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1951年のWGP

Rd. GP Date Circuit 125cc winner 250cc winner 350cc winner 500cc winner
1 スペインGP 4/8 モンジュイック G. Leoni T. Wood U. Masetti
2 スイスGP 5/27 ブレムガルデン D. Ambrosini L. Graham F. Anderson
3 マン島TT 6/8 マン島 C. McCandless T. Wood G. Duke G. Duke
4 ベルギーGP 7/1 スパ G. Duke G. Duke
5 ダッチTT 7/7 アッセン G. Leoni B. Doran G. Duke
6 フランスGP 7/15 アルビ B. Ruffo G. Duke A. Milani
7 アルスターGP 8/18 クラディ C. McCandless(※) B. Ruffo G. Duke G. Duke
8 イタリアGP 9/10 モンツァ C. Ubbiali E. Lorenzetti G. Duke A. Milani
(※)アルスターGPの125ccクラスはポイント対象外

シーズン概況

 世界GPシリーズ3年目のこの年、スペインGPとフランスGPが新たにカレンダーに加わって全8戦となった。ただし8ラウンド全てでレースが行われたのは500ccと350ccの両クラスのみである。マン島ではこの年初めて4クラス全てが開催されたが、アルスターGPでは逆に出走台数が不十分であるという理由で125ccクラスのレースは選手権ポイントの対象外とされた。また、スペインGPの舞台となったモンジュイック・サーキットは当時としてはWGPきってのテクニカルコースであり、500ccクラスの平均レーススピードは僅か93.9km/hだった。

 この年のグランプリの主役は、共に前年デビューしたマンクス・ノートンとジェフ・デュークだった。
 従来のスタンダードよりも重心位置を大幅に前輪寄りに移したマンクスは、非力な単気筒エンジンながら劇的に改善されたハンドリングと軽量さを武器にパワフルなジレラの4気筒と互角以上に渡り合った。そして500ccと350ccのマンクスを駆るのは、前年ノートン・ファクトリーに大抜擢されてデビューシーズンながら500ccクラスでは3勝を挙げてわずか1ポイントでタイトルを逃した、ライダーとしての絶頂期を迎えようとしていた28才のジェフ・デュークである。
 複数のクラスにまたがってのエントリーが珍しくなかったこの時代、ライダーとメーカーの契約はクラス毎が基本であり、クラスによって異なるメーカーのマシンに乗るライダーも見られた。それでも共通要素の多い500ccクラスと350ccクラスの両クラスに出場するファクトリーのライダーは両クラスへの出場の契約を交わすのが普通だったが、500ccクラス初代チャンピオンのレスリー・グラハムは500ccではMVアグスタ、350ccクラスではヴェロセットのマシンを駆った。

 この年、ドイツがFICM(後のFIM)に再加盟を果たした。これにより、翌年からドイツ製マシンとドイツ人ライダーが世界グランプリの舞台に立つことができるようになったのである。

500ccクラス

 ノートンの革新的なフェザーベッドフレームに刺激されたジレラは、ラウンドチューブ式のフレーム、テレスコピック式のフロントフォークや油圧ダンパー付きのスイングアーム等を取り入れ、これらをパワフルな4気筒エンジンと組み合わせることで有利に立とうと目論んでいた。ライダーも前年チャンピオンのウンベルト・マセッティを始めとしてアルフレッド・ミラーニ、ネッロ・パガーニと、そうそたるラインナップである。この新型ジレラを駆ったマセッティが史上最も遅い500ccレースとなった開幕戦を制し、ジレラは幸先よいスタートをきった。
 しかし続くスペインでは42歳のファーガス・アンダーソンがモトグッツィに初勝利をもたらし、第3戦マン島ではデュークとマンクス・ノートンがシーズン初勝利を挙げるとデュークはそのまま3連勝でシーズンの主導権を握った。フランスGPではミラーニがジレラに2勝目をもたらしたが、第7戦のアルスターGPでデュークが4勝目を挙げてタイトルを獲得した。デュークはこの前に行われた350ccのレースでも優勝でタイトルを決めており、WGPシリーズ初となるダブルタイトルだった。
 最終戦のイタリアGPではジレラに乗る3人のイタリア人が表彰台を独占し、翌年の活躍を予感させた。もうひとつのイタリア製4気筒であるMVアグスタは元チャンピオンのレスリー・グラハムをもってしても目立った成績を残すことはできなかったが、こちらも翌年にはグラハムによって大きく進歩したマシンが力を発揮し始めることになる。

350ccクラス

 500ccクラスではジレラと好勝負を演じたジェフ・デュークとマンクス・ノートンだが、350ccクラスではこのコンビと対等な速さを見せるものはいなかった。モトグッツィのトミー・ウッド、ヴェロセットのレスリー・グラハム、AJSのビル・ドランらがそれぞれ1勝を挙げたものの彼らは安定した成績を残すことができず、デュークは全8戦中5勝でタイトルを獲得したのである。
 前年コンストラクターズ・タイトルを獲ったヴェロセットはグラハムの手によってスイスGPで優勝したが、これがヴェロセットのGP最後の勝利となってしまった。

250ccクラス

 この年の250ccクラスは、悲劇に見舞われたシーズンとなってしまった。
 開幕戦を制した前年のチャンピオンであるジレラのダリオ・アンブロジーニは続くマン島TTでも2位に入り、前年の好調さを維持して順当に選手権をリードしていた。ところが第3戦フランスGPのプラクティスでクラッシュしたアンブロジーニは頭を強打し、病院への搬送中に帰らぬ人となってしまったのである。アンブロジーニの死により、ベネリはシーズン半ばにしてグランプリから撤退した。
 アンブロジーニがクラッシュした時、マシンを止めて彼を助けようとしたのがモトグッツィのジャンニ・レオーニだった。ところがその1ヶ月後、レオーニはアルスターGPの練習走行中にチームメイトのサンテ・ジェミニアーニと衝突し、二人ともこの事故で死亡した。
 悲惨な事故があったフランスGPとアルスターGPで優勝したのは、250ccクラス初代チャンピオンのモトグッツィに乗るブルーノ・ルフォだった。ルフォは最終戦イタリアGPで3位に入り250ccでは2度目の、通算では3度目となるタイトルを決めた。

125ccクラス

 前年同様、125ccクラスではモンディアルに乗るライダー同士による激しいタイトル争いが繰り広げられた。開幕戦ではグイド・レオーニがGP初勝利を飾ったが、彼はその1ヶ月後に出場したイタリア選手権での事故によって命を落としてしまう。第2戦となったマン島では、北アイルランド出身のクロミー・マッキャンドレスがイタリア人以外で初めての125cc勝者となった。第3戦ダッチTTではジャンニ・レオーニが勝ったが彼もアルスターGPの250ccで命を落とし、最終戦では前年惜しくもタイトルを逃したカルロ・ウビアリが優勝した。
 全4戦で4人の勝者が生まれ、そのうちの2人がシーズン半ばにして命を落とすという波乱のシーズンとなった125ccクラスだったが、2度の2位入賞が決め手となり、タイトルは最終戦を制したカルロ・ウビアリのものとなった。この後、何度もタイトルを獲ることになるウビアリにとって、これが最初の世界タイトルだった。

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最終更新:2012年03月03日 20:28
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