前線基地に設けられた、将官用の食堂。
簡素なテーブルに折りたたみ式の椅子。照明は節電のため半分のみ。経費削減にいそしむ社員食堂といった状況だが、これでも末端兵士たちよりはマシだ。彼らは暖房も効かないテントでの食事を余儀なくされているのだから。
しかしながら、食にはうるさいディアッカは、不満を隠さない。
軍隊特有の味気ない金属トレーに無造作に盛られた料理。これはまあよしとしよう。
しかしミックスベジタブルとマッシュポテトのサラダ、トースト、ミートボール入り野菜スープ、フルーツのヨーグルト和え。そんな単純で工夫のかけらも見られない本日のメニューを前に、グリーンピースを器用にフォークの先に刺しながら彼はぼやく。
「メニューが単調になってきたな。せめてもう一品、いろどりの良いおかずがほしいな」
そんな親友に、イザークが釘を刺すように言う。
「愚痴を言うのは構わんが、『ええい、これを作ったのは誰だ! 俺が本当の食事というものを教えてやる。鍋を貸せ!』と厨房に怒鳴り込むのはやめるんだな。
食料担当に平謝りするのはもうこりごりだ」
いやな過去を思い出したか、苦虫を噛み潰したようなイザークの顔だった。ディアッカは、もうしませんよ隊長殿と茶化しつつも、鋭く指摘してみせる。
「しかし、ここ最近、食事のメニューが単調になっているのは事実だぜ。補給、結構厳しいみたいだしな。いくら上の奴らが奇麗事を並べていたって、食事が貧相なのは状況悪化の明白な証拠だ。士気にも関わってくるんじゃないのか」
「……認めたくないがそのとおりだな」
イザークの渋面は収まらない。
部下の前では決して口に出さないが、将官用の食堂ならば本音で堂々と会話ができるのはありがたかった。はっきり言って、戦況は明らかに統一連合側に不利に展開している。
出撃すれば地の利を知り尽くしたゲリラにいいようにあしらわれ、地域住民からはあからさまではないものの非協力的な態度をとられ……そして一番はこの天候だ。
そう、窓から見えるのは相変わらずの雪景色。
冬が厳しいコーカサス地方であったが、今年の冬は折からの寒波を受けて、厳冬といってもよいほどの気候となっていた。毎日のように吹雪が続き、雪はうずたかく積もっている。
当然、遠征軍としても雪の対策はしてきたのだが、予想を超える寒さがあらゆる面でその足を引っ張る結果となっている。
寒さのせいでMSの駆動部分のグリスが固まってしまい、やむなく古毛布をかきあつめて関節部分を覆ったり、焚き火を起こして冷えたグリスを溶かすなどという、笑うに笑えない事態すら発生しているのだった。
もっともイザークやディアッカに言わせれば、天候不順にまともに対応できないなど、連合軍の怠慢以外の何物でもない。派閥抗争などにうつつを抜かしているから、こんな基本的なミスを犯すのである。ただしそれはそれとして……
「とりあえず事態の打開を図らなければな。お前の言うとおり、このままでは全軍の士気に関わる」
「ハスキルの奴の申し出を素直に受けたのは、それが目的か?」
「ああ」
イザークはつい先ほどのハスキルとの面談を思い出す。いきなり呼びつけて何を言うかと思えば、『トラブルで遅延していた地図情報の整理が一部終わりました。イザーク中佐が部隊展開する場所ですので、とりあえずご提供いたします』との白々しい申し出だったのだ。
ハスキルが意図的に、統一連合への地図情報の提供をサボタージュしているのはとっくに分かっていたが、このタイミングで、部分的にとはいえ、イザークにそれを提供するとは。
マルセイユ、ジアードの各中将に事前に断りを入れているとは言え、彼をご指名で地図情報を提供したハスキルの真意は、イザークにしても図りかねるというのが本音である。
「罠、じゃないのか?」
ディアッカがイザークの心を見透かしたように言う。そう、イザーク自身もそれを疑った。地図情報がまったくの出鱈目で、のこのこ出撃したイザークたちは、ゲリラに一網打尽される未来図が、ふと頭をよぎる。だが、その可能性をイザークは捨てた。
「それはないな。ハスキルが、俺を罠にかけるメリットなどない」
ハスキルは統一連合に対して非協力的であり、内部対立をあおってはいるが、表立って敵対しているわけではない。
もしここでイザークたちを罠にかけ、全滅させたとしたら、統一連合もさすがにハスキル、ひいては東ユーラシアの責任を追及しはじめるだろう。イザークたちの命は、統一連合との関係悪化という代償を払うほど重いとは思えない。
「おおかた、目障りなゲリラを片付けてほしい。しかし自分たちは汗と血を流したくない。統一連合の若造に丸投げしてしまえば楽なものだ。こんなところだろうさ」
イザークはハスキルの意図をほぼ正確に理解していた。もっとも、地図情報を提供するときに、ハスキル自身がヒントを与えていたのだが。
『この地域は、例のリヴァイブが活発に行動している場所です。そして、この地形を見ていただければ、おそらく奴らがどのような作戦を考えているか、イザーク殿にはお分かりいただけるかと』
地図を見せられつつイザークは頷いた。なるほど提供された地図の内容が真実ならば、ここに部隊を展開させればリヴァイブが出てくる可能性は極めて高かろう。土地勘に疎い者を陥れるには絶好の地形だからだ。
成功すれば、ハスキルや東ユーラシアにとって目障りなゲリラ組織にダメージを与えられる。失敗しても、ハスキルたちには別に損害は生じない。そう考えればイザークにも納得がいく。
まさか、イザークの手腕をハスキルが買っている、などとは思いもよらなかったが。
「で、我らが隊長殿は、あえて奴の意図に乗せられるつもりか?」
確認の意味で、ディアッカが再度問いかける。
「ああ、今回の遠征の目的のひとつは、第三特務隊の仇討ちだ。ハスキルの奴を喜ばせるのは癪に障るが、その目的を果たせるのならば、瑣末なことにこだわってもいられん。
リヴァイブとやらに、これ以上大きな顔をさせていられないからな」
リヴァイブとやらに、これ以上大きな顔をさせていられないからな」
なるほどね、とディアッカは同意し、ミートボールを口に放り込んだ。それを口に含んだままで、行儀悪く、言う。
「それで、どんな作戦を考えているんだ。もう、アイデアは浮かんでいるのか」
そこではじめてイザークは笑った。よくぞ聞いてくれたとばかりに答える。
「ああ、今回は過去の失敗をヒントにさせてもらった。俺たちがさらした無様な姿を、ゲリラどもに再演してもらうとしよう」
「再演?」
「ああ。準備はすでに済ませてある。ハスキルの言うとおりに働いてやる分、きちんと必要な物品の要求はしておいたさ……どうやら注文の品が来たようだな」
イザークは窓の外を指差した。ディアッカがそちらに顔を向ける。窓の外、雪の降り注ぐ中、東ユーラシア軍のMS搬送用トレーラーが基地に入ってくる姿が見えた。
荷台に積まれたMSを見て、ディアッカが素っ頓狂な声を上げる。
「何い!? あんな骨董品が注文の品だって言うのか?」
驚きの言葉を発したディアッカに、イザークは意味ありげな表情を浮かべるだけだった。
場所は変わって、こちらはスレイプニールのドック内である。
ダストガンダムの調整に余念がないサイが、コクピットのシンに指示をする。
「シン、ホバーユニットの通電状況をチェックしてくれ」
サイの言うとおりに、ホバーユニットをチェックするシン。しかし、つい手が滑って、ユニットを稼動させてしまった。
不幸にもダストガンダムの足元にいたシゲトが、ひええええ、と情けない悲鳴を上げて吹き飛ばされる。風圧に耐えて踏ん張っていたコニールに激突し、そのまま二人はもつれあって壁まで飛ばされた。
目から火花を出しながら悶絶する二人。コクピットから顔を出して眼下の惨劇を確認したシンが、さすがにすまなそうに声をかける。
「えーと、すまん。大丈夫か? お前ら」
コニールがたちまち憤怒の形相となり、シンを怒鳴りつけた。
「この、阿呆パイロット! あたしらを殺す気かっ!」
「いや、これは単なる不可抗力だ。意図的なものじゃない」
「意図的じゃなければいいってもんじゃない! 」
コニールの罵声。必死に手を合わせるシン。その光景に、ついハンガーにいたメンバーたちの頬も緩む。
シンの表情に、わずかばかりだが明るさが戻ってきた。
リヴァイブ名物、コニールとの夫婦漫才(命が惜しいので当人たちの前では決して誰も口にしないが)がスレイプニールのBGMに復活しつつある。
それはリヴァイブやスレイプニール隊にとって喜ばしいことだった。 彼がリヴァイブのエースであり、そのメンタリティが作戦に大きく影響することは誰しもが認める事実であったからだ。
おかげで艦内の皆の表情も明るい。このところリヴァイブは連戦連勝。統一連合を翻弄し、戦ってはほとんど損害もなく、相手に大打撃を与えるという成果を積み上げている。まさに獅子奮迅の大活躍と言えるものだった。気持ちが高揚するのも当たり前だった。
「さあて、次の相手はどっちだ? 見掛け倒しの統一連合軍か、それとも間抜けな東ユーラシア軍か」
「どっちでもいいさ。いっそまとめて来やがれ。返り討ちにしてくれる」
威勢の良い言葉が艦内のそこかしこで響き渡っている。
ただし、その雰囲気を歓迎していない人間が三名ほどいた。
戦場を渡り歩き、その機微を知り尽くしたその三名にとっては、現況は好ましくないものに映っているようだ。
「あんまり、良い空気じゃないっすね。こりゃあ」
普段の軽口はどこへやら、壁際に背中を預けた少尉が憮然として言う。
「明るいのは歓迎だけど、緊張感がないのは勘弁ですね」
少尉の言葉に頷くのは、床に腰を下ろした大尉だ。
「浮き足立っているようなものだな。仕方ねえ、こんな大規模な作戦展開は初めてだろうからな。それが連戦連勝じゃ、こうなるのも当然だろうよ」
勝って兜の緒を締めよではないが、ほんの僅かな気の緩みがミスにつながり、少しのミスが取り返しのつかない結果につながるのが戦場と言う物だ。
確かにリヴァイブも今まで、東ユーラシアや治安警察と戦い何度も勝利を収めてはいる。けれどもそれは小規模な戦闘にとどまっており、今回のような大軍同士の戦いというのは、ほとんどのメンバーにとって未知の領域である。
それについてメンバーが多少の不安を持っていたところに、相次ぐ連勝を重ねたため、かえって気持ちが大きくなりすぎている。もっとはっきり言えば、少し調子に乗りすぎている。それが大尉たちの懸念材料だった。
しかし、気分の乗っている仲間を、勢いを殺さないように軌道修正させるのも至難の業である。その微妙なバランスを理解しているのは、この艦の中でも大尉、中尉、少尉、それにラドルとシホくらいのものであろう。
本来ならばシンもその中に加わるべきだろうが、多少の持ち直しはあるもののいまだ精神的な不安定が垣間見える状態では、あまり当てにはできなかった。
どうしたものかと考えるものの、一向に答えは出そうにない。そうこうしているうちに、中尉が大尉たちを呼びにきた。
「次の作戦についてブリーフィングが始まります。艦橋に集合してくださいとのことです」
ああ、と重そうな腰を上げる大尉。困ったように頭を掻いてため息をつく少尉。二人の胸中を察して、中尉が言う。
「……なるべく冷静にいきましょう。せめて私たちだけでも」
その言葉に頷く大尉と少尉だった。