第577話:たった一度の冴えたやり方 作:◆5KqBC89beU
○<インターセプタ>・6
ありとあらゆる存在は、幾重にも重なり合っている可能性の塊だ。
箱の中の確率的な猫は“生きている猫”であると同時に“死んでいる猫”でもある。
箱を開けて中身を確かめるわたしもまた“生きている猫を見るわたし”であると同時に
“死んでいる猫を見るわたし”でもある。
無論、ありとあらゆる可能性を前に、わたしはたった一つの現実しか見出せない。
猫の死亡が観測された時点で観測者の前から“猫が生きている可能性”は消失する。
猫の生存が観測された時点で観測者の前から“猫が死んでいる可能性”は消失する。
二つの可能性は同時に在るが、一つの世界に二つの現実は共存できない。
現実が一つに収斂された時点で、それ以外の可能性は幻想と化す。
故に、“今ここにいるわたし”も“わたしが見る現実”も“この世界”に一つだけ。
どのような可能性がわたしの眼前に残ったとしても、おかしなことなど何もない。
猫が死なねばならない必然性も、猫が生きねばならない必然性も、そこにはない。
わけが判らない何かのせいで猫の生死は決まる。
そして、猫を見るわたしは、不明瞭で曖昧な何かに左右され続けている。
わたしはそれが悔しくて、だから時間を遡り、世界に再び目を向ける。
猫の死を覆したいなら、生きている猫のいる現実を観測せねばならない。
是が非でも、世界の上に新たな現実を上書きせねばならない。
上書きされる以前の現実が、虚ろな幻想に成り果てて断ち切られても。
自分勝手な介入者として、何の罪もない人々に迷惑をかけてでも。
文字通りの意味で、蝶の羽ばたきが嵐を起こす可能性すら、この島にはある。
どれほど些細で微小な相違点だろうが“無視しても構わないもの”ではない。
ほんのわずかにでも差異があるのなら、それは再現ではなく改変だ。
世界の上に現実が上書きされれば、かつて在ったすべては色あせ、台無しになる。
連続性の途絶を滅びだと定義するなら、それは確かにある種の終焉だ。
その気になれば“かつての現実”をどれでも復元することはできる。だが、実行する
場合には“そのときそこにある現実”を犠牲にする必要がある。後退は不可能であり、
ただ逆方向へも前進できるというだけのことだ。贄となる現実の数は減らない。
可能性は多重に在るが、“この世界の現実”は一つしかありえない。
当然、“別の世界”には“この世界”とは違う現実がある。しかし、そこでも幾多の
可能性が現実になれず幻想と化している。可能性の数は、世界の数を遥かに上回る。
この前提が当てはまらない場所を、わたしは見たことも聞いたこともない。
所詮、“今ここにいるわたし”も、星の数より多くある可能性の一つでしかないが。
箱の中の確率的な猫は“生きている猫”であると同時に“死んでいる猫”でもある。
箱を開けて中身を確かめるわたしもまた“生きている猫を見るわたし”であると同時に
“死んでいる猫を見るわたし”でもある。
無論、ありとあらゆる可能性を前に、わたしはたった一つの現実しか見出せない。
猫の死亡が観測された時点で観測者の前から“猫が生きている可能性”は消失する。
猫の生存が観測された時点で観測者の前から“猫が死んでいる可能性”は消失する。
二つの可能性は同時に在るが、一つの世界に二つの現実は共存できない。
現実が一つに収斂された時点で、それ以外の可能性は幻想と化す。
故に、“今ここにいるわたし”も“わたしが見る現実”も“この世界”に一つだけ。
どのような可能性がわたしの眼前に残ったとしても、おかしなことなど何もない。
猫が死なねばならない必然性も、猫が生きねばならない必然性も、そこにはない。
わけが判らない何かのせいで猫の生死は決まる。
そして、猫を見るわたしは、不明瞭で曖昧な何かに左右され続けている。
わたしはそれが悔しくて、だから時間を遡り、世界に再び目を向ける。
猫の死を覆したいなら、生きている猫のいる現実を観測せねばならない。
是が非でも、世界の上に新たな現実を上書きせねばならない。
上書きされる以前の現実が、虚ろな幻想に成り果てて断ち切られても。
自分勝手な介入者として、何の罪もない人々に迷惑をかけてでも。
文字通りの意味で、蝶の羽ばたきが嵐を起こす可能性すら、この島にはある。
どれほど些細で微小な相違点だろうが“無視しても構わないもの”ではない。
ほんのわずかにでも差異があるのなら、それは再現ではなく改変だ。
世界の上に現実が上書きされれば、かつて在ったすべては色あせ、台無しになる。
連続性の途絶を滅びだと定義するなら、それは確かにある種の終焉だ。
その気になれば“かつての現実”をどれでも復元することはできる。だが、実行する
場合には“そのときそこにある現実”を犠牲にする必要がある。後退は不可能であり、
ただ逆方向へも前進できるというだけのことだ。贄となる現実の数は減らない。
可能性は多重に在るが、“この世界の現実”は一つしかありえない。
当然、“別の世界”には“この世界”とは違う現実がある。しかし、そこでも幾多の
可能性が現実になれず幻想と化している。可能性の数は、世界の数を遥かに上回る。
この前提が当てはまらない場所を、わたしは見たことも聞いたこともない。
所詮、“今ここにいるわたし”も、星の数より多くある可能性の一つでしかないが。
今ここにいる自分が本当に自分であるか否かについて、少しだけ彼は語ってくれた。
ただの人間であった坂井悠二は既に亡く、ここにいるのはその模造品だ、と。
自分もまた坂井悠二ではあるが、故人・坂井悠二とは明確に異なる、と。
今の自分には、本来の坂井悠二が知りえなかった記憶や感情がある、と。
もしも仮に、この肉体が故人・坂井悠二と同じ物だったとしても、心は異なる、と。
同種であり同属であり同類ではあっても同一ではない、と。
価値観や常識が激変するほどの経験をした彼には、そう言えるだけの資格があった。
坂井悠二は、わたしが何者であるかについても大雑把には知っていた。
魔界医師メフィストの手術を受けた際、わたしが何をしているのか垣間見たらしい。
困ったような顔をしながら、君を許すことはできない、と彼は言った。
現実が上書きされるたび、同じ数だけの現実がそこに生きた皆と共に失われた、と。
認めよう。彼には、わたしを糾弾する権利がある。
もはや“最初の現実”と“当時の現実”は別物だと表現しても過言ではなかった。
わたしは彼らに酷いことをしてきたし、これから先も酷いことをするつもりだ。
蝶と戯れ、しかし個々の蝶を一匹一匹それぞれ識別しないまま微笑む幼子のように、
わたしもまた『宮野秀策』や『光明寺茉衣子』という種類の生物が絶滅さえしなければ
億千万の『宮野秀策』や『光明寺茉衣子』が犠牲になることをすら容認できる。
BがAに近似しているなら、Aが在った場所にBを代入し、それを是としてみせる。
救われる二人が、地獄の苦しみを味わって死んだ彼や彼女とは別の二人だとしても、
わたしはそれを幸福な結末だと言い切ってみせる。
本物の宮野秀策や光明寺茉衣子とは無関係な、複製に過ぎない二人だろうと、本物が
無事であるという証拠がない以上は守らねばならない。
あの二人を救うために必要なら、他の参加者全員を破滅させようが、後悔はしない。
目的のために手段を選ぶつもりは、もうなかった。
坂井悠二を犠牲にし、零時迷子を利用し、彼が守ろうとした仲間を死なせてでも、
理不尽にすべてを奪い取ってでも、あの二人を助けるつもりだった。
だが、そんなわたしに彼は言った。
君を許すことはできない……それなのに、心の底から憎むこともできない、と。
うつむいた表情には、喜怒哀楽が複雑に混在していた。
君を否定したら、“今ここにいる自分”や“今ここにいる皆”まで否定することに
なってしまう、と彼は言った。
“今ここにある現実”は、君の干渉がなければありえなかった、と。
辛く悲しく苦しいけれど、存在しなかった方がマシだったとは思わない、と。
恨んでいないと言えば嘘になるけれど、それでも殺したいとは思わない、と。
その意思を愚かだと嘲る権利は、わたしにはない。
顔を上げて、坂井悠二はぎこちなく笑った。
こうして姿を現したのは、自己満足だとしても会って話したかったからだろう、と。
今こうやって話しているという現実は後で上書きされ、“今ここにいる坂井悠二”も
君に消されるのだろうけれど、だからこそ、せめて約束してほしい、と。
踏みにじったものに見合うだけの素晴らしいものを絶対に掴み取ってみせるから、
数え切れぬほどの犠牲はすべて無駄にしない――そう約束してほしい、と。
わたしは頷き、約束の対価として、彼の手から水晶の剣を譲り受けた。
……“あの現実”も、“あの坂井悠二”も、今はもう記憶の中にしか存在しない。
ただの人間であった坂井悠二は既に亡く、ここにいるのはその模造品だ、と。
自分もまた坂井悠二ではあるが、故人・坂井悠二とは明確に異なる、と。
今の自分には、本来の坂井悠二が知りえなかった記憶や感情がある、と。
もしも仮に、この肉体が故人・坂井悠二と同じ物だったとしても、心は異なる、と。
同種であり同属であり同類ではあっても同一ではない、と。
価値観や常識が激変するほどの経験をした彼には、そう言えるだけの資格があった。
坂井悠二は、わたしが何者であるかについても大雑把には知っていた。
魔界医師メフィストの手術を受けた際、わたしが何をしているのか垣間見たらしい。
困ったような顔をしながら、君を許すことはできない、と彼は言った。
現実が上書きされるたび、同じ数だけの現実がそこに生きた皆と共に失われた、と。
認めよう。彼には、わたしを糾弾する権利がある。
もはや“最初の現実”と“当時の現実”は別物だと表現しても過言ではなかった。
わたしは彼らに酷いことをしてきたし、これから先も酷いことをするつもりだ。
蝶と戯れ、しかし個々の蝶を一匹一匹それぞれ識別しないまま微笑む幼子のように、
わたしもまた『宮野秀策』や『光明寺茉衣子』という種類の生物が絶滅さえしなければ
億千万の『宮野秀策』や『光明寺茉衣子』が犠牲になることをすら容認できる。
BがAに近似しているなら、Aが在った場所にBを代入し、それを是としてみせる。
救われる二人が、地獄の苦しみを味わって死んだ彼や彼女とは別の二人だとしても、
わたしはそれを幸福な結末だと言い切ってみせる。
本物の宮野秀策や光明寺茉衣子とは無関係な、複製に過ぎない二人だろうと、本物が
無事であるという証拠がない以上は守らねばならない。
あの二人を救うために必要なら、他の参加者全員を破滅させようが、後悔はしない。
目的のために手段を選ぶつもりは、もうなかった。
坂井悠二を犠牲にし、零時迷子を利用し、彼が守ろうとした仲間を死なせてでも、
理不尽にすべてを奪い取ってでも、あの二人を助けるつもりだった。
だが、そんなわたしに彼は言った。
君を許すことはできない……それなのに、心の底から憎むこともできない、と。
うつむいた表情には、喜怒哀楽が複雑に混在していた。
君を否定したら、“今ここにいる自分”や“今ここにいる皆”まで否定することに
なってしまう、と彼は言った。
“今ここにある現実”は、君の干渉がなければありえなかった、と。
辛く悲しく苦しいけれど、存在しなかった方がマシだったとは思わない、と。
恨んでいないと言えば嘘になるけれど、それでも殺したいとは思わない、と。
その意思を愚かだと嘲る権利は、わたしにはない。
顔を上げて、坂井悠二はぎこちなく笑った。
こうして姿を現したのは、自己満足だとしても会って話したかったからだろう、と。
今こうやって話しているという現実は後で上書きされ、“今ここにいる坂井悠二”も
君に消されるのだろうけれど、だからこそ、せめて約束してほしい、と。
踏みにじったものに見合うだけの素晴らしいものを絶対に掴み取ってみせるから、
数え切れぬほどの犠牲はすべて無駄にしない――そう約束してほしい、と。
わたしは頷き、約束の対価として、彼の手から水晶の剣を譲り受けた。
……“あの現実”も、“あの坂井悠二”も、今はもう記憶の中にしか存在しない。
数多の現実を渡り歩き様々な光景を覗き見たわたしは、この剣のことも知っている。
邪を斬り裂く、人ならぬものが創った剣。魔女の血入りの水で洗われ、本来の目的を
――己の“物語”を少しだけ取り戻しかけている、勇者の武器。
主催者に致命傷を与えられるかもしれない可能性を秘めた、七色に輝く刃。
こんな物が支給品として都合良く会場内にある理由を、わたしは苦々しく想像する。
勝利に届きそうで届かない程度の希望を与えて、最終的に絶望する瞬間を最大限に
盛り上げようとしているのかもしれない。
あるいは、主催者すらも第三者の――“他者の破滅を満喫したい”という願望を抱く
強大な何者かの、掌中に捕らわれた獲物に過ぎないのかもしれない。
どんな経緯があるにせよ、おそらくは、あまり喜ばしいことではない。
主催者の殲滅さえ成功すれば、後はどうにかできるかもしれない。
この世界と関わる異世界の幾つかには、死者の蘇生やそれに近い技術があるらしい。
主催者を排除できれば、犠牲者全員を復活させることすらも夢ではなくなるだろう。
宮野秀策を見殺しにした場合でさえも光明寺茉衣子を救うことはできなかった。もう
他に手はない。彼と彼女の死が避けられないなら、死なせた後で生き返らせるまでだ。
有望そうな参加者が主催者の前に立ったとき、わたしは水晶の剣を託そう。
無論、敗色が濃い参加者に対しては、何の助力もしない。
残念ながら、勝機は一度しかないのだから。
いかに主催者が悪趣味だとしても、自分に直接害を及ぼした相手を野放しにするほど
慈悲深くはないだろう。もしも失敗したときは、きっとわたしは殺される。
万が一、わたしが放置されたとしても、水晶の剣はわたしの手元に残るまい。
剣を託した参加者が主催者に負けた場合、その結末を改変することは不可能に近い。
やり直しはきかない。最初で最後の一回がその後のすべてを決定する。
おかしなものだ。時間移動能力を得る前までは当然だった、こんなにもありふれた
前提条件が、こんなにも恐ろしくてたまらないとは。
この身の震えは、決戦のときまで止まりそうにない。
邪を斬り裂く、人ならぬものが創った剣。魔女の血入りの水で洗われ、本来の目的を
――己の“物語”を少しだけ取り戻しかけている、勇者の武器。
主催者に致命傷を与えられるかもしれない可能性を秘めた、七色に輝く刃。
こんな物が支給品として都合良く会場内にある理由を、わたしは苦々しく想像する。
勝利に届きそうで届かない程度の希望を与えて、最終的に絶望する瞬間を最大限に
盛り上げようとしているのかもしれない。
あるいは、主催者すらも第三者の――“他者の破滅を満喫したい”という願望を抱く
強大な何者かの、掌中に捕らわれた獲物に過ぎないのかもしれない。
どんな経緯があるにせよ、おそらくは、あまり喜ばしいことではない。
主催者の殲滅さえ成功すれば、後はどうにかできるかもしれない。
この世界と関わる異世界の幾つかには、死者の蘇生やそれに近い技術があるらしい。
主催者を排除できれば、犠牲者全員を復活させることすらも夢ではなくなるだろう。
宮野秀策を見殺しにした場合でさえも光明寺茉衣子を救うことはできなかった。もう
他に手はない。彼と彼女の死が避けられないなら、死なせた後で生き返らせるまでだ。
有望そうな参加者が主催者の前に立ったとき、わたしは水晶の剣を託そう。
無論、敗色が濃い参加者に対しては、何の助力もしない。
残念ながら、勝機は一度しかないのだから。
いかに主催者が悪趣味だとしても、自分に直接害を及ぼした相手を野放しにするほど
慈悲深くはないだろう。もしも失敗したときは、きっとわたしは殺される。
万が一、わたしが放置されたとしても、水晶の剣はわたしの手元に残るまい。
剣を託した参加者が主催者に負けた場合、その結末を改変することは不可能に近い。
やり直しはきかない。最初で最後の一回がその後のすべてを決定する。
おかしなものだ。時間移動能力を得る前までは当然だった、こんなにもありふれた
前提条件が、こんなにも恐ろしくてたまらないとは。
この身の震えは、決戦のときまで止まりそうにない。
【X-?/時空の狭間/?日目・??:??】
※水晶の剣は、生前の坂井悠二から<インターセプタ>が譲り受けました。
※水晶の剣は、生前の坂井悠二から<インターセプタ>が譲り受けました。
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