手紙を書こうと思った。
昔から、何をした訳でもなく字が綺麗だった。親や先生にもそこはよく褒められた。まるで男が書いたようには見えない、と皮肉なのか嫌みなのか純粋な感嘆なのか、よく分からない言葉と一緒にだ。でも褒められることに悪い気はしなかった。それが元なのか俺は手紙を書くのが好きだった。けれど最近はメールという便利な物に頼りがちで、結局親や遠方の友人への連絡もメールばかり使っていた。
ただ単純に、手紙を書こうと思った。
そうと決まればあとは簡単で、しばらくしまい込んでいた便せんと封筒のセットを取り出し使う柄を考えた。今は冬で、実家の方はもう雪が降っている。そんな漠然とした考えだけで、白に小さなイラストが入った便せんに決めた。
ずっと前もそうしていたように、お湯を沸かして温かい飲み物を作って、そしてゆっくり文字を書いていこう。そう思って台所に立ったところで、コーヒーも紅茶もスープの類でさえも買い置きがなかったことに気付いた。驚くより先に呆れた。いくら料理をしないからといって、これは。
「…………」
困ったな、と吐息で呟いた。手にしていた電子ケトルをひとまず棚に置き、どうしようかと考えた。考えたと言ってもそう長くは悩まなかったと思う。マフラーを首に巻き、便せんや筆記用具を鞄に詰めこむ。忘れそうになった財布をポケットに入れてアパートのドアを開けた。手袋を忘れたことを思い出したけれど、取りには行かなかった。
昔から、何をした訳でもなく字が綺麗だった。親や先生にもそこはよく褒められた。まるで男が書いたようには見えない、と皮肉なのか嫌みなのか純粋な感嘆なのか、よく分からない言葉と一緒にだ。でも褒められることに悪い気はしなかった。それが元なのか俺は手紙を書くのが好きだった。けれど最近はメールという便利な物に頼りがちで、結局親や遠方の友人への連絡もメールばかり使っていた。
ただ単純に、手紙を書こうと思った。
そうと決まればあとは簡単で、しばらくしまい込んでいた便せんと封筒のセットを取り出し使う柄を考えた。今は冬で、実家の方はもう雪が降っている。そんな漠然とした考えだけで、白に小さなイラストが入った便せんに決めた。
ずっと前もそうしていたように、お湯を沸かして温かい飲み物を作って、そしてゆっくり文字を書いていこう。そう思って台所に立ったところで、コーヒーも紅茶もスープの類でさえも買い置きがなかったことに気付いた。驚くより先に呆れた。いくら料理をしないからといって、これは。
「…………」
困ったな、と吐息で呟いた。手にしていた電子ケトルをひとまず棚に置き、どうしようかと考えた。考えたと言ってもそう長くは悩まなかったと思う。マフラーを首に巻き、便せんや筆記用具を鞄に詰めこむ。忘れそうになった財布をポケットに入れてアパートのドアを開けた。手袋を忘れたことを思い出したけれど、取りには行かなかった。
「椿屋」という喫茶店に通うようになったのは大学に慣れ始めた頃のことだ。授業のない時間を、ふらふらと外を歩くことに費やしていた時に見つけた。狭い店内に薄暗い照明と飴色のテーブル、椅子、コーヒーと煙草の匂い。客は学生が多いのに、この喫茶店はそれに似合わない気怠さが漂っている。
ドアを開けると、いつものようにマスターがカウンターの向こう側で煙草をふかしていた。ドアにつけられた鈴が響く。マスターは入ってきた俺を確認して軽く手を挙げた。それに頭を下げて応え、いつものようにカウンター席に座った。
「珍しいな、こんな時間に」
「家でのんびりしようと思ってたんですけど、あったかい飲み物をきらしてたので」
「で、注文は?」
「ダージリンをティーポットで」
手袋をつけず冬の空気に晒された手は冷たくなっていた。上手く動かない手でゆっくりと、鞄から便せんと筆記用具を取り出した。さすったり息を吐いたりしてみるものの、冷たい手はかじかんでペンを持てない。仕方なく手が温まるまで待つことにした。
気付くと、真っ白な便せんを見たマスターが不思議そうにこちらをのぞき込んでいた。
「レポート、じゃなくて手紙か」
「手紙です。書きたくなったので書こうかと思って」
「今時珍しい。最近の若者はメールだろう」
「メールは便利ですけど、俺は手紙のが好きですね」
「お前はじじいか」
「ひどいなあ。俺、まだ若いつもりなんですけど」
知ってるよ、とマスターは肩を竦めて見せた。彼の目の前、湯を注いだティーポットから嗅ぎ慣れたダージリンの香りがした。それを隠すように彼の煙草の甘い煙が目の前を横切る。なんとはなしに煙に息を吹きかけ流れを変えてみると、マスターがぱたぱたと手を振って自分の方に来た煙を払っていた。
煙が不意におかしな方向へ流れたかと思うと、マスターが煙草を灰皿で潰していた。それを眺めている俺をちらりと見やり、そう言えば、と切り出してきた。
「その手紙は誰に書くんだ?」
「……あ」
間抜けな声が出た。
手紙を書こうと思った。ただそれだけで、誰に宛てて書くのかまったく考えていなかった。雪色の便せんに文字を連ねようと決めたけれど何を書くのかすら決めていない。マスターの言葉に意味のない母音を発しただけだった。
そんな俺をからかうように、ティーカップを用意しながらマスターは笑う。
「やっぱりお前はじいさんだな。それもとびきりぼけてやがる」
今度は反論できなかった。思わず浮かんだ苦笑いは自分に対してだった。ティーポットとティーカップがカウンターに置かれ、広げていた便せんと筆記用具をひとまず寄せた。熱いティーポットに手を当てる。冷たい手がじわじわと温まっていく。
「とにかく、さっさと誰に書くのか決めたらどうだ?」
「そうですね……」
温められたティーカップに静かに中身を注ぐ。立ち上った湯気へさっきのように息を吹きかけた。
そうですね、ともう一度。
「とりあえず」
「とりあえず?」
「紅茶飲みながら、考えます」
そうして笑うと、マスターはやれやれと言わんばかりにもう一度、肩を竦めた。
ドアを開けると、いつものようにマスターがカウンターの向こう側で煙草をふかしていた。ドアにつけられた鈴が響く。マスターは入ってきた俺を確認して軽く手を挙げた。それに頭を下げて応え、いつものようにカウンター席に座った。
「珍しいな、こんな時間に」
「家でのんびりしようと思ってたんですけど、あったかい飲み物をきらしてたので」
「で、注文は?」
「ダージリンをティーポットで」
手袋をつけず冬の空気に晒された手は冷たくなっていた。上手く動かない手でゆっくりと、鞄から便せんと筆記用具を取り出した。さすったり息を吐いたりしてみるものの、冷たい手はかじかんでペンを持てない。仕方なく手が温まるまで待つことにした。
気付くと、真っ白な便せんを見たマスターが不思議そうにこちらをのぞき込んでいた。
「レポート、じゃなくて手紙か」
「手紙です。書きたくなったので書こうかと思って」
「今時珍しい。最近の若者はメールだろう」
「メールは便利ですけど、俺は手紙のが好きですね」
「お前はじじいか」
「ひどいなあ。俺、まだ若いつもりなんですけど」
知ってるよ、とマスターは肩を竦めて見せた。彼の目の前、湯を注いだティーポットから嗅ぎ慣れたダージリンの香りがした。それを隠すように彼の煙草の甘い煙が目の前を横切る。なんとはなしに煙に息を吹きかけ流れを変えてみると、マスターがぱたぱたと手を振って自分の方に来た煙を払っていた。
煙が不意におかしな方向へ流れたかと思うと、マスターが煙草を灰皿で潰していた。それを眺めている俺をちらりと見やり、そう言えば、と切り出してきた。
「その手紙は誰に書くんだ?」
「……あ」
間抜けな声が出た。
手紙を書こうと思った。ただそれだけで、誰に宛てて書くのかまったく考えていなかった。雪色の便せんに文字を連ねようと決めたけれど何を書くのかすら決めていない。マスターの言葉に意味のない母音を発しただけだった。
そんな俺をからかうように、ティーカップを用意しながらマスターは笑う。
「やっぱりお前はじいさんだな。それもとびきりぼけてやがる」
今度は反論できなかった。思わず浮かんだ苦笑いは自分に対してだった。ティーポットとティーカップがカウンターに置かれ、広げていた便せんと筆記用具をひとまず寄せた。熱いティーポットに手を当てる。冷たい手がじわじわと温まっていく。
「とにかく、さっさと誰に書くのか決めたらどうだ?」
「そうですね……」
温められたティーカップに静かに中身を注ぐ。立ち上った湯気へさっきのように息を吹きかけた。
そうですね、ともう一度。
「とりあえず」
「とりあえず?」
「紅茶飲みながら、考えます」
そうして笑うと、マスターはやれやれと言わんばかりにもう一度、肩を竦めた。
※一年後期のイメージ。
※絶賛推敲中です。
※絶賛推敲中です。