「一話 ヘイヴンの日常はかく危なき(前)」
黒髪を肩辺りまで伸ばした女は新居にたどり着いたが、そこが貧民街にありがちな一軒のボロ屋であることに気がつき、思わず足を止めてしまった。軒先に灰色の布が垂れ下がっているのが哀愁を誘う。
いつ踏み抜いても不思議ではない木製の階段を上がって、ドアに一定のリズムをつけたノックをした。すると、蹴っ飛ばしているようなノックが返って来た。
何気ない動作で周辺を確認すると、扉を開き中に体を滑り込ませて扉を閉じ鍵を閉める。
そして入室早々説教を始めた。
「ギルバート、ノックは手でやってください」
「いいんだよ。ノックは手でやらねばならんというルールは無いね」
「そういう問題ではありません」
「へいへい」
狭い玄関から入るとキッチンとリビングが一体になった部屋が見えてくる。内装が汚くない、どちらかといえば小奇麗な感じだったのが救いか。
女が、ラフな格好で金髪をかきむしるだらしない男にぎゃあぎゃあ文句をつけて追いかけるが、男――ギルバートは、説教を右から来たら左に受け流す。糠に釘とはまさにこのこと。
どこからか拾ってきたとしか思えないソファーにギルバートが座り、座る面が水平ではない椅子に女が座る。
薄汚れた窓ガラスからは、貧民街が見える。そしてそれを圧倒する高さの塔が重力に反逆して何本も空に延びているのがはっきりと確認できた。
ギルバートが言った。
「盗聴器なんかは無かった……能力も今のところ発動している感じじゃない。怪しまれてないようだ」
「それはよかった。街をちょっと歩いたら男性に襲撃されたので、きっとごそごそ出てくるものかと思ってました」
女はローブを脱いで椅子の背にかけると、まるで正座するように両脚をそろえてギルバートの方に体を向ける。
ギルバートは、興味ありげに鼻を鳴らし。
「強盗か?」
「酔っ払いです。馬鹿に能力を与えたが為に起きた間抜けな珍事です」
「あー、そう」
「ギルバートが行けばよかったのに、と思いますが」
「あのねぇ」
両腕を組み、なんとなく不機嫌そうな女に対し、ギルバートは姿勢を起こしてソファーに座れば、右手を虚空に突き出して見せた。瞬間、その手には金属製の工具が握られていた。
青と朱色の塗装に、先端が曲がったそれは、バールにそっくりの何かであった。バールではない。『バールのようなもの』である。そこは重要だ。
ギルバートがバールのようなものを指に挟み、手をちょっと振ると二本目が刹那の内に生み出される。
これは男の能力『バールのようなものを創る能力』である。
ギルバートはバールのようなものを両手に持つと、かちかちと打ち鳴らしてみせ、飽きたようでそれを部屋の隅に蹴りやった。女が視線を部屋の隅にやる。
「俺の能力は昼も夜も戦闘向きじゃねーのよ、分かってんだろう。打撃用としちゃいいけど、ぶっちゃけバールよりいい武器はいくらでもあるし」
「知っています。では夜の方はお願いします」
「え、何、助けてくれないっての? 鋭利、お前さんの力なら……」
「サボらないでください。私は戦闘向けですが、諜報向けでは無いので」
「へいへい。仕方ないから夜はお前の姿で出歩こうかな。それも裸で。バカが一杯釣れるぞきっと」
「肢体を削ぎ落として欲しいんですか?」
「冗談だから」
本気でサーベルを引き抜きかける鋭利――『網走 鋭利(あばしり えいり)』に、ギルバートが口元を引きつらせて宥める。
最も、網走は能力『切断』のイメージを掴みやすくするためにサーベルを使っているだけであって、その気になれば素手で鉄骨を切断することも可能だが、やはり脅しなら刃物が一番なのだ。
仮に本気で鋭利が殺しに来た場合、バールのようなものを出そうがなんだろうが生き残れない。それは今関係ないのだが。
ちなみにギルバートの能力はバールのようなものを創る能力と、諜報に役立つ能力の二つだ。夜の能力についてはいずれ判明するであろう。
ギルバートはソファーの後ろからミネラルウォーター入りのボトルを取ると一口二口飲んで喉を潤し、蓋を閉めてお腹の上に置いた。
「さて冗談はその辺にしておいて、仕事の話をしようか」
「望むところです」
二人の雰囲気が引き締まったものになる。
ギルバートがのそのそ椅子に座ると、網走は腰からサーベルを降ろし、机の傍らに立てかけた。最初に網走が口を開く。部屋の隅できゅうきゅう回転している換気扇がほどよい雑音となっており。
「まず私は、この街を調べたい」
「同意。情報だけじゃ何もつかめない。でもどうする、働かないのに金を持ってる難民は怪しいと思うんだが」
「日雇い傭兵、その手の仕事はヘイヴンではありふれた仕事ですので、私が行きましょう」
「いいね、決定。死なない程度に頑張れ」
「ギルバートはどうしますか?」
「俺か?」
真面目に無表情の網走は、なんとなく答えが分かっていながらも尋ねてみた。二人での仕事はこれが始めてではないのだ。
ギルバートは髪をくしゃくしゃにして前髪を後ろに流せば、椅子の背に体重をかけた。
「街を出歩いて情報を得る。出来ればあの塔を調べてみたいね」
「そうくると思いました。厄介ごとで死なない程度に頑張ってください。助けられませんので」
「了解、俺を誰だと思ってるんだ」
そう言いつつ親指で顔を指せば、網走は頬の筋肉を動作させることもなく言い。
「30代独身男性です。髭を剃れ」
「あらかじめ用意しておいたようなセリフをありがとうよ。髭はその内な」
「どういたしまして」
一通りの作戦を立てた二人は黙ると、腕時計で時間を確認した。夕方。もうじき昼間は消え失せ、夜が大袖を振って闊歩するようになる。
ふと窓の外を見遣れば、あたかも墓石の前に突き立てられた剣のように夕焼けに浮かぶヘイヴンの一端が見えて。鴉が右から左に横切り、そのすぐ後ろを人影がついていく。
避難所(ヘイヴン)に身を寄せても絶対の安心を得られるとも限らぬ。生と死が同居するこの街。逃げ込んだ人々は一体全体何を考えてここに来たのだろう。本当に、ここは安全なのだろうか。
二人は、それを調べに来たのだ。
二人にはヘイヴン(避難所)よりクレイヴ(墓)の方がしっくり来ると思えてならなかった。
夕日が沈み、太陽が大地に顔を隠す頃、二人は行動を開始した。
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木を隠すなら森の中、本を隠すなら図書館、人を隠すには人ごみの中。
ギルバートはすっかり暗くなったヘイヴンの街を一人で歩いていた。
東洋風の家屋や煉瓦、がらくたを集め作った様な家に、どう考えても自立できそうに無い家まで、街は混沌を越える混沌状態であった。一見家屋に見えて実はお店な場合も珍しく無い。
とりあえず酒場に入ることにした彼は、人の流れの最後尾に張り付き、その場所にたどり着いた。ウェスタン風の酒場。ドアも映画に出てくるタイプで、手で押して入る。
むっとするような煙草と酒の匂い。そして、消毒に使われるオゾンのような臭いやら、獣臭さも混入した空気に酒場は満たされ、人で溢れていた。やや上を見れば、二階にも席があるようだった。
ギルバートは、“長い黒髪を”揺らしながら、姿勢の良さを強調するようにしなやかに歩を進め、マスターの居るカウンター席に座った。カウンター席は何故か空いていた。
「あ、やんのかコラ!!」
「ぶっ殺すぞ!」
「いいぞやれー!」
二階席の方で喧嘩があったのだろうか、男性同士の口論が店内に響く。
コップを磨いていた髭面のマスターは、ギルバートの方に眼球をジロリと向け、しわがれた声を発した。実力を推し量らんと茶色の双眸がギルバートを見つめ。
「酒は何にする?」
「強いのをお願いね、おじさん」
優しげなソプラノ。
彼の声は、“女性そのもの”だった。というか女性だった。
瞳はぱっちり乳白色の肌に浮かぶ。アクセントの睫毛は艶やかに伸び、ティーンエイジャーの柔らかい輪郭の顔を支えるは、細い首筋と、それに連なる鎖骨。シャツの前面を女性の双丘が押し出し形作っている。
これこそが彼の能力、模倣変化(コピーキャット)。
今まで見たことのある人物の姿形全てをほぼ完全に模倣する。指紋から静脈の配置まで模倣するため、機械では見抜けない。諜報にうってつけな能力なのだ。
彼が彼女を見たのは今から十数年前。目の前で息絶えてしまい、更に爆弾で木っ端微塵になったのも目撃している。既に忘れ去られた人間なら、いくら出歩こうと問題にならない。
目を惹く美人(ただし仮初)ということもあってか、ちゃらちゃらした男が“彼女”の隣に座り、顔を横に向けながら人差し指を上げてマスターに注文した。
「マスター、俺にも彼女と同じものを」
「分かった」
ギルバートが酒場に来たのは呑むためでも女を忘れるためでもない、情報を得るためだ。
酒の勢いでぺらぺら喋る輩も居るし、他愛も無い会話を聞くことも容易なのだ。人が多ければ耳を傾けても怪しまれることもない。
何、超越機関からは調べる期間が限定されているわけではないのだから、気楽にやればいい。
隣に座ったチャラ男は、ギルバートの顔を舐め回すような視線を送り、腰辺りをじろじろ眺め、マスターが運んできたコップを受け取る。
正直な男だな、というのが率直な第一印象だった。
模倣変化(コピーキャット)を発動して女性になっている以上、『行為』をすることも可能だが、させるつもりは無く。
コップに入った透明の酒を一口呑み、咥内で味わいアルコールを楽しむ。そして、おもむろに男のほうに顔を傾けた。
「お酒は強い?」
「当たり前。ウォッカ一本呑んだ事もある」
「へぇ~」
「今夜は付き合ってくれよ、どうだ?」
男はそう言うと酒を半分近く咽頭に流しこみ、コップを差し出してくる。チャラ男な雰囲気を持ちつつ、紳士な印象も与える、なるほど軽い女なら引っかかりそうな男で。
しかし悲しいことにギルバートの本質は男性。能力を解除したなら、無精ひげを生やした男が微笑み浮かべてコップを握っていることになるだろうか。
ギルバートはコップを男のコップにぶつけると、ぐっと酒を呷った。そして口を開く。
「酔いつぶれるまで?」
くく、と喉を鳴らすように笑い、コップの中の酒を揺らし。
男も笑みを浮かべれば、酒の残りを胃袋に流し入れた。
酒場特有の喧騒を背に、二人は雑談や世間話を交わしつつ酒を呑み続ける。一杯二杯三杯、強い酒を呑んでいるのに、どちらも一向に譲ることはない。ウワバミとウワバミの勝負と言ったところか。
凄い勢いで呑みまくる二人にマスターはしかし驚きもせず淡々と仕事をこなす。注文を受け持つのは、まだ若い男の子や女の子で、あちらこちらに駆け回っている。
ギルバートは話術と、女性の特権である色気を併用して男から話を引き出していく。
実働軍は強い能力者を集めた連中だとか、ヘイヴンの中枢は塔の集まる場所だとか、明らかに不自然な空間がいくつもあるだとか、料理の美味しい店はこことここと……。
流石のギルバートも呑みつづけたせいか、頬が紅潮して体が温まってきた。男も似たようなものだ。
男は恐らく相手が酔いつぶれたところで美味しく頂こうなどと考えているに違いなかったが、二人して酒の耐性が同程度なら、余り意味は無い。
ギルバートはコップを置いて、欠伸を手で隠した。黒髪が体に合わせて微かに動く。
「ところで、お兄さん」
「ん? 俺りゃあもう一杯で二杯でも……」
その時だった。
真上から爆音が響くや、酒場の天井を盛大にブチ抜いて何かが床に突き刺さっただけに留まらずその本体を真下に埋没させた。木片があちらこちらに飛び散った。
もし穴を覗き込むことができたならそれが何の加工もされていない矢であると気がつくだろうか。
酒場の客と店員全員が真上に目をやった瞬間、二人の人物が天井から降りてきて着地、客の使っていたテーブルを蹴り飛ばして距離を取った。
ギルバートには、その一人の人物に見覚えがあった。
闖入者二人は騒然とする店内で円を描くように歩み始め。
「やりますね。攻撃を迎撃されたのは久しぶりです」
「面倒なやつだにゃ、とっとと死ぬがいいにゃ」
「却下します。お給料が貰えませんので」
「ついでに頭もカチカチにゃ」
一人は、ローブに日本弓、腰はサーベルという装備の
網走鋭利。
もう一人は、猫耳と尻尾のついた緩めの寝巻き風の衣服に、刃物のついた篭手を両腕に装備した赤毛の少女だった。中々可愛らしい顔つきながら目は肉食獣かくや爛々と輝いており。
「てめぇら……!」
マスターが声を上げたのを合図に、網走が矢を番えて少女に一撃を放った。それを、少女が投げつけた何かが『爆発』によって打ち落とし、結果店内はパニックに陥った。
矢を爆発が迎撃、衝撃波で客数人が悲鳴上げる甲斐なく吹き飛ばされ木製のテーブルに突っ込み沈黙した。
ギルバートとチャラ男が顔を見合わせると、テレパシーでも使ったように仲良くすたこらさっさと店を後に逃げ出す。他の客もそれに習った。
「初日から目立ってどうするんだ、バカ」
元の口調でギルバートが言い、男を連れ、諦めの表情で街に消えていった。
(後編に続く)
登場キャラクター
最終更新:2010年07月08日 03:25