第6話(BS58)「天威之弐〜神々の戯れ〜」 1 / 2 / 3 / 4

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1.1. 二人で一人の二人旅

 ノルドの海洋王エーリクの義兄であるフレドリク・リンドマン(下図右)と、その「乗騎」の役割を担う「龍の邪紋使い」であるラスク(下図左)は、領内の魔境探索時の混沌の作用によって、その身体と魂が入れ替わってしまった。元の身体に戻る手がかりを探すため、アントリア北岸の港町パルテノを訪問した彼等は、「夢巻物(ドリムスクロール)」の力を用いて再現した「融合の魔法陣」の力を用いて、ひとまず「一つの身体」へと融合を果たす。


 今の彼等は「二つの形状を持つ一つの身体」の中に「二つの魂」が宿った状態である。すなわち、「彼等」は現状、二人で一つの身体を共有しつつも、その身体の形状は「フレドリク」にも「ラスク」にもなれる。その上で、「フレドリク」の状態の時は聖印を、そして「ラスク」の状態の時は邪紋の力を発動出来る(そしてラスクの邪紋を使えば「龍の姿」にもなれる)のだが、ラスクの邪紋の力を発動させた場合、フレドリクの魂に多大な負担がかかってしまう。
 実際、身体が入れ替わっていた間にフレドリクの魂はラスクの邪紋に侵食される形で激しく疲弊していた。そのため、今後はしばらく外見は「フレドリクの姿」を維持しつつも、彼の魂は休眠させた上で、「ラスクの魂」がフレドリクの身体の支配権を掌握した状態で(あくまでも「フレドリク」として振る舞いながら)、二人の身体と魂を「本来の形」に戻るように分離する方法を探す旅を続けることにした。
 そんな「彼等」は今、パルテノから見て東南東に位置する漁村ラピスへの旅の途上にある。フレドリクの長女カタリーナの契約魔法師であるカイナの時空魔法による調査によれば、パルテノの所蔵庫に保管されていた夢巻物は、パルテノに来る前はラピスにあった可能性が高いらしい。実際、パルテノの現領主エルネストにこの点について確認してみたところ、彼の母はラピスの領主家出身であり、彼女が輿入れの際に何らかの形でこの地に届けられたのかもしれない、というのが彼の見解であった。かつて、夢巻物を用いて(「融合の魔法陣」の対になる存在である)「分離の魔法陣」を生み出したという記録もある以上、ラピスにはそれに関する手がかりが残っている可能性は十分にありえるだろう。
 更に、この件について、フレドリクの契約魔法師にしてラスクの妻でもあるマールにも、カイナの魔法杖通信を利用した上で見解を尋ねたところ、どうやらラピスの領主であるルーク・ゼレンは「邪紋を特殊な形で『分解』することが可能な聖印」の持ち主である、という噂があるらしい。それが「夢巻物」や「分離の魔法陣」と関係しているかどうかは分からないが、無関係であったとしても、彼のその技術を用いることで、今のこの状況が打開出来る可能性もある。その意味でも、訪問してみる価値は十分にあるとフレドリクは考えていた。
 そして、今の「彼等」はもう一つ、重大な使命を背負っていた。それは、まもなく「三度目の投影」を果たそうとしている「大毒龍」を倒すために必要な「百八の星核(スターコア)を生み出せる人物(星の前世)」を探し出すことである。そのことを彼等に告げたのは「ラスクの来世」を名乗る「天威星」と呼ばれる存在であった。ただ、天威星の微かな記憶によれば、ラスクは「邪紋使い」ではなく「君主」であったらしい。
 この謎については現時点で解き明かすことは不可能と判断した彼等は、ひとまず「天威星」との感覚を共有した状態のまま、「夢巻物」と「エルネストからの紹介状」を携えて、ラピス村へと向かう。あわよくばこの旅の先に、新たな星の前世と巡り会えるかもしれないが、これについては明確な手がかりも何もない以上、現時点では運任せとしか言えなかった。

1.2. 少年と犬

 ブレトランドの対岸に位置するローズモンド伯爵領の港町に、極東風の装束を纏った風変わりな女性の姿があった(下図)。しかし、彼女は極東人ではない。


 彼女の名はキヨ。元は異世界「地球」で作られた日本刀であり、当時は「加州清光」と呼ばれていた。幾度かの破損を経つつ、幾人もの持ち主の手を渡り続けた後に、ヴェリア界へと流れ着き、そしてオルガノンとしてこの世界に顕現した。それ以降、世界各地を転々としながら旅を続けている。一年半ほど前には、ブレトランド北東端のラピス村で起きた混沌災害の鎮圧のために、ブレトランド中を渡り歩いたこともあった(ブレトランド八犬伝・簡易版参照)。
 そんな彼女がふと立ち寄ったこの街で、奇妙な風貌の犬(下図)を発見した。鼻が短く、やや離れ目で、白茶の優雅な体毛に覆われながらも、身体そのものは非常に小さい。彼女は昔から犬が好きで、これまでも旅先で様々な犬達と触れ合ってきたが、このような犬は、少なくともこの世界では見たことがない。もしかしたら、かつて自分がまだ「刀」だった頃に出会ったことがあったかもしれないが、その記憶も少々曖昧である。


 その犬の傍らには、これまた奇妙な風貌の一人の少年が立っていた(下図)。手綱を持っていることから、彼がこの犬の飼い主のようだが、この少年の装束は、この地域の人々の目には極めて珍妙な姿に映る。だが、それはキヨにとって、どこか懐かしさを感じる風貌でもあった。それは彼女が「刀」として三代目の持ち主の腰にあった頃、その地における高貴な立場の人々がまとっていた装束と酷似していたのである。

「そこの娘」

 キヨが犬に向けていた熱視線に気付いたのか、その少年はキヨに向かってそう語りかけた。その声は若々しいが、口調はどこか老成した雰囲気を醸し出している。

「お主、元は我と同じ世界の住人であろう?」

 少年にそう問われたキヨは頷く。この時点で、キヨは彼が何者なのかは知らない。だが、明らかに彼の装束は自分の見知ったそれであり、彼もまた自分の姿を見てそう認識している以上、直感的に彼もまた「地球」の、しかもおそらくキヨと同じ国の出身であろうと確信していた。その上で、彼女は問いかける。

「あなたは……?」
「我が名はポラリス。今はそう名乗っている。これから、ブレトランドに行こうと思っていたところだ。ラピスという村に、少々興味があってな」

 その名を聞いた瞬間、キヨは目を見開いた。

「ラピス、ですか?」
「おや、知っておるのか」
「えぇ。昔、ちょっと……」

 キヨがそう応えると、ポラリスと名乗るその少年は、何かを察したような顔を浮かべる。

「では、ちょうど良い。村まで案内してくれぬか? この地に来るのは久しぶりで、勝手がよく分からぬのでな」
「はい。分かりました」

 キヨにしてみれば、もともと、特にアテのない旅を続けている身である。久しぶりにラピスの面々と再会する懐かしさと、この珍しい犬と共に旅が出来る喜びから、密かに心が踊っていた。

1.3. 不吉な知らせ

 ラピス村の契約魔法師であるマライア・グランデ(下図)は、かつてキヨと共にこの村の混沌災害を祓った際の功労者の一人である。元々は村の先代領主ラザール・ゼレンの契約魔法師であり、現在はその長男であるルークの契約魔法師となっている。


 ある日の朝、そんなマライアの元に、彼女の義姉であるセリーナ・グランデ(下図)からの魔法杖通信が届いた。セリーナは大陸北部のランフォード地方へと遠征中のアントリアの指揮官パッド・パイシーズの契約魔法師であり、未来を予知する時空魔法を得意とする。


「ラピス村に、また不吉な混沌災害の予兆が出ている」

 それがセリーナの第一声であった。

「えぇ!? また、あの透明妖精みたいなのが……」
「いや、おそらくこの混沌災害は『外来の混沌』によるものだ。ラピスの内側から発生するものではない」

 元々ラピスは混沌濃度が比較的高い地域であり、「透明妖精」と呼ばれる特殊な(主にティル・ナ・ノーグ界からの)投影体が発生することで知られていたが、どうやらそれらとはまた別種の危険な投影体が、何処からか近付きつつある、ということらしい。

「そして、どうやらこれは神格級の投影体が絡んでいるようだ。神と言ってもピンからキリまで色々いるが、少なくとも妖精界(ティル・ナ・ノーグ界)に『神』がいるという話は聞いたことがない。その意味でも、おそらく透明妖精とは別種の何かだとは思うが、かなり危険な存在である可能性が高い」
「イヤですね……」
「あぁ。何にせよ、気をつけることだ」

 そう言って、セリーナは通信を終える。ルークの領主就任以降、しばらくは平穏な日々が続いていたこの地に再び暗雲が近付きつつあるという予兆に不安を抱きつつ、ひとまずマライアは契約相手であるルークの元へと報告に向かうことにした。

 ******

 ラピス村の領主であるルーク・ゼレン(下図)は、先代領主ラザールの息子である。一度は親族であるヴァレフールの貴族家へと養子に出されていたが、一年半前に発生した混沌災害でラピスが危機に陥った際に、父の契約魔法師のマライヤ、旅の武芸者のキヨ、そして村の守護神であった巨大犬型投影体シリウス(本来の名は「八房」)の力を受け継ぐ八人の邪紋使いの力を借りて村を解放し、新たな領主となった(その経緯はブレトランド八犬伝・簡易版を参照)。


 そのルークの元に、知人からの手紙が届いた。その人物は「レッドウィンド」という通称で知られる流浪の君主である。かつて、ルークと共にヴァレフール騎士ハンス・オーロフの元で弓術を習っていた青年であり、現在は世界各地で民衆のために様々な混沌災害と戦っている(彼についてはブレトランド風雲録11を参照)。
 ルークが執務室でその手紙を開けると、そこには以下のように記されていた。

「久しぶりだな、ルーク。お前が故郷に帰って領主になったと聞いた時は驚いた。しかも、一度は村を壊滅状態にまで追い込んだ混沌災害を鎮めたそうだな。本当に大した奴だよ、お前は」

 実際、ルークによるラピス解放は、当時のアントリア内外に衝撃をもたらした。それまでアントリア軍や傭兵団「暁の牙」が苦戦を強いられていた謎の投影体達を相手に、一度はヴァレフール騎士となった人物が、得体の知れない邪紋使い達を引き連れて、兵も持たずにたった11人で混沌災害を平定したのだから、それも当然の話である。その上で、ルークは特に何の条件も提示せずに平然と「アントリアへの臣従」と「ラピス村の領主への就任」を申し出たことから、未だにアントリア内では「何を考えているか分からない不気味な存在」として一目置かれている。
 とはいえ、実際のところ、ルークにはこれといって特別な思惑がある訳ではない。彼はただ、故郷が危機に陥ったと聞いて、それを救いたいという一心で村を救い、自分がその地に居続けなければ再び同じ混沌災害が起こると聞かされたから、その場に居残り続けている。ただそれだけの人物である。そういう性格だからこそ、地位や見返りを求めずに人々を救う旅を続けているレッドウィンドとも気が合ったのかもしれない。

「さて、そんなお前に、一つ伝えておかなければならないことがある。先日、旅先で奇妙な男と出会った。そいつはハチローと名乗っていて、どうやら投影体だったようだが、人間離れした巨漢で、とてつもない強弓の使い手だった」

 ルークには、その名に聞き覚えはない。「投影体の知り合い」はキヨの他にも何人か(一年半前の旅で出会った面々が)いるが、その中にそのような人物はいなかった筈である。

「そいつは俺が弓使いだと分かると、『じゃあ、お前の本気の弓を見せてみろ』と言ってきた。なんだかよく分からなかったが、挑発されたようだから、ひとまず狩猟用の矢で雁を射落としてみたんだが、それを見たそいつは、『違うな、お前はカエイではない』と言って、俺の前から去って行った。後で聞いた話なんだが、どうやらそいつは、その『カエイ』っていう凄腕の弓使いを探してるらしい。で、そいつを倒して自分が世界一の弓使いであることを証明したいそうだ」

 「カエイ」という名もルークには聞き覚えがないが、名前の響きからして、少なくともこの地域の人物では無さそうである。もしかしたら、その「ハチロー」と同じ世界の投影体なのかもしれない。

「だから、おそらくいずれ、お前の噂を聞きつけて、お前の前にも現れると思う。だが、あくまで俺の勘だが、奴には関わらない方がいい。奴からは不吉な気配を感じた。きっと、ろくなことにならん」

 その手紙をルークが読み終えたところで、マライアが走って執務室へと駆け込んで来る。

「ルーーークーーー!」
「どうしたんだ、マライア? 何か急ぎの連絡でも?」

 一年半前の時点では互いに「さん」付けで呼び合っていた二人だが、今ではすっかり呼び捨てで呼び合う程度には親密な関係となっていた。この二人は既に主従を超えた(男女の?)関係に発展しているという噂もあるが、真相は本人達しか知らない。

「あまりよろしくない知らせが……」

 その表情と声色から、マライアの不安な心情はすぐにルークに伝わった。ただでさえ自分が今、旧友からの「不吉な連絡」を受け取ったばかりだけに、相乗効果で嫌な予感がルークの脳内に広がっていく。

「……詳しく聞かせてくれないか?」

 そう言われたマライアが姉弟子からの忠告(外来の「神格級の投影体」と、それに伴う混沌災害の可能性)をそのまま伝えると、ルークは真剣な表情を浮かべる。

「なるほど。そのような予言が……。だが、あのような惨劇を繰り返すわけにはいかない。まだ正体は分からないが、気を引き締めて警戒に当たるしかないか……。どう思う、マライア?」

 思案を巡らせつつ、そう問いかけたルークに対して、マライアはうっとりとした表情を浮かべながら呟く。

「あなたも、この一年で立派になったわね……」

 初めて会った頃のルークは、まだ世間知らずの貴族の青年にすぎなかった。だが、今の彼は、当時の純粋な志を抱き続けながらも、一人の領主として、先代以上に頼もしい領主に見える。それが彼女の贔屓目によるものかどうかは分からないが、ひとまず彼女は執務室の机の上にある地図を眺めながら、状況を整理する。

「なるべく早いうちに対応したいところだけど、外部からの道を遮断する訳にはいかないわよね。壁でも作ってしまえば、こんなことで悩まずに済むんだけど」

 マライアの専門は生命魔法だが、他の魔法にもそれなりに精通している。しかし、火や土の「壁」を作る元素魔法はまだ未習得であったし、仮にそれが可能であったとしても、その場合は隣村への影響がある以上、安易に使える手法ではない。

「街道を封鎖する訳にはいかないからな。どこから来るかも分からないし」
「混沌が原因ということなら、『あの三人』の力は絶対に必要よね」

 マライアが言うところの「あの三人」とは、この村の武官であるラスティ、エルバ、ロディアスのことである。彼等はいずれも(かつてこの村の守護神であった)シリウスの力を受け継いだ邪紋使いであり、「混沌を匂いで嗅ぎ分ける能力」が備わっている。ただし、その三人のうち、ロディアスは現在、モラード地方のエルマ村へ出張中のため、不在であった。

「あぁ。ラスティとエルバさんにも協力してもらって、警戒することにしよう」
「そうね」

 二人は互いに不吉な予兆に表情を曇らせつつ、村人を不安にさせない程度に、村を守る兵士達に注意喚起を促すことにした。

1.4. 少年と馬

 その頃、ラピスの武官の一人であるエルバ・イレクトリス(下図)は、村の周辺地域の安全確認を兼ねて、日課の「朝駆け」に勤しんでいた。彼女は元々は大陸の領邦国家アロンヌの出身であり、一年前まではティスホーンの馬牧場で働いていたが、シリウスの力を得て、武術大会でルーク達と共闘したことを機に彼等と行動を共にするようになり、ラピス解放後も村を守り続ける道を選んだ武人である。


 エルバが騎乗しているのは、彼女がティスホーン時代から手塩にかけて育ててきた馬達の中でも特に愛着のある名馬・モルドレッドである。そのモルドレッドが、海岸線近くを通りかかったところで、唐突に海に向かって吠え始める。

「どうしたんだい? モルドレッド」

 エルバがそう言いながらモルドレッドの視線の先に目を向けると、広大な海の中に、何やら奇妙な影が一つ目に入る。それは、海の上を飛び跳ねている一頭の「馬のような何か」の姿であった(下図)。


 エルバがその奇怪な光景に驚いていると、海岸の一角にて同じようにその光景を眺めている「奇妙な装束の少年」の姿を発見する(下図)。その装束は、かつて共に戦った「地球産オルガノン」のキヨ、そしてキヨのかつての「持ち主」にして、エルバにとっての心の師でもある地球人の沖田総司が羽織っていた「極東風の服」によく似ていた。


「おぉ、動いてる、動いてる。まるで、生きてるみたいだねぇ」

 彼はそう呟きながら、興味深そうな目でその「馬のような何か」を眺めている。その装束だけでなく、どこか口調も奇妙な様相のその少年に対し、エルバは近付いて声をかけた。

「あんた、見ない顔だねぇ。あれが何か知っているのかい?」
「あぁ、いやいや……、まぁ……、知ってるっちゃあ知ってるがね……」

 彼はその手に持っていた極東風の扇で口元を隠しつつ、何か意味深な流し目をエルバに向けながら語り続ける。

「あんたとは初対面だね。あっしの名前はマコト・クルーデ。しがない自然魔法師さ」

 彼はそう名乗るが、エルバはその自己紹介に違和感を憶えた。彼女の「シリウスから引き継いだ嗅覚」が、目の前にいるこの少年が「投影体」であることを告げていたのである。「魔法を用いる投影体」も存在しない訳ではないが(実際、かつてこの地を危機に陥れた「アンザの額冠」のオルガノンもまた、様々な「魔法」を用いていた)、少なくとも、「ただの一介の自然魔法師」ではないだろう。エルバは顔をしかめながら忠告する。

「あんたの素性は知らないが、ここはルーク様の領地だ。いたずらに身分を偽ることはよした方がいい」
「ほう? あっしの正体が何者か分かるんで?」
「正体が分かるとは言わないが、隠し事には鋭いんでね」
「なるほど……、ということは、もしかしてあんたが『あの八人』の一人か?」

 マコトと名乗ったその少年は、訳知り顔で問いかける。ラピス解放の際に「八人の邪紋使い」がいた、という話はそれなりに広まっている以上、彼女達の「混沌を嗅ぎ分ける能力」を知られていたとしてもおかしくはないが、そこに気付けるということは、少なくとも自分自身が投影体であるということを明かしているも同然である。
 とはいえ、この人物が何者で、何をどこまで知っているのかは分からない。エルバは不信感を抱きながらも、まずは目の前で起きているより奇怪な存在としての「馬」に目を向けつつ、マコトに問いかける。

「それはともかく、あいつは一体、何なんだ?」
「あいつは、まぁ……、一言で言うなら『投影体』だな」
「それは見れば分かる」

 どう考えても「この世界の馬」とは思えない。エルバの嗅覚に頼るまでもなく、大抵の人物がそう判断するだろう。

「そうさねぇ、系譜から言えば、シリウスに近いっちゃあ近い。近いっちゃあ近いが、微妙に違う世界というか……、まぁ、『シリウスの師匠筋』の投影体ってぇところかな」

 何とも奇妙な言い回しではあるが、「村の守護神」であったシリウスと同系統と言われたエルバは、やや警戒心を緩める。

「ということは、安全な投影体なのか?」
「んー、どうだろう? あいつ自体は安全だと思う。海の上をはしゃぎ回っているだけの馬だ」
「なんだ、可愛いもんじゃないか」
「ただ、『あの世界』からの投影体が海に現れたとなるとなぁ、ちょっと嫌な予感がするんだよね、あっしは……。だから、海に関しては、警戒しておいた方がいいのかもしれん」

 マコトはそう呟きつつ、くるりと回ってエルバに対して背を向ける。

「まぁ、邪魔したね」

 彼はそう言って、エルバが向かおうとしていたのとは反対側の方向へと向かって歩き始めた。

(隠し事をしている様子ではあったが、妙な動きを見せている訳でもないし……、とりあえず、ルーク様の耳に入れておくだけでいいかな……)

 エルバはそう判断した上で、警戒しながら朝駆けを続けることにした。

1.5. 龍達の邂逅

 もう一人の村の武官であるラスティ・ザンシック(下図)は、村の西方を散策していた。彼はルークの従兄(義兄)であり、一年前まで実家のオーキッド(ヴァレフール南部の港町)で暮らしていたが、シリウスの力を得たことを契機に、ルークと共にラピスを救うために旅立ち、村の解放後も現地に残ってルークを支え続けている。


 そのラスティが、先日、ラピスの近辺を哨戒していた時に、かつてシリウスが眠っていたと言われる森の中から「巨大な龍のような気配」を感じ取った。龍の力に憧れる邪紋使いのラスティが、その気配に興味を惹かれるのは当然の話である。それ以来、彼は時間を見つけては森の調査に赴いていた。
 エルバ同様、この村の守護神であったシリウスの「嗅覚」を受け継いでいる彼は、混沌の気配に対して人一倍敏感であるが故に、この手の調査には長けている。その彼を以ってしても、広い森の中を探索するのは骨の折れる作業であったが、この日、ようやく彼は「実物(下図)」を発見するに至った。


 そこにいたのは、一匹の巨大な「龍のような生き物」であった。ただ、それはラスティの知っている龍とはかなり風貌が異なる。胴体はこの森を形成していた針葉樹よりも遥かに長く、そこから何本かの脚らしきものが生えているが、翼はない。しかし、いかなる力が働いているのか分からないが、その生き物は胴体を揺らしながら宙に浮いている。
 この地方における「龍」は一般に鰐や蜥蜴の怪物と呼ばれることが多いが、この「龍」の形状はむしろ「蛇」に近いようにも見える。だが、それでもラスティはこう呟いた。

「あの生き物、なんだ? もしかして、龍か?」

 実際、それは極東地方においては「龍」と呼ばれている投影体である。ラスティは極東の文化も伝承も何も知らないが、本能的にそれが「自分が目指すべき龍」のありうべき一つの形であろうということを感じ取っていたのである。そして、彼の存在に気付いた「龍」もまた、ラスティに向かって近付いてきた。

「貴様からは、我と同じ匂いを感じる」

 ラスティを見下ろしながらそう呟く「龍」に対して、ラスティは問いかけた。

「お前、何者だ?」
「私は、この世界に迷い込んだ、ただの龍だ。我は本来ならば天に昇る筈だったのが、気付けばこのような所にいた。どうやら今の我では、天に昇る力が足りないらしい。お主を喰らえば、その力も得られるのかもしれんな」

 唐突に意味不明なことを淡々と語った龍であったが、このような理不尽な投影体に怯んでいるようでは、この混沌濃度の高い地で武官など務まる筈もない。ラスティは不敵に笑みを深べる。

「ただで食われる謂れはないぜ!」
「では、どれほどの力か見せてもらおうか?」
「お前を食らって、更なる龍の力を手に入れてやる!」

 目の前の「龍」どれほど強大な投影体なのかは分からない。今から村に戻れば、援軍を頼むアテはいくらでもある。だが、目の前に(やや奇妙な形状とはいえ)憧れ続けた「龍」がいる状態で、その「一対一」で戦えるという絶好の機会を、ラスティが逃す筈もなかった。彼は自分自身の身体を「龍」へと变化させる。

 ******

 この時、更にもう一人の「龍」がこの地に近付きつつあった。森の北側の街道を東進し、ラピス村まであと数刻、というところまで辿り着いていた「フレドリク」の身体の中に宿ったラスクの魂が、この「二つの龍」の気配を感じ取っていたのである。
 彼が即座に現場へと急行すると、そこには「見たことがない、龍のような形状の生き物」と「おそらくは自分(ラスク)と同じ『邪紋使いが龍を模した姿』」が対峙している光景であった。そして、後者からは、パルテノでヒューゴやカイナから感じた「星核」の気配が感じ取れる。
 ラスク(フレドリク)の目には、この二匹の龍は互いに相手を喰らおうとしているように見える。片方が星核の仲間であるということに加えて、自分もまた「一人の龍」としての本能から、この戦いに割って入りたい衝動が湧き上がってきたが、今の自分は「フレドリク」の身体の形状であり、本来の「ラスクとしての身体」ではない。その身体は彼自身の意志で「切り替える」ことが可能だが、これからラピスの人々と遭遇する際に、今の「自分達」の現状を知られる訳にはいかない以上、極力「ラスク」としての身体を表に出すべきではないと考えていた。

(ひとまず、様子を見るか……)

 フレドリク本人の魂は現在、身体の中で休眠状態にある。起こすことも出来なくはないが、今はまだあまり負担はかけたくない。その上で、今のこの状況で彼の身体で迂闊な行動を取る訳にはいかない。事情も分からないこの地での軽挙妄動は慎むべきとラスクは考えていた。

 ******

 一方、同じくラピスを目指していたキヨとポラリス(と謎の犬)は、スウォンジフォート経由でアントリアに入国し、森の南側の街道を通ってラピスへと近付きつつあった。
 そんな二人もまた、森の中から奇妙な気配を感じ、フレドリク(ラスク)とは反対側からその光景を目の当たりにしていた。

「おぉ、『あやつ』が目覚めておったか」

 ポラリスは「極東の龍」を眺めながら、興味深そうにそう呟きつつ、「もう一匹の龍」にも視線を向ける。

「ふむ、もう片方は知らぬな……。この地の固有の龍か、それとも……」

 彼がそう口にしたところで、キヨが問いかける。

「私は『彼』と知り合いなのですが、あなたは『あちらの龍』とはお知り合いなのですか?」

 実際に会うのは一年半ぶりだが、キヨはその「もう片方」がラスティであることはすぐに分かった。当時よりも「龍」としての純度は確実に上がっているが、それでもはっきり識別出来る程度には面影が残っている。ましてやラピスの地で遭遇した以上、それがラスティであると彼女が確信出来たのは当然の話であろう。

「まぁ、知り合いと言えば知り合いかな。とはいえ、別にあいつが倒されたところで、別に困る訳ではないし、『あちらの方』に加勢したいのならば、勝手にすればいい」

 ポラリスは「ラスティ」を指差しながらそう告げる。とはいえ、事情も分からない状態で「旅仲間の知人」を相手に斬りかかることがためらわれたキヨは、ひとまず戦況を注視しながら様子を見ることにした。

1.6. 再会と共闘

 こうして始まった二匹の龍の戦いは、「極東龍」の咆哮から幕を開けた。その圧倒的な音圧はラスティのみならず、南北で待機するフレドリク(ラスク)とキヨをも圧迫し、そして残響は村にまで響き渡る。
 ラスティはその音圧にも負けずに踏み込み、鋭い龍爪で極東龍の胴体を斬り裂いた。そこからは見たことがない色の血流が溢れ出るが、極東龍は直後に鱗を増殖させてその傷跡を塞ぎつつ、返す刀とばかりに左前足の爪でラスティの肩肉を抉り取り、更に尻尾で周囲一帯を吹き飛ばそうとするが、ラスティはその尻尾による追撃を寸でのところでかわした。
 そのまましばらく一進一退の攻防が繰り広げられるが、互いに強靭な肉体の持ち主であるため、なかなか決着はつきそうにない。だが、元の身体の、というよりも、身体に内包した「混沌」の総量の差から、このまま続けばラスティが劣勢になりそうな戦況となりつつあることにラスクとキヨは気付く。だが、その二人よりも先に、この場に二騎の援軍が到着した。

「ラスティ、大丈夫か!?」

 そう叫んだのは、ラスティの義弟(従弟)にしてラピス村の領主のルークである。彼は森で起きた異変にすぐに気付き、ティスホーン産の名馬ランスロットに乗って駆けつけたのである。その一歩後ろには、同じくティスホーン馬のパーシヴァルに乗った契約魔法師マライアの姿もあった。
 ルークはそう叫びつつ周囲を確認するが、北側にいた「フレドリク」も、南側にいたキヨとポラリスも、木々に隠れる形で彼の視界からは外れていた。その一方で、彼は森の奥(西側)に、もう一人の新たな「来訪者」が現れていたことに気付く。それは明らかに人間離れした体躯で、巨大な弓を持ち、奇妙な鎧を身にまとった男であった(下図)。彼は激しい闘気を放ちつつ、周囲の戦況を確認していたが、ルークと目が合った瞬間、何かを察したような表情を浮かべる。


(あれが、手紙にあった人物か?)

 ルークはレッドウィンドからの手紙を思い出し、若干警戒心を抱きつつも、ひとまずは目の前のラスティへの加勢を優先すべく、そのまま彼の元へと駆け寄りつつ、龍に向かって弓矢を構える。そのルークの動作に合わせるようにマライアが唱えた魔法によって強化された矢は極東龍に見事に直撃するものの、まだまだ極東龍は一向に怯む気配を見せない。
 一方、その様子を注視していた巨漢の弓使いは、なぜか嬉しそうにニヤリと笑う。その不気味な笑みにルークが寒気を覚える中、ラスティは不機嫌そうな顔を浮かべながら極東龍に向かって殴り続ける。

「余計なことしやがって!」

 ラスティにしてみれば、一対一の決闘を邪魔された気分らしい。そして、ここに至ってそれまで余裕を見せていた極東龍の側も、援軍の加勢に対して警戒したのか、表情が一変する。
 そのまま殴り続けるラスティであったが、彼の爪牙が極東龍を貫く度に、その身体に激しい電撃が走る。その異変に気付いたマライアの魔法とルークの聖印の力によってその威力は軽減されたものの、直撃すれば危機的状況に陥っていたかもしれない。
 更に極東龍は口を大きく開き、ラスティとルークに向かって、激しい雷撃を放つ。これもマライアの魔法とルークの聖印によって威力を半減させられたものの、その直後に大きく振るわれた尻尾はルークとラスティに直撃し、二人は南側に弾き飛ばされる。そして、くしくもその飛ばされた先にいたのは、キヨとポラリスであった。

「ルークさん!?」
「あれ? キヨさん?」

 当然、ルークにしてみれば、なぜキヨがここにいるのかが理解出来ない(隣にいる少年と犬にも、全く見覚えはない)。即座にマライアが駆け付けて、ルークに対して治癒魔法をかける。その様子を横目に見つつ、キヨはポラリスに改めて問いかけた。

「まだ、何もしなくていいんですか?」

 キヨの中では、かつての仲間達の苦境を目の当たりにして、彼等に対して加勢したい気持ちが高まっていく。それに対して、ポラリスはあくまでも平然と戦いの光景を眺めながら呟いた。

「まぁ、消えたら消えたで、また創ればいいしな。だから、知り合いなら助けてやった方が良いのではないか?」

 「創る」という言葉が何を意味しているのか、キヨには分からない。だが、彼がそこまで割り切っているのなら、これ以上躊躇する理由はなかった。

「……失礼します!」

 彼女はそう言って、それまで抑えていた自らの真の力を解放させつつ、戦場へ向けて駆け出して行く。一方、反対側で観戦していたラスクは、冷静にこの場にいる者達の力量を分析していた。

(あの邪紋龍、大したことはないな。牙や爪の威力は俺よりも上だが、身体が脆すぎる)

 実際には、決してラスティは脆い身体ではない。ラスクの「本来の身体」が強靭すぎるだけである。一方で、彼に加勢した君主(ルーク)と魔法師(マライア)からも「星核の力」を感じる。おそらく彼等がこの地の君主と契約魔法師であろうことは容易に想像がついた。
 更に、ラスクはこの時点で、別の方面から戦局を観察している「巨漢の弓使い」の存在にも気付く。

(あの人間離れした体躯、おそらく投影体だな……)

 彼については、今のところどちらにも協力する素振りが見えない上に、何ら「力」を使っていないため、「星核の前世」かどうかも分からない。ひとまずその点に関しては判断を保留とした上で、まずは目の前の「聖印を持つ弓使い」に向かって叫ぶ。

「そこの君主! ルーク君で良いのか!?」

 唐突に聞こえてきた「フレドリク」のその声に対して、彼の半分程度の歳のルークは一瞬驚きつつも、毅然とした態度で答える。

「いかにも私はルークだが、あなたは?」
「私は君に用事があって来た者だ。だが、今、この場では話すこともままならないだろう。助太刀しようと思うのだが、それで良いのか!?」
「あぁ、助かる!」

 その更なる加勢に対して、ラスティはまたしても不機嫌そうな顔を浮かべるが、そこへ更に彼の顔を顰めさせる「もう一人の援軍」が到着した。

「ラスティ! 何やってんだ、お前!」

 モルドレッドに乗ったエルバである。彼女もまたシリウスから引き継いだ「混沌を嗅ぎ分ける嗅覚」の持ち主であり、ラスティ以上に強大な混沌核を持った龍の気配を察知するのに、それほど時間はかからなかった。

「『ヤクザな友達』連れてきやがって!」

 エルバには、目の前にいる「ラスティではない方の龍」が何物なのかは分かっていないが、ラスティのみならずルークまでもが怪我を負っている状況から、この地に害をもたらす存在であると即座に認定し、二本の剣を身体に同化させていき、そのまま極東龍に向かって突撃する。
 この時点で、エルバと、そしてキヨの存在もまたラスクの視界に入り、そして二人がその身に混沌の力を宿していく過程で、どちらからも「星核の気配」を漂わせていたことにも気付いた。

《この村に、五人も……? そういえば、この地を訪れたような記憶も……?》

 ラスクの中の天威星は、自分の中に微かに残る「前世の記憶」を紐解こうとするが、それが本当に「かつて経験した記憶」なのか「思い込みによる錯覚」なのかは分からない。だが、少なくともこの場にいる者達から星核の力が感じ取れることだけはラスクにもはっきりと分かった。その上で、ラスクはフレドリクの聖印から「自らの本来の身体を模した龍(聖龍)」を生み出し、それに騎乗した上で、ルークから次々と放たれる弓矢の間隙を縫うような動きで極東龍に向かって突撃する。
 ラスクにとっても「この形態」での実戦はこれは初体験であったが、自分自身の意志で動かせる「自分(龍)の分身」に騎乗した状態というのは、ある意味で先日のパルテノ南部での鶏戦の時よりも動かしやすい状態とも言える。とはいえ、所詮は聖印によって作られた「模造品(邪紋龍)の模造品」である以上、本来の力は全く出し切れてはいない。それでも、極東龍に深手を与えることには成功した。
 更にそれに続いて、エルバもまた馬上から独特の二刀流で斬り掛かり、その度に龍の身体を通じて雷撃が身体を走るが、ルークの聖印とマライアの魔法の力によって、どうにか耐えきる。そして、その直後に駆け込んだキヨの一撃が龍の胴体を真っ二つに斬り裂いた結果、巨大な混沌核をその場に残した状態で、極東龍は消滅していったのであった。

2.1. 困惑と愉悦

 ひとまずルークと「フレドリク」は聖印を翳してその混沌核を浄化しつつ、二人は「巨漢の弓使い」のいた方向へと視線を向けるが、この時点で既に彼は姿を消していた。一方、キヨはポラリス(と犬)の姿を探そうとするが、彼等もまた、いつの間にか姿を消してしまっていた。
 そして混沌核の浄化が完了し、ひとまず周囲の混沌濃度も収まったのを確認したところで、「フレドリク」は改めて周囲の面々に対して自己紹介する。

「突然で申し訳ない。私はフレドリク。少し用事があって、ここの領主殿に会いに来た者だ。こちらが招待状になる」

 「フレドリク」はそう言って、エルネストからの書状をルークに渡す。ルークはそこに書かれている署名の筆跡が確かにエルネストのものであることを確認した上で、今、自分の目の前にいる人物が「ノルドの海洋王の義理の兄」という、とんでもない大物であることを認識し、その表情が驚愕と緊張に包まれる。

「そこまで畏まらなくていい。どちらかというと今回は私用に近いものだからな」
「……それで、その『用』というのは?」
「大きく分けて二つある。一つに関しては、私とルーク殿の二人で話したい。もう一つは、この場で全員に話した方が良いだろう」

 「フレドリク」はそう言いつつ、その場にいる「星核の力を宿した五人」を見渡すと、最初にエルバが口を開いた。

「ひとまず、大変なお客様なんだし、領主の館に案内した方が良いのではないか?」

 その意見には、ルークも「フレドリク」も同意する。実際、「大事な話」をするのであれば、確かにこの場で語るのはさすがに不適切に思えた。そして、エルバはふともう一人の「来訪者」にも視線を向ける。

「懐かしい顔もいるしね」

 その瞳の先には、ごく自然に平然と彼等の中に溶け込んでいたキヨの姿があった。最後にこの地で会ってから一年以上の時が経過していたが、彼女が戦友としてこの村の輪の中にいることに、誰も違和感を感じていなかったようである。ただ、キヨは目の前で交わされている君主同士の会話にはあまりみみを傾けず、周囲の様子を伺っていた。

「久しぶり!……って、何キョロキョロしてるの?」

 改めてマライアがそう声をかけると、キヨはやや困惑した表情で答える。

「ここまで一緒に来た人(と犬)がいたんですが……」

 ポラリスはラピスに用事があると言っていた以上、いきなりこの地からいなくなるとは考えにくい。ただ、彼があの龍を「創った」と言っていたことから察するに、かなり特殊な力の持ち主であることは確かであり、場合によってはこの村に害悪をもたらす存在なのかもしれない。そんな危惧(と犬を見失ってしまったことの寂しさ)から、キヨの表情はまだ安堵出来ていない様相であった。

「ひとまず、私の館へとご案内します」
「そうだな。それがいいだろう」

 ルークと「フレドリク」はそう言って、マライア、エルバ、ラスティ、キヨと共に、ひとまず村へと帰還することにした。

 ******

 一方、その頃、エルバとラスティの嗅覚すらも及ばぬほど遠く離れた森の奥地(西方)に、先刻までルーク達の戦いを見守っていた「巨漢の弓使い」の姿があった。彼は観戦の途中で、森の奥地から「別の投影体」の気配を察知し、そちらに興味を惹かれてあの場を後にしたのである。

(あれだけの者達が集まったのなら、もうあの龍に勝ち目はないだろう。そして、あの弓使いの「正体」も分かった。奴にはいつでも勝負を挑める。問題はこの奥にいる者……。おそらくこの気配は、俺や「あの龍」と同じ……)

 そんな思案を巡らせている中、彼の目の前に現れたのは、一頭の巨大な虎であった(下図)。


「ほう……、虎か。あの龍から見て西方に現れたということは、やはり、あの龍と同じ力を根源とする者だな。それはつまり、この俺とも……」

 彼がそう呟いたところで虎は彼に向かって襲いかかろうとする。しかし、それよりも早く彼は弓を構えて、混沌の力を込めた巨大な矢を虎に向けて放つと、虎の眉間に命中する。だが、それでも虎は怯まず、彼に向かって突撃し続ける。

「いいぞ! さっきの龍は奴等にくれてやったが、お前はそれなりに俺を楽しませてくれそうだな!」

 巨漢の弓使いはそう叫びつつ、その体躯に似合わぬ華麗な動きで虎の突撃を交わしながら、第二射の準備を始める。
 一方、その光景を、少し離れたところから眺めていた一人の「少年」の姿があったのだが、巨漢の弓使いはその存在には気付かぬまま、戦いの愉悦に浸っていたのであった。

2.2. 「八」と「百八」

 森の奥地で起きていた騒動には気付かぬまま、ひとまず領主の館の会議室へと案内された「フレドリク」は、ルーク達五人を相手に「星核」と「大毒龍」に関して、実際に自分の「星核」を見せながら、天威星から聞いた話を一通り伝えた上で、彼等もまた自分と同じ「星核」を生み出せる素質の持ち主であることを告げた(ただし、あくまでも自分は「フレドリク」であるという体裁は崩さなかった)。

「……という訳で、将来的にブレトランドで大きな厄災が起こるらしい。それを止めるために、協力してもらえないだろうか?」

 突拍子もない話ではあるが、海洋王の義兄がわざわざ単身でこの地まで訪れている時点で、これがただの与太話ではありえないということは彼等にも分かる。ルークは深刻な表情を浮かべながら答えた。

「ブレトランド中の危機となれば、この村にも影響は及ぶことになるでしょう……」
「あぁ、そしてブレトランドが滅ぶことになれば、この世界の勢力の均衡にも影響を及ぼしかねない」

 そもそも、その厄災がブレトランドだけで済む話とは限らない。むしろ、世界全体を危機に陥れる可能性の方が高いというのが、天威星の見解であった。

「もちろん、協力させて頂きたいと思います」

 ルークがそう答えると、フレドリクは(パルテノで出会った面々の時と同じように)自身の星核を掌に翳しつつ、その星核をルークの腕に押し当てるように彼の腕を握る。すると、ルークの中にも「何か」が入り込んできたような感覚が走り、そして「あの声」が脳内に響き渡る。

「あなたの望む未来を思い描いて下さい」

 それに対して、ルークは確固たる信念に基づいて、心の中で答えた。

「私の望む未来は、このラピスの村に再び災厄が訪れないよう、村の民を守っていくことだ」

 ルークが改めてその決意を新たにしたところで、彼の目の前にフレドリクと同じ青白い光を帯びた星核が現れる。それは紛れもなく、ルークの来世の姿である「天英星」の星核であった。
 その光景を目の当たりにした上で、次に動いたのはラスティであった。彼は「大毒龍」という名を聞いたことで、何か高ぶるものがあったらしい。

「さっきの戦いで、龍の力にはもっと高みがあることが分かった」

 はっきり口には出さないが、現実問題として一対一ではあの龍に勝てなかったということは、ラスティも自覚している。その悔しさを押し殺しながらそう呟いた彼を目の当たりにした「フレドリクの中のラスティ」は、強い共感を覚えた上で、「同志」に向かって語りかける。

「そうだ。龍とは、もっと堅く、もっと力強いものだ」
「俺もその高みを目指したいところだ。ぜひ、協力させてくれ」
「『私の知り合い』にも、龍の邪紋を使う者がいる。奴も力を求めているからな。その気持ちはよく分かる」

 「フレドリク」はそう言いながら、ルークの時と同じようにラスティの身体に触れ、自身の星核の力を流し込む。すると、ラスティの魂にもまた「あの声」が響き渡るが、それに対する彼の答えはルーク以上に単純明快であった。

「俺はもっと強くなりてぇ。それだけだ!」

 彼が心の中でそう答えると、ラスティの目の前には赤い光を放つ星核が現れる。これは彼の来世である「地佐星」の星核であった。
 続いて、今度はマライアが口を開いた。

「そうか、今度は私にも『力』があるのね……」

 透明妖精との戦いの時は、八犬士とルークとキヨにはそれぞれに「敵を倒す上で、自分にしかない特殊な力」があった。しかし、マライアが有していたのはシリウスによって一時的に与えられていた「八犬士を見分ける能力」だけであり、今はその力も既に失われている。あの時とは異なる状況に、彼女の中で何かが高ぶっていた。
 マライアはその高揚感を抑えつつ、星核を掲げた「フレドリク」の手を握る。そして、彼女の中で響き渡る「あの声」に対して、自分の中で思い描いていた未来への妄想を、一言にまとめる形で答える。

「ラピスでいつまでも、ルークと幸せに暮らしたいわ」

 契約魔法師としても、そして一人の女性としても、それが今の彼女の全てであった。彼女のその願いに応えるように、彼女の目の前にも、赤味を帯びた光を放つ「地霊星」の星核が浮かび上がっていた。
 そして、キヨもまた、ゆっくりと「フレドリク」の元へと歩み寄る。

「また私がこのラピスの地に来たのも、何かの御縁でしょう。その力にならせて下さい」

 実際にその「縁」を繋ぐことになったポラリスの正体は未だに分からない。だが、どんな経緯であれ、再び自分の力がこの世界のために必要と言われれば、キヨの中でためらう理由は何も無かった。彼女もまたマライアと同じように「フレドリク」の手を握り、そして彼の手から流れ込んで来る「何か」の声に対して、心の中で静かに答える。

「私は、自分と関わった人達が、それぞれの本懐を遂げられるような力になれれば……」

 「武器」である彼女には、本質的には倫理観も正義感もない。ただそこにあるのは、誰かの力になりたいという本能だけである。その意味では、この願いこそがまさに「オルガノン」としての彼女自身の本懐でもあった。
 そんな彼女の心を反映するように、彼女の来世の姿である「地暗星」が彼女の前に現れたところで、最後に残ったエルバも立ち上がる。

「『八』の次は『百八』か。随分数字が飛んだねぇ」

 実際、彼女達にしてみれば、この状況はラピス開放時の一連の戦いと酷似している。あの時と比べて「108」という数は、確かに途方も無い膨大な人数にも思えるが、不思議とその数字に対して臆する気持ちは誰の心の中にも生まれていなかった。そして、彼女達自身がある意味で「似たような戦いの経験者」だからこそ、今回の話もあっさりと受け入れられたのかもしれない。
 エルバもまた「フレドリク」の手を握り、そして「声」が聞こえてきた時点で、彼女の中でのこれまでの思い立ちを思い出しながら、自分にとっての「理想の未来」を思い描こうとする。

「私は、そうだな……、家族や友達、全ての人が、大事な人と離れずに、平和に暮らせる未来があれば、それでいい」

 エルバがそう願った瞬間、彼女の目の前に「地狗星」の星核が姿を現す。こうして、フレドリク(ラスク)は思わぬ形で、新たに五人もの仲間をこのラピス村で目覚めさせることに成功したのであった。

2.3. 記憶との照合

 その後、疲労が激しかったラスティはひとまず別室で療養することにした上で、残った五人で今後の方針について協議することになった。まず最初に、ここまでの事情を説明する機会を逸していたキヨが語り始める。

「私は、さっきまで近くにいた筈のポラリスという少年が『ラピスに用事がある』と言っていたので、一緒に来ていたのですが……、いつの間にかいなくなってしまいました」

 その少年は、ルークも(龍の尾に弾き飛ばされた時に)一瞬だが目撃している。その装束が明らかに「キヨと同じ(もしくは酷似した文化圏)の服」であることは彼にも察しがついた。

「あと、彼は先程戦っていた龍を『創った』と言っていたような……」

 キヨのその発言に対して、エルバは仰天の表情を浮かべる。

「重要参考人じゃないか!」
「すみません、一瞬、目を離した隙に……」
「まぁ、激しい戦いだったからな。それは無理もないさ」

 実際、目の前であそこまで強大な投影体が現れていたら、後方にまで気を配っている余裕はないだろうということは、エルバにも分かる。
 その上で、ルークは改めて疑問を提起した。

「しかし、あの龍を創ったとなると、あの人は一体何者だったのでしょう? というか、そもそもあの龍は何者だったのでしょう?」

 キヨや「フレドリク」といった客人がいることもあり、いつものラピス内の軍議とは異なり、ルークは敬語口調でそう語る。実際のところ、彼はまだまだ君主としては若輩であり、これくらいの口調の方がまだ違和感のない程度には初々しさも残っていた(実際、ロディアス不在の現状では、この場にいる中でルークが一番若い)。

「『当事者』が、もう寝てしまったからなぁ」

 そう呟いたのはエルバである。龍に関しては、最初に遭遇したラスティから証言を聞きたいところではあったが、さすがに彼も疲労困憊状態だったため(そして、いつまた新たな投影体が出現するかも分からない状態だったため)ひとまず今は休眠を優先させたいと考えていたルークは、「もう一人の当事者」に話を聞くことにした。

「キヨさんは、『あの人』から何か悪意や敵意などを感じましたか?」
「多分、無かったとは思うのですが、彼の装束には見覚えがあるというか……、私と似たような気配を感じました」

 それについてはルークも同感である。そして、その話を聞いたところで、エルバが「もう一人の重要(?)参考人」のことを思い出す。

「そういえば、なんだが……、キヨさんと似たような服を着た人なら、私も会ったんだ。『マコト・クルーデ』と名乗っていたから、同一人物ではないと思うんだが……。あと、ラピスの近くの海で『泳ぐ馬』がはしゃいでいたな」

 どちらも、それだけ聞いたところで意味があるのかどうか分からない情報だが、その少年の名前に対して、マライアは奇妙な反応を示した。

「マコト・クルーデ……?」
「あぁ、そう名乗っていたが、知り合いなのかい?」
「そうね。あの混沌災害の事件が起きる前に会ったことがあるけど……」

 それはまだマライアがこの地に赴任したばかりの頃。「マコト・クルーデ」と名乗る奇妙な少年がこの地を訪れたことがあった。今にして思えば、確かに彼の装束はキヨともどこか似ていたような気がする。彼は自分が自然魔法師であると称した上で、「この村を守る犬神に会ってみたい」と言っていたのだが、実際に会えたのかどうかも不明なまま、いつの間にか村からいなくなっていた。
 マライアがその話を告げると、改めてエルバが口を開く。

「自然魔法師だって話は、私にも言ってたな。だが、ありゃあ多分、投影体だよ」
「え?」
「少なくとも、身体から混沌の匂いがしていた以上、魔法師というよりは『そっち』寄りだろう」
「そうだったのね……、確かに、格好も妙だとは思ったけど」

 とはいえ、「妙な格好の自然魔法師」もまた、この世界にはいくらでもいる。かく言うマライア自身も、魔法師らしき帽子は被っているものの、戦場においてはまるで騎士のような鎧を着込み、盾も装備しているため、とても魔法師としての「正装」とは言えない。
 ひとまずルークはここまでの話を整理しようと試みる。

「そうすると、キヨさんと一緒にいた人も投影体の可能性が高いかもしれないですね。何かの偶然か、この村に怪しい人物が押し寄せているのは気がかりですが。あと、海の上の馬も……、というか、それについては想像がつかないのですが……」

 そう言われたエルバもまた、困った顔を浮かべる。

「うーん、私は絵心がなからなぁ……」
「でも、害は無さそうなんですよね?」
「そうだな。ただ、そいつそのものは有害じゃないが、何やら『状況によってはそうとも限らん』みたいなことも、そのマコトって子は言ってた」
「なるほど……。これが、マライアの先輩が言っていた『予言』にあてはまるのか……」

 そう言って、ルークはしばらく考え込む。とはいえ、現状ではまだ不確定な情報が多すぎる以上、村の周囲の警戒を強めつつ、その「二人の少年」の行方を探す、というくらいしか、対処法は思いつかなかった。

2.4. もう一つの「本題」

 ここで、今まで黙っていた「フレドリク」がルークに声をかける。

「すまないが、少しだけ時間をもらえるかな? 出来れば、あまり他の人には知られたくない話なのだが」

 そう言われたルークは、先刻、彼が「二人で話がしたい」と言っていたことを思い出す。

「分かりました」

 彼はそう言って、ひとまずマライア、エルバ、キヨの三人を会議室から退室させる。「フレドリク」の真剣な表情からして、マライアは会話の内容が気になったが、ひとまず今は手負いのラスティの救護を優先して、その場を去ることに同意した。
 そしてルークは扉に鍵をかけたところで、「フレドリク」は話を始める。

「まず、先程の書状に書いてあったであろう『巻物』についてなのだが……、これは、簡単に言ってしまえば『とある条件下』において効果を発動させる巻物で、その効果というのが、描いたものを現実にさせる、というものなのだ」

 またしても突拍子もない話だが、ルークは落ち着いて話を聞き続ける。彼もまた、これまで数々の奇々怪々な事件に遭遇してきた身である以上、並大抵のことでは動じない。

「ただ、そこに描く絵にはかなりの精巧さが求められるし、特殊なインクも必要だ。そして、相応の絵心のある者でなければ、そもそも巻物を開くことすら出来ない。だから、今の私がこれを持っていても、どうこうすることは出来ない、ということは先に言っておこう。それに加えて、特殊なインクも今はない」

 実際のところ、ルークにここまで話す必要があったのかどうかは分からない。ただ、「非常に危険な魔法具」を預かっている身として、その関係者かもしれないラピスの領主に対して、伝えるべきことは伝えておこうと考えたのだろう。

「さて、その上で、私がここに来たのは、その巻物の件ではない。というのも、今の私は少々『特殊な状況』なのだ」

 「フレドリク」はそう言った上で、「今の自分達の状況」をそのままルークに説明し、今の自分の正体が「ラスク」であることを告げた上で、一つの問いを投げかける。

「私は、貴殿のその類まれなる聖印の力を使えば、邪紋を身体から切り離すことが出来ると聞いた。その力を以って、『私』と『フレドリク』を分離することは可能だろうか?」

 正直、そう言われてもルークも分からない。確かに彼の聖印は邪紋を身体から切り離すことは出来るが、「融合状態の人間」を切り離すとなると、かなり勝手が異なるように思える。そもそも「聖印と邪紋が一体化している状態」自体が、今のルークには想像も出来ない。

「答えにくいのであれば、実際に貴殿がどのような形で切り離したのかを教えてほしい。そこから判断出来るかもしれない」
「私の聖印の能力は、あくまでも混沌を分離することなので……」
「そう考えると、人格の分離は難しい、と考えるのが妥当か」
「すみません……」
「いや、急に変なことを言ってしまってすまない」

 もともと、これについては「もしかしたら、可能かもしれない」程度の期待しか抱いていなかったので、ラスクとしてもさほど落胆はしていなかった。

「あぁ、そうそう。もう一つ。君は巻物のことは知っていたのか?」
「ラピスから持ち出されたもの、という話が紹介状にも書かれていましたが、私は知らないです。今は亡き父ならば知っていたかもしれませんが……」

 ヴァレフールの貴族家に養子に出された時点で、ルークにはそういった「ラピス固有の伝承」の類いは伝えられていなかった。おそらく、それに関してはマライアも聞かされていないだろう。

「あぁ、済まなかったな。ならば、そういった資料が残っている場所は知らないか?」
「一応、この村の資料庫に関しては、ご案内することは出来ます」

 領主の館の裏手側に、小さな倉庫がある。その中にいくつか古い文献も残っていた。アンザ(の額冠)がこの領主の館に火をつけた時も、その倉庫には被害が及ばず、そのまま残されていたのである。それが「資料的価値から残しておく必要がある」と考えたからなのか、それとも「特に興味もないから放置していただけ」なのかは分からないが。

「出来れば、私としても御協力したいのですが、今の私には、それくらいのことしか出来ないです。すみません」
「いや、それだけでも十分だ。本当にありがとう。あと、今、私が話したことは、くれぐれも内密に頼む。出来れば、専属魔法師にも言わないでもらいたい」

 彼が言うところの「専属魔法師」というのが、おそらくマライアのことであろうと推測したルークは、静かに頷く。

「分かりました。では、あなたのことは今後も『フレドリク様』と……」
「あぁ、それで構わない」

 こうして、二人はひとまず館の裏口から出て、倉庫へと向かうことになった。

2.5. 理不尽なる襲撃者

 この間に、マライアは眠っていたラスティの傷を魔法で癒やしつつ、再び新たな投影体が現れた時に備えて、ルークの弓と鎧、そしてキヨの「本体(加州清光)」とエルバの双剣(「貫くもの」と「大和守安定」)にも強化魔法を施し、エルバは更にその武器を自らの完全に同化させることで、万全の臨戦態勢を整える。
 その上で、三人が手分けして「二人の少年」の行方を探そうとしたところ、ほどなくしてキヨは、想定外の人物を発見する。それは、領主の館の近くの物陰に隠れようとしていた「隠れきれない程の体躯の大男」であった。その背中には、彼でなければ操れないであろうほどの巨大な弓と矢筒が背負われていた。そして彼が着込んでいる甲冑は、キヨの故郷の「武士」の鎧に似ているが、それらはキヨ(加州清光)が作られた時よりも古い時代の武具のように見える。
 キヨは彼に気付かれないように近付こうとするが、あっさりとその存在を看破され、そして声をかけられた。

「そこの娘! 貴様、『この俺と同じ世界』の住人か?」
「おそらく、そうだと思いますが……、あなたは?」
「鎮西八郎為朝、という名に聞き覚えはあるか?」

 それは、確かに「キヨと同じ世界」の住人の名である。だが、キヨが作られた時代よりも数百年も前の人物だったこともあり、彼女の記憶には残っていなかった。黙って首を振る彼女に対して、その男は怪訝そうな顔を浮かべる。

「そうか、俺の名を知らぬということは、別の時間軸の住人かもしれんな……。まぁ、それはどうでもいい。『この村の弓使い』とお前は、知り合いか?」
「昔、お世話になった仲ではあります」
「なるほど。で、この村の弓使い、いかほどの腕前か?」

 そう言われても、キヨの本分はあくまでも「白兵戦」であり、弓使いとしてのルークの実力を、何を基準にどう評価すれば良いのかが分からない。

「……立派な方だと思いますよ」
「そうか」

 二人がそんな会話を交わしていたところで、館の裏の書庫へと向かおうとしていたルークと「フレドリク」の姿が二人の視界に入る(一応、二人共不測の事態に備えて、武装した状態であった)。その瞬間、巨漢の男は目を輝かせ、大声で叫ぶ。

「ようやく、ようやく見つけたぞ!」

 そう言いながら男は弓を構えると、慌ててキヨが割って入る。

「ちょっと、待って下さい!」
「何だ? とりあえず、挨拶代わりに一矢撃とうと思っただけだが」

 キヨ達がいる場所からルークまでの距離はかなり離れてはいるが、弓ならば容易に届く距離ではある。そして、その物音に対して、当然ルークの側も気付いた。

「何者だ!?」

 ルークがそう叫ぶと、巨漢の男は嬉しそうな声で叫び返す。

「我が名は鎮西八郎為朝! そこの貴様、『小李広花栄』で間違いないな?」

 唐突に訳の分からない名前を告げられたルークは当然困惑する。ただ、「八郎(ハチロー)」という名が、レッドウィンドからの手紙に書いてあったことは憶えていた。

「いや、私の名はルーク・ゼレン。そのような名に心当たりはない」
「そうか。だが、今の名など、どうでもいい」

 為朝と名乗った男がそう言って再び弓を構えようとしたところで、今度はルークの傍らにいた「フレドリク」が立ちはだかり、声をかける。

「タメトモ殿、でよろしいか?」
「あぁ」
「すまないが、今、彼は私の用事に付き合ってもらっているのだ。出来れば、後にしてくれないか?」
「ほう?」
「私の用事が終わった後であれば、あなたと彼の話である以上、私は介入するかもしれないし、しないかもしれない。だが、今、この場で事を起こそうとするなら、私は彼の側につく。それでも良いというなら、その弓を引き絞るが良い」

 この「為朝」と名乗る男が何者なのかは分からないが、明らかにルークに対して弓を向けようとしている以上、「フレドリク」としては、ここで黙っている訳にはいかない。だが、そんな「フレドリク」からの忠告に対して、為朝は聞く耳を傾ける気はなかった。

「分かった。ならばこの場で貴様ごと射抜いてやろう!」

 その敵意をはっきりと受け取った「フレドリク」は、再び聖印から「聖龍」を作り出し、臨戦態勢に入る。その直後、為朝は矢筒から取り出した矢をつがえ、キヨの静止も振り切って解き放つと、混沌の力が宿ったその矢は巨大な一本の破城槌の如き姿へと変わり、止めに入ったキヨを吹き飛ばし、その先にいたルークにも直撃する(一方、間一髪のところで「フレドリク」は避けた)。鉄壁をも貫くようなその一撃は、並の騎士や投影体ならば一瞬にして肉塊と化すほどの威力であったが、それでもまだキヨとルークは、武器を構えて立ち続ける。
 そしてルークが反撃の弓を放とうとした瞬間、その場にいる者達に対して、少年のような声色の謎の声が響き渡った。

「そいつには『火』だよ」

 その声を聞いたルークは、半信半疑ながらも咄嗟に矢筒から火矢を選び、一瞬にして着火させつつ、為朝に照準を向ける。

「私の矢が見たいなら、その身に受けてみろ!」

 ルークのその声と同時に放たれたその矢は、為朝の甲冑に命中し、そして彼の身体は火に包まれる。それは確かに、通常の人間に火矢を放った時以上の燃え広がり方であったが、彼はその状態でも不敵な笑みを浮かべ続ける。

「こんなもんじゃねえだろ!」

 そう言って再び弓を構えようとする為朝に対し、今度はキヨが斬りかかるが、為朝は大柄な体躯に似合わぬ俊敏な体捌きで、あっさりとその一撃をかわしてしまう。
 だが、その直後にフレドリクは「聖龍」に乗った状態で一瞬にして為朝の目の前まで飛び込んだかと思うと、そこから彼の目を翻弄するように周囲を飛び回りつつ、最終的には彼の死角に回り込んで聖龍の口から炎熱波を放ち、為朝の身体を熱く激しく焼き焦がす。
 更にその直後、不穏な気配を察したマライアとエルバもまた、それぞれの愛馬に乗って戦場に駆けつけた。その馬の蹄鉄音に気付いたルークは、後方から近付きつつであろうマライアに向けて叫ぶ。

「マライア、皆の武器に火炎の付与を頼む!」

 その声が届くと同時に、マライアはすぐ隣に駆けつけていたエルバの双剣に魔法の火を付与し、更にキヨとフレドリクの方へと向かおうとする。
 次の瞬間、為朝が放った二本目の巨大矢(破城鎚)が再びルークに迫るが、この時、彼の危機を察したマライアとエルバの中の星核が輝き、その輝きを受けたルークは人間業とは思えないような足捌きでその矢をかわした。

(避けた!? なんだったんだ、今の輝きは? 花栄か? 花栄の力か? いや、違う。だが、確かにそれと似たような気配を…)

 それは、彼が言うところの「花栄(天英星)」の仲間である「安道全(地霊星)」と「段景住(地狗星)」の輝きがもたらした奇跡である。だが、そのことに気付ける者は、この戦場には誰もいない。
 為朝が困惑する中、今度は「フレドリク」がマライアからの炎熱付与の魔法を受けた上で、「呼延灼(天威星)」の星核の輝きを放ちながら彼に向かって突撃し、そこにルークが更に掩護射撃を加える中、立て続けにエルバもまた炎を帯びた状態に双剣に毒をも塗り込んだ状態で斬り掛かり、流石に為朝も劣勢を悟り始める。
 その間にマライアはキヨとルークの傷を(彼女にとっての「本業」である)生命魔法で癒やしつつ、キヨの本体に炎の力を込め、その力を得たキヨの二太刀目は、今度は見事に命中する。
 これに対し、為朝はルーク、エルバ、キヨの三人を射程に入れた状態で、強烈な三矢目を放とうとするが、マライアが召喚したリャナンシーによって妨害された上に、つがえ直した指先を更に魔法で狂わされた結果、その矢(杭)の勢いは削がれ、ルークもマライアもキヨもかろうじてその一撃を避けることに成功する。

(ば、馬鹿な! この俺が二回も続けて外す、だと……)

 為朝がその事実に衝撃を受けた直後、「フレドリク」からの再突撃が彼の身体を貫き、彼は困惑した表情のまま、混沌の塵となって消滅していった。

3.1. 「異世界」の創造主

 残された混沌の残骸をルークと「フレドリク」が浄化し、エルバ、マライア、キヨの三人が周囲を警戒している中、一人の少年が姿を現す。それは、エルバとマライアにとっては見覚えのある人物であった。

「いやー、おみごと、おみごと。さすがに百八星のうちの五星が揃えば、鎮西八郎為朝といえども、勝ち目は無かったようですね」

 マコト・クルーデである。そして、その声を聞いたルーク達は、先刻の「そいつには『火』だよ」という声の主が彼であったことに気付くが、それ以上に彼が語っているその言葉の内容が問題であった。

「なぜ、そのことを知っている?」

 「フレドリク」がそう問いかけると、マコトは苦笑いを浮かべつつ、一度ため息をついた上で、改めて語り始める。

「まぁ、どう説明するのが分かりやすいのかは分かりやせんがね……、どちらにしても、そちらのお嬢さんにはもう隠しても仕方がないみたいですし、有り体に説明してしまいましょうか」

 エルバを見ながら、相変わらずどこか奇妙な口調でそう語るマコトに対して、エルバは思わず声を上げる。

「お嬢さん!?」

 エルバは御年三十である。どう見ても十代前半程度にしか見えないマコトから「お嬢さん」と呼ばれたことに困惑を隠せないようだったが、彼は気にせずそのまま語り続けた。

「まず、はっきり言ってしまえば、さっきのあの弓使いは、『半分』はあっしが創り出したような存在なんですよ」

 サラッとマコトはそう言った。「半分」という言葉が何を意味しているのかも分からないし、そもそも投影体を(「呼び出す」ではなく)「創る」という言葉の意味もよく分からないが、どちらにしても、それ自体は今の本題(「フレドリク」の質問に対する答え)ではない。そのことを自覚した上で、彼は再びエルバに視線を向ける。

「で、色々調べさせてもらって分かったんだが、『あんたの邪紋』も、間接的にはあっしが創り出したようなもんなんだ」

 「邪紋を創り出す」というのもあまり一般的に耳にする言葉ではないが、まだそれでも「投影体の生成」よりは理解出来る話である。実際、闇魔法師の中には他人の身体に人工邪紋を植え付ける者もいると言われている。だが、ここで彼が言っているのは、そのような意味での「邪紋の創出」ではない。もっと根源的なレベルでの「創作」なのである。

「あっしの名は、マコト・クルーデ。でも、この名は『この世界の人達』に発音しやすいように名乗っている名でね……」

 彼はそう言いながら、今度はキヨに視線を向けつつ、その場にしゃがみ込み、そして閉じた状態の扇の角を使って、地面に「文字」を書き始めた。

「そっちのお嬢さんは、あっしと同じ世界の住人だね。なら、この字も読めるだろう?」

 そう言いながら彼が書き上げた文字。それは確かにキヨの故郷の文字であり、そこには「曲亭馬琴」と書かれていた。

「本当の名は『くるわで・まこと』っていうんですよ」

 正確に言えば、それも「本来の読み方」ではないのだが、発音はともかく、この文字には確かにキヨも見覚えがある。それは、エルバ達に邪紋の力を与えたシリウスの投影前の姿である「八房」が登場する小説『南総里見八犬伝』の作者の名であった。
 キヨが驚愕の表情を浮かべたことで、彼女が自分のことを知っていることを察したマコトは、そのまま語り続ける。

「あっしは『作家』なんですよ。物語を創るのが仕事でね。で、一応、この世界の分類では、投影体の中でも『神格』と呼ばれる存在らしいんですわ。正直、そう呼ばれるのには違和感はあるんですが、『世界を生み出した者』を『神』と呼んで良いのであれば、確かにあっしも神のはしくれなのかもしれない」

 「神格」という言葉を聞いて、セリーナの予言がルークとマライアの頭をよぎる。だが、この少年が「混沌災害」の原因となる神格なのかどうかはまだ分からないし、それ以前の問題として、本当に「神格級投影体」なのかどうかも不明である。
 そもそも、投影体の分類論において「神」という概念は非常に曖昧である。投影元の世界においては「人よりも圧倒的に優れた上位支配者」のような意味で用いられることもあれば、「世界そのものの創造主」を意味することもある。彼が言うことが事実ならば、彼は本来は「人間」として生まれた存在であり、もし彼が「地球」という異世界から投影された場合は「地球人」としてこの世界に出現したのであろうが、「彼が作り出した物語世界(馬琴界?)」から投影されたが故に、その世界にとっての「創造主(神)」としてこの世界に出現することになった、ということらしいが、異世界に関してそこまで造形が深い訳でもないマライアには、それが本当に実現可能なことなのかどうかもよく分からない。

「実際、この村で『シリウス』と呼ばれていたあの犬は、元はあっしが一から考えて作り出した物語に登場する犬である以上、あっしが生み出した犬、ってぇことになる。それが、混沌とやらの作用で、この世界に出現し、そしてその力が『邪紋』って形で、そちちのお嬢さん達に受け継がれることになったらしい」

 その説明に対し、キヨは真剣な顔で静かに頷く。彼女のその様子から、他の面々もマコトの言っていることが(少なくともキヨにとっては)信憑性のある話だということを理解する。

「だがまぁ、物語を妄想すること自体は、誰にでも出来るちゃあ、出来る。あんたらだって『自分の理想の夢物語』を心の中で思い浮かべれば、その物語世界の中では『神』ってぇことになる。そう考えると、人は誰でも、『どっかの世界の誰か』にとっちゃあ『神』であり、『そのどっかの世界の誰か』もまた、何らかの『別の世界』を思い浮かべることで、その世界の登場人物達にとっての『神』になり得るってぇことになる。ま、そんなことたぁ、どうでもいっか」

 どうでもいい、というよりも、彼のこの言葉に信憑性があるのかどうかは誰にも分からない。ただ、キヨの知る限り、『南総里見八犬伝』はたしかに曲亭馬琴によって描かれた「妄想の物語」である。その「妄想の世界」の住人である八房(シリウス)がこの世界に投影体として出現していたことは間違いない以上、「人の妄想の数だけ異世界が存在する(そしてそれらは投影体としてこの世界に出現し得る)」という彼の解釈は、確かに成り立つのかもしれない。

「で、さっき『半分』って言ったけどね。あの鎮西八郎為朝ってのは、本来は、あっしが元々いた世界の、大昔の人でさ。その人の逸話を元に作った『椿説弓張月』っていう、あっしの若い頃の代表作の主人公なんだ。まぁ、本当はあんな乱暴な奴じゃなかった筈なんだが、混沌の作用だかなんだかで、歪んだ性格になっちまったんだろうな」

 そこまで言ったところで、マコトはもう一度エルバに視線を移した。

「そして、あっしが一番驚いてるのはね、あんたなんだよ、お嬢さん。あんたは『あっしの作り出した物語』の力を受け継いでいると同時に、あっしが日本に、あ、日本って言っても分かんねぇか。『あっしの国に紹介した物語』の登場人物の力も宿している」

 当然、エルバには彼の言っている言葉の意味は何一つ分からない。ただ、今の彼女には確かに「二つの異界の力」が宿っている。一つは、マコト(馬琴)の代表作である『南総里見八犬伝』における八犬士の力。そしてもう一つは……。

「星核ってんだろ? まぁ、言って信じるかどうかは分からねえが、『そっちの世界』にもあっしは縁があってね……。そこの『弓使い』のアンタ」

 そう言いながら、今度はルークの方に向き直る。

「アンタに力を与えている宿星が、その『あっしが翻訳したの物語』の中に登場する『百八人の主人公』の中で随一の弓使いなんだ。だからこそ、あっしの作り出した『椿説弓張月』における随一の弓使いである為朝は、あんたに対して強い対抗心を燃やしたんだろうな」

 結局、なぜ為朝が(そしてマコト自身が)そのことに気付けたのか、ということについては何も説明していないが、それについては彼も説明する気はない。というよりも、説明のしようがない。彼自身、「自分がなんとなく気付けたから、為朝もなんとなく気付けたのではないか」という程度の憶測で話しているだけである。いくら彼が「世界の創造主」としての神であるといえども、「この世界」の中では、ただの混沌の産物である「投影体」の一人であり、決して全知全能の存在ではないのであった。

3.2. もう一人の「神」

 そして、ここまで緩んだ表情で飄々と語り続けてきたマコトの顔が、ここまで話し終えたところで急に険しくなった。

「で、何が問題って、なぜこの時点であいつが現れたのか、ってぇことだ。さっきの龍にしても……、あ、一つ言っておくが、さっきの龍については、あっしは関係ねえ。さっきの弓使いに関しては、半分はあっしの責任だが、龍は無関係だ」

 何を証拠にそう言えるのかは分からないが、ひとまずルーク達はマコトの言い分をそのまま聞き続ける。

「あっしが『椿説弓張月』を書いた時に『挿絵』を描いた画家がいてなぁ。んで、そいつぁ、神格としての格で言えば、多分、あっしより上だろう。あっしの作った物語の挿絵以外にも『色んな絵』を残し、その一つ一つが『世界』を形成している。『八人の犬士の物語』の挿絵はアイツの弟子が担当したが、あっしが翻訳した『百八星の物語』の挿絵を描いたのは、アイツだ」

 つまり、ルーク達を襲った「鎮西八郎為朝」という人物を作り上げたのはマコトだが、その外見を生み出したのがその画家、ということらしい。

「アイツ、ころころ名前変えてたけど、多分、一番有名な、そっちのお嬢さんでも知ってそうな名前で言えば……、『北斎』ってぇことになるのかな」

 その名は、確かにキヨも聞いたことはある。キヨの故郷のみならず、世界中にその名を知られる画家であり、死の直前まで数多くの作品を残していた。

「で、アイツはあっしと同じように、この世界で『神格』として出現しているんだが、為朝だけじゃなく、さっき現れた龍も、アイツが昔描いた作品の一つ。あとはまぁ、そうだな、さっき、為朝は森の中で途中で『虎』と戦ってたんだが、それもアイツが描き残していたものだ。多分、あいつがこの地の近辺に現れたことで、かつてあいつに描かれた者達が、偶発的にこの地に現れてしまったんだろうな」

 なぜ、そうなったのか、という点についてもマコトの中では一つの仮説があったが、その説明に入る前に、彼は一つ、重要な『まだ伝えていない情報』を思い出す。

「ちなみに、北斎は最初『北斎辰正』って名乗ってたんだが、これはもともとは『北極星』を意味する『北辰』に由来する名前でね。だから、この世界では、あっし達の世界における別の国で同じ星を現す言葉である『ポラリス』と名乗っている」

 その名を聞いた瞬間、キヨ達の中でようやく話が繋がり始めたのだが、彼女達がそのことについて確認する間もなく、マコトはそのまま話を続ける。

「あっしはね、色々な英雄たちの物語を見聞きするのが好きなんだ。だから、あんたらの噂を聞いて、あっしの作った世界の力を受け継いだあんたらの話を聞きたいと思ってこの地に来た訳だが……、ポラリスの方は、まぁ、なんというか、こう、色々とイカレた奴でな……。とりあえず、面白けりゃ何でもいいと思ってるから……。他にも、何か変な生き物はいなかったかい?」

 そう言われたところで、エルバは彼と最初に会った時のことを思い出す。

「あー、海の中に馬がいたねぇ」
「そう言えば、そうだったな。あれも元はアイツの作り出した絵だ。てか、さっきも言ったが、海にまでアイツの力が及んでいるのは、ちょっとまずいかもしれない」
「海に関して、何かまずい絵でも描いてるのかい?」
「あぁ。アイツは世界的に有名な『大津波の絵』を描いてるからなぁ。もし、同じものがこの海に出現することになったら……」

 さすがにそう言われると、エルバ達は困惑する。そして実際、あの「馬」が出現していた海の近辺は、確かに荒れていたようにも見える。

「投影体なら倒せば良いけど、津波なんて、どうやって防げばいいのさ」
「いや、原理は投影体と同じさ。要は、混沌核さえぶっ潰せばいい」

 ここで、「フレドリク」が口を挟んだ。

「その混沌核となっているのが、ホクサイということか?」
「いや、もしあっしの仮説通り、北斎の存在によって誘発されているのだとすれば、アイツ自身の混沌核とはまた別の混沌核が、海の方にあるんだろう」

 つまり、どうあっても「海」へ向かわなければならないらしい。とはいえ、水中戦はラピスの面々にもあまり経験がない。海の民と言われるノルド人のフレドリク(ラスク)にしても、あくまで「海上戦」(しかも、彼の場合は実質的には「空中戦」)が本業であって、海の中の混沌核を浄化したことはない。

「そうさねぇ、まぁ、アイツの力を借りれば、『船』くらいはパパっと作り出すことが出来るだろうさ。確か、この村には『夢巻物』ってぇのがあるだろ?」

 唐突にその名を出されたルークは、一瞬口籠る。

「それは……」
「あれはもともと、北斎が作り出した『神器』だからな」

 つまり、「北斎の作品」がこの地に多数出現するようになったのは、北斎の来訪だけでなく、この地がそもそも北斎にとって馴染み深い(彼の強力な混沌の残滓が残っている?)地であることが原因なのではないかとマコトは考えていたのだが、その話をする前に、ルークが少し戸惑いながら答える。

「それなら今、フレドリク殿が持っている筈だが……」

 本来、この巻物の存在はあまり公にすべきではないことはルークも分かっている。だが、さすがに既にその存在を知っている者を相手に隠しても意味がないと判断したのだろう。そして「フレドリク」もまた、ようやく「全てが繋がった」ということを実感した顔で答えた。

「あぁ、そうだ。私は今、それを持っている。そして、これで合点がいった。つまり、その北斎と同等くらいの絵師でなければこの巻物を開けないということか?」
「まぁ、そういうことだな」
「下手な絵を描かせたくない、というプライドか」
「プライドというか、面白くないんだろうな。あいつは色々なもん作ってたから。まぁ、ご婦人達の前で言うべきことでもないが……、あいつ、『春画』も得意でな」

 なお、「春画」という言葉を理解出来るのは、この場にはキヨしかいない。

「だから、誰かがその巻物使って、綺麗なねぇちゃんの絵でも描いて具現化してくれれば嬉しいなとか思って創ったんじゃねぇかな」

 「フレドリク」はその言葉で納得した。まさにパルテノで出会ったレディオスがそうであったように、基本的には「妄想力の強い人間」が、この巻物の持ち主としては選ばれやすい、ということらしい(その条件は、数百年前の持ち主であった「紅蓮の姫」にも合致する)。

「で、本来は、その巻物を使うには、アイツの作り出した生き物の血から作られた特殊な染料が必要となる訳だが……」

 つまり、パルテノ南部で戦ったあの「鶏」も、元々は「北斎の描いた絵」だったらしい。それがあの地に出現した理由は不明だが、おそらくはそれもかつて北斎が何らかの理由であの地を訪れたことに由来しているのだろう。

「まぁ、あいつは『創り出した本人』だからな。その特殊な染料が無くても描くことは出来るだろう。何はともあれ、まずはアイツを探してみるか」

 マコトがそう言ったところで、フレドリクがもう一度問いかける。

「待ってくれ。一つ確認したいことが出来てしまった」
「ん? 何だい?」
「あなたとホクサイは、いつからここにいる?」
「えーっと、あっしはつい最近だね。ホクサイは知らん。そもそも、あいつがここにいるという確信もない。多分、いるんじゃないかと思うんだが……」
「相当昔から、この世界にいると考えて良いのか?」
「あぁ、『ここに』ってのは、『この世界に』ってことか。それなら、もう随分昔からいる。それがどれくらい前だったかは憶えてない」
「あなた自身も?」
「そうだな」

 実際、「夢巻物」は数百年前から存在していた以上、そうでなければ話の辻褄も合わないだろう。いずれにせよ、ひとまずこの時点でこれ以上の詮索は無意味と判断したのか、「フレドリク」はそれ以上は何も聞かなかった。
 そして、ここでようやく(全ての事情に最も精通している)キヨが口を開く。

「私はその『ポラリス』と名乗る人と一緒にこの村に来たのですが……」
「ほう?」
「見たことがない犬を連れていました」
「それなら、多分、その犬もアイツが作り出した犬だろうね」

 それを聞いた上でキヨが何を思ったのかは分からないが、状況的にまだこの村のどこかにいる可能性が高いであろうと判断した彼等は、協力してポラリスを探し出すことにした。

3.3. 気紛れなる創造者

 投影体を探す、ということになれば、やはり頼りになるのは「犬士」の嗅覚である。ラスティはまだ休眠中だったため、ひとまずエルバの嗅覚を頼りに、マライアの助力も借りつつ村中を操作した結果、夕暮れ時に差し掛かった頃、村外れの一で、木陰に腰掛けながら「例の犬」とたわむれているポラリスの姿を発見する。
 真っ先に声をかけたのは、マコトであった。彼は呆れ顔で旧友に語りかける。

「ようやく見つけた……、ってか、なんだよお前、その姿はよぉ。いくら自分の姿を好きに出来るからって……」

 彼等は、それぞれの創り出した世界における「創造主(神格)」としてこの世界に出現している。その意味では、本来は「神としての実体」のない存在であるため、「地球人」であった頃の姿で顕現する訳ではないらしい。ましてや北斎は「画家」である以上、その姿は自由自在に变化させることが出来たとしても、おかしくはないだろう。

「お前に言われる筋合いはない。むしろお前の方こそ、『その姿』で『その言葉遣い』はどうかと思うぞ。作家なのであれば、その姿に見合った喋り口調なども考えるべきであろうが」

 何を言っているのかよく分からない「神々の会話」を交わしつつ、マコトはポラリスに、ここに至るまでの事情を説明する。なお、この時点でラピスの東方の海は、明け方頃に比べて明らかに荒れ始めていた。まだそこまで本格的な高波が起きている訳ではないが、明らかにこの季節にしては不自然な荒れ方であり、何らかの混沌の作用である可能性が高そうに思える。マコトとしては、自分の「嫌な予感」が的中しつつあることを察していた。

「……ってぇことで、お前の創り出した作品が海の方にまで投影されて、この村に迷惑かけているようだから、対策を考えろや」

 マコトは自分の作品の投影体の力を受け継いだ八犬士達の守ったこの村に、それなりに愛着が湧いているらしい。ポラリスをこの地から退散させれば海が収まるという可能性もあるが、もしポラリスが一つの「揮発剤」でしか無かったと仮定すると、ここで彼を追い出したところで、一度収束してしまった混沌核が自然消滅するとは考えにくい以上、ここはポラリスに解決策を求めるのが最も確実な対応であるように思えたのである。
 一方で、マコトの推測通り、ポラリスの方も過去にこの村を訪れたことはあり、マコト以上に縁のある関係なのだが(その物語はいずれまた別の形で語られることになるかもしれない)、その割には「村の危機」と言われても、どこか他人事のような様子であった。それでも、マコトに強い口調で迫られたことで、あまり気乗りしない様子ながらも真剣に考え始める。

「そうだな。海ということであれば、その荒波にも耐えられそうな船を作り出しても良い訳だが……」

 ポラリスはそう呟きながら、マコトの後方にいた「三人の女性(マライア・エルバ・キヨ)」を凝視する。そして一瞬、その「高貴な少年のような出で立ち」とは不似合いな下卑た笑みを浮かべた。

「よし、分かった。船を作ってやろう」

 その視線に嫌な予感を感じたエルバは、思わず顔を引きつらせながら一歩下がる。

「おや? 船はいらんか? 魔法の渦巻でも沈まない程度の船を作り出すことも出来るのだが」

 「魔法の渦巻」とは、元素魔法によって生み出される渦潮のことであろう。普通の船ならば一発でほぼ確実に沈めてしまう危険な魔法であり、船乗り達にとっての天敵である。当然、ノルド人の「フレドリク」もその脅威はよく分かっているからこそ、それにも耐えうる船が本当に作れるというのであれば、それは極めて強大な助けになるが、「強大な力」だからこそ、あえて「フレドリク」は、強い口調で確認する。

「まともな船なんだろうな?」
「あぁ、そこは信用していい。沈まれても困るしな」
「ならば、これをあなたに渡そう」

 そう言って、「フレドリク」は夢巻物をポラリスに手渡すと、彼は懐かしそうな顔を浮かべながら受け取る。

「さて、それでは、久しぶりに一筆、仕上げてみることにしよう。一晩もあれば十分だ。明日の朝までには仕上げるから、それまでしばし待つが良い」

 ポラリスにそう言われたルーク達は、ひとまず警護と監視の兵達をその場に残し、「フレドリク」とキヨには館の客室を与えた上で、この日は静かに床に就くことにした。そしてマライアは「フレドリク」から許可を得た上で、彼の武器にも強化の魔法を施したのであった。

3.4. 二艘の長船

 翌朝。更に海が荒れ始める中、海岸にはポラリスによって作られた二艘の「長船」が用意されていた。見た目は木造船のような形状で、それぞれに漕手を含めて十人程度までしか乗れなさそうな小舟であり、そこまで頑丈そうには見えない。

「本当に大丈夫なのか?」

 エルバが不安そうにそう呟くと、涼しい顔でポラリスは答える

「大丈夫だ。ちゃんと我が力を込めているし、そもそもこの船は、もともと『津波の絵』の一部だから、あの津波で沈むことはない。ただ、わしの描いた『別の絵』が『津波の絵』の中に混ざっている可能性もあるから、そちらの方は気をつける必要があるだろうな」

 何を根拠にそう言えるのかは分からないが、ひとまず今はポラリスのその言い分を信じることにした。実際、昨日の時点で海ではしゃいでいた『馬』も、マコトの説明によれば、本来は「津波」とは別に描かれた絵である。なお、この時点で微妙にポラリスの「一人称」が変わっていることからも、「素の(人間だった頃の)自分」が少し出てしまっているらしいことに、マコトは気付いていた。

「あ、一艘は我の分だからな。お前達は残り一艘に乗って行くが良い」

 そう言って、ポラリスは懐から紙と筆を取り出しつつ、片方の船に乗り込む。その様子を見て、エルバの脳裏には更に嫌な予感が過ぎった。

「そこで描いた絵が、また何かを引き起こすんじゃないだろうね」
「あぁ、これはただの紙だ。夢巻物ではない。これはただ、お前たちの艶すが……、あ、いや、戦う姿を描きたいだけだ」

 そのやりとりを見ていたマコトは、ポラリスの思惑を概ね察する。

(この助平爺、さては、海の向こうに「何」がいるのか、察しがついてやがるな……)

 それと同時に、ポラリスがこの地に来た理由も分かったような気がした。この村の契約魔法師が絶世の美女であるという噂は、それなりに各地に知れ渡っていたのである。
 とはいえ、事態の解決のためには彼の助力を得ることが一番確実だろうと割り切った上で、マコトはルーク達に改めて助言する。

「コイツの描いた絵が元になっている投影体なら、基本的には火に弱い筈。元は全て『紙』だからな」

 為朝相手に「火」が有効だと判断したのも、そういう理由らしい。もっとも、その理屈が全ての「紙に描かれた世界から現れた投影体」に有効なのかどうかは分からないのだが、少なくとも昨日の戦いでは龍が相手の時にも炎熱系の攻撃が十分な痛手を与えていたことを考えると、一定の信憑性はありそうである。
 その上で、ひとまず回復したラスティとマコトは万が一の事態に備えて村に残した上で、ルーク、マライア、エルバ、キヨが乗船し、「フレドリク」は「聖龍」に騎乗した状態で空中から援護することにした上で、その後方から「画材を構えたポラリス」を乗せた船が追従するという形で、彼等は荒波の海原へと乗り込んでいった。

3.5. 荒海の怪物

 船が荒波の中心部へと近付くにつれて、当然のごとく揺れは激しくなる。だが、ポラリスの言っていた通り、どれほど激しく揺れても、なぜか沈む気配は一向に見せない。まるで「荒波の中で揺らされることを前提として設計された船」であるかのごとく、豪快にその船体を揺らしながら荒波の中心部へと近付いていく(下図)。


 だが、そのあまりにも激しい揺れは、必然的に乗員達の三半規管を狂わせていく。特に船旅に慣れていないルークは、マライアから貰った酔い止めの魔法薬でどうにか平衡感覚を保つのがやっとの状態であった。
 そんな苦境に喘ぎながらも、やがて彼等の目の前に、巨大な投影体が姿を現した。それは、明らかに禍々しい雰囲気を纏った「蛸」の怪物であった(下図)。


(ふむ、やはりな。おそらく、あの蛸の混沌核はこの津波の混沌核と融合している。いわばこの津波は、蛸の混沌核を中心に作られた一種の「魔境」のような空間……。さて、わしの創り出した蛸の触手による攻めを耐えきれるかな? 美しき魔星の前世達よ)

 ポラリスが内心でそう呟きながら、先行する船の三人の女性達に好機の視線を向けつつ、筆の準備を整えていると、その中の一人であるマライアは、マコトからの助言に従い、次々と皆の武器に炎熱の力を付与していく。
 そしてフレドリクが空中から炎を纏った突撃をかけると、確かにその蛸の触手の一部が(海の上ということもあり、明らかにその体皮は湿っているにもかかわらず)激しく燃え上がる。その状況を確認した上で、ルークは船の後方から火矢を放ち、船の先端ではエルバが(船の揺れのせいか剣先が鈍ったが)リャナンシーの助力を得ながら炎の剣を二撃連続で命中させ、立て続けにキヨもまたルークの援護射撃を受けながら追い打ちの打突を加える。
 その直後、蛸はその「ぬめった触手」で全員に向かって襲いかかるが、マライアからの魔法補助が功を奏した結果、全員がその攻撃をかわし、逆にエルバが日本刀を用いてその触手に深手を負わせる。

(なんじゃい、一人も捕らえられんのか。せっかくの美女達を目の前にして、なんと情けない……)

 後方からポラリスがそんなことを思いながらため息をついている中、マライアは全員の身体能力を向上させる魔法をかけると、ルークが自分自身の星核を掲げながら、同船する皆の気持ちを込めて放った閃光のごとき一矢が蛸に直撃し、その巨体は一瞬にして消滅して混沌の残滓は海の藻屑となり、その中心に現れた混沌核をルークと「フレドリク」の聖印が浄化すると、辺り一面の荒波も収まっていく。

(やれやれ、せっかくここまでついてきたのに、完全に骨折り損じゃな。まぁ、梁山泊の第八席と第九席に邪魔されては、蛸一匹では太刀打ち出来んのも仕方あるまい)

 内心でそう呟きながらポラリスが苦笑を浮かべる中、二艘の船はゆっくりとラピスの村へと寄港するのであった。

4.1. 去りゆく神々

「おそらくはあの蛸の混沌核が最大の元凶であっただろうから、それを倒した以上、もうこれ以上何かが出現することはないと思うが、我がここにいることによって、また何かが収束しても困るだろうから、そろそろ去ることにしよう」

 寄港したポラリスはルーク達にそう告げつつ、「フレドリク」に夢巻物を返しながら、ふと問いかける。

「ところで、この夢巻物の『使い手』が現れたのだろう? 少なくとも、我はそれを感じたから、この地まで来たのだが」

 どうやら、それがポラリスがラピスを訪問した最大の理由らしい(それはそれとして「マコトの推測」も一つの要因だったのかもしれないが)。なぜそのことをポラリスが感知出来たのかは不明だが「巻物の創造主だから」と言われてしまえば、それまでのことだろう。どうやらこの世界においても、「神格」とはその程度には人知を超えた存在らしい。
 それに対して、「フレドリク」は少し迷いながらも、ぼかしつつ答える。

「『ここではないどこか』で会いました」

 前日の時点ではもう少し強い口調で応対していた「フレドリク」であったが、彼の力を借りて事態を収集したことへの敬意からか、自分よりも格上の君主を相手にした時の口調でそう返す。

「そやつの絵が見てみたいのだが、どこに行けば良い?」
「今、彼自身に関していざこざが起きていて、彼の所に行っても会えないと思います」

 実際、現在のレディオスの処遇は「保護観察処分中」である以上、ここでポラリスがパルテノに向かった場合、(本人に悪意が無くても)厄介な事態が引き起こされかねない。

「そうか。まぁいい。いずれ実力のある者同士は惹かれ合うものだ。どこかで出会うこともあろう。他に、誰か『変わった絵』を描く者に心当たりはあるか?」

 ポラリスにそう言われた瞬間、ルーク達の中ではフィアールカのことが思い起こされるが、彼女が今、どこにいるのかも分からない。「変わった絵」を描く者という意味では、そのフィアールカの友人のパブロという青年もいたが、彼も彼で今の所在は不明である。
 そんな中、エルバはここで「もう一人の絵描き」のことを思い出す。

「そういえば、猫の絵描きがいたね」

 ティスホーンの武術大会で対戦し、その後、ルークの肖像画を描いていたTKG(トーマス・カリン・ガーフィールド)である(ブレトランド八犬伝4)。もっとも、彼に関しては「『変わった絵』を描く者」というよりは「変わった『絵を描く者』」と評すべきであろうが。

「猫? それはもしや、国吉のことか?」

 それは、北斎と並ぶもう一人の(彼等の国における最初期の)「百八人の豪傑達の武者絵」を描いたことで知られる画家である。無類の猫好きとして知られており、数多くの猫の絵画も残していた。もし、彼が「(彼によって描かれた)猫の世界の神」として投影された場合、確かに「猫」の姿の神格として出現する可能性もあり得るだろう。

「クニヨシ? よく知らないけど、由緒正しい猫みたいなことは言ってたような」
「ほう? では、そやつも探してみるか」

 そんな会話を交わしつつ、サバサバした様子でポラリスは「(ここまで一緒に連れてきていた)よく分からない犬」と共にラピスを後にする(その様子をキヨは名残惜しそうに眺めていた)。
 一方、もう一人の「神」もまた、別の土地へと旅立つ準備を進めていた。彼はルークや「フレドリク」達から一通りの話を聞いた上でそれを書き留めると、満足した様子で笑顔を浮かべる。

「また一つ、面白い逸話が手に入った。あんたらが『百八の魔星』を集めるのを楽しみにしている。その時がきたら、きっと私はすぐにその気配を察知することが出来るだろう。なぜなら私ほど、『あの物語』を愛している者はいないだろうからな」

 マコトはルーク達にそう告げると、何処へかと去っていった。この二人の「創造主」が再び揃って彼等の前に現れることがあるとすれば、それはおそらく「大毒龍との決戦」の時であろう。だが、それがいつの日になるのかは、まだ誰にも分からなかった。

4.2. 再会の予感

 その後、「フレドリク」は改めてルークに案内された上で、村に残っていた書庫の資料を数日かけて目を通してみたが、「夢巻物」に関する記述も、「分離の魔法陣」に関する記述も見つからなかった。結果的に思わぬ形で「夢巻物」の正体を知ることにはなったものの、今の「彼等」の状況を克服するための手掛かりを手に入れることは出来ないまま、ひとまず「彼等」はこの村を去ることを決意する。

「今回は特殊な状況での訪問になってしまい、申し訳ない。だが、いずれ全てが一段落したら、今度はノルドからの正式な使者として、改めてラピスの村を訪れたいと思う。その時はまたよろしく頼む」
「また、いつでもご歓迎致します。こちらこそ、ラピスの問題に協力して解決して頂き、ありがとうございました」

 ルークにそう言われた「フレドリク」は、次の手掛かりを探して、ひとまず南方へと向かうことにした。今のところは特に何のアテもないが、全く想定外の形でこの地で五人もの「星の前世」と出会えたことを思えば、とにかく今は各地をひたすら訪問し続けることで、何かの拍子に新たな出会いが舞い込んでくる可能性に賭けるしかない。そんな僅かな願いを胸に抱きつつ、「彼等」は再び旅立って行った。
 一方、キヨはもうしばらくの間、この村に残ることにした。前回の10倍以上の人々を集めなければならない事態ということであれば、当然、10倍以上の規模の大災害が引き起こされることが想定される以上、今はこのブレトランドの地を離れる訳にもいかない。
 そして、今はこの場にいない残り六人の「かつての仲間達」もその「108人」の一人なのかもしれないという予感は、キヨだけでなく、ルークも、マライアも、エルバも、ラスティも、皆が共有していたのだが、彼等にはその正否を確かめる術はない。ただ、いずれ来たるべき「時」が来れば、再び運命の糸が彼等を結びつけることになるだろう。かつてのラピスを救った時と同じように。
 八つの光が揃うまで、未醒の星はあと三つ。夜空に希望が満ちるまで、未還の星は七十八。

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最終更新:2021年10月23日 17:48