神崎士郎の回想
その力がいつから彼とその妹に萌芽していたのか、今となっては分からない。
裕福な家庭に生まれながら両親から見放された兄妹は、洋館の一室で肩を寄せ合って生きてきた。
あの日、妹に異変が起きるまでは。
――俺を1人にするな!
彼の切なる叫びが、眠っていた才能を呼び覚ましたのか。
あるいはすでに創られていた世界のほうが、彼に呼びかけたのか。
とにかく、そのとき彼は初めて『鏡の向こう側』をはっきりと認識した。
―鏡面世界<ミラー・ワールド>―
鏡の向こうには、彼と妹が画用紙の上に夢想した幻獣達が戯れる、左右反転の世界が創出されていた。
彼はその並行世界に生じた生命のひとつを、死にゆく妹へ与えた。
だが、それはあくまで仮初めの命に過ぎなかったのだった。
故にそれからの彼は、ミラーワールドとそれに関わる自分の力の研究に心血を注いだ。
全ては消えゆく運命の妹に確かな未来をもたらすために。
そして追究の果てに彼は一つの方法を考案する。
複数の人間による戦いの中で命を精製することによる、一つの完全な新しい生命の創造。
選ばれた13人の哀しき騎士達が命を奪い合った。
残酷かもしれない。しかし、妹のためなら彼は何人の命でも費やすつもりだった。
その闘技は、彼の時を遡行する力によって幾度も繰り返された。望む結末を得るために。
数え切れない時を遡り、2つの世界を渡り歩くうちに、彼はあることに気がついた。
――『並行世界』はミラーワールドだけではない――
「……あらあら~、お疲れですか?」
甘ったるい女の声で、神崎士郎は我に返った。
親指と人差し指で、両目の頭を軽く押さえる。
それは久しく覚えることの無かった疲労感だった。
「……少しな。状況はどうなっている?」
神埼の言葉に、青い派手なスーツに身を包んだ女が虚空に浮かぶ立体モニターを操作する。
「と~っても面白いですよ。
意外や意外、強~い鬼さんや、トランプで戦う男の子が、
早くも“脱落”しちゃいました~」
“闘技場”たるエリア全域の立体映像を表示しているモニターの中で、赤い光点が5つ、チカチカと点滅した。
よく似てはいるが、微妙に異なって存在する世界。
ミラーワールドを、自らが生を受けた世界と横並びに存在していると表現するならば、
彼のいた世界と縦に層を成して存在している並行世界。
そんな世界を幾つも旅する中で、彼は彼の行き来し得る全ての世界に、ひとつの“共通項”を見出した。
縦に重なった諸層を貫いている、一本の軸心とでもいうべきその事実とは、
いずれの世界にも、異形の姿に身を変えて戦う戦士達がいる、ということだった。
そして、いつしか彼は、多くの戦いの知られざる目撃者となっていた。
幾多の戦士達の生き様は、見る人が違えば心に訴える物語であったかもしれない。
だが彼の胸中に顕れたのは、妹のためにより純度の高い生命を精製する術のこと、ただそれのみだった。
閉ざされた世界、戦士達の召喚、死の首輪、血の狂宴――
彼の描いたシナリオは、かつて無いほど酷薄なものだった。
スマートレディと名乗るその女に出会ったのは、首輪を作る技術を求める一環として、
『進化しすぎた人類のいる世界』を訪れていたときだった。
その世界で最先端の技術を有する企業から、女は幾つかの貴重なデータを持ち出してきた。
自分に手を貸す理由は何だ、と聞く彼に、女は、面白そうだから、とだけ応えた。
いずれにせよ、計画の実行段階での協力者を必要としていた彼は、その女をパートナーに選んだ。
何を考えているのか知らないが、この計画は並行世界を行き来する己の力と知識なくしては成り立たない。
誰にも邪魔はさせないし、できなかった。
「もうすぐ、記念すべき第一回目の放送ですね。ワクワク。発生練習しておこうかしら」
(……本当に、ただ楽しんでいるだけなのかもしれんな)
アメンボ赤いなあいうえお、と声を出すスマートレディの背中に、神崎士郎は無邪気ゆえの冷酷を感じる。
それが彼女の地なのか、あるいはそれを隠す仮面なのかは、量りかねた
不気味なのではない。むしろ、好都合でさえあった。
手元のパネルを操作すると、参加者の移動や死亡の状況が早回しにリプレイされる。
立体映像上で光点が3つぶつかりあっているのを見た神崎は、パネルをさらに操作して、
当該時刻に採取された音声を再生した。
(これは……『擬態』したか。やられたのは
剣崎一真か)
暫し思案した後、神崎士郎は一切れの紙をとりだしてペンで何事か書き付けた。
「大雑把だが、放送の原稿だ」
書きあがったメモを、腹式呼吸で発声するスマートレディへ投げてよこす。
「は~い。どれどれ……あら、剣崎クンのこと、そのまま放送しちゃっていいんですか?」
「構わない。ワームの知識がない人間は、本人の姿を見れば、我々の放送より目の前の現実を信じる」
「私達って、信用してもらえないのね。めそめそ。でも、それもおもしろそう!」
楽しそうにはしゃぐスマートレディには一瞥もくれず、神崎士郎は立体映像上の光点達を冷ややかに見つめ続けた。
(戦え、優衣のために。そのためだけにお前達はここにいる)
その胸中に悲しい狂気を宿して。
立体映像の向こう側では、東の空から茜色が差しはじめようとしていた。
最終更新:2018年03月22日 23:41