ハインティ共和国
歴史
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歴史
- 先史時代
ハインティ共和国としてにの歴史は17世紀頃から始まっているが、この地域の歴史は紀元前5世紀頃にまでさかのぼることができるが、文字として記録が残されていないため正確なところは不明な点も多い。ハインティ地方では長きにわたって先住民による狩猟採集生活が営まれていた。沿岸部では魚やオットセイなどを主とした漁業、内陸部ではシカや木の実を主として食していたようである。全体的に寒冷で農業に適さないため、穀類の生産はされなかった。防寒着としては動物の毛皮を使用し、またその中でも上等なものは部族の長が着用したほか、贈答品としても用いられた。彼ら先住民族は他の部族との交流はあまりないまま細々と暮らしていたが、17世紀からユートッパ人の入植がはじまるのと同じくして徐々に規模を縮小していった。
- 17世紀
植民地を求めて大国が各地を航海していた時代、とある国がハインティ地方を"発見"し、上陸した。上陸地点は現在のハインシティに相当する地域だが、このあたりは先住民族の居住が確認できなかったためユートッパ風の村が造成された。当時の資料には、「入植当初は寒さが厳しくみな凍えていたが、開拓を進めるにつれ先住民との接触も増え、彼らの知恵を取り入れることで寒さへの対策ができた」と記されている。冬季の寒さはユートッパのそれをはるかに上回るもので、入植者たちはかなり苦労したようである。
入植者たちはまず食料生産の基盤を整えようとした。本国から持ち込んだ"ユートッパ風の"ムギやイモ類を植え付け、食料にしようとしたが、これは部分的な成功にとどまった。気候も土壌もユートッパとは異なるため、満足な収量が確保できなかったのだ。数年かけて育ちのいい株を選別することで次第に収穫量は増加したが、ハインティ地域における農業がいかに難しいか身をもって知ることとなった。肉類や海産物については先住民の狩りや漁に同行することで食べられるものと食べられないものを学んだ。これはそのときどきによって手に入る量が変わるが、ハインティ地域の寒さが幸いして腐敗することがないので長期にわたって保存ができた。
生活基盤が確立されて入植者の人数も増え、植民地の規模は拡大していった。さらなる富を得るべく開拓を進めた結果、北西の山間部に金鉱脈が存在することが判明したが、その一帯は先住民たちの宗教的な聖地となっていた。双方にとっての聖地を巡って入植者と先住民との間で争いが生じたが、圧倒的な武力を誇る入植者側が強引に支配した。この件は先住民の間で入植者に対する憎悪を生み、以後数十年にわたる紛争の引き金となってしまった。その後も武力を用いて開拓と占領地の拡大を続け、17世紀の後半には現在のハインティ共和国中部地方とほぼ同等の面積を占有するにまで成長した。
入植者たちはまず食料生産の基盤を整えようとした。本国から持ち込んだ"ユートッパ風の"ムギやイモ類を植え付け、食料にしようとしたが、これは部分的な成功にとどまった。気候も土壌もユートッパとは異なるため、満足な収量が確保できなかったのだ。数年かけて育ちのいい株を選別することで次第に収穫量は増加したが、ハインティ地域における農業がいかに難しいか身をもって知ることとなった。肉類や海産物については先住民の狩りや漁に同行することで食べられるものと食べられないものを学んだ。これはそのときどきによって手に入る量が変わるが、ハインティ地域の寒さが幸いして腐敗することがないので長期にわたって保存ができた。
生活基盤が確立されて入植者の人数も増え、植民地の規模は拡大していった。さらなる富を得るべく開拓を進めた結果、北西の山間部に金鉱脈が存在することが判明したが、その一帯は先住民たちの宗教的な聖地となっていた。双方にとっての聖地を巡って入植者と先住民との間で争いが生じたが、圧倒的な武力を誇る入植者側が強引に支配した。この件は先住民の間で入植者に対する憎悪を生み、以後数十年にわたる紛争の引き金となってしまった。その後も武力を用いて開拓と占領地の拡大を続け、17世紀の後半には現在のハインティ共和国中部地方とほぼ同等の面積を占有するにまで成長した。
- 18世紀
順調に拡大と成長を続けたハインティ植民地だが、先住民との間では絶えず争いが続いていた。1712年には三つの有力な先住民族が連合してハインティ植民地に攻撃をしかけた。この時は新鋭の武器を有する植民地自警団でも数の暴力に圧倒され一時不利な状況に追い込まれたが、次第に地の利を生かして先住民族連合軍の撃退に成功した。戦後処理として先住民族たちは見せしめとしてかなりの人数が処刑され、これには入植者側からも反発の声が上がった。
このころになるとハインティ植民地は村というよりも街と呼べるまでに成長していた。中心部は三階建ての建物が立ち並び、子供たちは学校で生活の基礎となる知識を学び、大人は農業はもちろん、貿易商や造船、銀行といった多様な仕事をこなすようになった。植民地が拡大と発展を続ける一方、本国では貿易赤字などを契機とした不況が始まっており、この赤字を補填するため、また植民地が拡大しすぎるのを抑制するために税法を大幅に変更した。このときの改正税法は非常に重たいもので、ハインティ植民地では「悪魔の税金」と呼ばれた。三年ほどはなんとか耐えていた植民地だったが、とうとう税金を額面通り払っていては立ち行かなくなってしまった。この状況を改善するべく本国議会に代表団を派遣して意見陳述の場を設けてもらおうとしたが、本国がそれを許すはずもなく、にべもなく突き返されてしまった。しかしこのまま本国に付き従っていては干上がってしまうため、ハインティ植民地では独立が検討され始めた。
- 第一次独立闘争
入植者たちは本国が課してきた過大な税金から逃れるため、独立闘争を開始した。手始めに彼らは本国からやってくる徴税官たちに抵抗するべく、銃の取得を目論んだ。