「涼宮さんの能力が、僕に影響を及ぼした事は理解しているつもりニャよ」
「そうだ。その事が問題なんだ」
小鼻の傍に生えた左右計六本のひげをしきりに撫でながら佐々木は苦笑する。
大丈夫だ、心配なんかしていない、と。
だが俺はそうではないんだ。
心はあの春の騒動に立ち返る。
あの騒動の時、騒動の発起人である橘が危惧したのは「ハルヒが力を暴走させ、世界を危機に陥れる」事だった。
その為に「精神が落ち着いた神候補、佐々木」に力を移し、世界を安定させようとしたのだ。
だが俺は提案を一蹴した。
ハルヒの奴はそこまで精神をボーダーの向うまでやっていない。
せいぜいがストレスで神人を発生させ、古泉の小遣い稼ぎを手伝ってやる程度でしかない。だから心配は要らないのだと。だが……
「……キョン、そうやって思考を割いてくれるのは、あーいや、そうだ、苦労をかけてすまないと思っている」
「何だ改まって」
「いやね」
俺の思考を遮ったのは佐々木だ。
言って、少し申し訳なさそうな顔をしながら……申し訳ないのはこっちなのだが……佐々木はゆっくりと首を傾げて苦笑する。
「そうだな、キミは猫の生態に一般より詳しいはずだね?」
「そりゃウチで飼ってるしな」
飼い方指南みたいな本も流し読みはした。一応な。
「話は変わるが、猫の語源の一説について聞き及んだことはあるかい?」
「また随分飛んだな。猫の語源ねえ」
言いつつ佐々木は、今度は逆方向に首をゆっくりと傾げる。
どうも妙だな。確かにこいつは迂遠な会話を好む奴だが、むしろこれはわざとらしい。
迂遠に「したがっている」感がアリアリだ。先程から何気なく口元を隠したがっている仕草も「あからさま」すぎて佐々木らしくない。
佐々木らしくないくせに佐々木らしくあろうとしている。
猫、ねこ、…………そうか、寝子、か。
「……もしかして眠いのか?」
「……恥ずかしながら」
佐々木の奴は恥ずかしげに言ったが、恥じることは無いぞ。猫っぽくなってるならそうもなるさ。
猫、特に飼い猫ってのは下手すりゃ20時間も寝る奴もいるらしいし。
しばらく寝とけ。
「すまない。……重ねて厚かましいようだが、マスクか何かを貸してくれないか? ウチに帰るにしてもこの姿ではままならないし」
「何言ってんだ。対策を考えないといかんだろ?」
「だからね、キョン」
「だからな、佐々木」
俺のベッド貸してやるから寝とけ。
「ニャ!?」
下手に外出するとトラブルになるかもしれんしな。
お前がしばらく寝てる間に、ない頭を絞って考えてみるさ。
ああそうだ、心配すんな。いま新しいシーツと予備のかけ布団と枕持ってきてやるから。そうそう長門にも相談しないといかんな。
…………………………………
……………
「…………」
「どうした。もしかしてカビ臭いか?」
犬ほどじゃないらしいが、それでも猫は人間の何万倍だかの嗅覚がある……だったか? うろおぼえだが。
「ああ、いや、大丈夫だ。むしろ大丈夫だ」
「いいから寝てろ」
何がむしろだ。まだ混乱しとるな。
佐々木を俺のベッドに寝せ、俺自身は床に座ってベッドによりかかって考え事をする。
何が起こるか解らんし、とりあえずこれがベストの体勢だろう。
「いや、このあまり使われていない布団の匂いのおかげでむしろ助かったのさ。慣れニャい匂いが覚醒を促してくれたらしい」
仰向けにしていた身体を横に倒し、ベッド脇の俺に視線を向けてくる。
確かにさっきよりしっかりしてる気がするが。
そういえば飼い猫は20時間寝る奴も居るが、野良猫はそうでもないとか読んだな。
実際、道端で寝てる猫は人が通るとすぐに目を覚ましてしまう。
家猫はふてぶてしく寝床を確保し続けるのにだ。
その理由は、なんだっけか……。
「さてキョン」
俺の思考を強引に遮るように、というか本当に遮ろうとしていた気もするが……心なしか早口で佐々木は言った。
「横になったままですまニャいが話を続けよう。この方が匂いを感じられるからね」
「そうしてくれ」
って他人事じゃないな。まず俺からか。
「ほう? 早くも何か見つけたのかい?」
「いや、さっき言い掛けたことだ」
「拝聴しよう」
「俺はお前に謝らないといかん」
あの時、俺は「ハルヒは世界を壊すような力の使い方はしない」と思った。だからハルヒから佐々木への力の移管を拒んだ。
こんな事になったのは、俺が力の移管に同意しなかったからだ。
なら、俺は謝らないといかん。
「おや、何を言っているんだい」
一瞬きょとんとし、佐々木はくすくすと笑った。
「あれが正解だったに決まっている。僕の身体に異変が起きたのは確かだニャ。けど、世界を壊すようなものとは程遠いだろう?」
「確かにそうかもしれん」
「なら」
「問題はそこじゃないんだ」
俺が力の移管を拒んだ。結果、予想外の形でお前に迷惑をかけちまった。
なら、俺はその責任を負うべきなんだよ。
違うか?
「違うね。予想してなかったんだろ?」
「だが出来なかった訳じゃない」
さっき言ったように俺は「類例」を見てきているからな。
ハルヒの精神は確かに根本の部分でまともで普通だ。世界を壊すような真似はしない。
けどな、まともで普通だからこそ、あいつは「世界」、いや何か違うな。クソこういうの何ていうんだっけか。
ベッドの脇で頭を抱えて語彙不足に悩む俺を、布団に包まれた佐々木が見ている。
追求なんかじゃない、ただ、俺が答えを出すのをじっと見守っている。
思えば中学時代も、あの春の事件の時だってそうだった。
こいつは根本的に俺よりもずっと頭のデキがいい。
日頃そうやって俺をからかっていたように、俺の思考を知らない内に方向転換させ、気付かない内に誘導できてしまうスペックがある。
『キョン、それはエンターテイメント症候群というものだよ』
中学時代の佐々木が脳内で笑う。
そうとも、大抵は結論に至ろうとする俺の思考を曖昧模糊に散逸させ、結論を付けさせなかった。
そして俺は違和感こそ感じても、ロクに気付くことはなかった。
こいつは俺よりもずっと頭のデキがいいからだ。
けど、ここぞと言う時、こいつは俺の思考を曖昧に捻じ曲げない。
ただ、俺が素直に答えを出せるように、と、
「キョン」
「僕も経験があるが、悩んだ時はもっとシンプルに考えてみるというのはどうかな?」
「シンプルに、か」
そんな時、このちょっと変な女は素直な言葉だけをかけてくれる。
俺の選択を曲げないように、ノイズを与えないように、けれど、助けにはなるように。思考の材料や判断材料を与えてくれる。
俺の判断材料にする為なら、夢だの存在意義だの、そんな気恥ずかしいはずの事まですらすらと言ってくれる。
俺だったら、決して他人には口に出せないだろうと思っているような
そんな自分自身の深いところさえ教えてくれる。
理性が服着て歩いてるような顔をして。
なのにどこか曖昧模糊にする事を好むような一面を持っていて、そして曖昧に出来てしまうようなスペックを持った、このちょっと変な女は
いつでも俺の思考回路をかきまわせるくせに、ここぞで自分の好きな方向へ捻じ曲げるのを止めてしまう。
俺に俺でいさせようとする、その為に犠牲さえ払ってくれる。
そんな、ちょっと変わった女なのだ。
「ああそうだ。あいつは確かにもう不満で世界を壊したりしない。けどな、あいつは「普通」だから、自分の好きなように世界を弄りまわす事くらいあるんだよ」
俺は文化祭の時に嫌と言うほどそれを知ったし、あの春先の事件だってそうだ。
あいつは「自分たちの世界」を守る為ならなんだってやってくれる。
俺たちの為なら、世界を分裂させさえしたんだ。
最後の最後に介入する為?
それにしちゃあ随分と迂遠で壮大な手段を使った事を俺は忘れちゃいない。
mikuruフォルダを見たヤスミ、ハルヒの影が「身内に対して」起こした反応と、随分違ってた事に気付かなきゃいけなかった。
そしてハルヒと佐々木の内面世界がくっついた奇妙な世界で、藤原が言い放った言葉を忘れちゃいけなかったんだ。
藤原は自分の望むように世界を変えようとした事、先んじて同じような事をハルヒがやっていた事。
ハルヒの能力はいずれ失われるから、敢えてあのタイミングで介入したこと。
何より、力を奪う為にハルヒが殺されそうになった事。
ハルヒの無意識は「自分たちの世界」を守るためなら能力の使用を躊躇わない。
けど、そんな万能の力を他人が見逃し続けるはずが無い、藤原のように「力」を奪おうとする奴はきっとまた現れるだろう。
そして今度こそ、その為にハルヒは殺されるかもしれないのだ。
そんな殺伐としたことを俺は何故見過ごしてきたんだ。
一つ、あいつの心が「普通」だからこそ、あいつは「自分の日常」を大切にする。だから「世界を壊す」なんて大事じゃなくとも、何をしでかすか解らない。
二つ、あいつに「力」がある限り、あいつはある意味で世界の誰よりも危険に身を置いている。
俺はその両方を知ったくせに、なんでまたSOS団の日常に帰れると思ったんだ?
なんで「問題は常にその時の俺が解決する」だなんて思ったんだ。
ただの問題の先送りじゃねえか。
そして今、佐々木がその「問題」の一端を引っ被っちまっているんだ。
目をそらした俺が、事情を知っているくせに、状況を動かせる役割なんだと改めて知ったくせに、そこから目をそらした俺が一番悪いって言うのに。
)続く。
最終更新:2012年09月07日 03:25