武将名 |
はらながより |
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C原長頼 |
織田信長に仕え、美濃国花木城主となる。 1577年には越前2万石を与えられ、柴田 勝家軍団に属して勝山城主となった。反乱を 起こした荒木村重の討伐戦で軍功を挙げるな ど活躍を見せた。信長没後は柴田勝家、羽柴 秀吉と主君を変えた。
「何も考えるな! . ガムシャラに攻めるのみだ!」 |
出身地 |
美濃国 |
コスト |
1.0 |
兵種 |
槍足軽 |
能力 |
武力3 統率1 |
特技 |
気合 |
計略 |
多勢の構え |
戦場にいる味方部隊が多いほど武力 が上がる |
必要士気4 |
Illustration : hippo |
Ver3.0現在も全勢力で4枚しかない「コスト1の気合持ち」。
さらにコスト1の槍足軽に限定すると、長宗我部家のC立石正賀と彼のみである。
さらに3.20での
エラッタにより、統率−1と引き換えに武力が3になった。
これにより全勢力で唯一の武力3、コスト1の槍足軽気合持ちとなった。
以前は山内一豊の後塵を拝し常に傾奇ポイント高ポイント常連だったが一気に使用率が上昇した。
ただし統率が下がったため計略の時間が若干短くなっていることは注意。
- 武力上昇:部隊数+2(5部隊で+7、6部隊で+8)
味方が揃った際の武力上昇量だけ見れば決して悪くは無く、
局地戦での活躍の可能性はあるものの、そういった状況ならば
他の計略に士気を回すべき、という見解も多いのが実情。
余談だが、彼は前名が8つあり、その内の一つである「原勝胤」の名でも知られている。また、武田家の
UC原昌胤とは同じ原氏
(清和源氏頼光流土岐氏族)でもある。
因みに関ヶ原の戦いでは西軍側として参戦して東軍方の福島高晴の籠る尾張清洲城を攻撃する等、活躍していたのだが、関ヶ原の本戦に
参戦する途中で西軍の敗報を聞いて敗走、居城・美濃太田山城にて自害を遂げている。尚、息子の原彦作は豊後臼杵城主の稲葉典通
(
R稲葉一鉄の孫にあたる人物)に仕えていたが、大坂の陣で豊臣方に加わる事が発覚したが為に処刑されてしまい、
長頼の家系は断絶している。
最終更新:2016年06月15日 09:41