――――それは、「絶望の具現」だった。
比喩ではなく、まさしく言葉通りに、「『絶望』がかたちを得たもの」。
ぼたり、ぼたりと。音のない音を立てて。
歪み、ひび割れた境界の外から零れ落ち、参加者たちの行く手に蠢き立ち上がるそれらは、すでに瓦解した筈のこのロワイアルの遺した水子。壊れた夢と嬌声の残滓。
人の、獣の、あるいはそれら以外の何かの形を取って、「うまれてこなかった」「うまれてこなかった」と、これまでにもさんざん繰り返されてきた偽神の福音、深淵からの嘲笑の言葉を、機械の如く囁きながら、彼らの前に、現出していく。
「それ」の目的は、シンプル。
複製された参加者たちを元の通りの「無」へと帰し、そして、この偽りの世界にたったひとつ生じたイレギュラー――――
神使勇護と
恐怖の大王の愛し子、生まれたばかりの
赤ん坊を、ゼロ以下の負の絶望で以て塗り込め、同じく「無」へ帰すこと。
壊れた世界にとって、「ごく当たり前」な、修正のシステム。というより、可視化した「世界の崩壊」そのもののようなものだ。
過酷な殺し合いを生き残り、さらには、残酷な真実をも乗り越えた彼らは今、そのようなものにまた、立ち向かわなければならなかった。
けれど、並んだ目に希望の灯は消えていない。
すでに賽は投げられた。
彼らは既に、「絶望」を一つ、くぐり抜けてきている。
「世界の破壊者」と、主催から寝返ったクローンたちの犠牲のもとに。
――"今"確かに"ここ"に立っている、仮面ライダーだ!覚えておけ!
サイタマは思い出している。
この世界で得たヒーロー仲間、門矢士の、最後の決め台詞を。その後ろ姿を。
動き出した参加者全てを呑みこんで、強引に「絶望の世界」として閉じようとする空間を、士は同じライダーであるフォーゼやウィザードを初めとするクローンたちと協力して「破壊」し、左翔太郎やサイタマに後を託して、消えて行った。
「かっこつけやがってよ」
手袋をはめた拳を、サイタマは握りしめる。
自分を掬い上げた士の言葉は、まだその中に残っている。
周りの仲間たちも、具現された絶望を前に、心折れてなどいない。
戦う力を持つ者、持たない者、それぞれが立ち上がり、前を向いている。
それらの思いを掻き消さんと、有形の闇が、形成した絶望が、膨れ上がり咆哮した、その時。
彼方から、歌声が響く。
戦姫の――
立花響の、絶唱。
それは、戦場全てに響き渡る、一つの“行進曲(マーチ)”だった。
“生きることは、うれしい
それが、痛みを伴うものだとしても”――――
「おまえたちは うまれてこなかった」
「おまえたちは」
「おまえたちは」
残酷な言葉が、どこまでもエコーする。
それは、死者たちの空間にも、同じように冷たく響き渡る。
アンパンマンは、一人でうつむいている。
“なぜ、ここにこうしているのか
何のために、生きて行けばいいのか”
「……元々生まれてこなかったなら。
何のために生まれたなんて問うのも無意味かもしれないね」
そう呟く、アンパンマン。
その周りの風景も、時の止まったような灰色に変わっている。
けれど。
ばたばたと、マントが翻った。
アンパンマンの周囲から、少しずつ、空間が色づいて行く。
“答えをあきらめてしまうことは、できない”
戦姫の歌声も、この場所へ確かに、届いている。
「だから、今、『この』僕が、僕たちが、すべきことは」
胸にあてた手。描かれた笑顔のマーク。
小麦の花言葉――――それは〝希望〟。
「きっと『問うこと』じゃなく、『自分で決めること』なんだ。
――――僕たちにしか出せない、もう一つの答えを」
アンパンマンの全身が輝き、まばゆい光に包まれる。
「……今、行くよ」
光そのものになって、アンパンマンは飛び立った。
“今、この瞬間を生きること
それが、命を感じるということ”
戦姫の歌声が導く、混濁の闇の中を、輝き燃える星の光が飛んで行く。
黒い世界を斬り裂いて、細い、けれど確かな線を描いて。
闇から手が伸びて来る。
いくつもの手が。
正義を嗤い、英雄を嗤い、輝く光を、その心を、醜い血に汚そうとする手が。
だが、その手は一つも、星の光に届かない。
なぜなら――――。
“精一杯の、笑顔のままで”
星の周りを、小さな、しかし力強いヴァイオリンの伴奏が流れている。
寄りそうように。護るように。
そのあたたかな音色の波動に触れるだけで、手はおびえたように消え去って行く。
『ちょっとだけ ちょっとだけ きまぐれかしら』
悪戯っぽいつぶやきが聞こえた気がした。
襲いかかってくる「闇」と「絶望」。振るわれる、「世界の崩壊」の爪牙。
それは機械的で、無慈悲で、無条件な、不可逆の傷を刻む。
東方仗助の「クレイジー・ダイヤモンド」でさえ治せない傷を、生き残りの参加者たちに、刻みこんで行く。
無敵の肉体を持つ筈のサイタマですらそれは例外ではなく――――。
「サイタマ!?」
「さ、サイタマさんっ!」
ウェデマイヤーと、
神崎蘭子が叫ぶ。蘭子と、彼女の抱く赤ん坊をかばって獣状の闇の攻撃を喰らったサイタマの肩口は、真っ黒に裂けていた。
むしろ、矢面に立って拳を振るうために、その無敵の身体は傷つき、マントは虫食い状に破れ、スーツもボロボロになっている。
「効かねーな」
それでも、サイタマはいつものように拳を振るう。
この世界で、取り戻すことのできた拳を。
自分がヒーローである証を。
「よっ、と。あー、うるさい連中だ」
敵は、無限大に近い。
倒しても、倒しても、湧いて来る。
「闇」の軌跡と交差するたびに、拳は裂け、傷つき、穴だらけになっていく。
存在自体が、削られて行く。
それでも。
「俺が逃げたら、誰が闘うんだよ」
たった一つの、拳を――――。
『サイタマくん』
声が、聞こえた気がした。
響の歌声に混じって、声が。
思わず顔を上げたサイタマの頭上から、
「光」が、落ちて来た。
それは、いつか、一人の詩人が、命の詩人が夢見たように。
詩人の描いた夢の中で、流星の一つが、パン窯に落ちて来た光景そのままに。
その場の全ての者が見つめる中で、
握り締めた、傷だらけの拳へ、降り立って、輝いた。
“生きることは、うれしい”
サイタマが、目を見開く。
光の色をしたアンパンマンが、そばに立っていた。
微笑んで、マントをはためかせて。
ふっ、と小さく笑い返し、
「――――遅かったじゃねーか、“ヒーロー”」
「――――うん。さあ、行こう。“ヒーロー”」
アンパンマンの姿が、サイタマに重なる。
全身が命の色に、ゆらめく炎の色に輝きだし、
最後にその拳が、「世界一やさしい拳」が、
「最強の拳」に、重ねられて。
“それが、痛みを伴うものだとしても”――――
膨れ蠢く闇に、炎の英雄像が対峙した。
左胸、心臓を示す場所には、笑顔と、勇気の花を象ったマーク。
――――サイタマ・命の星形態。
その姿は、迫る崩壊に、虫食い状に少しずつ消えて行きながら、それでも、仲間たちに叫ぶ。
「道が出来たら走れ。
立ち止まらず、どこまでも行け!」
その台詞が示すもの。
サイタマの、アンパンマンの決意。
かけたい言葉がある。止めたい思いがある。
それでも、その場の誰もが、思いを呑みこみ、うなずいて、走りだした。
ある者は、歯を食いしばって。ある者は、抑えきれずに涙を零して。
そして、その活路を開くため、
「――――必殺マジシリーズ」
拳を握る。
星と炎がその周囲を渦巻く。
両目で、真っ向から闇を見据えた。
「本気で、ぶちかます!」
振り被る。
打ち抜く。
闇めがけて。
一つの拳(ONE-PUNCH)
&(AND)
もう一つの――――。
輝きが、炸裂した。
果てしない、幾重もの闇を、貫いて、打ち払って、
きらめく星の光が、道を作って行く。
呻きとも言えぬ呻きを挙げ、無限大のはずの闇が、絶望が、ちりぢりに四散して行く。
“優しく、強い君は、きっと”
そこにあるのは、まっさらな道。
生まれた希望を、さらに先へ進ませるための、新しい命の道。
立ち止まらず、振り返らず、仲間たちは駆けて行く。
その後ろで、ヒーローは、消えて行こうとしていた。
最後の一撃が放った、あたたかい、命の輝きが、仲間たちと、道を照らしている。
“みんなの夢を、守り抜くために”――――
響の歌声を聴きながら、消滅していくサイタマ。
仲間たちの背と、道を照らす光へ向かって、もう一度、力強く拳をかざす。
蘭子の腕の中、優しく抱かれた赤ん坊が笑う。
自らを照らすあたたかな光へ、ちいさな、もみじのような手をかざす。
光へ、手を。
そうだ。
誰のものでもない、自分の手を。
――――そのてのひらを、たいように。
【サイタマ@混沌ロワ 消滅】
【残りXX人】
最終更新:2014年01月16日 20:36