Rd. |
GP |
Date |
Circuit |
50cc winner |
125cc winner |
250cc winner |
350cc winner |
500cc winner |
1 |
イタリアGP |
5/11 |
ミサノ |
E. Lazzarini |
P. P. Bianchi |
A. Mang |
J. Cecotto |
K. Roberts |
2 |
スペインGP |
5/18 |
ハラマ |
E. Lazzarini |
P. P. Bianchi |
K. Ballington |
- |
K. Roberts |
3 |
フランスGP |
5/25 |
ポール・リカール |
- |
A. Nieto |
K. Ballington |
J. Ekerold |
K. Roberts |
4 |
ユーゴスラビアGP |
6/15 |
リエカ |
R. Tormo |
G. Bertin |
A. Mang |
- |
- |
5 |
ダッチTT |
6/28 |
アッセン |
R. Tormo |
A. Nieto |
C. Lavado |
J. Ekeroid |
J. Middelburg |
6 |
ベルギーGP |
7/6 |
ゾルダー |
S. Dörflinger |
A. Nieto |
A. Mang |
- |
R. Mamola |
7 |
フィンランドGP |
7/27 |
イマトラ |
- |
A. Nieto |
K. Ballington |
- |
W. Hartog |
8 |
イギリスGP |
8/10 |
シルバーストン |
- |
L. Reggiani |
K. Ballington |
A. Mang |
R. Mamola |
9 |
チェコスロバキアGP |
8/17 |
ブルノ |
- |
G. Bertin |
A. Mang |
A. Mang |
- |
10 |
ドイツGP |
8/24 |
ニュルブルクリンク |
S. Dörflinger |
G. Bertin |
K. Ballington |
J. Ekeroid |
M. Lucchinelli |
シーズン概況
モーターサイクルレースの世界は、この1980年を境に現在とは全く違ったものになっている可能性があった。フル参戦3年目にしてグランプリの中心人物となっていたケニー・ロバーツはライダーの地位や安全の向上を求めて事あるごとにオーガナイザー達と衝突していたが、ついにFIM主催の世界選手権(従来のグランプリシリーズ)とは別のチャンピオンシップであるワールド・シリーズを立ち上げるべく、具体的な行動を起こしたのである。
このワールド・シリーズ構想は、TV局とのタイアップによって潤沢な資金を確保しプロフェッショナルな運営とライダーへの高額な賞金を約束するもので、多くの人々を巻き込んで1980年からスタートする筈だった。しかし、ロバーツらが本気で動いていることにやっと危機感を抱いたグランプリの権力者たちが賞金の増額などの待遇改善を行うことを認め、ワールド・シリーズの計画は実現直前のところで中止となったのである。
この影響なのかどうかは分からないが1980年シーズンの第1戦となるはずだったベネズエラGP(グランプリでは残り少なくなった公道コースで開催されていた)はキャンセルされ、さらに第2戦のオーストリアGPは雪の為に中止となるというハプニングも加わり、この年のグランプリは全10戦という近年では特に短いシーズンとなってしまった。500ccクラスのレースが開催されたのは8戦で、500ccクラスのレース開催回数が1桁に留まったのは1966年に9戦で争われて以来だった。350ccクラスと50ccクラスに至っては6戦しか行われていない。
前年の
ホンダの復帰に加え、250/350ccクラスで無敵を誇っていたカワサキが満を持してこの年から500ccクラスへの参戦を開始した。ライダーはもちろん今やカワサキの顔とも言えるコーク・バリントンである。そして、KR500はエンジンこそ実績あるKR250のタンデムツインをベースにしたスクエア4というこの時代の500ccレーサーとしてはオーソドックスなものだったが、フレームはタンク一体型のアルミモノコックという独創的な物だった。これは前年のホンダ
NR500のフレームがエンジンを両側から包み込んでエンジン本体を車体の剛性メンバーとすることでフレーム重量を大幅に軽減するというものだったのに対し、車体の中でも大きな容積を占めるタンクをフレームと一体化してシャシーの中心とすることで剛性アップを狙い、そこにエンジンやサスペンションを取り付けるという同じアルミモノコックと呼ばれてはいてもホンダとはまた異なるアプローチだった。
しかし、手堅い設計が功を奏してKR500のエンジンは当初からヤマハやスズキに匹敵するパワーを発揮したものの、ヤマハやスズキに比べてはるかに規模の小さなカワサキファクトリーには、前例のない車体のマシンを1シーズンでYZRやRGと勝負ができるまでに育て上げることはできなかった。ライダーはバリントン一人という最小の体制だったにもかかわらず、そのバリントンを250ccクラスとのダブルエントリーさせたことはただでさえ少ないリソースを分散させる結果となり、2年で4つのタイトルを獲得したバリントンをもってしても500ccクラスの表彰台に上ることはできなかった。
一方、KR500より一年早くデビューしたホンダのNR500はもっと悲惨だった。オーバルピストンの4ストロークエンジンは大幅な設計変更により19,000rpmで120ps以上と十分に戦えるだけのパワーと耐久性を発揮していたものの、前年に鳴り物入りで披露されたアルミモノコックはシーズン直前にオーソドックスなスチール製ダイヤモンドフレームへと変更された。キャブのセッティング変更にもエンジンを下ろさなければならないという整備性の劣悪さのためにモノコックが断念されたのだが、突然の方針変更で新たなフレームの設計が間に合わず、マン島TTのマシン用フレームの製作などで実績のあったイギリスのフレームビルダーのフレームを使うという、ある意味ファクトリーマシンとしては屈辱的な状況だった。ところが、今度はこのフレームが基本設計の古さもあって最新の500ccエンジンを積むには剛性が不足するというチグハグさで、結局この年NRがサーキットに姿を現したのはシーズンも中盤を過ぎたフィンランドGPになってのことだった。ちなみに、NRの開発ライダーであった片山敬済は出場したくても乗るマシンが無いという状況に業を煮やし、ホンダに直訴して序盤の3戦にスズキの市販RGで出場している。
500ccクラス
350ccクラス
250ccクラス
125ccクラス
50ccクラス
最終更新:2014年04月13日 20:06