「バルレアの魔城」最終話(決戦編)

1-1、亡命者達の再会

 サンドルミア辺境伯軍による瞳攻略から数ヶ月後の時を経て、ウィステリア騎士団領の最前線のアクランドに、魔王となった元ユースベルグ男爵イドリス・シュレスヴィッヒの元部下であった三人の亡命者が集まっていた。それぞれの亡命先での「成果」を報告し、今後の方針を確認するために。

「無事、交渉は上手くいったようで、良かったです」

 ユーミル男爵領へと亡命したルクス・プリフィカント(PC⑬)がそう語ると、アストロフィ子爵領の客将となったミリア・ベルナール(PC⑭)が頷き、答える。

「それにしても、無事で良かったです。二人共、道中何もありませんでしたか?」
「一番心配していたのはあなたですよ、ミリアさん」
「大丈夫ですよ、私には空手がありますから」

 いつもながらの紳士的かつ軟派な物言いのルクスに対してミリアがそう返すと、ルクスはもう一人の同僚であるレオンハルト・スパルタ(PC⑫)に視線を向ける。彼こそが、今この三人が集っているウィステリアの領主を説得した功労者であった。

レオンさんはどうでしたか?」
「私は、ダンボールという新しい文化に触れることが出来まして、これはこれで有意義な体験でしたね。私としては、ルクス殿の方が心配でしたよ。いや、その、なんというか、ねぇ……」
「私もそれが心配でした」

 ルクスの日頃の「所業」を知っている二人が顔を見合わせらそう言うと、ルクスは苦笑を浮かべる。

「いや、『そんな揉め事』は何も起こしていませんよ。まぁ、色々と思うところはありましたが……」

 何を疑われているのかを理解したルクスが微妙な表情でそう返すと、レオンハルトもそれ以上は突っ込まない。そしてルクスは本題を切り出す。

「とりあえず、このまま三国が合流することになりそうですが、お二人とも、これまで対立関係にあった三国が協力することは可能だと思いますか?」

 それに対して、ミリアは神妙な表情で答える。

「正直、上辺だけの関係になる可能性はあると思います」
「まぁ、それはそうでしょう。これまで対立してきた以上、どこの国もそういうものだとは思います」

 ルクスもまた難しそうな表情を浮かべながらそう語る。特にアストロフィとユーミルは、幻想詩連合と大工房同盟という、アトラタン大陸全体を二分する二大勢力の最前線国家でもある。そう簡単に協力出来る関係ではない。

「このウィステリアに関しては、これまでどちらかというと中立的な立場でしたから、他二国が攻略に動くならば、協力はするでしょう」

 レオンハルトはそう語る。実際、この三国をまとめられるとしたら、それは連合にも同盟にも属していないウィステリアしかありえない。だからこそ、今、この場で三人が集まっているのであり、この後、各国の最前線指揮官達をこの地に集めて魔城攻略のための協力会議を開催する、というのが彼等の思惑であった。
 そのことを踏まえた上で、改めてミリアが口を開く。

「こちらも、魔王を倒すまでは協力出来ると思うのですが……」

 言いにくそうな表情の彼女に代わって、ルクスが言葉を繋ぐ。

「問題は、そこから先ですね」
「はい、混沌核の奪い合いになるかと」

 この世界の君主は、その聖印の大きさによって、より広大な領土を支配する権限をエーラムから認められる。混沌核の浄化・吸収はその聖印の成長に繋がる以上、あの広大な「バルレアの瞳」の大半の混沌を吸収した魔王の混沌核を浄化・吸収すれば、その者は事実上、バルレア全土を支配するに足るほどの聖印を手に入れることになる。だからこそ、魔王を倒した後、どの君主もその混沌核を欲するのは必定であろう。
 その上で、ルクスの中では、それ以上の「最悪の展開」が想定されていた。

「奪い合いになる、で終われば良いのですよ。魔王を討伐した後、我々の間で血みどろの争いになれば、今度はパンドラが、我々の中の誰かを『新たな魔王』にしようと画策するかもしれない。なので、混沌核を取り合うという形でお互いの隙を晒すことは出来れば避けたい。混沌核を三分割して分け合う形で、戦後も互いに警戒状態を保つことが出来れば、その場で争うことはないでしょう。そこから先は国のトップの方々の交渉になりますので、どうなるかは分かりませんが、パンドラが付け込む隙は少なくなるかと」

 それに対してはミリアレオンハルトも同意する。

「その通りですね」
「トップの人達はともかくとして、今回の魔城攻略作戦に関わる人々の間だけでも、団結しておきたいところです」

 二人がそう言って頷いたのを確認した上で、ルクスは改めてこう告げる。

「そこでなのですが、少しだけ、策というほどのものでもありませんが、彼等の同調を促す上での判断材料となりうる一つの『事実』を、三国の協力会議の場で提言してみたいと思っています。ですから、会議の場で私がその話をしたら、出来ればそのことに肯定の意を示して欲しい。無論、間違っていると思ったら、その場で糾弾して頂いて構いません。一旦それで対策を練ってみたいと思います」
ルクスさんに策があるというのなら、私はそれに従いましょう」
「日頃の素行はどうあれ、こういった時のルクス殿の作戦には間違いはありませんからな。信頼しておりますぞ」

 普通であれば、ここでその「事実」について確認しようとするところであろうが、二人はあっさりとその方針を受け入れた。どうやら、軍略・政略に関しては二人ともルクスに絶対的な信頼を寄せているようである。

「ありがとうございます。お二人の信頼に答えられるよう、皆さんに納得して頂けるように、精一杯説明したいと思います。あと、私、そこまで素行悪くはないですよ」
「これは失礼」

 目線をそらしながらレオンがそう答えると、改めてミリアが二人に訴えかける。

「もうひと頑張りです。もうひと頑張りで、魔王を討つことが出来るのです」
「そうですね。お二人とも、あと一踏ん張り、頑張りましょう」

 ルクスがそう言うと、改めて三人は強い決意を込めた視線で、結束を誓い合う。自分達が引き起こしてしまったこの事態を、今度こそ確実に終わらせるために。

1-2、新盟主の憂鬱

 その頃、同じ建物の中の政務室でレオンハルト達の会談が終わるのを待っていた(この地の領主にしてウィステリア騎士団の新団長でもある)サラ・アクランド(PC①)のところに、ウィステリア騎士団所属の騎士テヴェル・ヘイディアが来訪する。現在はサラの傘下という形になるが、つい先日までは同僚の関係であり、現在もそこまで明確な主従関係にある訳ではなかったが、もともと魔城攻略推進派であった彼は、新盟主としてのサラに対して積極的に協力の姿勢を示していた。

「盟主様、どうやらあの方々の思惑通り、サンドルミアとユーミルも出兵に同意してくれそうですね」
「それはありがたいことだな」

 念願の魔城攻略に向けて意気揚々と語りかけるテヴェルに対して、サラはそう答えたが、その声からはテヴェルほどの喜びや高揚感が感じられない。無論、彼女としても三国協力体制の確立は悲願ではあるのだが、今はその先に待ち受ける困難が頭をよぎり、無条件にこの状況を喜ぶ気分にはなれずにいた。

「ここは、我々主催で各国の代表者を集めるべきかと」
「私も最初からそのつもりだが」
「そうでしたか。では、その場合、サラ様が全体の指揮官を務める、ということでよろしいですかな?」

 テヴェルが強い熱意を込めた口調でそう問いかけるが、サラは淡々と答える。

「それは話し合いで決めるべきだろう」
「しかし、現実問題として、ユーミルとアストロフィはそれぞれ同盟と連合の傘下にいる以上、互いに相手の傘下には入りにくいでしょう。ですから、この作戦限定の暫定連合軍としては、サラ様が指揮を採るべきかと。その上で、我がウィステリアにとって最良の結果をもたらすよう……」
「その辺りは考えてあるから、大丈夫」

 熱弁するテヴェルをあしらうように、サラはそう言って話を終わらせる。彼女としても、テヴェルが言いたいことは分かっている。だが、そのためには極めて微妙なバランスの上での政治的駆け引きが必要となるであろうことを予想していた。そして、それはまだ騎士団長となったばかりの、弱冠16歳の彼女には、あまりにも荷が重い話であった。
 そんな中、レオンハルトが会談を終えて彼女の執務室を訪れる。

レオン、話は終わったか?」
「えぇ、なんとか。両国共に合流する流れで問題はないです」

 彼がそう答えると、テヴェルが再びサラに提言する。

「では、両国にはこのアクランドの地に軍を派遣して頂いた上で、合流して魔城を攻めるという形でよろしいでしょうか?」
「その方が早いだろうな」

 サラは短くそう答えた。首脳会談だけをこの地でおこなった上で、それぞれの本国から攻めるという道も無くはないが、それはそれで二度手間になる。また、地の利が敵側にある以上、戦力の分散は各個撃破の的となりやすいため、一箇所から戦力を集中して攻め込む方が得策と考えるのは自然な発想であった。
 無論、その場合、ユーミルとアストロフィの対魔城最前線の防御を手薄にしてしまうリスクもあるが、どちらにしても、魔城を攻めている間に他国(特にサンドルミアやノルド)からの奇襲が発生する可能性もある以上、国力の全てを魔城攻略に充てる訳にはいかない。その意味では、いずれにせよ相応の戦力を両国共に本国に残しておくであろうから、この方針に対して両国の首脳陣が受け入れるであろうことは想定出来た。
 問題は、「その先」である。サラはそのことについて頭を悩ませつつも、改めて両国に対しての協力要請の書状をしたため、それをレオンハルト経由でルクスミリアに渡すのであった。

1-3、異界の秘密兵器

「猫ちゃん、アーベルを呼んできてくれないかしら?」

 アクランドの一角に隔離施設のような形で作られた秘密研究所において、ダリア・ノートがそう問いかけた。その視線の先には、彼女の監視役を勤めているケット・シーのケンジー・レイン(PC③)がいる。

「あぁ、分かった」

 彼はそう言うと、研究所を出て、ダリアの後輩であるアーベル・ノートPC②の元へと向かう。毒龍騒動以降、ダリアは魔城攻略に協力するという条件で、実質的に軟禁状態のまま研究作業に従事させられていたのだが、ある意味、これは彼女が長年追い求めていた「研究だけに専念出来る環境」の実現でもあり、だからこそ、ケンジーとしても、ここで一時的に彼女から目を離したところで、彼女がそこから逃げ出すような真似はしないことは分かっていた。
 ほどなくしてケンジーに連れられてアーベルが到着すると、ダリアは彼に対して、満足気な笑みを浮かべる。

「どうしたんスか? 先輩」
「魔王の混沌核をどうにか出来るかもしれない方法を見つけたわ」

 現在、バルレアの魔城を支配している魔王は、かつては「ユースベルグ男爵イドリス・シュレスヴィッヒ」と名乗る君主であった。彼はバルレアの瞳の中心にあった混沌核を吸収しようとした際に、その浄化に失敗してその聖印を混沌核に書き換えられ、魔王と化してしまった。つまり、仮に今回の魔城攻略作戦が成功して魔王を倒したとしても、同程度以下の聖印の持ち主では混沌核を無事に浄化出来るとは限らない。
 そのことを踏まえた上で、ダリアはアーベルケンジーに対して、明らかにこの世界の代物ではない、奇妙な形状の「銃」を提示する。彼女は表(青)と裏(浅葱)のどちらの系譜の召喚魔法も習得していたため、「道具」を呼び出す技術にも長けている。そんなダリアが取り出したその銃のことを(元の世界における正式な名称は不明であるが)、彼女は「混沌粉砕銃(カオス・ブレイカー)」と名付けた。彼女曰く、この銃を使えば、混沌核を均等な複数の小型の混沌核に分解することが出来るらしい。つまり、これを使って巨大な魔王の混沌核を分解することで、より容易に個別に浄化・吸収が可能になるだろう、というのが彼女の目論見である。
 ただし、これまでダリア自身が呼び出した小規模の投影体で実験してみたところ、具体的に何個に分解されるかは特定出来ないらしい。少ないときは二分割に止まることもあれば、最大で十二個の破片にまで分解された事例もあるという。

「あと、私が収束させられる混沌核の大きさにも限度はあるから、これが魔王の混沌核に通用するかどうかも分からないわ。どこかに、解体しても大丈夫な『ほどほどに強力な投影体』とか、いればいいんだけど……」

 ダリアにそう言われたアーベルケンジーは、一瞬だけ「彼女」の顔が頭に浮かんだが、さすがにここでその名を口にするのは憚られた。いかに現領主であるサラから疎んじられている「異界の女神」であっても、今は自分達にとっての同僚である。それに、対魔王戦においても「彼女」の力が有用であることは、二人共(そしておそらくダリアも)分かっていた以上、少なくとも今の時点で、彼女を人身御供にする訳にはいかないと考えていたようである。

1-4、先代盟主の仮説

 こうして「解体」の危機を免れた「異界の女神」こと荒井咲希(PC④)は、ちょうどその頃、自身の信者達からなるダンボール商隊を率いて、アクランドへと帰還してきたところであった。

「今回の交易も上手くいったね」
「はい、ダンボール様!」

 信者達を労う咲希に対して、彼等はそう答える。「サキ様」という呼称はこの地の領主である「サラ様」と紛らわしいこともあり、このような「尊称」が定着したらしい。おそらく信者達は、咲希そのものが「人」「神」「ダンボール」の三位一体のような存在だと思い込んでいるのだろう。彼等の抱えるダンボールの中には、今回の交易(と布教活動)を通じて得た大量の金貨が詰まっていた。
 そんな彼女達の前に、先日サラにその座を譲ったばかりの先代ウィステリア騎士団長テイザー・ノーウッドが現れる。

「あ、入信希望ですか?」

 そんな咲希の言葉を聞き流しつつ、テイザーは彼女に問いかけた。

「あなたのおかげで、この地域は更に活性化しているようですね」
「そうですね。私もこれでも神格の端くれですから、精一杯この国に奉仕させて頂いていますよ」

 実際、彼女達のおかげで、アクランドの経済は着実に活性化している。だからこそ、サラとしても彼女のことを苦々しく思いつつも、黙認せざるを得ない日々が続いているのである。

「ところで、一つお伺いしたいのですが、あなたのような『投影体』の方々は、『混沌核を取り込む』ということは出来るのでしょうか?」

 この世界では、君主が混沌を浄化する他に、邪紋使いが混沌核を自身の体内に取り込むことで、より強大な力を得ることが可能であると言われている。ただし、あまりに多くの混沌核を吸収しすぎると、やがてその混沌の力を自身で制御出来ずに暴走状態に陥ってしまうと言われているため、あまり推奨はされていない。
 では、最初から「混沌そのもの」によって構成されている投影体の場合、自身の混沌核に他の混沌核を融合する、ということは可能なのだろうか?(注:なお、この点については公式ルールブックや各種小説などでも明確な言及はない) そんな先代盟主の素朴な疑問に対して、彼女は少し考えた上で、自身の見解を語り始める。

「混沌核を私自身が吸収出来るかどうかは分からないのですが、ダンボールにしまうことは出来るかもしれません」

 そう語る彼女の背後では、「しまっちゃおーねー、しまっちゃおーねー」と賛美歌(?)を歌いながら梱包に勤しむ信者達の姿があった。

「なるほど、その手がありましたか! しかしその場合、ダンボールが混沌核に取り込まれて、『悪のダンボール』になってしまう可能性もあるのでは?」

 テイザーは、そもそもダンボールが何なのか、未だによく分かっていない。とりあえず、咲希のことは「善のダンボール」だと勘違いしているらしい。

「そうですね、もし仮に悪のダンボールになってしまったとしても、私はダンボール様を信仰し続けることになります。それだけは間違いないです」

 それが良いことなのかどうかはよく分からないまま、彼は首を傾げながら去って行った。結局、ごまかされただけだったのだが、「考えても仕方のないことだ」ということが分かっただけでも、彼の中では収穫だったと言えないこともないかもしれない。

1-5、流浪の女騎士

 一方、ユーミルでは「流浪の騎士クレア・シュネージュがユーミル東部の港町に現れた」という噂が広がっていた。彼女は聖印教会所属の「所領を持たない騎士」であり、唯一神への強い信仰心を胸に抱きつつ、人々を助けるために世界中を旅している。その高貴な人柄から、民衆からの支持も厚く、一部の聖印教会の信徒達の中では、彼女そのものが一種の崇拝の対象と言っても過言ではないほどのカリスマ性の持ち主でもある。
 かつて彼女と出会い、彼女に憧れて騎士を志した16歳の若き傭兵隊長のジェラール・アルテミス(PC⑦)もまた、そんな彼女の信奉者の一人であった。彼はその噂を聞きつけるや否や、下町の喧嘩仲間達の情報網を駆使して彼女の足取りを探り、そしてユーミル中部のとある宿場町にて、遂に彼女を発見するに至ったのである。

「あれ? クレア様ではありませんか?」

 わざとらしく彼が声をかけると、久しぶりに再会したクレアは、少し驚いた表情を見せる。

「あら、ジェラール。あなた、今はこの国にいたのですか?」
「えぇ、あなたに助けられて以来、あなたに追いつき、あなたの隣で戦うために、傭兵を続けてきました。今はこのユーミルの地方領主の下で雇われております」
「そうでしたか。私はこの国の盟主であるユージーン殿から、魔城攻略に関わる特殊任務を依頼されてこの国に来たのですが、港で合流する筈だった方が海難事故に遭われて行方不明になってしまい(詳細はバルレアの魔城・外伝を参照)、任務内容もその方から直接伺うように言われていたので、正直、今はどうすれば良いか分からない状態なのです。とりあえず、ユージーン殿のところに行くべきか、直接魔城の方に向かうべきかで迷っていたのですが……」
「そういうことなら、私の雇い主がその魔城攻略の作戦に関わっておりますので、私と共に、対魔城の最前線基地に来て頂ければよろしいかと」
「分かりました。では、案内して頂けますか?」
「はい、分かりました」

 こうして、念願のクレアとの「二人きりの旅」を満喫する権利を得たジェラールは、少しでも長くこの時を味わうために、ほどほどに寄り道しながら自身の雇い主の待つ最前線の砦へと向かうことになるのであった。

1-6、宗教国家の思惑

「魔王の混沌核を浄化するには非常に困難です。一つの混沌を複数人の聖印で同時に浄化することも可能ではありますが、一人の強大な聖印の持ち主が集中して浄化した方が、成功率は高いでしょう」

 ユーミルの対魔城(旧瞳)最前線の砦において、この地の文官エルミナ・ワイズウッドは、同地の指揮官エクレール・グライスナー(PC⑤)と、その契約魔法師ミカエラ・メレテス(PC⑥)に対してそう語った。彼女達もまた、前述のダリア同様、魔王の混沌核の浄化失敗による「新たな魔王」の出現を危惧していており、少しでも成功率が高い方法を模索した結果、一般論としての上記のような傾向がある、という見解をエルミナは示していたのである(注:これはグランクレストの公式設定ではない。浄化の成功率については、システム的に一切の規定はない)。
 そうなると、少しでも多くの聖印を一人に集めた方が浄化の成功率は高まりそうだが、エルミナがそう語った直後に、この地の教会の司祭であるシスター・マリアンヌから、不穏な知らせが届いた。

エクレール様、グリップス殿が海難事故で行方不明になった、との報告が」

 エクレールの副官であり従属騎士でもあるグリップス・フォルクは、現在、ユージーンの密命により、この地を離れている。彼はエクレールに何も言わずに旅立ったため、彼女達はグリップスがどこで何をしているのかも知らされていなかったが、どうやら東方の港町に向かっていたらしい。突然の凶報に、その場にいた人々は動揺するが、そんな中でエクレールだけは、落ち着いて自分自身の聖印を確認していた。

「大丈夫。彼はまだ、死んではいないよ」

 エクレールの従属聖印を持つグリップスが命を落とした場合、その聖印は消滅し、そのことはエクレールの聖印にも伝わる筈である。だが、今のところエクレールの聖印からは一切の異変が感じられない。このことから、少なくともグリップスが(今どこでどうしているのかは不明だが)「聖印を持った状態で存命していること」だけは間違いない。

「そうでしたか。ならば良いのですか」

 マリアンヌがそう言って胸をなでおろすと、廊下の方からその話を聞きつけた二人のベテラン騎士が姿を現した。

「まったくもー、奴はユージーン様から期待されていたのに、何をやっているのーね」
「ま、所詮は二流の騎士だったのであーる。本来ならば我々こそがその任に就くべきだったのであーる」

 ゲオルグ・パレスとラファエロ・イエルの二人である。エクレールを排斥するための内乱誘発未遂事件を起こした二人であったが、彼女の傘下で働くことを条件に、命は助けられた。既に現在の騎士としての序列は最下層にまで落とされているが、それでも態度だけは相変わらずである。
 そんな彼等に対してミカエラが苦々しい視線を送っている中、更に彼女を不快にさせる要因が、この地に帰ってきた。

ルクス・プリフィカント、ただいま帰還致しました」

 ウィステリアに協力交渉に赴いていたサンドルミアからの亡命騎士は、そう言ってエクレールの前に姿を現した。そんな彼を出迎えるエクレールの笑顔にミカエラは更に腹立たしさを覚えていたが、敬愛する「お姉様」の笑顔を曇らせたくもないという気持ちもあり、ここはひとまず波風を立てないよう、黙ってエクレールを見つめていた。

「どうだった? あっちの方は?」
「無事、ウィステリアの方でもアストロフィの方でも、兵をまとめて協力する手筈のようです」
「そうか。正直、他の二国が何を考えているかは分からないからなぁ」
「魔城に攻め込む前に改めて会議が開かれることになるでしょうが……、荒れるでしょうね」

 そんな会話が交わされる中、悩ましそうな顔を浮かべる「お姉様」を見て黙っていられなくなったのか、ミカエラが拳を突き上げる。

「何かあったら私が、正義の鉄槌を!」

 そんな彼女に対して、ルクスは上から目線で嗜めるような言葉をかける。

「君がそうやって突撃したがるのは分かるけどさ、ミカちゃん、今、君がそうやって勝手に動くと、君の大事な領主様が一番困ると思うんだけど」

 馴れ馴れしく「ミカちゃん」呼ばわりされたことで、彼女はルクスに向かって鉄の爪を向けようとしたが、彼が言ってること自体はもっともだと認めざるを得なかったので、やむなくここは苦虫を噛み潰した顔を浮かべながら睨むに留める。
 そんな中、もう一人の出張組が帰って来た。ジェラールである。そしてその傍らには、流浪の女騎士の姿があった。その身から発せられる並々ならぬオーラから、エクレールはその女騎士の正体にすぐに察しがついた。

「あぁ、おかえり。どうやら『探してた人』を見つけたみたいだね」
「えぇ。彼女も魔城の攻略に向かう予定だったようで。協力してもらうことになりました」
「それは良かった。こちらも『一人』欠けてしまっているからな」
「本来なら、『奴』が彼女の道案内をする予定だったらしいのですがね」

 どうやらジェラールも、海難事故に遭ったという人物がグリップスだということは、ここに来るまでの間にどこかで知ることになったらしい。
 一方、これまで聖印教会とは無縁だったルクスは、その「女性」の正体に気付けずにいた。

エクレール殿、こちらの方は?」
「あぁ、私も会うのは初めてなのだがね。この人は、クレアさんと言って……」

 そう言ってエクレールが紹介しようとした途中で、クレアが自らルクスの方に向かって一歩前に出て、自ら語り始めた。

「はじめまして。クレア・シュネージュと申します。聖印教会の一員として、世界の混沌を鎮めるために旅をしております」
「おぉ、あの高名なクレア殿でしたか。私はルクス・プリフィカント。現在はこの国で客将をを勤めさせて頂いております」

 そう言って会釈するルクスに対して、反射的にジェラールが(いつもミカエラにしているように)後ろからルクスの首を掴んで、壁に向かって全力で放り投げる。魔法によって肉体を強化されているミカエラとは異なり、基本的に頭脳派で並の人間程度の身体能力しか持たないルクスは、まともに受け身も取れないまま、その身を壁にめり込ませる。
 突然の惨劇に、クリスは驚愕した。

ジェラール、どうしたのですか?」
「いやー、彼は素行が悪いんで。躾ですね」

 これまで、ジェラールルクスが自分の雇い主であるエクレールを口説こうとすることに関しては特に何も咎める気はなかったが(むしろ、その彼を止めようとして暴走するミカエラを止める側であったが)、さすがに自分の敬愛するクレアに対して同じようなことをする(かもしれない)素振りを見せたら、黙っている訳にはいかない。
 そんなドタバタ劇の最中、またしても別の人物が現れた。ユージーン直属の騎士ベルカイル・ストーンウォールである。

「おぉ、クレア殿、こちらにいらっしゃいましたか。ちょうど良かった。ユージーン様からのご伝言です」

 そう言って、ベルカイルはユージーンの見解を伝える。曰く、「今回の瞳攻略作戦で各国と連携するのは構わないが、総大将にはクレア殿を据えるように」というのが、ユーミル男爵ユージーン・ニカイドの見解であるらしい。彼女は領地こそ持っていないが、その聖印の規模は「子爵」級以上と言われている。このバルレアにおいて子爵級以上を持っているのは、アストロフィの幼王ヨハネスのみであり、彼を戦場に連れていくのが難しい以上、前述のエルミナの見解に従うならば、確かに、それが最も確実に混沌核を浄化する方法であろう。
 その上で、クレアが混沌核を浄化した後は「それをバルレアに残すことは争いのタネになる」という理由から、それをイスメイアの聖印教会本部に持って行くのが適切であろう、というのがユージーンの主張であった(当初のユージーンには当初は別の思惑があったが、グリップスが行方不明になったことで方針転換を余儀なくされた。だが、そのことはこの場にいる誰も知らない)。
 突然の命令に、その場にいる者達が困惑する中、まずはルクスが口を開く。

エクレール殿はどう思います?」
「そうだなぁ……、私はそういうことには頭が回らないからなぁ……」
「私は、お姉さまの判断に従いますよ」

 この地の領主と契約魔法師がそんな曖昧な見解しか表示出来ない中、今度はジェラールがもう一人の要人に問いかけた。

「クレア殿はどう思います?」
「私が浄化するのは構わないのですが……、それで場が治りますかね?」
「それは、話し合ってみないと分からないかと」

 ジェラールはそう答えるが、実際のところ、それで他国が納得すると思える根拠はないと、ここにいる誰もが思っていた。

「最悪、吸収し終わった後で『串刺し』に遭うかもしれないからなぁ」

 エクレールはボソッとそう呟く。彼女は「誰が」とはあえて言わなかったが、ルクスはその意見を踏まえた上で、客観的な視点から語り始める。

「クレア殿の武勇伝に鑑みるならば、そう簡単に殺されるとは思いませんが、とはいえ、カドが残り、その後のバルレアが荒れる可能性はあるかもしれません。その辺りのことは会議で話し合う必要があるでしょう」

 ルクスはユーミル人でもなければ、聖印教会の信徒でもない。そんな「実質的な部外者」だからこそ、そう言えるのであるが、そんなルクスに対して、もう一人の「実質的な部外者」であるジェラールは問いかけた。

「君の考えはどうだ? 総大将として誰がふさわしい?」
「クレア殿が総大将というのは問題ない。その上で、最終的に誰がバルレアの混沌核を吸収するのかは保留にしておくべきだろう。まだ僕は君達に、バルレアで見た混沌について、話していないこともあるしね」

 その彼の意味深な言い方に、ジェラールは訝しげな顔を浮かべながら更に問いかける。

「それについては、この場で話す気はないと?」
「これから開催される予定の三国会議の場で説明するよ。まとめて話した方がいいと思うしね」

 微妙な空気が広がる中、クレアが改めて口を開いた。

「私が混沌核を吸収するのは構いませんが、私は基本的にいつも一人で戦ってきたので、大軍を指揮するには向いていないと思います」

 実際、彼女は個人レベルでの戦闘能力としては、おそらくバルレア三国内の誰よりも高いだろうが、それと「指揮官としての能力」はあくまで別物である。その意味では、まさにルクスの対極とも言うべき存在なのだが、それでもルクスは、自分よりも彼女のほうがその任に相応しいと考えていた。

「とはいえ、『皆がまとまるための象徴』として、あなたのような高名な方に居てもらえるだけでも十分ですし、その方がまとまりやすくなることもあると思います。その役回りをお願いした場合、お引き受け頂けますか?」
「他の国の方々が、それで良いのであれば」

 こうして、ひとまずクレアの「立場」と「役割」については保留とした上で、ユーミル軍は彼女を伴って、ウィステリア領アクランドへ向けて出立の準備を始めるのであった。

1-7、瞳の案内人

 バルレア半島の東方で想定外の「助っ人」が参戦表明したのに対し、魔城を挟んで反対側に位置するアストロフィの対魔城最前線であるジャーニーでは、ウィンス・キャロウ(PC⑪)率いるジャーニー鉄華団が魔城に向けて警戒を強める中、一人の怪しげな男が姿を現した。その男は明らかにバルレアの文化とは異質な、南方系の独特な装束を身にまとっていた。

「あんさん、アストロフィの方でっか? わて、アッサモールいいますねん」

 その男はそう言いながら、ウィンスに向かって近付いてくる。武器を構えてはいないようだが、ウィンスの方は弓を番えた状態のまま、警戒姿勢を崩さない。

「それで、このジャーニーに何の用だ?」
「いやー、わて、ちょっと前まで『瞳』の案内人やっとったんやけど、瞳が無くなってしもうてな。このままやと失業や思うて、今まで、新しく出来た魔城を探索しとったんや」
「ほう?」
「ってことで、魔城までの道筋は確認済みやから、最短ルートで案内しまっせ。どうでっか? 雇いまへんか?」
「正直、お前が言ってることは、かなり疑わしいんだが」
「いやいや、何言うてまんねや。わて、もともと瞳攻略情報の第一人者でっせ。わてがいなかったら、瞳の攻略だって、今までだってあそこまで進みまへんでしたで」

 実際、このアッサモールという男は「瞳」が健在だった頃は、現地の案内人として冒険者達の間ではそれなりに名の知れた人物であった。ウィンスが彼のことを知らなかったのは、たまたま彼の管轄区域にこの男が現れたことがなかったためである。

「まぁ、とりあえず、武装解除した上で、話を聞かせてもらおうか」

 そう言われたアッサモールはおとなしく従いつつ、したり顔でこう告げる。

「ほな、お偉いはんのところに連れてって下はれ。てか、この情報知らんと魔城に入ったら、あんたら絶対、痛い目みまっせ」

 明らかに胡散臭さが漂う雰囲気ではあるが、ウィンスの一存で無視する訳にもいかない。ひとまず彼は、そのままこの地の領主であるアレスの館へと彼を連行するのであった。

1-8、攻城兵器  

 その頃、この地を守るもう一人の邪紋使いであるアニュー・セルパン(PC⑩)のところには、元上司のフラメア経由で、思わぬ「援軍」が届いていた。

「先刻、アロンヌのルクレール卿に借用を頼んでいた攻城兵器が届いた」

 フラメアはそう言いながら、アニューに巨大な木造装置を見せる。それはエーラムの技術によって作られた、魔城攻略の切り札とも言うべき巨大兵器であった。侯爵級聖印の持ち主に与えられる代物なので、本来ならばこのバルレアの地に配備されるべき代物ではないのだが、同じ幻想詩連合に所属するアロンヌ公爵ルクレールから、この地における連合の勢力拡大のために、厳重な警備の下で送り届けられた代物である。

「私の名義で借りた物だが、お前達が魔城に向かうなら、責任を持って取り扱ってくれ」
「相分かった。魔城攻略で利用させてもらおう。感謝する」
「あそこには、まだイグナシオもいるだろうからな」
「あのハゲ黒人か」

 イグナシオとは、かつてアストロフィに仕えていた傭兵隊長である。数年前に瞳の攻略に向かったまま行方不明となり、当初は死んだと思われていたが、その後、パンドラの一員として、瞳に侵入する者達の前に立ちはだかっていたという報告が届いている。彼がどのような経緯でパンドラに寝返ったのかは不明だが(そもそも、そのイグナシオが本当に彼等の知っているイグナシオなのかも不明だが)、おそらくは今回の魔城建設にも関わっているのだろう。
 なお、彼の外見は確かに色黒のスキンヘッドだが、それがこの地域においてどれほど珍しい風貌なのかは定かではない(また、「黒人」という表現に差別的ニュアンスが含まれているのかどうかも定かではない)。

「おそらく今の奴は、ただの邪紋使いではない。既に『人としての身体』を捨てた存在だろう。かつての奴だとは思わない方がいい。油断せぬようにな」

 フラメアはそう言い残して、市中警備の任に戻る。本来のこの地の守備隊が魔城への突入部隊となるために、彼女達がその留守を守る使命を担うことになった以上、少しでも早くこの街の状況を把握しておく必要がある。あえて「裏方」に回った身として、彼女は一切の手を抜くつもりはなかった。

1-9、傭兵国家の思惑

 一方、もう一人のこの国の重鎮であるセブンス・ミラー(アストロフィ子爵ヨハネスの契約魔法師)は、突入作戦に参加するウルーカ・メレテス(PC⑨)を相手に、ウィステリアやユーミルと同じく「あの問題」についての懸念を口にしていた。

「本来ならば、魔王の混沌核は陛下が浄化すべきだろう。ユースベルグ男爵が浄化に失敗した以上、このバルレアにおける最大の聖印を以って対処するのが万全の策だと私は思う。だが、今の陛下を前線に出すのは、あまりにも危険すぎる」
「そうですよね……」

 ウルーカもその点については全面的に同意していた。今のヨハネスは身体的にも未熟であるだけでなく、精神的にもまだ聖印の扱いに慣れているとは言えないため、子爵級の聖印を上手く使いこなせる保証はない。

「一つの選択肢として、アレスが陛下の聖印を預かるという道も無くは無いが……、彼は、この国の命運を預けるにふさわしい人物だと思うか?」

 そう問われたウルーカは、少し考えた上で、端的に答える。

「人物としては信頼出来るかもしれませんが、瞳の中の状況が分からない以上、万が一のことを考えると、リスクが大きすぎるかと」
「そうだな。もう一つの方法として、三国の指揮官となる君主達の聖印を『誰か』が一旦集めて、吸収して、再分割という道もあるが……、更に難しいだろうな」
「先に『平和的な交渉』によって話がまとまればいいのですが……」

 二人の魔法師がそうして頭を悩ませていた頃、このジャーニーの領主の私室でも、彼等の契約相手である二人の君主、すなわち、アストロフィ子爵ヨハネスと、このジャーニーの領主であるアレス・デイン(PC⑧)の間で同じことが話題に上っていた。

アレス兄、色々考えたんだけど、やっぱり、子爵の聖印を持つ僕が行った方がいいのかな?」
「そうだな。現実的にはそれが最善策だと思うが、なにぶん、お前が倒れてしまったら、後を引き継ぐ者がいない。俺は所詮、一人の騎士にすぎんから、俺が倒れても代わりは現れる筈だが、お前はそうではないからな」

 そしてアレスも、自分が聖印を預かるという選択肢も一つの手段として考えてはいる。

「もちろん、俺も生きて帰るつもりではいるし、俺がお前の聖印を預かるという道もあるが、万が一、俺が倒れてしまった場合、その聖印がどうなるか……。それがもし他の国に渡ってしまったら、それこそ本末転倒になってしまう」

 そう言われたヨハネスは、難しい顔を浮かべる。そんな中、ミリアがウィステリアから戻ってきたという話を聞いたアレスは、一旦ヨハネスと別れた上で、改めて自室にて彼女を出迎えることにした。彼女は普通に扉をノックする。

ミリア・ベルナール、ただいま帰還しました」
「よく戻ってきてくれた」
「どうやら他の二国との連合は順調に進みそうです」

 その話を聞いたアレスは安堵しつつ、先刻までヨハネスと話していたことについて、改めてミリアにも問いかける。

「……ということで、私が陛下の聖印を預かって、一旦、魔王の混沌核を吸収した上で、それを再分配するという案があるのだが」
「なかなか難しそうですね。他の国がそれを容認してくれるかどうか……」

 「一旦、吸収する」の時点で、そのまま持ち逃げする可能性は当然危惧されるであろう。無論、それは他の陣営がその役割を担っても同じことである。かといって、三国がそれぞれバラバラに吸収しようとした場合、失敗する可能性は高まる(これについてはエルミナ独自の仮説ではなく、同様の見解が一般的に広まっていた)。

「何か解決策がほしいところだが……」
「他の国々がどう考えているか、まだ我々は分かりませんからね。直接会議で確認してみるしかないでしょうが……」

 こうして、アレスミリアが揃って頭を悩ませているところに、今度は扉の外から騒々しい物音が聞こえる。

「おい、やめろ! 俺は普通に部屋に入ろうとしているだけだ!」

 それはウィンスの声である。どうやら彼は、扉をノックしようとしたところを、新設の「扉破壊阻止係」に止められていたらしい。彼に先んじて扉破壊阻止係が扉を開けると、ウィンスはそのまま中に入る。その傍らには、先刻の南国風の男の姿があった。

アレス様、失礼します。魔境の内部に詳しいという怪しい男を連れてきました」

 そう言って彼が傍の男を紹介しようとしたところで、ちょうどアレスの部屋を訪れたウルーカと目が合う。そして彼女はすぐにその男の正体に気付いた。一応、彼女は以前に会ったことがあるらしい。

「あら、あなたは確か、瞳の案内人の……」
「おぉ、契約魔法師様がご存知でしたか」

 さすがにウルーカがそう言うのであれば間違いはないのだろうとウィンスは確信しつつ、ひとまずそのままアッサモールをアレスに紹介しようとする。
 だが、その直後、扉破壊防止係の制止を振り切って、テンション最高潮の状態のアニューが、扉を蹴破って現れた。

アレス殿、話がある!」
「……お前は計画的に扉を壊しているのか?」
「いや、フラメアから、こういう代物が届いてな」

 頭を抱えるアレスに対して、アニューが攻城兵器の話を告げると、その場にいる者達全員が興味を示す。エーラムの作り出した兵器の中にそのような代物があることは聞いていたが、実際に見た者はこの場にはいない。いよいよ本格的に魔城攻略に向けての準備が整いつつあることを、彼等は実感していた。
 そんな中、改めてアッサモールがこの場にいる者達を相手に「魔城」に関する情報を告げる。曰く、現在の魔城は中央の城の周囲に四つの物見櫓が建てられており、それぞれに、魔王の「四天王」と呼ぶべき重臣達が収めているらしい。
 北西の櫓を守っているのは、パンドラのエージェンドである魔法師のクライン。北東の櫓にはサンドルミア時代からの側近であったレイヤーデーモンのエリゴル。南西の櫓には元アストロフィの傭兵であったイグナシオ。そして南東の櫓には、本来はクラインの弟子に相当するエティアという(少なくとも外見は)幼い女魔法師が配属されていたらしいのだが、彼女は先日ユーミルでの戦いで死亡したため、現時点でその櫓を誰が守っているのかは不明であるという。
 そして、それ以上に重要なのは、その四つの櫓に設置されている「反聖印水晶(アンチ・クレスト・クリスタル)」の存在であるとアッサモールは指摘する。その水晶によって囲まれた範囲においては、一切の「聖印」の力が無効化されてしまう。つまり、この四つの水晶によって囲まれた魔城の内側では、君主は混沌核の吸収どころか、聖印を使うことすら出来ないらしい。

「けどな、それぞれの櫓に設置された水晶の周囲には、厳重な『防壁』が造られとるんや。つまりそれは、防壁がなければ破壊される可能性もあるっちゅーことやと思う。外からどデカイ魔法でもぶち込めば、ぶっ壊せるんやないかな」

 アッサモールはそう語る。なお、四つの水晶のうちの一つを壊した場合、残りの三つの水晶による「三角形の反聖印空間」が発生することになるため、その中に魔王が入ってしまうと君主では手が出せないが、もう一つ破壊した上で二つだけになれば、そこでは「線」しか形成出来ないので、実質的にその反聖印水晶は無力化する。つまり、まずは、魔法や邪紋、そして攻城兵器などの力を用いて、四ヶ所の櫓に設置された水晶のうちの二つを破壊することが先決となろう。
 その話を聞いた上で、まず最初にアニューが口を開く。

「この男の情報が本当なら、その情報源を握っている我々は他国に対して優位に立てる。しかも、こちらには攻城兵器がある。聖印が使えない状態なら、これは有利な条件と言えよう」

 三国協力体制を築くにあたって、より有利な立場で交渉を進めるためには、相応の交渉材料が必要となる。少なくとも、この「情報」と「攻城兵器」は、その意味では確かに重要な切り札となりうるだろう。

「まずは、魔王を倒すことが第一だ」

 アレスはそう言いながらも、アニューの言うことも理解している。そんな彼の真意を確認するように、ウルーカは言った。

「その先には『我々にとって幸せな未来』、ですね」

2-1、西からの来訪者

 それから数日後、アストロフィの面々はウィステリアの最前線都市アクランドに到着した。結局、ヨハネスは随行させず、その子爵級聖印は彼と共にアストロフィに残したままの出撃となった。三国会議を通じて有効な解決策が見出せない場合は再び聖印を預かるために帰還する可能性も考慮してはいたものの、あくまでもそれは「他に方法が見つからない場合の最後の手段」であり、最初からそのカードを見せるつもりはなかった。
 率いてきた兵士達をひとまず街の外に待機させた上で指揮官達が街に入ると、街の広場を見つけるや否や、おもむろにウルーカはその広場の中心で得意の歌を披露し始める。心なしかいつもより喉の調子が良かった(街の気候が彼女と相性が良かった?)ようで、広場にいた人々は突然の来訪者の歌声に困惑しながらも素直に聞き入っている。ジャーニーにいた頃の「聞き飽きて辟易した住民達の顔」ばかり目の当たりにしていたウルーカにとって、それはこの上なく心地良い歌唱環境であった。
 そして彼女がそのまま清々しく歌い終えると、何人かの人々が彼女の周囲に集まってくる。

「サイン、お願いします!」

 そう言って彼等が差し出したのはダンボールの厚紙であった(どうやら彼等は咲希の信徒達だったらしい)。見たことがない素材に困惑しつつも、ウルーカはひとまず手持ちの解毒薬の液体を用いて、快くサインしていく。
 一方、そんな彼女の傍らでは、アニューミリアに対して、アンデス空手の稽古を申し出ていた。異国の地に来て、妙なテンションになってしまったらしい。

「本当に、ここでやるんですか?」
「あぁ、来い!」
「分かりました。では……、ベルナール流アンデス空手奥義、スーパー・ウルトラ・グレート・デリシャス・ワンダフル・ボンバー!」

 挑まれたからには本気で応じざるを得ないミリアが、いつも通りに容赦のない一撃を解き放つと、アニューは一瞬にして吹き飛ばされる。そんな彼の元にアレスが駆け寄る。

アニュー! 大丈夫か!? よし、次は俺だ!」

 そう言って、アレスもまたミリアに対して(見よう見まねの)「空手」の構えを見せる。当然、そんな彼に対しても、ミリアは本気で拳を振るう。

「ベルナール流アンデス空手奥義、漆黒のダークブラック!」

 アレスはそれを避けようとしたものの、やはりかわしきれずに直撃してしまう。そんな彼等のやりとりを街の住人は物珍しそうに眺めていた。どうやら、ウルーカ共々、旅芸人による演武か何かだと勘違いされているらしい。これ以上目立つのも良くないだろうと思ったウィンスがそろそろ止めに入ろうとした瞬間、それよりも一足早く、街の警備隊が彼等の前に現れた。

「あのー、ここで『興行』するなら、まず先に領主の許可を取ってもらえますか?」

 そう言われたミリアは、武道家としての顔から一瞬にして「正気」に戻る。

「すみません、大変申し訳ございません。すぐ撤収します。ほら、やっぱり、こんなことやってる場合じゃないんですよ! さぁ、早く行きますよ!」

 そう言って彼女は、アストロフィの面々を引っ張って領主の館へと向かう。そんな彼女に対してもサインを求めるダンボール教徒達の姿はあったが、彼女はその声に気付く前に、粛々とその場から立ち去って行ったのであった。

2-2、東からの来訪者

 それとほぼ時を同じくして、ユーミルの面々もまたアクランドに到着していた。エクレールは生来の方向音痴として有名であったが、そこは既に一度この地を訪問しているルクスが、スマートにエスコートしたことで、無事にたどり着けたようである。

エクレール殿、せっかく異国の地に来たのですから、少し街の中を視察していきませんか?」

 ルクスはそう言って、会談の前にエクレールを連れて街中を散策しようとする。その瞳の奥に下心があることは見え透いていたが、エクレールは素直に頷く。

「そうだね。私も色々と見てみたい」
「私も行きます!」

 当然のごとく、ミカエラがそう言って割って入るものの、ルクスは特に気にすることなく、率いてきた兵達をそれぞれの副官に任せた上で、そのまま彼女達と共に下町へと向かう。

「色々と、ユーミルとは趣が違いますね、エクレール殿」
「うん。ウチの国にはない物が色々ある。この、木のような材質の壁はなんだろう?」

 エクレールがそう言って街の各地に設置された謎の壁に目を向けると、その傍らにいた男が彼女に声をかける。

「おや、お客さん、ダンボールに興味があるのかい?」

 その男に対して、彼女の傍らに立つルクスが聞き返した。

「これは、ダンボールというのかい?」
「あぁ、半年くらい前から急に湧いて出てきた新素材だ」
「それは、異界の素材ということかい?」
「そうだな。色々と便利な代物で、雨に弱いという欠点はあるものの、梱包だったり、装飾だったり、色々な形で……」

 男はそう言ってダンボールの有用性を解きながら、ひとまず彼等に「サンプル」としてダンボールの小箱を渡す。本来、聖印教会の信者としては、このような「混沌の産物」を手に取ることは好ましくはないのだが、エクレールはあまりそこまで熱心な信徒でもなかったため、素直に受け取って「小物入れ」として活用することにした。
 その後、彼等は近くの喫茶店で、一旦腰を落ち着ける。慣れない異国にいるせいか、やや固い表情のエクレールに対して、ルクスは改めて語りかけた。

「緊張してますか?」
「それは大丈夫。グリップスのことは心配だけど……」

 そう言いながら、彼女は東方に目を向ける。未だに彼の従属聖印の気配は消えてはいないものの、どこで何をしているかも分からない状況である以上、気がかりにならざるを得ない。

「まぁ、あの御仁なら大丈夫でしょう」
「そうだね。あの堅物は、なんだかんだで、絶対に生き残ると信じてる」
「ところで、もしこの戦いが上手くいったら、私の方から何かプレゼントしたいのですが、欲しいものはありますか?」
「んー、今のところは特にないかな」
「そうですか。では、こちらで何か用意しておきましょう」

 二人がそんなやりとりをかわしている中、その隣の席でミカエラは苦々しい思いを抱きながらも、先刻受け取ったダンボールを「お姉様の形」に切り取って人形化する作業に没頭していた。
 一方、いつもならばそんなミカエラの「お目付役」を務めているジェラールであったが、この日ばかりは彼もまた、彼女達から離れて、「クレアの護衛」という名のデートを楽しんでいた。彼は傭兵として、過去にウィステリアにいたこともあるため、この街に来るのは初めてではなかったのだが、久しぶりに見たアクランドの町並みに違和感を覚える。

「おかしいな、前に来た時は、こんな街並みではなかったような……」

 街の各地に張り巡らされたダンボールを見ながら彼がそう呟くと、クレアもまた真剣な表情を浮かべながら、そのダンボールの壁や箱に鋭い視線を向ける。

「明らかに、混沌の匂いを感じます」

 聖印教会の一員として、町中に「混沌の産物」が蔓延しているこの状況に対して警戒心を強めるのは当然のことである。とはいえ、街の人々の表情が生き生きとした笑顔に満ち溢れている中で、その人々に対して所構わず説教して回るほど空気が読めない人物でもないし、これから魔城を攻略するために協力会議が開かれる以上、この地の人々をいきなり敵に回す訳にもいかないということは、クレアも分かっていた。

「ところで、クレア様はここに来る前はどちらに?」
「先月まではカサドールの混沌拡大の阻止に、その前はメディニアの森の調査に従事していました。バルレアに来たのは随分久しぶりですが……、そういえば、アストロフィにも一人、知っている人がいます。私と同い歳くらいの、アレスという名の騎士なのですが、果たして彼は今、どうしているのか……」

 クレアが別の男の話をしているのはジェラールにとってあまり心地良くはなかっただろうが、彼女ほどの騎士であれば各地に知人がいるのも(そして多くの男達が彼女を放っておく筈がないことも)理解していたので、その部分は軽く聞き流していた。まさかその男が、つい先刻までこの街の広場で空手の練習をしていた(そしてこれから会議の場で対面することになる)ことなど、クレアもジェラールも知る由もなかった。

2-3、激論の幕開け

 やがて、アストロフィとユーミルの指揮官達が領主の館に全員揃ったところで、バルレア三国による魔城攻略に向けての協力会議が開かれることになった。
 出席者は、ウィステリア代表として、この地の領主にしてウィステリア全体の盟主であもあるサラとその契約魔法師のアーベルケンジーは彼の「使い魔」のフリをして同席)。ユーミル代表として、エクレールとその契約魔法師であるミカエラ。そしてアストロフィ代表として、アレスとその契約魔法師のウルーカ。更にアストロフィからの亡命組であるレオンハルトルクスミリアも同席した上で、参考人としてウィステリア側の席にダリア、ユーミル側の席にクレア、アストロフィ側の席にアッサモールが座り、クレアの護衛としてジェラールアレスの護衛としてアニュー、アッサモールの監視役としてウィンスも加わる形で、合計15名(+1匹)による円卓会議が開催されることになったのである。
 なお、会議場への入場にあたって、彼等の武器および乗機(軍馬、虎、ペリュトン、etc.)については、咲希とダンボール教徒達が預かり、彼女の生み出すダンボールの中へと収納されることになった(彼女に関しては、ウィステリアの人間ですらないという理由からサラが出席を拒み、咲希自身も特に参加したいという希望もなかったため、このような役割に回った)。
 それぞれの思惑が渦巻く中、実質的な主催国であるウィステリアの盟主であるサラが暫定的な議長役を担当する形で、協議は始まった。

「この度は、集まってくれて感謝している。共同作戦に関して、色々と決めなければならないことがある訳だが、さて、何から話すべきか……」

 彼女がそう言ったところで、ルクスが手を挙げた。

「まずは、皆が持っている情報をすり合わせるべきかと」
「そうだな。それがいいか。では、まず確認したいのだが……、彼は何者だ?」

 そう言って、アストロフィ側の席に座る異国人風の男を指すと、アレスが素直に答える。

「彼は我々の情報提供者だ」
「名は?」
「アッサモール」

 アレスのその答えを聞いて、サラも合点がいった。確かに彼女もその名前には聞き覚えがある。瞳の案内人として有名な邪紋使いであり、瞳攻略後は行方不明だと言われていたが、もしここにいるのが本当にアッサモールなのであれば、その情報には非常に重要な価値がある。

「そうか。では、まずお前が持っている情報は全て出してもらう。出し渋る気なら、お前がアストロフィから貰っている金額を言え。私は、その倍額を出すぞ」

 サラがアッサモールにそう告げると、彼よりも前にアレスが即答する。

「それについては、こちらも隠すつもりはない。少なくとも、魔王を倒すまでは協力する必要があるからな」

 アレスのその言い方に対して、ミリアが傍から小声で「そういう含みのある言い方はやめた方が……」と耳打ちすると、アレスは言葉を付け足す。

「我々の目的は魔王の討伐、そしてこの世界の平和の実現だからな」

 そのとってつけたような言い方に対して、逆にサラは訝しげな視線を向ける。

「そこは、本音で話してほしいな」

 サラがそう言うと、アレスの横からアニューが口を挟む。

「我々は傭兵国家だ。この戦いを通じて、少しでも利益が得られればそれでいい」

 歴戦の傭兵である彼がそう言い切ると、サラもその意図を理解する。あくまでも「利害の一致に基づく協力」が大前提である以上、互いにそのような心算の上での交渉となることを、この場にいる者達は改めて実感しつつ、それぞれが手に入れた情報について、大まかに共有することに同意した。

2-4、二つの吸収案

 その後、各国ごとに把握している情報を一通り話し終えたところで、サラが皆に問いかける。

「では、改めて確認するが、皆の共通目標は魔王を倒すこと、でいいかな?」
「それはいいが、果たして我々はそこに貢献出来るかな?」

 自虐気味な口調でそう言ったのは、ユーミル代表のエクレールである。君主主体のユーミル軍の指揮官としては、魔城に設置された反聖印水晶の話を聞かされると、今回の作戦において自分達が果たせる役割が大きく限定されることを実感せざるを得ない。
 サラはそんな彼女の呟きを軽く聞き流しつつ、話を進める。

「具体的な役割分担については、また後で話すことにしよう。その上で、まず話すべきは権益についてだと思うのだが……、魔城から得られる混沌核および跡地の利用権については、原則『三分割』でいいかな?」

 つまり、実質的にその後の聖印の大幅な成長に繋がると思しき「魔王の混沌核」についても、三国ごとに分割して浄化・吸収する、ということである。これは混沌粉砕銃の存在を前提とした上での話であったが、それに対して、再びルクスが手を挙げた。

「えぇ、それで構わないと思います。ただ、その前に、元サンドルミアの将校として、お伝えしなければならないことがあります」

 そう言って、彼は自分が目撃した「元ユースベルグ男爵イドリス・シュレスヴィッヒによる混沌核吸収の失敗」の時の状況について、改めて詳細に皆に説明する。ルクス曰く、あの時点でパンドラが何らかの小細工をしていた可能性はあるが、男爵級の聖印では制御出来なかったことは事実なので、今回も同じことが起きる可能性は十分にありえる、というのが彼の見解であった。

「なので、今回ユーミルに来て下さったクレア・シュネージュ殿の子爵級聖印を以って吸収すべきかと」

 現状、この場にいる者達の中で最大級の聖印を持つのは、確かにクレアである。だが、当然、その案に対しては異論が発生することも彼は想定済みである。議長としてのサラが、まず彼の意図を確認するために口を挟んだ。

「つまり、魔王の混沌核から得られる聖印は全てユーミルに渡せ、と?」
「いえ、一旦吸収した後に、聖印に変えていただき、その後、クレア殿から皆さんに三分割して分け与える、という形でお願いします。クレア様は聖印教会の所属ではありますが、それ以前に公明正大な方として有名であることは、皆様もご承知ですよね?」

 そう言って彼は周囲の者達を見渡す。確かに、一般的に知られているクレアの人格を信用するならば、彼女が聖印を持ち逃げするような人物ではない、と判断するのが妥当であろう。ただ、仮に彼女がそうであっても、彼女の背後にいるユーミル男爵ユージーンが何を企んでいるかは分からない以上、無条件で信用出来る話ではない。
 実際、当初のユージーンからの命令では、クレアが浄化した聖印は、そのままイスメイアの教皇の元に届けるように、と言われていた。しかし、ルクスエクレールも、その案で他国を納得させられるとは思っていない(ましてや、反聖印水晶の話が本当なのであれば、彼等は他国の協力がなければ攻め込むことすら出来ない以上、強気に出られる立場でもない)。だからこそ、ルクスとしては、サラの「三分割案」には基本的には賛同しつつも、浄化のための手段としてクレアに任せる方針を提示していたのであるが、それでも他国にしてみれば「持ち逃げ」のリスクを否定することは出来ないだろう。
 彼等がそんな微妙な心境で話を聞いているのを理解した上で、ルクスはそのまま話を続ける。

「ただ、更に言えば、私はクレア様の聖印でも足りないかもしれないと思っています」
「それは私も思っている」

 そう言って口を挟んだのはサラである。実際、魔王の混沌核の規模が分からない以上、子爵級でも足りるという保証はどこにもない。そのことを踏まえた上で、ルクスは更に続けた。

「なので、この場にいる君主の聖印を全てクレア様に預けて、より聖印を強化した上で、吸収する、ということも必要かもしれません」

 彼がそこまで言い終えたところで、サラが冷たい表情で語り始めた。

「えーっと、ルクス殿、と言ったかな?」
「はい」
「貴殿は、その案が通ると思っているのか?」

 常識的に考えれば、土地を治めている領主が、その統治の証である聖印を、いかに高潔な人柄で知られる人物であるとはいえ、流浪の騎士に貸し与えるなど、容易に出来ることではない。ましてやそれが、ユーミルと繋がりの深い聖印教会の人物であれば尚更である。
 ルクスとしても、そのような反応が返されることは想定していた。それでもなお、彼は強い口調で言い返す。

「そうしなければ、この地に再び魔王が現れる可能性が高いです。やらなければならないのです、このことは。あの『魔王化』の場面を実際に見た人間として、そう言わざるを得ません。そこまでの準備を整えた上で挑まなければ、我々が集まった意味が無くなってしまいます」

 激しい熱意を込めてそう訴えるルクスに対し、同じユーミル側の席に座るエクレールが、やや冷静な口調で語りかける。

「それはあくまで確率の話、ということだね?」
「えぇ。その確率をより高めるためです。この場にいる人々の聖印を集めれば、十分に成功の可能性は高まるでしょう。私はそう考えています」

 確かに、より確実に浄化するには、少しでも多くの聖印を一箇所に集めた方が成功率は高い。だが、それに対して、ウィステリアのアーベルは「もう一つの選択肢」があることを、改めて提示する。

「先ほども話した通り、こちらには混沌核を分解する銃があるッスよ。それで魔王の混沌核を分割した後でそれぞれを吸収する、じゃ駄目ッスかね?」

 ルクスも先刻、その話は聞いている。だが、それでもなお彼が「クレア案」を提示するのには、相応の理由があった。

「その銃、どれほど信用出来ますか? 先ほどの話だと、まだ試していはいないということですよね? また、仮に何らかの投影体を相手に実験してみたとしても、あの魔王という特殊な投影体の混沌核に通用するとは限りません。ぶっつけ本番で異界の装置に頼るよりも、これまで様々な経験を積まれているクレア様に頼むのが一番確率が高いと私は考えています」
「なるほどッスね……」

 確かに、魔王レベルの混沌核の分解実験は事実上、不可能である。その意味では、成功する保証はどこにもない。ルクスとしてはあくまでも「最も確実に成功する方法」で浄化したいと考えていたのである。

「それが出来れば、確かに皆さんの手元に聖印を残したまま浄化出来るかもしれませんが、それは危険な博打になりませんか?」

 彼は改めてそう言って、この場にいる人々に訴えかける。自分の聖印を手元に残すことにこだわって「博打」を打つのは、この世界に生きる君主が選ぶべき道ではない、というのが彼の主張である。彼は聖印教会とは全く無縁の人物であるし、少なくとも「男性」としては決して高潔な人柄とは言えないが、「君主」としての今の彼は、ある意味でユーミルの面々以上に純粋な使命感に突き動かされていた。

2-5、確実性と公平性

「では、ルクス殿とやら、貴殿は我々にどれだけの『信用』を示せる?」

 サラが相変わらず冷たい口調でそう問いかけると、ルクスは少し考えた上で答える。

「そうですね……。今の私にあるものは、私の命だけです。それならば、いつでも差し出しましょう。あるいは、必要とあれば、私の聖印をあなたに預けましょうか? もともと、魔城のあたりでは聖印の力が使えないのなら、預けておいても問題はない。使える状態になった時に返してもらえばいい」

 ルクスは真剣な表情でそう言ったが、それらはサラが求めていた返事ではない。どう言えば自分の意図が伝わるかをサラが考えている間に、ルクスは周囲に対して問いかける。

「皆様は、それでどうでしょうか? クレア様に聖印を預けて、最終的にそれを三分割する、という形で」

 それに対して最初に答えたのはエクレールだった。

「私はそれで問題ない。ユージーン様からは、少しでもユーミルの利益になるように色々と言われているが、その辺りの言い訳は私が考える」
「それについては、私が言い出したということにして頂ければ良いかと」

 ユーミル陣営の中でそんな会話が交わされる中、サラルクスでもエクレールでもなく、あえてクレアに問いかける。

「クレア殿は、ユージーン殿の命令で来ている、ということでいいのか?」
「正確に言えば『命令』ではなく、『依頼』ですね。本来の依頼は別にあったらしいのですが、関係者の失踪によって頓挫し、今回このような形で協力することになりました」

 そう断った上で、彼女は自分に関することで勝手に議論が白熱している状況に対して、冷静に自身の見解を語る。

「ただ、私が代表して浄化するのか、そのために皆さんの聖印を預かるかどうかについては、皆さんの同意があっての話ですし、そもそもその『分配役』は私でなくてもいいと考えています。それこそ、あなたに全ての聖印を預けるという選択肢もあります」
「なるほど、確かにな」

 サラもその意見には素直に頷く。とはいえ、それについては三国の中のいずれの人物がその役を担うことになろうとも、それはそれでまた別の反発があることは容易に想像出来た。そして、再びルクスが口を開く

「ですが、ここにいる中で、最も聖印の扱いに慣れているのはあなたです。だからこそ、私はあなたを推している訳です」

 確かに、その主張も筋は通っている。しかし、それ以上にサラとしては(そしておそらく他の者達にとっても)問題視すべきことがあった。

「彼女に、そちらの息がかかっていないと、なぜ言える?」

 それがサラの主張の核心である。いかにクレアの人格が高潔であると言われていたとしても、そのような評判だけで信用して聖印を預ける訳にはいかない。その点に関して、ルクス一人に答弁させるのを心苦しいと思ったのか、エクレールが間に入る。

「そうだね。正直に話してしまうと、各陣営が互いに信用しきれていない。だからこそ、第三者であるクレア様に預けるのが良い、というのが彼の提案なんだが……」

 そこまで言ったところで、サラが遮るように言葉を挟む。

「クレア様は『第三者』ではないんだ、私から見れば」
「そうだろうね。実際、私も個人的にそこまで彼女を信用出来ると言える根拠はない」

 エクレールが微妙な表情で呟くようにそう言うと、サラは今度はアレスに視線を向ける。

「で、アストロフィはどう思う?」

 アストロフィとしてはヨハネスの聖印を持ってこなかった以上、現状では両陣営のどちらかの案に乗るしかない。その上で、アレスがどう答えるべきか迷っている間に、まずミリアが口を開く。

「私個人としては、ルクスさん同様、目の前で男爵の聖印が混沌核となってしまったのを見ている以上、クレア様に聖印を預けるのに賛成です」

 ミリアが事前のルクスからの申し出通りにそう答える。とはいえ、あくまでも彼女は客将にすぎない身である以上、それがあくまで「個人的な見解」でしかないことは、彼女も周囲の者達も分かっていた。
 その上で、今度はウルーカアレスの方を見ながら手を挙げる。

「私としては、クレア様のことはよく知らないので、アレス様が信用するかどうかに判断を委ねたいと思いますが……」

 そう言われたアレスであったが、しばし返答に困る。彼はかつて、個人的にクレアに助けられたことがあり、彼もまたジェラール同様、クレアに対しては並々ならぬ想いがある。当然、彼自身としては彼女のことを全面的に信用しているが、自分の一存で「アストロフィの領主の証」としての聖印を国外の者に預けて良いと判断出来るかとなると、さすがに即断は出来ない。
 しばしの沈黙が続いた後、ルクスサラに対して再び語り始める。

「分かりました。あなたは、私達があなた達を謀ろうとしているとお考えなのですね?」
「可能性はゼロではないと考えている」
「ならば、私がこの作戦に対してどれだけ本気か、証明する必要がありそうですね」

 ルクスはそう言って、何かを「覚悟」したような真剣な表情を見せる。その様相から、ウィンスは嫌な予感を察知した。

「一体、何をする気なんだい?」

 それに続いて、ルクスの横にいるエクレールもまた「変なことだけはやめてくれよ」と耳打ちする。そんな尋常ならざる空気が広がりそうになったところで、黙っていたアレスが話を本筋に戻すために、自身の見解を語り始める。

「アストロフィとしては、あくまでも魔王の討伐が第一。そのことを踏まえた上で、ユーミル側の提案に乗りたいと思う」
「その理由は?」

 サラがそう問うと、アレスは素直に答えた。

「実は私も、クレア殿とは少々縁があってな……」
「そのような個人的な感情でしか話が出来ないなら、私としては賛同出来ない」

 サラはあっさりとそう言って切り捨てる。実際のところ、サラも一人の人間として、そのような個人的信頼が無意味だと思っている訳ではないし、彼女自身もまた自分がレオンハルトに対しては個人的な感情レベルで全面的な信頼を寄せていることを自覚してはいるのだが、あくまでも国と国との交渉の場において、そのような感情論を持ち出すべきではない、というのが彼女の考えの根底にある。だからこそ、彼女はあくまでも「情」ではなく「理」に基づいて語り続けた。

「確かに、こちらの提案する混沌粉砕銃を用いる作戦は不確実ではあるが、クレア殿に任せることによってユーミルに謀られる危険性はない。その意味では公平な提案だろう?」

 彼女がそう言ったところで、ミリアがふと思いついたかのように問いかけた。

「その銃で混沌核を何分割出来るかは、調整出来るのですか?」
「残念だが、それはやってみないと分からない」

 この点を突かれると、確かにサラとしても苦しい。綺麗に三分割出来れば良いが、半端な数になった場合、それをどう分けるかという問題が発生する。一方で、ルクスはそれとはまた別の視点からサラの案に疑問を呈した。

「銃の方が公平、という話ですが、その案を採用した場合、有利になるのは君主が多いこちら側なのですよ、そのことは分かっているのですか?」
「どういうことだ?」
「我々に謀られる可能性を考慮すべきというのであれば、仮に事前に『三分割』と決めていたとしても、魔王との戦いが終わった時点で、その場の勢いで混沌核が奪い合いになる可能性はあるでしょう。そうなった時に、聖印を吸収出来る君主の数が多い我々が、より多くの混沌核を奪える立場にある、ということです」

 ルクスとしては決して奪い合いを推奨している訳ではないし、そのような事態が発生するとは考えたくはないが、性悪説的なサラの主張に基づいて考えるならば、確かにその可能性も考慮すべきではあるだろう。
 そんな彼の指摘に対して、今度はダリアが割って入った。

「ちょっと、いいかしら。君主の数という話だけど、あなたの聖印は後方支援型でしょう?」
「えぇ、それが何か?」
「魔王を倒した瞬間、あなたがその混沌核の近くにいることはないのでは? だとすれば『君主の数』という点ではアストロフィと同じ。まぁ、こちらはサラ様しかいないから、若干不利ではあるけど」

 ダリアとしては、せっかく自分が用意した銃が使われずに終わることが不本意だからこそ、口を出したくなったようである。もっとも、彼女のこの計算には「クレア」がユーミル側の人員として数えられていないため、クレアとユーミルの関係を疑うサラの認識を踏まえた上での主張としては、やや正確さに欠ける。
 横で彼女の主張を聞いていたサラがそこまで理解していたか否かは定かではないが、どちらにしても、サラの中ではそれはさほど重要な問題ではなかった。

「そのことは私も理解しているし、その程度の『不利』は甘受するつもりだ」

 サラとしては、多少ウィステリアの取り分が少なくなる程度であれば、ギリギリ妥協は出来る。少なくとも、ユーミルやアストロフィの完全な一人勝ちさえ阻止出来れば、彼女が密かに描いている「戦後のバルレアの新体制」の構想を実現する上での支障はない。ただ、今の時点で彼女はまだそこまで自分の思惑を曝け出すことも出来なかったため、なかなか話がまとまらずに迷走した状態が続いていた。

2-6、誠意故の疑惑

 ここで、使い魔のフリをして黙っていたケンジーが密かにアーベルに耳打ちすると、彼はすっと手を挙げる。

「ちょっと、いいッスかね?」

 彼がそう言った上で、サラが発言を許可すると、彼はそれまでの話の流れとはあまり関係のないことを淡々と語り始める。

ケンジーは『サンドルミアからの亡命者の聖印持ちは信用したくない。特にサンドルミア出身で混沌核を吸収出来る者が一番信用出来ない』と言ってるッス」
ケンジーって、誰だよ!?」

 ウィンスが当然の如くそう反応すると、アーベルはいつも通りの飄々とした態度で答える。

「あぁ、この猫ッス。可愛いッスよ」

 ケンジーとしては、投影体である自分が喋ると(特に聖印教会派であるユーミルへの説明という意味で)ややこしい事態に陥るかもしれないと思い、アーベルを通して間接的に意見を伝えるに止めようとしていたのだが、アーベルがそのまま直接的に「伝聞」の形で語ってしまったことで、かえって場が混乱してしまったようである。
 そして、ほぼ名指しで批判されたも同然のルクスは、再び先刻の「覚悟」を決めた表情を浮かべる。

「なるほど。あなた達が『元サンドルミアで、状況をかき乱した私』のことを信用出来ないのは分かりました。それはそうでしょう。確かに、我々によってバルレアの均衡が乱されたのだから。しかし、だからこそ、我々としてもつけなければならないケジメがある。そのためにここで皆さんの意見が割れるようなら、信用してもらえるように、行動で示さねばなりませんよね」

 そう言って、彼は自らの聖印を取り出すと、そのままサラに差し出した。

「すみません、これ、どうぞ」

 それに対して、ウィンスが客観的な視点から口を挟む。

「今、そこでそれを差し出したとしても、そちらの提案に乗るならば、最終的にそれはクレア様のところに預けられることになるのでは?」
「そう。だから、今それを私に渡されても意味はない」

 サラがそう言って固辞しようとしたところで、今度はケンジーが(開き直って)そのまま自身の口で割って入る。

「私個人の意見としては、出来ればあなたには、今回の件にそもそも関わってほしくない。ずっと後方にいてほしい」

 ケンジールクスに対してそう言うと、今度はそこにミリアが口を挟んだ。

「では、私も関わらない方が良いのでしょうか? 私も同じ『元サンドルミアで、聖印を持つ者』なのですが」

 それに対してケンジーが答える前に、今度はウルーカが間に入ろうとする。

「とはいえ、魔王を倒すためには、協力する必要はあるのでは?」

 ウルーカとしても、ケンジーの主張は理解出来なくもないが、魔王の能力が未知数である以上、少しでも多くの戦力を投入する必要がある、という考えの方が強かった。
 皆が好き勝手に発言し始めたことで、更に場が混乱し始める中、ルクスは「覚悟」の表情を崩さぬまま、サラに対してあくまで聖印を突き出す。

「いいから、預かって下さい」
「断る」

 サラとしては、先刻のウィンスの指摘通り、ここで彼から聖印を受け取っても何の意味もないと思っていた。だが、ルクスが考えていたことは、そんな単純な話ではなかったのである。

「いいですか、これから私がすることは、この聖印を混沌に還してしまう可能性がある。だからこそ、預かってもらいたいのです」
「貴様……、自刃でもするつもりか?」
「自刃まではまだ出来ません。魔王を倒すまでは。しかし、私は今から、聖印を宿したこの腕を切り落とします」
「ほう、それで?」
「足りなければ、もう一つ腕を切り落としましょう。それでも足りないならば、足を落としましょう」
「すまん。貴様の覚悟などはいらない。私がそちらの提案に賛同しなければならない理由を示せ。それがなければ、何をされても私は承諾出来ない」

 サラとしては、ルクスの個人的な心意気には興味はない。あくまでも「理」にかなった説明が必要なのである。国を背負う立場に立つ彼女の発想は基本的に商人気質である以上、ユーミルが自分達を裏切らないことを証明するためには、「ユーミルが裏切らない方が、『ユーミルにとってのメリット』が大きい」ということを立証するか、「ユーミルの提案に乗る方がウィステリアにとってのメリットが大きい」ということを納得させるしかない。

2-7、参考人達の見解

 ここで、両者の会話が噛み合っていないことを察したクレアが、二人の間に入った。

「待って下さい。この場合、信用されていないのはあなた(ルクス)ではなくて、むしろ私です。私とユーミルの関係が繋がっているかどうかということが問題なのでしょう? あなた個人の信用の問題ではないと思います」

 この混乱の原因は『ケンジーからの信用』の問題と『サラからの信用』の問題が混同されているから、という点にもあるのだが、ひとまずサラとしては、自分の主張をそのまま掲げる。

「私があなた(クレア)を信用出来るかどうかは、互いに利益がある関係を築けるかどうかにかかっている。今回の提案では、それが見出せない。少なくとも私の中では」

 そんな彼女に対して、ルクスもまたあくまで「自分の主張」をぶつける。

「今の私を動かしているのは、利益ではありません。君主としての義務です」
「だから信用出来ないんだよ……」

 そう呟いたのはケンジーである。だが、彼のその言葉はルクスは届かず、彼はそのまま必死に熱弁を続ける。

「バルレア半島を乱した者としての、やらなければならないケジメです。それを信用してもらえませんか?」

 ルクスは熱意を込めてそう訴え続けるが、当然のごとく、その気持ちはサラには届かない。彼女が問題視しているのはあくまで「クレアとユーミルの関係」なので、そもそもユーミル人ですらないルクスの心意気を示されても、何の参考にもならない。だからと言って、クレアが言うように自分がその代役を務めたとしても、場が収まることはないと考えていた。
 そんなサラに対して、今度はダリアが一つの妥協策を提示する。

「では、二段構えということにはいきませんか?」
「二段構え?」
「つまり、魔王の混沌核が発生した時点で、まず混沌粉砕銃を試してみて、それで分解出来なかったら、クレア殿か誰かに聖印を集めて吸収する、ということです」

 一見すると合理的な提案ではあるが、実際のところ、この妥協案には二つの問題点がある。一つは、いずれにせよ第二段階が必要になった時のために、その「クレア殿か誰か」が具体的に誰なのかを決めなければならないということ。もう一つは「銃」そのものの信用性である。後者のことに真っ先に気付いたのは、ミリアであった。

「一つ、確認したいのですが、魔王の混沌核にその銃を使った時に、何らかの不具合が発生する可能性はありえませんか? 逆にその銃の副作用によって、混沌核の浄化が困難になる危険性、とか……」

 そう言われたダリアは、やや視線をそらしながら答える。

「実際にやってみた訳ではないので、可能性はゼロとは言えませんが……」
「それを言い出したら、全ての可能性が無限だ。キリがない」

 サラがそう言って助け船を出す。実際、「君主の聖印を書き換えて魔王となった存在」自体が(少なくともこのバルレアにおいては)前代未聞である以上、どんな方法を用いたところで、確実に成功する保証がある訳ではない。極論を言ってしまえば、それはクレアの聖印を用いた場合でも同じことである。
 そして、ここでようやく、今までずっと黙っていた元「瞳の案内人」ことアッサモールが手を挙げる。

「あくまでこれも一つの仮説にすぎんのやけど……、サンドルミアの男爵様による聖印吸収が失敗したんは、反聖印推奨が原因なんとちゃいます?」

 彼も彼で、自分のもたらした情報について、あまり皆が取り上げてくれないので、一言口を挟みたくなったようである。
 そんな彼の指摘に対して、隣で彼を監視していたウィンスが問いかけた。

「そもそも、その水晶はいつからあったんだ?」
「いつからあったんかは分かりまへんが、もし彼等が元々これを持っとったんなら、男爵様が瞳の混沌核を浄化しようとした時に、その周囲に水晶を置いて『反聖印空間』を作り出すことで、彼の聖印を力を封じていた可能性はありえるんやないかと」

 確かに、その仮説にはそれなりの説得力はある。実際、元サンドルミアの三人も、それらの水精の存在については把握していなかったため、いつからパンドラの手にあったのかは分からない。そして、もしその水晶が浄化失敗の原因であるとするならば、水晶を破壊した後であれば、必ずしもそこまで強力な聖印が必要という訳ではない、ということになる。

「確かに、パンドラのやりそうなことではありますが……、今の時点では確かなことは言えないですよね」

 ウルーカはそう言った。結局のところ、あくまでこれも「一つの仮説」にすぎない以上、何の対策もなしに魔王の混沌核の浄化を試みるのは極力避けるべきであろう、という皆の認識は、この時点では変えようがなかった。

2-8、新たな選択肢

 こうして議論が空転を続ける中、なんとかその突破口を開こうと、ここでアレスアニューが新たな選択肢を提示する。

「クレア様が信用出来ないというならば、私が皆の聖印を集めて『浄化役』を担当するという手もある」
「現実問題として、仮にそのまま我々が聖印を持ち逃げすれば、その後でウィステリアとユーミルを敵に回すことになるだろう。両国を同時に相手にして戦争すれば、我々の敗北は確実。その後で、両国の間で聖印を分配すればいい」

 あくまでもこれは極論であり、「だからこそ、現実問題として持ち逃げは出来ないのだから、安心してこちらに預ければいい」という主張なのだろう。確かにその点では、実はバルレアに何の縁もないクレアよりも、「その後」のことを考えなければならない現地の領主の方が、「出し抜き」のリスクは高い分、現実的な意味での「裏切りの可能性」は低いのかもしれない。
 ただ、そうなった時に幻想詩連合が本気でアストロフィを支援すれば、ユーミル・ウィステリアの両国が相手でもアストロフィが持ちこたえる可能性は十分にある。そして、バルレア三国の間で本格的な争いが起きることは、サラとしては絶対に避けなければならないと考えていた。

「その選択肢は、最終的にサンドルミアを利するだけだ。容認出来ない」

 サラの最大の懸念はここなのである。バルレアの瞳も魔城も消滅した状態で、三国が互いに争い合えば、これまで静観していた大国サンドルミアが本格的に漁夫の利を狙って進軍を開始する可能性は十分にある。だからこそ、サラとしては、三国の間で対立の火種が残るような形での決着は、何としても回避しなければならないと考えていた。
 すると、今度は今までずっと黙っていたジェラールが手を挙げた。

「俺の今の所属はユーミルではあるが、あくまで傭兵だ。ウィステリアにいたことも、アストロフィにいたこともあった。だから、クレア様が信用出来ないというなら、いっそ俺が今ここでエクレールとの契約を切って、中立の立場で代表して聖印を集めて、浄化・分配を担当することにしようか?」

 彼としては、あくまでこの場にはクレアの護衛として出席しているだけで、自分の意見を述べるつもりはなかったのだが、いつまで経っても話がまとまらないため、自分自身が「三国のいずれにも与しない中立の君主」になるという選択肢もある、ということを提言するに至ったらしい。とはいえ、他の国の人々からしてみれば、今の時点で彼がエクレールに雇われている以上、その場で「契約を切ったから中立」と言われても、納得することは難しい。
 そんな中、小声でケンジーは呟いた。

「そう考えると、一番信用出来るのは、確かに『クレア』なんだよな……」

 ルクスに対しては「信用出来ない」と言い切ったケンジーであったが、実はルクスが提示する「クレアによる吸収案」自体に対しては反対はしていない(この点では実はサラとは若干意見が異なる)。そんな彼はふと出席者を見渡して、あることに気付く。

「そう言えば、アストロフィにも『傭兵』が一人いるね」

 ケンジーウィンスを見つめながらそう言った(アニューも傭兵出身ではあるが、今の時点では彼は正規のアストロフィの武官であった)。

「俺に、混沌核を食えというのか? やれと言われたらやるが、やめた方がいいと思うぞ」

 唐突に話を振られたウィンスは、戸惑いながらそう答える。邪紋使いが混沌を吸収することは確かに可能であるが、過度の混沌の吸収は「人」としての心身を崩壊させると言われており、最も危険な選択肢である。無論、そのことはケンジーも分かっていた。

「いや、全てをという訳ではない。さっきの話で出てきた『混沌粉砕銃で分裂した欠片が、三国で綺麗に分けられない数になった時』の余剰分の譲渡先の選択肢としての話だよ」

 確かに、混沌核が「三の倍数」にならなかった時に、余剰分をどこかが吸収する必要があるとすれば、ジェラールウィンスのような傭兵的立場の人物に渡すという選択肢も無くもない(とはいえ、それでも邪紋使いによる吸収が、あまり推奨出来ない手段ではあることは間違いない)。

「あと、やろうと思えば、私が吸収することも出来るかもしれないが……」
「それはお前の主君としての私が許可出来ない。お前が魔王になったら困るし、おそらくその点では、我々君主が吸収するよりも危険性は高い」

 実際のところ、「その選択肢」については(咲希も分かっていなかったように)どこまで危険なのかを判断出来るだけの先例がない。だからこそ、サラとしても容認は出来なかった。
 ここで、議論が「余剰分」の分配という話になったことで、先刻その件を話題に出したミリアが、再びダリアに問いかける。

「その銃で分割した混沌核の破片に対して、更にもう一度その銃を使って分割することは出来るんですか?」
「連発は出来ないんですよ。魔力供給の問題で」

 申し訳なさそうにダリアはそう答える。結局のところ、どの選択肢を取るにしても、完全な公平性も完全な確実性も保証は出来ない。だからこそ、ここまで議論が長引いてしまっていたのである。

2-9、結論

「ここまで話し合っても結論が出ないならば、おそらく皆が完全に納得出来る形でまとめることは不可能でしょう。ならば、いっそのこと投票で決めますか? そこは議長殿の判断ですが」

 ルクスが「一つの選択肢」としてそう提案したが、サラとしては、しこりが残る形での決着にはしたくない。そんな中、クレアが皆に対してこう宣言した。

「私に聖印を預けることに対して、少しでも不満を持つ人がいるのであれば、『多数決』などという形で強引に決定された上で渡されるのは私としても不本意なので、もし、満場一致という形で決着出来ないのであれば、むしろ私はこの場から去った方が良いと思います」

 クレアとしては、自分の存在のせいで議論が紛糾しているように思えてならなかった。同じ聖印教会の一員としてユージーンからの依頼に応じる形で参戦を表明したものの、結果としてそれが三国協力体制にヒビを入れる要因になってしまうなら、彼からの依頼を反故にしてでも、この件から手を引いた方がいいと考えるのも、当然と言えば当然の認識である。

「一人の騎士として私の力が必要ということであれば、魔城の攻略には協力します。その上で、先ほどの『余剰分の混沌核』に関しても、皆さんさえ良ければ、私がそれを吸収した上で三分割して三国の方々にお渡しする、という役割を担うのも構いません。無論、それもあくまで私を信用してもらえるならば、という仮定の上での話ですが」

 彼女のその申し出に対しては、もともと余剰分の分配については必ずしも平等でなくても良いと考えていたサラは、素直に受け入れる。その上で、これ以上の議論の長期化は望ましくないと考えた彼等は、最終的にここまでの議論を踏まえた上で、以下のような形で決着することになった。

1、魔王を倒して混沌核が出現した瞬間に、混沌粉砕銃を用いて分解する。
2、「1」の結果として生じた混沌核の欠片を、三国の君主(サラエクレールアレス)が同数となるように浄化・吸収する。ここで「余剰分」が発生した場合は一旦クレアがそれら吸収し、然る後にクレアがそれを三分割して再配分する。
3、「1」の結果として混沌核が分解されなかった時は、その場にいる君主達の聖印を一旦クレアに預けた上で、クレアが浄化・吸収し、それらを三分割して三国の君主(同上)に平等に分配する。

 サラとしては、クレアとユーミルへの不信感が完全に拭えた訳ではなかったが、現実問題として「銃による解決」が失敗に終わった場合、クレア以外の人物に聖印を貸し出すよりは、まだクレアの方がマシであると考えて、このような形での妥協案を採択するに至った。
 その上で、魔城の攻略に対しては、電撃作戦で一気に決着をつけるために、ダリアの瞬間転移魔法を利用することにした。すなわち、アッサモールの案内でダリアが魔城の近くへと赴いた上で、彼女がその場で空間を歪めて「ゲート」を作ることで、アクランドで待機していた三国の共同部隊を移送させる、という手筈である。
 ただし、ダリアのこの魔法は多大な精神力を消耗するため、おそらく彼女はこの魔法を用いた直後は、戦力としては期待出来ないだろう(一方、アッサモールについてはもともと「自分以外の者を守るためには戦わない」というポリシーの持ち主のため、道案内以外の点では最初から期待されていなかった)。
 なお、転送先については、各国ごとにそれぞれの思惑や因縁はあったものの、最終的には「最も危険な存在は、魔法師であるクライン」という仮説に基づき、まず彼女を倒すべく、魔城の「北側」から攻略するという方針で一致したのであった。
 こうして、ようやく三国の暫定的な協力体制が確立された上で会議は解散となり、来訪者達は各自がそれぞれにあてがわれた客室へと案内された。その途上、召喚魔法に慣れていないエクレールは「猫が喋っていたこと」への違和感に今更ながらに気付いて困惑していたようだが、彼女達はやがて、猫よりも更に不可思議な投影体としての「女神」に遭遇することになる。

3-1、再士官

 会議を終えて自室に戻ったサラは、深いため息をついた上で、従者に命じてレオンハルトを呼び出す。そして彼が部屋に到着すると同時に、心底疲れ果てた表情で思わず叫んだ。

「正直、私はああいうのは向かないんだ!」
「大変でしたな。てっきり、私はイドリス殿を倒せばそれで良いものかと思っていましたが」
「それじゃ済まないのが国というものなんだ……」

 張り詰めていた緊張の糸がほどけた彼女が、そんな思わず弱音を吐く。彼女がこのように本音で語れるほど心を許せる相手は、今のところレオンハルトしかいない。そんな彼に対して、彼女はここに呼び出した理由である「本題」を切り出した。

「ところで、レオン。この戦いが終わった後の身の振り方は考えているのか?」
「そうですな。もう、サンドルミアに戻ることも出来ないでしょう。もともと、私はあの国でも中途採用のような形で士官していた身ですし」

 彼がそう答えると、サラはかしこまった態度で語りかけた。

「ならば、レオンハルト・スパルタ
「なんでしょう、改まって?」
「我が国は人手が足りない。そしてお前は我が父の親友であり、私が尊敬する戦士の一人だ。つまり、何が言いたいかというと……」

 彼女は少し迷いながらも、最終的に最も率直な言葉でこう言った。

「私はお前が欲しい。私の考え方を知っているからこそ、お前には辛い思いをさせるかもしれない。だが、出来ることなら、私と同じ道を歩んでくれないか?」

 まるで求婚するかのような言い方だが、あくまでもそれは「臣下としてのレオンハルト」を求めた言葉である。幸いにも、元々朴念仁であるレオンハルトは、そこに「それ以上の感情」があると勘違いするような男でもなく、そして、それを断る理由も彼の中には見当たらなかった。

「もともと私の目的は、人々を守ることです。この戦乱の世でこのような言い方をするのも何ですが、私はこの世界で犠牲となる人が一人でも減ればそれで良いのです。私の方こそ、迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いします」

 こうして、元サンドルミアの将校レオンハルトは、新たな居場所を手に入れることになった。その上で、彼は新たな主君に対してこう告げる。

「何にせよ、これからのことを考えるには、まず生きて帰らなければなりませんな」
「あぁ、そうだな」
「そして、本当に大変なのは、その後の戦いかもしれませんぞ」
「それは理解している。むしろ、ここは私にとって、第一中間地点くらいだ」

 実際のところ、彼女の中ではその後も四つほど中間地点が想定されていたらしい。レオンハルトにはそれがどのような困難なのかはさっぱり見当もつかないが、そんな彼女を支え続けるという決意だけは、彼の中では確かに固まっていた。

「何にせよ、今回の戦いに参加する方々の生命は保証しましょう」
「頼もしいな、本当に」

 サラはそう言って、改めて安堵した笑顔を浮かべる。父を失って以来、過剰なまでに多くのものを一人で背負い続けてきた彼女にとって、それは心の底から湧き出た本音であった。

3-2、布教活動

 一方、会議場から出てきたユーミルとアストロフィからの来客に対しては、咲希が皆から預かっていた武器や乗騎が収納されているダンボールを彼等の前に並べていた。その中でも、ペリュトンが収納されているダンボールなどは規格外の大きさなので、皆も奇異の視線を向ける。

「これ、どうやって開けるんだ?」

 ウィンスがそう問いかけると、咲希は笑顔でテキパキと箱を開けて、その中にあった彼の弓と矢を手渡しつつ、その場にいる者達に対して布教活動を始める。

「皆さん、いかがですか? このダンボール。密閉性にも耐久性にも優れていて、中でペリュトンが火を吹いても平気なくらいに耐熱加工もされているんですよ」

 それに対して、ジェラールが受け取った剣を構えつつ、不敵な笑みを浮かべる。

「よし、じゃあ、試してみるか」

 そう言って彼が剣に炎を宿して振り下ろすと、剣が入っていたダンボールは焼け落ちた。さすがに君主の本気の一撃までは耐えられないらしい。

「なんだ、大したことないな」

 あっさりとそう言ってのけられたことで、咲希は表情に悔しさを滲ませつつも、めげずにそのまま布教を続けていく。すると、意外な人物が興味を示した。アニューである。

「これは、上手く活用すれば敵陣への潜入捜査の時などにも使えるかもしれん。緊急時の野営にも使えそうだな」

 ちなみに、彼の名であるアニュー・セルパンとはアロンヌの方言で「 裸の蛇 」という意味である。後に彼はこのダンボールを用いて数々の輝かしい功績を残すことになるのだが、それはまだもう少し先の話であった。
 一方、先刻ダンボール教徒からサインを求められていたウルーカもまた、このダンボールの有用性に気付く。

「普通の紙よりは頑丈ですし、歌詞を書いて配るのにも使えそうですね」

 そう言って彼女はダンボールを受け取った後、サラから許可を貰った上で、ダンボール教徒の兵士達の宿舎へと赴いた上で、彼等を相手に再び歌を披露する。その結果、ダンボール教徒内の有志19人による彼女のファンクラブが結成されるに至り、やがてその中の2人はダンボール教団を抜けて彼女の「追っかけ」と化すことになるのだが、それはまた別の物語である。

3-3、交友活動

 こうして武器や乗騎の受け渡しを終えた後、来客達にはそれぞれ客室が与えられた。そしてこの日の夜、アストロフィからの遠征軍の総指揮官であるアレスの部屋の扉を、コンコンと軽くノックする者が現れる。

(破壊しない程度のノックということは……、奴ではないな?)

 そう思いつつ、彼が「どうぞ」と言うと、そこに現れたのはユーミル軍の代表であるエクレールであった。

「失礼する」

 そう言って中に入ろうとする彼女の背後から、すっと現れたミカエラが一緒に入ろうとするが、そのさらに背後から現れたジェラールに首根っこを捕まえられて、そのまま引きずられていく。

「おねーさまー! 私、今回はまだ何もしてませんよねー!?」

 実際、別に彼女はまだ何もしていないし、エクレールも特に彼女の警戒心を呼び覚ますようなことをするつもりもなかったのだが、ジェラールとしては、とりあえず彼女が外交の場にいることが望ましくないと考えていたらしい。エクレールはそんな二人のやりとりを乾いた瞳で見送った上で、改めてアレスに向き直った。

「申し訳ないね、こんな時間に。少し挨拶させてもらいに来たんだ。きちんと自己紹介も出来なかったしね。私はユーミルの代表のエクレール。よろしく頼む」

 そう言って、彼女は笑顔を浮かべる。実際、先刻の会議においては、最初に軽く各自の立場だけは確認し合ったものの、互いのことを詳しく紹介する時間はなかった。

「そうか、わざわざありがとう。私はアレス・デインだ」
「今度の戦いでは、共に背中を預けることになると思う。色々と思うところはあるだろうが、ここだけは戦友(とも)として一緒に戦ってくれると信じている」
「あぁ、よろしく頼む」

 そう言って軽く握手を交わしつつ、彼女はバタンと戸を閉めて去って行く。そんな彼女を見送りつつ、アレスは微妙な違和感(とも言えないような何か)を感じていた。

(扉を壊されなかった……。いや、これが普通なんだよな?」

 そんな彼の感慨など知る由もないエクレールは、続いてこの地の主であるサラの部屋へと向かう。エクレールとしては、せめて各国の代表格とだけでも、この機会に挨拶しておきたいと考えていたらしい。
 彼女がサラの部屋に着いたのは、ちょうどレオンが彼女の部屋を出た直後であったが、サラは素直に彼女を出迎える。

「私はユーミルのエクレール。次の戦いではおそらく世話になると思うから、挨拶に来た」
「あぁ、こちらこそよろしく頼む。そういえば、きちんと名乗ってもいなかったな。私はサラ・アクランドだ」
「先ほど、アレス殿とも話したのだが、彼もなかなか面白そうな人物だった。いずれ時間が許せば、三人で、何も考えずにどこかに行ってみたいものだが、そうもいかないだろうな……」

 呟くようにそう言ったエクレールに対して、サラは少し迷いつつも、彼女に対して、とある「案」を提示する。それは、サラが前々から構想していた「戦後のバルレアの統治形態」に関わる重要な提案であった。一通りその概案を語り終えたところで、サラエクレールの反応を見ながら、更に話を続ける。

「あなたが『そのような発想』が出来る人なら、私のこの戦後処理案も理解出来ると思う。今の私の立場で言っても、何か裏があるかと疑われるかもしれないが……」

 エクレールはそれに対して、やや自嘲気味に笑いながら答える。

「正直なところを言うと、私には裏を読むとか、そういったことを考えられるだけの頭がないんだ。だから、とりあえず、その提案に関しては前向きに考えたいと思う」

 彼女はそう言いながら右手を差し出し、サラも笑顔でその手を受け取って軽く握る。先刻の会議で疲弊していたサラは、この異国の女領主の実直な対応に対して、どこか癒された気分になっていた。

3-4、本当にやりたいこと

 こうして、少しずつ各国間の距離が縮まりつつある中、サンドルミアからの亡命組の三人もまた、応接室に集まっていた。

「すみません、こんな夜中に呼び出してしまって」

 この会合の提唱人であるミリアは、ルクスレオンハルトに対してそう言った上で、真剣な表情で問いかけた。

「お二人に聞きたいことがあったのです。お二人は、この戦いが終わった後、どうなさるおつもりですか?」

 それに対して、先に答えたのはレオンハルトである。

「私はサラ殿から誘いを受けております。どちらにしてもサンドルミアに帰っても居場所はないでしょうし、このままここに腰を落ち着けても良いかと」

 実際、彼の中では既にこの問題についてはほぼ結論が出ていた。笑顔でそう答えたレオンハルトとは対照的に、ルクスは深刻な表情のまま黙っていた。

ルクスさんは?」
「まったく今は考えられなくて……。まぁ、家族のことは心配だけれど……。君は?」
「実は、私もどうしようか考えているのです。もともと流浪の身でしたから、また流浪の身に戻るのも良いかとは思うのですが、まだ色々と迷っていて……。それで、お二人の話をお伺いしたかったのです」

 それに対して、ルクスは穏やかな笑顔を浮かべながら答える。

「それはきっと、『君自身がどうしたいか』でいいんじゃないかな」
「どうしたいか、ですか……。わかりました。ありがとうございます。すみません、お呼び出ししてしまって」

 ひとまず納得したような表情を浮かべつつ、そう言って頭を下げるミリアに対して、今度はルクスが問いかける。

「参考にならなくて、申し訳ない。ところで、私の方からも少しだけ、いいかな?」
「何でしょう?」

 ルクスは少し間を開けた上で、伏し目がちな視線で語り始める。

「先程の会議では申し訳なかった。私としては、良かれと思って提案してみたんだが、結局、私がやったことは、あの場をかき乱してしまっただけだった。議論の末に却下されるのは別にいいんだが、結局、私の発言は、あの場で余計な不信感を植え付けて、団結を乱してしまっただけだった。だから、そんな男が討伐隊に加わって良いとは思えなくてね……」

 そこまで言った上で、彼は会議の時と同じように、再び自分の聖印を出現させた。

「申し訳ないが、私の聖印を預かってもらえないか?」

 そう言いながら、彼はミリアに対してその聖印を捧げようとする。その様子は、構図だけ見れば先刻のサラに対する行動と同じであったが、ルクスの表情はあの時とは明らかに異なる。あの時は自らの信じる道を実現するための決意の譲渡案であったが、今の彼からは、そのような決意も戦意も感じられない。自分が何をすれば良いのかも分からずに、ただ呆然とした表情を浮かべていた。
 彼は、女性相手に関しては常に浮ついた人物ではあるが、バルレアの瞳で自分達が引き起こしてしまったこの事態の重さに対しては、一人の君主として、本当に心の底から深刻に受け止めている。だからこそ、自分の手で何とかしなければと思っていたが、結果的にその決意が空回りし、自分の言動によって今回の作戦が望ましくない方向に向かいそうならば、いっそ自分が居ない方が良いのではないか、という半ば投げやりな気分になっていたのである。

「聖印の力だけは、私の意思とは関係ないものだから。だから、せめてこの力だけでも持っていって、戦いに役立ててほしい」

 いつもの覇気を失った瞳でそう訴える彼に対して、ミリアは再び問いかけた。

「では、その前に一つ確認したいのですが、それは、あなたが本当にやりたいことですか?」
「それは……」
「あなたはさっき、私に『私のやりたいようにすればいい』と言ってくれました。それで、あなた自身はどうなのですか?」

 そう問われたルクスは、完全に沈黙する。

「そして、もう一つ聞きます。あなたにとって本当に大切なものとは、何ですか?」

 彼女のその言葉が更なる沈黙を広げる。ルクスの表情から、今の彼がそれに対して明確な答えを出せる精神状態ではないことを察したミリアは、静かにこう告げた。

「今のところは、それをお預かりするのはやめておきます。もう一度よく考えて、その上で、本当に私に預けたいと思うのであれば、その時にまた言って下さい。では、失礼します」

 そう言って、ミリアは去って行く。そのやりとりを隣で見ていたレオンハルトもまた、あえて何も言わないまま、その部屋を後にするのであった。

3-5、異種格闘戦

 応接室を出たミリアは、自分の中の様々な感情を発散させるために身体を動かそうと考え、練兵場へと向かった。すると、夜中であるにも関わらず、そこには先客がいた。ミカエラである。

「こんばんは。あなたは確か、ユーミルの魔法師さんですよね?」

 そう言われたミカエラは、少し驚いた表情を見せる。

「よく分かりましたね。私の立ち振る舞いは魔法師とは程遠いものですから、日頃は魔法師だと分かってもらえないのですが」

 実際、胴着を着て格闘術の訓練をしている今の彼女は、どう見ても魔法師には見えない(ある意味、それが彼女が聖印教会主導のユーミルでも生きていける要因の一つではある)。しかし、実はアストロフィのウルーカミカエラの同門の姉弟子ということもあり、ミリアは事前にミカエラの存在をウルーカから聞かされていたのである。

「まぁ、私も君主なのですが、素手格闘を生業としていることもあって、あまり君主扱いはされませんからね。どうやら、あなたも拳闘家のようですが、一度、お手合わせを願えますか?」
「構いません。私も、今は更なる鍛錬に励まなければならないと思っていたところです。今の私には『お姉さまを守る力』が足りないと痛感しているので。誰かさんのせいで」

 その「誰かさん」が、実はミリアのモヤモヤの原因でもあることには、さすがにミカエラも気付いてはいない。

「では、お願いします」

 ミリアはそう言って、空手の「構え」に入る。さすがに訓練の場なので、鉄爪は外していた。ちなみに、ミカエラも鉄爪は持ってはいるのだが、実は彼女はもともと「素手」の時の方が強いため、彼女また完全な丸腰である。

「ベルナール流アンデス空手奥義、スクラップ・フィスト!」

 そう言って強烈な踏み込みからの正拳突きを放とうとするミリアであったが、それよりも一瞬早く、ミカエラの右腕が彼女の脇腹を捉える。

「甘い、アフェクション・オース!」

 その一撃を直撃したミリアは、体勢を崩してその場に膝をつく。

「踏み込みが甘かったか……。まだ私にも迷いがあるようですね……。しかし、あなたはいい動きをしますね」
「私はただ、お姉様を守るためだけに、この技術を磨いてきました」

 そう言い切ったミカエラの瞳には、一切の迷いがない。この戦いが終わった後も、彼女の拳が守るものは永遠に変わらないのだろう。自分の進むべき道を迷っているミリアとはまさに対照的であり、もしかしたら、その僅かな精神状態の差が、この結果をもたらしたのかもしれない。

「なるほど。それはそれで、あなたの武術なのかもしれません」
「あなたの技も、とても素晴らしいものでした。場合によっては、私が負けていた可能性も十分にありえます。今しばらく、稽古をお願い出来ますか?」

 こうして、彼女達はそのまま練兵場での稽古を続ける。今の立場も、これまでの生き方も、何もかもが全く異なる二人であったが、拳を通じて語り合う彼女達の間には、いつしかほのかな友情が芽生え始めていた。

3-6、猫と聖騎士

 一方、ミリアレオンハルトが去った後も、そのまま応接室で一人呆然と佇んでいたルクスのところに、一匹の猫が現れた。ケンジーである。

「やぁ、確か、ルクス君、だったね」
「えぇ……」

 力なくそう答える彼に対して、ケンジーは申し訳なさそうな表情を浮かべる。

「さっきの会議の時は、ごめんね。国の武官として、言うべきことは言っておかなきゃいけなかったんだ」
「いえ、それは当然のことです」
「でもね、会議の時の言葉は『ケンジーという武官』の言葉だ。今から言う言葉は『ケンジーという一介の妖精』の言葉だ。聞いてくれないか?」
「え? えぇ、まぁ……」

 やや戸惑い気味のルクスに対して、ケンジーはそのまま語り続けた。

「私は800年間、人間を見てきた。優しい人間も、意地汚い人間も、人を騙そうとばかりする人間も見てきた。だから私は、人を見る目だけは備わっていると思うんだ。それを踏まえて言う。僕個人としては君を信じたい。だから、もう一度聞かせてくれ。君は本当に、この地を守りたいのか?」

 そう問われたルクスは、先刻のミリアとのやり取りを思い出しながら、少しずつ、自分の中の「何か」を奮い立たせるように、自分に言い聞かせるような口調で答える。

「私は、一人の人間として、私が加担してしまったこの騒動の終結を、自らの命を賭してでもしたいと思っています」

 ケンジーは、その彼の言葉が真実だと確信した上で、改めてこう告げる。

「そうか、それならいいんだ。君は逃げちゃダメだよ。君は戦い続けなければならない。自分の力で、自分の意思で、戦うんだ」

 そう言って、ケンジーはその場を去って行く。そんな彼を無言で見送るルクスは、少しずつではあるものの、自分の中での「本当にやりたいこと」と「本当に大切なもの」が何なのかが、もう一度思い出せそうな、そんな心持ちへと戻りつつあった。

3-7、後輩の責務

 同じ頃、アクランドの一角に位置するダリアの研究所では、アーベルが混沌粉砕銃の最終調整のために呼び出されていた。この日の夜のうちに、彼女は夜陰に紛れてアッサモールと共に魔城へと向かう予定である。

「ごめんね、わざわざ来てもらって」
「いえいえ、お疲れ様ッス」
「本当は、最終調整はもう大体終わってて、あとはあのアッサなんとかさんと一緒に魔城に行くだけなんだけど……、もしかしたら、このまま生きて帰って来れないかもしれないし……、最後に、あなたと話しておきたかったんだ」

 アッサモールは、腕利きの邪紋使いでもあるが、基本的にその力は「自分の身を守るため」にしか用いないと公言している。つまり、もし先遣隊である二人が敵の大軍に遭遇した場合、彼は同行人であるダリアを見捨てて逃げる可能性もある以上、非常に危険な任務であることは間違いない(いざとなればダリアはその場で空間を歪めて逃げ帰ることも出来るが、その暇すら与えられないほどの突然の奇襲を仕掛けられる可能性も、十分にありうるだろう)。

「この前、あんなことしちゃってさ……。それからろくに話も出来ないままだったから、あなたにはちゃんと、謝っておかなきゃならないと思ったの」
「謝るなんてそんな……」
「そんなって、だって、街中であんなもの呼んで、大暴れさせたんだよ……。あの後でアーベルサラ様に口利きしてくれなきゃ、こうやって生きていることもないんだし、謝罪とお礼くらいは言っておきたかったんだ」

 実際、常識的に考えれば、あの一連の騒動は極刑に相当するほどの重罪である。サラとしては、戦略的にダリアの力が対魔王戦で必要であると考えたが故の恩赦なのだろうが(実際、その判断は正しかった訳だが)、サラがそう決断した理由として、自身の契約魔法師であるアーベルからの助命嘆願があったことも事実だろう。
 しかし、そんなダリアに対して、アーベルは想定外の反応を示す。

「でも、謝るのも、感謝するのも、俺の方なんスけどね」
「え? それはどうして?」
「だって、先輩があの事件を起こした理由(書類仕事に嫌気がさしてたこと)には、後輩として気付いてあげることも出来た筈なのに、先輩のことを信じ切ってしまっていて、それを止めることも出来なかったッス」

 現実問題として、アーベルとダリアは勤務地が離れている以上、ダリアの精神的苦境をアーベルがそこまで推し量ることは難しい。また、仮にそのことに気付いていたとしても、当時の彼の立場でそれをどうにか出来る訳でもないし、どうにかしなければならない立場でもない。にも関わらず、ここで自分自身にその責任の一端があると考えるのは、それだけ彼の中で、ダリアが特別な存在であると認識していることの証であろう。

アーベルは、本当に責任感が強いんだね」

 そう呟くダリアの中にも、おそらく、アーベルのその気持ちは伝わっているのだろう。そんな彼だからこそ、ダリアもまた、彼に対してはただの後輩以上の感情を抱いている。

「そして、俺をアクランド様に紹介してくれたのも、ここまで育て上げてくれたのも、ダリア先輩ッスよ」
「うん……、うん……」

 そこまで自分を慕ってくれているアーベルに対して、ダリアはどう答えてれば良いのか分からないまま、ただ静かに相槌をうつ。

「湿っぽい話になっちまったッスね。まぁ、その、アッサモールだかなんだかいう人が信用出来ないって話ッスけど、大丈夫ッスよ。あの人が守ってくれなくても、俺が守るッス」
「ありがとう、アーベル。私の可愛い後輩。じゃあ、そろそろ出発するけど、こいつのことをよろしくね」

 そう言って、彼女は混沌粉砕銃を彼に手渡す。実際にこれを用いて魔王の混沌核を分解するのはサラの役目だが、もし何か銃に異変があった時には、魔法師である彼が修理や調整を担当する手筈になっていた。 

「もし使う機会がなかったとしても、その時はその時で、イグナシオさんとかにでも撃って、データ取って来てね」
「先輩、相変わらずッスね」
「じゃあ、頼んだよ、行ってきます」
「行ってらっしゃいッス。帰ってきたら、二人で飲みに行きましょう」

 そう言って、アーベルはダリアを見送った後、銃をクルクルと回しながら、研究室を後にする。必ず作戦を成功させて、彼女との約束を果たすことを誓いながら。

3-8、民を守る力

「立派になりましたね、アレス

 数年ぶりに再会したアレスに対して、クレアはそう言った。先刻の会議の場ではまともに話す機会も得られなかったため、この日の夜、アレスが彼女の部屋を訪ねて来たのである。

「お久しぶりです」

 そう答えたアレスは、数年前の、旅先で彼女に助けられた時の彼からは見違えるように成長していた。

「あなたがアストロフィを代表して来られるとは」
「私もあれから色々ありましたからね。今では領主となって、民を治めています」

 そんな彼に対して、クレアは素直に感服した表情を浮かべながら話を続ける。

「私は、聖印だけは子爵級にまで成長していますが、私には人を率いる力はありません。本来ならば先程の会議の場でも、聖印の格的には私が皆をまとめるべきだったのかもしれませんが、私が何か言うとかえって事態が紛糾すると思って、なるべく黙っているつもりでした。結果的に、途中で何度か口を出してしまいましたが……」

 彼女は聖印教会の敬虔な信者ではあるが、この世界にはその教義に賛同しない人々も多いことは理解しているし、国を率いる者達にはそれぞれの「事情」があることも分かっている。だからこそ、彼女としては「自分の考え」をあのような場で表明することは極力避けるべきだと考えていたし自分が旗印になることも、逆に三国間の対立を煽る可能性が高いだろうと思っていた。

「しかし、民を守るためには、巨大な力が必要だと思います」

 アレスはそう言った。実際、クレアの持つ聖印の力も、それを用いた騎士としての力も、これまで彼を含めた多くの人々を救ってきた。だからこそ、今でも自分よりも遥かに大きな力を持つ彼女は、アレスの中では特別な存在なのである。

「そうですね。その意味では、子爵級の聖印を持ちながら、国を持たずに放浪を続けている私は、ある意味、無責任な存在であるとも言えます。それに比べて、あなたは立派になりました。もうあなたは、ただ剣を振るうだけの存在ではない。私よりよほど大きなものを背負っている」
「しかし、今の私の力で守れるものはほんの少しです。やはり、民を守るために、私はより精進し、より大きな力を手に入れなければ」
「ある意味、今回の戦いは、その一つの契機になるかもしれませんね」

 魔王の混沌核がどれほどのものかは分からないが、その「3分の1」を手に入れるだけでも、アレスの聖印は急成長することになるだろう。あわよくば男爵級、もしくは子爵級以上の聖印を手にすることになるかもしれない。そうなると、このバルレア半島において彼は「今よりも更に高い立場」を手にいれることになるかもしれない訳だが、アレスの中では、まだそこまで想定されていた訳ではなかった。

「今の私の目標は、ヨハネスを立派な王とし、アストロフィを強固な国とすることです。それが民を守ることにも繋がる」

 あくまでも彼は、アストロフィの臣下として、アストロフィの民を守るということが行動原理となっている。その思想は、時として他国の民を軽んじることに繋がる可能性もあり、それが新たな戦争の火種となることも十分にありうる話なのだが、そのような形で「国を守る」という強い意志を持った人々でなければ守れないものもある。そして同時に、そのような「領主」としての立場では守りきれない者達もいる。だからこそ、アレスもクレアも、どちらもこの世界にとって必要な存在なのである。

「あなたはその道を進んで下さい。そのあなたの手から溢れ落ちてしまう人達を救うのが、私の役目です」
「私も、非力な人達を守りたいという気持ちはあなたと同じのつもりです。ですから、私の力が必要な時は、いつでも言って下さい。私もあなたの力が必要な時には、あなたの力を借りたい」
「分かりました。ともあれ、まずは今回の戦い、必ず勝利しましょう」

 二人はそう言って、昔と変わらぬ爽やかな笑顔で握手を交わす。そんな二人の仲睦まじい様子を、悔しげな瞳で遠くから見つめているユーミルの若き傭兵隊長がいたことに気付いた者は、誰もいなかった。

3-9、最終決戦

 そして、作戦は決行された。各国軍が兵を揃えてアクランドに待機する中、唐突に巨大な「時空の扉」が開き、そしてダリアが現れる。

「さぁ、皆さん、早く」

 彼女の手招きに合わせて各国軍がその「扉」を一気に潜り終えると、その時点で力を使い果たしたダリアは倒れ込み、アーベル隊が彼女を手厚く保護する(なお、この時点でアッサモールは既に姿を消していた)。
 こうして無事に「魔城の北側」への空間転移を成功させた各国軍の視線の先には、月光に照らされた巨大な魔城の城壁がそびえ立つ。その周囲からは今まで感じたことがない不気味な気配が漂っており、聖印を持つ者達は、それがおそらくは「反聖印水晶」によって作られた結界なのであろうことを薄々察していた。そして、その城壁の両端に位置する二つの物見櫓の上に、不気味な人影が姿を現す。それぞれの後方には、彼等に率いられたパンドラの兵士達の姿もあった。

「ノコノコお前達の方から来てくれたか。ちょうどいい、こちらもようやく『本来の力』が備わったところだからな」

 各国軍から見て左側(魔城の中心から見ると北東)の櫓から聞こえてきたその声の主は、元サンドルミアの将軍エリゴルである。だが、その外見は以前にユーミルを襲った時の彼からはかけ離れた「完全なる悪魔」の姿となっていた。そんな彼に対してエクレールは激しい殺気を向ける。
 一方、左側(魔城の中心から見ると北西)の櫓から現れたのは、パンドラのエージェント・クラインである。

「あら、見たことある顔がいるわね」

 ウィステリア軍の中にいるアーベルケンジーの姿を見て、彼女はそう呟く。この二人は以前に彼女と遭遇したことがあった。アーベルはキッと彼女を睨みつけつつ、彼女が「自分の知っているクライン」であることを確信する。というのも、パンドラには「クライン」という名の魔法師が七人存在しており(注:これは公式設定ではない)、それらは何らかの形で作られた複製体であるとも言われているが、アーベルケンジーが過去に遭遇したのはその中でも「青のクライン」と呼ばれる召喚魔法を得意とする魔法師であり、今目の前にいる彼女こそが「そのクライン」であろうことを、彼女のその反応から即座に理解したのであった。
 だが、そんな彼女はアーベル達以上に、ユーミル軍に対して厳しい視線を向ける。

「あなた達には、可愛い弟子を殺されてるからね。ともあれ、この地に足を踏み入れたからには、どちらにしても覚悟は出来ているのでしょう? おとなしく魔王様の養分になりなさい」

 彼女がそう言うと同時に、城壁の奥にいると思しき魔王軍の本体から、禍々しい瘴気が放たれ、ユーミル軍の中核にいたルクス軍を直撃する。その瘴気に取り憑かれた兵士達が次々と戦意喪失し、放心状態になろうとしたが、それでもルクスはその精神的重圧を耐え凌いだ。ここに至るまでに様々な葛藤を抱えながらも、指揮官として一軍を任された以上、自分自身の過去の所業を清算するためにも、ここで退く訳にはいかない。
 更にその直後、今度は左側の櫓の更に奥の方(魔城の中心から見ると南東)から、「キキキュキュ」という謎の摩擦音が響き渡る。その音波は自然界で聞くことがない不快な波動であり、その場にいる者達の精神を蝕んでいく。それは魔王軍の「南東の櫓」を任された「四天王枠の補充要員」に相当する者の放った怪音波であったが、この場にいる者達の中で、咲希だけはその正体に気付いていた。

「発泡スチロールか……、やるな! 面白い!」

 皆が未知の不快音に悩まされる中、彼女は一人不敵な笑みを浮かべる。それは、彼女が生きていた時代の地球においてダンボールと双璧を為す存在であった「純白の梱包材」をすり合わせた音であった。その奥にいるのが、自分と同じように発泡スチロールの加護を得た神なのか、発泡スチロールと共にこの世界に現れた地球人なのか、あるいは単にこの世界の魔法師が発泡スチロールの召喚に成功しただけなのかは分からないが、いずれにせよ、自分と互角に渡り合える(かもしれない)者の存在を感じ取り、彼女は一人静かに闘志を燃やす。
 そこへ更なる追い討ちをかけるかのように、魔王軍本体から強烈な衝撃波が放たれたのだが、禍々しき混沌の力が込められたその一撃は、遠征軍全体を巻き込むかと思いきや、ただ一人の騎士の元へとその力が収束していく。クレアが聖印の力によって、その攻撃を自分一人に集中させたのである。軍を率いていない状態の彼女はその圧倒的な混沌の圧力を一人で受け止めたことで、全身が爆散しそうなほどの激痛を受けたが、それでも彼女は倒れない。しかし、彼女にこの力を何度も使わせれば、いずれ彼女は心身共に限界に達するであろうことを察した周囲の者達は、一刻も早く魔王を討ち取る決意を改めて固める。
 その最初の口火を切ったのは、ウィンス率いるジャーニー鉄華団であった。聖印の力が封じられている今、魔法師以外で魔城の城壁を破るための攻撃手段を持つ唯一の存在である彼等は、ミカエラによる武器強化の魔法によって強化された弓矢で、エリゴル軍の装甲の弱い部分に照準を合わせつつ、クライン軍が守る反対側の櫓までをも含めた北側の城壁全体に対して一斉射撃を試みる。その激しい猛雨の如き斉射は城壁の壁を削り穿つと同時に、両櫓の敵軍にも大きな損害を与えることに成功する。
 それに続いて動いたのはアーベルであった。ケンジーによって開かれた妖精界の扉から注がれる力によって魔力を強化された彼は、咲希から与えられたダンボールを燃料とした上で、ウィンス達によって削り取られた防壁の周囲の者達全体に向かって、巨大な火炎球を叩き込む。その紅蓮の炎は北側の城壁全体を一気に焼き尽くすほどの威力であり、それに対してクラインは異界の大巨人を瞬間召喚することで城壁と自分達を守ろうとするものの、その大巨人は堪えきれずに一瞬にして灰燼と化し、城壁と兵士達は真っ赤に燃え上がる。だが、それでもまだ全焼させるには至らない。
 これに対して、エリゴルは城壁の上から巨大な槍を掲げ、その槍を更に巨大化させた上で、先刻の魔王からの瘴気を直撃して兵達が浮き足立ち初めている(彼にとっての宿敵である)ルクスを貫こうとする。だが、その巨大槍の一撃に対して、あらかじめ防御陣形を取っていたレオンハルト隊が間に入って受け止めようとする。更にそこに、咲希アーベルの合わせ技で作られた「氷のダンボール防壁」が割って入った結果、エリゴルの魔槍の一撃はレオンハルト隊によって完全に封じられることになった。

「お、俺の炎の槍が、止められた!?」

 本来ならば一撃で一部隊を吹き飛ばすほどの威力が完封されたことでエリゴルが動揺する中、ウィステリア軍の連携によって助けられたルクスは、部隊を移動させて陣形を整えつつ、その聖印の力によってアーベルの周囲の時間の流れを操作することで、再び彼に火炎魔法を放たせる。そこに今度はケンジーが妖精郷を顕現させることで更に魔力を増幅させた上で放ったその二発目の火炎球は再び北壁の魔王軍全体を包み込み、そして遂に二人の宿敵であるクラインとその配下の魔法兵団達を完膚なきまでに焼き尽くす。

「やっぱり、あの時『こっち側』に引き込んでおくべきだったわね……」

 彼女の最後のその言葉がアーベルケンジーにまで届いたか否かは定かではないが、これで魔城の四方の櫓を守る魔王軍の一角は無力化された。だが、それでもまだ城壁を破った訳ではないし、反聖印水晶を破壊出来たかどうかも分からない以上、聖印を持つ君主達はまだ突撃は出来ず、そして城壁相手に有効な攻撃手段を持たないミカエラもまたこの場は待機せざるを得ない(無機物を相手とした戦いでは、彼女の「相手を体内から破壊する打撃技」は通用しない)ため、彼等は咲希が築いたダンボールの防壁の内側から、静かに戦況を見守る。
 そんな中、クラインを失った右側の櫓の更に奥(魔城の中心から見て南西部)から、猛々しい叫び声が響き渡った

「トール・ハンマー!」

 アストロフィの面々には、その声に聞き覚えがある。それはまさしく、かつての同胞イグナシオの声であった。そして次の瞬間、待機していた者達を中心とする大半の主力部隊の真上に、巨大な槌を形取った雷撃が振り下ろされる。どうやらこれが彼の邪紋の力を最大限に具現化した奥義らしい。咄嗟にケンジーがいたずら好きの妖精を呼び出すことでその落下速度を減速させている間に何人かは退避に成功するが、それでも主力部隊の大半がその雷撃に巻き込まれてしまう。
 アレス隊はアニュー隊によって庇われたことで難を逃れ、エクレール隊は咲希が瞬間的に生み出した追加ダンボールによって壊滅的打撃を免れたが、サラ隊とウルーカ隊の被害は甚大で、ウィンス隊もまた瀕死状態にまで追い込まれるが、そこから彼は混沌の力で少しずつ起き上がる。まだ反聖印水晶が残っている(可能性が高い)以上、貴重な邪紋による攻撃手段を持つ身として、ここで倒れる訳にはいかなかった。
 そして深手を負ったウルーカもまた、必死でその痛みに耐えながら、遂にここでその本領を発揮する。彼女は国を離れる前にセブンスから受けた助言を元に、高らかに魔歌を歌い上げた。

「私の歌を聞けー!」

 その叫びと共に魔城の中心に向かって放たれた真空波によって、それまでかろうじて持ちこたえていたエリゴル隊が遂に壊滅し、それと同時に、それまで魔城を囲んでいた「禍々しい気配」が一瞬にして消え去ったことを、その場にいる者達は感じ取る。どうやら、ここまでの弓矢と魔法攻撃の積み重ねによって、北側の二つの反聖印水晶が破壊されたらしい。
 更にそのまま彼女は部下の兵士達に、アロンヌから預かった攻城兵器の発射を命じる。聖印の力が有効になった可能性が高いと判断したルクスが、自らの聖印によってその攻城兵器の威力を増幅させた上で発射した結果、その一撃は確かに魔城の城壁に大打撃を与え、遂にその鉄壁の守りに綻びが見え始める。
 そのことを確認した上で、遂に君主達の主力部隊が動き出す。まず、アレス隊が両櫓の守備兵達がいなくなった北側中央の城壁へと突撃し、彼の光輝く双剣の連撃によって、遂にその城壁が完全に破壊された。今まで散々、部下達に「扉」を壊されて続けてきた彼が、今度は自らの力で「城壁」を破壊したのである。

「見たか、アニュー! 壁はこうやって壊すんだ!」
「さすが俺達の君主!」

 アストロフィ軍がそんな歓喜の声に包まれる中、今度はその壊れた城壁の奥から「巨大な白い怪物」が現れ、彼等の前に立ちはだかる。それは「発泡スチロールのオルガノン」であった。彼こそが、エティアの後任として四天王の補充要員となった「南東の櫓」の守護者であったのだが、ここまでの戦いで北壁の不利を悟った彼は、身を以て魔王軍本体を庇うために、自身の櫓の防衛を放棄して、魔城の中心部の北側へと移動していたのである(なお、先刻のウルーカの真空波も彼が身を呈して魔王軍本隊を庇っていたため、既にその身体はかなり消耗していた)。
 だが、この時点で彼の正体を見破れる者は誰もいない(咲希はそれが発泡スチロールであることは分かったが、オルガノンに関する知識まではなかった)。目の前に現れた「よく分からない何か」に対して、サラ隊が特攻する。彼女はアーベルの魔法によって強化された剣に更に自らの聖印の力で炎を纏わせた上で、ウルーカルクスの支援も受けながら全力の一撃を叩き込むが、あと一歩のところで瞬殺には至らず、そしてその発泡スチロールを切り裂いた時の不快音を間近で聞いてしまったため、精神力を深く抉り取られてしまう。
 だが、その直後、ウルーカ隊の傍らで待機していたペリュトンが発泡スチロールに襲いかかったことで、その白い巨体は混沌の塵となって消滅した結果、遂にその奥に立つ魔王軍が姿を現す。それを率いているのは、紛れもなくかつてのユースベルグ男爵イドリス・シュレスヴィッヒの姿であったが、その面影は僅かに表情に残っている程度で、その身体は完全に異形の怪物と貸していた。
 そんな魔王軍本隊に対して最初の特攻をかけたのは、かつての部下の一人であるミリア率いるアストロフィ軍であった。

「ベルナール流アンデス空手奥義フェイタルブロー!」

 そう叫びながら放った彼女の二連撃によって魔王軍の前衛部隊は吹き飛ばされ、魔王軍の兵士達は放心状態へと陥る。そこに、ミカエラによって双剣を強化されたエクレールが虎に乗って斬り掛かり、ウルーカケンジールクスの支援も受けながら次々の魔王軍の兵士達を切り倒していくが、それでもまだ魔王軍はかろうじて崩壊を免れていた。
 ルクスが聖印の力で皆の闘志を奮い立たせつつ、ウィンスが魔王軍の防御の弱点を見極めながら次の斉射の照準を合わせていた時、魔王が再び先刻と同じ衝撃波を放とうとしたが、それを今度はケンジーが呼び出した妖精とルクスの聖印の力によって、完全に打ち消すことに成功する。会議の場では真正面から衝突していた二人が、この土壇場において見事な連携技で相手の奥義を封じることに成功したのである。
 その直後、ウィンス率いるジャーニー鉄華団の第二射が、魔王軍本隊と、その奥に控えていたイグナシオ隊に降り注ぎ、イグナシオ隊もまた完全に壊滅する(彼等もまた、実は先刻の真空波の時点で既に大打撃を受けていた)。そして、指揮官である魔王への恐怖によってかろうじて統率を保っていた魔王軍も、遂にこの一撃によって戦線が崩壊し、もはや軍隊としての機能を持たない烏合の衆と化す。
 そこへ、再びケンジーの支援を受けたアーベルによる火炎攻撃が放たれたことで魔王本人も大打撃を被り、その直後にジェラール率いる傭兵隊が急襲をかける。魔王はその斬撃をかわそうとしたが、その足元をケンジーが呼び出した妖精によって絡みとられたことで避けきれず、ジェラールの光り輝く聖印の剣によって、遂にその身は真っ二つに引き裂かれた。

「これほどの施策を備えても、なおもまだ私の前に立ちはだかるのか、聖印を持つ者達よ……」

 それが、魔王が彼等に対して言い放った、最初で最後の言葉であった。その身体を構成していた混沌は四散し、その心臓があったと思しき空間に、巨大な混沌核が出現する。サラはすぐさまアーベルから預かっていた混沌粉砕銃を構え、そして解き放った。
 次の瞬間、その巨大な混沌核は「七つ」に分裂する。そして、その場にいた者達が次々とそれらを個別浄化した上で、サラエクレールアレスの三人が二つずつ吸収し、残り一つをクレアが吸収した上で三分割して分配するという、当初の約定通りの措置が粛々とおこなわれた。
 結局、当初懸念されていたような奪い合いも騙し討ちも、一切発生しなかった。魔王軍という巨大な敵を共に力を合わせて倒した余韻に浸っていた彼等の中では、国も立場も宗教も超えた、絶対的な連帯感が広がっていたのである。それはおそらくこの瞬間だけのものであろう。明日からはまた再びバルレアの覇権を巡る疑心暗鬼の日々が始まるかもしれない。だが、少なくとも今この時点では、互いの健闘を称え合う「純粋な友情」が芽生えていたようである。

4-1、戦後処理

「ダリア先輩、勝ったッスよ!」

 魔王との戦いを終えた直後、ウルーカによる勝利の凱歌が響き渡る中、意識を取り戻したダリアに対して、アーベルは満面の笑みでそう言った。ダリアもまた、それに対して笑顔で答える。

「すごいじゃない、よくやったわね、アーベル
ケンジーも、アライも、めっちゃ協力してくれました」

 彼は咲希のことを(彼女の姓である)「アライ」と呼ぶ。「サキ」が「サラ」と紛らわしいからという事情もあるだろうが、それ以前から彼はサラのことも「アクランド様」と呼んでいるので、もともとあまり女性をファーストネームで人を呼ばないらしい(ダリアだけはさすがに同性なので「ダリア先輩」だが)。

「やっぱり、皆すごく強いんだね。あの毒龍にも勝っただけのことはあるわ。じゃあ、帰ったらお祝いよね。前に言ってた通り、二人で飲みに行こうか。ケンジーが許してくれればだけど」
「別に許さない理由はないよ」

 ケンジーがボソッとそう答えたのが彼女に聞こえたか否かは定かではないが、ひとまず彼女は周囲を見渡して状況を確認した上で、この場で自分が為すべき作業に取り掛かる。すなわち、魔城に残された遺品の解析である。各国軍が城内の残党勢力を掃討する中、彼女が数時間にわたって魔城の中で作られようとしていた「謎の装置」について調べ上げた結果、概ねその正体は明らかになった。
 どうやら、パンドラがこの地で作ろうとしていたのは、反聖印水晶の強化版、すなわち「単体で反聖印空間を作り出せる装置」であったらしい。そのために必要な素材を生み出す上で、この「瞳」という空間が最適であったらしい。その理由は定かではないが、もともと混沌濃度が高かったことに加えて、この地域の空気中に漂う混沌の持つ独特の「適性」が、その条件に合致していたのではないか、というのがダリアの推論である。
 ひとまずその装置と、そして残っていた二つの反聖印水晶は破壊した上で、その破片はダリアが研究のために持ち帰ることになった。無論、使い方次第によっては兵器として有用な存在でもあるため、その研究成果をウィステリアが独占することは許さず、エーラムに全て報告するという前提の上での話である。それは、その活用法如何ではユーミルにとって非常に不利な状況が発生しうる話であったが、エクレールはその研究自体を辞めるようには言わなかった。パンドラ側が再び同じものを作り出す可能性がある以上、むしろその研究を進めた上で対抗策を講じる必要があることは、彼女も分かっていたのであろう。

 ******

 その後、完全に更地となった魔城の扱いに関して、サラ、ユージーン、フラメアによる三者会談が開催されることになる。それに先立ち、サラが事前にエクレールアレスを通じてそれぞれの上司に根回しを頼んでいたこともあり、最終的にサラの思い描いていた新体制案が両国にも認められることになった。
 それは「対サンドルミアを前提とした三国協力体制の締結」である。現実問題として、ユーミルは大工房同盟、アストロフィは幻想詩連合の一員である以上、全面的な共闘体制を築くことは出来ず、今後の二大勢力の動向次第ではユーミル・アストロフィ間での開戦の可能性を完全に否定することは出来なかったが、「サンドルミアがバルレア半島へ進軍した場合に限定した上での相互援助条約」という名目にすることによって、ユーミルもアストロフィも、それぞれの盟主国への体面を保つことに成功することになる。
 なお、当のサンドルミアからは魔城陥落の数日後、三国に対して感謝と祝辞をしたためた手紙が届いた。少なくともこの時点でにおいては、サンドルミアはバルレアに対して再侵攻の意思はなさそうではあるが、それもこれから先の政局次第である以上、上記のような形での共闘態勢を築いておくことは絶対に必要であろうとサラは考えていたのである。
 無論、想定すべき敵はサンドルミアだけではない。バルレア内での三国協力体制が確立されたとは言っても、それはあくまで「バルレア内の理屈」でしかない以上、状況次第では海を挟んだ先に君臨する北の大国ノルドがウィステリアに侵攻する可能性も十分にありうる(その場合、アストロフィは共闘してくれるだろうが、ユーミルがどう動くかは定かではない)。それを避けるためにノルドとも交易を広げて友好関係を築いておく必要があるだろうし、最悪の場合に備えて海軍を増強しておくことも視野に入れておくべきであろう(もっとも、ノルドの内海部隊の主力の一部が先日の海難事故で壊滅してしまっていたため、しばらくは本格的に兵を動かせない状態にあったのだが)。
 また、この三国協力態勢の樹立に伴って、「バルレアの魔城(瞳)の跡地への三国共同の中立都市の建設」も決定された。正式な領主は不確定のまま、ひとまずサラエクレールアーベルの三領主による共同統治という前提の上で、それぞれの領主達が配下の人員と費用を出し合うことで建設していく、という計画である。ゆくゆくは、この中立都市がバルレア全体の協力態勢の要になれば良い、という思惑もサラの中にはあったが、そう簡単にコトが進むかどうかは分からないことも、彼女は十分に自覚していた。それでも、連合にも同盟にも属さないウィステリアが生き残る道はそれしかない、という認識の上で、サラはこの苦難の道を歩むことを決意したのである。

4-2、客将達の未来

 こうして、ひとまず戦後の新体制が確立されたことで、それまで魔城の跡地で駐屯していた各国の主力部隊はそれぞれの所領へと帰還していくことになる。その前に、ミリアルクスに会いに行くことにした。

ルクスさん、お疲れ様です。どうやら、もう大丈夫なようですね」

 戦い前夜の時点では精気を失った表情を浮かべていた彼も、(ケンジーとの真夜中の邂逅を経て)戦意を取り戻し、魔王軍との戦いにおいては後方指揮官として縦横無尽の活躍を見せていた。彼がいなければ、もっと甚大な被害が出ていたことは間違いないだろう。

「えぇ。結局、どれほど力になれたかは分かりませんが、あの時、出来ることは全てやったと思っています」
「それは誰だって同じです。私だって、やれるだけのことはやったと思っていますが、どれだけ力になれたかは分かりません。でも、きっとこれで良かったんだと思います」

 ミリアがそう言うと、ルクスは静かに頷いた上で、決戦前夜に話していた話題を、再びミリアに対して問いかける。

「これから、どうされます?」

 それに対してミリアは、微妙な表情を浮かべながら答えた。

「どうなるかは分かりませんが、やるべきことは決まりました。ただまぁ、ちょっと、あまり言えることではないので……」
「では、頑張って下さい。またどこかでお会いすることもあるでしょう」
「はい、ではまた」
「今までお世話になりました」

 こうして、二人はひとまずそれぞれの亡命先の国へと帰還する。一方、レオンハルトサラからの特命により、ひとまずこの地に残って、都市建設に至るまでの間の警備を担当することになった。彼が持ち前の「スパルタ式特訓法」を用いて、この地で最強の防衛隊を結成するのは、もう少し先の話である。

4-3、傭兵騎士の旅立ち

 その頃、もう一人の「客将」であるクレアもまた、この地を去る前に、旧知のアレスジェラールの二人を労っていた。

「二人とも、本当にお疲れ様でした。もうすっかり、二人とも立派な騎士になられたのですね」

 アレスが城門を突き破った姿も、ジェラールが魔王にとどめの一撃を叩き込んだ姿も、後方から見守っていたクレアの瞳には、確かに焼き付いていたようである。

「これで、ひとまずここでの私の任務は終わったので、次はブレトランドにでも行こうかと考えているのですが……」

 彼女がそう言いかけたところで、ジェラールが割って入った。

「私もついていきたいです、クレア殿!」

 食い気味にそう言ったジェラールに対し、クレアは冷静に落ち着いた口調で答える。

「しかし、あなたは今のユーミルの領主との契約があるのでは?」
「彼女との契約は、もともと『いつでも解約出来る緩い条件』で結んでいました。私は最初から、あなたについていくための力を得るために、ここまで戦ってきたのです」

 その熱の込められた瞳から、彼の決意が本気であることをクレアは実感する。

「でも、あなたにも部下はいるでしょう? あなたを慕ってついて来ている傭兵団の人達を放り出して良いのですか?」
「彼等も十分育ってきているので、大丈夫です。もともと自由な連中ですから」

 あくまでも決意を曲げる気はない、というジェラールの姿勢を見せつけられたクレアは、悟ったような表情を浮かべながら、彼の意思を受け入れる決断を下す。

「分かりました。では、エクレール様へは私の方から一言謝っておきましょう」
「申し訳ございません、ありがとうございます!」

 こうして、ジェラールは長年の宿願であった「クレアの同行者」としての立場を獲得することになる。これから先、「それ以上の関係」へと発展出来るかどうかは彼次第だが、そこに到るための最初の出発点に立てた喜びに打ち震えていた。
 一方、そんな若き傭兵騎士の熱意溢れる訴えを、アレスは横で黙って聞いていた。当然、彼の中にもクレアについて行きたい気持ちはあったが、彼には既に「領主」としての立場がある以上、彼のように自由に生きることは出来ない。

「では、クレア殿、せっかくここまで来たのですから、この地を去る前に一度、我がジャーニーに立ち寄っていきませんか?」
「そうですね。私も、あなたの治める街を見てみたいですし」

 これが、今のアレスが彼女に対して出来る精一杯のアプローチであった。次に彼女に会えるのがいつの話になるのかは分からない以上、せめて今、この瞬間だけでも、彼女との間で共有出来る時間を堪能しておくことが、領主としての彼に許された数少ない自由だったのである。
 そしてジェラールもまた、旅立つ前に一度ユーミルに戻った上で諸々の手続きを済ませる必要があったため、それまでの間にクレアをもてなす程度の権利は、素直に恋敵に譲ることにしたのであった。

4-4、幼君の覇道

アレス兄、おかえり」

 クレアを伴ってジャーニーへと帰還したアレスを出迎えたのは、ヨハネスであった。首都に戻ることはいつでも出来たが、アレスが戻る間までは自分がこの地に居続けることで周囲を牽制する必要があると考えていた彼は、フラメアやセブンスと共にこの地に逗留し続けていたのである。
 ヨハネスは満面の笑みを浮かべながら、預かっていた耳飾りをアレスに返す。

「絶対帰って来るって、信じてたから」
「当然だ。私が君より先に死ぬ訳がないだろう」

 アレスは堂々とした態度でそう答えつつ、今回の戦いの顛末を一通りヨハネスに報告すると、ヨハネスは改めてアレスを賞賛しつつも、どこか不安そうな表情を浮かべた。

「これから先、うまくやっていけるのかな? ウィステリアやユーミルと……」

 ヨハネスも幼いなりに、このバルレアの複雑な国際構造については学んでいる。だからこそ不安を拭えない彼に対して、アレスもまた神妙な面持ちで答える。

「分からない。あまりにも状況が変わりすぎた。これから先の世界がどうなるのかは、今の私にはさっぱり分からないが、いい方向に向かうよう、俺も努力するつもりだ」
「そうだね。僕も、この国をきちんと統治出来るように頑張る。だから、中立都市の方はアレス兄にお願いするよ」
「あぁ、お前も立派な王になれるように、勉学に励むといい」
「そうだね、勉学と、そして『寝る前の十分』だね」

 出発前の約束を忘れずにそう言ったヨハネスの頭を撫でつつ、アレスは改めて、彼を名君へと育てることを自らの聖印に誓う。そしてヨハネスもまた、アレスの期待に答えられる王となることを、深く心に誓ったのであった。

4-5、傭兵団の未来

 その頃、ヨハネスを支えるもう一人の忠臣であるフラメアは、同様に帰還したウィンスから、改めて戦果報告を受けていた。

「まず、何はともあれお疲れ様だった」
「まぁ、あれだけの人員がいたからな。当然の戦果だ」

 実際のところ、これまで街の警備しか担当してこなかったウィンス達にとっては、あれほどの大部隊の一員として戦うのは初めての経験であったし、このバルレアの歴史においても類を見ないほどの大規模な作戦だったことは間違いない。

「その中でも、ジャーニー鉄華団の弓兵部隊が、城壁破壊において大きな役割を果たしたということは聞いている」
「あぁ、それは勿論さ。何せ俺達は、ジャーニー最強の傭兵団だからな」

 そう言って胸を張るウィンスのことをフラメアは笑顔で労いつつ、窓の外を見ながらふと呟くように問いかける。

「しかし、これからどうなるのだろうな。魔城の跡地に中立都市が出来るとなると、このジャーニーの戦略的価値も分かってくる」

 魔境が完全に消滅したことで、この街は「最前線」ではなくなった。中立都市がサラの思惑通りに中立都市として機能するのであれば、ユーミルやウィステリアからの侵略に備える必要もなくなるだろう。

「そうだな。だが、あの同盟が対サンドルミア戦を見越したものなら、また仕事はいくらでもあるだろうさ」
「そうだな。場合によっては、新たな中立都市の治安維持のために、お前達の力が必要になるかもしれん。その時はよろしく頼む」

 もし、彼等がこの地を離れて中立都市の警備を担当することになった場合、「ジャーニー鉄華団」に代わる新たな団名が必要になるかもしれない。ただ、彼等に今後どのような使命が与えられることになろうとも、この戦いで得た経験と自信は今後の彼等の傭兵人生にとっての大きな糧となるだろう。ウィンスもフラメアも、そのことだけは確信していた。

4-6、広がる異文化

 それから数日後、ヨハネスが首都へと帰還し、クレアとも別れた上で、一人静かに自室で読書に耽っていたアレスの耳に、突然、轟音が鳴り響く。彼の部屋と廊下の間を隔てる「壁」が突然、何者かによって破壊されたのである。

「我が主よ、貴様も遂に『壊すこと』の悦楽を知ってしまったようだな」

 アニューである。もはや扉ではなく壁を直接壊すに至った彼であったが、アレスは彼のことを咎めようとはしなかった。

「あぁ、そうなんだよ。実は、私は魔城の跡地から見つけた『サッカー入門』という本を手に入れてな。ボールを蹴ることで壁を壊すことの楽しさに気付いた」

 まさに今、彼が読んでいた異界文書こそがその「サッカー入門」であった。どうやらあの魔城の跡地からは、この他にも様々な異界の産物が転がっていたらしい。サッカーという名の異界の競技に興味を抱いた彼は、そのルールもよく分からないまま、その辺りにある様々な球体を壁に向かって蹴り上げ、その結果として壁を破壊するという趣味に興じるようになっていたらしい。

「やはり、何かを壊すことは楽しいだろう?」
「正直、お前の気持ちが少し分かった。だが、気付いてしまったんだ。こうして何かを壊していく度に、そのための経費が……」
「まぁ、ここは考えてみてくれ。何かを得るには金がかかるものだ」
「だが、その経費の大半はお前が発生させているんだぞ」

 二人がそんな会話を交わしている中、たまたまその場を通りかかったウルーカが、ふと思いついたかのように提案する。

「いっそ、全ての扉をダンボールにしましょうか?」

 ダンボールであれば、いくらでも隣国から供給されることが出来る環境であるが故に、壁の修繕費も安く済むだろうと彼女は考えているようである。その話を聞いて、アレスもまた何かを思いついた。

「そうだ、お前、あの例のダンボールというものを持ってきたそうだな?」

 実はアニューは、咲希から「ダンボール教団のアストロフィ支部長」に任命され、この地にダンボールを布教する使命を授かっていたのである。

「あぁ、あのダンボールを幾重にも重ねた上で破壊すると、それはそれでまた最高なのだ」

 明らかにそれは咲希の想定しているダンボールの使用法ではなく、彼女のダンボール教団の教義にも反していたが、宗教が本来の教祖の手を離れて広がっていくことによって、教義が分派化し、新たな宗派が生まれることは、さほど珍しい話でもなかった。

「実はな、アニュー、これもまた異界文書で読んだ話なのだが、どこかの世界には『強化ダンボール』というものがあり、それを用いた遊戯があるらしい」
「なるほど、これは国内に広めなければ」
「うむ、これは流行るぞ」

 そう言って盛り上がる二人であったが、果たして、ウルーカがこの後、強化ダンボールの召喚に成功することになるのかどうかは、まだこの時点では誰にも分からなかった。

4-7、拳闘騎士の決断

 その翌日、ミリアアレスの部屋の扉を普通にノックした上で、荷物をまとめた姿で彼の前に現れる。

アレスさん、私はそろそろ、ジャーニーを去ろうと思います」
「そうか、寂しくなるな……」
「お世話になりました」
「君のアンデス空手の心意気は、我が部隊には広げて行くつもりだ」

 アレスとしては、出来ればその奥義そのものを広めていきたいと考えていたが、さすがにそれは彼女との約束に反するため、自重せざるを得なかった。
 一方、アレスのその淡々とした対応に対して、ミリアは複雑な表情を浮かべながら、ボソっと呟くように問いかける。

「それで、あの……、止めてくださらないのですか?」
「止めてほしいのか?」
「いえ、何でもないです、失礼しました」
「待て待て待て、止めないなんて言ってないぞ!」

 アレスとしては、止めれば止まってくれるとは考えていなかったらしい。この辺り、彼はまだまだ人心掌握という点においては未熟である。

「君の能力はかの戦いで証明された。私は君の人となりも気に入っている。だから、出来ることなら、私の元で働いてはくれないだろうか?」
「よろしいのですか?」
「なにぶん、私の部下は『扉を破壊する者達』と『上手くも下手でもない歌を歌う者』しかいないからな。一応、彼等も彼等で頼りにはなるんだが……、正直、もう一人くらいは『気の置ける仲間』がほしい」
「そうですか、では、私はお仕えさせて頂きます」
「ありがとう。ところで、私は最近、ダンボール戦……」

 そこまで彼が言いかけたところで、ウルーカが現れる。

アレス様、またボールで壁を壊したんですか!?」

 彼女はそう言って、廊下の突き当たりに広がる巨大な穴を指し示す。

「いや、違う、あれはアニューの仕業だ!」

 アレスはそう弁明するが、いずれにせよ修理業者への発注書類を書かせる必要があるため、ウルーカは彼を引っ張って政務室へと連れて行く。そんな「いつもの光景」を目の当たりにさせられたミリアに対して、ウルーカが思い出したかのようにこう言った。

「あ、兵士の方が、また稽古をつけてくれと言ってましたよ」
「分かりました。では、今から向かいます」

 ミリアはそう答えた上で、連れ去られて行くアレスに対して、こう言った。

アレスさん、これからも、あなたの勇気を見せて下さい」

4-8、去りゆく者達

 一方、ユーミルへと帰還したエクレールは、戦後の新体制に向けての諸々の政務に従事していた。彼女の場合、他国との協力体制を構築するためには、大工房同盟だけでなく、聖印教会との関係も考慮に入れながら進めなければならないので、その意味では最も複雑な板挟み的な立場に立たされていたとも言える。
 そんな彼女の私室に、ある日の夕方、ルクスが現れて扉をノックした。

「少し、話があるんだけど、いいかな?」

 苦手な机仕事に疲れていたエクレールが素直にそのまま彼を部屋へと招き入れると、ルクスは申し訳なさそうな顔を浮かべながら話し始めた。

「今回の魔城侵攻ではあまり力になれなくて、済まなかった」
「いや、そんなことはないよ。少なくとも、私よりは活躍出来ていたと思う」
「それはどうかな。君の終盤での突破力は相当なものだった」
「それでも君の支援がなければ、ああはならなかっただろうし、君はもっと誇るべきだと思う」
「そうかな、ありがとう。ところで、これから先なんだが、一度サンドルミアに戻ろうと思う。 『身内』がいるのでね」

 この時点で、エクレールの中ではこの「身内」という言葉が、彼の親や兄弟、あるいはもう少し広い意味で解釈しても「一族郎党」くらいの意味合いだと思っていた(注:彼には妻子がいるということを、未だに彼は彼女に告げていない)。

「ほう、身内か」
「その後、身内を連れてここに戻って来て、君の元で働かせてもらえないだろうか?」
「うん、いいよ。ところで……、この間の戦いの前、何か私にプレゼントがあるって言ってなかった?」
「あぁ、それは……」

 ルクスがそう言いかけたところで、エクレールはふと窓の外に視線を向ける。

「いい時間だから、ちょっと外に出てみない?」

 そう言ってエクレールルクスを、館の外へと連れ出す。少し高台に位置するこの地からは、美しい夕日に照らされた街並みが広がっていた。

「ここからの眺めが、ユーミルでは一番綺麗なんだ」

 エクレールが自慢気にそう言うと、ルクスは「確かに」と頷く。

「私からは、特に渡すものも思いつかなかったから、この景色だけでいいかな?」
「ありがとう、確かにこれは守りたくなる光景だ」

 そう言いながら、ルクスは懐から、ウィステリアで購入したネックレスを取り出す。

「この手でつけさせてもらって、いいかな」
「あぁ、うん、ありがとう」

 エクレールがそう答えると、ルクスは彼女の首に手を回してネックレスを装着させつつ、彼女の耳元で囁く。

「ちょっとしばらく出かけるけど、待たせてしまってすまない。でも、その後はこの地に残るつもりだから」

 そう告げた上で、彼はエクレールのおでこに軽くキスをする。

「うん、待ってる」
「あまり長く外にいると風邪をひくから、そろそろ戻ろうか」

 そう言って彼がエクレールの肩に手を回そうとしたところで、どこからともなくミカエラが現れる。

「一度ならず二度までも! お姉さまの純潔を!」

 彼女はそう叫びながら(魔城攻略戦ではタイミングを逸して放つことが出来なかった)「人間を体内から破壊する一撃」をルクスに叩き込み、彼は一瞬にしてその場に倒れ込む。更にそこから追い討ちとなる二撃目を放とうとしたところで、(一撃目はあえて見逃していた)ジェラールが止めに入った。

「どうやら、いつもの賑やかさが戻ってきたみたいだね」

 エクレールは苦笑しながらそう呟く。だが、その「いつもの賑やかさ」も、今日で最後であった。

「前に言った通り、俺は抜けることにしたよ。達者でな」

 ジェラールがそう言うと、エクレールも素直に頷く。

「うん、これから先は、君は君の道を行くといい。今までありがとう」

 そして、かろうじて一命を取り止めたルクスも、苦悶の表情を浮かべつつ起き上がりながら、ジェラールに感謝の言葉を告げる。

「魔王との最後の戦いの時、本当に君は頼りになった」
「俺が戦果を挙げられたのも、お前の支援があったからこそだしな。また機会があれば、共に戦おう。あと、グリップスにも、帰ってきたらこの手紙を渡しておいてくれ」

 そう言って、彼はエクレールに手紙を渡す。この手紙が実際にグリップスの元に届くまで、あと数日を要することになるのだが、そのことを知る者はまだこの場には誰もいない。
 一方、今まで散々ジェラールに「お姉様への想い」を邪魔されてきたミカエラも、少し寂しそうな顔を浮かべる。

「あなたのことは、最初はひどい人だと思ってたけど、後から『もっとひどい人』が来たおかげで、あなたが実はいい人だということがわかったわ」

 彼女は特に誰のこととも言ってないのだが、自分のことを言われていると自覚しているサンドルミアからの亡命者は「おいおい、ひどいな」と呟きながら苦笑する。

「あなたはお姉様のために力を尽くしてくれた。私は基本的にお姉様以外のことはどうでもいいけど、あなたのことは覚えておいてあげるわ」
「ありがとう、君とのあれこれも、なかなか面白かったよ」

 こうして、ジェラールルクスはユーミルの地から去って行った。それから幾許かの時を経て、ルクスが「身内」を連れて帰ってきた時、エクレールは相当な衝撃を受けることになるのだが、それはまた別の物語である。

4-9、共存への道

 それから数日後、ユーミル男爵と大工房同盟と聖印教会への弁明を終えたエクレールは、建設中の中立都市へと視察に赴くことになる。そこでは、レオンハルトのスパルタ式練兵術で鍛えられた者達による警備の下で、順調に街作りが進行しつつあった。レオンハルトエクレールに工事の進行状況を伝えつつ、最近この地で覚えた新しい言葉について語り始める。

エクレールさんも、脳の筋肉を鍛えましょう。どうやら地球という異世界には『脳トレ』という言葉があるそうで、脳の筋肉を鍛える技術が確立されているそうです。筋肉は全ての基本です」

 何をどう勘違いしているのかよく分からないことを言っているレオンハルトに対して、エクレールもよく分からないままに答える。

「そうだね、私も色々と鈍ってしまっているようだから、訓練してみようかな。正直、邪紋使いという存在には興味があるんだ、これからも色々あるだろうから、付き合わせてもらおう」

 そう言いながら、彼女は虎に跨った状態で、レオンハルトとの「筋肉の訓練」に付き合うことになる。聖印教会に所属する身として、邪紋使いと懇意になることなど、本来は御法度である。だが、先日の戦いにおいて彼やウィンスアニューに助けられた身として、エクレールの中では邪紋使いに対する印象は急上昇していた。確かに、エリゴルやイグナシオのように闇に染まってしまった邪紋使いもいるが、少なくとも教会の上層部が訴えているような「全ての邪紋使いは悪」という認識が明らかに間違いであるということは、彼女は彼等との交流を通じて確信していたようである。

 ******

 一方、時を同じくしてアレスサラもまた、共同統治者としてこの地の視察に訪れていた。建築中の都市計画図を広げながら、アレスサラに提案する。

「私はこの地に『サッカースタジアム』なるものを作ろうともうのだが……」
「そんな予算はない。無理だ」

 サラは「サッカー」なるものがどのような遊戯なのかもよく分かっていないが、少なくとも異界の文明をこの世界に安易に持ち込むこと全般に対して、やや警戒心を強めていた。そんな中、彼女にそんな警戒心を与えた元凶である咲希が、彼女の前に現れる。

サラ様、半年ほどお暇を頂きたいのですが……」

 咲希とその信者達は現在、この中立都市にダンボール教団を根付かせるべく、諸々の建設工事を手伝うという名目で、密かに裏工作を進めていた。サラもその状況を黙認していただけに、ここで彼女がそのようなことを言い出すのは意外だった。

「暇も何も、そもそもお前は私の部下ではないのだが……、その間にどうするつもりだ?」
「サンドルミアに行こうと思います」

 どうやら咲希は、ウィステリアやアストロフィ(およびこの中立都市)に加えて、サンドルミアにまでその影響力を拡大しようとしているらしい(ユーミルへの布教も試みたが、さすがに聖印教会の影響力下で投影体信仰を根付かせるのは難しかったようである)。サラは訝し気な表情を浮かべるが、咲希がサンドルミアに対して内側から文化的侵略を仕掛ける気ならば、それはそれで利用価値があるようにも思えてきた。とはいえ、それは状況次第ではサンドルミアを激怒させて開戦への道を開いてしまうかもしれない、危険な賭けでもある。

「分かった。商人としての免状は出す。だが、布教はするなよ」
「そこはまぁ、相手の反応次第ということで」

 曖昧な言葉でごまかそうとする咲希に対して、机の下から唐突に現れた「もう一人の投影体」がこう告げる。

「では、私が付いて行こう」

 ケンジーである。彼はダリアの監視役をアーベルに譲った上で(その結果として二人で飲みに行く機会を提供した上で)、サラと共にこの地の視察に来ていたのであった。

「えぇ!?」

 突然の提案に、咲希は狼狽する。ダンボールにとって「猫」は天敵なのである(爪研ぎ的な意味で)。

「よろしく頼む」

 サラケンジーに対してそう言うと、咲希も渋々その「お目付役」の同行を了承する。こうして、バルレアの人々に勝利と混乱をもたらした異界の女神は、新たな標的となった大国サンドルミアへと旅立って行く。このアトラタン世界における彼女の神話は、まだ始まったばかりである。

 ******

 そして、彼女と入れ違いにエクレールサラアレスの前に現れたことで、三人は改めてこの中立都市の、そしてバルレアの未来について、それぞれの考えを擦り合わせながら、方針をまとめていく。それぞれの信じるもの、守りたいものを心に抱きながら、互いの価値観を尊重し合うことで共存の道を探る。それは決して容易な道ではないが、それでも諦めずに願い続けることによって、いつかは実現するかもしれない。
 少なくとも、つい先日まで「バルレア三国の連携」など絵空事だと思われてきた。しかし、彼等はそれを実現した。無論、それは彼等三人だけの力ではなく、彼等を信じてついてきた同胞達がいたからこその話である。だからこそ、その想いは三国の(少なくとも前線三地区の)人々に今も共有されている。あの戦いで培った絆を以ってすれば、恒久的なこの地の平和も、いつかは構築出来るのかもしれない。
 そんなほのかな期待を抱きつつ、彼等は未来に向かって歩み続ける。自らの手で、仲間達と共に、平和な世界を築き上げることを誓いながら。

(バルレアの魔城・完)

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最終更新:2017年08月07日 14:37