「おやすみなさぁい」
今宵も彼女たちは二人だけの部屋で鞄を寄せ合い、眠りにつく。
片時もお互いを近くで感じていたいという彼女たちの意思を姉妹全員が尊重してくれた。
「おやすみなさい。また明日」
手を絡めて頬に軽くキスをする。
水銀燈は気持ちよさそうに頬を紅潮させてその行為を受け入れた。
鞄が閉じ終わる最後まで水銀燈は手をヒラヒラと真紅に向ける。
真紅は水銀燈の鞄が閉じるまで見守ると自らも鞄を閉じ眠りの態勢に入る。
今の生活は願ってもいないくらい穏やかで充実している。
水銀燈、金糸雀、翠星石、蒼星石、雛苺、雪華綺晶…皆がいて誰も欠けていない生活。
「明日もまた姉妹みんなと穏やかな一日が送れますように……」
誰に願うでもなく胸の前で手を合わせ目を閉じた。
いつもと変わり映えのしない夢の中。
いや、以前より晴れやかになっていることを除けばという言葉を付け足したほうが正しい。
「ふぅ……」
一人の時間と共に紅茶を楽しむ。
別に一人でいることが好きという訳ではないが姉妹と一緒にいる時は物思いに耽ったり、
考え事を極力しないことにしている。
こんな充実した時間を過ごしているのだから皆の前では凛とした自分を見せていたい。
弱みを見せたりするのが嫌なのではなく自分自身に対する戒めというかそれに近いものだ。
「今夜も…静かね…」
ティーカップと受け皿が重なる音だけが夢の中を支配していた。
「……」
水銀燈はゆっくり夢の中で目を開ける。
寂しい世界がそこに広がっていた。
前より良くなったところが一角にあった。
そこはまだとても小さな小さな部屋。
皆との優しい、温かな思い出を詰めた場所だった。
「安心しなさぁい。この場所だけは何ものにも侵させないわぁ」
自分に言い聞かせて心を落ち着かせる。
その隣にもう一箇所薄暗い部屋が存在していた。
忘れられない辛い過去、忘れてはいけない過ち。
そして、悲しい思い出の詰まった場所。
相反している二つの部屋を見比べるが水銀燈はどちらにも足を踏み入れない。
入る勇気がないと言ったほうが正しいだろう。
ただそこからぼんやり眺めているだけなのであった。
いつもならそうして朝が来るのをじっと待つだけであったが極稀に少しそこへ触れようとする。
そっと両手を伸ばし温かい思い出と悲しい過去と同時に触れる。
瞬時に流れ込んでくる映像が水銀燈の心に触れ揺さぶる。
手を離すとただ一人、そこにうずくまり、嗚咽する声を漏らした。
静寂が広がる二人の部屋。
真紅は何かに急かされるように目を開けた。
「……?」
いつもならまだ目が覚めない深い闇の時間。
鞄を開けて様子を伺うが部屋の中は静まり返っていた。
「気のせいかしら・・・・」
窓の外に目をやると薄っすらと月が柔らかく光を照らしている。
晴れている時の光ではなく少し薄暗い・・・・いわゆる朧月なのだ。
「いやらしい月ね。少し前の私の心を映し出しているつもりかしら?」
「今はお前にも負けないくらい心穏やかで明るいわよ」
どこか楽しそうに何もいわない相手に向かって皮肉をいう。
「………ぅ……ぃゃ……」
「――!?」
今度は気のせいではなく、ちゃんと耳に届いた。
この感覚は時々あったのでどことなく原因は分かっていた。
そっと水銀燈の鞄を開けて様子を伺う。
「………しん…くぅ」
弱弱しい声が自分を探している。
頬を何度も涙が伝い、目元は少し赤くなっていた。
「水銀燈…。安心なさい、私はここにいるわ」
目元をハンカチで優しく拭ってあげていた手で水銀燈の髪を手櫛で撫でてあげる。
薄っすら目を開き、おぼろげに真紅の姿を確認した。
「真紅ぅ…」
飛び起きて真紅に抱きつくと再び涙を溢れさせ嗚咽を漏らした。
「また、夢の中で思い出に触れたのね」
優しく諭すような真紅の声に水銀燈も徐々に落ち着きを取り戻す。
だが、真紅の優しい手に撫でられて抱きしめられている心地よい今の状態から離れたくない。
だから敢えて真紅の問いに答えず暫く抱き合っていた。
「また…あの場所にいって触れてきたわぁ…」
抱き合ったまま水銀燈はポツリと語る。
素直に答える水銀燈を抱いたまま軽く背中を撫でてあげ、聞いている意思を示した。
「でもやっぱり…昔のコトに触れるとすごく胸が痛くなって怖くなって…悲しくなってしまうわ…」
つーっと一筋だけ頬を雫が垂れ落ちる。
抱き合っていた身体を離すと涙が伝っていったほうに再びハンカチをあてがい、柔らかく触れた。
水銀燈もその手にそっと手を重ねる。
「それでいいんじゃないかしら?だってあなたは辛い過去に勇敢に向き合ってるんですもの」
「そう…真紅がそういうのならそういうことにしてあげるわぁ…」
いつもの水銀燈の勢いはないが言い返してみせる。
「ふぁ…まだこんな時間だもの。眠たいわ」
「そうね…もう少し眠っておくわぁ」
再び水銀燈は鞄の中に横になる。
今度は水銀燈が真紅が鞄を閉じるまで見つめておこうと思い、真紅を眺めている。
「水銀燈、もうちょっと奥に詰めて頂戴。私が横になれないのだわ」
ぐいぐいと強引に水銀燈を鞄の奥に追いやられた。
目を丸くして真紅の行動を見つめる。
「ちょ、ちょっとぉ。何で私の鞄に入ってくるのよぉ!狭いじゃなぁい」
少し迷惑そうに、でも嬉しそうなトーンの声で水銀燈が非難する。
「あら、本当に厭なら力ずくで追い出せばいいでしょ?」
にっこりと笑顔で意地悪なことをいう。
こういうときの真紅には水銀燈は絶対勝てない。
「真紅…狭いし、顔が近いわ。それに…見つめすぎよぉ」
「仕方ないわ、一つの鞄に私たち二人で寝ようとしてるのだもの」
小さな鞄の中でお互いが自分お心地よい位置を探しているので少しガタガタと音がを立てる。
やがて妥協できる位置が見つかったのか静まり返った。
「…水銀燈」
不意にちゅっと水銀燈の唇を真紅が奪った。
「な、なにするのよぉ!」
二人ですごしている狭い鞄の中なので身体を思うように動かせない為、目だけを泳がせる。
「したいと思ったからしただけよ。本当に水銀燈は純粋無垢でかわいい子なのだわ」
「……ッ!」
ジーっと見つめてくる真紅に目も合わせられず水銀燈は顔だけを赤く染めて照れていた。
「一緒に寝れば…夢で出会える確率も上がるし、あなたも安心するでしょう?」
「真紅はやっぱり……おばかさぁんよぉ……でも大好きよぉ」
狭い鞄の中でじゃれ合いながら眠りの世界へ再び入っていった。
今度は二人で優しい夢を見ようとお互いの手を握って……。
おしまい