1952年のWGP

Rd. GP Date Circuit 125cc winner 250cc winner 350cc winner 500cc winner
1 スイスGP 5/18 ブレムガルテン F. Anderson G. Duke J. Brett
2 マン島TT 6/13 マン島 C. Sandford F. Anderson G. Duke R. Armstrong
3 ダッチTT 6/28 アッセン C. Sandford E. Lorenzetti G. Duke U. Masetti
4 ベルギーGP 7/6 スパ G. Duke U. Masetti
5 ドイツGP 7/20 ソリチュード W. Haas R. Felgenheier R. Armstrong R. Armstrong
6 アルスターGP 8/14 クラディ C. Sandford M. Cann K. Kavanagh C. McCandless
7 イタリアGP 9/14 モンツァ E. Mendogni E. Lorenzetti R. Amm L. Graham
8 スペインGP 10/5 モンジュイック E. Mendogni L. Graham

シーズン概況

 この年からドイツ製マシンとドイツ人ライダーの出場が認められ、ドイツGPが世界選手権のカレンダーに加わった。ドイツからはNSUやDKW、ホレックスといったメーカーがグランプリにファクトリーチームを送り込み、中でもNSUファクトリーは現代的なチーム運営によって参戦初年度からランキング上位を狙える速さを発揮した。また、戦前の(国内選手権としての)ドイツグランプリが開催されていたザクセンリンクが東ドイツ領となったため、世界選手権として初開催のドイツグランプリはソリチュード・サーキットで行われたが、ソリチュードがシュトゥットガルトという大都市のすぐ近くにあったこともありドイツGPは40万人という大観衆を集めた。
 そのドイツGPの250ccクラスでは、後のグランプリの歴史を考えるとエポックメイキングとも言える出来事があった。優勝した地元のルディ・フェルデンハイヤーが乗るDKWのファクトリーマシンは2ストロークエンジンのマシンだったのである。しかし、DKWの2ストロークはこの後目立った成績を残すことができず、東ドイツの小メーカーであるMZが再び2ストロークの可能性を示すまでには、あと数年を要した。

 この年のアルスターGPの500ccクラスで18歳の若者がグランプリデビューを果たした。後に2輪と4輪の両方でワールドチャンピオンとなるジョン・サーティースである。

500ccクラス

 ノートンはチャンピオンのジェフ・デュークに加えてケン・カバナ、AJSから移籍したレグ・アームストロング、若く将来有望なデイブ・ベネットといったラインナップを揃え、連続タイトルに向けて万全を期してシーズンに臨んだ。ところが開幕戦でベネットがトップ争いの最中にクラッシュして死亡してしまい、ベネットに代わってマンクスに乗ったレイ・アムもドイツGPの予選で負傷してしまった。そしてエースのデュークもノンタイトルレースでのクラッシュで足首を骨折してシーズン後半を棒に振るという、ノートンにとっては散々なシーズンとなってしまった。
 代わってシーズンを引っ張ったのはイタリアの4気筒勢、ジレラとMVアグスタである。ジレラは従来のスピードに信頼性を加え、MVアグスタもレスリー・グラハムの開発能力によって格段の進歩を遂げていた。ジレラのウンベルト・マセッティ、MVアグスタのグラハム、そしてノートンで孤軍奮闘したレグ・アームストロングの3人によってシーズン最終戦までタイトル争いが繰り広げられたのがこの年の500ccクラスであった。

 開幕戦スイスGPでAJSのジャック・ブレットがGP唯一の勝利を挙げた後、第2戦のマン島ではアームストロングがゴール直後にチェーンが切れるという劇的な勝利を飾った。ダッチTTではマセッティがシーズン初勝利を挙げ、マセッティは続くベルギーでも連勝してタイトル争いをリードした。しかし初開催のドイツGPで2勝目を挙げたアームストロングが再びシーズンの流れを引き戻し、アルスターGPでは負傷したアルフレッド・ミラーニの代役としてジレラに乗ったクロミー・マッキャンドレスが金星を挙げた。シーズンも終盤となったイタリアGPでは、グラハムがMVアグスタに後の栄光に繋がる500ccクラス1勝目をもたらした。
 そして最終戦となったスペインGP、グラハムが連勝で2勝目を飾ったが2位となったマセッティがグラハムに3ポイント差をつけて逆転でタイトルを獲得した。

 もはや単気筒では4気筒に勝てないことを悟ったデュークはシーズン終了後、ジレラ・ファクトリーへの移籍を決意した。

350ccクラス

 500ccクラスではいいところの無かったジェフ・デュークだが、350ccクラスでは圧倒的な強さを発揮した。開幕戦スイスGPで勝利を挙げるとそのまま4連勝を飾り、誰にも止められることなく最短距離でチャンピオンとなったのである。そしてデュークはタイトルを決めたベルギーGPの1週間後にドイツで行われたノンタイトルレースで負傷し、シーズンの残りのレースを欠場するというオマケまでついた。
 デュークが出場しなかった残りの3戦はレグ・アームストロング、ケン・カバナ、レイ・アムの3人がそれぞれ制し、350ccクラスはマンクス・ノートンの全勝で幕を下ろした。

250ccクラス

 前年に引き続き、250ccクラスはモトグッツィが支配した。開幕戦はファーガス・アンダーソンとエンリコ・ロレンツェッティが1・2フィニッシュを飾り、続く第2戦、第3戦ではモトグッツィのライダーが表彰台を独占。第4戦ドイツGPこそ地元のDKWのマシンに勝利を譲ったものの、残りの2戦でも表彰台の頂点に立ったのはモトグッツィに乗るライダーだった。
 ライダース・タイトルはエンリコ・ロレンツェッティとファーガス・アンダーソンとの争いとなり、両者2勝ずつ挙げたが2位入賞の回数が決めてとなってタイトルはロレンツェッティのものとなった。

125ccクラス

 後に500ccクラスで数々の栄光を掴むことになるMVアグスタのGP初優勝は、この年のマン島の125ccクラスだった。MVに初勝利をもたらしたセシル・サンドフォードはそのままの勢いで全6戦中3勝を挙げてタイトルを獲得した。イタリア人にタイトルを独占されてきた最小排気量クラスだったが、イギリス人のサンドフォードは最初のイタリア人以外のチャンピオンとなったのである。

 第3戦のドイツGPではNSUのヴェルナー・ハースがGP初勝利を挙げたが、これはドイツ人ライダーとドイツ製マシンにとっても国際レースの舞台での戦後初勝利だった。

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最終更新:2012年03月24日 19:48
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