──薔薇楼華咲花魁日記──
最後に聞いたのはいつも優しかった父の声。しかし、この時は酷く剣幕だった。
いつもは静かな城内が、この時ばかりは騒がしかった。
父は襖を開け、奥の壁の一部である板を外すと、下に続く階段があった。
「今ならまだ間に合う!早く行きなさい!」
「お、お父様は!」
「私のことはいいから……早く!」
無理やり僕たちの背中を押して、階段へ押し込む。
「や、…嫌です!お父様ぁ!」
「翠星石、聞き分けなさい。蒼星石、姉さんを守るんだぞ!」
僕はグッと拳を握ると強く頷き、異瞳の片割れを引っ張った。
「翠星石…早く!」
「嫌ですっ!…お父様もっ!」
必死に腕をお父様に伸ばす翠星石を力いっぱい引いて、階段を降りる。
完全にお父様が見えなくなる寸前、お父様は泣いていた。
「さようなら、私の大切な娘達…」
『壱、薔薇楼・始の乱』
パタパタと廊下を小気味良い音を立てて走る十歳ほどの娘は、襖をパタンと開けた。
「銀姉様、銀姉様ぁ!」
「うっさいわねぇ…聞こえてるわよぉ」
銀姉様と呼ばれた彼女はだるそうに体を起こした。
「昨日の客は大盃飲みで付き合わされたのなんのってぇ…」
「そんなことより、大変かしら!」
「分かったてばぁ…揺らさないで頂戴。どうしたのよぉ」
「表で女の子が倒れてるかしら」
「はぁ?そんなもんどっかの廓(くるわ)の子じゃないのぉ?」
「それがそうでもないらしいわ」
開いていた襖から金髪に真っ赤な着物の少女が顔を出す。
「今、雛苺にその子達を連れてきてもらってるわ。金糸雀、貴女も手伝ってきなさい」
「はい、紅姉様!」
黄色の浴衣を来た少女はまた小気味良い音を立ててそちらへ向かった。
「真紅ぅ、何があったのぉ?」
怪訝そうな顔で真紅と呼ばれた金髪の少女に問いかける。
「さっき、雛苺に言われて見に行ったら女の子が二人倒れてたわ」
「近くの廓の子じゃないの?」
「違うわ…すごく上等な着物来ていたもの。それに、着物に家紋が入ってたわ」
銀髪の少女は少し考えこむが、すぐに真紅に問いかけた。
「どういうことぉ?」
「昨夜、朗善城(ろうぜんじょう)が襲撃されたらしいわ」
「へぇ、物騒ねぇ」
「そこの城には娘が二人いたらしいわ。でも行方が分からない…」
そこで挑発するように真紅は微笑んだ。
「どう思う?水銀燈」
水銀燈と呼ばれた彼女は一つの結論にたどり着き、信じられないという表情を浮かべた。
ゆっくりと意識が覚醒し、目を開けると見知らぬ天井が見えた。
しかしそれが何かを深く考えずに布団の心地好さに負けて、再び目を閉じようとしてガバッと体を起こした。
隣に片割れが安らかな寝息を立ててるのを見て幾分か安堵したが、キョロキョロと辺りを見回す。
「起きたの?」
途端に声をかけられて反射的に振り向けば、同じ齢ほどの少女がこちらを見つめていた。
「お腹空いてない?」
とことことこちらに歩いて来るので、思わず片割れを守るように立ち上がった。
「あら、目が醒めたの?」
二人の少女の髪の短い方が背後から聞こえた声にキッと睨み付ける。
「紅翠の瞳ねぇ、珍しい。でも、取って食う訳じゃないから座りなさぁい」
水銀燈と真紅は二人を見下ろしながらそう言った。
「ご飯、かしらぁ」
二つの膳を持ってきた黄色の浴衣の少女は二人を見つめて笑った。
「カナお手製のかすてぃらかしら。とっても美味しいかしら」
ご飯と漬物、簡単な吸い物に黄色いふわふわしているもの。
「食べないの?」
不思議そうに雛苺が少女を覗き込むが、少女は俯いたまま口を閉ざしている。
「っ…」
「翠星石っ!」
もう一人の少女がゆっくりと瞼を開けたのに反応し、慌てて駆け寄る。
「っ…?」
そっくりな顔をした髪の長い翠星石と呼ばれた少女は辺りを見回すと眉をハの字にし、もう一人の背後へ回った。
「とりあえず、食べなさぁい。話はそれからよ」
水銀燈はそれだけ言うと部屋を出ていった。
「美味しいのよ」
雛苺の屈託のない微笑みに警戒を解いたのか、一口ご飯を運ぶ。
すると後は勢いよくがつがつと一気に茶碗を空にした。
「金糸雀、雪華綺晶と薔薇水晶、それとジュンを呼んでらっしゃい」
「はいっ」
「お腹いっぱいになった?」
結局、ご飯二杯ずつ食べて箸を置いた。
「はい」
「…」
髪の短い方の少女はまだ警戒しているもののはっきりとした物言いだ。
一方、髪の長い方の少女は先ほどから一言も声を発しない。
「雛苺、片して来なさい」
「あいっ!」
二つの善を抱えると慎重に部屋を出ていった。
「貴女達、名前は?」
「蒼星石です」
「…っ」
髪の短い方の少女はどうやら蒼星石と言うらしい。しかし、もう一人の少女は何も言わない。
「貴女は?」
「…っ…っ!」
真紅が促しても、口をパクパクさせるが、ヒュッと喉に風が通るばかりである。
「声が出ないの?」
そう問いかけると勢いよく首を縦に振る。
「翠星石、本当!?」
蒼星石が肩を掴み、前後に振るのをやんわりと制止し、続ける。
「いつから出ないの?」
口は音を発しないものの「い・ま」と紡いだ。
「そう…。何か心当たりは?」
そう問いかけても首を横に振る。蒼星石も分からないらしい。
「大変だわ。でも体は異常ない?」
次は首を縦に振った。
「精神的なものかしら…まぁいいわ。翠星石だったわね」
優しく笑顔でそう尋ねると首を縦に振る。
「貴女達は何故、こんなとこにいたの?」
二人の顔が一気に暗くなった。終いに、翠星石はガタガタと震えだし、泣き出してしまった。
「話したくないなら話さなくていいわ。ごめんなさい」
「紅姉様、お呼びですか?」
次に現れたのは二人の女性。この二人も髪色、それぞれがしている眼帯の位置が違うが、そっくりである。
「雪華綺晶、薔薇水晶。貴女達、禿(かむろ)は欲しくない?」
「禿、ですか?」
雪華綺晶、薔薇水晶と呼ばれた二人は互いに顔を見合わせた。
「しかし、禿は雛苺と金糸雀だけでしょう?二人はお姉様達で手一杯なのでは?」
「新しい禿を身請けすることになったのよ。雛苺と金糸雀は貴女達に、と思って」
後ろの方にいた男性がひょっこりと顔を出す。
「身請け、ってまだ決まってないだろう?」
「あら、ジュン。貴方は黙って、はい、と言えばいいのよ」
ジュンと呼ばれた男性は肩を竦めて了承すると、奥へ消えていった。
その入れ替わりに雛苺と水銀燈が部屋に顔を出した。
「貴女達、ここに来たってことは何か事情があるのでしょう?」
真紅がそう蒼星石達に問うと、強く頷いた。
「なら、うちの廓で働きなさい。事情は後から聞くわ」
二人の肩を掴みながら、真紅がそう告げると嬉しそうに返事をした。
「ここは、吉原一の遊廓、薔薇楼。人呼んで、薔薇乙女の廓」
水銀燈がそう笑顔で言ってみせた。
2へ続く