”Walking With Heroes” 第1章第11話「Puppeteer's Hymn」
人形は愛を知らず悲嘆もせず
求められるがまま歌に合わせてただただ踊る
人形は自らが操られていることを知らず
破れるその時まで手足をただただ振り続ける
糸を断ち切れ。全てを解放せよ。
渇望していた力は、ほら、すぐそこにある。
英雄武装RPG「コード:レイヤード」
「Puppeteer’s Hymn」
————その力で、伝説を超えろ。
Opening 01 抹殺者達の再戦
手持ちの端末が、メッセージの着信を告げる。
差出人は、ヴァイクンタ。エンフォーサーの殲滅を掲げる組織、クルセイドの首魁である超高度AIだ。宛先は、一条綾音およびジェイソン=ブレナン=ワーナー。クルセイドに所属するレイヤードであり、今までも相棒として、共に戦いを切り抜けてきた。
(
https://picrew.me/share?cd=3fWZVcHeeh より)
内容は、とある場所への呼び出し。彼女からの指示は、今までもこうして直接伝えられてきた。きっと今回も、殺すべきエンフォーサーを指し示すための呼び出しなのだろう。
-*-*-*-*―*-
指定された路地裏に向かうと、ヴァイクンタが姿を表す。見た目は幼い少女にしか見えないが、大侵攻前に作られた超高度AIの名を持つ、底知れぬ存在だ。
「おお、よく来たの。一条彩音、ジェイソン。」
「お主ら、『もう一度チャンスを与える』と、言われたらどうする?」
標的となるエンフォーサーの名前が告げられなくとも、「もう一度」と言われたら想像は付く。
以前取り逃がしたエンフォーサー、マザー・テレサのことだろう。幼い頃から育て、洗脳した子どもたちを配下に持つ、厄介なエンフォーサーだ。
「何度でもそれにすがり付きましょう。行きます。」
「次は逃がさん……」
「お主らなら、そう言うと思っておった。」
「その口ぶりなら、今回の標的が誰なのか、説明はいらんじゃろう。」
「前回、お主らと行動を共にしていたレイヤードとは、自力で合流できるかの?」
「連絡手段は……」
少し、ジェイソンが口ごもる。
「何じゃお主ら。まさか連絡先を交換していないのか?」
「マカーオーンと言う医者なら。」
「大丈夫かの?」
「まあ、何かあったらまたクルセイドを頼ると良い。」
「必要な情報は可能な限りこちらでも
サポートする。今回こそ、逃がすのではないぞ。」
「はい。今回こそ、殺ってみせます。」
「この世全ての邪悪は絶たねばならぬ。」
エンフォーサーを抹殺する。その誓いを込めた2人の答えを聞き、ヴァイクンタは満足そうに頷くと、ちいさな体の踵を返し、路地裏から消えていった。
「では、またの。良い報告を楽しみにしておるぞ。」
Opening 02 悲劇の童話と、蛮勇の神話
結月終夜という少年がいる。
ムサシ・クレイドル周辺のシェルターの、あまり治安の良くないエリアで、ガラクタなどを漁っては、その中でもまだかろうじて使えそうなものを二束三文で売っては生活していた。彼にはレイヤードの適性があり、「マッチ売りの少女」のコードと適合していたが、レギオンなどレイヤードの組織には属していない。
もっとも、そういった組織に属しているならば、ガラクタ漁りなどしているはずもないのだが。
鉄くずの積み上げられたシェルターのガラクタ置き場を周る彼に、聞き覚えの無い声が呼びかける。
「いっぱしのレイヤードがこんなところでゴミ漁りとは、可哀想なものだねぇ。」
「うわぁ、…え、ええと、何のご用でしょうか?」
声を駆けてきたのは、にこやかな笑みを浮かべた男性だった。にこやかなのだが、どうにも「優しそう」とか「良い人そう」といった感想より先に、「うさんくさい」と思わせる。
「そんなに驚かなくてもいいよ。」
「え、でも、僕ごときに何のご用なんですか。僕、何も持ってないですよ…へへ……」
「だよね。君は何も持ってないよね。」
「でも、だからこそ、欲しくはないかい? 知りたくはないかい?」
卑屈に曖昧な笑みを返す終夜に、男性はさらに問いかける。
「何のことです?」
「簡単に言うと、僕は君の過去を知っている。君の知らないその過去を。」
「何のつもりか知らないですけど、僕に取り入ったところで何もありませんよ。」
「いやいや、取り入ろうなんて気はないさ。これは善意さ。」
「あと、君はコードの力もうまく使い切れていないみたいだしね。」
「そもそもあんまり使う気も無いですよ。」
「僕が大したことが出来るとは思えないですし。」
「何かできるようになる、と言ったら?」
「憧れはあるんだろ?」
「憧れだけじゃ何もできはしませんよ。」
「そんなに卑屈にならなくてもいいのになぁ。」
「君の失った過去が、君を一人前のレイヤードとして昇華させるカギなんだ。」
「それに、君だけがそういった境遇にある訳でもない。まあ、この辺はちょっと複雑だから、ゆっくり話そうか。」
実際のところ、終夜自身、レイヤードとしての力を活かすつもりなどそもそもない、この男性のうさんくさい話を断る方便でもなんでもなく、ただただ本音であった。自分自身がレイヤードになったからと言って、レイヤードの集まるレギオンもいまいち好きになれず、こうしてレイヤードでなくても出来るような生き方を続けているのだ。
このまま問答を続けても平行線、と察したのか、男性は別の切り口から話をしてみることにする。
「あ、申し遅れたね。僕の名前は水鏡(ミカガミ)というんだ。」
「君の名前は名乗らなくても分かるよ。結月終夜くん、だろ?」
「あなたは、ずいぶんとうさんくさいですね。」
「うさんくさいと言われることは慣れているさ。」
「さて、本題だが、やっぱり全部ここで明かしてしまうのも仕方ない。実際に会ってもらった方が良いだろう。」
「この子も君と状況は同じでね。」
「過去を失い、力を上手く扱えず、虐げられている。」
「それで、僕らに何かしろと言うんですか?」
「ああ、君が自分の本当の力、力を手に入れた後の未来に興味が無いのだったらこの話は無かったことにしてくれても構わない。」
「でも、少しでも興味があるなら、あるエンフォーサーに会いに行ってみてくれ。倒せとは言わない。」
「会いに行ってくれ。って、それ、すごく危ないんじゃないですか? 僕、雑魚ですよ?」
当然である。が、その反論は予想のうちでした、とでも言わんばかりに、水鏡は余裕の笑みを浮かべて返す。
「何も君たちふたりだけで行けとは言わないよ。どうせ他のレイヤードたちもエンフォーサーに手を出してくるだろう。それに同行させてもらえばいいよ。」
「最後に、そのエンフォーサーの名前はマザー・テレサだ。彼女に会いに行けば、全てが明らかになるだろうさ。」
「じゃ、僕はこの辺で。」
「この子にも状況は伝えてあるから、後はふたりでよろしくね。」
そう言うと、水鏡と名乗る男性は、その場から去っていった。
ー*ー*ー*ー*ー
こうして、ふたりがこの場に残された。
終夜がどう声をかけたものかと戸惑っていると、少女の方から沈黙を破る。
「はじめまして。」
「あ、どうも、初めまして。」
おずおずと答え、続けて少々ぎこちないながらも自己紹介をする。
「僕は、結月終夜って言います。」
「年は、幾つだったかな。……あ、いや、覚えているんだけど。」
「私は隈部真帆……ということになっている。」
「なっている……? ああ、そういうことですか。」
何らかの「訳あり」なのだろう。ひとりで怪しい男に連れられてガラクタ置き場に現れ、エンフォーサーに会いに行こうとしている少女。何か込み入った事情があっても不思議ではない。
「あなたも、レイヤード?」
「一応、そうです。」
「私もよ。まあ、見れば分かるわ。」
そう言うと、彼女は首から下げた十字のネックレスを握って念じる。すると、背中から白い羽が姿を表し、わずかにその足が地面から離れる。しかし、少し経てば羽は消え失せてしまい、再び彼女は地面に降りる。どうやら、レイヤードとは言っても、実際に発現している力はごくわずかなようだ。
その意味も込めて、終夜の「一応」という言葉に、「私も」と返したのだろう。確かにレイヤードではあるけれど、胸を張ってレイヤードと名乗るにはおこがましい半端者として。
「見ての通り、私にはまだ力はない。」
「それは、僕も同じだけれど。」
「先に、私から身分を明かしておくわ。」
「私の持っているコードはイカロス。自由を求めて飛ぼうとして、それで結局愚かに死んでいった者のコードよ。」
「これは、僕も明かしておいた方が良いのかな。まあ、ただのマッチ売りなんだけど。」
「マッチ売りの少女、ね。」
「まあ、僕にはお似合いだと思いますよ。」
マッチ売りの少女は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの著した童話だ。その主人公である少女の末路は、よく知られている。
「あなたも、あまり良い目には遭っていないみたいね。」
「だから、僕らにはお似合いだと思います。」
「そうね。私の簡単な境遇も明かしておくわ。」
「あなたの身の安全にも、関わることだし。」
「はぁ……?」
身の安全、と言われてちょっと腰が引けながら、聞き返す。
「残念だけど、私と一緒にいる時点で、あなたの身は安全とは言い難くなったわ。」
「私の所属している組織は、ブリゲイド。そこから、逃げてきたの。」
「なるほど……」
ブリゲイドと言えば、レイヤード至上主義を掲げる秘密結社だ。裏では非道な人体実験や犯罪行為にも多く関わっていると言われている。その名を聞いてますます終夜の腰が引ける。
「それで、僕たちは今からエンフォーサーに会いに行くの? 挟み撃ちじゃないですか?」
「僕、死ぬの?」
「そのエンフォーサーに会うことが、力を完全に手に入れることに繋がるなら、私は誰にだって会いに行くわ。」
一歩も引かない、と決意をにじませる少女に、終夜も仕方ないと観念する。
「まあ、さすがにひとりでは行かせられないですしね。」
「僕も、ついていきますよ。」
「ありがとう、助かるわ。」
「ブリゲイドも、脱走者を簡単に許すとは思えないし。」
「ああいうところは、逃げたりすると厳しそうですし。」
「あなたも、そういった経験があるの?」
「そんなことはないですよ。」
「僕は、誰とも関わりが無いですし。」
「あなたも、別にひとりで暮らしているわけでもないでしょう?」
「そうだけど?」
もしかすると、結月終夜というこの少年は、ごくごく自然に、周囲は自分に対して興味が無いと強く思っているのかもしれない。言い換えれば、単に卑屈とも言える。
話を変えるように、真帆があまり綺麗ではないガラクタ置き場の空を見上げる。
「あなたが、今一緒に過ごしている人たちにどう思って、力を手に入れたら、どうしたいかは知らないけれど、少なくとも私は、力を手に入れて、自由な世界に飛び立っていきたいわ。」
「自由、ですか?」
「こんな世界に自由があるとは思わないけど、あなたのコードならそれも出来るんでしょうね。」
「僕には無理ですが。」
「ええ、いつか堕ちると知っていても、ずっと鳥籠に囚われているよりは、飛んでみたいと思うのよ。」
「……」
イカロスもまた、その末路はよく知られている。
ー*ー*ー*ー*ー
しかし、いつまでもここに留まっている訳にもいかない。
少なくとも真帆は、そのことは身に染みてわかっている。
「あまりここに長くとどまり過ぎていると、いつブリゲイドの追手が来るか分からないし、クレイドルの方に移動しながら、続きの話をしましょう。」
「ひぇっ……」
「クレイドルかぁ……」
ブリゲイドという言葉におびえながらも、なんとなくクレイドルに行くのは気の乗らない様子を見せる。単に、あまり人が多いところは得意じゃない。終夜の様子を見て、真帆が呆れたように言う。
「何、指名手配でもされていたりするの?」
「そ、そんなことはないですよ、たぶん……」
と言いながら、言われると妙に不安になって、深くフードを被る。なんとなく。
不安とあやふやな一筋の光とを抱えて、駆け足気味でシェルターのガラクタ置き場を後にする。
少年と少女は、ムサシ・クレイドルへ、そしてその先に待つであろうエンフォーサーの元を目指して、向かっていった。
Opening 03 蛇杖の医者
ムサシ・クレイドルに向かう道中。
少しずつ、ガラクタ置き場で語り切れなかった事情を説明していく。
「私が、あんなうさんくさい奴の言うことを信じて行動しているのには、理由があってね。」
「はあ……」
「私はさっき、ブリゲイドから逃げてきた、って言ったけど、その脱出の手引きをしてくれたのは彼なのよ。」
「へぇ、彼、強いんですね。」
「ブリゲイドの、それほど大きくない支部とはいえ、私に会いに来るために、見張りを突破して、強力なブリゲイドのレイヤードも、私の目の前で葬ったわ。」
「それに、私しか知らないはずのことも、幾つか言い当ててきたし、奴の言うことが本当かどうかは分からないけど、信じてみる価値はあると思うわ。」
「それは、僕も賛成です。」
どちらにせよ、終夜も、真帆も、彼に騙されたところで、どうせ今よりそうそう状況が悪くなる余地も無いのだ。ネガティブなモチベーションを抱えて、彼らは語る。
「それに、何かせっかくチャンスがあるのなら、たとえそれがわずかな可能性でも、掴んでみようかなって。」
「僕らごときがいくら死んでも、ちょっと早いか遅いかの違いですし。」
「ええ、いつ死んでも誰にも思い出されることはなくて、きっとまた新しい捨て駒が補充されるだけよ。」
「やっぱり、この世界はクソですよ。」
「本当に。気が合いそうね。」
「そうでしょうか?」
また何かを考えるように、自分自身に疑問を向けるように、ぽつぽつとまた語る。
「力さえあったら、少しはこの世界をの見方も変えられるのかな。って思った時もあったけど。」
「それはどうでしょうね。」
「力があったところで、救えるものも救えなくて、何が変わるんでしょう?」
「何か救いたかった大切なものでもあったの?」
「そうですね。僕が救いたいのは、あなたみたいな人です。」
「そう……」
「そういう僕らみたいな人を救いたくてここにまだ立っていて、でも僕にそんな力はないのです。」
「僕にも、僕のことはよく分からないけど。」
「自分のことを完全に理解している人なんて、ほとんどいないわ。」
ー*ー*ー*ー*ー
そうした会話をしながら、クレイドルに向かって歩みを進めている時だった。
突如、終夜の体に鋭い痺れが走る。隣を見ると、真帆も同じ状況のようだ。手足が動かせない。
その場にふたりが倒れ込むと、背後から声がする。
「やれやれ、人手不足とはいえ、僕をこんな仕事に駆り出すなんて。」
かろうじて動かせる首を回して背後を見ると、ぶかぶかの白衣を来た少年が、佇んでいる。手には蛇の巻きついた杖を持っている。彼が、これをやったのだろう。
「マカー……オーン……」
「知り合いですか?」
「ブリゲイドの幹部。」
「……分かりました。腹をくくりました。死にましょう。」
小声で会話を交わし、ブリゲイドの幹部ときいて諦めの顔になる。
その会話もしっかりと聞こえていたようで、にこやかな笑みを浮かべて、マカーオーンと呼ばれた少年は再び彼らに話しかけた。
「ああ、僕のことを知っていたのか。それは光栄だ。」
「しかしまあ、よく逃げて来れたもんだねぇ。で、そこにいるのはお仲間かい?」
「僕は別に、ただの一般通過一般人です。」
「何の関係も……無くはないですが一緒にいるだけです。」
「一般通過といっても、君、レイヤードだろう?」
正直、ブリゲイドでもない終夜をどうこうするつもりも無いが……、とマカーオーンが思案していると、少しばかり痺れが収まってある程度大声が出るようになったのか、先ほどよりも強く、真帆が叫ぶ。
「まだ、まだ死ねないっ!」
「マザー・テレサに会うまでは!」
マカーオーンは、敵意のこもった真帆の視線を受けながら聞いていたが、その人物の名を聞いて「おや?」と何か引っかかったような表情を浮かべる。
「マザー・テレサ?」
「君たちふたり、マザー・テレサと関わりがあるの? レイヤードがふたりで?」
それを聞いてしまえば、マカーオーンとしても、少しばかり事情が変わった。
が、まずはひとつ確かめ無ければならない。
「ひとつ聞こう。」
「君たち、人類をどう思っている?」
唐突な質問に、戸惑いながらも答える。
「人類? そのくくりで言えば、僕は別にどうでもいいと答えるのが妥当でしょうか?」
「私もよ。特に人類に対して特別な感想はないわ。」
「救うべきを救って、倒すべきを倒すだけです。」
「まあ、僕には倒すことはできませんが。」
「なるほどね。そっちか。」
その答えを聞いて、マカーオーンは確信する。この子たちは、マザー・テレサの関係者ではあるけれど、”教育”はされていない。だとすれば、彼らとは協力できる。
ブリゲイドの方は、……まあ、なんとか誤魔化しておけるだろう。
「奇遇だね、僕も奴には用があったんだ。」
「まあ、別に僕個人としては、君はもちろん、この子にも恨みはないしね。」
「あ、そうなんですか?」
少し拍子抜けしたように、終夜が答える。
「だって、命令されて捕えて来いって言われただけだしね。」
「で、マザー・テレサに会いに行くって、何で?」
「えっと、無くした記憶と、扱いきれない力の制御の方法とか、知れるかもって聞いて。」
「まあ、僕はいろいろ理由があって、同行することは出来ない。」
「その代わり、人と引き合わせることはできる。もちろん、君も戦ってもらうけどね。4人ほど、心当たりがある。」
「君も、レイヤードとして完成されているとは言い難いけど、戦力にはなると思うし。」
マカーオーンの脳裏には、マザー・テレサと因縁があるレイヤードたちの顔が浮かんでいた。この少年少女ふたりだけでは到底マザー・テレサを討伐することなど出来ようもないが、彼らと協力するなら話は別だ。
改めて、ふたりとの話をまとめる。
「それじゃあ、取引をまとめようか。」
「僕は、君たちを見逃す。その代わり、君たちはマザー・テレサに会いに行く。」
「まあ、それは当初の目的ですし。」
「それから、マザー・テレサの情報を僕に渡す。」
「そのくらいなら、いいですよ。」
どうせ、終夜や真帆にとっては、機密保持に気を遣うような所属組織もない。であれば、情報提供程度なら、何ら問題はない。
「そして、もうひとつ。マザー・テレサを殺せ。」
「ええと、他の4人が強いなら、何とかなるかな……」
「どうせ、エンフォーサーに会いに行って、無事に帰れるとは思いませんし。」
3つ目の条件には微妙な声色ながらも、承諾する。
話がまとまったところで、マカーオーンは端末を取り出し、メッセージを打ち始める。先ほど言っていた協力者への連絡なのだろう。こうして、誰にも、どこにも、つながりを持てなかった少年少女の旅路が、ようやく回り始めようとしていた。
Opening 04 聖女を討ちに、集う
携帯端末が着信を告げる。
その端末を猫の手で器用に取り上げて電話に出たのは、レギオン所属のインテレクト、エルール。
動物でありながら、コードによって高度な知性を得た彼女のような存在を、インテレクトと言うのだ。こう見えても、れっきとしたレギオン職員の身分を持っている。
同じ時間の別の場所、通話に出たもうひとりは、三日月金糸雀。
彼女もまた、レイヤードだ。彼女の所属はレギオンではなく、HLCと呼ばれる賞金稼ぎたちの集まりだが、組織外のレイヤードと協力したことも少なくない。
いまいち機械の類、端末の扱いがおぼつかない彼女であるが、今日は幸いにも「おじさん」の家にいたらしく、彼の指摘によって無事に通話はつながった。ころころと器用に串付きのりんご飴をなめていたが、その串と端末をこれまた器用に両立させて持って話し始める。
三者間の通話が成立したことを確かめて、通話をかけてきた相手、マカーオーンは話し始める。
「もしもし?」
「ミロワールじゃない人、だっけ。」
「そうだね、ミロワールじゃないよ……??」
三日月金糸雀は人の名前を覚えない。代わりの呼び名は相手によって様々だが、どうやらマカーオーンのことはそう呼ぶことにしたらしい。
「また、マザー・テレサが何かをやらかそうとしているらしい。」
「幸いにも、今回はその『何か』が起こる前に止めることができたけどね。」
マザー・テレサ、という名を聞いて、通話を通じて彼らの間に一筋の緊張が走る。
「マザー・テレサの息がどうかかっているか知らないけど、奴に関わりのある子供がふたり、ここにいる。」
「彼らを連れて、マザー・テレサを討伐してほしい。」
「いったんこちらでも、情報を整える。集まって戦略を立てよう。」
「わかった。」
「そうじゃの。個人的には、レギオンに秘密にしておかねばならぬから、少し時間がかかるかもしれん。」
エルールはレギオンの所属だ。ブリゲイドの幹部であるマカーオーンと大っぴらに会うわけにはいかない。しかしそれでも、こうして協力体制を築こうとしているのは、それだけマザー・テレサというエンフォーサーが許せないのだろう。
「ああ、申し訳ない。」
「そなたが謝ることではない。」
「こんな組織に所属していると、何をするにも動きづらくてね。」
「レギオンと違って、大手を振って表を歩けないもので。」
そうして、なんとかレギオンに悟られずにエルールも含めて集まれそうな日時を調整する。
「詳しい話は、僕のアジトで。あそこが一番安全だ。」
「そうじゃの。電話などは、いかに便利になっても、盗聴とか、危険はつきまとうからの。」
「ああ、こちらも工夫しているとはいえ、100%安全とは言えないね。」
「僕には機械のことはあまりよく分からないけど。」
そう、それこそ電話や通信の技術発達に多大な貢献をした人物のエンフォーサーだって、もしかしたらいるかもしれないのだ。そういった人物にとっては電話の盗聴など朝飯前だろう。この時代において、完全な秘密の通信と言うのは難しい。
「他にも、奴と因縁のある人に、声をかけておくよ。」
「じゃあ、またね。」
ー*ー*ー*ー*ー
「ん、金糸雀ちゃん。何か依頼?」
「うん、お仕事決まったから、行ってくる。」
「頑張ってねー」
「あ、そうだ、これあげる。」
先ほどまでなめていたりんご飴を、「おじさん」に渡す。
ガリガリと齧っていたわけではないようで、まだ形はきれいに残っている。
「要らないの?」
「もういい。」
「ふーん、わかった。行ってらっしゃーい。」
そう言う「おじさん」の声に見送られ、金糸雀は珍しく物を壊さずに、住み着いている家から出ていった。きっと雷の体を持つ彼女が触れば壊れてしまうだろうから、扉の鍵が電子ロックではなかったのは幸いと言えよう。
ー*ー*ー*ー*ー
金糸雀が出て行ったあと、「おじさん」は億劫そうに立ち上がり、ひとりごとをつぶやきながら、戸棚を漁る。
「はぁ……、いつまで経ってもこのしがらみから逃れられないのかねぇ。」
「ま、依頼されたらやるだけか。久しぶりだな。」
そうして、家の戸棚から、少し古びた白い仮面を取り出す。共に取り出された部隊章には、ギロチンの下に髑髏があしらわれている。これらが示すものは、レギオン本部長直属部隊ネームレスの中でも、レイヤードの追跡および処理を担当する断頭部隊と呼ばれるものだ。
久々に指令の下された「おじさん」こと三ノ上尚浩により、後にあるレイヤードが生きるか死ぬかの窮地に陥る訳だが、それはまた別の話である。
Opening 05 協力体制
そして、残るふたり、一条綾音とジェイソン=ブレナン=ワーナーも同じころ、共にエンフォーサーと戦う者を見つけるべく、マカーオーンに連絡をかける。ジェイソンが端末を取り上げ、通話を呼び出すと、しばしのコールの後、マカーオーンの声が聞こえる。
「ジェイソンさんだっけ?」
「ああ。」
「久しぶり。」
「奇遇だね。ちょうどこちらからも連絡をとろうと思っていたところだよ。」
「これから、マザー・テレサの討伐に向かう。」
必要最低限の要件を聞いて、マカーオーンが続けて返す。このふたりの会話は、話が早い。
「やっぱりね。」
「で、あなたがそこにいるってことは、一条綾音さんもいるのかい?」
「ああ、そうだ。」
「ちょうどいい。他の協力者と会う日程があるんだ。」
「この日にアジトで会えるかな?」
「了解しました。」
「詳しい話はまたそこでするよ。次こそ、必ず。」
「必ず、倒します。」
事務的な口調での連絡だけだった通話の、この最後の一言にだけ、彼らの揺るぎない決意が見えた気がした。
「じゃあね。」
そう言って、マカーオーンが通話を切ったところで、ここまでの会話を隣で聞いていた綾音が、一言だけ発する。それは隣のジェイソンに向けた決意の言葉か、自分自身に向けた言葉か……
「倒すなんて生ぬるいぜ。」
Opening 06 聖女の子たち、成れの果て
クレイドルの一角、路地裏のとある建物から、地下に入っていくとマカーオーンのアジトはある。
マカーオーンに連れられて、終夜と真帆が入っていくと、奥の方から「おかえりなさい」と優しそうな女性の声が聞こえ、マカーオーンが「ただいま戻りました。」と返す。ブリゲイド幹部のアジトと聞いて身構えていた終夜も、意外にもほのぼのとした雰囲気に困惑する。
「……こ、これ僕ら入って大丈夫でした?」
「重要人物を匿えないほど、僕のアジトは場所が無くはないよ。」
「散らかっちゃいるけど、入院患者用のベッドとかでもよければ寝るところもある。」
「あ、僕は床でもどこでも寝れるので。」
「それはいいことだ。どこでも休息が取れるのは優れた戦士の素質だ。」
言いつつ、マカーオーンはふたりをアジトの奥へと案内していく。
「このアジトで過ごしているのは僕を含めて4人だ。そのうち2人は入院患者というところかな。」
「ってことは、もうひとりいるって事ですよね?」
「さっき声がしただろ。」
「あー、なるほど。」
そうして、あるドアの前で立ち止まる。研究室のようだ。
「そうそう、一応、君達に見せておかなければならないものがある。」
マカーオーンはそう言うと、ドアを開け、終夜と真帆を招き入れた。研究区画である部屋の中で、とりわけ目立つのは、円柱形の水槽に保管された、ホルマリンのようなものにつけられた死体だ。腹部が切り裂かれ、電熱で焼き固められている。
奥の方に見える、ベッドに横たわる小さな体は、生命維持装置のようなものに繋がれて生かされているのが分かる。これが、先ほどマカーオーンの言っていた「入院患者」のひとりなのだろう。
どうして彼がこれを見せたのか?
真帆も、その真意がいまいち読めないと首をかしげてつぶやく。
「一人は死んでいるみたいだけど、これは?。」
終夜は、その異様な光景に少しおびえたような声で聞く。
「こういうのって、秘密を知ったからは生きて帰さない、っていうのじゃないですよね?」
「なんでわざわざ重要な情報源が手に入ったのに、ここで殺さなきゃいけないんだ。」
「ならいいですけど……」
「これは、エンフォーサー、ミロワールとマザー・テレサに唆された者の成れの果てさ。」
「彼らに惑わされないように。もし一歩間違えたら、君達もこうなるだろうね。」
つまり、マカーオーンは終夜と真帆への警告のために、ここに連れてきたのだ。
その言葉に、終夜はまじまじとその水槽を見つめる。よく見ると、死体の方の傷は、恐らく何か特別な力を持つ存在と戦って付いたことがうかがえる。すなわち、彼らは人類の敵に回り、レイヤードによって討伐された、ということなのだろう。
「そうそう、君達もこの子達と戦った人達に会うことになる。」
「大丈夫大丈夫。敵対さえしなければ、誰にでも襲いかかるようなやつじゃない。」
「まあ、少し驚いたけど、この人たちも死んでいるなら、僕には関係ありませんね。」
「関係ないことはないさ。ここから学べることもあるだろう。」
「人によって感じることは様々だけどね。そういう意味で、今は何も感じないというのも、ひとつの感想だけど。」
「だって、死んでいるものは治りませんし。」
「そりゃそうだね。どんな万能の医者だって、死んだものまではさすがに直せない。」
「僕の父親はそんなことをやってのけたけど、あれはもはや医者の領域じゃない。あれはもはや、神の領域だよ。」
「ま、僕みたいなただのリベレーターにはちょっと荷が重い。第一、それは神話だろ?」
ギリシャ神話におけるマカーオーンの父、アスクレピオスは医術を極めた末に、死者の蘇生までやってのけた。と言われている。その結果、ゼウスの怒りを買うことになるのだが、その逸話まで含めて、ただの神話であり、コードとはまた別物だ。
終夜の反応も淡白だった。
「そうですね。物語には、何もないです。」
「そこまで物語を真っ向から否定しているけど、君のコードマッチ売りの少女だろう?」
「そうですね。これは特別です。」
「私のコードも物語の産物なのだけど。」
隣から、真帆が口を挟む。
「それはまあ、各々が決めることです。」
「これは、僕が大事だと思っているのでこれだけは譲れません。絶対に。」
「ま、考え方は人それぞれだし、私もあなたの考えに何か言うつもりは全くないわ。」
「だって、何を思い、何を感じて、何を話すか。それは誰も侵すことのできない自由でしょう?」
「そうですね。それは確かに、自由かもしれません。僕らに許された数少ない自由ですね。」
逆に言えば、今の彼らに許された世界は、あまりにも狭い。
「……ええ、私は何としても、真の自由を手にしなきゃいけないわ。」
最後の一言は、小さくボソッと呟く。けれども、すぐ隣の終夜には聞こえていたようだ。
「あまり思いつめるのも良くないかも、と僕は思います。」
「そうね。ありがとう。」
「まあ、僕は他人の心配をするほど偉くはないですけど。」
「さっきも言ったでしょ。何を想い、何を話すかは、人の自由よ。」
話が区切りをつけたところを見計らって、またマカーオーンが話を進める。
「話は済んだかい?」
「あ、お待たせしました。」
「とりあえず、今はこれを見せたけど、君たちが対峙するエンフォーサーについては、調べていけばまだまだおいおい分かることさ。」
それから、協力者たちに声をかけたとはいえ、すぐにという訳にもいかない。
しばらく彼らふたりをこのアジトで匿うための説明を続ける。
「そうだ。このアジトは勝手に使っていいよ。」
「外に出なければ、追っ手にバレることはないと思う。冷蔵庫とかの中身も適当にどうぞ。けれど、冷蔵庫のプリンは、名前が書いてあるから勝手に食べないようにね。」
「プリン好きな人でもいるんです?」
「よく来るよ。まあ、来客の多いところではないけど、たまに来る人はいるからね。」
プリンが好きな少年は、時折このアジトに住むエーピオネーというリベレーター、マカーオーンの「母」にあたる人物を訪ねてくる。
「あとここには勤めている遠竹焠柯さんという事務員がいてね。」
「彼女のお仕事の邪魔をしないようにね。邪魔をしないようにね。」
なんとなく、終夜とは致命的に考え方が合わないような気がするので、予防線を張っておく。
「じゃ、狭苦しいところだけど、少しだけでもゆっくりしていって。」
「壁と天井があるだけで僕的には満足です。」
「一体どんな生活をしてきたんだ?」
「いや、たまに家に入れてもらえないだけの一般人です。」
こうして、協力者たちが集まるまで、彼らふたりはこのアジトで過ごすこととなる。
ー*ー*ー*ー*ー
後日……
「このふたりにあんまり話しかけないでくださいよ。お願いしますよ! お願いしますよ、母上!」
新たな来客に興味津々に話しかけようとするエーピオネーをマカーオーンが諫めようとする一悶着があったり無かったりしたのかもしれない。
Middle 01 作戦会議
後日、集合の予定の日。
エルールは、レギオンの同僚たちに悟られないように、巡回の隙ををかいくぐり、(ついでに普段からエルールを過剰にモフろうとしてくる某外科医からも逃げるように)裏路地のアジトへと向かって行く。
一方の、金糸雀はかなり早くこの近辺にやってきたものの、アジトの入り口が分からず、周囲をうろうろしていた。その様子を見かけて、やってきたエルールが声をかける。
「おや、この前のミストの小娘ではないか。金糸雀と言ったか。」
「あ、猫の人。」
「エルール、だっけ。ミロワールじゃない人のところに来たんだけど。」
金糸雀はエルールのことは猫の人、と覚えていたらしいが、本人を前にして、ちゃんと名前も思い出したようだ。 合流したひとりと一匹は、連れだって地下のアジトへと降りていく。
―*ー*ー*ー*―
その頃、ジェイソンと綾音もまた、ジェイソンが今日の診療を終えた後、車でアジトに向かい、ほぼ時間通りに到着していた。
こうして、マカーオーンのアジトで、ひとりの医者と6人のレイヤードが顔を合わせる。レイヤードとして半端者と言われ続けた者も含むが、同じエンフォーサーを倒すために集ったのだ。この場ではレイヤードのひとりと数えて相違なかろう。もっとも、本人がどう思っているのかはまた別問題だが。
「集まってくれてありがとう。」
「もう言うまでもないとは思うけど、今回の目的は、マザー・テレサを討伐することだ。」
マカーオーンからの話もそこそこに、各々が集めた情報の整理に入る。
金糸雀と終夜は、今回の作戦に必須となるマザー・テレサの居場所についてまとめていく。
以前、金糸雀たちはマザー・テレサと交戦した。が、当然その時からは拠点を変えているようだ。現在は、渋谷迷宮付近で任務にあたっていたレイヤードから目撃情報が数件寄せられている。おそらく、その近くに彼女は拠点を移したのだろう。
しかも、目撃情報をたどっていくと、妙なことに気が付く。現在、彼女は一人で行動していることが多いらしい。今までは、自身の育てた子供たちと共に行動することの多かった彼女としては珍しいことと言える。これまでの目撃情報を合わせると、少なくともあと二人はマザー・テレサの子供たちがいることが推測されるのに、彼らはいったいどこに行ってしまったのだろう?
マザー・テレサを守るためならば自らの命を捨てることさえいとわないであろう子どもたちが、近くにいないのは 都合がいいが、伏兵として潜んでいるならば、むしろ厄介だ。気を付けるに越したことは無いだろう。
終夜たちがマザー・テレサの拠点について調べている裏で、エルールはむしろ、同行するレイヤードのひとり、真帆のことが気にかかっていた。セラピストとしての直感のようなものだろうか。彼女になんとなく不穏な気配を感じて、注意深く観察する。
真帆は、ギリシャ神話の英雄イカロスのコードを持つレイヤードだ。しかし、その力をうまく使えていないためレイヤードの分類を表すとされる、レイヤークラス・スタイルクラスもいまだ不明だ。つまり、自身の力を確立できていないのだ。ブリゲイドに所属していたとのことだが、コードの力を使えない状態では、レイヤードとも人間とも言えない中途半端な者として、ブリゲイドでは虐げられていたことだろう。現に、彼女の体にはあちこちに傷跡が見える。
そして、コードが示すように自由というものに強く憧れを抱いているようだ。ブリゲイドからも力を手に入れることによって自由になることを望んでいる。一方で、彼女はレイヤーと特にコードの力をうまく使えているレイヤードに対して憎しみにも近い感情を抱いているのではないか……
そこまで観察し、考えたところで、思案する。
ある意味、この作戦の成否を傾けかねない不安要素だ。この場で排除した方がいいのかもしれない。クルセイドのふたりに聞けばなおさらその判断になるかもしれない。だが、今ここで彼女を排除する選択肢をとったなら、終夜も敵に回る可能性が高い。危険なファクターではあるが、排除もまた、危険が高いことに変わりはないのだ。
―*ー*ー*ー*―
疑念の目線を向けられていることを知ってか知らずか、終夜は、調べ物を終えてニコニコしながらエルールと話している。
「いやー、猫さんのおかげでなんとかなりました。」
「そうじゃろ、そうじゃろ。もっと妾をほめたたえよ。」
「さすが。レイヤードさんですね。本当、天才。」
卑屈なぐらいに、終夜はエルールを持ち上げるが、真帆は微妙な顔でそれを見ている。エルールをほめる終夜に、淡白に「そうですね。」と返しただけだ。
それを聞いて、逆に、エルールから真帆へと話しかける。
「時に、そこの真帆とやら。」
「私ですか?」
「相当、大変な目にあってきたようじゃの。」
「ええ。」
「お主が力を求めたいのは分かる。」
「力には責任が伴う。色々お主にも憧れはあろうがそれは覚えておくのじゃ。」
そう言うと、真帆から視線を外して、ちらっとジェイソンの方を見る。お主も医者なら真帆の境遇は分かるじゃろ、と言わんばかりに。実際に、ジェイソンにとっては、真帆の傷が自然に戦いなどでついたものではなく、一方的な虐待によってつけられたものだということが容易に分かる。
この子たちは何を想い、何を考えてきたのか。終夜も、真帆も。
少し気になったことを改めて問いかけてみることにする。
「そういえば、お前は力を手に入れたらどうするんだ?」
「僕は、強いて言うなら、今はこんなクソゴミみたいな生活してるけど、レイヤードとして力を手に入れたら、もうちょっとマシな生活を送れるかなって思います。」
「そうか。」
ジェイソンの質問に、なおもニコニコしながら答える終夜を見て思う。彼を見ていると、もう少しまともな願いがありそうな感じもするが、誤魔化すように卑屈に笑って言う終夜の本当の望みは何だろうと考えると、はっきりとは推し量れない。ジェイソンも医者であれば、人の感情の機微を察することは決して苦手ではないが、果たしてそれは、中途半端に彼が怪しく見えるだけであった。
良い生活をしたい、というのも決して嘘ではないだろうが、もっと別の願いもあるように見えてならないのである。
「まあ、僕ごときが力を手に入れたところであなた方には及びもしませんよ。」
と言いながら、終夜はエルールを抱えてニコニコしながら撫でている。
―*ー*ー*ー*―
一方その頃。
調べものを終えた金糸雀は部屋の隅っこでバナナを食べていた。
これは別に、マカーオーンのアジトの冷蔵庫から勝手に出したものではない。自分で持ち込んできたものだ。自分のひと仕事は終えたとばかりに、バナナをもっちゃもっちゃと食べていた。
Middle 03 マザー・テレサの拠点へ 前編(アサルトシーン)
情報をまとめ、装備を整え、出発の準備が整ったころ、マカーオーンが、シブヤ迷宮に向かうレイヤードたちに話し始める。今回の作戦において、マカーオーン自身はアジトに残ることになっていたが、単に戦いに出るものを見送るから、と言うだけではない寂し気な想いが、その声には含まれていたような気がした。
「準備は整ったようだね。」
「何か、思うところがあるのかの?」
「ちょっと、自分に情けなさを覚えてね。」
そう言うと、彼は杖を持っていない方の腕の袖をまくる。すると、その腕には蛇の巻き付いた杖の紋章が刻まれている。エルールなどはその紋章に見覚えがある。ヒポクラテスの配下であったエンフォーサー、エドワード・ジェンナーにも同じ紋章が刻まれていた。
「こいつのせいでね、元のお仲間さん達とは戦うことができないんだ。」
「呪いのようなものだと思ってくれればいいさ。」
「君たちの中でも、耳にした人はいるんじゃないかな。ヒポクラテスの誓い、って。」
その言葉にも、覚えのある者がいる。エンフォーサー、ジャック・ザ・リッパーが使っていた技の中に、ヒポクラテスの誓いと名のつくものがあった。
ヒポクラテス、医術、紋章、蛇杖、誓い……、少しずつ、今まで見つけ、バラバラの要素だに見えていたものが、ひとつの事件、そしてヒポクラテスと言う強大なエンフォーサーへと繋がっていくような気がする。
「まぁ、だいたい察しはつくが、家族に刃が向けられぬようにお主らが作られているということじゃろう?」
「しかし、その呪われた刻印があってでも、お主が奴を倒したいと強く願っていることも分かる。」
「当然だよ。これ以上、奴らを生かしておくわけにはいかないんだ。」
「ならば、お主の心意気を妾は買う。」
「ありがとう。」
「こちらも、この刻印のある状態でどこまでできるかはまだ分からないけど、何か不測の事態があったりしたら、いつでも力になる。」
「もし、ミロワールがまた襲いかかってくるようなことがあるとしたら、こちらで足止めぐらいはする。」
「頼みます。」
マカーオーンの心強い言葉に、ジェイソンも答える。
「信じておるぞ。」
「お主が、あの時正直に話してくれたこと。妾はその心を買っておる。」
「言ったじゃろ? 童に嘘は通じぬと。」
「セラピストに簡単に嘘がつけないことぐらい、僕も知ってるさ。僕も医者だからね。」
「理解が早くて助かる。」
エルールと会話を交わしながら、マカーオーンはちらっと終夜の方を見る。
セラピストに嘘はつけない、という先ほどまでの会話も聞こえていた終夜は、そっと目をそらした。
―*ー*ー*ー*―
クレイドルを出発し、シブヤ迷宮方面へと向かう。ある程度までは車両が使えるが、目的地に近くなり、人類の手が届きづらい領域に達したら、整備されていない地面では車両は使いづらい。そこからは徒歩で向かうことになる。
シブヤ迷宮はムサシ・クレイドルから見て南東の方向にある。
かつて、旧東京エリアには網の目のように鉄道や地下街を擁する地下空間が張り巡らされていたと言うが、その名残がここである。しかし、地下空間は何回かの崩落と何者かによる拡張・改造によって、以前とは全く違う姿になっている、と言われている。まさしく迷宮なのだ。
今回は、その近くにマザー・テレサの拠点があるとのことだ。実際に迷宮に潜る訳ではないので、地上での行動が主となるだろうが、迷宮に近づくにつれて危険度が増すことは間違いない。
車両から降り、南東に向かって歩いていく。
真帆は険しい顔で進む先を見つめている。レイヤードたちと一緒にいるとはいえ、戦力的には不十分な自分がエンフォーサーの支配する領域に行くということが、彼女を緊張で強張らせるのか。それとも、むしろレイヤードと共にいること自体が重圧と劣等感を惹起させるのか。
隣を歩く終夜が声をかける。
「まあ、そんなに気負うものでもないですよ。」
「なんてったって、強いレイヤードさんが一緒にいますから。」
「そうね。こんなに強そうなレイヤードが四人もいるなら、道中の心配はしなくてもなさそうね。」
「でも、この先では、そんなにのんびりできるわけがないと思うけどね。」
―*ー*ー*ー*―
歩き始めてすぐに出たところは、高いフェンスと ゲートで仕切られた街の入り口だ。旧東京の遺構の一部なのだろう。この一帯と先を区切るゲートは複数ある。まっすぐ市街地へ向かう道と廃工場へ向かう道が、どちらも最終的にはシブヤ迷宮に繋がってはいるようだ。
「行くぞ。」
このチームの実質的なリーダーとなっていたジェイソンが声をかけ、警戒しながら廃工場の方へと進んでいく。
廃工場に足を踏み入れると、目に入る部屋は、どうやら事務室やこの周囲の操作をするコントロールルームらしい。この周囲には閉ざされたゲートがいくつかあるようなので、コントロールルームがあるなら、それを開けられれば僥倖だ。しかし、その制御を行っている機械はなかなか専門的なものが揃っており、
マニュアルもろくにない状態で適切な操作をすることは難しい。
ここは、ジェイソンと綾音が出入り口を操作するコントロールパネルの操作方法を見つけ出す。どうやらこのコントロールルームから閉じられていた安全かつ効率的な道を見つけたようだ。これを開けられたことで、かなり移動は楽になったことだろう。
さすがは歴戦のレイヤード、と言ったところか。
さらに奥にも、廃工場は続いている。足を踏み入れたのは、貯蔵タンクが置かれているエリアだ。タンクのほとんどは空になっているようだが、もしかしたら中身の残っているものもあるのかもしれない。だとすると慎重に進まなければ……
が、終夜、エルール、ジェイソンが、タンクから発生したと思しきガスにまかれてしまう。 どうやら、クラフトの使用を妨害する効果があるもののようだ。間の悪いことに、ちょうどクラフト使いがそれを受けてしまった。仕方なしに、一度その効果が抜けるまで休息をとることにする。
無限に時間に余裕がある訳では無いが、ここまで順調に進んできたことを考えれば、そのくらいの時間はあるだろう。気を取り直して、休憩後に再び歩みを進める。
休憩を終え、さらに奥へと向かっていく。途中に通った輸送用に作られた広い道には、アスファルトひび割れから生えた草にまぎれて、対機甲地雷が仕掛けられていたが、ジェイソン、終夜、金糸雀が気付き、慎重にその地雷のある場所を避けるルートを見つけ出す。
そして地雷のあるエリアを抜けると、そこは少しひらけたビルとビルの合間だった。
Combat 01 赤い霧のベクター
ビルとビルの合間に拓けたエリアに出ると、行く手を塞ぐように赤い霧をまとった不気味なベクターが目の前に現れる。
このルートでは、戦闘は避けられないだろう。むしろ、シブヤ迷宮にほど近いこの一帯で、目的地まで一度の戦闘もなしに切り抜けるのは難しい。ここは強行突破すべき。そう決意を固めて、レイヤードたちは各々の戦闘の構えをとる。
こうして、このチーム初めての戦闘の幕が、切って落とされた。
―*ー*ー*ー*―
現れたベクターの1体は女性の下半身と蜘蛛の下半身を持つような異形のベクター。戦場の逆側に陣取る1体は、 頭部に大きなレンズを構えた中型魔獣式ベクターだ。
そして、中央には、口が左右に大きく裂けた女性型のベクターが立っている。おそらくこの場ではこのベクターが最も強いだろう。
金糸雀が蜘蛛型のベクターに対して狙いを定め、綾音は手に持った武器の力を解放し、熱の力をまとわせる。アームズと呼ばれるレイヤードが、その武器の真の力を発揮させる真我解放と呼ばれる技だ。
しかし、戦いの準備を整えているうちに、最も早く動いたのはレイヤードたちではなく、蜘蛛型のベクターだ。毒をまとわせた弾丸を使って、マシンガンをレイヤードたちの密集している所に撃ち込む。散開する前の一手先を取られた形だ。一撃で倒されるほどの威力ではないものの、何回も受けられるものでもない火力が、レイヤードたちに降り注ぐ。このまま密集しているのには不利だ。早めに散開した方がいい。
「ごめん。私がいても足手まといみたい……」
その銃撃に巻き込まれた真帆は、初撃を受けて、自分ではこの戦場では役に立たないことを察する。どうにか戦場を離脱し、物陰に隠れる。
その様子を見て終夜も戦場から離脱したくもなったが、残念ながら彼は既に戦場の真ん中に立っており、そう簡単に離脱できそうもない。しかも、偶然か必然か、半数以上のレイヤードが避けきれずに手傷を追ってしまった先の初撃を、ギリギリのところで躱すことに成功していたのである。戦力にならない、と判断するにはいささか無理のある動きであった。
物陰に隠れた真帆は、安全が確保されたところで、戦場に残った終夜の様子を見る。同じような境遇にありながら、終夜はこうしてコードを使いこなしている。一線級のレイヤードに比べればまだまだかもしれないが、それでもこうして、隣に立って戦えるほどには。
この違いは一体なんだというのか……
そして、戦局は次の一手に移る。レイヤードたちは早めに密集を避けて散開したかったことはやまやまだが、次の一手を取ったのはまたベクターだった。大きなレンズを構えたベクター、カトブレパスがその頭部から射撃を放つ。標的になったのはジェイソンだ。攻撃を放つベクターに大した知能があるわけではないだろうが、回復役から攻撃していくのは的確な動きと言えた。
純粋な回復役であり、回避に長けているわけでもないジェイソンはその一撃をまともに食らってしまう。的確に撃ち込まれた弾丸はそのまま戦場に倒れてもおかしくない威力であったが、とっさのところでアルケオンの力を用いた障壁を展開し、どうにか踏みとどまる。 その応酬からも、ここに現れたベクターたちは、マザー・テレサの元に向かう道中に現れた敵といえど、決して油断できない相手であることをうかがわせた。
改めて気を引き締めたところで金糸雀が動く。その身を電流へと変えて、先程レイヤードたちをまとめて攻撃してきた蜘蛛型のベクターを最大の脅威と見て吶喊する。そして、その一撃は、正面からベクターを貫くが、まだ完全に機能停止させるには至らない。範囲攻撃の使える相手は早めに倒しておきたいところではあるが、あと一歩のところが詰められない。
返すタイミングで、標的とされなかったことを好機と見たか、口裂け女の形をしたベクターその不自然に口裂けた口をニヤリと笑わせ、空気に溶けるようにレイヤードたちが固まっているところに現れる。いつの間にかその場にいる、という都市伝説の特徴を表すベクターの能力だろうか。
そのままエルールに向けて手に持つハサミで斬りかかっていく。エルールはその一撃を受け、切り裂かれるも傷は存外にまだ浅く、と感じたところで違和感に気付く。この口裂け女のベクターの 恐ろしいところは決してそのハサミを用いた攻撃力ではないのだ。口裂け女が近くに現れたその瞬間から、周囲のレイヤードたちは、何とも言い難い圧迫感が襲ってくるのを感じ始める。口裂け女の絶妙な牽制であるのか、都市伝説という性質が持つ恐怖か、近くにいるだけでその自らの動きが縛られていくのをはっきりと自覚してゆくのである。これはまずいと皆が思った。
これは一刻も早く口裂け女の元から離れた方がいい。エルールが真っ先にレイヤードもベクターも集まったその一角から抜け出し、そのまま流れるように、先の金糸雀の一撃でボロボロになっていた蜘蛛型のベクターに、ホロウダガーを放つ。的確にベクターの残りわずかの体力を削りきる幻の刃を受けて、蜘蛛型ベクターは完全に動作を停止する。
これによって、一挙に戦局はレイヤード達に傾いた。続いて、綾音からの攻撃が、目の前にいた口裂け女に対して放たれる。口裂け女の放っていたプレッシャーも、それ以上の命中精度を持つ綾音の前では意に介されることなく、さらに弱点である高熱も込められた一撃に対し、口裂け女はなす術なく四散する。そして、単なる鉄クズとなった口裂け女のプレッシャーから解放された終夜が、先の応酬による砂煙が晴れた瞬間を見極め、最後に残ったカトブレパスに狙いを定める。マッチ売りのコードを起動して、放たれた火炎、さてこれは単なるまぐれか、それとも天性の才能か。歴戦のレイヤードである綾音の先の一撃にも劣らない威力を持って、カトブレパスの機能を完全に破壊する。
「……あ、ええと、そんなに強くなかったみたいですね。あいつは多分……」
言い訳をするように、終夜が言葉を紡ぐ。自分でも意外なほどに上手くいってしまった。
戦闘を終えて、ジェイソンが手早く回復を施す中、静かにその戦いを見ていた真帆が終夜に仄暗い目線を向けていることに、彼は気付いていないようであったが。
―*ー*ー*ー*―
戦いを終え、真帆がレイヤードたちの元に戻ってきて、終夜に言う。
「普通に戦えてるじゃない?」
「いや、これは多分今日は調子が良かっただけですよ。」
「というか、あれが弱かったんです。多分。じゃないと、僕がこんな活躍できるわけないじゃないですか。」
「……そう。」
真帆の言葉に、慌てたように誤魔化し言い繕う。今の今まで、終夜はレイヤードの力こそ持っているものの、それを自分のためにも、人のためにも使ったことの無い生き方をしてきた。自分は弱くて、無力な存在だと繰り返し感じて、信じてきたアイデンティティが壊されるような気すらして、真帆の悲し気な視線も目に入らない。
ぽんぽん。
ふと肩を叩かれて振り返ると、エルールが終夜の肩に手を置いて、黙って首を横に振っている。猫と人の身長差ゆえ背中によじ登って肩を叩いているその光景はどこかひょうきんでもあったが。
「な、なんですか?」
訳の分かっていない終夜の問いには答えずに、エルールは終夜の肩から落ちるように、上着のフードの中にスポッと収まる。
そうしていると、戦いの後始末は終わったらしき金糸雀が終夜に近づいてきて、ぼそっと一言だけ伝える。
「やるじゃん。」
それは、口数の少ない金糸雀が見せた、彼女なりの賛辞だった。
確かに、この戦いで終夜は初陣にも関わらず、他のレイヤードたちと遜色なく、もしかするとこの戦いの趨勢を決したと言ってもいい活躍をみせたのだ。それ自体はもちろん喜ぶべきことであるのだが。素直に喜べない微妙な空気が、レイヤードと、レイヤードになり切れない半端者の間に漂っていた。
Middle 04 マザー・テレサの拠点へ 後編(アサルトシーン)
「おーい、先に進むぞ。」
微妙な空気を破ってジェイソンが声をかける。ひとまず、さらに先に進むという目先の目標が思い出されたことで、この雰囲気が払われたような気がして、少し緊張が解ける。そういう意味では助け船のようにも感じられた。
ベクターと戦った地を後にして、さらに奥へと向かっていくと、廃病院が目の前に姿を現した。永い間放置されているらしく、壁がひび割れ、ガラスは砕け散っているが、まだすぐ使える設備や道具はありそうであり、それは僥倖と言えた。先ほどのベクター線での消耗が思ったより激しかったのもあり、特に一度大きな傷を受けかけていたジェイソンの治療をここでしていくことにする。ジェイソンは強力な回復能力を持っており、彼が一人がいれば、戦線を維持するためのカギになりえる。だからこそ、彼が倒れず万全に戦える状態を保つ用意しておくことは重要といえよう。
ジェイソンの治療を終えて、また先に向かっていく。
事前に調べた通りなら、そろそろ、この地帯の最奥部である。エンフォーサー、マザー・テレサの拠点は近いのだろう。
―*ー*ー*ー*―
「ねえ、猫の人?」
「なんじゃ?」
マザー・テレサの居場所と思しき地も近くなってきたところで、金糸雀がエルールに話しかける。呼びかけの言葉はよくよく聞くと首をひねりたくなるものだが、続く言葉は至極真面目な問いかけであった。
「また子供達がいたら助けるの?」
「さあ、どうかの。わらわには子供たちを助けることが本当に良いことなのか、今は分からぬ。」
「だが、テレサがやってきたことは、あの子供たちの可能性を、選択肢を狭めるということじゃ。それはわらわには許せぬ。」
「ふーん。」
以前、マザー・テレサに育てられた子どもたちと対峙した時、彼らにどう対処するのが最善だったのか。結果として、彼らは死体として、あるいは物も言えぬ重症患者として、マカーオーンのアジトにいる。彼らにとって助けるとは何かはやはり分からないが、マザー・テレサの行いが許せないのであれば、その子どもたちとは、やはり対峙せざるを得なかったのだろう。
金糸雀に答えを返した後で、そのまま終夜と真帆に向き直る。
「ちょうどいい。終夜殿、真帆殿。ここで少し話をしておこう。」
「おぬしらの求めている自由、力、その本質について語らせてもらおうか。自由とは、世界の選択肢を広げることなのじゃ。」
「選択肢を広げる、ですか?」
「わらわは、少なくともそう思っておる。」
「しかしその先に、選んだ責任は取らなくてはならぬ。その責任を背負う覚悟があって、おぬしらは自由を、力を求めておるのか?」
エルールの問いかけに、自分の想いを少しずつ整理しながら真帆が答える。
正直に言って、自分の中でも、そんな問いへの答えが明確に形になっているかと言われると、そうではない。
「私には、まだ本当に手に入れられた時に、私が何をして、何を思うのかは、実際に手に入れてみないと分かりません。」
「それでも、必ずその選択の先にある責任は取らなくてはならない。それは、分かります……」
「終夜殿はどう思う?」
「そ、そうですね。でも、僕はまだそういうのはちょっと……」
「少なくとも、先ほどの戦いを見る限り、おぬしほどの力があれば、自由を手に入れることは容易い。」
「多分、僕には無理ですよ。だからここにいる訳で。」
「そうか。では、マザー・テレサに会った時に、選択肢なき力とはどのようなものか、マザー・テレサを見て学ぶと良い。」
「先ほど金糸雀殿の言っていた子供たち、というのは選択肢なき力そのものじゃ。」
「アジトにいた人たちですか。そこにあったあの死体なら私達は見ました。」
真帆が、思い出すように言う。
死体は何も語らない。それは不変の事実であるが、生きるものが死体を見て、何かを思い、何かを変えることはきっとある。そういう意味では、死体は生者の口を借りて雄弁に語るのだ。アジトの死体、エルール、終夜、そしてこれから待ち受けるであろうマザー・テレサ。
幾重の言葉を受けて、少女は揺れ動き、徐々にひとつの決意を形作りかけていた。
―*ー*ー*ー*―
「自由であるとは、自由であるように呪われているということである。」
ふと、少し離れたところで一部始終を眺めていた綾音が、小さく、しかしはっきりとつぶやいた。その言葉もまた終夜と真帆には届いたであろうが、綾音はそれ以上は何も言わなかった。意味は自分たちで考えろとでも言わない言わんばかりに。
「一条さんや、ジェイソンさんも何かそういった経験をされたんですか?」
「先ほどエルールさんは、自由を選択肢と結びつけていらっしゃいましたが、何かそのような。」
尋ねる真帆に、先ほどの言葉で語るべきことは語ったとでもいう風の綾音に代わって、ジェイソンが優しくも悲しそうな声で答える。
「自分は復讐という道を選んで、一度人生を失いかけましたから。」
「すいません。変なこと聞いてしまって。」
「いえ。ただ、選択肢があるということは、常に正解ばかりを選べるというわけではないので。」
―*ー*ー*ー*―
「ねえ、猫の人。もう一個いい?」
「なんじゃ。」
「マザー・テレサ。あいつのことも救うの?」
マザー・テレサはエンフォーサーだ。決して対話の出来ぬ、分かりあうことのできぬ人類の敵。しかしそれもまた、バベルという超高度 AI によって選択肢を奪われた存在と、ある意味では言えるのかもしれない。それにしても、救うとは何か。
「そうじゃな。マザー・テレサも、バベルによって選択肢を奪われたと言えなくもない。」「そして、わらわはレイヤードという力を得たことを、何も考えることなく、何も迷うことなくエンフォーサーやベクターを殺してきた。しかし、その選択が本当に正しかったのか。」
「テレサを救う選択にするにせよ、殺す選択をするにせよ、その責任をわらわが負う。その覚悟はできておる。」
そして、一呼吸おいて。
「しかしなお、やつはレイヤードとしてはなくエルールとして許せぬのじゃ。」
「あやつは倒す。」
「そう、ならいい。」
倒す意思は揺るがない、簡潔なその言葉を聞いて、金糸雀もまた、簡潔に返した。
―*ー*ー*ー*―
それぞれの決意を、想いを抱き、レイヤードたちは、歩みを進める……
そろそろか……
奥に進み、ふとそんなことを誰ともなく思った瞬間、唐突に鋭く空気を切る音が聞こえる。
奇襲か?
しかし、僥倖だったのは、狙われたのが綾音であったことだ。他の者なら避けられなかったかもしれないその斬撃を、とっさに抜き打ちした刀で弾き返す。
攻撃を弾かれ、そのまま流れるように間合いを取って、その場に立ち塞がったのは、先ほどの斬撃に用いた鎌を構えた修道女姿のエンフォーサー、まごうことなきマザー・テレサだ。
「お久しぶりですね、皆さん。」
レイヤードたちを万遍なく眺めて言う。
その視線には、自分たちも含まれているのを見て、終夜がつぶやく。
「初めて会うんだけどなー?」
「おや、何を言っているのです?」
マザー・テレサは、終夜と真帆の方を見て、にこりと笑う。
なぜか初めて会うはずのこのエンフォーサーのその微笑みには、強く見覚えがあるように感じられ、終夜と真帆の中で、堰を切ったように記憶の扉が開かれる。欠けていた記憶がよみがえる。
「母の顔を忘れてしまったのですか?」
なおも優しい笑みを浮かべて、マザー・テレサは問いかける。
そう、終夜と真帆は「マザー・テレサの子」の1人だった。もしかすると、今から思えば、レイヤードを嫌う根底には「母」にそう刷り込まれたことがあったから、なのかもしれない。
「しいて言うなら、今思い出しましたね。」
あまり好い気はしないような声色で、終夜が言葉を返す。
「今まで力を使うことができずに、辛い思いをたくさんしていたでしょう。」
「さあ、こちらにお帰りなさい。」
つまり、マザー・テレサは自らの元に戻れば力を振るえるようにしてやろうと言っているのである。自由を掴むための力を求めてきた終夜と、それに誰よりも真帆に、この言葉を投げかけるのは、きっとマザー・テレサの用意した筋書きだったのだろう。
終夜は、コードフォルダを取り出し、マザー・テレサに向けながら、チラッと真帆の方を見る。見ると、真帆ももおぼつかない手つきながら、クラフトロジックを構えている。しかし、その顔はわずかに俯き、真意は読み取れない。
「やっぱり、忌々しい奴だな。」
「邪悪に傾ける耳もなければ、邪悪に語る口もなし。」
ジェイソンと綾音は、変わらず成すべきことを成すために、マザー・テレサに向けて構える。続けて、エルールも戦闘態勢を整えながら、終夜に言う。
「真帆殿は選択を決めたのかの。終夜殿はどうするかの?」
「わらわたちと手を組んで母を殺すか、それともわらわたちに牙を向けるか、どちらを選ぶか、それはそなたの自由じゃ。」
「あいつは、俺たちの母なんかじゃない。」
「俺の道を決めるのは俺だけだ。この灯火は俺だけのものだ。だから、誰にも渡さない。」
「そうか。」
「とりあえず俺はあいつを殺したい。」
「だからあんたらのことは嫌いだけど、今は力を貸して欲しい。」
「お主がその道を進んだのなら、その道を進むがよい。」
そう言って終夜は燐寸の炎をその身に宿し、まっすぐに倒すべき敵と見定めたマザー・テレサを見据える。エルールもクラフトを構える。
「ふーん。」
皆の様子を見たうえで、金糸雀も戦闘の構えをとる。
大した言葉には出さずとも、揺るぎなく戦いの意志をその動きから感じさせる。
―*ー*ー*ー*―
しかし、次の瞬間、真帆がクラフトロジックを出力せんと構えてマザーテレサにおずおずと歩み寄る。そのロジックの照準はマザーテレサからは外れてはいない。いくら微弱な力しか持たない真帆のクラフトと言えど、今撃てば外すことはない。しかし。マザー・テレサは。クラフトを向けられているにも関わらず、柔らかな笑みを浮かべて、ただ真帆を待っていた。
一歩、また一歩と進むたびに真帆の目が決意の色を帯びる。
そして、マザー・テレサの目の前にたどり着いたとき、クラフトを構えた手を下ろし、地面に向ける。それは、決別の意思表示。
それを見て、マザー・テレサは笑みを浮かべたまま、真帆に手をかざす。その瞬間、真帆の背中からは、白い翼が広がり、そのまま彼女はレイヤード達の方に向き直る。真帆の中にあり、しかし芽吹かぬままいたイカロスの翼が、ここに現れたのだ。
「これが私の自由。これが私の選択。」
「この選択の責任は、今からとる。」
真帆だって、この選択をすれば、どのような末路をたどるかなど、想像がついている。身の程に合わない空に手を伸ばし、飛び続けたギリシャの英雄は、地に落ちた様を蛮勇の逸話と伝えられた。でも、それでも飛ばねばならなかったのだ。
「あなたの炎があなただけのものであるように、私もやっと翼を取り戻した。」
「この翼は私だけのもの。私の自由は誰にも止められない。」
人類とか、エンフォーサーとか、バベルとか、そんなひとりの少女には大きすぎるもののためじゃなく、ただ一瞬の飛翔のために、この決意を胸に、真帆は飛び立ったのだ。
それを証し、改めて突きつけるように、マザー・テレサを見やる。
「別にアンタの信条に協力してるわけじゃない。」
「だけど、あなたのもとでいれば私は空を飛べる、それだけよ。」
真帆の想いの込められた言葉、そして行動を受けて、レイヤードたちも決意を新たにする。
「よかろう。その気持ちにわらわも全力をもって応えよう。」
終夜は、真帆にただ一言。いや、真帆に対してでは無かったのかもしれない。この場にいる皆に、あるいは自分自身に叫ぶように、この戦いの始まりを告げる言葉を口にする。
「これが、これが僕らの自由だ!」
それは、終夜の自由と真帆の自由が何処かで食い違い、この結末に至ろうとしている、ままならぬ世界への抗議にもきっと似ていた。
Climax 02 アイに満ちた悪魔
戦いが始まると、マザー・テレサは先ほど翼を目覚めさせた時のように、真帆に対して手をかざす。すると、さらなる力を得た翼は白く光を帯び、大きく広がってゆく。聖者や慈愛に満ちた人物のコードを持つエンフォーサーの中には、そのコードの力によって他者を強化する技を持つ者がいるらしい。恐らくマザー・テレサもその類なのだろう。しかしそれは、力を受け取る側を損耗させていく性質も併せ持っている。奇しくももとになった神話のように、その翼からは一枚、また一枚と羽根が零れ落ちてゆくが、きっとそれは些細なことなのだ。自由へと飛び立つ者の前には。
それを証すように、大きく翼をはためかせ、天へと飛び立ってゆく。これが、真帆の「自由への飛翔」なのだろう。
「そう、私にだってできる。」
「これが、私の力だ!」
そのまま天を舞い、真っ先に戦場を突っ切って、終夜のもとに突っ込んでいく。その勢いのまま、アルケオンの力を込めて一気に放つ。その一撃は、真っ当なレイヤードであれば到底立っては居られない威力であった。 終夜も例外ではない。オーバーレイと言われるアルケオンによる緊急措置でどうにか命をつなぐ。
真帆はマザー・テレサの支援を受けているとはいえ、今まさに目覚めたばかりの力をここまで使いこなせるのは、気付いていないだけで天性の才能があったのか、それとも純然たる想いの力か。
しかし、レイヤードたちもその威力にただ圧倒されるわけにもいかない。一瞬遅れたタイミングで、金糸雀が真帆とすれ違うようにその身を電流へと変えて、マザー・テレサの元へと迫る。電撃の槍はマザー・テレサをまっすぐに狙うが、次の瞬間、空気だけが焦げていく。
支援能力にたけたエンフォーサーとはいえ、そう簡単に攻撃を受けるほど、生半可な相手ではないということか。
それを見て、エルールが続く攻撃を準備する。
「真帆殿は、おぬしに任せる。」
終夜に一言だけ告げて、クラフトを放つ。あくまでも、狙いはエンフォーサー、マザー・テレサだ。金糸雀の攻撃を避けて着地したタイミングを、アルケオンの力も込めてまっすぐに抉り取る。戦闘の趨勢を変えるにはまだ遠いが、貴重な初撃だ。
が、そのまま負傷を庇いもせずに、大きく手を広げる。すると、マザー・テレサというエンフォーサーの狂気と慈愛をそのままに現したかのような音が、戦場に響き渡る。分かるものになら分かるだろう。これは、讃美歌だ。
エンフォーサーの言う愛を歌うその音は、レイヤードたちを蝕み、響いてゆく。愛で子どもたちを縛り、人類をもって人類を壊さしめる彼女の慈愛に満ちた歌は、さしずめ、「人形遣いの讃美歌」と言ったところか。
そうして、まともに動けないレイヤードたちを見やり、目の前の金糸雀に横薙ぎに鎌を振るう。命中の瞬間、大量のアルケオンを流し込み、威力を最大限まで含めた斬撃は、容易く金糸雀を引き裂き、彼女は電流となって四散しかけ、アルケオンでその身を修復する。これは何度も使える手段ではない。マザー・テレサが強敵であることを改めてまざまざと見せつけられて、レイヤードたちに戦慄が走る。
戦場を見まわしたジェイソンは、終夜に回復を向ける。回復に特化したレイヤードである彼は、みるみるうちに終夜を回復させてゆく。
終夜は体力を消耗しながら技を使うタイプのレイヤードだ。マザー・テレサから例の「讃美歌」が響いている環境下では、彼の体力を十全にしておかねば、陣営全体の攻撃に機能不全が生じる。
体力を十全にした終夜が改めて、その身に炎を宿す。目線を向ける先は真帆。
似た境遇で生きてきて、同じようにこの戦場まで来た少女に、炎を向ける。ここからは、自由と自由のぶつかり合いだ。と言わんばかりに。
終夜の身体そのものを変じた爆炎は一瞬の後に真帆を焼き焦がす。そして、神話に謡われるように、真帆の翼は熱によって消え失せてゆく。天から舞う羽根より早く、その身は地面に叩きつけられ、うめき声をあげるが、それでも立ち上がり、終夜を睨む。
「……生きている限り、私は何度だって、飛んでみせる!」
「何度だって、落としてやるよ。」
終夜と真帆が睨み合いを続ける中、その隣を駆け抜けて、綾音はマザー・テレサの元へと迫る。翼も既に撃ち落とし、真帆の相手を終夜がしている今、自身のなすべきことは首魁マザー・テレサを討つことだ。ありったけのアルケオンを叩き込み、高熱の刃でマザー・テレサを切り刻む。その勢いに、さしものマザー・テレサも体勢を崩し、大きく跳び退る。
一歩引いて着地したところで、反撃の刃を綾音に放つが、先の一撃で体勢を崩していたのが災いしたのだろうか、いまいち精彩を欠くその刃は、一歩綾音に届かない。一進一退の攻防は続き、戦いは次の局面へと動き出す。
「わたしは、負けないっ!」
「どこからだって、自由を掴んでやる!」
真帆は地に落ちてなお真っすぐに終夜を見据え、クラフトを放つ。天から落ちる雷のように終夜に迫るクラフトは、致命の威力に見えたが、前線でマザー・テレサと斬り結んでいた金糸雀から障壁が展開され、どうにか踏みとどまる。ミストと呼ばれる特にアルケオンへの適合度の高いレイヤードの用いる技だ。
その直後、障壁を展開していた金糸雀と、至近に迫っていた綾音を狙って、マザー・テレサがアルケオンの力を込めた旋風を放つが、今度は終夜がマッチ売りのコードの力を宿した灯火で、旋風から逃れる路を導く。
互いに互いの能力で窮地を切り抜ける姿は、まさに背中を預けて戦うレイヤード同士の誇りある姿であった。当人がどう思っているにせよ、端から見てそこには、卑屈に弱いと嘯く少年の姿は無かった。
そして、終夜の導きによって窮地を切り抜けた金糸雀が、そのまま反撃に移る。先ほどは外したが、次はない。マザー・テレサにはっきりと照準を定め、絶好の位置取りから、その身を変じた電撃の槍を放つ。コードに宿るのは、世界でも屈指に名のある槍を用いた、とある英雄だ。
破裂の魔槍(ゲイ・ボルグ)!
周囲の大気ごと、マザー・テレサを電撃が焦がし、大きく損壊する。間違いなく、今の一撃は戦局を傾けたはずだ。
その隙を見逃さずに、エルールがクラフトの刃を放つ。
着弾の瞬間、アルケオンが光となって散る。
が、エンフォーサー、マザー・テレサはまだ倒れていなかった。
再び戦場を「人形遣いの讃美歌」が響き、支配する。そして、その鎌の照準を合わせたのは綾音だ。綾音が仕掛けてくるであろう次の一撃を、その命ごと刈り取るべく放たれた斬撃は綾音を横一文字に切り裂き、彼女の動きを完全に止めたかに見えた。
だが、その瞬間綾音の目に宿っていたのは悔しさでも絶望でもなく、確かな信頼であった。その時、完璧なタイミングでジェイソンが肉体修復のクラフトで綾音を蘇生させる。ここまで織り込んでの、信頼。再び目を見開き、反撃の刃でマザー・テレサを切り裂く。その瞬間、確信した。今度こそ、致命傷だ。マザー・テレサは完全に機能を停止した。
時を同じくして、終夜は再びその身を炎に変え、生命をぎりぎりまで燃やしたその炎を、真っすぐに真帆に放つ。業火に焼かれた少女は、その身に残ったわずかな翼も散らされ、戦場に膝をつきかけ、それでもまだ立ち続ける。
エンフォーサー、マザー・テレサは機能を停止し、真帆の体力も限界だ。マザー・テレサが居なくなって、真帆は限界と言えどまだ立っている。
一瞬、もしかしたら、この戦いは幸せな結末を得られるのかもしれないと、希望が見えた気がした。
しかし、運命は無情。
真帆がまるで操り人形かのように不自然な動きで、ゆっくりと、その名を口にした。
「偽・反転 ヒポクラテスの誓い 其の一 この命は母の為に」
その言葉が唱えられた瞬間、限界でありながらそれでも立っていた真帆の体から力が抜け、そのまま戦場へと倒れ伏す。最後に見せたその表情に浮かべていたのは、驚き、諦め。おそらく真帆自身にも、今何が起きたのか分かっていなかったのだろう。マザー・テレサの方を睨むと言うには力ない目線を向けたかと思うと、身体が地に倒れる頃には静かに目を閉じた。
そして代わりに、確かに機能を停止したはずの ”アイに満ちた悪魔” マザー・テレサが笑顔を浮かべ、再び目を開ける。
「……お前だけは、殺す!」
終夜が、やり場のない感情を怒りに変えて、マザー・テレサを見据える。
あのままだったとしても、幸せな結末があったのかは分からない。もしかしたら、マザー・テレサが何もしなくても、真帆は最後まで戦って散ったかもしれない。一度エンフォーサー側についたレイヤードが許されることなどないかもしれない。でも、こんな幕切れはあんまりだ。
それを意に介さぬように、マザー・テレサは粛々と唱える。
「ヒポクラテスの誓い 其の十 愛情の守護」
その言葉を受けて、ジェイソンは急激に自身の構える回復のクラフトが力を失っていくのを感じる。おそらく、回復を封じる技の類なのだろう。
であれば、なおさらあとは短期決戦だ。回復が必要になるその前に、マザー・テレサを討ち取るのみだ。
金糸雀が三度その体を電流へと変じ。電撃を槍を放つ。金糸雀の消耗も限界であったが、それでもふり絞った電流が再びマザー・テレサを焦がす。
―*ー*ー*ー*―
レイヤードたちもマザー・テレサも限界の近い中、戦いは最終局面へと向かっていく。マザー・テレサの放った斬撃と、終夜の放った炎、そして綾音の熱の刃が、ほぼ同時に交錯する。
斬撃は、ジェイソンの放ったアルケオンの障壁に阻まれ、レイヤードたちを倒しきるに至らなかった。炎は、真っすぐにただひとり戦場に立つマザー・テレサを射抜き、綾音の刃は次の瞬間追撃となって襲い掛かる。
そして、ついに長かったこの戦いも決着の時が訪れる。
マザー・テレサの最後の一撃をジェイソンが障壁で防いだ次の瞬間を狙って、終夜の炎が襲いかかる。最後になったマッチの灯も、残りわずかの体力も、その全てをつぎ込んで、ただその想いをこの一撃に込めるのだ。最後のマッチを使ったマッチ売りの末路、そんな逸話、知ったことか!
「これで終わりだ。死ね!」
「これが、僕の灯火、僕の道だ!」
「……なぜ、人間が、こんな……」
炎はアイソレイト・コアを焼き、マザー・テレサは再びその機能を停止した。今度こそ、命を以て助けてくれる彼女の可愛い子供たちはいない。
そして同時に終夜も全ての体力を使い果たし、その場に力なく倒れる。だが、この場にはまだ回復のスペシャリストたるジェイソンをはじめ、仲間たちが立っている。だから、この戦いは、レイヤードたちの勝利だ。
子どもたちに囲まれ、子どもたちに生かされてきたエンフォーサー、マザー・テレサ。その最期に彼女とレイヤードたちの運命を分けたのは、仲間の有無であったというのは、何の因果であろうか。
戦闘を終えてしばし、気を失っていた終夜は、ゆっくりと目を覚まし、体を引きずるようにして起き上がると、真帆の方に歩いて行く。彼女は、地面に倒れたまま静かに目を閉じている。周りには、白い羽がバラバラと散らばっているのが見える。また、彼女自身をよく見ると、腕には蛇の巻きついた杖の紋章が浮かび上がっているのが分かる。
「ヒポクラテスの誓い」と言っていた技の証しであり、母のために真帆の命を奪った呪いの象徴でもあるのだろう。
彼女の倒れる傍らにしゃがんで、声をかける。
「全部、終わりましたよ。」
「僕らはもう自由です。」
「これも、自由になれたって言えるのかな。」
「……僕は、そう思いますけど。」
「みんなに、ごめんなさいって言っといて。」
「ああ、分かったよ。」
「本当はさ、僕もちょっと、お前と仲良くなってみたかったよ。」
その言葉を聞いて、真帆は少しだけ笑顔を浮かべた。
が、次の瞬間、また力なく目を閉じた。
その様子を見届け、終夜は一度、皆の元に戻る。エルール、金糸雀、綾音、ジェイソンを前に、頼まれた一言を、しっかり伝える。
「えっとさ。」
「まず、伝えることがひとつ。真帆ちゃんがさ、ごめんって伝えてって。」
「俺から伝えることは、特にない。そんだけ。じゃあ、ありがとう。」
それだけ伝えると、終夜はくるりと踵を返し、また真帆の近くに行ってしゃがむ。
ふと、真帆の首にかかっていたペンダントを見かけ、それは真帆のコードフォルダだったなと思い出し、そっと外して大切にしまい込む。
「お主の選択の結果がそれだというのなら、お主は立派に責任を果たした。」
「お主は価値のある命だったのじゃ。」
終夜の隣にいつの間にか立っていたエルールも、真帆に向けて言葉を送る。
「ありがとう。助かった。」
金糸雀はマザー・テレサのアイソレイトコアを回収しながら、その場の全員に、一言だけ、お礼を述べる。
また一方、ジェイソンはこの戦いを通して、自らにはナイチンゲールの一件からつながっていた怨念の鎖とも言うべきものがひとつ外れ溶けていたような、何処か少し晴れやかな気持ちを感じていた。万事が上手くいった訳では無い。しかし、自身にとっては間違いなく必要なひとつの区切りだったのだ。
「こちらこそ、ありがとうみんな。」
「私が過去から背負ってきたものが、少し晴れたような気がする。」
「ん、あなた達と仕事すると楽だから、また何かあったら連絡して。」
ジェイソンのお礼の言葉に、帰りかけていた金糸雀も足を止めてこたえる。
そして、そのまま立ち去っていく金糸雀と、マカーオーンのアジトへ向かう他の4人と、弔う場所を探すという終夜が背負った真帆の遺体は、この決戦の地をあとにした。
マザー・テレサと、ただ自身の自由のために戦った少女。あえてその2人との戦いとは言うまい。レイヤードたちと、ひとりのエンフォーサーと、ひとりの少女との戦いは、ここに幕を閉じた。
Ending 02 鏡の悪魔と次の玩具
マザー・テレサが倒され、レイヤードたちが帰途についたころ。
どこかで、二十代後半ぐらいの青年が笑っていた。真帆と終夜に、マザー・テレサに会うように勧めた、水鏡(ミカガミ)と名乗っていた男だ。笑いと共に、青年の顔だったのが、徐々に崩れていき、その風貌が変わっていく。もう少し若く、というよりは子供のような容姿に、笑顔ではあるけれど、どこか狂気を感じる表情を浮かべて、そして、アイソレイトコアには赤い光を灯らせて。
鏡のエンフォーサー、ミロワールだ。
「ははは、所詮マザー・テレサもただのエンフォーサーに過ぎなかったか。」
「色々と力を与えてもらった古株のエンフォーサーとはいえ、あの程度か。」
仮に同じ陣営に属しているとはいえ、マザー・テレサに個人的な恩義も無ければ、過大な期待もない。遊び道具の候補がひとつ減ってしまった程度の悲しさだ。
「でも、色々面白いものを見せてもらったし、良しとしよう。」
「僕はまた次のおもちゃでも、探しに行こうか。」
あのお姫様は、マザー・テレサなんかよりも、ずっと面白い遊び道具になってくれるだろう。こんなところで油を売ってはいられない。
そう言って、上着の裾を翻し、どこかからまたどこかへ、立ち去っていこうとする。が、その直前でふと足を止めて、この一件で感じた邪魔者の存在を、呟く。
「しかしね。あの真帆って子はしっかり釣られてくれたのに、終夜って子は予想外だったな。」
「でもどうせ、覚えていないということは、君の仕業だろう。アイグレー。」
そうして今度こそ、鏡のエンフォーサーは立ち去っていく。
最後に呟いた、アイグレーと言う名前。それは一体誰なのか。疑問を呈する者さえ、ここには居なかった。
Ending 03 灯火の布石
そして同じ頃、マカーオーンのアジトには、ひとりの同業者が訪ねてきていた。女性にしては長身、そして何より目立つのは鮮やかなパステルカラーの髪。燐寸の医者こと、魅夜・レイジングムーンだ。
「やあ、しばらくここに匿っていたあの子達は出発して、目的を果たしたようだね。」
「無事に、と言えるかは怪しいがな。」
「みたいだね。」
「そのうち本人たちが報告に来るだろうが、とりあえず速報といったところかな。私からは。」
戦いが終わってからそう時間が経ってもいないはずなのに、そもそも彼らの出自上、ここに匿っていたことも隠していたはずなのに、この燐寸の医者はどこから情報を仕入れてきたのか。が、マカーオーンも今さらこの相手にそのようなことを気にするでもなく、会話を続ける。
「よくやってくれたよ。彼らは。」
「まあ、このぐらいの結果は持ち帰ってくれなければ困る。」
「そう思っていたからこそ、君も彼らを送り出したんだろう?」
「負ける賭けをする余裕は無いはずだ。」
「まあ、それもあるけど、そこそこ付き合いのできはじめた協力者たちが、無事に帰って来てくれるというのは嬉しいものさ。」
「はは、優しいようなことを言うな。」
「まあ、君の目的からすれば、先は長いんだ。まだ彼らには協力してもらわなければならないことがあるだろう?」
「当然だよ。」
「けど、引っかかるところがいくつかあるんだよな。」
「ほう、聞いてもいいか?」
前髪に隠れて目は見えないが、それでもその言葉で、魅夜の向ける目線が鋭くなった、気がした。もっとも、いずれ分かる情報を伝えるためだけわざわざ来るわけが無いのだ。マカーオーンからのこういう情報を期待していたからこそ、わざわざ理由をつけてメッセンジャーの真似事をしてみせた。
「僕も、この件については詳しく調べてたわけじゃない。なにせ、さっきまでは足止めで大変だったからね。」
「まあ。そんなことはどうでもいい。疑問は、なぜ結月終夜だけがレイヤードとしての力をある程度はまともに使えたのか。隈部真帆とは違ってね。」
そう、真帆が自由を、そのための力を求めるに至ったマザー・テレサによる力の制限。実際それはしっかりと機能して、真帆はマザー・テレサにつくことになったのだ。終夜もまた力を使いこなせなかったのなら、どういう選択をしたかは変わってきたかもしれない。ここに、何者かの介入があったのだろうか。
「もしかして、彼もまた不運なことに、ヒポクラテスをめぐる戦いに巻き込まれてしまったのかもしれないね。」
「彼にとっては不幸かもしれないが、お前にとっては好都合だろう?」
「まあね。巻き込まれてしまった以上、とことんまで協力してもらうさ。」
当人のいないところで、ふたりの医者は未来への青写真を描き始める。
「なるほど、そこでだ。」
「一つお前に頼みがある。ここまでも散々無茶ぶりをされているからな。このぐらい言ってもバチは当たるまい 。」
「また彼を使うつもりなんだろう? その時のメンバーに私も入れろ。あのマッチ使いに興味が湧いた。」
「あなたなら、そう言うと思っていましたよ。」
「お前に分かられているのは面白くないな。これでも先の先まで考えているんだぜ。」
「マッチ使い。縁を繋いでおけば、利用出来ない訳がない。」
魅夜は、少し不満げに、手元で弄んていた燐寸を擦る。 淡緑色の煙が、ゆっくりと燐寸から立ち昇っていく。
「これは失敬。こちらからもお願いしたかったぐらいです。」
「僕と違う目線から彼を見ていれば、思うこともあるでしょう。」
「変なとこはあんまり期待すんなよ。私は精神科医じゃねえんだ。」
何度か目の念押しをして、ふと時間を確認する。
思ったよりも長く話し込んでしまっていたらしい。
「おっと、そろそろ帰ってくる頃だな。」
「いずれ会う相手とはいえ、今の彼は心労が募っていることだろう。そこに、こんなのを会わせるもんじゃないな。今日のところはここでお暇する。
「お疲れ様でした。」
「今のお前を差し置いてお疲れ様なんて言われる奴はそうそういねぇよ。せいぜい無茶すんなよ。」
そう言ったとき、先ほど擦った燐寸の煙がひときわ強くなったかと思うと、次の瞬間には、燐寸の医者の姿は消えていた。マカーオーンは、その居た場所に向かって呟く。
「いくら無茶をしたとしても、僕は死ぬわけにはいきませんからね。」
Ending 04 戦後処理と、これから
レイヤードたちは、報告のためにマカーオーンのアジトを訪れた。
別に向かった金糸雀は、アジトの近くで、その場所が見つからず迷っていたので、結局5人そろって、アジトに来ることになってしまった。
「金糸雀殿、また迷っておるのか?」
「あ、猫の人だ。ということは、この辺で合ってたんだ。」
―*ー*ー*ー*―
真帆の遺体は、アジトに帰り着くまでの帰り道に、見晴らしのいい丘を見つけたので、その上で焼くことにした。お別れの炎を、自らの炎を使ってできるだけ形も残さぬように。ただその魂はどうか自由にあるようにと願って。
「ごめん、俺、弔い方とかは知らないから。」
「ばいばい。」
そうして、真帆との別れを済ませて、改めてこの戦いの出発の地に戻ってきたのだ。
―*ー*ー*ー*―
「あらあら、皆さんお疲れ様でした。」
マカーオーンのアジトに入ると、エーピオネーがお茶を出しながら、レイヤードたちを出迎える。すっかりこのアジトに馴染んでいるようだ。まるでお母さんのような振る舞いであるし、コード的には実際にお母さんなのであるから仕方ない。
「マカーオーンはもう少ししたら来ると思うから、ちょっと待っててね。」
「さっきまで、お客さんが来てたみたいなの。」
そうして、しばらく経って、マカーオーンが現れる。よく見たら分かる程度だが、体にいくつか傷がついているのが分かる。レイヤードたちが戦っていた頃、彼にも彼の戦いがあったのだろう。
「とりあえず、お疲れ様。そして、ありがとう。」
「ああ、そうだ。結月終夜くん、まず、きみの連絡先にもらっていいかな?」
ひとまず必要なことから済ませていくことにする。魅夜・レイジングムーンとの約束がある以上、いや、約束が無かったとしても、この一件が終わったからといって結月終夜と音信不通になる訳にはいかない。
「え、でも僕、端末とか持ってなくて……」
「はぁ……」
ため息をつく。そういえば、この少年はがらくた漁りをして生活していたような子だった。アジトに置かれている使っていない機材の中から、少し形式は古いけれど十分に使える端末を選び出して、終夜に渡す。
「これ、端末。持ってって。」
「いいんですか?」
「腐るほどあるからいいよ。」
そして、必要な話の2つ目に移る。
「さて、次に、大事な報酬の話をしておこう。」
「感謝の気持ちというのは、こういった数字で表すとわかりやすいだろう。」
マカーオーンは小切手帳を取り出し、それぞれ記入して 5人に渡す。強力なエンフォーサーであるマザー・テレサの討伐というミッションには相当な金額が支払われてしかるべきだが、それを勘案しても相場より高めと思わせる額が、そこには書かれていた。
「あ、そうそう、これいる?」
金糸雀は、アイソレイトコアを取り出し、マカーオーンに渡そうとする。が、マカーオーンは一瞬きょとんとした顔をし、差し出されたコアを金糸雀に返す。
「いや、これ貰ったとしても換金するにも困るし。そっちで、好きにすればいいと思うよ。」
「じゃあ、適当に売っとく。」
「さすがにね、アイソレイトコアを研究対象にするわけにもいかないしね。
アイソレイトコアはこうして、再び金糸雀の手元に返される。そして、ここからは必要な事務手続きの話ではなくて、不確定な未来の話だ。マカーオーンは再び終夜に向き直る。
「間違いなく、君にはまた会うことになる。」
「え……?」
「はっきり言っておこうか。君、このままだと危ないよ。」
「それ、何でですか?」
「説明してなかったかな。まず、東方十聖というものを聞いたことがあるかな?」
「協力なエンフォーサーたちのことだが、その中のヒポクラテスと言うエンフォーサーの部下の一人がマザーテレサだ。しかも、かなり重要な位置のね。」
「それを倒したということは、間違いなく君はヒポクラテス陣営に命を狙われることになる。」
「僕、何でこんなことしたんだろう……」
事の重大さの一片を知り、うなだれる。
「それに、君自身にも気になることがある。」
「え? 今から僕、体を弄り回されたりするんですか?」
なんとなく、終夜の中ではまだマカーオーンは必要とあらば人の体を研究材料にするマッドな医者のイメージがあるらしい。それはある意味では間違っていないのだが。
「君がいいって言うならするけど?」
「勘弁してください!」
「君がマザー・テレサに封じられていたはずの力をなぜ使えているのか。それが少し引っかかっている。」
「僕も、心当たりがないので分かんないですよ。」
「そのことについても、おいおい調べていくことになると思うし、何かあれば、君を呼ぶ。」
「もし、危ないと思ったら僕の端末なり、そこの3人と一匹にでも連絡するといい。君だって死にたくはないだろう。」
「死にたくないです。」
「そういうことだ。君に死なれると僕にも困る。」
「いや、まあ、僕としても強い人が周りにいるのは助かるので。」
「だそうだよ、皆さん方。」
そう言って、マカーオーンは再び皆を見回す。
―*ー*ー*ー*―
しかし、まだもう一点懸念があった。そのことに気付いたエルールは、再び口を開く。
「マカーオーン殿。」」
「真帆殿の遺体を見た時、彼女の腕にアザが浮かび上がっていたじゃ。お主のような、杖に蛇のアザがな。」
その話を聞いて、マカーオーンは不機嫌そうに舌打ちをする。
「神聖な紋章また汚すか。」
「おそらくは、ヒポクラテスの配下であるマザー・テレサによって力の解放をされた時に、何かをされたんだろう。彼の使う力については、まだ分からないことが多すぎる。ここから観察し、解き明かすほかないね。」
「でも、間違いなくまた妹たちに近づく鍵となるはずなんだ。」
「なるほど。」
懸念と言うのは、どうしてか力の開放をされなかったとはいえ、終夜ももともとはマザー・テレサに力を与えられたレイヤードだ。真帆やマカーオーンのように、知らずのうちに何らかの制限が課せられている可能性も、無いとは言えない。
どちらにせよ、先ほども言った通り、終夜には危険が迫る可能性が高い。
「終夜くん、きみはどうしたい?」
「どうしたい、って言うと。これからの話ですか?」
「選択肢その一。またいつも通りの生活に戻る。今までよりも、危険度は間違いなく増すだろうね。選択肢その二、レギオン所属のレイヤードになる。まあこれは悪い手ではない。で、選択肢その三、僕の元に来る。」
「……あの、ちょっと時間もらってもいいですか。ちゃんと考えます。」
今回の件でいろいろあったとはいえ、レイヤードに向ける感情はまだまだ複雑な中、真っ当なレイヤード組織であるレギオンに所属するのも微妙に思えたし、だからと言って危険なひとり暮らしも、ブリゲイドの医者であるマカーオーンのもとに身を寄せるのも、即断しがたい。
「なに、今すぐに返事をくれなくてもいい。気が向いた時にまた連絡をくれ。」
「もし、レギオンに来たくなったら、妾に一言言うとよい。妾の手引きがあれば、すぐに入れることじゃろう。」
「表社会からは程遠いけど、僕のところも人手は不足している。いつでも来るといい。」
「間違っても、あの子みたいに使い潰すような真似はしないさ。」
マカーオーンとエルールの言を受け、終夜が答える。
「まあ、しばらくはこのクレイドルにいるつもりですけど。」
「束の間の自由ってのを、味わってみるのも良いかと思いまして。」
「そうだね。」
「ともかく、今回は本当にお疲れ様。」
そう言って、ジェイソンと綾音にも視線を向ける。
「そこのクルセイドのお二人さんも、そろそろヴァイクンタに報告に行ったらどうだ。」
「そうですね。そろそろ行きましょう。」
「また、縁があったらどこかで会おう 。」
こうして、戦後処理と今後のために、マカーオーンのアジトに集まった彼らは解散した。しかし、そう遠くないうち、また彼らは顔を合わせることになるだろう。マザー・テレサは倒されたと言えど、今回の件も糸を引いていたミロワール、そして敵の首魁たる東方十聖ヒポクラテスはまだ健在であるのだから。
Ending 05 記憶の欠片
「ねえ、白い子。」
マカーオーンのアジトを出てクレイドルの裏路地を歩いている時、金糸雀が終夜に声をかける。「白い子」と言うのは終夜のことらしい。金糸雀のことを、口数の少ない子なのかな、と思っていた終夜は、突然話しかけられてちょっと驚きながらも答える。
「えーと、何ですか?」
「記憶、戻ったんでしょ。」
「ええ、一応。」
「記憶が戻るって、どんな感じ?」
「……どんな感じ?」
「悪くはないですけど、僕的には別に良くもないですかね。この記憶は僕にとってはあまり意味のないものでしたから。」
答えになっているのだろうかと思いながらも、率直な意見を言ってみる。それで金糸雀が満足したのかも、どうしてそもそもこんな質問をしたのかも分からないが。
「まあ、いいや。」
「仕事手伝ってくれるなら、護衛料とか安くする。」
そう言って、自分の連絡先を渡す。少なくとも嫌われるような答えではなかったらしい。
貰ったばかりの端末に、金糸雀の連絡先を登録しながら、終夜が返す。
「あ、どうも、ありがとうございます。」
Ending 06 太陽掲げる抹殺者たち
ジェイソンと綾音は、今回の指示を受けたクレイドルの裏路地に、また戻ってきていた。幼い容姿をした超高度AIにしてクルセイドの首魁、ヴァイクンタがふたりを待っている。
「ジェイソン、一条。今回は無事にやれたようじゃの。」
「今回は、なんとか成し遂げることができました。」
「うむ。ま、クルセイドとしての初仕事を失敗された時はどうしたものかと思ったが、相手がこれほどの強力なエンフォーサーだったとはの。
「本当に、初仕事からきつかったですよ。」
「じゃが、戦いはここで終わってはおらんぞ。分かっておるじゃろ。」
マカーオーンとも話したように、マザー・テレサを倒しても終わりではない、その裏にはヒポクラテスと言う黒幕がいるのだし、よしんばヒポクラテスを倒したとしても、まだ世界にエンフォーサーは数多い。
「ええ。」
「分かっておるようじゃな。お主の目を見ればすぐにわかる。」
「これからも戦い続けますよ、私は。」
「人が変わったの。どこか成長したようじゃのう、お主。」
「そうかもしれません。ずっと背負ってきた重荷が少し溶けたような気がします。」
実際、この戦いは、ジェイソンにとっても必要なものだったのだろう。それはヴァイクンタも話を聞いて、強く感じていた。
「ふむ、それは良かった。」
そして、隣に立つ綾音にも話を向ける。
「お主も、これからの成長を楽しみにしておるぞ。な、一条綾音。」
そう聞いたヴァイクンタにどういう意図があるのかは分からないが、綾音も無言で肯定の頷きを返す。もしかしたら、ヴァイクンタは綾音にもこれから何か大きな転機が訪れることを予感しているのだろうか。超高度AIの考えは、推し量れない。
だが、いずれにせよ戦いが続くことは確かなのだ。クルセイドである限り、世にエンフォーサーがいる限り。
Ending 07 帰宅
ピーンポーン。
家の呼び鈴が鳴って、「おじさん」こと三ノ上尚浩がドアを開けると、そこには金糸雀が立っていた。どうやら幸いにも、呼び鈴は壊れていないらしい。
「あ、金糸雀ちゃん、おかえり。」
その声を聞いてか聞かずか、自分の家のように上がり込む。
「これ、お土産。」
部屋に入ると、そう言って、金糸雀は新しい端末とチョコバナナを投げる。チョコバナナはどこで買ってきたのだろうか。あと、端末はたぶんお土産でない。
だが、慣れたように「おじさん」は言葉を返す。
「じゃあ、これは美味しくいただくよ。」
「あと端末に関しては、おじさんはバックアップをとるということを覚えたからね。」
「あ、そう。今日は疲れたから帰るわ。じゃあね。」
「お、おつかれー。」
どうやらお土産を渡しに来ただけのようだ。
―*ー*ー*ー*―
金糸雀が帰った後、ひとりになった部屋でチョコバナナを頬張りつつ、呟く。
「んー、久しぶりだけど、上手くやれるかねぇ。」
そうして、傍らの白い仮面を被り、コードフォルダから刀を取り出し、素振りをしてみる。何気ない動作だが、特に広くもない部屋の中で、実戦さながらの動きと速度で何気なく振るった刃が、ぎりぎり部屋の中の何も壊さなかっただけで、その精密さは神業に近い域であることがうかがえる。
「おじさんも、まだまだ若いってことかな。」
仮面を外したとき、「おじさん」の目は、普段とは全く違う、狩人のような光を宿していた。
ここからは、少し後日の話。
―*ー*ー*ー*―
エルールは、自分の仕事部屋で、ひとり佇んでいた。
視線を向ける机の上には、コードフォルダを残して行方不明となってしまったエルールのかつての飼い主、坂元優子の写真が置かれている。その写真を眺め、誰にともなく、エルールは呟く。
「のう、優子よ。」
「妾が選んだ道は、本当にこれで正しかったか。」
それに答える人はもちろんいない。
だが、いずれ答えを得られる時が来るとしたら、それは大切な人の言葉によるものか、それとも自ら見つけ、掴むものか。
―*ー*ー*ー*―
終夜は、クレイドルの街中を歩いていた。
以前は何となく大通りは避けていたが、今はちょっとだけ、自信を持って歩けるような気がする。マカーオーンから、以前の自分にしてみれば見たこともない金額の報酬を貰って、懐具合も暖かい。
ふと、通り沿いの店のガラス窓に自分の姿が映っているのを見つけ、その顔をしげしげと眺めると、手元から十字架のペンダントを取り出し、首にかけてみる。ちょっと鎖が長いな、と思い直して、留め具を弄り、掛けなおした姿が映るのを見て、満足げに再び歩き出す。
―*ー*ー*ー*―
ひとつの戦いは終わった。
少年は、自由を手にしたのだろうか。
それは、少女の求めた自由と、何が違うのだろうか。
そもそも、自由とは何だろうか?
答えがあるとしたらきっと、その小さな胸の内にだけ、言葉にできない自由があるのだろう。
端から見る我々にも分かる事象をひとつ挙げるなら、少年が歩く街の空を見上げれば、無限に続くような青空が、広く、高く、広がっていた。
最終更新:2021年04月10日 22:55