第5話(BS57)「天勇之壱〜錦上添禍〜」(
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ブレトランドの対岸に位置するアトラタン大陸西部の領邦国家アロンヌは、ヴァレフールと同じ幻想詩連合に所属する大国である。その中北部の一角を支配するコンドルセ家は、アロンヌの三大勢力の一つであるルクレール伯爵家と近縁の名門貴族であり、その歴史はブレトランドの三王家よりも古い。家系的にはノルドの系譜に連なる一族でありながら、歴代の君主は芸術文化に造形の深い者達が多く、南方の優雅な貴族文化を積極的に取り入れていることで知られている。
約一年前、そんなコンドルセ家の現当主アンリの三男シャルル(当時17歳)と、当時のヴァレフール騎士団長ケネス・ドロップスの孫娘モニカ(当時15歳/下図)の婚約が当主間の協議で決定され、コンドルセ家の居城であるオリビア城へとモニカが招かれることになった。
ところが、その新婦モニカの到着直前に、新郎となる筈のシャルルがオリヴィアから出奔し、行方不明となってしまう。彼がなぜモニカとの結婚を拒んだのかは明らかにされていないが、大陸へと渡った花嫁モニカの立場は宙に浮いた状態となってしまった(その後のシャルルの物語は
ブレトランド水滸伝1参照)。
ひとまずアンリはそのままモニカを王城に滞在させつつシャルルの帰還を待ったが、半年以上待っても消息が掴めなかったため、やむなく婚約を白紙に戻し、代わりに次男フィリップとモニカとの間で改めて婚約を結ばせ直すことにした(アンリとしては、ヴァレフールとの関係を断ち切りたくなかったらしい)。ところが、今度はその直後にフィリップもまた海難事故で(?)消息不明となってしまったのである(その経緯は
ブレトランドと魔法都市1参照)。
それでも何とかヴァレフールとの縁を維持したいと考えたアンリは、モニカを再度説得して、今度は離婚歴のある(モニカとはやや歳の離れた)長男ルイを彼女の(三人目の)婚約者に指名し、モニカもその旨を了承する。そしてまもなく、二人の結婚式が開かれることになったのだが、約一年間、中途半端な立場で城に滞在を続けていたモニカは、どこか憂鬱な様子であった。
モニカは元々引っ込み思案で、あまり社交的な性格でもないため、嫁ぎ相手も不在の状態での異国での生活は、常に孤独感と共にあった。そんな彼女にとって、この地で心を許せるほぼ唯一の人物が、彼女と同い年(現在16歳)の傭兵イェーマ(下図)である。

彼は傭兵団「暁の牙」の一員であり、現在はモニカの護衛役を任されている。元々は大陸某国の孤児院出身で、数年前にその孤児院が焼け落ちた時に「暁の牙」の団長ヴォルミスに拾われて、傭兵となった。ここまでは、乱世における「よくある青年傭兵の物語」である。
ただ、邪紋使い主体の「暁の牙」の中では珍しく、彼は「聖印」を持つ君主であった。彼の育った孤児院の人々の証言によれば、彼は幼少期に孤児院に預けられた時から「聖印」をその身に宿していたらしい。それが誰から預けられたのか(もしくは自力で作り出したのか)は不明であるが、彼はその聖印の力を駆使して、攻防一体の剣技を用いた腕利きの傭兵として、この「異国からの花嫁」の護衛役を任されていた。
イェーマは実直な性格の青年であり、きらびやかな貴族文化に包まれたオリヴィア城の中では浮いた存在であるが、その純真な性根が、周囲に対する警戒心で疲れ切っていたモニカにとっては癒やされる存在だったようで、いつしか二人は懇意な関係となり、二人きりの時にはイェーマは敬語を使わずに話せる程の親密な間柄となっていた。
そんなモニカが、正式に結婚式の日取りが決まった頃、ふと自室でイェーマに対して、呟くように語りかける。
「私のために、随分長居をさせてしまって、すみません。でも、それももうすぐ終わりますから」
「まぁ、長いのは君のせいじゃないし、しょうがないと思うよ」
「でも、私がここに来る直前にシャルル殿は出奔されてしまった訳ですし……」
実際のところ、三男シャルルに関しては完全に彼の個人的な事情に基づく出奔だったのだが、そのことを知らないモニカは、それが自分のせいだと思い込んでいる(そして当然、イェーマもそのことは知らないので、この件に関しては何も言えない)。
「どうも私がこの世界に存在し続けることで、周囲の人達を不幸にし続けてしまっているような気がするのです。父様も、母様も、兄様も、そしてフィリップ殿もいなくなってしまいました」
それらも全て、直接的には彼女の責任ではないのだが、今の彼女は自分自身が疫病神のように思えてしまっているらしい。
「それに、こっそり聞いてしまったのです。ガーランド様が、今回の結婚式で何かまた不吉なことが起きる兆候が見えると……」
ガーランドとは、このオリヴィアの領主アンリの契約魔法師であり、未来予知を得意とする時空魔法の専門家である。その彼が「危険な予兆」を察知するということは、確かに何らかの災いが発生する可能性は高いのかもしれない。
「でも、多分、君のせいで不幸になることはないと思うよ。だって、それなら僕も不幸になっている筈だけど、僕は今、すごく平和だからね」
イェーマは笑顔でそう言った。実際、この一年間、一番モニカの近くにいたのは間違いなくイェーマであるが、彼には一切何の不幸も発生しなかった。
「確かにそうですが……、でも、傭兵のあなたにとって、『平和であること』は幸せなことなのでしょうか?」
モニカには、何も起きないまま、イェーマをただ自分の近くで待機させ続けていることが申し訳なく思えていた。無論、彼女も決して自分の周囲で争い事が起きることを望んでいる訳ではないし、自分やイェーマの身を危険に晒したい訳ではない。ただ、彼女の中では「傭兵稼業の人々は、常に戦いに身を置きたがる性分」だという先入観があったため(それは彼女の実家の近辺にはそういった類いの傭兵達が多かったから、という経験則に基づいているのだが)、イェーマが内心では今の境遇に「物足りなさ」を抱いているのではないか、と危惧していた。
「一傭兵として幸せかどうかは分からないけど、今まで平和な時間というのを味わったことがなかったから、その意味では、いい経験だと思っているよ」
屈託のない笑顔でそう言われると、モニカは少し救われたような気分になる。だが、そんなモニカの中に、再び「嫌な記憶」が湧き上がる。
「でも実際、私は子供の頃から……」
彼女はそこまで言いかけたところで一旦止めようとするが、イェーマの表情を伺う。彼は興味深そうな表情で、その話に聴き入ろうとしていた。
(この人になら、話してもいいかな……)
何の根拠もなく直感的にそう思ったモニカは、そのまま話を続けることにした。
「……子供の頃から、混沌災害に遭遇しやすい体質なんです。微々たるものだとは言われてるんですが、時々、私の周囲に異界の魔物が現れることがあって……。私のお祖父様と契約していた召喚魔法師の方が仰るには、どうも私は混沌を呼び寄せやすい体質らしいのです」
唐突にそう言われたイェーマは、やや困惑しながらも話を聞き続ける。少なくとも、この一年間を通じて、彼女の周囲でそのような現象が起きた記憶はイェーマの中にはない。
「ですから、もしかしたら、今回の結婚式の最中でも、何か起きるかもしれません。もし、本当にそうなってしまった時は、私ではなくて、今回出席する『弟』や『伯母様』や『従弟』を優先的に守って下さい。特に伯母様は、聖印を持たない身ですし」
今回のモニカの結婚式には、彼女の実弟のラファエル(ヴァレフール北部の湖岸都市ケイの領主代行)、彼女の父の姉であるシリア(先代ヴァレフール伯ワトホートの弟トイバルの妻)、そしてそのシリアの息子(モニカの従弟)であるゴーバン(現在はヴァンベルグの港町ハルペルにて居候中)が、彼女の親族として参列する予定であった(下図参照)。
「聖印を持っていないのは、君も同じなんじゃないの?」
「そうですけど、でも、私が混沌を呼び寄せる原因なのであれば、むしろ私がここでいなくなった方が、この不幸な連鎖の宿縁も断ち切れるでしょうし……」
あまりにも暗い面持ちでそう語る彼女に対して、イェーマは少し戸惑った表情を浮かべる。
「不幸ねぇ……、不幸かぁ……。まぁ、境遇としては僕も幸福とは言えなかったからね。幼い頃から混沌災害が起きやすかったんだっけ? 僕の場合は、生まれた時から混沌災害の近くで育ったからなぁ」
正確に言えば、イェーマは自分がどこで生まれた存在なのかは知らない。ただ、自分が育った孤児院が、自分がまだ幼かった時に混沌災害に見舞われ、その後は傭兵として生きていくことになった都合上、どうしても混沌災害とは常に隣り合わせの生活が続いていた。
「でも、あなたは聖印に選ばれた方なんですよね?」
「らしい、ね。たまたま、何かしらの影響で得たらしいけど」
この件については、イェーマも全く想像がつかない。何処かの高貴な家の御落胤なのではないかと噂する者もいれば、生まれながらにして聖印を手にした「神の子」だと考える者もいたが、イェーマ自身は、あまり深く考えることなく、これまで一人の傭兵として生きてきた。故に、彼は「君主」と呼ばれる立場ではあるものの、治めるべき土地も民も有していない。
「それならば、きっとあなたは、私なんかの護衛ではなく、もっと多くの人々を救うためにその力を使うべきでしょう。そのために聖印の力が宿っているのだと思います」
「でも、聖印は守るための力なのだとしたら、僕は君を守るよ。当たり前じゃん。自分をあまり卑下するのは良くないよ。お姫様なんだから、もっと堂々としていればいいんじゃないかな」
笑顔でモニカにそう語るイェーマであったが、モニカはそんな彼の笑顔を眩しく思いつつも、「自分には守られる価値なんてない」という気持ちを払拭出来ずにいた。
「そうですか、あなたなら、私の願いを叶えてくれるかと思ったんですけど……」
俯きながらそう呟くモニカに対して、イェーマとしてもそれ以上は(少なくとも、今の護衛傭兵の身では)何も言えない。ひとまずは、彼女の語る「悪い予兆」のことを気に留めつつ、彼女の部屋を出て、周辺の警備に戻ることにした。
今回の結婚式に参列予定のモニカの三人の親族のうち、最も血縁的に彼女に近いのは、彼女の実弟のラファエル・ドロップス(下図)である。モニカの父のマッキーと兄のアンディは既に亡く、母のネネは行方不明で、姉のチシャは現在、重病の祖母リンナの看病のためにアキレスを離れられないため、彼女にとっての「長年共に暮らした家族」の中では、ラファエルが唯一の参列者であった。彼はまだ14歳であり、領主代行に就任してから一年も経っていないが、その堅実な統治方針から、領民達の中でも高い信頼を勝ち取りつつある。
その彼の統治を支えているのが、彼よりも二歳年上の契約魔法師ローラ・リアン(下図)である。今回のラファエルの渡航にあたり、彼女もまた、彼と共に参列することになった。
「ローラさんについて来てもらうべきかは迷ったんですが、何かあった時に連絡してもらうためにも来て頂きた方がよろしいかなと……。姉様に紹介したいのもありますし……」
オリビアへ向けての出発の準備をしながら、少し照れ臭そうにラファエルはローラにそう告げる。彼にとっては、ローラは自慢の契約相手であり、周囲に親族がいない今の彼にとっては「家族」も同然の存在となっていた。
「なるほど。分かりました。御一緒させて頂きます」
「で、お相手の方はルイ・コンドルセさんと仰る方らしいんですけど……」
その名を聞いた瞬間、ローラは急に表情が凍りつく。
「ル……、ルイ様、ですか……?」
「あれ? ご存知でしたか?」
「いや、その、何というか……、うーん……」
ローラは迷いながらも、彼女の記憶の中にある彼の印象を伝える。ルイはかつて、ローラの義姉であるメーベル・リアンの契約相手であったが、あまりにも執拗に彼女に対して性的接触を求め続けたこともあって解約に至り、更に他にも多くの女性に手を出していたことが当時の妻の逆鱗に触れ、婿養子先から追い出されたという過去がある(その後、実家に帰った彼は、出奔した末弟シャルルに代わって属領の一つであるホール村の領主となった)。また、ローラとも以前に「無人島合宿」の際に同席しており、その時もルイ(とローラの後輩の少年)の不用意な言動が騒動が引き起こすことになった(詳細は
ブレトランドと魔法都市1参照)。
「はぁ、それは……、大丈夫なのかな、姉さん……」
ラファエルの知る限り、モニカはあまり堂々と自分の意見を口に出せる性格ではない。そこまで女癖の悪い領主との婚約ということになれば、色々な意味で辛い思いを背負い込む可能性は十分にあるだろう。
「ですから、少し不安と言いますか、何と言いますか……」
ローラはそう呟きつつも、既に決まってしまった縁組に対して、異国の契約魔法師の身では何も言えなかった。
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そして、二人がそんな会話を交わしている中、留守番役として騎士団長イアン・シュペルターとその妻のヴェラが到着する(下図参照)。彼等の本拠地であるアキレスには、先代騎士団長にして先代のアキレス領主であったケネスの妻であるリンナが暮らしているが、最近、彼女の体調が急激に悪化し、彼女の(家系図上の)孫である護国卿トオヤと彼の契約魔法師のチシャが、彼女の看病も兼ねる形で滞在している。そのこともあって、結果的に玉突き状のような形でイアン達が(最前線の地でもある)ケイの留守居役を買って出ることになったのである。
「この機に、様々な人々に触れ、見聞を広めてくると良い。私も以前、大陸を旅したことで様々な知見を得た」
現ヴァレフール伯爵の伯母にあたるヴェラがラファエルとモニカに対してそう告げると、彼女の夫である騎士団長イアンはまた異なる角度から「若い二人」に助言する。
「まぁ、結婚式というのは一種の『男女の出会いの場』でもあるから、これも一つの経験だと思って参加してくれば良いだろう」
実際のところ、ラファエルにはそろそろ各地の諸侯から縁組の話が舞い込みつつある。ただ、彼は今の自分があくまで「領主代行」という中途半端な立場であることから、当面は誰かを妻に迎える気はなかった。なお、ケイの民の一部には「領主様と契約魔法師様は既に恋仲」という噂も広がっているが、今のところ二人の間にそのような関係は成立していない。ただ、女魔法師に君主が手を出すというのは「よくある話」なので(実際、ヴェラ自身もそのような経緯で生まれた伯爵令嬢であった)、その辺りのことのことも含めて、思春期のラファエルとしては、そろそろ色々と「勉強」すべき段階に入っていることは間違いない。
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そしてこの日の夜、ローラは義姉であるメーベル・リアン(下図)に、魔法杖を用いて通信を試みた。メーベルは現在、ケイの北側に位置するグリース領マーチの領主セシルの契約魔法師となっている。
「あら、ローラちゃん、どうしたの?」
「もしかしたら、このお話を聞いて、あまりいい思いはしないかもしれないのですけど……」
彼女はそう前置きした上で、先刻ラファエルから聞いた話をそのまま伝える。
「は?」
それが姉弟子の第一声であった。
「ごめんね、ローラちゃん。もう一度確認していい? ルイ・コンドルセがもう一度、今度は11歳年下の女の子と結婚するって?」
「はい、それで合ってます」
やや怯えた声でローラはそう答える。
「合ってるのね。ありがとう、ローラちゃん。まぁ、私は別に、何もすることはないけど」
「本当ですか?」
「本当よ。だって、ルイのことなんて微塵も気にしてないもの」
「お姉さま、その割には声に少し……」
「大丈夫大丈夫、ちょっと仕事が増えただけ」
「ね、姉様?」
「さて、『お祝いの品』の準備でもしましょうかね」
彼女はそう言って、通信を切った。
(私は、火に油を注いでしまったんでしょうか……。国際問題に発展しなければいいんですけど……)
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魔法杖通信を終えたメーベルが、おもむろに得意の爆薬製造(使途不明)を始めようとしたところで、一人の同僚が声をかける。
「メーベルさん、ボンバーマンやります?」
「あら、ありがとう、SFCさん」
彼女がそう答えると、SFCと呼ばれたその女性は、おもむろに自らの身体の一部を用いて、彼女に「操作法」を伝え始める。
「爆弾を設置する時はですね、まずこちら側から相手の退路断つように順番に設置していくんです。爆弾は一つでは意味がないですから、こうやって……」
その後、何がオリビア城に送りつけられることになったのかは定かではない。
ここで時は少し遡る。ルイとモニカの縁談の日付が決定した時点で、傭兵団「暁の牙」の一員であるウィルバート(下図j)の元に「ルイ・コンドルセとモニカ・ドロップスの結婚式に出席するシリア・D・インサルンドをオリビア城まで護送する」という依頼が届いていた。
シリア・D・インサルンドとは、前ヴァレフール騎士団長ケネスの娘にして、現ヴァレフール伯レアの義理の叔母(叔父トイバルの妻)にあたる女性である。夫の死後はひっそりと離宮で暮らしており、あまり表に出ることはなかったが、今回は(行方不明の新婦の母ネネに代わって)姪のモニカの保護者として出席することになったらしい。
今回の依頼は、新郎の父であるアンリ・コンドルセが(もともと花嫁の護衛役としてイェーマを雇っていたという縁もあり)「暁の牙」に会場の警護を依頼し、それに対して傭兵団長のヴォルミスがウィルバートをシリアの護送役として指名したらしい。ウィルバートの父であるゲイリーはその旨を彼に告げた上で、更にこう付言する。
「どうやら今回は、結婚式会場に団長も来るらしい」
「団長が?」
「どうやら、今回の結婚式会場の近辺で大規模な混沌災害が起きるという予兆を、現地の契約魔法師殿が予見したそうだ」
なお、ヴォルミスはアトラタン大陸全体でも十指(もしくは五指)に入ると言われるほどの剣の達人である。
「それはつまり、別に団長が『新郎や新婦の知り合い』という訳ではなく、純粋に『戦力』として、ということか?」
「あぁ。とはいえ、団長が自ら出向く必要があるのかは分からん。まぁ、団長はイェーマのことはお気に入りだからな。それで、今回の任務のことが気になるのかもしれん」
「なるほど。分かった」
その上で、どこから混沌災害が発生するのか不明なため、ひとまず、ヴォルミスが先に現地に入った上で、主要な来場者の中で「聖印を持たない貴族」であるシリアのところにウィルバートが護衛役として派遣されることになった、という訳である。
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それから数日後、ウィルバートはヴァレフールの首都ドラグボロゥに到着した。ヴァレフールが実質的に国内冷戦の状態にあった頃はアキレスで息子達と共に暮らしていたシリアであるが、現在は首都へと移住し、和解の証として亡夫トイバルの遺品を(王城の裏庭に位置する)歴代伯爵家の一族の墓地へと埋葬した上で、現在も喪服に身を包んだまま、静かな隠遁生活を続けている(一方、彼女の子供達の中で唯一この国に残っているドギは、彼女の母のリンナと共にアキレスに残っていた)。
そんなシリアが人前に姿を現すこと自体、極めて稀な事例であったのだが、モニカは両親が不在のため(正確に言えば、母のネネは生死不明)、新婦の親族達の中で彼女の「親代わり」として出席すべき人物として、シリアに白羽の矢が立ったのである(もう一人の伯母であるプリスは、息子のトオヤと共に祖母リンナの看病に従事していた)。
その上で、なるべく目立たないように渡航したいというシリアの意向もあり、今回は「護送部隊」という形ではなく、ウィルバートが一人で派遣されることになった。本来はウィルバートは暁の牙の中でも「部隊長」に相当する立場なのだが、「もし仮に巨大な敵や大人数の山賊と遭遇しても、一人で撃退出来るだけの人物」であることを期待した上での抜擢であった。
そんなウィルバートを前にして、漆黒の喪服に身を包んだシリアは、重い表情を浮かべる。
「あなたが私の護衛役ですか。よりによって『暁の牙』の……」
彼女は消え入りそうな声でボソッと呟きながら、ウィルバートに尋ねる。
「私の護衛をしろと言ったのは、あの人の差し金ですか?」
「あの人?」
「あなたのところの団長殿です」
「まぁ、団長の指示で来ましたけど、それが?」
明らかに困惑した様子でウィルバートが答えると、彼女はウィルバートの表情を凝視しつつ、更に問いかける。
「あなたはそれ以上のことは何も聞いていない、ということですね?」
その質問に対して更にウィルバートが混迷の表情を浮かべると、彼女は視線をそらしつつ、彼の答えを待たずに再び口を開く。
「すみません、特に他意はないです。よろしくお願いします」
明らかに訳ありそうな顔ではあったが、そんな事情に対して首を突っ込んでもロクなことにならないことを知っているウィルバートは、微妙に嫌な空気のまま、何も言わずにそのままシリアとその侍女達と共に、大陸へと向かうために、港町オーキッドへと向かうことになった。
領邦国家アロンヌの東部に位置するヴァンベルグ伯爵領は、幻想詩連合の一員であると同時に、国主アントニアを初めとする聖印教会信徒の君主達が集う国として知られている。そのヴァンベルグの唯一の港町であるハルペルの領主アーノルド(下図)は、家系的にはヴァレフール貴族の血を引く一族の末裔であると同時に、オリビア領主であるコンドルセ家の遠縁でもあり、コンドルセ家の属領の一つであるライト村の領主ユリシスの従兄でもあった(なお、ユリシスがこの地の領主に赴任する前は、現当主アンリの次男フィリップがこの地を治めていた)。
先日、そのユリシスから、アーノルドに一通の手紙が届いていた。それは、オリビア城で開催予定のルイ・コンドルセとモニカ・ドロップスの結婚式の立会人として、現在ハルペルの近辺に滞在中の高名な神父であるルキアーノ(下図)を連れて来てほしい、という依頼であった。
ルキアーノ神父は、聖印教会内では名の知れた「領土を持たない君主」の一人であり、主に結婚式などの祭事を取り仕切ることを専門とする聖職者である。これまで数多くの結婚式を担当し、彼の目の前で愛を誓った者達は必ず幸せになれるとされ、破局した夫婦は一組もいないと言われている(ブレトランドでも、古くはワトホート夫婦、最近ではレヴィアン夫婦の結婚式を担当したことで知られていた)。当然、それほどまでの「縁起物」となると引く手数多の存在なのだが、幸運にも今回の結婚式当日は彼の予定が空いていたため、アーノルドが協力を打診すると、あっさりと了承を得ることが出来た。
そして、アーノルドの元にはもう一通、結婚式関連の書状が届いていた。それは、彼にとっての「初恋の人」でもあるシリア・D・インサルンドからの手紙である。要約すると「ゴーバンと会う機会が欲しいから、オリビア城での結婚式に連れて来て欲しい」という内容であった。
ゴーバン・インサルンド(下図)はシリアの長男(第二子)であり、現在は諸事情により、アーノルドが治めるハルペルの地で「修行中」の身である。今は実質的にアーノルドが「父親代わり」の役割を果たしていた(その経緯は
ブレトランド風雲録6および
ブレトランドの光と闇6参照)。ひとまずアーノルドは、ゴーバンを自室に呼びつける。
「なんだなんだ? また何か事件か?」
「いや、そうではない。まぁ、事件と言えば事件かもしれないが、めでたい話だ。君のお母さんから手紙が来てね」
その瞬間、ゴーバンは複雑な表情を浮かべる。
「え……? い、いや、俺、まだ帰らないからな!」
彼は名目上は「修行」としてこの地にいるが、実質的には「家出中」である。直接的に母親と喧嘩してる訳ではないが、彼の中には実家に帰れない「理由」があった。
「いや、すぐ帰れという話ではない。ただ、今度、アロンヌのオリビア城で、ルイ殿とモニカ殿の結婚式がおこなわれることになってな」
「あぁ、そうか。やっと決まったんだな。モニカ姉ちゃんも一年以上も先延ばしにされてたみたいだけど」
「ほう、知っているのか」
「モニカ姉ちゃんが国を出たのは、俺よりも前だからな」
そう考えると、確かに奇妙な話である。まさかモニカも、一年間も独り身のまま放っておかれるとは思わなかっただろうし、その間にゴーバンが隣国に修行(家出)で来ることになろうとは、予想出来る筈もない。
「その結婚式に、お前もついて来ないか、という話だ」
アーノルドのその発現に対して、ゴーバンは少し迷ったような顔を浮かべる。
「結婚式かぁ……。まぁ、あんまり興味はないけど、モニカ姉ちゃん、友達とかいないだろうしなぁ。俺くらいは行ってやらないとなぁ……」
実際のところ、ゴーバンもモニカとは特に仲が良かった訳ではない。気性は正反対であるし、会話も噛み合わない。ただ、それでも「親族」としての繋がりは感じていたし、「ゴーバンが家を出る理由となった事件」とも彼女は無関係なので、特段悪印象だった訳でもなかった。
「あと、モニカ姉ちゃんって、昔から色々と厄介事に巻き込まれやすいし、何かあった時には、俺が守ってやらないとな。どうせブレトランドの方もまだ色々ゴチャゴチャしてて、チシャ姉ちゃんも忙しいだろうし、リンナ婆ちゃんも病気らしいし、ウチの親族で他に来れる奴もいないんだろ?」
「あぁ。それで、君の母上も参列される、ということだ」
そう言われたゴーバンは、改めて複雑な表情を浮かべる。どうやら彼の中では、まだどこか母親と会うことに躊躇があるらしい。
「そ、そうなのか……。うーん…………、まぁ、いいや! とりあえず、俺はモニカ姉ちゃんを守るために行くから!」
「そうだな。安心させてやるといい。期日までに出発の準備を整えておくように、いいな」
こうして、翌日、ルキアーノ神父と共に、彼等はアロンヌへと向けて出発するのであった。
結婚式当日まであと二日に迫った頃、ローラとラファエルはオリビアの城下町へと辿り着いた。領主の御曹司の結婚式の開催に向けて住民達が沸き立つ中、町中には観光客向けの出店が立ち並び、そして街の中央広場には、美しい音色を奏でる紅のヴァイオリンを弾く青年(下図)の姿があった。
その優美な旋律に街の人々が聞き入る中、彼は視線の先にラファエルを見つけると、演奏を切り上げてラファエルに向かって歩み寄り、そして唐突に話しかける。
「おぉ、ラファエルか。大きくなったな!」
「え、えーっと、すみません、どちら様でしょうか?」
「あぁ、俺はな、ネネからの預かり物をモニカに届けるために来たんだ。そのついでに祝福の曲を披露するつもりなんだがな」
男は自分の身の上も名乗らぬままにそう言った。そして、唐突に「行方不明の母」の名が出てきたことで、ラファエルは驚愕の表情を浮かべる。
「ということは、母のお知り合いの方なんですか?」
「……チシャと同じ反応だな」
約一年前のやりとりを思い出し、楽士はニヤリと笑う。そして、ラファエルの傍らに立つ少女に対して、興味深そうな視線を向けた。
「隣のその娘は、アレか? お前の……」
「契約魔法師の、ローラさんです」
その名を聞いたところで、今度は楽士の方が驚いた様子を見せる。
「ローラ? ほう、ローラという名前なのか」
「はい、ローラ・リアンと申します」
ローラ自身がそう答えると、楽士は不思議な微笑を浮かべる。
「そうか、ローラか。それはまた、偶然にしては数奇な巡り合わせだな」
楽士にとって、それは「かつて愛した女性の名前」であり、ラファエルにとっては「まだ見ぬ祖母」の名前でもあるのだが、そんなことをラファエル達が知る筈もない(詳細は
ブレトランド風雲録4を参照)。
「まぁ、いい。結婚式の参列に来たのなら、またそのうち式場で会うことになるだろう」
そう言って、楽士は二人の前から去って行く。その後姿を、ラファエルとローラは何とも言えぬ表情で見送っていた。
「ローラさん、あの方、ご存知ですか?」
「いえ、初めてお会いしました」
「ですよね。何だったんだろう……?」
二人はそんな会話を交わしつつ、改めて城へと向かって歩き出した。
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同じ頃、別の方角の入口から、アーノルド、ゴーバン、ルキアーノの三人もまた、オリビアの城下町へと辿り着いていた。初めて来た町で物珍しそうに周囲を見渡しているゴーバンの目に、一人の「興味深い人物」が映る。
「なぁなぁ、あいつさ、あいつさ……」
ゴーバンは、自分の眼前にいる人物を指差しながらアーノルドに語りかける。
「こら、気になっても指差すのはやめなさい!」
「なんかあいつさ、すんげぇ強そうじゃね?」
そう言われて彼の指差した先にいる人物(下図)を見た瞬間、アーノルドは度肝を抜かれる。
そこにいたのは、傭兵団「暁の牙」の団長ヴォルミス。アトラタン全体でも十指(あるいは五指)に入るとも言われる剣技の使い手である。
「あれは、かの有名な『暁の牙』の団長……」
「え? そうなのか? ちょっと腕試ししてきていいかな?」
「こら! やめなさい!」
アーノルドはそう言って、全力でゴーバンの腕を掴む。ヴォルミスが何の目的でここに来ているのかは不明であるし、子供が突っかかってきた程度で真面目に相手をするような人物ではないと思いたいが、万が一、彼を本気で怒らせたら、一瞬にして首が飛びかねない。およそ気安く関わって良い相手ではない。
「そういうことは、まず私から一本取ってから言うものだ」
「保護者」にそう言われると、ゴーバンは素直に足を止める。アーノルドの本来の得物は弓であり、ゴーバンとはそもそも戦う土俵の違う相手なのだが、それでも、ゴーバンにとって最も有利な至近距離の間合いから稽古をしたところで、まだゴーバンの腕ではアーノルドには遠く及ばない。
「じゃあ、アーノルドならあいつに勝てる?」
「それが無理だから、言っているんだ」
真剣な表情でアーノルドがそう答えると、ゴーバンの中で更に好奇心が掻き立てられる。
「クレア師匠と、どっちが強いかな?」
いつの時代も、少年は「最強論争」が大好きである。「クレア師匠」とは、一時期ゴーバンに稽古をつけていた聖印教会の女騎士クレア・シュネージュのことであるが、実際のところ彼女もヴォルミスも、そのあまりの桁違いの実力故に、人前で本気で戦うことは滅多に無い以上、誰もその答えを出すことは出来ない。
なお、どうやらヴォルミスは街角で誰かと待ち合わせのために周囲を見渡しているようだが、今の時点であえて彼と関わる理由もない以上、ひとまずアーノルドはゴーバンの腕を引っ張って、ルキアーノ神父と共に、ヴォルミスがいない方の道を選んで王城へと向かうことにした。
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一方、城下町のもう一つの入口からは、ウィルバートに護衛される形で、シリアとその侍女達が到着していた。そんな彼女達が大通りを歩いて城へと向かおうとしたところで、その道の中央に人だかりが出来ている様子が、彼女達の目に留まる。その群衆達に取り囲まれるような形で、「金髪の女性」と「黒髪の女性」が口喧嘩を繰り広げていた。
「なんで、あんたの方が手切れ金が高いのよ! 私の方がルイ様にお呼ばれした回数は多いのに!」
「数よりも質でしょ? あんたと私の価値の差が金貨10枚なんて、安いくらいだわ」
「生意気言ってんじゃないわよ!」
金髪の女性がそう言って、黒髪の女性に向かって近くに転がっていた小石を投げつけるが、黒髪の女性はあっさりとそれを避ける。そして小石の軌道の先にはシリアがいたのだが、すぐさまウィルバートが割って入って彼女を庇う。さすがに邪紋使いであるウィルバートの身体にはその程度では傷一つつかないが、金髪の女性はそのことを謝ることもなく(というよりも、そもそも無関係の人に当たったことすら気付いていない様子で)、黒髪の女性に向かって殴りかかり、周囲の街の人々は笑いながらその二人の喧嘩を囃し立てている。
(関わり合いたくねえな……)
ウィルバートはそう思いつつも、一般人の痴話喧嘩のために道を変えさせるのは、身分のある貴婦人に対して失礼であろうと判断し、身を挺してシリアに危害が及ばないように「壁」となりつつ、そのまま野次馬達を押し分けながら、強引に真っすぐ王城へと護送することにした。その過程で、街の人々の噂話も耳に入ってくる。
「なぁなぁ、ルイ様、今度は何ヶ月持つと思う?」
「いやー、でも、あの新婦のお嬢さん、気弱そうな性格っぽいし、ルイ様が何しても許しちゃうんじゃないかな」
「あー、そうか。だからルイ様、あの人を選んだのかな」
そんな下衆な会話が聞こえてきたところで、ウィルバートはシリアの顔色を伺うと、彼女は微妙に険しい表情を浮かべている。シリアの侍女の一人は、恐る恐る彼女に声をかけた。
「大丈夫なのでしょうか? 噂通り、かなり女癖の悪い若様のようですが……」
ルイ・コンドルセに離婚歴があるという話は、彼女達も聞いている。しかも、その離婚の原因が「婿養子だったにもかかわらず、様々な女性の寝所に通い続けたこと」にあったという話も、彼女達の耳に入っていた。
「所詮、殿方とは『そういうもの』です。そうでしょう?」
シリアがそう言いながらウィルバートに視線を向けると、彼は淡々と答える。
「男でも女でも、ヒドいやつはヒドいでしょう」
そう言われた瞬間、シリアの脳裏には「かつて、婚約者がいたにもかかわらず、謎のヴァイオリン弾きと駆け落ちしようとした姉」のことが思い浮かぶ(その真相は
ブレトランド風雲録6参照)。無論、そのような事実をウィルバートが知る筈もない以上、別に自分の身内のことを揶揄された訳ではないのだが、それでも、これ以上この話を続ける気にはなれなかった。
「……まぁ、そうですね」
シリアがそう答えると、より一層彼女の周囲の空気が重くなっていくが、あえてそれ以上は誰も何も言わないまま、粛々と王城へと歩を進めていった。
やがて夕刻へと差し掛かろうとする頃、結婚式を二日後に控えながらもまだどこか憂鬱な表情のモニカを警護していたイェーマの心に「謎の声」が届く。
《聞こえますか、我が前世よ》
(え!?)
イェーマは思わず周囲を見渡すが、この部屋の中には自分とモニカしかいない。そして、モニカが喋っている様子もなければ、彼女はそもそもその声に気付いていない様子である。
《ようやく、私の声が届いてくれたようですね。ということは、他の星々が言っていた通り、星の仲間がこの街に近付きつつある、ということでしょうか》
その声の正体にも、話している内容にも、全く心当たりのないイェーマは混乱するが、その直後に今度は部屋の扉が開いて、新郎のルイが現れる。
「おぉ、麗しの我が花嫁よ。ご機嫌いかがかな?」
満面の笑みを浮かべながらルイが部屋に入って来ると、モニカは少し困ったような、怯えたような、そんな表情を浮かべるが、ルイは笑顔のまま語り続ける。
「色々とあなたには弟達のせいでご迷惑をおかけしてしまったのだが、もう安心だ。少々回り道をしてしまったが、それもまた人生。お互いに運命の人の存在に気付くのに、ほんの少しだけ時間がかかってしまった、というだけのこと。これから先、二人でじっくりと愛を育んでいきましょうぞ」
ルイはそう言いながら、イェーマに対して「ここは空気を読んで、二人きりにさせろ」と言いたそうな目線を送るが、一方でモニカは「お願いだから、二人きりにはさせないで」と訴えているような気がする。どうやら、モニカは今回の結婚に関して了承はしたものの、あからさまに軽薄なルイの口説き文句に対しては、どこか苦手意識があるらしい。もう結婚を決意した以上、彼のことを愛せるように努力しなければならない、と分かっていても、まだ生理的なレベルで心の整理がついていない様子である。
そんな板挟みの状態に立たせられたイェーマは、すっと目を伏せつつ、その場に立ち続ける。それは「護衛だから、この場を去る訳にはいかない」という無言の意思表示であった。自分と目を合わせようとしないイェーマを目の当たりにして、ルイは一瞬舌打ちしつつ、モニカにまた何かを告げようとしたところで、扉の外(廊下)から、一人の侍女が現れた。
「モニカ様、ラファエル・ドロップス様が到着されました」
その報告を聞いた瞬間、ルイは水を差された気分になりながらも、モニカの前で不快な表情を浮かべる訳にもいかないので、気持ちを切り替える。
「ふむ、そうか。ならば、我が新たな弟君にも挨拶しなければな」
ルイはそう言って、侍女にラファエルをこの場に連れてくるように命じる。少し安堵した表情をモニカが浮かべる中、やがて侍女がラファエルを連れて戻ってきた。
「おぉ、あなたがラファエル殿で……」
そこまで言いかけたところで、ルイはラファエルの隣に立つローラの姿に気付いた。
「おぉぉぉ、おま、お前は! あの時の!? なぜ、お前がここにいる!? そうか、あいつか! あいつの差し金か!?」
ルイがそう言いつつ、微妙に後ずさりしていくのに対し、ローラはローラで、かつて彼が聖印教会の面々と親しくしていた時の記憶が思い浮かび(実際には、あの時は成り行きで聖印教会の一派と手を結んだだけで、ルイ自身は聖印教会の信徒でも何でもないのだが)、怯えるようにラファエルの後ろへと下がる。彼女は異界の女神「ヘカテー」を信仰する一族の出身であり、聖印教会とは不倶戴天の敵同士なのである。
ここに来るまでの間にローラからその時の事情を聞いていたラファエルが微妙な表情を浮かべる一方で、モニカは何が起きたのか分からないまま困惑する中、ひとまずイェーマはラファエルとローラに挨拶する。
「護衛のイェーマです。ラファエル様と、その契約魔法師のローラさん、でしたっけ?」
「あ、はい。ラファエルです」
「ローラです、よろしく」
この時、ローラは自身が隠し持っているヘカテーの聖章(ホーリーシンボル)が、目の前のイェーマに反応して微かに揺れていることに気付く。
(!?)
ローラにはその反応の意味が分からない。これまで、彼女の聖章がこのような反応を示したことは一度もなかった。だが、そこから感じられる微妙な波動は、彼女の中で「言い表し様のない程の嫌な予感」を沸き立たせていた。
一方、ルイはようやく気持ちを落ち着かせて、今のこの状況を整理する。
「そうか、契約魔法師殿、か……」
まさか結婚相手の弟の契約魔法師が、彼にとっての宿敵である「あの女」の義妹であろうとは、全くもって想定外だった。だが、さすがにそのことを理由に今更婚約を解消する訳にもいかない。その上で、ルイは無人島での「思い出したくない出来事」を必死で思い返してみる。
(こいつは「あの連中」の中では、まだ「まともな方」だったな……)
実際、彼女は怒り狂う義姉を抑えた上で、ルイに対して「人として最低限度の尊厳」を保証しようとしていた。そして、彼女も義姉もブレトランドの君主と契約を交わしている以上、仮に自分とラファエルが義兄弟の関係になったとしても、直接的に干渉してくる可能性はきっとおそらく少ないであろう、とルイは自分に言い聞かせる。
そんな思いを抱えながら、ひとまずルイがその場から退散すると、ラファエルはそんな彼を微妙な表情で見送りつつ、気持ちを切り替えて、モニカに対して笑顔で語りかける。
「姉さん、お久しぶりです」
それに対して、モニカは少し疲れたような雰囲気を醸し出しながらも、ルイがいなくなったことで安堵した表情で答える。
「ラファエル、元気そうで何よりだわ」
「姉さんは、あんまり、元気そうではないですね……」
「あ、いや、大丈夫。心配しないで。大丈夫だから。大丈夫だから……」
その様子から、明らかに彼女が「大丈夫」ではないことは、その場にいる全員が推察する。そして、その直後に今度はまた新たな来客を侍女が連れてきた。ゴーバン、アーノルド、ルキアーノの三人である。
「よ! 久しぶりだな!」
ゴーバンがそう言って部屋に入って来ると、微妙な空気だったモニカとラファエルの表情が一瞬にして和らいだ。二人にとってゴーバンは「主君筋の従弟」という微妙な関係だが、幼少時からいつも元気に誰にでも絡みに行くゴーバンは、二人にとってはどこか癒やされる「愛すべき弟分」でもある。
久しぶりに会った親族同士で和気藹々と談笑を始める中、彼と共に入室したルキアーノ神父は、イェーマを見るなり、目を見開いて驚く。
「あなた、もしかして……、イェーマですか!?」
「え? あれ? 私のことをご存知でしたか?」
イェーマがそう言って困惑する中、アーノルドも横から口を挟む。
「おや、ルキアーノ殿、お知り合いですか?」
少なくとも、この地に来るまでルキアーノ神父は「現地に知り合いがいる」とは一言も言っていない。それだけに、少々驚いた様子であったが、神父はそのままイェーマに対して語り続ける。
「あの孤児院が無くなったと聞いて心配していたのですが、ご立派になられたようで……」
感慨深そうな声色でそう語る神父であったが、イェーマには全く彼の記憶はない。この口ぶりからして、幼少期の自分のことを知っているようだが、果たしてそれが孤児院に預けられる前なのか後なのかも見当がつかない状態である。
そんな中、部屋の外の廊下から、一人の従者の声が聞こえてきた。
「神父様、こちらで御領主様がお待ちです」
「あぁ、失礼。ではまた」
そう答えて、神父はその場から去って行った。おそらくこれから、結婚式の段取りについての打ち合わせがあるのだろう。特に新婦との間で事前に確認すべきこともない以上、彼としてはこの場に長居する理由はなかった。
一方、アーノルドは自身の「籠手」がイェーマに対して特異な反応を見せていることに気付く。
(なんだ、あの聖印は……?)
そんな声が、アーノルドの心に響き渡った。その声の主は「籠手」である。アーノルドの家系に代々伝わるこの「コンドール」という名の籠手は、かつて英雄王エルムンドが用いていた「五つの銀甲」の一つであり、聖印の力によって作り出された「魂」が宿っている。コンドールは困惑した状態のまま、アーノルドの心の中で語り続けた。
(この者は確かに君主。だが……、得体の知れない不気味さが感じられる……)
(「護衛の彼」からか?)
(あぁ、彼からだ)
(……少し、注意して見ておくことにしようか)
アーノルドはコンドールとの間でそんな会話を心の中で交わしつつ、そのことを気取られぬよう、あくまでも平然とイェーマに挨拶する。
「神父様と、モニカ殿の従弟ゴーバン・インサルンドの護衛、アーノルドと申す」
「護衛のイェーマです。よろしく」
そう言って答えるイェーマの様子を見る限り、特段怪しげな人物には見えない。まだあまり世間なれしていない、朴訥な青年剣士、といった様相である。現時点ではイェーマは聖印も見せてはいないため、傍目には君主かどうかも分からない。コンドールの声がなければ、むしろ邪紋使いか何かだと勘違いされそうな雰囲気ですらある。
一方、イェーマの方はアーノルドに対しては特に何の違和感も抱かぬまま、先刻のルキアーノの言葉と、そしてその前に自分の心の中に響き渡った「謎の声」のことが気掛かりな心境だったのだが、今度はそんな彼の目の前に「はっきりと見覚えのある人物」が現れる。
それは、また別の侍女によってこの部屋へと案内された「傭兵仲間」のウィルバートであった。彼の隣には、モニカの伯母であるシリアの姿が見える。十数年ぶりに「初恋の人」を目の当たりにしたアーノルドの胸中に様々な想いが沸き起こる中、モニカが彼女に声をかける。
「伯母様、わざわざブレトランドからお越し下さり、ありがとうございます」
モニカがそう言って頭を下げると、シリアは姪御のやや疲れたような様子を目の当たりにして「嫌な予感」が過るものの、まずは素直に祝辞を述べる。
「モニカ、色々とあったようですが、ようやく嫁ぎ先が決まって何よりです」
「はい……」
そう答えるモニカであったが、その彼女の様子は、彼女とは初対面のウィルバートの目にも、明らかに情緒不安定な様子に見えた。
一方、そのウィルバートに対して、ラファエルがやや躊躇しつつも声をかける。
「あなた、確かあの時の……」
実はこの二人には奇妙な因縁がある。一年前のブラフォード動乱の際、「暁の牙」に偽装したアントリア軍を率いたウィルバートは、当時ラファエルが留守居役を務めていたマーチ村を通過して、当時ガスコイン領であったケイへと援軍に向かった(詳細は
ブレトランド風雲録10参照)。この時点でのラファエルは「原因不明の体調不良」で病に臥せっていたため、直接面会することはなかったが、ウィルバート達が撤退してアントリア領へと戻ろうとした際に、一瞬だけ顔を合わせている。
当然、ウィルバートもその時のことは覚えているが、ここは公的な場であり、あくまでも自分は「要人の護送」のためにこの地に来ている以上、その要人の縁者との余計な因縁を表に出す訳にはいかないため、あえてその言葉に対して何も反応しようとはしない。ラファエルの側も、彼があくまで「傭兵」としてこの場にいることは理解出来たので、あえて彼が無反応を決め込むのであれば、それ以上は何も言わなかった。
そしてイェーマもまた、同胞のウィルバートが目の前にいるとはいえ、さすがに今は公務中ということで、あえて声をかけようとはしない。そんな中、ゴーバンは母であるシリアに近付き、小声で語りかける。
「なぁ……、ちょっと、いいか……?」
彼はそう言うと、母親の手を引いて、他の面々から少し離れた、部屋の隅へと連れて行く。おそらく何か秘密の会話を交わそうとしていることを察したアーノルドは、その場を動かないまま、密かに耳を傾けた(当然、彼としては、二人の話の内容が気にならない筈がない)。
「ドギのことは、知ってるんだろ?」
「えぇ……。だから、あなたの気持ちも分かります」
「ドギ」というのがゴーバンの弟の名であることは、アーノルドも知っている。だが、ドギのことについては、ゴーバンはあまり深く語ろうとはしない。おそらく何か深い事情があることは察していたが、その詳細まではアーノルドは聞かされていない。だが、やはりそれが「家出」の原因なのであろうと、改めてこの会話でアーノルドは確信した。
「俺は、帰らないからな。『あいつ』を連れ戻すまで!」
「それでいいです。ただ、命を粗末にすることだけは、やめて下さい。そして、周囲の人々の意見を聞いて下さい。あの人のようにだけは、ならないで……」
そんな二人の会話の意味は、アーノルドには分からない。また、実は密かにウィルバートの耳にもこの会話は聞こえていたのだが、彼はアーノルド以上に何も知らないため、ここから何も推察出来る筈もなかった。
こうして、それぞれに複雑な過去と因縁を胸に秘めながら、やがて親族達が諸々の会話を交わした後に、賓客達はそれぞれの城内の客室へと案内される。なお、モニカの親族三人の他に、ラファエルの契約魔法師であるローラと、コンドルセ家の親戚でもあるアーノルドも「賓客」扱いであったが、ウィルバートはあくまでも「シリアの護送」のために雇われた立場であったため、この時点で実質的には「往路の任務」を完了したという扱いとなり、結婚式が終了するまで、町中の宿屋の一室を与えられることになった。
久しぶりに親族達と会ったことで、モニカは少しだけ顔色が良くなったように見えた。だが、それでもまだ完全に晴れやかな表情になったとは言い難い。
「色々と苦労をかけるかもしれませんが、あと二日間、よろしくお願いします」
そう語る彼女に対し、イェーマは心配そうな声で語りかける。
「大丈夫? ただ疲れてた訳じゃなさそうだけど、やっぱり、結婚相手が……」
さすがに「嫌?」と直接的に聞く訳にはいかないため、イェーマは言葉に迷うが、彼の言いたいことはモニカにも伝わっていた。
「正直、あの人に関しては、私にはよく分からないというか……、でも、多分、私が生きていける場所は、ここしかないんです。お爺様が私をこの地に嫁がせようとしたのは、表向きは政略結婚ということになっていますけど、実は……」
そこまで言いかけたところで、モニカの心の中で「この人に、これ以上話して良いのだろうか?」という疑念が湧き上がる。別に、機密事項という訳ではない。だが、「あと二日で契約が切れる相手」に対して、自分の身の上話をして何になるのだろう? という気持ちが彼女の中で広がっていく。しかし、それでも、誰かに心の内を語りたい、という衝動を抑えきれなくなった彼女は、そのまま語り続けた。
「……あなたが気付いているかどうかは分かりませんけど、この土地は、普通の土地に比べて、混沌濃度が低いんです。なので、私のこの『混沌を呼び寄せる体質』を分かった上で、周囲に迷惑をかけないようにするには、このような土地に嫁ぐのが良いと思ったのでしょう」
実際、オリビア城周辺の地域は、なぜか他の土地に比べて混沌濃度が低い。その要因に関しては、一節によれば「数百年前にこの地域に降り立った異界の神々」がもたらした加護の影響ではないかとも言われているが、真相は不明である。
「混沌に魅入られた私では『聖印』を受け取ることも出来ない。かと言って、姉様のような『魔法師としての才能』もない。私が生きていくことが許されるのは、このような特別な力が働いた地しかない。お祖父様はそう思って、私をこの地に嫁がせようとしてくれた。でも、そんな私を嫌がって、城主様にとって大切なお子様が二人もいなくなってしまって……。だから、こんな私でも受け入れると言って下さったあの方のご厚意に報いなければ……。あの人に見捨てられたら、私にはもう、居場所はないんです」
イェーマとしては彼女の境遇に同情しつつも、今の「一人の傭兵」としての自分に出来ることはない。もっとも、彼を「一人の傭兵」としてではなく、「一人の男性」として見れば、様々な選択肢が理論上は存在するのだが、少なくともこの時点で、イェーマの中には「そのような感情」は存在しなかった。そして、そのことはモニカもまた分かっている以上、あまりこの話をイェーマとの間で深めるつもりはなかった。
「とはいえ、私がそこまで疲れているように見えるのであれば、私はもう寝ます」
「そうだね。ただ、覚えておいてほしいのは、君は自分の居場所が無いって言ってたけど、僕は君の味方だ」
その言葉は、モニカの心に深く突き刺さる。それはモニカに一瞬の幸福感をもたらしたが、彼女の中の理性が、すぐに彼女を「現実」へと引き戻す。
「そうですね。『あと二日』は、私の味方でいて下さい」
「いや、ずっと味方でいるよ!」
その言葉は、モニカの心の更に深層を揺り動かす。だが、それでも彼女は自分の中で「甘えてはいけない、夢を見てはいけない」と言い聞かせながら、平静を装いつつ、視線を横にそらしながら答えた。
「でも、私個人にはあなたほどの方を雇い続ける資金はないですし……」
実際のところ、彼女がルイに嫁いだ後、「彼女が自由に使える金」がどれほど与えられるかは分からない。ただ、イェーマがそれほど法外な報酬を要求しない限りは、領主婦人が護衛一人を雇い続ける程度のことは認められるだろう。そして、イェーマはこの一年間、特に危険もなく高い護衛費を受け取り続けて、特に散財する機会もなかったため、現状金に困っている訳でもない。
むしろ、モニカの本音としては、イェーマをこれ以上雇い続けられない理由は他にあった。
(これ以上、この人が私の近くにいたら、私はきっとこの人のことを……。それは駄目! 絶対に許されない! あの人に嫁ぐと決めた以上、私はあの人を愛さなければならない……。そのためには、これ以上、この人に甘える訳には……)
モニカがそんな葛藤に揺れる中、イェーマは彼女にこう言った。
「一年も一緒にいるんだから、そんなすぐに見捨てたりはしないよ。契約とかは抜きにして、これは一人の『友人』として話しているだけだから」
イェーマの「友人」という言葉に対して、モニカは一瞬、何とも形容しがたい微妙な表情を浮かべるが、その表情の奥にある彼女の真意は、イェーマには全く伝わらなかった。
「今日はもう夜遅いから、僕も帰るとするよ」
そう言って去って行くイェーマの背中を見送りつつ、モニカは改めて自分に問いかける。
(何をがっかりしているの? 「友人」と言ってもらえただけでも、感謝すべきことじゃない。こんな疫病神の私のことを、真剣に心配してくれてる。それだけで、本当は心から感謝しなきゃいけないのに……。どうして……、どうして私は、いつからこんな欲張りな人間に……)
モニカの部屋を去った後、アーノルドはシリアの客室を訪れていた。彼女の方も、アーノルドに言いたかったことがあったようで、快く迎え入れる。
「ゴーバンを連れて来てくれて、ありがとうございます」
「母」として丁重にそう言って頭を下げるシリアに対し、あえてアーノルドは子供の頃のような口調で語りかける。
「もともと私の方でも、神父様を連れてくるという依頼があったんだ。どっちにせよ、ここには来ていたよ。それより、久しぶりだね、シリア」
その語り口に、シリアは表情を和らげ、彼女もまた「一つ年下の幼馴染」に対して、昔に戻ったような心持ちで答える。
「あなたもすっかり、立派な領主になったみたいね」
「まだまださ。しかし、ゴーバン君は相変わらず、そちらには帰りたくないという様子だ」
その言葉に対し、シリアは少し悩ましい表情を浮かべながらも、素直に今の自分の心境をそのまま語り始める。それは、ヴァレフールの王族の一員として、決して公的な場では語ることが出来ない「弱音」であった。
「正直、私は、妻としても母としても、勤めを果たせたとは言えなかった。だから結局、ゴーバンを止めることも出来なかった、ということになるのかしらね……」
物憂げな表情で語るシリアに対して、アーノルドも悩ましい顔を浮かべつつ答える。
「すまない、私もそちらの事情は知らないことが多いから、あまり多くのことは言えないが……、彼を預かること以外にも、私に出来ることがあったら、遠慮なく言ってほしい」
真剣な声色でそう言われたシリアは、逡巡の想いを抱えつつも口を開く。
「それは……、今でも十分、迷惑をかけているし、私が言えた義理ではないけれど……」
シリアはそう断りつつ、自分が「悪い女」になっていることを自覚した上で、あえてアーノルドの善意に甘えることにした。
「……死んだあの人も、父親として、彼に道を示すことは出来なかった。だからと言って、あなたに父親代わりを押し付けるというのは、筋が通らない話だと思うけど……、でも、あなたが君主として道を示してくれれば……、あなたならきっと、ゴーバンを正しい方向に導いてくれるんじゃないかと、勝手ながら思ってる」
実際のところ、シリアは幼少期のアーノルドが自分に対して一定の好意を抱いてくれていたであろうことは、薄々察している。彼女は子供の頃から美姫として有名だったこともあり、同世代の少年達からは何度も想いを告げられては「私はいずれ伯爵家に嫁ぐよう、父から命じられていますから」と断り続けてきた。アーノルドは彼女に対して一度も明確にその気持ちを伝えたことはないものの、シリアはアーノルドから、そんな少年達と似た空気を感じ取っていたのである。
無論、あくまでもそれは子供の頃の話であり、今でもアーノルドがその時の気持ちを抱き続けてくれているとは思っていない。だが、いずれにせよ、過去の自分に対して恋心を抱いてくれていたかもしれない男性に対して、「自分と他の男性との間の息子」を押し付けるということは、やはり彼女の中では罪悪感が生まれてしまう。だが、今は「女としての罪悪感」よりも「母親としての判断」を優先すべきと彼女は考えていた。少なくとも彼女は、ゴーバンの成長のために必要な「父親役」として最適なのは、間違いなくアーノルドだと確信していたのである。
「そうなるよう、日々努力しているつもりだ。とは言っても、僕も彼には色々と気付かされてばかりだよ。本当に、こういう機会があって良かったと思っているんだ」
笑顔でそう答えたアーノルドに対し、シリアは心の底から感謝しつつ、これ以上この話を続けていると、「彼に対する更なる願望」が生まれてしまうかもしれない、と考えて、ひとまず話題を切り替えることにした。
「それはそれとして、ここの若様の評判は聞いてる? 街中で悪い噂は色々と聞いたわ。どうなのかしらね? 貴族の男性ということであれば、そりゃあ、寄ってくる女性も沢山いるでしょうけど……」
そう言われたところで、アーノルドも反応に困る。彼はコンドルセ家とは遠縁の関係ではあるが、アンリやルイとは直接的な接点はない以上、その実情はよく分かっていない。そして「貴族の男性」の一般的な性倫理がどうなのか、ということに関しても、長年清貧な生活を続けてきたアーノルドには、答えようがなかった。
「ウチの人の場合は、色事よりも殺し合いの方が好きな人だったから、あんまりそういう話は聞かなかったけど……、それでも、私だって全てを確認している訳じゃない。私の子供以外にも、あの人の子供がどこかにいるのかもしれない」
実際のところ、ヴァレフールの伯爵家においても、昔からそういった噂話はいくらでもある。彼女の義父であるブラギスもまた、自身の契約魔法師に娘(ヴェラ)を産ませていたが、実際には他にも隠し子がいたという説もある(その一人については
ブレトランド風雲録6参照)。傍若無人で知られたトイバルであれば、好き勝手に妻以外の女性を孕ませることがあったとしても、誰も驚きはしないだろう。
「そんなことは、ない、だろう、きっと……」
アーノルドが、どんな顔で答えれば良いか分からぬまま微妙な声色でそう呟いたところで、ふとシリアは思いついたことをそのまま口にする。
「そういえば、あなたはまだ独身なの?」
一瞬の沈黙が走る。そして直後に、シリアは自分が軽率に個人の領域に踏み込むようなことを(しかも「かつて自分を好きでいてくれたかもしれない相手」に対して)口走ってしまったことに気付いた。
「あ、ごめんなさい、そうね、それは色々、それぞれの人生観があるからね……」
「いや、そういうのじゃないんだ。ちょっと早合点しないでくれないかな」
アーノルドが言うところの「そういうの」が何を意味しているのかは不明だが、どうもあらぬ誤解を招いたと彼は考えたらしい。とはいえ、さすがに今のこの場で彼女に対して「本音」は言えないため、ひとまず話題をそらす(元に戻す)ことにする。
「ま、まぁ、とはいえ、その、なんだ、恋多き男性が、伴侶を貰った途端に一途になる、ということもあるらしいじゃないか。そうなることを期待するしかないんじゃないかな。決まってしまった今となっては」
「そうね、確かに……」
「じゃあ、遅くなってきたことだし、今夜はこれで」
「えぇ。あなたも、ゆっくりお休みなさい」
こうして、アーノルドはかつての想い人の客室から去って行く。そんな彼の背中を、シリアは複雑な想いで見送るのであった。
イェーマがモニカの私室から出て、城内に設置された彼自身の私室へと戻って来ると、そこに現れた一人の男性が、イェーマに声をかける。
「よぉ!」
ウィルバートである。イェーマと同世代(一歳年上)であり、幼少期から共に「暁の牙」の中で傭兵達に囲まれて育った、兄弟分のような関係であった。彼はひとまず任務を終えたところで、イェーマに会うために(城内兵士達からイェーマの部屋の位置を聞いた上で)彼の部屋の前で待っていたのである。
「おぉ、久しぶり、だな」
イェーマはそう答えた。その声色や口調は、公的な場で雇い主達と会う時とも、モニカと二人きりの時とも異なる。おそらく、これが幼少期から荒くれ者達と共に過ごした「傭兵としてのイェーマ」の素の状態なのだろう。きらびやかな雰囲気の城内では封印していた彼の「無骨な戦士」としての一面が、ウィルバートと再会したことで解放されたのかもしれない。
「本当に。一年ぶりだもんな」
「こっちも色々あってな」
「そうだな、ここでちょっと話をしたいんだが……」
「じゃあ、近くに酒場があるから、行くか」
そんな会話を交わしつつ、二人はイェーマの行きつけの城下町の酒場へと向かうことにした。
******
酒場内は、結婚式を見物に来た近隣の村々の住人達で賑わっていた。まだ二日前の時点でこの調子なので、おそらく当日までにはもっと多くの人々が集まることになるだろう。二人は小さな食卓に向かい合わせで座りながら、それぞれ酒瓶を片手に語り合う。
「で、どうしたんだ?」
「いや、まぁ、仕事の関係で依頼人をこの街まで送ってきた訳だけど、久しぶりにお前の顔が見れたから、ちょっと喋りたいなと思ってな」
「確かにな。それにしても、もう一年か。長いな……」
「本当ににな。この一年、俺もヒドいことばかりあった……」
「そっかぁ。なんというか、大変だったな。俺は特に何もなかったが……、そういえば、顔付きが変わったな」
イェーマがそう言うと、ウィルバートは改めてこの一年の諸々に思いを馳せ、複雑な表情を浮かべる。
「そうかもしれない。この一年、無駄に修羅場をくぐってきたからな……」
「で、今回は護衛だろ? こちらとしては、護衛が増えるのはありがたい話だ」
「あぁ……。そういえば、どうよ? 旦那さんは?」
「旦那さん? あぁ、アイツ……、あ、いや、あの方か」
さすがに新郎のことを「アイツ」呼ばわりするのはまずいと思ったのか、すぐにイェーマは言い直す。その上で、ウィルバートに顔を近付けつつ、周囲の客達に聞こえない程度の小声で「本音」を伝える。
「正直、あまり良くないとは思うけど、俺はあくまでモニカ様の護衛だから、モニカ様がそうしたいのであれば、止める権利は今のところ俺にはないと思う。それが正しいのかどうかは分からないけど……、まぁ、依頼だから、守りはする。もちろん。まぁ、嫌なら……、あ、いや、なんでもない」
実直なイェーマが珍しく口籠もる様子を見て、ウィルバートも、あまりこの件に関しては深くは突っ込まない方が良いと思いつつ、微妙に話題を変える。
「今回は、団長も直々に来てるからな」
「団長も!?」
「あれ? 聞いてないのか? まぁ、とにかくそういう訳だから、団長の顔を潰すような真似はするなよ」
「あ、あぁ……。というか、今回は団長が来るほどの大事なのか?」
「俺も、その辺りの事情についてはさっぱり分からん。普通は来ないと思うんだが……」
ゲイリーは「お気に入りのイェーマの様子を見に行きたいんじゃないか」と考えていたようだが、さすがにそれだけの理由では動かないだろう。シリアの様子を見る限り、彼女との間でも個人的に何らかの因縁があるように思えたが、その件について考えたところで余計な厄介事が増えるだけであろうし、あえてイェーマに伝える気もない。
「だよな……。だが、わざわざ団長が来るというのなら、警戒を強めておくことにするか」
「あぁ、あんまりのんびり飲み食いしている訳にもいかないな。お互いに注意しよう」
そう言って、二人は手元の酒瓶を飲み干したところで店を出て、それぞれの宿舎へと帰還することにした。
やがて夜が更け、夜空を美しい月が照らし、城内の客室で寝支度を整えていたローラのベッドに月光が差し込み始めた頃、彼女の脳内に「一人の女性の声」が響く。
それは、彼女が崇める異界の女神ヘカテーの声であった。
「あの青年、危険な存在です……」
それが、女神の第一声である。ローラが女神の声を聞くのは約半年ぶりであり、そして、女神の声が聞こえる時は、決まって「良からぬ出来事」が起きる時であった。
おそらく、女神が言うところの「あの青年」とは(聖章の反応から察するに)イェーマのことだろう。自分の契約相手であるラファエルの姉の護衛を務めている彼からは、ローラ自身は特に不吉な気配を感じることもなかった。だが、彼の存在そのものが危険だというのなら、ローラとしても何らかの覚悟を持って対処法を講じる必要がある。ローラは女神の意志を確認すべく、そのまま彼女の話に聞き入った。
「……彼のことは絶対に、生かしておかなければなりません」
そう言われた瞬間、ローラは一瞬混乱しつつ、あえて聞き返す。
「生かしておかなければならない?」
「危険な存在」と言われた直後にそう言われれば、聞き間違えたかと思うのも当然だろう。だが、女神はそのまま話を続ける。
「彼が死ぬと、おそらく、あの聖印が崩壊した時点で、『極めて危険な何か』が発生します」
聖印と混沌核は元は同じ存在である以上、君主が何らかの形で命を落とした場合、確かにその聖印は消滅し、その空間には混沌核が発生する。しかし、その混沌核からどのような投影体が出現するのかは、普通は分からない。仮に、その聖印が形成されていく過程で「かつて巨大な混沌核だった存在」を浄化吸収したことがあったのだとしても、それが「聖印の一部」として取り込まれた時点で、元の投影体としての性質は完全に失われる筈である。少なくとも、それが「通常の聖印」であるならば。
「彼の聖印はおそらく、本来は『非常に危険な投影体』を無理矢理封じ込めるために作られた聖印なのではないかと思われます。しかも、それはおそらく私と同じ世界から投影された、非常に危険な存在である可能性が高いです」
どうやらこの女神は、イェーマに宿っている聖印は「通常の聖印」とは異なる特殊な存在であると考えているらしい。そして、聖印が混沌核となった時点で、それを誰か他の君主が浄化吸収することも出来ないまま、即座にその「危険な投影体」が出現する、というのが彼女の憶測のようである。
「そうなんですか……」
ローラはそう呟くが、現状において、その神託が必ずしも正しいとは限らない。少なくとも、この女神は過去に「自分にとっての主神」と「主神と同じ名を持つ、全く別の世界の玩具のオルガノン」を混同した前科がある以上(
ブレトランドと魔法都市1)、その言葉をそのまま額面通りに受け取って良いかどうかは分からない。そもそも、まだ実際にイェーマの聖印を見たこともない状態において、何を根拠に女神がそう判断しているのかも不明である。
とはいえ、いずれにしても「不吉な予兆」であることは間違いないだろう、ということだけは、過去の経験上、ローラとしても確信出来る。ヘカテーが自らローラに語りかける時は、いつも決まって「ろくでもない事態」が起きる時ばかりであった。
「傭兵という立場であれば、いつ命を落とすかは分かりません。問題は、彼がそのことをどこまで自覚しているか、なのですが……、少し、気をつけておいた方が良いでしょう」
実際のところ、ローラが見た限り、イェーマは自分自身が特殊な存在だと認識しているような青年には見えなかったし、この城内での扱いを見る限り、周囲の人々も、彼のことを「ただの一人の傭兵」としてしか認識していないように見えた。
その意味では、イェーマに対して何やら思わせぶりなことを言っていた神父だけは、彼の中に何かを見出しているように見えたが、さすがに異界の投影体を「女神」として崇めているローラとしては、自ら率先して聖印教会の神父に話を聞きに行く気にはなれない(なお、アーノルドの「籠手」が反応していたことに関しては、彼女は何も聞かされていないので、知る由もない)。
「分かりました」
ローラがそう答えると、彼女の脳裏から女神の気配が消える。またしても厄介な事態が自分の周囲で発生しつつあることを自覚した彼女は重苦しい気分を抱きつつ、改めて日課の「女神へのお祈り」を済ませた上で、ひとまず就寝の床につくことにした。
城全体が夜に包まれ、住人達も来客達もその大半が寝静まった頃、イェーマの夢の中に「謎の声」が聞こえてくる。それは、先刻ローラの部屋で聞こえてきた声と同じ響きを放っていた。
《聞こえているのですよね? 私の声が》
夢の中で唐突にそう問われたイェーマは、その謎の声の主に対して叫ぶ。
(誰だ!?)
《私は「あなたの来世」に相当する者です。「天勇星」と呼ばれていますが、あなたにとっては名前はどうでも良いものでしょう。私があなたに伝えるべきことは……》
夢の中のイェーマが混乱した状態のまま、その「謎の声」は話を続ける。
《……このままではこの世界は崩壊する、ということです》
(えぇ!?)
さすがに、唐突すぎるその宣言に対して、イェーマは更に困惑を深める。
《ブレトランドの民ではないあなたがご存知かどうかは分かりませんが、「大毒龍ヴァレフス」という存在について聞いたことはありますか?》
(ヴァレ……?)
イェーマには全く聞き覚えがない。彼の中で「ブレトランド」という地名は「モニカの故郷」という程度の認識でしかない。そして彼女がイェーマに対してそんな「昔話」をあえて語るような機会もなかった以上、知る由もなかった。
《数百年前にこの世界を危機に陥れた、ブレトランドで出現した巨大な大毒龍です。それがもう一度、この世界に蘇ろうとしています》
そう言われても、今ひとつ事態の深刻さが理解出来ずにいるイェーマであったが、その「天勇星」と名乗る謎の声は、そのまま話を続けた。
《私は、今、この世界を『星』として照らしています》
(星?)
《私は元々は『あなた』でした。あなたが、これから数年後か、数十年後かは分かりませんが、命を落とした後、星界(Starry界)という世界に転生した後、今から約2000年のこの世界に「投影星」として現れた存在。それが私です》
その説明を聞いても、イェーマとしては即座に全容を理解することは出来ない。ただ、君主として、最後の一節で語られた「投影星」という言葉が気になった。
(つまり、お前は投影体なのか?)
《そうです》
(俺は将来、投影体になるのか?)
《正確に言うと「あなたの来世」が、です。「来世」という考え方が正しいのかどうかは知りませんが、私は他の言い方を知りません》
(なるほど……)
まだ完全に理解出来た訳ではないが、ひとまずそのまま話を聞くことにした。
《その上で、私には前世、つまり「私があなたであった時」の記憶は殆どありません。だから、詳しいことは分かりません。ただ、感覚的に一つ言えることは、あなたは間違いなく「私の前世」である、ということです。あなたは夜空を見上げた時、他の人には見えない星が見えていますよね?》
(あぁ、そう言えば……)
《それが、元は八つ。その星の数が、最近になって増えてきている筈です》
確かにイェーマは子供の頃から、「他の人には見えない特殊な輝きを放つ八つの星」が見えていたし、その数はここ数日の間に急速に増えつつある。厳密に言えば、増えた星々の中には「最初から存在していた八つの星」と同じ輝きの星もあれば、色合いが異なる星もあったのだが、いずれにせよ、それらの正体についてはこれまでずっとイェーマの中では謎のままであった。
そして天勇星はイェーマに対して、自分達と大毒龍のこれまでの戦いについて語る。かつて星界に大毒龍が出現し、108星の力を結集して倒したこと。その大毒龍の投影体が「約2000年前のシャーン(大陸極東地方)と「約400年前のブレトランド」に出現したこと。最初の投影の時は、同時に出現した108星が「異世界(天界→地球)に再転生した自分達の分身」を召喚することで倒したこと。二度目の投影の時は当時のブレトランドで戦っていた「英雄王エルムンドと七人の騎士」に八星の力を託し、残りの百星は「名を知られていない一人の魔法師」によって大毒龍に叩き込むことで、どうにか倒したこと。そして、残った八星が「イェーマ以外の人々の目には映っていなかった八星」であるということ。
だが、「英雄王エルムンド」の伝承も知らないイェーマには、この話を聞いても、今ひとつしっくり来ていない様子である。とはいえ、それは天勇星にとっても大した問題ではない。より重要なのは「過去を知ること」よりも「未来を築くこと」なのである。
《まだ実感はないかもしれませんが、あなたには「私の力」を受け取ってほしい。というよりも、「私の力」をあなた自身の手で、この場で作り出してほしいのです。そのために、あなたの望む「理想の未来」を思い描いてほしい》
なぜ自分にそのような力があると言えるのか、その根拠がまだよく分かっていないイェーマであったが、ひとまず彼は、その要望に対する疑問を率直に投げかける。
(望む未来か……。ざっくり言うとそれは、願いを叶えるため、ということか?)
《そうですね。あなたがこの世界で実現したい未来、です》
天勇星にそう言われたイェーマは、少々悩み始める。実際のところ、今のイェーマにはこれといった「我欲」や「野望」がない。自分自身のために叶えたい願い、というものが、具体的に思いつかなかった。
(それは、他人の未来でもいいのか?)
《問題ないです。世界そのものの未来でもいいですし、誰か個人の未来でもいいですし、不特定多数の人々の未来でも良いです。あなたがこれから先、作り上げたい未来です》
(作り上げたい未来、か……)
イェーマはそう呟きつつ、今の自分の「願望」を思い浮かべる。
(それなら、モニカの周囲に起こる混沌災害を無くしてほしいな。そういうのでもいいのか?)
《なるほど。それがあなたの今の一番の望みなら、それで構いません。その未来像を強く思い描いて下さい》
イェーマが言われた通りに「モニカが混沌災害に苦しまずに済む未来」を想像すると、彼の目の前にその願いが「青白い輝きを放つ星」となって現れる。それは、彼が幼少期から毎晩夜空で見てきた八つの「他の人には見えない謎の星々」と同じ光を放っており、どこか聖印の輝きにも似ていた。
(おぉ!)
《それがあなたの力の源です》
イェーマがその星に触れると、彼の身体の中に吸い込まれていく。
《それは星核(スターコア)。聖印でも混沌核でもない、「星の前世」の者達だけが生み出せる力です。その星核の力を百八個集めれば、大毒龍を倒せます。そして今、おそらくこの地に、他の星核の創造主も何人か集まりつつある筈です》
天勇星がそう考える根拠は、他の星々から聞かされた(星同士の間でしか共有出来ない)情報に由来している。もともと夜空に浮かんでいた八つの星のうち、現時点で星核の力を覚醒させたのはイェーマが五人目であり、過去の四人の時も(他の者達とは異なる経緯で力を手に入れた最初の「一人目」以外は)星の声が届いた時点で、その近くに同じ星の力を持つ人々が集まっていた。おそらく今も、同じような状況にあるのではないか、という推測である。
《誰が「星の前世」なのかは、聖印なり魔法なり邪紋なり、その人が持つ力を発動させれば、本能的に分かる筈です。私の中の仲間の記憶が、あなたの心に同調して伝わる筈ですから》
そう言われたところで、やはりイェーマとしては実感しきれてはいないが、ひとまずそう言われるのであれば「その時が来たら、分かるのだろう」と割り切るしかない。
(とりあえず、何年後かに龍が出て来て、それを倒す、ということでいいのかな?)
《正確には分かりませんが、おそらく出現まで一年も無いと思います。そして、仲間の一人が今、とある湖の近くに砦を築いたという話も届いています。ただ、問題はこの大毒龍という存在自体が、ブレトランドの人々にとっては恐怖の象徴です。そしてこの大毒龍は、人々の恐怖心を糧としています。つまり、大毒龍が復活するという話が広まれば広まるほど、大毒龍は力を増します》
(じゃあ、秘密裏に探した方がいい、ということか)
《その通りです。この話を教えても問題がないのは、仲間の人々と、あなた達であれば必ず大毒龍を倒してくれると、あなた達のことを信用してくれる人だけです》
そこまで自分を信用してくれる人がいるかどうか、イェーマにはよく分からない。だが、願いを叶えるにはそれくらいの困難が必要となるのだろう、と自分に言い聞かせる。
(分かった。じゃあ、これで契約成立、かな?)
この場合「契約」という表現が適切かどうかは微妙な話だが、傭兵であるイェーマにとっては、それが最も馴染みのある言葉なのだろう。
《はい。そうですね。その上で、これから先、仲間を見つけた場合、あなたの星核をその人に触れさせることによって、その力は伝わる筈です》
天勇星はそう告げたところで、まだ何か他に聞きたいことがあるかどうか、イェーマに確認しようとしたが、その前にこのイェーマの夢の中に、唐突に「異物」が紛れ込むことになる。
それは、ヴァイオリンの音色であった。イェーマは即座に、これは「夢の中の音」ではなく、「現実世界の音」だということを理解し、次の瞬間、彼は目覚めて寝床から飛び起きて、そのヴァイオリンの音が聞こえてくる方向を確認する。それが城の中庭の方面から発せられていることを確認した彼は、即座に武装を整えた上で、部屋を飛び出した。少なくとも、この城には「夜中にヴァイオリンを奏でる」という風習はない。そして、このヴァイオリンの音色から、彼は何らかの「不吉な気配」を感じ取っていたのである。
イェーマの寝室は城の二階にあるため、中庭に向かうには階段を降りる必要がある。まずその前に窓から中庭の様子を確認した彼は、一人の青年が月明かりの下で紅のヴァイオリンを弾いている姿を発見する。そして、ゆっくりとその彼に向かって近付いていく「寝間着姿のモニカ」の姿を発見した彼は、慌てて階段を駆け下りて、そのまま中庭へと直行した。
その間に、中庭では楽士の青年がヴァイオリンを弾きながらモニカに語りかけていた。
「モニカ、君は本当に今回の結婚を願っているのかい?」
「……」
「今、君にとって大切な人が他にいるのなら、その想いを貫けばいいんだよ」
「……」
「いるんだね? 誰なのかな? その果報者は」
楽士がそこまで問いかけた数秒後、イェーマが辿り着いた。この時点で、モニカは楽士に対して、虚ろな表情で何かを伝えているように見えるが、その内容までは(ヴァイオリンの音にかき消されて)イェーマの耳には届かない。
そしてイェーマの姿を確認した楽士は演奏を止め、それと同時に、モニカは膝から崩れ落ちるようにその場に倒れようとするが、イェーマが即座に走り込んで、彼女の身体が地に着く前に抱き抱え、そして楽士を睨む。そんな彼の鋭い視線に対して、楽士は興味深そうな微笑を浮かべた。
「君が、イェーマ君かな?」
「そうだが、お前は誰だ!?」
「このうら若き花嫁の本音を聞きたいと思ってね。Ladyの部屋に忍び込むのも無粋なので、この美しい月明かりの下で語ってもらおうと思い、呼び出したのだが……、どうやら、厄介なものが目覚めてしまったようだな」
楽士がそう言って周囲を見渡すと、中庭の辺りに次々と混沌核が収束していくのが分かる。本来、この城内はオリビア地方の中でも特に混沌濃度が低く、およそ混沌災害が起きることはないと言われていた土地なのだが、それでも、体感的に少し混沌濃度が上がっているようにイェーマにも感じられた。
イェーマが警戒しながら剣を構えると、少し遅れてローラとウィルバートも中庭に現れ、そして二階の窓の一つから、アーノルドが弓を構えているのが分かる。どうやら、彼等もヴァイオリンの音と、そこに込められた不吉な気配に気付いて、現場へと急行したらしい。
やがて、中庭の各地に、イェーマとモニカと楽士を取り囲むように八体の「巨大な熊のような形状の魔物」が出現する。どこの世界から投影された存在なのかは彼等には分からないし、自然発生した投影体なのか、何者か(楽士?)によって使役された従属体なのかは分からないが、少なくとも、イェーマ達に対して友好的な態度は示していない。
(モニカの気持ちを高ぶらせてしまった結果がこれか……。やはり、「ローラ」の血を最も強く受け継いでいるのは彼女らしい)
楽士は心の中でそう呟きつつ、再びヴァイオリンを奏で始める。すると、彼の周囲に無数の蝙蝠達が出現し、イェーマとモニカの周囲を飛び回る。(同世代・同門の召喚魔法師の影響もあってか)召喚魔法のことにもある程度通じているローラの目には、それらが二人を守ろうとしているように見えたが、他の者達にはその意図は分からない。
だが、少なくともその混沌の規模から察するに、蝙蝠よりも八体の巨大熊達の方が危険な存在に思えたアーノルドは、聖印を掲げた上で、二階の窓から三本の火矢を同時に熊達に向かって放った。その中の一本は熊の身体に刺さると同時に聖印の力によって「鎖」へと変わり、そのまま熊の身体を縛り上げる。そしてこの時、イェーマの中に宿る天勇星がその聖印の力に「既視感」を感じ、その感覚がイェーマへと伝わる。
《この力は、おそらく「天の星」の一つ……》
更に続けて、ウィルバートがその身を「龍」の姿へと变化させると、ローラは直後に魔法でその牙を強化させ、そして彼は夜陰に紛れて影から虚を突くように熊の一体の身体を刳り裂き、更にそこにアーノルドからの援護射撃も加わったことで、その熊は一瞬にして倒れ込む。この時点で、イェーマの中ではローラの魔法とウィルバートの身体に対しても「同じような懐かしさ」を感じていた。
《この二人の力は、おそらくは「地の星」……》
天勇星のこれらの声は、この戦場に集中していたイェーマには届いていない。ただ、その既視感だけがうっすらと感覚的にイェーマの心に伝わっていた。なお、ウィルバートに関しては(以前はここまではっきりと龍の姿になることは出来なかったものの)過去に何度もその邪紋の力を見たことはあった筈なのだが、イェーマが天勇星の星核を自ら作り出したことで、それまで感じることが出来なかった感覚を共有出来るようになったらしい。
もしかしたら、この三人が、天勇星が言っていた「星の前世」なのかもしれないとイェーマは思いつつも、まずはこの目の前の状況をどうにかしないことには会話も出来ない。そして、イェーマは本来、一人で多くの人々を守るために、聖印の力によって敵の憎悪を自分一人に引きつけて撃退する戦術を得意としているのだが、モニカを抱えた状態ではそれも難しいと判断した彼は、彼女を抱えた状態のまま、現時点で最も熊から遠い位置にいるローラへと向かって走り出す(そして蝙蝠達も彼に引きずられるようについていく)。
「魔法師さん、彼女をお願いします!」
イェーマはそう言って、モニカをローラの傍らに寝かせると、すぐさま取って返してウィルバートの加勢へと向かい(蝙蝠達はこの時点でイェーマからは離れて、今度はモニカとローラの周囲を飛び回っていた)、ウィルバートを襲おうとしていた熊の目の前に立ちはだかると、彼に代わってその凶爪を受け止める。これに対して、二階の窓からアーノルドが聖印の力でその熊の一撃の威力を抑えようとするが、それでも完全に止めきることは出来ず、イェーマは深手を負い、その身体からは血が流れ落ちる。
一方、他の熊達は中央でヴァイオリンを奏でている楽士に向かって襲いかかるが、彼はモニカの安全を目で確認しながら、飄々と演奏を続けながらも軽々とその攻撃を交わし続けていた。その様子を二階から眺めていたアーノルドは、困惑しつつもこの状況を整理しようとする。
(あの魔物達から攻撃されてる? ということは、奴が呼び出した訳ではないのか?)
当初、アーノルドはあの楽士こそがこの混沌災害の原因だと考えていたが、明らかに彼のヴァイオリンによって出現した蝙蝠達には一切攻撃する気配がなく、逆に熊達が楽士を襲っているという状況から、少なくともこの「巨大熊との戦い」という戦局においては彼は「敵ではない」と認識して良いのだろうと判断した上で、アーノルドは楽士に対して、弓を構えた。
「楽士殿!」
次の瞬間、楽士の身体に向けてアーノルドは特殊な光の矢を打ち込む。それは、弓を得意とする一部の君主にのみ発動可能な「貫かれた者を瞬時に別の場所へと移動させる能力を与える矢」である。楽士は即座にその意図を理解し、すぐにその場から離れると、その直後に(楽士を殴るために)その場に集まっていた熊達にアーノルドはまとめて攻撃し、その中の一体はその場に崩れ落ちる。だが、それでもまだ六体もの熊達がこの戦場には残っており、まだ数の上でも熊達が優勢な状況にあった。
そして、血を流しながら戦い続けているイェーマを目の当たりにしたローラは、先刻の女神の言葉を思い出す。
(この人が死んだら、大変なことになる!)
そう決意したローラは、まずイェーマに対して(義姉譲りの錬成魔法の技術を用いて)万能薬の効能を抽出した結晶体を形で投げ込むことで、彼の傷口を塞いで出血を止めつつ、巨大な雷撃魔法を中庭の中心にまとまっていた熊達に向かって放ったことで、四体の熊を同時に消滅させることに成功する。ローラはもともと性格的に人を傷つける類いの魔法は得意ではないが、「人以外の存在」に対してであれば、躊躇なくその力を解き放つことが出来る。その圧倒的な威力によって、一瞬にして形勢は逆転した。
(すげー!)
イェーマは心の中で簡単しつつ、生き残った二体をウィルバートと力を合わせてどうにか撃退する。そして、熊達の脅威が去ったことを確認した楽士が演奏を止めると、蝙蝠達もまた夜陰に紛れて姿を消していくのであった。
こうして、ようやく城の中庭が真夜中の静寂を取り戻したところで、また別の客人がこの地に現れる。シリアであった。彼女もまた、ヴァイオリンの音色が聞こえてきたところで「嫌な予感」を感じ取って、この場へと向かったらしい。そして彼女は、楽士と目があった瞬間に、その「嫌な予感」が的中していたことを確信する。
「あなた! 姉上のところに出入りしていた、あの……」
彼女の中では、それは思い出したくもない「忌まわしい記憶」を呼び起こす存在であった。
「おや、これはこれは妹君。相変わらずお美しいお姿で」
「『昔のままの姿』のあなたに言われても、嫌味にしか聞こえませんわ。これだから地球人は……」
「いやいや、本当にお美しい方は、歳を重ねてもなお美しい。むしろ、歳を重ねることによってこそ醸し出される美しさもある」
そのやり取りを窓から見たアーノルドは、不穏な空気を感じて、慌てて一階へと駆け下りる。その間にも二人の会話は続いていた。
「むしろそのお言葉は、姉上にでも言ってあげて下さい」
シリアにそう言われた楽士は、それまでの軽薄一辺倒の満面の笑みから、少し影を帯びた表情へと変わり、そして口調も一変する。
「俺はもう、彼女にはフラれた身だからな。この世界で言うところの、二十年以上前に」
「……で、今度は妹の私に手を出す気ですか? こんな出涸らしのような私に」
「いや別に彼女にフラれたからじゃない。そこに美しい女性がいれば、俺はいつでも愛を捧げる。それだけのことさ。だから今のあなたが寂しい想いをしているのなら、放ってはおかない」
「あいにく、私には子供達がいますから」
「そんなことは些細な問題だが……、どちらにしても、今はその時ではないな」
楽士は周囲を見渡しながらそう呟きつつ、ゆっくりとその姿が宵闇へと溶けるように消えていく。それと入れ替わりに、激しい足音を立てながら、一人の男が走り込んできた。傭兵団「暁の牙」の団長ヴォルミスである。
「団長!?」
イェーマとウィルバートが声を揃えて驚く中、ヴォルミスは中庭の状況を確認する。彼は城の外壁の警備を担当していたのだが、城の中庭の方面から戦いの物音が聞こえたため、慌てて駆け込んで来たらしい。
「どうにか、俺が来る前に片付けたようだな」
ヴォルミスはそう言いつつ、何か言いたそうな団員二人には目もくれず、真っ先にシリアに視線を向ける。
「よぉ、久しぶりだなぁ、姫さん」
「……あなたの中では、まだ私は『姫』なのですか?」
シリアが(先刻までの楽士に対する表情以上に)嫌そうな顔を浮かべながらそう尋ねたのに対し、ヴォルミスはニヤリを笑いながら答える。
「そうだな。あの時の約束を果たしてもらうまで、俺の中で『あんたの時』は止まったままだ」
「では、気付いていたのですね。それなら、何故その時に……」
「アレはアレで『手付金』としては悪くなかったからな。ある意味、『本物以上の価値』だった。もっとも、別にあんたにその気がないなら、今更どうこうしようとは思ってねえよ。ただ、永遠に果たされない約束として、あの時のアンタが俺の中に居続けるだけだ。こう見えて、意外とロマンチストなんだよ、俺は」
ヴォルミスはそう言って、周囲の安全を確認した上で、呆然とした様子のイェーマやウィルバートには何も告げぬまま、その場から立ち去っていく。そして彼と入れ違いに、今度は階段を駆け下りたアーノルドが中庭に辿り着いた。
「皆さん、無事ですか!?」
激しく息を切らしながら彼がそう叫ぶと、その場には既に楽士がいないことに驚く(なお、直前までヴォルミスがいたことには彼は一切気付いていない)。
「あのヴァイオリンの男は?」
「消えました。煙のように」
そう答えたのはイェーマである。当然、言っているイェーマ自身も、どういう原理で彼が姿を消したのか、全く理解出来ていない。アーノルドは先刻のシリアに対する彼の態度を思い返しながら(その具体的な会話内容までは聞こえてはいなかったが)、心の中にモヤモヤした感情が溜まっていく。
(一体、あの男は何者なんだ? やはり、熊達と一緒に狙い撃ちすべきだったか……?)
一方、モニカはまだ気を失った状態のまま、ローラの隣で眠っている。シリアはそんな彼女に駆け寄りつつ、彼女にこれといった外傷がないことを確認した上で、周囲の面々に対して改めて問いかける。
「とりあえず、何があったのか説明してもらえますか?」
それに対して、ひとまずアーノルドが大まかな状況は説明するが、楽士とイェーマの会話までは聞こえていなかったため、その点に関してはイェーマが付言した(その前に楽士がモニカに語りかけていた内容については、誰も聞こえていない)。
シリアはその説明を聞いた上で、不可解な顔を浮かべながら首をかしげる。
「なぜ、彼がモニカに……? トオヤやロジャーなら分かるのですけど……」
困惑した様子のシリアに対して、アーノルドが問いかける。
「彼の目的に心当たりがあるのかい?」
先刻までの「二人きりの時」の幼馴染口調のまま問いかけたアーノルドに対し、シリアは(他の人々の目もあったので)公的な「王族としての口調」で返す。
「彼は昔、私の姉と『色々』ありましたので……。でも、モニカの両親とは……、少なくとも、彼女の父であるマッキーとは何も関わりはなかった筈なのですが……」
そこまで言った上で、改めてシリアは真剣な表情でその場にいる者達に明言する。
「……ただ、一つはっきり言えることは、彼が関わるとろくなことにはならない、ということです。おそらく、皆が不幸になります」
何を根拠にそう言っているのかは誰にも分からなかったが、誰もが皆、なんとなく彼女の言いたいことは理解出来たような気がした。
その上で、イェーマは、ひとまず気を失ったままのモニカを抱えて彼女の部屋へと連れて行き、アーノルドとシリアもモニカの部屋までは彼と同行する(ウィルバートとモニカはひとまず自分の宿舎へと戻る)。その後、モニカを自室のベッドで寝かせたところでシリアもまた自室へと戻り、そしてイェーマは万が一に備えてこの日は彼女の部屋の扉の前で座りながら眠ることにした。
アーノルドはそんなイェーマの姿勢に感服しつつ、改めて彼の目の前で聖印を掲げる。
「警護を担当して下さるということで、恩に着ります。応急手当だけでもさせて下さい」
彼はそう言って、先刻の戦いで受けた傷を聖印の力で治療する。そして、この時点でもイェーマは彼の聖印から「昔どこかで感じたような気配」を感じていた。
「ありがとうございます」
イェーマがそう言って、扉の前に座り込んだのを確認すると、アーノルドは立ち去って行く。その後姿を眺めながら、イェーマは改めて、アーノルドから感じられた「気配」を思い返していた。
(あの人達が「星の前世」なのかな……)
そんな不確かな感覚を旨に、彼は剣を片手に扉の前で座り込んだまま、徐々に眠りに就いていくのであった。
翌朝。陽の光が廊下を照らし始めた頃に目を覚ましたイェーマは、扉の奥でモニカが目覚めたような物音に気付く。モニカに気を使わせたくないと考えた彼は、夜通しで番をしていたとは気付かれぬよう、たまたま朝の時点で通りかかったような様相を装いつつ、部屋から出てきた彼女の前に姿を現した。
「あぁ、おはよう」
「おはようございます。あ、その、えーっと、その……」
モニカはイェーマに対して、何か言いそうな素振りを見せるが、上手く言葉が出て来ない。
「……すません、なんでもないです」
そう言って、モニカは自ら話を打ち切った。どうやら彼女は、昨夜のことを何かうっすらと覚えているようだが、それが現実だったのか夢だったのか、よく分かっていない様子である。ただ、(ヴァイオリンの影響か否かは不明だが)ぐっすり寝ることは出来たようで、顔色は少なくとも前よりは良くなっている。その点に関しては、イェーマは安堵していた。
なお、この日は結婚式の前夜祭として、一部の来客達を招いた祝宴が開かれる予定であった。言わば新郎と新婦にとっての「独身最後の宴」である。
「今日は、前夜祭までに何かするの?」
「そうですね。昼の間に、明日の挙式とお色直しの衣装の確認を……」
「なるほど……」
そうなると、さすがに男性の身であるイェーマには、彼女を護衛するにも限界がある。この日の彼女の身辺警護に関しては、城の人々に任せるしかない。その上で、昨夜のような謎の混沌災害が再発しないとも限らない以上、イェーマはまず、昨晩の中庭での戦いに協力してくれた面々を集めて(「星」の件も含めて)改めて話をしよう、と思い立った。
******
最初に向かったのは、傭兵団の同胞であるウィルバートの宿である。最終的に城で集まることを考えると、まずは城外にいる彼を連れて来るのが優先であろう。そもそもウィルバートの場合、今日は「非番」である以上、早めに声をかけなければ会える保証もなかったのだが、幸いにも、イェーマが宿屋を訪れた時、ウィルバートはまだ自分の客室にいた。
「あぁ、どうした?」
「昨日のこともあるので、ちょっと話をした方が良いかと」
イェーマにそう言われたウィルバートは、昨夜のことを思い返した上で、少し考える。確かに今の自分は非番の身だが、明らかに何か不穏な気配が広がっていることは間違いない以上、ここで黙って傍観する気にはなれない。傭兵として、任務(往路)と任務(復路)の間に独自の判断で動いて良いかどうかは微妙な問題だが、少なくとも護送対象が危険に晒される可能性がある以上、混沌災害の芽は先に摘み取っておくべきだろう。
「そうだな……。じゃあ、団長の所に行くか?」
ウィルバートはそう提案する。だが、イェーマとしては、確かに団長の昨夜の発言なども色々と気になるところではあるが、現状においてはまず、「星の前世」についての話を進めておきたかった。そのためには、「星の前世の一人」であるかどうかの確信が持てない団長よりも先に、まずは「星の前世である可能性が高い三人」を相手に「星核」を覚醒させることが出来るかどうかを確認しよう、と考えていた。
「とりあえず、まずは今回の来客の護衛を担当している人達と一緒に話したい」
「なるほど、そうか」
ウィルバートとしても、それならそれで納得出来る話でもある。実際に昨夜の戦いに参加していた面々の方が話は通じやすいし、立場的にも結婚式当日は同じような役回りになることが予想される面々の方が、連携も取りやすいだろう。その点に関して言えば、中途半端にヴォルミスを混ぜることによって、彼の指揮下にはないローラやアーノルドとの間で足並みが揃わなくなる可能性もある。この一年の間に何度も「実質的な多国籍軍」の一員として戦った経験を持つウィルバートとしては、ひとまず今回はそのイェーマの提案に乗ることにした。
******
続いて、二人は城に戻った上で、アーノルドの客室へと向かった。アーノルドはイェーマから話を聞くと、即座に理解を示す。というよりも、彼も彼で、昨夜の件がずっと気掛かりであったが故に、まさにこの話は渡りに船だった。
「分かった。そういうことなら、今から行く。少し待ってくれ」
そう言って、彼はいつでも臨戦態勢に入れるように、武装を整える。結婚式の前日に物々しい装備で城内を闊歩するのは本来ならばあまり望ましい話ではないが、城主に雇われた新婦の護衛役からの協力要請というお墨付きがあれば、抵抗も少ない。
「あとは、ローラさんですね」
イェーマが二人にそう告げると、アーノルドはこう言った。
「彼女を同席させるなら、ラファエル殿も一緒にいた方が良いのではないか?」
ラファエルは昨晩の戦いには参加していないが、聖印を持つ君主である。歳はゴーバンと2歳しか違わないが、既に領主代行としての勤めを果たしていることから、彼はただの賓客ではなく、自分達と同じ「戦力」として計算に入れるべき人物であるようにアーノルドには思えた。そもそも、君主と契約魔法師の関係である以上、彼女がその話の内容をラファエルに伝えるのを止めることも出来ない(なお、事態の全容がまだ不明ということもあり、アーノルドとしてはゴーバンを同席させるつもりはなかった)。
イェーマとしても、確かにその理屈は分かる。ただ、ラファエルに関してはヴォルミスと同様、まだ「星の前世」としての兆候が見えない以上、今の時点で巻き込んで良いかどうかは分からない。天勇星曰く、「星の前世のことを信頼している者」であれば、108人以外の者に対しても話しても良い、という話ではあったが、ローラとラファエルの関係性についてはまだ殆ど何も知らない以上、今の時点で判断することは難しい(そしてイェーマ自身が契約魔法師を抱えた経験もないため、どのような関係性が一般的なのかについても、よく分かっていなかった)。
そこで、ひとまずはローラに話を振ってみた上で、彼女が望むならばラファエルも同席させる、という方針を固めた上で、彼女の部屋へと向かう。
******
その頃、ローラはラファエルの客室を訪れていた。彼女もまた昨夜のことが気になって、主君に報告していたのである。
「なるほど。そんな大変なことがあったのですか……」
どうやらラファエルは、昨夜のヴァイオリンの音には全く気付かなかったらしい。実際のところ、城内においてもあの音に気付けた者は(なぜか)ごく僅かであったが、その後の熊達との戦いの喧騒で目を覚ました人々はそれなりにいる。だが、ラファエルは(よほど疲れて熟睡していたのか)その物音にも気付けなかったため、昨夜はすっかり快眠だったらしい。
その上で、ローラはラファエルに対してもう一つ、報告すべき情報があった。昨夜のこともあって嫌な予感が湧き上がっていた彼女は、今朝の時点で時空魔法を用いて「今日の前夜祭で起きそうな出来事」に関する予兆を調べていたのである。その結果、彼女は「君主」「混沌」「乱入」「暴走」「帰還」「怨念」「殺戮」という七つの言葉を導き出していた。決してそれが「確定した未来」という訳ではないが、明らかに不穏な言葉が混ざっているのは見逃せない。
「なるほど。おそらく、ここの契約魔法師殿も同じような予言を得て、『暁の牙』の団長ほどの人物までをも雇うに至ったのでしょう。しかし、『怨念』かぁ……」
この時点で、ラファエルとローラは同時に「嫌な心当たり」が思い浮かぶ。
「『怨念』は、その……」
ローラが言いにくそうにしているところで、ラファエルは付言する。
「でも、『魔法』や『魔法師』という言葉はない」
「はい」
「『錬成』という言葉も」
「はい。ですので、その、お姉さまに関することではないのかもしれません」
「まぁ、原因が何であろうと、気をつけなければならない。前夜祭も、無粋ではあるけど、帯剣した状態で出席させてもらうことにしよう」
そこまで言ったところで、ラファエルは改めて「昨日、城下町で出会った楽士」のことを思い出す。ローラが見た限り、それは「昨夜、中庭に現れた楽士」と、明らかに同一人物であった。
「あの人は一体、何者なんだろう? 僕のことを知ってて、しかも、行方不明の筈の母様からの預かり物もある、と言っていた。本当かどうかは分からないけど……」
二人がそんな会話を交わしているところに、イェーマが到着する(彼等は最初はローラの部屋に行ったものの、不在だったため、周囲の人々から居場所を聞いて、ここまでやってきた)。
「あ、ラファエル様。ローラ様とちょっと話をしたいのですが、いいですか?」
そう言われたところで、ラファエルよりも先にローラが答える。
「じゃあ、しばらく席を外しますね」
そう言って、彼女はあっさりと単身でイェーマ達に合流する。こうして、どうにかイェーマの目論見通り、「星核候補者達」だけを集めることにイェーマは成功したのであった。
******
「まずは、窓からの参戦という形になってしまったこと、申し訳ない」
四人が揃ってイェーマの部屋に集まったところで、開口一番にアーノルドはそう言って頭を下げた。もともと遠距離戦においてこそ本領を発揮する聖印の持ち主とはいえ、自分よりも遥かに年下の、しかもまださほど親しい訳でもない(魔法師を含めた)面々に前線を任せて、安全な場所からの参戦となってしまったことに、後ろめたさを感じていたらしい。
「いえ、むしろご協力ありがとうございます。助かりました」
イェーマはアーノルドに対してそう告げた上で、改めて疑問に思っていることを皆に対して率直に投げかける。
「昨日のあの『ヴァイオリンの人』のことなんですけど、どう思いますか? 私のことを知っているようでしたが、私はあの人のことを何も知らないので……。何か、ご存知ですか?」
彼のことに関しては、この場にいる者達は誰も何も知らない。しいて言えば、「ラファエルのことも知っているらしい」ということをローラは認識しているが、そのことがイェーマと彼の関係を読み解く上での手掛かりになるとも考え難かった。むしろ、ローラとしてはイェーマ個人の素性を確認したいところだったのだが、「異界の神からのお告げ」に基づく話を、聖印教会の信徒であるアーノルドの前で話題出すのは難しく、この場では言い出せない。
一方、アーノルドもまたイェーマ個人の正体について色々と確認したいところではあったのだが、さすがに「籠手から聞いた話」という前提に基づく話を理解してもらうのは難しかったため、まずは「無難な方向性」から話を切り出すことにした。
「そういえば、ルキアーノ神父も君のことを知っていたようだったな。君が君自身のことが分からないというのなら、もう少し彼に聞いてみてもいいかもしれない。まぁ、今は彼は結婚式の準備で忙しいかもしれないが……」
「なるほど……。確かに、それは時間があるなら聞いてみたいですね」
実際、それは確かにイェーマにとっても気になる話ではあったが、まずはその前に「今、この場にいる三人に対してのみ話したいこと」がある。
「あの、急にこんな話をするのもおかしいのかもしれないのですけど、実は昨日、夢で……」
真剣な表情でイェーマがそう語り始めたところで、彼以外の三人は、扉の外から人の気配を感じ取り、視線を扉に向ける。
「ちょっと待ってくれ、イェーマ殿」
アーノルドがそう言って話を止めると、「扉の外にいる何者か」に気付かれぬよう、物音を立てずに扉の前へと移動し、そして勢いよく開ける。
すると、そこにいたのはゴーバンであった。彼は気まずそうな顔を浮かべつつ、視線をそらしながら口を開く。
「いや、アーノルドがどこに行ったのかな? と思って、他の人に聞いたら、なんかこの部屋に集まってるのを見た、って聞いて、何か大事なことでも話をしてるのかな? と思って……、いや、別に、盗み聞きしようとした訳じゃないんだけど……」
やや焦った様子でそう答えるゴーバンに対して、アーノルドは溜息をつく。
「分かった。偶然通りかかっただけなんだな。そういうことにしておこう」
「……もし、モニカ姉ちゃんに何か危険なことがあるんだったら、後で俺に言えよ」
「ありがとう」
アーノルドがそう言うと、ゴーバンは素直に部屋から立ち去って行く。ゴーバンはやんちゃで無鉄砲な性格ではあるが、これまでの諸々の経験から、自分の未熟さは分かっている。アーノルドが自分を呼ばずに他の来客の護衛達と話をしているということは、おそらくそれは「自分が参戦しても足手まといにしかならないような案件」なのだろうと察していたため、無理に話に混ざろうとはしなかった。だが、それでも好奇心だけは抑えきれなかったため、話をこっそり聞こうとしていたらしい。
「どうやら、気を使わせてしまったようだ」
去り行くゴーバンが視界から消えたのを確認したアーノルドがそう言うと、改めてイェーマは「夢の話」をそのまま三人に伝えるのであった。
「昨日の戦いの時に皆さんから『その力』を感じたのです」
イェーマがそう言って一通り話を終えたところで、三人は明らかに困惑した顔を浮かべる。そもそもイェーマ自身が「その力」のことをまだよく分かっていないし、そもそも「大毒龍ヴァレフス」なる存在に関する知識がないせいか、あまり危機感を感じさせない口調で淡々と話していたこともあり、どうしても今ひとつ現実感のない話に聞こえてしまった。
なお、「大毒龍ヴァレフス」に関しては、ブレトランド育ちのアーノルドは当然知っているし、その時の話は当事者の一角である「籠手」からも聞かされている。ローラもブレトランドに就職した際に、現地の歴史については一通り勉強している(更に言えば、義姉の赴任地である「隣村」には「大毒龍と戦った七騎士の一人」がいる)。そしてウィルバートもまた、英雄王エルムンドの話をコートウェルズで「当事者」の一人から聞かされている(その経緯は
ブレトランドの英霊4参照)。故に、彼等はいずれも、その危険性については十分に分かっていた。
(とはいえ、御伽話のようなものだと思っていたが……)
アーノルドはそんな感慨を抱きつつも、改めて「籠手」の話を思い浮かべて、そのことをイェーマに投げかけてみることにした。
「ところで、実は私も、イェーマ殿の聖印に、他の聖印とは違う気配を感じていた」
「そうなんですか?」
「あぁ、はっきりとは言えないんだが……、それが星核というものなのかな?」
「私には、違うというのは分からないのですが、そう感じたのなら、そうなのかもしれません」
この時、イェーマの中の天勇星は、二人のやりとりに違和感を感じていた。現時点で星核の力に目覚めていないアーノルドには、イェーマの星核を感知出来る筈がない。だとすれば、イェーマの聖印には、星核とはまた別の特別な何かが宿っているのではないか、とも思えたのだが、天勇星自身も確信が持てないことだったため、この時点ではあえて何も言わなかった。
「うん、ある程度納得がいったよ。ありがとう。で、君はその話を我々にして、協力を仰ぎたい、ということでいいのかな?」
アーノルドが単刀直入にそう問いかけたのに対し、イェーマも率直に答える。
「正直に言ってしまうと、そうですね……、特に協力することによる利点を私が提示出来る訳でもありませんし、私の話が信じられないなら仕方ないですが、私はこの話は正しいと思っています。ですから、協力をお願いしたいです」
とはいえ、そう言われてもまだ今ひとつ実感が沸かない様子のアーノルドを横目に、先にウィルバートが立ち上がった。
「じゃあ、とりあえずは試してみようか」
ここはまず、「暁の牙」の同胞である自分が率先して動くべきだと考えたのだろう。彼がイェーマの前に立つと、イェーマはウィルバートの目の前で、青白い光を放つ「星核」を具現化させる。イェーマ自身も夢の中で見ただけで、実際に現実世界の中で目の当たりにするのは初めてであったが、彼はその星核を右の掌に乗せた状態でウィルバートの右手を握る。すると、その手を通じて星核の力がウィルバートの内側にも伝播していき、ウィルバートは自分の身体の中に何かが入り込んできたような感覚を覚える。
そして次の瞬間、ウィルバーとの心の中にも、謎の声が響き渡った。
《あなたの望む未来を、思い描いて下さい》
ウィルバートはその声に対して、心の中で怪訝そうな態度で答える。
(それは、お前が叶えてくれる、ってことなのか?)
《「それを叶えるための力」は、あなた自身が作り出すことが出来る筈です。しかし、人が何かを作り出すためには必ず標(しるべ)が必要となる。その標となる「星」をあなた自身が作り出す、ということです》
その説明で納得したのかどうかは分からないが、ウィルバートは心の中で、その「謎の存在」に対して、こう告げた。
(この望みは俺が自分でやんなきゃいけないことだ。余計な手助けはするなよ)
そして、彼は一年以上前からの宿願を改めて強く願う。
(俺の望みは、あの時から変わらねえ……。イゼルガイアを倒す!)
ウィルバートがその宿願を果たした瞬間を思い浮かべた直後、彼の目の前に彼の来世の姿である「地悪星」の星核が現れる。しかし、その色彩は青白ではなく、赤味を帯びた色合いの星核であった。
「これが、ウィルバート殿の星核……」
アーノルドは感嘆の念を込めてそう呟くが、ウィルバートは微妙に納得のいかない表情を浮かべながら、自分の星核とイェーマの星核を見比べている。
(アイツの星核の方が、カッコいいな……)
どうやら、星核の「色」が気に入らなかったらしい。とはいえ、自分自身の中に「今までになかった力」が宿っていることは確かに実感している。
「とりあえず、嘘では無さそうだな」
ウィルバートがそう呟くと、アーノルドも改めてイェーマの聖印を凝視する。
「そうなると、大毒龍が復活し、世界が滅ぶというのも、一層真実味を帯びてきた、ということか。なるほど……」
彼はそう呟きつつ、悩ましい顔を浮かべながらイェーマに語りかけた。
「とはいえ、私はハルペルの領主なんだ。その街を放ったまま、ずっとブレトランドでその脅威と闘うということは難しい。だが、短期間であれば、今ここに来ているように、代理の者に留守を任せて手伝うことは出来るとは思う。本当に、僅かな助けにしかならないかもしれないが、私にも大毒龍討伐を手伝わせてはくれないか?」
アーノルドがそう言いながら右手を差し出すと、イェーマはその手を先刻のウィルバートの時と同じ容量で、その手をしっかりと握る。
「もちろん、それはこちらからお願いしたいことです」
イェーマがそう答えたところで、彼の右手を通じてアーノルドの中にも「何か」が流れ込み、そして彼の心の中にも同じ声が聞こえてくる。
《あなたの望む未来を描いて下さい》
唐突に聞こえてきたその声にアーノルドは一瞬戸惑うが、彼は既に似たような経験を「籠手」との間で交わしていたこともあり、存外あっさりとその状況を受け入れる。
(私の望み、か……。それは、領主になる前から変わってないことだ。「混沌のない世界」が実現して、人々が混沌の脅威から解放されて暮らすこと。それが、私が生涯をかけて叶えたい願いだ。これでいいのか?)
彼が心の中でそう呟くと、今度はイェーマの星核と同じような光を放つ、アーノルドの来世である「天牢星」の星核が現れる。
「青白い色ですね」
イェーマがそう呟き、ウィルバートは羨ましそうな目でアーノルドを見るが、おそらくこの星核は交換することが出来る類いの代物ではないだろうと推察していたアーノルドは、そのウィルバートの視線に対して、困った表情を浮かべる。
一方、そんな二人の様子を確認した上で、ローラもまたイェーマの前へと一歩踏み出した。
「お二方がそのように星核を出されたということは、やはりそのヴァレフスの話も真実に近いものなのでしょう。私にとっては、ブレトランドに大切な人達がいるので、もしヴァレフスがそのように復活するのであれば、出来る限り止めたいです。だから、私はあなたに協力したいと思います」
彼女はそう言いながらそっと手を出し、イェーマがそれを掴む。その瞬間、彼女の魂に対しても、同じような声が語りかけてきた。
《あなたの望む未来を描いて下さい》
それに対して、ローラは落ち着いた面持ちで答える。
(私が願うことは、ブレトランドに平和が訪れることです。平和が訪れた時には、もう一度リアン一門が集まって、仲良くおしゃべりが出来たらいいなと思います)
彼女の義姉達はグリースの君主に仕え、同門の後輩はアントリア(厳密に言えばノルド)の君主の契約魔法師となった。だが、それでも彼女の中では「大切な家族」であることは変わらない。そんな彼女の未来像がはっきりと描かれたところで、彼女の来世である「地奇星」の赤い星核が出現した。
こうして、昨夜の時点で感じた「懐かしい気配」の持ち主である三人の星核を覚醒させることに成功したイェーマであったが、当然、まだ他にもこの地に同じ星核の力の持ち主がいる可能性はある。長年の付き合いであるウィルバートに対しても、昨夜(自分自身が星核の力に目覚めた後)に至るまでその気配を感じることがなかったということは、この城に住む君主や魔法師にもまだ誰かが潜んでいる可能性はあるし、ヴォルミス、ラファエル、ゴーバン、などの来訪者達からも、今のイェーマが見れば何らかの力を感じる可能性はある(ただ、昨夜の時点で明らかに「特殊な力」を用いていたあの紅のヴァイオリン弾きからは、明確に何も感じなかった)。そして、先刻話に挙がったルキウス神父もまた(特殊な聖印の持ち主とはいえ)君主であった。
「では、私は神父さんに話を聞きに行きますけど、他の皆さんはどうしますか?」
イェーマがそう言ったところで、珍しくローラが話に割って入るように口を開いた。
「その前に、なんですけど……、今日の前夜祭のことについて占ってみたら、ちょっと不吉な予兆が出てきたんです……」
そう言って彼女は、今朝の時点で導き出した7つの言葉(「君主」「混沌」「乱入」「暴走」「帰還」「怨念」「殺戮」)を彼等にも伝える。
「穏やかじゃないですね……。何者かが怨念を持って帰って来て、乱入して殺戮を始める、と?」
「あんまり考えたくねえけど、行方不明者が二人いるんだよな、ここの一族には」
「花婿殿の弟二人、そのどちらかが帰還してくる……、確かにその可能性もあり得るか……」
イェーマ、ウィルバート、アーノルドの三人が深刻な表情でそう呟く。無論、この七つの言葉がどのような形で繋がるのかは分からない以上、どう並べて解釈したところでそれは憶測にしかすぎないのだが、いずれにしても、何らかの不吉な未来しか予想出来ない。
「とりあえず、この前夜祭で何かが起きるかもしれないので、皆さんには警戒しておいてほしいと思い、お伝えしました」
ローラにそう言われたイェーマとウィルバートは、改めて顔を合わせる。
「昨日の夜以上のことが起こらなければいいが……」
「起こりそうな予感はするな」
二人はそのな言葉を交わしつつ、改めてイェーマはローラに頭を下げた。
「とりあえず、その情報はありがとう……、ございます」
ローラは自分と同世代くらいの少女ということもあり、ついモニカと二人きりの時に話すような口調になりかけていたところで、慌てて取ってつけたように敬語調に戻る。とはいえ、ローラは別段礼儀を気にするような性格でもないので(礼儀以前に最低限の常識が欠如した後輩との付き合いが長かったので?)、その微妙な不作法ぶりを特に気にする様子もなかった。
そして、イェーマはアーノルドに紹介される形でルキアーノ神父のところへと向かうことになり、女神から言われたことが気になっていたローラも彼等に同行を申し出る。アーノルドが知る限り、あの神父は魔法師の存在そのものを許さないような教派の人間ではないので、魔法師を同行させても問題はないだろうと判断した彼は、その申し出を了承した。
一方、ウィルバートはヴォルミス団長に話を聞きに行くことにした。なお、ヴァレフス復活の件についても、「おそらく団長ならば自分達のことを信頼してくれているだろうし、そもそも大毒龍復活にも臆することはないだろう」というのがイェーマとウィルバートの共通認識だったので、彼にも「今聞いた話」を一通り伝えるということで、イェーマとも合意に至った。
イェーマ、アーノルド、ローラの三人が城内の兵士達にルキアーノの居場所を聞くと、彼は既に結婚式の段取りに関する打ち合わせを終え、客室で静かに神への祈りを捧げていた。城の使用人からイェーマ達の来訪を聞かされると、彼は笑顔で迎え入れる。
「イェーマ、あなたが無事で本当に良かった。まぁ、無事であろうとは思っていたのですが」
改めて「心底安堵した表情」でそう語る神父であったが、イェーマには相変わらず、その表情の意味が分からない。
「どこかでお会いしたこと、ありましたっけ?」
そう問いかける若き傭兵の表情を、神父はまじまじと見る。ルキアーノの記憶が確かならば、イェーマは今年で16歳の筈。その瞳には今も少年としての輝きを残しながらも、その精悍な表情からは、既に自分自身の手で自分の人生を切り開いていくだけの覚悟が備わっているように感じられた。
「そうですね……、おそらくこれは、話しておいた方が良いことなのでしょう……」
ルキアーノは、イェーマが既に「分別のある歳」になっているであろうことを推察した上で、語り始める。
「とはいえ、言えることに限度はあるのですが……、結論から言いましょう。あなたの両親は、いずれも強力な邪紋使いでした」
「ほう?」
「あくまで稀な事例ですが、あまりに強力すぎる邪紋使い同士の子供の場合、生まれる前の段階から邪紋に身体を乗っ取られる、ということがあります。あなたの場合がまさにその事例でした。あなたは母親の胎内において、あなたの身体に邪紋が結合して強大な混沌核となり、極めて危険な投影体として、この世に生まれそうな状態になっていたのです」
「親の邪紋が胎児に引き継がれる」という事例は、現実問題としてあまり一般的な現象ではない。だが、聖印とは異なり、邪紋は身体そのものに刻まれた存在である以上、一つの可能性としてあり得る話のようにも聞こえるし、それが事実であるか否かにかかわらず、世間の一部からは「邪紋使いの子」であるというだけで「汚れた存在」として忌避の対象となることもある。
唐突に語られた真実に皆が戸惑う中、ルキアーノはここで唐突にローラに視線を向ける。
「私は聖印教会の一員ではありますが、魔法師の方々の意見にもそれなりに耳を傾ける立場にあります。とある魔法師の方が言うには、オリンポス界、もしくはタルタロス界の投影体で、かつてこの世界にも極大混沌期に出現した、『テュポーン』と呼ばれる『巨人とも神とも称される存在』が、あなたの身体を介して生まれようとしていたのです」
その名は、この場にいる誰にとっても聞き覚えがない。しかし、確かにそれはローラの信奉する女神ヘカテーと同じ世界に住む、極めて禍々しい存在であった。無論、この時点でルキアーノがローラの出自を知っているとは考えにくいので、彼はあくまでも「一魔法師」としてのローラに語りかけただけなのだろうが、いずれにせよ、少なくともローラの中では、その説明は昨晩のヘカテーからの神託の信憑性を裏付けるに十分な話であった。
「私の聖印には、この世界の人々を守る力はありません。しかし、その代わりに、混沌を浄化することに関してのみ、特殊な力が宿っています。私はとある方から依頼されて、『母親の胎内にいたあなたの身体に宿っていた混沌核』を、あなたが胎児の状態のまま『聖印』へと作り変えました。その結果、あなたは聖印を持って生まれてきた、ということです」
あまりにも衝撃的すぎる内容に、その場にいる者達は絶句する。聖印には確かに混沌核を浄化する力があるが、一般的にはそれは「混沌によって作り出された投影体や魔境を破壊した直後に出現した(その次に別の何かを生み出そうとする直前の)混沌核」であって、「人体に邪紋として取り込まれた混沌核」を浄化した上で、吸収することなく宿主の身体の中でそのまま「聖印」として作り変えることが出来る聖印など、聞いたことがない。
ましてやそれが、直接触れることが出来ない母親の子宮の中にいる胎児ということであれば、明らかにそれはこの世界の君主としての常識を超えた能力である。この神父には通常の君主としての持つ力が一切宿らなかった代わりに、この世界の理(ことわり)をも書き換えるほどの尋常ならざる能力が備わっているらしい。
イェーマは自分の中で神父の話を改めて整理した上で、問いかける。
「じゃあ、あなたのおかげで私は君主になれた、ということですか?」
「君主になれた、というよりも、君主にならなければ、あなたは危険な存在としてこの世に生を受けていた、ということになります。ただ、あなたの御両親は『非常に特殊な立場』の方々でして……、あなたの存在自体をあまり公にする訳にもいかなかったため、私があの孤児院にあなたを紹介することにしたのです」
「なるほど……、そういう事情があったのですね。ありがとうございます」
イェーマがそう言って頭を下げたところで、神父は改めて今の彼の状態について説明する。
「あなたの聖印は、あなたの身体そのものに取り付いている状態なので、他人に譲渡することは出来ません」
つまり、従属聖印を作り出すことも、誰かの従属聖印になることも出来ない、ということである。今までイェーマは邪紋使い主体の傭兵団の中にいたため、他の君主との間で従属関係を形成する必要がなく、そういったことを気にする必要もなかったのだが、今後、どのような人生を歩むことになるか分からない以上、自身の聖印の特殊な性質については、理解しておく必要があるだろう。
「あなたの聖印を譲渡する方法があるとするならば、これから先、あなたに子供が生まれた時でしょう。似たような事例を聞いたことがありますので」
神父が言うところ「似た事例」とは、エルムンドの七騎士の一人に受け継がれていた「愛の聖印」の話なのだが、その詳しい実態については神父も正確には把握していないし、それが本当に「似た事例」と呼べるかどうかも分からない(その真相は
ブレトランドの英霊7を参照)。
「逆に言えば、子供を作らずに死んだ場合、その瞬間にあなたの聖印は混沌核へと変わり、テュポーンが出現します」
「は!?」
さすがにイェーマも、この忠告に対しては思わず声を荒げる。聖印の持ち主が死ねば聖印が混沌核へと変わることはイェーマも知っていたが、一般的には、何らかの投影体を消滅させた上で出現した混沌核を聖印に浄化吸収したところで、その聖印にその投影体の性質が残る訳ではない以上、仮に聖印を割って混沌核を出現させたとしても、そこから何が出現するかは分からないし、大抵の場合は近くにいる君主がその混沌核を浄化吸収するか、邪紋使いに食われることでその養分されることが多い。
だが、イェーマの聖印の場合、浄化された後で神父の聖印に吸収されるのではなく、自身の身体に宿った状態のまま強引に聖印へと書き換えられたため、その聖印の内側にテュポーンの因子が残ってしまっているらしい。通常であれば、仮にイェーマが死んでも、誰かがそこに出現した混沌核を浄化吸収すれば良いだけなのだが、特殊な方法で作られたイェーマの聖印の場合、聖印としての性質を失った直後に混沌核がテュポーンへと切り替わってしまう、というのが(どこまで正確な話なのかは分からないが)神父の憶測である。
「そ、そうなんですか……」
イェーマは呟くようにそう答えると、しばらく黙り込む。これまでイェーマは、傭兵として、あまり自分の命を重んじることなく生きてきた。危険な任務があれば率先してこなし、護衛対象を守るために自身の身体を盾とすることも日常茶飯事であった。結果的にこの一年間は平和な日々が続いていたが、もしモニカが危機に晒された時は、その身を投げ出してでも守る覚悟で任務に就いてきた。それだけに、この神父の忠告は、イェーマにとってはあまりにも重い。
(そういうことだったのですね、ヘカテー様……)
ローラもこの話を聞いて概ね事態を把握出来た。どうやら今回に関しては、女神の神託は間違いではなかったらしい。こうなると、ローラとしてもこの任務中に彼を全力で守らなければならない、という気持ちが高まってくる。
「まさかあなたが、そこまで特殊な存在だったとは」
アーノルドは思わずそう呟いた。おそらく、イェーマを見た時に籠手が反応していたのは、まだその時点では未覚醒だった天勇星の気配ではなく、彼の聖印の中に眠っているテュポーンの気配だったのだろう。聖印教会の一員として、そのような「混沌を仮封印しただけの危うい聖印」の存在を認めて良いのかどうかは見解の分かれるところであるし、人によっては「生まれる前に殺すべきだった」と主張する者もいるだろうが、今のアーノルドはその倫理的な是非以前に、それほどまで人智を超えた力を備えた神父に対して、ただひたすらに感服していた。
そして、イェーマはしばらく考え込んだ上で、重々しく口を開く。
「な、なるほど……、とりあえず、私は死んだら駄目なのですね」
「はい。ですから、孤児院が無くなってあなたが行方不明になったと聞いた時、私は冷や汗が止まりませんでした。しかし、テュポーンが出現したという話も聞いていないので、おそらくどこかで生きているのだろうとは思っていましたが」
「……命を大切にしようと思います」
「はい。そうして下さい」
そこまでのやり取りを経た上で、イェーマは当然の如く、より深い次元の真相についても訪ねようとする。
「あと、両親のことに関しては……」
今の話を聞く限り、ルキアーノはイェーマの両親のことを知っているらしい。少なくとも、母親とは直接会っている筈である。だが、純真な瞳でそう聞いてくる青年に対して、神父は視線をそらしながら答えた。
「知らない方がいいと思います。色々な意味で……」
少なくとも神父の中では、それは「思春期の青年」に対して、第三者が軽々しく語って良い話ではなかった。そしてイェーマもまた、そう言われた時点であっさりと引き下がる。
「分かりました。いつの日か、知ることが出来ると嬉しいです」
イェーマはそう言った上で、アーノルド、ローラと共に神父の部屋から去っていく。本来ならば、神父が「星の前世」なのかどうかを調べる必要があったのだが、神父の聖印は特殊な状況下でないとその真価を発揮しない以上、確認は難しい。また、紅のヴァイオリン弾きについての話も聞く予定だったのだが、三人とも、イェーマの出自を知ったことによる衝撃が大きすぎて、そのことがすっかり頭から抜け落ちてしまっていたようである(もっとも、仮に聞いたところで、神父は楽士については何も知らなかったのだが)。
そして、イェーマの出自についてのより深い真相は、イェーマのいない場所で、意外な人物の口から語られることになる。
「ここまでの護衛、ご苦労だったな」
ヴォルミスの宿舎を訪ねたウィルバートに対して団長がそう言ったのに対し、ウィルバートは真剣な表情で、イェーマから聞いた話をそのまま伝える。ヴァレフスが復活すること。それを倒すために百八人の仲間が必要なこと。その中の二人が、自分とイェーマであること。
あまりにも突飛すぎる話だが、ヴォルミスは真剣な表情で聞き続けた。この混沌に溢れた世界においては、いつどこで何が起きるかは分からない。歴戦の傭兵である彼は、いかに奇想天外な話であろうとも、「そういうこともあり得るのかもしれない」と思える程度には、柔軟な思考の持ち主であった。
「で、俺はその中に入っているのか?」
「それは、イェーマに聞いてみないと分からねぇ」
より厳密に言えば、イェーマを初めとする「もともとこの世界の夜空に残っていた八つの星」の誰かならば分かる話なのだが、そこまで詳しい事情まではウィルバートは聞かされていない。
「なるほどな。それなら直接聞いてみるしかないが……、しかし、そうか、あいつがなぁ……」
ヴォルミスは何やら思わせぶりな言い回しで呟きながら、感慨深そうな表情を浮かべる。
「『あいつ』と『お前』か……。まぁ、ある意味、何かそういう『特殊な宿縁』を持つ連中だけなのかもしれんな。その『星の前世』なる者達は」
何やら懐かしそうな口振りでそう語る団長に対し、ウィルバートはもう一つ「気になっていたこと」を問いかける。
「ちなみに団長、シリア殿の護衛についた時に、何か思わせぶりなことを言われたんだが、詳しい話を俺は知っている必要はない、ということでいいんだな?」
「まぁ、彼女のことに関してはな。だが、今の話を聞く限り、お前はイェーマのことに関しては知っておく必要がある」
「ほう?」
「『あいつの正体』に関して、一応、お前には説明しておいた方がいいだろう。そして、結果的にそれが、『彼女の話』とも繋がってくることになる……。とはいえ、あんまり素面で話す気にもならねえからな」
そう言って、ヴォルミスは長年愛用している鞄の中から「秘蔵の酒瓶」を取り出し、栓を開け、使い慣れた二つの古びた盃に注いでいく。その匂いからして相当強い酒であることが分かるが、ここで拒んでは話が聞けないと判断したウィルバートは、覚悟を決めた上でその盃を受け取り、そのまま一気に体内に流し込んだ。まだ若い彼の身体にはかなりの刺激であったが、それでもどうにか意識を保ちながら、自分の目の前で盃を軽々と飲み干して二杯目を注ぎ込もうとするヴォルミスに視線を向ける。
「若い頃の話だ……。まだ、俺が『暁の牙』なんてものを作るよりもずっと前、お前くらいの歳だったか……、傭兵として、そこそこ名が売れてた頃だ。当時、俺はヴァレフールで、とある仕事に就いていた。その時に、当時騎士団長だったケネス・ドロップスがな、俺にちょっと無茶な任務を押し付けてきやがって、さすがにそれには応じられねえと思った。少なくとも、奴が提示した金額じゃあ、命を賭けるには安すぎると思ったんだ」
ヴォルミスはそこまで言ったところで、二杯目の酒を勢いよく飲み干し、そして赤ら顔でニヤリと笑いながら話を続けた。
「で、まぁ、冗談半分にな、騎士団長に『お前の娘を一晩貸してくれるんだったら、やってもいいぞ』と言ったら……、奴はその話に乗りやがった」
ケネスには二人の娘がいる。長女のシリアと、次女のプリス。後にシリアは伯爵家の次男トイバルに嫁いでサラ、ゴーバン、ドギの三人の子を産み、プリスはケネスの側近であったレオンの妻としてトオヤとロジャーの母となった(それが公的な記録上の二人の経歴である)。
この時点で、ヴォルミスがどちらの「娘」の話をしているのかは明言していないが、話の文脈上、おそらくシリアの方であろうことは、ウィルバートにも分かる。実際、当時のシリアは宮廷内でも指折りの美女として知られており、ヴォルミスだけでなく、ケネスの傘下にいた荒くれ者達の中では、まさに憧れの「高嶺の花」だった。
「まさかと思いつつ、その日の晩、俺が寝床で待っていたら、『本物以上に、俺の理想の姫様』とでも評すべき女がやってきた。あまりにも俺の理想通りだったから、こいつは本物じゃないことは分かった。分かったが、まぁ、本物以上の偽物が手に入るなら良いかと思ってな。で、その日の夜は『色々』あって、俺は翌日、死ぬ気で任務をこなした」
つまり、傭兵として、受け取るべき「報酬」をしっかりと受け取った、ということである。それが偽物であることを看破していた以上、ヴォルミスが契約を律儀に守る必要はなかったのだが、彼の中では「自分が命を賭けるに値するだけの一夜」を得たということで、それに見合うだけの仕事をやり遂げるにしたらしい。
なお、この「偽物」に関しては、ヴォルミスも噂に聞いたことがあった。ヴァレフールには「パロット(鸚鵡)」と呼ばれる変幻自在の「幻影の邪紋使い」がいるらしい、ということを。幻影の邪紋使いはその姿を(性別や種族すらも)自在に変えられるだけでなく、他人を魅了する能力にも長けている。おそらく「彼女」は、当時のブレトランドにおける最高峰の「枕事の達人」だったのだろう。
その上で、シリアの反応から察するに、おそらく彼女もまたケネスからその話を聞かされた上で、「ヴォルミスと会った時には、口裏を合わせるように」と伝えられていたのだろう。たとえ実際には自分の身に一切触れられることがなかったとしても、シリアにしてみれば心地の悪い話であることは間違いない。そして、その「心地の悪さ」は当時のヴォルミスも感じていたらしい。
「その後、なんとなく、本物の姫様に会うのも気まずくなってな。しばらくヴァレフールを離れることにしたんだが、とある筋から、どうもその『偽物』が俺の子を孕んだらしい、という話を聞いた。まぁ、俺をここまで満足させるような奴だから、おそらく、相当な実力の邪紋使いだったんだろう。で、『強力な邪紋使い同士の子供』は、胎内で邪紋が混ざり合って『投影体』として生まれてしまうことがあるようで、どうやらその『俺の子』も、その『偽物』の胎内で、そんな状態になっていたらしい」
ヴォルミスは三杯目の盃に手をかけながら、淡々と話を続ける。
「そのことを知ったあの騎士団長は、そんな危険な存在が生まれてくる前に、とっとと殺そうとしたらしいんだが、『人道派』と呼ばれている当時の副団長がそいつを匿った上で、聖印教会の『特殊な力を持った神父』を連れて来て、その子供が生まれてくる前に、その混沌核を聖印に書き換えたらしい。ただ、聖印教会の連中としても、『そういう存在』を認めて良いのか、ということについては異論もあったみたいで、『その子供』は生まれてすぐ、大陸の孤児院に出された。で、その孤児院が色々あってぶっ壊れたと聞いて、俺はその場に遺されていた『その子供』を助けた。そういう訳だ」
ここまでの話を聞けば、その「孤児院に預けられた子供」がイェーマのことを指していることはウィルバートには分かる(なお、この時点でケネスの元を離れたその邪紋使いは、以後は「副団長派」へと転じ、「次世代の後継者」を育てつつ、「次代のヴァレフール伯爵の影武者」となるのだが、それはまた別の物語である)。
その上で、既に泥酔状態にあったウィルバートは、目の前にいるのが「団長」であるにも関わらず、今まで彼に対して抱いてきた畏怖も敬意も全て忘れて、心の底からの叫びを解き放つ。
「なんで俺の周りは、こんなロクデナシばっかりなんだ!」
事情は全く異なるものの、この話を聞かされたウィルバートは「見境なく幾人もの女性に手を出し、ろくに子育てもしなかった実の父」のことを思い出さずにはいられなかった。
「まぁ、お前も、もう少し歳を取れば分かるようになる。もう少し『男』になればな」
「一生、分かんねぇ!」
正直、聞いてる方も素面では聞けない話だった。
「まぁ、お前だけは分かっておいてやれ。似たような境遇だろう」
「じゃあ、団長。交換条件として、俺とあいつは勝手に動いていいな?」
どういう意味での「交換条件」なのかはヴォルミスにはよく分からなかったが、微妙に苦味を帯びた笑いを浮かべながら頷く。
「あぁ、世界を救うために、な。もちろん、そのために俺の力も必要だってんなら、いつでも言ってこい」
「分かった。じゃあ、最後にこれも伝えておく」
ウィルバートはそう言って、ローラが語っていた「七つの予言」の話を伝える。その言葉一つ一つに、団長は真剣に聞き入った。
「なるほど。だとしたら、俺が呼ばれた要件も、おそらくはそれだな……」
ヴォルミスが納得した表情を浮かべつつ、実際に起こりうる「混沌災害」の可能性について熟考し始めたところで、要件を済ませたウィルバートは、極めて不機嫌な形相のまま部屋から去って行った。
ひとまずイェーマに報告するために彼の部屋へと向かったウィルバートは、ちょうど神父の元から戻ってきたイェーマ達と、部屋の前で鉢合わせた。この時点で、まだウィルバートの顔は紅潮したままであり、足元も若干ふらついているように見える。
「あれ? 呑んだ?」
「団長に付き合わされた……」
「あぁ、それは、大変だったな……。で、何の話をしてたんだ?」
イェーマとしては何の悪意もない当然の質問なのだが、ウィルバートとしては、さすがに「あの話」を本人に伝える気にはならない。ひとまず、今日の警備に関しては団長も協力するということと、星核の件については自由にやらせてもらえる、という言質を取ったことだけは伝える。
「そうか、団長が助けてくれるなら、安心だな」
青年傭兵二人のそんなやり取りを目のあたりにして、アーノルドはふと呟く。
「私が思っていたよりも、暁の牙は『風通しが良い組織』なんだな」
確かに、「星核」や「大毒龍復活」などといった突拍子もない話を団長があっさりと受け入れた上で、各団員に自由行動を認めてくれるというのは、比較的規律の厳しい貴族(そして聖印教会)社会で生きてきたアーノルドから見れば、随分と緩やかな組織に見えるだろう。実際、ヴォルミスは「(酒の席とはいえ)団長のことをロクデナシ呼ばわりする青二才」の悪態を笑って聞き流す程度には、上下関係に寛容な人物であった。
一方、イェーマの方は自分が聞いた話をそのまま伝える。
「俺はどうやら、お前と同じように『強力な二人の邪紋使い』の間に生まれた子供らしくて、生まれる前に混沌に取り込まれそうになったんだけど、あの神父さんが助けてくれたらしいんだ」
その話は、ウィルバートが聞いた話と確かに一致している。ただ、どうやらイェーマはその「両親」が誰なのかまでは聞かされていないらしい、ということも、ウィルバートは概ね推察した。なお、実はウィルバートの「本当の父親」は邪紋使いではないのだが、そのことは(イェーマの両親の話以上に)語るつもりはなかった。
「あぁ、うん、そうだな、うん……」
色々な意味でまた嫌な気分がぶり返してきたウィルバートが目をそらしながら小声で呟くと、イェーマはどこかその様子がおかしいことに気付く。
「あれ? もしかして、酒呑んで疲れた?」
「そうだな……。申し訳ないが、前夜祭が始まるまでは休ませてもらう……」
「おぉ、お疲れ」
こうして、ウィルバートは自分の宿舎へと去って行く。まだ微妙に足元がおぼつかない様子の彼をアーノルドとローラは心配そうに見送りつつ、彼等もそれぞれの客室へと戻ってそれぞれの同行人と一旦合流しつつ、今後の方針について考えることにした。
なお、この時点でイェーマが「現在のヴァレフール護国卿の異父弟」だということを知る者は、「彼等の母」自身には以外は誰もいない(ウィルバートもヴォルミスもルキアーノも、護国卿の出生は知らず、護国卿や先代騎士団長はイェーマの存在を知らない)。
一旦皆と散会したイェーマは、もう一度モニカに会いに行くため、「お色直し」の確認が終わった頃合いを見計らって、彼女の私室へと向かった。すると、扉の前まで来たところで、中からルイの声が聞こえて来る。
「いやー、楽しみですなぁ。我が花嫁の晴れ姿。そして……」
「失礼しまーす」
あえて何も気付いていないフリをして、イェーマは淡々と扉を空ける。入って来た彼に対してルイは嫌そうな顔を浮かべるが、モニカはホッとしたような表情で出迎えた。そして、ふと何かを思い出したかのように、ルイはイェーマに問いかける。
「ところで、昨晩は何があったのだ?」
どうやらルイも、夜中に何かドタバタしていたことには気付いていたらしい(しかし、自分からそれを解決するために現場に向かう気はなかった)。イェーマとしては、楽士の正体が分からない以上、あまり気安くこの話を口外したくはないし、目の前にいるモニカにも楽士のことは伝えたくない。とはいえ、一般人であるシリアが気付いて現場まで来ていたことから察するに、おそらく、あの戦いを目撃していた者は(表には出てこなかっただけで)他にも城内に一定数はいるだろうと考えると、中途半端にごまかす訳にもいかない。
「実は、中庭で魔物が出まして。とりあえずは退治しました。ルイ様は寝ていらっしゃったんですか?」
「あぁ、まぁ、そうだな……、私が出る程の相手でもなかったようだし……。しかし、混沌濃度が低いと言われているこの城内で魔物が出現するとは……。これは『何者か』が裏で糸を引いているのではないか?」
当然、ルイの中では「かつての自身の契約魔法師」の顔が思い浮かぶ。
「それは分かりませんが、もしそうだとしたら、この結婚を破棄させようとしているとしか思えませんよ。さすがにそんなことはないと思うんですが」
「うん……、そう……、だ、な……」
ルイは「彼女」以外にも頭の中で色々な「心当たり」が思い浮かんだようで、徐々に表情が暗くなっていく。
「誰かに恨みを買われるようなことでもあったんですか?」
「それはない。それはないだろうが……、やはり、庶民の女性達の中にも、私のような尊い生まれの者との貴賤婚を夢見る者もいるからな。まぁ、それは、夢を見させるようなことをしてしまう私も悪いんだが、一応、ちゃんと、全部ケリはつけた筈だし……」
徐々にルイは小声になっていくが、途中でフッと顔を上げて、開き直ったような表情でモニカに向き直る。
「大丈夫ですぞ。あくまで、あくまで全て過去の話ですからな」
そう言われたモニカがどう反応すれば良いのか分からずに困惑した顔を浮かべる中、イェーマが改めて忠告する。
「とはいえ、そういうことがあったので、一応、ルイ様もお気をつけ下さい」
「あぁ、まぁ、そうだな」
微妙な表情を浮かべつつ、ルイは部屋から去って行く。まだ彼にも声が聞こえるかもしれないと判断したイェーマは、ひとまず「外向きの口調」でモニカに語りかける。
「モニカ様も、お疲れさまです」
「そうですね……。昨夜は魔物が現れていたという話は私も聞いたんですけど……、やっぱり、私ですよね、原因は……」
再び表情が暗くなっていくモニカに対して、イェーマも今回ばかりは全面否定することは出来ない。昨夜の様子を見る限り、モニカに騒動の責任があるとは思っていないが、彼女が原因である可能性は十分に考えられる話であった。
「そうとは言い切れないけど、そうかもしれない……。でも、逆に考えてみようよ。もしそうだとしたら、ここにいても駄目じゃないか。守れる人は必要だろう。ルイ様は君を守れるかな?」
彼女が本音ではこの結婚には乗り気ではないことは(ここまでの彼女の態度を見る限り)明白である。それでも、自分の居場所がここ(混沌濃度が低い地方)にしかないと思っている彼女に対して、あえてイェーマはそう言ってみたのだが、それに対して彼女は「最悪の回答」を返す。
「でも、そこまでして私がこの世界に生き続ける権利があるのでしょうか?」
「あるんじゃないかな。だって……」
イェーマは少し迷いつつ、自分のことも話すことにした。
「僕は、実は、両親が両方共強い邪紋使いだったらしくて。だから、僕自身も、危険な存在だったらしいんだ。この世に生まれてきてはいけない存在だと言われてたんだけど、でも、神父様が助けてくれた。だから、君も誰かに助けてもらえれば、君も生きてていいんだよ」
「助けてもらう……」
モニカはそう呟きながら、自分の心の声に向き合おうとする。彼女は確かに今、助けを求めている。出来れば「今、自分の目の前にいる彼」に助けてほしい。
(でも、私にそんな価値があるの……?)
モニカはそんな疑惑を婉曲的に「彼」に問いかける。
「『助けてくれた人』に、私は何を返せば良いのでしょう? あなたのように、聖印や剣が使える訳でもない……」
「なるほど。じゃあ、僕が君を助けるというのは、どうだろう? 僕と君は『友達』だから、別に、見返りなんて必要ないし、そんなこと気にする必要はない。そもそも僕は君といて楽しいから、何かを返せなんて言うこともない。少しは、頼ってほしい、な」
その言葉に対して、モニカの中では二つの心が同時に浮かび上がる。
(こんな自分のために、そこまで言ってくれて嬉しい!)
(でも、この人の中ではあくまで「友達」なのね……)
(何様のつもりよ! 「友達」でも十分すぎるくらいじゃない)
(そうなんだけど、でも……)
心の中でそんな自問自答を繰り広げつつ、彼女は平静を装いながら口を開く。
「そう、ですね……。少し、考えます」
「ありがとう。それと、魔物が出ている訳だから、気をつけて。僕も君の近くにはいるけど、出来るだけ気をつけて」
そう言って、イェーマが部屋を出たところで、ばったりと一人の少年に出会う。モニカの従弟のゴーバンであった。彼もまた、モニカのことが心配で訪ねてきたらしい。
「お、おぅ、イェーマ、だっけ?」
「はい、イェーマです」
反射的にそう答えたイェーマに対し、ゴーバンはバツが悪そうな顔をしながら語りかける。
「あのさぁ、これ、俺が言うべきことかどうか分からないけどさ……、お前、なんか、俺の知ってる奴に似ててさ。何が似てるって、その、うーん、鈍感なんだよな。多分、あいつも、もうちょっと早くレアねーちゃ……、あ、いや、それはもういいとして……」
小声でボソボソとよく分からないことを呟きつつ、改めてゴーバンはイェーマの目を見て、こう告げた。
「多分、モニカねーちゃんがお前に期待してるのは『友達』じゃないと思うぞ」
どうやら、彼は扉の前で先刻の会話を聞いていたようである。そして、彼はなぜかいつも妙なところで勘が鋭い。考えるよりも先に何かを感じることで生きている、そんな少年であった。
だが、イェーマにはゴーバンが何を言おうとしているのかが全く分からない。そんな彼の様子を見て、ゴーバンは思わず溜息をつく。
「いや、お前にその気がないなら、別にいいんだけどさ」
ゴーバンはそう言って、その場から立ち去って行く。本当はモニカに何か言いに来ていた筈だったのだが、なんとなく、今のモニカに対してかける言葉が思いつかなくなってしまったらしい。
イェーマは釈然としない表情を浮かべつつ、今度はもう一つの案件を確認すべく、団長ヴォルミスの元へと向かうことにした。
ヴォルミスの宿舎へとイェーマが辿り着いた時、部屋の中にはまだ酒の匂いが充満していた。どうやら、ウィルバートが去った後も、一人で「おもいで酒」に浸っていたらしい。それでも、顔は赤らめながらもはっきりとした口調で、ヴォルミスはイェーマに語りかける。
「さて、ようやくお前の任務もこれで終わる訳だが、とりあえず、さっきウィルバートから話は聞いた。世界を救うための云々の話をな。それに関して、俺が『その一人』かどうかということは、どうすれば確かめられる?」
「とりあえず、邪紋の力を軽く使ってみてもらえますか?」
そう言われたヴォルミスは、愛用の大剣を握り、自らの邪紋を発動させて、自身の右腕と剣を一体化させていく。更にそこから全身に邪紋を行き渡らせることで激しい闘気をまとっていくが、イェーマはそこから「ウィルバート達から感じたような気配」を感じることは出来なかった。
「多分、違いますね……」
「そうか……。その大毒龍とやらとは、やり合ってみたかった気もするが、お前の話によれば、その力を持たない者では、そもそも太刀打ち出来ないのだろう?」
「多分……」
実際のところ、イェーマの中でも明確な根拠のある話ではない。ただ、彼自身の中の天勇星は、星核の力を持たない者の参戦を拒んでいるように感じる。
「それなら、仕方ない。まぁ、そもそも傭兵というものは、本来、金にならない仕事はやるべきではないしな」
そう言って剣をしまいつつ、邪紋の力を解きながら、改めてイェーマに語りかける。
「どちらにしても、明日でお前の仕事はお役御免になるだろう。その上で、そこからどうするかはおまえの自由だ。世界を救うために何かするでもいいし、別に俺に内緒で闇営業したければ、それでもいい。そういう特殊な事情があるのであればな」
「なるほど。まぁ、何をするか決めたら、伝えはすると思います」
もっとも、どちらも魔法師が傍らにいる訳でもない都合上、そう簡単にすぐ連絡が取れるという訳でもない。状況によっては即座に判断しなければならないこともあるだろうし、事後報告にならざるを得ないこともあるだろう。
「で、どうだった? 一年、この城で暮らしてみて」
「そうですね……、大分このあたりは平和ですね」
「平和は、性に合わんか?」
「いや、まぁ、いい経験にはなったと思います。正直。まぁ、でも、そうですね、多分、僕はどっちでも大丈夫なんだと思います。平和が性に合わないとは思ってませんし、今までの戦ってた日々が嫌だったとも思ってません。ただ、私は死ぬ訳にはいかなくなったので、今までのように傭兵を続ける訳にはいかないと思います」
唐突にそんなことを言い出したイェーマに対して、ヴォルミスはピクッと反応する。
「ウィルバートから『話』を聞いたのか?」
ヴォルミスとしては、別に口止めした訳でもないので、先刻の話がイェーマに伝わっても別に構わないと思っていたが、もし知っているのなら、「父」として改めて話をすべきだろう、と思い始めていた。だが、イェーマは何の話をしているのかが分からず、首をかしげる。
「何のことですか?」
直観力に優れたヴォルミスの目には、イェーマが話をごまかしている様子には見えない。本当に先刻の話を聞いていないのだとすると、別の方向から「自分の正体」を知ったのだろうか……、と考えた末に、ヴォルミスはあっさりと「正解」に辿り着く。
「そうか、そういえば、『例の神父』も今回ここに来ているんだったな……。まぁ、いい。お前がどこまで何を知っているか、なんてのは、どうでもいいことだ。その上で、仮にこの後、世界を救ったとして、その後で、お前は何をしたい?」
「その後、ですか……」
「『世界を救う戦い』が何年かかるかは知らんがな」
「それは僕にも分からないですね。あ、でも、こっちに来て『友人』が出来て、守らなきゃいけないと思ったので、とりあえずはその人と一緒にいたいですね」
「お前が『守りたい友人』か……」
今まで、イェーマにとっての「友人」とは、基本的には「仕事仲間」であり、「守るべき友人」という存在はいなかった。彼が言うところの「友人」がどのような存在なのかは分からないが、少なくとも、何らかの心境の変化があったことは確かだろう。
「世界を守る戦い、なんてものに俺は関わったことがないから、それがお前の中でどれくらいのものなのかは知らんが、それはそれとして、お前自身が手にしたいものがあるのであれば、それはそれで生きる糧になるだろう。それが見つかったなら、一年ここに駐在し続けた意味もあったと言えるだろうな」
思わせぶりな口調でそう語る団長に対して、イェーマは唐突にあることを思い出す。
「あ、そうだ。最後に一つ聞きたいんですけど、僕の両親って、すごく強い邪紋使いだったらしいんですけど、何か心当たりはありませんか?」
イェーマにしてみれば、自分を拾ってくれた団長なら、何か知っているかもしれないと考えるのは自然な発想である。そこから更に「一つの可能性」として真相に辿り着くことも理論上は可能な筈だが、この時点でのイェーマはそこまで思い至らなかったらしい。
ヴォルミスはそんなイェーマの心境をその表情から察しつつ、他人事のように答える。
「それほど強い邪紋使いなのであれば、いずれどこかで出会うのではないか? お前がそれに匹敵するだけの力を得ればな。強い者とは、いつか出会う。それが強い者同士の宿命だ」
「なるほど。仲間を見つけていくうちに、出会えるかもしれませんね」
「あぁ、そうだな」
あくまでも興味無さそうな素振りを続けるヴォルミスに対し、最後にイェーマはこう告げる。
「あと、お酒の匂いは消しといた方がいいですよ。前夜祭には偉い人達も来ますし」
「いやいや、俺はそんなとこには出席しねえよ。そういう時に外回りして、何かが起きた時に対応するのが俺の仕事だ」
そう言って、ヴォルミスは改めて剣の手入れを始める。そんな彼に一礼して去って行くイェーマを見ながら、「父」は心の中で呟いた。
(俺は「偽物」しか手に入れることが出来なかった。その結果としてお前がいる。その上で、お前が「本物」を手にすることが出来るなら、ある意味、俺の宿願が果たされたことになるのかもしれない。まぁ、お前にとっては、どうでもいい話だろうがな……)
一方、その頃、アーノルドは城下町へと出た上で、現地の聖印教会の人脈を頼りに「ルイに対して恨みを持っている人物」の心当たりなどを調査していた。その結果、次々と「容疑者」が浮かび上がってくることになる。
ルイと仲が悪かった人々として、まず筆頭に挙げられるのは「約一年前まで彼が婿養子に入っていた、アロンヌ西部の港町イオの領主であるデュヴェルジェ家の人々」である。彼等とは実質的に絶縁状態にある上に、立場的にも彼等は現在のアロンヌの中でコンドルセ家が所属する「ルクレール派」とは対立する派閥に属しているため、この機に何らかの形でルイに対して嫌がらせ工作を仕掛けてくる可能性は十分にある。
次に疑わしき人物として、「イオの領主時代のルイの契約魔法師だった女性」である。この人物については詳細は分からなかったが、彼から何度も性的関係を求められたことで嫌気が差して(極めて異例な形ながら)彼女の師匠の仲介によって契約解消に至ったらしい。かなり険悪な形で破局した人物だけに、ルイに危害を加えようとする動機は十分すぎる程にあるように思えた(なお、その人物がローラの義姉という情報までは得られなかった)。
また、イオの街でも、このコンドルセ家の領内でも、ルイが手を出した庶民の女性は数知れず、その中には円満な手切れに至らなかった者達は多いらしい。当然、ルイに対して今でも様々な感情を抱いている者達がいる可能性はある。ルイに対して憎悪ではない執着感情を抱いている場合でも、結婚式そのものを妨害してくる可能性はあるだろう。
そして、ルイは実の家族からも見限られてる、という説もある。次男フィリップとは表面上仲良くしていたが、フィリップは内心では兄のことを軽蔑していたとも言われており、三男シャルルとの間には明らかに子供の頃から「溝」があったらしい。そして父のアンリを初めとする一族の者達全体の中でもルイへの評価は芳しくなく、彼が後継者となることを不安視する者も多い。その意味では、次期当主の座を狙う遠戚の人物がルイの暗殺を試みてもおかしくはないし、状況次第では父がそれを黙認する可能性もあるのでは? という憶測も一部では広がっていた。
ここまでの調査を経た上で、あまりの容疑者の多さにアーノルドは頭を抱える。正直、この調子では誰が犯人でもおかしくないし、特定は極めて困難であった。
(やはり、もう一度ローラ殿に話を聞きに行くべきか……)
アーノルドは聖印教会の信徒ではあるが、魔法師や邪紋使いの力を借りることに対して(その人物が信用出来る人格の持ち主であるならば)抵抗はない。ただ、宗教国家ヴァンベルグの君主という立場上、あまり公に魔法師との協力姿勢を示す訳にもいかないため、なるべく周囲に気付かれないようにローラと接触しなければ……、と考えつつ、一旦城に戻ろうとしたところで、街の大通りの方面から、人々のざわつく声が聞こえてくる。
「お、おい、あれ……」
何が起きたのかとアーノルドがその方向へと向かうと、そこには、一人の見慣れない男の姿があった。その男は、(元は豪奢な貴族服であったと思しき)ボロボロの服を身にまとい、やつれた様相でフラフラとした足取りながらも、眼光だけは鋭くオリビア城を睨みつけながら、周囲の人々を押し分けるように大通りの真ん中を歩き続ける。
その様子を遠巻きにみている人々は、口々に小声で囁き合っていた。
「フィリップ様、だよな……?」
「あぁ、あんな身なりだが、どう見てもあれはフィリップ様だ……」
******
「フィリップ様がご帰還されたらしいぞ!」
その知らせはすぐにオリビア城内にも届いた。フィリップという名前はこの地域では平凡な男性名だが、この時点でこの地に「帰還」する人物ということになれば、現当主の次男にしてルイの弟であり、モニカにとっての「二番目の婚約者」であったフィリップ・コンドルセのことを指していることは明白である。
「ローラ殿、何やら騒がしくなってきたようですね」
城下町から急いで戻ったアーノルドは、ローラの客室に辿り着くと同時に、そう告げる。それから少し遅れて、イェーマもまた彼女の部屋を訪れた。
「次男殿がご帰還されたそうです。私は、彼のことはあまり詳しく知らないですけど……」
イェーマがそう言ったところで、ローラは「無人島」でのことを思い出し、なんとも言えない表情を浮かべる。彼もまた、あの時はルイと共に聖印教会の側に協力して自分達に敵対しつつ、戦況不利を悟ると同時に、兄を見捨てていち早く船で逃亡した人物であった。少なくとも、ローラの中での印象は極めて悪い。
「ローラ殿の予言のこともありますし、放っておくには危ない事態かと。私は様子を見に行ってきます」
そう言って、アーノルドは装備を整えて城下町へと向かった。彼は、朝の時点でのローラの予言の中にあった「帰還」という言葉から、フィリップがこの地に帰ってきたことが契機となって、何らかの形で混沌災害を引き起こすのでは、と考えていた。この重要な局面において、時空魔法の結果を信用出来る程度には、彼はローラに対して信頼を寄せていたのである。
一方、ローラは改めてこの時点で「フィリップ」に関する情報を時空魔法で得ようと試みることにした。
******
時空魔法による予言は一定時間集中する必要があるため、しばらくの間、彼女は何も出来なくなる。その過程で(少し休んで酔いを醒ました)ウィルバートもまた(当初はイェーマの部屋を訪れようとしていたが、彼がローラの客室に向かったと聞いたので)彼女の元へと到着していた。
そしてローラが導き出した言葉は「遭難」「混沌」「怨霊」「憑依」「異形」「魔物」「兄」という七つの単語であった。
「まずいですね、これは……」
イェーマはそう呟く。もはや疑う余地もなく、フィリップこそがこれから引き起こされる混沌災害の引き金であろう。既に彼が町中に入り込んでいる以上、ここは一刻も早くアーノルドの後を追う必要がある。そして、その思いはウィルバートも同様であった。
「走るか!」
ウィルバートはそう口にすると同時に、一目散に城の出口へと向かって走り出す。それに呼応するようにイェーマは、隣りにいたローラの身体を片手で持ち上げて、そのまま小脇に抱える。
「え? イェーマさん!?」
「どうせ君は、走るのは得意じゃないでしょ?」
緊急事態ということもあり、イェーマは同世代のローラに対して「タメ口」でそう告げた上で、ウィルバートの後を追って走り出す。
「いや、私のことは置いていってもらっても……」
「そんな訳にはいかないでしょ! 僕よりずっと強いんだから!」
実際のところ、ローラは本来は戦闘が得意ではない。だが、昨夜の戦いでのローラの放った電撃が一瞬にして巨大熊達を燃やし尽くした光景を目のあたりにさせられたイェーマには、とてもそうは思えなかったようである。
一足先に城下町へと飛び出したアーノルドに対して、彼の「篭手」が嫌な声色で語りかける。
(極めて強大な混沌核に近づきつつあるな……)
その声がアーノルドの心の中で共鳴する一方で、彼の耳には、目の前の大通りでフィリップを取り囲む人々の声が聞こえてくる。
「フィリップ様、今までどこに?」
「あれから、どうされていたのですか?」
フィリップは無言でそんな人々を押し分けるように、城へと向かって、重い足取りで歩を進める。やがて、アーノルドの後方から、話を聞いて駆け付けたルイの声が聞こえてきた。
「フィリップが帰って来たというのは、本当か?」
それに対してアーノルドが片手を伸ばして静止する。アーノルドとルイは遠縁の親戚だが、実際に会ったことはない。しかし、城に掲げられていた肖像画から、アーノルドはすぐにそれがルイだと認識出来た。
「ルイ殿、少しお待ち下さい」
「どうした?」
「私の杞憂であれば良いのですが、今の彼からは『とてつもなく強い混沌の力』を感じます」
「なん、だと……?」
二人がそんなやり取りをしている間に、フィリップの姿がルイの視界にも入った。言われてみれば、確かにどこかフィリップの様子がおかしいようにも見える。
そんなフィリップが無言でルイへと近付いてくるのに対し、アーノルドが間に入る。
「失礼、あなたがフィリップ殿で間違いないのですか?」
「私は貴様など、知らん!」
そう言ってアーノルドを片手で払いのけようとするが、その圧力に抗おうとするアーノルドによって、逆に弾き飛ばされた。もともと体格的にはフィリップの方が細身である上に、今のフィリップは明らかに身体状態が本調子ではなく、足腰も不安定である。
「フィリップ、どうしたんだ、お前。一体……」
駆け寄ろうとしたルイに対して、フィリップは激しい憎悪を込めた表情で睨み付ける。
「貴様さえ、貴様さえいなければ……、貴様の痴話喧嘩に巻き込まれたせいで、この俺は……」
フィリップはそう呟きながら、徐々にその身体を異形の怪物へと変化させていく。彼の外皮は不気味な海洋生物のような色へと変わり、徐々にその身体は膨張しつつ、その四肢はそれぞれに分裂する形で八本の触手へと変わり、もはや「フィリップ」であった時の面影を完全に消失した「巨大な蛸のような怪物」へと変わっていく。どうやら彼は、行方不明となっている間に何らかの形で混沌の力に取り込まれてしまったらしい。
「ルイ殿、ここは二人で引き止めましょう!」
さすがに「この状態の彼」を、城に近付ける訳にはいかない。そう判断したアーノルドであったが、彼がそう叫びながらルイに視線を向けた時、既にルイは(街の人々と共に)怪物に背を向けて一目散に城へと向かって逃げ出していた。
アーノルドはやむなく一人で聖印の力を発動し、怪物から距離を取りつつ、全力で聖なる光矢を放つ。その一撃は怪物の身体を貫き、そのまま光の鎖となって怪物の身体を縛り上げる。だが、次の瞬間、その怪物の周囲の石畳の公道が消滅し、代わりにその空間に「海」が出現した。その空間の変異は怪物から距離を取っていたアーノルドの足元にまで及び、彼もまた「海」へと落下する。聖印の力によって生み出された浮力によって、かろうじて上半身は水面上に保ちながら、そんな彼に対して遅い来る怪物の触手をかろうじて避け続けていた。
そんな中、アーノルドの後方から、ウィルバート、イェーマ、そしてイェーマに抱えられた状態のローラが駆けつけた。
(また海!?)
ローラは思わず内心でそう叫ぶ。彼女はかつてエーラム均衡の山岳地帯にて、突如として地面が「海」へと変化する場面に遭遇したことがあった(
ブレトランドと魔法都市2参照)。そして、彼等が駆け付けたのはアーノルドから見て「背後」の方面であったが、ウィルバートが到着と同時に「龍化」を始めたこともあり、その気配からアーノルドはすぐに状況を察する。
「皆さん! 助かりました!」
アーノルドは援軍に対して背を向けたままそう叫びつつ、ひとまず必死に身体を動かして「海」の領域の外に出たところで、ローラの魔法でその弓の威力を強化してもらった上で、二度目の光矢を放つ。そしてローラは立て続けに他の仲間達の武器を次々と強化しつつ、雷撃球の魔法を発動する。既に彼女の目には、アーノルドが戦っている相手が「フィリップ」とは認識出来ていないため、そこには何の躊躇もなかった。
だが、この怪物はそんな二人の攻撃を受けても全く怯む様子もなく、その身体を縛る光の鎖を強引に破壊した上で、そのまま城(ルイの逃げた方向)へと進み、それと同時に「海」の領域も移動した結果、(一度は陸地に上がった筈の)アーノルドを含めた全員が「海」へと落下した。
しかし、龍(ウィルバート)とイェーマは、気にせずそのまま泳いで怪物へと近付き、それぞれに牙と剣で戦いを挑む。それに対して怪物は反撃を試みるが、ウィルバートの妨害工作とローラによる支援魔法の効果もあって、怪物に有利な水中であるにもかかわらず、全員がその触手による攻撃を見事にかわし続ける。
そしてローラの錬成魔法によって気力を回復したアーノルドによる閃光の如き一撃と、ローラによる一点集中型の雷撃魔法、更にはウィルバートの(「影」としての属性を生かした)急所攻撃と、星核の力を用いて放たれたイェーマの斬撃が次々と繰り出され続けた結果、最終的には激戦の末に怪物の混沌核は破壊され、その周囲の「海」は元の石畳の地表へと戻り、混沌核の残骸はイェーマとアーノルドの聖印によって浄化・分割吸収されたのであった。
「結局、何だったんだ……?」
逃げ惑っていた街の人々は、怪物が消えたことでようやく落ち着きを取り戻すが、アーノルド達自身も含めて、何が起きていたのかは誰も理解出来なかった。ただ、公衆の面前でフィリップが「貴様のせいで」とルイに対して言い放っていたので、何らかの兄弟喧嘩があったであろうことは伝わっている。
なお、戦場から真っ先に逃げ去ったルイは、城に戻ると同時に全ての兵士に対して「籠城」の命令を出していたらしい。「今、この城の中に姫がいるのだから、守らなければ」というのがその理由であり、実際、怪物は城に向かおうとしていたので、その判断自体は客観的に見れば間違いではない(実際には、怪物は「城」ではなく「ルイ」に対して向かっていたのだが)。
一方、本来の城主であるアンリは、この騒動の最中、主賓格となる来客の出迎えのため、フィリップの出現場所とは反対側の城下町に出ており、彼が城に戻った時には、既に事態は収束した後だった。彼は報告のために帰城したアーノルド達に対して、城の入口で深々と頭を下げる。
「お客人には、我が息子のためにご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
「いえ、あなたが気にされることではありません」
「ですが、そもそも、息子達がこのようなことになってしまったのも、私の責任ですし」
実際のところ、なぜフィリップが異形化してしまったのか、原因は定かではない。おそらくは、あの無人島合宿の際にいち早く逃げ出した彼の船が、何らかの海難事故に遭って海上の混沌に取り込まれてしまったのだろうが、それが自然発生的な事故だったのか、何者かの意図がその背後にあったのかは不明である(なお、フィリップが一人で無人島から去った際の経緯については、目撃者であるローラは何も言わなかった)。
そんな中、モニカが彼等の前に現れた。その傍らには、彼女を守るために城に残っていたラファエルの姿もある。モニカは何かを決意したような強い面持ちで、アンリに対してこう告げた。
「本来、滅多に混沌が発生することのないこの地で、このようなことが起きてしまったのは、私の責任としか思えません。ですので、大変申し訳ございませんが、今回の縁談、辞退させて頂きます」
モニカはそう言って、アンリに対して頭を下げる。
「いえ、そのようなことは……。これはあくまでも我が息子達の……」
「先程、ルイ様にもこのことはお伝えした上で、納得して頂きました。大変身勝手なお願いかとは思いますが、どうか御了承下さい」
いつになく確固たる信念を込めた表情でそう語るモニカに対し、アンリは彼女を引き止める言葉を持ち合わせていなかった。実際のところ、今回のフィリップの一件はモニカとは全く無関係の混沌災害だったのだが、アンリとしては既に過去二回に渡って婚約不履行という前科を犯してしまっている以上、彼女の側からこう言われてしまっては、引き止められる立場ではない。
そもそも最初からモニカがこの結婚に前向きではないことは、アンリも分かっていた。故に、おそらく彼女の中では今回の件はただの契機にすぎず、「新郎側が原因の混沌災害」を理由にするとカドが立つと判断した上で「自分が原因」ということにしてくれたのだろう、とアンリは解釈していたのである(実際には、モニカは本気で自分が原因だと勘違いしていたのだが)。
「分かりました……。大変残念ではありますが、当方としてもこれ以上、ヴァレフールの大切な御令嬢をこの地に縛り続けておくことは出来ません。今更私が言えた義理ではありませぬが、どうか、新たな御良縁に恵まれることをお祈りしております……」
アンリはそう言って、結婚式に参列予定の来賓達への謝罪のために、この場を後にした。なお、この直前にモニカがルイに婚約解消を申し出た時のルイの反応も、概ねアンリと同様であった。ルイとしては、フィリップに恨まれる心当たりは十分すぎる程にあった上に、その真相を知るローラが来ている現状において、この問題について掘り返されることを恐れていたため、モニカが「自分のせい」だと勘違いして場を収めてくれるのであれば、その方が好都合だったのである(更に言えば、もともとローラを通じて「元契約魔法師」との縁が繋がってしまうと知った時点で、彼自身もまた内心ではこの結婚に対してやや及び腰になっていた)。
その上で、モニカはその場に残ったアーノルド達にも頭を下げる。
「せっかくご来場頂いた皆様には申し訳ございませんが、このようなことになってしまいました。私はもう花嫁ではないので、この地にこれ以上残る訳にはいきません。もっとも、だからと言って私が故郷に帰って良いかは分かりませんが……」
彼女がそう語る傍らで、ラファエルは複雑そうな表情を浮かべていた。実はこの騒動の直前の時点で、ラファエルはモニカに「もうお祖父様はいないし、この婚約も、嫌だったら破棄してもいいと思う」と告げていたのだが、それに対してモニカは「でも、今更帰っても、皆に合わせる顔が無い……」と躊躇していた。そんな彼女にどう声をかけるべきかラファエルが迷っていると、彼よりも先にイェーマが口を開いた。
「それなら、一緒に行く?」
彼のその一言に対して、モニカは歓喜と困惑が入り交ざったような複雑な表情を見せる。
「……どちらへ?」
「うーん、どちらだろう……?」
イェーマとしては、これから先の自分の「旅の目的」をモニカに事情を話して良いかどうか、まだ迷っていた。彼女は自分のことを信頼はしてくれているとは思うが、ブレトランド育ちであるがゆえに大毒龍の伝承のことも知っているであろう(しかも、明らかに気弱な性格の)彼女が、この話を聞いた上で恐怖しない、という保証はない。
一方、モニカは自分がイェーマの「傭兵稼業」に付き合って一緒に旅をするという姿が、どうしても想像出来なかった。
「少なくとも私は、傭兵としては全く役に立ちませんよ」
「まぁ、それは一向に構わないけど……、僕はある理由でブレトランドに行かなきゃいけないんだ。行くとこないなら、一緒に来る?」
そんなイェーマの言葉に対して、どう反応すれば良いか分からない様子のモニカの表情を伺いながら、ラファエルも何かを察する。
(やっぱり、姉さんはこの人のこと……)
ラファエル自身、まだ「そういうこと」には疎い。だが、そんな彼の目にも、モニカはイェーマに対して「ただの護衛の傭兵」以上の感情を抱いているように見えた。その上で、そんな彼の言葉にどう答えれば良いのか分からずにいる姉に対して、改めて「弟」として提言する。
「姉さんが本当の混沌を呼び寄せる体質なのかは分かりませんし、もし姉さんがケイに来るのであれば、受け入れるつもりでいます。もちろん、タイフォンでも、ドラグボロゥでも、どこでも受け入れることは出来ると思います。ローラさんとしても、それで良いですよね?」
「もちろん、構いませんよ」
ローラは笑顔でそう答える。そんな彼等の反応に対して、モニカはまだ色々と迷いながらも、ひとまずはイェーマと共に、ラファエルの仮所領であるケイへと向かうことになった。イェーマとしても、ブレトランドに全く土地勘がない以上、現地の有力者であるラファエルの元へと向かうことは有意義であったし、ローラもローラで、もしイェーマが仲間を探すためにグリースへと向かうことになった場合、義姉との関係性を生かして自分が橋渡し役となることも出来るかもしれない。そして、イェーマの身の安全を確保するという意味でも、しばらく彼等と同行することは、女神ヘカテーの信徒としての彼女にとって望ましい話であった。
こうして、イェーマとモニカはケイへと旅立つことになった。その一方で、ウィルバートは当初の予定通りにシリアをヴァレフールの首都ドラグボロゥへと護送することになる。同じヴァレフールへの帰還ではあるものの、ケイに向かうイェーマ達はアキレス経由となるのに対し、ドラグボロゥへと向かうウィルバートとシリアはオーキッド経由での入国となるため、彼等と歩調を合わせる必要もなく、彼等よりも先に出国することになった。
ウィルバートにしてみればは、自分自身で「星の前世」の者達を識別することは出来ないものの、イェーマとは別行動を取って各地を旅することによって、大毒龍に関する何らかの情報を探し出せる可能性もある。ちなみに、シリアは今回のモニカの決断に対しては何も言わなかった。ただ黙って、彼女が決めたことを粛々と受け入れることにしたようである。
なお、「暁の牙」の団長であるヴォルミスは、イェーマともウィルバートとも顔を合わせぬまま、いつの間にか街から去っていた。後に兵士達が話していた噂によると、ヴォルミスはフィリップの帰還の直前の時点で、城下町の一角で「怪しげな雰囲気を醸し出していた楽士」を発見し、その人物の身元を問いただそうとしたところで彼が逃げ出したため、しばらく彼との間で追走劇を繰り広げた結果、フィリップによる怪物騒動には関わることが出来なかったようである。
一方、アーノルドもまた、ゴーバンを連れて所領のハルペルへと帰ることになった。ゴーバンは今回の一件に関しては何が起きたのか全く知らされないままの帰国となり、釈然としない様子ではあったが、モニカの婚約解消に関しては(もともと彼女が乗り気ではないことは察していたため)なんとなく「それで良かったんじゃないかな」と漠然と思っていた。
ルキアーノは結婚式中止の連絡に対して「まぁ、こういうこともありますよね」と淡々と答えた上で、次の任地であるバルレア半島東岸のユーミル男爵領へと向かうことにした。長年神父を務めてきた彼にとっては、こういった形での「想定外の事故による(?)結婚式中止」は、それほど珍しくないことなのかもしれない。
アーノルドはそんなルキアーノに別れを告げつつ、自分自身の出発直前に(モニカの出立準備が整うのを待つためにまだ街に残っていた)ローラに声をかける。
「ローラ殿、少し、よろしいでしょうか?」
「はい。なんでしょう?」
「まずは、先程の戦いではありがとう。私の方からは何も言わなかったのに、適切な援護をしてくれて」
アーノルドとしては、自分があの戦場において全体をまとめなければならなかった、と思っていたらしい。それは君主としても年長者としても当然の考えではあるのだが、とはいえ、あの状況下で(弓使いであるにもかかわらず)一人で最前線に立つことになってしまっていた彼には、戦場全体を見渡すような余裕がある筈も無かった。
「そんなことはありませんよ。私にはそれくらいしか出来ませんから」
「いや、本当に素晴らしい支援だった。恥ずかしながら、私はこれまで魔法師の方と一緒に戦ったことがなかったのだ」
それは主に信仰上の都合であり、より正確に言えば、立場上の都合でもあった。しかし、今回の戦いを通じて、改めて「状況によっては魔法の力を借りることとも必要」ということをアーノルドは痛感していた。
「そうでしたか」
「なので、今回のことでも、意識的にか無意識的にか、あなたには頼るまいと思って行動してしまっていたのかもしれない。そのことについては、本当にお詫びしたい」
「私としては、そんなことは感じられませんでしたよ」
「そうであれば良いのだが……。これから、この星核に関してまた色々あると思うのだが、もしまた一緒に戦うことがあれば、その時もよろしく頼む」
「分かりました。私の出来る範囲でお手伝いします」
「ありがとう。その時には私も、今以上に君の力になれるように約束するよ。では、お互いお達者で」
「はい。また会う時があれば」
こうして、本来ならばおよそ関わることのない「唯一神を信仰する君主」と「異界の女神を進行する魔法師」の奇妙な共闘は、ひとまず終わった。そして、次に彼等が出会うのはおそらく、大毒龍復活を阻止するための最後の戦いの時となるだろう。
なお、この結婚式の中止に伴い、城に届けられた引き出物や祝いの品は、それぞれの送り主の元へと返されることになったらしいが、その中に「グリース領マーチ村」からの品が含まれていたのかどうかは定かではない。
翌日。ラファエル、ローラ、モニカ、そしてイェーマの四人は、ブレトランドへと向かうために、オリビア城を後にした。そして数日後にアロンヌの港町へと辿り着いた時点で、彼等の前にあのヴァイオリン弾きの男が現れる。
四人が警戒して身構える中、彼は懐から一対の「耳飾り」を取り出す。
「これを渡そうと思っていたんだが、残念ながら、その機会はなかったようだな」
その耳飾りは、確かにモニカにとって見覚えのある一品であった。
「それは、母様の……」
「あいつが、嫁入りする時に付けていた耳飾りらしい。だが、これを渡すのはもうしばらく先か……。いや……」
そう言いながら、ヴァイオリン弾きの男はチラッとイェーマを見て、ニヤリと笑う。
「そう先ではないのかもしれんな……。いずれにせよ、もうしばらくしたら、お前の叔父さんか叔母さんが生まれるから、俺は今からそちらに行かなければならない。それじゃあな」
楽士はローラにそう告げると、イェーマ達がその言葉に反応するよりも先に、自身の周囲に再び蝙蝠達を出現させ、そして蝙蝠達に包まれた状態のまま、霧のように姿を消していった。結局、彼が何者だったのか、何をしたかったのかは分からない。ただ、彼が消え去った後の残り香から、モニカとラファエルはなぜか不思議な懐かしさを感じ取り、そんな彼等の様子を、イェーマとローラは心配そうな面持ちで見つめるのであった。
八つの光が揃うまで、未醒の星はあと三つ。夜空に希望が満ちるまで、未還の星は八十三。
最終更新:2021年07月25日 12:37