――溜息が、勝手に漏れる。
自分以外誰も居ない部屋。家具は必要最低限しかなく、どちらかといえば殺風景と形容されておかしくない部屋――それが治安警察最大の激務部署、保安部に勤めるエルスティン=ライヒの部屋である。
その部屋の真ん中で、ベッド代わりに使っているソファにもたれつつ、エルスティンは手にした手紙を何度も読み直す。そこには(当たり前だが)先程見た時と全く同じ言葉の羅列があった。
自分以外誰も居ない部屋。家具は必要最低限しかなく、どちらかといえば殺風景と形容されておかしくない部屋――それが治安警察最大の激務部署、保安部に勤めるエルスティン=ライヒの部屋である。
その部屋の真ん中で、ベッド代わりに使っているソファにもたれつつ、エルスティンは手にした手紙を何度も読み直す。そこには(当たり前だが)先程見た時と全く同じ言葉の羅列があった。
――叔父様のところで、幸せに過ごしていると良く聞かされている。考えてみれば私達は、お前の“幸せ”というものをあまり考えてやれない駄目な両親だった。
けれど、お前の幸せを願う気持ちは私達だって持ち合わせている。……もし良ければ今度、お前の“幸せそうに笑っている顔”を写真に収めて送って欲しい。任務で忙しい、というのは重々承知の上だが、たまには私達の事も思い起こして欲しいと……。
けれど、お前の幸せを願う気持ちは私達だって持ち合わせている。……もし良ければ今度、お前の“幸せそうに笑っている顔”を写真に収めて送って欲しい。任務で忙しい、というのは重々承知の上だが、たまには私達の事も思い起こして欲しいと……。
(…………)
何と言えば、良いのだろう。何と思えば、良いのだろう。
エルスティンとしては正直、この親の口上に引っ掛かる物言いがあると思える。それが何なのか良く解らないから、先程からこの手紙という名の“親からの司令文書”を何度と無く読み返しているのだが……。
(お父様とお母様は、私の“時事記録写真”が欲しい……と、言う事で間違いは無いようですね。……けれど、何故“笑顔”?)
それは、エルスティンにしてみれば深淵である。エルスティンにとって“笑顔”とは儀礼・祭事・式典などの際に相手側に不快な思いをさせない為にしうる作業であり、それは過度になって良いものではないという認識であったからだ。
(やはり不可解な命令文書……私には判断が付かない。叔父さまにお伺いを立てた方が良いわね)
不可解な命令に際しては、上官に報告し指示を仰ぐのが下士官の勤め――そう判断したエルスティンは取り敢えずその手紙を決済が必要な文書束に放り込んだ。仮にも両親からの“司令文書”、全力で事に当たるべきだ――それはエルスティンなりの思いやりなのだが、それがズレているという事に当人は全く気が付かなかった。
何と言えば、良いのだろう。何と思えば、良いのだろう。
エルスティンとしては正直、この親の口上に引っ掛かる物言いがあると思える。それが何なのか良く解らないから、先程からこの手紙という名の“親からの司令文書”を何度と無く読み返しているのだが……。
(お父様とお母様は、私の“時事記録写真”が欲しい……と、言う事で間違いは無いようですね。……けれど、何故“笑顔”?)
それは、エルスティンにしてみれば深淵である。エルスティンにとって“笑顔”とは儀礼・祭事・式典などの際に相手側に不快な思いをさせない為にしうる作業であり、それは過度になって良いものではないという認識であったからだ。
(やはり不可解な命令文書……私には判断が付かない。叔父さまにお伺いを立てた方が良いわね)
不可解な命令に際しては、上官に報告し指示を仰ぐのが下士官の勤め――そう判断したエルスティンは取り敢えずその手紙を決済が必要な文書束に放り込んだ。仮にも両親からの“司令文書”、全力で事に当たるべきだ――それはエルスティンなりの思いやりなのだが、それがズレているという事に当人は全く気が付かなかった。
治安警察省治安維持局保安部に勤務するオスカー=サザーランドは己の職務を“天職”と言って憚らない。それは、様々な人間を観察する事自体が仕事という、オスカーの人生テーマにこれ以上なくマッチした職種であるという事にも起因するが、もう一つオスカーには見逃せないポイントが存在する。それは、“退屈しない”という事であった。
……とはいえ、その日の朝の“退屈しなさ”具合はおそらくその年度屈指のものであったに違いない。実際問題、朝からオスカーは――極めて珍しい事だが――振り回されっぱなしという事態に陥った。
正午の休憩時間、オスカーは治安警察省の長い廊下を足早に歩く。通りすがりの女性士官達にいつもの調子で軽やかに挨拶するのだが――相手もちゃんと挨拶をしてくれるのだが――どうしてもその後、彼女達のヒソヒソ話が耳に付いてしまう。
(サザーランド様、あの噂は本当なのかしら?)
(朝礼の席で、ですって。……大胆よねぇ)
(あの才知溢れる方がねぇ。余程思い詰めての事じゃないのかしら。……でもちょっと良くない? 上手くいけば凄い絵になるわよ!?)
……話の一割程度しか聞こえないが、内容など手に取るように推論出来る。今日は朝からずっとその話で職場が持ちきりであった事は間違い無いのだ。……もはや何を言われているのか、嫌でも解りそうなものだ。
オスカーは忙しげに足を動かし、そして遂に目的地に到着する。治安警察省のトップに君臨する男――ゲルハルト=ライヒの執務室。その部屋に“こんな用事”で押しかけるのはさすがのオスカーも気が引ける思いがある――が、この事態を唯一理解出来そうなのがこの部屋の住人以外無い、というのも結論であった。
意を決し、オスカーはライヒの執務室をノックする。その脳裏には、今朝の朝礼での“爆弾を落としたかの様な騒ぎ”がまざまざと蘇っていた。
仲間内でも“任務最優先の氷の女”と言われ、色恋沙汰とは紛れもなく無縁であった存在――エルスティン=ライヒが、オスカーに向けてこう言い放ったのだ。
……とはいえ、その日の朝の“退屈しなさ”具合はおそらくその年度屈指のものであったに違いない。実際問題、朝からオスカーは――極めて珍しい事だが――振り回されっぱなしという事態に陥った。
正午の休憩時間、オスカーは治安警察省の長い廊下を足早に歩く。通りすがりの女性士官達にいつもの調子で軽やかに挨拶するのだが――相手もちゃんと挨拶をしてくれるのだが――どうしてもその後、彼女達のヒソヒソ話が耳に付いてしまう。
(サザーランド様、あの噂は本当なのかしら?)
(朝礼の席で、ですって。……大胆よねぇ)
(あの才知溢れる方がねぇ。余程思い詰めての事じゃないのかしら。……でもちょっと良くない? 上手くいけば凄い絵になるわよ!?)
……話の一割程度しか聞こえないが、内容など手に取るように推論出来る。今日は朝からずっとその話で職場が持ちきりであった事は間違い無いのだ。……もはや何を言われているのか、嫌でも解りそうなものだ。
オスカーは忙しげに足を動かし、そして遂に目的地に到着する。治安警察省のトップに君臨する男――ゲルハルト=ライヒの執務室。その部屋に“こんな用事”で押しかけるのはさすがのオスカーも気が引ける思いがある――が、この事態を唯一理解出来そうなのがこの部屋の住人以外無い、というのも結論であった。
意を決し、オスカーはライヒの執務室をノックする。その脳裏には、今朝の朝礼での“爆弾を落としたかの様な騒ぎ”がまざまざと蘇っていた。
仲間内でも“任務最優先の氷の女”と言われ、色恋沙汰とは紛れもなく無縁であった存在――エルスティン=ライヒが、オスカーに向けてこう言い放ったのだ。
<――今週末、オスカーは確かオフでしたね? なら、私とデートして下さい>
その瞬間、歴戦錬磨で名高い治安警察省治安部の面々はしかし、事態にどう対処したら良いか解らない烏合の集団と化した……。
「……どういう事なのか説明して頂けると嬉しいのですが」
何時も通り、余裕を含んだ声でオスカー。しかし、自分でも動揺があると解る――オスカーとて、この事態が想像出来なかった深淵であった事に間違い無いからだ。
「どう、と言われても困るが……若者同士の事は若者同士で解決するのが筋だろう」
普段通り顰めっ面を崩しもせず、ライヒ。とはいえ何処かほくそ笑まれているようにオスカーには感じられる。
(関係ない訳、無いだろう! アンタがアイツの行動を把握していない訳が無いんだからな!)
エルスティン=ライヒがゲルハルト=ライヒの寵児である――その事実は治安警察に在席する者なら誰でも知る事実だ。その事をしかしおくびにも出さず、ライヒは言う。
「“百戦錬磨のサザーランド閣下”……確か私はそう認識していたがな?」
「……幾ら僕でも公私混同はしませんよ、“叔父さま”」
敢えてエルスティンが使う“叔父さま”と言うオスカー。こうなると『たとえ相手がゲルハルト=ライヒでもかまうものか』と思えるのがオスカーの強さである。
そんなオスカーの様子に、ライヒは眉根一つ動かさない。しかし、一瞬だけ苦笑するとデスクから手紙を取り出した。今朝方一番でエルスティンが持ってきたものだった。それをオスカーに渡すと、ライヒはこう言った。
「たまには同僚の“任務”に付き合うのも悪い話では無かろう。……どうだ?」
この時点で、オスカーに事態に抗う手段は無い――それは“命令”の間違いじゃないのか、とオスカーは言いたかった。……もはや、言う段階を失した事を理解しながら。
何時も通り、余裕を含んだ声でオスカー。しかし、自分でも動揺があると解る――オスカーとて、この事態が想像出来なかった深淵であった事に間違い無いからだ。
「どう、と言われても困るが……若者同士の事は若者同士で解決するのが筋だろう」
普段通り顰めっ面を崩しもせず、ライヒ。とはいえ何処かほくそ笑まれているようにオスカーには感じられる。
(関係ない訳、無いだろう! アンタがアイツの行動を把握していない訳が無いんだからな!)
エルスティン=ライヒがゲルハルト=ライヒの寵児である――その事実は治安警察に在席する者なら誰でも知る事実だ。その事をしかしおくびにも出さず、ライヒは言う。
「“百戦錬磨のサザーランド閣下”……確か私はそう認識していたがな?」
「……幾ら僕でも公私混同はしませんよ、“叔父さま”」
敢えてエルスティンが使う“叔父さま”と言うオスカー。こうなると『たとえ相手がゲルハルト=ライヒでもかまうものか』と思えるのがオスカーの強さである。
そんなオスカーの様子に、ライヒは眉根一つ動かさない。しかし、一瞬だけ苦笑するとデスクから手紙を取り出した。今朝方一番でエルスティンが持ってきたものだった。それをオスカーに渡すと、ライヒはこう言った。
「たまには同僚の“任務”に付き合うのも悪い話では無かろう。……どうだ?」
この時点で、オスカーに事態に抗う手段は無い――それは“命令”の間違いじゃないのか、とオスカーは言いたかった。……もはや、言う段階を失した事を理解しながら。
自他共に認める才能、というものは確かにある。そしてそれは、決して有利な方向のみに働くものでは無い。そのような事を眼前で証明されてしまえば、如何に“猟犬”ドーベルマンといえど言いなりになるしかない。
「……おそらく、閣下はここで操作を間違われてしまったから書類全体の構成が変更されてしまったのですね。今後はシステム面でそのような操作を受け付けないように設定しておきます。日常の業務に於いては問題は無いはずですが……宜しいですか?」
まるでピアノを引くかのように軽やかに、そして流れるようにキーボードを操作するメイリン=ザラに、各地で悪鬼のように恐れられ、罵られるドーベルマンも頭を垂れるより他無い。
「いや、助かる。どうも俺はデスクワークは苦手でな……。モビルスーツの操縦であれば勝手に体が動くんだが……」
我ながら言い訳だな、とドーベルマン。そんな様子にくすっと笑って、メイリン。
「この程度の事なら、何時でも申し付けて下さい。閣下が現場で行われる事は、私などには不可能な事――閣下の仕事の支えになる事は、寧ろ誉れですわ」
メイリン=ザラは最近新規で入った職員だ。かのライヒ閣下直々の抜擢と聞いていたが、なかなかどうしてこれからの時代に必要な人材だと実感出来る。
(……戦争屋だけじゃ、“平和な時代”の仕事は回らん。新しい時代の人材が必要な時期に入った、っていうことか……)
ゲルハルト=ライヒの思考というものは、ドーベルマンには手に取るように解る。それだけ同じ世界、同じ視界を共にしたという自負がそれを後押ししていた。
何となく物思いに耽る――しかしそれも一瞬の事で、
「当面の作業は完了しました。不明な点があればご連絡頂ければ……閣下?」
メイリンの怪訝な声。慌ててドーベルマンは思惟を引き戻した。
「あ、ああ……助かった。頼りにさせて貰うよ」
「では、失礼します」
立ち振る舞いも颯爽と、メイリン。才媛とはああいう女性を言うのだな、と無骨者のドーベルマンでも思う。……何となく浮き立つものを感じ、軽く首を振る。
「ガラじゃないな……」
呟くと手慣れた仕草で葉巻を取り出すと次の瞬間にはカチン、とジッポーを閉じる音がして白煙が眼前に広がる。どんな時でも落ち着く、ドーベルマンにとっての魔法だ。
こうした瞬間が作れる――だからこそ、煙草は止められない。ドーベルマンはそう思った。
「……おそらく、閣下はここで操作を間違われてしまったから書類全体の構成が変更されてしまったのですね。今後はシステム面でそのような操作を受け付けないように設定しておきます。日常の業務に於いては問題は無いはずですが……宜しいですか?」
まるでピアノを引くかのように軽やかに、そして流れるようにキーボードを操作するメイリン=ザラに、各地で悪鬼のように恐れられ、罵られるドーベルマンも頭を垂れるより他無い。
「いや、助かる。どうも俺はデスクワークは苦手でな……。モビルスーツの操縦であれば勝手に体が動くんだが……」
我ながら言い訳だな、とドーベルマン。そんな様子にくすっと笑って、メイリン。
「この程度の事なら、何時でも申し付けて下さい。閣下が現場で行われる事は、私などには不可能な事――閣下の仕事の支えになる事は、寧ろ誉れですわ」
メイリン=ザラは最近新規で入った職員だ。かのライヒ閣下直々の抜擢と聞いていたが、なかなかどうしてこれからの時代に必要な人材だと実感出来る。
(……戦争屋だけじゃ、“平和な時代”の仕事は回らん。新しい時代の人材が必要な時期に入った、っていうことか……)
ゲルハルト=ライヒの思考というものは、ドーベルマンには手に取るように解る。それだけ同じ世界、同じ視界を共にしたという自負がそれを後押ししていた。
何となく物思いに耽る――しかしそれも一瞬の事で、
「当面の作業は完了しました。不明な点があればご連絡頂ければ……閣下?」
メイリンの怪訝な声。慌ててドーベルマンは思惟を引き戻した。
「あ、ああ……助かった。頼りにさせて貰うよ」
「では、失礼します」
立ち振る舞いも颯爽と、メイリン。才媛とはああいう女性を言うのだな、と無骨者のドーベルマンでも思う。……何となく浮き立つものを感じ、軽く首を振る。
「ガラじゃないな……」
呟くと手慣れた仕草で葉巻を取り出すと次の瞬間にはカチン、とジッポーを閉じる音がして白煙が眼前に広がる。どんな時でも落ち着く、ドーベルマンにとっての魔法だ。
こうした瞬間が作れる――だからこそ、煙草は止められない。ドーベルマンはそう思った。
そんなドーベルマンの落ち着いた時間は、煙草一本分位しか与えられなかった。乱暴なノックと共に、がっしりとした巨躯の男がドーベルマンの執務室に入ってくる。
――エイガー=グレゴリー。仲間内でも“熊の様な男”と揶揄される様な、二メートル超の巨躯がトレードマークと言って良い男である。ドーベルマンとエイガーはかつての二度の大戦に於いて、轡を並べた仲だ。普段はのっそりとしているが、いざという時の俊敏さはドーベルマンを凌ぐ勢いを見せる。静と動――それがこの男の持ち味と言えるだろう。
「……やるか?」
互いに挨拶すらなく、ドーベルマンが切り出す。――そんなものは不要なのだ。
「今は勤務中だ。……うむ、“一本だけ”にしておこう」
“やらん”でも無く“一杯だけ”でも無く“一本だけ”か――さすがのドーベルマンも苦笑しながら、調度品に隠れるように配置されている冷蔵庫からワインを取り出す。
「ベルリン産四十九年ものか。……相変わらずワイン党なのか?」
即座に見抜くのは、酒好きの本領発揮である。ドーベルマンの注ぐワインから目を離そうとしないのは流石、なのだろうか。
「文句なら上に行ってくれ。俺は本来ビール党だ」
違いない、と苦笑してエイガー。かちん、とグラスを打ち合わせて乾杯すると――互いのグラスからワインは忽然と無くなった。……一杯目は一息、というのは彼等なりの流儀らしい。
そのまま、ワインを味わう時間が過ぎていき――ワインの半分が無くなった所でエイガーが切り出す。
「……内通者が居るのは、ほぼ間違い無い」
苦々しく、吐き捨てるようにエイガー。
先頃から、治安警察上層部に問題視されている事柄があった。治安警察の内部情報が何者かにリークされている可能性が高い、という事だ。オーブ市内に潜伏するテロリストグループの何処かに情報が流されている――それは疑念であったとしても見過ごせない問題だ。
現状のオーブ――いや、世界の“平和”は“恐怖”によって支えられている。皮肉な事だが、それは紛れもない事実だ。そして“自由と平等”を唱える者達は“戦禍”を生み出す――それらは、矛盾しつつも互いに引っ張り合い、常にどちらかに傾き続けるシーソーの様なもの。……ならばこそ、治安警察は負ける訳にはいかないのだ。それが何時か、決壊するダムだと心の底では理解していたとしても……。
エイガーは、信頼の置ける男――裏表がはっきりしている男。だからこそ、信頼もされる。それは、彼を知る者が皆思う感想だ。それ故、治安警察内での内部調査に打って付けなのである。尤もそれは、エイガーの苦悩を招く事になるのだが……。
「最近の手入れを、上手く逃げ延びている組織がある。“旅人達”という連中だが……最近、急速に拡大しつつある。内部情報が流れ始めた時期から考えれば、辻褄も合う」
敢えてエイガーの苦悩に触れず、ドーベルマン。この男が同情など欲しがる男では無いと知っているからだ。
「……叩き潰せんのか?」
ぎらりと獰猛な瞳を輝かせて、エイガー。気持ちはドーベルマンとて同じだ。だが、今は諭さなければならない。
「証拠が無い。……今は戦時下ではない、法治国家なんだぞ」
「クッ……」
無念そうに拳を握るエイガー。証拠が必要なのだ――信じるに足る、確たる証拠が。
「まあ、飲め。……そこまでで十分だ」
ここから先はエイガーの仕事ではない。寧ろ、ドーベルマンの仕事だ。エイガーの苦悩が安らぐのなら、秘蔵の四十九年もの程度は安いものだ――それは、ドーベルマンなりの優しさである。
「……他に何か、変わった事は?」
我ながら無理矢理な話題転換だな、とは思う。……が、これは意外な効果があった。
「ん? ……ああ、これはお主には全く係わりの無い話題だが……」
不意にエイガーの顔が緩んだ。おほんとわざわざ咳払いする所から、相当変わった事があったのだろう。――ドーベルマンも少し身を乗り出した。
「おい、勿体付けるなよ。……何があった?」
しばらくエイガーは腕を組み、考え込んでいたが――意を決したのか、口を開いた。
「――あの“ライヒの娘御”が朝礼の席で“愛の告白”をした――」
「……は?」
……しばしの間、さしものドーベルマンも完全に硬直した。何かの暗号電文の類であって欲しいと、脳裏の何処かで考えながら。
――エイガー=グレゴリー。仲間内でも“熊の様な男”と揶揄される様な、二メートル超の巨躯がトレードマークと言って良い男である。ドーベルマンとエイガーはかつての二度の大戦に於いて、轡を並べた仲だ。普段はのっそりとしているが、いざという時の俊敏さはドーベルマンを凌ぐ勢いを見せる。静と動――それがこの男の持ち味と言えるだろう。
「……やるか?」
互いに挨拶すらなく、ドーベルマンが切り出す。――そんなものは不要なのだ。
「今は勤務中だ。……うむ、“一本だけ”にしておこう」
“やらん”でも無く“一杯だけ”でも無く“一本だけ”か――さすがのドーベルマンも苦笑しながら、調度品に隠れるように配置されている冷蔵庫からワインを取り出す。
「ベルリン産四十九年ものか。……相変わらずワイン党なのか?」
即座に見抜くのは、酒好きの本領発揮である。ドーベルマンの注ぐワインから目を離そうとしないのは流石、なのだろうか。
「文句なら上に行ってくれ。俺は本来ビール党だ」
違いない、と苦笑してエイガー。かちん、とグラスを打ち合わせて乾杯すると――互いのグラスからワインは忽然と無くなった。……一杯目は一息、というのは彼等なりの流儀らしい。
そのまま、ワインを味わう時間が過ぎていき――ワインの半分が無くなった所でエイガーが切り出す。
「……内通者が居るのは、ほぼ間違い無い」
苦々しく、吐き捨てるようにエイガー。
先頃から、治安警察上層部に問題視されている事柄があった。治安警察の内部情報が何者かにリークされている可能性が高い、という事だ。オーブ市内に潜伏するテロリストグループの何処かに情報が流されている――それは疑念であったとしても見過ごせない問題だ。
現状のオーブ――いや、世界の“平和”は“恐怖”によって支えられている。皮肉な事だが、それは紛れもない事実だ。そして“自由と平等”を唱える者達は“戦禍”を生み出す――それらは、矛盾しつつも互いに引っ張り合い、常にどちらかに傾き続けるシーソーの様なもの。……ならばこそ、治安警察は負ける訳にはいかないのだ。それが何時か、決壊するダムだと心の底では理解していたとしても……。
エイガーは、信頼の置ける男――裏表がはっきりしている男。だからこそ、信頼もされる。それは、彼を知る者が皆思う感想だ。それ故、治安警察内での内部調査に打って付けなのである。尤もそれは、エイガーの苦悩を招く事になるのだが……。
「最近の手入れを、上手く逃げ延びている組織がある。“旅人達”という連中だが……最近、急速に拡大しつつある。内部情報が流れ始めた時期から考えれば、辻褄も合う」
敢えてエイガーの苦悩に触れず、ドーベルマン。この男が同情など欲しがる男では無いと知っているからだ。
「……叩き潰せんのか?」
ぎらりと獰猛な瞳を輝かせて、エイガー。気持ちはドーベルマンとて同じだ。だが、今は諭さなければならない。
「証拠が無い。……今は戦時下ではない、法治国家なんだぞ」
「クッ……」
無念そうに拳を握るエイガー。証拠が必要なのだ――信じるに足る、確たる証拠が。
「まあ、飲め。……そこまでで十分だ」
ここから先はエイガーの仕事ではない。寧ろ、ドーベルマンの仕事だ。エイガーの苦悩が安らぐのなら、秘蔵の四十九年もの程度は安いものだ――それは、ドーベルマンなりの優しさである。
「……他に何か、変わった事は?」
我ながら無理矢理な話題転換だな、とは思う。……が、これは意外な効果があった。
「ん? ……ああ、これはお主には全く係わりの無い話題だが……」
不意にエイガーの顔が緩んだ。おほんとわざわざ咳払いする所から、相当変わった事があったのだろう。――ドーベルマンも少し身を乗り出した。
「おい、勿体付けるなよ。……何があった?」
しばらくエイガーは腕を組み、考え込んでいたが――意を決したのか、口を開いた。
「――あの“ライヒの娘御”が朝礼の席で“愛の告白”をした――」
「……は?」
……しばしの間、さしものドーベルマンも完全に硬直した。何かの暗号電文の類であって欲しいと、脳裏の何処かで考えながら。
「……何で僕がこんな目に遭うんだ……」
例の事件から、既に三日。事態は全く収まる様子も無く、激流となってオスカー=サザーランドに襲いかかっていた――それは言い過ぎかも知れないが。
オスカーは最近、休憩時間になると一目を避けるように非常階段や使われてない会議室、果てはトイレなどに逃げ込むのが常となった。何ら悪い事はしていない――そういう自負はあるのだが、かといって身の安全を確保する方法が今現在思いつかないので仕方が無いのである。
ここで、状況を整理してみよう。
オスカーは確かに逃げも隠れもする必要はない――通常ならば。そこら辺の女性に公衆の面前で告白された事など、実は以前にもあった事なのだ。正直な所、恐れるに足る状況では無いはずなのである。
では、何が問題なのか――それはひとえにエルスティン=ライヒが“ライヒの娘御”とまで呼ばれる程に(世間的には)ゲルハルト=ライヒに溺愛されている、と思われているという事である。社会適正が限りなくゼロに近いエルスティンが、治安警察という普通に考えれば最大級に厳しいはずの社会環境で何ら問題無く過ごしていられるというのは、ひとえにライヒの見えない圧力に寄るものなのである。
例えばエルスティンが職場で仲間外れにされたとする。(そういう事実すら今まで無いのだが)
その際、その職場の上司は――ライヒがそのような事を髪の毛一筋も考えなかったとしても――ライヒの報復を恐れる様になるのだ。キラやラクスといった“雲の上の人々”に最も近い男、ゲルハルト=ライヒ――更に治安警察のトップに君臨する――正直な話、オーブ、いやさ世界全体を見渡しても“敵に回したくない男”トップテンの中には必ず居る男なのである。
そしてオスカーの現状は――或いはライヒ一派の事を敢えて“巨大なマフィア”と形容するのなら、“巨大なマフィアの愛娘に手を付けてしまった馬鹿な男”以外の何者でも無い。エルスティンに悪気は――おそらくというか、全く無かったのだろうが、“衆目の中での愛の告白”という行為はあっという間にオスカーから“自由”という言葉を取り払う結果となった。
“断る”という選択肢は、有るようで実は無い。……必ずや、『エルスティン様に恥辱を与えた』という集団が現れる結果となるだろう。(そういった集団の発生理由はエルスティンの存在などどうでも良く、ただライヒ一派にすり寄りたい者達というだけの事だが)
ならば“付き合う”という選択をしたとして――どうなるか。当面の安全は保証されるし、出世は思いのままとなる。……しかし、オスカーとしてはそれは実はやりたくない選択肢だった。そもそも“人間観察”がしたくて就職したような異端児であるオスカーは、人一倍我の強い人間である。そんな人間が天から振ってきたかのようなお告げに「ハイ、そうですか」と従う訳が無い。「出世なんてしなくても良いから自由気ままに振る舞いたい」というのは紛れもなくオスカーの本音であるだろう。そしてもう一つ、「好きでもない女と付き合うなんて真っ平御免だ」というのもオスカーの動かしがたい本心である。……要は天邪鬼であり、かつプライドが高いのがオスカーのオスカー足る由縁ならば、それを捨てる気は毛頭無いのだ。
唯一のオスカーの突破口は、初日の“ライヒへの直談判”であった。あそこでライヒに否定して貰えれば、それで話は済んだはずだったのだ。……ところが、結果として“エルスティンの行動はライヒとの意思の統一のものに行われた”という最後通告を確認する結果となってしまった。……ここでオスカーは袋小路に突入したのである。
意外にもオスカーは女性の事を“利用しよう”とは決して考えない。それは、彼なりの美学であり、プライドである。……だからこそ、今現在こうして困っているのである。
(こうして逃げ回っていても、何にもならないのは解ってるんだ……。けどな……)
既にオスカーの七人は居たはずのガールフレンド達からは“絶縁届”が届けられていた。彼女達とてオスカーの事を憎からず思っているはずだが、如何せん相手が悪すぎる。女のプライドを賭けて戦うには、どう考えてもリスクとリターンが釣り合わないなら、“女は引き際が肝心”という結論に落ち着く。オスカーとて“遊び”で付き合っていたという経緯がある以上、引き留める事は出来ない――が、理不尽なものを感じるのは隠せない。
そして、オスカーがこうも逃げ隠れする理由――それがオスカーの今現在隠れていた視聴覚室の扉をがらっと開けた。
「オスカー、こちらですか? 急ぎの決裁書類をお持ちしました」
……何ら空気を読まない、読めても理解出来ないエルスティン=ライヒである。
一応、オスカーとエルスティンは同じ職場とはいえチームは違っていた。しかし、様々な思惑があっという間にオスカーとエルスティンを同じチームにしてしまったのである。
「……今は休憩時間じゃ無かったっけ?」
「急ぎの書類、と伺いました。猶予は無いという事でしょう」
喉元まで出かかった怒鳴り声を、それでも『相手は女性』という事で仕舞い込むオスカー。
(……決裁書類に“猶予は無い”って事は無いだろうに……)
紛れもなく、正しいのはオスカーの筈だ。筈なのだが……。
おそらく職場では、観客席で同僚達が指を指してニヤニヤ笑っている筈だ。それも、今のオスカーには堪えられない要因である。
「ふうっ……」
しかし、何時までもこうしている訳にもいかない。軽く頭を振って、オスカーは思惟を振り払う。と――エルスティンが真っ直ぐにこっちを見据えていた。
「オスカー、疲れている様ですね。……どうしました?」
オスカーは今度こそ怒鳴ろうとした。けれど、エルスティンの瞳――真っ直ぐな、その瞳がオスカーの思いをまたしても吹き飛ばす。邪気の無い、澄んだ瞳は今まで“人間観察”を続けてきたオスカーには全く馴染みのないものだったのだ。
(……参るな……こりゃ……)
溜息を付くともう一度、オスカーは軽く頭を振った。そして、ぽんとエルスティンの肩を叩くと先頭に立って歩き出す。
「少し、疲れただけですよ――さ、仕事仕事っと……」
少しだけ、エルスティンはびっくりしたようだった。オスカーの叩いた肩にそっと手をやる――しかしそれも一瞬の事で、直ぐにオスカーと並んで歩き出した。
例の事件から、既に三日。事態は全く収まる様子も無く、激流となってオスカー=サザーランドに襲いかかっていた――それは言い過ぎかも知れないが。
オスカーは最近、休憩時間になると一目を避けるように非常階段や使われてない会議室、果てはトイレなどに逃げ込むのが常となった。何ら悪い事はしていない――そういう自負はあるのだが、かといって身の安全を確保する方法が今現在思いつかないので仕方が無いのである。
ここで、状況を整理してみよう。
オスカーは確かに逃げも隠れもする必要はない――通常ならば。そこら辺の女性に公衆の面前で告白された事など、実は以前にもあった事なのだ。正直な所、恐れるに足る状況では無いはずなのである。
では、何が問題なのか――それはひとえにエルスティン=ライヒが“ライヒの娘御”とまで呼ばれる程に(世間的には)ゲルハルト=ライヒに溺愛されている、と思われているという事である。社会適正が限りなくゼロに近いエルスティンが、治安警察という普通に考えれば最大級に厳しいはずの社会環境で何ら問題無く過ごしていられるというのは、ひとえにライヒの見えない圧力に寄るものなのである。
例えばエルスティンが職場で仲間外れにされたとする。(そういう事実すら今まで無いのだが)
その際、その職場の上司は――ライヒがそのような事を髪の毛一筋も考えなかったとしても――ライヒの報復を恐れる様になるのだ。キラやラクスといった“雲の上の人々”に最も近い男、ゲルハルト=ライヒ――更に治安警察のトップに君臨する――正直な話、オーブ、いやさ世界全体を見渡しても“敵に回したくない男”トップテンの中には必ず居る男なのである。
そしてオスカーの現状は――或いはライヒ一派の事を敢えて“巨大なマフィア”と形容するのなら、“巨大なマフィアの愛娘に手を付けてしまった馬鹿な男”以外の何者でも無い。エルスティンに悪気は――おそらくというか、全く無かったのだろうが、“衆目の中での愛の告白”という行為はあっという間にオスカーから“自由”という言葉を取り払う結果となった。
“断る”という選択肢は、有るようで実は無い。……必ずや、『エルスティン様に恥辱を与えた』という集団が現れる結果となるだろう。(そういった集団の発生理由はエルスティンの存在などどうでも良く、ただライヒ一派にすり寄りたい者達というだけの事だが)
ならば“付き合う”という選択をしたとして――どうなるか。当面の安全は保証されるし、出世は思いのままとなる。……しかし、オスカーとしてはそれは実はやりたくない選択肢だった。そもそも“人間観察”がしたくて就職したような異端児であるオスカーは、人一倍我の強い人間である。そんな人間が天から振ってきたかのようなお告げに「ハイ、そうですか」と従う訳が無い。「出世なんてしなくても良いから自由気ままに振る舞いたい」というのは紛れもなくオスカーの本音であるだろう。そしてもう一つ、「好きでもない女と付き合うなんて真っ平御免だ」というのもオスカーの動かしがたい本心である。……要は天邪鬼であり、かつプライドが高いのがオスカーのオスカー足る由縁ならば、それを捨てる気は毛頭無いのだ。
唯一のオスカーの突破口は、初日の“ライヒへの直談判”であった。あそこでライヒに否定して貰えれば、それで話は済んだはずだったのだ。……ところが、結果として“エルスティンの行動はライヒとの意思の統一のものに行われた”という最後通告を確認する結果となってしまった。……ここでオスカーは袋小路に突入したのである。
意外にもオスカーは女性の事を“利用しよう”とは決して考えない。それは、彼なりの美学であり、プライドである。……だからこそ、今現在こうして困っているのである。
(こうして逃げ回っていても、何にもならないのは解ってるんだ……。けどな……)
既にオスカーの七人は居たはずのガールフレンド達からは“絶縁届”が届けられていた。彼女達とてオスカーの事を憎からず思っているはずだが、如何せん相手が悪すぎる。女のプライドを賭けて戦うには、どう考えてもリスクとリターンが釣り合わないなら、“女は引き際が肝心”という結論に落ち着く。オスカーとて“遊び”で付き合っていたという経緯がある以上、引き留める事は出来ない――が、理不尽なものを感じるのは隠せない。
そして、オスカーがこうも逃げ隠れする理由――それがオスカーの今現在隠れていた視聴覚室の扉をがらっと開けた。
「オスカー、こちらですか? 急ぎの決裁書類をお持ちしました」
……何ら空気を読まない、読めても理解出来ないエルスティン=ライヒである。
一応、オスカーとエルスティンは同じ職場とはいえチームは違っていた。しかし、様々な思惑があっという間にオスカーとエルスティンを同じチームにしてしまったのである。
「……今は休憩時間じゃ無かったっけ?」
「急ぎの書類、と伺いました。猶予は無いという事でしょう」
喉元まで出かかった怒鳴り声を、それでも『相手は女性』という事で仕舞い込むオスカー。
(……決裁書類に“猶予は無い”って事は無いだろうに……)
紛れもなく、正しいのはオスカーの筈だ。筈なのだが……。
おそらく職場では、観客席で同僚達が指を指してニヤニヤ笑っている筈だ。それも、今のオスカーには堪えられない要因である。
「ふうっ……」
しかし、何時までもこうしている訳にもいかない。軽く頭を振って、オスカーは思惟を振り払う。と――エルスティンが真っ直ぐにこっちを見据えていた。
「オスカー、疲れている様ですね。……どうしました?」
オスカーは今度こそ怒鳴ろうとした。けれど、エルスティンの瞳――真っ直ぐな、その瞳がオスカーの思いをまたしても吹き飛ばす。邪気の無い、澄んだ瞳は今まで“人間観察”を続けてきたオスカーには全く馴染みのないものだったのだ。
(……参るな……こりゃ……)
溜息を付くともう一度、オスカーは軽く頭を振った。そして、ぽんとエルスティンの肩を叩くと先頭に立って歩き出す。
「少し、疲れただけですよ――さ、仕事仕事っと……」
少しだけ、エルスティンはびっくりしたようだった。オスカーの叩いた肩にそっと手をやる――しかしそれも一瞬の事で、直ぐにオスカーと並んで歩き出した。
「……遊園地?」
「はい。入手したマニュアルによると『初デートは遊園地がベスト』との事です」
「マニュアル、ねぇ……売店の本?」
「ご存じでしたか。今、研鑽を積んでいるところです」
「そんなに肩肘張るもんじゃ無いと思うけどねぇ……」
職場までの道すがら、二人はそんな事を話していた。エルスティンは相変わらず無表情だが、何処か浮き立つ様な様子がある。それは、オスカーにも感じられる……それは、悪い気はしないものだ。
(折角だ、楽しんで行くか……)
そう、オスカーは気分を切り替えようとして――
「はい。入手したマニュアルによると『初デートは遊園地がベスト』との事です」
「マニュアル、ねぇ……売店の本?」
「ご存じでしたか。今、研鑽を積んでいるところです」
「そんなに肩肘張るもんじゃ無いと思うけどねぇ……」
職場までの道すがら、二人はそんな事を話していた。エルスティンは相変わらず無表情だが、何処か浮き立つ様な様子がある。それは、オスカーにも感じられる……それは、悪い気はしないものだ。
(折角だ、楽しんで行くか……)
そう、オスカーは気分を切り替えようとして――
ズゥンッ!!
――爆発音!
考えるより先に、二人は動いた。伊達に治安警察に在席している訳では無いのだ。
「――私達の職場です!」
鋭く、エルスティン。“空間把握能力”を持ってすれば建物の何処で爆発があったのか直ぐ解る。
「こっちだ! そっちは人が集まりすぎる!」
中央の階段を避け、建物の端の階段で駆け上がるオスカー。中央階段は避難ルートにも選ばれているだけあり、こうした時逃げまどう人で一杯になる。……誰も彼もが冷静で居られる訳がないのだ。
オスカーとエルスティンが自分達の職場に辿り着くと――爆発地点は直ぐに解った。黒ずんだオスカーのテーブルが、爆発の規模こそ大したものでは無いと示しつつも、紛れもない意志がそこには現されていた。
「……ッ!」
怒りが全身を振るわせる――奥歯が軋み、拳がきつく握られる。
ガンッ!
収まりがつかず、壁に拳が叩き付けられる――エルスティンを一顧だにせず、オスカーはその場から歩き去った。
今度こそ、自分を抑える自信が無かったのだ。それだけは察せたのか、エルスティンは追ってこなかった。
考えるより先に、二人は動いた。伊達に治安警察に在席している訳では無いのだ。
「――私達の職場です!」
鋭く、エルスティン。“空間把握能力”を持ってすれば建物の何処で爆発があったのか直ぐ解る。
「こっちだ! そっちは人が集まりすぎる!」
中央の階段を避け、建物の端の階段で駆け上がるオスカー。中央階段は避難ルートにも選ばれているだけあり、こうした時逃げまどう人で一杯になる。……誰も彼もが冷静で居られる訳がないのだ。
オスカーとエルスティンが自分達の職場に辿り着くと――爆発地点は直ぐに解った。黒ずんだオスカーのテーブルが、爆発の規模こそ大したものでは無いと示しつつも、紛れもない意志がそこには現されていた。
「……ッ!」
怒りが全身を振るわせる――奥歯が軋み、拳がきつく握られる。
ガンッ!
収まりがつかず、壁に拳が叩き付けられる――エルスティンを一顧だにせず、オスカーはその場から歩き去った。
今度こそ、自分を抑える自信が無かったのだ。それだけは察せたのか、エルスティンは追ってこなかった。