マウス (戦車)
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性能諸元
| 全長 | 10.09 m |
| 車体長 | 9.03 m |
| 全幅 | 3.67 m |
| 全高 | 3.68 m(3.66 m |
| 重量 | 188 t |
| 懸架方式 | 縦置きトーションバー・ボギー式 |
| 速度 | 20 km/h(整地)13 km/h(不整地) |
| 行動距離 | 190 km(整地時)97 km(不整地時) |
| エンジン | 水冷V型12気筒 MB509 ガソリンエンジン 1080 hp |
| 乗員 | 6名 |
| 主砲 | 55口径 12.8cm KwK44戦車砲(32発) |
| 副武装 | 36.5口径 7.5cm KwK44戦車砲(200発)7.92mmMG34機関銃(1,000発) |
| 装甲 |
| 砲塔前面 | 220~240 mm |
| 側・後面 | 200 mm |
| 砲塔上面 | 60 mm |
| 車体前面 | 200 mm |
| 車体側面 | 180 mm |
| 車体側面下端部 | 100 mm |
| 車体後面 | 150 mm |
| 車体上面前部 | 100 mm |
| 車体上面中後部 | 60 mm |
| 車体底面 | 50 mm |
超重戦車マウス(ちょうじゅうせんしゃ-、Maus、ポルシェ205)は、第二次世界大戦中にドイツで試作された、総重量188 t の超重戦車。マウスとはドイツ語で二十日鼠を意味する。
概要
1941年11月29日の総統官邸における会議で、ヒトラーはフェルディナント・ポルシェ博士に超重戦車開発の可能性について打診した。翌年3月にはクルップ社に72tと100tの重戦車の試作を命じ、ポルシェ社とも100t級戦車の開発契約が結ばれた。ソ連軍の新型戦車出現の可能性を危惧したヒトラーは、主砲も装甲も当時の技術で最高の戦車を作れと、100~120t級を希望した。このうち砲塔に15cm砲と10cm砲を同軸装備するポルシェ社のタイプ205の図面は6月23日にヒトラーに提出され、これはポルシェ博士お得意のガソリンエンジンと電動モーターのハイブリッド(ガス・エレクトリック)式と縦置き型トーションバーサスペンションを備えていた。「モイスヒェン」(仔ネズミちゃん)の愛称の付けられたこのタイプは、1943年1月に製作が承認され、「マウス」の制式名称で採用された。主砲は12.8 cm KwK 44および7.5 cm KwK 44に変更され、最大装甲厚は240 mm、総重量188 t に達した。
ガス・エレクトリックの発電用として、航空機用のダイムラー・ベンツ MB509 水冷V型12気筒ガソリンエンジン(出力1080 hp)を搭載する予定であった。走行装置には48輪の車輪を4輪ずつボギー式に配置。各ボギーに縦置きのトーションバー・スプリングが組み込まれた。
設計はポルシェ博士、部品の生産と組み立てはクルップ社、砲を含む最終組み立てはアルケット社により行われた。クルップ社は1943年5月5日に 135輌の生産を発注されていたが、翌年11月1日に総統から超重戦車全ての量産計画の中止が通達された。同月末の段階で、マウス1・2号車は艤装のためアルケット社に発送、3・4号車の車体完成率はそれぞれ95・70%、5・6号車は溶接作業中と報告されていたが、結局完成していた最初の2輌分の車体と砲塔1基を除き、残りはキャンセルとなった。翌年からテストが行われ、試作1号車が電気式(ガスエレクトリック)ガソリンエンジン、試作2号車がダイムラー・ベンツ MB517 水冷V型12気筒ディーゼルエンジン(出力1200 hp)を搭載していた。
188 t という自重のために橋梁を渡ることは出来ず、川底を渡渉するために車体は完全防水とされ、そのためのシュノーケル装備を車内に収納していた。
戦後
クンマースドルフ試験場(Kummersdorf-Gut)の西地区に放置されていた、鋳鋼製ダミー砲塔を載せた試作1号車は、ほぼ無傷の状態でソ連軍に捕獲された。一方試作2号車は実戦投入のため、クンマースドルフ試験場から14km離れたツォッセン市のシュタンプラーガー広場まで来たところで行動不能となり自爆放棄、大破状態で同じく捕獲された。両方のマウスを捕獲したソ連軍は1号車の車体に、原型を留めていた2号車の砲塔を組み合わせ走行可能なマウスを製作し、1946年4月末もしくは5月上旬にソ連へ運搬した。モスクワに到着したマウスは、本格的な試験に供され、現在はロシアのクビンカ軍事博物館で展示されている。
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