王徽 おうき
?-891
晩唐の宰相(位880)。字は昭文。京兆王氏の出身。
王択従の曽孫で、その世系は王択従→王察→王自立→王徽である。大中十一年(857)、進士に及第し、校書郎となり、
沈詢・
徐商・
令狐綯の使府に
辟署された。右拾遺・殿中侍御史・江陵節度府判官・考功員外郎・翰林学士を歴任した。
広明元年(880)十二月、
盧攜が宰相を罷免されると、代任として戸部侍郎・同中書門下平章事(宰相)に任じられた。しかし
黄巣の乱がすでに関中に及び、翌日には
僖宗が西へと逃亡したため、その後を追いかけたが、崖に転落して反乱軍に捕縛された。宰相の在任わずか一日であった。脱走して蜀の僖宗のもとに赴き、兵部尚書・京城四面宣慰催陣使に任じられた。長安を回復すると充大明宮留守・京畿安撫制置修奉使となって宮殿・長安の再興を行ったが、土地家屋係争の裁定によって権臣と対立、罷免されたため、次第に職務に対して不平不満を表すようになった。
昭宗が即位すると吏部尚書、尚書右僕射となった。子に王松がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2026年09月29日 01:49