とある入国者の日記
私はリワマヒ国の国民である。
国籍も住民票もあるし、家もある。
そして、玄関先でカラーのプランターに水やりもする。
入国の審査は審査と言う程のものではなく、チェックはあったがごく基本的なことだけで、名前・年齢・出身国・職業・家族・何か資格を持っているか・持病などを持っていないかを質問され、持ち物にしても危険物などの持ち込みを厳しく規制するのは当たり前として、入国の許可は簡単に降りた。
担当した事務官も。
「自分たちで言うのもなんだがココはいい国だ。故国に思うところもあると思うが、リワマヒを自分の国だと思って暮らしてもらいたい」
と随分親しげな態度で握手をして送り出してくれた。
チェックが済むと直ぐに居住施設に案内され、必要な日常品が支給された。
私が案内されたのは1Kの小さめな部屋だが、個室のトイレが付いていたのはありがたかった。
さらに、私が久しぶりの柔らかい布団の感触に酔っているときに扉がノックされた。
扉を開けて現れたのはこの施設の世話人らしく、いかにも人懐っこそうな奥さんである。
「狭いところでごめんねー。家族連れ用の部屋を大きく取っっちゃった分、1人の人の部屋が少し小さくなっちゃったみたいなの、うちの国の連中はそうゆうところどんぶり勘定だから。まっ困った事があったら何でもおばちゃんにに言ってよね」
相槌を打つ暇もなく一気にしゃべると、「またすぐ来るから」と言って求人紹介のパンフレットと食事を置いてすぐに行ってしまった。
置かれていった食事を見て一日分の食事にしても大変な量だと驚いていたが、実際にはそれが昼食一食分で夕食の量を見て私はさらに驚くことになる。
数日後、居住施設に隣接した職業相談所で元居た国では教職に就いていたと言うと、それならと直ぐにと小学校の教員を紹介してもらい、その日の午後には学校に行くことになった。
この学校は難民受け入れが始まってから作られた学校で、急増する児童に教員はいくらでもほしい状況らしい。
そして驚いたのは校庭で遊ぶ子供たちが南国人、西国人、森国人と垣根なく遊ぶ姿だった。
案内してくれたこの学校の校長は私の表情を察したのか、子供たちの方を向いたまま話し出した。
「子供たちに生まれの違いは関係ありません。そしてそれは本来大人も同じことだと思うのです」
たしかに私がこの数日リワマヒで見た光景には人種の差などなく、街の復興をする人々、炊き出しをする人々がいた。
入国してごく浅い私が教職に就けることもそうである。
働き口が決まると一般の住居を紹介してもらいそこで暮らすことになった。
世話人の奥さんとはほんの僅かの付き合いであったが、私が出て行く時にはずいぶん寂しがってくれた。
もう何人も送り出してきたが、その度に子供の独り立ちを見るようで泣けてきてしまうらしい。
私は今玄関先のカラーのプランターに水をやっている。
カラーは町内会ごとに決まった色を咲かせ、私の所属している地区では淡いピンクの花を咲かせている。
私の苗はまだ咲いていない。
私がやって来たのはほんの6日前なのだから