Rd. |
GP |
Date |
Circuit |
125cc winner |
250cc winner |
350cc winner |
500cc winner |
1 |
マン島TT |
6/10 |
マン島 |
- |
D. Ambrosini |
A. Bell |
G. Duke |
2 |
ベルギーGP |
7/2 |
スパ |
- |
- |
B. Foster |
U. Masetti |
3 |
ダッチTT |
7/8 |
アッセン |
B. Ruffo |
- |
B. Foster |
U. Masetti |
4 |
スイスGP |
7/23 |
ジュネーブ |
- |
D. Ambrosini |
L. Graham |
L. Graham |
5 |
アルスターGP |
8/18 |
クラディ |
C. Ubbiali |
M. Cann |
B. Foster |
G. Duke |
6 |
イタリアGP |
9/10 |
モンツァ |
G. Leoni |
D. Ambrosini |
G. Duke |
G. Duke |
シーズン概況
世界グランプリのファーストシーズンとなった前年はライダー、マシン共にまだまだ戦前の延長線上にあったが、WGP2年目のこの年、早くも新世代が台頭し始めた。ウンベルト・マセッティやジェフ・デュークといった若いライダーが主役となり、ノートンはフェザーベッドと呼ばれる革新的なシャシーのマンクスをデビューさせたのである。
マンクス・ノートンは鋼管ツインループフレームにテレスコピック型のフロントフォークと油圧式ダンパーを装着したスイングアームという現在ではオートバイのスタンダードとなっているサスペンションを採用していたのに加え、エンジンの搭載位置とライダーの着座位置、つまりマシンの重心を従来のスタンダードから大幅に前方に移したという点で画期的なものだった。当時のレーシングマシンではコーナー立ち上がりのトラクションを稼ぐためにエンジンはできるだけリア寄りに搭載し、ライダーはほとんどリアタイヤ上に着座するというスタイルが主流だったが、マンクスの発想はその真逆を行くものである。この年の500ccクラスは、ハロルド・ダニエルによって「フェザーベッド」と名付けられたマンクス・ノートンを前年のチャンピオンマシンであるAJSの“ポーキュパイン”こと水平2気筒E90と、ガーターフォークに代表される旧態依然とした車体構成ながらパワフルな4気筒エンジンを持つジレラが迎え撃つという構図になった。
2年目にしてポイントシステムは変更を受け、ポイント対象が前年は5位までだったのに対してこの年は6位までとなった一方、前年1ポイントが与えられたファステストラップはポイント対象から外された。成績の上位数戦のポイントを有効とする有効ポイント制は継続され、基本的にはこのシーズンのポイントシステムが当分の間継続されることになる。
500ccクラス
開幕戦のマン島TTを制したのはこの年からノートン・ファクトリーに加わった新型マンクスを駆るジェフ・デュークだったが、マン島にはノートンの最大のライバルであるジレラのマシンはいなかった。チームもライダーも後のように全戦参戦が義務付けられていなかったこの時代、ジレラは伝統的にマン島TTにファクトリーチームを送らなかったのである。そのジレラは前年の終わりにデザイナーのピエレ・レモルとチームマネージャーのアルチューロ・マーニがランキング3位のアルチソ・アルテジアーニと共にMVアグスタに引き抜かれており、アルテジアーニの代わりにほぼ無名であったウンベルト・マセッティと契約していた。しかし、ジレラの一見無謀とも思われたこの判断が正しかったことは、第2戦のベルギーGPでマセッティが早くもGP初勝利を挙げたことで証明された。
信頼性を上げたジレラの4気筒を駆ってマセッティは続くダッチTTでも勝利し、第4戦スイスGPでは前年チャンプのレスリー・グラハムに続いて2位でフィニッシュするなど好調さを維持した。一方のデュークは新型マシンの熟成にとまどったのかベルギーGP、ダッチTTとノーポイントに終わり、終盤の2戦に勝ってマセッティよりも多い3勝でシーズンを終えたものの、安定して上位入賞を果たしたマセッティにわずか1ポイント届かずにタイトルを譲った。
ジレラから主要メンバーを引き抜いたMVアグスタはレモルが設計した4気筒マシンで500ccクラスにデビューを果たしたが、数々の新技術が徒となってこの年は目立った成績を残すことができなかった。ランキング8位に沈んだアルテジアーニにとっては、自分の穴埋めでジレラに乗ったマセッティがタイトルを獲得するという皮肉なシーズンとなってしまった。
350ccクラス
前年のチャンピオンであるヴェロセットのフレディ・フリースが引退したため代わってヴェロセット陣営にはレグ・アームストロングとビル・ロマスが新たに加わり、エースとなったボブ・フォスターをサポートした。ヴェロセット以外のノートンやAJSのライダーは、ほとんどが500ccクラスとの掛け持ちである。第1戦のマン島はノートンのアーティ・ベルが制したが、フォスターは第2戦ベルギーGPでGP初勝利を挙げるとその後もシーズンを有利に進め、アルスターGPで3勝目を挙げるとヴェロセットのタイトルを守ることに成功した。
250ccクラス
前年同様にベネリとモトグッツィのイタリアンメーカー同士の争いとなった250ccクラスだが、この年はベネリに軍配が上がった。DOHCのベネリに乗るダリオ・アンブロジーニは全4戦中3勝を挙げてタイトルを獲得し、SOHCのモトグッツィはアルスターGPでモーリス・カーンが1勝を挙げるのが精一杯だった。モトグッツィはシーズン中にDOHCの新型マシンの開発をスタートさせている。
125ccクラス
125ccクラスは僅か3戦でタイトルが争われ、3戦全てでモンディアルに乗るライダーがワン・ツーフィニッシュを飾った。それもブルーノ・ルフォ、ジャンニ・レオーニ、カルロ・ウビアリの3人がそれぞれ1位と2位を1回ずつ獲得するというモンディアル・ライダー同士の互角の戦いとなったが、タイトルは4位入賞が1度あったルフォのものとなった。前年に250ccチャンピオンとなっていたルフォは、2クラスに渡ってタイトルを獲った最初のライダーとなったのである。
最終更新:2012年01月30日 20:50