「佐々木の告白」
「は~~い、それじゃあ、ここに寝てくださいね」
彼女は普段とは明らかに違う、猫なで声でそういった。
「なによ、その口調。ちょっとキモいんだけど」
茶化しながらも、整えられたソファに横になる。
リラックスのために焚かれた香炉からはラベンダーの香り。
「時を越えるんなら、やっぱラベンダーでしょ」
彼女はそういって微笑んだ。ああ、キミは形から入るクチだったっけ。
あの映画の原田知世は可憐だったねぇ。
「そんな古い映画よく知ってるわね」
それが映画だと分かるキミもかなりの物だ。映画鑑賞は私の趣味のひとつだ。
まだ付き合って日の浅い彼女には伝えていなかったかもしれない。
胸一杯に、ラベンダーの香りを吸い込み、心を落ち着かせる。習い覚えた技術は使って
みたくなるもの、心理療法を学んだ彼女は、その実践相手として私を選択したというわけだ。
心理療法や催眠療法それ自体に興味を覚えた私はその口車に敢えて乗ってみることにした。
そろそろ思い出に埋没した思春期の自分を振り返るのも悪くはないだろう。
彼女が何を知りたいのか、そんなことにはすぐに気がついたが、それを口にしないのも友情だろう。
催眠導入のための決まり文句を彼女が祝詞か呪文のように唱えはじめた。
「ぷっ、なによ、それ~、チョー笑う」
「う、るっさいわね~、決まりなのよ。そういう風に言えってマニュアルなの」
どうやら恥ずかしかったらしい。声には照れが多分に混じっていた。
「それにしたって、あ、ダメ、腹いてぇ」
とりあえず、もう少しからかう。こういう彼女も見ていて楽しい。
「黙って集中して、呼吸を整えて」
軽く怒気が混じったので、からかうのは終了。
彼女がつむじを曲げて、ここまでやって来て中途半端に終わられるのは勘弁だ。
「あ~、ハイハイ」
彼女の弁明と呪文の続きを耳の奥で聞きながら、私の思考は、あの頃を思い返していた。
「ねぇ、どんな子だったの?」
要領のいい子だったよ。十になるかならざるかの頃には、親に逆らう無為さを理解していた。
親の信頼を買って、その範囲で好きに行動するのが得だと口に出すぐらいには賢い子供だった。
「”僕”を使い始めたのは?」
確か、小学校の六年生か、中学の一年生の頃だったよ。たぶん、中一の時だな。
自分に恋愛感情を向ける人間がいると知った時からだ。
「そんなので、バリアになったの?」
とりあえずは。それでもたまに告白を受けることがあってね。その時は断わることにしていた。
相手が誰であっても。
「へぇ“彼”も?」
彼からはそんなアプローチはなかったな。残念ながら。
「残念だった?」
いいや、別に。恋愛感情なぞ精神のかかる疾病のひとつに過ぎない!
なんて彼には告げていたからね。
「可愛いわね」
まったくもってその通り。その頃の私には恋愛は必要なものではなかった。たぶん、
彼にも。だから、彼と私の間には友情だけがあった。まぁ、それでもね。寂しさを感じる
ことはあったんだ。
「ふぅん、“彼“のことを教えて」
とらえどころのない男の子だった。平然と漫然と日々を過ごしている、どこにでもいそ
うな中学生に見えた、一見ね。だけど、すぐに分かった。彼を支配していたのは彼自身
も認識していない不満だった。あの世代の人間なら誰しもそんな不満を抱えているもの
さ。だだ、彼は平均以上に賢くて、平均以上に鈍感な少年だった。
他の人間が世界と自分との折り合いを見つけていく中で、彼は留まり続けていた。彼の
意識は彼の不満が解消されることなどあり得ないことを知っており、彼の無意識は彼が
普通の物に対して、普通以上の興味を示すことを許さなかった。
だから、僕らは惹かれあった。僕は性差を超えた友情はあり得るのだという証明を求め
ていて、彼は非日常の香りを求めていた。僕は“普通“ではなかったから、彼から普通以
上の興味を惹いたんだ。
「お似合いのふたりってわけだ」
まったくもってそのとおり。僕らはよいコンビだった。信じられるかな?
あの頃の少年と少女が一番ふれあっていたのが、異性の友人で、しかも両者の間には
恋愛感情がなかったなんて。
「ふつー、信じない」
だろうね、それが普通だ。僕らの周囲は僕らが恋人同士なのだと考えていた。
理解も共感もするつもりのない彼らに、いちいち否定したり、意味のない弁解をするの
にも疲れたので、そういうことにしておいたくらいだ。
「なんで、彼と別れることにしたの」
志望が合わなかったから。彼の学力に合わせる気もなかったしね。彼と疎遠になること
に寂しさを感じないでもなかったが、ほら、さっきも言っただろう。恋愛感情はなかったんだ
よ、私の意識下ではね。
「なるほど、イモ引いちゃったわけね」
まったくもってそのとおり。彼のような成功例もあるし、高校でも、友人を作れるだろ
うとタカをくくっていたのが失敗だった。彼は“変なヤツ“だったのだ。
「高校時代はどうだったの?」
集団の中で生きる術を学んだよ、中学では学ばなかったからね。周りから求められる
役割があり、その役を演じきれるのならば、己など意味を持たないのだ、ということを知り、
役割に殉じ、実践した三年間だったね。これはこれで、なかなか得難い経験だった。いろ
いろな役を演じたよ、そう神とかね。
「ユニークね」
鼻に届く香りが減った、意識が覚醒していく。
さてと、そろそろいいよね。選手交代だ。
「はいはい、お手柔らかにお願いね」
ソファーから身を起こし、彼女と身体を入れ替える。香油を足し、新しい香をくべる。
深呼吸し、彼女が息を整えるのを待った。
「さて、ハルヒ、キミはどんな子だった?」
最終更新:2011年11月10日 02:28