女は厳密に言えば「この村の執政官の持ち物」なのだが、執政官自身は自ら剣を取って戦う身ではないため、日頃は領主であるジェロームに貸し出されつつ、自分一人で擬人化体状態のまま行動することもある。ちなみに、ヴェルディとは犬猿の仲である。
「そこから先は、自分で考えて下さい。この修学旅行中の宿題です」
説明するのが面倒になったヴェルディは、そう言って突き放す。さすがに、そこまで説明してやる義理はないと思ったらしい。
一方、焼き菓子を届けに来た村の熟年女性達の一人は、先刻からビートに対してずっと「疑惑の眼差し」を向けていた。ビートもその視線には気付いており、そして彼にはその視線の意味も分かっていたため、やや逡巡しながらも、先刻の先輩達からの助言を思い出した上で、意を決して彼女の元へと向かい、そして、周囲に聞こえない程度の小声で語りかける。
「お久しぶりです、ケイトさん」
「やはり、マリウス様でしたか……」
彼女は先代領主の妻(ビートの母)アクアの侍女であり、マリウスとはビート本名である。
「はい。俺は確かにマリウス・エルメラでした。でも、今の俺は見習い魔法師のビート・リアンです。あの時のマリウスは、確かに今も俺の心の中で生きています。ケイトさん達に育ててもらったからこそ、今の俺がある。その事実を捨てるつもりはありません。その上で、俺はこれから先、ビート・リアンとして生きていきます」
「今、アクア様の縁者の方々がこの村に来ていることはご存知ですか?」
「知ってます。でも、今の俺は自然魔法師としてではなく、エーラム魔法師協会の一員として、果たしたい夢がある。だから、今は名乗るつもりはありません。いずれその夢を叶えたら、また、ケイトさんにも、その人達にも、会いに来ます」
晴れやかな笑顔でそう告げたビートを見て、ケイトは静かに頷く。そして、ビートは改めてカイルやアツシ達に視線を向ける。
(多分、「ただのビート」のままじゃ、俺はここに来れなかった。「ビート・リアン」になれたから、過去に向き合うことが出来た。それが出来たのは、先輩達のおかげです。俺、本当に、エーラムに来てよかったです……)
******
その後は更なる投影体が出現することもなく、彼等は平穏無事に修学旅行を終えることになる。アーロンは無事にカルディナへのお土産のパステル・デ・ナタを購入し、アツシとツムギは残りの日程で子供向けのパターゴルフなどを体験することになり、ビートはケイトの紹介で何人かの旧臣達の家へ挨拶に回った。
一方、カイルは翌日に物見櫓へと赴いたものの、「エイプリル」という名の地球人傭兵は既に別の村へと移った後だった(彼女は周期的にこの近辺の村の各地で働いているらしい)。しかし、それでも物見櫓と遠眼鏡の構造などを見学させてもらえたことで、それなりに満足していたようである。
そしてダンテは全てを終えて村から帰還する時になって、ようやく以前(discord「図書館」5月27日)にティトから教えてもらった「オルガノン」という存在のことを思い出し、あの女剣士の正体がオルガノンなのではないか、という仮説に辿り着くが、気付いた時にはもう既に村を離れた後だったため、直接確認することは出来なかった。
「まぁ、今度会ったら聞いてみるか」
バリー・ジュピトリス(下図)に引率された者達が向かうスパルタ村は、モラード地方の中心地である港町エストの北東に位置する漁村である。当初の構想では、彼等はエストから地元の船に乗り換えてスパルタへと赴くことを想定していたが、ローズモンドからエストまでの長旅で既に船酔い気味だった学生も多かったため、予定を急遽変更して、エストからスパルタまでは馬車で向かうことにした。
「ここまで無事な航海が出来たことに感謝です」
「せっかくなら、スパルタまで船で行きたかったな」
「おふねのうえからみたおほしさまも、きれいだったわ」
「うーん、馬車は馬車でやっぱり酔うぞ……」
「大丈夫? またハッカ飴舐める?」
「バリー先生、この前の楽譜の解釈なんですけど……」
「スパルタにもルールブックが一冊あるらしいよ」
「それは楽しみなのだ」
「裏切りの女騎士……、一体どんな人物なのだろう?」
「ZZZZZZZZZZZZ」
「まぁ、寝とくなら、今のうちやろうね」
それぞれの思いを抱きつつ、彼等を載せた馬車はスパルタへと到着し、そして荷物を宿に預けた後、それぞれの希望する形での「修学」を始めることになるのであった。
******
「う、海、ですルクス! やはりキラキラしていて、とてもとても綺麗、です!!」
「ロア、ローズモンドでも同じこと言ってたのだ」
「それはそうですけど、やっぱり、何度見てもいいものです!」
「えとえと……、それは、僕も思います。確かに海はきらきらしてるし、僕も、好きです」
「ありがとうだぞ! これでこの後の船もバッチリだぞ!」
ここに来るまでの船と馬車でセレネは何度も酔いと吐き気に襲われていたが、その度にマシューから借りたハッカ飴のおかげで、どうにかごまかし続けてきた。
「でもセレネちゃん、船酔いは大丈夫だとしても、船の上って結構バランス崩れたりするけど、大丈夫? もし海に落ちたら、大変なことになるよ
「心配ないぞ! この世界最強の見習い魔法師セレネ・カーバイトが、そんなドジ踏む訳ないじゃないか!(ふんす)」
そんな自信満々なセレネを見る度に、マシューは余計に不安になってくる。セレネが自信満々の時にはロクなことが起きない、というのは、彼女の同世代の面々の間では常識である。
こうして皆がそれぞれに期待と不安で胸を高まらせている中、やがて「奇妙な形状の兜」を被った大柄な男が彼等の前に現れた。
「ようこそ、スパルタへ! この俺が沿岸警備隊調のボニッファーーーーーーーーーツ・ヴェッセルスだ! 今日は君達を、楽しいカニミ……、失礼! カニハンティングにご招待しよう!」
なぜか途中で妙な噛み方をしてしまった警備隊長であったが、学生達は彼の顔の上半分を覆っている兜が気になっている。
「カブトムシなのだ!」
ルクスがその兜を指差しながら率直にそう言うと、ボニファーツ(←これが正式表記)は誇らしげに答える。
「これは異界の英雄
ヘラクレスン
を模した兜だ。俺はレイヤーヒロイックの邪紋使いだからな」
その発言を聞いて、更に学生達はザワつく。
「あの……、今、ヘラクレスって、言いました、ですか?」
ロゥロアがそう問いかける。彼女やルクスは黄金羊牧場で「カブトムシとして投影されたヘラクレス」と直接遭遇している。
「『ヘラクレスン』だ。まぁ、本名は『ヘラクレス』だという説もあるし、そういう名前のオリンポス界の投影体もいるらしいが、詳しいことはよく分からん」
その説明を聞いた時点で、何人かは「もしかして、あの『ヘラクレスと名乗るカブトムシ』の正体は『そちら』なのでは?」という疑念も湧き上がっていたようだが、確かめようがない話なので、あまり深く考えるのはやめた。
「とりあえず、今から君達にはこちらの漁船に乗ってもらう。もし万が一、危険な魔物が出現した時に備えて、俺は警備船に乗船した上で随行するから、安心して新鮮な蟹を獲ってくるがいい」
そう言われて彼等が漁船に乗船していくと、ロゥロアは船に乗った時点で、今までに感じなかった「揺れ」を実感する。
「これが漁船……、さすがにエストまで乗ってきた船に比べると、ちょっと小さいですね……」
船の規模が小さい分、甲板に立った状態でも波の揺れをより強く実感する。その状況に若干怯えつつも、その瞳はどこか嬉しそうでもある。
「これはこれで、海がより近くに感じる、です」
一方で、もっと露骨に怯えていたのはセレネであった。船に乗る直前までは自信満々な様子だったのが、実際にその微妙な揺れを実感した途端に不安な顔を浮かべる。
「な、なぁ、マシューちゃん、これ本当に大丈夫なのか? ひっくり返ったりしないのか?」
「それは大丈夫だと思うけど、ちょっと大きい波が来たら傾くかもしれないから、その時に海に落ちないように気をつけた方がいいだろうね」
セレネが調子に乗って変なことをしないようにマシューがそう釘を刺すと、更に彼女は震え始める。
「い、イヤだぞ! セレネはカニを食べに来たんだ! カニに食べられるのはイヤだぞ!」
「そうだね。じゃあ、万が一の時に備えて、命綱を付けておこうか」
「命綱?」
セレネがきょとんとしていると、マシューは背負っていた鞄の中からロープを取り出すと、片方の端をセレネの身体に巻きつけた上で、もう片方の端をマストにくくりつける。
「とりあえず、これで万が一のことがあっても、海に落ちることはないね」
「なるほど! でも、ちょっと縄が短くないか? これじゃ殆ど動けないぞ」
「その方が安心だよ(色々な意味で)」
「うーん、これだと、せっかくの海が全然見れないぞ……」
彼等がそんなやり取りを交わしている中、やがて出航の準備が整い、ボニファーツ率いる護衛船と共に、ロゥロア達を乗せた漁船は海へと漕ぎ出すことになる。その直後、さっそくセレネの表情が崩れ始める。
「マシューちゃん……、また気持ち悪くなってきた、ハッカ飴、またほしいぞ……」
「あー、ごめん。さっきのが最後だった」
「えぇ〜! それはまずいぞ! なんかもう吐き気が……」
セレネがそう呟いたところで、船員が嫌そうな顔で言い放つ。
「おいおい、吐くなら吐くで、せめて海に吐いてくれ。甲板に匂いが残るのは勘弁だ」
「そう言われても、このままじゃ船の端まで行けないぞ!」
「んー、仕方ないな。じゃあ、ちょっとロープを結び直すね……」
マシューはそう言って、一旦マストに巻きつけたロープを解いて、セレネが甲板まで行ける程度の長さになるように結び直す。
「おぉ! これは助かるぞ! ありがとう、マシューちゃん!」
そう言いながらセレネはさっそく船の縁まで行って、師匠(裏虹色魔法師)直伝の手法でレインボー(隠語)をリバースする。そして一旦すっきりしたところで、ある程度自由に動けるようになったセレネは、その嬉しさからはしゃいで甲板を走り回り始める。彼女はまず、ルクスに声をかけた。ルクスはいつも持ち歩いている「黄色いぬいぐるみ(ちょっと小さいバージョン)」を見て、怪訝そうな表情を浮かべている。
「ルクスちゃん! どうしたんだ?」
「なんか、きいろのおーさまが機嫌悪そうな気がするのだ」
「そうなのか? いつから?」
「船に乗った時からなのだ。おーさまは海が嫌いなのかな……?」
特に根拠もなくそう呟くルクスに対し、横からエトがタオルを差し出す。
「あの……、もしかしたら……、潮風に当たって、ちょっと汚れてしまったのかも……。一旦、拭いてみるといいんじゃないかな、って……」
「うーん……、おーさまは、エーラムみたいな高原の『乾いた風』の方が好きなのかな……」
ルクスはそう言いつつ、ひとまずエトに言われたとおりにぬいぐるみを拭き始める。一方、甲板の反対側ではロゥロアが、潮風を浴びつつ船縁から海面をつつこうとしたりしていたのだが、そんな彼女の耳に、隣の護衛船から舟唄が聞こえてくる。
それは古代ブレトランド語で「酔っ払った水夫をどうしてくれようか」という内容の歌である。大酒飲みが多いボニファーツ隊にとってのテーマソングのような歌であった。
(これはこれで、今まで聞いたことがない曲調の歌です……。興味、あります……)
ロゥロアが真剣に聞き入いりつつ、そのフレーズを小声で口ずさみ始める。すると、そこにセレネが走り込んできた。
「ロゥロアちゃん、そっちから聞こえてくる歌は何だ?」
彼女がそう言って、甲板の端に沿って弧を描くように彼女の元へ向かおうとすると、その身体に結び付けられた縄がぐるっと甲板上で時計の針のように半回転し、船員達は慌ててその縄を(ある者は飛び越え、別のある者は伏せる形で)避ける。当然、セレネは迷惑行為に全く気付いていないので、代わりマシューが問いかけた。
「あの……、やっぱり、邪魔ですか?」
「邪魔だな」
極めて不機嫌そうな顔で船員がそう言うと、マシューはまた縄を結び直すためにマストへと向かった上でセレネに声をかけようとするが、既にセレネはこの時点で、ロゥロアの隣で(彼女の真似をして)勝手に歌い始めていた。
「わっどぅびどぅーいあどらごんせいばー、わっどぅびどぅーいあどらごんせいばー♪」
「セレネちゃん、ちょっと縄を結び直すっから、一旦解くね!」
「うぇーい へーい あだぷしょんれいざー うぇーい へーい あだぷしょんれいざー♪」
よく聞こえないまま大声で適当にそう歌っていたセレネは、マシューからの声が全く聞こえていなかった。そして「自分には命綱があるから大丈夫」だと信じ込んでいたセレネは、思いっきり身体を乗り出して護衛船に向かって手を振る。
「カブトムシのおじちゃーん! 見えるかー! セレネだぞー!」
「セレネちゃん! 危ないよ!」
「ん? どうした? マシューちゃ……」
そう言ってセレネが振り返ろうとした瞬間、微妙に船が揺れて、バランスを崩した彼女はそのまま海へ落下する。
「どへぇぇぇぇぇぇぇぇ!? なんでぇぇぇぇぇぇぇ!?」
ちょうどマシューが縄をほどいた直後だったのである。だが、この瞬間、すぐさま護衛船からボニファーツが海へ飛び込み、そして信じられない速度で彼女の元へと到達する。
「がばばばばばばば……」
「安心しろ、嬢ちゃん。このボニッファーーーーーーーーツが来たからには、もう安心だ」
ボニファーツは立ち泳ぎをしながら、溺れそうになっていたセレネを片手で抱え込む。そんな彼に対して、漁船の方から船員が声をかける。
「隊長! その子、連れ帰ってくれませんか? なんか体調も悪いみたいだし、正直言って、邪魔でしょうがないんで!」
「分かった! まぁ、しょうがない。何事にも、向き不向きはあるからな!」
ボニファーツはそう叫ぶと、セレネを抱えた状態のまま、陸へ向かって泳ぎ始める。
「カブトムシのおじちゃん、このままセレネを抱えて泳いでいく気か?」
「安心しろ。ヘラクレスンは陸海空の全てを制する甲虫王者だ。この程度の距離、どうということはない」
なお、実際には、オリジナルのヘラクレスンが泳げるという記述は未だに発見されていない。
「だったら、飛んだ方が速くないか?」
「残念ながら、私の邪紋(アート)はまだそこまでの域には達していないのだ」
こうして、セレネは警備隊長自らの手で港へと強制送還されることになった。
「セレネちゃーん、君の分まで、ちゃんとカニを獲ってくるからねー!」
マシューの叫び声を背に、彼女達は船から遠ざかっていくのであった。
******
その後、漁船は蟹の漁場となる沖の海域へと到達し、その場で学生達に「籠状の網がいくつも連なった漁網」を提示する。
「今からこの籠の一つ一つに、蟹の餌となる魚の切り身を入れて、俺達に渡してくれ」
彼等は言われた通りにその簡単な手作業を始めると、入れ終わった籠から順番に海の中へと放り投げていく。あとは、しばらく待った上で、蟹がかかった時点で引き上げる、という手順になるらしい。
「かにさん、動いてるのを見るのは始めてだから、楽しみ、です」
「ザリガニなら、ウタカゼに出てきたことはあるんですけどね」
「あれは手強かったのだ。希望が尽きかけたのだ……」
「もし、カニが暴れるようならスリープの魔法をかけるから、言ってね」
そんな会話を交わしつつ、暇を持て余していると、また隣の護衛船から例の「舟唄」が聞こえてくる。先刻よりも離れた位置にいるため、前より聞きにくい筈なのだが、その状況下でロゥロアはかすかに届く彼等の声に合わせて、無意識のうちに(しかも正確に)その唄を歌い始める。そして気付いた時には、きっちり最後までリズム良く歌い切っていた。
「Way hay and up she rises♪ Way hay and up she rises♪ Way hay and up she rises♪ Early in the morning♪」
その歌声に、他の学生達は感嘆の声を上げた。
「すごい、ですね……」
「よく分からないけど、カッコいいのだ!」
「なんか、ロゥロアちゃんが歌うと、すごく綺麗な歌に聞こえるね」
一方で、船員達は(歌詞の中には少々下品なフレーズもあるだけに)純真そうな少女にこの唄を覚えさせてしまったことに、軽い背徳感を感じている様子であった。
そしてロゥロア自身は「自分が一つの歌をちゃんと歌いきれたこと」に驚嘆していた。彼女はこれまで(過去の一件以来)、いつも歌っている途中で「発作のような症状」が起きてしまい、最後まで歌い切ることを断念し続けていたのである。
「じゃあ、次はルクスが『あの歌』を……」
「あの……、ルクスちゃん、それはやめた方がいいと思うよ。なんとなくだけど……、海で歌ったら、良くないことが起きそうな気がする……」
「そうなのか?」
「なんとなく、だけど……」
二人がそんなよく分からない会話をかわす一方で、マシューは船に括り付けられている網がピクピクと揺れていることに気付き、船員に声をかける。
「そろそろ、じゃないでしょうか?」
「あぁ、そうだな。よーし! じゃあ、みんなで引き上げるぞ!」
船員達にそう言われた学生達も、彼等と一緒に網を手にして、そして船員達が歌う舟唄のリズムに合わせて(歌える者はサビの部分だけでも歌い合わせながら)網籠を引き上げていくと、そこには大量の蟹と、巻き添えで引っかかったエビやタコが入っていた。
「とりあえず、小さい蟹はまだ食うには早いから、海に戻せ! エビやタコは、食えそうだと思えばついでに持って帰ればいいし、何ならここで食ってもいいぞ」
「ここで!?」
その発言にロゥロアが驚いていると、船員の一人が彼女の目の前で、まだ動いている蟹の足を一本引き契り、彼女に差し出す。
「どんな食材も、獲れたてが一番うまいんだよ。さっきの唄のお礼だ」
そう言われた彼女は、恐る恐るそのゴツゴツした足を受け取り、そして接合(していた)部分からはみ出た実の部分に齧りつく。
「おいしい……、です」
「ま、持ち帰って一流の料理人が手を加えれば、それはそれでまたうまいんだけどな」
そう言われたロゥロアの中で、この日の夕食への期待が高まっていくのであった。
******
フレイヤ・カーバイト(下図)は、カルディナ門下生「第一世代」の三女(四番弟子)である。彼女は朽葉(亜流)の元素魔法師であり、座学だけなら完全に落第生だったものの(特に算術に至っては、七の倍数が分からないレベル)、それを補って余りある実技試験の評価の高さ故に、13歳にして元素魔法学科を卒業したという(末妹ヴェルディとはまた違った意味での)天才肌の少女であった。
現在、領主の館の一角にて、彼女に話を聞きたいという後輩達のための公開講座の場が開かれている。
「まぁ、正直、人に教えられるコトなんて殆どないんスけど、一応、答えられる範囲で頑張って答えてみるんで、聞きたいことがある人は遠慮なく言ってほしいっス!」
フレイヤそう告げたところで、最初に手を挙げたのは、海洋民の
メル・ストレイン
である。彼女が修学旅行先としてこの村を選んだのは、海への愛着や蟹料理への期待も当然あるが、それに加えて「座学が赤点でも若くして魔法大学を卒業した少女」に話を聞きたい、という気持ちがあったからである。
「はじめまして参上させて頂きました。わたくしは、メル・ストレインと申させてもらう者です。この度は、大変ご立派なるフレイヤ先輩の御高説を拝謁させて下さらないかという旨をお伝えさせて頂くべく……」
いつも以上に緊張した面持ちで、いつも以上に難しい言葉を使おうとして、いつも以上に何を言っているのか分からなくなっているメルに対し、フレイヤは笑顔でその言葉を遮る。
「あー、いいっスよ、そういうの。ウチもそういうの苦手だし、そもそもウチは別に先生じゃないんで。敬語とか別にいいっス」
「ほんとか!? じゃあ、さっそく聞きたいんだけど、アタシ、座学が苦手でさ、今回も修学旅行中にやらなきゃいけない課題がたまってるくらい、ホントもう講義についてくのもギリギリなんだけど……」
「うんうん、分かるっス。ウチも授業中、先生が何言ってるか、さっぱり分かんなかったっス」
「でも、フレイヤ先輩は、それでもちゃんと卒業して、今は立派な契約魔法師になってて、一体どうすればそうなれるのかな、ってのが、どうしても聞きたいんだ」
「んー、いや、別に、そんな立派な魔法師ではないんスけどね。今も失敗続きで、レヴィアさんには迷惑かけっぱなしだし、全然褒められたもんじゃないんスよ。でもまぁ、確かに実技点のおかげで魔法大学を卒業出来たのは事実っス」
レヴィアというのは、彼女の契約相手の女騎士(この村の領主)の名前である。どうやらこの日は公務で忙しいようで、まだこの時点で、学生達の誰も彼女とは会えていなかった。
「魔法の実技ってのは、座学がダメでも出来るようになるのか?」
「それは、魔法の系統によるっス。ウチが勉強出来なくても魔法が使えたのは、専門が元素魔法だからっスね。もし進学した先が生命魔法学部や錬成魔法学部だったら、絶対卒業出来てないっていうか、そもそも入学すらさせてもらえないっス」
「それは一体、何が違うんだ?」
「『モノ』として存在しているものを扱うかどうか、という違いっス。ウチの場合、魔導書に書かれてる内容は殆ど理解出来なかったら、なんとなくイメージで魔法を使ってるんスけど、もちろん、その過程ではいっぱい失敗してるんスよ。なんとなく、こう、頭の中にビビッときたものを、フワっと整えて、それに合わせてスパスパって混沌を操って、火とか水とか作り出すんスけど、当然、ちゃんと使えるようになるまでに、数え切れないほど失敗したっス。でも、元素魔法はいくら失敗してもいいんスよ。もちろん、混沌災害とか起こしたらダメっスけど、少なくとも習い初めの頃の魔法の失敗なんて、せいぜいちょっと火傷したりする程度っスからね。『無から有を作り出す魔法』は、失敗してもリスクは低いから、遠慮なく失敗出来るっス」
厳密に言えば、元素魔法の中にも「既に実体として存在している土や水」を操作する魔法も多いのだが、それらに関しても、失敗したところでその素材そのものが失われる可能性は低いため、トライ&エラーを繰り返すことで実践的に理解することが比較的容易である。特にフレイヤの専門である朽葉の元素魔法は、何もないところから自力で火や水を生み出すことを前提とした魔法なので、魔力が続く限りはいくらでも練習可能であった。
「でも、生命魔法は人間の身体を治したり、作り変えたりする魔法だから、そう気軽に練習は出来ないっス。練習する前に、ちゃんと本を読んで、頭で理解して、ほぼほぼ絶対に失敗しないっていう確証がないと、そもそも練習すらさせてもらえないっス。錬成魔法の人達も、錬成する素材となる材料は無限にある訳じゃないっスから、ウチらみたいな『失敗覚悟の無限の練習』が出来る訳ではないっス。だからこそ、どっちも事前の勉強が大変なんスよ」
「なるほど、確かに……」
「だから、他の分野で同じことが言えるかは分かんないッスけど、ウチが卒業出来た理由は、ただひたすらに練習し続けたからっス。失敗を恐れず、何度も何度も繰り返すうちに、なんとなく分かってくるんスよ。そういう意味で一番必要なのは『何度失敗しても諦めずに繰り返せるだけの根性』っスね」
もちろん、現実的にはいくら練習を繰り返したところで、座学無しでその「なんとなく分かってくる境地」に達することが出来るとは限らない。その意味では、幼くしてその境地に辿り着けたフレイヤは間違いなく「天才型」ではあるのだが、少なくともエーラムにスカウトされた時点で、学生全員に一定程度の魔法の才能があることは保証されている。あとは、自分の才能を信じてそれぞれに努力し続けるしかない。
メルがこの説明を聞いてどう感じたのかは分からないが、少なくとも、現時点でフレイヤが語れる一般論としては、これが限界であった。
「なるほど。なんとなく分かった気がするっス! ありがとうございました!」
最後はフレイヤの口調がうつったかのような「ほどほどに砕けた敬語」でメルがそう言うと、続いて今度は彼女と同門のジュノ・ストレイン(下図)が質問する。魔獣園で働く彼女は、特に大型魔獣に対して強い興味を抱いており、今回の訪問先選定においても、四つの村の中で「近年で最も巨大な魔獣が現れた土地」であるこのスパルタを選んだ。
「ちょっと前に、この村の近くの海域で『巨大な蟹の投影体』が出現したって聞いたんですけど、どんな魔獣でした? そして、どうやって倒したんですか?」
「あー、アレっすか……、いやー、まぁ、あんまり思い出したくはないんスけどねぇ……」
それは、今から約一年前、スパルタの北西沖に現れた謎の魔獣であった。
「とりあえず、めっちゃデカかったっス。多分、足も鋏も全部入れた上での大きさなら、魔獣園の地下のドラゴンよりもデカいっスね」
「そんなに!?」
「最初はどれくらいの大きさだったのかは分からないんスけど、そいつ、この辺りの海に住む蟹を吸収することで巨大化する、っていう、変な性質の持ち主だったっス」
「成長する魔獣、ということですか?」
「そうっス。その上で、人間と会話出来る程度の知性はあったんスけど、結局、どこの世界から投影されたのかは、最後まで分かんなかったっス」
「ドラゴンより巨大で、知性があって、成長もするって、とんでもない魔獣じゃないですか! 放っておいたら世界最強の魔獣に……」
そう語るジュノの瞳は「恐怖1割、好奇心9割」といった様子である。
「あー、いや、強さ自体はそこまででもなかったんスよ。最初から本体を狙って集中攻撃すれば、あっさり倒せた筈っス。ただ、カルディナ先生からの要望で、『出来る限り脚を切り落としてから倒せ』と言われてたもんで……」
投影体はその存在の源泉である混沌核を破壊すれば消滅する。しかし、混沌核を破壊する前に本体から切り落とされた四肢などは、混沌核を破壊した後もそのまま「物質」としての形を維持し続ける。その性質を利用して、カルディナは「少しでも多くの『巨大蟹の脚』を食材として手に入れろ」という無茶振りを彼女達に課していたのである。
「そのためには、遠距離からの魔法攻撃じゃなくて、至近距離から一本一本切り落とさなきゃいけないんで、この村の戦力の総出を挙げての『水中戦』を強いられることになったっス。当時のウチはまだウォーターブリージング(水中呼吸を可能とする魔法)を今ほど使いこなせていなくて、魔力も弱かったんで、全員に水中戦を可能にさせるのは大変だったんスよ。そのために『アイツ』の力を借りなきゃならなくて……、あぁ、もう、今思いだけしただけでも吐き気がするっス! なんであんなものを食べたがる人がいるのか、いくら考えても理解不能っス!」
なぜか急に語気が強まるフレイヤを見て、ジュノはこれ以上深く掘り下げない方が良さそうなことを察する。そして、このタイミングで部屋の扉を空けて、一人の新規受講者が現れた。
「あー、もう、散々だったぞ……」
ボニファーツによって村に連れ戻されたセレネである。彼女は当初、同門の先輩であるフレイヤには2日目以降に個人的に話を聞きに行けば良いと考えていたのだが、思わぬ形で「空き時間」が発生してしまったため、この日の講演会に参加することにしたのである。まだ髪は乾ききっておらず、身体からは磯の匂いが漂わせた彼女の突然の登場に、思わずメルが声を上げる。
「セレネ! どうしたんだ? その格好?」
「カブトムシのおじさんに抱えられて、沖から港まで泳いで運ばれたんだぞ! ひどいぞ! 普通に船に戻してくれれば、おとなしくしてたのに!」
それだけ聞いてもメルには何が何だかさっぱり分からないが、なぜかフレイヤはなんとなく事情を察したようである。
「あー、ボニファさんは色々乱暴というか、強引っスからねぇ。何があったのかはよく分かんないっスけど、お疲れ様っス」
フレイヤにそう言われた時点で、なぜかセレネは到達に緊張した面持ちになる。
「フレイヤ先輩、は、はじめまして、デス……。 ア、アノ、アタシ、カーバイト家で勉強してマスセレネってイイマス……!」
いつもは師匠(養母)に対してですら「カルディナちゃん」と呼ぶような彼女だが、なぜか初対面となるこの直属の先輩(義姉)に対しては異様なまでに緊張しているようで、片言気味の敬語で語り始める。
「あー、うん。先生から聞いてるっスよ。『なんかよく分からないけど面白いヤツ』が来るって」
「キョ、恐縮デス」
「ただ、そういうのはいらないっス。肩の力抜いて、気楽に話してくれればいいっスよ」
「そ、そうか? じゃあ、セレネお言葉に甘えます、フレイヤ先輩!」
そう前置きした上で、セレネはさっそく「いつもの口調」で質問を投げかける。
「カーバイト一門って、今はみんな仲良しで、すごく過ごしやすいけど、卒業してからはどういう感じになるんだ?」
「それは、まぁ、どこに就職するかによるっスね。ウチがエーラムにいた頃の人達は大体みんなこの辺りの地域にいるし、『第二世代』の12人も殆どみんな『同盟』系の人達のところで働いてるっスけど、これから先もその状況が続くとは限らないっス。当然、敵対国に就職する人も出てくるでしょうし、今は仲良しの君主さん達も、途中で喧嘩別れして、ウチらも同門同士で戦うことになるかもしれないっスね」
「そんなのイヤだぞ! そうならないようにするには、どうしたらいいんだ?」
「まぁ、ウチらの場合は契約相手の選定は先生に一任してましたから、多分、先生にお願いすれば同盟系の誰かを紹介してくれるんじゃないかと思うっス。ただまぁ、契約した後に関しては、あんまり一門には縛られすぎない方が良いかもしれないっスよ」
「なんでだ? 兄弟とケンカすることになってもいいのか?」
「ウチだって、別に好き好んでケンカする気はないっス。でも、もし仮に、レヴィアさんがアントリアと敵対する道を選ぶなら、迷わずついて行くっス。それで一門のみんなと戦うことになっても、後悔しないっス」
実際、それはあり得ない話ではない。フレイヤの契約相手であるこの村の領主レヴィア・ルーフィリアは、元来は旧トランガーヌの貴族家の令嬢だったが、政略争いに敗れてアントリアに亡命し、そのアントリア軍の一員としてトランガーヌに攻め込み、この地を占領して領主となったという経歴の女騎士である。そのため、彼女のことを「売国奴」と呼ぶ人々がいる一方で、アントリア首脳陣の一部からは「いつ再び旗色を変えるか分からない」と警戒されている。だが、レヴィアが今後どの旗の下で戦うことになろうとも、フレイヤは彼女の下を離れる気はなかった。
「なんでそんな寂しいこと言うんだ……? フレイヤ先輩ちゃんにとって、一門の絆って、その程度のものか?」
「まぁ、今はまだ分からなくても仕方がないっス。ウチだって、レヴィアさんに出会うまでは、カーバイト家のみんなが一番大切な人達だったし、レヴィアさんを紹介してくれた先生への感謝の気持ちは、一生忘れないっス。でも、いつか分かるっスよ。自分の『運命の人』に出会えたら、その人以外の何を捨ててでも、その人のために尽くしたくなるんス」
「……その人の、何がそんなにいいんだ?」
少し拗ねたような口調で聞いてきたセレネに対して、フレイヤは満面の笑みで答える。
「そりゃあもう、カッコいいんスよ!! 見た目も! 中身も! 何もかもが全て! 世界で一番カッコいいっス! しかも、そんあ最高にカッコいい人が、勉強が出来ないウチのために、掛け算の七の段を教えてくれたり、ウチが何枚食器を割っても許してくれたり、とにかく優しいんス! ウチに対してだけじゃなくて、毎日飲んだくれてるボニファのおっさんとか、守るべき価値もないような有害な投影体にまで優しくするのはちょっとやりすぎっスけど、でも、そういうトコも含めて、何もかもが最高っス!! しかも……」
その後、フレイヤの契約相手自慢は小一時間ほど続くことになる。ちなみに、フレイヤにもレヴィアにも「そういう趣味」はないが、もしレヴィアにその傾向があれば、フレイヤは喜んで応じていただろう、と予想出来るほどの思い入れの強さを感じさせる。
(こんな人が契約相手だったら、この村の領主様の婚期は遅れそうね……)
ジュノは呆れ半分にそう思いつつ、そこまで深く思い入れられる相手と巡り会えたフレイヤのことを羨ましくも感じていた。
なお、実はセレネはフレイヤに対してもう一つ、「今、どういう気持ちでここで働いているのか?」という質問も聞こうと考えていたのだが、心から嬉々として語り続ける彼女の様子を見て、わざわざ聞かなくてもいいか、という気分になっていた。
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軍略家を目指す少年
ジョセフ・オーディアール
にとって、この村の領主であるレヴィア・ルーフィリアという人物は、色々な意味で興味を惹かれる存在であった。
前述の通り、彼女は祖国を捨てて侵略者に手を貸したことから「裏切りの女騎士」と呼ばれている。ただ、彼女がアントリアに亡命したのは親世代の対立が原因であり、彼女が自ら望んで国を捨てた訳ではない。そしてアントリアの騎士としてこの地に赴任した後も、あくまで旧来からの住民達の生活維持を第一とした施政に務めているというのが一般的な評判であり、かつて自分達が亡命へと追い込まれる原因を作った者達に対しても一切意趣返しすることはなかった。
一方で、旧トランガーヌ領の南方で発生した遺臣達による二つの国家(神聖トランガーヌとグリース)にも一切与する気配がなく、あくまでもアントリア騎士として粛々とこの地の治安維持に務めている。そんな「真意の読み辛い」人物だからこそ、その思惑を解き明かしたいと考えるとのは、軍師志望の少年として自然な発想であろう。
彼がひとまず村人達の評判を聞いて回ってみたところ、祖国の崩壊に手を貸した彼女の所業に対しては、彼女に対して同情的な人々もいれば、露骨に批判する人々もいる。しかし、後者の人々ですらも「現実問題として、今の彼女がこの村の領主として最もふさわしい」と認めている者達が大半であった。
(話を聞く限り、統治者としては間違いなく名君。だが、あまり感情を表に出さない性格でもあるようなので、腹の底で何を考えているのかは分からない。旧トランガーヌ子爵家の令嬢エレナ・ペンブロークの親衛隊長でもあったという経歴を考えると、もし、現在行方不明の彼女がどこかで決起した場合、それに呼応する可能性もありうるというか、既に裏でそのような陰謀が展開されている可能性も考慮に入れるべきか……)
事前にエーラムで綿密に調べたレヴィアに関する背景情報に基づき、そんな推理を展開する。なお、ジョセフにとって女騎士(女君主)と言えば、彼の祖国ファルドリアの献身的な王妃シストゥーラ、知性あふれるビブリア領主ミシカ・マクベス2世、慈悲深さで知られるエルマーク領主オフィーリア、といった彼の地元の面々の印象が強く、レヴィアもおそらくその三人のいずれかに近いタイプの女性なのではないか、というイメージがうっすらと刷り込まれていた。
そうしてジョセフが村の各地を転々としていると、やがて彼は、海岸の方面から物音がしていることに気付く。海岸と言っても港のある方角ではなく、事前に見た地図では岩盤に囲まれた、あまり人気の無さそうな区域であり、不審に思ったジョセフがその方面へ向かうと、そこでは(彼の尊敬するアンブローゼとは逆の位置に)片眼鏡をつけた若い騎士らしき人物(下図)が聖印を掲げて、小規模の混沌核を浄化していた。
その周囲には兵士達の姿もあり、どうやらその片眼鏡の騎士と共に(おそらくは小規模の)投影体を討伐した直後の場面のように見えたる。片眼鏡の騎士は兵士達に周囲の哨戒を命じた上で、自分もひとまずその場からは退散しようとしていたのだが、この時点でジョセフの中で一つ疑問が湧き上がる。
(あの聖印……、少なくとも騎士級以上。しかし、この村には領主以外に騎士級聖印の持ち主はいない筈。隣村の領主は弓使いの筈だが、彼は弓を持っていない。そして、村の兵士達が従っているということは、少なくとも領主公認の人物。ということは……)
ここでジョセフはクールインテリジェンスを発動させた上で、事前に調べたこの村の領主に関する情報を思い出した上で、一つの可能性に思い至る。
(……もしや、あの青年はこの村の領主の恋人なのか? この村の領主はまだ独身の筈。その上で、騎士級聖印を持ちながらも存在を隠さなければならない恋人がいるとすれば、それは……)
そんな思いを巡らせていたところで、その「片眼鏡の騎士」と目が合ったジョセフは、あえて堂々と名乗りを上げる。
「私はエーラム魔法学校の赤の教養学部所属、ジョセフ・オーディアールと申します。あなたが何者かはあえてお伺いしませんが、一つだけお聞かせ下さい。あなたは、この地の領主であるレヴィア・ルーフィリア殿のことを、よくご存知の方ではありませんか?」
「何を根拠にそう言っているのかは分からないが、私は……」
「いえ! お名前はお伺いしません。あなたにもあなたのお立場があるでしょう。ただ、大変ぶしつけながら、今の私の質問に対してのみ、お答え頂ければ幸いです」
「……確かに、私以上にレヴィア・ルーフィリアのことを知っている人物はいないだろう。いや、もしかしたらいるのかもしれないが、少なくとも心当たりはない」
この時点で、ジョセフの中ではこの「片眼鏡の騎士」の正体に関する予想はほぼ固まった。そのことを踏まえた上で、彼は質問を続ける。
「では、そんなあなたのご意見をお伺いしたい。彼女にとって最も優先順位の高いものは、何なのでしょう?」
「ほう? なぜそんなことが気になる?」
「私は軍師志望の魔法師です。軍師たるもの、君主の方々の意志を読み取るのは重要な仕事。しかし、彼女に関しては、伝え聞く限りの情報からでは、全く行動原理が分からないのです。トランガーヌの民を守るために、あえて裏切り者の汚名を着て、アントリアからの盾となっているようにも見えますし、純粋にアントリアの騎士として、アントリアの繁栄への尽力の一環としてこの村を運営しているだけのようにも見える……。彼女にとって本当に大切なのは、この村の民の生活と、アントリアへの忠義と、どちらなのでしょう?」
ジョセフの中では「その二つ以上に大切に考えている何か」の存在も視野に入れていたが、さすがにそこまでは初対面の人物相手に語ることは出来なかった。
それに対して、片眼鏡の騎士は淡々と応える。
「人間にとって大切なのものは、一つだけとは限らないのではないか? 人間は欲深いものだ。出来ることなら、自分の力で何もかも助けたいと思う。もちろん、それが叶わない時もある。いや、殆どの場合、そんな願いは叶わない。だが、叶わないからと言って、それは願わない理由にはならない。願いはいつも無限にあって、その中で叶えられる願いを、その時々の状況に合わせて、取捨選択していくしかない」
「つまり、彼女の中での優先順位はそこまで明確ではない、と?」
「レヴィア・ルーフィリアという人物は、おそらく周囲の人々が思っているよりも欲深い。そして、諦めが悪い。一度は失ったものであっても、一度は割り切ったように見せても、心のどこかでは諦めきれていない」
「しかし、それでもその時々に応じて最適の決断を下すことが出来る人物、なのですね」
「確かに、『その時点で最適だと思った決断』は下しているだろうな。長い目で見て、それが本当に最適だったのかどうかは分からない。だが、君主の仕事が『決断を下すこと』であるという大原則を忘れたことは一度もない」
「彼女がその責任を背負い続ける覚悟がある人物だからこそ、あなたも影から彼女を支え続ける道を選んだ、ということですね?」
「……その質問に答える前に、君の予想を聞かせてくれ。君は私のことを誰だと思っている?」
「その答えが正解であれば、質問の続きにも答えて頂けますか?」
「いいだろう」
ジョセフは眼鏡をクイッと挙げた上で、大仰な身振りを見せながら答えた。
「あなたの正体は、レヴィア殿のトランガーヌ時代の婚約者にして、現在は行方不明扱いとされている元青年貴族イヴァン・フェニックス! 違いますか?」
その答えを聞いた瞬間、片眼鏡の騎士はあまりの驚きのあまり目を丸くして、直後にクスクスと笑い始める。
「そうか……、イヴァンか。何年ぶりだろうな、その名を聞いたのは……」
「ち、違いましたか……」
「残念ながら、彼は今も行方不明のままだ。しかし、よくぞそこまで調べたものだ。彼の名を覚えている人物など、もうこの国にすら殆どいないだろうに」
「しかし、イヴァン殿のことを知っているということは、やはりあなたも旧トランガーヌ貴族の方なのですか?」
「それは正解だ。確かに私はトランガーヌ貴族家の出身。それは今更隠すつもりもない」
「イヴァン・フェニックス以上に彼女と親しい男性がいたとは……、私の事前調査不足でした」
「いや、それは違うぞ。確かにトランガーヌ時代のレヴィアに関して、彼以上に詳しい男性はいないし、レヴィアは今も彼の存在を忘れた訳ではない。今でも慕情があるかどうかは知らないが、先程も言った通り、レヴィアは諦めが悪い人間だ。いつか彼とも再会出来る日がくればいい、という気持ちは今もレヴィアの中にはある」
「あなたは、それで良いのですか?」
「他ならぬ私自身がそれを願っているのだ。良いも悪いもないだろう」
この時点でジョセフの脳内の処理能力が完全に追いつかなくなる。
「……どうやら私には、男女の機微を語るのは早すぎたようですね。失礼致しました」
「いや、それに関しては私も同じ。今でも分からないことだらけだ。私自身のことも含めてな」
「あなたの正体については、まだ今は聞きません。いずれ必ず解き明かしてみせます」
「そうか。まぁ、聞きたくないのであれば、無理に聞かせる気もない。とはいえ、久しぶりに昔の話をさせてもらえて楽しかったぞ、ジョセフ・オーディアール。いつか君が、一国を支える名軍師となることを祈っていよう」
そう言って片眼鏡の騎士はジョセフの前から姿を消し、自宅である「領主の館」へと帰還するのであった。
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漁村スパルタには、蟹を初めとする様々な捕れたての海産物をその場で捌いて料理する店が立ち並ぶ。中には、入口のあたりにガラスケースを設置して新鮮な魚を展示している店もあった。
「漁業の盛んな港町やと、こういうのもあるんやね」
「なぁ、ヴィッキー。確か『脚のない動物』は苦手って言ってたよな?」
「せやで」
「魚は平気なのか?」
確かに、魚にも足はない。
「あー、まぁ、せやね。何でって言われても困るけど、確かに魚は平気やな」
「じゃあ、クジラやシャチは?」
「そら目の前におったら怖いけど、それはちょっと意味が違うっちゅーか……」
「タコやイカは?」
「足あるやん」
「いや、あれは足ではないという説もあるらしくて……」
「無理やったら、タコパ行ったりもせえへんよ」
「ということは、海の生き物は大体平気な訳か」
「せやな。泳いどる生き物は、見ても特に何とも思わへんわ」
二人がそんな会話を交わす中、前方から一人の少女(下図)が、大きな木箱を持って歩いている姿を見かける。彼女は、左手に一冊の「本」を持った状態で、右手だけでその木箱を強引に抱えた状態で歩いていたがのだが、少しバランスが崩れかけていた。なお、その木箱は、天井部分には蓋がないタイプの箱のように見える。
「危なそうやな。手伝おか?」
「そうだな!」
そう言って二人はその少女の元へと向かう。
「なぁ、ウチらがその荷物運ぶの、手伝おか?」
「あ、そうしてもらえると助かります」
少女はそう答えつつ、その木箱をヴィッキーに手渡すが、ヴィッキーは上からその中身を確認した途端、悲鳴を上げる。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ! なんやこれ!」
彼女はそう言って木箱をひっくり返しそうになるが、咄嗟にサミュエルがヴィッキーの背後から手を回す形で、彼女と木箱をまとめて抱え込むような体勢になる。必然的に、ヴィッキーはサミュエルと木箱に挟まれる形で、動けなくなった。
「や、やめて! 離して! 助けて!」
「どうした、ヴィッキー、落ち着け!」
「箱の中! 箱の中に! なんか黒くて気持ち悪いもんが!」
サミュエルが箱の中を覗くと、そこには確かに「うねうねとしつつもトゲトゲした謎の生き物のような何か」が大量に入っている。
「あぁ、それ、ナマコです。見慣れてない人が見たら、びっくりしますよね。すみません」
「これがナマコか……、何かの本で読んだことはあったが……」
「ええから! 離して! もう許して!」
ヴィッキーがそう言って泣き叫ぶ中、その「左手に本を持った少女」は、一旦本を地面に置いた上で、ヴィッキーの手よりも下から回り込む形で両手で木箱の底を支える。
「とりあえず、もう離してもいいですよ」
少女がそう言ったと同時に、サミュエルが手を離すと、ヴィッキーは一目散にその場から走り去ろうとする。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ヴィッキー!」
逃げようとしたヴィッキーの手をサミュエルが咄嗟に掴むと、ひとまずヴィッキーを連れてその少女(の持っている木箱)から遠ざかる。
「すまない、ちょっとそれは、俺達が持ち歩くには難しい。いや、まぁ、俺は平気と言えば平気なんだが……」
サミュエルとしては、いつ「持病」が発動するか分からない以上、一人でその荷物を持って歩くのは非常に危険であるように思えた。
「あー、それはいいですよ。デートの邪魔しちゃ悪いですし」
「いや、俺達はただ修学旅行で二人で村を散策しようと約束した上で一緒に行動しているだけであって、別にこれはデートではない。と、思う!」
少し距離のある状態からサミュエルがそう答えた瞬間、なぜかヴィッキーは正気に戻る。
「せやね。別にデートしてる訳やないから、サミュエルくんだけあの子の手伝いしてもええんやで。ウチは一人で村を見て回るから」
「いや、そういう訳には……」
「人助けは大切やで。無理せんでええから。別にデートの約束してた訳でもあらへんし」
二人その会話を少し離れた位置から聞いていた少女は、怪訝そうな顔を浮かべる。
「あれ? この世界では、二人で一緒に行動することをデートと呼ばないのですか?」
その発言に対して、今度は二人が不可思議な顔を浮かべる。
「この世界?」
「キミ、もしかして投影体なん?」
二人にそう問われた少女は、一旦木箱を下に置いた上で、先刻地面に置いていた「本」の方を拾い上げる。
彼女もまた、前述のウリクルのコノハ・カーバイトなどと同じ「カルディナ門下生」第二世代に属する「TRPGのルールブックの象徴体」なのである。
「TRPG……、ルクスが言ってたあれか」
「え? 象徴体ってどういうこと? オルガノンとはちゃうの?」
「まぁ、オルガノンと呼ばれてる人達と近いところはあるんですけど、ちょっと違うというか。一番分かりやすい違いとしては、ボクらは『本体』であるルールブックを、必ずしも身につけていなくてもいいんですよ。だから、もし出来れば、ボクの代わりにこのルールブックを持った状態で、ボクがギリギリ視界に入るくらいの距離で、二人で後をついてきてくれると助かります。それなら、ボクも両手でこの箱を持てるので」
一応、「本の持ち主」の視界の外までは彼女は動けないらしい。ちなみに、彼女はいつもは別の誰かにその「持ち主」の役回りを頼んでいるのだが、今回は皆が忙しかったため、やむなく自分自身が「持ち主」となる形で、ナマコの買い出しに出かけていたのである。
「まぁ、そういうことなら……、ヴィッキーも、今くらいの距離があれば平気なんだよな?」
「せやね。まぁ、それくらいなら……」
「それなら、お願いします」
ミツキはそう言ってルールブックを持って二人に近付き、ひとまずサミュエルに渡すと、再び木箱の元へと向かい、それを抱えて歩き出す。
「じゃあ、ちょっとお手数をかけてしまって悪いんですけど、ボクがこれを『蟹座』っていう店まで運ぶまで、後から付いてきて下さい」
こうして、サミュエルとヴィッキーの「デートではないかもしれない村の散策」は、奇妙な形で再開することになった。なお、『恋と冒険の学園のTRPGエリュシオン』においては、異性でも同性でも、恋愛感情があっても無くても、二人で一緒に行動することによって「デート判定」が発生するが、この時のミツキは、あえてその「象徴体としての能力」は発動させなかった。
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海洋民であり、大衆食堂「多島海」の店員でもある
リヴィエラ・ロータス
は、故郷を彷彿とさせるような活気のある漁港の近辺の店を回りながら、この地方特有の海産物を使った料理などを物色していた。
(やはり、それぞれの港ごとに、色々と特色があるものなのですね)
彼女がそんな感想を抱きながら店先を回っていると、道端で純真そうな瞳の一人の少女(下図)が奇妙な「旗」を背中に背負った形で立っている姿を見つける。その旗には「ボクを買って下さい♥」「今がたべごろ♥」などと書かれていた。
思わずリヴィエラは彼女に向かって駆け込んで叫ぶ。
「ちょっと、あなた、何をしてるんですか!?」
「え? 何ってボクを売ってるんだよ」
「こんな昼間から道の往来で身売りなんて! いや、別に夜ならいいとか、そういう訳でもないんですけど……、とにかく、やめて下さい! もっと、自分を大切にして下さい!」
「え? ボクは、ボクのことを大切に食べてくれる人を探してるだけだよ。良かったら、ちょっと味見してみない?」
「な、何を言い出すんですか!? いきなりそんな……」
リヴィエラが困惑している中、その少女はおもむろにしゃがみ込み、自分のスカートの中に手を入れる。
「いや、だから、やめて下さい! こんな皆が見てる前で!」
「よいしょ!」
彼女は自分の太ももの辺りをまさぐりながら、その掛け声と同時に、自分の太ももの一部をブチっとちぎった。
「え? い、今の音って……」
「さぁ、どうぞ♪」
少女はそう言って、リヴィエラの前に「ちぎった自分の太ももの肉片」を見せつける。だが、それはまったくもってリヴィエラの想定外の色彩と匂いを放っていた。
「これって……?」
「蟹味噌だよ」
海鮮料理に詳しいリヴィエラは「蟹味噌」という食材の存在自体は知っている。だが、彼女が知る限り、それは「蟹の内蔵部分」の通称であり、「幼い少女の太ももの肉片」を指す言葉ではない。しかし、確かに自分の前に出されたそれは「蟹味噌」としか言いようのない、独特な色と異臭を放っていた。
「あなた、何者なんですか?」
「カニミソだよ」
ここでリヴィエラの頭は混乱しそうになったが、彼女はすぐさまクールインテリジェンスの魔法を用いて、今の彼女の言葉の意味を理解しようとする。そして、ある仮説に到達した。
「もしかして、蟹味噌のオルガノン、ということですか?」
「そうだよ」
この世界にオルガノンとして投影される物品は武具や本など多岐にわたっているが、極稀に「食べ物」のオルガノンが出現することもある、という話を聞いたことがある。そういったオルガノンの場合、「擬人化体」としての自分の身体から食べ物を生み出す者もいれば、自分の身体の一部を切り取って食べ物を提供する者もいる、という話を聞いたことがあるが、どうやらこの「カニミソ」と名乗る少女は、後者であるらしい。
「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ」
一応、海鮮料理人として食材そのものに興味はある。それがオルガノンという混沌による産物であるということについても、彼女の中では(違和感はあっても)忌避感を引き起こす程の話でもなかった。
リヴィエラはその「カニミソから取れた蟹味噌」をおそるおそる口に運んでみる。
「うーん、個人的には、一つの調味料として使うには悪くないと思いますが、これと相性の良い食べ物となると、選択肢は限られますね……」
冷静にそんな感想を語ったリヴィエラに対し、カニミソは目を輝かせる。
「ボクを美味しく食べる方法、一緒に考えてくれるの?」
「ま、まぁ、そうですね……、興味は無くも無いというか……」
「じゃあ、一緒に『蟹座』まで来てよ」
「蟹座?」
「ボクを売ってるお店の名前だよ!」
正確に言えば、別に蟹味噌だけを売っている訳ではない。ただ、カニミソが看板娘として働いていることから、一部の住民達からは「蟹味噌屋」と思われているのも事実である。
「まぁ、そういうことなら、行ってみましょうか。どちらにしても、この村の海産物を使った料理には興味がありましたし」
リヴィエラはそう呟きつつも、果たしてこのカニミソが「この村の海産物」なのかどうかについては、現時点ではリヴィエラには判断出来なかった。
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純真幼女
カペラ・ストラトス
は、初めて見る異国の町並みを、興味津々な様子で散策していた。そんな中、彼女の耳に、耳馴染みのない旋律の音楽が聞こえてくる。
カペラがその声が聞こえる方面へと向かって行くと、「蟹座」という名の食堂の前で、船乗りのような服を着た少女(下図)が踊りながら歌っている姿を発見する。彼女の他には特に音楽を奏でているような人物の姿も見当たらないが、彼女の足元に小さな長方形の形をした奇妙な金属板があり、そこから伴奏とある音が流れていた。
歌詞の内容はカペラにはよく分からなかったが、ところどころで星にまつわる言葉が出ていたことは分かる。そして、以前に異世界音楽教室を見学した際の経験から、なんとなく直観的に、彼女が奏でている音楽は地球産の音楽なのではないか、ということまでは推測出来た。
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船乗りのような服を着た少女 |
(出典:『グランクレスト戦記データブック』)
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少女の周囲には幾人かの人々が集まって彼女の路上パフォーマンスを楽しんでいる。彼女は笑顔で彼等に手を振りつつ、一通り歌い終えると、皆に対してこう告げた。
「みんなー、今日も聞きに来てくれて、ありがとねー! もうすぐ開店だから、あと何曲か歌うつもりだけど……」
少女はそう言ったところで、見覚えのない幼女の姿に気付く。
「あなた、もしかしてエーラムからの修学旅行の人?」
「わたしはカペラ! あなたは?」
「私はアカリ。エーラムの人なら分かるかな? 地球からの投影体なの」
「うん、ちきゅう、しってるよ。このあいだ、ちきゅうからあたらしいひとがきたの」
「へー。どんな人?」
「たぶん、あなたとおなじくにのひと。ちょっと、にてるかも」
カペラはツムギのことは新入生紹介の時にチラッと見ただけで、まだ言葉を交わしたことはない。ただ、それでもどこか通じるオーラを感じていたらしい。
「その人、一緒に来てる?」
「ううん。べつのむらにいってる」
「それは残念ね。ところで、カペラちゃん。修学旅行に来てるんだったら、今から修学旅行にちなんだ歌とか、一緒に歌う?」
それに対して、カペラは残念そうに首を振る。
「わたし、おうたをきくのはすきだけど、うたうことはできないの。でも、もりあげることなら、ちょっとできるかも」
「どういうこと?」
アカリが首を傾げていると、カペラは彼女の背後にサイレントイメージの魔法で「星空の映像」を映し出す。
「あ! すごい! なるほど、こういう演出してくれるのね」
「だから、また、おほしさまのうた、きかせてほしい」
「お星さまの歌、かぁ……、星間飛行以外だと、何があったかなぁ……」
アカリはしばらく考えた上で、ふと「ある曲」を思いつき、カペラの映し出した映像を改めてよく見る。
「カペラちゃん、これって、冬の星空よね? 春の星空を映すことも出来る?」
「できるよ。ちょっとまって」
カペラはそう答えると、改めて魔法を唱え直した。すると、背景の星の配置が確かに変わる。
「そう、これこれ! ありがとう! じゃあ、みんな聞いてね。この曲、私の音域だと難しいから滅多に歌わないんだけど、なんか今日はいけそうな気がするから、挑戦してみるわ。SPiCa!」
彼女はそう言いながら、足元の金属板を操作すると、新しい伴奏音楽が流れてくる。彼女はそれに合わせてしっとりと歌い始めた。
最初はゆっとりと、そして徐々に盛り上がっていく曲調に合わせて、彼女自身のテンションも上がっていき、サビの高音部分もどうにか歌いきり、観客からは喝采を浴びる。カペラもまた、感動した様子で手を叩いていた。
「ありがとう! これ、最後までちゃんと歌いきれたの初めてかも。きっとカペラちゃんのおかげだわ! やっぱり、歌を歌う時って、雰囲気が大切よね!」
「わたしも、おほしさまのうたがきけて、うれしかったわ」
「じゃあ、もうすぐお店が開店するから、この後は中で蟹料理を食べてってね♪」
*******
そしてこの日の夜、スパルタ最大の蟹料理店「蟹座」にて、魔法学生達を招いた大々的な宴が開催されることになった。ロゥロアやマシュー達が協力して手に入れた蟹をメインディッシュとした上で、様々な海産物を並べた歓迎会が店の二階の宴会場で展開されている。
それぞれのテーブルに蟹料理が運ばれる中、カペラは蟹の脚の食べ方に苦戦していた。
「この、かにばさみって、つかうのむずかしいのね……」
「あぁ、それなら、もういっそのこと割っちゃった方が早いぜ。貸してみな」
メルがそう言って、カペラから蟹の足を受け取ると手際よくパキパキと割っていき、中身だけをカペラに手渡す。
「ありがとう。きようなのね」
「まぁ、ガキの頃からずっとやってるからな」
一方、その隣ではセレネが感嘆の声を上げていた。
「なんだこれ! 今まで食べたことない味だぞ!」
彼女は初めて食べる蟹味噌の味に感動していた。そんな彼女のリアクションに、ボニファーツが嬉しそうに反応する。
「おぉ、君も蟹味噌の味が分かるのか。それなら、ウチの契約魔法師殿よりも大人だな」
「そうなのか!? フレイヤ先輩ちゃんより!?」
「あぁ。きっと君は、いい酒飲みになるだろう」
「なんかよく分からないけど、ありがとう! カブトムシのおじちゃん!」
そこへ、リヴィエラとカニミソがそれぞれにトレイを持って現れる。そこにはクラッカーやチーズなど、様々な「付け合せ食材」が乗せられていた。
「色々と試してみましたけど、この辺りがいいんじゃないかと思います。どう組み合わせるかはお好みでどうぞ」
リヴィエラはあれから、律儀にカニミソの新メニュー開発に付き合っていたらしい。その甲斐あってか、カニミソもいつもより嬉しそうである。
「ボニファさん、今回のお客さんは、ボクの魅力を分かってくれる人が多いみたいだね」
「最近、普通に受け入れられてきたよな。普通に天然物の蟹味噌を扱う店も増えたし」
「それはそれで、ボクとしては色々複雑なんだけどね……」
二人がそんな言葉をかわしている間に、セレネは「最強の蟹味噌トッピング」を考えていた。
「うん、やっぱり、『クラッカー+カニミソ+きゅうりの薄切り+チーズ』がベストコラボだと思うぞ! なぁ、マシューちゃんもそう思わないか?」
「そうだね。セレネちゃんがそう思うなら、それでいいんじゃないかな」
マシューは基本的に他人の価値観を否定しない。食事の場において、それぞれの味覚の違いの優劣を競うことの不毛さは、無意識のうちに理解しているのだろう。
「ロゥロアちゃんも食べてみるといいぞ! うまいぞ!」
「あ、はい、それでは……」
ロゥロアは半信半疑ながらも言われた通りの組み合わせで口に入れてみる。
「なんだか、不思議な味、です……」
ロゥロアは未知の体験に戸惑いつつ、ふと隣のテーブルを見ると、兄弟子であるサミュエルとヴィッキーが身体を密着させるような形で一冊の本を読んでいる様子を目の当たりにする。
(あ、あれはあにさまと……、ヴィッキーさん、ですね。むむ、最近、仲が良いような……。2人とも楽しそうですし、邪魔するのも無粋、ですね)
ちなみに、二人が読んでいるのは『恋と冒険の学園TRPGエリュシオン』であり、向かい側の席に座ったミツキの解説を聞きながら内容を理解しようと試みている。
「なるほど。ウチらと同じように特殊な力を持った子供達の訓練校の話、ってことなんやね」
「授業に出れば新しい力が手に入れるけど、事件を解決するには、授業をサボるか、睡眠時間を削らなきゃいけないのか。シビアな世界だな……」
そこへ、TRPG有識者であるエトとルクスが首を突っ込み始めた。
「えとえと、それが……、この村にあるっていうルールブック、ですか?」
「おぉ〜、すごいのだ!全頁カラーなのだ!」
「せやで。ウチはTRPGよう知らんけど、なんか楽しそうな雰囲気の本やわ」
「オレはこの世界だと生きていけそうにないけどな……」
そんな彼等の様子を見て、蟹味噌の付け合せを配り終えたリヴィエラも興味を示す。一応、彼女もまたエト主催のTRPG説明会には参加しており、TRPGがどういうものかは知っていた(discord「図書館」6月11日)。
「恋と冒険……、なんだか素敵なタイトルですね」
「ちなみに、別に女の子同士でもデートとか出来る世界らしいで」
「まぁ、この世界のデートって、割とろくでもないことが起きるみたいだけどな……」
彼等がそんな会話を交わしている一方で、ジョセフは契約魔法師のフレイヤと話をしていた。
「はぁぁぁぁ? レヴィアさんに恋人!? ウチ、そんなの聞いてないっスよ! てか、ありえないっス! レヴィアさんがそんな大事な人のことをウチに隠すなんて!」
「うーん、では、私の見立て違いなのか……。一体、誰だったんだ、彼は……?」
「てか、どんな人だったんスか?」
「少なくとも、一廉の人物としてのオーラはありました。背はさほど高くないですが、美男子というか、『貴公子』という言葉が似合いそうな雰囲気で、話し方も、話す内容も、知的で冷静でありながらも決して高圧的ではなく、威厳を感じさせつつも柔らかな物腰でもあるような……」
「そんな、『男版レヴィアさん』みたな人なんて、そうそういる訳ないっス! てか、この村にそんな人がいたら、絶対に話題になってるっスよ! ウチが知らない筈ないっス!」
フレイヤは情報を処理する能力には欠けているが、コミュ力が異様なまでに高いため、村の中での情報収集能力に関しては、レヴィアからも一目置かれていた。
「確かに。あれだけの存在感のある人物の噂が全く立たないというのは、妙な話ですね……」
なお、レヴィアはこの日の夕食会は「昼間に出現(その直後に自らの手で浄化)した小型投影体に関する報告書」の作成のために欠席していた。
そんな中、店内の中心に位置する(日頃は主にアカリが使っている)ライブ用ステージの上から、セレネが呼びかける。
「フレイヤ先輩ちゃん、ミツキちゃん、アカリちゃん、そろそろ例のアレ、やるぞ!」
「分かったっス!」
「今、行きますね」
「じゃあ、ミツキちゃんの『本体』は、私がしばらく預かるわ」
三人はそう答えて(アカリはヴィッキー達から「エリュシオン」を受け取って)、セレネの待つステージへと向かう。そしてアカリ以外の三人は、ステージの奥にある暗幕の向こう側へと一旦消え、何が始まるのかと興味津々な学生達を前に、アカリが「前説」を始める。
「みんな! 今日ははるばるスパルタ村まで来てくれて、本当にありがとう! 今から、カーバイト家の三世代の夢の共演が始まるから、その前に、この『サビのパートの振り付け』を覚えて、一緒に踊ってね!」
彼女はそう言うと、両手でそれぞれ軽く拳を握り、けだるそうな仕草でそれを「右・左・左・左、右・左・左・左」の順で前に突き出す。
「これ、右と左はどっちでもいいからね。てか、まぁ、気分が乗ってきたら、もう適当に身体動かしてくれればいいから、なんとなくリズムに乗って、雰囲気で楽しんで」
そんな彼女の解説が終わったところで、奥から「イカのきぐるみを着たフレイヤ」と「クラゲのきぐるみを着たミツキ」と「イルカのきぐるみを着たセレネ」が現れる。そして今回はアカリはあえて脇に下がった上で、愛用の金属板から音楽を流しつつ、それに合わせて歌い始めて、その歌声に合わせてきぐるみの三人が踊る、というパフォーマンスが始まった。
そんなフレーズに合わせて、皆が客席でアカリの指導通りに両手を動かした振り付けを見せると、なんだかよく分からない一体感が会場全体を包み込む。そして途中からはセレネが他の学生達の一部をステージ上に引っ張り上げる形で、わちゃわちゃと皆で宴会を楽しんだのであった。
******
その後も学生達は思い思いにそれぞれの修学旅行を堪能しつつ、やがて帰国の日を迎えたところで、学生達は様々な店を回って買い物へと勤しむ。エトは同門のエルへのお土産として、船をモチーフにしたタペストリーを、マシューはジェレミー先輩のために珊瑚細工のアクセサリーを、そしてセレネは帰ってから皆にふるまうための大量のカニミソ缶を購入していた。
往路の際はセレネ達が体調を崩していたこともあり、エストからは馬車を使ったが、帰路においては皆が万全の様子だったため、今度こそ小舟で(皆と合流するために)エストへと向かう。その船上において、ロゥロアはすっと愛用の笛を取り出した。
(あの時歌い切れた……、なら、もしかしたら、もしかしたらもう一度吹けるかもしれません。短い曲なら、この、最高の思い出と一緒の曲なら、なんとか……)
彼女はそんな想いを胸に、漁船で聞いたあの舟唄の旋律を、笛を使って奏で始める。あの時と同じスパルタ近海の潮風に乗せて、彼女の思いを込めたその曲が響き渡ると、同船していた学生達も思わず黙ってその音色に聞き入る。そして、気付いた時には、彼女はきっちりと最後まで吹き終えていた。
「吹けました、です……。最後まで……!」
そう呟いた彼女の頭を、引率役のバリーが軽く撫でる。
「次の演奏会、楽しみだな」
「はい……! 頑張ります、です」
こうして、一人の少女はようやく自らの「心の音」を取り戻したのであった。
ノギロ・クアドラント(下図)に引率された者達が向かうソリュート村は、モラード地方の中心地である港町エストの南南西に位置しており、この地方特有の茶畑が存在することで知られている。この茶畑の起源に関しては諸説あり、元来は投影体由来とも言われているが、はっきりしたことは分かっていない。
ちなみに、今年の修学旅行の訪問先の中では、このソリュート村への希望者が最も多かった。おそらく多くの学生達にとって、紅茶が一番「無難」に思えたのだろう。彼等は(スパルタ組と同様に)エストから馬車に乗り、途中でのどかな茶畑の風景を眺めつつ、やがて無事にソリュートに到着すると、さっそく領主のデイモン・アクエリアス(下図)が出迎える。
「ようこそ、エーラムの皆様。ソリュート村で領主を務めております、デイモン・アクエリアスと申します。この度は、これほど多く方々に当村に御来場頂けたこと、大変光栄に思っている次第です。皆様には、今回の修学旅行期間中に当村の喫茶店で使用可能な『紅茶の試飲券』をお渡ししますので、ぜひ御利用下さい。また、『茶摘みの体験会』や、我が契約魔法師ハルナによる講習会なども予定しておりますので、皆様がこの地でそれぞれに有意義な一時を過ごして頂ければ幸いです」
優雅な物腰でデイモンは学生達にそう告げる。見るからに「気品のある貴族」らしき風貌の彼だが、実は孤児院出身で、幼少期にエストの領主(このモラード地方全体の統括者)ジン・アクエリアスの養子に迎えられて騎士となった人物らしい。
そしてデイモンから「試飲券」をまとめて受け取ったノギロは、それを学生達に一人ずつ手渡していく。「くれぐれも、村の人々に迷惑をかけないように」と釘を差された上で、学生達はそれぞれに自分のお目当ての場所へと向かって散会するのであった。
******
「あなた、あの時の……」
「お久しぶりですね、オーキスさん」
オーキス・クアドラント
は、最初に入った喫茶店で、
テラ・オクセンシェルナ
と遭遇する。以前、オーキスが暴走して学外へと逃亡した際に、テラはまだ彼女と殆ど面識もなかったにもかかわらず、彼女を助けるために森へ探しに来てくれた。その時のことを思い出しながら、オーキスは彼と同じテーブルに座る。まだテラも注文する前だったので、ひとまず二人はこの店で一番人気の銘柄のストレートティーを頼むことにした。
その上で、事前に渡されていたこの村の喫茶店MAPと銘柄一覧を念入りに確認しているテラに対して、オーキスは問いかける。
「あなた、紅茶には詳しいの?」
「詳しいと言えるほどではありません。ただ、私にとっての大切な人達にお茶を振る舞いたいと考えておりましたので、この機会に色々な茶葉の違いを勉強させて頂こうかと。出来ればそれに加えて、お茶を介して新たな人々との縁を結ぶことが出来れば、これに勝る歓びはありません」
「『大切な人達』か……」
「今のあなたにも、いるのでしょう?」
「それはそうなんだけど、彼女は味覚がちょっと特殊だから、お茶を振る舞おうにも、ね……」
「人形のロシェル」には味覚という機能が備わっていない。そして、「大狼の身体」の味覚はおそらく人間とは根本的に別物だろう。更に言えば、そもそもオーキス自身が普通の人間よりも感覚が鋭いため、あまり刺激の強い飲食物は受け入れられない。その意味では、誰かと味覚を共有するという行為自体が、彼女やシャリテにとっては極めて困難なのである。
二人がそんな会話を交わしていると、やがてこの店で一番人気の銘柄の紅茶が届けられる。テラは最初に香りを確認した上で、そのまま静かに口に含み、その風味を味わった上で、更に牛乳や砂糖との相性も確かめてみようと試みる。
一方、味覚が過敏なオーキスにとっては、淹れたての紅茶は熱すぎて飲みにくい。そんな彼女の様子を察した店員が、そっと小皿に乗せた「氷」を持ってくる。
「よろしければ、こちらを入れて冷やしましょうか?」
この世界において「氷」は保存するのが困難な存在であり、普通はそう易々と提供出来るものではないのだが、この店では猫舌な客層に配慮して、このようなサービスもおこなっているらしい(なお、それが「この村の茶畑の管理人」への配慮でもあるのかどうかは不明)。店側としては、淹れたての紅茶が冷めるまで待つことで風味が落ちるよりは、味のクォオリティを維持したまま冷やして飲んでもらいたい、という意向らしい。
「ありがとう、助かるわ」
オーキスはそう言って氷を入れてもらい、自分にとっての程良い温度になったところで紅茶を飲み干すと、すっと立ち上がる。
「おや? 一杯だけで良いのですか? 私は、他の銘柄も飲み比べようと思っているのですが」
「出来ればそうしたいところなんだけど、私、『茶摘み体験会」の方にも行ってみたいの」
「あぁ、なるほど。確かにそろそろ、そちらの方も集合時間ですね」
「とりあえず、この紅茶は美味しかったから、帰りにお土産の候補にしておくわ」
オーキスはそう言って、早々に店を出ていく。そんな彼女と入れ替わりに、今度は
マチルダ・ノート
が入店してきた。
「あなたは確か、テラ・オクセンシェルナさん、でしたよね? マチルダ・ノートです。相席させて頂いてもよろしいですか?」
保健委員のマチルダは、養護教員の手伝いをする過程で学生達の名前は大方覚えている。ましてやテラのように年齢的にも外見的にも目立つ(しかも不健康そうな)人物のことは、一度見たら忘れることはない。
「もちろんです。喜んで」
テラがそう答えると、マチルダは席に着いた上で、店員に対して問いかける。
「すみません、この村で生産されている『シュニャイダー印の茶葉』について、こちらの地元ならではの一番おいしい淹れ方や飲み方をお伺いしたいのですが……」
「それは、ストレートティーですか? フレーバーティーですか?」
「えーっと、ちょっと待って下さいね……」
マチルダはそう言って、鞄の中からメモを取り出す。「シュニャイダー印の茶葉」とは、彼女が日頃働いている保健室に常備されている紅茶の茶葉であり、そのパッケージには猫の肉球のようなマークが記されている。彼女としては、保健室を訪れる人々の心を落ち着かせるために、少しでもおいしい淹れ方を知りたいと考えて、今回の訪問先にソリュートを選んだのである。
すると、ここでジャヤも珍しく積極的に会話に参加してきた。
「淹れ方に秘訣があるのであれば、ぜひ私にも教えて下さい」
テラとしても、せっかく購入した茶葉を少しでも美味しくジャヤやクロードに飲んでもらいたいという気持ちは強い。
「分かりました。では、せっかくですのでカウンターの方まで来て頂けますか?」
店員はそう言って二人を店長の元へと案内すると、彼等はそれぞれの茶葉の性質に合わせた淹れ方のコツを伝授されるのであった。
******
一方、テラの義弟である
ジャヤ・オクセンシェルナ
は、茶葉の直売店を訪問して、どの茶葉を購入すべきか直接物色していた。そんな彼に対して、一人の少女が声をかける。
「あの、ジャヤさん、ですよね?」
「あぁ。汝(なれ)はたしか、ヴィルへルミネと言ったか。森の投影体の昔話、楽しませてもらったぞ」
「私も、ジャヤさんとメルさんのお話、すっごく感動しました。ところで、ジャヤさんは紅茶にはお詳しいんですか?」
ヴィルへルミネはまずお土産用の茶葉を購入しようと店に入ったものの、種類が多すぎてどれを買えば良いのか分からなくなっていた。そして、それに関しては実はジャヤも似たような状況であった。
「最近、凝り始めたところだ。ソリュート村は世界でも指折りの紅茶の名産地だと聞く。その……、柄でもないと思われるやもしれないが、吾(あ)はとても楽しみで浮き足立っているのだ。兄様やお師様や友人たちに振る舞う茶を選ぶのはきっととても悩ましくて、とても楽しい。ただ、正直なところ、こうも種類が多いと、なかなか品定めにも迷う。出来ればこの店の者に訪ねたいところなのだが、同じことを考えている者も多いようでな……」
ジャヤの視線の先では、他の修学旅行生達からの質問に答えている店長を思しき人物の姿がある。店長としても、子供達を相手になるべく丁寧に分かりやすく説明しようとする都合上、なかなか手が空きそうにない状態のようである。
そんな中、彼等より少し歳上の少女(下図)が話しかけてきた。
「あの、もし茶葉をお探しなのであれば、私がお手伝いしましょうか?」
「汝は?」
「はじめまして。私はこの村の診療所の責任者で、シーナ・アスターと申します。今日はエーラムからのお客さんが沢山来ていると聞いたので、私もこの店をお手伝いすることにしました」
「ほう。それは助かるが、診療所の方は大丈夫なのか?」
「はい。今日は『私もよりもずっと優秀な方』に代役をお任せしているので」
笑顔で彼女がそう答えたところで、ヴィルへルミネは素朴な疑問を投げかける。
「診療所の責任者ということは、あなたも生命魔法師の方、なのですか?」
この世界の病院や診療所で働く者達の中には、魔法を使わない純粋な「医者」も数多く存在するが、純粋な医療技術だけで責任者を務める程の立場になれるのは、それなりに歳を重ねた男性が大半である。シーナは魔法学校の学生と言っても違和感のない程度の年齢であり、ここまで若い女性が責任者を務めているとなれば、それは「ただの医者」であるとは思えない。
ただ、この村の契約魔法師であるハルナ・カーバイトが(亜流の常磐とはいえ)生命魔法師であることは皆が事前に聞かされているが、彼女の他にも魔法師がいるという話は聞いていない。もしやエーラムの魔法師とはまた異なる自然魔法師か、あるいは治癒能力を持つ投影体なのでは? といった考えもヴィルへルミネの中には浮かんだんが、ここでシーナからは全く想定外の返答が返ってきた。
「いえ、私は『ポイゾナスの邪紋使い』です」
一般的に「邪紋使い」と言えば、先日の戦闘訓練の時の「雷光のワトホート」のように、自身の肉体を強化して戦うタイプの異能力者であることが大半である。だが、ごくごく稀に、人体に影響を与える毒や薬を邪紋から生成する者達が存在しており、それらを一般的にポイゾナス(毒使い)と呼ぶ。彼女はその中でも、薬の生成に特化した特殊なポイゾナスであった。
「なるほど……、邪紋使いの中にも、そういう方がいらっしゃるのですね……」
驚いた表情のヴィルへルミネをよそに、シーナは話を本題に戻す。
「とりあえず、このお店には試飲用のポットが奥に常備されていますから、まずはそちらで、興味のある茶葉を試してみるのが良いと思います。皆さんは試飲券をお持ちですから、どの茶葉を試してみてもらっても結構ですし、外のテラスの御使用も自由ですよ」
「それはありがたい。とはいえ、試すにしてもさすがに全てという訳にはいかぬし、それぞれの茶葉ごとに淹れ方も異なるのであろう?」
「確かにそうですね。では、まずは私のお勧めの品から試してみる、ということでもよろしいですか? それを味わってもらった上で、もう少し風味が強い方が、とか、あっさりした方が、といった希望を教えて頂ければ、それでまた次の品を探してみます」
実際のところ、シーナは別に紅茶の専門家ではないし、そもそもこの村の出身者でもないのだが、この地に赴任して以来、毎日様々な紅茶を体験し続けたことで、ある程度のアドバイスが出来るようになっていたのである。
「では、それでお願いしよう」
「私も、出来れば同じものをお願いします」
ジャヤとヴィルへルミネがそう言うと、ひとまずシーナは自分のお気に入りの茶葉を選んで、二人をテラスへと誘導した上で、その場で二人に振る舞う。
「とりあえずはストレートで入れてみましたが、私としては、これに無糖のまま牛乳を加えるのが一番おいしい飲み方だと思っています」
「なるほど。そう言われると、ミルクティーにした時の味も試してみたくなる」
「私も、それを試してみたいです」
三人がそんな会話をしている頃、その店の近くを歩く男子学生の姿があった。
エイミール・アイアス
である。
(紅茶。それは紳士の飲み物。正しい知識、最上の茶葉によりそれはもはや飲み物の枠を超え、芸術品へと昇華する……)
彼はそんな想いを抱きながら、この村を訪れた。村の随所に立ち並ぶ紅茶関連の店は、そんな彼の「高貴な心」を刺激する。
(しかし、残念だが、今回は僕は勉学のために来た。年は近しいにも関わらず契約魔法師を務めるハルナ・カーバイト。かの女性から話を聞くためだ。契約魔法師なんぞになるつもりは無いが、『今は』格上である人の話を聞く事は、この僕の躍進に繋がるからな……)
ひとまずそう考えた彼は、実際に紅茶を味わうのは後回しにして、まずは領主の館で開かれる予定のハルナの講習会へと向かおうとしていた。
(それにしても、先程馬車の窓から見た茶畑は、素晴らしい光景だった。正しい技術を持てばさぞ、美味い紅茶を味わえるだろう……)
彼がそんな想いを改めて抱いていたところで、不意に彼の嗅覚を芳醇なミルクティーの匂いが刺激する。思わずその源泉に視線を向けると、そこではジャヤとヴィルへルミネがシーナの入れた紅茶を楽しんでいる姿があった。そして、他の学生達も次々とテラスに出て紅茶を楽しもうとしているのが分かる。
(……あっ、みんな飲んでる! ずるいぞ! この僕も混ぜるがいい! あと僕にも煎れさせろ!)
結局、その衝動を抑えきれなくなったエイミールは、そのままジャヤ達の元へと向かう。
「やぁ! 諸君。この僕! 輝きのエイミールを差し置いて茶会を始めるなんて、ずるいじゃないか! いや違うか。むしろ悪いのは、登場が遅れてしまったこの僕か! すまない、主役が不在で寂しい思いをさせたことだろう。さぁ、ここからが本当のTea Partyの始まりだ!」
こうして、エイミールは結局、この日のハルナの講習会には行きそびれるのであった。
******
「それでは、今から皆には茶摘みを体験してもらうニャ。新芽はデリケートだから、くれぐれも注意するニャ」
ソリュート村の最大の茶畑の管理人であるシュニャイダー(下図)は学生達を前にそう告げた。
(猫だ……)
(猫です……)
(猫なのか……)
シュニャイダーは猫によく似たケット・シーという妖精である。彼は近くにあった茶樹の枝を左手の肉球でつまみつつ、皆の目の前で「実演」する。
「まず、利き手の『親指』と『人差し指』の間に新芽を1つずつはさむニャ。そして、もう片方の手で揺れないように枝の部分を押さえながら、人差し指を少し曲げ加減にすることで……」
学生達にそう言って見せるものの、彼等の目には「肉球で何やらもぞもぞやっている光景」にしか見えない(しかし、それでもなぜか綺麗に摘み取れていた)。
「さぁ、やってみるニャ!」
当然、学生達は困惑するが、その後、他の職員達(人間)が改めて彼等の目の前で(人間の手で)実践して見せることで、大半の学生達はなんとなくやり方を理解する。最前列でそれらの一連の様子を見ていた猫好き少女
カロン・ストラトス
は、ぬいぐるみを抱えつつ、目を輝かせながら聞き入っていた。
「おちゃつみ……、とても、楽しそう」
彼女はさっそく、近くの枝に触れて実践してみる。ひとまずぬいぐるみを背中に背負った状態にした上で、茶樹の枝に両手を伸ばした。
「えっと、こう……で、いいのかな?」
カロンがそう言いながら慎重に摘み取ると、その様子を見ていたシュニャイダーは笑顔で頷く。
「そうニャ。この時に爪を使うとその部分が痛むから、この人差し指の腹の部分を使うニャ」
シュニャイダーは自分の手を見せてそう説明するが、当然、カロン達には彼の肉球のどの部分が「指の腹」にあたるのかがさっぱり分からない。とはいえ、なんとなくフィーリングで理解した気分になったカロン達は、他の職員(人間)から改めて指導を受けつつ、枝の先に実った新芽を積み始めていく。
「はたけしごととはまたちがう感じで、楽しい」
カロンがそう言いながら嬉々として摘み取っていく横で、彼女と同じく猫好きの
クリストファー・ストレイン
は、シュニャイダーに提案を持ちかける。
「なぁ、沢山摘んだら、モフらせてもらえないか?」
「考えておくニャ」
「よし! 頑張るぞ!」
そう言って彼が張り切りながら籠を受け取る一方で、滑り込みで集合に間に合って参加することになったオーキスもまた、興味津々の目で茶葉を凝視する。
「茶葉の樹の話は聞いたことはあったけど、実際にはこんな感じなのね……」
少なくとも、先刻まで見ていた「淹れる直前の茶葉」とは明らかに異なる形状を見て、彼女は何やら不思議な感慨に至る。その隣で、農家出身の
ディーノ・カーバイト
もまた同様の感想を漏らす。
「これが紅茶になるのか……、色も匂いも、淹れる時とは全然違うんだな」
彼の実家では茶樹は育てていなかったので、新芽から香る匂いは初体験であった。そんな彼等に対して、改めてシュニャイダーが解説する。
「この新芽を揉み込んだ上で発酵・乾燥させることで、美味しい紅茶の茶葉になるニャ」
そんな説明を横で近くで聞きながら、園芸少女
テリス・アスカム
もまた、笑顔で新芽を摘み取っていく。極東出身である彼女にとって「茶樹」は馴染み深い存在ではあるが、武家出身ということもあり、実際にこのような形で茶摘み体験をしたことは無かったようである。
「エーラムの農園でも育てられれば良いのだけど、気候の問題で難しいのかな……」
「もし、試してみるなら、私もお手伝いしますよ」
ユニは別に園芸部員でもないし、特別紅茶に執着がある訳でもないのだが、相変わらず「誰かの役に立ちたい」という気持ちが強いらしい。なお、もともとユニは騎士家の出身ではあるものの、育ったのは農村であるため、それなりにこの手の作業の経験はあるようだが、ひとまず職員の話をしっかりと聞いた上で、楽しそうに新芽を摘んでいた。
一方で、テリスと同じく極東出身で喫茶「マッターホルン」の店長代理を務める
クグリ・ストラトス
もまた器用に新芽を摘み取りつつ、自分が日頃用いている茶葉に関する見識を深めながら、職員の人に色々と話を聞いていた。
「私はエーラムで喫茶店の経営に関わっているですが、この茶葉を個人単位で直輸入することは可能ですか?」
「詳しいことは聞いてないのですが、基本的にはアップルゲート・ローレンスという方が独占契約を結んでいるみたいなので、それはちょっと難しいかと」
「そうですか……。それは他のこの村の茶畑も同様ですか?」
「うーん、それは各茶畑の管理人の方々の管轄になるので、聞いてみないと分かりませんね」
どうやらこれは明日以降、独自に色々な人々に個別で話を聞いてみる必要がありそうだ、ということを彼女は実感する。
そして、もう一人の「極東少女」である
ゴシュ・ブッカータ
もまた、故郷の光景を思い出しながらほのぼのと茶摘みを進めつつ、ふと、唄を口ずさみ始める。
それは、音楽部の部室からたまたま見つけた唄の一節である。隣りにいた
エル・カサブランカ
が問いかけた。
「ゴシュちゃん、その曲は?」
「『茶摘み』の歌やで。歌いながらやった方が、楽しいやろ?」
「なるほど」
先日のエリーゼの誕生会で一緒にダンスを踊って以来、なんとなく仲良くなっていた二人は、そのまま一緒に歌い始める。
「「のにもやーまにもー、わーかばーがしげるー♪」」
そんな二人の歌声に、他の学生も何人かハミングで口ずさみ始める中、出生地不明ながらもなぜか極東文化に妙に詳しい
シャララ・メレテス
は、楽しく農業体験をしながら、この茶葉の使い道について色々と考えていた。
「後で茶葉をもらえたら、紅茶ケーキを作ってみるのだよ」
一応、彼女も普通にそういった「一般的な西方文化」の知識はあるらしい。その一方で、彼女は事前にお茶について調べていた時点で「オチャヅケ」なる料理の存在にも気がついていた。
(オチャヅケ……、穀物とお湯と、ツケモノ?? ツケモノは野菜なのだね!! これはナナクサガユ???)
そんな妄想を抱きつつ、シャララは新たな七草粥(なのか何なのかよく分からない何か)の可能性を求めながら、新芽を積み続ける。
こうして各人が思い思いに楽しく茶摘みを続けていくが、基本的には同じことを繰り返す立ち作業なので、長時間続けることによって、必然的に徐々に集中力も体力も削られてくる。そんな中で皆のせめてもの気晴らしとなっていたゴシュとエルの「茶摘み」の歌も、何十回もリピートされることで、さすがに飽きが訪れようとしていた。
「地道な作業なのね……」
オーキスが疲れた様子でふとそう呟く一方で、もともと体力に自信がある上に農作業には慣れているディーノはまだまだ平気そうな様子ではあったが、ふと何かを思い出す。
「そうだ! 俺、ハルナ先輩の話も聞きに行かなきゃ!」
彼がそう言ったところで、ユニがすっと彼の横に来る。
「じゃあ、その籠は私が、ネコさんのところに届けておきますね」
「あぁ、よろしく頼む!」
そう言って、彼は籠をユニに託すと、全速力で村へと駆け戻って行った。
「子供は元気だニャ」
ユニからディーノの集めた籠を受け取りつつ、シュニャイダーがそう呟くと、クリストファーがふと問いかける。
「そういえば、ハルナ先輩ってどんな人なんだ?」
「なんだかよく分からない『異界のヒーローごっこ』に興じていること以外は、基本的には真面目だニャ。酒さえ入らなければ……」
その話を横で聞いていたエルが「具体的に契約魔法師がどんな仕事しているのか」という点に興味を抱く一方で、テリスは「異界のヒーローごっこ」という趣向に共感し、そしてクグリは内心で密かに「ちょっと悪いこと」を思いつく。
以後は小休止を挟みつつ、ゴシュが他の参加者に「今夜一緒にTRPGやらへん?」と誘いをかけたり、シャララは職員の人々から紅茶ケーキやお茶漬けの作り方を聞いたり(後者は誰も知らなかったが)、といった会話を挟みながら、最終的に陽が落ちかける頃まで彼等は茶摘みを続け、日頃飲んでいる紅茶がいかに大変な労力の上に作られているかということを実感する。
なお、この日最も多くの新芽を摘んだのは、背中にぬいぐるみを背負いながら地道に黙々と仕事を続けたカロンであり、彼女はご褒美として、シュニャイダーに抱きついてスリスリする権利を与えられたのであった。
******
ハルナ・カーバイト(下図)は、カルディナ門下生「第一世代」の四女(五番弟子)にあたる「常磐(亜流)の生命魔法師」である。歳はフレイヤよりも若干「月下」の16歳で、世代的には現在集まっている赤の教養学部の面々と大差ない。だが、彼女はそれでも既に就任三年目に突入する契約魔法師であり、(前述のヴェルディやフレイヤも含めて)この世代のカルディナ門下生がいかに異才揃いだったか、ということが伺える。
「それでは、答えられることには答えられる範囲で答えていきたいので、どうぞ、何なりと質問して下さい」
無難にそう切り出したハルナに対して、最初に手を挙げたのは風紀委員の
イワン・アーバスノット
である。彼は旧ペンブローク邸の地下の「アルヴァン喫茶」に出入りする学生の一人であり、それ故に紅茶に興味を持つようになったことで、今回はこの村への訪問を希望した。なお、17歳の彼から見ればハルナは「年下の先輩」なのだが、あくまでも教えを請う者としての敬意を示しながら質問する。
「この村の主産業となっている茶葉について、元は混沌による産物であると言われているようですが、純粋な茶葉としての性質は、東方諸国で採れる『この世界由来の茶葉』と変わらないのでしょうか?」
「由来に関しては諸説ありますが、少なくとも現在は完全にこの世界に溶け込んでいますから、混沌の力も含まれていませんし、おそらく現地産の茶葉と変わらないと思います。少なくとも、ストレートティーとして飲む分には」
実はそこに更に「混沌によるアレンジ」を加えたフレーバーティーもこの村では生産されているのだが、その点について説明する前に、イワンから次の質問が投げかけられる。
「茶畑の管理は、官営なのですか? 民営なのですか?」
「あえて答えるなら、半官半民ですね。基本的にはニャンコ先生達に任せてますけど、やはりこの村の主産業なので、その経営には色々と立ち入らせてもらいますし、人手が足りない時には役人の人達にも手伝ってもらっています」
イワンは事前に一通りのことは調べているため、「ニャンコ先生」というのが最大の茶畑の管理人であることも推測出来た。その上で、次の質問に入る。
「この村は旧トランガーヌ時代から聖印教会の信者の人達が多いそうですが、そういった人々とはどうやって折り合いを付けているのでしょう?」
「確かに、聖印教会の中には、私達魔法師や、ニャンコ先生のような友好的な投影体のことを問答無用で抹殺するような過激な人達もいますが、ウチの村のシスター・マリアンヌは『混沌災害』以上に『人間同士の争い』を嫌う人なので、特に衝突は起きていませんし、診療所の責任者である邪紋使いの人とも仲良くやってます。まぁ、そのシスターと、診療所の人と、私のマスターは、全員『同じ孤児院』で育った仲だから、というのもあるでしょうけど」
「聖印教会のシスター」と「邪紋使い」と「村の領主」が同じ孤児院出身というのは、かなり珍しい事例だとは思うが、実際にそのような特殊な人間関係が構築されているからこそ、この村の統治が安定しているという側面もあるのだろう。実際、約一年前に過激派の神聖トランガーヌから送り込まれた尖兵との間で紛争が発生した時も、この村のシスターが彼等の動きに同調しなかったからこそ、村の分裂を招かずに撃退出来た、という側面はある(なお、シスターと領主の間には実は更に深い「絆」があるのだが、さすがにそこまではハルナは話せなかった)。
イワンとしてはまだ他にも聞きたいことはあったようだが、あまり自分一人で質問し続けるのもよくないと判断した彼はここで一旦引き、同門のアメリ・アーバスノット(下図)に質問権を譲る。出版部所属の彼女は、今回もその活動の一環としての質問を投げかける。
「この村を含めたモラード地方の中で、今後数ヶ月の間に観光イベントとして面白そうな『お祭』などが開催される予定があれば、教えて頂けますか?」
「正直、ウチは観光産業というよりは輸出産業の村なんで、あんまり集客力のあるイベントとかはないんですよね。しいて言うなら、茶摘み体験が出来る今のこの時期が一番お勧めではあるんですが……。他の村でも良いなら、お隣のエルマ村で数ヶ月後に開催される予定の『クルーラカーン殲滅祭』あたりが面白いかもしれません」
何やら物騒な祭の名前が出てきたところで、イワンはピクッと反応した。彼自身は直接目撃はしていないが、旧ペンブローク邸の地下に「酒好きの妖精」であるクルーラカーンが出没するという話は聞いている。
「エルマはウイスキーで有名な村なんですが、酒蔵の近辺にクルーラカーンという悪戯好きの妖精がよく出没する周期があるんですよ。まぁ、別に一般人が木の棒で殴るだけでも倒せるような小さな妖精なので、皆でもぐら退治みたいなカンジで撲殺して回るんです。エネルギーボルトとか使える学生さんなら、きっといい練習になりますよ」
正直、「貴族向けの観光雑誌」に載せる内容としては少々物騒な「下賤な庶民のお祭」のような気もするが、それはそれで、そういった奇祭に興味を示す好事家もいるのかもしれないと考えたアメリは、一応、言われた内容をそのもあま書き留めておくことにした。
続いて、今度は
クリープ・アクイナス
が質問する。
「常盤の魔法師になるためには、どんな能力や心構えが必要なのでしょうか?」
「うーん、それについては、やっぱり『適性』が第一、という答えになってしまうんですよね……」
現在、歳上の学友が「治癒魔法への適性の無さ」を理由に苦戦していることを知っているクリープは、その説明に対して何とも言えない表情を浮かべるが、そんな事情など知らないハルナは、そのまま話を続ける。
「私は最初、表(緑)の生命魔法師を目指していました。私の実家は宝石細工店で、指先を怪我することが多い父を助けるため、というのが最初の動機だったんですが、どうも私には治癒魔法への適性が無かったようで、いくら練習しても、さっぱり身につかなかったんですよ。でも、肉体強化の魔法なら使える、ということが分かったので、自分の肉体を強化して戦う常磐の学派に進学したんです」
その際に参考になったのが、養母カルディナが彼女に渡した
異界魔書
だったのだが、ひとまずその説明に関しては後回しにした上で、ハルナは本題に答える。
「要するに、私の場合はあくまで『表(緑)』の適性がなかったから、仕方なく『裏(常磐)』を目指した結果、結果的にそれが自分の適性にあっていた、というだけなんですね。だから、教養学部の時点では、まだどの道に進むかについて、あまりはっきりと決めすぎない方がいいかもしれません。私も、最初に目指していた道に挫折した時は落ち込みましたけど、今は常磐の生命魔法師として誇りもやり甲斐も感じていますし。その意味では、この選択肢を示してくれた先生には、本当に感謝しています」
実際のところ、彼女は常磐学科に転向して以来、瞬く間にその才能を開花させ、13歳で生命魔法学部を卒業するという偉業を果たしている。無論、それは才能だけではなく、そもそも彼女が(少なくとも酒の味を知るまでは)勤勉な性格であったが故に、緑志望だった時から(適性不足を補うために)人体構造に関する知識を必死で叩き込み続けていたという土台があった上でのことなのだが、その点についてはハルナ自身は無自覚のうちにやっていたことなので、自分からこの場で説明することはなかった。
そんな中、廊下を走って駆け込んで来る生徒が現れた。茶畑から必死で駆け込んできたディーノである。
「ディーノ・カーバイトです! 遅刻してすみません!」
「あぁ、噂の第三世代の魔法剣士君ですね。どうぞ、座って下さい」
一応、ハルナもカルディナからの魔法杖通信を通じて、彼の話は聞いているらしい。そして、ディーノはその彼女の申し出に首を振り、立った状態のまま質問を投げかける。
「いえ、俺は遅れて来たので、立ち見席で結構です。それより、質問よろしいでしょうか!?」
「どうぞ」
「ハルナ先輩は常磐の生命魔法師として、自らの肉体を鍛え上げて戦う方だとお伺いしているのですが、どのように日頃から鍛錬をおこなっているのでしょうか? 何か心掛けていることはありますか? そして、肉体強化の際に目標にしている『異界の変身ヒーロー』とはどのような人物で、何を成し遂げた人なのでしょうか?」
走り終えてハイテンションな状態のまま、興奮した様相で立て続けにそう質問してきたディーノに対して、ハルナは落ち着いて答える。
「身体の鍛錬に関しては、実際にやってみせた方が早いと思うのですが、ちょっとここでは手狭というか、さすがに領主様のお屋敷を壊す訳にはいかないので、この講習会が終わったら、外で実際にお見せしましょう」
どうやら彼女の鍛錬は「何かを壊すこと」が前提となっているらしい。
「異界のヒーローに関しても、変身ヒーローとしてのカッコよさは実演で見せたいところなのですが、あえて簡潔な言葉でまとめるなら、
絶望に陥った人々にとっての『最後の希望』となって、彼等を守るために戦うヒーロー
ってとこですかね」
「なるほど。では、その『変身』も、あとでじっくり見せて下さい」
「もちろんです!」
「あと、もう一つ質問させて下さい。俺にも、魔法剣士として目標にしているヒーローがいて、いつかそのヒーローが使っている『必殺技』が使えるようになりたいと思って、今も実際に練習しているんですが、その必殺技のための構えを取ろうとすると、どうしても上手く剣が振れないんです。どうすればいいんでしょう? 諦めるしかないんでしょうか?」
ディーノはそう言いながら、愛用の木刀を手にしてその「必殺技」の構えを見せる。どうやら彼の目指す必殺技は「逆手持ち」から放たれるものらしい。
「君は今、何歳ですか?」
「13歳です」
「だったら、心配することはありません。男の子はそこからまだまだ身体が成長します。今の身体で出来ないことでも、身長と筋肉がつけば出来るようになるかもしれません。むしろ、未発達の身体に負担がかかるような無理な鍛錬は、今は控えた方がいいかもしれませんね」
「なるほど……」
「もちろん、思っていたように身体が成長するとは限りません。私も、私が目指すヒーローの必殺技を再現するには身体が小さすぎたので、本音を言えばもっと身長が欲しかったんですけど、それでも、小さい身体なりに、ある程度まで再現出来るようになりました。それを可能にしてくれたのが『常磐の生命魔法』の力です。だから、『魔法剣士』を目指すなら、肉体の鍛錬と魔法の訓練をバランスよく積み重ねた方が良いでしょう」
「分かりました! ありがとうございます!」
その後も、ハルナは学生達の質問に対して、親身になって丁寧に答え続けた。変人集団カーバイト一門の一角を担う彼女であるが、基本的には真面目な性格なのである(酒さえ入らなければ)。その上で、終了後にはディーノ一人だけのために裏庭でヒーローショーを披露してみせることで、彼の心に(カルディナと初めて出会った時以来の)強烈な印象を植え付けたのであった。
******
こうして、学生達が「喫茶店街」や「茶畑」や「領主の館」でそれぞれに新たな知識や技術を習得している中、
エンネア・プロチノス
は一人で村の各地を散策していた。
「この世界の自然律は、元は全て異界の自然律だったのでは?」という自身の仮説の検証を目指す彼にとって、元は「異界から投影植物」が源流と言われるこの村の茶樹は重要な調査対象である。とはいえ、今の彼のでは実際に茶樹そのものを見たところで、そこにどれだけの「異界の痕跡」が残っているのかを分析することは出来ない。そこで、彼は村の人々からの聞き込み調査を通じて、「この村に茶樹以外にも『投影体由来の何か』が存在するのか」「茶樹の存在がこの地の自然律に影響を与えていると思しき現象はあるのか?」といったことを調べていた。
彼はこの村の古い伝承などに詳しそうな年配層の村人を見かける度に話を聞いてみたが、少なくとも茶樹以外で「異世界由来でこの地の自然律に定着したと思しきもの」の心当たりは無さそうであった。ただ、最近になってこの村に出現した投影体の中に「茶葉に香りを付与させる能力を持つ犬」という奇妙な投影体が存在するという話を聞いた彼はそこに一つの可能性を見出す。
(そんな「限定的な特殊能力」を発揮する投影体が、たまたま都合良く「この紅茶の村」に出現したとは考え辛い。その意味では、茶樹の存在自体が投影の触媒となっている可能性が高そうではある。ただ、召喚魔法師による人為的な投影ならともかく、偶発的な混沌核の収束による投影だとすれば、そこで「触媒」となりうるのは異世界由来の投影体である可能性が高い。その意味では、あの茶樹はやはり、まだこの世界に完全に溶け込んだ訳ではなく、どこかに「投影植物」としての痕跡が残っている、ということなのだろうか……)
エンネアがそんな思考を巡らせながら散策を続けていると、茶摘みから帰還したクリストファーと遭遇する。彼は唐突にエンネアに問いかけた。
「あ、ちょっと聞きたいんだけどさ、この辺りで『赤毛の犬』を見なかったか?」
「赤毛の犬?」
「さっき、垂れ耳で青い目をした赤毛の犬を見かけてさ、その耳の形もちょっと変わってたから、投影体じゃないかと思って近付こうとしたら、走ってこっちに方に逃げちゃったんだ」
クリストファーはどちらかと言えば猫派だが、基本的には「かわいい投影体」全般が好きらしい。出来ることならばロケートオブジェクトの魔法で探したいところだが、既に茶畑での単純作業の繰り返しを通じて精神力を使い果たしていた彼には、多大な魔力を消耗するロケートオブジェクトを発動させるだけの気力が残っていなかった。
そして「投影体らしき犬」と聞くと、エンネアの中では先刻の「茶葉に香りを付与させる投影犬」の話が思い起こされる。もしそうなら、これはエンネアとしても興味深い話である。
「それなら、もしかしたら抜け毛がこの辺りに落ちているかもしれないから、それを頼りに探してみても良いのでは?」
「あぁ、なるほど! 確かに、赤い抜け毛なら目立つしな」
こうして二人がかりで村の石畳を凝視しながら捜索を続けた結果、確かにそれらしき「赤い動物の体毛」が何箇所かで発見された。彼等がそれを辿っていくと、この村の唯一の「診療所」に辿り着く。そして、その入口には、先刻まで喫茶店で紅茶の淹れ方の勉強をしていたマチルダと、ハルナの講習会を終えたクリープの姿があった。治癒師を目指す彼等は、この機会に医療技術についても学ぼうと考えて、この診療所の見学に着ていたのである。
「お二人も、診療所の見学に来たんですか? よろしければ、一緒に参りましょう」
マチルダは珍しく積極的に(二人の意志を明確に確認せぬまま)二人にそう提案する。実は、これには理由があった。ここ最近、クリープは治癒魔法習得に苦戦しているマチルダの力になろうと積極的に彼女を手助けしようとしているのだが、マチルダの中ではクリープはあくまで「共に治癒師を目指す好敵手」であって、あまりに彼との関係を深めて馴れ合いすぎるのは良くないと考えていた彼女は、彼と二人きりで行動する機会を減らすべきだと考えていたのである。
「うーん、診療所に興味があるか、と言われると微妙なんだけど……」
「でも、可能性としては、確かにこの中にいるかもしれない……」
クリストファーとエンネアがそんな微妙な受け答えをする中、彼等の話し声に気付いた屋内の人物(下図)が、扉を開ける。
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診療所の扉を開けた人 |
(出典:『グランクレスト戦記データブック』)
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「何か御用ですか?」
そこに現れたのは、黒い修道服を身にまとい、眼帯を付けた金髪の女性であった。その装束から、エンネアとクリープは(以前にエーラム近郊の村で出会ったプリシラと同じ)聖印教会の人物であることを察する。
「あなたが、この診療所の所長さんですか?」
マチルダがそう問いかけると、その女性は優しそうな笑顔を浮かべながら答える。
「いえ、所長は現在、紅茶街の方々のお手伝いのために留守中で、今日は私が私が代役を務めています。はじめまして。シスター・マリアンヌと申します。皆さんは魔法学校の方々ですね?」
「はい、私はマチルダ・ノートです。治癒師を志す者として、実際の村の医療がどのようにおこなわれているのか、ということを学びたいと思い、もしお邪魔でなければ見学させて頂けないかと思ったのですが……」
「分かりました。今は患者さんもいないので、医療器具を見て頂く程度なら構わないでしょう。おそらく、所長もそう考える筈です」
彼女にそう言われたマチルダ達は、中へと案内される。入口から入ってすぐのその空間にはいくつかのベッドが設置され、そして様々な医療器具と薬瓶が戸棚に並べられていた。更に奥には扉があり、外からみた構造から察するに、その奥にもまだ部屋があることが伺える。
クリープは先日のプリシラとの問答を思い返し、マリアンヌに対してやや警戒した様子を見せるが、エンネアは彼女の立場を分かった上で、あえて率直に問いかけた。
「この村の茶樹は異界からの投影体がこの世界に馴染んだ存在だと言われているようですが、聖印教会の方としては、そのような存在は認められるのでしょうか?」
「おそらく、それは宗派によるでしょう。私としては、たとえ投影体であったとしても、偶発的にこの世界に現れてしまったものに関しては、この世界の一部として認めるべきだと考えています。もちろん、それが直接的であれ間接的であれ人に害を成す投影体であれば、浄化すべきですが」
明らかに先日のプリシラとは異なる教義解釈を語るマリアンヌに対し、エンネアとクリープが若干の違和感を感じているところで、クリストファーは奥の扉の向こうから、ガサゴソとした微弱な物音がするのに気付く。
「その奥の部屋に、誰かいるんですか?」
「あぁ、そうですね……。せっかくですから、皆さんにも紹介しておきましょう」
マリアンヌはそう言って奥の扉を開ける。
「アールくん、こちらに来て、ご挨拶なさい」
その声に答えるように、奥の部屋から
紅い体毛の犬のような何か
が現れた。それはまさしく、先刻クリストファーが見かけた「赤毛の犬」であり、その口元には焼き菓子か何かのかけらが付着していた。彼はその状態のまま、人間の言葉で語り始める。
「はじめまして。アールです。この村で、フレーバーティーを作ってます」
その姿を見た瞬間、クリストファーは目をキラキラさせながら近付いていく。
「キミ、妖精なのか?」
「えーっと、僕の住んでる世界をなんて呼ぶのかは知らないんですけど、シュニャイダーさん達が住んでいたっていう妖精界(ティル・ナ・ノーグ界)ではないです」
ただ、この言い方からして、少なくとも投影体であることは間違いないらしい。マリアンヌはしゃがみこんで、彼の口元を拭きながら説明する。
「この子は一年ほど前にこの村に投影されました。私の作るチーズケーキを気に入ってくれたようで、時々、こうやって食べに来るんです」
どうやら彼は、奥の部屋で「マリアンヌの作ったチーズケーキ」を食べていたらしい(おそらく口元の汚れもそれであろう)。なぜ犬(のような何か)がチーズケーキを好むのかは分からないが、それ以上にエンネアやクリープにとって違和感があったのは、聖印教会の一員である彼女が、この「犬のような投影体」に対して、明らかに好意的な姿勢で接している点である。
「あなたの中では、その犬は既に『この世界の自然律の一部』という認識なのですか?」
エンネアがそう問いかけたのに対し、マリアンヌは淡々と答える。
「厳密な意味で何が『自然律』なのか、ということは私には分かりません。ただ、少なくともこの子の魂に罪はないです。この世界に出現する投影体は、本人の意志と無関係にこの世界に迷い込んでしまったもの。言うならば、『魂の迷子』です。最終的には皇帝聖印を生み出すし、その魂を浄化することで救済すべきだと考えていますが、それまでこの世界に留まって、私達と共に生きていたいと考えるのであれば、私は認めても良いと考えています」
ただし、彼女の中では、そのような『魂の迷子』を人為的に生み出して好き勝手に利用する召喚魔法師に対しては極めて強い悪感情を抱いているのだが、今の彼女は「聖印教会のシスター」としてではなく、あくまで「診療所の所長代理」としてこの場にいる以上、あえて彼等を挑発するような言動は避けていた。
道徳論ではなく認識論についての話が聞きたかったエンネアとしてはやや不満足な回答であったが、クリープの方は彼女が「投影体に魂がある」と認めていることが分かった時点で、少なくともプリシラよりは話が通じる相手だということが分かり、少し緊張感を解いた上で、クリストファーと共にアールのもとに近付く。彼もまた、基本的には(投影体を含めた)動物全般が好きなので、アールとも仲良くなりたいと思っていた。
「はじめまして。僕はクリープです。よろしく」
「俺はクリストファー。よろしくな!」
二人にそう言われたアールは、少し怯えながらもこっくりと頷く。そして、ここでマチルダがマリアンヌ問いかけた。
「あの、さっき『フレーバーティーを作ってる』って言ってましたけど、それって……」
「それは、実際にやってみせた方が早いでしょう」
マリアンヌはそう言うと、まず医療用のテーブルの上に大きめのランチョンマットを敷き、アールを抱えてその上に乗せる。次に戸棚から茶葉が入った瓶を手に取り、アールの口元へと運ぶと、彼はそれをパクっと口に含む。そして次の瞬間、アールがプルプルと身体を震わせると、彼の身体から(口に含んだ量と同じくらいの)「赤みを帯びた茶葉」がこぼれ落ちた。
「原理はよく分からないのですが、こうすることによって、柑橘系の香りがついた茶葉が生み出されるのです」
それは明らかに「投影体の人為的利用」であり、原理主義的な聖印教会の人々から見れば許されざる行為なのだが、混沌を利用することが本業のエーラムの魔法学生にとっては、純粋に知的好奇心をそそられる現象である。
「すげぇ! なぁ、もっかいやってみてくれよ!」
「こんなことが出来る投影体がいるんですね……」
クリストファーとクリープが素直にそんな感想を口にする一方で、エンネアはマリアンヌに問いかけた。
「今の茶葉は、この村で取れた茶葉ですか?」
「はい、そうです」
「他の地域の、つまりは『混沌由来ではなく、この世界固有の茶葉』と呼ばれる茶葉でも、同じ現象は起きますか?」
「さぁ……? アールくんはこの村の外に出たことはないですし、この村には他の地方の茶葉は無いので、それはなんとも……」
この現象についてもう少し厳密に分析してみれば、自然律への融合仮説を検証する上での更なる知見が手に入りそうな状況ではあったが、残念ながら今の時点でそのための道具はこの場に揃っていないようである。
そして、マチルダもアールへの興味はあったが、ひとまず今は当初の目的を優先して、マリアンヌからこの診療所内の医療器具の説明を受けることに専念することにしたのであった。
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この日の夜、宿舎の一階の食堂の一部を借りる形で、ジャヤは昼間に買った茶葉を用いた上での「茶会」を開くことにした。彼は出発前の時点から、自分と同じくソリュート村で紅茶を買う予定の面々に「自分の選んだ紅茶と、イチオシのお茶菓子を持ち寄ってお茶会をしないか」と提案していたのである。
義兄のテラを初めとして、ヴィルへルミネ、オーキス、マチルダといった面々が食卓を囲む中、最初にジャヤがお茶菓子として提示したのは、独特の風味が漂うジンジャーシュガーであった。
「この菓子はだな、吾が自分で漬けて作ったのだ。口に合えばよいのだが……」
本来は生姜を砂糖水で漬けるものだが、故郷では砂糖が珍しかった代わりに蜂蜜を使っていたのを応用して、蜂蜜で漬けて乾燥させてある。普通のジンジャーシュガーに比べクセが強く、風味豊かな分合わせる紅茶を選ぶのが難しいのだが、彼は昼間に様々な種類の紅茶の試飲を繰り返した結果、最高のパートナーと呼ぶべき紅茶を探し出していたのである。
皆が興味深そうな顔を浮かべつつその茶菓子を口に含みつつ、じっくりと紅茶を味わう中、テラが笑顔で語り始める。
「おいしいですね……、ここまで絶妙に紅茶の香りと絡み合うとは……。この個性の強い蜂蜜の風味を活かすために、あなたがどれほど繊細に茶葉を吟味して選んだのかが、よく分かります」
珍しくテラが饒舌にそう答えると、ジャヤも素直に笑顔を見せる。そして、その香りに釣られて一人の男子学生が姿を現した。エイミールである。
「あ、ジャヤ君! 君はまたしても僕のいないところで、こんな優雅な茶会を開いているんだな! ダメだぞ! そんなことは、天も許さないし、僕も許さない! この僕も交えたまえ!」
エイミールはこの後、別室で急遽開催されることになった「契約魔法師ハルナによる講習会・夜の部」に出席する予定だったのだが、またしても紅茶の誘惑には勝てなかったようである。
その後、マチルダはマリアンヌから頂戴した「チーズケーキ」をふるまい、更に途中からはシャララが自作の紅茶ケーキを手に乱入することになるなど、多くの学生達を巻き込みながら、ジャヤ主催のこの茶会は大盛り上がりを見せることになるのであった。
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「ハルナ先輩、もう一杯いかがですか?」
「いいわよ〜、そりゃあもう、何杯でも飲むわよ〜(ヒック)。極東のお酒は、飲みやすくていいわよね〜」
領主の館のハルナの執務室にて、クグリから注がれた極東酒をハルナはグビグビと飲み干している。現在、ここではハルナによる「昼の講習会に出られなかった学生向けの補講」がおこなわれているのだが、最初にクグリが彼女に酒をふるまったせいで、既にハルナは泥酔状態に陥っていた。
「んで? な〜にが聞きたいの〜? こんないいお酒くれたんだから(ヒック)、な〜んでも話しちゃうわよ〜」
「何か、カルディナ先生に関して、ハルナ先輩しか知らないような秘密とか、ありませんか?」
クグリとしてはこれが聞きたくて、このような「小道具」を用意したらしい。
「秘密ねぇ……、あの人、ああ見えて(ヒック)、実は『真面目な男』が好きなのよ」
「ほうほう」
「バリー先生みたいなノリのカルい男とつるんでることが多そうなイメージあるけど、実はメルキューレ先生みたいな堅物っぽい男をからかうのが好きでね〜(ヒック)、だからぁ、ゲルハルト兄様があと少し早く生まれてたらぁ、きっとストライクゾーンだったんじゃないかなぁ〜」
なお、あくまで「酔っ払ったハルナの見解」であり、彼女は明日になったら全然違うことを言っている可能性も否定は出来ない。
続いて、今度はユニが質問した。
「これは、別の村に行ってる友達が、ハルナ先輩に聞きたがっていたことなんですけど、先輩は、エーラムを卒業した後、何を思ってこの仕事についたのですか?」
「んーーー、正直、最初はあんまり何も考えてなかったかなぁ〜(ヒック)。先生にぃ、『ここに行け』って言われたらぁ、『はい』って〜カンジでぇ。でもまぁ、ココにはシスターもいるし、首都から派遣されてきたシーナもいるから、回復魔法が苦手な私にとっては、ベスト配置だったんじゃな〜い? お隣のエルマのウイスキーは美味しいし♪」
なお、この質問をユニに託したのは、ハルナの義妹にあたるセレネ・カーバイトなのだが、ハルナのこの回答がセレネの求めていた回答なのかどうかは分からない。ただ、ユニは素直にその内容を書き留めていた。
そして、他の者達も次々と質問を投げかけるが、ハルナはその場の勢いで適当に答えているため、それらが彼等にとって有意義な回答だったかどうかは謎である。そんな中、ジャヤの茶会を途中で切り上げてきたマチルダとオーキスもこの場に現れる。
「あ! 千客万来! な〜んでも聞いてよ! な〜んでも答えちゃうから!」
まさか酒を飲んでいるとは思わなかった二人は困惑した表情を浮かべるが、ひとまずマチルダが問いかける。
「あの……、これまでの施策の中で、生命魔法師だからこそできたものとか、ありますか?」
「生命魔法師だからこそ、かぁ……。まぁ、そりゃあ色々あるけど、あえて魔法以外でってことで言うなら、循環呼吸法かなぁ」
それは、表裏どちらの生命魔法師もよく用いる特殊な呼吸法で、これを身につければ魔力を安定して回復することが出来るらしい。
「やっぱりね、魔法師にとって一番怖いのは『た・ま・ぎ・れ』なのよ! 私は肉体派だって言われるけど、あくまで魔力を使って肉体を強化してる訳だから、魔力が尽きたら、ただの『ちょっと筋肉質なだけの女の子』よ! そうならないようにするには、一にも二にもまず呼吸。呼吸を制する者は魔法を制するわ。だから、サブでもいいから、生命魔法の授業は履修しときなさい! 循環呼吸法のためだけでも、履修しとく価値はあるから!」
「あ、私はもともと生命魔法師志望なので……」
「そんならなおさら、まずは最初に呼吸を覚えなさい。キュアシリアスウーンズとか、めっちゃコスト重くて大変なんだから。でもメサイアに対抗するには、あれくらい軽々と使いこなせるようでないと無理なのよ! スパルタの武闘派メサイアの人とか、カッコいい上に強いとか、もうマジ反則だっての!」
もはや何に対して答えているのかもよく分からなくなりつつあるハルナを見ながら、オーキスは「今の彼女に何を聞いても、まともな回答は得られそうにない」と判断し、しばらく黙って聞き続けることにした。
そして、続いて今度はテリスが手を挙げる。彼女は当初、紅茶の生産過程に関する話を聞こうとしていたのだが(それが昼間に茶摘みに出ていた理由なのだが)、そういう話は今の彼女は無理だろうと判断した上で、もう一つの「聞きたかったこと」を投げかけてみる。
「私、地球の小説に出てくるヒロインに憧れてるんですけど……」
「へぇ〜、どんな子?」
「正義感が強くて、真面目で、努力家で、でもちょっと不器用で……」
「あぁ〜、いいねぇ、それでツンデレなんでしょ? うんうん、分かる分かる」
「彼女みたいになりたいと思って、エネルギーボルトを覚えたんですけど、ハルナ先輩にとっての目標になった人って……」
「お? 聞きたい? 聞きたい? よーし、じゃあ見せちゃおっかなぁ〜」
彼女は昼間の時点でもディーノ相手に屋外で同じことをしていたのだが、今は酒が入っていることもあり、屋内でも平気で同じことをしようと考えていた。彼女はすっと立ち上がり、腰のベルトに手をかけ、そして自分に覆いかぶせるようにサイレントイメージの魔法をかける。
「変身!」
彼女がそう叫ぶと、皆の目の前にいる彼女の姿が、異界の「仮面の騎手」へと変わった。そして彼女は(さほど天井が高くない部屋にもかかわらず)その場で全力で飛び上がってジャンピングキックを壁に向かって披露しようとしたのだが、その直前、半開きの扉から何かが飛び出してきて、彼女の身体を貫いた。
「こ、これは……、この『毒』は……、マス、た……」
ハルナはバタッとその場に倒れ、そして意識を失う。よく見ると、彼女の身体には小型の矢が刺さっていた。そして半開きの扉を空けて、この村の領主であるデイモンが現れる。
「心配いりませんよ、ただの朦朧毒ですから。今日は皆様、お疲れさまでした。ゆっくりとお休み下さい」
そう言って、彼は倒れたハルナを引きずってその場から去って行った。日頃は穏やかな物腰ながらも、「殺戮者の聖印」の持ち主であると同時に「毒使いの狙撃手」としても知られている。それがこの村の領主、デイモン・アクエリアスという人物であった。
******
翌日。ハルナは何事もなかったかのようにケロッとした様子で皆の前に現れ、契約魔法師としての任務を淡々と遂行する。契約魔法師志望のエルとしては、この機会に彼女の仕事を確認させてもらうことで、これから先、魔法以外でどういったことを学べば良いか、ということの参考にしようとしていた。
一方、ゴシュのTRPG夜会計画は、一日目の時点では(他のイベントが色々あったために)人が集まらなかったが、二日目の夜に無事に実現し、修学旅行で優雅にお茶とお菓子を食べながらの異世界冒険という愉悦を楽しむことになる。
そんな彼女達とは対象的に、マチルダは(まもなく基礎魔法習得の試験が近付いていたこともあり)、人目につかない場所で、「自分の肩に傷をつけて、それを(まだ合格のお墨付きを得ていない)キュアライトウーンズで治す」という練習を、この修学旅行中、毎晩続けていた。
こうして各自が思い思いに「修学」を実践する中、最終日を迎えたところで、クグリとユニは二人で茶葉の購入へと向かい、店員のオススメの茶葉や、それに合いそうな菓子類を購入する。クグリは店への仕入れ品とは別に、学生向けの喫茶店での商品にするには高すぎるような品も(仲間内で飲むことを前提に)少量購入していった。なお、彼女達はセレネとの間で「お土産交換会」をする約束していたのだが、二人はセレネが購入したお土産が「大量の蟹味噌の缶詰」であることをまだ知らない。
クリスもまた、アルヴァンへのお土産としての茶葉を購入しつつ、彼が探している「行方不明の旧トランガーヌの姫君」についてもそれとなく何人かに聞いてみたが、残念ながら、それらしき情報は得られなかった。当然といえば当然だが、もし仮に知っている人がいたとしても、そう易々と口に出来る存在でもないのであろう。
一方、初日からずっと喫茶店巡りを続けていたテラも最終日の時点でようやく決心を固め、気に入った紅茶を三つ選んで購入する。一つは、義弟のジャヤの為。一つは師匠のクロードの為。最後の一つは、テラ自身とまだ見ぬ大切な人の為に。
そしてヴィルへルミネは、師匠とケネスへのお土産として、「ちょっと良い茶葉」をふた包み、そして「手頃で気に入った茶葉」を自身の小遣いで可能な限り購入した上で、他の班の皆と合流するためにエストへと向かう馬車の中で、隣に座っていたノギロの肩にもたれてすやすや眠り始め、やがて彼の膝の上に頭がすとんと降りてくる。彼女は(二日目以降に出会った)シュニャイダーやアールと戯れる夢を見ながら、幸せそうな寝顔を浮かべていたのであった。
最終更新:2020年07月02日 18:14