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さっぽろ自由学校「遊」ニュースレター07年9月号
“報告「イルコモンズ・リブート・キャンプ」”




☆印 参加者・談
★印 企画者・談

☆「イルコモンズ」の一連のイベントに参加して、見せ方しだいでメッセージに耳をかけむける人が増えるんだなあと思いました。例えばゴミ拾い(ここでは、環境や世の中について話し合ったり、行動したりする事全般を表しています)なんかに興味のない人にでも、伝え方を変えれば、それが「かっこいい」ことに見えて、やりだす人が増えるかもしれない。7月の「イルコモンズ・サミット」に参加したとき、DJプレイやライブ演奏があって、「これなら友達も誘ってこれる!」と思いました。

★どんな活動にしても、見せ方の工夫することは重要ですよね。その次にくるのが、センスの問題ですね。見せ方でいえば、2000年代になって、デモをピースウォークと呼んだり、デモ行進の中で行うことが変わってきたそうで(わたしはデモに興味を持ち始めたのがこの1~2年のことなので後から聞いたことです)、ポスターなどを見ていると、ほんわかというか、かわいい、みんなで手を取り合って...みたいなビジュアルで、楽しんで主張しよう、っていう呼びかけで、それまでデモに参加しそうになかった人も集まるようになったとのことですが、それに対して、小田さんがつくるビジュアルや、例えば、反戦の表現は心地よくない感じだったりして、わたしはそういう表現がものすごく好みです。センスの問題、とは言ったけれど、デザインや表現は考え方を反映するものだと思う。




☆前回、今回と、主にグローバリゼーションに対する抗議行動、デモのいろいろ、を見て、デモに対する見方が少し変わりました。行進だけじゃなくていろいろな表現があって、実際に会議を中止させる力もあって、みんなで楽しんでやっているようなものもあって。デモ行為が少し身近に感じられましたが、でもやはり、私は過激な物はダメですね。ブラック・ブロックのように物を破壊しよう! と言われたら、あっさり引っ込んでしまうと思います。

★あの人たちは、自分たちが怒っているということを言葉を超えて行動で表現しているのだ、と聞きました。抗議行動に集まった人たちの中には、異言語の人たちや、教育を受けていなくて言葉が選べない人や、知識が足りないという人がいる。では言葉を使えないと何も抗議できないのか? いや、一番原始的な「怒る」という表現ができる。言葉ではなくて身振りで抗議の意志を表現する手段もある、ということを知って力を得た気がします。

☆直接行動の形態が、ブラック・ブロックしかなかったら、私は参加するところが無くて、何も言わない一人、になりますね。でも今、海外のデモは表現の裾野が広がっているから、いろんな人が参加できそうですね。

★音楽を演奏して歩くシルバー・ブロックや、巨大人形を使うパペット・ブロック、他にもピンク・ブロックやクィア・ブロック、さまざまな表現手法をとる「ゾーン」があって、どれもこれも「組織」ではないので、参加したいところに個人が自由に参加できるそうです。いずれにしても「非暴力」が原則で、イルコモンズもガンジーの映像を使って、非暴力を説いていました。つっぱった派手な行為をしなくても、「今のままじゃいけない」「おかしい」と思っている、わたしたちみたいな割と一般の人が周りにどんどん広がって、好みのスタイルでデモをして、権力者が決めた世界じゃない、金第一の世界じゃない自分たちが作る「もう一つの世界」のあり方を、行動しながら探していければいいですよね。儲けることを優先してきたせいで、本当にひどいことが起こってきましたよね。公害、戦争、労働搾取。





★周りの人たちは、テレビや広告を見て、あれほしい、これほしい、ディズニーランド行きたい、安くブランド買いに香港行きたい、物価の安い海外に旅行して贅沢したい、こういう欲望に、特に疑問を感じずにいるように見えます。企業側も消費を増やすためには惜しまず力を注ぐから、広告手法もどんどんかっこよく洗練されていって、生活スタイルも価値観も広告によって規定されていく。でも、最近では、センスのよい人たちが、消費じゃない事に動き出して、どんどん格好いいものを作っているから、反消費もどんどん盛り上がってゆくと思う!

☆わたしは、競うように新製品を購入する流れとは違う家庭に育って、いまの自分もローテクでアナログな生活をしてる。でも私、セレブになりたかったんですよね。わらい。職人仕事に憧れていて、その技術と人生の時間と考えと材料を使って作り出したものを手にしたい、実際に使いたいと思っていました。大量に作られて、飽きたら捨ててしまうことを前提としている物じゃなくて。そういう職人や、芸術家仕事にお金をかけたら、その人はもっと技術をあげて素晴らしいものを作るに違いない。あれ? でもやっぱり、お金がないとダメなのか。職人を支援するにはやっぱりお金が第一に大事なのか? お金ってなんだろう。お金自体が問題じゃなくて、お金におく価値、お金の使い方、が問題なのかな。

★継続してほしいと思えるような、生産をしている人、小売店をしている人、運動をしている人のためにお金を使うのがいいと思う。(ここで「運動」という言葉が出てくることが尋常じゃないが。)

☆私、今回面白かった映像は、バキュームクリーナーという人たちの、「商品に祈りを」でした。あれがほしい、これがほしい、って、私もとりつかれているから、まさに! と思ったのと、ショッピングは宗教で商品は神だ、とは、ちょっとした見方の違いなのに凄く皮肉で面白い事をしているな、と思った。

★企業や広告や既成システムのスタイルを逆手にとって、批評的表現をするのが「カルチャージャミング」で、今回「アドバスターズ」その他の映像をいくつも見せてもらいました。どれも笑えますよね。あはは、と笑ったり、そうきたかとニヤリとしたり。





★あの晩、一番わたしの印象に残っている映像は、「やむなきことなきもの」です。繰り返される核爆発の映像と轟音に、久間元防衛相の「しょうがない」発言と昭和天皇の「やむをえない」発言の音声を重ねたものでした。

☆あの映像は、爆発によって立ち上った海水やうまれた雲が、ものすごい勢いで形を変えて、信じられないくらいで、でも現実におこったことで、想像つかないくらい巨大で、そしてもう止めてほしい、と願うほど何度も繰り返される爆発に、ものすごい恐怖を感じました。

★イルコモンズは「しょうがない」発言を受けて憤慨し、すぐさまあのような映像をこしらえました。途方もない恐ろしさや憤りや悲しみを感じさせる映像です。私自身、人としての本来もっているはずの感情を忘れて、主義主張の形式に沿って久間発言を批判していただけかもしれないと、気がつきました。イルコモンズは、怒りも悲しみも喜びも楽しみも、人が当たり前に持っているはずのまっさらで根源的な感覚を芯にすえた上で、社会と対峙し表現する、ということを一貫して追っているように思います。

☆普段の暮らしの中では、表現って、楽しみのためのもの、としか思っていなかったけど、それだけじゃなく怒りや悲しみ、伝えたい事のために表現があるんだと、今回参加して学びました。







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