Salvere000 ◆iDqvc5TpTI


闇の炎はこの世に地獄を呼び寄せた。
モラル崩壊とはよく言ったものである。
凄惨なまでに破壊されたこの光景を目にすれば、只の人間では、倫理や道徳を維持したままではいられなかっただろう。

「う、あ、ガガ……」

みしり、みしり、みしり。
荒れ果てた大地を軋ませながら進むモンスターの歩みに合わせて、誰の者と知れない、呻きが上がる。
焼けただれた誰かの肌が風にかすれ、カサカサと音を立てる。

「う、ぎ、あ、あ、ぐ」

みしり、みしり、みしり。
輝く斧を持った巨漢が立ち上がろうと大地に腕をつき、それすらもなせずに崩れ落ちる。

「ヘクト、ぐぶっ!! がっ!? ギ、あ…ッ」

みしり、みしり、みしり。
巨漢の名を呼ぼうとした青年の口から言葉は出ず、紅い、赤い血だけが吐き出され続ける。

「おじ、さん……」

みしり、みしり、みしり。
立つこと叶わず、それでも這ってまで必死にしがみつこうとするが、少女の歩みは今にも止まりそうな程に遅い。

「お、ぐ、あ…………」

みしり、みしり、みしり。
抱きしめた少女の無事を確認しようとする魔術師の腕からは、彼のものか少女のものか、止めどなく血が溢れていた。

「あた……あたしは、ま、だ……」

みしり、みしり、みしり。
その先が言葉にされることはない。魔術師の少女の手から、血にまみれたクレストグラフが滑り落ちる。

「こん、な、時こ、そ、こんじょ、」

みしり、みしり、みしり。
魂をどれだけ燃やそうとも、肉体の傷を凌駕すること叶わず、サイキッカーは闇に飲まれる。

「ああ、そう、だ。だから、僕、は……。好きなように……。僕の、本当に、望んだことは……」

みしり、みしり、みしり。
命懸けで護ったサイキッカーの思いも虚しく、傷口を開いてしまった勇者は、何事かを呟き続ける。

「……………」

みしり、みしり、みしり。
瀕死の重症を負った者達の傷を治そうともせず、真の紋章に自らの生命の維持を任せ、青年は偽りの眠りを演じる。

「今度、こそ、今度こそ……わらわ、は」

みしり、みしり、みしり。
着包みが無残に裂け、露出した肌を太陽に焼かれ、ノーブルレッドが炎症に苦しむ。

それら放っておけば死ぬ全てを置き去りにして、怪物は、この場でただ一人、無傷な少女の前に立った。

「あ、う、あ、あ」

アナスタシア・ルン・ヴァレリア
全人類が助かるために“生贄”として捧げられた少女が、皮肉にも、友をはじめ、多くの人間を犠牲にして、一人だけ難を逃れた。
ニノ達の魔法により威力を減衰された闇の炎を、ジョウイとマリアベルに護られることでやり過ごした。
アナスタシア自身は、唖然とするだけで、なんら生き延びる為の手を打っていなかったにも関わらずだ。

それを、許さぬと。
そんな護られるだけで、護られる価値のない人間こそが許せないのだと言わんばかりに。
魔王の化身となった物真似師は、落ちていた剣を拾い上げる。
奇しくもその剣は、かつてオディオが“勇者”であった頃に先代の“勇者”より引き継いだ聖剣、ブライオン。
“勇者”を破滅に追いやり、今も親友達を“生贄”に一人生き延びた“剣の聖女”を裁くに際し、これ以上とない剣だった。

「わたし、やっぱり生きてちゃ駄目だったのかな……」

ゆらりと、怪物が剣を振り上げる。

「物語の“英雄”として、死んだままじゃないと、駄目だったのかな」

生きることの意味を見失った少女に、抵抗する意思はなかった。

「やり直せると、思ったのになあ」

あったのは遂に認めてしまった諦めだけ。

「せっかく、生き返れたのに、生き方、間違っちゃったのかな」

諦めのままに懺悔する少女に怪物は無言だった。

「“救われない”わね。わたしも、キミも。
 ……せめて、ちゃんと殺してね。事象の果てでまたひとりぼっちなんて、耐えられないから」

怪物は無言のまま剣を振り下ろす。

「ごめんね、ちょこちゃん。利用しようとして。
 ありがとう、マリアベル。護ってくれて」

諦めが人を殺す。
アナスタシアを“剣の聖女”たらしめていた、生きる意志を失った以上、少女は聖女などではない、ただの少女に過ぎなかった。
ずっと、彼女が望み続けてきた、ただの人間に過ぎなかった。
そして、ただの人間に、モンスターの牙から逃れるすべはない。







ああ、だから。






それでもモンスターの牙が届かなかったというのなら。





それはモンスター同様、牙ありし存在が、人間を庇った時だけだろう。





少女が、そこにいた。
牙持ちて、牙なき人を友となす、不死の少女がそこにいた。
太陽に赤く赤く焼かれながらも、人外の膂力で無理やり掲げたアーガトラームの重さに押しつぶされながらも。

「マリ、アベ、ル……?」
「ようやっと、わらわの名を呼んでくれたの、アナスタシア」

マリアベルは、笑って、そこにいた。




問おう、汝は何者か

――伝説のインモータルにして、生態系の頂点に立つノーブルレッドにして、ファルガイアの唯一無二絶対究極の真の支配者にして……ええい!
  一言二言で語れるほど、わらわはちっぽけな存在ではないわあああああ!
  ……ふん、それでもまあ、敢えて、たった一言だけで、自らを名乗らねばならぬのなら。
  わらわはこう名乗ろう。
  アナスタシア・ルンヴァレリアの永遠の友であると。

陽の光が熱く、聖剣が重い。
じくじくと焼かれる肌は、ぼたぼたと、貴重な水分を零してばかり。
赤い血。
人間とは違う、されど、人間と同じ色をした、赤い血。
その血を見て、アナスタシアが悲鳴を上げる。

「大丈夫じゃよ、アナスタシア。これくらい、痛くも痒くもないわ。
 知っておろう。わらわは不死のノーブルレッド。死にはせん」

はったりだ。
マリアベルは死ぬ。
オディオの力がただ一人を残してノーブルレッドを滅ぼしたロードブレイザーの力と同質である以上。
そのオディオを物真似したモンスターの剣で斬られれば、マリアベルの魂は肉体ごと殺される。

「けどの。死なないことは、死ねないことでもある」

それななのに笑っていられるのは、不死に飽き、死を望んでいるからか。

「のう、アナスタシア」

ああ、そんなことを考えたこともあった。

「わらわとしたことがの。一時弱気に駆られたことがあるのじゃ」

出鱈目に振り下ろされるブライオン。
どけと、邪魔だと、何度も何度も打ちつけてくる衝撃に、アガートラームを握る両手が震える。

「何故、何故わらわは一人きりなのかと」

衝撃に震えるのは手だけではない。
陽の光を浴び炭化していく全身に、衝撃が走り、罅割れていく。

「わらわは誇り高きノーブルレッド。悠久の時を生きることのできる選ばれし民」

永久不滅たる魂が、磨耗し擦り切れ朽ち果てていく。

「しかし、共に生きる一族はもういないのじゃ」

このままなら死ぬだろう。
間違いなく、死ねるだろう。

「なぜわらわだけが生きている……
 一族と共に滅びてしまえばこんな想いをすることはなかったのじゃッ」

いつかそう願ったように。
父のもとに、母のもとに、一族のもとに、マリアベルは召されるだろう。

「おぬしと共に死ねていれば、こんな想いをすることはなかったッ!
 否、おぬしの代わりにわらわが命を捧げられたなら、どれほど良かったかッ!」

アナスタシアの目が見開かれていく。
マリアベルを死ねなくしたのは、他ならぬアナスタシアだった。
アナスタシアがもたらした時空を超えたアシュレーとの邂逅。
その時にしてしまった共に戦おうという約束が、マリアベルに、生き続けることを選ばせた。
ノーブルレッドは約束を違えぬ。
死にゆく友が残していった未来への約束。
それを果たす日まではと、マリアベルは長い、永い、孤独の眠りについた。

「もういい、もういいから! わたしのことはいいから!」

そう言ってくれるのは、分かっておった。
あのアナスタシアが、自分の命よりも、他人の命を優先する。
こんな光景を見れば、さぞかし、イスラやユーリルは驚いたじゃろうな。
じゃがの、わらわにとっては、何の不思議もないのじゃ。
アナスタシアは誰よりも、生きたいと願う少女であると同時に。
誰よりも、大切な人達に生きていて欲しいと願える少女なのだから。

じゃからこそ、アナスタシアは、あれだけ固執した自分の命を差し出してまで、マリアベル達を“救って”くれた。
死んだ後でさえ、マリアベルが早まった真似をしないよう、過去に干渉し、約束を残してくれた。

“生きたい”という欲望。
“生きて”という欲望。
その二つを兼ね備えておるのが、我が友、我が誇り、アナスタシア・ルン・ヴァレリアなのじゃ。

「じゃが、今にして思う」

だからの。泣いてくれるな、アナスタシア。
わらわがおぬしを恨んだことなど、一度もない。
どころか今、わらわはおぬしに感謝しておる。

「生きていて良かったと」

わらわはずっと、待っていた。
この時が来るのを待っていた。

「わらわが生きながらえた意味は、今この時、おぬしと再会するためにこそ、あったのじゃ」

わらわはちゃんと、笑えておるかの。
太陽に焼かれたせいで、ひどい顔をしておらぬかの。

「アナスタシア、我が永遠の友よ」

まあ、それでもよいか。
アナスタシアの方が、わらわより、よっぽどひどい顔をしておるのじゃから。

「この戦いが終わったら、花を見にゆかぬか?」

それに、どんな有様でも、約束は紡げる。
ずっとずっと、また会えればと願い続けて、届けたかった言葉を口にできる。

「おぬしが護った世界。アシュレーが護った世界」

“生きる”ということ。
それは明日を夢見ることじゃと、わらわは思う。

「それを、見にゆこう」

じゃったら約束とは、自分と相手に、明日まで生きていて欲しいというイノリそのものじゃと思うのは、わらわの考えすぎかの?

「美しいぞ。なんせわらわが支配する世界で、おぬしやアシュレーが護った世界なのじゃ」

ついに手を握っていることすら叶わなくなり、マリアベルの手からアガートラームが抜け落ちる。

「荒廃していたのも、昔の話じゃ。今のファルガイアには、緑が、花が溢れておる」

魔力はとっくの前にすっからかんだ。

「じゃから。それを見にゆこう。懐かしい、あの日々のように」

それでも、親友が頷いてくれるのを目にして、この身一つを盾にしてでも、今度こそ、護り抜こうとマリアベルは心に誓った。









心に誓ったのに。
その切なる願いさえ、モンスターは踏みにじる。









「な……」

消えたのだ、モンスターの姿が。
そうだ、何故忘れていた。
モンスターはどうやって、この地に姿を現した?

それが、答え。
物真似師は一つだけ、たった一つだけ、オディオから心以外の技を写し取っていたのだ。
物真似師達をこの島に飛ばした、空間跳躍の技術を!

「逃げよ、アナスタシ……ぐ!?」

気付いた時には遅かった。
振り返ったマリアベルが目にしたのは、アナスタシアの背後で実体化し、剣を掲げなおす怪物の姿。
再び、割って入ろうにも、マリアベルの足は一歩も動いてくれなかった。
どころか身体さえ、支えてはくれなかった。

「マリアベルッ!」

駄目だ、ここで倒れては駄目だ。
立てなくなる、二度と立てなくなる。
分かる、自分の身体だ、嫌でも分かる。
マリアベルは死ぬ、もう間もなく。

それを見て取ったのだろう、我が身が危ないと言うのに、アナスタシアは、ただマリアベルの名だけを呼んでいる。

「頼む、誰か」
「お願い、誰か」

誰かとは、誰だ。
そんな誰かなんていはしない。
ヘクトルも、イスラも、ちょこも、ストレイボウも、ニノも、アキラも虫の息だ。
このままだとちょうど、アナスタシアが斬り殺され、マリアベルが力尽きる頃に、彼らは皆、息絶えるだろう。
真の紋章の力で生きながらえているジョウイは、彼女達を“救う”意思がない。

「アナスタシアを」
「マリアベルを」

だから、これで、みんなまとめてジ・エンドだ。
荒野に転がったアガートラームを手にするものが現れぬ限り、ここで、終わる。
マリアベルにその力はない。
アナスタシアは、こと此処に至ってでさえ、いや、自らの親友の命がかかっているからこそ、自ら全てを奪った力に触れることを躊躇した。

「「助けて!!」」






ああ、ならば。
であるなら。
その結末は、当然のことだった。







アナスタシアが斬り殺される。






マリアベルが力尽きる。






ヘクトルが戦場に眠る。






イスラが無念の死を迎える。






ちょこが闇へと還る。






ストレイボウが魂の牢獄へと再び繋がれる。






ニノが薄幸の人生を終える。






アキラが松の後を追う。





――それら全ての数瞬速く

アガートラームが引き抜かれ、白き光が世界を覆う。

「サルベイション」

其は再誕の光。
“生きたい”と願う全ての者を蘇らせる力。
“生きて”と祈る全ての者に報いる力。
事前に施しておくことで、一度死した者達を、死の淵より呼び戻す、“救い”の力。

「おぬし、は……」

息を吹き返したマリアベルが、その姿に瞠目する。

「嘘、なん、で……?」

ブライオンを受け止め、自らの命を“救った”人物を前に、アナスタシアは信じられない面持ちだった。

「どうなって、やがる!?」「何が起きた!?」「おにー、さん?」「バッジが光ってる……」「なに、この光……」「あったけえ」

再誕したヘクトルが、イスラが、ちょこが、ストレイボウが、ニノが、アキラが。

「……きみは」

ジョウイでさえも。
驚きを禁じえず、救い手たる存在を見つめていた。

「アナスタシア。僕はお前が大っ嫌いだ」

その者は“剣の聖女”ではなかった。

「けど」

“剣の英雄”でもなかった。

「お前には身を張ってまで助けてくれようとする友達がいる。
 僕が本当に助けたくて、けど、助けられなかった存在がいてくれるんだ」

人々はかの救い手のことをこう謳う。

「なら、お前は“救われろ”。“生贄”は、僕だけで十分だ」

“勇者”と。

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最終更新:2011年07月21日 23:47