Rd. |
GP |
Date |
Circuit |
50cc winner |
125cc winner |
250cc winner |
350cc winner |
500cc winner |
1 |
ベネズエラGP |
3/18 |
サン・カルロス |
- |
A. Nieto |
W. Villa |
C. Lavado |
B. Sheene |
2 |
オーストリアGP |
4/29 |
ザルツブルクリンク |
- |
A. Nieto |
- |
K. Ballington |
K. Roberts |
3 |
ドイツGP |
5/6 |
ホッケンハイム |
G. Waibel |
A. Nieto |
K. Ballington |
J. Ekerold |
W. Hartog |
4 |
イタリアGP |
5/13 |
イモラ |
E. Lazzarini |
A. Nieto |
K. Ballington |
G. Hansford |
K. Roberts |
5 |
スペインGP |
5/20 |
ハラマ |
E. Lazzarini |
A. Nieto |
K. Ballington |
K. Ballington |
K. Roberts |
6 |
ユーゴスラビアGP |
6/17 |
リエカ |
E. Lazzarini |
A. Nieto |
G. Rossi |
K. Ballington |
K. Roberts |
7 |
ダッチTT |
6/23 |
アッセン |
E. Lazzarini |
A. Nieto |
G. Rossi |
G. Hansford |
V. Ferrari |
8 |
ベルギーGP |
7/1 |
スパ |
H. v. Kessel |
B. Smith |
E. Stoellinger |
- |
D. Ireland |
9 |
スウェーデンGP |
7/22 |
カールスコーガ |
- |
P. P. Bianchi |
G. Rossi |
- |
B. Sheene |
10 |
フィンランドGP |
7/29 |
イマトラ |
- |
R. Tormo |
K. Ballington |
G. Hansford |
B. v. Dulmen |
11 |
イギリスGP |
8/12 |
シルバーストン |
- |
A. Nieto |
K. Ballington |
K. Ballington |
K. Roberts |
12 |
チェコスロバキアGP |
8/19 |
ブルノ |
- |
G. Bertin |
K. Ballington |
K. Ballington |
- |
13 |
フランスGP |
9/2 |
ル・マン |
E. Lazzarini |
G. Bertin |
K. Ballington |
P. Fernandez |
B. Sheene |
シーズン概況
1960年代に世界グランプリを席巻した
ホンダが、ついにグランプリに戻ってきた。かつては日本メーカーの先陣を切って世界に挑戦したホンダだが、新レギュレーションとなった世界選手権への復帰はヤマハ、スズキ、カワサキに続く最後発となった。1967年シーズンを最後にホンダが撤退してからの約10年の間にグランプリは大きく様変わりしていたが、その際たるものは500ccクラスを含む全てのクラスで2ストロークエンジンがスタンダードとなっていたことだろう。ところが、ホンダが最高峰クラスでヤマハのYZRやスズキのRGと戦うために送り込んだのは、時代に逆行するかのような4ストロークのマシンだった。もっとも、かつて250cc6気筒や125cc5気筒といったとんでもないマシン達を生み出したホンダが作ったマシンが“普通”のマシンであろうはずがなく、ホンダの新型マシン
NR500は前代未聞のオーバルピストンの4ストロークV型4気筒エンジンをアルミモノコックフレームで包み込むという、正にアイディアの塊のようなマシンだった。ホンダはこのNRを初めて日本人としてワールドチャンピオンとなり、前年には500ccクラスでもトップクラスのスピードを持つことを証明した片山敬済と、前年までカワサキのファクトリーライダーとして活躍したミック・グラントに託したが、彼らを待っていたのは前途多難の一言に尽きる道のりだった。
メーカータイトルは守ったもののライダースタイトルをグランプリではルーキーであるケニー・ロバーツに奪われたスズキのRGは、前年フルモデルチェンジを果たしたRGA(XR22)から更に軽量コンパクトなエンジンと新開発のアンチノーズダイブ機構(ANDF)を与えられてRGB(XR27)へと進化した。もっとも、姿勢変化の抑制よりもフロントが突っ張ってロックしやすくなるのを嫌ったシーンはあまりANDFを効かせなかったようである。
一方、ディフェンディングチャンピオンのヤマハYZR500は、開発コードこそ前年のOW35KからOW45へと変わったものの、その中身はYPVSが第二世代に進化した以外はマイナーチェンジといったレベルの変更に留まった。これはOW35Kがバランスよくまとまったマシンであったことに対するヤマハの自信の現れだったのか、あるいはマシンの挙動にはことのほか神経質なロバーツが、マシンに大きな変更が加えられるのを嫌ったのかもしれない。
ところがそのロバーツはシーズン前に日本で行われたテストでクラッシュし、腰椎の圧迫骨折という重傷を負ってしまう。この怪我によって開幕戦を欠場し、早くもタイトル防衛が危ぶまれたロバーツだったが、その後、かつてのバリー・シーンを髣髴とさせるような驚異的な復活を遂げ、クールなだけでなく歴代のチャンピオンたちと変わらない勝利に対する熱いモチベーションも持ち合わせていることを証明してみせた。
ロバーツの活躍が呼び水となったのか、2人の若いアメリカン、ランディ・マモラとマイク・ボールドウィンがこの年グランプリデビューを飾り、両者とも1年目にして早くも表彰台に昇る活躍を見せた。アメリカンライダーが席巻する1980年代のグランプリシーンを予感させる出来事だったと言えるかもしれない。
この年の250ccクラスで3勝を挙げてカワサキに一矢を報いたモルビデリのグラツィアーノ・ロッシは、シーズンイン直前の2月に一人の男の子を授かっていた。パドックで皆から可愛がられたこの天使のような子は、バレンティーノと名付けられた。
500ccクラス
片山敬済がホンダのNR開発ライダーに抜擢されたため、前年に引き続いてヤマハYZRを駆るのはケニー・ロバーツとジョニー・チェコットの二人となったが、ロバーツのテスト中の負傷によってヤマハ陣営はチェコット一人でシーズンをスタートせざるを得なくなった。一方のスズキは新型RGBを絶対エースのバリー・シーンに加えてトム・ヘロン、スティーブ・パリッシュ、更に前年RGAで好成績を収めたウィル・ハルトッフ、ヴァージニオ・フェラーリらに与えてロバーツ包囲網を敷いた。トップ・プライベーターのほとんどが市販RGで出場するというのも前年までと同じ状況である。
ロバーツが不出場となった開幕戦ではシーン、フェラーリ、ヘロンが表彰台を独占するという、スズキにとってはこれ以上ないシーズンスタートとなった。ところがロバーツは怪我が完全に回復していないにもかかわらず第2戦オーストリアGPに出場したばかりか、なんとこのレースに優勝してしまう。スズキ勢ではフェラーリが2位に入ったもののシーンはブレーキトラブルでポイント圏外の12位に沈んだ。続くドイツGPではハルトッフがロバーツ、フェラーリとのバトルを制して優勝、シーンはまたもやマシントラブルでリタイヤとなった。そしてロバーツが第4戦イタリアGPから3連勝を飾ってシーズンの主導権を一気に取り戻した一方、スズキ勢はフェラーリとハルトッフがなんとかロバーツに食らい付くもののシーンはイタリアでの4位以外はノーポイント、ヘロンがイタリアGP後に出場したノンタイトルレースで事故死するという最悪の状況だった。第3戦で初ポイントを獲得して以来頭角を現してきたルーキーのマイク・ボールドウィンは第5戦スペインで3位表彰台に昇る速さを見せたが、故郷アメリカでのレースでのクラッシュにより足を骨折してしまい、シーズン後半を棒に振らざるを得なくなった。
風向きが変わったのはシーズンも折り返しを迎えた第7戦ダッチTTだった。このレースでハンドリングにトラブルを抱えたロバーツは8位に沈み、フェラーリがシーズン初勝利、シーンは2位に入って復調の兆しを見せスズキは開幕戦以来となる表彰台独占を果たしたのである。ポイントテーブルでも、ここまで唯一人全戦で上位入賞していたフェラーリがロバーツを逆転してトップに立った。そして、再舗装されたスパのコースが余りにも滑りやすいことに抗議したトップライダーたちがボイコットするという騒動になった第8戦ベルギーを挟み、第9戦スウェーデンでシーンが念願のシーズン2勝目を挙げた。一方でスウェーデンでフェラーリはノーポイントに終わり、マシンの不調に悩まされながらも4位となったロバーツが再びランキングトップとなった。
イマトラの公道コースで開催された第10戦フィンランドGPは雨に見舞われ、ロバーツやフェラーリが足元をすくわれてコースアウトを喫するようなコンディションの中、プライベーターながら公道コースのエキスパートであったブット・ファン・ドルメンがGPで初の(そして最後の)勝利を挙げた。2位に入ったのはこの年250ccクラスからGPに初参戦しており、怪我で出場できなくなったボールドウィンのマシンにシーズン半ばから急遽乗ることになったランディ・マモラである。この時のマモラの19歳260日という若さは、最高峰クラスの最年少表彰台記録としてその後も破られていない。そして第11戦イギリスGPでは、ロバーツとシーンが後々まで語り継がれるような激しいデッドヒートを繰り広げた。最終ラップの最終コーナーまでもつれたバトルはシーンが周回遅れのマシンに進路を邪魔されるという不運に見舞われてわずか前輪ひとつ分の差でロバーツが制し、ランキング2位のフェラーリが4位に終わったことでロバーツは14ポイントのリードを保って最終戦に臨むことになった。この時のロバーツとシーンの死闘は、イギリスのBBCが選ぶ「スポーツ名場面100」の一つに加えられている。
そして迎えた最終戦フランスGP、逆転タイトルのためにはなんとしても勝利が欲しいフェラーリだったが、コースアウトを喫した後にレース復帰したもののクラッシュ、この時点でロバーツの連続タイトルが決定した。レースはロバーツ、マモラ、シーンの三つ巴の激しい戦いが最終ラップまで続いたが、目の前で転倒したライダーを避けようとしたロバーツがコースアウト、シーンが波乱のレースを制した。シーンにとってはこれがスズキでの最後の勝利となった。
注目されたホンダの意欲作NRだが、実際にサーキットに現れたのはシーズンも終盤となったイギリスGPだった。しかし片山はトップから7秒遅れでなんとか予選通過した上にレースでは点火系トラブルにより数周走ったところでリタイヤ、グラントに至っては予選通過タイムを出すことができずに主催者の特別措置によって決勝出場したもののスタート直後に自らが噴出したオイルに乗って転倒、マシンは大破炎上するという、惨憺たるデビュー戦となった。NRは続くフランスでの最終戦にも出場したが片山、グラント揃って予選落ちという、かつてグランプリを席巻したホンダにとっては屈辱的なシーズンとなってしまった。
350ccクラス
開幕戦のベネズエラを制したのは、地元からスポット参戦したカルロス・ラバードだった。2位にはウォルター・ヴィラ、3位にパトリック・フェルナンデスとヤマハTZに乗るライダーが表彰台を独占し、ディフェンディング・チャンピオンで引き続きカワサキKRを駆るコーク・バリントンは4位に入るのが精一杯だった。バリントンは続く第2戦で勝利してチャンピオンの貫禄を見せつけたが第3戦ドイツGPでは再び4位に沈み、ドイツではTZに乗るジョン・エクロードが勝って今シーズンはTZ対KRの互角の戦いとなるかと思われた。
しかし、第4戦イタリアGP以降は前年同様にカワサキがTZ勢を圧倒する展開となった。イタリアではバリントンはリタイヤに終わったものの、ここまでいいところのなかったチームメイトのグレッグ・ハンスフォードがシーズン初優勝。その後はバリントンのスペイン、ユーゴスラビア2連勝に続いてハンスフォードがオランダ、フィンランドと2連勝、続くイギリス、チェコスロバキアで再びバリントンが連勝と、第4戦から第10戦までカワサキのKRが7連勝を飾ったのである。そして最終戦フランスGPでは、優勝こそなかったもののTZ勢でただ一人安定して上位入賞を続けてきたパトリック・フェルナンデスがシーズン初優勝するものの、ランキングトップのバリントンが手堅く5位に入賞して350ccクラス2連覇を果たした。2週間前のチェコスロバキアGPで既に250ccクラスタイトルを決めていたバリントンは、2年連続ダブルタイトルという偉業を果たしたのである。
250ccクラス
250ccクラスでもカワサキのKRの優位は前年と変わらず、バリントンの強さは前年以上に他を圧倒した。開幕戦では優勝をTZのウォルター・ヴィラに譲って2位に甘んじたバリントンだが、第2戦から3連勝を飾ってシーズンの主導権を掌握した。しかし、このバリントンとカワサキに対して健闘したのが、前年500ccクラスでGPデビューを飾ったグラツィアーノ・ロッシと契約した1977年のチャンピオンマシンであるモルビデリだった。ロッシはバリントンがタイヤ選択をミスした第5戦ユーゴスラビアで初優勝、続くダッチTTでも圧倒的な速さを見せ付けて連勝した。
絶好調のロッシは、ボイコット騒動のあったベルギーを挟んでスウェーデンGPでも3勝目を挙げたが、ロッシの追撃もここまでだった。第9戦フィンランドGPではノーポイントに終わったロッシを尻目にバリントンが5戦ぶりの4勝目を挙げ、バリントンはそのまま最終戦まで4連勝という他を寄せ付けない強さを見せて2年連続タイトルを決めたのである。未勝利に終わったものの2位が6回と安定した速さを見せたバリントンのチームメイトのグレッグ・ハンスフォードがランキング2位となり、バリントンに次ぐ3勝を挙げたロッシはシーズンの半分に当たる7戦でノーポイントとなったのが響いてランキング3位に終わった。
250ccのマシンの戦闘力に自信を持ったモルビデリは、このマシンをベースに350ccのマシンを開発し、さらに250ccのエンジンを二つ組み合わせた500ccスクエア4のマシンを作り上げたが、好調のロッシをもってしてもこれらのクラスでは250ccクラスのように成功することはできなかった。
125ccクラス
前年の後半からミナレリのマシンに乗り換えて本来の速さを取り戻したアンヘル・ニエトは、この年は開幕から絶好調だった。開幕戦からダッチTTまで7連勝という、他を寄せ付けない強さを見せ付けたのである。前年の後半から続く連勝は11にまで伸び、これはその後も破られない125ccクラスの連勝記録となった。
ニエトはグランプリの合間に出場したノンタイトルレースで足を骨折するという不運に見舞われてフィンランドGPを欠場したが、この時ランキング2位でニエトを追っていたモトベカンのティエリー・エスピエも同様に負傷によって欠場を余儀なくされたため、本人不在のままニエトのタイトルが確定した。ニエトにとって125ccクラスでは1972年以来3度目、50ccクラスも合わせれば実に9度目のチャンピオン獲得であった。
50ccクラス
前年、圧倒的な速さでタイトルを獲得したブルタコとリカルド・トルモが125ccクラスにステップアップしてチャンピオン不在となった50ccクラスは、前年ランキング2位に終わったクライドラーのエウジーニョ・ラツァリーニの独壇場となった。ラッツァリーニは全7戦で争われたこのクラスで5勝を記録し、同じクライドラーのマシンで安定して上位入賞したものの未勝利に終わったロルフ・ブラッターを抑え、前年の125ccクラスに続いて2年連続タイトルホルダーとなった。
最終更新:2014年03月15日 06:46