この季節がきた。
はあっ。
いくら吐いたところで、とらえどころのない白い息が出る。 あと少しもすれば寒さは和らぎ、春が訪れるに違いないのだけれど、それすら信じがたい。
私はこんなにも凍えて震えているのに、空は無駄に晴れている。澄みわたる青空は寒いからこそ綺麗なのは重々承知しているけれど、見上げるだけで清々しく、もの哀しい。
誰もが綺麗というものから、私は目をそらしたくなるのだ。真っ赤に熟れすぎた林檎のような、醜さを含む美しさの方がまだ信じられる。。
この空を擬人化したら、きっと病弱で色白な、幸薄い美人だろう。
かじかんだ手を首に当て、凍てつく寒さを溶かす。
カップラーメンが食べたい。ふと思った。暖かいリフレッシュルームで食べるんじゃなく、この寒空の下で食べたい。
はあっ。
いくら吐いたところで、とらえどころのない白い息が出る。 あと少しもすれば寒さは和らぎ、春が訪れるに違いないのだけれど、それすら信じがたい。
私はこんなにも凍えて震えているのに、空は無駄に晴れている。澄みわたる青空は寒いからこそ綺麗なのは重々承知しているけれど、見上げるだけで清々しく、もの哀しい。
誰もが綺麗というものから、私は目をそらしたくなるのだ。真っ赤に熟れすぎた林檎のような、醜さを含む美しさの方がまだ信じられる。。
この空を擬人化したら、きっと病弱で色白な、幸薄い美人だろう。
かじかんだ手を首に当て、凍てつく寒さを溶かす。
カップラーメンが食べたい。ふと思った。暖かいリフレッシュルームで食べるんじゃなく、この寒空の下で食べたい。
なけなしのお金で買ったカップラーメンは、財布まで温めてはくれない。私の指先をほぐす程度だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
蓋を押さえながら、箸と財布を持ち、肩からずり落ちたバッグを腕にかけつつ歩くのは至難の業だった。なんとか学部棟の前にあるベンチまで辿り着いた。
荷物を脇に置き、いそいそと蓋を開ける。真っ白いもわっとした湯気と美味しそうな匂いが、鼻孔をくすぐる。
人は食事で、ほんの少し幸せになれる。例え僅かであっても、食べる前より幸せになれたらきちんと喜んだ方がいい。自覚した上で、食べ物への感謝も忘れずに。
はふはふと咀嚼していると、黒い犬がやってきた。ふと見上げると、空より近くに男の人がいた。すごく背が高い。
「財布、落としましたよ」
「あ、ありがとうございます。すいませんわざわざ」
喋った。
次いで見覚えのある財布が差し出された。持ってたはずなのに、落としたのだろう。学生証も入っているし、なくなると困る。
そう言えば最近落とし物が多い。この間もうさぎを落とした。私にとって大事なものであったはずなのに。
脱兎の如く。
たわいもないことを考えていると、男の人は適度な距離を置いてベンチに座った。飼い犬なのだろう、凛とした黒ラブの頭を撫でた後、
「寒くないの」
とだけ言った。
「え?」
「この時期、あんまり外で食べる人いないし」
「ああ……。癪なんです。寒いからって暖かいところにこもるのが。寒さにも意味があるんだろうし、どうせなら逃げずに親しもうかと思って。と言っても、毎朝起きるのには苦労してるんですけどね」
「癪か。すごいこと言うね」
「すいません。変わってるってよく言われます」
「ふうん」
財布を拾ってくれた他人に、なんて話をしているのだろう。怪しがられてないだろうか。
人との摩擦は、私の心をすり減らす。
カップの汁から具をつまみ上げるのに苦心している素振りで、そっと隣を伺ってみたが、彼は相変わらず黒ラブの頭を撫でていた。
「賢そう」
「ん?」
「毛並みは綺麗だし、目も澄んでてかっこいいです」
「ありがとう」
なんとなく、おりこうさんと言っては失礼な気がした。黒ラブはじいっと私を見つめていた。心中を見透かすようなその目線は、まっすぐである。
私が見ないと誰も私を見てくれない気がしていた。
ああでも、誰の記憶にも残らないのだ。
私が誰も見れないから。
でも、この黒ラブは私を覚えていてくれるだろうか。
「動物は素直ですよね。人よりよっぽど」
「君は素直になりたいの?」
「前はそう思ってたんですけど、今は良くわかりません」
「そう」
「素直でいようと思うと、自分が嫌いな自分になってるんですよ」
「嫌いな」
「はい。自分じゃどうにもできない人の心が変わるのを、望んでるんです」
「へえ」
「マズローの五大欲求って分かりますか?」
「何となく。三角形の図がついてる……」
「それです。下から、ご飯食べたい、ゆっくり寝たい、構って欲しい、認めて欲しい、創りたいって上がっていくんですよ。これらは生存に必要な順に並んでます。でも、頂点にある最大の欲って自分が何をしたいか、よりも自分以外の誰かに求める欲なんじゃないかと思うんです」
「ほう」
「もちろんこれは、私の思い付きで、学術的じゃないですよ。なんというか、ああして欲しいこうして欲しいという願望が強いんですね。どうにもならない事だし、望んじゃいけないって分かってるんですけど」
「それが、嫌いなんだ?」
「はい。どうしようもなく」
私はラーメンの汁を飲み干した。
「斬新だな。しかし、そんな生き方ならしない方がいい」
その人は立ち上がった。お邪魔しました、楽しかったよと会釈した後一人と一匹は去っていった。
無印良品のような人だ。
初対面で良かった。
「そんな」というのが自分が嫌いな自分でいる事に対してなのか、人に過度の期待をする事に対してなのかは分からない。
恐らく両方だろう。
はあっ。
熱くなった口からは白い息が出た。
それ以上でも、それ以下でもない。
蓋を押さえながら、箸と財布を持ち、肩からずり落ちたバッグを腕にかけつつ歩くのは至難の業だった。なんとか学部棟の前にあるベンチまで辿り着いた。
荷物を脇に置き、いそいそと蓋を開ける。真っ白いもわっとした湯気と美味しそうな匂いが、鼻孔をくすぐる。
人は食事で、ほんの少し幸せになれる。例え僅かであっても、食べる前より幸せになれたらきちんと喜んだ方がいい。自覚した上で、食べ物への感謝も忘れずに。
はふはふと咀嚼していると、黒い犬がやってきた。ふと見上げると、空より近くに男の人がいた。すごく背が高い。
「財布、落としましたよ」
「あ、ありがとうございます。すいませんわざわざ」
喋った。
次いで見覚えのある財布が差し出された。持ってたはずなのに、落としたのだろう。学生証も入っているし、なくなると困る。
そう言えば最近落とし物が多い。この間もうさぎを落とした。私にとって大事なものであったはずなのに。
脱兎の如く。
たわいもないことを考えていると、男の人は適度な距離を置いてベンチに座った。飼い犬なのだろう、凛とした黒ラブの頭を撫でた後、
「寒くないの」
とだけ言った。
「え?」
「この時期、あんまり外で食べる人いないし」
「ああ……。癪なんです。寒いからって暖かいところにこもるのが。寒さにも意味があるんだろうし、どうせなら逃げずに親しもうかと思って。と言っても、毎朝起きるのには苦労してるんですけどね」
「癪か。すごいこと言うね」
「すいません。変わってるってよく言われます」
「ふうん」
財布を拾ってくれた他人に、なんて話をしているのだろう。怪しがられてないだろうか。
人との摩擦は、私の心をすり減らす。
カップの汁から具をつまみ上げるのに苦心している素振りで、そっと隣を伺ってみたが、彼は相変わらず黒ラブの頭を撫でていた。
「賢そう」
「ん?」
「毛並みは綺麗だし、目も澄んでてかっこいいです」
「ありがとう」
なんとなく、おりこうさんと言っては失礼な気がした。黒ラブはじいっと私を見つめていた。心中を見透かすようなその目線は、まっすぐである。
私が見ないと誰も私を見てくれない気がしていた。
ああでも、誰の記憶にも残らないのだ。
私が誰も見れないから。
でも、この黒ラブは私を覚えていてくれるだろうか。
「動物は素直ですよね。人よりよっぽど」
「君は素直になりたいの?」
「前はそう思ってたんですけど、今は良くわかりません」
「そう」
「素直でいようと思うと、自分が嫌いな自分になってるんですよ」
「嫌いな」
「はい。自分じゃどうにもできない人の心が変わるのを、望んでるんです」
「へえ」
「マズローの五大欲求って分かりますか?」
「何となく。三角形の図がついてる……」
「それです。下から、ご飯食べたい、ゆっくり寝たい、構って欲しい、認めて欲しい、創りたいって上がっていくんですよ。これらは生存に必要な順に並んでます。でも、頂点にある最大の欲って自分が何をしたいか、よりも自分以外の誰かに求める欲なんじゃないかと思うんです」
「ほう」
「もちろんこれは、私の思い付きで、学術的じゃないですよ。なんというか、ああして欲しいこうして欲しいという願望が強いんですね。どうにもならない事だし、望んじゃいけないって分かってるんですけど」
「それが、嫌いなんだ?」
「はい。どうしようもなく」
私はラーメンの汁を飲み干した。
「斬新だな。しかし、そんな生き方ならしない方がいい」
その人は立ち上がった。お邪魔しました、楽しかったよと会釈した後一人と一匹は去っていった。
無印良品のような人だ。
初対面で良かった。
「そんな」というのが自分が嫌いな自分でいる事に対してなのか、人に過度の期待をする事に対してなのかは分からない。
恐らく両方だろう。
はあっ。
熱くなった口からは白い息が出た。