スピカ ◆UbXiS6g9Mc
がたん、ごとん。金属と金属がぶつかる音。次いで発生したのは、ちゃりんちゃりんと小銭が落ちる音。
ぎぃ、と少しだけ耳障りな音を鳴らすプラスチック製のカバーを押しのけて手を突っ込めば、冷たい感触が返ってくる。
円筒状のフォルムが、あさぎりゲンの手にはよく馴染んだ。滑らかな加工が施された表面は少し濡れ、そこには見慣れたロゴマークが描かれている。
「――ハハッ、まっさかジーマーで”こんなもの”をまた見れるだなんて……思ってもなかったよねぇ」
そう言って軽薄そうな笑いを浮かべる青年の名前は、あさぎりゲン――かつてメンタリストとして一世を風靡した男。
人の心理を熟知し、時には言葉、時には行動で他者を操り策を謀る、詐欺師すれすれの優男。
そんな彼が今手にしているのは、現代人ならば誰でも一度は飲んだことがあるはずの、赤字に白のロゴマークが入った炭酸飲料水。
コカ・コーラの缶である。
コーラはゲンの好物で、日常的に愛飲していた。
コーラは何にだって合う、最強の飲み物だと思っていた。
「世界が滅んだってコーラだけは残るでしょって冗談を話したこともあったけど……まさかジーマーで文明が滅んじゃうだなんてね~」
あさぎりゲンが生きていた世界で、人類が築いてきた文明は壊滅的なまでに滅んだ。
人類を襲った謎の怪光線とそれに伴う全人類の石化、そして数千年の時を経ての復活――
SF小説でもそうそう描かれることはないだろう荒唐無稽でありえない展開が繰り広げられ、あさぎりゲンはその物語の主要登場人物の一人だった。
だがそれはあさぎりゲンにとってはどうしようもなく現実で。
だからこそ、完全に失われてしまったはずの現代文明に――
夜中でも煌々と灯りが絶えない街並みと、道端に設置された自動販売機なんてものにまた出会えたのは、彼にとっては夢物語のようだった。
ゲンはコーラを手に握ったまま開封もせず、そのままふらふらと歩いていく。
やがてお眼鏡にかなう場所を見つけたのか、よっこらせと腰を落ち着ける。
プルタブに指をかける。少し力を入れると、缶の飲み口からカシュ、と炭酸が抜けていく音。
しゅわしゅわと炭酸が立ち上っていく感触が缶を通して伝わってくる。
口を付ける前に、少しだけ匂いを嗅いだ。柑橘系の爽やかな匂いと、砂糖がドカドカと入った甘ったるい匂い。
複雑で、でも嗅ぎ慣れた匂いだ。そのままそっと飲み口に口づけ、傾ける。
口の中に入ってくるのは強烈な炭酸の食感と、突き抜けるような香りと、刺激的な味わい――
「うっ……美味ァ~~!! なにこれなにこれ、コーラってこんなに美味かったっけ~~!?
これにハンバーガーと揚げたてのポテトでもあれば最高なんだけどね♪ いや、アッツアツのラーメンも捨てがたいな~」
一度飲み始めたら、もう止まらない。ごくりごくりと喉を通る炭酸の感触がたまらない。
缶を傾ける角度がどんどん垂直に近くなっていき、あっという間に最後の一滴まで飲み干してしまう。
コーラの一気飲みに付き物の大きなげっぷも吐き出して、ゲンは空になった缶を傍らに置いた。
数千年ぶりに飲んだ本物のコーラは、ゲンの脳をこれ以上なく刺激した。もう二度と飲めないかと思っていたあの味に、再び巡り会えた。
「だけど……今飲んでみて、分かったよ。これは、俺が今まで何百本と飲んできたコーラとまるっきり一緒だね。
本物の味はするよ。でも、俺の今までの人生の中で一番美味かった飲み物……それはこのコーラじゃなくて、」
文明が原始時代のそれに逆戻りしてしまった遠い未来の世界――何もかも未成熟で、口に入って栄養になれば十分な食事扱いされる世界で。
あさぎりゲンの夢を、まるで魔法のような科学の力で用意した、石神千空謹製の贋物のコーラ。
あれはまさに、本物を超える贋物の味だった。あさぎりゲンにとって、あの一本だけが特別なコーラだった。
「ねぇ、千空ちゃん。お願いだから……もう一度俺に、あのコーラを作ってよ……」
あさぎりゲンは、傍らで横たわる石神千空の亡骸に向かって、そう呟いた。
◇
あさぎりゲンは、ある意味で幸運だったのかもしれない。
彼が衝撃音を聞きつけてそこに辿り着いたとき、千空を殺したカイドウは既にその場を去ってしまっていたからだ。
もしもカイドウがその場に留まってゲンと遭遇していたならば、ゲンも今頃物言わぬ骸となっていただろう。
ゲンが見たのは、既に事切れていた千空の姿だった。半身は潰れ、目から光は消え去り、周囲には彼のものと思しき血溜まりが広がっている。
誰がどう見たって石神千空は生命活動を止めていた。その事実は、あさぎりゲンも一目見て即座に理解していた。
だが、ゲンの脳は理解を拒んだ。そもそもこの状況が悪い夢のようだ。
夢の中で殺し合いをするように告げられ、目が覚めれば失われたはずの現代文明の真っ只中にいる。
そこに石神千空の死体とくれば――これはもう、何かの悪夢だと。そう思いたくなるのも仕方なかった。
どうせ覚める夢ならばと、ゲンは目を背けて海辺の港を散策した。
潮の香りはどこまでもリアルで、夢にしてはあまりに鮮明だと思った。
いつの間にか持っていた所持品の中には現金が含まれていて、たまたま見つけた自販機には赤と白の見慣れた缶があって――
それを飲んで、ようやくあさぎりゲンは――これが、この認めたくない状況が、どうしようもなく現実なのだと思い知らされた。
「千空ちゃんのことだからいきなりリームーな鬼札(ババ)でも引いちゃったんだろうねぇ……らし過ぎだよ、まったく」
千空の身体は、見るも無残な姿になっていた。いったいどれほどの力と道具があれば、このような惨状を引き起こせるのだろうか。
千空もきっと、最後まで抵抗したのだろう。
逃げれば遺体は背後から攻撃を受け、うつ伏せに倒れ込んでいたはずだ。だが千空の身体は、仰向けになっていた。
そして傍らには、ゲンも見慣れたアイテム――人類を石化させた石化装置の残骸が転がっている。
千空はきっと、この石化装置を用いて自分もろとも敵を石化させようとしたのだ。しかしそれは失敗し、石化装置ごと身体を打ち砕かれ、死亡した。
あさぎりゲンが人の心と行動を読むスペシャリストだからこそ、千空の最期の行動がわかる。わかってしまう。
千空の瞳は、閉じることなく真っ直ぐに正面を見据えていた。
仰向けに倒れた千空の正面。その視線の先を、ゲンもまた見る。
そこには満天の星空があった。石神千空は最期までこの空を見つめ、そして逝ったのだ。彼が憧れていた宇宙を眺めながら。
千空の口元には生前と変わらぬ不敵な笑みが浮かんでいた。
やれることは全てやりきったのだと、そう言わんばかりの表情だった。
「だけど――だけどさ、千空ちゃん。上手に隠したつもりなのかもしれないけど――俺にはわかっちゃうよ」
だって俺は、メンタリストだからさ――
千空の目元に、わずかに。誰も気づけないほどの、わずかな痕跡があった。
たった一筋の涙の跡。それは、千空の未練を雄弁に語っていて――
ゲンは、上を向いた。涙が、こぼれてしまわないように。千空が最期に見た景色を、自分の目に焼き付けるために。
「こんなとき千空ちゃんならどうするんだろうね。きっと俺には考えもつかないようなスペシャルな方法を見つけちゃうんだろうな。
でも――俺には思いつかないよ。だから俺は――俺は――――!」
ゲンは、己の感情の赴くままに叫んだ。感情をコントロールするのが生業のメンタリストにあるまじき行為だ。
だがそれでも、今は胸の内を吐き出さずにはいられなかった。
それほどまでに石神千空という男は、あさぎりゲンの内の多くを占めていた。
「千空ちゃんはさ、ストーンワールドには――科学王国には欠かせない人間なのよ」
石神千空はあさぎりゲンのみならず、ストーンワールドを生きる多くの人間たちの心の支えとなっていた。
彼という存在がいなければ、人類の営みを再び地球上に取り戻すという壮大な計画は絵空事のまま終わってしまっていただろう。
そしてその計画は、未だ道半ばだ。全人類を石化から復活させることも、石化の原因を突き止めることも、二度と石化に脅えることがないよう対策することも出来ていない。
千空抜きにそれを達成することが出来るのか? あさぎりゲンはノーだと答える。
石神千空に比肩する頭脳の持ち主ならば世界のどこかにいるかもしれない。
それぞれの専門分野の知識量ならば、千空を凌ぐ人間も数多く存在している。
だが、石神千空という人間の代わりを出来る人間は、どこにもいないのだ。
千空が科学王国の旗頭となっていたからこそ、人は彼の元に集い、その力を結集させ困難を打破してきた。
「ダメなんだよ。千空ちゃんがいなくちゃ、俺たちの世界を取り戻せない――
――なーんていう、大義名分や建前だけじゃなくてさ。
……俺がね、千空ちゃんの”夢”をこんなところで終わらせたくないだけなんだよ」
――だから、ストーンワールドに残してきた仲間のためだなんて言い訳はしない。
あさぎりゲン個人のエゴだ。他の誰でもなく、ゲンだけが一人で背負う罪だ。
「俺が――千空ちゃんを生き返らせるよ。どんな手を使ってでも……ね」
死後に地獄に堕ちる覚悟は、もうとっくに済ませている。
あとは自分の心の弱さを殺すだけだ。
ならばあさぎりゲンは、自分の心すら騙し切る。
「だって俺は――メンタリスト・あさぎりゲン。科学王国が誇る五知将の一人にして策謀の担い手――
千空ちゃんお墨付き、吹けば飛ぶような軽くて薄っぺらい言葉と信条で出来てる、根っからの嘘つきだからね」
【E-1/港/1日目・未明】
【あさぎりゲン@Dr.STONE】
[状態]:健康
[装備]:無し
[道具]:基本支給品一式、財布@現実(残金5万円ほど)、ランダム支給品0~2
[思考・状況]
基本方針:50ポイントの報酬を使って石神千空を蘇生する
1.とりあえず人がいそうなところに向かっちゃう~?
2.司ちゃんと氷月ちゃんにはできれば会いたくないな~
[備考]
特に無し。
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最終更新:2022年09月23日 02:39